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2008年5月

2008年5月27日 (火)

広島に行ってきました

 ここは来なくてはいけなかった。間近に見える原爆ドームの前に立ってそう思った。ずっと気になりながら、遠すぎて簡単には行けなかった広島。やっと念願が実現した。廃墟となりずっと静かに佇みながら人類に忘れるべからざる過去として、同時に再現されてはならない未来として無言の言葉を語りかけている原爆ドーム。今ではモニュメントになってしまい生々しさは感じられなかったが、その存在意義は今でも失われていない。対岸で行われていたコンサートでは昔懐かしいフォークソング、「花はどこへ行った」、「500マイル」、「悲惨な戦争」、「虹と共に消えた恋」などが歌われていた。

080525_12
















 土曜日から月曜日まで所要で広島に出張していました。広島へ行くのは初めてでした。日曜日の午後に原爆ドームと平和記念公園を見て回り、月曜日の午前中は広島駅から歩いてゆける縮景園へ行ってきました。

 市電に乗って原爆ドーム前駅で降りると、何とドームはすぐ目の前にありました。これほど間近に見られるとは思わなかった。原爆投下からもう60年以上たっているので外壁はきれいでどこもすすけてはいない。しかし廃墟になった姿はさすがに胸に訴えかけてきます。原爆ドームのすぐそばを元安川が流れていました。すぐそばを川が流れていたことも知らなかった。その後平和記念公園の中を歩き、原爆死没者慰霊碑、原爆供養塔、平和の鐘、原爆の子の像などの写真を撮り、平和記念資料館にも入りました。その後広島城にも行きました。ものすごく暑い日で、お城の最上階は風が通って汗をかいた体に気持ちよかった。

 縮景園は実に素晴らしい日本庭園でした。それほど広い庭園ではないのですが、細かい道があちこちについていて驚くほど変化に富んでいる。歩いているといろんなものが見つかる。楽しかった。特に庭の真ん中にある濯纓池(たくえいち)とそこに渡してある跨虹橋(ここうきょう)が素晴らしい。この石橋の写真が撮りたかった。何故か長野には石橋がない。初めて撮った石橋。とても気に入った。

 案内パンフによると、縮景園という名称は、多くの勝景を集め縮めて表現したことから来ているが、中国の西湖周辺の風景を縮めて表したことによるとも言われているそうです。1620年、広島藩主となった浅野長晟が別邸の庭として作らせたもの。作庭したのは茶人であった家老の上田宗箇。

 詳しい旅行記は別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」に後日載せます。

2008年5月21日 (水)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(08年6月)

【新作映画】
5月24日公開
 「Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼」(ブルース・A・エバンス監督、米)
 「幻影師アイゼンハイム」(ニール・バーガー監督、チェコ・米)
 「パリ、恋人たちの2日間」(ジュリー・デルピー監督、仏・独)
 「アフター・スクール」(内田けんじ監督、日本)
 「コロッサル・ユース」(ペドロ・コスタ監督、ポルトガル・他)
5月31日公開
 「ラスベガスをぶっつぶせ」(ロバート・ルケティック監督、米)
 「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」(サラ・ポーリー監督、カナダ)
 「おいしいコーヒーの真実」(マーク・フランシス・他監督、英・米)
 「山桜」(篠原哲雄監督、日本)
6月7日公開
 「リボルバー」(ガイ・リッチー監督、仏・英)
 「シークレット・サンシャイン」(イ・チャンドン監督、韓国)
 「ザ・マジックアワー」(三谷幸喜監督、日本)
 「ぐるりのこと」(橋口亮輔監督、日本)
 「春よこい」(三枝健起監督、日本)
 「休暇」(門井肇監督、日本)
 「築地魚河岸三代目」(松原信吾監督、日本)
 「神様のパズル」(三池崇史監督、日本)
6月14日公開
 「イースタン・プロミス」デビッド・クローネンバーグ監督、英・加・米)
 「JUNO ジュノ」(ジェイソン・ライトマン監督、米・加)
 「1978年、冬。」(リー・チーシアン監督、中国・日本)
 「ぼくの大切なともだち」(パトリス・ルコント監督、仏)
 「1000の言葉よりも 報道写真家ジブ・コーレン」(ソロ・アビタル監督、イスラエル)
 「花はどこへいった」(坂田雅子監督、日本)
6月21日公開
 「奇跡のシンフォニー」(カーステン・シェリダン監督、米)

【新作DVD】
5月23日
 「シルク」(フランソワ・ジラール監督、仏・他)
 「オフサイド・ガールズ」(ジャファル・パナヒ監督、イラン)
5月28日
 「河童のクゥと夏休み」(原恵一監督、日本)
5月30日
 「カフカ 田舎医者」(山村浩二監督、日本)
 「三池 終わらない炭鉱の物語」(熊谷博子監督、日本)
6月4日
 「ナショナル・トレジャー2」(ジョン・タートルトープ監督、米)
 「ユゴ 大統領有故」(イム・サンス監督、韓国)
 「ゼロ時間の謎」(パスカル・トマ監督、フランス)
6月6日
 「ファウンテン 永遠につづく愛」(ダーレン・アロノフスキー監督、米)
 「その名にちなんで」(ミーラー・ナーイル監督、インド・米)
 「サラエボの花」(セスミラ・ジュバニッチ監督、ボスニア・ヘルツェゴビナ)
 「4分間のピアニスト」(クリス・クラウス監督、ドイツ)
6月11日
 「スウィーニー・トッド」(ティム・バートン監督、英・米)
6月13日
 「迷子の警察音楽隊」(エラン・コリリン監督、イスラエル・仏・米)
 「ビー・ムービー」(サイモン・J・スミス監督、米)
6月25日
 「君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956」(クリスティナ・ゴダ監督、ハンガリー)
6月27日
 「アース」(アラステア・フォz-ギル、他監督、独・英)
 「テラビシアにかける橋」(ガボア・クスポ監督、米)
7月2日
 「WILD HOGS 団塊ボーイズ」(ウォルト・ベッカー監督、米)
 「呉清源 極みの棋譜」(ティエン・チュアンチュアン監督、中国)
7月4日
 「ミリキタニの猫」(リンダ・ハッテンドーフ監督、米)
 「潜水服は蝶の夢を見る」(ジュリアン・シュナーベル監督、仏・米)

