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2007年2月4日 - 2007年2月10日

2007年2月10日 (土)

久々の休日

Coffe2  朝起きてすぐ珈琲を淹れ、ゆっくりと新聞を読みながら飲む。BGMはAKIKOの「シンプリー・ブルー」。最近どんどん出てくる日本のジャズ・ミュージシャンの中でも特に気に入っている1人。ピアノの木住野佳子とアキコ・グレース、サックスの矢野沙織、ヴォーカルのケイコ・リーとAKIKO。このあたりは本当にいい(今気がついたが、全員女性だ)。珈琲を飲みながらゆったりと音楽を聴く。至福の時間。こんな当たり前の時間がずいぶんと久しぶりに思える。

 外で昼食をとった後、ブックオフに行ってDVDとCDを売る。売るといっても、気に入らなかったものはわずかで、ほとんどは既に持っているのに二重買いしたもの。半年もたつとCDとDVDをあわせて軽く10枚を越える。情けない。今回もCDとDVDをあわせて14枚ほど持っていったが、全部でたったの3千数百円。安いと思ったが仕方がない。査定の間にいくつかほしいものを見つけたが買わなかった。持っていないかどうかよく確かめてから買わないとね。記憶力も衰えてきているが、持っている物の数が膨大なのでとても全部は覚え切れない。また失敗しないよう慎重にしないと。

 街中に行く。「電気館」に行くと、何と「それでもボクはやってない」と「紙屋悦子の青春」が今月中旬から上映予定とある。うれしい。やっと観れる。あんまりうれしかったので、「リトル・ミス・サンシャイン」の上映時間を確かめるのを忘れた。今年はまだ映画館で映画を観ていない。明日「リトル・ミス・サンシャイン」を観に行くつもりだが、これが今年最初に映画館で観る映画になる。最近日本映画のレベルが上がってきたので、映画館で日本映画を観る機会が増えてきている。チラシもいいのが手に入った。ほくほく。 天気がよかったのでその後ドライブに行った。サンラインに入り、また初めてのわき道をあちこち走ってみた。道々ずっと平原綾香の「ODYSSEY」のMDをかけていた。素晴らしいアルバムだ。聞くほどにほれ込む。彼女の低音が心地よい。

 夕方「ジャーヘッド」を観る。思っていた以上にいい映画だった。特に最後の30分くらいがいい。昨日観た「雪に願うこと」も素晴らしい映画だった。地味だが力強い。このような作品を作れるようになったことは日本映画の実力がもはや世界でもトップクラスになったことを示している。相変わらずしょうもない作品をたくさん作ってはいるが、少なくともトップテンに入る作品のレベルは世界のトップクラスに比べても見劣りしないところまで来た。蔦屋書店でDVDを返却。「グエムル」がもう1週間レンタルになっていた。「トランスアメリカ」を借りる。「グエムル」のレビューが延び延びになっていたが、今日と明日で何とか書き上げよう。

 「グエムル 漢江の怪物」★★★★☆
 「雪に願うこと」★★★★☆
 「ジャーヘッド」★★★★

2007年2月 8日 (木)

DVDを出してほしい映画 その2

  昨年は旧作のDVD化がかなり進んだ。しかしこんなものまで出ているのかと驚く一方で、どうしてこれが出ていないのかと不思議に思うものもまだまだ多い。アンジェイ・ワイダやフランチェスコ・ロージ、ケン・ローチなどはほとんど出ていないし、国別に見てもイタリア映画の古典的名作は意外なほど出ていない。名作ひしめく中国やソ連の古典もまだまだ残っている。ポーランドをはじめとする東欧映画もすっぽり抜けている感じ。
  前回の「DVDを出してほしい映画」は2005年の7月(ブログは9月に掲載)に書いたのだが、そのうちDVD化されたのはまだ一桁だ。アメリカのB級映画は山ほどDVDになるのに、社会派の作品はなかなか光が当たらない。この偏った傾向はなかなか改まらない。ただこのところ旧作のDVD化には拍車がかかっているので、今後の展開を期待しながら見守りたい。
  今回は数が多いのでコメントをつけず、タイトルと監督名のみを挙げる。

