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2007年12月30日 - 2008年1月5日

2008年1月 4日 (金)

谷根千そぞろ歩き

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さて、本年最初の記事は「谷根千」散策です。今回もまた日記文に写真を豊富に載せてお届けします。

 * * * * * * * * * *

 大晦日に帰省する途中、谷根千(谷中・根津・千駄木)を歩いてきた。上野で山手線に乗り換えて日暮里駅へ行く。まず谷中霊園へ行く。ここは前回(99年)行かなかったところだ。入ってすぐ小平浪平の墓を見つけた。僕の実家は茨城県の日立市だが小平浪平は日立製作所の創業者である。小学校の歴史で必ず習う、地元では知らぬ者のいない有名人だ。しかし有名人の墓はこれしか見つけられなかった。広すぎるし、墓が多すぎてどこにあるのか分からない。稲垣浩、上田敏、川上音二郎、獅子文六、高橋お伝、長谷川一夫、横山大観などたくさんあるはずだが。まあ何度も来て根気よく探すしかないだろう。

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  日暮里駅の反対側に出て、御殿坂から夕やけだんだん、谷中銀座商店街へと進む。これは前にも通ったコースだ。商店街の途中にある書店で『谷根千』を7冊買った。目次を見てじっくりと選んだ。1冊525円。店主が谷根千の地図などをおまけにくれた。地図は家を出るとき持ってくるのを忘れたので大いに助かった。谷中歴史散歩という地図には七福神を始め、お寺や神社だけが載っている。その表紙の絵が素晴らしい。夕やけだんだんの上から商店街を見下ろした絵だ。絵というより滝田ゆうの名作漫画『寺島町奇譚』のようなタッチだ。作者は東京芸大卒の宮田琴(みやたこと)と書いてある。ネットで調べたら面白い仕事をしている人だ。非常に興味を引かれた。

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 商店街を抜けるとT字路になっている。根津神社に行きたかったので左折する。まっすぐ進むと三崎坂に出る。前回はこの坂沿いに「いせ辰」や喫茶「乱歩」に行ったが、今回はそのまま坂を突っ切りへび道に入る。ここも前回通ったところだが、名前の通りくねくねと道が曲がっている。かつては藍染川が流れていたところだ。道々気に入った路地や建物があると写真を撮った。へび道を抜けたところにある喫茶店に入って一休み。店の人にここはどの辺かと地図を見せて聞いたら、「根津八重垣界隈」というさらに詳しい緑色の地図をくれた。

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 根津神社は前の通りを渡ってすぐのところだった。何だこんなに近かったのか。前回もここまで来たが、根津神社はもっと先だと勝手に思い込んでいて、だんご坂の方に行ってしまった。今回も地図はざっと見ただけで、道なりに適当に歩いてきたのである。喫茶店でこの後どこを見て回るか計画を立てた。まずオバケ階段を見てから根津神社に行き、その後夏目漱石住居跡を見て、最後に大名時計博物館を回ることにした。

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  オバケ階段は何の変哲もない階段だった。間違ったのかと思って地元の人に聞いたら確かにあそこだと言う。どうしてオバケ階段なのかと聞いたら、上るときと降りるときでは段の数が違うからだと言っていた。恐らく1番下の段が上るときと降りるときでは段に見えたり見えなかったりするということだろう。それはともかく昔のオバケ階段の写真(こちらを参照)を見ると、下から見上げたとき、左に板塀右に石の塀があったのだが、今はそのどちらもない。しかも左側に別の石段があって、階段が2つ並んでいる形になっている。しかも左側の階段は上った先が行き止まりである。一体何のためにこの左側の階段はあるのか。こちらの方こそオバケ階段だという気がする。いやはや何とも不思議な階段たちだ。

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 根津神社はいろいろなものが盛りだくさんで面白かった。まず鳥居をくぐると赤い立派な門があり、その手前に緑色の橋がある。池に架かった橋だ。橋フェチとしては見逃せない。池に白い鳥が1羽とまっていた。橋、池、池の上の植え込み、どれも絵になる。もうその時点で根津神社にはまっていた。門と本殿を撮り、次に小さな鳥居がいくつも並んでいる通路(?)を撮る。通路の途中にお稲荷さんがあり、その先にまた別のお社がある。錦鯉がいるまた別の池もある。ぐるりと一周して本殿に戻ると、大晦日とあって本殿の前には何十人もお参りの人たちが列を作って待っていた。一周する間に20枚以上写真を撮っていた。来てよかった。僕は特に神社やお寺に興味があるわけではないが、ここは来てみる価値があると思った。

