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2007年8月12日 - 2007年8月18日

2007年8月17日 (金)

ウェディング・バンケット

1993年 台湾・アメリカ 1993年公開
評価:★★★★☆
原題:喜宴/THE WEDDING BANQUET
監督:アン・リー
脚本:アン・リー、ジェームズ・シェイマス、ニール・ペン
撮影:ジョン・リン
出演:ウィンストン・チャオ、ミッチェル・リヒテンシュタイン、メイ・チン、ラン・シャン
   グア・アーレイ

 これまで「推手」「恋人たちの食卓」のレビューを書いたが、今回の「ウェディング・バンケット」でアン・リー監督の“父親3部作”を全部観たことになる。僕は「推手」、「恋人たちのWedd001 食卓」、「ウェディング・バンケット」の順に観てきたが、日本で公開された順序は全く逆である。そしてそれはまた製作年ともずれがある。1作目の「推手」(91年)の公開が一番遅く96年公開、2作目の「ウェディング・バンケット」(93年)の公開が一番最初で93年、3作目の「恋人たちの食卓」(94年)の公開が2番目で95年。1作目の「推手」の頃はまだ注目されていなかったのだろう。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した「ウェディング・バンケット」で初めて注目され、その年に早くも日本で公開されている。その後に公開された「恋人たちの食卓」の評判も良かったので、さかのぼって第1作目が3番目に公開されたという事情だったと思われる。

 3作には“父親”役のラン・シャンが共通して登場している。“父親3部作”と呼ばれる所以である。彼の存在感は3作を通して圧倒的である。彼が画面に登場するだけでほっとするくらいだ。もちろん共通点はそれだけではない。親子の関係のきしみとその再生、それが3部作に共通するテーマである。「推手」では中国人の父親とアメリカ人の嫁との文化的・世代的ギャップ、「恋人たちの食卓」では父親と娘たちの世代間ギャップ、そして「ウェディング・バンケット」では両親と息子の世代間ギャップに加えて息子がゲイであるという恋愛・結婚観のギャップが加わる。ゲイというテーマは「ブロークバック・マウンテン」でも扱われているが、「ウェディング・バンケット」ではあくまで親子間の葛藤に重点がある。さらには、グリーンカードをめぐるアメリカでの永住権の問題(偽装結婚も含めて)もからんでいる。この点では韓国映画「ディープ・ブルー・ナイト」(88年)と「グリーン・カード」(90年)に通じる。身内の前で夫婦を装うという点では「Dearフランキー」やウルグアイ映画「ウィスキー」などにも通じる。

 しかし作品として一番比較して意味があるのはケン・ローチ監督の「やさしくキスをして」(04年)だろう。こちらはアイルランド人女性とパキスタン移民2世の男性の結婚をめぐる映画である。ゲイとは関係ないが、結婚をめぐる親子の葛藤を描いたという点では共通する。「やさしくキスをして」のレビューで次のように書いた。「恋愛は個人の問題である。しかし結婚となると親が口を挟んでくるものである。ましてや異なる民族間の恋愛、結婚となると個人のレベルを超えて家族、ひいては民族間の問題へと発展する。」民族問題をゲイの問題に置き換えればほぼ同じことが「ウェディング・バンケット」にもいえる。恋愛は個人の問題だが、結婚は社会的行為なのである。「ウェディング・バンケット」はそのずれから生じる悲喜劇を描いたものである。

 「やさしくキスをして」と「ウェディング・バンケット」の一番の違いは問題の決着のつけ方である。あくまで現実の困難さを冷徹に見つめ、最後まで明確な出口を示さない「やさしくキスをして」に対して、「ウェディング・バンケット」は互いを思いやることで問題を解決に導こうとする映画である。その意味で「ウェディング・バンケット」に甘さがあるのは確かだ。しかし逆に「やさしくキスをして」に出口のない重苦しさを感じるのもまた確かである。どちらの結末の付け方が良いと簡単には言えない。どちらの作品もすぐれたものだと思う。ケン・ローチの妥協のない冷徹な洞察も素晴らしいが、「ウェディング・バンケット」のようにまだまだ実現が困難なことを実現させてみせることも映画の持つ重要な機能の一つである。

 息子の結婚式で母親が花嫁のウェイウェイに“子授けのスープ”を飲ませるシーンがある。その傍らで父親がウェイウェイと息子のウェイトンに、夫婦は生まれも育ちも違うが、互いを思いやる心が大切だと話している。この言葉がラスト部分の伏線になっている。思いやりが言葉だけではなく心からのものであり、本当にそれを実践すればこの親子のねじれた関係も何とか解決できるのだと「ウェディング・バンケット」は示している。

 現実を厳しく見つめる「やさしくキスをして」に比べれば、互いを思いやる心で問題を解決してしまう描き方はありきたりで現実の困難を回避しているように見える。しかし、作品を評価するにはテーマがどれだけ掘り下げられているか、つまり、親子が直面した問題と彼らの葛藤がどれだけリアルに描かれているか、それに対する解決の方向が望ましい方向に向いているのか、またその解決方法が安易なものではないかを総合的に見て判断すべきである。