「SUPER8」(2001) エミール・クストリッツァ監督  祝!発売
「ブレッド&ローズ」(2000)  ケン・ローチ監督  祝!発売
「マイ・ネーム・イズ・ジョー」(1998)  ケン・ローチ監督  祝!発売Snow_01
「カルラの歌」(1996)  ケン・ローチ監督
「真実の囁き」(1996) ジョン・セイルズ監督
「明日を夢見て」(1995)  ジュゼッペ・トルナトーレ監督  祝!発売
「アントニアの食卓」(1995) マルレーン・ゴリス監督
「大地と自由」(1995)  ケン・ローチ監督
「黒豹のバラード」(1994) マリオ・バン・ピープルズ監督
「フィオナの海」(1994)  ジョン・セイルズ監督
「レディバード・レディバード」(1994)  ケン・ローチ監督
「レイニング・ストーンズ」(1993)  ケン・ローチ監督
「ウルガ」(1991) ニキータ・ミハルコフ監督
「コルチャック先生」(1991) アンジェイ・ワイダ監督
「乳泉村の子」(1991) シェ・チン監督
「リフ・ラフ」(1991) ケン・ローチ監督
「恐怖分子」(1990) エドワード・ヤン監督
「森の中の淑女たち」(1990) グロリア・デマーズ監督
「トーチソング・トリロジー」(1988)ポール・ボガート監督  祝!発売
「戦場の小さな天使たち」(1987) ジョン・ブーアマン
「旅人は休まない」(1987) イ・チャンホ監督
「翌日戦争が始まった」(1987) ユーリー・カラ監督
「予告された殺人の記録」(1987) フランチェスコ・ロージ監督
「北京物語」(1987) チェン・トンティエン監督
「スイート・スイート・ヴィレッジ」(1985) イジー・メンツェル監督  祝!発売
「ディープ・ブルー・ナイト」(1985) ペ・チャンホ監督
「野山」(1985) ヤン・シュエシュー監督
「鯨とりコレサニヤン」(1984)  ペ・チャンホ監督  祝!発売
「スペシャリスト」(1984)  パトリス・ルコント監督
「追憶のオリアナ」(1984) フィナ・トレス監督
「敵」(1984) ユルマズ・ギュネイ監督
「愛しのエレーヌ」(1983) パトリス・ルコント監督
「白い町で」(1983) アラン・タネール監督
「ハッカリの季節」(1983) エルデン・キラル監督
「黄昏の恋」(1982) ホセ・ルイス・ガルシ監督
「川の流れに草は青々」(1982)  ホウ・シャオシェン監督  祝!発売
「鉄の男」(1981) アンジェイ・ワイダ監督
「メフィスト」(1981) イシュトヴァン・サボー監督
「夢見るシングルズ」(1981)  パトリス・ルコント監督
「恋の邪魔者」(1980)  パトリス・ルコント監督
「光年のかなた」(1980) アラン・タネール監督
「獄中のギュネイ」(1979) ハンス・シュテルペル、マルティン・リプケンス監督
「レ・ブロンゼ/スキーに行く」(1979)  パトリス・ルコント監督
「レ・ブロンゼ/日焼けした連中」(1978)  パトリス・ルコント監督
「群れ」(1978) ユルマズ・ギュネイ監督
