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2007年7月

2007年7月30日 (月)

路地へ

 路地、あるいは路地裏。人が集まる大通りとは違って、裏通りという印象を持つかもしれない。道によっては便利な抜け道として利用されているものもあるだろう。確かに、路地は大通りから大通りに抜ける枝道としての役割が多いかもしれない。一方住民にとって路地は生活道路である。もう30年くらい前になるが、初めて東京の世田谷線に乗った時ずいぶん驚いたものだ。普通の電車とは全く違う。何と電車の窓から手を伸ばせば届きそうな距離に家々が迫っているのだ。電車は家並のすぐ裏側を通っていた。家々は電車に背中を向けているので、生活が見えてしまう。所どころ洗濯物が干してあったりする。それはまさに路地裏を歩く感覚だった。

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 路地裏には生活のにおいがある。外向けではない本来の生活の顔が路地裏にはある。ふと足を踏み入れたよそ者に無防備な素顔をチラリと覗かせる。表通りにはない路地裏の魅力とは案外こういうものではないか。もちろんそれだけではない。路地、あるいは小路や横丁という言葉には独特のノスタルジックな響きがある。普段足を踏み入れたことのない細い道の奥には何か思いがけない出会いが待っていそうな気がする。僕が脇道探索に惹かれるのもそういう理由だ。路地裏、それは何か期待を持たせる未知の領域なのである。

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 有名な観光名所をめぐる旅も楽しいが、時間があれば名もない路地をゆっくり散策してみるのもいい。僕が大事にしている雑誌がある。『芸術新潮』2003年8月号、「イギリスの歓び」と題した特集号だ。イギリス全土を網羅し、かつ写真が豊富なのもうれしいが、なにより、できるだけ有名な観光名所を外した編集方針がいい。たとえばエジンバラを担当した記者は、エジンバラ城よりも旧市街の路地に心を引かれると書いている。あまり知られていない場所を積極的に見て回ろうという姿勢に共感を覚えた。藤田洋三著『世間遺産放浪記』(石風社)もいい。世界ではなく「世間」である。どこかあか抜けない奇妙奇天烈なものから「う~ん」と感心するものまで、地元の人でもうっかり見落としそうなものがこれでもかと並んでいる。どうかと思うものも少なくないが、基本的な姿勢には共感できる。

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 このところ川や橋にばかり目を向けていたが、久しぶりに今日は「脇道探索」に出かけた。今日のテーマは「路地裏探索」。探索地は上田の旧市街。当然ながら路地裏は市街地に多い。家が建て込んでいるほど裏通りも多いわけだ。上田は城下町ということもあるのだろう、細い路地が多い。道が通りやすいということは、すなわち攻め込まれやすいということである。まっすぐな道もほとんどない。迷路のようになっていて、何度通っても道に迷う地区もある。と言うことは探索すべき場所も多いということだ。水辺シリーズに続いて、「路地裏探索」もシリーズ化する予定である。

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 海野町の駐車場に車を停め、いざ出発。まず鍛冶町の方へ行く。蛭沢川に架かる柳橋、伊勢神社などを撮る。そこから蛭沢川にそって中央2丁目あたりを歩く。このあたりは蛭沢川の上に鉄板などを渡して橋をかけ、その上に車を駐車させていることが多い。家が建て込んでいて駐車場が作れないので、こんな苦肉の策を編み出したわけだ。このあたりでよく見かける風景である。路地も多い。その後元の所に引き返し、映劇と電気館という二つの映画館で上映予定作品を確認。「ブラックブック」が来月、「サン・ジャックへの道」が9月に上映予定。半年も前の作品だ。DVDの発売日とさして変わらないのが悲しい。

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<写真>
(左から)柳橋、弁天橋(以上蛭沢川)、幸町橋(矢出沢川)

 袋町の一角を通ってみる。袋町はスナックなどの飲み屋が集中している地域。上田一のネオン街だ。不景気でだいぶ寂れていると聞いたことがあるが、今はどうなのか。少なくとも昼間は人通りもなく閑散としている。そこから北にあがって馬場町、房山あたりを歩いてみた。このあたりはお寺や神社が多い。本陽寺、月窓寺、金昌寺、浄念寺、浄楽寺。袋町にも妙光寺、弁財天があった。本陽寺は黒澤明監督の「姿三四郎」のロケ地になった所。三四郎が池に浸かったところだ。池は埋められてしまったので今はない。門の前の井戸も映画に出てくるが、ここも今はその痕跡だけがある。ついでに付け加えておくと、この寺のお墓には面白い納骨堂(?)がある。これは一見の価値あり。

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<写真>
本陽寺、本陽寺のお墓(2枚)

  房山あたりは古い民家や倉、白壁の土蔵が多い。壁に緑の蔦をびっしり這わせている家も多いことに気づいた。そして何といっても路地の宝庫だ。とにかくデジカメの電源を切っている間がない。電源を切ってはまた何か路地や古い建物などを見つけてすぐ電銀を入れる、この繰り返しだった。普段何気なく通り過ぎるところでも、カメラを持っているとやたらと気になる被写体が見つかる。関心を持つことがいかに大事か改めて認識させられた。

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  矢出沢川を渡って国道18号に出たところで引き返す。歩いた範囲を流れている川は蛭沢川と矢出沢川だけだが、当然橋の写真もふんだんに撮った。中でも袋町を流れる蛭沢川に架かる橋(柳橋、弁天橋など)はどれもいい感じだ。石造りの小さな橋だが、形が良く、欄干に工夫がされている。蛭沢川(矢出沢川の支流)はどちらかというと水路という感じだが、矢出沢川は草が生い茂って野性的な顔をしている。街中のオアシスという感じである。ちなみに、矢出沢川のもっと下流に高橋という所がある。映画「たそがれ清兵衛」の真田広之と 大杉漣が決闘するシーンはそこの河原で撮影された。いずれこのシリーズで紹介したい。

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 今日回ったところは、いくつかお寺はあるものの、観光客がほとんど足を踏み入れないところである。そこで70枚以上の写真を撮った。今まで気にも留めていなかった何でもない所がほとんどだ。ある路地を撮っていた時、近所の子供に声をかけられた。「今何を撮ったの?」「そこの路地だよ」と答えたら、ふ~んという感じで怪訝そうな顔をした。彼にとっては普段見慣れた場所にすぎない。きっと「変なおじさんだ」と思ったことだろう。でも見慣れたものに新鮮な目を向けてみることは大切だと思う。生活の匂いがしみこんだ街並み、それに魅力を感じる感性を大事にしたい。日本の街並みは統一性がなく、全く雑然としている。西洋の街並みのような美しさを持った通りは少ない。西洋画にはなんでもない街角を描いた絵が多い。街並みそのものが美しい。アルフレッド・スティーグリッツの撮った街角の写真(「五番街」)に吸い込まれそうになるほど引き付けられたこともあった。しかし日本にはまた日本の街並みや建物の美しさがあるはずだ。それはゆっくり歩きながら街を見ることで発見できるだろう。街に出てみよう。そしてゆっくり歩いてみよう。

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<写真>
(上の3枚、左から)電気館、伊勢神社(中に馬が!)、金昌寺
(下の右の写真)これも川の上の駐車場

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2007年7月29日 (日)

信濃デッサン館、無言館、浦野川散策+α

070728  3時頃またミニ・ドライブ兼撮影に出かけた。古戦場公園から浦野川に出る。まず対影橋 (たいけいばし)を撮る。隣に新しい道ができたので、最近はこの橋をあまり通らなくなってしまった。特に変わった橋ではない。次に、浦野川と産川の合流点を撮ろうと思って少し川沿いの道を上流側に歩いてみた。しかし木と草が生い茂っているために合流点が見えなかった。反対側の岸からなら見えそうだったが、面倒なので今日はあきらめた。浦野川の左岸に沿って上流に向かう。

  砂利道は山洋電機の横を通り、浦野川橋のたもとに出る。そこまで来た時、前に写真を撮ろうと思ったが車を停めるところがなくてあきらめた神社がすぐ近くにあったことを思い出した。幸い砂利道の切れるあたり(浦野川橋のすぐ手前)に車を停められるスペースがあった。神社はそこから歩いてすぐだ。神社のスペースは狭いが、そこだけ周りと違う空間になっていた。それで気になったのだ。入口のすぐ左横に大きな石の記念碑が建っている。「社殿改築記念碑」とある。その字の横に小さく弓立神社と書いてあった。地図だと弓崎神社となっている。しかし弓崎神社はもっと上流に行ったところにある。こちらは前に醤油久保橋を撮りに行った時立ち寄って写真を撮ったから間違いない。名前が似ているから間違えたのだろう。市販の道路地図に間違いを見つけたのは初めてだ。

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<写真>
対影橋、弓立神社(2枚)

  社殿は特にこれといって特徴ある建物というわけではない。入口の右わきにある朱い東屋が目立つ程度だ。社殿の前に永代夜燈が立っていたのでそれを写真に撮った。その時その後ろに石段があるのに気づいた。上に何があるのだろう。気になるので登ってみた。階段はすぐ終わり、ちょっと平になった所に出た。そこには小さな石造りの祠が二つあった。一つは名前が書いてないので何かわからなかったが、もう一つには金毘羅大権現と書いてある。二つとも写真に撮る。

  神社を出て、ふたたび浦野川沿いの道を上流方向にさかのぼった。醤油久保橋を通り過ぎ、やがてささらの湯へ上ってゆく273号線との交差点に出る。交差点の所が橋になっている。浦野川に架かる和合橋だ。273を横切ってまっすぐ進むと、和合橋のすぐ隣に新しい橋がある。この橋が前から気になっていた。橋を渡って少し先を左折。田んぼの中の道を通って川のすぐ手前に車を停めた。このあたりの浦野川は川沿いにだけ木が茂っている。先日レポートした産川の中流域、八幡大神県社の裏あたりとよく感じが似ている。産川は比較的町中を流れているためか、八幡大神県社の裏あたりしか木に囲まれていない。浦野川の両岸はほとんど木で覆われている。コンクリで固めているところもほとんどない。あっても草でおおわれているので目立たない。だから浦野川の方がずっと野性的な川である。産川は上流の鞍が淵あたりは渓流の趣だが、別所丸子線を越えて塩田の水田地帯に入るあたりから平凡な川に変わる。

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<写真>
上の3枚:永代橋全景、リンゴのプレート(2枚)
下の3枚:永代橋全景、橋の上流側、橋の下流側

  話を元に戻そう。新しい橋の名前は永代橋である。隅田川に架かる有名な橋と同じ名前だ。しかしこの無名の永代橋もなかなかいい。橋の形は平凡だが、新しいせいか見た目もすっきりしてきれいだ。橋の手すりの所にリンゴを描いたかわいいプレートが何枚か付けてあるのもいい。これはポイントが高い。またここから眺める浦野川も上流下流ともに美しい。ゴブリン選定「上田市周辺ユニークな形の橋10選」に選ぶほどではないが、お気に入りの橋の一つになった。

  その後はいったん家の方に向かったが、途中で気が変わり幕宮池に向かう。この池は別所公園にある。別所公園と言っても別所温泉からは少し離れた所にある。別所温泉から山越えで143号線の「車屋」という蕎麦屋に出る道の途中にある。ちょっと脇道に入るのでほとんど気づかない。なぜ知っているかというと、幕宮池の先にテニスコートがあり、そこで一時期テニスをやっていたことがあるからである。幕宮池はあまりため池らしくないところがいい。写真を何枚か撮る。

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<写真>
幕宮池(3枚)

