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2007年12月16日 - 2007年12月22日

2007年12月21日 (金)

『路地の匂い 町の音』

谷根千との出会い
Photo_2   谷中・根津・千駄木、いわゆる「谷根千」に関心を持ったのはいつごろだろうか。森まゆみさんたちが地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊したのは1984年10月。まだミニコミ誌という言葉が一般に馴染みのなかった頃だ。僕がまだ東京にいた頃だが、東京にいる間にこのミニコミ誌を意識していたのかはっきりとは覚えていない。たぶん知ったのは90年代に入ってからだろう。1度だけ谷根千界隈を歩いたことがある。その時書店で雑誌『谷中・根津・千駄木』3冊(55号、58号、59号)と『谷中道中案内冊子 谷中すご六』(雑誌と同じサイズ・体裁)を買った。59号が99年10月15日発行なので、恐らく行ったのは99年だと思われる。わざわざ谷根千散策のために東京まで出かけて行ったとも思えないので、正月に帰省するついでに日暮里駅まで行き、谷中あたりを歩き回ったのだろう。

  もう8年前になるのか。谷根千界隈は期待したほど古い町並みが残ってはいなかった。狭い路地が続いてはいたが、建物は普通の住宅が多かった。確かにお寺は多かったが、全体としてそれほど情緒を感じさせる雰囲気ではなかったように記憶している。もちろんごく一部しか歩いていないので、そういう一角を見落としていた可能性は高い。ただ、夕やけだんだんから谷中銀座にかけては老舗の店が立ち並んでいて、独特の雰囲気だった。あのあたりは下町風で気に入った。江戸千代紙の「いせ辰」も良かった。今見ても新鮮なデザインが多く、大判の千代紙を額縁に入れて絵画のように壁に飾る人の気持ちも理解できる。下手な絵よりよほど素晴らしいインテリアになる。江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」にD坂として登場する団子坂にも行ってみた。思ったほどの急坂ではなかった。ここも普通の坂道だが、鴎外記念図書館などが途中にあって興味深かった。ただ有名な喫茶店「乱歩」にはややがっかり。アンティークなどが置いてあり、今はほとんどなくなってしまった昔懐かしいタイプの喫茶店ではある。しかし特に江戸川乱歩を感じさせるわけでもなし、ただ薄暗いだけじゃないか。そんな印象だった。他にも見て回りたいところはあったが時間がなくて回れなかった。根津神社や大名時計博物館には行ってみたかった。

お気に入り作家 森まゆみさん
  前ふりが長くなってしまった。『谷根千』の編集者の1人森まゆみさんの『路地の匂い 町の音』(旬報社)を昨日読み終わった。谷根千を知った頃から森さんにも興味を持ったと思う。読書ノートで調べてみたら、最初に買った彼女の本は『不思議の町根津』(ちくま文庫)で、98年2月8日に購入、99年10月23日に読了している。次に買ったのが『谷中スケッチブック』(ちくま文庫)。99年11月13日に購入し、99年12月22日読了。なるほど時期は合う。『谷中スケッチブック』を読んで、実際に行ってみたくなったのだろう。面白いことに読書ノートを見ていたら、ほぼ同じ時期になぎら健壱の『下町小僧』、『東京の江戸を遊ぶ』、『ぼくらは下町探検隊』など(いずれもちくま文庫)を読み漁っていた。他にも川本三郎など、東京のあちこちを歩き回った人たちの本も集中的に読んでいる。TV番組の「出没!アド街ック天国」にも夢中だった時期だ。東京から上田に来て10年ほどたったいた頃だが、やはり東京は離れていても気になる街だったのである。

  上記2冊の本を読んで以来彼女は僕のお気に入り作家になり(同じ年生まれという親近感もある)、その後も彼女の本を見つけしだい必ず買ってきた。調べてみたら10冊をゆうに超えていた。『明治東京畸人伝』(新潮文庫)、『明治快女伝』(文春文庫)、『谷根千の冒険』(ちくま学芸文庫)、『風々院風々風々居士』(筑摩書房)、『東京遺産』(岩波新書)、『一葉の四季』(岩波新書)、『昭和ジュークボックス』(旬報社)、『神田を歩く』(毎日新聞社)、『抱きしめる東京』(講談社文庫)、『とり戻そう東京の水と池』(岩波ブックレット)、『大正美人伝』(文春文庫)、『鴎外の坂』(新潮文庫)。

