それでもボクはやってない
2007年 日本 2007年1月公開
評価:★★★★★
監督:周防正行
脚本:周防正行
撮影:栢野直樹
美術:部谷京子
出演:加瀬亮、瀬戸朝香、役所広司、山本耕史、竹中直人、田口浩正
徳井優、鈴木蘭々、小日向文世、もたいまさこ、光石研
大森南朋、清水美砂、大和田伸也、尾美としのり、高橋長英
事実そのものが説得力を持つ映画である。昨今は大概のことは何かで見たり聞いたりしているので、「ええっ!そうなのか!」と驚くことはそれほどない。姉歯建築士など、いろんな業界の暗部を知って驚きはするが、この映画ほどの衝撃はない。なぜならどこでもそんなものさという気持ちがあるからだ。しかしこの映画の場合は文字通り「正義」が必要な場所でその正義が全く何の意味もなさないことがはっきりと描かれるから衝撃的なのである。裁判制度はまさに日本人の盲点だった。「そんな!めちゃくちゃじゃないか。一体どうなってるんだ?」という思いがこれほど湧き上がって来る映画も少ない。そういう意味で貴重であり、久々に現われた社会派の傑作として長く記憶にとどまることになるだろう。
そこにこの映画のもう一つの効用がある。色々なブログを覗いてみて気づくが、社会派という言葉が珍しく肯定的に使われている。「社会派」というとまるで偏った映画で、押し付けがましくやたらと小難しい映画と思われていた印象がある。それをかなり払拭したという意味でも大きな意味を持つ作品である。徹底したリアリズムがいかに強烈な衝撃を生み出すか、それを実際に、しかも見事にやって見せた作品である。ただ知らない世界を描いて見せるなら花輪和一の「刑務所の中」(青林工芸舎)のような作品もある(映画「刑務所の中」の原作)。まさに「へ~」連発の世界。しかし「それでもボクはやってない」の世界は「へ~」だけではなく、「えっ、まさかそんな」の連発なのである。驚きばかりか、怒りや恐怖がわきあがってくる。そこが強烈なのだ。
かつて日本にも山本薩夫と今井正という社会派の巨匠がおり、社会派の作品は数多く作られていた。その後その系統は先細りになっていた。わずかに山田洋次と晩年の黒木和雄がその流れを引き継いでいたに過ぎない。冤罪事件を扱ったものとしては今井正監督の「真昼の暗黒」(1956)、山本薩夫監督の「松川事件」(1961)や「証人の椅子」(1965)などが知られる。外国映画ではジュリアーノ・モンタルド監督の「死刑台のメロディ」(1970)が有名。有名なサッコとヴァンゼッティ事件を映画化したもの。高校生の時に観たがこれも強い衝撃を受けた。ジョーン・バエズの歌った主題歌は今でも耳に残っている。スペイン映画にはピラール・ミロー監督の「クエンカ事件」(1979)がある。これも実際にあった事件を描いたもので、全編これ拷問シーンばかりといった印象の映画である。最後に死んだはずの男がひょっこり現われて冤罪だったことが分かる。この映画は当時スペインで空前の大ヒットとなったが、そのことはフランコ独裁の下で人々がいかに苦しめられていたかを物語っている。
スタンリー・クレイマー監督の「風の遺産」と「ニュールンベルグ裁判」、ビリー・ワイルダー監督の「情婦」、シドニー・ルメット監督の「十二人の怒れる男」、オットー・プレミンジャー監督の「軍法会議」と「或る殺人」など、これまで数多くの裁判映画が作られてきた。謎解きのサスペンス、いくつものどんでん返しが重なる予想外の展開、息詰まるような緊張感、丁々発止の演技合戦などが盛り込めるので、俳優にとっても脚本家にとっても監督にとっても思いっきり力量が発揮できるジャンルなのである。しかし、「それでもボクはやってない」は日本における裁判のあり方それ自体をテーマにしているという点でユニークである。被告席に立っているのは加瀬亮ではなく、日本の裁判制度なのだ。
法は誰のためにあるのか?この映画はそう問いかけている。この映画の主張は極めて
単純であり、明快である。「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ。」この当然の前提が今の日本の裁判制度の下では崩れている、そう言っているのである。有罪が確定するまではあくまで「容疑者」であり「犯人」ではない。理屈では誰でも理解できるが、もう長い間テレビの報道はこの原則を踏みにじってきている。名前が挙がった時から既に犯人扱いである。オウムのサリン事件で冤罪を着せられたKさんを思い起こせばいい。しかしそれとても所詮は他人事だった。報道側も視聴者も時間がたてばやがて忘れてしまう。しかし、痴漢冤罪事件はいつ何時自分に降りかかってくるかも知れない。だから他人事ではない。観ていて背筋に恐怖が走るのは誰にでも置き換え可能な事件だからだ。かつてのような歴史的大事件ではなく、「身近な」痴漢冤罪事件に目をつけたことはその意味でまさに慧眼だった。