 作品に即して具体的に見てみよう。主人公はニューヨークの不動産会社で働くカオ・ウェイトン(ウィンストン・チャオ)。台湾からアメリカにわたり市民権も得ている。彼の悩みの種は事あるごとに早く結婚して孫の顔を見せろと催促する母親の存在。しかし彼にはそれに応えられない事情があった。彼はゲイで恋人のアメリカ人サイモン(ミッチェル・リヒテンシュタイン)と暮らしていたのである。サイモンは親や周りに自分がゲイであるとカミングアウトしているが、台湾出身であるウェイトンの場合はそうもいかない。両親に自分がゲイであることを告げられずにいたのだ。

 苦し紛れにウェイトンは「身長175cm以上、数ヶ国語が話せオペラに興味がある女性」なWedd008 どととんでもない花嫁候補の条件を付けてみせるが、それがお見合い逃れの手であることを母親は百も承知。「敵」もさる者、結婚紹介所で散々粘ったのだろう、その条件通りの女性がニューヨークに乗り込んでくるところが可笑しい。もちろんその話は破談に。しかし近々両親がニューヨークにやってくると聞いてウェイトンは大慌て。そこでサイモンに相談すると、カモフラージュに偽装結婚したらいいとアドバイスされる。偽装結婚の相手はウェイトンが管理するビルの住人で、グリーンカードが取れなくて困っているウェイウェイ(メイ・チン)。上海出身の芸術家だ。これで両親もウェイウェイも満足して八方丸く収まる、はずだった。

 とにかく両親が滞在する2週間を乗り切ればいいという思いで着々とウェイトンは準備を進める。家具や荷物を整理し、サイモンとの「関係」を示すものをすべて取り去る。代わりに父親の書いた書の掛け軸を壁に掛ける。ウェイウェイにはウェイトンのことをにわか勉強させる。サイモンは大屋ということにする。いよいよ両親がやってくる。2人は幸いウェイウェイが気に入ったようだ。父親ときてはウェイウェイのお尻を見て「良し、安産型だな」と漏らして妻にたしなめられたほどだ。

 父親の書いた書をウェイウェイが的確な表現でほめるので父親はうれしそうだ。ウェイウェイが画家であることがここでは幸いした。上機嫌の父親は息子に、なぜ自分が軍隊に入ったかを打ち明けたりする(父親は元師団長である)。両親が勝手に結婚相手を決めたので、それから逃れるために軍隊に入ったというのだ。母親が息子に矢の催促をしていたことは知っていたはずだから、息子が自分で選んだ女性と結婚することを父親なりにほめたつもりなのだろう。

  計画は順調に進んでいるかに思えた。しかしそこに短いが不吉な場面が差しはさまれる。ある時父親が椅子でぐったりとなっていた。ウェイトンは一瞬父親が死んでいるのではないかと思いぎょっとする。父親は心臓を患っていたのだ。幸い父は居眠りしているだけだった。食事だと声をかけるとすぐ立ち上がり、すたすたと歩き去ってゆく。

 しかしこれはやはり不吉な予兆だった。息子たちが簡単な式で済ますと言うので両親はがっかりする。役所から出てきたとき「こんなみじめな式で」と嘆く母親。サイモンが気をきかしてみんなを夕食に招待する。しかしこれがとんでもないことになってゆく。なんとそのレストランのオーナーはかつて師団長だったウェイトンの父親の運転手を20年も務めていた人だった。事情を聞いて、簡単な式で済ましては「お父様に失礼ですよ」とウェイトンに意見し、このレストランで披露宴をやりましょうと提案する。沈み込んでいた両親はやっとうれしそうな顔をする。こうして事態はどんどん思いがけない方向に進んで行ってしまう。

 もはや誰にも事態の進行を止められない。ウェディングドレスもそろえ(ウェイトンの母親が自分の結婚式で着たもの)、記念写真も撮った。そして怒涛の結婚披露宴へ。「ヤンヤン/夏の想い出」にも出てくるが、台湾式の披露宴は超がつくほど豪勢だ。乱れっぷりもすごい。盛り上がってくると箸でグラスや皿を叩き始め、花嫁と花婿にキスを要求する。それで収まらず目隠しキス(花嫁にどれが夫のキスか当てさせる)までやらせる。やっと式が終わり、二人が部屋に引き上げると、そこへも友人たちがなだれ込んでくる。ベッドに入って1枚ずつ服を脱げと迫る。

 やっとうるさいやつらも帰ったと思ったら、今度はウェイウェイの様子がおかしい。「開放するの」とウェイウェイがウェイトンに絡みついてきた。なんとその「初夜」でウェイウェイは妊娠してしまった。このあたりはドタバタ調だが、その後俄然事態は深刻になってくる。ここまでは基本的にコメディ・タッチで描かれている。それに、両親に真実がばれないかとハラハラさせる軽いサスペンス・タッチがトッピングされている。このニタニタハラハラの展開が観客の関心を引っ張るドライブになっていた。

 ここから起承転結の「転」の部分に入る。アン・リーの演出が冴えわたるのはここからだ。主要登場人物はわずか5人だが、複雑に入り組んだ思惑を一人一人描き分けてゆく。その手際が水際立っている。ウェイウェイが妊娠したことでウェイトンとサイモンの関係も危うくなってくる。3人はウェイトンの両親の前で派手に喧嘩をしてしまう(どうせ英語は分からないと思っている)。事態が望まぬ方向に進展してゆくのを苦慮していたウェイトンは、父親が発作を起こして入院したのを機に自分は同性愛だと母親に打ち明ける。思わぬ告白にうろたえる母。理解してもらえないと分かっていても、「同性愛者は、心を通わせる相手を見つけることは難しい。サイモンは僕の宝だ」と必死に訴えるウェイトンには決然としたものがあった。ついに真実を打ち明けた時の彼の姿がすがすがしい。最後まで納得できない母親だが、お父さんには秘密にしておいてほしいと息子に訴える。