  これだけ彼女の本を持っていながら、実はつい最近まで『路地の匂い 町の音』という本の存在を知らなかった。98年9月発行だから出て10年ほどたっているのに、どうして今まで気づかなかったのか。たまたまアマゾンで検索して見つけたのである。彼女の本だからもちろんすぐ買う気になったのだが、なんと言ってもそのタイトルが魅力的だった。なんとも素晴らしいタイトルではないか。僕自身が路地裏探索が好きなので、このタイトルには強烈に引き付けられた。ブログに時間をとられて本を読む時間がなかなか取れないでいたのに、それまで読みかけていた本を中断して、家に届いた直後から読み始めた。

『路地の匂い 町の音』の魅力
  面白かった。まず短いエッセイを集めたものなので読みやすい。彼女がどんな考え方をする人で、普段どんな活動をしているのかもよく分かるので興味深かった。彼女の強みはそのバイタリティーだ。3人の子供を育てながら20年以上にわたって『谷根千』を発行し続けてきた。彼女の基本のスタイルは聞き書きである。谷根千界隈の古老や商店主、職人などに突撃取材。商売をしているところでは何度も今忙しいからと断られ、何度も出直す。ある石屋さんは文字通り石のように口が堅くて往生したそうだ。それでもめげない。とにかく行動派。ラディカルな視点で東京の街づくりを批判し、別の道を提案する。様々な運動にも積極的に参加して発言している。先日講演を聞いた鎌仲ひとみさんと同じ活力を持っている。とにかく最近は元気な女性が多い。この二人の話しを聞き、本を読み、つくづくそう思った。

Photo_3   彼女は大学でも教えているが、決して研究者タイプではない。超モダンな建物よりも、下町のざわついた商店街や裏通りが似合う人だ。「暮らしからにじみ出る」匂いや色や音に親しみや安らぎを感じる。そういうタイプの人だ。学者のような衒いは一切ない。むしろそれに反発を感じている。「人間のふだんの言語活動にない横文字が自明のように使われ、それが知ったかぶりの業界人の優越感をくすぐり、ふつうの人々を脅しつけている。」「高踏ではなく世の中のざわめきの中に芸術がある。・・・私たちの町そのものがアートではないか。」こういった表現に彼女の感性がよく出ている。彼女のそういうところに僕は引かれる。共感する。

  住民運動に積極的にかかわる積極性、行動力ばかりではない。その視線が常に上からではなく下からものを観ている。次の3つの引用文を読めばそれがよく分かるだろう。

  乳母車を押すテンポで、ヨチヨチ歩きの子どもの目の高さで町を歩いたとき、いろんなものが見えてきた。

  ヨチヨチ歩きの子どもとしゃがむと、路地の狭い空間はまるで拡大鏡を見るように、すみれ咲き、タンポポ咲き、ミミズ這い、ダンゴ虫のいる、ネコのケモノ道も見える小宇宙になる。

  「町を見る」のに書物から入るのはいちばん弊害が多く、いちばん楽しみが少ないのに、多くの郷土史家はなぜかお勉強から始めてしまう。

  子供の低い目線でものを見るというのは経済力のないもの、弱いものの立場でものを見るということであり、都庁舎のようなこれ見よがしに目を引くものではなく普段見落としがちなものに目を向けるということである。あるいは偉い地位についている人たちではなく、地道に努力している人たちに目を向けるということである。「お勉強から始めてしまう」という表現には本多勝一の「お勉強発表会」という彼独自の表現の響きが感じられる。ひょっとしたら彼の影響を受けているかもしれない。庶民の息吹も汗も泥も涙も感じられない本よりは、自分で町を歩き、人から直接話を聞くほうがどれだけ意味があるか知れない。彼女はそう考えている。だから偉い学者やインテリが書いた区史には「ふつうの人の生き死に、生活史もほとんど書かれていない」と不満を言えるのだ。彼女は質屋さんにもインタビューしている(これがまた面白い)。質屋に実際に入って主人の話を聞いてみたいと考える学者やインテリがどれだけいるだろうか。

  別に彼女が猛女だと言っているわけではない。写真を見るとぽっちゃりした普通のおばちゃんである。まあ確かに、聞き取り調査という手法をとっているので遠慮なんかしていられないというところはあるだろう。僕なんかよりはるかに押しが強そうだ。しかし彼女はふつうの人の、ふつうの町の風情や佇まいや住民間のつながりを、偉ぶって勿体つけた「高踏な」ものよりも高く評価する感性や価値観を持っている。その点がむしろ大事だ。彼女が谷根千に見出しているのはそういう価値だ。