【旧作DVD】
5月21日
 「モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン」(79、テリー・ジョーンズ監督、英)
5月26日
 「飾窓の女」(44、フリッツ・ラング監督、米)
5月29日
 「パンと恋と夢」(53、ルイジ・コメンチーニ監督、イタリア)
5月31日
 「81/2」(63、フェデリコ・フェリーニ監督、仏・伊)
 「ロベール・ブレッソン DVD-BOX②」  
   収録作品:「スリ」、「少女ムシェット」、「バルタザールどこへ行く」
 「川の流れに草は青々」(82、ホウ・シャオシェン監督、台湾)
 「坊やの人形」(83、ホウ・シャオシェン監督、台湾)
6月11日
 「ハムレット」(96、ケネス・ブラナー監督、英・米)
 「リオ・ブラボー」(59、ハワード・ホークス監督、アメリカ)
6月12日
 「ジェームズ・スチュワート ウエスタン・コレクション」
   収録作品:「砂塵」、「ウィンチェスター銃73」、「怒りの河」、「遠い国」他、全7作

F61  先月も充実していると書いたが今月の充実振りはさらにそれを上回る。すごい状況になってきた。

 新作は期待できそうな作品が並ぶ。三谷幸喜監督の「ザ・マジックアワー」、リー・チーシアン監督の「1978年、冬。」、ニール・バーガー監督の「幻影師アイゼンハイム」あたりが特に気になる。傑作「運命じゃない人」を生み出した内田けんじ監督の「アフター・スクール」も期待大。ともに女優が監督した「パリ、恋人たちの2日間」(ジュリー・デルピー監督)と「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」(サラ・ポーリー監督)の出来は?最近力作がつづくドキュメンタリーも「おいしいコーヒーの真実」と「1000の言葉よりも 報道写真家ジブ・コーレン」、さらにドキュメンタリー・タッチでリスボンのスラム街を撮ったという「コロッサル・ユース」と盛りだくさん。

 新作DVDも話題作がどっと出る。ずっと観たいと思っていた「迷子の警察音楽隊」、「呉清源 極みの棋譜」、「ミリキタニの猫」、「三池 終わらない炭鉱の物語」、「潜水服は蝶の夢を見る」、「河童のクゥと夏休み」、「サラエボの花」がやっとDVDに。久々のイラン映画「オフサイド・ガールズ」も早く観たい。アニメの世界に独特の境地を切り開いた山村浩二監督の「カフカ 田舎医者」まで出る(「山村浩二作品集」はDVDで持っているのだが、なかなか観る機会がない)。

 すごいのは旧作DVD。フィルム・ノワールの名作「飾窓の女」、ホウ・シャオシェンの傑作「川の流れに草は青々」(この映画が一番好きだ)がついに出る。共に大望久しかった作品。それで驚いていてはいけない。フェリーニの代表作「81/2」がついにDVDになる。まだあるぞ。何と「BFI選定イギリス映画ベスト100」(99年選定)で歴代28位に選ばれた怪作「モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン」もやっと陽の目を見ることに。未見だが毒がたっぷり効いたコメディが味わえそうだ。

<追記>
  もう一つ見逃せないのは「パンと恋と夢」。先月紹介した「シシリーの黒い霧」と同じウエストブリッジというところから販売されている。ともに500円という廉価版である。500円DVDの流れがついにイタリア映画の古典にまで及んだか。かつてイタリア映画はフランス映画と並ぶヨーロッパ映画の双璧だった。まだまだ多くの傑作が未DVD化のまま眠っている。今後もどんどんイタリア映画を掘り起こして欲しい。

 追記ついでにもう一件。「シシリーの黒い霧」と「パンと恋と夢」は既にアマゾンで手に入れたが、その時フリッツ・ラング監督の「死神の谷」も一緒に注文した。「死滅の谷」として知られていた傑作が名前を変えて3月7日の発売されていた(定価1980円)。3月の記事に追加しておきましたが、見逃されそうなのでここに書き加えておきます。古典映画のDVD化(しかも廉価版)は思った以上に深く静かに進行しているようだ。

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2008年5月20日 (火)

「ヒロシマナガサキ」を観ました

 被爆者たちの証言を中心に編集したドキュメンタリー映画。面白いとか出来がどうとかいうのではなく、観なくてはならない映画だ。昨年は日本映画にも「夕凪の街 桜の国」という優れた映画があった。ちなみに記憶に残る原爆関連映画を挙げておこう。

新藤兼人監督「原爆の子」(52)
ピアース&ケヴィン・ラファティ監督「アトミック・カフェ」(82)
今村昌平監督「黒い雨」(89)
黒木和雄監督「TOMORROW/明日」(88)
黒木和雄監督「父と暮らせば」(04)
佐々部清監督「夕凪の街 桜の国」(07)

Photo_2  これらに日系3世であるスティーヴン・オカザキ監督の「ヒロシマナガサキ」(07)が加わった。1945年8月6日が何の日か分からない渋谷の若者たちにはあきれ果てるが(インタビューに応じてくれた8人全員が知らなかった)、言うまでもなく印象的なのは被爆者たちの証言だ。上記の映画以外にも中沢啓治の『はだしのゲン』(中沢啓治も証言者の1人として「ヒロシマナガサキ」に登場している)や大江健三郎の『ヒロシマ』(岩波新書)、あるいは新聞や雑誌の記事をいろいろ読んできたが、戦争や原爆の話は何度聞いても衝撃を受けないものはない。「ヒロシマナガサキ」でもっとも印象深い証言をしたのは下平作江さんという女性だ。最後に彼女の言葉を2つ引用しておこう。

 「いつも思うんですけど、わたしたち人間にはぎりぎりの時に死ぬ勇気と生きる勇気と、2つ並べられるんじゃないかな。妹は残念ながら死ぬ勇気を選んだんですけれども、私は生きる勇気を選びました。ならば一人ぼっちでもいい。生きてゆこう。」