 ウェイウェイのエピソードはある意味でさらに感動的だ。ウェイウェイは結婚衣装を義理の母に返す。彼女はこの一家から去るつもりだったのだ。その時母親が言った言葉が何とも悲しい。「贈り物は返せても贈った人の愛まで返せるの?」母親は何とかウェイウェイを引き留めようとする。「夫と子供は大切よ。」「いえ、違います。」世代間のギャップというテーマが2人の会話から浮かび上がってくる。母親の説得を振り切った彼女は中絶を決意する。ウェイトンと互いにベッドで背を向けあっての会話が彼女の苦悩を余すところなく示している。「グリーンカードに払う代償は大きいわね。アメリカにしがみつくのは間違いだわ。自分のために偽装結婚をして、サイモンやあなたの両親を傷つけ、小さな命まで奪うなんて。明日でもうこんな生活やめるわ。上海へ帰る。彼と仲直りして。もうウソはイヤ。」

 終始脇役だったサイモンも最後に重要な役割を与えられる。彼がウェイトンの父に誕生Artsttree200wd 日のプレゼントをするシーンだ。自分でも誕生日だということを忘れていたと父親は感激する。そして彼も秘密を打ち明ける。彼はすべてを知っていたのだ。若干ではあるが英語が分かる彼は、若い3人が怒鳴り合いをした時事態を察したのである。彼がゆっくりと発音した “I watch, I hear, I learn.”という言葉が耳にはりついて離れない。その後の言葉がさらに胸を打つ。「ウェイトンは私の息子。君もまた私の息子だ。」彼はサイモンを息子として受け入れていた。サイモンを受け入れるということは、息子の苦悩も理解し受け入れていたということである。軍人であった彼がこれほど寛容であるはずはない。そういう疑問がないわけではない。しかし3部作全体を通じて、ラン・シャンが演じた老父は、常に時代の変化に翻弄されつつも、自分の道を見出し周りの変化を受け入れてきた。それぞれ別の人物を演じてはいるが、3部作全体の中に置いて考えればこの場面も受け入れられる気がする。

  父親はさらに続ける。「知らぬふりをしていれば孫を観ることができるのだ。」自分が全部知っていたことを妻にもウェイウェイにも黙っていてくれとサイモンに頼む。みんなが互いに秘密を持ち、秘密を共有している。互いに互いを大事にし思いやるからこそ秘密にするのである。そこに心の触れ合いがある。互いを思いやる優しさがある。サイモンに対する老父の言葉は心からのものだった。別れの日、母親はサイモンを抱こうとして一瞬ためらうが、父親がサイモンの手をしっかりと握った。そして息子の面倒を見てくれてありがとうと言葉をかける。それぞれが秘密を持ってはいるが、いや秘密を守っているからこそ、そこに絆が生まれた。披露宴の写真を5人で眺めた時のうれしそうな顔と顔。笑いが自然におこった。両親を見送る時残った3人は互いに肩を組んでいた(2人は今や3人共通の「両親」であり、その3人はまた生まれ来る子供の「両親」でもあった)。ウェイウェイは子供を産むことを決意していた。2人は心おきなく台湾に戻ることができる。空港に入り、金属探知器で体を調べられた時父親は両手を挙げる。それは万歳しているようにも見えた。

 それぞれが悩み、それぞれが何らかの決意をした。ウェイトンは両親もサイモンも愛しているからこそ真剣に悩んだ。悩んだ末、彼の愛情の幅はウェイウェイを受け入れるまでに広がっていた。一旦は子供を堕ろすことまで考えたウェイウェイも母親になる覚悟を決めた。夫も子供もいらないと答えはしたが、彼女の心の片隅には「贈り物は返せても贈った人の愛まで返せるの?」と問いかけた母親の言葉が消えずに残っていたに違いない。サイモンは愛する人を取り戻しただけではなく、新しく父と「息子」ができた。老父と老母は互いに隠し事をしながら、ある意味で同じ秘密を共有していた。老母は孫を息子と同じように「食べてしまいたいほど」かわいがるだろう。いろいろとまたうるさく言ってくるかもしれない。しかしこの世代の母親とはそういうものなのだ。ウェイウェイがウェイトンと二人で外出しようとした時、とっさに中絶に行くのだと察してあわてて出かける準備をした彼女の姿を忘れてはいけない。結局間に合わなかったが、彼女は必死だった。そこに母親の姿があったと思う。うるさくて仕方がないが、すべては純粋な愛情から発しているのである。

 「やさしくキスをして」も「ウェディング・バンケット」も誰一人として悪人は登場しない。しかしそれでも到る所に壁ができてしまう。「やさしくキスをして」には異文化問題や民族問題というギャップがあり、「ウェディング・バンケット」にはゲイに対する偏見という問題があるからだ。誰も悪者はいないのだが、否応なく亀裂ができてしまう。「やさしくキスをして」では誰も迷惑をかけたいとは思っていないのに、誰かが傷ついてしまう。「ウェディング・バンケット」では互いに愛し合っているがゆえに嘘をついたり秘密を持ったりせざるを得なくなる。原因はどちらも個人を超えた問題にある。それによって個人は翻弄され、混乱し、苦悩する。

