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2007年8月17日 (金)

ウェディング・バンケット

1993年 台湾・アメリカ 1993年公開
評価:★★★★☆
原題:喜宴/THE WEDDING BANQUET
監督:アン・リー
脚本:アン・リー、ジェームズ・シェイマス、ニール・ペン
撮影:ジョン・リン
出演:ウィンストン・チャオ、ミッチェル・リヒテンシュタイン、メイ・チン、ラン・シャン
   グア・アーレイ

 これまで「推手」「恋人たちの食卓」のレビューを書いたが、今回の「ウェディング・バンケット」でアン・リー監督の“父親3部作”を全部観たことになる。僕は「推手」、「恋人たちのWedd001 食卓」、「ウェディング・バンケット」の順に観てきたが、日本で公開された順序は全く逆である。そしてそれはまた製作年ともずれがある。1作目の「推手」(91年)の公開が一番遅く96年公開、2作目の「ウェディング・バンケット」(93年)の公開が一番最初で93年、3作目の「恋人たちの食卓」(94年)の公開が2番目で95年。1作目の「推手」の頃はまだ注目されていなかったのだろう。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した「ウェディング・バンケット」で初めて注目され、その年に早くも日本で公開されている。その後に公開された「恋人たちの食卓」の評判も良かったので、さかのぼって第1作目が3番目に公開されたという事情だったと思われる。

 3作には“父親”役のラン・シャンが共通して登場している。“父親3部作”と呼ばれる所以である。彼の存在感は3作を通して圧倒的である。彼が画面に登場するだけでほっとするくらいだ。もちろん共通点はそれだけではない。親子の関係のきしみとその再生、それが3部作に共通するテーマである。「推手」では中国人の父親とアメリカ人の嫁との文化的・世代的ギャップ、「恋人たちの食卓」では父親と娘たちの世代間ギャップ、そして「ウェディング・バンケット」では両親と息子の世代間ギャップに加えて息子がゲイであるという恋愛・結婚観のギャップが加わる。ゲイというテーマは「ブロークバック・マウンテン」でも扱われているが、「ウェディング・バンケット」ではあくまで親子間の葛藤に重点がある。さらには、グリーンカードをめぐるアメリカでの永住権の問題(偽装結婚も含めて)もからんでいる。この点では韓国映画「ディープ・ブルー・ナイト」(88年)と「グリーン・カード」(90年)に通じる。身内の前で夫婦を装うという点では「Dearフランキー」やウルグアイ映画「ウィスキー」などにも通じる。

 しかし作品として一番比較して意味があるのはケン・ローチ監督の「やさしくキスをして」(04年)だろう。こちらはアイルランド人女性とパキスタン移民2世の男性の結婚をめぐる映画である。ゲイとは関係ないが、結婚をめぐる親子の葛藤を描いたという点では共通する。「やさしくキスをして」のレビューで次のように書いた。「恋愛は個人の問題である。しかし結婚となると親が口を挟んでくるものである。ましてや異なる民族間の恋愛、結婚となると個人のレベルを超えて家族、ひいては民族間の問題へと発展する。」民族問題をゲイの問題に置き換えればほぼ同じことが「ウェディング・バンケット」にもいえる。恋愛は個人の問題だが、結婚は社会的行為なのである。「ウェディング・バンケット」はそのずれから生じる悲喜劇を描いたものである。

 「やさしくキスをして」と「ウェディング・バンケット」の一番の違いは問題の決着のつけ方である。あくまで現実の困難さを冷徹に見つめ、最後まで明確な出口を示さない「やさしくキスをして」に対して、「ウェディング・バンケット」は互いを思いやることで問題を解決に導こうとする映画である。その意味で「ウェディング・バンケット」に甘さがあるのは確かだ。しかし逆に「やさしくキスをして」に出口のない重苦しさを感じるのもまた確かである。どちらの結末の付け方が良いと簡単には言えない。どちらの作品もすぐれたものだと思う。ケン・ローチの妥協のない冷徹な洞察も素晴らしいが、「ウェディング・バンケット」のようにまだまだ実現が困難なことを実現させてみせることも映画の持つ重要な機能の一つである。

