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2007年3月

2007年3月31日 (土)

16ブロック

2006年 アメリカ 2006年10月公開
評価:★★★★☆
原題:16 Blocks
監督:リチャード・ドナー
脚本:リチャード・ウェンク
撮影:グレン・マクファーソン
出演:ブルース・ウィリス、モス・デフ、デヴィッド・モ-ス、ジェナ・スターン
   ケイシー・サンダー、シルク・コザート、デヴィッド・ザヤス、コンラッド・ブラ

 これはいい!このところいい映画に出ていないと思っていたブルース・ウィリスだが、これ004323 は久々の秀作。「ダイ・ハード」と並ぶ彼の代表作になるだろう。「16ブロック」はいろんな意味で「ダイ・ハード」シリーズの対になる作品である。「ダイ・ハード」から18年。「なんで俺がこんな目に合うんだ」という運の悪さは共通だが、たった一人で悪党グループを壊滅させたタフガイ刑事ジョン・マックレーンは、「二日酔いで、足が悪く」、頭髪がだいぶ後ろに後退し、キューピーのように下腹がぷっくりと出たへたれ刑事ジャック・モーズリーに「加齢」なる変身。このへたれ具合が何とも良い。まるでトマス・H・クックの小説を読むような味わいなのだ。事件現場の見張り役に「誰か暇な奴を呼べ!」ということで呼ばれたのがこの酔いどれジャック。つまりはそういう存在だ。ふらふらと夜勤から署に戻って最初にやるのは机の引き出しから酒ビンを取り出すこと。ところが酒ビンは空だった。まことに冴えない、見るからにしょぼくれた男である。ヒーローからアンチヒーローへ。このひねりがこの映画の最大の魅力である。観客の脳裏には、意識するしないにかかわらず、「ダイ・ハード」のイメージが否応なく重なってくる。だからこそ、このへたれぶりが生きてくるのである。

 ひねりやねじれはそれだけではない。ジャックがやっと非番になってふらふらしながら帰ろうとしているところへ、裁判の証人を裁判所まで連れて行けとの上司の命令。朦朧とした状態で断ろうとするが、結局手当てのない超過勤務を請け負ってしまった。眠たげな顔に「やってらんねーよ」的グダグダ感濃厚。とはいえ、たった16ブロック先まで車で送って行くだけのこと。15分で済むはずだった。ところがとんでもない陰謀に巻き込まれて・・・という「レイヤー・ケーキ」のような展開になってゆく。10時までに証人を法廷に連れてゆかなければ裁判は不起訴となってしまう。時限サスペンスの要素がまず付け加えられている。しかも「24」シリーズのようにリアルタイムで進行してゆく。さらに、「ダイ・ハード」シリーズでは他の警官からのバックアップがあったが、何と「16ブロック」では同僚の警官に追いかけられ命を狙われるのだ。このねじれも効いている。彼が護送する証人とは警官仲間が子供の口に銃を突っ込んでいるところをたまたま見てしまった男なのである。エディが証言すれば警察の不祥事が表沙汰になり、かつ仲間が有罪にされてしまう。それを防ぐためにジャックの上司も含むグループが証人を消そうと躍起になっていたのだ。ほとんどシチュエーションはイーストウッドの「ガントレット」と同じ。違うのは主人公の性格付け。一方は精悍で、一方はすっかりくたびれている。

 さらに証人であるエディ・バンカー(モス・デフ)という男がこれまたユニークなのだ。しゃべることしゃべること。何しろ最初に登場するのは彼の姿ではなく彼の声なのである。豚箱の中でやたらと喋り捲っているのだが、その声の主の姿はジャックの位置からは見えない。見えるのは鉄格子から突き出されている両手だけ。この登場のさせ方が実に秀逸。ジャックならずとも先を思いやられる。男二人の組み合わせというのは反りの合わないデコボココンビが多い。「48時間」がすぐ思い浮かぶ(もっともこちらは警官同士だが)。白人が黒人を護送するというシチュエーションなら「さらば冬のかもめ」というアメリカン・ニューシネマの逸品がある。このおしゃべりエディーを演じるのがモス・デフ。ラッパーだからしゃべるのはお手の物。なんだかんだと訳の分からないことを並べ立て、誰彼かまわず謎々を問いかけるのがうざい。なにせ「銀河ヒッチハイクガイド」の超オタクな世界にすっかりなじんでしまう人ですから。中年のへたれ警官に口ばかり達者なこそ泥兄ちゃん(以外にまともだということは後で分かってくるが)のコンビが、武装警官に追われ必死で逃げ回る。ヒーローもへったくれもない。脂汗流して悪い足を引きずり、ハアハア息切れしながらの逃走。情けなさ横溢。そこがいいのである。相手の弾は当たらないが、こちらの弾も当たらない(少なくとも急所には)。あれだけ大騒ぎして誰も死者は出ない。ばたばたと敵を倒すヒーローでない分、戦いは粘っこくリアルだ。

 あとはもうカーチェイスも織り交ぜた追いかけっこになる。あれだけ人の多いニューヨーTrump_jb クの街なのになぜか追っ手にすぐ見つかってしまう。「人民の海の中へ」戦術が使えない。ジャックはエディを連れて勝手知ったる裏通りを逃げ回るが、すぐ近くの裁判所になかなか近づけない。まるでカフカの「城」である。しかしエディを狙っているのがもと相棒のフランク(デヴィッド・モ-ス)だと分かったあたりからよれよれジャックの顔に活力がみなぎってくる。もっとも、形勢が不利なことにかわりはない。あまつさえ一時エディに逃げられてしまうハプニングまで起こる。やっと見つけると「あんたといたら危険だ。ずっとあんたの仲間に追われている」と言われる始末。

 この二人のやり取りの中からこの映画のテーマが見えてくる。立ち直ってケーキ屋をやりたいと言うエディと人間はそう簡単に変われるものではないと言うジャック。これに対するエディの反論が面白い。「チャック・ベリーも強盗で服役したけど改心した。バリー・ホワイトはタイヤ泥棒。300本もタイヤを盗んだけどバリーも改心した。”人が変われない”ってのは嘘だ。」なかなかいいせりふなのだが、時と場合をわきまえていない。せっかく警官に取り囲まれたバスから逃がしたのに、エディはこのせりふを言うために戻ってきたのだ!「エディ、台無しだ。」ジャックがぼやくのももっともだ。このあたりに、颯爽と敵をかわすヒーロー映画のパターンをこわそうという仕掛けがよく表れている。「おしゃべりエディ」がだんだんエディ・マーフィーのイメージに重なってくる。必死で逃げ回っているわりにどこか滑稽なのだ。

 エディの気持ちが少しずつ理解できてくるように、ジャックの落ちぶれている理由も見えてくる。ジャックは元相棒のフランクから「元に戻れ」と言われたが、あれはどういう意味だとエディに問われる。これにジャックが答えたのはラスト近くだ。かつてはジャックもフランクたちの仲間だったのである。彼が「暇な奴」呼ばわりされているのはそのせいなのだ。すっかり「窓際族」に追いやられて自棄酒を飲む毎日。説明はないがそんな背景が読み取れる。そんな落ちぶれ刑事が命を狙われる危機に追い詰められてアドレナリンと共に正義感も噴出してきた。最後には彼自らが証人として裁判所に出頭する覚悟を固める。

  落ちぶれ者同士が出会い、命がけで行動をするうちに人間として立ち直ってゆく。そういうストーリーになっているのである。「トランスアメリカ」「リトル・ミス・サンシャイン」とその点でつながる映画である。ロード・ムービーと言うにはあまりに短い道のりだが。16ブロックという短い二人旅。直線距離にすれば短いが、散々あちこち逃げ回り、息せき切って疾走した2時間弱の間に、彼らはそれまでの何年分もの経験をし、「変わって」ゆく。ジャックは自分もかつて不正警官の仲間だったと打ち明けた後、エディに「俺はお前と会う運命だった。吉兆だ」と言う。いつの間にか二人の間には絆が作られていた。だからラストがさわやかなのだ。事件からしばらくたった頃、エディがジャックに誕生祝のケーキを贈ってきた。そのケーキには「チャック・ベリー バリー・ホワイト エディ・バンカー ジャック・モーズリー」そして「People Can Change」と書かれていた。添えられていた写真にはエディの開いたケーキ屋が映っている。その名前は“EDDI&JACK’S GOOD SIGN BAKERY”になっている。それに続くエンディング・ロールではバリー・ホワイトの「キャント・ゲット・イナフ・オブ・ユア・ラブ、ベイブ」が流れるというサービスぶり。いやいや、楽しめる映画でした。

 監督のリチャード・ドナーはテレビ時代にマックイーンの「拳銃無宿」やビック・モローの「コンバット」を作っていた人。僕らの世代には懐かしい番組だ。映画でも「オーメン」、「スーパーマン」、「グーニーズ」、「リーサル・ウェポン」など次々とヒットを飛ばした。70~80年代あたりがピークか。「16ブロック」は久々の快作である(「あれだけ大騒ぎを起こして警察はどうやってもみ消すつもりだったんだ」など、突っ込みたいところは色々あるが)。

 ブルース・ウィリスは何本も観たが、いいと思うのは「ダイ・ハード」シリーズと「シン・シティ」、そしてこの「16ブロック」くらい。最近渋さが出てきたのでこれからがむしろ楽しみだ。悪徳警官フランク役のデビッド・モースもしっかり存在感を示した。顔は覚えているがどんな役だったかは覚えていない、そんな役者だった。この作品での役は記憶に残りそうだ。バリー・ホワイトにも一言。彼は一貫して「愛」をテーマに歌ってきた人。彼の魅力はソフトでセクシーな低音。僕が持っているのは「愛の炎(Just Another Way to Say I love You)」というレコード1枚だけだが、これがなかなかいい。チャック・元祖ロックンローラー・ベリーほど有名ではないが、今でも聞いてみる価値はあります。

2007年3月28日 (水)

韓国てくてく旅行記②

3日目

Photo_68  9時40分ごろホテルを出る。今日初めて地下鉄に乗った(切符は窓口で降りる駅のアル ファベットつづりを見せて買った)。狎鴎亭洞(アックジョンドン)で下りる。初め て漢江の南に行った。地下鉄の駅を出るとすぐ横に「現代(ヒュンダイ)デパート」があった。そこから漢江までの間に「現代」と書かれた同じアパート群が何棟も並んでいた。ヒュンダイがごっそり土地を買い占めたのだろう。

 まっすぐ漢江に向う。「現代デパート」横の道は東湖大橋に続いていた。歩いて対岸まで渡ったらかなり距離があるだろう。思った以上に大きな川だ。もちろ ん川を渡らずに江南側の川岸に下りる。曇っているので対岸はかすんでいる。対岸は川岸に道路が走っているようなのでこちら側のように遊歩道があるのか分からない。1時間半くらい遊歩道をぶらぶPhoto_67 ら歩いてみる。対岸に向って左側に歩いていったのだが、流れがあまりにも緩やかなのでどちらが上流なのか分からなかった。後で調べたら右側が上流なので、下流方向に歩いていたことになる。片道で2キロは歩いただろうか。橋を二つほど越えた。グエムルが最初に現われた西江大橋はさらにずっと先だ(撮影は橋の袂にある漢江市民公園で行われた)。そのせいか(?)泳いでいるグエムルは見かけなかった。

  船を係留した水上レストランやはしけの上に建物を載せたような形の水上レストランが歩いた範囲で3つあった。歩いている人は少ない。自転車やローラースケートで走って行く1_3 人がほとんど。歩いている人もぶらぶら散歩というよりも健康ウォークをしている感じ。さすがに観光客は僕ら以外にはいない。広い川原には露店、テニスコート、植物の苗や樹木を育てている一角、トレーニング器具をいくつも並べた一角、休憩所などが並んでいる。なかなか変化に富んでいる。休日はさぞたくさんの市民がやってくるのだろう。

 平日のせいか、露店は閉まっているところが多い。開いている露天で初めて韓国のタバ 2_8 コを買った。色々見比べて買おうと思ったのだが、なぜか店先には並んでいない。タバコがほしいと言うと最初にダンヒルを出してきた。もっとタールの少ないものをと英語で言うと「The One」を出してきた。名前からしてタールが1mgなのだろうと判断してそれを買う。パッケージを見ると確かにタールが1mgと書いてある。それにしても「The One」とは分かりやすい名前だ。味はいつも吸っているマイルドセブン1とほとんど同じ。そういえばこっちも分かりやすい名前だな。

 散歩道をまた引き返して元の東湖大橋まで戻る。橋の上に上がるとはっきりと気温が数度上がるのが分かる。川原は風もあり涼しかった。橋の上は暑いくらいだ。「現代デパーPhoto_69 ト」まで戻り、ついでなのでデパートに入ってみた。ここも日本のデパートと同じ。当然何も買わない。屋上に「SKY DOME」があるというポスターがあったので上がってみる。看板の写真がイギリスの庭園風だったので心を惹かれたのである。しかし実際に行ってみると写真とはだいぶイメージが違っていた(写真は夏に撮ったようだ)。四隅の一つに喫茶コーナーを設け、他のスペースにはガゼボ(東屋)1基を配した芝生のガーデンになっている。空中ガーデンにいるのだが、下が見えないので屋上にいる感覚はない。コーヒーを頼んでしばし休憩する。

Photo_66  狎鴎亭洞(アックジョンドン)を中心とする江南(カンナム)地区は最近開発が進んでいる地域のようだ。デパートを出て狎鴎亭洞へ行ってみようとしたがうまく場所が分からなかった。腹が減っていたので、適当に見つけた店に入る。サムゲタンを注文する。スープの中 にご飯をつめた鶏肉が丸のまま入っている。大汗をかいたがおいしかった。店を出た後同 僚と別行動をとった。僕はもう一度狎鴎亭洞へ行ってみることにした。地図を見直して大体の見当がついていた。10分ほど歩いて到着。渋谷か青山のような感じの若者が多い地域だった。途中初めてコンビニに入り絆創膏をPhoto_63買う。靴擦れしていたかかとに貼った。コンビニは日本より品数は少なかったが、雰囲気も置いてあるものもほとんど日本と同じだ。島山公園の近くにカフェが集まった一角があると書いてあったが、それらしき店はあまりない。結局どこにも入らず島山公園で休憩しただけ。こういうところはあまり僕には縁のない街だ。公園で写真を1枚撮っただけで引き返し、ホテルに戻る。