自分もいつ被告の立場に置かれるかわからない。観ていてそういう気持ちにさせられるが、まな板に載せられているのは裁判制度だけではない。今の報道は「有罪が確定するまでは無罪と推定される」という立場に立っているのか、テレビの報道を観て自分は無批判的にそれを受け入れていないか。この映画は同時にそのことも問いかけている。容易に被害者になりうる社会は容易に加害者になりうる社会でもある。たとえ無実が証明されても、一旦拘留された者を会社が首にしたり、アパートから追い出したりしていないか。今の裁判制度は、自分が被害者にならないためにも、また自分が加害者にならないためにも、見直しが必要なのである。 法は誰のためにあるのか?多くの人は、法は国民を守るためにあると答えるだろう。だが、それは幻想だ。法は常に支配者の都合のいいように作られてきたのである。トレヴェニアンの「ワイオミングの惨劇」(新潮文庫)に次のような一節がある。
「盗むなら、でっかく盗め。子供に食わそうとパンを盗んだやつは鎖をつけられ、大きな岩を砕かせられる。しかし、でっかく盗んだら――ほんとにでっかくだぞ――そいつは称賛され、真似までされる。ロックフェラーしかり、モルガンしかり、カーネギーしかり。もちろんそういうやつらは法律を破らない。法律をつくるんだ。“企業”とか“大型融資”とか名前をくっつけて、盗みを合法的にするためにな。だから、盗みや悪党を志すならでっかく考えることだ。そうすれば一目置いてもらえるよ」(254)
「やつらは法律を破らない。法律をつくるんだ。」国民の基本的権利は憲法によって保障されているが、われわれが絶えず意識していなければ気づかないうちに書き換えられてしまう。われわれは国の制度にあまりに無頓着でなかったか?難しいことは偉い人に任せておけばいい。そういう意識が隙を生む。大岡裁きや水戸黄門の裁きに委ねてしまっている。水戸黄門の印籠が象徴的だが、彼は権力を持ち権力を振りかざすことで事件を解決している。そういう考え方に慣れてしまってはいないか?仮に水戸黄門に優れた人格があったとしても、すべての裁判官がそうだといえるのか?個々の検事や判事や弁護士は大きなシステムの中の歯車に過ぎない。システム自体がゆがんでいる時に個々の人間の人格がどれだけの効力を発揮できるのか?むしろその人格すらも歪められてはいないか?
この映画では検事の方が裁判官よりも力を持っていると示唆されている。検事の背後には国家権力がある。無罪を宣告することは警察の主張に誤りがあると判断を下すことである。それはひいては国家権力に楯突くことになる。無罪を連発する判事は裁判の途中でもあっけなく左遷され、それを恐れる判事たちは頭から被告を有罪だと決め付けて裁判に臨むことになる。弁護士も、裁判に訴えたところで99.9%は負けるのだから、たとえ無実でも「罪」を認めてしまったほうが楽だと勧める。そんな仕組みになってしまっている。もがけばもがくほど人権を奪われてゆく。
映画はこの恐怖を細部にわたる正確なリアリティを積み重ねることで描き出してゆく。家族との面会場面や取調室の様子などはテレビドラマや映画などでよく見かける。しかしそこで描かれていない世界にこそ真の暗闇があった。被害者の言葉を鵜呑みにする駅員、ろくに証拠も集めないずさんな捜査、端からやったに違いないと決め付けている取調官や検察庁の係員、二人目の裁判官も同じだ。「推定無罪」ならぬ「推定有罪」がまかり通っている。裁判官は200もの裁判を抱え、とにかく無難にこなす(つまり検察に逆らわず有罪判決を下す)ことしか考えていない。被疑者の金子徹平(加瀬亮)がくぐったのは単なる警察署と裁判所の門ではない。彼がくぐったのはダンテの『神曲』に描かれた地獄の門だった。その門には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」との銘文が刻まれている。