 息子の結婚式で母親が花嫁のウェイウェイに“子授けのスープ”を飲ませるシーンがある。その傍らで父親がウェイウェイと息子のウェイトンに、夫婦は生まれも育ちも違うが、互いを思いやる心が大切だと話している。この言葉がラスト部分の伏線になっている。思いやりが言葉だけではなく心からのものであり、本当にそれを実践すればこの親子のねじれた関係も何とか解決できるのだと「ウェディング・バンケット」は示している。

 現実を厳しく見つめる「やさしくキスをして」に比べれば、互いを思いやる心で問題を解決してしまう描き方はありきたりで現実の困難を回避しているように見える。しかし、作品を評価するにはテーマがどれだけ掘り下げられているか、つまり、親子が直面した問題と彼らの葛藤がどれだけリアルに描かれているか、それに対する解決の方向が望ましい方向に向いているのか、またその解決方法が安易なものではないかを総合的に見て判断すべきである。

 作品に即して具体的に見てみよう。主人公はニューヨークの不動産会社で働くカオ・ウェイトン(ウィンストン・チャオ)。台湾からアメリカにわたり市民権も得ている。彼の悩みの種は事あるごとに早く結婚して孫の顔を見せろと催促する母親の存在。しかし彼にはそれに応えられない事情があった。彼はゲイで恋人のアメリカ人サイモン(ミッチェル・リヒテンシュタイン)と暮らしていたのである。サイモンは親や周りに自分がゲイであるとカミングアウトしているが、台湾出身であるウェイトンの場合はそうもいかない。両親に自分がゲイであることを告げられずにいたのだ。

 苦し紛れにウェイトンは「身長175cm以上、数ヶ国語が話せオペラに興味がある女性」なWedd008 どととんでもない花嫁候補の条件を付けてみせるが、それがお見合い逃れの手であることを母親は百も承知。「敵」もさる者、結婚紹介所で散々粘ったのだろう、その条件通りの女性がニューヨークに乗り込んでくるところが可笑しい。もちろんその話は破談に。しかし近々両親がニューヨークにやってくると聞いてウェイトンは大慌て。そこでサイモンに相談すると、カモフラージュに偽装結婚したらいいとアドバイスされる。偽装結婚の相手はウェイトンが管理するビルの住人で、グリーンカードが取れなくて困っているウェイウェイ(メイ・チン)。上海出身の芸術家だ。これで両親もウェイウェイも満足して八方丸く収まる、はずだった。

 とにかく両親が滞在する2週間を乗り切ればいいという思いで着々とウェイトンは準備を進める。家具や荷物を整理し、サイモンとの「関係」を示すものをすべて取り去る。代わりに父親の書いた書の掛け軸を壁に掛ける。ウェイウェイにはウェイトンのことをにわか勉強させる。サイモンは大屋ということにする。いよいよ両親がやってくる。2人は幸いウェイウェイが気に入ったようだ。父親ときてはウェイウェイのお尻を見て「良し、安産型だな」と漏らして妻にたしなめられたほどだ。

 父親の書いた書をウェイウェイが的確な表現でほめるので父親はうれしそうだ。ウェイウェイが画家であることがここでは幸いした。上機嫌の父親は息子に、なぜ自分が軍隊に入ったかを打ち明けたりする(父親は元師団長である)。両親が勝手に結婚相手を決めたので、それから逃れるために軍隊に入ったというのだ。母親が息子に矢の催促をしていたことは知っていたはずだから、息子が自分で選んだ女性と結婚することを父親なりにほめたつもりなのだろう。

  計画は順調に進んでいるかに思えた。しかしそこに短いが不吉な場面が差しはさまれる。ある時父親が椅子でぐったりとなっていた。ウェイトンは一瞬父親が死んでいるのではないかと思いぎょっとする。父親は心臓を患っていたのだ。幸い父は居眠りしているだけだった。食事だと声をかけるとすぐ立ち上がり、すたすたと歩き去ってゆく。