  もう帰る気はなくなったので、今度は前山寺方面に向かう。このあたりは中禅寺、塩野神社、龍光院、前山寺、信濃デッサン館、無言館と観光名所が続く上田の「見どころ銀座」である。逆に言えばお定まりの観光コースで、いまさら紹介するほどのものではないとも言える。しかし有名どころも一通り写真に撮っておきたかった。もう夕方で曇ってきてもいるので急いで回ることにする。まず、「あじさい小道」に行った。塩野神社から前山寺まで続く散策道である。それほど素晴らしいとは思わないが、ところどころいいスポットがある。梅雨も終わってやや時期外れだがまだ紫陽花の花は咲いていた。遊歩道のほんの一部を通って写真を撮っただけでまた車に戻る。

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<写真>
あじさい小道(3枚)

  次に塩田城跡の石碑を写真に撮る。ここはそれだけ。すぐ車で移動。信濃デッサン館下の駐車場に車を停める。まずデッサン館を撮った。ここは絵になる。喫茶部の前庭にオープンデッキがあり、そこで塩田平一帯を見降ろしながらコーヒーを飲むのは気持ちがいい。ここは上田の名所の一つだが、最近は客足が減り、また館主の窪島誠一郎さんが無言館の運営に専念するために今年の1月から休館になっていた。しかし全国のファンから続けてほしいとの声が上がり、その声に押されて窪島さんは再開を決意したそうである。改修工事を進め、7月に再オープンした。中には入らなかったが、外から写真を何枚か撮らせてもらった。その後前山寺の横の道を上がってパノラマ展望台へ行ってみようとした。だが途中でへばりやむなく引き返した。情けない。

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<写真>
信濃デッサン館(2枚)、塩田城跡

  すぐ車を出して無言館に向かう。足がガクガクでペダルが強く踏めない。トホホ。途中のカーブの所に道の駅のようなものを作っている。ここは上田の「見どころ銀座」だから確かにこういう場所が必要だろう。完成したらどんな風になるのか楽しみだ(大したことはないと思うが)。

  無言館も外側の写真だけ撮った。中は2回見た。無言館は上田で最も誇れるものだと思う。長野県は博物館と美術館の数が東京都についで全国で2番目に多い県である。その数ある美術館の中でもここはぜひおすすめしたい場所だ。戦没画学生の絵や遺品だけを集めた全国で唯一の美術館である。美術館は優れた美術品を見にゆく場所である。しかしここに収められているのはすぐれた絵でも有名な絵でもなく、未完成のものもある。だがそのことにこそ意味があるのだ。類まれな美術館である。2度目に行った時には両親を連れていった。普段絵など見たことのない二人だが、じっくり時間をかけて見ていた。絵以上に遺品に関心を惹かれていたようだ。実際、あの世代にとって感慨なしには見られないものだろう。

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<写真>
無言館(3枚)

  美術館ついでに、長野市松代町にある「池田満寿夫美術館」と小布施の「北斎館」の写真を載せておきます。今年の2月に撮ったものです。

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<写真>
池田満寿夫美術館(3枚)

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<写真>
北斎館、小布施の”栗の小道”

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2007年7月28日 (土)

「M」

1931年 ドイツ
評価:★★★★★
監督:フリッツ・ラング
製作:シーモア・ネベンザル
原作:エゴン・ヤコブソン
脚本:フリッツ・ラング、テア・フォン・ハルボウ、カール・ファース
撮影:フリッツ・アルノ・ヴァクナー、カール・ファース
美術:エミール・ハスラー、カール・フォルブレヒト、エドガー・G・ウルマー
出演:ペーター・ローレ、オットー・ヴェルニッケ、グスタフ・グリュントゲンス
    エレン・ヴィドマン、インゲ・ランドグート、フリードリッヒ・グナス
    パウル・ファルケンベルク、シーモア・ネベンザル、テオ・リンゲン

  古い映画ノートを調べてみると、最初に観たフリッツ・ラングの映画は「復讐は俺にまかCliplo6_2 せろ」である。72年6月24日にテレビで観ている。内容は全く覚えていない。観たことすら忘れていた。次に観たのが「飾り窓の女」。73年8月30日にこれもテレビで。その次が「暗黒街の弾痕」で、82年1月に三百人劇場で観ている。何と9年も間があいている。しかしこの後80年代に次々とラング作品を観ている。「ジークフリード」をACTで。「ドクトル・マブゼ」をドイツ文化センターで。「メトロポリス」を新宿文化シネマ1で。「死滅の谷」をユーロスペースで。「死刑執行人もまた死す」と「恐怖省」を三百人劇場で。最後に観たラング作品が「M」で、90年9月にビデオで観た。

  こうしてみると、ラングは80年代に再評価されたことが分かる。70年代に自分がラングをどの程度に認識していたのかは覚えていない。ただ、高校生時代に映画史を徹底して勉強し、過去の名作と言われる作品や有名監督・俳優の名前は頭に叩き込んであったので、少なくともサイレント時代に多くの名作を作った人だという程度の知識はあったと思われる。おそらく観たくても観る機会がなかったのだ。だから80年代にこれだけいろんなところに足を運んでむさぼるように観たのだろう。

  フリッツ・ラングはエルンスト・ルビッチと並んで今でもカルト的人気を得ている。確かに彼の作品は再評価に値する。幸いDVDの普及で彼の作品に身近に接することが可能になった。G.W.パプストやF.W.ムルナウの作品も高額ではあるがDVDで入手可能になった。80年代と比べたら隔世の感がある。今後ラングの作品は意識的に追及したいと考えている。彼の作品をレビューで取り上げるのは「死刑執行人もまた死す」に続いて2作目。今回新たに「M」をDVDで観直したが、その画面の鮮明さには驚いた。前回観た時はビデオだった。今更ながら技術の進歩に目をみはる思いだ。

  「M」は2005年8月4日に公営テレビの北ドイツ放送「NDR」が発表した「ドイツ映画ベスト100」で17位にランクされている歴史的名作である。20年代から30年代にかけてのドイツ・サイレント映画はまさに黄金時代で、ナチスの台頭で才能ある映画人が国外に亡命ないし追放されるまで数々の傑作を送り出してきた。この時代のドイツ映画は「ドイツ表現主義映画」として一括りにされることが多い。しかし「表現主義的」要素を含んでいるものは少なくないと思うが、はっきり「表現主義映画」と呼べるものは一握りの作品だけである。

  20世紀初頭は様々な芸術分野において種々様々な実験的創作が試みられた時期である。ドイツ表現主義、ロシア・アヴァンギャルド、イタリア未来派、シュールレアリズム、等々。表現主義絵画と表現主義映画の関連についてはもっと調べてみないと正確なことは言えないが、一般的には極端なデフォルメが特徴的な要素として挙げられる。「カリガリ博士」の極端に歪んだ街路や、斜めになった煙突などがよく指摘される有名な例だ。音のないサイレント映画という制限があったために、視覚的効果を最大限に利用しようとする方向に向かっても不思議ではない。そこにワイマール時代の社会不安(第1次大戦での敗戦による戦後の混乱とナチスの台頭)がかさなり、ドイツ映画は独特の怪奇・幻想映画を産み出すにいたった。

  かくしてイギリス文学の『ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』が題材に取り上げられ、ドッペルゲンガーや催眠による殺人、性格異常者による連続殺人などが取り上げられるよ うになる。歪んだ映像が生み出す不安感、壁に映った不気味な影、白黒画面という特性を生かした光と影の演出が効果的に用いられている。闇は人間心理にも入り込み、独特の心理的不安感や恐怖感を醸し出す作品が多く作られた。この時代のドイツ映画が後世に与えた影響は計り知れない。もちろんエルンスト・ルビッチの喜劇的なタッチ、徹底したリアリズムを追求したG・W・パプストなどもおり、決してこの時代のドイツ映画を一枚岩のように考えるべきではないが、多くはアメリカに逃れて、そこでも注目すべき作品を作っているという意味でも、この世代のドイツ系映画人の存在は大きい。他にヘンリー・コスター、ロバート・シオドマクなどがおり、ジョセフ・フォン・スタンバーグ、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、ビリー・ワイルダー、オットー・プレミンジャー、フレッド・ジンネマンなどのオーストリア系映画人と共に、アメリカ映画の中でドイツ系映画人(多くがユダヤ系)が果たした役割は大きい。

  「M」においても殺人鬼の登場場面に表現主義的演出方法が見られる。女の子が一人で立っている横に柱があり、その柱に連続少女誘拐殺人犯を捕まえたものに1万マルクの賞Tel_w2金を出すというビラが張られている。そのビラに帽子をかぶった不気味な男の影が映る有名なシーンだ。直接犯人を映すのではなく、その影を映す。この手法が醸し出すぞっとするような効果は絶大だ。いや、比喩的な意味では犯人の「影」は映画の冒頭から表れている。子供たちが輪になって歌いながら遊んでいるシーンである。輪の中に女の子が一人いて、日本の「かごめかごめ」に驚くほど似ている。一見なんとも可愛らしい場面なのだが、決してほほ笑ましくはない。なぜなら子供たちが歌っているのは殺人鬼の歌だからである。「もう少し待てばやってくるよ、黒い影法師の男の人が。手に持つその小さなオノでその男に切り刻まれるのは、あなたよ。」輪の中の少女は無邪気に一人の少女を指差す。楽しそうに遊ぶ子供たちの姿とその子供たちが歌っている歌の残虐な内容のギャップが身震いするような異化効果を生んでいる。全く調和しない映像と音声のモンタージュが生み出す薄気味悪い感覚。見事な導入部分である。

  冒頭の遊びのシーンは子供たちが遊びに取り入れるほど殺人鬼の噂が街中に広まっていることを示している。しかし、違和感を覚えるのは子供たちがまるで他人事のように無邪気に歌っていることである。そんな縁起でもない歌はやめなさいと近所のおばさんに注意されても、おばさんがいなくなるとまた歌い始める。その無警戒さ。この異様なまでの無警戒さにはおそらくある隠喩が込められているに違いない。冒頭場面に込められた隠喩はラストで子供を殺された母親がつぶやく言葉と結び付けられた時より明確になる。だが、それはもっと後で触れることにする。

  冒頭場面ばかりではなく、この映画には様々な乖離やズレ、歪み、あるいは逆転が描かれる。初めて連続殺人事件の犯人が登場する場面もこの「ズレ」が際立っている。鏡に丸ぽちゃの男が映る。その時にはまだ分からないが、この男が実は殺人鬼なのである。見る からに残虐そうな、あるいは冷酷そうな男ではない。むしろ童顔で人のよさそうな顔である。その男が鏡に向かってほほ笑んだり、口を大きく歪めたりしている。1度目に観た時この場面をどう感じたかは覚えていないが、今回観た時にはその何げない表情に不気味なものを感じた。ここにも異質なものをモンタージュする手法が効果的に使われている。その男は口笛を吹きながら新聞社に手紙を書いている。自分の犯行を認める手紙であり、同時に挑戦状でもある。あるいは、自分には殺人を止められないと書いているところを見ると、自分を捕まえてほしい、自分を止めてほしいというSOSでもあるだろう。

  ここでラングはさらにモンタージュを重ねる。筆跡鑑定の専門家が送られてきた声明文から犯人像の分析をしている(今で言うプロファイリング)シーンである。このシーンが、鏡に自分の顔を映している犯人の映像とカットバックされるのである。筆跡鑑定家は、犯人は芝居じみた性格を持ち、怠け者で無気力な人物である、“すさまじい狂気”が声明文から浮かび上がってくると口述している。より重要なのは、犯人は普通の人間の間で何食わぬ顔をして普通に暮らしているだろうという指摘である。450万の市民は恐怖に震えあがっているが、自分たちのすぐ近くに犯人が潜んでいることには気づいていない。

