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2007年9月23日 - 2007年9月29日

2007年9月29日 (土)

小諸の懐古園へ行く

 中国出張の前に小諸の懐古園に行っていました。出張前後のドタバタした状況の中で、ブログに書きそびれていたのです。もうだいぶ日がたってしまいましたが、写真も豊富に撮ってきましたので載せることにします。

* * * * * * * * * * * *

 ふと思い立って小諸の懐古園へ行くことにした。車で行くのは初めてだが、看板が出ているので道はすぐに分かった。専用駐車場に車を入れる。入口(三ノ門料金所)で入場料を払って公園の中に。入場料300円、駐車代が500円。入場料金よりも駐車代の方が高いってどうなの?

  誰でもそうだと思うが、近くにある有名な観光地というものは案外めったに行かないものである。軽井沢などほとんど行ったことがない。大学院生の頃に家庭教師をしていたが、そこの家族が軽井沢に別荘を持っていた(確か中軽駅の近くだったように思う)。夏は家族で軽井沢に行くので先生も来てくださいと言われ、1週間ほど別荘に滞在したことがある。初めての軽井沢体験、かつ別荘体験で楽しかった。しかし上田に来てからは、軽井沢なんてめったに行かない。そういうものだ。同様に、懐古園も1度しか行ったことはない。しかも行ったのはまだ東京に住んでいた頃である。もう25年くらい前だ。長野県に来てからは一度も行っていなかった。なかなか行く気にならなかったのは、前に一度行ったことがあるという気持ちもあったからだろう。

 懐古園は結構広い敷地で、緑が実に豊かだ。しかし何を見ても全く記憶がない。初めてきたような感じだった。20数年前に来た時にはたいして関心もなかったので、それで記憶がないのだろう。写真をとる習慣がついてきたから関心が生まれてきた。人間、関心を持つことは大事なわけだ。

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<写真>
三ノ門、黒門橋(2枚)

 橋が3つあった。入ってすぐ正面にある黒門橋、横の動物園に続く白鶴橋、寅さん会館の方に行く酔月橋。これも関心がなければ全く意識しなかっただろう。それぞれ写真を撮る。「博士の愛した数式」でロケした桜並木も写真に撮った。DVDのジャケット写真にも使われている、寺尾聰と深津絵里が通った道だ。桜が咲く時期でなかったのが残念。その時期はきっときれいだろう。そして何といっても懐古園と言えば島崎藤村。学生の頃に来たのも、小諸周辺文学散歩の一環としてだった。懐古園以外にも句碑などを見て回ったはずだが、悲しいことに全く記憶がない。帰りに駐車場のところでパンフレットを何枚か取ってきたが、その中に「文学碑めぐり」というパンフがあった。歌碑や句碑の写真がぎっしりと収められている。こんなにあるのかと驚くほどの数である。小諸周辺は県内でも有数の文学的雰囲気のある場所なのである。

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<写真>
黒門跡、紅葉ヶ丘、荒神井戸と苔むした石垣

 藤村記念館は公園の中ほどにある。ここに入るには入口で300円ではなく500円の入場券を買う必要がある。今回はパス。記念館前に立っている藤村の銅像だけ写真に撮った。そこをさらに進むと右手に酔月橋が見えてくる。ここを渡るともう一つの出入口酔月料金所があり、その先に鹿嶋神社と寅さん会館がある。橋は後で渡ることにして、さらに進むと有名な「小諸なる古城のほとり」の詩碑がある。その近くに展望台があった。水の手展望台。上ってみると、はるか眼下に千曲川が見える。素晴らしい眺め。数日雨が降り続いていたので、ここからも川が大増水している様子が分かる。橋脚に川水がぶつかり、激しく跳ね上がり渦巻いているのが見える。普段の千曲川の水はきれいだが、大雨が降った後は茶色に濁ってしまう。今日も茶色の濁流になっていた。

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<写真>
上の3枚:桜並木、藤村記念館、藤村の銅像
下の3枚:「小諸なる・・・」の詩碑、水の手展望台、千曲川の濁流