「大理石の男」(1977) アンジェイ・ワイダ監督
「ジョナスは2000年に25才になる」(1976) アラン・タネール監督
「追想」(1975) ロベール・アンリコ監督
「ナッシュビル」(1975)  ロバート・アルトマン監督  祝!発売
「ルカじいさんと苗木」(1973) レゾ・チヘイーゼ監督
「黒い砂漠」(1972)フランチェスコ・ロージ監督
「エレジー」(1971) ユルマズ・ギュネイ監督
「帰郷」(1971) ウラジミール・ナウモフ、アレクサンドル・アロフ監督
「トロイアの女」(1971) マイケル・カコヤニス監督
「道中の点検」(1971) アレクセイ・ゲルマン監督  祝!発売
「希望」(1970) ユルマズ・ギュネイ監督
「湖畔にて」(1970) セルゲイ・ゲラーシモフ監督
「サラマンドル」(1970) アラン・タネール監督
「激しい季節」(1969) バレリオ・ズルリーニ監督
「国境は燃えている」(1965) バレリオ・ズルリーニ監督
「シャイアン」(1964)  ジョン・フォード監督
「都会を動かす手」(1963)フランチェスコ・ロージ監督
「家族日誌」(1962) バレリオ・ズルリーニ監督
「シシリーの黒い霧」(1962)  フランチェスコ・ロージ監督  祝!発売
「小犬を連れた貴婦人」(1960) イォシフ・ヘイフィッツ監督
「日曜はダメよ」(1960)  ジュールス・ダッシン監督  祝!発売
「ワーロック」(1959) エドワード・ドミトリク監督  祝!発売
「宿命」(1957) ジュールス・ダッシン監督
「リラの門」(1957)  ルネ・クレール監督  祝!発売
「屋根」(1957) ヴィットリオ・デ・シーカ監督
「影」(1956) イエジー・カワレロウィッチ監督  祝!発売
「地下水道」(1956) アンジェイ・ワイダ監督
「パンと恋と夢」(1953)ルイジ・コメンチーニ  祝!発売
「オーソン・ウェルズのオセロ」(1952) オーソン・ウェルズ監督
「ウンベルトD」(1951) ヴィットリオ・デ・シーカ監督  祝!発売
「文化果つるところ」(1951) キャロル・リード監督
「ミラノの奇跡」(1951)ヴィットリオ・デ・シーカ監督  祝!発売
「忘れられた人々」(1950) ルイス・ブニュエル監督  祝!発売
「荒野の抱擁」(1947)ジョゼッペ・デ・サンティス
「邪魔者は殺せ」(1947) キャロル・リード監督  祝!発売
「平和に生きる」(1946) ルイジ・ザンパ監督
「深夜の銃声(ミルドレッド・ピアース)」(1945) マイケル・カーティス監督
「飾り窓の女」(1944) フリッツ・ラング監督  祝!発売
「男の敵」(1935) ジョン・フォ-ド監督
「地の果てを行く」(1935)  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  祝!発売
「巴里祭」(1933) ルネ・クレール監督  祝!発売
「モンパルナスの夜」(1933) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督