  この町では「子どもが来たら飴玉一個でもやらなくちゃあ」というのがあって、帰りにはお土産もらってホクホクしてもどってくる。親以外にも町に子どもを受け止めてくれる場所がある、ということも大切なことだと思う。

  谷中や根津に古い家が多いのは、この辺りが東京では珍しく震災・戦災の被害が少なかったからである。・・・真の震災対策は建物の不燃化、堅牢化、道路の拡幅、緑地帯の設置ばかりにあるのではない。自分の判断で動ける人々を増やし、彼らが協力しあえる人間関係をつくることである。

  表面のきらびやかさよりも「見えないところに仕事がしてある」ことに感心するのも同じ感性だ。そういうところに住んでいるから子どもものびのび育つのだろう。「子どもは自由に遊ばせたい、遊ぶ力があるんですもの。」いまどき子どもの「遊ぶ力」に注目する大人がどれだけいるだろうか。こういう視点が欠如しがちだから彼女は役人や学者に批判的なのだ。

  役人が庁舎から出なくなると最悪だ。住民のニーズはつかめなくなり、用向きは住民を呼びつける発想になり、どこまでも「霞ヶ関の論理」や「新宿の論理」になってゆく。

  「上から下を見下ろしてみたい」というのは男性の発想みたいだ。私はこれを「天守閣の思想」と名づけた。・・・天守閣の思想はバブル期に数多くのビルを生んだ。

Hanabi3   新宿に天守閣のようにそびえる都庁を槍玉に挙げた「天守閣の思想」という文章からの引用だ。「霞ヶ関の論理」や「新宿の論理」という表現にも「殺す側の論理」、「殺される側の論理」という本多勝一の用語の響きが感じられる。しかし彼女はここで独自の表現を作り出した。「天守閣の思想」という表現は言い得て妙だ。いつか映画のレビューで引用してみよう。いいレビューを書くにはいい刺激を与えてくれる書物などとの出会いが必用だ。映画を観る視点と感性は映画以外のものとどれだけ多く出会っているかで研ぎ澄まされ方が違ってくると思う。急がば回れ。回り道や寄り道をすればするほどものの見方、考え方が豊かになる。最近いいレビューが書けなくなっているのはあまり本を読んでいないからだと、改めて自戒する。

  鎌仲ひとみさんはアクティヴィストという言葉が似合う人だが、森さんは活動派というよりも行動派という言葉が似合う気がする。聞き取り調査は外回りの営業以上に疲れるし気を使う仕事だろう。何度も怒鳴られたり邪魔にされたりしながらも決してめげない。この粘りと行動力が僕はうらやましい。

 このエッセイ集は久しぶりにエッセイを読む楽しみを味わわせてくれた。僕も写真日記などを書き始めているが、彼女のようなエッセイがなかなか書けない。この本を読んで、自分の足りないところをいやというほど再認識させられた。映画のレビューで偉そうなことを書いてはいるが、結局僕は机上の物書きに過ぎない。映画を見るのも、本を読むのも、音楽を聴くのも、デジカメを持って写真を撮りに行くのもすべて1人で行う行為。行く場所は違っても、結局書いているのは自分のことである。その枠から容易に出られない。そこに自分の限界を感じる。僕の写真に人が写っていないのが象徴的だ。僕のカメラは風景や人工物に向けられている。決して人には向けられない。仮に彼女の下で働くことになって、近所の商店の人の話を聴いて来いと言われたら、恐らく3日と持たずに逃げ出してしまうだろう。