 「私たちはせっかく生き残っても、人間らしく死ぬことも人間らしく生きることも出来ませんでした。」

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2008年5月13日 (火)

アクセス数が10万を突破しました

Robo1_3  こんなに早く10万に達するとは思いませんでした。サイドバーのココログのロゴの下に示してあるように、このブログを始めたのは2005年の8月27日。3年もたたないうちに10万に達するとは自分でも驚きです。これもみなこのブログを見ていただいた皆さんのおかげです。改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 最近はめっきり記事を更新する回数が減ってしまいました。こういうご時世で、仕事がこれまでとは比べ物にならないくらい忙しくなったことも一因ですが、一番の原因は昨年別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」を作ってしまったことです。一番時間が空く週末にいそいそとデジカメを持ってあちこち出かけるのですから、レビューを書く時間が満足に取れないのも当然です。楽な方へ気持ちが傾くのは誰しも同じで、簡単に書ける写真日記をどうしても優先してしまいます。昼間カメラを持って出かけ、夕方は写真を整理し記事を書く。映画のレビューを書き始めるのは夜になってから。土日の2日間かけても書きあがらない。月曜日にレビューを載せることが多いのはそのためです。

 まあ、ぼやきはともかくとして、「映画レビュー一覧」や「名作の森」を眺めてみるとよくまあこれだけ書いたものだと我ながら感心します。最初の半年くらいまでは短評でしたが、次第にレビューが長くなってきました。

 これ以外に「~を観ました」シリーズ、「先月観た映画」シリーズ、「これから観たい&おすすめ映画・DVD」シリーズ、しばらく中断していますが「映画チラシ・コレクション」と「映画パンフ・コレクション」のシリーズ、その他雑多な記事、それに別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」の記事が加わるのですから病気にならないのが不思議なくらいです。

 映画はそれなりに観ているのですが、DVDの新作に追われて手持ちの旧作を観る時間がなかなか取れません。しかしまあ、無理をせず気長にやります。レビューは1週間に1本程度しか書けませんが、また時々見に来てください。  これからもよろしくお願いいたします。

2008年5月12日 (月)

長江哀歌

2006年 中国 2007年8月公開
評価:★★★★★
原題:三峡好人
監督・脚本:ジャ・ジャンクー
製作総指揮:チョウ・キョン、タン・ボー、レン・チョンルン
製作:シュウ・ポンルー、ワン・ティエンユン、チュウ・ジョン
撮影:ユー・リクウァイ
音楽:リン・チャン
出演:チャオ・タオ、ハン・サンミン、ワン・ホンウェイ、リー・チュウビン
    マー・リーチェン、チョウ・リン、ホァン・ヨン

  長江。黄河と並んで日本でも馴染み深い中国の大河である。昔は揚子江と言っていた。調べてみると揚子江は長江の下流部を指す言い方で、それが長江全体を指す言い方として誤用されていたようだ。上流部は金沙江と呼ばれるそうである。長江という言い方を初めて聞いたのはさだまさしが監督した「長江」という映画が話題になった時である。1981年の映画だからもう27年前になる。映画は観ていないが長江という言葉は記憶に残った。

(1)
  「長江哀歌」は長江を進む船の乗客たちを長々と映し出すところから始まる。最後に映された冴えない中年男ハン・サンミン(ハン・サンミン)が主人公の1人である。奉節(フォンジュ)で乗客たちは船を降りる。ハン・サンミンはどうやらよそ者らしい。紙に書かれた住所を示してバイク・タクシーに乗る。バイクは長江の岸の何もないところで停まる。案内の男が「あの草が生えている辺りだ」と指差したのはなんと河の中だった。紙に書かれた住所「青石街5号」は既に河に沈んでいた。

Deepblue015   実に印象的な出だしである。ハン・サンミンが逃げた妻を捜しているらしいことはストーリーの進展の中で次第に分かってくる。やがて、半ばごろもう1人の主人公シェン・ホン(チャオ・タオ)が登場する。彼女は逆に2年間も音沙汰のない夫を探しに奉節へやってきた。この二人は最後まで接点を持たない。唯一の共通点は2人とも山西省からやってきたことだ。初めての土地でそれぞれ妻と夫を探す主人公たち。これと言ったストーリーもなく、画面は奉節の町を歩き回る二人を追ってゆく。映画は一種のロード・ムービーになる。主人公二人は失われつつある自然や町、あるいは生まれ変わりつつある中国の活力と矛盾の目撃者となる。その中でもう1人の主人公が浮かび上がってくる。それは既に一部河に沈み、やがてそのほとんどが水没する運命にある奉節の町そのものである。

  ジャ・ジャンクー監督はDVD付録のインタビューで三峡ダム建設について次のように語っている。「三峡地区で起こっていることは中国社会の問題を浮き彫りにしていたからです。三峡の現実から国の変貌を表現しようと思いました。中国文化にとって重要な意味を持つ地区です。風景画や詩歌などさまざまな中国の芸術を育んだ土地ですからね。また『三国志』の舞台としても有名だし李白や杜甫が旅した時にもここで多くの詩を詠んでいます。」ジャ・ジャンクー監督の狙いは世界最大のダム建設が中国の重要な文化遺産を水没させ、またそこに住む130万人もの住民から生活の場と故郷を奪ってゆく過程をドキュメンタリー風に描き出すことである。

  三峡ダム建設は万里の長城建設以来の歴史的大事業である。とてつもない規模のダムを建設することによって暴れ河を制御し、同時に発展著しい中国社会に膨大な量の電力を供給する。まさに歴史的大事業だが、その影に故郷を奪われてゆく100万を越える人々がいる。ジャ・ジャンクー監督はその明と暗の両面、特に暗の面に焦点を当てて描こうとしている。出来るだけ作為を加えず、事実を積み重ねてゆく。登場人物には一部を除いてほとんど素人を起用し、現地で撮影したのはそのためである。

