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2008年7月

2008年7月28日 (月)

2007年公開映画マイ・ベストテン

【2007年外国映画マイ・ベストテン】
1位 「ボルベール<帰郷>」(ペドロ・アルモドバル監督、スペイン)
    「パンズ・ラビリンス」(ギレルモ・デル・トロ監督、メキシコ・スペイン・他)
2位 「世界最速のインディアン」(ロジャー・ドナルドソン監督、ニュージーランド)
    「今宵フィッツジェラルド劇場で」(ロバート・アルトマン監督、アメリカ)
3位 「長江哀歌」(ジャ・ジャンクー監督、中国)
    「約束の旅路」(ラデュ・ミヘイレアニュ監督、フランス)
4位 「アズールとアスマール」(ミッシェル・オスロ監督、フランス)
    「ONCE ダブリンの街角で」(ジョン・カーニー監督、アイルランド)
5位 「孔雀 我が家の風景」(リー・チャンウェイ監督、中国)
    「トランシルヴァニア」(トニー・ガトリフ監督、フランス)
6位 「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(オリヴィエ・ダアン監督、フランス・他)
    「迷子の警察隊」(エラン・コリリン監督、イスラエル・他)
7位 「ボーン・アルティメイタム」(ポール・グリーングラス監督、アメリカ)
    「ヘンダーソン夫人の贈り物」(スティーヴン・フリアーズ監督、イギリス)
8位 「ドリームガールズ」(ビル・コンドン監督、アメリカ)
    「サン・ジャックへの道」(コリーヌ・セロー監督、フランス)
9位 「クィーン」(スティーヴン・フリアーズ監督、イギリス・他)
    「キムチを売る女」(チャン・リュル監督、韓国・中国)
10位 「ミリキタニの猫」(リンダ・ハッテンドーフ監督、米)
    「やわらかい手」(サム・ガルバルスキ監督)
次点 「善き人のためのソナタ」(フロリアン・ドナースマルク監督、ドイツ)
    「オフサイド・ガールズ」(ジャファル・パナヒ監督、イラン)
「ボビー」(エミリオ・エステベス監督、アメリカ)
「ヒロシマナガサキ」(スティーブン・オカザキ監督、アメリカ)
「フランシスコの2人の息子」(ブレノ・シウヴェイラ監督、ブラジル)
「ダイ・ハード4.0」(レン・ワイズマン監督、アメリカ)
「ブラックブック」(ポール・バーホーベン監督、オランダ・他)
「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」(ゴア・バービンスキー監督)
「シッコ」(マイケル・ムーア監督、アメリカ)
「潜水服は蝶の夢を見る」(ジュリアン・シュナーベル監督、米・仏)
「スウィーニー・トッド」(ティム・バートン監督、米)
「題名のない子守唄」(ジュゼッペ・トルナトーレ監督、伊)
「僕のピアノコンチェルト」(フレディ・M・ムーラー監督、スイス)
「サラエボの花」(ヤスミラ・ジュバニッチ監督、ボスニア)

【2007年日本映画マイ・ベストテン】
1位 「それでもボクはやってない」(周防正行監督)
2位 「めがね」(荻上直子監督)
3位 「夕凪の街 桜の国」(佐々部清監督)
4位 「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(山崎貴監督)
5位 「河童のクゥと夏休み」(原恵一監督)
6位 「キサラギ」(佐藤祐市監督)
7位 「しゃべれども しゃべれども」(平山秀幸監督)
8位 「天然コケッコー」(山下敦弘監督)
9位 「あかね空」( 浜本正機監督)
10位 「サイドカーに犬」(根岸吉太郎監督)
次点 「HERO」(鈴木雅之監督)
    「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(松岡錠司監督)

 昨年の注目作で観ていないものはまだたくさんあります。外国映画では「バベル」、「やわらかい手」、「ヘアスプレー」、「呉清源 極みの棋譜」、「パラダイス・ナウ」、「ここに幸あり」、「この道は母へとつづく」、「再会の街で」、「アフター・ウェディング」。日本映画ではほぼ観たいものは観たのですが、『キネマ旬報』でベストテンに入った「松ヶ根乱射事件」、「魂萌え!」、「腑抜けども 悲しみの愛を見せろ」などは一応観ておきたい。

 まだまだ順位が動く可能性はありますが、これ以上遅らせるわけにもゆかないので思い切ってマイ・ベストテンを発表します。外国映画は捨てがたい作品が多いので、苦し紛れに2本ずつ選びました。

【2007年の概況】
 次点までの22本を国別に見るとフランス5本、アメリカ5本、中国3本、スペイン2本、イギリス2本がベスト5。他にニュージーランド、アイルランド、イスラエル、ドイツ、イランが各1本ずつ。ゴブリンらしいヴァリエーションに富んだリストになったと思います。

Katori1  何より注目すべきはフランス映画。70年代、80年代の不振が嘘のような充実振り。7、80年代はエリック・ロメール、リュック・ベッソン、パトリス・ルコントあたりが活躍していた程度。ニキータ・ミハルコフ、ラッセ・ハレストレム、オタール・イオセリアーニ、トニー・ガトリフなどの「外国人枠」を広げた90年代に上向きになり、2000年代に入るとかつての輝きを取り戻してきた。2001年の「アメリ」がターニング・ポイントとなる象徴的作品だったかもしれない。コリーヌ・セロー、フランソワ・オゾン、ジャン・ベッケルなどが次々と優れた作品を発表し、アニメ界ではシルヴァン・ショメやミッシェル・オスロの傑作が生まれた。他国との共同制作も旺盛に行っている。長らくアメリカと中国の2大横綱時代が続いたが、これからはフランスを加えた3横綱時代になるかもしれない。

 80年代以降ほぼ切れ目なく続く中国映画の充実振りもすごい。ここ数年公開本数が減っていたが、予想通り北京オリンピック効果でまた本数が増えてきた。「長江哀歌」は堂々たる傑作だった。一方韓国映画は公開本数もだいぶ減った感じだ。相も変らぬ恋愛映画が多くてどれを観ていいか分からない。ベストテンに入ったのは中国と共同制作した「キムチを売る女」だけという寂しさ。ただ「ユゴ 大統領有故」、「光州5・18」など政治的テーマに切り込んだ作品や社会の底辺を描いた「黒い土の少女」のような作品も少しずつ出てきているので、今年はもっと上位に食い込む作品が出てくることを期待したい。

 1位を独占したスペイン映画。まだまだ公開本数は少なく、少数の突出した作品がときどき現われるといった状況だ。フランコ死後に一気に花開いた80年代のような層の厚さはないが、才能のある若手や中堅が育ってくれば再び黄金期が訪れるかもしれない。その意味でスペインの映画製作事情が気になる。「スペイン映画ルネッサンス」といわれた80年代に続く90年代はほとんど話題になる作品を生まなかった。今の作品的充実振りもペドロ・アルモドバルを中心とした少数の才能ある人たちが支えている感じだ。しかし、フランコ独裁下でも少なからぬ傑作を生み続けてきたスペイン映画のこと、今後も優れた作品が生まれてくるに違いない。

Yukata11s  70年代、80年代の停滞を90年代に乗り越えたイギリス映画。その勢いは2000年代に入っても衰えるどころかますます充実している。22本の中に2本というのは寂しいが、いずれも傑作だった。90年代以来ケン・ローチとマイク・リーの2大巨匠がリードしてきたが、この二人以外にも入れ替わり立ち代り優れた作品を生み出す人が現れる。それがイギリス映画の強みだ。テリー・ギリアム、ジェームズ・アイヴォリー、ニール・ジョーダン、リチャード・アッテンボロー、ケネス・ブラナー、ダニー・ボイル、マイケル・ウィンターボトム、マーク・ハーマンそしてスティーヴン・フリアーズ。さらにはアニメ界の巨匠ニック・パーク。実に層が厚い。今年はケン・ローチの「この自由な世界で」も公開される。イギリス映画の充実期はまだまだ続くだろう。