 しかしこれはやはり不吉な予兆だった。息子たちが簡単な式で済ますと言うので両親はがっかりする。役所から出てきたとき「こんなみじめな式で」と嘆く母親。サイモンが気をきかしてみんなを夕食に招待する。しかしこれがとんでもないことになってゆく。なんとそのレストランのオーナーはかつて師団長だったウェイトンの父親の運転手を20年も務めていた人だった。事情を聞いて、簡単な式で済ましては「お父様に失礼ですよ」とウェイトンに意見し、このレストランで披露宴をやりましょうと提案する。沈み込んでいた両親はやっとうれしそうな顔をする。こうして事態はどんどん思いがけない方向に進んで行ってしまう。

 もはや誰にも事態の進行を止められない。ウェディングドレスもそろえ(ウェイトンの母親が自分の結婚式で着たもの)、記念写真も撮った。そして怒涛の結婚披露宴へ。「ヤンヤン/夏の想い出」にも出てくるが、台湾式の披露宴は超がつくほど豪勢だ。乱れっぷりもすごい。盛り上がってくると箸でグラスや皿を叩き始め、花嫁と花婿にキスを要求する。それで収まらず目隠しキス(花嫁にどれが夫のキスか当てさせる)までやらせる。やっと式が終わり、二人が部屋に引き上げると、そこへも友人たちがなだれ込んでくる。ベッドに入って1枚ずつ服を脱げと迫る。

 やっとうるさいやつらも帰ったと思ったら、今度はウェイウェイの様子がおかしい。「開放するの」とウェイウェイがウェイトンに絡みついてきた。なんとその「初夜」でウェイウェイは妊娠してしまった。このあたりはドタバタ調だが、その後俄然事態は深刻になってくる。ここまでは基本的にコメディ・タッチで描かれている。それに、両親に真実がばれないかとハラハラさせる軽いサスペンス・タッチがトッピングされている。このニタニタハラハラの展開が観客の関心を引っ張るドライブになっていた。

 ここから起承転結の「転」の部分に入る。アン・リーの演出が冴えわたるのはここからだ。主要登場人物はわずか5人だが、複雑に入り組んだ思惑を一人一人描き分けてゆく。その手際が水際立っている。ウェイウェイが妊娠したことでウェイトンとサイモンの関係も危うくなってくる。3人はウェイトンの両親の前で派手に喧嘩をしてしまう(どうせ英語は分からないと思っている)。事態が望まぬ方向に進展してゆくのを苦慮していたウェイトンは、父親が発作を起こして入院したのを機に自分は同性愛だと母親に打ち明ける。思わぬ告白にうろたえる母。理解してもらえないと分かっていても、「同性愛者は、心を通わせる相手を見つけることは難しい。サイモンは僕の宝だ」と必死に訴えるウェイトンには決然としたものがあった。ついに真実を打ち明けた時の彼の姿がすがすがしい。最後まで納得できない母親だが、お父さんには秘密にしておいてほしいと息子に訴える。

 ウェイウェイのエピソードはある意味でさらに感動的だ。ウェイウェイは結婚衣装を義理の母に返す。彼女はこの一家から去るつもりだったのだ。その時母親が言った言葉が何とも悲しい。「贈り物は返せても贈った人の愛まで返せるの?」母親は何とかウェイウェイを引き留めようとする。「夫と子供は大切よ。」「いえ、違います。」世代間のギャップというテーマが2人の会話から浮かび上がってくる。母親の説得を振り切った彼女は中絶を決意する。ウェイトンと互いにベッドで背を向けあっての会話が彼女の苦悩を余すところなく示している。「グリーンカードに払う代償は大きいわね。アメリカにしがみつくのは間違いだわ。自分のために偽装結婚をして、サイモンやあなたの両親を傷つけ、小さな命まで奪うなんて。明日でもうこんな生活やめるわ。上海へ帰る。彼と仲直りして。もうウソはイヤ。」