 2、3度断られてもひるまない強さ。それは単に彼女が強いだけではなく、相手に対して敬意を感じているからできるのである。彼女の文章が面白いのは、相手の話を彼女が面白いと思って聴いているからである。単に町を歩くだけではなく、人と会い話を聞く。彼女の本の面白さはそういう彼女の行動力から生まれている。見たり聴いたりすることで関心が生まれる。関心を持って追求しているからいろんなものと出会う。おばちゃんも棒に当たる。『路地の匂い 町の音』には書評も何篇か収録されている。彼女が取り上げた本を僕は1冊も知らなかった。『澤の屋は外国人宿――下町・谷中の家族旅館奮闘記』、『浦安・海に抱かれた町――聞き書き 人と暮らし』、『エコロジー建築』、『これからの集合住宅づくり』、『肌寒き島国――「近代日本の夢」を歩く』、『町並み まちづくり物語』等々。彼女の紹介文を読むとどれも面白そうで、読んでみたくなる。僕の視野には全く入っていなかった本。関心のある分野の違いなどという問題ではない。彼女が行動しているからこそ目に入った本なのだろう。「本屋のない町は未来がない」などという言葉は彼女だから言えるのだ。考えてみれば、僕自身も「パニのベランダで伊丹十三を読みながら」というエッセイで、エッセイは「意志だけで書けるものではない。もっと非日常的な経験をたくさんしなければいけない。週末はもっと外出するようにしよう」と書いた覚えがある。写真日記を書き出してから行動はするようになった。しかし写真日記はただ行動の経過を書いているだけである。日記であってエッセイではない。行動しつつも、時に立ち止まって思考をめぐらしてみる必用がある。行動と思考。この両方がなければエッセイは書けないのだ。

最後に
  こういう時代だから『谷根千』のホームページもあるのではないかと思ってネットで調べてみたら、すぐ「谷根千ねっと」というページが見つかった。しかしその冒頭の記事を見て驚いた。ここ数年販売部数が7000部を割っているので、2年後の93号をもって廃刊する予定とある。わずか4人で切り回しているのではこれが限界なのだろうか。実に残念だ。しかしバイタリティーあふれる彼女たちのこと。また別のところで新たな活躍の場を見出すに違いない。

  帰省するついでにまた谷根千に行ってみよう。今度はしっかりデジカメを持って「取材」に行く。どこかで森さんに会えないかなあ。

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2007年12月20日 (木)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(08年1月)

L3g1  僕にとって毎月20日は雑誌の日。この日発売の『DVDデータ』、『ミュージック・マガジン』、『CDジャーナル』を買う日。この『DVDデータ』を元に毎月「これから観たい&おすすめ映画・DVD」シリーズを書いている。『ミュージック・マガジン』1月号はベスト・テン号である。毎年これが楽しみ。12月はこれに『スウィング・ジャーナル』が加わる。1月号には年間のレビューをまとめた小冊子が付録として付くからである。これがあれば十分。毎年この1月号だけ買っている。僕は雑誌の記事はほとんど読まない。アーティスト個人については何の関心もないからだ。新作映画・DVD、CDが買う・観る・聴くに値するかどうかにだけ関心がある。この『ミュージック・マガジン』と『スウィング・ジャーナル』の1月号に、毎年2月5日発売の『キネマ旬報』ベスト・テン号が加わって、僕の年間サイクルは終わる。

 さて、1月の新作映画は面白そうな作品が揃った。相変わらず日本映画は観てきた人のレビューを読んでみないとどれがいいのか分からないが、外国映画はどれも興味を引かれる。ピーター・グリーナウェイ、ティム・バートン、アボルファズル・ジャリリ等の有名監督の作品はいうまでもなく、アガサ・クリスティーの原作をフランスで映画化した「ゼロ時間の謎」、沢木耕太郎が取り上げた珍しいイスラエル映画「迷子の警察音楽隊」、ジュンパ・ラヒリの小説の映画化「その名にちなんで」、「ディープ・ブルー」のスタッフが再結集した「アース」、イラン人女性監督のアニメ「ペルセポリス」、ロマを描いた「ジプシー・キャラバン」。そして軍事独裁政権の腐敗を抉った韓国映画「ユゴ 大統領有故」。これは力作のようだ。う~ん、どれも観たいぞ。

 新作DVDはペドロ・アルモドバル監督の「ボルベール(帰郷)」が一番の目玉。「大統領暗殺」、「エディット・ピアフ 愛の讃歌」、「キサラギ」あたりも気になる。ドキュメンタリーも続々出ている。「チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート」と「ブラインドサイト 小さな登山者たち」に注目。

 旧作DVDもにぎやかだ。「持参金のない娘」、「マリア・ブラウンの結婚」、「招かれざる客」、「ミッドナイト・エクスプレス」あたりが懐かしい。11月にBOXで出ていたダグラス・サーク監督作品もバラで出る。ジョン・セイルズ監督の「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」はユーロスペースで上映されていた時には見落とした。これはぜひ観てみたい。勝新太郎「兵隊やくざ」シリーズ、市川雷蔵の「陸軍中野学校」シリーズ、「若者たち」3部作が出る。「若者たち」は06年9月にDVD-BOXで出ていた。ブニュエルのDVD-BOXはメキシコ時代の作品を収録。傑作はないが独特の味わいがあって悪くない。ジャン・ルノワールのDVD-BOXには遺作「ジャン・ルノワールの小劇場」が収録されている。