2_6

 夜は宮廷料理を食べることにした。前日行った「景福宮」(キョンボックン)の北西にある「石坡廊(ソッパラン)」という店を予約する。2時間くらいホテルでゆっくりしてからホテルを出た。ホテルの前でタクシーを拾う。運転手は場所を知らないようだった。「石坡廊(ソッパラン)」に電話を入れて運転手に場所を教えてもらう。これは便利な手だ。何度かタクシーでこの手を使った。あるところでUターンしたと思ったら突然止まった。何とそこが「石坡廊」だった。狭いが立派な庭がある。そこは大院君の別荘だったもので、レストランとして使わ れている部分はその離れ座敷だったらしい。建物はどことなく中国風である。10万、13万、15万ウォンの3コースがPhoto_59あったが、一番高いのをすすめられるままに頼んでしまった。一つひとつの料理はそれほど量は多くはないが、何せたくさんでてくるので最後はもう食べきれないほど。何とかほとんど食べたが腹が パンパンだった。蜂蜜の入った伝統酒が特においしかった(僕は酒飲みだが甘党なのである)。税金なども入れて全部で2万円近くを1食で使ってしまったが(汗)、料理自体は特別おいしいとは思わなかった。600円のビビンバの方が僕の口にはあっている。こんな無茶なお金の使い方は普段なら絶対にしないが、旅行中のためか思わず贅沢をしてしまった。ただこんなことは滅多に1_4経験できるものではないので、味はともかくそういう経験ができたこと自体には満足だった。一つ残念なことはデジカメのメモリーが一杯になってしまい、最初のあたりまでしか写真が撮れなかったことだ(撮れなかった部分は同僚の撮った写真を使わせてもらった)。

 「石坡廊」を出た後タクシーで南大門まで行く。今日もまた汗だく。この3日間で一番暑い日だった。南大門だけ見てすぐまたタクシーでホテルに戻る。シャワーで汗を流す。疲れて4_2 いたのでもう外には出なかった。夜同僚が近くのコンビニで韓国のビールを買ってきた。2種類あったが、どちらも味は似たようなもの。まあ普通のビールだ。

 翌日は朝早く起きて日本に帰っただけ。以上ゴブリンの韓国滞在記でした。

韓国てくてく旅行記①

はじめに

5_2   同僚と二人で韓国のソウルへ行ってきた。二人とも韓国へ行くのはこれが始めて。韓国語も話せないし、ハングルも読めない。しかし3月1日にプレオープンしたホテルに泊まると いう格安のツアーがあったので、逃す手はないと飛びついたのである。空港からホテルまでは行き帰りともガイドは付くが、それ以外は二人でソウルの街に放り出される形。どこへ行くかも事前に二人で相談していなかった。それでも何とかなるだろうとあまり心配もせずに出かけていった。

 個人的にもどうしてもここに行きたいとか、これが食べたいとかいうものがあったわけではない。僕は旅行好きでも食通でもない。ただ、韓国映画は結構観ているし、実際どんなところなのか見てみたいという漠然とした関心はあった。距離も近いので、短期間でしかも安く行ってこれるという魅力もある。旅程は行ってみて決めるという旅だったが、かなり楽しめた旅行だった。今回の旅行記は日程順にそのまま見たり、食べたりしたものを書いてゆこうと思う。

1日目
  1時55分発の大韓航空便でソウルへ向う。インチョン空港で他のツアー客と合流。僕らPhoto_44 以外は全員女性。この時期旅行に出られる男は珍しいわけだ。われわれと同じツアー企画の客は他にいない。送迎バスで都心部へ。途中漢江を渡る。漢江は思ったよりも大きな川だった。ホテルに行く前に免税店とソウル市内一番の繁華街明洞(ミョンドン)に短時間立ち寄った。明洞は20分くらい歩いて観て回っただけ。夜でもかなりの人込みだった。まさに不夜城。泊まったホテルは「ベストウェスタンプレミアホテル国都」。3月1日に仮オープンしたばかりの真新しいホテルなのでさすがにきれいだ。部屋はツイン。ベッドと机の間が狭いが、まあ充分な広さ。

  夕食を食べるために明洞の「シンソンソルロンタン」という店まで歩いてゆく。スープのようなもの(意外に薄味)ともう一品を頼む。キムチとご飯がサービスで付く。おいしかった。Photo_45 言葉が全く話せないので心配していたが、何とかなるものだ。英語よりも日本語の方が通じる感じだった。

  今回の韓国旅行は散々歩いた。去年の中国旅行もかなり歩いたが、今回は仕事がないので文字通り歩き通しだった。靴擦れができたりしてきつかったが、反面街中がよく観察できた。店を出て、タクシーを捕まえてソウルタワーへ行く。韓国のタクシーには一般タクシーと模範タクシーがある。模範タクシーの方が料金は高いが、運転手は外国語が話せるらしい。着いたばかりでうまく区別が付かないのだが、幸いたまたま模範タクシーに乗った。運転手の案内つきで1_2 ソウルタワーを回る(片言の日本語)。夜景がきれいだったが、昼間にも見たかった。夜では全景がわからない。夜景を写真に撮ったのだが、残念なことにうまく映らなかった。夜景よりもきれいだと思ったのはタワー自体。ライトアップされており、その色がまた刻々と変わる。シャッタータイミングが難しく、これもうまく撮れなかった。帰りも同じタクシーでホテルまで送ってもらった。料金は35000ウォン(100ウォンが12円くらい)。戻ったのは11時ごろ。

2日目
 7時起床。8時半ごろホテルを出る。乙支路に沿って明洞まで行く。ホテルの場所は地下鉄2号線の乙支路3街駅と乙支路4街駅の中間辺りにある。昨日Photo_46 明洞巡りをした時に見かけた「お粥」の看板が出ている店に入る。カボチャのお粥を頼んだ。甘くておいしかった。その後「景福宮」(キョンボックン)へ向う。今日は5つある王宮のうち4つを回る計画だ。途中鐘路タワー手前で「普信閣」を見かけたのでちょっと寄って写真を撮った。また歩いている途中で、韓国映画によく出てくるカップ麺が表に積んである店を見かけたのでこれも写真に撮った。Photo_47

  ほどなく「景福宮」に着く。地図があるのでさほど迷わなかった。駐車場脇から中に入ると大きな門(興禮門)の前でたまたまバッキンガム宮殿の衛兵の交代のような儀式をやっていた(守門将交代儀式と呼ぶらしい)。写真を何枚か撮る。入場料(3000ウォン)を買って正面の門から中に入る。中の敷地は驚くほど広大だった。たくさんの建物や門が何重にも重なっており、行っても行ってもまた別の建物がある。丁度小学生の団体が見学に来ていて、クラス 毎にガイド(?)を囲んで輪になり説明を聞いていた。こういう授業はいいと思った。建物を見ていて一つ気になったのは門や建物の屋根に付いている動物の形を模したと思われる飾りのようなもの。日本の鬼瓦のようなものはない。恐らく同じような役割と思われる。

  敷地内にある「国立民俗博物館」にも入る。昔の風俗を再現したジ 4 オラマ、昔の衣装、食べ物、様々な器具、昔の家などが展示されていた。非常に興味深かった。入り口近くの喫茶コーナーでコーヒーを飲む。隣の席は中国人だった(言葉で分かる)。観光客は圧倒的に日本人が多いので、中国人は珍しい感じがした。同じ狭い喫茶コーナーに日本人、中国人、韓国人がいたことになる。博物館を出て、先ほど見逃していた「香遠亭」にも行ってみる。池の中に建っているお堂のようなもので、実にいい眺めだった。後でよく調べたらもう一つ池に浮かぶ慶会楼という有名な楼閣があったのを見逃していた。残念。

Photo_53
 













  次の王宮「昌徳宮」に向う途中「キョンホカルビ」という店で昼食をとる。ビビンバを頼んだ。5000ウォン。キムチなど小皿が5つも付いていた。心配したほど辛くない。滞在中にいくつもの店に入ったが、日本でなじみのキムチはどこの店でも出てきた。味も日本のものとさほど変わらないと思った。それとよく出てきたのがサイコロ状に切っPhoto_50 た大根のキムチ。これもおいしかった。600円でかなり贅沢な食事ができた。

 「昌徳宮」(チャンドックン)では言語別のガイドツアーがあり、たまたま着いてすぐ英語のツアーがあったのでそれに参加した。実に詳しい、しかも有意義な解説で感心した。この日一番充実した見学だった。ガイドの方の英語も見事で、質問にも適切に答えていた。ただ同じ説明を繰り返すだけの日本のガイドとは違う。西洋人は街であまり見かけなかったが、さすがに英語ガ3 イドの時間に集まって来た人は20人近くいた。屋根の上の動物を模した不思議な飾りの意味はここで説明されていた。予想通り鬼瓦と同じような魔よけで、飾りの数が多いほど重要な建物だということだった。その王宮で一番重要な建物には11個付いているらしい。

  使用人たちが住む一角も見られた。以前「3人の映画人を偲んで」という記事の中でロバート・アルトマンの「ゴスフォード・パーク」に触れた際、イギリスのブラ12 イトンで見た「プレストン・マナー」のことを書いたことがある。どこでもお屋敷の住人が住む贅沢な空間と使用人が住む一角は画然と天と地ほどの差で区切られている。ここでもそうだった。使用人たちが住んでいた一角は見るからに貧弱な作り。狭くて中は何もない。男女の住む場所が画然と分かれている。入る門が違う。男の門のほうが少し高くなっている。ただ二つの区画の間に建つ建物は中で通じている。そりゃそうだろう。

  ガイドの説明はしばしば観光客に質問を投げかける形で行われ、考えさせるようになっていたことにも感心した。例えば、使用人が通る門は低くなっているのはなぜか、水魚門と16 いう名前が付けられているのはなぜかなど。前者の答えは、使用人が門をくぐる時礼をして(つまり腰をかがめて)くぐるので低くなっている、後者は二つとも切り離せない関係にあるのでリレイションシップを表しているとのこと。出口近くでガイドさんが大きな木の根元に猿がいるのが分かりますかと聞いた。すぐ分かった。根っこに彫刻を施したのだろうか?天然のままだとしたらすごい。隠し絵のようで面白かった。

  次に3つ目の王宮「宗廟」(チョンミョ)に向う。しかし周りを塀が囲んでいて入り口が見つ2_7 からない。右往左往した後警官に聞いてやっと分かる。敷地のほぼ反対側にあった。入り口に向う途中で大覚寺を見かけたので写真を一枚撮った。やっと「宗廟」の入り口に着く。入場料は1000ウォン。ここはあまり面白くなかった。京都の三十三間堂のような横長の建物で祭礼に使われるようだ。広さもさほどなく、あまり変化もない。何より先に見た二つの王宮があまりに見事だったのでどうしても見劣りがしてしまう。

  もう一つ観る計画だったがその頃にはだいぶ歩き疲れていたのですっかり忘れていた。Photo_54 一旦ホテルまで歩いて戻る。途中電気店が並ぶ細い路地を通った。まるでかつての秋葉原のようで面白かった。ずっと歩きとおしだったので疲れたが、地理がだいぶ分かってきた。小一時間休憩して外出。明洞の「コムソッチプ」という焼肉店に行く。約15万ウォンのセットとマッコリという白酒のような酒を頼んだ。マッコリは甘みがあっておいしい。アルコール度は結構高い気がした。焼肉は食べるのに夢中で写真を撮るのを忘れてしまった。この店の特徴なのか、それとも韓国では一般にそうPhoto_52 なのか分からないが、店員が肉を網に載せるシステムになっている。それはいいのだが、どんどん網にのせるので焦げないようにこちらもどんどん食べなければならない。もっとゆっくり食べたいのだが、主導権はあちらにあるのでどんどん食べるしかない。早すぎて追いつけないほどではないが、もっとゆっくり味わいながら食べたかった。

  その後タクシーで東大門市場へ行く。市場といっているが、実際には屋台が並んでいる一帯のことである。サッカー場の近くから清渓川の間にずらっと屋台が並んでいる。ものす2_2 ごい人込み。ざっと観て回ったが特にほしいものはない。清渓川のところまで来たので川に下りてみた。川沿いの遊歩道をしばらく歩いてみる。トイレを借りたくなってデパートに入った。ついでに中を見て回ったが、日本とほとんど同じで特に新鮮味はなかった。11階に映画街があり、チラシを貰ってきた。その後またしばらく屋台を回る。

  帰りは地下鉄にしようと思ったが、コインがないのでまた歩いて戻る(自販機はなぜか紙 幣が使えない)。20分ぐらい歩いてようやく到着。いやはや、今日1日で数ヶ月分くらい歩いた感じだ。かかとに靴擦れができていた。ホテルについてやっと人心地がした。翌日は江南(カンナム)地区に行き、漢江を見ることにした。(↓下の写真は「景福宮」で撮ったもの)

26_2

2007年3月25日 (日)

韓国旅行に行ってきました

  しばらくブログの更新が滞っていましたが、実は3泊4日の日程で韓国旅行に行っており10 ました。実質観光できたのは2日間と少しでしたが、半年分くらいはその間に歩きました。ガイドもない、同僚と男二人の旅。ショッピングなどはほとんどせず、見て回り食べ回り歩き回りの旅でした。いやあ疲れた。今日上田の街に出て、話が通じ、文字がすべて理解できることがどれほど安心できることかとつくづく感じたしだい。この旅行についてはまた後日ブログにまとめる予定です。仕事で行った中国と違って今回は完全な観光。写真もたくさん撮ってきました。どうぞお楽しみに。

  「夫婦善哉」以後映画を2本見ました。日本映画「ゆれる」と韓国映画「私の頭の中の消しゴム」。「ゆれる」は兄弟の心理のずれを描いている。悪い出来ではないが、いまひとつ胸に迫ってこない。兄を告発した形になった弟が昔の家族ビデオを見て反省するという展開が安易だと感じた。「私の頭の中の消しゴム」も悪い出来ではないが、韓国映画のラブ・ロマンスにつき物の泣かせる演出があきれるほど過剰だ。あまりに意図が見えみえなので身構えてしまい、全く泣けなかった。「八月のクリスマス」のような映画はもう撮れないのか。

  「ゆれる」★★★★
  「私の頭の中の消しゴム」★★★☆

  「紙屋悦子の青春」、「トンマッコルへようこそ」、「心の香り」、「夫婦善哉」とこのところまた以前のような長いレビューになってしまったので、「夫婦善哉」のレビューを書き終えた後はせっせと読書にふけっておりました。もう長いこと中断していた『ハリー・ポッターと謎のプリンス』もその間に読み終えました。面白かった。最後の山場は完全に引き込まれていました。ある重要人物の死はなんとなく予感していたが、それでもやはり残念でした。最後の第7巻が今から待ち遠しい。

これから観たい&おすすめ映画・DVD(07年4月)

【新作映画】
3月24日公開
 「ブラックブック」(ポール・バーホーベン監督、オランダ・ベルギー、他)
 「素粒子」(オスカー・レーラー監督、ドイツ)
3月31日公開
 「あかね空」(浜本正機監督、日本)
 「檸檬のころ」(岩田ユキ監督、日本)
4月7日公開
 「ブラッド・ダイヤモンド」(エドワード・ズウィック監督、米)
 「オール・ザ・キングスメン」(スティーブン・ザイリアン監督、独・米)
4月14日公開
 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(松岡錠司監督、日本)
 「ツォツィ」(ギャビン・フッド監督、英・南ア)
 「BRICK」(ライアン・ジョンソン監督、アメリカ)
 「ボンボン」(カルロス・ソリン監督、アルゼンチン・スペイン)
 「輝ける女たち」(ティエリー・クリファ監督、フランス)
 「恋しくて」(中江裕司監督、日本)
4月28日公開
 「あしたの私のつくり方」(市川隼監督、日本)
 「ストリングス 愛と絆の旅路」(アンデルス・ルノウ・クラルン監督、デンマーク・他)
4月28日~5月5日開催
 「イタリア映画祭」(有楽町朝日ホール)

