明日へのチケット
2004年 イギリス・イタリア 2006年10月公開
評価:★★★★☆
監督:エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァーティ、エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ
撮影:クリス・メンゲス、マームード・カラリ、ファビオ・オルミ
出演:カルロ・デッレ・ピアーネ、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
シルヴァーナ・ドゥ・サンティス、フィリッポ・トロジャーノ
マーティン・コムストン、ウィリアム・ルアン、ガリー・メイトランド
ダニロ・ニグレッリ、カロリーナ・ベンベーニャ、マルタ・マンジウッカ
クライディ・チョーライ、アイーシェ・ジューリチ、ロベルト・ノビーレ
エウジニア・コンスタンチーニ
列車は乗客の数だけ人生を運んでいる。そんなことを感じさせる映画だった。列車や駅
などの公共の場所は、またさまざまな人生が交錯する場所でもある。それぞれに憂いや悩みや喜び、そして悲しみを抱いた人々が行き交い、すれ違い、出会う。
列車を舞台とした作品には、古くはイエジー・カワレロウィッチ監督の名作「夜行列車」(1959)があり、最近もオムニバス映画「チューブ・テイルズ」(1999)がある。アニメでは宮沢賢治の有名な原作をアニメ化した杉井ギサブロー監督「銀河鉄道の夜」が懐かしい。
「チューブ・テイルズ」は多数の監督によるオムニバスだった。「明日へのチケット」はエルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチという3人の監督たちが3つのエピソードをそれぞれ担当したが、オムニバスのようにはっきりと分けるのではなく、切れ目なくつないで1本の映画にまとめるというユニークな作りになっている。駅ごとに何人もの人々が乗り降りする列車の特性をうまく利用している。
3人の監督の中では、何といってもエルマンノ・オルミ監督が懐かしい。90年1月に「シネマスクエアとうきゅう」で観た「聖なる酔っぱらいの伝説」以来だから17年ぶりである。彼の代表作「木靴の樹」を岩波ホールで観たのはさらに遡って79年9月10日。あまりに長くて途中退屈したが、イタリア伝統のリアリズムで農民たちの生活を描いた雄渾なタッチの名作である。実はその前の76年から78年にかけては年間に一桁しか映画を観ていなかった。それぞれ大学4年生、大学院浪人、大学院の1年生に当たる年で忙しかったのである。しかし、いかに忙しかったとは言え、年間に一桁しか映画を観ていなかったとは今振り返ると信じられない。まあ、それはともかく、再び映画を意識的にもっと見ようと努力し始めたのは、79年に岩波ホールで「家族の肖像」、「木靴の樹」、「旅芸人の記録」を観たからである。この3本の傑作は僕の中に眠っていた映画への情熱に再び火を付けた。そういう意味でも「木靴の樹」は忘れがたい作品である。
そしてアッバス・キアロスタミ。94年5月に上田映劇で観た「友だちのうちはどこ」と「そして人生はつづく」は衝撃的だった。初めてのイラン映画体験。特に「友だちのうちはどこ」の瑞々しい感性には新鮮な感動があった。以来「クローズアップ」、「桜桃の味」、「風が吹くまま」と観てきたがどれも素晴らしい。ここ数年イラン映画の一般公開が減っているのは残念でならない。中古DVDもとんでもない高値が付いている。こういう作品こそ廉価版を出してほしいのだが。
ケン・ローチについては「麦の穂をゆらす風」のレビューも控えているし、これまでも2本レビューを書いてきたので特に触れない。さて、本題である「明日へのチケット」。エルマンノ・オルミが担当した最初のエピソードは老教授の淡い恋心を描いている。ウッディ・アレンに鬚をつけさせたようなカルロ・デッレ・ピアーネの、枯れているようでいて時にぽっと顔を赤らめるような表情がいい。「追憶の旅」(1983)というイタリア映画で1度観ている人だが、悲しいことに映画自体の記憶が全く残っていない。彼以上に鮮やかな印象を残すのはヴァレリア・ブルーニ・テデスキ。「ふたりの5つの別れ路」でも強い印象を残した人だが、ここでは短い出演ながらその美しさが際立っている。美人だがクローズアップにすると重たく感じる彼女の顔が、教授の心に重たくのしかかる彼女のイメージとうまく重なっている。ほとんどこれといった筋のないイメージの積み重ねで展開され、周りの人々の様子が中心の二人と同じくらいの比重で描かれている。
教授はパソコンで彼女にメールを出そうとするが、知り合ったばかりの若い女性にどんな文章を書いたらいいのか分からず、さっぱり筆が進まない。最初の1行だけが書かれたパソコンの画面。集中できない教授は車内で起こる様々な出来事が気になる。パソコンの画面からさ迷い出る彼の意識の中に、落ち着かない車内の様子や先ほど別れたばかりの女性と過ごした短い時間の記憶、そして教授の少年時代の回想などが入り込む。その分中心の二人の印象が弱まるが、それが逆に見知らぬ人々どうしが寄り集まる列車の中という設定にうまく合っているとも言える。導入部分として考えれば悪くない。