【新作映画】
12月15日公開
 「ゼロ時間の謎」(パスカル・トマ監督、フランス)
 「ユゴ 大統領有故」(イム・サンス監督、韓国)
12月22日公開
 「再会の街で」(マイク・バインダー監督、アメリカ)
 「その名にちなんで」(ミーラー・ナーイル監督、インド・米)
 「ペルセポリス」(マルジャン・サトラピ監督、仏・米)
 「迷子の警察音楽隊」(エラン・コリリン監督、イスラエル・仏・米)
 「北辰斜めにさすところ」(神山征二郎監督、日本)
1月5日公開
 「勇者たちの戦場」(アーウィン・ウィンクラー監督、アメリカ)
1月12日公開
 「レンブラントの夜警」(ピーター・グリーナウェイ監督、英・オランダ・他)
 「アース」(アラステア・フォザーギル監督、独・英)
 「ジプシー・キャラバン」(ジャスミン・デラル監督、米)
1月19日公開
 「スウィーニー・トッド」(ティム・バートン監督、アメリカ)
 「ヒトラーの贋札」(ステファン・ルツォビッキー監督、オーストラリア・独)
 「ハーフェズ ペルシャの詩」(アボルファズル・ジャリリ監督、イラン・日本)
 「人のセックスを笑うな」(井口奈己監督、日本)

【新作DVD】
12月21日
 「チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート」(リチャード・シッケル監督、米)
 「ブラインドサイト 小さな登山者たち」(ルーシー・ウォーカー監督、英)
 「サイドカーに犬」(根岸吉太郎監督、日本)
 「ルネッサンス」クリスチャン・ボルクマン監督、仏・英・他)
1月1日
 「プレステージ」(クリストファー・ノーラン監督、英米)
 「ボルベール(帰郷)」(ペドロ・アルモドバル監督、スペイン)
1月5日
 「フランドル」(ブリュノ・デュモン監督、フランス)
1月9日
 「キサラギ」(佐藤祐市監督、日本)
1月11日
 「プロヴァンスの贈りもの」(リドリー・スコット監督、米)
 「ブラック・スネーク・モーン」(クレイグ・ブリュワー監督、米)
1月25日
 「イタリア的、恋愛マニュアル」(ジョヴァンニ・ヴェロネージ監督、伊)
 「アヒルと鴨のコインロッカー」(中村義洋監督、日本)
 「明日、君がいない」(ムラーリ・K・タルリ監督、オーストラリア)
 「赤い文化住宅の初子」(タナダユキ監督、日本)
2月1日
 「それでも生きる子供たちへ」(スパイク・リー、他監督、仏・伊)
2月8日
 「ミス・ポター」(クリス・ヌーナン監督、英・米)
 「さらば、ベルリン」(スティーブン・ソダーバーグ監督、米)
 「大統領暗殺」(ガブリエル・レンジ監督、英)
2月15日
  「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(オリビエ・ダアン監督、仏・英・チェコ)

【旧作DVD】
12月21日
 「持参金のない娘」(84年、エリダール・リャザーノフ監督、ソ連)
 「兵隊やくざ」(65年、増村保造監督、日本)
 「陸軍中野学校」(66年、増村保造監督、日本)
 「若者たち」(67年、森川時久監督、日本)
12月22日
 「マリア・ブラウンの結婚」(79年、ライナー・ベルナー・ファスビンダー監督、西ドイツ)
 「ジャン・ルノワール DVD-BOX③」
  収録作品:「黄金の馬車」、「恋多き女」、「ジャン・ルノワールの小劇場」
 「ルイス・ブニュエル DVD-BOX④」
  収録作品:「スサーナ」、「昇天峠」、「アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生」
1月9日
 「悲しみは空の彼方に」(59年、ダグラス・サーク監督、アメリカ)
1月23日
 「招かれざる客」(67年、スタンリー・クレイマー監督、米)
 「ミッドナイト・エクスプレス」(78年、アラン・パーカー監督、英・米)
 「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」(84年、ジョン・セイルズ監督、米)

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2007年12月19日 (水)

新しい壁紙集を作りました

 別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」に「ゴブリン壁紙 その3」を載せました。この間撮り溜めた写真から良いものを選び、壁紙サイズにして公開しています。気に入った画像があればご自由にコピーして壁紙としてお使いください。