【新作DVD】
3月23日
 「記憶の棘」(ジョナサン・グレイザー監督、アメリカ)
 「家の鍵」(ジャンニ・アメリオ監督、伊・仏・独)
4月4日
 「エコール」(ルシール・アザリロビック監督、ベルギー・仏・英)
4月6日
 「ウィンター・ソング」(ピーター・チャン監督、香港)
4月18日
 「王の男」(イ・ジュンイク監督、韓国)
 「ユア・マイ・サンシャイン」(パク・チンピョ監督、韓国)
 「プラダを着た悪魔」(デビッド・フランケル監督、アメリカ)
 「ファミリー」(イ・ジョンチョル監督、韓国)
4月20日
 「時をかける少女」(細田守監督、日本)
 「百年恋歌」(ホウ・シャオシェン監督、台湾)
 「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督、米)
4月25日
 「麦の穂をゆらす風」(ケン・ローチ監督、独・伊、他)

【旧作DVD】
3月21日
 「米」(57、今井正監督、日本) N64
3月23日
 「赤線地帯」(56、溝口健二監督、日本)
 「雨月物語」(53、溝口健二監督、日本)
 「噂の女」(54、溝口健二監督、日本)
 「お遊さま」(51、溝口健二監督、日本)
 「祇園囃子」(54、溝口健二監督、日本)
 「山椒大夫」(54、溝口健二監督、日本)
 「近松物語」(54、溝口健二監督、日本)
 「偽れる盛装」(51、吉村公三郎監督、日本)
 「夜の河」(56、吉村公三郎監督、日本)
3月24日
 「ピーター・グリーナウェイ初期作品集①」(ピーター・グリーナウェイ、英)
 「ドクトル・マブゼ」(22、フリッツ・ラング、ドイツ)
 「下郎の首」(55、伊藤大輔監督、日本)
3月26日
 「ヨーク軍曹」(42、ハワード・ホークス監督、アメリカ)
4月4日
 「王と鳥」(80、ポール・グリモー監督、フランス)
4月13日
 「ダーティー・メリー クレイジー・ラリー」(74、ジョン・ハフ監督、米)
4月25日
 「ケン・ローチ傑作選 DVD-BOX」
 (「マイ・ネーム・イズ・ジョー」、「ブレッド・&ローズ」、「麦の穂をゆらす風」、他)
4月28日
 「ルネ・クレール DVD-BOX」
 (「自由を我等に」、「ル・ミリオン」、「夜の騎士道」)

 新作は今のところ様子見。「オール・ザ・キングスメン」はロバート・ペン・ウォーレン原作の再映画化。ロバート・ロッセンの往年の傑作を越えられるか?新作DVDの注目作は何と言っても「硫黄島からの手紙」と「麦の穂をゆらす風」。「王の男」を始めとする韓国映画も見逃せない。ホウ・シャオシェン監督久々の「百年恋歌」も気になる。日本映画では「時をかける少女」が一押し。
 旧作DVDは花盛り。溝口の傑作群がバラで続々出る。今井正の名作「米」、吉村公三郎の代表作「偽れる盛装」と「夜の河」、伊藤大輔のリアリズム時代劇「下郎の首」が出るのもうれしい。84年にACTで観た「やぶにらみの暴君」(55年)。80年に「王と鳥」として再編集され公開された。これも早く観たい。ケン・ローチとルネ・クレールのBOXも是非。

2007年3月19日 (月)

ゴブリンのこれがおすすめ 35

 以前にもこのシリーズで「反ファシズム、反ナチ、ナチス占領下の日々を描いた映画」と「ベトナム戦争映画、朝鮮戦争映画」を取り上げました。しかしそれ以外にも戦争や内戦、レジスタンスなどを取り上げた映画は数多くあります。今回は、以前取り上げたものも含めて、戦争について真摯な考察を迫る作品を集めてみました。戦時そのものを描いた映画ばかりではなく、戦争の傷痕を描いたものなどより広く戦争関連の作品も含めてあります。

戦争を描いた映画
■これがおすすめ
「ワルキューレ」(2008、ブライアン・シンガー監督、アメリカ・ドイツ)
「告発のとき」(2007、ポール・ハギス監督、米)
「戦場のレクイエム」(2007、フォン・シャオガン監督、中国)
「ヒロシマナガサキ」(2007、スティーブン・オカザキ監督、米)
「紙屋悦子の青春」(2006、黒木和雄監督、日本)
「パンズ・ラビリンス」(2006、ギレルモ・デル・トロ監督、メキシコ・スペイン・米)
「麦の穂をゆらす風」(2006、ケン・ローチ監督、イギリス、アイルランド、他)
「父親たちの星条旗」(2006、クリント・イーストウッド監督、米)
「善き人のためのソナタ」(2006、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督、独)
「ジャーヘッド」(2005、サム・メンデス監督、米)
「トンマッコルへようこそ」(2005、パク・クァンヒョン監督、韓国)
「ロード・オブ・ウォー」(2005、アンドリュー・ニコル監督、米)
「シリアの花嫁」(2004、エラン・リクリス監督、イスラエル・仏・独)
「父と暮らせば」(2004、黒木和雄監督、日本)
「ライフ・イズ・ミラクル」(2004、エミール・クストリッツァ監督、セルビア=モンテネグロ)
「ヒトラー最期の12日間」(2004、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監 督、ドイツ)
「ホテル・ルワンダ」(2004、テリー・ジョージ監督、南アフリカ・英・伊)
「ブラザーフッド」(2004、カン・ジェギュ監督、韓国)
「アフガン零年」(2003、セディク・バルマク監督、アフガニスタン、他)
「この世の外へ クラブ進駐軍」(2003、阪本順治監督、日本)
「シルミド」(2003、カン・ウソク監督、韓国)
「ピエロの赤い鼻」(2003、ジャン・ベッケル監督、フラ ンス)
「アマンドラ!希望の歌」(2002、リー・ハーシュ監督、南アフリカ・アメリカ)
「戦場のピアニスト」(2002、ロマン・ポランスキー監督、ポーランド・仏)
「キャロルの初恋」(2002、イマノル・ウリベ監督、スペ イン)
「ククーシュカ ラップランドの妖精」(2002、アレクサンドル・ロゴシュキン監督、ロシア)
「カンダハール」(2001、モフセン・マフマルバフ監督、イラン)
「ノー・マンズ・ランド」(2001、ダニス・タノヴィッチ監督、仏・伊・英、他)
「名もなきアフリカの地で」(2001、カロリーヌ・リンク監督、ドイツ)
「鬼が来た!」(2000、チアン・ウェン監督、中国)
「JSA」(2000、パク・チャヌク監督、韓国)
「この素晴らしき世界」(2000、ヤン・フジェベイク監督、チェコ)
「ビューティフル・ピープル」(1999、ジャスミン・ディズダー監督、英)
「ペパーミント・キャンディ」(1999、イ・チャンドン監督、韓国)
「永遠と一日」(1998)  テオ・アンゲロプロス監督
「パーフェクト・サークル」(1998) アデミル・ケノビッチ監督
「プライベート・ライアン」(1998、スティーブン・スピルバーグ監督、米)
「ムッソリーニとお茶を」(1998、フランコ・ゼフィレッリ監督、アメリカ)
「マイ・リトル・ガーデン」(1997、ソーレン・クラウ・ヤコブセン監督、デンマーク他)
「ユリシーズの瞳」(1995)  テオ・アンゲロプロス監督
「ビフォア・ザ・レイン」(1994) ミルチョ・マンチェフスキー監督
「ブコバルに手紙は届かない」(1994) ボーロ・ドラシュコヴィッチ監督
「シンドラーのリスト」(1993、スティーブン・スピルバーグ、米)
「ホワイト・バッジ」(1992、チョン・ジヨン監督、韓国)
「シルバースタリオン 銀馬将軍は来なかった」(1991、チャン・ギルス監督、韓国)
「フォー・ザ・ボーイズ」(1991、マーク・ライデル監督、米)
「コルチャック先生」(1990、アンジェイ・ワイダ監督、ポーランド他)
「カジュアリティーズ」(1989、ブライアン・デ・パルマ監督、米)
「7月4日に生まれて」(1989、オリヴァー・ストーン監督、米)
「略奪の大地」(1988、リュドミル・スタイコフ監督、ブルガリア)
「火垂るの墓」(1988) 高畑勲監督
「紅いコーリャン」(1987)  チャン・イーモウ監督
「晩鐘」(1987) ウー・ツーニュウ監督
「翌日戦争が始まった」(1987) ユーリー・カラ監督
「さよなら子供たち」(1987、ルイ・マル監督、仏・西独)
「プラトーン」(1986、オリヴァー・ストーン監督、米)
「炎628」(1985、エレム・クリモフ監督、ソ連)
「サルバドル 遥かなる日々」(1986)  オリヴァー・ストーン監督
「路」(1982、ユルマズ・ギュネイ監督、トルコ・スイス)
「サン★ロレンツォの夜」(1982、タヴィアーニ兄弟監督、イタリア)
「黄昏の恋」(1982、ホセ・ルイス・ガルシ監督、スペイン)
「アトミック・カフェ」(1982) ケビン・ラファティ他監督
「ソフィーの選択」(1982) アラン・J・パクラ監督
「誓い」(1981、ピーター・ウィアー監督、オーストラリア)
「メフィスト」(1981、イシュトヴァン・サボー監督、ハンガリー)
「Uボート」(1981、ウォルフガング・ペーターセン、西ドイツ)
「地獄の黙示録」(1979、フランシス・フォード・コッポラ監督、米)
「長雨」(1979、ユ・ヒョンモク監督、韓国)
「ブリキの太鼓」(1979) フォルカー・シュレンドルフ監督
「帰郷」(1978、ハル・アシュビー監督、米)
「ジュリア」(1977、フレッド・ジンネマン監督、アメリカ)
「1900年」(1976、ベルナルド・ベルトルッチ監督、イタリア)
「追想」(1975、ロベール・アンリコ、フランス)
「ミツバチのささやき」(1973、ヴィクトル・エリセ監督、スペイン)
「ジョニーは戦場へ行った」(1971) ダルトン・トランボ監督
「戦争と人間」(1971)  山本薩夫監督
「遠い日の白ロシア駅」(1971、アンドレイ・スミルノフ監督、ソ連)
「道中の点検」(1971、アレクセイ・ゲルマン監督、ソ 連)
「ソルジャー・ブルー」(1970) ラルフ・ネルソン監督
「ひまわり」(1970)  ヴィットリオ・デ・シーカ監督
「M★A★S★H」(1970、ロバート・アルトマン監督、米)
「影の軍隊」(1969、ジャン・ピエール・メルヴィル監督、フランス)
「脱走山脈」(1968、マイケル・ウィナー監督、アメリ カ)
「アルジェの戦い」(1966、ジッロ・ポンテコルヴォ監督、伊・アルジェリア)
「パリは燃えているか」(1966、ルネ・クレマン監督、仏・米)
「まぼろしの市街戦」(1966) フィリップ・ド・ブロカ監督
「戦争は終わった」(1966) アラン・レネ監督
「戦争と平和」(1965-67) セルゲイ・ボンダルチュック監督
「国境は燃えている」(1965、ヴァレリオ・ズルリーニ監督、イタリア)
「鬼戦車T-34」(1965、ニキータ・クリヒン他、監督、ソ連)
「大列車作戦」(1964、ジョン・フランケンハイマー監督、米・仏・伊)
「ズール戦争」(1963) サイ・エンドフィールド監督
「拝啓天皇陛下様」(1963) 野村芳太郎監督
「博士の異常な愛情」(1963、スタンリー・キューブリック監督、英)
「帰らざる海兵」(1963、イ・マニ監督、韓国)
「大脱走」(1963、ジョン・スタージェス監督、アメリカ)
「捕らえられた伍長」(1962)  ジャン・ルノワール監督
「僕の村は戦場だった」(1962、アンドレイ・タルコフスキー監督、ソ連)
「アラビアのロレンス」(1962、デヴィッド・リーン監督、英)
「史上最大の作戦」(1962、ケン・アナキン、他監督、米)
「ニュールンベルグ裁判」(1961) スタンリー・クレイマー監督
「誓いの休暇」(1960) グリゴーリ・チュフライ監督
「橋」(1959) ベルンハルト・ヴィッキ監督
「キクとイサム」(1959、今井正監督、日本)
「アンネの日記」(1959、ジョージ・スティーヴンス監督、アメリカ)
「戦塵未だ消えず 天使の祈り」(1958) ラルフ・トーマス監督
「宿命」(1957) ジュールス・ダッシン監督
「戦争の真の終り」(1957)イエジー・カワレロウィッチ監督
「突撃」(1957) スタンリー・キューブリック監督
「眼下の敵」(1957、ディック・パウエル監督、米)
「攻撃」(1956) ロバート・アルドリッチ監督
「地下水道」(1956) アンジェイ・ワイダ監督
「抵抗」(1956) ロベール・ブレッソン監督
「女狙撃兵マリュートカ」(1956、グリゴーリ・チュフライ監督、ソ連)
「夜と霧」(1955、アラン・レネ監督、フランス)
「長い灰色の線」(1954、ジョン・フォード監督、アメリカ)
「ケイン号の叛乱」(1954) エドワード・ドミトリク監督
「禁じられた遊び」(1952) ルネ・クレマン監督
「原爆の子」(1952)  新藤兼人監督
「真空地帯」(1952)  山本薩夫監督
「我等の生涯の最良の年」(1948) ウィリアム・ワイラー監督
「ドイツ零年」(1948、ロベルト・ロッセリーニ監督、イタリア)
「平和に生きる」(1947、ルイジ・ザンパ監督、イタリア)
「戦争と平和」(1947) 山本薩夫、亀井文夫監督
「海の牙」(1946、ルネ・クレマン監督、フランス)
「戦火のかなた」(1946、ロベルト・ロッセリーニ監督、イタリア)
「ナチス追跡」(1946、オーソン・ウェルズ監督、米)
「鉄路の斗い」(1945、ルネ・クレマン監督、フランス)
「無防備都市」(1945、ロベルト・ロッセリーニ監督、イタリア)
「死刑執行人もまた死す」(1943、フリッツ・ラング監督、アメリカ)
「生きるべきか死ぬべきか」(1942、エルンスト・ルビッチ監督、アメリカ)
「チャップリンの独裁者」(1940、チャールズ・チャップリン監督、アメリカ)
「大いなる幻影」(1937) ジャン・ルノワール監督
「地の果てを行く」(1935)  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「西部戦線異状なし」(1930) ルイス・マイルストン監督

