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2007年9月2日 - 2007年9月8日

2007年9月 6日 (木)

ヨコハマメリー

2005年 日本 2006年4月公開
評価:★★★★
監督:中村高寛
企画・制作:人人フィルム
プロデューサー:白尾一博、片岡希
撮影:中澤健介、山本直史
出演:永登元次郎、五大道子、杉山義法、清水節子、広岡敬一、団鬼六、山崎洋子
    福寿祁久雄、大野慶人、松葉好市、森日出夫、木元よしこ、五木田京子
    福寿恵美子、三浦八重子、山崎正直、山崎きみこ、湯田タツ

033799_2  もう30年近く前になるだろうか。1度だけ東京の福生に行ったことがある。何のために 行ったのかは忘れてしまったが、街の独特の雰囲気はよく覚えている。駅の周辺を歩いただけだと思うが、そこは確かに米軍のいる街だった。ちょうど夕方の時間帯で、一目でそれと分かる女性が街角に立っていた。道端に停まっている車の中にも、化粧の濃い女性が人待ち顔に座っていた。人が乗っているとは思わなかったので、薄暗い車内にぼんやりと浮かぶ女性の顔が目に入った時ドキッとした。  横浜がヨコハマだった頃、すなわち米兵がたむろする街ヨコハマだったころ、福生に似た雰囲気が漂っていたのだろうか。福生は松本清張の『ゼロの焦点』と深いかかわりのある街である(ひょっとしたら、この本を読んで実際にどんなところか見に行ったのかもしれない)。戦後が色濃く残る街。50~60年代のヨコハマを僕は知らないが、僕のイメージの中では福生とヨコハマは重なっている。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

  昨年は珍しく「三池 終わらない炭鉱の物語」、「六ヶ所村ラプソディー」、「ガーダ パレスチナの詩」、「ヨコハマメリー」、「蟻の兵隊」、「スティーヴィー」などドキュメンタリーの力作がそろった。今年も「コマンダンテ」、「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」、「シッコ」、「ヒロシマナガサキ」などが話題になっている。ドキュメンタリー映画を積極的に上映してきた「山形国際ドキュメンタリー映画祭」、「ゆふいん文化・記録映画祭」、ポレポレ東中野などの果たした役割も大きい。特筆すべきことだろう。ドキュメンタリー映画はなかなかDVDになる機会が少ないが、ようやく「ヨコハマメリー」をDVDで観ることができた。

 僕は合計12年間東京に住んでいたが、横浜はほとんど行ったことがない。だからメリーさんのことは知らなかった。横浜に住んでいる人なら誰でも知っている伝説の存在だったようだ。白塗りの顔に目の周りだけが黒々とアイシャドウで縁どられている。上品な白い衣装に身を包み、大きなバッグを二つ持って伊勢佐木町あたりを徘徊する老婆。初めて出会った人は一様に驚き、ギョッとする。人を寄せつけないような独特のオーラがあったそうだ。都会のジョングルに出没する妖精(妖怪)のような存在。匿名性が特徴である大都会で誰もが知っている実在の人物。

 「ヨコハマメリー」はメリーさん本人ではなく彼女や彼女のいたころのヨコハマを知る人たちのインタビュー(特に永登元次郎さんは実質的な主役である)に焦点を当て、メリーさん に対する彼らの想い出や思いを描くことで間接的にメリーさんの人物像を浮かび上がらせようとしている。つまりメリーさんの実像ではなく、彼女の記憶の記録なのである。「ヨコハマメリー」を観て、僕は今井正の名作「キクとイサム」を連想した。黒人米兵と日本人女性の間に生まれた姉弟。戦争の置き土産だった(主演の高橋恵美子は現役のジャズ歌手高橋エミとして今も活躍している)。「ヨコハマメリー」もメリーさんの正体を暴くことではなく、人々の中に残る彼女の記憶を引き出し、同時に彼女がいたヨコハマを浮かび上がらせることに焦点を当てている。黒澤明の「天国と地獄」にも登場した米軍相手のバー「根岸家」の記憶を執拗に呼び起こそうとしているのもそのためなのだ。ただ欲を言えば、もっと当時の写真や映像をふんだんに映し出してほしかった。彼女はここに立っていたと言われても、今の建物を映していたのでは当時をイメージできない。建物や服装などをイメージするにはどうしても当時の映像が必要である。

 それでも、インタビューの中からヨコハマという街がメリーさんを排除するのではなく、受け入れていた様子は伝わってくる。ホームレスを中に入れるビルや店はまずないだろう。しかし家を持たないメリーさんに寝場所を提供し、客として受け入れていた所がいくつもあったということは記憶に値する。彼女が誰かにいじめられていたという話は一つもなかった(語られなかっただけかもしれないが)。