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2007年12月16日 (日)

「六ヶ所村ラプソディー」の上映会に行ってきました

Koinobori_2w  今年の1月7日に書いた「2006年公開映画を振り返って」という記事の中で、昨年度の特徴を6点挙げた。その一つとして記録映画に力作が揃ったことを取り上げた。しかしその時名前を挙げた「蟻の兵隊」、「六ヶ所村ラプソディー」、「エドワード・サイード OUT OF PLACE」、「三池 終わらない炭鉱の物語」、「ガーダ パレスチナの詩」、「ヨコハマメリー」、「スティーヴィー」、「ダーウィンの悪夢」のうち、観ていたのは「スティーヴィー」だけだった。他の作品が観られるのは2、3年先だろうと正直その時は思っていた。

 しかし僕の予想を超えてドキュメンタリー映画の認知は進んでいたようだ。今年中に「ヨコハマメリー」、「ダーウィンの悪夢」、「六ヶ所村ラプソディー」の3本を観ることができたのである。最初の2本はしっかりレンタル店に置いてあった。他に「不都合な真実」と「狩人と犬、最後の旅」もレンタルDVDで観ている。未見だが、「ガーダ パレスチナの詩」もレンタル店で見かけた。今年に入っても「チョムスキーとメディア」、「ヒロシマナガサキ」、「シッコ」、「ミリキタニの猫」、「いのちの食べかた」、「ニキフォル 知られざる天才画家の肖像」、「コマンダンテ」、「カルラのリスト」、「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」、「マイ・シネマトグラファー」、「ヴィットリオ広場のオーケストラ」等々、続々と続いている。「スティーヴィー」のスティーブ・ジェイムズ監督作品「フープ・ドリームス」も今年の1月にDVDになった。

 なんとも驚くべき状況である。ドキュメンタリー映画の持つ意味が一般にも広がってきている。この流れの中においてみると、レビューで「100人の子供たちが列車を待っている」を取り上げたのも偶然ではあるがタイムリーだったかもしれない。これでDVD化も進めばこのジャンルはさらに定着するだろう。楽しみな状況になってきた。

 さて、肝心な「六ヶ所村ラプソディー」。この映画を観て、一番強く思ったのはフェアーであることと中立であることの違い。中立とは抗議もせず、暗黙の内に現状を認めてしまうことだから結局は肯定することだと映画の中で苫米地さんが言っていた。今更言うまでもない当たり前のことだが、実はほとんどの日本人が常にこの立場をとってしまうのだ。自分の考えや意見を持つことをほとんど教えられずに育ってきた日本人は、ある立場をとることひいては自分の意見を持つこと自体を「イデオロギー的だ」、「偏向している」として嫌う傾向が強い。このことと一定の立場に立ちながらも、自分とは違う立場の人の意見も公平に取り上げる姿勢とは全く別のことである。「六ヶ所村ラプソディー」で鎌仲ひとみ監督は後者の立場をとっている。六ヶ所村の核燃料再処理工場に明確に反対の立場をとりながら、消極的支持も含めて賛成している人たちの意見も取り上げている。「六ヶ所村ラプソディー」に力があるのは明確に反対の立場をとっているからであり、かつそれを無理やり押し付けるのではなく、主としてインタビューを通じてそれぞれの立場の考え方を提示する形で問題提起しているからである。「中立的」と称して当たり障りのないことを並べただけのものとは説得力が違う。

 監督はフェアであろうとつとめているが、映画で取り上げられている人は反対派の人の方が多い。監督によれば原燃関係者や自治体関係者がインタビューをことごとく断ってきたからである。マスコミも「不都合な真実」は一切報道しない。六ヶ所村の役場で試写会を行った時、町の人は1人も観に来なかったそうである。役場の女性が休みを取って1人観に来ただけだと鎌仲監督は話していた。再処理工場以外にこれといった働き場所がない現実。自由に物言えぬ雰囲気と無関心が支配している。

 そんな中粘り腰で撮り上げた労作ではあるが、フェアな立場を貫こうとすれば当然制約も多い。恐らくそのためだろう、上映後の講演で鎌仲監督は鬱憤を晴らすかのように1時間半に渡り縦横無尽に語りまくった。自由に話せる場なので歯に衣着せずに率直な思いを語っていた。だから正直言って映画よりも講演会の方が面白かった。メモを取っていなかったので正確には思い出せないが、できる限り記憶をたどってみよう。