■追加作品
「高地戦」(2011) チャン・フン監督、韓国
「レバノン」(2009) サミュエル・マオズ監督、イスラエル・仏・英
「イングロリアス・バスターズ」(2009) クエンティン・タランティーノ監督、米
「戦場でワルツを」(2008) アリ・フォルマン監督、イスラエル・仏・独・米
「ハート・ロッカー」(2008) キャスリン・ビグロー監督、米
「セントアンナの奇跡」(2008) スパイク・リー監督、米・伊
「カティンの森」(2007) アンジェイ・ワイダ監督、ポーランド
「あゝ声なき友」(1972) 今井正監督、日本
「素晴らしき戦争」(1969) リチャード・アッテンボロー監督、英
「謎の要人悠々逃亡!」(1960) ケン・アナキン監督、イギリス

2007年3月17日 (土)

夫婦善哉

1955年 日本 東宝 
評価:★★★★★
監督:豊田四郎
脚本:八住利雄 
美術:伊藤熹朔
原作:織田作之助 
音楽:団伊玖磨
出演:森繁久彌、淡島千景、司葉子、浪花千栄子、小堀誠、田中春男、田村楽太
   三好栄子、山茶花究、志賀廼家弁慶、万代峰子、森川佳子

  面白い。文句のつけようがない傑作である。何より主演の森繁久彌と淡島千景が抜群に063802_1 いい。淡島千景はこの時代の女優としては原節子、高峰秀子と並ぶ僕の3大アイドル。中でもこの「夫婦善哉」の蝶子役は「にごりえ」や「麦秋」、「駅前」シリーズなどと並ぶ彼女の代表作の一つ。元気でいたずらっぽいちょっと勝気な娘というイメージが彼女の持ち味。ここではしっかり者でちょっぴり色気も漂う芸者役。彼女の魅力全開。森繁もすごい。彼とフランキー堺(元祖ソン・ガンホ)は役者として天才だと思う。どちらも喜劇俳優だが、役者としての才能は滝沢修や中村翫右衛門などの名優と比べても引けをとらない。「夫婦善哉」の柳吉役はほとんど地でやっている感じがするが、演技を感じさせないほど役になりきっているということである。

  助演陣もすごい。置屋の女将(?)役の浪花千栄子。「祇園囃子」でも置屋の女将役を演じていたが、この手の役はまさにお手の物。東の沢村貞子(「赤線地帯」、「飢餓海峡」)、西の浪花千栄子といった感じか。昔の脇役女優にはすごい人たちがいたものだ。はまり役といえば婿養子役の山茶花究。この人もあきれるほどうまい。芸名が九九の“さざんがきゅう“から取っているところからして人を食っている。善玉もやるが悪役がめっぽう似合う。「夫婦善哉」では異常なほどの潔癖症でニコリともしない男の役。蝶子の母親役の三好栄子もよく見る脇役女優。庶民的な女性を演じさせたら恐いほどはまる。チョイ役が多いのに顔を覚えてしまうのだから大したものだ。千石規子、望月優子、北林谷栄、飯田蝶子、浦辺粂子、等々。当時の庶民的おばちゃん役女優は多彩だった。こういう人たちがいないと映画は成り立たない。蝶子の父親役田村楽太も超個性派。何とも特異な面相だ。映画には「夫婦善哉」と「世にも面白い男の一生 桂春団治」くらいしか出ていないようだが、どうやら舞台の喜劇俳優らしい。笑わせるタイミングが抜群。巧まざる技に脱帽。日本映画の頂点を極めた1950年代は大監督ひしめく巨匠の時代であったが、同時に名優の時代でもあったことを改めて認識させられる。

  森繁久彌演じる柳吉は化粧品を扱う維康(これやす)商会の長男。大店(?)のぼんぼんである(関東風の「お坊ちゃん」では感じが出ない、「ぼんぼん」でないと駄目だ)。しかしこのぼんぼん、まったくの遊び人で甲斐性なし。商売などそっちのけで遊び歩いていた。まあそれには理由がないではない。柳吉には妻も子供もいるが、妻は病気で2年も里に帰ったきりなのだ。柳吉の父親は見るからに頑固一徹な男。自由気ままな性格の柳吉には息苦しくて仕方がないだろう。映画は柳吉の父親がいつまでも芸者にうつつを抜かしている柳吉を見放して勘当を宣言しているところから始まる(ついでに触れておくと、店に代々の当主の写真が飾ってあるが、一番左側の写真が何といかりや長介にそっくりだ)。その頃柳吉は芸者の蝶子(淡島千景)と駆け落ちして熱海の宿でいちゃついていた。昭和7年のこと。

  熱海でのろけている場面の後、二人は蝶子の実家に現われる。蝶子の父親が散々心配かけおってと娘を叱るが、柳吉が顔を出すと突然ぺこぺこするところが可笑しい。母親もどうでもいいことをくだくだ話している。蝶子の実家は天麩羅屋で、柳吉に何もないからと商売ものの天麩羅を出す。食道楽の柳吉はうまいといって素手でつまんで食べる。それを行儀が悪いと叱る蝶子。この辺の描写も実に巧みで、世話女房タイプである蝶子の性格がよく示されている。なぜ二人が突然蝶子の実家に押しかけたかも二人の会話から分かるようになっている。熱海で1週間楽しんだ後維康商会に戻ったら、敷居もまたがせてもらえなかったのである。その時柳吉は勘当されたことを初めて知ったわけだ。行くところがないのでとりあえず蝶子の実家に転がり込んだというしだい。

  しかしぼんぼんの柳吉はいつまでも店に未練たらたらである。蝶子は「男らしゅうさっぱArtkazamidori01250wc_2 りと忘れてしまいなはれ」と迫り、柳吉をつねる。柳吉は「痛い、痛い、堪忍してくれやもう」などと情けない声をあげている。収入源を絶たれたため、蝶子はまた芸者として働き始める。夜中帰ってくると柳吉は2階でおとなしく鍋で昆布を煮詰めている。食道楽らしく、こうやって作るんだと薀蓄をたれるところが彼らしい。何とまあ朝から鍋に付きっ切りだったようだ。商売には不熱心でも、自分の好きなことにはとことん向き合う。そういう男だ。 とまあ、こんな調子で映画は始まる。自分では働きもせず朝から昆布などを煮占めている柳吉はまさにヒモの生活だ。一方の蝶子はしっかり者で働き者。だらしのない柳吉を叱り飛ばしながらも、まめまめしく彼の世話を焼いている。これだけ世話を受けながら、柳吉は彼女が稼いでためた金を維康の番頭長助と飲み歩いて全部使ってしまったりする。散々泣かせながらも、「頼りにしてまっせ~」(当時流行語にもなった)と蝶子におんぶに抱っこ。しかしこの甲斐性なしのダメ男がなぜか憎めない。

  なぜだろうか。柳吉は無責任で甲斐性なしの男だが、植木等の「無責任男」ともまたタイプが違う。破天荒というよりももっと古い遊び人のタイプだ。藤沢周平の市井ものにも大店の放蕩息子がよく出てくるが、柳吉はやはりその系譜。「粋人」というほど粋ではないが、食べ物に目がない食道楽。だから蝶子が維康から貰った手切れ金で始めた関東煮の店ではかいがいしく働いている。まったくのぐうたらというわけではないのだ。つまり、息苦しい維康商会の雰囲気にどうしてもなじめなかったのだろう。中風で寝込んでいる柳吉の親父は相当な頑固者である。また、店を継がせるために柳吉の妹筆子(司葉子)と結婚させた婿養子(山茶花究)は生真面目一方で、「超」の付く清潔好き。そういう気風なのだ。これでは柳吉ならずとも近寄りたくはない。蝶子との自由気ままなのろけ生活と息苦しい維康商会が対比的に描かれているので、自然柳吉に肩入れしてしまうのだ。

  だがそれだけではないだろう。柳吉はだらしがないが決してふしだらではない。後先考えずに金を使ってしまう甲斐性なしだが、それは無類の人の良さの表れでもある。ぼんぼんだから人に奢ってうれしがるのだ(番頭を手なずけておけば後々役に立つとの期待もある)。ちゃらんぽらんなのは苦労知らずのぼんぼんだからである。番頭を手なずけたり、蝶子との手切れ金をふんだくろうとしたりと計算高いようでいて、実は単なる思い付きにすぎない。ただ財産に未練たっぷりなだけだ。腹黒い打算で生きている男ではないので、そういう情けなさがかえって憎めないのだ。そして何よりも愛情の面で決して蝶子を裏切らなかった。遊びはしても浮気はしない。要するに無邪気なのだ。大きな子供みたいで、むしろ蝶子のように叱りつつも世話をしたくなってしまう。そう思わせる人柄なのだ。

  もちろん演じる森繁の魅力もある。飄々とした演技が彼の持ち味である。それが柳吉の役柄にぴったりとはまっている。さらには蝶子との組み合わせの妙もある。喧嘩するほど仲が良いとよく言うが、まさにそのいい例だ。淡島千景の蝶子は魅力たっぷり。芸者上がりだが一途な女である。「柳吉さんをほんまに寝取ろうと思ってるんやろ」と母親に言われた時、彼女は「わては何も奥さんの後釜に座るつもりはあらへん。あの人を一人前の男に出世させたらそれで本望や。ほんまやで」と言い返している。そういう彼女に甘えきって、あまつさえしばしば彼女の気持ちを踏みにじる柳吉はしょうもない男である。だが、彼女にこっぴどく折檻されていてもそれがどこかのろけに見えてしまう。そんな二人に観客はいつの間にかひきつけられ、行方定まらぬ展開に見入ってしまう。しっかり者の女とちゃらんぽらんな男という昔からよくある組み合わせだが、どういうわけかこの取り合わせには魅力がある。柳吉のような男が実際身近にいたら腹立たしいが、喜劇的な味付けをされているために傍から眺めていると実におもろいのである。

  蝶子の思いは一途なだけに、柳吉が彼女の期待を裏切った時には猛烈に怒る。柳吉が彼女の貯金通帳を勝手に持ち出して全部飲んでしまった時には、「わてはな、あんたとTekagami1 なんぞ商売でも始めようと思って、それだけを楽しみに一生懸命貯金してきたんやで。それをこのあんたという人は」と上にのしかかって散々ぶったたく。柳吉は全く抵抗せず「むちゃくちゃやないか」と泣き言を言う。「もうあんたなんか見るのもいややわ」と蝶子は出て行った後、柳吉は1人「まあ無理ないわな」とつぶやく。分かっちゃいるけど止められない。そんな彼がどこかお茶目で憎めない。そもそも折檻されていても、彼は蝶子を憎んでいない。ひーひー言いながらも蝶子を「おばはん」と呼んでいるのが滑稽だ。自分より若い相手を「おばはん」もないものだが、この「おばはん」には全く馬鹿にした響きがない。むしろ親しみと愛情がこもっている。そんなところに彼の憎めない性格が表れている。

  それにしても怒った時の蝶子の剣幕はすさまじい。妹が養子を取ることになったと聞いてまた柳吉が長助と飲みに行った時には、「清めたる」と叫びながら表の井戸の下に貯めてある水に柳吉の頭を突っ込んでいる。誰か近所の人がそうめんをザルに入れて冷やしてあったので、もがく柳吉の頭には麺がくっついている。すごい演出だ。翌日、蝶子はさすがに置屋の女将おきん(浪花千栄子)に「わてもういやや、何もかも」とぼやいている。そりゃそうでしょう。しかしこれだけ派手に折檻されても柳吉は懲りない。蝶子もあっさり彼を許している。これが一つのパターンになり繰り返される。観客はニヤニヤしながら二人のラブ・ゲームを見守っている。

  柳吉は性懲りもなく蝶子にある策略を持ちかける。別れる振りをして店から手切れ金をたんまりふんだくろうというのだ。だから店の者が来たら、「別れます」と答えておくれと蝶子に言い含める。ところが蝶子は「別れる」と言わなかった。手切れ金も受け取らなかった。柳吉が戻ってきて怒るが、たとえ芝居でも「別れる」とどうしても言えなかった蝶子の気持ちが何ともいじらしいのだ。柳吉もあまり追求しない。失敗したらあっさり諦めてしまうところはいかにもぼんぼんらしい。代わりに「妹の婿養子な、大学出や。学問で商売できるけえ、おまえ」などと毒づいている。いつまでも店の財産に未練たらたらなのである。

  いずれにせよ手切れ金は手に入れたようだ。その金を元に関東煮の店を始めようと提案したのは柳吉の方である。このぼんぼん、食い物が絡むと俄然頑張るのだ。やる気を出したのがうれしかったのだろう、さっそく関東煮の勉強をしに行こうと柳吉が言うのを止め、蝶子はにんまりしながらカーテンを閉める。おいおい本気かと顔をしかめる柳吉。この場面は傑作だ。おきゃんな娘役が似合う淡島千景に色気はほとんど感じたことはないが、この場面は別。にっこりしながら黙ってカーテンを閉めるしぐさがいつになくなまめかしい。

  二人が始めた関東煮屋は結構繁盛している。柳吉がまじめに働いているではないか!さすが食道楽、料理を作る手つきは手なれたものである。しかし順調に行っている様に見えた商売だが、思わぬことで頓挫する。店を閉めた後、柳吉がぼんやりしているので蝶子は遊びに行ってきなさいと言う。柳吉は何度も「いいんやな」と念を押しながら二階へ行く。しかしなかなか下りてこないので蝶子が様子を見に行くと柳吉が倒れていた。腹が痛くて苦しんでいる。そこで蝶子が「猫の糞とミョウバンを煎じて飲むか?」と聞いているのか可笑しい。「また怪しい病気もらってきたと思ってるのか」と柳吉が苦しみながら怒る。「怪しい病気」と言っているところを見ると、前に悪い病気を貰ってきたことがあるようだ。本当に腹が痛いらしい(それはそうと「猫の糞」なんて本当に効くのか?)。

  せっかくうまく行っていた店も柳吉の入院代と手術台を払うために250円で売ってしまった。金に困った蝶子は恥を忍んでせめて手術代だけでもと維康商会に頼みに行くが、にべもなく断られる。明らかに彼女が柳吉を「堕落させた」相手であり、芸者だからである。しかし蝶子が決して卑屈でないところがいい。悪いことは重なるもので、蝶子の母も同じ頃子宮癌に罹っていた。母は自分のことはいいから、早く柳吉さんのところへ入ってやりなさいと言う。「お母ちゃんな、優しいことばっかり言うて仏さんになってはる」と蝶子は父に伝える。維康商会の冷たさと貧しい蝶子の家族の温かさが対比されている。