  子供たちも親たちも、冷酷な殺人鬼が身近にいることに気づいていない。これは明らかにワイマール時代の社会不安を暗示している。主権在民、人権保障を謳ったワイマール憲法は当時最も民主的な憲法であったが、ワイマール時代は第一次大戦での敗戦による混乱で不満が充満し、ヒンデンブルクの独裁政治、さらにはファシズムの台頭につながったと言われる。人々は「気づかぬうちに」とんでもない方向に引きずられているのではないか、そう警告しているのだ。冒頭の場面で子供たちに注意した女性に別の女性が、子供たちの「声が聞こえるということは安全ということよ」と話しかけるシーンがある。それで最初の女性はいったん納得したが、結局その晩彼女の娘エルシーは家に帰ってこなかった。次に娘と会った時には無残な姿となっていた。気づいた時には既に遅い。ファシズムは静かに近づいてくる。熱いお湯にいきなり入れられたカエルはあわてて飛び出るが、少しずつ水を熱せられると気付かないままに茹でられてしまう。

  では誰が子供たちを、ひいては市民を守るのか?「M」はさらに大胆な逆転を描いてみせる。犯人を見つけ、追いつめ、拘束し、「裁判」にかけたのは警察ではなかった。その警察に追われる立場の犯罪者たちであった。このあたりの展開が面白い。実は、殺人鬼を警戒する警官が街中にあふれ、おかげでギャングたちの商売はあがったりだった。困り果てたギャングたちは緊急に会合を開き、打開策を練る。同じころ警察も犯人捜査の会議を開いていた。この二つの会合がカットバックで並行して描かれるところが面白い。どちらの部屋もたばこの煙がもうもうと立ち込めている。警察の会議では「大衆なんて無関心の塊ですよ」との声が上がり、一方の犯罪者たちの会議では自分たちの手で犯人を捕まえることを決める。しかし自分たちは表に出られない身。自分たちの代わりに、怪しまれずに子供を見張れるのは誰か?ボス(グスタフ・グリュントゲンス)は意外な決定を下す。浮浪者を組織しろ。

  かくして、無関心の塊であったはずの「大衆」が犯人探しを始める。警察と犯罪者たちが同じ犯人を同時に追うというとんでもない展開になる。犯人はそのころ次の獲物に迫ってい037550た。今のアメリカ映画なら犯人の残虐行為をこれでもかとばかりに映し出すだろう。「M」は70年以上も前の作品なのでそこまでは描けない。いや描くつもりもなかっただろう。この映画の狙いはセンセーショナルな猟奇犯罪そのものを描くことではない。恐ろしい犯罪の上に、さらに深刻な社会不安を重ねて描くことに真の目的がある。代わりに犠牲者に忍び寄る犯人の「影」が実に効果的に描かれている。犯行を直接描かなくても恐怖を盛り上げられるのだ。そこにラングの非凡な才能があった。店のショーウインドウを覗いている少女に男の口笛の音がかぶさる。軽快な「ペールギュント」のメロディがかえって不気味だ。犯人の姿は映らない。口笛だけを「登場させる」演出がすごい。

  幸い、男が手をかけようとする直前に女の子の母親が現れて事なきを得た。しかし、その口笛を覚えていた男がいた。風船売りの盲目の男である。彼はギャングに頼まれて殺人鬼を探していた浮浪者の一人である。最後の犠牲者エルシーを連れ去る前に、犯人は彼女の気を惹くためにたまたまこの盲目の男から風船を買ったのだ。盲目の男は別の浮浪者に犯人の後を追跡させる。仲間が見失わないように、その男は手のひらにチョークで“M”と書いて、どさくさにまぎれて犯人の背中を叩く。犯人の黒いコートに白い“M”の文字が浮かび上がる。“M”は「殺人者」という意味のドイツ語“Mörder”の頭文字である。このあたりの一連の展開は有名な場面で、実際今観ても素晴らしい。

  こうして犯人は特定され、追い詰められる。一方警察も決して無能ではなかった。ローマン警部(オットー・ヴェルニッケ)たちは別の線(アリストンという銘柄のたばこ)から同じ犯人に行きついていた。しかし犯罪者たちの方が一歩先んじていた。犯罪者たちは犯人を追いつめ、捕らえる。このあとが意外な展開になる。実はここから先はほとんど覚えていなかった。犯人が正体を現し、童顔の顔がすさまじい形相に変わってゆくところは覚えていたが、彼が何と犯罪者たちによって裁判にかけられることは全く忘れていた。犯人役のペーター・ローレの鬼気迫る演技ばかり記憶に残っていた。こんな突拍子もない展開をどうして忘れていたのか不思議なくらいだ。

  それはともかく、犯人は大きな部屋に引き出される。そこには犯罪者や浮浪者、そして子供を殺された母親たちがずらりと並んで座っていた。そこは即席の裁判所だった。ここからの展開が重要である。警察や裁判官ではなく、犯罪者や浮浪者たちなどの「大衆」が犯人を裁くのである。それもリンチまがいのいい加減な裁判ではない。犯人には弁護士がつけられ、彼にも弁明の機会が与えられる。映画が描こうとしていることは明確だろう。もはや国家権力には「国民」を裁く資格はない。「人民の名において」(ラストで本物の裁判官が使った言葉)大衆が「正義の法廷」を開くのだ。

  この長々と続く裁判場面で犯人と犯罪者たちが交わしたやり取りはこの上なく重要である。「お前らなんかに何の権利があるというんだ」と突っかかる犯人に対し、ギャングたちのボスはこう反論する。ここにいる者たちは嫌というほど法の力を知っている(監獄の中で学んだわけだ)。「彼らが君を裁くのだ。弁護人もいる。すべて法律に従うのだ」と。ボスが「これ以上犠牲を出さないためだ。君には死んでもらう」と言うと、犯人が激して「これは殺人じゃないか。警察を呼ぶことを要求する。法の下に公平な裁判を要求する」と怒鳴る。これに傍聴人たちは大笑い。

  犯人も負けずに「お前ら、一体何様なんだ。みんな犯罪者じゃないか」とやり返すが、やがて独白のように自分の苦悩を吐き出し始める。「おれは選択しようがなかったんだ。自分の中に悪魔が棲んでいるんだ。炎、叫び、責め苦が。・・・ひとりで通りを歩くといつも感じるんだ。追ってくる奴がいる。おれ自身だ。音もなく追いかけてくる。でもおれには聞こえるんだ。まるでおれ自身に追いかけられているように。自分で自分を追ってるんだ。・・・おれと一緒に亡霊たちもついてくる。母親たちの亡霊やその子供たちの亡霊がいる。いつもそこにいるんだ。どんな時でも。それから解放されるのはあの時だ。それは・・・それから記憶がない。覚えていないんだ。」

  犯人はすさまじい形相で身をよじりながら、体から毒を吐き出すように言葉を吐き出す。両目は飛び出さんばかり。今の感覚からするとセリフや身振りが大仰に感じられるが、それでもペーター・ローレの熱演に思わず引き込まれてしまう。ボスは飽くまで死刑を宣告しようとするが、そこに弁護人が割って入る。犯人の行為は「強度の強迫観念による」もので、「自身で責任のとれない行動は処罰でき」ない。「必要なのは医者であり、死刑ではない」と弁護する。

  それでもボス(裁判官の役)は死刑を迫る。監獄に入れただけではいずれ恩赦でまた出てくるし、病院も退院したらまた同じことを繰り返すだろうと譲らない。興奮した傍聴人たちが被告に襲いかかろうとするところへ警察が突入してくる。驚く犯人の肩にすーっと手が伸びてくる。そして「法の下に」という声。直後に裁判所の場面に切り替わる。「人民の名において・・・」という裁判官の声。さらにまた場面が変わり、喪服を着た母親たちの言葉が最後に流れる。「私たちの子供は生き返らない。誰かが・・・子供たちにもっとしっかり注意を向けていたら。(画面暗転)あなた方が!」

  最後のメッセージがただ単にもっと大人が子供をしっかり守るべきだという単純なものでないことは明白だろう。脚本を担当したラングと彼の妻であったテア・フォン・ハルボウが当Teien 時どの程度ファシズムの脅威を意識していたかは分からない。しかし失業者があふれかえっていたワイマール共和国時代のドイツが暗く希望の見出せない混乱状態にあり、その混迷の中からさらに恐ろしい脅威が生まれ出ようとしているという認識を持っていたことは間違いないだろう。ぎょろぎょろと目を剝き、髪を振り乱した殺人鬼がその迫りくる脅威を象徴していることも明らかだろう。この映画を単なるサスペンス映画と解釈したのでは、なぜ後半これだけ疑似裁判の場面に力を込めているのか理解できなくなる。「M」は政治映画なのである。警察や司法などの権力に対する不信感。犯罪者たちは殺人鬼ばかりではなく、混迷した社会と政治体制をも裁いていたのである。しかし、結局手柄は警察に奪われ、どれだけ時間をかけて審議したのか描かれないままに「人民の名において」といきなり判決が下される。「人民の名において」という言葉が何とうつろに響くことか!(本物の)法廷の場面はほんのワンショットしか描かれないが、見るからに権威的で威圧感に満ちている。裁判官がこの一言を発しただけですぐ画面が切り替わってしまう。判決そのものではなくこの言葉だけをあえて言わせたところに辛辣な皮肉が込められている。

  お前らに俺を裁く権利があるのかという犯人に対して、ボスのシュレンカー(演じるグスタフ・グリュントゲンスが実に堂々としていて見事だった)がはっきりと「ある」と断言していることが意味深長である。社会の混乱が犯罪者を生んだのだという認識がその背後にあるに違いない。さんざん臭い飯を食わされた俺たちや社会からはじき出された浮浪者たちこそ法の力を知っている。俺たちの法廷こそ正義の法廷であるという含意が込められている。

  「M」はファシズム批判を全面的に展開した力作「死刑執行人もまた死す」と並べて解釈されるべき作品である。ラングの祖母はユダヤ人である。「M」を撮った2年後の33年、ラングはゲッベルスから彼の下でドイツ映画を統括してほしいと持ちかけられて仰天する。彼はその日のうちにフランスへ亡命した。

  DVDの附録映像が実に面白い。何と吹き替えではなく、フランス語で撮り直された別ヴァージョンが収録されている。こんなものがあったとは。オリジナルに比べて編集が多く、ペーター・ローレの演技はずっと大袈裟になっている。また、ジョセフ・ロージー監督によるアメリカ版があったが、監督がコミュニストだという理由で上映禁止になっていたことも初めて知った。出来は悪くないというから、これも観てみたいものだ。

  「M」はラングのトーキー第1作である。ところどころ車の音や歩く音が無音になっていて気になったが、解説によると意図的なものだったという。必ずしも納得はできないが、面白い指摘ではある。

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2007年7月25日 (水)

「今宵、フィッツジェラルド劇場で」短評

2006年 アメリカ 2007年3月公開
評価:★★★★★
監督:ロバート・アルトマン
出演:ウディ・ハレルソン 、メリル・ストリープ 、ケヴィン・クライン
    ギャリソン・キーラー、リンジー・ローハン 、ヴァージニア・マドセン
    トミー・リー・ジョーンズ、ジョン・C・ライリー、マーヤ・ルドルフ
    リリー・トムリン、L.Q.ジョーンズ、ジャーリン・スティール
    ティム・ラッセル、メアリ・ルイス・バーク、スー・スコット
    ロビン&リンダ・ウィリアムズ、プルーデンス・ジョンソン