どんなに徹平が無実を主張しても一切取調官は耳を貸さない。一日がかりで検察庁で取り調べられる時も手錠をかけられ縄でつながれている。ほとんど犯人扱いだ。罪を認めれば5万円の罰金で釈放され誰にも知られないで済む(前科は付くが)のに対し、あくまで無罪を主張すれば何ヶ月も拘留され、裁判でさらし者にされ、しかも判決の99.9%が有罪というのでは完全に人生が狂わされてしまう。自分はやっていないのだから有罪になるはずはないなどという淡い期待は粉々に砕かれてしまう。
徹平はあまりにひどい扱いと知らないことばかりの制度に振り回され、うろたえ、もがき、苦しみ、立ちすくむ。なれない裁判の場面では、マイクに顔を近づけすぎたり、裁判官の方ではなく質問する検察官や弁護士の方を見てしまうというさりげない描き方がリアル
だ。裁判官や取調官個人が悪いのではない。実際に痴漢行為は行われており当然被害者はいる。ずるがしこい加害者に騙されまいと取調官が身構えてしまうのも無理はない。法廷に引き出され、あれこれ話したくないことを聞かれる被害者もつらいのだ。問題は個人ではなく、制度と運用にある。被疑者の立場を理解する余裕のない裁判官、無罪を出せば左遷される人事のありよう、検察の背後に国家権力が控えていて判決にまで影響を与えている現状。ましてや痴漢冤罪は反証を集めるのが極めて難しい。しかし被害者の証言以外にやったという証拠を集めるのも難しい。この裁判の場合は、被疑者の手に被害者の衣服の繊維クズがついていないか調べることを怠っていた。それでも判決は有罪だった。つまるところ「疑わしきは罰してしまえ」というやり方がまかり通っていることに問題があるのだ。撤兵のような冤罪をなくすためには有罪とするに足る明白な証拠がない限り無罪と推定されるという本来の原則を貫く以外にない。無罪が立証されなければ有罪というのではなく、有罪が立証されない限りは無罪であるという考えに切り替える必用がある。「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ。」この原点に戻るべきだ。
次々と明らかにされる驚くべき事実にぐいぐいとひきつけられる。しかし徹頭徹尾峻厳なリアリズムで押し通しているわけではない。ところどころユーモラスな場面が盛り込まれている。そのバランスがまた絶妙である。周防正行作品の常連である竹中直人や田口浩正はいまひとつ活かしきれていないが、撤兵と同房のオカマのような男を演じた本田博太郎と刑務所の看守を演じた徳井優は出色。この二人は本当にうまい役者だ。
こういう作品に出会うと、真に戦慄すべきは作り物のホラーなどではなく現実であるという思いを新たにする。われわれ自身を含め、人権感覚の低さを改めなければ冤罪はなくならない。一番の法の番人、それは国民なのである。
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コメント
ななさん TB&コメントありがとうございます。
こちらもご無沙汰しておりました。
本当に今の裁判制度は実に不安です。三権分立が成立していない上に、判断まで捻じ曲げられてしまう。映画自体はフィクションでも、この制度はフィクションでないところが怖いですね。
投稿: ゴブリン | 2008年3月28日 (金) 01:17
お久しぶりです。
これは最近やっとDVDで鑑賞し,時間のたつのも
息をするのも忘れて惹き込まれた作品です。
鑑賞後は,おっしゃるような怒りと恐怖で打ちのめされた気分でした。
それでも,知ってよかったと思います。
国家権力の前に,なすすべの無い裁判制度・・・
法廷が,正義を見極める場所でないとしたら,
いったい何を信じたらいいのでしょうね。
投稿: なな | 2008年3月27日 (木) 21:05
カオリさん TB&コメントありがとうございます。
この映画と関連付けてマスコミのことを取り上げた記事は少ないですが、この点は大事だと思います。日常的に洗脳されているような状態なわけですから。
ヘレン・ミレンの「クイーン」、観たくて仕方がないのですがまだ観ていません。連休中に観に行こうと思ったら、何と長野では12日からの上映。残念。
投稿: ゴブリン | 2007年4月27日 (金) 23:54
こんばんは!TBどうもでした。
日本の裁判制度って、こんななの?と驚き、怖いと思いました。冤罪だけでなく、不当判決とか、ホント何とかならないのかって言う事件が多いですよね。痴漢なんてニュースにならないものはいくらでもあるかもしれません・・・。
それからおっしゃるようにマスコミ。
「クィーン」見ても思いました。ご覧になりましたか?