 その他では久々にイラン映画が観られたのがうれしい。このところ好調のニュージーランドとドイツ映画も健在だ。珍しいアイルランド、イスラエル映画が上位に入ったのもうれしい。久々のスイス映画「僕のピアノコンチェルト」も秀作だった。東欧の映画も秀作が何本かあった。南米ではブラジルの「フランシスコの2人の息子」が素晴らしい作品だった。しかしこれ1本というのは寂しい。

 最後に日本映画。非常に充実していた一昨年に比べるとぐっと小粒になった。傑作と呼べるのは上位の数本だけ。上映本数はかなりの数になるが、その大半はガキ相手のテレビドラマに毛が生えた程度の作品だ。どうも日本映画の製作者は外国映画の観客層と日本映画の観客層を分けて考えている気がする。目利きの観客は外国映画に相手をさせて、日本映画はガキやギャルを対象に有名テレビ俳優が出ているお手軽映画を見せておけばよい。そう考えているとしか思えない。もちろん真面目な映画を作っている製作者もいるが、悲しいことに一部にとどまっている。「天然コケッコー」の評価が低いと感じるかもしれないが、前に同じタイプの「青空のゆくえ」(2005年9位)を観ていたのでどうしてもインパクトが弱くなってしまった。そうでなければベスト5に入れていたかもしれない。

(注)
 ベストテン確定後に観た映画を順次入れ込んであるので、一部記述と合わない部分があります。

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2008年7月21日 (月)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(08年8月)

【新作映画】
7月26日公開
 「帰らない日々」(テリー・ジョージ監督、米)
 「カンフー・パンダ」(マーク・オズボーン監督、米)
 「ドラゴン・キングダム」(ロブ・ミンコフ監督、米)
 「ハプニング」(M・ナイト・シャラマン監督、米・インド)
 「敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」(K・マクドナルド監督)
 「雲南の花嫁」(チアン・チアルイ監督、中国)
 「風が吹くとき」(ジミー・T・ムラカミ監督、英)
 「アメリカばんざい」(藤本幸久監督、日本)
 「きみの友だち」(廣木隆一監督、日本)
 「赤い風船」(アルベール・ラモリス監督、フランス)
8月2日公開
 「画家と庭師とカンパーニュ」(ジャン・ベッケル監督、フランス)
 「地球でいちばん幸せな場所」(ステファン・ゴーガー監督、ベトナム)
 「闇の子供たち」(阪本順治監督、日本)
8月9日公開
 「シティ・オブ・メン」(パウロ・モレッリ監督、ブラジル)
 「コレラの時代の愛」(マイク・ニューウェル監督、米)
 「アクロス・ザ・ユニバース」(ジュリー・テイモア監督、米)
8月16日公開
 「この自由な世界で」(ケン・ローチ監督、英・伊・スペイン・ポーランド)
 「同窓会」(サタケミキオ監督、日本)

【新作DVD】
7月23日
 「マリア・カラス 最後の恋」(ジョルジオ・カピターニ監督、伊・仏)
7月25日
 「いつか眠りにつく前に」(ラホス・コルタイ監督、米)
 「蟻の兵隊」(池谷薫監督、日本)
 「延安の娘」(池谷薫監督、日本)
8月6日
 「エリザベス ゴールデン・エイジ」(シェカール・カブール監督、英・仏・独)
 「ウォ-ター・ホース」(ジェイ・ラッセル監督、英・米)
 「ミルコのひかり」(クリスティアーノ・ボルトーネ監督、イタリア)
 「シスターズ」(ダグラス・バック監督、米・加・英)
8月8日
 「この道は母へと続く」(アンドレイ・クラフチューク監督、ロシア)
 「チーム・バチスタの栄光」(中村義洋監督、日本)
8月20日
 「バンテージ・ポイント」(ピート・トラビス監督、米)
 「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(ポール・トーマス・アンダーソン監督、米)
 「誰が電気自動車を殺したか?」(クリス・ペイン監督、米、未公開)
8月22日
 「スエリーの青空」(カリン・アイヌー監督、ブラジル・独・ポルトガル・仏)
 「大いなる陰謀」(ロバート・レッドフォード監督、米)
8月27日
 「アメリカン・ギャングスター」(リドリー・スコット監督、米)
9月3日
 「やわらかい手」(サム・ガルバルスキ監督、ベルギー・ルクセンブルク、他)
9月16日
 「ラスト・コーション」(アン・リー監督、中国・台湾・香港)
9月17日
 「ペネロピ」(マーク・バランスキー監督、英・米)

【旧作DVD】
7月26日
 「巴里祭」(33、ルネ・クレール監督、フランス)
8月2日
 「フール・フォア・ラブ」(85、ロバート・アルトマン監督、米)
 「火の馬」(64、セルゲイ・パラジャーノフ監督、ソ連)
8月7日
 「地球爆破作戦」(70、ジョゼフ・サージェント監督、米)

Kazaguruma  今月もなかなか充実している。劇場新作では何といってもケン・ローチ監督の「この自由な世界で」が観たい。他に「敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」、「画家と庭師とカンパーニュ」、「闇の子供たち」も注目作。中国、ベトナム、ブラジルの新作も気になる。もう1本ぜひおすすめしたいのがアルベール・ラモリス監督の「赤い風船」。1956年製作のわずか36分の映画だが、映像詩という言葉がこれほど似合う映画は少ない。僕自身75年2月22日にフィルム・センターで観たきりなので、ぜひもう一度観直したい。「白い馬」と併映。

 新作DVDでは朗報が。何と池谷薫監督の「延安の娘」と「蟻の兵隊」が一気に出る。いや、だいぶ待たされました。早く観たい。これで「ヨコハマメリー」、「三池 終わらない炭鉱の物語」、「ヒロシマナガサキ」、「ミリキタニの猫」など、主要なドキュメンタリー作品がDVDで手に入るようになった。「六ヶ所村ラプソディー」も早くDVDを出して欲しい。他にも「いつか眠りにつく前に」、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」、「アメリカン・ギャングスター」、「やわらかい手」、「ペネロピ」などの話題作が続々。未公開作品ながら、「誰が電気自動車を殺したか?」が面白そうだ。90年代にアメリカで登場した低燃費の電気自動車がなぜ消えて行ったかを追うドキュメンタリー。馬鹿高いガソリン代にあえいでいる今だからこそ観ておきたい。

 旧作DVDはやや控えめ。いちばんうれしいのは「巴里祭」の発売。「巴里の屋根の下」や「巴里の空の下セーヌは流れる」は既に出ているのになぜか「巴里祭」だけはDVDがなかった。「地球爆破作戦」は拾い物かも。アメリカとソ連がそれぞれ開発した最新式コンピューターが対話を初め、ついには意気投合して人間に歯向かうという設定が面白ろそうだ。

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2008年7月19日 (土)

寄せ集め映画短評集 その18

 このところ忙しくてなかなか記事を更新できませんでした。しかし映画は結構観ています。今月に入って既に6本観ました。さらに、「題名のない子守唄」と「サラエボの花」をレンタル中です(まだ観る時間がない)。とても本格レビューを書く気力がないので、久々に「寄せ集め映画短評集」の復活です。

「河童のクゥと夏休み」(原恵一監督) ★★★★
「潜水服は蝶の夢を見る」(ジュリアン・シュナーベル、米・仏) ★★★★
「僕のピアノコンチェルト」(フレディ・M・ムーラー、スイス) ★★★★
「有りがたうさん」(36、清水宏監督) ★★★★
「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督) ★★★☆
「ディスタービア」(D・J・カルーソ監督、米) ★★★


「河童のクゥと夏休み」(2007、原恵一監督)

 河童は鬼や天狗と並んで日本ではもっとも馴染みのある妖怪である。一番多く登場するのは伝説の中だろうが、漫画の世界でもおなじみだ。黄桜の宣伝で有名になった清水崑の河童漫画、花輪和一の『天水』、水木しげるの『河童の三平』や『河童千一夜』など。そういえば石井竜也監督の『河童 KAPPA』という映画もあった。