2007年2月 6日 (火)

『キネマ旬報』ベスト・テン号発売

 やっと「恋人たちの食卓」のレビューを書き終えた。映画を観てから10日もたっていた。Cftyw009_1 これ以上日がたてば記憶が褪せてしまって書けなくなってしまう。ぎりぎりだった。そのせいか比較的短いレビューになってしまった。集中して書ける日が少なくとも二日はないと満足がいくものは書けない気がする。このところ忙しすぎて充分時間が取れなかったのが残念だ。

 三日前に待望の「グエムル 漢江の怪物」を観た。期待にたがわぬ傑作。次はこのレビューを書く予定。それから今借りているDVDが「雪に願うこと」と「ジャーヘッド」。特に「雪に願うこと」は期待できそうだ。

 忙しい忙しいといいながら結構記事を更新しているじゃないかとよく言われる。しかし、レビューが書けないときの埋め草に使っている短い日記などは時間もかからず簡単に書ける。もう少しまとまった記事、たとえば「これから観たい&おすすめ映画・DVD」シリーズや「ゴブリンのこれがおすすめ」シリーズ、最近始めた「あの頃こんな映画があった」シリーズ、あるいは「Golden Tomato Awards」の記事なども大して書くのに苦労しない。調べるのに時間は多少かかるが、頭を使わないのでレビューを書くよりはるかに楽なのである。レビューの場合はそうは行かない。ぐっと気を引き締め作品世界に入り込み、気力を高め集中しないととても書けるものではない。だから疲れて帰ってきた日はレビューを書く気になれない。代わりに何か書こうと思って、アリバイ的に上記のような記事を書こうと思い立ったら、短ければ一時間以内、長くても3、4時間後にはもう書きあがっている。去年入院したのも、意地になってレビューにこだわり続けたからだろう。書いている最中はハイになっているから時間を忘れてしまう。睡眠時間を削って書いていたわけだ。今年は無理せず、埋め草記事を大量に書いてごまかしている。本格的レビューを書けないと不満がたまる。しかし忙しい時期もいつかは終わる。時間があるときに書けばいい。そういう「ゆったりスタイル」で今年は行きたい。

  さて、昨日『キネマ旬報』のベスト・テン号が発売された。毎年2月5日のベストテン号だけは欠かさず買っている。『キネ旬』は1点でも票が入った作品はすべて掲載されているので、年間の主要作品リストとして有用だからである。今年のベスト・テンを見ていて面白かったのは日本映画。リストに挙がっている内で観たのは7本だけだが、そのうちの6本はベスト・テン入りしている。もれた1本、「THE有頂天ホテル」も充分ベスト・テン入りの資格がある映画である。これほど効率よく日本映画を観た年はない。良さそうだと思っていた作品は皆上位に来ている。自分の選択眼の確かさを誇りたいところだが、作品の出来不出来がはっきりしているということかも知れない。そうだとすればまだまだ日本映画の本格的充実は先のことである。注目していたドキュメンタリー映画も「文化映画ベスト・テン」にかなり入っていた。この部門をなくさずに維持してきたことは立派だ。

  外国映画のベスト・テンを見ると一転して気が重くなる。昨年公開の外国映画は40本くらい観ているのにまだまだ観ていない作品の方が圧倒的に多い。全部は観る必用はないにしても、観たいと思うものを拾ってみると50本は下らない。ほぼ観終えるまでまだ半年はかかるだろう。

  今年の特徴はアメリカ映画の復活、健闘である。ベスト・テンのうちの7本を占める。クリント・イーストウッドの2作が1位と2位を占めているのも驚きだ。僕のベスト・テンは最終的にはかなり違うものになりそうだが、いずれにしてもアメリカ映画に力作が多かったことは確かだ。韓国映画も相変わらず上位に何本も送り込んでいる。今年はイギリス映画も健闘している。この三つで上位30位までのほとんどを占める。ヨーロッパ勢はいまひとつ勢いがなかった。一方「スパングリッシュ」や「Vフォー・ヴェンデッタ」が選外になったのは疑問である。特に「スパングリッシュ」は上位に入れてもおかしくない優れた映画である。ドキュメンタリー映画「スティーヴィー」は未公開扱いなのだろうか。「外国映画ベスト・テン」にも「文化映画ベスト・テン」にも入っていない。傑作なのに惜しいことだ。

 最後に、ベスト・テンとは関係ないが、『キネ旬』をぱらぱらめくっていたらドイツ古典映画を中心にDVDを出している「クリティカル・エディション」シリーズの宣伝チラシが目に入った。これまでフリッツ・ラングの「ニーベルンゲン」や「メトロポリス」、F.W.ムルナウの「サンライズ」、G.W.パプストの「パンドラの箱」、さらにはデンマークの巨匠カール・ドライヤーの「裁かるるジャンヌ」等がこのシリーズから出ている。いずれも5000円台から8000円台までと高価だが、映画史上貴重な名画ばかりなのでおすすめのシリーズである。3月24日にはフリッツ・ラングの「ドクトル・マブゼ」が出る。2枚組みで8190円。ビデオは持っているがDVDもほしい。しかしこの値段。半額程度になるまで2年でも3年でも気長に待つ覚悟はあるが、この手の「物件」は値段が下がるよりも上がる可能性が高い。中古買いはタイミングが難しい。