 終始脇役だったサイモンも最後に重要な役割を与えられる。彼がウェイトンの父に誕生Artsttree200wd 日のプレゼントをするシーンだ。自分でも誕生日だということを忘れていたと父親は感激する。そして彼も秘密を打ち明ける。彼はすべてを知っていたのだ。若干ではあるが英語が分かる彼は、若い3人が怒鳴り合いをした時事態を察したのである。彼がゆっくりと発音した “I watch, I hear, I learn.”という言葉が耳にはりついて離れない。その後の言葉がさらに胸を打つ。「ウェイトンは私の息子。君もまた私の息子だ。」彼はサイモンを息子として受け入れていた。サイモンを受け入れるということは、息子の苦悩も理解し受け入れていたということである。軍人であった彼がこれほど寛容であるはずはない。そういう疑問がないわけではない。しかし3部作全体を通じて、ラン・シャンが演じた老父は、常に時代の変化に翻弄されつつも、自分の道を見出し周りの変化を受け入れてきた。それぞれ別の人物を演じてはいるが、3部作全体の中に置いて考えればこの場面も受け入れられる気がする。

  父親はさらに続ける。「知らぬふりをしていれば孫を観ることができるのだ。」自分が全部知っていたことを妻にもウェイウェイにも黙っていてくれとサイモンに頼む。みんなが互いに秘密を持ち、秘密を共有している。互いに互いを大事にし思いやるからこそ秘密にするのである。そこに心の触れ合いがある。互いを思いやる優しさがある。サイモンに対する老父の言葉は心からのものだった。別れの日、母親はサイモンを抱こうとして一瞬ためらうが、父親がサイモンの手をしっかりと握った。そして息子の面倒を見てくれてありがとうと言葉をかける。それぞれが秘密を持ってはいるが、いや秘密を守っているからこそ、そこに絆が生まれた。披露宴の写真を5人で眺めた時のうれしそうな顔と顔。笑いが自然におこった。両親を見送る時残った3人は互いに肩を組んでいた(2人は今や3人共通の「両親」であり、その3人はまた生まれ来る子供の「両親」でもあった)。ウェイウェイは子供を産むことを決意していた。2人は心おきなく台湾に戻ることができる。空港に入り、金属探知器で体を調べられた時父親は両手を挙げる。それは万歳しているようにも見えた。

 それぞれが悩み、それぞれが何らかの決意をした。ウェイトンは両親もサイモンも愛しているからこそ真剣に悩んだ。悩んだ末、彼の愛情の幅はウェイウェイを受け入れるまでに広がっていた。一旦は子供を堕ろすことまで考えたウェイウェイも母親になる覚悟を決めた。夫も子供もいらないと答えはしたが、彼女の心の片隅には「贈り物は返せても贈った人の愛まで返せるの?」と問いかけた母親の言葉が消えずに残っていたに違いない。サイモンは愛する人を取り戻しただけではなく、新しく父と「息子」ができた。老父と老母は互いに隠し事をしながら、ある意味で同じ秘密を共有していた。老母は孫を息子と同じように「食べてしまいたいほど」かわいがるだろう。いろいろとまたうるさく言ってくるかもしれない。しかしこの世代の母親とはそういうものなのだ。ウェイウェイがウェイトンと二人で外出しようとした時、とっさに中絶に行くのだと察してあわてて出かける準備をした彼女の姿を忘れてはいけない。結局間に合わなかったが、彼女は必死だった。そこに母親の姿があったと思う。うるさくて仕方がないが、すべては純粋な愛情から発しているのである。