 地図で見ると、懐古園は三角形の形をしているようだ。三角形の真ん中に懐古神社がある。その横に馬場があり、そこが前述の桜の名所である。馬場と言っても今は木が植えられている。桜の花が咲いていない桜並木の下を通りぬけると、その先は崖のようになっている。どうやら3角形の3辺を崖が取り巻いているようだ。懐古園と言っているが、もとは小諸城である。パンフによると、鎌倉時代に小室太郎光兼の築いた館が原型らしい。戦国時代に武田信玄の支配下に置かれ、山本勘助と馬場信房が城郭として整備した。さらに時代が下り、仙石秀久が城を大改修して堅牢な城を築きあげた。明治13年に本丸跡に神社が祀られ「懐古園」と名付けられた。近代的な公園に改修されたのは大正15年のことだという。

 小諸城は3方を崖に取り囲まれた堅牢な城だったようだ。酔月橋下の谷は「地獄谷」と呼ばれている。水は流れていなかったが、かつては水を張って堀にしていたのかもしれない。馬場の先の崖を右に行くともう一つの展望台があった。富士見台。高校生の男女が仲良く並んで座っていた。お邪魔虫は即刻退散。そのすぐ横に白鶴橋がある。そこを渡ると動物園だ。これも別料金なので、橋の写真だけをとる。名前の通り白く塗られた鉄製のつり橋である。

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<写真>
上の3枚:白鶴橋、創造の森案内板、あづまや
下の3枚:懐古神社の池(真中は壁紙サイズ)、神社の鳥居

 道を戻り、懐古神社に行ってみる。真中に錦鯉が泳ぐ池があった。噴水も付いていてきれいな池だった。神社は写真だけ撮ってさっと通り抜ける。あづまやで一服。その後酔月橋を渡って外に出た。出口のすぐ横に鹿嶋神社がある。写真を撮ったが、もう夕方で逆行が差し込みアングルに苦労した。神社の斜め向かいに寅さん会館がある。時間があれば入ってみたいと思ったが、今日は素通り。建物と寅さん像の写真を撮っただけ。寅さん会館の向かいに小山敬三美術館がある。ここも美術館には入らなかったが、その前の所に様々な木を植え、いろいろな岩の見本などを配置した場所があった。そこがなかなかいい雰囲気だった。「イロハ英男ガッパ」(なでるとご利益があるそうな)なるユニークな彫刻もあり、結構見あきない。小山敬三美術館自体もユニークな作りで、写真をたくさんとった。小山敬三美術館の裏に千曲川を眺めるポイントがあり(「眺望百選」との札が横の柱に貼ってあった)、そこから赤い橋が見えた。あれは何という橋だろうか。いずれ日を改めて写真を撮りたいと思った。鹿嶋参道を通って駐車場に引き返す。

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<写真>
上の3枚:酔月橋、鹿嶋神社、寅さん会館前の寅さん像
下の3枚:小山敬三美術館前の公園

 帰宅後地図を眺めていたら、三ノ門料金所の前に三ノ門があり、そこに懐古園という看板がかかっていたことに気づいた。三ノ門自体の写真は撮ったのだが、裏側から撮ったので「懐古園」の題字が入っていない。いったん三ノ門をくぐって表側からも1枚撮るべきだった。う~ん悔しい。

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<写真>
小山敬三美術館(2枚)、美術館裏からの展望


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2007年9月25日 (火)

中国ばてばて旅行記07

  去年とおととしの中国出張は内モンゴルのフフホトと大連へ行ったが、今年は青島と北京に行ってきた。もちろんどちらも初めて。9月17日(月)から20日(金)までの実質4日間の旅。行きも帰りも自宅と空港の間は長距離タクシーを利用した。これが最悪。出発は夜中の2時半!とても車の中では眠れない。帰りは10時に空港を出発し家に着いたのがやはり夜中の2時過ぎ。やはり眠れない。終始強行軍の日程でいやはやとても疲れました。いつもなら旅行中は毎日日記を書くのですが、今回は現地で書いたのは前半の二日分だけで、残りの二日間は日本に帰ってきてからやっと書き足すという始末。そういう事情なので今回は今までのように2回に分けて書くほどの話題はありません。写真も前2回の中国旅行や3月の韓国旅行の半分も撮っていません。1回で済ませます。