2007年2月 5日 (月)

恋人たちの食卓

1994年 台湾 1995年6月公開
評価:★★★★☆
監督:アン・リー
製作:シュー・リーコン
脚本:アン・リー 、ジェームズ・シェイマス、ウォン・フイリン
撮影:ジョン・リン
音楽:メイダー  
出演:ラン・シャン、ヤン・クイメイ、ワン・ユーウェン、ウー・チェンリン
    シルヴィア・チャン、ウィンストン・チャオ、チェン・チャオロン
    ルー・チンチョン、チェン・チエウェン、グァ・アーレイ

 「胡同のひまわり」「推手」もそうだが、アジア映画には親子や家族の情愛を描いた秀Photo_41 作が多い。韓国映画「グエムル 漢江の怪物」もやはり親子の強い絆を描いた映画だった。韓国映画は感情表現が派手だし、日本のドラマは概してべたべたしすぎるが、中国や台湾の映画はむしろあっさりしている。落ち着いた悠揚迫らぬ作品なのだが、それでいて深い愛情を感じさせる。実に味わい深い作品である。「推手」に続いて観たアン・リー監督「老父3部作」の3作目「恋人たちの食卓」も料理を通して父と娘たちを描いた秀作である。

 「推手」は冒頭で老人が1人黙々と太極拳をしている場面で始まった。音のない不思議な空間と感覚が観客を引き付け、同時にその家におけるコミュニケーションの不在という主題をさりげなく提示していた。見事な導入部分だった。「恋人たちの食卓」の導入部分もそれに劣らない。「推手」と同じ朱という名前の老人が台所で料理を作っている。その手さばきの見事さには和食の伝統を持つ日本人の目で見ても驚嘆せざるを得ない。ものすごい勢いで料理を作っている。次々に多彩な材料に包丁を入れ、手でむしりとり、なべに放り込む。あっという間に仕上げてゆくが充分な下ごしらえをしていることは説明などなくても分かる。鮮やかな手つきと次々に出来上がってゆく料理の見事さに思わず身を乗り出しそうになる。

  妻を早く亡くした朱老人は日曜日ごとに3人の娘たちと食事を共にすることを習慣にしていた。しかしあれだけうまそうな料理に娘たちはほとんど手を出さない。次女などは味に文句をつけている。朱老人は一流ホテルで働いていた名シェフだったが、実は最近味覚が衰えていることを自覚していた。入念に作られてはいるがやや味が落ちた料理と、ほとんど料理に手を出さず会話も弾まない食卓。「推手」同様、親子の関係がきしみだしていることが冒頭のエピソードから見て取れる。

  シチュエーションは違うが、主題は「推手」と同じといってもよい。親と子の関係。ただ、「推手」では既に息子は家庭を持っていた。親と息子家族の同居から、親が家を出て微妙なバランスを保つという経過をたどった「推手」に対して、「恋人たちの食卓」では3人の娘たちの結婚、独立が遠からぬ先に控えている時期に焦点を合わせている。娘たちの結婚はいずれ来るべきものであり喜ぶべきだが、残される親はさびしいものだ。このテーマはまさに小津安二郎が何度も描いてきたテーマである。日常のなんでもないことをテーマにしながら、それでいてありきたりの話に終わらず優れた作品に仕上げる。滅多に起こらない劇的な出来事を描くのではない。淡々と日常を描きながらそこに永続的な感銘を残すドラマを作り出す。