 「やさしくキスをして」も「ウェディング・バンケット」も誰一人として悪人は登場しない。しかしそれでも到る所に壁ができてしまう。「やさしくキスをして」には異文化問題や民族問題というギャップがあり、「ウェディング・バンケット」にはゲイに対する偏見という問題があるからだ。誰も悪者はいないのだが、否応なく亀裂ができてしまう。「やさしくキスをして」では誰も迷惑をかけたいとは思っていないのに、誰かが傷ついてしまう。「ウェディング・バンケット」では互いに愛し合っているがゆえに嘘をついたり秘密を持ったりせざるを得なくなる。原因はどちらも個人を超えた問題にある。それによって個人は翻弄され、混乱し、苦悩する。

 どんなにもがいても人は自分が育った文化や価値観から完全には自由になれない。「やさしくキスをして」と「ウェディング・バンケット」は家族、特に親子問題を真摯に扱った映画である。それは小津安二郎監督が生涯追求し続けたテーマだった。小津は日常を描きながら人生を描いていた。アン・リー監督はあるインタビューではっきり小津の影響を認めている。

 

アメリカに渡ってから「小津安二郎」の作品を見て、改めて台湾と日本の文化が近いということがわかりました。「小津」の作品は、『両親や親子・家族』を描き最後には必ず人生の厳しさ、つらさを感じその失望感というのにも影響を受けました。
  「第2回神戸100年映画祭 トークショー」より

 小津の影響を受け、小津のスタイルを取り入れながらも、アン・リーは小津にはないテーマを盛り込んだ。国際結婚やゲイの問題などは小津の世界には登場しない(そういう意味では「恋人たちの食卓」が一番小津の世界に近い)。アン・リー監督自身が3部作を簡単にまとめている。

 

父親像の表現として近代化社会のその構造の変化やその中で自分の存在を失いつつある父親を描きました。まず、『推手』は、近代文明に抵抗する父親そして近代化との心の葛藤を描き、『ウエディング・バンケット』では、その近代化を徐々に受け容れていこうとする父親。そして『恋人たちの食卓』は、近代化とともに自己改革をはかる父親像を描いています。
  同上

 ここで言う「近代化」とは新しい価値観ということだろう。それは新しい世代とともに現れ、古い世代を押しのけてゆく。しかし、小津の場合と違い、「自分の存在を失いつつある」古い世代はただ寂寥感や喪失感に浸っているわけではない。「推手」や「恋人たちの食卓」では新しい自分の人生を見出している。「ウェディング・バンケット」ではそこまで踏み出してはいないが、新しい世代の新しい価値観を受け入れようとした。アン・リーが小津を越えたとか、小津が古くなったとか言いたいのではない。時代が変われば、映画もまた変わってゆく。人類が存在する限り、家族や親子の関係というテーマはなくならないだろう。すぐれた作品は時代を超えて残り、それに新しい作品が加わる。そう言いたいのだ。

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コメント

ななさん コメントありがとうございます。どういうわけかココログ同士だとうまくTBが入らないことがあります。不思議ですね。
実を言うと僕も最初に名前を聞いたときは女性監督だと思っていましたよ。漢字名が李安だと分かったのはだいぶ後でしたね。
最初に観た彼の監督作品は「いつか晴れた日に」でした。ジェイン・オースティンの世界を台湾出身の監督が撮ってしまうだけでもすごいのですが、なおかつイギリス映画の香りを備えていたことには感心しました。これは素晴らしい映画です。
「アイス・ストーム」と「楽園をください」はまだ観ていません。でもななさんのご指摘で興味が湧いてきました。おそらく近くのレンタル店にはなさそうなので、アマゾンで当たってみます。
アン・リー監督の描く家族のドラマは日本人にはとても馴染みやすいですね。でもラン・シャンが演じたような父親は今の日本にはほとんどいなくなってしまいました。それだけに彼の映画には惹かれるものがあるのでしょう。