  変わり行く奉節を映し出すだけでもかなりのインパクトはある。何しろ100万を超える人Sdlorien01 々に影響を与える大事業だ。しかしいくら大きな数字を示してもそれだけでは一人ひとりの生活の変化や困窮、不安や苦悩は浮かび上がってこない。ただ多くの人々を映し出すだけではなく、一人ひとりの生活の中に入り込み、ダム建設で家を追われることがそれぞれの生活をどのように変えていったのか、人々はその変化をどう受け止めたのかを描き出してこそ「歴史」という抽象的な概念あるいは事象に実態を与えることが出来る。監督が2人の主人公を登場させたのはそういう理由からだろう。二組の夫婦の危機的状況(一組は離婚へと向かい、もう一組は元に戻る可能性を含みつつも借金を背負うことになる)と並行して、それぞれの伴侶を探すロード・ムービー的展開の中で浮かび上がる奉節の町の劇的変化を描くことで、映画に具体性と客観性(深みと広がり)を持たせたのである。

  主人公2人を山西省(山西省はジャ・ジャンクー監督の出身地でもある)からやってきたよそ者に設定した理由を監督は次のように説明している。「三峡は知らない土地なので旅人の視点で書くことにしました。」探し当てた土地を飲み込んで滔滔と流れる大河を見て呆然と佇むハン・サンミンの姿は、知識としてだけ知っていた三峡ダム建設の現実を目の当たりに見て衝撃を受けたジャ・ジャンクー監督自身の姿でもあるわけだ。

(2)
  奉節という小さな町で何が起きていたか。ハン・サンミンが訪ねた役所で垣間見た風景がそれを象徴的に示している。住民が党の役人(?)に「話が違うじゃないか」と激しく抗議している。役人はそれに対してこう言い返す。「2千年の町が2年で消える。解決には時間が要る。」それは言い訳だったかもしれないが、「2千年の町が2年で消える」という言葉はそこで起きている事態を正しく指摘している。映画は効果音をほとんど使わない。代わりに画面に常に響き渡っているのは槌音である。建設の槌音ではなく解体の槌音だ。画面は主人公2人を追ってゆくが、その背後に常に映りこんでいるのは解体されつつある町の姿である。どこもかしこも瓦礫の山ばかりなのだ。

  この映画の主題は二組の夫婦の成り行きではない。三峡の変わりゆく姿と同じく変わり行く人々の暮らしである。行き交う人々の背景には常に長江がある。太古と変わらないかのように悠然と流れる大河と解体・建設が進む奉節の町。いや、悠久の大河すらダム建設が進めばその姿が変わって行く。その変化の急激さに社会がきしみだしている。「2千年の町が2年で消える。解決には時間が要る」という言葉は、あながち言い訳とばかり決め付けるわけには行かない。地方の党幹部さえ対応にあたふたするほどの急激な変わりようなのだ。

  水の届かない高台には新しい建物が見えるが、画面に大きく写るのは解体されてゆく瓦礫のような建物だ。その解体作業も実に原始的だ。木槌やハンマーでコンクリートをたたいて壊している。今の日本ではまず見かけなくなった文字通りの肉体労働。重機やドリル、あるいはダイナマイトを使った作業に比べると遥に効率が悪い。万里の長城時代からほとんど変わっていないのではないかという感覚さえ覚える。安い賃金で自分の体を酷使する過酷な労働。危険さえ伴う。チョウ・ユンファにあこがれていたチンピラのような若者マークは解体作業中に瓦礫の下敷きになり命を落とした。そんな仕事でも働き口さえあれば労働者は集まってくる。社会の底辺で働く肉体労働者が就ける仕事はこんな解体作業か、あるいは賃金は高いがそれ以上に危険な炭鉱の仕事などしかないのだ。

  一方、夫を探しているシェン・ホンが夫の知り合いであるワンと真新しい建物のベランダから長江を眺める場面がある。そのベランダを行き交う人々の服装は、上半身裸かあるいはランニングシャツ姿で解体作業をしている下界の人たちと同じ国民とは思えないくらい上等だ。まさに黒澤明の「天国と地獄」のような対比。シェン・ホンはそこで夫を待っていたのだが、ついに夫は現われない。彼女たちが去った後そのビルの支配人らしき人物(彼がシェン・ホンの夫グォ社長なのかははっきりしない)が客を案内して現われ、新しく作られた橋をライトアップさせる。まばゆいばかりに輝く橋。この場面も実に印象的だ。上流に住む貧しい者たちの家と生活と故郷を奪って作り出した電力が上海など下流の大電力消費地を明るく輝かせる。そういう関係を象徴的に示しているからである。

  ここで描かれているのは「ココシリ」が描いたものと同じ関係なのだ。貧しい国の人々が作った食べ物を富める国の人々が口にする。飢えた国で食料にならない珈琲豆を作り、豊かな国の人々がそれを嗜好品として飲む。貧しい国の森林を伐採し豊かな国の人々がそれで家を建てる。あるいは、飢えた人たちが生きるために自分の血を売り、その血が豊かな国の人たちに輸血される。そういう関係が一つの巨大な国の中でも貫徹しているのである。無一文と思われたハン・サンミンがやにわに携帯を取り出して話すシーンが与える不思議な違和感、その違和感は中国における不均衡な経済発展がもたらした歪みの表れなのである。この映画が描いているのはその歪みである。決して失われるものを懐かしみノスタルジーに浸る映画ではない。

  三峡ダム完成間近の奉節の町を象徴するのがドミノを重ねたような不思議な建物だ。監督インタビューによると、この建物は去ってゆく人を祈念する建物になるはずだったといGen1 う。しかし資金難で建設が中断してしまった。「建設・発展」の象徴になるはずのものが結局は「残骸・廃墟」として屹立しているわけである。この「物体」に目をつけたのはさすがだと思う。ただ、その「物体」がロケットのように飛び立ってゆくという描き方には正直疑問が残る。監督はその意図を次のように語っている。「この建造物は周囲と調和がとれていません。三峡ダムの建設も同じで、あまりに早い変化は不調和を生み出します。それを異質な描写を用いて表現しました。」意図通りの効果を得られたとは思えない。むしろ同じシュールな映像でも、窓辺で携帯をかけているハン・サンミンを映したキャメラがパンすると部屋の奥で京劇の格好をした3人の男が携帯でゲームをやっているという映像の方が効果的だった。あるいは、ハン・サンミンが廃墟で妻のヤオメイと飴を分け合っていると突如遠くのビルが轟音とともに崩れ落ちるシーン。これらは古き物と新しい物が混在し、解体作業が日常となっている奉節の町をよく表している。あの不思議な「遺物・異物」は最後まで原爆ドームのようにあの場所に佇立しているべきだったと思う。