  これが実は難しい。ファミリー・ドラマを得意とするアメリカ映画でもこれを成し遂げた作 Scene1 品はほとんどない。ヨーロッパの作品で僕が唯一小津の世界を感じたのはベルトラン・タベルニエ監督の「田舎の日曜日」だけだ。日本でも家族の日常を描くことを通して人間的感情をそくそくと描きえた作品は意外に少ない。興味深いことに小津の伝統を踏まえ、かつ作品的に優れたものを生んだのは台湾だった。日本に親近感を抱く人が多い国だ。家族のありようもかつての日本に近いのかもしれない。しかし台湾人の監督でもすべての試みが成功しているわけではない。アン・リー同様小津を尊敬するホウ・シャオシェン監督が日本で撮った「珈琲時光」は悪くはなかったが、小津とは別の世界だった。「ウェディング・バンケット」は未見だが、現在のところ初期のアン・リーこそがもっとも正統な小津の後継者だという気がする。

  ただし、あまりに小津に引き付けすぎて作品を観ない方がいいだろう。時代も国も違うのだ。文化や習慣や考え方も同じではない。親と子の関係もずっとドライだ。「恋人たちの食卓」は朱老人(ラン・シャン)を主人公にしながらも、3人の娘たちの悩みや考えも十分描きこんでいる。総計4人の主要登場人物それぞれに一定のスペースを割きつつ(しかも3人の娘たちにはそれぞれ恋人がいる)、細切れにならず焦点もボケていない。練り上げた脚本の見事さと演出のよどみなさをまず賞賛したい。

  小津映画の父親は平凡なサラリーマンが多い。しかしアン・リーの3部作の父親たちはそれぞれに突出した特技を持っている。アン・リー監督自身が「父親は何でも知っている三部作」と言っている通りである。父親の性格付けもその特技と深く関連付けて描かれている。「恋人たちの食卓」の場合は言うまでもなく料理である。父親がもっとも心を割って話せるのは料理を理解している人たちである。その1人は長年の同僚だったウェンである。朱老人は元「グランドホテル」の総料理長で今は引退しているが、時々人手が足りない時に駆りだされる。ウェンは現在の料理長。

  朱老人に率直な意見をいってくれるのはウェンだけである。「強がり言っても分かるさ。人生思い通りには行かない。あんたは亀みたいに押しつぶされている。」亀のたとえが日本人の発想にないだけに愉快だ。背中に子亀を3匹乗せているイメージか。長女のチアジェン(ヤン・クイメイ)は30歳を越えているのに全く男っ気がない。「一生あんたにくっついていそうだ。」次女のチアチェン(ウー・チェンリン)は航空会社に勤めるキャリア・ウーマンで、3人の中では一番独立心が強く気も強い。ウェンのコメントが面白い。「あの子は石から生まれたみたいだ。だがあの性格はまったくの親譲りだろう。頑固と気ままは母親からだ。気取り屋と好き嫌いの激しさは父親からだ。」  

  3人の娘の中で最も重要な役割を果たしているのはこの次女である。「親譲り」の例え通り、次女のチアチェンは料理の優れた腕を親から譲り受けている。食卓で父親の味覚が衰えていると率直に指摘したのは彼女だ。長女として父親の世話をしなければいけないと常日頃話しているチアジェンに対して、次女のチアチェンは早く家を出たいといつも言っている。3女のチアニン(ワン・ユーウェン)は父親の手の込んだ料理への反発からかマクドナルドでアルバイトをしている。この中で料理のことを口にするのは次女だけである。

  料理はこの映画の中で重要な象徴的役割を果たしている。最初のあたりで朱老人が「飲む、食べる、男と女、食と性は人間の欲望だ。一生それに振り回される」と語っている。毎週テーブルを囲んで食事をするように、料理は家族の絆の象徴である。今はその絆が崩れかかっている。その不安は父親の味覚が衰えているという自覚と並行して描かれている。味覚の衰えた朱はホテルのレストランで手伝っている時は友人のウェンの「顔色で味を判断」している。同じように娘たちの顔色を窺いながら家族の絆を判断している。舌が衰えたのと同じ様に、娘たちの様子も見えなくなってきている。長女も3女もいきなり結婚したことを報告して家を出てゆく。父親は呆然として見送るしかない。