こんにちは
この作品が大好きで,最近記事を書きました。
何度かTBを試みたのですが,反映されないようなので
コメントのみお邪魔します。
ゴブリンさんの記事は,いつもながら素晴らしいですね!とても丁寧で,読み応えがあります。
アン・リー監督はその深い人間考察や,他の監督では真似の出来ない,細やかで的確な演出にいつも唸らされます。
残念ながら,3部作で観たのはこれだけなのですが
「アイス・ストーム」や「楽園をください」など大好きですね。ただ,私は,ブロークバックマウンテンでこの監督のことが世界的にクローズアップされるまで,その名前と,繊細な作風から,女性監督だと勘違いしていました(恥)
この「ウェディング・バンケット」は,それぞれの立場を思いやりながら,どうしても越えられない壁はそのままに,それでも折り合いをつけようとする登場人物たちの姿に,感動しました。自分の人生も,人の人生も,ともにいとおしくなるような映画でしたね~。

Dさん こちらにもTBとコメントをいただきありがとうございます。
僕もこの3部作は大好きです。どれも素晴らしい出来。どうしてもっと早くこの3部作の存在に気付かなかったのかと後悔しています。DVDが一気に出たのは今年の初めごろだったでしょうか。おそらくたくさんの人が観直したり、見落としていたものを観たりしたと思うのですが、まだまだブログにレビューを載せている人は少ないですね。
「ブロークバック・マウンテン」に感動して、改めて彼の初期の作品を観たという人も多いでしょうね。僕はたまたまレンタル店で見かけて借りてきた口です。
この3部作をもっと多くの人に観てほしいと心から思います。3部作全部のレビューを書くのは大変な苦労でしたが、このレビューを観て一人でも二人でも観てみようと思ってくれたら、あるいは懐かしく思い出してくれたら苦労した甲斐があったと思います。
どうかまた時間がある時にでもお寄りください。

アン・リー監督作品。
特にこの三部作はどれも好きです。
ゴブリンさんの記事を読むたびに「こんな風にレビューできたら・・・」と思うのですが・・・

それぞれの抱える秘密はとても優しくて・・
アン・リー監督の持つ人間の深い情のようなものを感じる作品だと思いました!

kimion20002000さん コメントありがとうございます。
いえいえ、そう言わずにぜひレビューを書いてくださいな。今のところ3部作を全部レビューしているブログは僕と真紅さんのものだけのようです。これだけ素晴らしい作品群なのにこんなにレビューが少ないのでは寂しすぎます。
アン・リーの初期の3部作はすべて今年になって観たものです。名前だけは知っていたのですが、事実上新発見しました。3作を通じて顕著なのは個人よりも家族のつながりを重んじる東洋的価値観ですね。
それは「やさしくキスをして」の中でもくっきりと描き分けられています。アイルランド系のロシーンは個人の判断を優先し、パキスタン系のカシムは家族との調整に苦心する。同じ東洋人である日本人にはカシムの気持ちやウェイトン、ウェイトンの父の気持ちがよく分ります。
五木寛之の番組は1夜だけたまたま観ました。親鸞と法然の回でした。「悪人でも」から「悪人こそ」往生できるへと思索が深まってゆく過程が非常にわかりやすく解説されていて、とても素晴らしい番組でした。5夜連続のシリーズだったのですね。たまたま観たので知りませんでした。
7月31日にNHKでたまたま観た「新シルクロード 荒野に響く声 祖国へ」の再放送も素晴らしい番組でした。これを超える映画や小説はほとんどないのではないかと思ったほどです。中央アジアに生きる人々。強制移住されたもの、移住先から祖国に戻ってきたもの、戦争に従軍し死んだもの。一体この不安定な地域に住む人々にとって祖国とは何か。ロシアに住むトルコ人の言った「祖国のない私は母のない孤児だ」という言葉が重く心に響きました。

こんにちは。
僕も、以前、アン・リーが一番気になっている監督なんで、三部作を書きましょうみたいなこといったくせに、書いていません。だって、ゴブリンさんの評で、もう、いいやという気がして(笑)
今日まで、五夜連続で、五木寛之の「仏教を歩く」のハイヴィジョンを見ていました。
仏教が持つ、寛容とか他力とか非戦とか・・・どこかそういう根本精神みたいなところが、ラン・シャンさんにはありますねぇ。本当に、惜しい人を、亡くしたと思います。

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