Photo  ヨコハマの人たちとメリーさんのかかわり合い、それはこの映画の重要なモチーフの一つである。当然彼女を煙たがっている人たちもいた。彼女と同じカップで飲みたくないと言ってきた客(ティーサロン「New相生」)、エイズが話題になったころにはメリーさんに使った櫛を使わないでほしいと言う美容院の客もいたという(ルナ美容室、湯田タツさん)。苦情を受けた店の対応には感心した。メリーさんに相応しい素敵なカップをご用意しましたよと言ってメリーさん専用のカップを用意したというのだ。クリーニング店「白新舎」は衣装全部を持ち歩けないメリーさんの服をたくさん預かっていたそうだ。引き換えの札が厚い束になるほどで、彼女専用のスペースまで設けていたという。ルナ美容室は客足が減るのを恐れてメリーさんの利用を断ったそうだが、そう語る湯田タツさんは本当に無念そうだった。できればそんなことは言いたくなかった、そういう気持ちが伝わってくる。人をそういう気持ちにさせる何かがメリーさんにはあったのだ。またそういうメリーさんをできる限り受け入れようとする人たちがヨコハマにはいた。そういうことをきちんと描いたことにこの映画の価値の一つがある。

 彼女に助けられた人たちもいる。メリーさんは芸術に対する優れた鑑賞眼を持っていたらしい。メリーさんが見に来るような公演は大当たりするので、いつも舞台の袖からメリーさんの姿を探していたという発言もあった。舞台芸術家の大野慶人さんは『ハムレット』のオフィーリアを演じる時に、メリーさんを参考にしたそうである。メリーさんが美しい香水のケースを慈しむように見ていた様子を身振りを交えて再現して見せる彼の口調にはメリーさんに対する畏敬すら感じられた。

 永登元次郎さんのインタビューも印象的だ。メリーさんが故郷に戻る前の数年間、ずっと彼女を支えてきた人だ。シャンソン歌手だが、ゲイであり若いころ男娼もしていたという彼自身も相当な人生の荒波をくぐりぬけてきた人である。しかもインタビューを受けた時には癌に侵されていた。メリーさんと心を通わせることができたほとんど唯一の人だったのもうなずける。彼には若いころ、再婚を考えていた母親に「パンパン」という言葉を投げつけてしまったという苦い思い出があった。なぜあんな残酷なことを言ってしまったのかという悔いが、本物のパンパンであったメリーさんを支えたいという気持ちに結びついたと語っている。男娼をしていた彼自身の経験も彼女とのきずなを深めたようだ。

 彼によると、メリーさんは誇り高い人で、人から施しを受けることを拒んでいた。「メリーさんにお金をあげたいと思っても裸では受け取ってもらえなかった。封筒に入れて“お花代”として、これできれいなお花でも買ってくださいと言って渡すと初めて受け取ってくれた。」住む場所がない彼女のためにだいぶ奔走したそうだ。映画は彼とのインタビューと彼のコンサートにかなりの時間を割いている。彼の思い出を通してメリーさんの姿を浮かび上がらせようという作りになっている。正直言って、映画の構成からすれば、彼に比重をかけすぎていると思う。彼が背負ってきた人生の重さを強調し、それをメリーさんの人生に重ねようとしている。そういう構成になっている。その点に多少疑問を感じないわけではない。

 しかし、メリーさんに対する彼の思いをじっくりと描いていたからこそ、ラストでメリーさんとTeien再会する場面が素晴らしいクライマックスになったとも言える。自分がまだ元気なうちに、もう一度メリーさんに会いたい。彼はメリーさんの入っていた老人ホームでの慰問コンサートを企画する。この時点で観客はメリーさんという人物にかなり引き込まれている。彼のコンサートにメリーさんは来ているのか?われわれは不安な気持ちで彼の歌を聞いている。キャメラは長々とステージの彼をとらえる。やがてキャメラはゆっくりとパンして観客席を映す。何度もうなづきながら聞いている素顔のメリーさんが画面に映った時、体に衝撃が走った。メリーさんは普通の老女に戻っていた。白塗りの仮面をとった彼女は上品なおばあさんだった。