 鎌仲監督は原発のある富山県出身で、子供の頃から原発はありがたいものと教えられて育ってきたそうである。彼女の認識を大きく変えるきっかけになったのはNHKにいたころにイラクを取材したことだ。ただその当時は問題意識も強くなく、医薬品が足りないために子供たちがたくさん命を落としているという報道になってしまったそうだ。その後劣化ウラン弾に関心を向け、核や被曝といった問題を追及するようになった。その延長線上に「ヒバクシャ 世界の終わりに」と「六ヶ所村ラプソディー」があるというわけだ。

Cuthaikyo07  劣化ウラン弾は自分たちが出したゴミから作られていると彼女は何度も指摘した。劣化ウラン弾の主原料である劣化ウランは、日本がアメリカから買っている濃縮ウランを製造する過程で出る廃棄物なのである。つまり核のゴミ。そのゴミから劣化ウラン弾が作られているのである。しかしそういうことをわれわれは何も知らされていない。何も知らずに電気を消費している。もう一つ強調していたのは内部被爆。イラクの子供たちは放射性物質である劣化ウラン弾の微粒子を知らず知らずに身体の中に吸収し、それが子供たちを内側から蝕んでいる。被曝しているのは日本人だけではない。

 ところがマスコミはそういう問題を真面目に取り上げない。原発は日本の政治に深く食い込んでいて、行政・マスコミぐるみで「不都合な真実」隠しに懸命なのだ。その結果原発やその関連施設の当事者自身が被曝の怖さを認識していないという悲劇的な事態に立ち至っている。それを象徴的に示したのがあの東海村のJCOでの臨界事故だ。今年の7月に発生した新潟県中越沖地震の際に柏崎刈羽原発で起きた火災もその備えの不十分さを明るみに出した。原発は安全だと宣伝して警戒心をなくすことがいかに危険であるかを分かりやすく示した実例だ。

 六ヶ所村でも同じことだ。監督は防災訓練を取材させてもらったそうだ(取材の許可を貰うまで散々苦労したそうである)。その話がすごかった。何と災害対策本部が再処理工場のすぐそばにもうけてあったという。一番危険なところではないか。しかもわざわざ遠くの住民まで再処理工場近くの避難所へ誘導してくるという念の入れよう。そんなことをしてたら村は全滅だ。そんな噴飯ものの訓練を取材した新聞記者たちは記者会見で何も質問しなかったという。監督が色々質問すると責任者は何も答えられないどころか、自分が何を聞かれたのかも分からない様子だったという。目をおおわんばかりだ。こんな愚か者たちが危険物の処理と管理を担い、同じくらい愚かな報道陣が無視を決め込み、結果的に国民は何も知らされず思考停止状態に置かれている。

 監督はこのように日本の現状を批判したが、ただ原発やめろ、再処理をやめろといっているわけではない。新しい道の提案もしている。電気がなければ生活できない、これが原発推進派や消極的賛成派の論拠の一つだが、電気の需要が増えるから原発を増やして発電量を増やすという考え方ではなく、ドイツのように節電に真剣に取り組む、あるいは原発以外の発電方法の開発にもっと努力すべきであると訴えている。放射能汚染は他人事ではない。日本の食料自給率はカロリー・ベースでわずか2割台。しかし東北各県では180パーセントになる。つまり東北で作られた食料を日本全国で食べているわけだ。その食料が汚染されていたら?

 鎌仲監督は映画評論家の意見などどうでもいいと言っていた。こうして一般の人と直に意見を交わす方が楽しいと。「六ヶ所村ラプソディー」の活力の根源は、つまるところアクティヴィストとしての彼女の活力にある。「映画を観ただけで終わらせないでほしい」、「まずは知ることから始めよう」というスローガンを掲げていた上映会だが、知った後には行動が続くべきだ。彼女はそう訴えている。彼女の作品と彼女のさわやかな弁舌に魅了された4時間だった。