  病院に柳吉の妹筆子(司葉子)が娘のみつ子(森川佳子)を連れて見舞いに来る。しか052018 し娘は父に会いたがらない。ここで印象的な場面がある。妹の筆子は蝶子に「姉さん」と呼びかけるのだ。蝶子は一瞬はっとする。跡取り息子をたぶらかした悪女とばかりに、柳吉の身内から蝶子は冷たくされるばかりだった。初めて「姉さん」と呼ばれた蝶子は感激してしまう。日陰の身のつらさがその一瞬のはっとした表情に表れている。しかも筆子は挨拶の中で父も蝶子には感謝しているとまで言ったのである。柳吉の妹にすれば、一応の礼儀でそう言ったに過ぎないのだろう。しかし中身のない言葉に自分は認められているのだと力づけられてしまうほど追い詰められている蝶子の気持ちが切ない。

  筆子はもう一つ重要な発言をしている。「お父さんは頑固やし、お母さんは早う死にはりましたし、それに古い家やし、いつも周りに遠慮ばっかりして育ってきはったよって、あんないじけた、どこに自分があるのか分からんような人ができまして。でも、根はええ人です。それに姉さんだけはほんまに頼りにしてはります。」筆子は柳吉の身内の中では一番まともな人間である。見舞いに来ただけでも彼女が兄を心配していることが分かる。そういう妹だから蝶子を感激させるような実のない言葉も深く考えずに言ってしまうわけだが、この兄に対する評価は本心だろう。夫のことも「気違いのようなきれい好きでして」と言っている。兄には蝶子だけが頼りだというのも単なる外交辞令ではないと思われる。誰が見ても実際そのとおりなのだから。それにしても「どこに自分があるのか分からんような人」というのは言い得て妙だ。病室のベッドでは柳吉がわがまま放題を言っている。体を切られる(手術)のはいやだなどとぐずっている。そんな彼を見ると確かにそう思えてくる。柳吉に全く何も芯がないわけではないが、商家の娘として厳しく育てられた筆子には確かにそう見えるのである。

  自分は認められていると思った蝶子はまた必死に頑張る。芸者の時の仲間だった金八(万代峰子)に金を借りて「蝶柳」という店を出した。有馬温泉で養生していた柳吉も戻っている。柳吉の妻は亡くなっていたが、柳吉は娘のみつ子が可愛くてならない。蝶子は何とかみつ子を引き取ろうと涙ぐましい努力をする(父の葬儀の時柳吉も同じことをみつ子に聞いたが、どうやって暮らすのと聞き返されている)。みつ子が英語を習っているというので自分も客が言った英語を懸命に覚えようとしているのだ。そんなある時、みつ子が突然彼女の店にやってきた。蝶子は「オー・マイ・ダーリン」、「パパ」、「ウェルカム」などと一生懸命に話しかけるが、さっぱりみつ子には通じない。実は柳吉の父が危篤だと言いに来ただけだったのだ。むなしい努力をする蝶子が何ともけなげだ。

  蝶子は私のことを認めてもらえるようにお父さんに頼んでほしいと何度も柳吉に言って送り出す。しかしからきし意気地のない柳吉は結局何も言わなかった。自分は長男なのだからそれらしく扱ってほしいということばかり気にかけている。結果を気にする蝶子に電話をかけてもただ親父が死んだというばかり。婿養子を散々けなしても、本人の前では何もいえない。蝶子が電話をかけ直すと養子が出て、「うちはあんさんとは何の関係もない」と言われてしまう。蝶子はガス自殺を図った。柳吉が発見して事なきを得たが、そのときのあわてぶりも情けない。

  生き延びた蝶子は店で大盤振る舞いし、一晩飲み明かす。ひとしきり騒いで、彼女はまた生きようとする。しかし柳吉がいない。いやいや御心配なく。彼はちゃっかり現れるのである。蝶子が店に戻るとレコードがかかっている。曲に合わせて歌う柳吉の声が聞こえる。Komachi1_2 戻ったのかと思って店中を見回すが柳吉の姿はない。空耳かと思い「あほやなあては」と言った時、「ここや、ここや、英語でいうたらWCや」と言いながら何食わぬ顔で柳吉がトイレから出てくる。見事な演出だが、その後の細かい描写も見落としてはならない。トイレと知って蝶子がとっさに懐からハンカチを出す。しかし柳吉のひどい仕打ちを思い出してハンカチを渡すのを思いとどまる。柳吉は水の滴る手を前に出したままトイレからでてくる。うつむく蝶子の手から柳吉がハンカチを取って拭くと、蝶子がそのハンカチで柳吉の手を丁寧に拭いてやる。こういうさりげない描写が実にうまい。切れそうで切れない絆。決して懲りない柳吉と決して彼を見捨てない蝶子。二人の関係を表す見事な場面である。

  二人で「めおとぜんざい」を食べに行く。映画の最初の頃にも二人で「自由軒」に入りライスカレーを食べるシーンがある。蝶子にハンカチで口を拭いてもらったり、テーブルの下で足を蹴ったりさすったりののろけぶりが印象的な場面だ。二人で仲良く「めおとぜんざい」を食べるシーンは二人の将来を暗示しているのかも知れない。外に出ると雪が降っていた。どこかの店の軒下で二人はしばしたたずむ。蝶子「なあ、あんた、どないしはんねんこれから?また、バーテンしはんの?」柳吉「任せるがな、頼りにしてまっせ~。」蝶子「なあ、あんた、みんなあてが悪いねんなあ。」柳吉「そやがな。」蝶子はさめざめと泣き出す。「どないしてんな。ええがな、おばはん。二人で濡れて行こいな。」「せやな、ええ道行きや。」途中二人でお宮にお礼参りをする。「まだ頼りにしてますさかいに、あんじょう頼んまっさ~」。相変わらずのんきなことを言っている柳吉と寄り添って、蝶子は雪の舞う法善寺横町を歩いてゆく。寄り添って歩いてゆく二人だが、この先何度もまた付いたり離れたりを繰り返すだろう。しかし決して別れはしないだろう。そういう余韻を残すしっとりとした終わり方である。

  これは踏まれても蹴られてもひたすら男に尽くすだけの女を描いた映画なのか?確かに蝶子は柳吉にとことん尽くす女に見える。しかし見方を変えれば彼女が大きな子供のような柳吉を終始導き、支えていることが分かる。尽くしているのではなく、彼女が養っているのである。母のごとく包み込んでいるのである。そう、観ているうちに年下の蝶子が母親のように見えてくるのだ。うっかり手を離すとどこへ行ってしまうか分からない大きな子供のような柳吉としっかりと手綱を握っている蝶子の道行き。男なんて女に甘えて生きているに過ぎない。映画はそう言っているように思える。

<付記>
  記事を書き終えた後にある重要な論点に気づいた。筆子が兄を評した「どこに自分があるのか分からんような人」という表現、どこかで聞いたことがあると書いている時からぼんやり思っていた。記事をブログとHPにアップした後風呂に入っている時にはっと思い出した。そう「浮雲」だ。あの映画の中で富岡(森雅之)が「まったくどうにもならない魂のない人間が出来ちゃったもんさ」と自分のことを自嘲して言っている。さらに考えるとこの二つの作品は実に多くの共通点を持っている。「浮雲」は甲斐性がなくふらふらしている富岡と常に積極的に行動するゆき子(高峰秀子)とが付かず離れずの腐れ縁関係のまま、決まった目的地もなくただただ流れに任せてどこへともなく漂ってゆく映画である。しっかりした女性と甲斐性がなくいつもふらふらしている男。蝶子は芸者でゆき子はパンパンを一時していた。

  同じような男女の組み合わせなのに、一方はどこまでも堕ちてゆく悲劇であり、もう一方は堕ちそうで堕ちない喜劇である。しかもどちらも55年の作品。製作年まで一緒だ。同じような状況と組み合わせなのに、描き方によって悲劇にも喜劇にもなる。「夫婦善哉」は蝶子が自殺未遂をしたように常に悲劇になる可能性があった。今井正のオムニバス「にごりえ」の第3話で淡島千景が演じた小料理屋の酌婦お力は最後に片思いの男に無理心中させられている。彼女を引き取ってくれそうないい旦那が見つかった矢先だった。このあたりの男女の描き方はじっくりと考察するに足る論点である。いずれゆっくりと考えてみたい。

2007年3月16日 (金)

心の香り

1992年 中国 92年11月公開 Tobira_flower2_pur_1
評価:★★★★☆
監督:スン・チョウ
脚本:スン・チョウ、ミャオ・タン
撮影:ヤオ・リー
音楽:チャオ・チーピン
出演:チュウ・シュイ、フェイ・ヤン、ワン・ユイメイ
    ハー・チェリン、リー・クワンノン

 監督のスン・チョウは1954年山東省生まれ。若くして軍隊に入り、軍隊では毛沢東の絵を描く仕事についていたこともあるという。除隊後テレビ界で活躍していたが、映画監督の夢捨てがたく、「コーヒーは砂糖入りで」で初監督。以後3本の映画を監督している。僕の評価は以下の通り。

「たまゆらの女」 (2002) ★★★☆
「きれいなおかあさん」 (2001) ★★★★
「心の香り」 (1992) ★★★★☆
「コーヒーは砂糖入りで」(1988) 未見

 80年代に急激に成長し世界のトップレベルに達した中国映画は、90年代前半にも次々に傑作を生んだ。「ロアン・リンユイ」、「菊豆」、「北京好日」、「紅夢」、「乳泉村の子」、「心の香り」、「青い凧」、「さらば、わが愛 覇王別姫」、「活きる」等々。スン・チョウ監督は彼のやや上の世代、チェン・カイコーやチャン・イーモウなどの第五世代に比べると、文革にあまりとらわれていない。より現代的で一般的なテーマを扱っている。今のところ「心の香り」が最高傑作である。最初に観たのが94年8月30日。13年ぶりに観た。

 「心の香り」は全体に韓国映画の「おばあちゃんの家」のシチュエーションに似ている。おばあさんとおじいさんの違いはあるが、どちらも親が問題を抱えており、子供が夏休みの間だけ祖母/祖父に預けられる。最後に母の下に戻るのも同じだし、都会っ子が田舎に来る点も似ている。最も重要な共通点は、最初はギクシャクしていた孫と祖母/祖父がしばらくの間一緒に暮らすことによって次第に心を通わすようになってゆく点である。これが共にテーマとなっている。しかし重要な違いもある。一つは、「心の香り」の場合京劇が重要なファクターになっていること(孫と祖父の共通点)、もう一つは祖父の心の葛藤にも焦点が当てられていることである。孫だけではなく、祖父の心の変化も描かれている。

 最初に京京(フェイ・ヤン)が京劇を舞うシーンが描かれる。実際に京劇を習っている子供の中から選ばれたようなので、身のこなし、見得の切り方、あの独特の発声などなかなかのものだ。普段はメガネをかけたおとなしそうな子である。京劇は無理やり母親に習わされていることが彼自身のナレーションで語られる。彼の両親は離婚寸前である。そのため夏休みの間京劇の練習を休み、まだ会ったことのない祖父に預けられることになる。

 祖父の李漢亭(チュウ・シュイ)はかつて京劇の名優だった。今は引退し京劇同好会の顧問のような存在である。妻とも死に別れ、同じ京劇役者だった川向こうに住む蓮姑(ワン・ユイメイ)に何かと世話を焼いてもらっているが、老人で長い間1人暮らしだったためにかなり頑固で偏屈である。もっとも頑固さは昔からだったのかもしれない。娘はそんな父親を嫌い家を出て以来彼と音信不通だった。それが、上のような事情のためにいきなり京京を一時預かってほしいと一方的に送り出してきたのである。

 当然最初はギクシャクしている。李は長い間連絡もよこさなかったくせに、突然孫を送ってよこした娘の勝手さに腹を立てている。その不満は当然孫の京京にも向けられる。京京は京京で、突然田舎に放り出され、あったこともない爺さんに預けられるのだから楽しいはずはない。終始無愛想である。便利な都会から来たので、トイレ一つにも都会との違いに驚く(どうやら近所の家族が共同で使っているようだ)。トイレをあけたら近所の女の子が先に入っていた。これが珠珠(ハー・チェリン)との最初の出会いである。

 李と京京の間を取り持つ役割を果たしているのが蓮姑である。彼女の役割は非常に重要だ。頑固な李となかなか周りになじめない京京の間に入って、時には京京に人生について説き、時には李の頑固さを諌める。李と蓮姑の間には深い信頼関係があるが(ほとんど愛情に近い)、蓮姑には生き別れた夫があるため深い関係には踏み込まずに来たようだ。京京は最初の夜に二人の関係を知る。2階の床が天窓のようにガラス張りになっているので、それを通して1階の居間にいる二人を覗き見るのだ。

Biwatubakis1   蓮姑と夫は40年前に生き別れになったきりで、台湾に渡った夫は生きているか死んでいるかも分からなかった。どうやら国共内戦の時期に別れ別れになったのだろう。その夫が実は台湾で生きていたのだ。蓮姑は夜それを李に知らせに来たのである。複雑な気持ちの李は、操を通した君は立派だと慰めるが、蓮姑はさめざめと泣く。蓮姑の涙には様々な思いが込められていたのだろう。夫への思い、そして李への思い。子供の京京にはそこまで理解できなかっただろうが、結構大人びた子なので二人の老人の間に微妙な愛情関係があることは漠然と見て取ったかもしれない。

 李の居間での会話はこの後も何度も描かれる。広い部屋に家具はテーブルと椅子だけ。背景にある8角の模様の入った四角い窓が実に印象的である。このシンプルな場面構成はほとんど演劇的である。それは恐らく意図したものなのだ。実際、李が蓮姑への見栄から無理して舞台に立ち仲間に抱えられて帰ってきた夜、酔った李が京京に長々と話をするあたりは、台詞の話し方や発声、場面構成、独白の用い方などはっきり舞台劇を意識した演出になっている。一瞬舞台を見ているような錯覚に陥るほどだ。

 ではなぜ、あえて演劇的な演出を用いたのだろうか。それを考える上で「紙屋悦子の青春」との共通性を指摘しておくと分かりやすいかもしれない。李と蓮姑の関係は微妙なものであった。明らかに二人は互いに愛情を持っているが、蓮姑には生死の分からない夫がいた。だからそれまで結婚にいたるのを踏みとどまっていたのだろう。しかしちょっとした言葉やそぶりから二人の気持ちは観客にも(そして京京にも)読み取れるのだ。だが二人は一度もはっきりと互いの気持ちを表明したことはない。それは李と京京の関係の場合も同じである。二人の気持ちの触れ合いを直接言葉では表現していない。しかし観客には読み取れるのだ。「紙屋悦子の青春」同様、直接の言葉ではなく、言葉では表されていない前後関係や表情や身振りなどから察することができるような表現形式を用いているのである。考えてみれば、李と蓮姑と彼女の夫との関係は、永与と悦子、そして明石の関係にほぼ相当する。