(3)
  「三峡好人」という中国語の原題はドイツの劇作家ブレヒトの戯曲『セツアンの善人』をもじったものらしい。アメリカ映画「善人サム」(48年、レオ・マッケリー監督、ゲーリー・クーパー主演)のように都合よく話が進むのはまれで、むしろ振り込め詐欺を見れば分かるように、善人の人のよさにつけ込んでその好意を踏みにじって金儲けに走るのが資本主義の世界である。ここでいう善人とは2人の主人公ばかりではなく、すべてを押し流す河の流れのような社会の変化によって翻弄される人々を指すのだろう。しかしそこに込められた皮肉は翻弄される人々にではなく社会に向けられている。「STILL LIFE」(「静物」と「静かな生活」の両方の意味をかけていると思われる)という英語のタイトルとは裏腹に、奉節の町を覆っているのは変化の嵐である。静かな画面とゆったりとした時間の流れの中に時代の大きな変化が描かれている。家を失い漂流する人々。杜甫や李白が描いた漂泊の旅人よりはるかに無慈悲に故郷を追われた漂泊の民。21世紀の長江に流れる哀歌(エレジー)には静寂を破るドリルや槌の音、建物が崩れ落ちる音が容赦なく進入してくる。

  しかしジャ・ジャンクー監督は奉節の人々を単に哀れな人たちとして描きはしなかった。たとえ解体作業であっても仕事はある。仕事があれば人々は集まってくる。もちろん善人ばかりではない。冒頭の船の中で登場する、無理やり手品を見せて金をせびるやくざ者もいる。解体作業中の事故で命を落とす者もいる。まことに善人には生き難い社会だが、それでも人々はしぶとく生き抜いている。「長江哀歌」が優れているのは、社会の大きな矛盾を描いただけではなく、その中でも営々と生活を営む庶民の姿を共感を込めて描いているところにある。ジャ・ジャンクー監督はDVDの付録とは別のインタビューで、「死刑宣告された街」にしがみつくようにして生活している底辺の人々に触れて次のように語っている。「特に、三峡ダムのあの辺は貧しい地区で、あそこの人間は出稼ぎに出ないと生きていけないので、政府もあまりケアしなかった。彼らは雑草みたいに生きていたんですよ。・・・2600年の歴史がある建造物が取り壊されることにみんな感傷的なんだけど、人間の営みのほうにもっと不具合が出てくると思うんです。」

  あえてずぶの素人を俳優として使ったのも、河と共に生きてきた人々の生活感や息遣いを大事にしたかったからだ。「その土地に呼吸をしてきた彼らの表情は、プロの俳優にもなかなか出せませんからね。」未曾有の経済発展の影で、テレビなどで取り上げられることもなく静かに消えてゆく底辺の人々。監督はあえてそういう人々に焦点を当てた。山田洋次監督は70年代初めに、石船の仕事に見切りをつけ故郷を捨てる決意をした家族と、故郷を捨て新しい土地に向う家族を描いた「故郷」「家族」という2本の傑作を作った。「長江哀歌」は21世紀の「故郷」である。人々を押し流す「大きな力」(「故郷」の主人公が言った言葉)は70年代の日本より遥に強大で情け容赦ない。

  世界一の巨大ダム建設という世紀の大事業は人々に何をもたらし、またもたらそうとするのか。ジャ・ジャンクー監督は、開発と破壊は常に表裏一体であるという視点から巨大ダム建設と人々の生活を描いた。その主題をさらに深く理解するにはゲーテの『ファウスト』(新潮文庫)と関連付けてみるといいかも知れない。

己は幾百万の民に土地を拓いてやる。
安全とはいえないが、働いて自由な生活の送れる土地なのだ。
・・・(中略)・・・
そうだ、己はこういう精神にこの身を捧げているのだ。
それは叡智の、最高の結論だが、
「日々に自由と生活とを闘い取らねばならぬ者こそ、
自由と生活とを享(う)くるに値する。」
そしてこの土地ではそんな風に危険に取囲まれて、
子供も大人も老人も、まめやかな歳月を送り迎えるのだ。
己はそういう人の群れを見たい、
己は自由な土地の上に、自由な民とともに生きたい。
そういう瞬間に向って、己は呼びかけたい、
「とまれ、お前はいかにも美しい」と。

  「日々に自由と生活とを闘い取らねばならぬ者こそ、自由と生活とを享くるに値する。」「己は自由な土地の上に、自由な民とともに生きたい。」何度でも引用したいと思わせる感動的な言葉だ。ファウストが生涯の最後に到達した「歓喜の歌」とも言うべき境地。しかし既に失明していたファウストは重大な錯誤に気づいていなかった。彼の周りで聞こえる槌音は壮大な干拓事業を進める音ではなかった。そこに「建設」されていたのは彼自身の墓穴だったのである。

  しかしこの壮大な戯曲は最後にもう一回転する。メフィストフェレスの手から天使たちがファウストの遺骸を奪い天へ運んでゆくのだ。この一大戯曲の結びの言葉は「永遠にして女性的なるもの、われらを牽(ひ)きて昇らしむ」である。

Cuthaikyo07   「長江哀歌」が描いたのは主人公2人の人探しではない。国家の壮大なプロジェクトによって土地と家とそして何よりも故郷を失ってゆく人々の姿である。ハン・サンミンとシェン・ホンのエピソードはその中からピックアップされた二つのケースである。シェン・ホンの夫は一山当てようと奉節に乗り込んで一応の成功を収めた組である。しかし商売に精を出しすぎて妻を失ってしまった。ハン・サンミンの妻は貧しい生活のために彼に金で売られたのだろう。故郷に逃げ帰ってからも兄の借金のかたにまた売られている。その兄も家をなくし船の上で生活している。巨大なダム建設という事業は国家が自らを埋める巨大な墓穴の建設なのか?もちろんジャ・ジャンクー監督はダム建設そのものまでは否定していない。しかし「長江哀歌」が投げかけている問いを突き詰めれば今の中国の経済発展のあり方そのものまで問い直すことに行き着くことになるだろう。