  さすがロバート・アルトマン。文句なしの傑作だった。彼の作品の中では90年代以降のBuil6 ものが特に好きだが(というか初期のものはほとんど忘れている)、「今宵、フィッツジェラルド劇場で」は、「ゴスフォード・パーク」 (2001)や「ザ・プレイヤー」 (1992)と並ぶ晩年の傑作である。彼の代表作の一つとなるだろう。彼の得意とするいわゆる群像劇だ。とにかく人生があふれている。

  夜のミネソタ州セントポール。Mickey’s Dining Carというダイナー(食堂車をそのままレストランに改造して使っている)が最初に映し出され、フィッツジェラルド劇場の警備を担当しているガイ・ノワール(ケヴィン・クライン)がそこから出てくる。ガイの声で「人生という謎の答えを探している」とのナレーションが入る。もうここからすでに引き込まれてしまっている。しかし、ガイ・ノワールが主人公というわけではなく、出だしは夜のシーンだが「ノワール」な映画というわけでもない。

  ガイが向かうフィッツジェラルド劇場では「プレーリー・ホーム・コンパニオン」というラジオショウの最後の公開録音が行われようとしている。30年以上続いたショウだが、ラジオ局がテキサスの大企業に買収され、その日最後の夜を迎える。劇場も再開発のため取り壊される運命にあった。映画はその最後の1日を描いている。しかしそれでいて、憂いに沈んだ物悲しい雰囲気は漂っていない。むしろ軽快なカントリー・ミュージックに乗って、ドラマは明るい調子でテンポ良く進んでゆく。人生の最期を迎えつつあったアルトマン監督が、人生を達観したような、あるいは諦念に沈んだ映画ではなく、このような乾いた明るい映画を作ったことにまず拍手。

 そう、「今宵、フィッツジェラルド劇場で」はショウの司会者であるギャリソン・キーラー(同名の実在するショウの司会者兼脚本家)と出演するミュージシャンを中心とした音楽映画でもある。その意味で「五線譜のラブレター」、「RAY」、「ビヨンドtheシー」の系譜につながる映画だ。カントリー・ミュージックをたっぷり楽しめる映画としては、シシー・スペイセク主演の「歌え!ロレッタ愛のために」(1980)と並ぶ傑作だと言っていい。

 しかしそのキャストの豪華なこと!メリル・ストリープ、リリー・トムソン、リンジー・ローハン、ヴァージニア・マドセン、ウディ・ハレルソン、ジョン・C・ライリー、L.Q.ジョーンズ、マヤ・ルドルフ、そしてケヴィン・クラインとトミー・リー・ジョーンズ。みんな歌がうまい。ジャーソン・スティール(堂々とした体格の黒人女性歌手)やロビン&リンダ・ウィリアムズ(バック・アンド・コーラス)などの本物の歌手も出演している。メアリ・ルイス・バーグ、スー・スコット、ティム・ラッセルなど、脇役にもいい俳優をそろえている。まさにアルトマン監督の最後を飾るにふさわしい豪華版だ。

 群像劇でも、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「アモーレス・ペロス」と「21グラム」のようなどろどろに絡まりもつれ合った人間劇ではなく、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」、「スナッチ」、「ダブリン上等!」などのような出し抜き出し抜かれる疾走感あふれる犯罪アクション映画タイプでもない。「幻の女」を想わせる、謎めいた白いコートの女が現れるが、サスペンス映画というのでもない。ある偶然のきっかけで見知らぬ者同士の人生が交錯するというのでもない。いつものようにミュージシャンが集まり、にぎやかにおしゃべりをし、楽屋であるいはステージで歌を歌う。最後の夜だが、最後らしさを感じさせない日常の風景。それでいて面白くて仕方がない。「人生という謎の答えを探している」という冒頭の台詞にもかかわらず、深みを感じさせる台詞などほとんどない。それでいて画面の隅々にまで人生があふれている。

  「今宵、フィッツジェラルド劇場で」はそういう稀有な映画である。淡々とスポンサーの宣伝を読み上げ、コマーシャルソングを歌う司会者のキーラー。お下劣なコミックソングを歌うダスティとレフティのコンビ(ウディ・ハレルソンとジョン・C・ライリー)、メーキャップをしながら亡き父と母のことを話すヨランダとロンダのジョンソン・ガールズ(メリル・ストリープとリリー・トムソン)、その横で作詞に余念のない娘のローラ(リンジー・ローハン)、1曲だけ歌い楽屋に引き上げ、下着姿で密かに息を引き取っていたチャック・エイカーズ(L.Q.ジョーンズ)。歌うことがそのまま人生である人たち。白いコートを着た女性の幽霊(ヴァージニア・マドセン、文字通りファントム・レディだ)にも語るべき人生があった。

 そして何といってもカントリー・ミュージックの魅力。これほど素晴らしい音楽がどうして日本では人気がないのか。この映画の魅力の半分以上はカントリー・ミュージックの魅力である。そしてその音楽世界を支えているのは司会者であるギャリソン・キーラーその人の才能である。驚くほど多才な人だ。実際の番組「プレーリー・ホーム・コンパニオン」の司会と脚本を務め、エッセイや評論や短編小説までものするという。「今宵、フィッツジェラルド劇場で」の原案と脚本を作り、出演して歌まで披露している。彼の才能がなければこの映画の成功はなかった。そう言い切ってもいい。

 カントリー・ミュージック、「幻の女」そしてスコット・フィッツジェラルド。夜のセントポールにひときわ輝く劇場に集まった歌う蝶たち。われわれはただ歌と人生の饗宴に酔いしれればいい。

2007年7月24日 (火)

完成間近のリンドウ橋を撮る

  今日は出張で松本へ行ってきた。要件は3時過ぎに終わったので、帰りがけにまた鹿教湯温泉に寄って写真を撮ってきた。先日と同じ駐車場に車を停める。まず前回と同じコースを取った。紅葉橋、なかよし地蔵、文殊堂、五台橋。今度はしっかり撮れたが、なぜか「なかよし地蔵」は今回も写真がぶれて失敗。リベンジのつもりが返り討ちにあってしまった。残念。それはともかく、今日は前回撮れなかったところも撮りたかったので、五台橋から緑橋、馬頭観世音、万年橋、月見堂と回ってみた。緑橋と馬頭観世音は特にどうということはなかったが、万年橋は結構インパクトがあった。案内マップに「地上30メートルのつり橋」とあるので、ゆらゆら揺れる橋かと思ったら鉄製のがっしりとした橋だった。両側に太い鉄柱が立っていて、そこからワイアーが張ってある。なるほど確かにつり橋だ。ただ、しっかりとした鉄製の手すりが付いているのであまりつり橋という感じはない。しかし黒々とした橋の質感がどっしりとした存在感を与えている。メインストリートからやや離れた、奥まった所にあって、すぐ近くまで行かなければ姿が見えない。そのひっそりとした佇まいもいい。ただし、ゴブリン選定「上田周辺ユニークな形の橋10選」に入れるかどうかは保留。何しろあと枠は一つだけ。慎重に選ばなければ。

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上の3枚:紅葉橋、文殊堂の橋、文殊堂
下の3枚:緑橋、緑橋に行く途中の仏像、五台橋

 月見堂へ行く坂を登り始めたころにはすでに汗びっしょりだった。昨日までの曇り空とは打って変わって抜けるような青空。このところずっと曇りか雨の天気が続いていたので、朝起きて空を観た時にはあまりの青さにまぶしく感じたほどだ。空ってこんなに青かったのか。感動すら覚えた。気温もおそらく30度を超えていただろう。梅雨のじめじめした気候に慣れていた体にはこの暑さは応える。それでも月見堂の写真を撮りたい一心で坂を上った。ネクタイこそ外したが、出張用の革靴で登る坂ではない(普段はネクタイなど締めないし、靴はスニーカーだ)。普段の運動不足で息が切れる。息が荒くなり、足がガクガクになったころようやく月見堂についた。特に珍しくはない東屋である。ただ屋根が茅葺きになっているところはいい。何枚か写真を撮って、また道を下る。坂の途中で、向かいの山の上に浮かんでいる月に気づいた。せっかく月見堂に上ったのだ、月の写真を撮っておこう。昼間でも月は月。うっすらとしか見えないのでちゃんと映るか気にしながら写真を撮った。

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<写真>
上の3枚:万年橋(2枚)、万年橋の箱(中に記念スタンプが入っている)
下の3枚:月見堂、月見堂下から見た月、遊歩道脇に咲くガクアジサイ

 鹿教湯温泉を出て上田に向かう。実はもう一つお目当てのスポットがあった。おととい鹿教湯温泉に来た帰りにたまたま見かけた橋があった。青い色のきれいな橋で、これも帰りがけにぜひ写真に撮っておきたかった。いつもは平井寺トンネルを通るのだが、200円をケチって平井寺を素通りし、174号線に入った。その時右側に見かけた橋である。正確な場所は分からないが、内村川と依田川の合流点と依田川橋の間あたりだろう。その橋を渡って対岸に車を止めようと思っていたら、なんと入口は封鎖されていた。まだ建設中なのである。確か前に通った時にはなかったはずだと思っていたが、やはり新しい橋だった。一旦通り過ごしてから、また引き返してきた。ちょうど橋の所(道を挟んで橋の反対側)に駐車スペースがあったのでそこに車を停めた。

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<写真>
リンドウ橋(2枚)、馬頭観世音

 橋はほぼ出来上がっていた。ピカピカの新橋なので、橋の青い色が鮮烈だ。橋全体の半分だけ青いアーチがかかっている形も実にユニーク。どことなくかわいい感じを受ける。未完成だが、すっかり気に入ってしまった。工事の人に橋の名前を聞いたら「リンドウ橋」だと教えてくれた。リンドウにちなんで青く塗ってあるのだと。納得。うちの庭にもリンドウを植えている。だからなお一層親しみを感じる。いっそのこと「上田周辺ユニークな形の橋10選」に入れてしまおうか。いやいや、まだ完成していないのだから、そうあわてることはない。もう少しいろんな橋を見てから決めよう。とにかく、新しくできる橋の写真を撮れたので満足だった。

2007年7月22日 (日)

2006年公開映画マイ・ベストテン

【2006年外国映画マイ・ベストテン】

1 「麦の穂をゆらす風」(ケン・ローチ監督)
2 「母たちの村」(ウスマン・センベーヌ監督)
3 「ココシリ」(ルー・チュ-アン監督)
4 「スタンドアップ」(ニキ・カーロ監督)
5 「ホテル・ルワンダ」(テリー・ジョージ監督)
6 「スティーヴィー」(スティーヴ・ジェイムズ監督)
7 「ノー・ディレクション・ホーム」(マーティン・スコセッシ監督)
8 「スパングリッシュ」(ジェームズ・L・ブルックス監督)
9 「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」(トミー・リー・ジョーンズ監督)
10 「ククーシュカ ラップランドの妖精」(アレクサンドル・ロゴシュキン監督)
次 「トンマッコルへようこそ」(パク・クァンヒョン監督)

 「王の男」(イ・ジュンイク監督)
 「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)
 「キンキー・ブーツ」(ジュリアン・ジャロルド監督)
 「胡同のひまわり」(チャン・ヤン監督)
 「グッドナイト&グッドラック」(ジョージ・クルーニー監督)
 「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督)
 「グエムル 漢江の怪物」(ポン・ジュノ監督)
 「明日へのチケット」(ケン・ローチ監督、他)
 「隠された記憶」(ミヒャエル・ハネケ監督)
 「アメリカ、家族のいる風景」(ヴィム・ヴェンダース監督)
 「ナイロビの蜂」(フェルナンド・メイレレス監督)
 「トランスアメリカ」(ダンカン・タッカー監督)
 「ブロークン・フラワーズ」(ジム・ジャームッシュ監督)
 「16ブロック」(リチャード・ドナー監督)
 「オリバー・ツイスト」(ロマン・ポランスキー監督)
 「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」(ニック・パーク、スティーヴ・ボックス監督)
 「プライドと偏見」(ジョー・ライト監督)
 「リトル・ミス・サンシャイン」(ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス監督)
 「ブロークバック・マウンテン」(アン・リー監督)
 「Vフォー・ヴェンデッタ」(ジェームズ・マクティーグ監督)
 「ジャーヘッド」(サム・メンデス監督)