* * * * * * * * * * * 

  見物した場所も多くはないので、時系列に沿って日記風に書いてゆくことにする。最初に行ったのは青島。青島海情大酒店というホテルに泊まった。このホテルがユニークな作りだった。客室部分はロの字型になっており、真ん中が大きな吹き抜けになっている。1階部分には店が並んでいる。そこまで行っている時間はなかったが、上からのぞいた感じでは中国風の空間でおおいに興味を惹かれた。部屋は広くはないが、悪くなかった。しかしシャワーが使いにくい。お湯の出が悪いうえに、カランとシャワーの切り替え方が分かりにくい。なんと蛇口の先端部分の出っ張りをつまんで思いっきり下に引くのである。しかもその蛇口がかなり低い所についているので、かがんで作業しなければならない。ガタンと音がしてシャワーに切り替わる。それにしても、どうして外国のシャワーはこうも使いにくいのか。日本ではどこの家庭にもある普通のシャワーがとんでもないぜいたく品に思えてくる。イギリスでも相当な年代物が現役で頑張っているが、中国のものはもっと使いにくい。バスタブがないタイプが多い。これには2年前に最初見たときびっくりした。まあ、ホテルではシャワーしか使わないから風呂がなくてもいいが、ガラスの仕切りの奥にがらんとした何もない空間があるのは日本人の目には異様に映る。バスルームではなく最初からシャワールームだと考えればいいのかもしれない。

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<写真>
青島海情大酒店(客室部分、ホテルのフロント)

  青島は、大連のある遼東半島の反対側、海を挟んで向かい合う山東半島の付け根近くにある街である。人口710万人(うち市区人口237万人)というから日本の感覚では大都会だ。1898年にドイツの租借地となった関係から、街並みが西洋風でとてもきれいだ。建物の屋根が赤(橙色?)で統一されていて、海の青、山の緑と合わせて三色がシンボルカラーらしい。青島は北京オリンピックではヨット競技の会場になるため、海岸地帯はきれいに整備されている。現地の人の話では昔は小さな漁村があったらしいが、今は跡形もない。車の移動が多くあまり歩く時間がなかったので、街並みを撮った写真がほとんどない。それが残念でならない。この街並みと有名な青島ビールがドイツの置き土産である。滞在した4日間ずっと青島ビールにお世話になりっぱなしだった。

  山がまた独特だ。木の生え方がまばらで、木々の間から岩肌が見えている。どことなく秋芳洞のような感じだ。ところどころ山が削られたようになっているが、あれは山を切り崩して家を建てるためだと説明を受けた。1年ぶりに行くと景色が一変しているのが今の中国。前回来た時には山だった所に家が建っているというのは日本ではほとんど考えられない。今年2年ぶりに大連へ行った同僚はあまりの変化にあっけにとられたそうである。それにしても、どうしてこんなに早く道路や建物が作れるのか。地震がないからいいものの、鉄筋なんかろくに入っていないんじゃないか。姉歯建築士も中国なら摘発されずに済んだだろうな。

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<写真>
青島の風景

  夜は海岸のすぐ横にあるレストランに案内された。何回か乾杯したが、フフホトのように強引にはやらない。70度のパイチュウを小さなお猪口に1杯勧められただけだ。これはさすがにきつかった。後は4日間ずっと青島ビール。去年のように二日酔いにならずに済んだ。料理は、とにかくテーブルにあいている場所がなくなるくらいたくさんの皿が出る。それが中国式だ。ある中国人が初めて日本でそばを食べた時、テーブルにそばしか出てこないのに面食らったと言っていた。日本人の食事はこんなに貧しいのかと思ったそうである。皿がテーブルを埋め尽くす壮観を見ればそりゃそうだろうと納得する。庶民的な店でも、値段はともかく皿は結構どのテーブルにもたくさん並んでいた。ただ、料理の味に関して言えば、中華料理独特の匂いがして必ずしもすべてがおいしいとは思わなかった。去年まではどれもおいしいと思って食べていたが、あれは前もって香草を入れないように頼んであったのかもしれない。タイ料理ほどではないが、あの匂いにはなかなか慣れない。

  翌日、海岸へ案内された。昨日夕食を食べたレストランのある所だ。すぐ横が海でクルーザーがたくさん停泊していた。そこで何枚か写真をとる。埠頭にマルコポーロやコロンブスなど何体かの像が立っていた。ホテルも海のすぐそばだったが、時間がなくて海まで行けなかった。ほんの束の間だったが海が見られたのはうれしかった。トラファルガー・スクエアのネルソン提督記念碑のような高いマストの上に立っている銅像(人物はだれか分からない)と貝殻をかたどった灯台が印象的だった。