 丹念にメリーさんのイメージを積み上げてきた構成が、ラストの強烈なインパクトを生んだ。そう言っていいだろう。われわれはラストで垣間見た彼女の柔和な顔とそれまで彼女が歩んできた人生を重ね合わせて見ずにはいられない。故郷でどんな少女時代を送り、54年に横須賀に流れてくるまでに一体何があったのか。メリーさんの手紙を観れば、彼女がかなりの教養を持った人であることが分かる。実に達筆である。あの年になって、自分はまだまだ未熟でもっと立派な人になりたいとはなかなか書けない。一体彼女はどんな人だったのか。そう思いをめぐらさずにいられない。そうさせるのは映画の力である。もちろんこの映画の目的は彼女の過去を暴くことではない。彼女は自分の過去を誰にも語らず、墓場まで持っていった。彼女はこの映画と森日出男さんが撮った彼女の写真の中でだけ生き続ける(彼女がうつむいてベンチに腰掛けている写真は素晴らしいショットだ)。それでいい。

 元次郎さんの歌う「マイ・ウェイ」や「哀しみのソレアード」は決してうまいとは思わないが、彼が歌に込めた気持ちは確かに伝わってきた。テーマ曲の「伊勢佐木町ブルース」の使い方も実にうまい。当時の雰囲気がよく伝わってくる曲だ。 

 戦後およそ20年たって作られた「拝啓天皇陛下様」(63年)の最後は「拝啓天皇陛下様 陛下よ あなたの最後のひとりの赤子(せきし)がこの夜戦死をいたしました」という言葉で結ばれている。しかしメリーさんはそれからさらに40年ほども戦後の混乱の時代を引きずって生きてきたのである。

<追記>
 「悲しみのソレアード」について。この曲はもともとイタリアのインストルメンタル・ポップスらしい。哀愁に満ちた曲で日本人には親しみやすい。ミレイユ・マチューやジョニー・マティスのフランス語と英語バージョン、由紀さおり・安田祥子の日本語バージョンなどいろんな人が歌っているが、僕は白鳥英美子の英語バージョンが一番好きだ。「トワ・エ・モア」からソロになって以降彼女は数々の名盤を世に送ってきたが、「ソレアード」は「アメイジング・グレイス」と並ぶ彼女の代表曲である。「Re-voice 白鳥英美子ベスト」などに収録されている。

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2007年9月 3日 (月)

路地裏探索 その2

 以前「路地へ」という記事を書いた。今回はその第2弾。タイトルは「路地裏探索」と若干変わっているが、「路地へ」の続編である。以後「路地裏探索」としてシリーズ化するつもりだ。路地裏探索といっても別に路地の写真ばかり撮るつもりはない。要するに、にぎやかな大通りを避けて脇道に入り込み、路地や目についた建物、石碑、もちろん川と橋なども写真に撮るつもりだ。

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<写真>
宗吽寺裏の路地、道祖神と路地、毘沙門堂

  車で上田旧市街へ。海野町の駐車場に車を停めて、路地裏探索に出る。鷹匠町から常田2丁目あたりを歩いてみる。このあたりも路地の宝庫だ。古い味のある建物も多い。横町通りを渡って駐車場の向かいの路地に入る。「ささや」の裏あたり。小さな駐車場の前に道祖神があった。上田はちょっと歩くとすぐ道祖神に出会う。宗吽寺(そううんじ)の横を回り込み、さらにまっすぐ進む。このあたりは細い道ばかりだ。突き当りを右折。141号線の方に向かう。途中に緑色の古風な建物がある。昔は病院だった建物だ。相当古びていたが、今は塗装を塗り直してきれいな建物になった。その建物の横の路地に入ってみる。初めて足を踏み入れるところだ。特にどうということはないのですぐ引き返す。途中素敵な家があったので写真を撮る。緑の家のすぐ先に毘沙門堂がある。その向かいに路地がある。ここは昔常田に住んでいた頃時々通った道だ。懐かしい。久々に通ったが思ったほど道は細くなかった。時々さらに細い路地に入り込みながら進む。路地の終点は秋野大宮社の裏側になる。回り込んで神社に入り写真を何枚か撮る。秋野大宮社はジャスコ/イオン横の交番前交差点を渡ってすぐ左手にある。

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<写真>
緑の家、毘沙門堂向かいの路地、秋野大宮社

 神社を出て141号線と並行して走っている細い道を上田駅方面に進む。79号線だが、むしろ江戸の五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)の脇街道であった北国(ほっこく)街道と言ったほうが分りやすいだろう。上田の中心街を東西に横断している。ここも古い町並みが少し残っているところだ。「犬神家の一族」(76年版)でロケ地になったところだ。金田一耕助(石坂浩二)がここを走ったわけだ。今回の再映画化でもこことやはり北国街道沿いの柳町で再びロケをしたようだ。再び横町に出て駐車場に戻る。