  しかしアニメに主役として登場するのは珍しいのではないか。「河童のクゥと夏休み」はそういう意味で画期的な作品であり、日本アニメの質の高さを示すなかなかの秀作だった。走るシーンなどの動きに滑らかさがないが、遠野の川で泳ぐシーンや終盤に描かれる沖縄の風景などはジブリに迫る精密で美しい絵を完成させている。

  ストーリー的にはいろいろと詰め込みすぎている感じはあるが、単なるファンタジーとして終わらせず、人間の文化を河童の視点から相対化しているところが魅力でもある。ファンタジーの中に環境問題や学校でのいじめやマスコミの狂騒などが入り込んでくるところは、宮崎駿よりもむしろ高畑勲の作風に近い。

033798   なんといってもクゥのキャラクターがいい。300年の時間を超えて現代に出現したクゥは、その存在自体が現代の人間社会の歪みを拡大して映し出す湾曲した鏡となる。冒頭のショッキングな描写、クゥの父親が侍に切り殺されるシーンは最後まで映画に暗い影を投げかけている。実際の画面で切り殺されているのは河童なのだが、なぜかわれわれは年貢を少しでも軽くして欲しいと訴えに来た農民を武士が切り殺す場面を見せられたような感覚を覚える。この2つのイメージが無意識のうちに重ねられている。そこに共通するものがあると感じるからである。クゥを身近に感じるのは、単にクゥが擬人化されているからではない。虐げられてきたものたちに対する共感を覚えるからなのだ。人間の身近にいながら常に影の存在で、人間に棲家を追われていった河童たち。「平成狸合戦ぽんぽこ」とその点で重なる。

  いろんなことを読み取ることが出来る作品である。座敷童子やキムジナー、飼い犬のオッサンの使い方もうまい。


「潜水服は蝶の夢を見る」(2007、ジュリアン・シュナーベル監督、米・仏)

 主人公の置かれた状況は「ジョニーは戦場へ行った」や「海を飛ぶ夢」とよく似ているが、この2作ほど深くは感動しなかった。もちろん悪い出来ではない。「ロックト・イン・シンドローム」という難病に侵され、体中が麻痺して動くのは左目だけという絶望的な状況の中でも生きる希望を失わなかった男の話。彼が左目だけ動かせることに気づいた言語療法士のアンリエットは、よく使う順に並べたアルファベット表を用いて左目の瞬きで文字を示させる方法を考え付いた。使用頻度順に並べられたアルファベットを何度も根気よく繰り返すアンリエット、辛抱強く瞬きで合図するジャン。

  やがてジャンは瞬きで自伝を書き始める。20万回の瞬きでつづった自伝。これは実話で、原題は「潜水服と蝶」。潜水服といっても今のウエットスーツに酸素ボンベというスタイルではなく、ますむらひろしの『アタゴオル』シリーズによく登場するあの古めかしい潜水服姿である。言うまでもなく自由に身体を動かせない状態を象徴しているのだが、そのこと以上にあの視覚的イメージが鮮烈だった。それが自由に空を飛ぶ蝶のイメージと対比的に使われている(そういえば舞台劇を原作とした「バタフライはフリー」というアメリカ映画があったな)。

 しかしこの映画はとことん淡々とした描き方をつらぬく。正直そこが物足りなかった。「ジョニーは戦場へ行った」のあの有名な場面、「メリー・クリスマス」とジョニーが叫ぶシーンのようなクライマックスが1箇所ぐらいはほしかった。

「僕のピアノコンチェルト」(2007、フレディ・M・ムーラー監督、スイス)
  期待以上にいい映画だった。主人公の少年も悪くないが、何といってもその祖父役を演じるブルーノ・ガンツが素晴らしい。彼は「光年のかなた」のヨシュカのように、あるいは『始祖鳥紀』の幸吉のように、ひたすら空を飛ぶ夢を追い続けていた。普通の人になりたいと願う孫のヴィトスに彼が言った「決心が付かない時は大事なものを手放してみろ」という言葉、そしてヴィトスがある書類にサインすることをためらっている祖父に言った「飛行機は地上にあれば安全だけど、飛ぶためにある」という言葉、どちらもなかなか味のあるせりふだ。そしてその祖父は実際に飛行機を操縦して空を飛ぶのである。「ヒトラー最期の12日間」の印象が強烈だが、この映画も彼の代表作となるだろう。

 珍しいスイス映画という点でも注目していい。僕は80年代に注目されたアラン・タネール監督の「サラマンドル」、「光年のかなた」、同じく80年代に注目されたダニエル・シュミット監督の「カンヌ映画通り」、ヤン・シュヴァンクマイエル監督の「アリス」、それと「ジャーニー・オブ・ホープ」(91年度のアカデミー外国語映画賞受賞作品、スイス製作だが実質的にはスイス・トルコ合作と言ったほうがよい)くらいしか観たことがない。

  このところ音楽に関係する映画を立て続けに観ているが、不思議とどれも出来がいい。いくら天才とはいえヴィトスがネットで株を動かして大金を手に入れるというやや荒唐無稽な部分もあるが、「シャイン」、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」などと並んで記憶にとどめておきたい映画だ。お隣ドイツの「4分間のピアニスト」も観てみたくなる。

「有りがたうさん」(1936、清水宏監督)
 僕は80年代に日本映画の古典をむさぼるように観まくっていた。それでも、清水宏監督作品は74年9月にフィルムセンターで「風の中の子供」を1本観たきりだった。「子供の四Artbasya04200wa 季 春夏の巻」、「花のある雑草」、「みかへりの搭」、「蜂の巣の子供たち」、「小原庄助さん」など、30年代から40年代にかけていくつも『キネマ旬報』のベストテンに作品を送り込んだ実績のある監督だが、あまり広く知られた監督ではなく上映機会も少なかった。それが、生誕100周年の2003年に東京フィルメックス映画祭で特集が組まれたのをきっかけに、特集上映がたびたび組まれるようになり復活した。ついにはDVD-BOXまで出たのだからすごいことだ(「小原庄助さん」は最近廉価版も出た)。

  「有りがたうさん」は上原謙がバスの運転手で、客を乗せて走る路線バスの車内をひたすら撮るという珍しい映画だった。しかしそれが滅法面白い。当時ののんびりした様子がよく伝わってくるし、次々に客が入れ替わってそれなりに変化に富んでいる。上原謙は”若大将”加山雄三の父親。美男俳優の代名詞だった人で全盛期は絶大な人気を博していた。いわば元祖イケメン。

  しかし、そんなことを前面に出すのではなく、次々に乗り込んでは降りてゆく乗客たちをユーモアと哀感を込めて描いてゆく。人生が交錯する場所として乗り合いバスが描かれている。最初から最後まで移動するバスを描いているだけなのに、全く退屈しないどころかいつの間にか70年前の日本にタイムスリップした感じで入り込んでしまうからすごい。

 今の日本とは全く違う、ゆったりとした生活のテンポ。話し方もスロー再生しているのかと思うほどゆっくりしている。通りがかりの人が運転手に伝言を頼んだり、荷物を運んでもらったりする。今ほど便利ではなかった時代、バスは沿線の人々の生活を支えるいろんな役割を担っていたわけだ。今でも十分観る価値のある優れた作品である。

「ゲド戦記」(2006、宮崎吾朗監督)
 テレビを始め鳴り物入りで大宣伝された映画だが、あまりに評判が悪くて観ていなかった。もちろん気にはなっていたので、テレビ放映されたときに観た。期待値があまりに低かったからかもしれないが、心配したほどひどい出来ではないと思った。

  ただ、キャラクターは宮崎駿作品の登場人物を思わせるものが多く、あまり個性が感じられなかったのは確かである。父親の遺産を受け継ごうと懸命に努力しており、それなりのレベルに達してはいる。しかし、例えて言えば、父親の絵をトレース紙でなぞったような感じを受けた。似てはいるが何かいまひとつ突き抜けるものがない。まあ1作目だから仕方がないだろう。処女作にしては立派な出来である。