  『ファウスト』では最後に天使が現れファウストを地獄行きから救った。だが現実世界に天使などいない。故郷を追われた人々はどうなるのか?映画は未来について何も提示しない。しかしかすかな暗示はある。シェン・ホンは夫に離婚を突きつけ、毅然として歩み去った。ハン・サンミンは1年かけてでも借金を返して妻を引き取ることを約束した。この2人以外も恐らく同じなのだ。何度大波にさらわれても民衆はしぶとく生き延びて行くだろう。雑草のように。彼らは悠久の河の流れのように、ずっとそうして生きてきたのだから。

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2008年5月10日 (土)

箱畳池散策

 6日の火曜日は連休最後の日だったので近場に出かけることにした。特にお目当ての場所もなかったので地図をあちこち眺めていたときに箱畳池を見つけた。「はこだたみいけ」と読むらしい。どうも池の中に島があるようだ。これは面白い。さっそく行ってみることにする。

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  丸子に向かい147号線にはいる。虎御前というT字路を右折する。佐久方面に行くときはいつもそこを左折していたので、右折するのは初めてだ。しばらく進むと右側に大きな池が見えてきた。なるほど確かに池の中に島がある。島があるくらいだから池全体はかなり大きい。ため池としては最大級クラスだ。池の中の島にいくつも橋が渡してある。

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  連休なので結構人出があった。ほとんどは釣りに来た人たちだ。家族連れも多い。バーベキューをやっている家族もいた。結構魚は釣れている感じだ。チラッと覗いたバケツにフナが何匹も入っている。

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 ため池というよりは公園というべきだろう。ただ、元々はため池だったようだ。池の近くに立っている石碑にはこの池の成り立ちが詳しく書いてあった。残念ながら字が見えにくいので写真は撮らなかったが、半分くらい銘文を読んでみた。内容はだいぶ忘れてしまったが、堰を作ったり水を引くまで相当な苦労をしたようだ。ネットで調べてみたが何も情報はない。あるのは釣り情報ばかり。残念なことに今はそういう関心しかもたれていないようだ。

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 写真を撮りながらゆっくり池を一周してみる。島がかなり大きく、岸からあまり離れていないので写真ではそれが島であることは分かりにくい。空から撮らないとだめだろう。しかしきれいに整備されていていい雰囲気だ。島には水の神である弁天神社もあった。家族や仲間とやってくれば、釣りをしたり、散歩したり、芝生に寝そべって読書したり、バーベキューをしたりして半日ゆっくり過ごせそうだ。僕としては池と橋があるだけでうれしい。

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  池だけではなく近くの草に覆われた山や、遠くの眺めもいい。そうそう、立科はリンゴの産地。道沿いにリンゴの木がずらっと並んでいる。池の近くにもあったので、そばに行って写真を撮った。丁度白い花がきれいに咲いていた。リンゴの花をこれほど間近に見たのは初めてだ。思わぬ収穫。

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 ほとんどが釣りに来ている人たちなので、僕のように釣りに何の関心もなく、ただ写真を撮り散策している人間はかなり異質の存在だった。それでもこの池には強く引かれた。天気のいい週末にでもまた来てのんびり本を読んですごしてみよう。

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2008年5月 6日 (火)

神秘の池

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 今日まで連休だったので久しぶりに写真日記を載せることにします。ガソリン代が上がったこともあり、連休中はあまり出かけないことにして庭の手入れに時間を割きました。ブログを初めて以来庭は荒れ放題だったのです。プランターに新しい花を活け替えました。何とか連休中に玄関前アプローチの周囲はきれいになりました。家の横と裏はさながらタンポポ畑ですが。

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  さて、今日は連休最後の日なので箱畳池に行ってきました。その写真は後日載せますが、今回はその後にちょっと立ち寄った小さな池の写真を紹介します。長野県工科短大横の較差点を生島足島神社の大鳥居の方に降りてゆく途中にある池です。大鳥居の手前右側にもう一つ鳥居があるのですが、丁度その向かい側になります。

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  最初に見つけたのはもう10年以上前になります。近くを散歩していてたまたま見つけたのです。道より少し高いところにあるので、車で走っていたのでは気づきません。もう何年も行ってなかったので写真を撮っておきたかった。

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  荒れているかと心配していましたが、木が生長したせいか素晴らしい公園になっていました。パーゴラがあるところもいいのですが、何といっても素晴らしいのはその横にある小さな池。行ってびっくりしました。木立に囲まれてまるで神秘の池のようでした。以前来たときはここまで美しくはなかった。

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 いつの間にか「シークレット・ガーデン」という言葉がぴったりの場所になっていました。上田リサーチパークのはずれにある小さなスペースに過ぎないのですが、まるでそこだけ別世界のようです。人跡もまばらな山奥にある知られざる池といった趣。「ここだけは誰にも教えたくなかった」と言いつつしっかり教えている記事がよく雑誌にありますが、僕にとってここはまさにそういう場所です。

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2008年5月 5日 (月)

「長江哀歌」を観ました

Deepblue023  念願の「長江哀歌」をやっと観た。これを観ずして07年に公開された映画のベストテンはつけられないと思っていた。しかし、まだまだ観ていない映画がたくさんある。中国映画だけでも「雲南の少女ルオマの初恋」、「呉清源 極みの棋譜」、「中国の植物学者の娘たち」(カナダ・フランス製作の映画だが中国映画に加えていいだろう)とまだ3本も残っている。他にも「アフター・ウェディング」、「サラエボの花」、「シッコ」、「ヒロシマナガサキ」、「ペルセポリス」、「迷子の警察音楽隊」、「ミリキタニの猫」、「モン族の少女パオの物語」等々。観たい映画がまだこれだけあるようではベストテンを作れるのは早くても6月末になりそうだ。