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<写真>
北国街道沿いの古い民家、蔦のからまる家、横町の路地(映劇前の通り)

  物足りないので、もう1か所回ることにした。上田城跡公園横の体育館駐車場に車を停める。駐車場の正面は市営野球場。映画「博士の愛した数式」でルートが野球の試合をするシーンがあるが、そのシーンはこの球場で撮影された。僕も観客のエキストラで出る予定だったが、当日になって気が向かなくなって行かなかった。その時はあんな傑作になるとは思ってもいなかった。行っていれば、深津絵里がナマで見られたかもしれないのに、残念。

 散策に出る前に駐車場の下にある軽食・喫茶「富貴」の写真を撮る。上田城跡と体育館の間の坂道にひっそりと建っている店。小さい建物ではないが、目立つ看板を立てていないのでうっかりしていると見落としてしまう。ごくたまにしか行かないが、静かで落ち着ける店だ。特に喫茶コーナーの内装が落ち着いていてお気に入りである。

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<写真>
富貴、旧松本街道の道しるべ、歴史の散歩道入口

 常盤城(ときわぎ)あたりを歩いてみる。ここは前にも一度たどってみたところだ。諏訪部、生塚(うぶつか)あたりである。まず旧松本街道をたどる。一部が「歴史の散歩道」になっている。距離は短いがお気に入りの場所だ。上田の住人でも案外知らない人が多いかもしれない。上田市はかつて養蚕で栄えた町。道の両側に立ち並ぶ立派な家々と路地の風情からかつての蚕都上田の繁栄ぶりがうかがえる。道には長方形のスレート状石畳が敷かれている。両側が壁になっている。右側は白壁に下部が黒板。相当歴史がありそうな立派なお屋敷である。左側も大きな邸宅の壁が続く。灯籠や植込みが美しい。竹垣のところは、その下に石が積んであり、緑の草が植えてある。ちょっとしたロック・ガーデン。この緑が実に鮮やかで、思わず写真に撮ってしまった。純日本的な路地。上田で一番好きな路地かもしれない。

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<写真>
歴史の散歩道(3枚)

 そこを抜けると右側に延命地蔵尊、正面に芳泉寺がある。芳泉寺は真田信幸の正室である小松姫の菩提寺である。そこを左折して坂を少し下り(玉姫殿の方向)、また左折して路地に入る。また歴史の散歩道を通って芳泉寺の所に出る。今度は右に行く。しばらく進むとT字路に出る。ちょうど角の所に石の道しるべがある。石に「北向観世音道」と彫ってある。石の形が道祖神に似ているので、横に案内板がないと気づかない。突き当りを左折。

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<写真>
石垣の緑、散歩道終点、延命地蔵尊

 道なりに進むと矢出沢川に架かる高橋に出る。高橋という橋である。面白いもので、高橋というと人名を思い出すので、実際に橋の名前として付けられると違和感がある。長谷川という川や中山という山があったらやはり違和感があるのだろうな。橋の名前だけではなく、そのあたりも高橋と呼ぶようだ。高橋のすぐ先(下流側)で川は湾曲している。そのカーブしているところは左岸に高い石垣があり、その下にやや広い河川敷がある。そこは山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」で真田広之が大杉漣と決闘するシーンを撮ったところである。以前常田に住んでいた頃、ここまでよく自転車で来たものだ。眺めのいいところだが、「たそがれ清兵衛」で有名になったせいか、川の横にベンチを置いたりしてきれいに整備されている。「『たそがれ清兵衛』はここで撮影されました」などと大書したでっかい看板が立たないことを祈る。

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<写真>

石の道しるべ、高橋(2枚)

 そこから北の生塚の方に向う。国道18号の手前で右折。18号と向源寺の間の細い道を通る。向源寺の角で右折してまた矢出沢川に出る。向源寺の正面に赤い橋が架かっている。橋が参道になっているので赤いのだろう。橋の名前も向源寺橋と分かりやすい。また高橋を渡り、先ほどの道を引き返す。石の道しるべのところで右折すれば芳泉寺の方に戻るのだが、曲がらずに直進した。その道も北国街道である。白壁の土蔵がたくさん残っていたのだが、今は普通の道と大して変わらない。一か所だけうだつ(「うだつが上がらない」という時のうだつだ)が付いている古い民家があったので写真にとる。しばらく行って右折。まっすぐ進むと振り出しの体育館駐車場に出る。40分くらい歩いただろうか。気持ちのいい汗をかいた。

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<写真>

高橋(決闘の河原)、向源寺、うだつの上がる家

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