「六ヶ所村ラプソディー」(2006、鎌仲ひとみ監督)★★★★☆

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ゴブリンの映画チラシ・コレクション⑤

 「洲崎パラダイス」は期待通りのいい映画でした。原作を読んだときは義治のだらしなさにいらいらし、またそんなだらしない男との腐れ縁を断ち切れない蔦枝にもいらいら。散々つかず離れずを繰り返した挙句、最後に蔦枝は義治と二人で洲崎を出てゆく。何なんだこいつらは。淡々とした芝木好子のタッチにもあまり馴染めず、あまり面白くないという印象を持った。最初に読んだ芝木好子の小説は『隅田川暮色』。これも最初は彼女の乾いた文体に馴染むのに時間がかかったが、一旦馴染んでしまうと一気に読めた。しかし『洲崎パラダイス』は洲崎遊郭界隈を舞台にした短編を集めた短編集なので、それぞれの世界に入り込める前にあっさり読み終わってしまう。全体に印象の薄い本だったのである。

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  川島雄三監督の映画版はかなり原作に忠実な作品なので、映画でももちろん上記の点に関してはいらついた。しかし実際の人間が演じる映画になるとどういうわけか話に色艶が出てくる。なんといっても蔦枝を演じた新珠三千代がいい。これまで特にいいと感じたことのなかった女優だが、「洲崎パラダイス」の彼女は実に魅力的だった。特に目がいい。大好きな淡島千景を思わせる雰囲気が気に入った。義治役は何と三橋達也。あまりに若すぎて最初はすぐには気づかなかった。時々ある角度で顔が映ったときやちょっとしたせりふを言ったときの声で確かに彼だと分かる。

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 この映画の魅力はもう一つある。洲崎遊郭の入り口である橋の手前にある飲み屋。観ているうちにまるで「男はつらいよ」の「とらや」のような居心地の良さを感じてくるから不思議なものだ。そこの女将を演じる轟夕起子がいい。「三四郎」、「武蔵野夫人」など何本か出演作を観たが、脇役俳優なので彼女の記憶はない。これほど印象的な彼女を観たのは初めて。下町のおっかさんという庶民的な佇まいが素晴らしい。飯田蝶子や望月優子とはまた違う、もっとお母さんという雰囲気。全く昔の日本映画の脇役陣は本当に層が厚かった。他にも芦川いづみや小沢昭一も少ない出番でしっかり存在感を示している。さすが川島雄三、なかなかの秀作だった。

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 昨日は「十三人の刺客」を観た。時代劇の傑作という評判なので前から気になっていた。しかし正直これにはがっかり。クライマックスの13人対53騎の殺陣シーンがあまりにちゃちなのだ。黒澤明、三隅研次、今井正、小林正樹などの傑作時代劇とは比べものにならない。ただ、内田良平という実に渋い役者を発見できたのは収穫だった。あの苦みばしった顔がいい。ちょい役(老中役)の丹波哲郎も渋い。片岡知恵蔵や嵐寛寿郎や月形龍之介はもう爺さんで、逆に里見浩太朗や山城新伍はまだ若造だ。面白かったのは西村晃。剣客という意外な役柄なのだ。剣術の稽古のときに見せる不思議な型が様になっているようでいないようで。黒澤の「七人の侍」を連想させるストーリーなのだが、役者も作りも演出も雲泥の差だった。

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 今日は長野大学で「六ヶ所村ラプソディー」の上映会に行ってきた。去年も「スティーヴィー」の上映会があったが、こちらも素晴らしいドキュメンタリー映画だった。さらにすごかったのは上映後の鎌仲ひとみ監督の講演。1時間の予定を大幅に超えて、1時間半に渡って滔滔と淀みなく喋り捲った。まさに立て板に水。現地取材、聞き取り調査ばかりではなく、文献など相当なリサーチをしてきたことが分かる。単なる裏話にとどまらない。イラクでドキュメンタリー映画を撮ったことから始まり、劣化ウラン弾を通じて六ヶ所村への取材へとつながる関心の連鎖。様々な問題に話が飛ぶが一本筋が通っていて全く聞き飽きることがない。アル・ゴアの「不都合な真実」よりはるかに面白かった。舌鋒鋭くテレビ報道の限界、日本の原発行政のあり方、「不都合な真実」を一切報道しようとしないマスコミの姿勢などをばっさばっさと切りまくって実に爽快。明るく元気でさっぱりした性格にも魅力を感じた。いやすごい人がいたものだ。「六ヶ所村ラプソディー」のパンフ、「知ることからはじめよう」というパンフ、さらには鎌仲ひとみ・金聖雄・海南友子共著『ドキュメンタリーの力』を購入。『ドキュメンタリーの力』には鎌仲さんのサインをいただいてきた。週末恒例デジカメを持っての地元探索には行けなかったが、充実した一日だった。この上映会について、詳しくは別の記事で書きます。

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