 どんなにもがいても人は自分が育った文化や価値観から完全には自由になれない。「やさしくキスをして」と「ウェディング・バンケット」は家族、特に親子問題を真摯に扱った映画である。それは小津安二郎監督が生涯追求し続けたテーマだった。小津は日常を描きながら人生を描いていた。アン・リー監督はあるインタビューではっきり小津の影響を認めている。

 

アメリカに渡ってから「小津安二郎」の作品を見て、改めて台湾と日本の文化が近いということがわかりました。「小津」の作品は、『両親や親子・家族』を描き最後には必ず人生の厳しさ、つらさを感じその失望感というのにも影響を受けました。
  「第2回神戸100年映画祭 トークショー」より

 小津の影響を受け、小津のスタイルを取り入れながらも、アン・リーは小津にはないテーマを盛り込んだ。国際結婚やゲイの問題などは小津の世界には登場しない(そういう意味では「恋人たちの食卓」が一番小津の世界に近い)。アン・リー監督自身が3部作を簡単にまとめている。

 

父親像の表現として近代化社会のその構造の変化やその中で自分の存在を失いつつある父親を描きました。まず、『推手』は、近代文明に抵抗する父親そして近代化との心の葛藤を描き、『ウエディング・バンケット』では、その近代化を徐々に受け容れていこうとする父親。そして『恋人たちの食卓』は、近代化とともに自己改革をはかる父親像を描いています。
  同上

 ここで言う「近代化」とは新しい価値観ということだろう。それは新しい世代とともに現れ、古い世代を押しのけてゆく。しかし、小津の場合と違い、「自分の存在を失いつつある」古い世代はただ寂寥感や喪失感に浸っているわけではない。「推手」や「恋人たちの食卓」では新しい自分の人生を見出している。「ウェディング・バンケット」ではそこまで踏み出してはいないが、新しい世代の新しい価値観を受け入れようとした。アン・リーが小津を越えたとか、小津が古くなったとか言いたいのではない。時代が変われば、映画もまた変わってゆく。人類が存在する限り、家族や親子の関係というテーマはなくならないだろう。すぐれた作品は時代を超えて残り、それに新しい作品が加わる。そう言いたいのだ。

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2007年8月13日 (月)

世界最速のインディアン

2005年 ニュージーランド・アメリカ 2007年2月公開
評価:★★★★★
監督:ロジャー・ドナルドソン
製作:ロジャー・ドナルドソン、ゲーリー・ハナム
脚本:ロジャー・ドナルドソン
撮影:デヴィッド・グリブル
共同製作:ジョン・J・ケリー 音
楽:J・ピーター・ロビンソン
出演:アンソニー・ホプキンス、ダイアン・ラッド、ポール・ロドリゲス
    アーロン・マーフィー 、アニー・ホワイト、クリス・ブルーノ
    カルロス・ラ・カマラ、ジェシカ・コーフィール
    パトリック・フリューガー、グレッグ・ジョンソン

 これはデヴィッド・リンチの「ストレイト・ストーリー」と対になる映画である。どちらも老人が乗り物に乗って旅をするロードムービーである。一方はトラクターに乗って、もう一方はトHoop2 ラックで後ろにバイクを乗せたトレーラーを引っ張りながら。一方は兄に会うために旅に出る。もう一方はレースに出場するための旅。しかし「ストレイト・ストーリー」が終着点についたところで終わるのに対して、「世界最速のインディアン」は目的地に着いてからまた別のストーリーが展開し始める。この点が大きく違う。「世界最速のインディアン」は言ってみれば、ほのぼのロードムービーに夢へのチャレンジがプラスされた映画である。さらにスピード感が違う。前者のトラクターに乗ったのろのろ旅に対して、後者のレース突入後の展開は猛烈なスピード感があふれている。「世界最速のインディアン」が成功した一因は、ロードムービーからドリームムービーへの切り替えが実にスムーズだったことにある。単なるロードムービーではなく、また平凡なサクセスストーリーでもないところが良い。いわば両者の良いとこ取りをした映画だ。これが見事にはまっている。

 主人公のキャラクターも相当に異なる。「ストレイト・ストーリー」のアルヴィンはだいぶくたびれたじいさんだが、片や「世界最速のインディアン」のバートときたら若者も蹴散らしてゆく浜のかっとびじいさん。なにしろ何十年もかけて改良に改良を重ねた愛車の1920年型インディアン・スカウトにまたがり、地球の裏側アメリカ・ユタ州のボンヌヴィル・ソルトフラットで行われるスピード記録測定会“スピードウィーク”に乗り込もうと目論んでいるのである。もちろん単に出場することが目標ではない。何と1000cc以下の部門で世界最速記録を出そうというのである。

 故郷であるニュージーランドのインバカーギルで無謀にも若者たちがバートにレースを挑んだ。バートは最初こそ出遅れたが、いったんエンジンがフルスロットルになったが最後、弾丸のように砂浜を疾駆し、あっという間に若者たちを抜き去っていった。いやいや、あのシーンは圧巻だった。ものが違う、ものが。バートがまたがるインディアン・スカウト(スカウトとは偵察隊のこと)は本来600ccだというのだから驚く。80キロ台がせいぜいだったマシンを時速300キロ以上出る怪物マシンに改造したというのだから、これはもうチューンナップなんてレベルではない。ほとんどサイボーグ化されたマシン。