【2006年日本映画マイ・ベストテン】

1 「博士の愛した数式」(小泉堯史監督) Engawa_b4
2 「フラガール」(李相日監督)
3 「かもめ食堂」(荻上直子監督)
4 「武士の一分」(山田洋次監督)
5 「紙屋悦子の青春」(黒木和雄監督)
6 「嫌われ松子の一生」(中島哲也監督)
7 「THE有頂天ホテル」(三谷幸喜監督)
8 「雪に願うこと」(根岸吉太郎監督)
9 「六ヶ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督)
10 「ヨコハマメリー」(中村高寛監督)
次 「長い散歩」(奥田瑛二監督)

 「タイヨウのうた」(小泉徳宏監督)
 「カミュなんて知らない」(柳町光男監督)
 「ゆれる」(西川美和監督)

 今頃になって2006年のベストテンを挙げるのは恥ずかしいのですが、やっと主要な作品をほぼ観終わったので自分の中で区切りをつける意味でもとにかく載せます。まだ見落としている作品が結構ありますから、場合によっては順位が入れ替わる可能性があります(ただし洋画の次点以下は特に順位を付けていません)。特に日本映画は「蟻の兵隊」などの注目すべき記録映画を全く見ていません。「ストロベリーショートケイクス」や「長い散歩」、「明日の記憶」なども未見です。適宜追加してゆきます。

 なお本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」の「世界の映画を観てみよう」コーナーに「外国・日本映画年間マイ・ベストテン」を掲載しています。1985年以降のマイ・ベストテンがすべて載っていますので、関心がおありの方はそちらも覗いてみてください。

鹿教湯の五台橋を撮る

  曇り空で薄暗い。鹿教湯(かけゆ)温泉の五台橋を撮りに行きたいが、天気が悪いのでなかなか決心がつかない。3時頃まで家でぐずぐずする。3時過ぎようやく外出。143号線を青木方面へ向かう。鹿教湯に行くには普通平井寺トンネルを抜けて、254号線を通る。しかし今回はあえて青木から沓掛温泉経由で山道の12号線を通るルートを取った。写真日記を付け始めてからやたらと初めての道を走りたくなる。青木街道から左折して12号線に入る。沓掛橋を渡って沓掛温泉にあがってゆく。温泉街を貫く狭い道を抜けてさらに奥へと進む。さあ、ここから山道だと覚悟したとたんに道が下り始め、見覚えのある小さな橋を渡った。さらにすぐT字路に出る。ここもどうも見覚えがある。

 腑に落ちないままにそこで左折した後、事態を理解した。あの橋は荒屋橋だ。以前浦野川の上流の沓掛川の探索をした時に写真を撮った橋だ。つまり鹿教湯温泉へ行くには12号線をそのまままっすぐ進めばよかったのに、わざわざ途中寄り道して沓掛温泉に入り、ぐるっと回ってまた12号線に出てきたというわけだ。沓掛橋が沓掛温泉の入り口で、荒屋橋はその出口だった。出発前によく地図を観ておけばこんな寄り道をしなくても良かったのに。道路地図はわざわざ沓掛温泉を通るように書いてあるので、何の疑いもなくそうしてしまった。まあ、おかげで沓掛温泉を初めて縦断したのでそれもいいか。前回は温泉街を抜けずに引き返していた。

 さて12号線に戻ってからが本当の山道。すごい道だった。車1台通るのがやっとの細い道が延々続く。ところどころ待避線があるが、近くに待避線がないところで対向車と出くわしたら苦労するだろう。細い山道それ自体は怖くはない。怖いのは対向車だ。何しろカーブの連続だから、場所によっては先が見えないので出会いがしらに対向車と正面衝突する可能性がある。ミラーを確認しながら慎重に進む。ところどころ舗装がひび割れ、ボロボロになっている。ほとんど通行量のない山道だからめったに補修はしないのだろう。地図で見ると、沓掛温泉から鹿教湯温泉まで直線距離にして7、8キロくらいだが、くねくね曲がっているので道のりは10キロ以上あるだろう。途中対向車は2台しかすれ違わなかった。同じ方向の車は途中で追い抜いた1台のみ。夜一人では走りたくない道だ。でも、僕は意外にこんな道が好きだ。結構ビンビン走ってしまう。

 15分から20分程ほど走っただろうか。ようやく鹿教湯温泉に到着。温泉街のメインロードを上りきって、体育館近くの無料駐車場に車を停める。そこで道を聴いて、いざ五台橋へ。教えられた道をゆくと川の音が聞こえてきた。五台橋は内村川に架かっている。内村川は依田川橋の手前で依田川に合流している。だから依田川の支流になる。すぐ橋が見えてきた。橋の手前に門のようなものが立っている。そこに紅葉橋と書いてあった。古びていて風趣がある。写真に撮ろうと思ったら何と電池切れ。あわてて電池を入れ替える。幸い何となく予感がして替えの電池を持ってきていた。備えあれば憂いなし。しかし曇っている上に、巨大な樹木におおわれているのでなおさら薄暗い。自動的にフラッシュがついてしまう。だがフラッシュをたくとまるで夜の光景のようになってしまう。途中でフラッシュをたかないようにしたが、何枚か失敗した。いつもは手ぶれなどしたことがないのに、なぜか今回撮った写真は半分以上手ぶれしていた。どうもシャッターを押した後に一瞬間を置いてフラッシュが光るので、ついシャッターをいつもより長く押してしまう。たぶんそのせいだろう。川の写真は真っ黒に写っていて全部だめだった。まあ、またいつか天気のいい日に来て撮りなおせばいい。

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紅葉橋、なかよし地蔵、温泉薬師堂

 紅葉橋は風情のあるいい橋だった。そこから見下ろす内村川も野趣があって素晴らしい眺めだ。橋を渡ると右手に東屋があった。さらにそのちょっと先には左手に男の子と女の子が寄り添った「なかよし地蔵」がある。なかなかかわいいので写真に撮った。だが、フラッシュをたいてしまったので、まるで夜中に撮ったような写真になってしまった。撮り直そうかと思いながらも先に進む。その先に茅葺きの古びた建物が見えてきた。近くまで行くと温泉薬師堂とある。その先に屋根のある橋が見えた。これが五台橋だろうか?橋に近づくと、右手の斜面にたくさんの地蔵が並んでいた。これだけあると壮観だ。地蔵と橋の写真を撮って、橋を渡る。そこにも赤い帽子とよだれかけを付けた地蔵(?)が5体並んでいた。文殊堂の写真も撮る。鹿教湯の温泉街をゆっくり歩いてみたのは今回が初めてだ。以前鹿教湯病院に知り合いが入院していた時に見舞いに来たことはあるが、その時は病院に行っただけですぐ帰ってしまった。鹿教湯温泉は湯治場として知られているところなので、自分には関係ないところだとその時は思っていた。しかし橋という思わぬつながりがあったわけだ。

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文殊堂へ渡る橋、お地蔵さんたち、文殊堂の5体の地蔵

 屋根つきの橋から下を見下ろすと、そこにもう一つ屋根つきの橋があった。内村川に架かっているので、どうやらそちらが五台橋らしい。階段を下りてその橋の写真を撮る。橋の所に座る場所もあって、なかなかユニークな橋だ。形は塩野神社の神橋に似ているが、それより長くて椅子が置いてあるところが違う。五台橋から眺める内村川も野趣があっていい。橋を渡った先に「文殊の湯」があったので、そこでマップをもらった。ネットでは詳しい地図が見つからなかったので地図を手に入れたかった。五台橋もどの辺にあるのか全く分からなかった。これでやっと内村川に架かっている方が五台橋だと確認できた。温泉街の全体像もつかめた。

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<写真>
五台橋(3枚)

 メインストリートに出て、休憩所でたばこを吸った。ちょうどその休憩所の所に温泉街の地図があったので、たばこを吸いながら地図を眺める。月見堂、その先の展望台、馬頭観世音、温泉街の先には内村ダム/鹿鳴湖と笠岩もある。結構面白そうなところがいくつもある。一服した後、月見堂に行ってみようとしたら雨が降ってきた。諦めて車に引き返す。  さすがに来た道をまた引き返す気はないので、254号線、174号線を通って帰った。ずっと内村川に沿って走っている道だ。このあたりの内村川もいい。雨が降っていなければ車を脇道に入れて写真を撮りたいくらいだ。途中気になる橋に気づいたが、まあここもまた今度来ればいい。

 五台橋は文句なしにゴブリン選定「上田市周辺ユニークな形の橋10選」の殿堂入り。さあ、いよいよ残り1つ。ちなみにこれまで選定された橋は、ハープ橋、ローマン橋、塩野神社の神橋、生島足島神社の御神橋、醤油久保橋、馬坂橋、御八城大橋、鎌倉橋、そして五台橋。皆さん、心当たりの橋があればぜひご推薦ください。もちろんもっといい橋があれば入れ替えも可能です。

最近観た映画

  最近なかなか映画のレビューが書けない。7月10日締め切りの短い原稿2本を(フレンAkari1 チ・フィルム・ノワールと悪役ヒーローに関するもの)何とか若干締め切りに遅れながらも書き終え、さあこれから映画をガンガン観るぞ、レビューをビシバシ書くぞと思ったものの、忙しくて思うに任せない。フリッツ・ラングの「M」を今月6日に観たが、いまだにレビューが書けない。平日は仕事に追われ、週末は憂さ晴らしにデジカメもって撮影にお出かけというパターンなので、まとまった時間が取れない。13日に観た「裏切りという名の犬」のレビューは「M」が片付かないと書けない。早くしないと忘れてしまいそうだ。これは久々のフレンチ・フィルム・ノワール。お決まりの男の友情と裏切りがテーマだが、なかなか出来はいいと思った。今後フリッツ・ラング作品とフレンチ・フィルム・ノワールは意識的に追求しようと思っている。

  昨日の21日にはレンタル締め切りぎりぎりに「家の鍵」と「カポーティ」を観た。「家の鍵」は久々に観るイタリア映画。期待したほどではなかったが、淡々とした中にも鮮烈な印象を残すシーンがいくつかある。障害を持った子と、やっとその息子と正面から向き合うことにした父親が過ごした数日間。その二人を特に大きな山場を設けることなくじっと観察するように見つめ続ける演出は悪くない。実際に障害をもったアンドレア・ロッシの演じるパオロがすごい存在感だ。しかし、父親役のキム・ロッシ=スチュアートがどうも弱い。シャーロット・ランプリングがここでもいい味を出していただけにその点が惜しい。ジャンニ・アメリオ監督は「いつか来た道」に続いて2本目だが、どうも彼の作品は地味だ。

  「カポーティ」は評判ほどではないと感じた。フィリップ・シーモア・ホフマンは確かにうまい。しかし、カポーティの人物像、事件を取材しようとした彼の意図と狙い、事件の真相、事件から彼が何を読み取ったのかというどの面をとっても中途半端だという印象をぬぐえない。レビューは・・・たぶん書かないでしょう。