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 根津神社に夢中になったせいで、漱石住居跡と大名時計博物館を回るのを忘れてしまった。不忍通りを上野方面に歩き出してから思い出したが、引き返すのも面倒なのでそのまま不忍池まで歩いた。歩いて10分ちょっとか。そこで不忍池と弁天堂などを撮る。ここは盆と正月に帰省する際、電車を一時下車してよく一息入れに来るところだ。

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 2時間ほど歩いただろうか。さすがに疲れた。しかしこれだけ歩いて谷根千のごく一部しか見ていない。谷中霊園と根津神社以外は前回来たときとほぼ同じ道をたどっている。何回も通わないととても全部回り切れない。帰りにも寄ろうと思ったが上野まで立ちっ放しで疲れたのでまっすぐ上田に帰った。今度東京に来る時にでもまた寄ってみよう。谷根千は何度でも来てみたい町だ。

<ブログ内関連記事>
 森まゆみ著『路地の匂い 町の音』

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2007年12月31日 (月)

皆様よいお年を

Zouni  いよいよ今年も今日が最後の日となりました。当ブログを読んでいただいた皆様ありがとうございました。お陰さまで、年内の目標だったアクセス数80000を超えることができました。ありがとうございます。

 ブログを始めて1年目は50000という数すら果てしなく遠く思えたものです。本当に「思えば遠くへ来たもんだ」というのが偽らざる実感です。ブログに関して今年一番の出来事はいうまでもなく別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」を新設したことです。5月の下旬にたまたま浦野川を散策したのがきっかけとなり、週末になるとデジカメを持って出かけ、川と橋、路地裏、観光名所などの写真を撮ってくるのが習慣になってしまいました。写真が増えたために本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」が無料で使える限度を超えてしまい、やむなく新しいブログを新設して旅行記や写真日記などをそちらに移す羽目になったわけです。晴天の日はデジカメを持って外に飛び出してゆきたくて仕方がない。お陰で生活のリズムもすっかり変わってしまいました。散々歩き回るので足は丈夫になった気がします。

 しかしそのあおりで映画のレビュー数が激減してしまいました。レビューを期待されていた皆様には本当に申し訳ありません。レビューが減った分を埋めようと、「映画チラシ・コレクション」と「映画パンフ・コレクション」のシリーズを始めたり、映画短評集を復活させたりしました。しかしやはり本格レビューが書けないのは自分でも寂しいと感じます。しかも、写真日記にしろ「映画チラシ・コレクション」にしろTBが送れません。送る先が見当たらないからです。たまにレビューを書いても新作を取り上げることが少なくなってしまったので、これもほとんどTBを送れませんでした。そのせいか今年の中ごろにグーグルのページランクが3から2に落ちてしまいました。1日平均のアクセス数は何とか100を超えてはいるのですが、このままではいずれそれも割ってしまうでしょう。

 ということですので、来年の課題はできるだけ映画のレビューを増やすことです。それもできるだけ新しい作品を多く取り上げたい。昨夜観たペドロ・アルモドバル監督の「ボルベール<帰郷>」は期待をはるかに上回る傑作でした。今日帰省しますのでレビューを書くのは上田に戻ってからになります。これは力を入れて書きたいと思います。「しゃべれどもしゃべれども」は年内には観られませんでしたが、4日までレンタルの期限があるので戻ってきてから観る予定です。

 それではまた来年もよろしくお願いいたします。

2007年12月30日 (日)

リストランテの夜

1996年 アメリカ 1997年4月公開
評価:★★★★☆
原題:Big Night
監督:スタンリー・トゥッチ、キャンベル・スコット
製作:ジョナサン・フィレイ
製作総指揮:デヴィッド・カークパトリック、キース・サンプルズ
脚本:ジョセフ・トロピアーノ、スタンリー・トゥッチ
撮影:ケン・ケルシュ 音楽:ゲイリー・デミシェル
出演:スタンリー・トゥッチ、イアン・ホルム、トニー・シャルーブ
    キャンベル・スコット、ミニー・ドライヴァー、イザベラ・ロッセリーニ
    キャロライン・アーロン、マーク・アンソニー、アリソン・ジャネイ
    ラリー・ブロック、アンドレ・ベルグレイダー、パスクアル・カジャーノ