 何もそんな古いマシンを土台にしなくてもと思うが、そこはこだわりの爺さん。こいつでなきゃあ始らねえ。とにかく徹底して無駄と贅肉をそぎ取った。スピードメータ?そんなもなぁいらねえ。わしゃ走るのが仕事だ。スピードを測るのは大会の係員さね。ブレーキ用のパラシュート?走るのに何の役に立つ?いらん。タイヤのゴムのギザギザもナイフで削ってしてしまう。その一方でエンジンはムキムキの筋肉マンに変身させる。最新式マシンの性能などには頼らん。このかわいいインディアンととことん付き合うよ。まあ、こんな感じだ。この愚直さ。一本気。この点では「ストレイト・ストーリー」のアルヴィンと大いに共通する。どちらも「ストレイト」なのだ。フォークくそくらえの直球一本やり。それで何が悪い?要は結果を出しゃあいいんだろ。年なんか関係ない。前進あるのみ。「顔にしわはあっても、心は18歳だ。」すごい爺さんである。

 とにかく生活がマシン中心になっている。朝からでかいエンジン音を響かせて近所を叩き起こす。なんでも削る癖がついてるのか、足の爪を電動やすりで削るところが可笑しい。Wh01 やれることはすべてやった。もし不安があるとすれば、それは本人の体調である。なにしろ、マシンはゴジラ並の怪物だが、本人の体はボロボロである。狭心症と前立腺肥大の持病を抱えての挑戦。このギャップが逆に効果的だ。片時もニトロを手放せない。したがって会場に着くまでの旅はもたもたの連続。このあたりもアルヴィンの旅と重なる。ロードムービーだから様々な人との出会いが描かれる。バートは典型的なバイク馬鹿だが、どういうわけか人に好かれる。一つのことにのめり込むタイプだが、偏屈なじじいではない。なかなか味のあるセリフをしばしば吐く。隣に住むトム少年との会話がいい。「事故死が怖くない?」とトムに聞かれて、次のように答える。「いいや怖くないね。こういうマシンでスピードに挑む時は5分が一生に勝る。一生よりも充実した5分間だ。」「危険が人生に味を付ける。」「忘れるな、夢を追わない人間は野菜と同じだ。」

 バートには双子の弟アーニーがいた。しかし倒れてきた木の下敷きになって事故死してしまった。以来怖がることをやめたという。苦労を重ねてきた老人という設定がこれらの台詞を実に自然に響かせる。トム少年もなかなかいい。「みんな記録を破れないと思っているよ」と言った後に、”Except me”と付け加える。出発の時バイク仲間は誰も見送ってくれなかったが、例のレースで負けた若者たちが餞別を渡し見送ってくれるシーンもいい。

 初めてのアメリカはなれないことばかり。最初のうちはまさに珍道中になる。ニュージーランドと反対の右側通行で肝を冷やし、モーテルに泊まってコイン・マッサージを使えば、ベッドがガタガタと揺れて思わず飛び降りそうになる。田舎出の爺さんなので、マッサージという言葉を見て肩や腰でも揉んでくれると思ったわけだ。おまけにフロントの受付「嬢」は黒人の男だった。しかしバートはこのティナを優しく受け入れる。そこは年の功。心が広い。

 ガソリンスタンドでのエピソードも面白い。バートの怪物マシンを見た男の子が思わず「これロケットなの?」と聞くのだ。バートの返事もいい。”I hope so.”実際彼のマシンはロケットのように走った。何せニトロ入りだ。本番の日、バートは薬を2錠取り出した。「一つは自分に、一つはこいつに。」ニトロだからスピードが増すぞとガソリンタンクに入れたのである。

 バートが出会う人々の中には本物のインディアンもいた。バイクを引いてきたトレーラーのタイヤが片方外れてしまった時、助けてくれたジェイクだ。応急修理をして出てゆく時、ジェイクが餞別に犬の金玉を粉にした薬をくれる。前夜話題になった薬だ。バート「君らはまじないで直すんだろ。」ジェイク「そういう薬はある。犬の金玉で作る。病気でいる方がましだよ。」実際に薬を飲むシーンが出てくるが、バートは相当顔をしかめていた。

  車輪が外れたトレーラーを修理させてくれたエイダとの出会いもいい。一晩泊ってゆくが、2人は「微妙な」関係になってしまう。別れの時の台詞。バート「古いバンジョーもまだ音は出る。」エイダ「使わなきゃさびるだけ。」バートはレースの後帰りにエイダの所に寄ったのだろうか?ベトナム休暇兵のラスティを車に乗せる場面では、時代が60年代だということを思い出させてくれる。とにかく、みんなが「グッド・ラック」と言ってバートを見送ってくれる。そんな描き方が見ていてさわやかだ。