 最初に観たジャ・ジャンクー監督作品は「プラットホーム」。2003年9月に観た。正直言ってこの作品の印象はあまり良くなかった。「映画日記」には当時の感想が次のように書いてある。「期待して観たのだが、長くて退屈な映画だった。芸術を気取る監督によくある、これと言ったストーリーもなく、連続性のない細切れ的な映像を少ない科白でつなぐというタイプの映画だ。」ただ、一定の魅力もあることは認めている。「文革後の短い開放的な時代に生きた青年たちの淡い恋愛、目的もなくただその日が過ぎて行くだけのような生き方、そういう時代の雰囲気が多少なりとも伝わってくる。・・・人物たち以上に引き付けるものは、どさ回りをしながら通過する土地の風景である。煉瓦造りの崩れかけたような貧しい家々、何もないだだっ広い平原、広大な低地にかかる橋の上を走り抜ける汽車。上海や北京のような大都市とは掛け離れた田舎の生活と風景がもう一つの主人公だと言えるかもしれない。」それでもあまり感心しなかったのは、作る側の独りよがりが目立つ作品だと感じたからだろう。

 今観ればもっと寛容に受け止められるかもしれないが、とにかく当時は「評論家好みの監督」と片付けていた。かといって無視するつもりもなく、2004年の「世界」は観るつもりだったがレンタル店に置いてなかったのでまだ観ていない。98年の「一瞬の夢」はDVDを持っているがこれも未見。結局「長江哀歌」がジャ・ジャンクー作品2度目の体験となった。

 あちこちで評判を聞き、『キネマ旬報』ベストテンで1位に選ばれているだけに「長江哀歌」はぜひとも観たかった。幸い期待は裏切られなかった。淡々と描くスタイルは「プラットホーム」と共通する。だが、農村を回る文化工作隊の青年たちをあえて突き放して描いた「プラットホーム」と違い、「長江哀歌」は全く関係のない2人の主人公を丹念に追ってゆく。「プラットホーム」が文革後の短い開放的な時代を通して時代の変化と流れを描いたとすれば、「長江哀歌」は2人の主人公を通して現在の中国の劇的変化を描いた。三峡の変わりゆく姿と人々の暮らしの変化を通して、古いものを壊して遮二無二近代化を図る中国の現状とそれに対する不安と疑問が浮かび上がってくる。それがこの映画の主題である。

 人を訪ね歩く2人の主人公たち。彼らが行く先々で絶えず聞こえてくるのは槌音である。建設ではなく解体の槌音。次々に解体されてゆく建物と町。二人は尋ね人を何とか捜し当てるが、ハッピーエンドは待っていない。一組の夫婦の絆はもはや修復できないところまで来ていた。もう一組の夫婦もかろうじて関係がつながってはいるが、先がどうなるか分からない。人間の絆も町も壊されてゆく。社会の変化に押し流され、ただ彷徨うばかりの人間たち。それがダムに沈む町とシンクロするように描かれている。瓦礫の山ばかり目立つ奉節の町。解体される場面は多いが建設の場面はほとんどない。その象徴がドミノを重ねたような不思議な建物だ。DVD所収の監督インタビューによると、この建物は去ってゆく人を祈念する建物になるはずだったという。しかし資金難で建設が中断してしまった。「建設」の象徴になるはずのものが結果的に「廃墟」として屹立している。ライトアップされて幻想的に夜の川の上に浮かびあがる橋も描かれるが、それは三峡の明るい未来を示すものとして描かれてはいない。

 中国はどこに向っているのか。淡々とした映像の向こうに見えるのはどんな明日なのだろうか。

「長江哀歌」レビュー

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2008年5月 3日 (土)

先月観た映画(08年4月)

「子供たちの王様」(チェン・カイコー監督、中国)★★★★★
「パンズ・ラビリンス」(ギレルモ・デル・トロ監督、スペイン・他)★★★★★
「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(オリヴィエ・ダアン監督)★★★★☆
「アスファルト・ジャングル」(50、ジョン・ヒューストン監督、米)★★★★
「サッド・ヴァケイション」(青山真治監督、日本)★★★☆
「フライトプラン」(ロベルト・シュヴェンケ監督、米)★★★☆
「デビルズ・バックボーン」(ギレルモ・デル・トロ監督、スペイン)★★★☆
「魔笛」(ケネス・ブラナー監督、イギリス)★★★
「パーフェクト・ストレンジャー」(ジェームズ・フォーリー監督、米) ★★☆

 4月は忙しかった。映画の鑑賞数もぐっと減ってしまった。「子供たちの王様」「パンズ・ラビリンス」「エディット・ピアフ 愛の讃歌」についてはそれぞれのレビューを参照してください。「子供たちの王様」は映画の会で鑑賞。個人的には3度目の鑑賞でした。
 「アスファルト・ジャングル」を最初に観たのは73年11月。実に35年ぶりの鑑賞。当時個人的につけていた「月間ベストテン」の2位に選んだ作品。本館HPに当時の「月間ベストテン」(つけていたのは1972年9月から1974年12月まで)リストを掲載した時に、名前の挙がっていた作品を廉価版DVDでいくつか購入したのです。その中から選んでみたのがこの映画。レビューを書こうと思いつつ未だ手がつけられずにいます。