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<写真>
青島の海岸

  北京では北京昌平商務会館というホテルに泊まった。「商務会館」という名前が気になり、本当にホテルなのかと心配していたが、行ってみると正面に大きくビジネスホテルと英語で書いてあった。そうか「商務会館」とはビジネスホテルという意味だったのか。しかしまあ中国は広い。飛行機でちょっと移動すれば全く違う風土の場所に着く。青島は坂が多いので自転車はほとんど走っていなかった。車の量も歩行者の数も多くはなく、ここなら自分でも運転できると思ったほどだ。ところが北京はまさに別世界。車と人と自転車が入り混じる混乱した道路。あちこちでクラクションがけたたましく鳴り響いている。そうそう、これでこそ中国。混雑と喧騒、混乱と活力、ベンツの横を日本ではまず見かけない年代物の三輪車やぼろぼろの輪タクが走っている街。青島が高級住宅地のイメージなら北京は(少なくとも僕らが行ったその北の外れは)庶民の街だった。ビジネスホテルだけあって翌朝何かの会合があるらしく三々五々と客が入ってきたが、ビシビシ仕事をこなすビジネスマンというよりは近所のおっちゃんたちという感じだった。

  正確な場所は分からないが、北京昌平商務会館は北京の北はずれにある。空港から高速を使っても1時間近くかかった。タクシーの運転手もこの辺は不案内なのか、何回も携帯でホテルにかけて道を聞き直していた。一度は間違えてUターンしたほどだ。とにかく周りは工場などが並んでいる地区で、見事に何もない。夕食を食べに行こうにもホテルの並びには店一つない。かと言って、疲れているのでタクシーで街中に出て行く気力もなかった。仕方がないのでホテルのレストランで食事した。中国語がまったくできないし、向こうは日本語も英語も分からないので苦労したが、幸いメニューには写真と英語の説明がついていたので何とか注文はできた。

  部屋は全部個室のようだ。若い女の子が3、4人ついている。みんなかわいい子たちだが、こちらがなかなか注文を決めないのでだいぶイライラしていたのではないか。何でもうまいと言う同僚Aと中国の食べ物は口に合わないという同僚Bの攻防が長々と続いた。僕は疲れているので何でもいいから早く決めてくれという心境。さんざん時間をかけて食べきれないほど注文した。ここの料理もにおいはきついが食べられないものはなかった。また青島ビールをガンガン飲んだ。これだけは確かにうまい。

  翌日の昼食は先方の案内で、近くの田舎の家を改造したレストランで食べた。民家は何の変哲もない長方形の建物だが、その横に別の木造の小屋(壁がないので巨大な東屋のような感じ)のようなものが建っている。民家の中で食べるか外(つまり東屋の方)で食べるかと聞かれたので、迷わず外にした(民家の中も見たかったと後で思ったが)。料理はやはり匂いが強かったが、結構おいしく食べられた。こんな田舎料理は旅行者ではめったに食べられないようだ。確かに客は地元の人たちばかりで、観光客はほとんどいなかったと思う。うどんのようなものが最後に出た。日本のうどんのような麺は中国にはないと思っていたが、やはりあるんだ。

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<写真>
田舎家、東屋、東屋の内部

  食事の後、「明の13陵」の一つ定陵に案内された。観光らしい観光はこれだけだった。案内した人も初めて行ったと言っていた。「明の13陵」とは明朝歴代13人の帝が葬られている13の陵墓のことである。かなり広い範囲にわたって転々と所在している。定陵の規模は長陵に次いで2番目に大きい。第13代万暦帝と2人の皇后、孝端、孝靖が葬られている。歩いている時は広すぎて分からなかったが、山一帯が皇帝の陵となっているらしい。観光用に公開されているのは、定陵、長陵、昭陵の3ヶ所と陵道である神路だけである。定陵は定陵博物館、稜恩門、稜恩殿、賢星門、明楼、宝城、地下宮殿などからなる。1590年に完成したということだから、400年以上前の建造物である。