「ディスタービア」(2007、D・J・カルーソ監督、米)
 ヒッチコックの「裏窓」そっくりのシチュエーションだが、多少の新味を付け加えている。「裏窓」は展開が間延びしていて、ヒッチコックの作品の中ではあまり出来のいいほうではないと思う(アイディアは抜群だが)。しかしそれでも「ディスタービア」よりはだいぶましだ。同じ「覗き見」というアイディアとしては、ブライアン・デ・パルマの「ボディ・ダブル」がなかなかの拾い物。B級映画の作りだが、サスペンスの盛り上げ方がうまい。「裏窓」のような味わいは薄いとしても、ハラハラする見ごたえは「裏窓」以上だと思う。

【ミステリー・サスペンス マイ・ベスト30】
「インファナル・アフェア」(02、アンドリュー・ラウ、アラン・マック監督)
「アパートメント」(95、ジル・ミモーニ監督)
「ミシシッピー・バーニング」(88、アラン・パーカー監督)
「オフィシャル・ストーリー」(85、ルイス・プエンソ監督)
「コンドル」(75、シドニー・ポラック監督)
「仁義」(70、ジャン・ピエール・メルヴィル監督)
「Z」(69、コスタ・ガブラス監督)
「ミニミニ大作戦」(68、ピーター・コリンソン監督)
「暗くなるまで待って」(67、テレンス・ヤング監督)
「飢餓海峡」(64、内田吐夢監督)
「5月の7日間」(63、ジョン・フランケンハイマー監督)
「いぬ」(63、ジャン・ピエール・メルヴィル監督)
「天国と地獄」(63、黒澤明監督)
「北北西に進路を取れ」(59、アルフレッド・ヒッチコック監督)
「12人の怒れる男」(57、シドニー・ルメット監督)
「情婦」(57、ビリー・ワイルダー監督)
「男の争い」(55、ジュールス・ダッシン監督)
「狩人の夜」(55、チャールズ・ロートン監督)
「恐怖の報酬」(52、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督)
「見知らぬ乗客」(51、アルフレッド・ヒッチコック監督)
「サンセット大通り」(50、ビリー・ワイルダー監督)
「野良犬」(49、黒澤明監督)
「第三の男」(49、キャロル・リード監督)
「チャップリンの殺人狂時代」(47、チャールズ・チャップリン監督)
「ナチス追跡」(46、オーソン・ウェルズ監督)
「白い恐怖」(45、アルフレッド・ヒッチコック監督)
「飾り窓の女」(44、フリッツ・ラング監督)
「深夜の告白」(44、ビリー・ワイルダー監督)
「レベッカ」(40、アルフレッド・ヒッチコック監督)
「M」(31、フリッツ・ラング)

<モア10本>
「殺人の追憶」(03、ポン・ジュノ監督)
「メメント」(00、クリストファー・ノーラン、ガイ・ピアース監督)
「ユージュアル・サクペクツ」(95、ブライアン・シンガー監督)
「羊たちの沈黙」(91、ジョナサン・デミ監督)
「仕立て屋の恋」(89、パトリス・ルコン監督)
「ディーバ」(81、ジャン・ジャック・ベネックス監督)
「グロリア」(80、ジョン・カサヴェテス監督)
「殺しのドレス」(80、ブライアン・デ・パルマ監督)
「スティング」(73、ジョージ・ロイ・ヒル監督)
「激突!」(72、スティーヴン・スピルバーグ監督)
「フレンチ・コネクション」(71、ウィリアム・フリードキン監督)
「逃亡地帯」(66、アーサー・ペン監督)
「コレクター」(65、ウィリアム・ワイラー監督)
「鳥」(63、アルフレッド・ヒッチコック監督)
「モンパルナスの夜」(33、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)

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2008年7月 7日 (月)

ONCE ダブリンの街角で

2006年 アイルランド 2007年11月公開
評価:★★★★☆
監督・脚本:ジョン・カーニー
出演:グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロヴァ、ヒュー・ウォルシュ
    ゲリー・ヘンドリック、アラスター・フォーリー、ゲオフ・ミノゲ
    ビル・ホドネット、ダヌシュ・クトレストヴァ、ダレン・ヒーリー、マル・ワイト
    マルチェラ・プランケット、ニーアル・クリアリー・ボブ

Gita1   良い映画は良い観客が作る。良い観客は良い映画が作る。山田洋次監督の言葉だが、現実はなかなかこうはならない。むしろ逆の弁証法、つまり悪循環、が成り立っている。つまらない映画しか観ないからろくな観客が育たない。どうせろくな観客はいないのだからと作る側も話題ばかり先行の中身のないものばかり作っている。ハリウッド大作がヒット作の上位を占めるのは今に始まったことではないが、日本ではここ数年テレビで大宣伝した映画ばかりが大ヒットしている。その影で、優れた作品であるにもかかわらず小さな映画館で細々と上映されている映画がたくさんある。「ONCE ダブリンの街角で」もそういった埋もれた傑作のひとつである。有名俳優が出ていないせいかあまり話題にはならなかったが、音楽映画としても、さわやかな恋愛映画としても一級品だと思う。

 この映画の魅力はかなりの程度まで音楽の魅力である。ドキュメンタリー映画のようだとよく評されるが、確かに音楽でいえばライブを聞くような感覚の映画である。デモCD製作の裏側を撮ったドキュメンタリーといっても良いだろう。次々に音がつむぎだされるのをまるで主人公たちと一緒にその場で体験しているような感覚。そういう魅力だ。したがって、この映画の説得力のかなりの部分は歌あるいは曲自体の説得力である。グレン・ハンサードがギター弾き語りで歌う起伏に富んだ熱っぽい歌。マルケタ・イルグロヴァの澄んだ声と例えようもなく美しい歌。もちろん歌だけが良くても優れた作品にはならない。歌と映像とストーリーが見事に結びついているからこの作品は傑作になったのである。

 一方でこの映画がかなり地味な映画であることも確かである。それがはっきりと表れているのは恋愛の面だ。主演の二人はどちらも固有の役名を与えられていない(不便なのでここではグレンとマルケタと役者の名前で呼ぶことにする)。男女が出会い、しばし淡い恋愛感情のようなものを交わして、やがてそれぞれの道を目指して別れてゆく。映画は絶えず二人に焦点を当てているが、どこにでもある男女の出会いと別れとして描こうとしている。その淡白さがかえって魅力的だ。

  一生に一度あるかないかの大恋愛を描くのではなく、誰しも経験があるような恋愛未満の淡い触れ合いを描いた。女性はまだ若いが男性の方はもう中年だ。共に結婚経験があり、女性のほうは夫と子供がいる。互いに惹かれあいながらも情熱にまかせて突っ走ることはしない。抑制をきかせた演出がかえって新鮮で、かつリアルだ。だが、より重要なのは、二人の感情的触れ合いが決して抑圧的でも淡白でもないことだ。ここで音楽がうまく使われている。この映画のいくつかあるクライマックスは、恋愛劇の頂点ではなく歌を歌う場面である。

Piano2   その典型は二人が楽器店で共演する場面だ。マルケタはピアノの才能があるが、貧しいチェコからの移民の家庭に育ったので親切な楽器店のピアノを時々弾かせてもらっているのである。最初マルケタが1人でピアノを弾く。次にグレンの曲を二人で演奏する。譜面なしで演奏するのはマルケタにとって初めての経験で、最初はぎこちない。次第に二人の息が合ってゆく。即席の演奏会、ギターとピアノと歌が一つになって行く。このシーンが本当に素晴らしい。抱き合ったりキスしたりしている二人の姿を映す以上に二人の心が一つになってゆくことが伝わってくる。マルケタと出会う前に書かれた歌詞であるにもかかわらず、マルケタに対するグレンの気持ちが詩に込められているとわれわれは感じてしまう。音楽はBGMでも効果音でもない。二人の気持ちを伝える言葉なのだ。抑えた気持ちを音楽が解き放つ。