  今一番観たい新作DVDはアルトマンの遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」。これは新作料金でも観たい。それを見たらしばらく手元にたまりにたまったDVDを観ようかと思っている。こちらは山ほどある。イジィ・トルンカの「真夏の夜の夢」、フリッツ・ラングの「恐怖省」、シェ・チンの「芙蓉鎮」、ビスコンティの「山猫」、黒澤の「野良犬」、ジャン・ピエール・メルヴィルの「影の軍隊」、「いぬ」、「仁義」などはぜひ観直したい。「川本喜八郎作品集」、ビリー・ボブ・ソーントンの「スリング・ブレイド」、ケン・ローチの「ブレッド&ローズ」、メルヴィルの「マンハッタンの二人の男」など、まだ観ていないものも山ほどある。このうち、一体どれだけ観られるのだろうか。はあ~(ため息)。

「M」 ★★★★★
「裏切りという名の犬」 ★★★★
「カポーティ」 ★★★★
「家の鍵」 ★★★★
「RENT/レント」 ★★★☆
「オーシャンズ12」 ★★★☆

2007年7月21日 (土)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(07年8月)

【新作映画】
7月21日公開
 「インランド・エンパイア」(デビッド・リンチ監督、アメリカ・他)
 「フリーダム・ライダーズ」(リチャード・ラグラベネーズ監督、米・独)
 「アズールとアスマール」(ミッシェル・オスロ監督、スペイン・仏・他)
 「幸せの絆」(ウーラン・ターナ監督、中国)
7月28日公開
 「レミーのおいしいレストラン」(ブラッド・バード監督、アメリカ)
 「リトル・チルドレン」(トッド・フィールド監督、アメリカ)
 「天然コケッコー」(山下敦弘監督、日本)
 「モン族の少女パオの物語」(ゴー・クアン・ハーイ監督、ベトナム)
 「ヒロシマナガサキ」(スティーブン・オカザキ監督、アメリカ)
 「陸に上がった軍艦」(山本保博監督、日本)
 「夕凪の街 桜の国」(佐々部清監督、日本)
 「河童のクゥと夏休み」(原恵一監督、日本)
8月4日公開
 「トランスフォーマー」(マイケル・ベイ監督、アメリカ)
 「プロヴァンスの贈りもの」(リドリー・スコット監督、アメリカ)
 「怪談」(中田秀夫監督、日本)
8月11日公開
 「トランシルヴァニア」(トニー・ガトリフ監督、フランス)
8月18日公開
 「遠くの空に消えた」(行定勲監督、日本)
 「キャプテン」(室賀厚監督、日本)
 「純愛」(ジャン・チンミン監督、日本・中国)
 「長江哀歌」(ジャ・ジャンクー監督、中国)
 「酔いどれ詩人になるまえに」(ベント・ハーメル監督、仏・独・他)
8月25日公開
 「厨房で逢いましょう」(ミヒャエル・ホーフマン監督、独・スイス)

【新作DVD】
7月25日
 「フリーダムランド」(ジョー・ロス監督、アメリカ)
 「愛されるために、ここにいる」(ステアヌ・ブリゼ監督、フランス)
 「合唱ができるまで」(マリー・クロード・トレユ監督、フランス)
 「アンフィニッシュ・ライフ」(ラッセ・ハルストレム監督、米・独)
7月27日
 「灯台守の恋」(フィリップ・リオレ監督、フランス)
 「娼婦と鯨」(ルイス・プエンソ監督、アルゼンチン・スペイン)
8月3日
 「デジャヴ」(トニー・スコット監督、アメリカ)
 「それでもボクはやってない」(周防正行監督、日本)
 「ボビー」(エミリオ・エステベス監督、アメリカ)
 「善き人のためのソナタ」(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督、独)
 「上海の伯爵夫人」(ジェイムズ・アイボリー監督、英・米・他)
 「毛皮のエロス」(スティーブン・シャインバーグ監督、アメリカ)
 「ユメ十夜」(松尾スズキ、西川美和、他・監督、日本)
8月8日
 「ミラクルバナナ」(錦織良成監督、日本)
8月24日
 「あなたになら言える秘密のこと」(イザベル・コイシェ監督、スペイン)
8月31日
 「赤い鯨と白い蛇」(せんぼんよしこ監督、日本)
9月7日
 「ブラッド・ダイヤモンド」(エドワード・ズウィック監督、アメリカ)
 「ラブソングができるまで」(マーク・ローレンス監督、アメリカ)
 「サンキュー・スモーキング」(ジェイソン・ライトマン監督、アメリカ)
9月19日
 「ルワンダの涙」(マイケル・ケイトン・ジョーンズ監督、英・独)

【旧作DVD】
7月25日
 「異国の出来事」(48、ビリー・ワイルダー監督、アメリカ)
7月27日
 「冒険者たち」(67、ロベール・アンリコ監督、フランス・イタリア)
 「アステア&ロジャース ダンスBOX」(「トップハット」、「気まま時代」他)
 「エヴェレスト征服」(53、ジョージ・ロウ監督、イギリス)
 「海軍特別年少兵」(72、今井正監督、日本) 7月28日
 「ルネ・クレール DVD-BOX」(「巴里の屋根の下」、「巴里祭」、「リラの門」)
 「クレールの膝」(70、エリック・ロメール監督、フランス)
 「コレクションする女」(66、エリック・ロメール監督、フランス)
 「モード家の一夜」(69、エリック・ロメール監督、フランス)
8月10日
 「丘」(65、シドニー・ルメット監督、イギリス)
9月13日
 「アパートメント」(ジル・ミモーニ監督、スペイン)

 今月の充実ぶりはどうだ!新作が久々にすごい。デビッド・リンチ、ミッシェル・オスロ、トHanabi1 ニー・ガトリフ、そして「キッチン・ストーリー」のベント・ハーメル監督の新作がずらりと並ぶ。日本勢も負けていない。山下敦弘、佐々部清、中田秀夫、行定勲監督が新作を送り込んできた。中でも「夕凪の街 桜の国」はこうの史代の原作をどう描いたのか楽しみだ。中国とベトナムの映画も注目。

 新作DVDでは「それでもボクはやってない」が一押しの傑作です。期待できそうな作品が並ぶが、ここでは2本だけ取り上げておきたい。未公開作品だが名匠ラッセ・ハルストレム監督の「アンフィニッシュ・ライフ」と名作「オフィシャル・ストーリー」で知られるルイス・プエンソ監督の「娼婦と鯨」。全く話題にならなかったので出来は分からないが、密かに期待している。

 旧作も充実している。「アステア&ロジャース ダンスBOX」と「ルネ・クレール DVD-BOX」は名作ぞろい。「巴里祭」がやっとDVDで手に入る。ビリー・ワイルダーとシドニー・ルメットの全く知らなかった作品も出る。出来は分からないが、とにかく観て確かめてみよう。そして何とあの「アパートメント」がやっと出る。ずいぶんと探したですよ。傑作なのになぜか知られていない。モニカ・ベルッチとロマーヌ・ボーランジェの魅力にはまってください。エリック・ロメール作品は言うまでもなくどれもいいです。もう1本。イギリス・ドキュメンタリー映画史上に名高い「エヴェレスト征服」もついにDVDに。こんなものまでDVDになる時代なんですね。

2007年7月18日 (水)

産川探索その3 中流域を撮る

  夕方産川の中流域の写真を撮りに行った。うす曇りの日だったが、7時頃まで明るい時期なので行ってみることにした。家の前を塩田仁古田線が走っている。舞田の信号から中塩田小学校へ向かう道である。女池の横の四つ角を直進して細い道に入る(右折すると中塩田駅に出る)。突き当りを左折。しばらく走ると右側に八幡大神県社の大きな塔が見える。そこを右折。まっすぐ行くと八幡大神県社の先にマンション群らしきものが右手に見えてくる。その先に産川が流れている。道は橋に続いているが、橋の横に車を停める。まずそこの橋と川の写真を撮った。橋は大下橋という名前だった。白いガードレールのよくある橋。上流側は川の両岸を樹木が覆っていていい絵である。

 しかし今回のお目当ては下流の方。そちらはさらにうっそうと木が茂っている。川の周りだけ森が残してあるという感じだ。川沿いに歩いて行くと、すぐにまるで山の中の渓流沿いを歩いているような感覚になる。平なので渓流というのはふさわしくないが、うっそうと樹木に囲まれているのでそんな錯覚を覚えるのだ。八幡大神県社前の道は時々通るが、ここを歩いたのは初めてだ。産川の中流域にこんな一帯があったなんて。

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<写真>(左から)大下橋から上流を見る、森の中の産川(2枚)

 しかし森はあっという間に尽きてしまう。100メートルもないかもしれない。最初左岸を歩いていたが、途中広場のようになった場所に出る。横に廃車になったバスが捨てて(置いて?)ある。何のための場所だろう?不思議な場所だ。そこを抜けるとすぐ森は途切れる。その先に橋が二つ見える。手前の方はよくある普通の橋だが、先の方は独特の形をした赤い橋だ。これか!あの赤い橋は写真で見ただけだが、正確な場所が分からなかった。このあたりだろうと見当をつけていたので、これも今回の目的の一つだった。ついに見つけた。手前の方の橋を渡って右岸に出る(左岸は道がなくなっている)。赤い橋の手前でまず写真を撮り、近くまで行ってまた何枚も撮った。色が赤く欄干に擬宝珠が付いていて、まるでお寺か日本庭園にでもあるような優雅な形をした橋である。だいぶさびが出て古びてはいるが、なかなか姿のいい橋だ。

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<写真>鎌倉橋(3枚)

名前を確認すると鎌倉橋となっている。何かいわれがありそうだ。塩田は古寺や古い文化財が多いので信州の鎌倉と言われる。そのことと関係があるのだろうか。帰ってからネットで調べてみると、やはり思った通りだった。「上小橋梁百選」という、いつもお世話になっている素晴らしいサイトを見ると、「塩田は中世北条氏一族が居を構えた所から、文化財も多く、俗に『信州の鎌倉』とも呼ばれていたことから、このイメージにふさわしい名前としてつけられました」と説明されている。昭和43年竣工とあるからそれほど古い橋ではない。近辺の人しか知らないような橋だが、ちゃんとベスト100に選ばれているではないか。素晴らしい。昨日の御八城大橋に続いて、ゴブリン選定「上田市周辺ユニークな形の橋10選」への登録決定!さあ、後いよいよ残り2つ。ここから先は狭き門ですぞ。未登録の橋は心して一層奮励努力するように(だからどうやって?)。

 さて、ここまで来たのだからもう少し先まで足を延ばすことにした。さらに下流へと向かう。ところがすぐその先で右岸の堤防が切れている。途切れているところまで行って下をのぞいたらびっくり。なんとそこは船の舳先のようにとがった突端になっていてそこから先にはいけない。その突端の先では、右側からもう一つの川が産川に合流していた。ちょうどYの字をなすように、突端の両側からふたつの川が流れてきて、突端のところで1本の川になっている。右側の川は後で調べたら尾根川だった。突端のすぐ先に別の青い橋があるので、そこからこちらを撮ってみたくなった。右側の尾根川を振り返るとすぐそこに橋があった。名前を見ると竹花2号橋とある。なんかそっけない名前だ。そこを渡って青い橋に行く。

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<写真>(左から)堤防の突端部分、落合橋、竹花2号橋

  今自分がどのあたりにいるのか先ほどから分からなくなっていたが、ふと右側を見てすぐ分った。別所線の大学前駅が目の前にあった(たまたま電車が停まっていたので写真に撮った)。じゃあ、この青い橋は大学前駅のすぐ前の橋じゃないか。なんか見覚えがあると思っていたが、いつもと違う角度から見るとまるで別世界にいるように見える。不思議な感覚だった。たまにしか通らない橋だが、そのすぐ横でふたつの川が合流していたなんて今の今まで知らなかった。普段いかに橋を意識しないで通っているかよく分かる。