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<写真>
定陵:左から博物館、正面の門、見取り図

  駐車場から敷地内に入ると、まず右手に博物館がある。正面には鮮やかな金色の屋根に赤い壁の門。皇帝の建物はすべて金色の屋根なのだそうである。左手には13陵の見取り図がある。門をくぐると先の方に階段がある。階段の真中は皇帝だけが通れるところで竜などの彫刻が施してある。皇帝はかごに担がれているのでそこは平らな斜面で階段にはなっていない。その両側に階段があり、かごを担ぐ人やわれわれ庶民はそこを登らなければならない。その先の門をくぐると正面に大きな建物が視界を遮るようにしてそそり立っている。それが明楼である。その下を右に行って地下宮殿の方に進んだ。地下宮殿という名前にだいぶ期待したが、ただ洞窟があるだけという感じでがっかり。写真も撮らなかった。地下宮殿を出て、明楼から下界を眺める。さすがにすごい眺めだ。楼の中にはモノリスのような記念碑が建っている。かなり広い敷地だが、案内してくれた女性は「ここは狭い」と言っていた。これを聞いて、中国人の広さに関する感覚は日本人のそれとは相当に異なると実感した。

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<写真>
皇帝の階段、明楼、明楼の記念碑

  中国滞在最後の日はどこにも行く余裕はなかった。4人の女性と一緒に昼食をとったのが一番楽しい思い出である。彼女たちはいろいろと日本人の舌に気を使ってくれたのか、中国料理が苦手な同僚Bも結構おいしいと言って喜んで食べていた。一番驚いたのは不思議な形のパンのような食べ物。名前は忘れたが、材料をそばのようにこねて丸めてから、ちぎるようにして引っ張って作るらしい。見た目には削りたての鰹節のような感じだ。平べったく長い形になる。これが何ともおいしかった。味はパンに近い。気に入って一人で結構食べてしまった。他にもたくさん料理が出た。中国はとにかくたくさんの数の料理が出る。いちいち覚えていられない。何度も食べる前に写真を撮ればよかったと思うのだが、そう思うのはいつも食べてしまってから。写真より食べる方に神経が行ってしまう。情けない。

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<写真>
明楼からの眺め、城壁のような通路、赤い壁と柿の木(とんでもなく大きい)

<追記>
 そうそう、忘れていました。気になっていて中国の人に聞いて確かめてみたことが一つあります。「孔雀 我が家の風景」で家族がそろってアパートの通路で食事をしている光景、あの不思議な光景について尋ねてみたのです。その方が言うには、中国の田舎ではよく見かける光景なのだそうです。なにもあんな人が行き来する通路で食べなくてもと思うのですが、文化や習慣の違いというのは面白いものですね。

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2007年9月23日 (日)

「夢がない橋」を発見!?

 金曜日に中国出張から帰ってきました。と言っても着いたのは夜中の2時。シャワーを浴びてすぐ寝て、また朝から仕事。地獄の日程でした。月曜日に出発した時も夜中の2時半。自宅から空港までは行きも帰りも長距離タクシー。マイクロバスサイズですが、とにかく揺れるのでとても眠れたものではありませんでした。新幹線で行けばよかったと今更ながら思います。青島と北京を回ってきたのですが強行軍の旅。ずっと体調を壊しっぱなし。詳しい中国旅行記はまた後でブログに載せます。

  さて、今日の土曜日は久々にゆっくりできた。11時まで寝てましたよ。もっと寝ていたいくらいだったが暑くて目が覚めてしまった。まったく、9月の下旬だというのに30度を超えるとは一体どうなってるんだ。

  十分寝たので元気回復。昼食の後また探索に出かける。今日も特に目的地は定めないままに出発した。丸子方面に走りだしたので、依田川の探索に向かうことにした。152号線を進み、以前写真を撮った腰越橋と立石の中間点あたりに車を乗り入れる。武石沖の交差点の少し手前あたり。車を停めて、歩いて川に向かう。以外に距離があった。川の表情は武石川との合流点あたりとほぼ同じ。大きな岩が川底にごつごつと飛び出している。ただ上流から流されてきたというよりは、もともとあった岩盤が川に削られて残っているという感じだ。上流側に堰のようなものがある。川の水を一部別の水路に引き込んでいるようだ。依田川のこのあたり、つまり武石川との合流点の少し上流あたりから「大渕・中渕」の少し下流あたりまでが一番野性的で好きだ。