Cf108  この映画の主題は始まって早々に示される。時は50年代。ニュージャージーの小さな港町にあるイタリアン・レストラン。イタリア移民のプリモ(トニー・シャルーブ)と弟のセコンド(スタンリー・トゥッチ)が経営する小さな店だ。兄がシェフ、弟がギャルソンと経理を担当している。雇い人はクリスティアーノ(マーク・アンソニー)という若者1人。テーブルについている女性客がアレコレと注文をつけている。それまで自分がイメージしていたリゾットと違ったようだ。セコンドがイタリアではそれが本式だと説明しても納得せず、ついにはミートボール入りのスパゲティがほしいと言い出す。しぶしぶ注文を受けたセコンドは兄のプリモにスパゲティを作ってくれと頼む。しかしそれを聞いたプリモは激昂し、どっちも炭水化物だぞ、そんな注文をする奴はどうかしていると断固拒否する(厨房にちゃぶ台がなくてよかった)。

 恐らくこんなやり取りが毎日のように繰り返されているのだろう。セコンドは兄の料理の腕は世界一だと思っている。しかし味音痴のアメリカ人にイタリア料理をそのまま出しても受けつけてもらえないことも分かっている。もっとアメリカ人の舌に合う料理にして欲しいと何度も兄に頼んできたはずだ。しかしプリモは超がつく頑固者。決して自分の考えを曲げない。「お前は料理を妥協しろと言う。イヤだ、そんなことをしたら俺の料理は終りだ。それならいっそ死んだ方がマシだ」と言って譲らない。アメリカに移住して二年たつが、客がつかず今や倒産寸前である。経理担当のセコンドはあちこち走り回って金を借りているがもはや限界。

 こう見ると性格の違う二人の兄弟の確執がテーマのように見える。しかしこの映画のテーマはもっと深いところにある。切羽詰ったセコンドは自分の店のすぐ向かいにある「パスカルズ・イタリアン・グロット」という大繁盛している店の経営者パスカル(イアン・ホルム)に借金を頼みに行く。そこでの二人の会話がこの映画のテーマを端的に示している。

セコンド「イタリアでは苦労しても成功できないが、アメリカはそうじゃない。成功でき
 る。」
パスカル「だからみんなアメリカへ来る。チャンスの国だ。でも、苗を植えて1年じゃイチ
 ジクは収穫できん。・・・男が仕事を終えどこかへ飯を食いに行く。疲れ切って。そいつ
 は面倒な食い物はゴメンなんだ。慣れた食い物がいい。そいつが食いたいのはス
 テーキだ。ステーキが一番だ。肉さえ出してやれば男は喜ぶ。誤解しないでくれ。お
 前の兄貴のプリモは抜群の料理人だ。」
セコンド「天才的だ。世界一だよ。」
パスカル「そうとも、だがそれじゃ成功せん。客の食いたいものを出せ。シャレた料理は
 その後だ。」

 ぶつかり合っているのは兄弟二人の性格だけではない。この店がイタリアにあったのなら生じ得なかった対立だ。アメリカとイタリア、この2つの文化の間の違いが問題の根源である。ファスト・フードを食べ慣れたアメリカ人に下ごしらえにたっぷり時間をかけて作ったイタリア料理を出す。当然はやらない。商売に徹して信念を曲げるか、あくまで信念を貫くのか。二人の間に立ち塞がっていたのは見えない文化の壁だった。「ベッカムに恋して」「やさしくキスをして」「ぼくの国、パパの国」「スパングリッシュ」に通じる主題がそこにある。