 それがもっとも効果的に演出されているのが先ほど触れた李が仲間に抱えられて帰ってきた夜の場面である。酔った李は京京に向って独白のように述懐する。「たった一人の娘だがいないのと同じだ。ばあさんが早くに死んで娘は家を出たまま数十年。孫がこんなになるまで会わせてくれなかった。私を父親と認めるどころか芝居芸人とさげすんでいる。ただの貧乏人だと。」これは李の偽らざる気持ちだっただろう。しかしこれは誤解である。Fan3_1 もし本当に李の言うとおりだったら、どうして娘は京京に京劇を習わせたのだろうか?それも無理やり。もし本当に京劇役者を河原乞食のように思っていたのならば、息子に京劇など習わせるはずはない。京京に京劇を習わせた娘の気持ちの中には、明らかに父への思いが込められているのである。李の考えは誤解なのだ。娘には、父親に会って自分の気持ちを伝えられない何らかの理由があったのである。京京の母は最初にちょっと出てきただけである。彼女には何も語らせていない。しかし息子に京劇を習わせていたということの中に語られぬ娘の思いが「語られて」いるのである。ラスト近くで京劇を舞う京京の姿を見たとき、李は娘の真意を悟ったに違いない。京京が両親と祖父を理解することだけがこの映画のテーマなのではない。李が孫の京京や娘を理解することも重要なテーマだったのである。

 もちろん李本人はこの時にはそんなこととは気づかずにいる。娘に対する李の怒りは孫に転じた。お前はこの家を奪いたくて来たのだろうと李は京京にも憎まれ口を利く。京京は「ママが行けというから来ただけだ。パパも悪い人じゃない」と祖父に言い返し、シャワーを浴びながら泣く。さすがに言い過ぎたと反省した李は心配になってシャワー室を覗く。それまで気持ちを押し隠していた京京はこのとき初めて大声で本心を吐露する。「パパとママは離婚して僕を捨てた。僕は行くところがない。」李は一瞬はっとする。彼は何も言わず京京の体を洗ってやる。

 ここは本当に感動的な場面だ。しかし過剰な演出は一切していない。李に何も言わせず、無言のままで孫の体を拭く彼の身振りと表情ですべてを語らせている。素晴らしい演出だったと思う。「心の香り」では数少ない登場人物の心の通い合いが丁寧に描かれてゆく。それぞれの性格、それぞれの持つ心の傷や誤解、それぞれに対する思いやりなどが、単に語られた言葉だけではなく、その行間や、身振りや表情などの様々な表現手段によって描かれている。

 かなり細かい演出にもそれが表れている。李が舞台に立ったとき、見栄を張って無理をしていると蓮姑は言うが、家に戻った彼女は飾ってあった夫の写真をしまう。年寄りのくせに無理をしてと言いつつも、やはりその気持ちがうれしかったのだろう。彼女はその時彼の妻になろうと決心したのかもしれない。その後は李や京京以上に蓮姑に焦点が当てられる。敬虔な仏教徒である彼女は京京に様々な教えを語る。ここでは語られた言葉自体が重い意味を持つ。「いいかい、人生というのは大変なものなの。両親を選ぶことはできないけど、自分の道は自分で決めなさい。ここでおばさんと暮らす?」これは船着場での会話である。戸外の画面も増えてくる。京京は一緒に暮らすとははっきり答えない。どこか憂いを抱えている。李もどう対処すればいいのか分からない。「何にせよ心の支えは必要だ。やはり家庭が一番なのだが。」

  そんな鬱々としている京京が明るい表情を浮かべる場面がある。竜船のレースを見たときだ。最初は1人うつむいて河原にうずくまるように座っていたが、叫びながら走ってゆく子供たちにつられてレースを見る。京京はいつの間にか叫びながら応援していた。シャワーを浴びながら泣いた日以来、初めて彼は明るい表情を見せた。すっかり蓮姑になついた京京だが、そのままストレートには話は展開しない。京京はうっかりして蓮姑が大事にしていた仏像を落として割ってしまったりする。落ち込んでいる京京を李が抱き上げて二階に上がるシーンも印象的だ。「今抱かないとそのうち抱かれる番だ。」一見淡々とした展開に見えるのだが、「紙屋悦子の青春」同様、実際はいくつも波があり、感情の嵐が吹き抜けている。

  「心の香り」はまた近所の女の子珠珠を登場させ、さらに話にメリハリをつける工夫をしている。もっとも印象的なのはやはり李が舞台に立った日の昼間の場面である。李が外出しているため京京は家に閉じ込められている。入り口の格子のドアを挟んで珠珠と話をする。珠珠は逆に父親に家から締め出されてしまっている。締め出された珠珠と閉じ込められた京京が格子のドアを挟んで対話をしているのである。実に面白いシチュエーションだ。間のドアは格子になっているので抜け出すことは出来ないが、手を通すことはできる。京京は珠珠に化粧をしてあげるといって珠珠の顔に京劇のくま取りを描く。不気味な顔になった珠珠はうれしそうにバレエを踊りだす。近所の人が集まってくる。そのうち父親が現れて、ひどいいたずらだと怒り出す。幸い閉じ込められていたお陰で京京はたたかれずに済んだ。全体に重苦しいトーンの映画だが、珠珠との場面には子供らしい明るさが描かれていて、いいアクセントになっている。京京がナレーションで「僕は珠珠が好きだ」と言っているのもほほえましい。

  可愛い珠珠と一緒にいるせいか、京京には妙に大人びて生意気なところもある。彼は京劇ができるが、知られると練習しろと言われるので黙っていてほしいと珠珠に言っている。おじいさんが蓮姑と結婚すると珠珠に言われたときの会話も生意気で面白い。京京「どうせ離婚するのに。」珠珠「分かるの?」京京「分かるさ。結婚から離婚は必然法則だ。」変に大人びているので滑稽な会話なのだが、子供のうちからそんな考えを持ってしまっていることには当時離婚が社会問題になっていた中国の現状が反映されていて苦い後味も残る。

  「紙屋悦子の青春」同様、「心の香り」も最後のあたりに大きな波が二つある。一つは蓮姑の死。蓮姑の夫は死ぬ前に中国をもう一度見に来るはずだったが、直前に亡くなった。ショックで蓮姑は寝込み、まもなく彼女も亡くなったのだ。彼女は亡くなる前の晩成仏できるよう供養してほしい(「超度」という表現を使っている)と京京に伝え、さらに「京京、両親のいいところを探すのよ。誰だって運命には逆らえないのだから」と言い残す。

  最後の言葉は京京にあてられたものだが、同時に李の課題でもあった。彼も娘と娘婿を見直すことが必要だったのである。蓮姑は李にも「つまらない一生だったわ。お金もなく、地位や名声にも無縁だった。でも人の情けに恵まれただけで満足よ。これ以上の望みはないはず。なのに、なぜか心が寂しいの。ごめんなさい」と言い残す。満足な人生だったのに、どこか「心が寂しい」。それは李と結婚できなかった悔いを語っているのかもしれない。

  最後の波は言うまでもなく京京が自ら禁を破って京劇を舞う場面。李は蓮姑の死後食事Isu4_2 ものどを通らず、寝込んでいた。しかしある時意を決したように家宝の胡弓を持ち出し人に売ろうとした。蓮姑と彼女の夫の供養をする金が必要だったのだ。見かねた京京が京劇を舞ってカンパをつのったのである。声につられて表に出た李は京劇を舞っている孫の姿を見て驚く。画面は普段着で踊っている実際の場面と、京劇の衣装を着けて京京が踊っている映像が交互に描かれる。李の目には舞台の上で京劇の衣装を着けて踊っている京京の姿が見えていたのだ。見事なシーンだった。京劇が重要なテーマではあったが、映画はそれをふんだんに映し出すことはしなかった。最初とこの場面だけである。京劇そのものをたっぷり描いて観客を楽しませようという映画ではない。京劇の名優だった李と、父に反発しながらもその父の意思を息子に継がせようとした彼の娘の思いが最後に重なるまでのドラマを描きたかったのである。この場面を観て李と京京の心のつながりだけを理解したのでは不十分である。その間に京京の母がいたからこそこの二人は京劇でつながることができたのである。

  ラストも素晴らしい。京京は母のもとに帰ることになった。李は蓮姑の形見(マスコットの仏像)を京京に手渡す。「私からは何も上げられん、役者人生だったから」と彼は言うが、京京は充分彼から愛情を受け取っていたはずだ。京京が去った後、李は1人「この無念 いつの日か雲に乗り飛び行かん」と口ずさむ。その声が京京に聞こえたはずはない。しかし京京は最後に振り返り「雲よ、湧け」と京劇の口調で叫ぶ。別れ別れになりはしたが、二人の思いはつながった。

  別れる前に李は京京に「両親を選ぶことはできないけど、自分の道は自分で決めなさい」という蓮姑の言葉を繰り返した。恐らくその時既に京京は自分の目標を見出していた。京劇という目標を。母親に無理やりやらされるのではなく、自分から進んで京劇を舞った。彼がその後京劇役者の道を進むかどうかは分からない。しかし少なくとも、あの時彼は自分で舞うことを選んだのだ。京京は思いを振り切るように走り去ったが、彼の顔は明るかった。

 舞台は広州である。町の中を大きな川が流れ、牛がゆったりと草を食んでいる。のどかな風景もまた魅力だった。最後にチュウ・シュイ(朱旭)に触れておこう。中国を代表する名優で、人間国宝である。舞台で輝かしい功績を残してきた。映画は10本ほどしか出演作はない。「心の香り」以外では「變臉/この櫂に手をそえて」と「こころの湯」を観たが、どちらもいい映画だが傑作というほどではない。どうも映画では出演作に恵まれていない。むしろ彼の名演が目に焼きついているのはNHKのドラマ「大地の子」である。陸一心の育ての親を演じ、世の中にはこんな名優がいたのかと心底驚嘆したものだ(「心の香り」を先に観ていたはずだが、同じ俳優だと当時は気づかなかった)。僕は滅多にテレビ・ドラマを観ないが「大地の子」は夢中になって観た。この名作ドラマを支えていたのはチュウ・シュイだったといっても過言ではない。

2007年3月14日 (水)

喫茶「すみれ屋」へ行く

  昼間用事のついでに「すみれ屋」に行ってきた。小諸市と菅平を結ぶ真田東部線(4号線)沿いにある。地名でいうと東御市和(かのう)。丘の上にあるのでとても眺めのいい喫茶店だ。店のすぐ下を高速道路(上信越自動車道)が走っているのが玉に瑕。だが気になるほどではない。丘の上にぽつんと建っているが、大きな看板がないのでスピードを出していると見落とすかも。

  店の横の駐車場から入り口と下の眺めを撮る。まだ店の中で写真を撮らせてもらう勇気070314 はない(汗)。結構小心者のゴブリンです。中に入るとすぐ左手にギャラリーがある。いつも何か展示している。今日は女性用のアクセサリーを展示していた。右手が喫茶室。テーブルは3つか4つ、それにカウンター席というこじんまりした広さ。明るい色の内装の上に、窓を大きくとってあるのでとても明るい。席から外の眺めを見渡せる。コーヒーを頼み、外を眺めたり本を読んだりしてしばしゆったりと過ごした。

  やはり丘の上は眺めがいい。自宅は平地にあるので周囲の家に囲まれてほとんど山が見えない。丘の上の家にあこがれる。窓側が斜面なら他の家や人の目が気にならない。「すみれ屋」の窓から外を眺めながら、つくづくこういう家がほしいと思う。こんな部屋にパソコンがあれば、ちょっと疲れた時に外を眺めて目を休められる。遠くを眺めるのは気持ちがいいし、目にもいいだろう。ちょっとテーブルの配置なども考えたりした(実現性はゼロだが)。

  女性客が多いのだろう。インテリアや飾ってある絵などは女性向きだ。あまりこてこてにやられると鼻につくが、目の邪魔になるほどではないのでいい。落ち着いた雰囲気である。絵は店の雰囲気に合っている。欲しいと思う絵もあった。HP「すみれ屋の四季」とブログ「すみれのつぶやき」も参照してください。

  大好きだったテレビ番組に「出没、アド街ック天国」という番組がある。去年あたりから番070314_1 組表から消えてしまったのだが、番組のホームページを見ると関東ではまだやっているようだ。もう東京を離れて19年になるが、この番組を見て東京を懐かしんでいた。東京の諸地域や時には地方都市を毎回取り上げ、その地域のシンボル的名所、その地域を代表する名店などのベスト30を紹介してゆき、最後に番組がその地域のコマーシャルを作るという番組である。これが観ていて楽しい。愛川欣也と大江麻理子(初代は八塩圭子)の司会コンビ、コメンテイターの山田五郎(初代は泉麻人)、レギュラー・メンバーの薬丸裕英、峰竜太、毎回変わるその地域ゆかりのゲストたちの間の爆笑トークがまた魅力。大好きな番組で、毎回録画していた番組はこれだけだったのに、去年(一昨年?)の春の番組改変期から長野では観られなくなってしまった。

  この番組に触発されて「上田のベスト30」を作ってみようかと何度か考えたことがある。上田城址公園、無言館、別所温泉等々。どうもいまひとつなのでやめてしまった。しかし「上田とその周辺の喫茶店ベスト10」なんかは面白いかもしれない。ちょっとやってみよう。順位は関係なく挙げてみる。

■■上田とその周辺の喫茶店 マイ・ベスト10■■

「月のテーブル」
  上田市仁古田、農家を改造した風格のある店。
「風乃坂道」
  別所温泉駅の近く、常楽寺の坂道下にある店。特にベランダの席がお気に入り。
「珈琲哲学 上田店」
  芳田のショッピングモール内にある。凝った造りとインテリアが好きだ。
「茶房パニ」
  「独鈷温泉」からさらに上がった山の上にある。ここもベランダの席がお気に入り。
「カフェ・ミント」
  上田駅前の松尾町「真田坂キネマギャラリー幻灯舎」内にある。上田フィルムコミッションのサテライト店なので、ロケ関係の写真や小道具などが展示されている。
「茶房 読書の森」
  小諸市御牧ヶ原の山の中にある。道が分かりにくいが、それも隠れ家的でいいかも。イラストレーター山口マオさんの作品が多数置かれている。
「カンパアニュ」
  ログハウスの素敵な店。おいしいパンと食事も楽しめる。最近行ってないな。禁煙だからか。
「梅野記念絵画館の喫茶コーナー」
  東御市の芸術むら公園内にある。喫茶コーナーは全面ガラス張りなので、真下の明神池や遠くの浅間山などが見渡せる。眺めは最高。
「アトリエ・ド・フロマージュのティールーム」
  東御市新張(みはり)にある有名なレストランの別棟がティールームになっている。ここも窓が大きいので眺めがいい。
「すみれ屋」
 上記参照。

  他にも気になりながらまだ行っていない店がいくつかある。おまけにベストテン圏外の店をもう3店あげておこう。
「森文」
  柳町にある和風の店。
「デリカフェ」
  上田市の中心部海野町にあるカフェ。
「ヴィエント」
  青木村沓掛にある「リフレッシュパークあおき」のすぐ下にある。ここもベランダが気持ちいい。

<ブログ内関連記事>
喫茶店考
茶房「読書の森」へ行く
パニのベランダで伊丹十三を読みながら
浅間サンライン

2007年3月11日 (日)