 マルケタの心情も歌を通して表現されている。グレンから借りたCDを聞いている途中で電池が切れてしまう。グレンが作曲した曲が入っているのだが、演奏だけで歌が入っていない。自分にはロマチック過ぎるので代わりに歌詞を書いて欲しいと彼女に頼んであったのだ。電池を買いにいったマルケタは道々歌いながら帰る。「私を欲しいなら私を満たして(If you want me, satisfy me)」という歌詞から彼女の心中が間接的に読み取れる。いや、グレンに対する彼女の気持ちを歌ったのか実は分からない。ロマンチックな曲にロマンチックな歌詞を当てはめただけかもしれない。それでもわれわれはそれを彼女の本心として受け止めてしまいたくなる。そんな風に作られているのだ。歌そのものも素晴らしく、この場面も実に印象的だ。

 しかし、さらに素晴らしい場面がある。デモCDの録音が長引き休憩に入った時、マルケタはレコーディング・ルームを出て薄暗い部屋のピアノの前に一人座る。そこで彼女がピアノの弾き語りで歌う歌がまた絶品だった。例えようもなく美しい曲だ。しかし、途中で彼女は泣き出して歌えなくなってしまう。何ゆえの涙か、彼女は一切語らない。それでも観客には彼女の気持ちがいやというほど伝わってくる。いろんな思いが交錯していたに違いない。夫のこと、娘のこと、家族のこと、そしてグレンのこと。ここでも音楽は言葉だった。この映画の恋愛は決して地味でも抑圧的でもない。音楽を通してわれわれの心に響き渡っているのである。

 一見地味に見えるこの映画は実は稀有な試みをしていたのである。この映画のユニークさは音楽とストーリーの結び付け方にも現れている。他の音楽映画と比べてみれば分かる。「ドリームガールズ」、「プロデューサーズ」、「ビヨンドtheシー」、「五線譜のラブレター」、「シカゴ」、あるいは「エディット・ピアフ 愛の讃歌」や「ヘンダーソン夫人の贈り物」を加えてもいい。これらと比べれば明らかに地味な音楽映画だ。なぜなら、理由は簡単、ショービジネスが絡んでいないからである。もちろんラストでグレンはショービズの世界を目指しロンドンへと向かうのだが、映画が描いているのはその直前までである。舞台の上で華々しいスポットライトを浴びることもなく、たくさんのファンに取り巻かれることもない。冒頭の場面が印象的だ。グレンは使い古して穴の開いたギターを抱え街頭で歌っている。行き交う人は誰一人気にも留めない。寄ってくるのはグレンのギターケースを持ち逃げした文無しの若者とマルケタくらいだ。

 父親の経営するフーバー掃除機の修理店で働きながら街頭演奏をしてプロへの道を夢見る中年の男とチェコからの貧しい移民で花売りをしている若い女性の物語なのである。華やかさなどどこにもない。かといってむき出しのハングリー精神などもない。物がなければないで工夫して暮らしてゆく。男は同じギターを穴の開くほど使い続け、隣の部屋の青年たちがテレビを観に部屋に入ってくる(マルケタたちの部屋にしかテレビがないのだ)様な環境に住んでいるマルケタは、楽器店のピアノを弾いて我慢する。録音スタジオを借りた時は3000ユーロのところを2000まで値切った。演奏するメンバーは急きょ集めたストリート・ミュージシャンたちだ。

La6s  ささやかな人生。そしてささやかな夢。映画は派手な演出をすることなく、あくまで等身大で二人を描く。ショービズの世界で垢にまみれる前の(その世界でグレンが成功するか分からないが)、地道に暮らしながら夢を追い続けている時期に焦点を当てた。レコーディングの時は別として、1人ないし二人で演奏するシンプルな音楽がシンプルなストーリーに合っている。ロンドンに発つ前、グレンはマルケタにピアノを贈り、夢を分け与えた。それぞれの場所で二人は夢を追いかけるのだろう。

 最後にもう一度流れる「Falling Slowly」のメロディーがいつまでも心に残る。

Take this sinking boat and point it home
We've still got time
Raise your hopeful voice you had a choice
You've made it now
Falling slowly sing your melody
I'll sing along

 彼は決して1人で歌っているのではない。彼の耳にはいつも彼女の声が響いているはずだ。

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2008年7月 6日 (日)

浅間サンライン脇道探索 ワイナリー「ヴィラデスト」

 金原(かなはら)ダムに行った後そのまま帰るつもりだったが、上ってくる途中でワイナリーの看板を見たのを思い出す。どの辺で見たのか良く思い出せず、何度もぐるぐる回っているうちにやっと見つけた。案内に沿って進んで行くとワイナリー「ヴィラデスト」に出た。向かいにガーデンがあったので、まずそちらの写真を撮る。広くはないがなかなかきれいな庭園だ。HPには「ガーデンはキッチンガーデン、ベリーガーデン、ロックガーデンなどのテーマ毎にわかれて、様々な花、ハーブ、果実、野菜などがご覧いただけます」と書いてあったが、写真に夢中であまりそんなことには気づかなかった。

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 ガーデンの上のほうにある緑色の小屋が実にいいアクセントになっている。色といい形といい非常に絵になる。花だけを撮るよりこの小屋と花を一緒に撮る方が素晴らしい絵柄になる。ガーデンの中心にある東屋というよりパーゴラも広々として気持ちが良さそうだ。春と秋は気持ちがいいだろう。曇り空だったのが恨めしい。空が白く映ってしまう。背景に青い空があってこそ花の鮮やかな色が引き立つ。

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 一通りガーデンの写真を撮った後、向かいのカフェレストランに入ってみた。その奥にも建物があるが、恐らくそれがワイナリーだろう。レストランの入り口はショップになっている。ちょっとフロマージュの入り口と似た感じだ。絵皿などいくつか欲しいものがあったが、そこは我慢して絵葉書だけ買う(160円×6枚+写真絵葉書1枚100円で合計1000円)。壁に玉村豊男の写真があったので、ここが有名な彼のワイナリーだと確認できた。この辺にあることはだいぶ前から知っていたし、ワイナリーの看板も何度か見かけていたが、名前を覚えていなかったのでそれが彼のワイナリーなのか確信が持てず一度も行ったことがなかったのである。

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 絵葉書の絵は全部玉村豊男氏の書いたものだった。なかなかいいセンスで気に入った。僕自身が街角の風景を描いた絵が好きだということもあるが、それでも欲しいと思うほどセンスのいい絵は少ない。絵皿を買わなかったのはどうも女性向きの絵柄が多かったからだ。

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  のどが渇いていたので、奥のカフェレストランに入ってみる。テラスが開いていたのでそこに座る。昼間なら混んでいるのだろうな。夕方なのですいていたようだ。ガラス窓の向こうに見えるのはブドウ畑のようだ。ホットコーヒーを頼む。400円也。高級店ぶって高い値段をつけていないのは良い(ワインはどうか知らないが)。味も良かった。他の客と店員が話しているのを聞いているとどうやら軽井沢から来た客らしい。店のパンフにも軽井沢からのアクセスが書いてあるので、軽井沢から流れてくる客が多いようだ。しばらくゆっくりして外に出る。後でHPを見て知ったが、カフェの下にギャラリーがあったようだ。残念、気がつかなかった。あの絵葉書の絵が大きいサイズで手に入るのなら買いたかったのに。

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 帰りは道を覚えるためにまっすぐ下に降りた。途中2階左折するが(上ってくる時は右折)、角に看板があるので安心だ。ずっと道を下ると菅平に上る4号線と交差する。田沢の信号。4号線で来た場合はここで山側に曲がれば良い。そこを突っ切り、さらに下るとサンラインに出る。肝心なのはそこの信号。下大川という交差点だ。この名前をしっかり覚えておこう。今度行く時は晴れた日に、そして出来れば女性と一緒に来たいものだ。

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2008年7月 4日 (金)

先月観た映画(08年6月)