投稿: カオリ | 2007年4月27日 (金) 20:48
masktopiaさん コメントありがとうございます。
この映画は社会派であると同時に啓蒙派とでも言うべき性質を持っていますね。特に政治性はなく、正義とは何かという直球一本で勝負している。その潔さ、その分かりやすさ、病巣を摘出する正確さがこの映画の価値を支えています。それがまたこの映画が広く受け入れられた理由でもあるでしょう。
過去に小説や映画によって告発されて不正常な状態が改善された例はかなりあります。ここで指摘された問題点がすぐに改善されるかどうか分かりません。しかし少なくとも問題のありかは明らかにされました。大きな前進ですが、これが改善されるまでにはまだまだいくつもの壁があるでしょう。僕らも問題意識を持ち続けなければなりません。それらの壁がすべて乗り越えられるまで、この映画に本当のエンドマークは付けられないのですから。
投稿: ゴブリン | 2007年4月25日 (水) 23:34
はじめまして。
TBをありがとうございました。
日本の冤罪事件を、身近な犯罪を通して
観客にわかりやすく伝えた点はすばらしいと
思いました。被疑者の取り調べはあいかわらず
密室の中で行われていますが、諸外国の
ように、ビデオ撮影や弁護士の同席といった
処置が一刻も早くとられればいいですね。
投稿: masktopia | 2007年4月25日 (水) 15:05
日本の刑事裁判は本当に酷いです。
筋弛緩剤点滴事件などと呼ばれている6年前の仙台の事件も冤罪です。
一審は嘘の自白のみを頼りに有罪判決を下しました。
二審は警察の鑑定結果は筋弛緩剤から得られるデータと違うという
弁護側の重大な疑問に対し、分析の装置と条件が異なるので結果が
違っても構わないなどという、およそ科学を無視したあきれるべき
判決を下しました。
現在上告審を闘っています。
4/28に弁護団長を招いて勉強会を行います。
http://homepage2.nifty.com/daisuke_support/event2.htm
投稿: shige | 2007年4月22日 (日) 21:21
GMNさん、nyancoさん、ミチさん
コメントありがとうございます。TBが入りづらくて申し訳ありません。
<GMNさん>
「下手な小細工をしないで直球勝負」。本当にそのとおりですね。逆に言うと、小細工なしで充分観客を説得できる題材を見つけてきたことに基本的な勝因があるのでしょう。これだと目をつけて、綿密かつ周到に取材を続けてきたことの成果です。
<nyancoさん>
はじめまして。これからもよろしくお願いいたします。
誰でもその存在を知っているにもかかわらず、ほとんどの人にとって未知の世界だった裁判。その未知のジャングルに分け入って、丁寧にかつ分かりやすくガイドしてくれる。そしてその世界にある根本的な問題点も照らし出してくれる。得がたい作品だったと思います。こういう作品がもっと増えてほしいですね。
<ミチさん>
裁判員制度導入後は一体どうなるのだろうか、誰でも不安になりますね。一人の判断で白黒が着いてしまう制度も問題がありますが、素人の集まりで正しい判断ができるのかという不安もまたあります。
いずれにせよ、「疑わしきは罰せず」という原則をどれだけ貫けるかが大切だと思います。
投稿: ゴブリン | 2007年4月22日 (日) 08:33
わかりやすい丁寧な作りですよね。
1から10まできちんと説明してくれるので、裁判ってどういうものなんだろう?という知らない世界を覗き見る感覚から入っていけて、見終わる頃には自分がこんなのに巻き込まれたら大変だぞ?これでいいのか日本の司法、って誰もが思う作りになってたんじゃないかと。下手な小細工をしないで直球勝負だったのが良かったと思います。
投稿: GMN | 2007年4月20日 (金) 21:45
こんばんは♪ 初めまして。
nyancoと申します。
TBありがとうございました。
いくつかTBさせていただいたのですが、反映されないようです。。
また折をみてTBさせてくださいね。
周防監督がなぜこの題材を映画にしたかがすごく分かるような気がします。この映画を観た多くの人たちが日本の裁判制度に疑問をもって、少しでも冤罪がなくなるような世の中になってほしいですね。
映画自体も様々な登場人物を設定することで、とても分かりやすい内容になっていました。非常に重いテーマなのにあまり暗く描いていないところに救いがあったかな。^^;
こういう社会派映画がもっと日本で多く作られてほしいと思います。
投稿: nyanco | 2007年4月20日 (金) 19:29
こんにちは♪
TBありがとうございました。
相変わらずこちらからのTBが入らなくてすみません。
この作品には少なからずショックを受けました。
見ているほうは徹平の無実を知っているから。
>もがけばもがくほど人権を奪われてゆく
彼に感情移入して応援の姿勢をとっていましたが、そうでなければやはり彼を犯人だと思い込んでしまいそうです。
裁判員制度導入まであとわずかですが、どうなるのかとても不安です。
人が人を裁く事は本当に難しいですね。
投稿: ミチ | 2007年4月20日 (金) 08:52