 いよいよ会場のボンヌヴィル塩平原(Bonneville Saltftats)に到着。一面塩に覆われたKi0008 何もない平原に立ち、バートは感無量だ。「でかいことをしたかった。」「ここは神聖な土地なのだ。今立ってる。」バートの言葉に感動が伝わってくる。しかしレースの初日にとんでもない事実が発覚する。前もって受付をしていなかったバートは参加を認めてもらえなかったのだ。だが、わざわざ地球の反対側から来たのだ。簡単には引き下がれない。何度も粘り、現地で知り合った人たちにも助けられ、なんとかテスト・ランだけ許可される。「時にはルールを曲げることも必要だ」と係員。なかなか気のいいアメリカ人だ。その時のバートの嬉しそうな顔。好きで仕方がないことをやっている時の人間の顔は本当に輝く。彼の笑顔を見て、久しぶりにソ連映画の傑作「ジャズメン」を思い出した。

 本番を翌日に控えて、テストランの結果を見てさらに改良を加えるところはさすがだ。さて、いよいよ本番。マシンにまたがったとたん、バートはポルコ・ロッソに変わる。最初はよろよろしているが、エンジン全開後はまさにロケット。ものすごい勢いでぶっ飛んでゆく。エンジンの熱がこもって足が火傷し、苦しさにうっかり顔を上げたとたんゴーグルが吹っ飛んでいったほどだ。ぐんぐんスピードは上がり、ついに324.847キロを記録。最高記録を樹立してしまった。時速300キロを越えるスピードとはどんなものか?新幹線のぞみを軽々と追い抜き、あっという間に見えなくなるほどのスピードである。窓辺に座っていた男の子が驚いて叫ぶかもしれない。「ママ、今窓の外をロケットが飛んでったよ。」ママ「えっ???」こう考えるとどれほどすごいか想像がつくだろう。

 モデルとなったバート・マンローはボンヌヴィルに9回も戻り、何度も記録を塗り替えた。67年の記録は今も破られていないというのだからすごい。頑固じいさん恐るべし。美容術もビリーズ・ブート・キャンプもいらない。若さを保つにはただ一つ、見果てぬ夢を追い続けることだ。

 監督のロジャー・ドナルドソン作品は他に「追い詰められて」、「カクテル」、「ダンテズ・ピーク」などを観たが、どれも水準程度の出来である。この映画が彼の代表作になるだろう。彼がオーストラリア生まれで、後にニュージーランドに移住した人だということは重要なことである。この映画はアメリカとニュージランド制作となっている。完全なアメリカ資本でなかったことは幸いだった。基本的にニュージランド映画だと考えていいだろう。アメリカ的な演出にしなかったことがこの映画を成功させている。ニュージーランド映画の勢いがこの映画にも表れている。1970年代末まで映画産業は存在しなかったニュージーランド。しかし、70年代末に政府がニュージーランド・フィルム・コミッションを創設。国産映画の製作に投資しはじめてからニュージーランド映画の新しい人材が出現し、国際的にも注目されはじめる。「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソンもニュージーランド出身。ロケもニュージーランドだ。「ワンス・ウォリアーズ」のリー・タマホリ、「クジラの島の少女」「スタンドアップ」のニキ・カーロも忘れてはいけない。今後も才能ある映画人が生まれてくるだろう。

 アンソニー・ホプキンスの名演も映画の魅力を支えている。ハンニバル・レクター役の印象が強いのは確かだが、彼の作品系列には「エレファント・マン」(1980)、「ハワーズ・エンド」(1992)、「ドラキュラ」(1992)、「日の名残り」(1993)、「アミスタッド」(1997)、「アトランティスのこころ」(2001)、最新作の「オール・ザ・キングスメン」(2006)、「ボビー」(2006)などがあり、実に多彩な人だ。「世界最速のインディアン」は名作「日の名残り」と並ぶ彼の代表作になるだろう。

 心にしみるだけではなく、手に汗握り、爽快感あふれるロードムービー。新鮮な経験だった。

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2007年8月12日 (日)

望月探索 望月橋と弁天窟を撮る

  車に乗って出かけたものの、どこに行くかも決まっていない。しばし迷走した後、佐久方面に行くことにした。丸子から147号線に入る。この道は久しぶりだ。山部の信号を左折して142号線に入る。途中コンビニで休憩。目的地を決めるために地図を見る。142号線が新望月トンネルの手前で八丁地川と鹿曲川を横切ることに気づいた。そのあたりを写真に撮ろうと決める。トンネルの手前にある望月の信号を左折。すぐ天神の信号があるので右折する。すぐその先に車を停めるスペースがあった。停めた先に胡桃沢橋があるのでまずその写真を撮った。川は鹿曲川。その後さっき通過した天神の信号のすぐ横にある橋へ行く。これは尾崎橋。こちらは八丁地川に架かっている。ほんのわずかしか離れていない二つの橋がそれぞれ別の川に架かっているのが面白い。もう少し下流の望月橋の手前で二つの川は合流している(八丁地川は鹿曲川の支流)。合流点を見たかったが、どうも道から離れているようで分かりにくそうだ。とにかく道に沿って下流方向へ行くことにした。151号線を春日温泉と反対方向に進む。春日温泉は2、3度泊まったことがあるが、お湯がぬるぬるして肌がすべすべになる。もう10年は行っていない。懐かしい。