  セコンドがリゾットは手間がかかりその分値段も張るのでメニューからはずそうと兄に持ちかけると、兄はあっさりOKした。しかしその後でこう提案する。「代わりにホットドッグを出せばいい」と。プリモには「おかしいのはアメリカ人の舌のほうだ」という信念がある。もちろん、商売である以上うまければいいというだけでは成り立たない。ビジネスの問題が中心にあるようにも見える。実業家としてのレストラン・オーナーの価値観とこだわりの味職人の価値観のぶつかり合い、その間に挟まって苦労する弟という図式になっている。だが、その背後に異文化の衝突という問題、さらには薄っぺらなアメリカ文化への批判が込められていることを見落とすべきではない。

Dinner3b  だが、言うまでもなく、この映画は根底にあるテーマだけをひたすら押し出した映画ではない。料理をテーマにした映画らしく、メインディッシュの他に兄弟愛や兄弟二人の恋物語というサイドディッシュを用意し、コメディと人情ドラマの味付けを施している。ストーリー展開上重要な位置を占めるのが「仕掛け人」としての役割を果たすパスカルである。彼はセコンドの借金の申し出を断るが、代わりに友人であるジャズ歌手のルイ・プリマが来週町に来るので、招待して名前を広めてもらえと助言するのだ。後がないセコンドはこの「ビッグ・ナイト」に一発勝負をかける。

 もてなし作戦はうまく行くのか、店は持ち直すのか、これがストーリーを動かし、観客の関心をひきつけるドライブとなっている。もちろん計画はすんなり進むわけではない。途中で ルイ・プリマがパスカルの友人だとプリモにばれてしまう。プリモは友人アルベルト(パスクアル・カジャーノ)の床屋で荒れ狂う。その言葉がすさまじい。「毎晩あの店(パスカルの店)で何が行われていると思う?レイプ、レイプ、料理の陵辱だ。」とにかくこの男の頑固さは並大抵ではない。性格は単純明快で、全く冗談の通じない男だ(「外は雨」という歌詞をめぐるエピソードが可笑しい)。セコンドの言によれば、プリモは車の運転もできない。「兄貴が乗り物に乗ったのはアメリカへの船だけ。それでもう充分なんだよ。」そういう男だから女性には滅法弱い。花屋のアン(アリソン・ジャネイ)に思いを寄せているが(本人は隠しているつもりでも、傍からは見え見え)、自分からは何も言い出せない。パーティ用の花を注文するついでにアンをパーティに誘って来いと弟に言い聞かされるが、会話は弾まず、結局花だけを頼んで帰ってくるエピソードが愉快だ。そう、そういう純情朴訥な性格だから憎めないのだ。

  一方のセコンドにもフィリス(ミニー・ドライヴァー)という恋人がいる。このセコンド、髪をオールバックにしている様はなかなかの美男子。ギャルソンの格好をしているとアンディ・ガルシア並みに隙がない。当然もてもてなのだが、フィリスと車の中で抱き合っている時に意外に固い面を見せる。フィリスがその気になると、そういうことは大事な時まで取っておこうなどと言い出すのだ。イタリア人にしては珍しい奴だと思っていると、何と彼にはもうひとり別の愛人がいたのである。パスカルの店のマネージャーをしているガブリエラ(イザベラ・ロッセリーニ)という超ゴージャスな女性。そこはやはりイタリア人、ちょい悪親父の素質充分。この危険な火遊びがパーティの場でちょっとしたサスペンスを作る下地になっている。

 こうして、個人の煩悩も絡めてクライマックスのパーティへとストーリーは展開してゆくのである。セコンドがありったけの金をかき集めて準備した「勝負」パーティ。なにしろ銀行で金をおろした後の残高は62ドル47セントしかないのだから文字通り背水の陣である。失敗すれば明日から文無しだ。一時へそを曲げたプリモもさすがに現場復帰(さりげなく戻ってきて、弟と交代する場面がいい)。腕によりをかけて自慢の料理を作る。時間がかかるティンパーノという包み焼きを作るというのでまた弟が反対するという一幕を経て、いよいよパーティーに突入(結局ティンパーノは作ることになった)。

