「シシリーの黒い霧」を観ました
フランチェスコ・ロージ監督(1922年、イタリアのナポリ生まれ)はイタリア映画界が生んだ巨匠の1人である。ヴィスコンティの「揺れる大地」で助監督を務め、「ベリッシマ」では助監督と脚色を担当した。その後監督になってからは「挑戦」、「シシリーの黒い霧」、「都会を動かす手」、「真実の瞬間」、「ローマに散る」、「黒い砂漠」、「コーザ・ノストラ」、「パレルモ」などの社会派ドラマを次々に生み出し、社会派の巨匠として知られるようになった。日本では「黒い砂漠」や「コーザ・ノストラ」などのマフィアものが一番知られているだろう。
79年の「エボリ」(カルロ・レーヴィ原作)以降は、「カルメン」(プロスペル・メリメ原作)、「予告された殺人の記録」(ガルシア・マルケス原作)、「遙かなる帰郷」(プリーモ・レーヴィ原作)など、文芸ものを多く撮っている。社会派ドラマの最高傑作は貧しさから闘牛士になった男の悲劇を描いた名作「真実の瞬間」、文芸ものの代表作はいぶし銀のような傑作「エボリ」だろう(「エボリをこえて神はいない。エボリを越えてイタリアはない。」というコピーが印象的だった)。今のところ最後の作品は「遙かなる帰郷」。ジョン・タトゥーロの熱演が印象的だが、惜しいところで傑作には至らなかった。
最初に「シシリーの黒い霧」を観たのは1989年12月だからおよそ18年と半年振りに観た。最初に観た時はビデオで今回はDVD。東京にいる間はついぞ映画館で観ることがかなわなかった作品を自宅で観られるようになった。観る側の環境も変わったものだとつくづく思う。
さて、久しぶりに観直した「シシリーの黒い霧」だが、悲しいことにほとんど忘れていた。もっとも、そのお陰で初めて観るのと変わらない新鮮さで観ることが出来たわけだが。観直して一番強く感じたのは「こんなにも分かりにくい映画だったか」ということである。誰が憲兵で、誰が警察で、誰がマフィアなのかどうも分かりにくい。
分かりにくい理由は他にもある。過去と現在が頻繁に交錯する演出方法が分かりにくさを助長している。当時の複雑な歴史的事情も充分説明されていない。誰がサルヴァトーレ・ジュリアーノを殺したかという問題が最初に提起されるが、途中からメーデーを祝う共産党の集会を襲撃した首謀者は誰かという問題が前面に出てくる。
これだけではない。さらに重要な問題がある。サルヴァトーレ・ジュリアーノ本人がいかなる人物なのかがさっぱり描かれていないのだ。実在のサルヴァトーレ・ジュリアーノは山賊ながら金持ちから金品を奪い貧乏人に与えていた。そのため民衆からは義賊のように慕われ、英雄視されていた。ところが、興味深いことに、映画は肝心なサルヴァトーレ・ジュリアーノにほとんど焦点を当てない。最初に死体として登場するが、生きている姿はほとんど映されない。いや画面には何度か登場しているのだろうが、山賊たちのどの男が彼なのか判然としないのだ。当然、彼を義賊として英雄視してもいない。これは意図的なものだろう。つまり、この映画はサルヴァトーレ・ジュリアーノ個人に焦点を当てるのではなく、誰が彼を操り、利用し、邪魔になったところで抹殺したのかという背後の黒い動きを抉り出そうと試みているのである。警察や憲兵隊やマフィアが山賊たちと複雑に絡み合い関係を持っていた。その黒い部分をあぶりだそうとしているのだ。
そう考えると、誰がサルヴァトーレ・ジュリアーノを殺したかという問題からメーデー襲撃事件の首謀者は誰か(あるいはいかなる組織か)という問題に焦点が移ってゆく理由が理解できる。山賊たちは度々社会党や共産党の支部を襲撃していたという。誰がそう仕向けていたのか。この映画が真に追求しているのはその点ではないか。裁判が始まる後半の方が前半よりも見ごたえがある。その裁判で問われているのがまさにサルヴァトーレ・ジュリアーノ暗殺の背後にある黒い関係だからである。裁判自体の焦点が、誰がサルヴァトーレ・ジュリアーノを殺したのかという論点から、山賊たちに集会を襲撃させたのは誰かという論点に移っている。サルヴァトーレ・ジュリアーノ殺害は実際に起こった未解決の殺人事件である。真相を知っている人物たちが次々に消されてゆくところで映画は終わる。真相は闇に葬り去られてしまった。
ジュリアーノ一味を直接追いつめたのはマフィアと組んだ憲兵隊で、ジュリアーノを殺したのも憲兵隊らしいことは映画の中で暗示されている。しかし真相を知っている人物たちが殺されるという展開によって、実はさらに深い闇があると暗示されているようにも思える。
「シシリーの黒い霧」(1962年、フランチェスコ・ロージ監督、イタリア)
評価:★★★★
■フランチェスコ・ロージ監督フィルモグラフィー
「遙かなる帰郷」(1997)
「パレルモ」(1990)
「予告された殺人の記録」(1987)
「カルメン」(1984)
「エボリ」(1979) (モスクワ映画祭グランプリ)
「ローマに散る」(1976) (カンヌ特別賞)
「コーザ・ノストラ」(1973)
「黒い砂漠」(1972) (カンヌ映画祭グランプリ)
「総進撃」(1970)
「イタリヤ式奇跡」(1967)
「真実の瞬間」(1965)
「都会を動かす手」(1963) (ヴェネツィア映画祭グランプリ)
「シシリーの黒い霧」(1962) (ベルリン銀熊賞)
「挑戦」(1958) (ヴェネツィア銀獅子賞)
« 「中国の植物学者の娘たち」を観ました | トップページ | 「迷子の警察音楽隊」を観ました »
コメント