冬を見てきた

  「かぐら」でいつもの肉南蛮うどんを食べる。長野県はそばが有名だが、僕は昔からそば070311 よりうどんが好きだ。「かぐら」は昔神楽殿だった建物に使われていた木材を譲り受け、蕎麦屋に改築した店。天井を見ると何本も太い梁が通っている。濃いこげ茶色に塗られていて、何とも落ち着く雰囲気だ。和風のインテリアも建物の雰囲気に合っていて和める。ここで売っているそば茶のティーバッグもうまい。なくなるとここで食事をしたついでに買い足してくる。

  店を出る。いい天気だ。陽気に誘われるようにまたミニ・ドライブに出かける。いつものように行く当てはない。今日は丸子を抜けて武石(たけし)へ行ってみた。以前は武石村という独立した自治体だったが、今は合併で上田市の一部になっている。今の上田市は菅平から美ヶ原までを含むとんでもなく広い面積になっている。

070311_2   まだ3月だというのに日差しが強烈だ。車の暖房は止めてあるが、差し込む日差しで暑いくらいだ。武石沖の交差点で右折。62号線に入る。比較的広い道で交通量も少ないので気持ちよく走れる。車の中で流しているMDはCoccoの「サングローズ」。これはなかなかの傑作だ。声はそれほど独特ではないが、何と行っても曲が良い。他に「クムイウタ」と2枚組み「ベスト」をCDで持っている。

  途中右側に日帰り温泉施設「うつくしの湯」がある。今日はそこを素通り。さらに道をまっすぐ進む。かなり先に行くと左側に美ヶ原に行く道がある。前にここまできたことはある。左折せずにさらにまっすぐ行ってみた。しばらく進むと山の木がどうも白っぽく見えてくる。さっきまでとは違い全体に色が少しかすんで見える。変だなと思っていたら、すぐその理由が分かった。雪だ。何とその先は雪が積もっている。先へ行くほど雪が厚く積もっている。武石のこんな奥まで来たのは初めてだが、何とここにはまだ冬があった。今年は記録的な暖冬で、もう春が来たと思っていたのに。右側に車を停めるスペースがあったので、そこに車を乗り入れて写真を撮ることにした。

  車が先に1台止まっていた。誰も乗っていない。足跡が下の川のほうに続いているの070311_5 で、川で釣りでもしているのだろう。車を停めたところは10センチ近く雪が積もっている。あっという間に靴は雪まみれだ。丁度ダムのすぐ下あたりで、遠くにダムが見える。川を中心に何枚か写真を撮った。雪はつい最近降ったものだろう。風が吹くと雪の粉が飛ばされてちょっとした吹雪のようになる。

  ダムを上から見たくてさらに上まで上がってみた。そこから先の道は除雪されていない。雪は凍結しているようだ。真冬の山道を行く感じ。「チェーンつ070311_6けろ」の看板が何枚もあるが無視。今年買ったばかりのスタッドレスとインプレッサの足回りのよさで何の不安も感じない。ぐいぐい坂を上がる。右下にダム湖が見える。かなり小さいもので、上には真っ白に雪が積もっている。ダム湖は凍結しているのだろう。車を停める ところがないので仕方なくどんどん上がる。このまままっすぐ行けば松本に出てしまう。そこまで行く気はないので途中やや道が広くなったところでUターンした。帰りはどこにも停まらずにまっすぐ戻る。それにしても、数キロ進む間に季節が冬から春に変わって行く。スキー場に行くときも似たような感覚はあるが、本当に雪がなくなった途端にそこは春なのだ。これほど短時間で、劇的な変化は初めての経験。今年のような暖冬の年だけ経験できるものなのだろうか。実に面白い経験だった。

*  *  *  *

  この間映画は台湾映画「深海」と有名なフィルム・ノワール「キッスで殺せ」を観た。「深海」はあまり面白くなかった。ヒロインは美人だが、どうも彼女に共感できない。彼女の行動が理解できない。最後は姉と何とかうまくやってゆけそうでほっとするが、遅すぎた。

  「キッスで殺せ」は都内某所で開かれたフィルム・ノワール上映会で観た。朝の10時から「ローラ殺人事件」、「拳銃魔」、「キッスで殺せ」、日本映画「悪の階段」の4本が上映された。その日上田から行ったので「拳銃魔」の途中から観た。最後の「悪の階段」は時間の関係で半分しか観られなかったので、結局通して全部観たのは「キッスで殺せ」だけ。うう~残念。「キッスで殺せ」は映像が凝っていてなかなか面白かった。DVDを持っているので、機会があればいずれレビューを書いてみたい。鈴木英夫監督「悪の階段」(65)も途中までだがかなり面白かった。出演は山崎努、西村晃、加藤大介、団令子。最近鈴木英夫監督は注目されていて、あちこちで特集上映会が開かれているようだ。今のところカルト映画扱いのようだが、なかなか興味を引かれる。いつかDVDを出してほしい。

  「深海」★★★☆
  「キッスで殺せ」★★★★

  「紙屋悦子の青春」と「トンマッコルへようこそ」はまた長編レビューになってしまった。パソコンをにらみすぎて目が真っ赤になっていた。目がしょぼしょぼするのでぐりぐりこすっていたら、毛細血管が切れていたようだ。反省。

  今日こそ手持ちのDVDを観よう。さて、何にするか。中国映画「心の香り」これは当確。もう1本は日本映画がいいな。ブログの「名作の森(日本映画)」のコーナーが手薄なので少し観だめしておかねば。「夫婦善哉」か「貸間あり」あたりにしようか。

2007年3月 9日 (金)

トンマッコルへようこそ

2005年 韓国 2006年10月公開
評価:★★★★☆
監督:パク・クァンヒョン
脚本:チャン・ジェン、 パク・クァンヒョン、キム・ジュン
撮影:チェ・サンホ
出演:チョン・ジェヨン、シン・ハギュン 、カン・ヘジョン、イム・ハリョン
   ソ・ジェギョン、リュ・ドグァン、スティーヴ・タシュラー
   チョン・ジェジン、イ・ヨンイ、パク・ナムヒ、チョ・ドギョン

  ノーマン・メイラーの『裸者と死者』は硫黄島をモデルとしたと思わしきアノポペイ島に上陸Yama2_1 したアメリカ軍の偵察小隊を描いた小説である。その中で非常に印象深い場面が3つある。一つは日本兵をクロフト軍曹が銃で撃ち殺すぞっとするような場面。3人の日本兵を発見したクロフトたちは手榴弾で彼らを倒す。しかし1人だけ生き残っていた者がいる。捕らえられたその日本兵が持っていた家族写真を見て、部下のギャラガーが自分にも子供がもうすぐ生まれることを思い出したその瞬間、クロフトがその捕虜を撃つ。ギャラガーは偏見に満ちた男だが、この日本兵の死に衝撃を受ける。

  もう一つは夜1人で偵察に出たマーチネズがやむをえない事情で日本兵を殺す場面。彼は気づかぬうちに日本兵の野営地の中に出てしまい、目の前の歩哨を殺さねば脱出できない羽目になった。だが彼は一瞬ためらう。そこにいたのはほとんど少年のような若者だった。マーチネズはその少年兵のちょっとしたしぐさに微笑をこぼしたりもする。しかし彼を殺さなければ、自分が殺される。ふと人間的なものを感じたまさにその時に、彼は非人間的な解決を迫られたのである。彼は意を決してその少年兵を殺すが、長い間彼は人間一人を殺したという罪の意識に苦しめられる。この場面は先のクロフトが捕虜を撃ち殺した場面をさらに突き詰めている。もしクロフトが自分で撃たず、ギャラガーに撃つことを命令したらどうだったか。マーチネズが追い込まれた状況はまさにそのような状況だった。

  この小説にはカミングス将軍というファシストのような男が登場する。リベラル派のハーン少尉とカミングスの対話部分が戦場の兵士たちと交互に描かれる構成になっている。このカミングスの理論には先に描かれたような日本兵の顔はない(もちろんアメリカ兵の顔も)。将軍の理論上の兵士たちは顔を持たない、集団の中の一分子に過ぎない。兵士一人ひとりの人格は考慮に値しないと彼は言い切っている。

  三つ目のエピソードはまさにこの「兵士の顔」が主題である。偵察小隊の中でもっとも人間的であったレッドがある日本兵の死体を見て感慨にふける場面は、この分厚い小説のもっとも重要な場面のひとつである。

  彼はほとんど裸の状態であおむけに横たわっている死体を見ていた。それは感銘を与える死体であった。なぜなら体には傷一つなく・・・死体の口元からは、そこにあったに違いない苦痛の表情を容易に想像することができた。だがその死体には頭部がなかった。・・・その男にも幼年時代、少年時代、青年時代があったのだ。そして夢も思い出もあったのだ。・・・

  この長い考察の一部しか引用できないのが残念だ。頭部のない死体は象徴的である。死体に頭部がないからこそかえってその人間の顔を想像させられる。同時に、頭部がないからこそ彼はすべての戦死者を代表しているのである。兵士の顔、それは人格を表している。アメリカ映画にはばたばたと敵を機関銃で打ち倒す場面がやたらと出てくるが、一旦相手の顔を見て相手を人間として認識してしまったならば、そう簡単には人を撃てるものではない。

3117a_1   アメリカの傑作TVドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」のウィンタース中尉も戦闘中に1人のドイツ兵を撃ち殺した時、一瞬その青年の顔を見てしまった。その青年の顔は何度も彼の記憶の中に浮かび上がり、それ以後彼は銃を撃てなくなってしまった。「ジャーヘッド」などの戦争映画でたびたび新米兵士の過酷な訓練が描かれる。殺す機械に新兵を変えるための洗礼である。逆に言うと、そこまで追い詰めなければ人間は簡単に人を殺せないのである。

  戦争を批判する映画にはなぜ敵同士が身近に接する(つまり互いに相手の顔が見える)シチュエーションが何度も繰り返し描かれるのか、以上の説明である程度理解できるだろう。「ノー・マンズ・ランド」、「JSA」、「ククーシュカ ラップランドの妖精」、そして「トンマッコルへようこそ」等々、いずれも敵同士であったものがたまたま偶然によって同じ場所に閉じ込められてしまうのだ。身近に接した敵は決して憎むべき冷酷な人間ではなかった。 だが、戦争の悲惨さに底はない。顔見知り同士が争う戦争もあるのだ。例えば、国と国の戦いではなく内戦の場合だ。その時戦争はもっとも非人間的で忌まわしい様相を呈する。この点を「ビューティフル・ピープル」のレビューで短く考察したことがあるので、これも引用しておこう。

  アメリカの戦争映画に出てくるドイツ兵には顔がない。ただ銃弾や砲弾を受けてばたばたと倒れるだけである。たとえ戦闘後に倒れているドイツ兵の顔を身近に見たとしても、そこに何の感慨も沸かない。彼らは単に「敵」という文字で一括りにできてしまうからだ。顔がないというのはそういう意味である。これがボスニアだったらどうか。あちこちに倒れている「敵」の死体の顔をのぞいたら、隣の雑貨屋の親父さんだったり、いつもパンを買いに行く店の長男だったり、前を通るといつも声をかけてくれた花屋の若奥さんだったりするかもしれない。だからやりきれないのだ。・・・
  どんな戦争でも悲惨でないものはない。隣人だったものが互いに争うというのは第二次大戦末期のトスカーナ地方を舞台にした「サン★ロレンツォの夜」にも出てくる。「ブコバルに手紙は届かない」の主人公であるセルビア人トーマの妻、クロアチア人のアナを戦時の混乱の最中にレイプしていったのは同じクロアチア人だった。

  今のイラクだって同じことだ。「ホテル・ルワンダ」でもちょっと前まで近所付き合いしていた人たちが殺しあっていた。自分で書いていて気が滅入ってくる。戦争とはそういうものなのだ。この現実から目を離さずに、かつその現実を乗り越える「希望」を描くにはどうすればいいのか。よく使われるのは新しい生命の誕生を希望の象徴として描く方法だ。チェコ映画の名作「この素晴らしき世界」ではラストでマリエが赤ん坊を産む。マリエはマリアのチェコ語読みであり、そこには聖母マリアのイメージが重ね合わされている。「ククーシュカ ラップランドの妖精」では大地の母を思わせるククーシュカを登場させる。彼女はたまたま一緒に暮らすようになった二人の兵士を大地のように包み込み、それぞれの子供を産む。「ライフ・イズ・ミラクル」や「ビューティフル・ピープル」では笑いを導入した。戦争を笑い飛ばした。「ライフ・イズ・ミラクル」のシュールな笑いはフィリップ・ド・ブロカの「まぼろしの市街戦」にも通ずる。「まぼろしの市街戦」は狂気と正気を逆転して見せた(狂人たちよりも戦争の方がよほど狂気だ)。主人公は最後に自ら進んで精神病院の門をくぐる。「ジョニーは戦場へ行った」では上の引用と逆に頭と胴体だけ残り、両手足ばかりか顔すら失った兵士を描いている。この絶望的状況で、看護婦がジョニーの腹に指で「メリー・クリスマス」と1文字ずつつづり、それがジョニーに伝わるシーンの感動は他に類例がないほど深かった。

  「トンマッコルへようこそ」が試みたのは架空の理想郷を作り、兵士たちをその中に投げ込んで敵対意識を消し去るというファンタジーないし寓話的方法である。「ククーシュカ」に近い設定だが、「ククーシュカ」のようにファンタジーで一貫させはしなかった。ラストには史Artspring250w_1 上まれに見るほどリアルな戦闘場面が用意されている。これは単にファンタジーの弱さをリアリズムで補ったというだけではないだろう。「長雨」、「シュリ」、「JSA」、「シルミド」「二重スパイ」等々、韓国映画は「民族統一」という悲願を繰り返し描いてきた(「シルミド」では兵士たちが北の革命歌を歌う場面が出てくる)。「トンマッコルへようこそ」は、実態は多国籍軍だが「連合軍」と呼ばれていたアメリカ軍に立ち向かう「真の」連合軍を描きたかったのであろう。人民軍の若い兵士ソ・テッキ(リュ・ドグァン)のせりふ、「ところで俺たちも連合軍ですか?南北連合軍じゃありませんか?そうですよね」が映画全体のテーマを示している。南北連合軍対アメリカ。単なる戦争否定、平和の強調ではなく、民族統一を阻害している最大の要因はアメリカであるという主張が代わりに見えてくる。トンマッコルは韓国軍も人民軍も、あるいはアメリカ人も個人レベルなら、受け入れ包み込む力はあるが、アメリカ軍まで取り込み受け入れる力はない。アメリカ軍だけがよそ者であり、闖入者である。「グエムル 漢江の怪物」同様、アメリカ批判が鮮明である。言うまでもなく、これは朝鮮戦争当時の考え方ではなく、明らかに現在の認識が反映されている。