  一番家を出たがっていた次女が最後に残る。彼女にも恋人はいる。新しく同僚になった切れ者の男にも気持ちを引かれている。アムステルダムへの転勤の話も出ている。それMidori1 でも彼女は最後に残った。料理の絆があったからである。彼女は恋人にこう語っている。「変ね、昔の思い出は料理のことばかり。昔は父も優しい人だったの。嘘みたいね。レストランの厨房で粉をこねて腕輪や指輪を作ってくれたわ。」しかしやがて女に料理人は無理だと厨房から追い出されてしまう。だから彼女は決して家では料理を作らない。頑固親父と「親譲り」の頑固な娘。言葉では通じ合えないが、二人の間には料理という共通の「絆」があった。

  ラストは父親と次女の2人が食卓を囲んでいるシーンである。料理で始まり料理で終わる。次女のチアチェンは既にアムステルダム行きを決意している。父親と二人で過ごす最後の夜。チアチェンの作ったスープを飲んで父親の味覚が戻った。父は娘の手を握る。「この味は・・・。」娘のスープの味は恐らく母親の味だったのだ。家族といえども共通するものがなければ心は通い合わない。一度だけ壁にかけられた母親の写真が映された。母親は最初から不在だったが、彼女は最初からずっと壁から一家を見つめていたのである。次女とのラストシーンは最も小津らしさを感じさせるシーンであった。僕はこのシーンを観て小津の「晩春」のラストシーンを思い浮かべた。結婚式で娘を送り出した父親が一人家に帰ってくる。彼はリンゴの皮を剥き始める。切れずに長く垂れ下がるリンゴの皮。その皮が突然ぽとりと下に落ちる。父親は手を止めうなだれる。

  「推手」では家族のバランスの取りかた、家族との距離の取りかたの大切さが描かれた。しかし、「恋人たちの食卓」では未婚の娘たちを抱えている以上、いずれは家族がばらばらになって行く運命にある。ラストが小津の「晩春」を思わせるシーンになっているのはそのためである。しかしそこに寂寥感はない。なぜなら「推手」同様、父親も新しい人生に踏み出していたからである。この点は小津作品と大きく異なる。

  小津は日常を描きながら実は人生を描いていた。「恋人たちの食卓」は料理をシンボルとして添えながら、家族がそれぞれに自分の人生を掴み取ってゆく様を描いた。人生という料理の味は朱老人が言ったように一色ではない。「人生は料理のようには行かないもの。材料をそろえて鍋に入れ、そして口に入れれば、甘い、すっぱい、辛いと色々だ。」戸惑いつつ、迷いつつ人は生きてゆく。結婚、離婚、独立、就職、転職、死別、人生にはいくつも転換期がある。人はそれぞれに迷い、考え、道を選んでゆく。人はいつまでも同じところにとどまりはしない。人生の大半は日常的な出来事の繰り返しだが、人は年を取るように少しずつ変わって行く。ジャン・コクトーの「君たちに」という詩がある。「いつかは天までとどくほど 大きくなるような木の幹に 君の名前を彫りたまえ 大理石に彫るよりも そのほうがずっといいのだよ 名前もいっしょにのびるのだ。」

  朱老人の家族は決して大理石の家族ではなかった。老大木のようにあちこち裂け目があり、木肌が剥げ落ちているところやねじれたところもある。切り落とされた枝もある。しかしその幹に刻まれた3人の子供たちの名前は確実に大きくなっていた。木の成長につれてそれぞれの名前は大きくなると同時に離れても行く。もう消えかかっている。いずれごつごつして荒れた木肌と区別が付かなくなってしまうだろう。しかしその時、刻まれた名前は木と一体になるのである。

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