偶然同じ車両に乗り合わせた人たち、それぞれに生きてきた年月分の人生がある。「明日へのチケット」は短い3つのエピソードの中に、各中心人物たちの過去を巧みに織り込み、それぞれの人生の一端を垣間見させる。そういう作りになっている。
二つ目のエピソードは一転して強烈な個性の人物に焦点を当てる。しっとりとした味わいの最初のエピソードに対して、こちらは不愉快ながら滑稽な味わいがある。でっぷりと太った堂々たる体躯の中年夫人と彼女に付き添う気の弱そうな青年フィリッポ。夫人の性格は傲慢で高圧的だ。青年を顎で使い何度もどなりつける。その様子から母と息子かと最初は思うが、フィリッポは兵役義務の一環として将軍の未亡人の世話をしていたのだった。2等車の切符で1等車の席に座る彼女のずうずうしい態度、自分の席と携帯電話を取られたと思った男性客が携帯電話を返してくれと言った時のぴしゃりとはねつけるような態度(男性客の方が座席を間違えていた)、はてはその座席の切符を持った客が現れても頑としてどかないと居座る姿勢に観ているこっちもあきれて腹が立ってくる。
この傍若無人なほどのわがままぶりから彼女のそれまでの生活ぶりが想像されるというものだが、この2つ目のエピソードに挿入される過去はこの夫人の方ではなくフィリッポの方である。あまり夫人の近くにいたくない彼は(その気持はよ~く分かる)コンパルトメントから出て通路に立つ。通路の横のデッキに若い女の子がいた。声をかけてみるとその子は偶然フィリッポを知っていた。若かったころの記憶がよみがえってくる。何の屈託もなく遊んでいた子供時代。それに比べて自分は今何をやっているのか。この思いが彼の心の底にしだいに鬱積したのだろう、着替えを手伝っている際に夫人に散々罵倒されたフィリッポは、止める夫人の声を振り切ってコンパルトメントを飛び出す。夫人は追いかけるが見つからない。駅に着いて、たくさんの荷物を抱えてホームに呆然と座り込む夫人。あまりにも横暴な夫人の態度に辟易するが、フィリッポの思い切った行動にはほっと救われる。
それでも夫人の強烈な毒素はしばらく嫌な苦みとして口に残っている。しかし3つ目のストーリーが動き出したとたんにこの苦みもかき消されてしまう。ケン・ローチが監督した最後のエピソードは3つのエピソードの中でも特に素晴らしい。スコットランドからサッカーの試合を見に来た3人の若者たちの1人が列車の切符を失くしてしまい、すったもんだの大騒ぎをするという話だ。まず3人のサッカー小僧たちがいい。「SWEET SIXTEEN」に出演したマーティン・コムストンとウィリアム・ルアンという悪ガキ2人に小太りで間抜けな感じのガリー・メイトランドを加えたお騒がせ3人組。ごちゃごちゃと騒ぎたてながら登場するところから、切符が無くなって上を下への大騒ぎを始めるあたりまで軽快に飛ばす。こんな時のために予備のお金をとっておいたのだが、なんと間抜けな太っちょがその金でイタリア製の靴を買ってしまっていたというあたりは爆笑ものである。互いに誰かを責め合い、一人が冷静になると別の一人が頭に血を上らせるという混乱状態。
しかし、このエピソードの真価が発揮されるのはなくなった切符が発見されてからである。実は同じ車両に乗り合わせていた難民一家の息子が切符を盗んでいたのである。警察に知らせるという若者たちに難民一家の母親が泣いて訴える。その詳しい事情は書かないが、これが若者たちの混乱を一層大きくする。若者たちの意識に難民たちが経験してきた苛酷な「過去」が入り込んでくる。可哀そうだから切符を上げようと言い出すもの、馬鹿そんな話を真に受けるやつがあるかと怒鳴りだすもの、仰天している他の乗客をしり目に蜂の巣をつついたような大騒ぎ。そう、この場面こそが本当に素晴らしいのだ。一見サッカー以外なにも関心がなさそうなあんちゃんたちだが、チケットを難民の家族に渡すかどうか彼らは真剣に悩み、怒鳴り合った。結果は書かないが、結果以上に真剣に怒鳴り合った彼らの姿が感動的なのである。
3つのエピソードを比べてみると、やはりケン・ローチのものが一番いい。ケン・ローチらしさがしっかり出ている。他の二つも決して悪くはないのだが、それぞれの持ち味がもう一つ出ていない気がする。元々は3部作にするつもりだったようだが、この形にした方が良かったのかどうかは比べようがないのでわからない。ただ、明確に3つのエピソードに分けるオムニバス形式にしなかったことは成功していると思う。
<付記>
最初は「観ました」シリーズのつもりで書きだしたのですが、書いているうちにどんどん長くなってしまったのでレビューの体裁にしました。ただ、あくまで長くなった感想文という性格ですので本格的なレビューという書き方ではありません。いずれ何らかの形で書き足すことがあるかもしれません。
「麦の穂をゆらす風」のレビューはまだまったく手をつけていません。近々、今度こそ本当に近々書き上げます。
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