「ONCE ダブリンの街角で」(ジョン・カーニー監督、アイルランド)★★★★☆
「迷子の警察音楽隊」(エラン・コリリン監督、イスラエル・仏)★★★★☆
「探偵物語」(ウィリアム・ワイラー監督、米)★★★★
「シッコ」(マイケル・ムーア監督、アメリカ)★★★★
「その名にちなんで」(ミーラー・ナーイル監督、印・米)★★★☆
「中国の植物学者の娘たち」(ダイ・シージエ監督、仏・カナダ)★★★☆
「ナショナル・トレジャー2」(ジョン・タートルトーブ監督、米)★★★☆
「グッド・シェパード」(ロバート・デ・ニーロ監督、米)★★★☆

Omotenasi2  先月は何かと忙しくて8本しか観られなかった。1ヶ月に映画を2桁観るのはこんなに大変なものか。それ以上に情けないのはこの中で本格レビューを書いたのは「迷子の警察音楽隊」だけだということ。「ONCE ダブリンの街角で」もレビューを書くつもりだが、こう忙しくなるととりあえず本数稼ぎで観る映画が増えて、最初からレビューを書くつもりで観る映画は限られてしまう。

 まあ、ぼやきはこれくらいにして、「迷子の警察音楽隊」、「ONCE ダブリンの街角で」、「中国の植物学者の娘たち」については関連記事をお読みください。

「探偵物語」
 35年ぶりに観直したウィリアム・ワイラー監督の「探偵物語」はさすがの出来。舞台はほとんど警察署内に限られ、重厚な人間ドラマが展開される。まるで舞台劇のようだ。と思ったら、やはりニューヨーク21分署の刑事たちの一日を描いたシドニー・キングスレーの舞台劇の映画化だった。

 とにかく異色の刑事ものである。何しろ舞台劇が原作で舞台は警察署内に限られているのだから、犯人捜査や逮捕劇、犯人との駆け引き、派手な撃ち合いなどは一切出てこない。アクションやスリルで魅せるのではなく人間ドラマにした。映画は正義感が強く異常なほど悪人を憎む刑事ジム・マクラウド(カーク・ダグラス)に焦点を当て、犯罪あるいは犯罪者をどう捉えるのか、正義とは何かという問題を提起する。同僚の刑事も異常なほど犯罪者を憎む彼を見かねて「風が吹いたら曲がれ。そうしないと折れる。」と忠告するが、彼は自分の信念にかたくななまでに固執する。

 ドラマが進むにつれて彼のかたくなな態度は父親に対する激しい憎しみからきていることが分かってくる。マクラウドのかたくなさははついに最愛の妻メアリー(エレノア・パーカー)との間にも亀裂を生み出してしまう。彼の元を去る妻が彼に投げかけた「あなたはお父さんと同じよ」という言葉が彼の胸に突き刺さる。

 今観直してみるとマクラウドの性格描写に多少生硬さを感じる。しかしそれを補うものがある。警察署内の雰囲気が今の感覚で観ると奇妙に思えるほど自由なのだ。勾留されたItam4 容疑者たちが絶えず刑事たちの周りをうろうろしている。万引きで捕まった女(リー・グラント)は夜の簡易裁判を待つ間の退屈を紛らわすために何かと刑事たちや他の容疑者にちょっかいを出したりしている。手錠もされていないから自由に歩き回っている。他にも店の金をつかい込んだ青年アーサー(クレイグ・ヒル)と彼を心配して駆けつけてきたスーザン(キャシー・オドネル)、2人組宝石強盗チャーリー(ジョセフ・ワイズマン)とルイス(マイケル・ストロング)などを配して話にふくらみを持たせ、かつ様々な人間像を交錯させてマクラウドの視点を相対化している。さすがは巨匠ウィリアム・ワイラー、堂々たる演出である。ただし「探偵物語」というタイトルはいただけない。原題の“DETECTIVE STORY”をそのまま使うのなら「刑事物語」とすべきだった。

 「孔雀夫人」、「黒蘭の女」、「嵐ヶ丘」、「我らの生涯の最良の年」、「ローマの休日」、「必死の逃亡者」、「友情ある説得」、「大いなる西部」、「ベン・ハー」、「噂の二人」、「コレクター」、等々。彼の代表作を並べてみると実に壮観だ。これだけ平均して優れた作品を生み出してきた監督も世界にそうはいないだろう。

「グッド・シェパード」と「ナショナル・トレジャー2」
 「グッド・シェパード」は静かで暗い映画だ。想像していたのとは全く違うので戸惑った。悪くはないが、良いとも言い難い。観てからまだ10日ほどしかたっていないのに、正直ほとんど内容を思えていない。どうも焦点が定まっていない印象を受けた。内幕ものとしてもサスペンスものとしても中途半端だ。CIAに対するデ・ニーロの姿勢も曖昧な感じを受けた。たぶんその辺が物足りないのだろう。

 「ナショナル・トレジャー2」は典型的なジェットコースター・ムービー。文句なしに楽しめる。謎があっさり解決してしまうのは物足りないが、そんなことを考える間もなく次々に新しい展開になる。しかし1作目に比べるとどうしても無理やり作ったという感が否めない。もちろん1作目だってそうなのだが、荒唐無稽さが意外な結びつきを生み、なるほどそう来たかとうならせるものがあった。「ダ・ヴィンチ・コード」に近い魅力があったと言えばいいか。ところが2作目の「リンカーン暗殺者の日記」は謎自体のスケールが小さく、言ってみれば楽屋落ち的なところがあったように思う。どうせやるならはったりは大きく、「ダ・ヴィンチ・コード」や東周斎雅楽原作、魚戸おさむ画『イリヤッド-入矢堂見聞録』や星野之宣の『ヤマタイカ』くらい稀有壮大にやって欲しい。

 余談だが、ニコラス・ケイジの母親役にヘレン・ミレンが扮していた。しかしどういうわけか、エンディング・ロールを見るまでずっとメリル・ストリープだと思っていた(汗)。この二人似てたかな?

「その名にちなんで」
Bench014  「その名にちなんで」は家族の絆を描いたなかなかいい映画だった。アメリカに住むインド人移民を描いた作品はまだまだ少ないので貴重な作品である。主人公はかなりアメリカ文化に馴染んでいるが、節目節目の儀式では伝統的な民族儀式が描かれており、その点には好感を覚えた。ただ、肝心なゴーゴリの名前のいわれにいまひとつ納得がいかなかったのが残念だ。ゴーゴリの「外套」を握りしめていたことが、列車事故で彼が助かったこととどう結びつくのかよく理解できなかった。

 フリーソフト「映画日記」に「その名にちなんで」のデータを記入していてびっくりした。何とミーラー・ナーイル監督の作品を観るのは2本目だった。「サラーム・ボンベイ」も彼の監督作品だったことにその時初めて気づいた。まあ無理もない。「サラーム・ボンベイ」は観たこと自体すっかり忘れていたのだから。

「シッコ」
 「シッコ」は期待以上に面白かった。アメリカの保険と医療の実態は本当にひどい。日本の政府が医療制度をアメリカ型に近づけようとしているのは明らかだから、これは決して他人事ではない。マイケル・ムーア監督の手法はいつも通りアメリカと他の国を比較することでアメリカの異常さを強調している。「ボウリング・フォー・コロンバイン」ではカナダとアメリカを比較して見せたが、「シッコ」ではイギリスやキューバなどと比較している。中でもグアンタナモに行った後キューバに立ち寄るシークエンスが面白い。アメリカより遥に充実した制度と設備にアメリカ人たちが感激して泣くシーンは圧巻だった。絵に描いたような対比のさせ方だが、確かにインパクトはある。

 しかし、イギリスのNHSの病院へ行ってその充実振りにわざとらしく驚いて見せる演出はいやみだと思った。そんなことは先刻承知の上だったに違いないのだから。91年に「ロジャー&ミー」をビデオで観た時にはその斬新な映画つくりに感心したものだ。それっきり消えてしまったかと思っていたら「ボウリング・フォー・コロンバイン」で大ブレイク。しかし作品的にはこれが頂点だったと思う。「華氏911」と「シッコ」は衝撃度において「ボウリング・フォー・コロンバイン」にかなわない。そろそろ芸風を変える時じゃないかな、ムーア先生。

