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2007年10月19日 (金)

「ぼくの国、パパの国」①

「ぼくの国、パパの国」の理解のために:『イギリスの中のパキスタン』より

 「ぼくの国、パパの国」の舞台は1971年のマンチェスター、ソルフォード地区に設定されている。時代を映画制作当時ではなく71年に設定したのは、パキスタン移民が急激に増加した時期だからだろう。映画の具体的な内容に入る前に、イギリスにおけるパキスタン移民の事情について触れておきたい。何年か前にたまたま書店で見つけたムハンマド・アンワル著『イギリスの中のパキスタン』(2001年、明石書店)という格好の本がある。以下に「ぼくの国、パパの国」や「やさしくキスをして」を見る上で参考になる記述を抜き出してみる(幾分かはインド人移民を描いた「ベッカムに恋して」の参考にもなるだろう)。なお、翻訳は2001年に出ているが、原著は1996年に出版されている。資料としては古いが、日本語文献では類書がないだけに貴重な文献である。

 パキスタン人移民がイギリスに殺到し始めたのは1961年からである。1962年に連邦Huiwto01 国移民法が導入されることになったからである。つまり新しいシステムが導入される前に「かけこみ的に」パキスタン人がイギリスに流れ込んできたのである。新しい移民法の制度は「バウチャー制」と呼ばれる。それは、バウチャーを保持している者、その妻、あるいはすでに親がイギリスに合法的に定住している16歳以下の子供にだけ移住を認めるという制度である。1961年から71年にかけて特にパキスタン人移民の人口が増えている。この期間が大量移民の期間であった。1951年の時点ではわずか5000人しかパキスタン人移民はいなかった。それが1966年には11万9700人に増加していたというからすさまじい勢いだったわけだ。

  1991年のセンサスによれば、パキスタン人の人口は約48万人。そのうちイングランドに住む者は約45万人、スコットランドに住む者が約2万1000人、ウェールズに住む者は約6000人である。パキスタン人が一番多く住んでいるのはバーミンガムである。2番目に多いのがブラッドフォード。「ぼくの国、パパの国」で主人公一家がブラッドフォードへ行く場面が出てくる。画面にはほとんどパキスタンかと思われる雰囲気の街並みが映し出されていた。長男のナジルが結婚式当日に逃げ出した時、家長のジョージがブラッドフォードに住んでいればこんなことにはならなかったと嘆くのは、そこに住んでいれば息子もイギリス文化に染まらなかっただろうと悔やんでいるのである。

  バウチャー制は親族がらみ、友人がらみの移民を助長した。家族・親族の結びつきが強いパキスタン移民は特定の地域に集中して住むようになる。パキスタンで伝統的に好まれる家族制度は、合同ないし拡大家族なのである。自然に親族間、友人間のネットワークTeien が張りめぐらされてゆく。「ぼくの国、パパクの国」に面白いエピソードがある。主人公のカーン一家が「一四夜の月」という映画観に行くが、もう上映は終わっていて「教授」をやっていた。しかしその映画館の支配人はカーン一家の父親の甥で、その甥は従業員に命じて無理やり「教授」に代えて「一四夜の月」を上映させたのである。こんな無理が通るくらい一族の血縁は濃いのである。だが、それは助けにもなるが足かせにもなる。パキスタン人の子供は英語が不得意なものが多いそうだ。なぜなら英語を話さなくても生活できる大人たちの環境が、子供の代にも負の遺産として受け継がれてしまうからである。「ぼくの国、パパの国」で子供たちが英語を達者に話せるのは、妻がイギリス人で、ブラッドフォードに住むことを拒んでいるからである。

  パキスタン人移民の人口の特徴は、白人と比べて若者が多いことである。25歳未満では白人がたったの32%なのに、パキスタン人では60%以上を占めている。何とバーミンガムの生徒の20%がパキスタン人だという。パキスタン人の間では、イギリスでも伝統的に早婚が行われている。離婚率は2%と信じられないほど低い。離婚率が大変低いことは、イギリスに住むインド人やバングラデシュ人にも共通している。南アジアの人々にとって、 離婚はあまり好ましいことではない。そのため通常、親族やコミュニティのメンバーから結婚を持続するように圧力がかかるのである。

 結婚の93%がパキスタン人どうしのものであり、白人をパートナーにしている者は、パキスタン人女子の1.2%、男子の5%だけである。従って「やさしくキスをして」のケースや、「ぼくの国、パパの国」の両親のようなケースはまれな例である。だからこそ反発も強いのだ。

 教育の面で悲惨なのは女子の場合だ。パキスタン人の女子の27%は、何の教育も受けたことがないという。伝統的な家父長制の下で、女子に教育は必要ないという文化に染まっているからだ。「訳者あとがき」にはさらにとんでもない記述がある。パンジャーブ地方の伝統的な農村部出身の女子には、教育の重要性の自覚もなければ、学校が何をするところかの明白なイメージすら欠けていることが多いと!またパキスタン人の生徒は自分の生活している地域の大学に入学を申請する傾向がある。親が身近に置きたがるのだろう。「やさしくキスをして」で、カシムの妹タハラが地元グラスゴーの大学ではなくエジンバラ大学に進学するのに親の強硬な反対を押し切らねばならなかったのは、そういう事情があるからだ。

 71年の時点で、パキスタン人の大半は製造工場に雇用されていた。彼らの19%以上は繊維工場で働き、16%は金属加工工場や金属製造工場で働いた。いわゆる3K職場で、彼らは白人労働者の就かない仕事にのみ雇用されたのだ。興味深いのは住宅事情。1982年の全国調査によると、調査の対象となったパキスタン人の80%までが持ち家で、白人の59%を上回っている。しかし問題はその住宅の状態である。白人の多くが一戸建てのディタッチト・ハウスか2軒つながったセミディタッチト・ハウスに住んでいるのに対して、パキスタン人の所有している住宅の79%までがテラスト・ハウス(長屋式アパート)なのである。「ぼくの国、パパの国」の家族が住んでいた茶色のアパートがまさにそれである。彼らの住宅の81%までが1954年以前に建てられた建物で、44%までが1919年以前に建てられたものだ。つまり、パキスタン人の多くが住んでいるのは、近代的な設備を欠いた古い家なのである。「ぼくの国、パパの国」の家族が住んでいるアパートはバスもシャワーもなく、トイレは外にあった。夜はバケツで用をたす。また、パキスタン人は大家族主義なので、多くの場合すし詰め状態で生活している。これまた「ぼくの国、パパの国」の家族に当てはまる。夫婦と子供7人の彼らはすし詰め状態で暮らしていた。

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