 フィリス、アン、アルベルト、ボブ(キャンベル・スコット)、そしてパスカルとガブリエラなどの友人たちが集まりいつにない大盛況。口パク芸を披露するおじさん(日本でいえばドジョウすくいのような宴会芸だろう)が登場したりと、宴会はガンガン盛り上がる。そしていよいよ料理登場。皆一斉にテーブルに着く。ここのキャメラワークがうまい。縦長のテーブルを手前から映し、キャメラが引いてゆくに連れて奥から客が次々に座ってゆく。後はもう料理の嵐。客たちはほとんど陶酔の境地。ティンパーノを食べたパスカルに至っては、プリモの首を絞めて「殺したいほどうまい」と言ったほどだ。ガブリエラとフィリスが始めて遭遇するなどハラハラする場面も差し挟みながらパーティーは進む。デザートが出てくる頃には客は全員満足して言葉もない。ぐったりとイスに倒れこんでいる(ある女性客などは大胆にもテーブルの上に横になっている)。しかし肝心な主賓がいつまでたっても現れない。

Rose  きっとぎりぎり最後になって劇的な登場の仕方をするのだろうという観客の期待を裏切り、結局最後までルイ・プリマは現われなかった。実はパスカルは彼に電話をしていなかったのだ。来るはずはない。彼のもくろみはセコンドたちを破産させ、自分の店で雇おうという腹黒いものだった。彼は「わしは実業家だ。商売のためなら何でもする。お前に何ができる?」と言い捨てて平然と立ち去る。その上、あろうことか、セコンドはガブリエラと抱き合っているところをフィリスに見られてしまう。さらにはプリモがローマに店を出したおじさんのところで働くことを計画していたことが分かり、セコンドとプリモは浜辺で大喧嘩。すべては音を立てて崩れていった。

 何とも苦い結末である。その意味でこの映画は単なる人情ドラマやハートウォーミング・コメディではない。しかし決してペシミスティックな映画ではない。この映画はセコンドたちが浜辺で立ち尽くすシーンで終わるのではない。ラストにはほのかな明るさがある。翌朝、厨房のテーブルの上でクリスティアーノが寝ている。セコンドが入ってきて、3人分いり卵を作る。せりふもなく黙々と食べる二人。そこへプリモが入ってくる。黙ってプリモの分を差し出すセコンド。兄弟並んで食べる。互いに腕を相手の背中に回しながら。

 その後二人はどうなったのか、いやでもそのことに考えをめぐらさずにはいられない映画だ。「うまいものを食うのは神に近づくこと」と言っていたプリモはローマに行ったのか。それともセコンドに引きずられてもう一度アメリカで再起を期す決意をしたのか。あるいはパスカルの店で働いているのか。

 この映画に根っからの悪人は登場しない。文化間の衝突を描いた映画はほとんどそういう設定になっている。「ベッカムに恋して」しかり、「やさしくキスをして」しかり、「ぼくの国、パパの国」しかり、「スパングリッシュ」しかり。誰も悪意はないのにぶつかり合ってしまう。パスカルも心からプリモの料理を褒めていた。彼の腕を認めているからこそ、彼を自分の店で雇いたいのだ。彼は彼なりに実業家としての自分の信念に従ったのだ。プリモを頭の固い奴だと責めても仕方がない。彼にも揺るがない信念がある。もっと柔軟な対応が必要だとわれわれは感じるが、だからと言って彼の信念それ自体を簡単に否定できるだろうか。信念を捨てることは自分の文化を捨てることだ。朝日新聞12月7日付の「私の視点」欄に“日本人の劣化:「型通り」もできぬ大人たち”と題する岸本葉子さんの文章が載っていた。

 (コンビニやファストフードで働く若者たちに対して)マニュアル通りとか、心がこもっていないとか、言う人もあるけれど、その批判は、マニュアル通りした上でのこと。・・・07年、約束を守る、ごまかさないといった「型通り」のこともできなかった大人たち。08年、まずは、あの子たちを見習ってみませんか。

 セコンドとプリモが迫られていたのは人生の選択である。二人とも、いやパスカルも含めて、夢を求めてアメリカにやってきた。映画は最後に「この二人はその後どうなったのか」という疑問を観客に突きつけて終わる。そこには、アメリカは自分の文化を捨ててまでしがみつく価値があるのかという問いかけもあるのだ。人間は誰でも悩みつつ、時には挫折しつつ、自らの道を選び取ってゆかねばならない。文無しになったからといって人生は終わらない。二人はまた何らかの道に進みだすだろう。「リストランテの夜」は人生のアイロニーをにじませたほろ苦い人生の讃歌なのである。

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