2008年7月 1日 (火)

迷子の警察音楽隊

2007年 イスラエル・フランス 2007年12月公開 87分
評価:★★★★☆
監督・脚本:エラン・コリリン
撮影:シャイ・ゴールドマン
美術:エイタン・レヴィ
音楽:ハビブ・シェハデ・ハンナ
衣装:ドロン・アシュケナジ
出演:サッソン・ガーベイ 、 ロニ・エルカベッツ 、 サーレフ・バクリ
    カリファ・ナトゥール、イマド・ジャバリン、ターラク・コプティ
    ヒシャム・コウリー、フランソワ・ケル、エヤド・シェティ
    シュロミ・アヴラハム、ルビ・モスコヴィッチ、ウリ・ガブリエル
    ヒラ・サージョン・フィッシャー、アフヴァ・ケレン

Bench3  イスラエルの風景が何とも独特だ。道と街灯以外何もない光景。道はあっても車はほとんど通らない。見渡す限り何もない。「パリ・テキサス」などアメリカ映画にも似た場面がよく出てくるが、もっと寂れて、寂寥感が漂っている。エジプトの警察音楽隊「アレキサンドリア警察楽団」の団長トゥフィーク(サッソン・ガーベイ)が寂れた食堂の女主人ディナ(ロニ・エルカベッツ)にアラブ文化センターの場所を聞くと、彼女は「センターも何も、文化なんてない」とそっけなく答える。この場面が秀逸だ。片言の英語しか話せず、取り付く島もない相手の対応に戸惑うトゥフィーク。警官の威厳を失うまいとしつつも、情けなさ漂う彼の表情が傑作だ。

  前半部分の笑いは、ペタハ・ティクヴァという地名をベイト・ティクヴァと間違えたために異国の地で迷子になってしまったという滑稽な状況が下地になっている。停まっていたバンが走り去るとその陰に隠れていた楽団員一行が現われ、何がどうなったのか分からんといった様子で呆然と横一列に佇んでいる冒頭のシーン。誰も迎えに来ないので、通じない言葉に苦労しながら自力で目的地に向かうことにする。ところがベイト・ティクヴァに着いてみると文化センターがあるのはペタハ・ティクヴァだといわれる。見渡す限り何もないところで一同呆然と立ち尽くす。思わず笑ってしまうこの情けなくも滑稽な導入場面が実に秀逸だ。

  そんな中で何とか威厳を保とうとして虚しい奮闘を続ける団長トゥフィークの言動がまた別種の笑いを引き起こす。バスがなくなりホテルもないので、楽団一行はディナとたまたま彼女の店でたむろしていた客のイツィクの家に泊めてもらうことになる(一部の団員はディナの店に泊まる)。その時の彼のせりふが何とも大仰だ。「われわれはエジプトを代表している。そのことを肝に銘じて行動するように。ぜひ見事に任務を全うし、わが楽団の偉大さを示そうではないか。アレキサンドリア警察楽団の名誉にかけて健闘を祈る。」これから決死の覚悟で凶悪犯逮捕に向うわけではない、たかが他人の家に泊めてもらうだけなのにこのせりふ。トゥフィークに扮したサッソン・ガーベイ(フィリップ・ノワレ似)が何ともいい味を出している。

  一体自分たちはこれからどうなるのか、無事アラブ文化センターに着いて任務を全うできるのか。やたらと大仰な言葉と厳粛な彼の表情の裏に彼の不安と焦りが読み取れる。しかも、その不安とあせりは二重だった。迷子になっただけではなく、彼ら音楽隊は解散の危機にあったのである。こんな失態を演じたことが分かれば、そうでなくとも削られている予算が来年つくかどうかわからない。彼の憂い顔の背後にはそんな不安もあるわけだ。だからこそ不安を振り払うように、必要以上に団員を奮い立たせているのである。同時に音楽隊といえども警察官だという思いもあるだろうし、トゥフィーク本人の生真面目な性格もある。

  舞台は1990年代のイスラエルである。1948年のイスラエル建国以来、イスラエルとそれを取り囲むアラブ諸国とは何度も紛争を繰り返してきた。世界の火薬庫と言われ、いまだに火種は完全に消えていない地域。アフリカ大陸の北東部に位置するエジプトとアラビア半島の付け根にあるイスラエルは地続きである。宗教も言葉も共有しないこの2つの国家は1979年3月に平和条約を結ぶまでに4度の戦争を経験してきた。90年代という時期は紛争が絶えなかった2つの国家間につかの間訪れた「平和な」時期だったのである。

  とんでもない田舎町ベイト・ティクバに迷い込んだアレキサンドリア警察楽団が最初に経験したのは言葉が通じない不自由さである。アラビア語とヘブライ語では意思を通じ合えない。そこでお互い片言の英語で会話することになる。困っている彼らに食堂の女主人ディ001 ナが一夜の宿を提供する。どこかアレクサンドル・ロゴシュキン監督のロシア映画「ククーシュカ ラップランドの妖精」と似た設定だ。「ククーシュカ ラップランドの妖精」はフィンランド人兵士とロシア人兵士がラップランド人アンニの家に迷い込み、3人で互いに言葉が分からないまま生活することになる。戦争の臭いを持ち込み、いつまでも敵対し続ける兵士たち(第二次大戦当時フィンランドはドイツ側に付いた、したがってソ連とは敵同士である)を大地の母のようなアンニが包み込んで行く。そういう映画だ。そう考えると、「迷子の警察音楽隊」は「ククーシュカ ラップランドの妖精」ばかりか「トンマッコルへようこそ」や「ノー・マンズ・ランド」、さらには泥沼のボスニア戦争を間接的に描いた「ビューティフル・ピープル」にも通じる主題を持っていることが分かる。一見単純なように見える映画だが、この映画の単純さは複雑なものを潜り抜けた単純さなのである。

  もちろん「迷子の警察音楽隊」は戦争状態の時期を描いてはいないが、束の間の「平和」な時期は内部に火種を抱えたまま危ういバランスの上に成り立っていることを考えればそうかけ離れているともいえない。「ククーシュカ」では対立を乗り越え平和地帯を守るためにはアンニの持つ超自然的な力が必要だった。一方、平穏な時期を描いた「迷子の警察音楽隊」ではより等身大のアンニが登場する。それがディナだ。彼女もまた男を癒し包み込む存在だが、大地の母アンニのような力はない。彼女自身が内部に孤独感を抱えているのである。

  ディナはアンニほどではないがやはり象徴的役割を持った女性だ。アンニの住むラップランドはこの世のものとも思えないほど美しい場所ではあるが、同時に寒々とした荒地で自然の厳しさを感じさせる土地である。トゥフィークたちが迷い込んだ小さな町ベイト・ティクバも何もない乾ききった荒地だ。しかし、ラップランドのような美しさは持たない。代わりに別の象徴的力を持たされている。ベイト・ティクバは「希望の家」という意味なのである。その「希望の家」で一晩過ごした音楽隊は、翌朝「希望を開く」町ペタハ・ティクバへ向かう。この2つの町が選ばれたのは決して偶然ではない。明らかに象徴的な意味が込められている。この映画は何も描かれていないようでいて、実はいろんなことがそれとなく埋め込まれているのである。

  迷子のトゥフィークたち警察音楽隊は「ククーシュカ ラップランドの妖精」の二人の兵士のように長くその地に留まるわけではない。一晩滞在するだけだ。だが短い滞在の間にいくつもの出会いと発見がある。イスラエルの庶民生活との出会いと意外な共通点の発見だ。それはわれわれ観客にとっての出会いと発見でもある。誰でも知っている国ではあるが、その国の日常生活をほとんど知らない国の一つである。「約束の旅路」(これも同じアフリカとイスラエルをつなぐ映画だった)で差別されてきたユダヤ人の国イスラエルにも人種差別があることを知った。主人公のシュロモを育てた養父母は左派の市民だったが、「迷子の警察音楽隊」ではごく普通の庶民の生活を垣間見ることになる。