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<写真>
依田川(2枚)、五反田橋

 車を出し、さらに上流に行く。前にも来た立岩あたりを川沿いに走る。前回は歩いて渡った駒形橋を今度は車で渡って、さらに奥まで行ってみた。坂道を上ってゆくとやや大きな道に出たので最初は左折した。特に何もないので途中で引き返す。今度は先ほど上がってきた道を通り過ぎてそのまままっすぐ進んだ。道はすぐ下り始める。このまま行けばまた川に出ると思ったら、案の定依田川に架かる橋に出た。橋を越えて近くに停車。橋の写真を撮る。五反田大橋という名前だった。すぐ上流にも青い色の橋が見える。そこからまた川沿いに上流方向に進んでみた。川はすぐ見えなくなり、町中の生活道路を走る感じになる。しばらく町中を進むと142号線に合流し、その142号線はすぐまた長久保の信号で152号線に合流する。142号線と152号線はそのまま1本になり、大和橋の信号でまた142号線と152号線に分かれる。その時左右が逆になる。つまり142号線と152号線はX状に交わっているわけだ。その交差するところが点ではなく短い線になっているということである。初めてここを通った時152号線をまっすぐ走っていたはずがいつの間にか142号線になり、またしばらくして152号線になっているので戸惑ったものだ。142号線(中山道)は和田峠に向かい、152号線は大門峠(白樺湖方面)に向かう。

 152号線を進むことにした。この道は今年2月にブランシュたかやまスキー場と不動滝に行った時以来だ。このあたりはスキー場がひしめき、白樺湖、女神湖、霧ケ峰、八島ヶ原湿原、長門牧場、蓼科牧場、ビーナスラインなど観光名所がたくさんあるところだ。いずれも一通りは行ったことがある。今回は依田川探索の延長なので、名所よりもやはり川にこだわりたい。川は道の右側を流れている。走っている時はそれが依田川だと思っていた。川の方向に下りる道があったので右折してみる。すぐ橋に出た。橋の手前に車を停める。橋の名前は大門橋。川は依田川ではなく大門川だった。よく地図を観直してみると、大和橋で142号線と152号線に分かれた時、依田川は152号線に別れを告げ142号線について行ってしまったのだ。この浮気者め。ちょうど大和橋のところで依田川に大門川が合流しているので気がつかなかった。大門川は152号線に沿って流れている。大和橋は142号線と152号線、さらには依田川と大門川が1点で交わる結節点だったのである。知らなかった。川に興味を持たなければ、永遠に気付かなかったかもしれない。

 それはともかく、話を大門橋に戻そう。橋自体は普通の橋だが(ただし鹿曲川の望月橋のように車用と歩行者用の橋が二つ並んで架かっている)、川の上流側が階段状になっていていい表情をしていた。上流と下流に別の橋がそれぞれ見える。橋の両端の横にそれぞれ石碑が建っていた。こちら側に立っているのは災害の記念碑だが、有名な大臣だったか首相だったかの名前が麗々しく彫ってあったので無視。反対側にあるのは小野沢戎平という医者の顕彰碑である。こちらは地域医療に尽くした人らしいので一応写真を撮った。橋のすぐ下流側には常福寺があった。赤い帽子とよだれかけを付けたお地蔵さんが並んでいたのでこれも写真に撮る。

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<写真>
大門橋、大門橋から上流を臨む、お地蔵さんたち

 下流の橋が気になるので道を戻ってそちらに行ってみる。しかしどうも橋の方に行く道が見つからない。少し先に行ったところで川の方に入る道があったので曲がってみる。すぐ橋があった。しかし先ほど見えた橋とは違う。さっき見えたのは白っぽい橋だったが、こちらはこげ茶色だ。とにかく近くに車を停めて写真を撮ろうとした。橋の名前を写真に撮ろうとした時、のけぞるほど仰天した。「夢がない橋」!?なんだこれは?どうしてこんなお先真っ暗な、東京凡太(古っ!)が命名したような夢もチボーもない名前にしたのか?いやはや橋の名前にもいろいろあるが、こんな身も蓋もない名前は聞いたことがない。あきれ果てながらしっかりと橋の写真を撮る。欄干に花を模したかわいいレリーフが付けられている。う~、花が枯れているデザインでなくてよかった。平成12年3月完成となっているのでまだ新しい橋だ。それにしてもこのネーミングの感性なんとかならないか。でも、考えようによっては珍しい名前なので、「こんなの知ってた?」シリーズでも作ろうかと本気で考えた。