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<写真>
胡桃沢橋、尾崎橋、尾崎橋の上流部分

  しばらく進むとまた別の望月の信号があり、そこで信号待ち。すぐ正面に橋がある。石の塔のようなものが橋のたもとに2本ずつ立っている。よし決めた、次はこの橋を撮ろう。橋を渡るとすぐ左側に車が止められるスペースがあった。橋の写真を撮っていると、橋のたもとに石碑が立っているのに気づいた。立札があり、そこには弁天窟と去来の句「駒曳(こまひき)の木曽や出るらん三日の月」のことが書いてあった。その立札の後ろに歌碑があるが、これは「三日月・・・」となっているので別の歌である。草が邪魔なうえに、草書体が読めないので何と書いてあるのか分からない。作者名も二文字のうち下の「山」しか分からない。その上の崖には白い字で何か記号のようなものが書かれている。何だろう、文字とも記号ともつかない。その右横に石段がある。これは後で登ってみることにして、川沿いにある弁天窟の写真を撮ることにした。石段のすぐ横に西宮神社の鳥居と小さな祠があるのでまずこれを撮る。その横を回り込むと弁天窟が見える。なかなかの奇観だ。川沿いの崖に細い道を付け、そこに赤い柱と屋根の建物が建ててある。建物といっても柱と屋根だけだ。建物は一部川の方に張り出している。通行止めになっているので詳しくは分からないが、崖に洞窟が掘ってあるのだろうか。

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<写真>
望月橋、橋と立札と石碑、西宮神社
橋のたもとの立札、「三日月」の句碑、去来の句碑

  次に階段を上がってみた。途中曲がっているところに来ると、頭上にこれまた草木の間に赤い建物の一部が見える。上がりきってみると豊川稲荷の赤い鳥居があり、その奥に稲荷神社の建物があった。そこは入れるようになっている。がらんとした建物の中に小さな祠があり、そこにキツネの像がたくさん並んでいた。川を見降ろしてみるが、木が邪魔してよく見えない。階段を下りて戻る途中、さっきと別の句碑があるのに気づいた。文字はだいぶかすれているが、立札にあった去来の句である。たしかに「芭蕉」と書いてある。句に「駒曳(こまひき)」とあるのは、望月の御牧が原では古来名馬が飼育されており、その牧監がこの地を治めていた望月氏だったことと関係しているのだろう。

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<写真>
弁天窟(2枚)、望月橋

  下に降りて橋をよく見ると横にもう一つ別に歩行者専用の橋が架かっている。その橋を渡って反対側からも写真を撮る。何か工事をしているのか、橋の片側にフェンスが立ててあるのが残念だ。弁天窟も正面からとった。弁天窟の左上の崖には梵語のような文字が3文字書かれている。これが大森曲川の書いた文字なのだろうか。弁天窟は正面から見ると本当に崖にへばりついているように見える。窓のようなものが二つ見えるので、そこに穴があるのだろうか。さらに弁天窟の右下、水面近くにはっきりと洞窟があるのが見える。そこから上がってゆくと祠の窓の所に出るのだろうか。近くまで行けないだけに、かえってあれこれ想像させられる。

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豊川稲荷(3枚)

  望月橋はゴブリン選定「上田周辺ユニークな形の橋10選」の有力候補だ。橋のたもとの塔がユニークだし、何といっても弁天窟や句碑などと一体になっているところが異彩を放つ。しかしもう少し決定を先に延ばそう。なにしろ望月橋は偶然見つけたものだ。他にもユニークな橋がある可能性は高い。う~ん、楽しみ楽しみ。

  まだ時間があったので望月城跡まで行ってみることにした。坂道を上がり、旧望月トンネルの手前で左折する。坂を登りきると、右手に老人ホームが見えてくる。道を挟んだその反対側が望月城跡の入り口だ。近くに車を停めて、小道に入ってみる。大樹のアーチを抜けると畑がある開けた空間に出る。その先に木立がある。そちらに進むとところどころ立札があり、「3番堀跡」などと書かれている。木立ちに入ると何もない。ただ平になっている場所があるだけ。段状になっていて、一番上まで上がると石組の上に「望月城跡」と書かれた柱が立っている。それだけ。後は案内板があるだけだ。それによると、戦国時代の天正10年に落城したということだ。今は草が生い茂るだけで、城の跡形もない。文字通り「夏草やつわものどもが夢の跡」である。

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<写真>
望月城跡(3枚)

  車の所にもどる。そこでたばこを一服。周りを見渡してみる。見えるのは山と木と草ばかり。建物はほとんどない。以前「不思議な空間のゴブリン」という記事で書いた、浅間サンラインの枝道で見つけた場所とよく似ている。望月(今は合併して佐久市の一部)や佐久方面は普段あまり行かないエリアである。途中入ってみたい枝道がたくさんにあった。あそこの道はどこに出るのだろう。向こうに見えるあの丘まで行ってみたい。何度か誘惑に駆られた。いずれ日を改めて、このあたりを丹念に探索してみよう。道は無数にある。いろんな出会いがあるだろう。

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<写真>
望月城跡近くの不思議空間、望月城跡の立札、望月橋横の石碑

 帰りは来た道をそのまま引き返した。しかし、帰宅後ネットで調べてみて後悔した。望月橋のすぐ先の望月の信号を右折すれば望月宿の古い家並みが見られたはずだった。残念。まあ、ここもまた日を改めて攻めるとするか。