「アスファルト・ジャングル」
Sky_window  ストーリーの展開はジュールス・ダッシンの「男の争い」やジャン=ピエール・メルヴィルの「仁義」に似ている。強盗には成功するが、結局最後はみんな捕まるか殺される。「男の争い」や「仁義」には劣るものの、映画の出来としてはなかなかのものだ。
 この映画をフィルム・ノワールに入れるかどうかは人によるが(フィルム・ノワールの定義自体が未だに未確定のままだ)、犯罪というものに対する考え方に関していくつか示唆に富むせりふがある。悪徳弁護士のエマリックが、犯罪者が怖いという妻に言った言葉。「彼らも別に変わった人間ではない。犯罪とは人間の努力の裏面に過ぎない(left-handed form of human endeavor)。」犯罪は人間の本性の一面である。人間の行動の明と暗は切り離しがたく結びついており、しばしば境界があやふやになると言いたげだ。
 ラスト近くで警察のコミッショナーが記者のインタビューに答えている言葉もこれに呼応している。腐敗した警官は100人に1人だ。99人は日夜町を守っている。「よくもわるくも警察がいなければどうなる。戦いは終り、ジャングルが勝ち、猛獣のみが横行し始める。」善と悪は互いにせめぎ合っており、善(警察を指している)の側が戦いをやめればたちまち悪がのさばると。映画は出所したばかりのドックがノミ屋のコビーに50万ドルのもうけ仕事を持ちかけるところから始まる。はじめから悪は悪として登場する。当然の前提として描かれ何の疑問も差し挟まれない。強盗団が壊滅するのは水も漏らさぬ計画に偶然の要素が入り込んできたからだ。ドック「何時間もかけて細部まで計算しつくした。それがだ、警報装置が理由もなく鳴り始め、暴発した弾がルイに命中、能無しパトロールまで私のバッグに目を付けた。こんな偶然には打つ手がない。」
 昨今の暗い事件の報道を見れば、犯罪が人間の性に深く食い込んだ抜きがたい要素であることは簡単に否定できない。警察のコミッショナーの宣言にもかかわらず、警察までもが腐敗していると聞いて今更驚くものはいないだろう。しかし単に犯罪を人間の性だというだけでは単純すぎる。なぜ犯罪が生まれるのかをどこまで深く追求しているかが問われねばならない。
 その点で面白いのがディックス(スターリング・ヘイドン)という人物である。コミッショナーは彼こそが一番のワルだと記者会見で断言したが、人間的陰影が一番描かれているのはディックスなのである。彼の先祖はアメリカに初めてサラブレッドを輸入した人物である。大きな牧場を持っていたが全部失った。それ以来強盗で金を稼いではレースにつぎ込んでいるという落ちぶれ男。彼は手に入れた金で故郷の牧場を買い戻そうと思っていた。ラストで瀕死のディックスは故郷の牧場にたどり着く。そのまま牧場で倒れ、仰向けに横たわる。虚しさが後を引くラストだ。
 ただこれとて深い人間監察というわけではない。単純化を防ぐちょっとした工夫というに留まる。スターリング・ヘイドンも今観ると大根だ。エマリックを演じたルイス・カルハーンやドック役のサム・ジャッフェには及ばない。エマリックとドックの人物像をもっと掘り下げ、ディックスにもっとうまい役者を当てていれば文句なしの傑作になっていただろう。

「サッド・ヴァケイション」
 キネ旬のベストテンで4位にはいった作品だが、僕はこの手の作品は評価しない。いわゆる評論家連中が誉めそやすタイプの映画だ。浅野忠信、オダギリジョー、宮崎あおい、石田えり、中村嘉葎雄、板谷由夏と豪華な顔ぶれ。間宮運送という小さな運送会社がストーリーの中心にあり、その会社の社長である間宮(中村嘉葎雄)はいろんな傷を持った人々を受け入れる心の広い人物として描かれている。しかし話の展開はそれぞれの心の傷に焦点を当てる。
 一見温かみのある小さなコミュニティの裏側にはひりひりする心の傷や満たされない思いが充満しているという描き方。それはそれでいいのだが、どうも人間描写が薄っぺらなのだ。冒頭に出てくる中国からの密航者のエピソードがその典型で、単なる背景として描かれるだけである。せっかくオダギリジョーを起用しながら全く彼の存在は活かされていない。一癖ある流れ者たちの吹き溜まりという設定なのだが、それぞれの人物像の掘り下げが浅すぎる。
 この種の映画は結局社会と人間の関係を掘り下げない。社会は単なる背景に遠のき、つまるところ人間個人の感情や情念を描くに留まる。人間の内面を掘り下げることが重要だという考えなのだろうが、その際に安易に人間の社会性を切り離してしまう。だから薄っぺらな映画が出来上がる。これは先進国の映画にほぼ共通した傾向で、上滑りした中空で遊んでいるだけである。アフリカを舞台にした映画やイラン映画、あるいはボスニア紛争を描いた映画などに比べると、どうしても底の浅さが露呈してしまう。主人公である浅野忠信の心の迷いを描く執拗さには異様な迫力があるのだが、どこかやくざな視点が入り込んでいて(時々浅野忠信の顔が白竜そっくりになる)空回りしてしまう。そのあたりが残念だ。

「デビルズ・バックボーン」
 「パンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロ作品だということで観た映画。「パンズ・ラビリンス」と同じスペイン内戦時代を描いているというので多少の期待をしていたが、残念ながらスペイン内戦はほとんど関係ない。舞台はある孤児院をほとんど出ない。だからどこであってもいつの時代であってもいいようなものだ。作品としては純粋なホラーというよりはホラー・サスペンスといったところか。人間の怨念やゾンビのようなものが出てこないことには好感を持ったが、サスペンスとしてはありきたり。謎めいた孤児院の雰囲気はよく出来ていて、リンボの水に浸けられた「悪魔の背骨」を持った赤ん坊の死骸も不気味だ。

「魔笛」
 ケネス・ブラナー監督作品なので借りてみたが、正直がっかりした。第一回東京国際映画祭で観たフランチェスコ・ロージの「カルメン」同様本格的なオペラで、初めから終りまで朗々たる歌を聞かされたのではもううんざりである。どうも僕にはオペラは合わない。せりふを全部歌で言うというのはどうしても違和感がある。まだるっこくて仕方がない。古いミュージカル映画が好きでないのも同じ理由だ。
Haikyotohana  ただ、冒頭の導入部分、演奏がなり続ける中、大平原に幾筋もの塹壕が掘られている光景をキャメラが映し出すシーンには迫力があった。複葉機が空を飛びまわるシーンも恐らくCGだろうがなかなかリアルだった。あるいは中ほどで、巨大な墓地が映し出されるシーンも圧巻だった。演説するザラストロの姿からキャメラが引いて行くと、画面手前に墓標が延々と続いている。さらに引くと全く緑のない荒れ果てた茶色の台地が続く。むき出しの土と枯れ木しかない。これらのシーンは見せるのだが、どうも間延びした演出で面白みに欠ける。

 テレビで鑑賞した「フライトプラン」はサスペンス映画としては水準程度の出来か。「パーフェクト・ストレンジャー」にいたってはもうすっかり内容を忘れている。あらすじを読んでも思い出せない。その程度の作品だということだろう。

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