  警察音楽隊のメンバーは8人だが、映画はディナの家に泊まった団長のトゥフィークと色男のカーレド(サーレフ・バクリ)、そしてイツィクの家に泊まった3人の中で特にシモン(カリファ・ナトゥール)に焦点をあてる。同時にイスラエル側のディナとイツィクの家族がクローズアップされることになる。面白い工夫だと思うのは、夫と離婚して寂しく暮らしていたディナの心をときめかせるのが色男のカーレドではなくお堅い団長のトゥフィークの方であり、妙に女慣れしたカーレドはパピ(ディナの店の常連客)に恋愛指南をするという設定になっていることだ。

  カーレドたちのエピソードは滑稽味を帯び、トゥフィークとディナのエピソードは人生の陰りを漂わせる。そして予期しない闖入者が舞い込んだイツィク一家のエピソードでは、ちっとも話が弾まない息苦しさが描かれる。イツィクが1年近く失業中であることも分かる。そして一番重要なことは、いつまでも未完成だったシモンの協奏曲がイツィクの示唆によって一歩完成に近づいたことが暗示されていることである。

3p27   カーレドとパピのエピソードは前半の滑稽味を引き継いでいる。パピの仲間の車で町に遊びに出かけたカーレドたち。途中で女の子を二人拾いスケート場へ。パピの友人は美人の女の子とうまくいっているが、パピはもう1人の女の子が気に入らない。ついには女の子が泣きだしてしまい、見かねたカーレドが恋愛指南を始める。泣いている女の子に白いハンカチを渡すパピ、そして酒の小瓶を渡す(すべてカーレドの指示)。パピが何でもカーレドの真似をするシーンが妙に可笑しい。3人横に並んでカーレドがパピの膝に手を置くと、パピは女の子の膝に手を置く。カーレドがパピの背中に手を回すとパピは女の子の背中に手を回す。そしてキス(これは自分の意思)。3人を正面から撮っているので「師匠と弟子」の動きが手に取るように分かる。うまい演出だった。

  トゥフィークとディナのエピソードはこの映画の中心となるエピソードである。ディナの家に招かれたトゥフィークとカーレドは最初なかなか落ち着かない。間が持たないのでカーレドが「静かな町だね」と言うと、ディナはあっさり「死んでるわ」と答える。美人で気が強そうなディナは登場した時から観客をひきつけてしまう。低いしゃがれ声だが、場末の安食堂にはよく似合う。ずけずけものを言うタイプに見えるが、それでも行き場のない音楽隊のメンバーを泊めてやる親切心はある。まだ30代くらいで、夫と別れて1人暮らし。活気のない小さな町で自分の若さをもてあましている。そういうキャラクター設定がいい。

  ディナは町に出ようとトゥフィークを誘う。ジーンズをはいていた彼女が赤いワンピースに着替えるとぐっと女らしくなり、色香が漂いだす。ドレスなどしばらく着ていなかったに違いない。活気のない町に舞い込んだ珍客はディナやイツィクの代わり映えしない日常に小さな波紋を起こしたのである。二人は車で夜の町に出ていろんな話をする。夜がふけてくるにつれて滑稽味が後退し、人生の陰影が濃くなってくる。トゥフィークは妻を3年前になくしたことを打ち明ける。息子をきつく叱りすぎたために息子が自殺。そして妻も死んだと。

  二人の会話からいろんなイスラエル事情が見えてくる。ディナは小さい頃よくテレビでやっていたエジプト映画が好きだと言う。そしてオマー・シャリフやファテン・ハママの名前を挙げる。「あんな悲恋に恋してた。今夜は映画の再現みたい。」というディナの言葉はトゥフィークへの誘いの言葉なのだが、それ以上にイスラエルで結構エジプト映画が見られていたという事実が興味深い。

Haikyotohana   ディナはエジプトの音楽もある程度知っていることが会話から分かる。彼女が「なんで警察の楽隊がウム・クルスーム(エジプトの偉大な歌手)を演奏するの?」と聞く場面がある。イスラエルには意外にエジプト文化が入り込んでいるようだ。イスラエル建国後には周辺のアラブ諸国からアラブ系ユダヤ人が大量に入り込んできた。彼らは一緒にアラブやイスラム文化もイスラエルに持ち込んだだろう。主流派ではないが、イスラエルは内部にアラブ系住民を抱えているのである。実際、エジプトの警察音楽隊を演じているのは、エジプトの俳優たちではなくイスラエルに住むアラブ系の俳優たちだった。

 音楽が彼らの共通の話題になる。なぜ警察音楽隊が古いアラブの音楽を演奏するのかという先ほどの問に、トゥフィークは「なぜ人に魂が必要なのかと聞くのと同じだ」と答える。彼にとって音楽は魂のような存在なのだ。そして音楽はイツィクの家でも重要な役割を果たしていた。シモンたちもイツィクの家族も互いに居心地の悪い思いをしていたが、イツィクの父親がバイオリンで「サマータイム」を引き出すとみんなが歌い始める。音楽によって氷が融け出していった。

  ディナの家でもまた音楽が絡む印象的な場面がある。3人が夜の町から戻った後、カーレドはチェット・ベイカーを好きかとディナに尋ね、トランペットで「マイ・ファニー・バレンタイン」をしっとりと演奏する。「マイ・ファニー・バレンタイン」はカーレドが女性を口説く時にいつも使う曲だ。どうやら彼はディナに気があったらしい(夜中ディナとベッドインするのはカーレドのほうである)。

  「サマータイム」と「マイ・ファニー・バレンタイン」。アメリカのスタンダード曲が実にうまく使われている。中東紛争にはアメリカが大きく関与しているが、互いの母国語が通じない2つの国民の間をつないだのは英語とアメリカのスタンダード曲だという皮肉。良くも悪くもアメリカの影が中東全体を覆っている。まあ、ここは言葉の壁を越える音楽の力が強調されていると取るほうがいいかもしれないが。

  最後に、音楽が関係しているもう一つの重要な点を指摘して終わろう。先ほど触れたシモンが長年温めている未完成の協奏曲である。これが完成しないのは最後の部分がどうしても書けないからだ。悩めるシモンに重要な示唆を与えたのはイツィクのアドバイスと赤ん坊の寝顔だった。悲しくもなく楽しくもなく深い静けさだけがある、赤ん坊の寝顔を観ながらイツィクはそう示唆した。赤ちゃん用のオルゴールが流れ、それを口ずさむイツィク。

  トゥフィークやカーレドほど焦点を当てられてはいないが、シモンの協奏曲はこの映画全体のテーマに関わる重要な意味を帯びている。なぜならこの映画自体がそれぞれ国も言葉も文化も違う、さらには個性も違う人々が織り成す協奏曲(狂想曲的面も含んだ)だったと言えるからである。そう考えてみると、なぜシモンの曲が完成しないのか理解できる。

  一夜明けた翌日の朝、8人の音楽隊はディナの店の前に勢ぞろいする。ディナはトゥフィークに行き先を書いた紙を渡す。彼女はトゥフィークに手を差し出そうとするが、また戻してしまう。「グッド・バイ・マダム。」別れはあっさりとしていた。何もない道が映り、突然マイクで歌っているトゥフィークの顔が大写しになる。あっさりした終わり方は「ONCE ダブリンの街角で」と似ている。ハリウッド映画のように恋が成就してハッピーエンド、という展開にはならない。 たった1日の出会いと別れ。思い出だけが残る。そんな終り方だが、それだけではない。この映画にはやはり余韻がある。最後にもう一度映し出された何もない道。何もない道だが、その道の先は必ず人につながっている。そんなことを感じさせてくれる映画なのだ。 

 人と人のつながり。シモンの協奏曲はアラブとイスラエルの平和共存の象徴なのだ。この地に真の平和が訪れた時、その時こそシモンの協奏曲は完成するのである。そして忘れてはならない。その協奏曲はシモンとイツィクのコラボレーションが生み出したものであることを。そして曲の最後は安らかに眠る赤ん坊の寝顔のように、深く静かに終わるだろうということを。

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