嬬恋の田代湖へ行く

070811_12  暑い!今日(11日)は本当に暑い。あまりに暑いので涼しいところへ行くことにした。どこ か高い所に行こう。いろいろ考えて、前に地図で見つけていた田代湖へ行くことに決める。田代湖は群馬県の吾妻郡嬬恋村にあるダム湖だ。ダムの名前は鹿沢(かざわ)ダムだが、ダム湖は田代湖と呼ばれている。吾妻川から水を引いているようだが道路地図では田代湖と吾妻川は離れている。不思議に思って帰ってからWikipediaで確かめてみると、「吾妻川左岸の河道外に建設されたダムである。河川自体を堰き止めず、周辺の河川より導水して貯水している」と書いてある。なるほど、そういうことか。

  上田から行くには144号線を菅平方面へ上がってゆき、菅平の手前の二股になっている信号(菅平口)を右に行けばいい。左に行けば菅平だ。鳥居峠を越えると群馬県である。前に鳥居峠のてっぺんあたりまで行ったことはあるが、その先の群馬県側まで行くのは初めてだ。

  144号線を走るとどうしてもスキーのことが頭に浮かぶ。北信の野沢温泉や白馬五竜あるいは八方尾根スキー場などへ行ったこともあるが、僕のメインのスキー場は菅平。コースが短いのですぐ滑り終わってしまうのだが、とにかく一番近いので行きやすい。もっと南のブランシュたかやま、エコーバレー、しらかば2in1なども時間的にはそれほど変わらないが、スキー場の魅力がいまいち。ということでどうしても菅平がメインになってしまう。去年と一昨年はとうとう1度もスキーに行かなかった。今年は何とか1回だけでも滑ってみたい。

  などと夏なのに冬のことを考えているうちに菅平口についた。ここで右折する。曲がった先も144号線である。左折して菅平に行く方は406号線になる。坂道をぐんぐん登ってゆく。前に通ったのはだいぶ前なのでほとんど見覚えはない。渋沢温泉を過ぎしばらく走ったところで左側に川が見えた。ちょうど左折する道があるので入ってみる。小さな橋があり、その手前に手頃なスペースがあったので車を停める。橋は時々車がぶつかるのか一部コンクリの欄干が破損して中の鉄筋が見えているいる。川は滝の入沢川。小さな川だ。ここで写真を何枚か撮る。そのすぐ上流側にコンクリートの堤防のようなものがあるのでそこにも行ってみた。堤防の上に上がってみる。「滝ノ入沢2号砂防えん堤」と書いてある。砂防ダムだった。一番高いところで沢から6、7メートルの高さがあるだろうか。端まで行って下をのぞくと、手すりも何もないのでちょっと足がすくむ。

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<写真>
滝の入沢川に架かる橋(2枚)、砂防堰堤

  そこも何枚か写真を撮り、また144号線に戻る。鳥居峠のてっぺんあたりに、前に来た時休憩した建物があった。何となく見覚えがある。今日は閉まっている感じだった。そこから先は下り道。田代湖はふたつ目の信号を左に曲がればいい。144号線のすぐ横にある。二つ目の信号(確か「吾妻川橋」だったと思う)を左折して、坂を上がる。しかしどうも変だ。道の両側は家が並び、ダム湖があるようには見えない。田代小学校まである。曲がるとことを間違えたかと思い、また144に引き返す。さらに先まで行ってみた。ところがなかなか信号がない。どんどん先まで行くと町に入ってしまった。やっと大笹の信号があったが、明らかに行きすぎている。信号の先にコンビニがあったのでそこで休憩。冷たいドリンクを買い、地図を確かめる。

  どうやらさっき途中まで行った道で間違いないようだ。しかし地図では信号のところから道が2本出ているように書かれているが、実際には1本しかなかった。しかし途中右側に崖沿いに上に上がってゆく細い道があったので、そこに入るのかもしれないと見当を付ける。もう夕方でだいぶ日も傾いてきたので時間もない。すぐ引き返す。途中吾妻川に架かる橋がいくつもあって写真を撮りたかったが、うまく車を停められる場所がない。時間もないので今回はあきらめた。しかし吾妻川は渓流の趣があってなかなかいい川だと思った。

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<写真>
キャベツ畑、田代湖(2枚)

  先ほどの信号を右折。すぐ右側の細い道に入る。ビンゴ!田代湖の看板がすぐ目に入った。上がり口のところにも看板を出しておけよ、などと思いながらさらに道を上がる。すぐ湖が見えてきた。しかし車を停めるところがなかなか見つからない。1か所停められるところがあったが、先客がいた。仕方がないので先に行く。どこかもっと大きな駐車場があるはずだ。とにかく湖の周りをぐるっと回る。ところがいくら行っても車を停めるところがない。途中キャベツ畑があったので写真を撮る。これが有名な嬬恋のキャベツ畑か。と感心する間も惜しんでさらに先に行く。結局湖を一周してしまった。先ほどの小さな駐車スペースが今度は空いていたのでそこに車を停める。すぐ横に立ち入り禁止の看板が立っていた。そういうことか。ダム湖なので中に入れないのは仕方がないが、眺める場所など作っていないようだ。周りを柵がぐるっと囲んでいる。柵越しに写真を何枚か撮る。特に眺めのいい湖ではない。湖の周りをぐるっと回って、いろんな角度から眺めてみたいがもう夕方で時間がない。帰ることにする。帰りの144号線は夕日がまぶしかった。

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