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<写真>
夢がない橋(3枚)

 写真を撮り終えてまた元の152号線に戻ろうかと思ったが、今の道の先に何があるか気になったので少し先まで行ってみることにした。まさに正解だった。しばらく上ると道は下りになる。その先にまた橋があった。写真を撮ろうと名前を観たら、何と今度は「夢の架け橋」。もうここまでくれば唖然とするばかり。長門町に未来はないな。先ほどの橋とペアなのだろうが(こちらは平成11年完成なので1年早い)、「夢の架け橋」ときてはそのセンスはもはや絶望的だ。この橋を先に見てから「夢がない橋」に行ったら飛び降りる奴が出るぞ!そんなことを考えながら、一方でまた別の考えも浮かんでいた。これについては最後に書くことにする。

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<写真>
夢の架け橋(3枚、真中は川の上流側)

 あまりのことに頭がくらくらしながら車の方に戻る。その時不思議なことに気づいた。川の名前が大門川になっているではないか!?今峠を越えてきたはず。峠の両側を同じ川が流れているはずはない。だとしたら「夢がない橋」が架かっていたのは何の川だ?車で戻る時に「夢がない橋」が架かっている川の名前を走りながら確認した。やはり大門川になっている。どういうこと?とっさに川が流れる方向を確認してやっと納得がいった。要するに、大門川はぐるっと山を回り込むようにして流れていたのだ。「夢がない橋」は上流側、「夢の架け橋」は下流側。そういうことだった。しかしまあ、今まで出会った中では群を抜く不思議空間だ。年末までまだ3カ月以上あるが、「ゴブリン選定 輝け!不思議空間大賞2007」を授与しちゃおうじゃないの。

 また152号線に戻って、大門峠方向に向かう。仏岩温泉の看板があったのでそこに行ってみることにする。地図には仏岩橋も載っているので、案外いい橋かもしれないという期待もあった。行ってみると仏岩橋はなんてことない橋だった。白いガードレールの付いた貧弱な橋だ。がっかり。その先の仏岩温泉も閉まっていた。仏岩も探してみたが、それらしい岩は見当たらない。ただ、温泉から向かいの山を見ていた時はっとひらめいた。山のあちこちで岩がむき出しになっている。そのうちのどれかの形が仏に見えるということかも知れない。帰宅後ネットで調べたら当たらずとも遠からずというところ。向かいの山のてっぺんあたり、そそり立つ岩場の上に宝篋印塔という石塔が立っているらしい。「応長元年(1311)」と銘が入っているというのだからとてつもなく古い。そんな昔に一体誰が、どうやって運びあげたのか?謎の石塔らしい。

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<写真>
仏岩橋、仏岩のある山、夢かない橋

 ここまでで引き返す。家に着いてすぐデジカメの写真をパソコンに取り入れた。どうしても確かめておきたいことがあったからだ。パソコンの画面に「夢がない橋」の名前の部分を映し出した。やっぱり。いや~、お騒がせしました。よくよく見たら、「夢がない橋」ではなく「夢かない橋」だった。上で書いた「別の考え」とはこのことだった。つまり「夢叶い橋」。そういうことね。最初から漢字で書いておけよ。と八つ当たりしながらも、自分の早とちりを反省。そうかそうか、それなら「夢の架け橋」とペアになるわねえ。知り合いに落ち込んでいる奴がいたらここに連れてきて励ましてやろうか。でも「夢かない橋」の方はやっぱり止めておくか。落ち込んでいると僕みたいに勘違いして、いきなり川に飛び込みかねないからね。

<追記>
 この文章を書いていて、思い出したエピソードがある。まだ東京に住んでいた頃。場所は新宿駅の東口。駅からアルタ前に出ると、左のガードに昔は大きな映画の看板がいくつも並んでいた。ある時その中の一つに「日銀を越えて」というのがあった。ちょうど円高という言葉が日本人の間に定着しつつある頃で、円高問題を扱ったシリアスな社会派ドラマかと思った。しかしそれにしては絵が合わない。なんだかアルプスのような山が映っている。近くまで行って真相判明。「日銀」ではなく「白銀を越えて」だった。アドベンチャー・ファミリー・シリーズの最新作だったのだろう。いやあ、あの頃から目が悪かったのね。

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