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<写真>(左から)大学前駅、落合橋の下流、落合橋から見た合流部分

 橋の名前を見てまたびっくり。落合橋となっている。「浦野川散策その3 上流の沓掛川と田沢川を行く」という記事に書いたが、沓掛川と田沢川の合流地点に架かる橋も落合橋という名前だった。二つの川が合流するところなので落合橋というのだと道を尋ねた近所の人が教えてくれた。なるほど、そこだけの特殊な命名ではなかったのだ。となると、川が合流しているところは他にもたくさんあるのだから、他にも落合橋があるかもしれない。またまた楽しみが増えてしまった。ふふふ。

 まあそれはともかく、そろそろ戻ることにした。今度は落合橋を渡って川の左岸を歩いて戻ることにした。といっても川沿いの道はないようなので川から少し離れた道を進んだ。途中で最初に車で走った八幡大神県社前を通る道に出る。八幡大神県社のところで左折して車のところに戻った。しかしまだ明るいので、上流の方も少し観ておこうと思った。ちょっと先まで行くつもりだったが、川沿いにマンションが立ち並んでいて川が途中から見えなくなる。仕方なくどんどん先まで歩いて行く。しかしこのマンション群はいつの間に増えたんだ。5、6年前にここを自転車で通った時には同じ型の建物が3つくらいしかなかったはずだ。真新しい建物で、庭も整備されていていいところだと思っていた。今は上流側に同じ建物がいくつも立ち並んである。行けども行けども川に出ないという感覚であせってきた。

やっとマンション群が切れ、川が見えた。すぐ先に橋が見える。しかしそれは別所線の通る鉄橋だった。古びた感じが何ともいえずいい味わいを出している。写真を撮りさらに先に行く。次の橋は山洋電気横の名もない橋。ここも自転車で何度か渡ったことがある。そこまでで引き返した。先ほどの鉄橋を越えたときたまたま電車が来た。あわてて写真にとる。まるで電車オタクみたいで、この時はさすがにちょっと恥ずかしかった。でも、めったにないことなので撮っておいてよかった(電車がぶれているのが玉に瑕だが)。別所線は地域の財産。一度別所線の写真も撮りたいと思っていた。

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<写真>(左から)別所線の鉄橋(2枚)、団地前の道祖神

 また車の所に引き返す。歩いていたらマンション前の原っぱに道祖神がぽつんと立っていたので、それも写真に撮った。家に帰ってから地図で足取りを確認していたら、このマンションは内堀団地と書いてあった。最初に建っていたあたりが市営で、新しくできたところは県営となっている。またまたびっくり。何だマンションだと思っていたらアパートだったのか。しかし全く同じ建物なのに、市営と県営に分かれているのはどういうわけだろう。まあ、どうでもいいか。とにかく、うっそうと森に囲まれた産川と鎌倉橋、尾根川との合流点が撮れたので満足。夕方の短い探索だったが成果はたっぷり。

2007年7月16日 (月)

番屋川・鹿曲川探索 御八城大橋を撮る

 3連休の3日目にやっと晴れた。よし撮影に行くぞと思ったら地震があった。また中越地方だ。震度6強というから結構大きな地震だ。上田もだいぶ揺れた。震度4。それでも何も落ちたり倒れたりはしなかった。この程度の地震は日本に住んでいればどうということはない。しかし震源地に近い地域はまた別。大きな被害がなければいいが。

 気になりつつも、昼過ぎにデジカメを持って出かける。1時頃までは青空がのぞき、光がまぶしいくらいだった。このところ梅雨空が続き、台風まで来ていたので、青空がうれしかった。しかし出かける頃から雲が広がり始め、番屋川に着くころにはすっかり曇り空になっていた。どうもこのところ撮影の日は曇りが多い。梅雨の時期とはいえめぐりあわせが悪い。

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<写真>番屋川、藤沢橋、藤沢橋から上流を観る

 丸子を抜け、芸術村の下を通って167号線に出る。そこから脇道に入り40号線(諏訪白樺湖小諸線)へ。この道は藤沢橋から千曲川との合流点までほぼ番屋川に沿って走っている。上流の藤沢橋方向へ向かい、車を停められそうなところを探す。川へ下りる脇道があったので入ってみる。浦野川も依田川もそうだが、このあたりの川はどれも山の裾を流れている。川と崖が常に一緒に映る。川は山と山の間の谷間を流れるので、どうしてもこうなる。それでも、それぞれの川に個性があるのだから面白いものだ。番屋川はいわゆる3面張りの小さな川なので特に美しくはない。最初に見つけた小さな橋のところでは写真を撮らなかった。近くに崖がむき出しになっているところがあるので、田んぼのあぜ道沿いに近くまで行ってみた。崖の下はカーブしているせいで川幅が広くなっている。ここで1枚写真を撮る。

 さらに上流に上る。すぐ藤沢橋を渡った。ちょうど道が二股になっているところである。40号線はそこで番屋川を渡って白樺湖方面に向かう。番屋川は別れた方の道に沿って流れている。というようなことは、少し先で車を停め、地図を確かめてから分かった。藤沢橋はそれと気づかずに渡っていた(汗)。そこでいったん引き返し、番屋川沿いの道に入る。適当なところで車を止めて番屋川の写真を撮ろうと思った。しかしこのあたりまで来るともう農業用水路といった感じになっている。写真はあきらめてまた引き返し、藤沢橋と番屋川の写真を撮る。

 今度は40号線を下流に向かって走る。しばらくすると、今日のお目当てである御八城大橋(みやしろおおはし)が見えてきた。橋の近くに車を停める。かなり大きな橋である。全長200mというから、千曲川にかかっている橋に劣らない立派な橋だ。もっとも川自体の幅はそれほど広くはない。ただ橋がつないでいる御牧原台地と八重原台地の間の谷が広いので、橋も長くなるわけだ。川といってもここはもう番屋川ではなく、鹿曲川(かくまがわ)である。御八城大橋のすぐ手前で鹿曲川に合流しているのである。番屋川は立科町を流れ、東御(とうみ)市に入ってすぐ鹿曲川に合流する。鹿曲川は佐久市から東御市を通って千曲川に注ぐ。したがって番屋川は、千曲川の支流である鹿曲川のそのまた支流ということになる。

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<写真>御八城大橋(3枚とも)

 御八城大橋は大きいだけでなく、形もユニークだ。くねくねと曲がった街灯の形が独特だし、上流側だけについている歩道には不思議な模様が埋め込まれている。手すりの形もユニークだ。橋のたもとには小さな公園も付いている。素晴らしい橋だ。ゴブリン選定「上田市周辺ユニークな形の橋10選」への登録決定!パチパチパチ。ローマン橋、ハープ橋、生島足島(いくしまたるしま)神社の御神橋、塩野神社の神橋、醤油久保橋、馬坂橋に続いて7番目のエントリー。あと枠は3つしか残っていない。まだ登録されていない橋は一層努力するように(どうやって?)。

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<写真>下から見上げた御八城大橋、橋横の後援、橋から上流を見下ろす

 橋の中ほどまで行って下を眺めてみる。何と上流側には薄緑色の橋が見えるではないか!橋の上から別の橋を見降ろしたのはこれが初めてだ。興味を惹かれたのでそこまで降りてみることにする。40号線をもう少し下れば下に降りる道に出られそうだ。車に戻って道を下り脇道に入る。ところが地元のおじさんが軽トラを細い道に停めて何か作業をしているので通れそうもない。仕方なく通行の邪魔にならないところに車を停め、そこから歩いてゆくことにする。  途中トンネルのようなところを抜けるとすぐ目的の橋があった。橋(残念なことに名前を確認し忘れた)と鹿曲川の写真を撮る。御八城大橋の写真も下から撮った。しかし大きすぎて全体が写せない。引き返そうとした時、崖の下にあるものを発見した。お地蔵さんや石塔などが一列に並んでいるのだ。近づいてみると「観音坂」と書いてある。右の方に観音様があり、その右隣にぼけよけ地蔵。左には水子観音、畜魂供養塔、筆塚、庚申塔、水天宮、十九夜、十五夜などがずらりと並んでいる。


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<写真>トンネル?、薄緑色の橋、観音坂の石塔の列(上下4枚)

 「ぼけよけ地蔵」なんて物があるのか!?初めて聞いたぞ。頭を2、3回なでてくればよかったかな(罰あたりめ)。それにしても十九夜とか十五夜というのは何だろう?気になったので家に帰ってからネットで調べてみた。いやはや驚きました。十九夜さまとは集落の若妻たちが「安産祈願のために集まって念仏を唱える」宗教的な行事だそうである。さらに調べると「月待塔」という言葉が出てきた。小花波平六氏の「月待塔総説」庚申懇話会編『日本石仏事典』(雄山閣)には「月待塔は、特定の月齢の夜に集まり、月待の行事を行なった講中で、供養のしるしに造立した塔である」と書かれているそうである。

 さらに「Wikipedia」を当たると、同じ説明が書かれている。その下に「月待行事」の説明もあって、「月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行した。特に普及したのが二十三夜に集まる二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々の建てた二十三夜塔は全国の路傍などに広くみられる。十五夜塔も多い」とある。いや、全く知りませんでした。いろいろ興味を持ってみるといろんな発見がある。樋口一葉の有名な短編「十三夜」は「月待行事」と何か関係があるのだろうか。ここで言う「十三夜」とはお月見のことだと思うが。これも調べてみると面白そうだ。それにしても、「月待塔」とは何と美しい響きの言葉だろうか。昔の日本人の言葉の感覚には感心させられる。しかし美しいばかりではなかったのだろう。「月待塔」と水子観音が並んでいるあたりに、農村の厳しい生活が思われる。

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<写真>御八城大橋の近くから見た鹿曲川、下から見上げた御八城大橋
      御八城大橋から下流を見る

 さて、御八城大橋とその下の小さな橋を撮り終え、さらに40号線を下った。次なる目的は「みまき大橋」。これは千曲川に合流するすぐ手前の鹿曲川に架かっている。鹿曲川の最後の橋だ。橋の正面に車を停める。これも大きな橋だ。長さは御八城大橋より長いかもしれない。橋のたもとに橋と川の名前が入ったレリーフが建っている。蝶のデザインがかわいい。歩道が付いていないが、川が良く見えるところまで行ってみる。下流方向を見て驚いた。鹿曲川がすぐ目の前で千曲川に注ぎこんでいる。合流点までこんなに近いとは。橋の上から下流側と上流側両方の写真を撮る。鹿曲川はこのあたりまで来てもそれほど川幅は広くない。全長は結構あると思うが、小さな川なのだ。ところで、このみまき大橋を「上田市周辺ユニークな形の橋10選」に入れたものか。名前のレリーフや合流点が眺められるところはプラスのポイントだが、赤茶けた色のパイプ状の手すりがダサい。う~ん、もう少し他を検討してから考えよう。千曲川に架かる上田大橋、古船橋、上田橋、常田新橋、小牧橋、大石橋、大屋橋、田中橋、羽毛山橋などもまだ検討していない。そもそも、みまき大橋はまだ通ったことがない。今度一通り千曲川に架かっている橋を渡るミニツアーでもしてみるか。

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<写真>
上の3枚:鹿曲川のレリーフ、みまき大橋(2枚)
下の3枚:みまき大橋のレリーフ、下流の合流点を見る、上流側を見る

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2007年7月 8日 (日)

別所温泉を撮る

Photo_116 今日は別所温泉の下にある「西行の戻り橋」を撮ろうと思った。別所温泉駅すぐ下の信 号を左折し、湯川を渡って少し行ったところで車を停めた。もう少し先に行ったところに先週行った蕎麦屋「み田村」がある。観光地図によるとこの下にあるはずである。ところが行ってみると何の変哲もない橋しかない。白いガードレールがついた小さな橋で、名前も立札もない。どうもこの橋ではないようだ。誰かに聞こうにも近くに人はいない。諦めて別所温泉へ行く。相染橋横のいつもの場所に車を停める。

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 花屋旅館の横の白壁の道を通って上にあがる。この道はなかなか雰囲気がいい。「ゴブリン壁紙」としてブログにアップしたのはこの坂道の写真である。白壁の先は板塀になっている。これも風情がある。大湯の前の通りに出る。右に曲がって、北向観音の方へ行く。駐車場横にある水車小屋と「足湯ななくり」の写真を撮る。「ななくり」の横の道を通って湯川の方に下りる。そこで湯川の写真を撮る。温泉街を流れる川だから湯川と名付けられたんだろう。コンクリート張りの川だが、不思議と風情もある。北向観音の石垣を下から撮る。上田城より立派な石垣だ。細い道を進むと参道に出た。ついでなので北向観音まで行って写真を撮った。考えてみれば、まだ別所温泉をデジカメで撮ったことはなかった。当たり前すぎて、また何度も来ているので、写真をとる必要を感じなかったのだ。観光客のような感じで写真を撮りまくる。参道を戻り、湯川沿いの道を上がる。坂道の突き当りにある柏屋別荘の写真を撮る。ここは確かに「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋に似ている。湯屋の下を走る水上電車は別所線がモデルだという説もある。こちらも確かに似ている。

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 突き当りを右に曲がってさらに坂を上る。途中で道が分かれているが、湯川に沿って道を上り続ける。こっちの道は初めてだ。思いがけなく蕎麦屋「おお西」を見つける。こんな所にあったのか。写真だけ撮って、安楽寺の方に曲がる。もちろんこちらもはじめて通る道。こんな道があったとは。安楽寺にも上ってみた。料金所のところまで行き、引き返す。もう何度か見ているので中には入らなかった。写真はまたいつか撮ればいい。階段を下りて蓮池の前を通り、すぐその横にある山宣の碑を撮る。横を何人もの人が通るが、誰もここには気づかない。観光地図に載っていないからだ。政治的理由からだろうか。有名な上田自由大学があった土地柄にしてはあまりに情けないではないか。

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  そこから横道に入り、「風の坂道」へ行く。お気に入りのベランダ席には先客がいたので、写真だけ撮る。常楽寺の方へ向かう。しかし常楽寺へは行かず、途中で右折して別所神社へ行く。ここは前にも1度来たが、その時も今回も誰にも会わなかった。森閑とした異空間。狭からぬ空間を独り占めにできるのでここは好きだ。神楽殿にあがり温泉街を見渡す。残念ながら木が邪魔で一部眺めが遮られている。20分ほどいて戻る。愛染閣(日帰り温泉施設)向かいの自販機で冷たいものを買って一休み。目の前の七苦離地蔵堂の写真を最後に撮る。これは確か5、6年前に建てられたものだ。あまりに新しくてありがたみがないせいか、別所温泉の観光地図には載っていない。帰宅後ネットで調べてみたら、別所温泉(信州最古の温泉)は古くは「ななくり(七苦離・七古里)の湯」と呼ばれたという。七つの苦しみから離れられるという意味のようだ。その古名にちなんで建てられたものらしい。上記の足湯が「ななくりの湯」と名付けられたのも同じ理由である。

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 「西行の戻り橋」のこともネットで調べてみたら、何と西行の戻り橋は相染橋の別名だとあるではないか。車を停めた駐車場のすぐ横の橋だ。僕が参照した「信州の鎌倉西塩田・別所温泉ごあんない」というガイドマップでは全く違う場所になっていた。これではいくら探してもないはずだ。とんでもない間違いだ。西塩田地区振興会/観光部制作となっているが、地元で作っていてもこんな間違いがあるのか。

 


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 「西行の戻り橋」だけを撮るつもりだったが、思わぬ別所散策になってしまった。水辺探 索の次のターゲットとして考えているのは鹿曲川(かくまがわ)。千 曲ビューラインを走っていて気になった川だ。佐久市、東御市を通って千曲川に注ぐ川。御八城大橋からは雄大な渓谷美が眺められる。期待できそうな川だ。来週行ってみる予定。

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<注>
一番右下の写真は壁紙サイズもあります。コピーが欲しい方は「ゴブリン壁紙」のページに移動してください。

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2007年7月 5日 (木)

産川探索 その2 沢山湖へ行く

 今日(7月1日)は赤地蔵と夫婦道祖神、沢山湖(さやまこ)の写真を撮りに行くことにし070611_5_2 た。三つとも「茶房パニ」の近くにあるはず。いつものルートでまず舌喰池の横を通って独鈷温泉方面へと向かう。途中手塚八幡社に立ち寄った。大きな鳥居が目立つので前から気になっていたのである。もちろん名前は近くまでいって初めて知った。田んぼばかりの所に鳥居がにょきっと立っているので非常に目立つ。その背後は山だが、山の斜面に階段がついていて、階段の途中にも赤い鳥居がある。面白い場所に神社があるものだと前から思っていた。

 車を停めて階段を上る。結構段数があるが、息が切れるほどではない。上り詰めると社殿があった。かなり古いのか、木がだいぶ傷んでいる。数枚写真を撮ってまた車に戻る。070701_3 独鈷温泉の手前を右折。坂道を上がってゆく。途中沢山湖に行く脇道があるはずだが、標識に気がつかなかった。結局「パニ」まで来てしまう。赤地蔵は車を停めたすぐ近くにあるはずだ。すぐ横に交差点があるが、なんとその交差点の所に赤地蔵があった。ここはもう何度も通ったのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう?まあ、交差点だから当然他の車に注意を向けなければならない。よそ見をしている余裕はない。そういうことだろう。

 赤地蔵は本当に真赤だ。すぐ隣にバス停らしきものがある。横の説明書きを読むと、野070701 倉あたりは日本一降雨量の少ないところで、庶民の悩み事を聴いてくれる地蔵菩薩に託して住民が毎年雨乞いをしたと書かれていた。したがって「雨乞い地蔵」とも呼ばれているそうである。夫婦道祖神は赤地蔵から100メートルほど行ったところにある。ちょうど「パニ」の裏の道を歩いてゆくことになる。すぐに見つかった。眺めてみると実にかわいい道祖神である。説明書きにもあるように、女神と男神が互いに肩を組み、手を握り合ってほほ笑んでいる姿が何ともほほ笑ましい。家庭円満、子宝の神として崇められているというのも納得だ。しかしこの道は前に「パニ」に来た時に上がってみたと思うが、その時に夫婦道祖神に気づかなかったのだろうか。まあ、関心がないと見たとしてもすぐ忘れてしまうのだろう。

 また車に戻り、来た道を下る。今度は沢山湖に行く枝道を見落とさないようにさらに気を070701_1 配る。来る時にも目に入った大きな看板に沢山湖と書いてある。何だここだったのか。車を乗り入れると、車1台がやっと通れるほどの細い道だった。しばらく進むと右下に湖らしきものが見えてきた。湖の横にある管理事務所のような建物の横に車を停める。その場で写真を何枚か撮る。背後の山もかなりの迫力。どこか山水画を想わせる山容である。湖の周りに舗装された道がついているので、歩きながらいろいろな角度から写真を撮った。しかしこの湖は実にひょろ長い。地図で見るとウナギのように長い形をしている。その長さをうまく写真に収めたいのだが、湖の周りには木が生えているのでなかなか理想的な角度から撮れない。あそこからならいい写真が撮れそ070701_2 うだとどんどん奥まで歩いて行ったが、何せひょろ長い湖なのでなかなかそのポイントまで行きつかない。歩くより車で移動した方がいいと思いなおして、来た道を引き返す。いつの間にかかなりの距離を歩いていた。帰宅後地図で調べたら1キロほど歩いていたようだ。往復2キロである。

 車でまた同じ道を走る。さすがに楽である。先ほど引き返した地点の少し先に小さな橋があったので、車を停めて写真を撮った。誰も意識しないような小さな橋なのに、「二股橋」とちゃんと名前まで付いているのには驚いた。その橋をはさんで湖の反対側からは小川が070701_10 注ぎ込んでいる。すると沢山湖は産川の水源ではないことになる。そのことはさらに湖を回り込むように車を進めるとより明確になった。どんどん先に進むとウナギの形の尻尾の先に出る。だがその先にも道は続いている。尻尾の先は渓流になっている。そして道は上っている。つまりその小川は沢山湖から流れ出ているのではなく、沢山湖に注ぎ込んでいるのである。地図ではその渓流は産川となっている。つまり産川の水源は沢山湖よりさらに上にあり、一旦沢山湖に注ぎ込み、そこからまた流れ下っているわけだ。

070701_12  インターネットで調べてみても、産川の水源は独鈷山としか書かれていない。沢山湖沿いの道は池の尻尾の先からさらにその上流の産川沿いに続き、青木村に出る。その道をたどれば産川の水源に行けるのだろうが、そこまでは行かなかった。地図を見るとその道は沢山湖林道と書かれている。ところで沢山湖は沢山池とも表記される。もちろん実際に見た印象は池ではなく湖である。池と呼ぶには大きすぎるだろう。しかし、Wikipediaで調べてみたら面白い事実が分かった。元々はため池だったのである。1934年に工事が始まったというのだから結構古い。独鈷山のふもとに広がる塩田平は降雨量の少ないところで、各地にため池が作られている。沢山湖はそのため池に水を供給するために作られたため池だと言うのだ。いわばため池の親玉、キング・オブ・ため池である。まあ実感としてはダム湖と言った方がぴったりくるが(実際Wikipediaでは「ダム湖」という表現も使われている)。

 ただし灌漑用水としては水が冷たすぎるので、1951年から52年にかけて表層の温水070701_22 部分を取水する設備を新設する工事が行われた。さらには改修とあわせて洪水調節機能を追加する工事が1987年から行われた。竣工が96年とあるから9年がかりの大工事だった。その間犠牲者もいたのだろう。ダム管理事務所の近くに殉職碑がたててあった。まだ新しい感じなのでこの時のものだろう。  前日行った鞍が淵から上がってくる道はがけ崩れのために封鎖されていた。よく見るとその道の上にある崖には斜めに大きな亀裂が走っていた。もろい岩質なのだろうか。これが崩れたらひとたまりもない。

 行ってみてよかった。わざわざ遠くまで行かなくても、地元にこれだけ見るべき場所がある。山が多いということは、それだけ普段人の目に触れない場所がたくさんあるということである。長野県に観光地が多い、というより県全体が観光地であるのは、長野県が山国だ070701_17 ということとどうやら無関係ではなさそうだ。山のこちら側と向こう側とでは違った文化と風習がある。よく言われることだ。平成の大合併でかなり自治体数は減ったが、長野県は全国一自治体数が多い県である。面積が大きいだけではない。山が地域を隔てているのである。この探索シリーズ、しばらく続きそうだ。


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<写真の説明(上から)>
茶房「パニ」のベランダからの眺め
手塚八幡社の鳥居
赤地蔵
夫婦道祖神
沢山湖(管理事務所、放流路、取水口)
沢山湖4枚
(3枚続き左から)ダムの向かいの山、亀裂の入った岩山、殉職碑

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沢山湖(上の3枚)

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上の3枚、左から
手塚八幡社
二股橋
「パニ」のベランダ(「パニ」の写真は以前撮ったもの)

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