  武器の扱い方にそれが象徴的に現われている。争いのないトンマッコルの人たちは村に入り込んできた南北双方の兵士たちの武器に全く無頓着である。兵士たちの銃やヘルメットは、村人の目には「頭には洗面器をかぶって長い棒を持ってる」ことになってしまう。手榴弾すら「あれは石か?」、「鉄の塊みたいだ」で片付けられ、誰も恐がる様子もない。双方の兵士たちが銃や手榴弾を持ってにらみ合っていても、村人たちはイノシシがハチミツを荒らしていることを心配している始末。村長の母親などは何事もなかったかのように平気でトイレに行ってしまう。両手を挙げながら、なぜそうしているのか分からない。分かっているのは村の先生(チョ・ドギョン)だけ。そのうち雨が降りだし、村人はみんな家の中に避難。北と南の兵隊たちだけがにらみ合うのを家の中から不思議そうに眺めている。

  結局双方発砲することもなくその場は無事に収まる。ただ、無垢な村の少女ヨイル(カン・ヘジョン)が指輪だと思って手榴弾のピンを抜いてしまい、村の食料庫が吹き飛んでしまうというハプニングはあったが。いずれにせよ、武器で誰も傷ついていない点が重要だ。武器が本来の戦闘手段として使われるのはアメリカ軍が侵入してからである。

  手榴弾が爆発する場面はいろんな意味で興味深い。地面に転がった手榴弾の上に人民軍のリ・スファ少尉(チョン・ジェヨン)が身を被せ、村人をかばおうとする。手榴弾は不発で彼は助かる。韓国軍ではなく人民軍の軍人が村人を助けようとする描き方になっている。こういう描き方に韓国内で批判も出たようだが、北への対立意識よりも北の軍人を人間的に描くことに力を入れている。対立よりも統一をというメッセージである(今の北側にどれだけ通じるのか疑問ではあるが)。もう一つは不発弾だと思ってぽんと放り投げた手榴弾が爆発して食料庫を吹き飛ばした時、中のとうもろこしがはじけてポップコーンになり雨のように降り注ぐシーン。緊張した場面が突然幻想的で美しいシーンに一変してしまう。「ライフ・イズ・ミラクル」並みにシュールでファンタスティックなシーンだった。こういう切り替えがなかなかうまい。

  「トンマッコル」とは「子どものように純粋」という意味だと映画の中で説明されている。山奥にある桃源郷のような場所。韓国のシャングリラ。ますむらひろしの「アタゴオル」同様、「力ではたどりつくことができない世界」トンマッコル。この映画にはユートピア映画の面もあるのだ。「トンマッコル」は西洋型の管理が行き届いたユートピア社会ではなく、「自然の中の夢幻郷」という東洋型ユートピアである。ユートピア物はこれまで数多く描かれてきたが、その狙いは「理想」と照らし合わせて現実を批判することである。韓国軍の兵士から今戦争中だと聞かされ、攻めてきたのは日本か中国かと村人が聞き返す場面がある。どうやらだいぶ前に時間が止まっているようだ。同じ国が二つに分かれて争っていることなど想像もできない村民。そう描くことで争う二つの陣営に対する暗黙の批判が込められている。

  「ククーシュカ」では軍服を着た二人の男はアンニの家に「戦争と死の匂い」を持ち込んSdlorien01 だ。その点は「トンマッコル」も同様。アンニの持つ不思議な浄化作用によって男たちから死の臭いが消されてゆくように、「トンマッコル」も同様の浄化作用を持つ。南北米の6人の男たちは軍服を脱ぎ捨て、村人たちと同じ服を着て農作業を手伝う。どちらの映画でも「軍服を脱ぐ」ことが象徴的な意味を持たされている。畑仕事、アメフト、イノシシ狩り、草ソリ遊び、互いに肩を並べ協力して力を合わせることを通じて、6人のよそ者たちは村の生活に溶けこんでゆき、同時に互いに親密になってゆく。倒したイノシシの肉を南北米の男たちが輪を作って一緒に食べているシーンがその象徴である。

  人民軍のリ・スファ少尉が村長に質問する場面がある。「あなたは怒鳴ることもなく村人をうまく統制している。その偉大な指導力の秘訣は何ですか?」村長の答えは簡潔だった。「たくさん食わせること。」食べるものさえあれば人々は平和に楽しく暮らせる、そういうメッセージだ。同時に、北朝鮮の食糧難や人心を掌握できず、強圧的に押さえつけている現状を皮肉っているのかもしれない。最初に戦争を仕掛けたのは北側だということを知って人民軍兵士が驚く場面も同様である。

  ある種の「癒し」の力を持つトンマッコルではあるが、誰でも村に入れるわけではない。南北2人の将校がそれぞれに個人的悩みを持っているという描き方になっている。決して敵を殺す殺人機械ではない。だから受け入れられ、また溶け込めたのである。人民軍のリ・スファ少尉は足手まといになる負傷した部下を置き去りにはできなかった。軍人として決断力がないと部下から批判されていた。しかし韓国軍のピョ少尉の悩みはさらに深い。どうやら彼は脱走兵である。敵の戦車が来る前に橋を爆破しろとの上官の命令に従わなかったのである。橋の向こうには避難民がまだたくさん残っていたのだ。1950年6月28日にソウルが陥落した際の史実を基にしている。漢江にかかる橋が爆破されたために多数の軍部隊や住民が取り残されたのである。爆破命令を受けたときの彼の悩みはソ連映画の名作「道中の点検」に描かれたケースと全く同じだった(橋を爆破しようとした丁度その時、橋の真下をソ連軍の捕虜を乗せたはしけが通っていた、爆破すべきか否か)。一番最後まで彼が打ち解けなかったのはそういう理由があったからである。

  しかしトンマッコルは危機にさらされていた。たまたまトンマッコルの近くでスミスの乗った米軍機が墜落したため、米軍はその近くに敵がいると誤認してしまった(スミスの前にも輸送機が墜落している)。米軍は村に落下傘部隊を送り込み、さらに村を集中爆撃する決定を下した。民間人に同情する余裕はないと主張する米軍高官には、『裸者と死者』のカミングスに通じるものがある。村に侵入したアメリカ軍の傍若無人ぶり、その非道なやり方には怒りがこみ上げてきた。だが、どんなに脅されても村人たちは南北の兵士たちを売らなかった。リ・スファの発音が南と違うと疑われた時には、彼にひそかに好意を寄せていた一人の母親が「この子の父親です!」と声をあげてかばった。リ・スファたちは力を合わせて米兵たちを倒し、一人を生け捕り(韓国人2世らしい)にするが、そのドサクサでヨイルが撃たれてしまう。

  彼女の死は理想郷トンマッコルが危機に瀕していることの暗示だろう。外の世界がどかどかと踏み込んできたらひとたまりもなく蹴散らされてしまう。争いがなく、自給自足の生活、住民たちの底抜けな善良さや素朴さ、ヨイルがいじめられもせず、仲間はずれにもされない村、花咲く草原がひろがり蝶が舞う牧歌的集落。村の入り口には「千と千尋の神隠し」のトンネルの前にあったのとそっくりな石像がある。知的障害のあるヨイルはそんな浮世離れした村の象徴的存在だった。現実社会の「汚濁」を何も知らないが故の天真爛漫さ。村そのものがそういう存在だった。はしのえみ似のカン・ヘジョンはそのイメージにぴったりだった。

  この村を守るために6人の男たちは“おとり作戦”に打って出る。トンマッコルを一歩出たら、そこには冷酷な現実世界が待っている。63年製作の「帰らざる海兵」でもおとりにされた部隊がほぼ全滅するすさまじい戦闘が描かれていたが、「トンマッコル」では事情を説明するために米軍本部に向うスミスを除く5人は自らの意思で死地に赴いた。ここからの戦闘場面はすさまじいものだった。韓国の戦争映画は日本映画など比べ物にならないくらいリアルである。本物の武器や戦車や軍艦が使えるかどうかで戦争映画のリアリティは天と地ほども違ってくる。

  「最後の」戦闘を前にして2人の少尉が夕暮れの丘で語り合う場面が実に印象的だ。ピョ「なぜ俺に指揮を執らせたんだ?」リ・スファ「俺は先頭に立つ器じゃない。中隊長の俺は部隊員を失ったのに一人生き残って逃げてきた。お前は立派な指揮官だ。」ピョ「そう見えるか、よかった。」なかなか心を開かなかったピョはこのとき初めてリ・スファと心を通わせた。墜落した輸送機から運び出したありったけの武器を使って、彼らは米軍の爆撃部隊に立ち向かう。最初は戦闘機が襲い掛かってきた。戦闘機を打ち落とす一番効果的な方法は真正面から機関銃を打ち込むことである。当然敵の機関銃の標的にもなる。互いに激しく撃ち合い何機か撃墜するが、こちらも死者が出る。バズーカ砲も一発当たった。

  しかし狙いの付けられない高度から爆弾を落としてくる爆撃機にはどうすることもできなS_illusion5_4b い。スローモーションで爆弾の雨が降ってくる。爆弾の炸裂が遠くから次第にこちらに向って近づいてくる。画面の手前には生き残った3人がそれを眺めながら立っている。このぞっとする場面は戦争映画史上屈指の名場面である。既に死を覚悟していた3人は互いを見て笑い合う。爆弾はやがて彼らの上に降ってきた。次の場面では生き残ったスミスが泣いている。その次に雪に埋もれた爆撃現場が映される。雪からわずかに顔を出しているヘルメットや機関銃の上を蝶が舞う。蝶のイメージは常にヨイルと結びついている。だから最後の幻想シーンにもヨイルが登場するのだ。5人が寝泊りしていた部屋にヨイルがやってきて北の一番若い兵士ソ・テッキの頭に花を挿すのである。そしてスミスが撮ったフィルムが最後に短く流される。

  人民軍のソ・テッキが俺たちこそ真の連合軍だろと聞いたとき、韓国軍のピョ少尉は「その通りだ。ここじゃなく、別のところで出会ってたら楽しかったろうな。そうだろ」と答えた。「ここ」とはトンマッコルではなく「戦場」を指すのだろう。彼らが敵味方ではなく同じ国民として出会う日。その日はいつ来るのか?われわれはいかにして逃げ水のようなトンマッコルに到達できるのか?思うに、トンマッコルはどこかに存在しているのではない。われわれが作ってゆかなければならないのである。死んだ5人が守ろうとしたのは一つの村ではない。同じ民族が北と南に分かれることなく暮らせる社会だった。雪の下に埋まる彼らには確かに顔があった。  

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2007年3月 5日 (月)

紙屋悦子の青春

2006年 日本 2006年8月公開
評価:★★★★☆
監督:黒木和雄
原作:松田正隆
脚本:黒木和雄、山田英樹
製作:川城和実、松原守道、亀山慶二、多井久晃、鈴木ワタル
プロデューサー:河野聡、内藤和也、杉山登、大橋孝史、磯田修一
音楽:松村禎三
美術監督:木村威夫
撮影:川上皓市
出演:原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、本上まなみ、小林薫

  このレビューがずいぶんと長いものになってしまったことを最初にお断りしておかねばなHanabi3_1 りません。この作品は、小津安二郎の作品同様、要約してしまったのではその素晴らしさが伝わらないからです。場面ごとにつぶさに、事細かに見ていかなければ、その作品世界が解明できない。そういう作品だと思うのです。一見何でもないような会話に、どれほどの意味が込められていることか。それは詳細な分析をして見なければわかりません。

 * * * * *

  原作は松田正隆の戯曲。彼自身の両親をモデルにして描いた作品である。もともと舞台劇だった原作を映画にする際、黒木監督はいかにも映画らしい映像技術をふんだんに盛り込もうとはしなかった。代わりに彼がやったことは舞台劇を小津映画にすることだった。そうすることで舞台劇の味を残しつつ、かつ昔の茶の間を描くもっともふさわしい映画的視角と表現方法を取り入れることが出来たのである。黒木監督は昔の時代を再現しただけではない、かつて偉大であった頃の日本映画をも再現して見せたのである。

  小津の映画をかなり研究したのかもしれない。独特の間をうまく活かした、ゆったりとしたテンポ(それは当時の生活のリズムに合ったテンポだった)、短く繰り返しの多いせりふと少ない動き、低いキャメラ・アングル。ほとんどそのまま「紙屋悦子の青春」にも当てはまるが、違いはせりふの多さだろう。「紙屋悦子の青春」はもともと戯曲だったため、映画も会話劇になっている。同時に3人以上の人物が映っている場面はほとんどないが、全編会話で成り立っている映画である。しかしそれだけ会話があふれているにもかかわらず、そこでは肝心なことはほとんど語られていない。それでいて伝えたいことが観客にきちんと伝わってくる。そういう描き方なのだ。黒木監督は映画人生最後の作品において、大先輩のスタイルを借りながらさらにそこに新しい工夫を付け加えたのである。それは彼の遺作にふさわしい優れた達成だった。

  語らなくても伝わってくる。そこに日本人独特の表現法がある。ちょっとしたしぐさ、顔の表情や目の動き、一瞬のためらい、咲いては散る桜の花、波の音、こういった視覚的・感覚的「言語」だけではなく、最初から暗黙の前提として存在している時代的文脈、語られてはいないが充分読み取れるそれぞれの心中など、目に見えない「言語」が会話の中に織り込まれているのである。「にごりえ」のレビューでも書いたが、これは日本人が得意としてきた表現方法である。増してやうっかり本心を漏らすこともできない戦時中のこと、今のように男女があからさまに付き合うこともはばかられた時代であればなおのこと、語られざる「言語表現」が重要になってくる。こういう表現は日本映画独特の文法である。

  黒木監督はさらにもう一つ小津の世界を広げた。小津安二郎は直接であれ間接であれほとんど戦争を映画の中で描かなかった。「紙屋悦子の青春」は戦闘も爆撃も描かれないが、戦争は明らかにこの映画の重要な主題である。晩年の黒木監督は「TOMORROW 明日」(88年)、「美しい夏キリシマ」(03年)、「父と暮らせば」(04年)と戦争を主題にした作品を作り続けてきた。以上の作品はよく「戦争レクイエム3部作」と呼ばれるが、むしろ「紙屋悦子の青春」を加えて「戦争レクイエム4部作」と呼ぶべきだろう。こうして黒木監督は主題においても小津の世界を広げたのである。

  「紙屋悦子の青春」が描いたのはいわゆる銃後の世界である。時は昭和20年、舞台はKototoi1 鹿児島県米ノ津町。戦時中とは思えないのどかな田舎町である。爆撃機の影も見えず、砲声も聞こえない。しかし戦争はそんなのどかな田舎町に暮らす人々の人生をも狂わせてしまう。戦争や内戦は多くの男女の間を引き裂いた。これまで多くの映画がそれを描いてきた。デ・シーカの名作「ひまわり」。スペイン映画として初めてアカデミー外国語映画賞を受賞した名作「黄昏の恋」。ユーゴスラビア内戦の悲劇を描いた「ブコバルに手紙は届かない」。今井正の名作「また逢う日まで」等々。ニキータ・ミハルコフ監督の「五つの夜に」のラストでヒロインがつぶやく「戦争さえなかったらねえ」という言葉は胸に突き刺さった。過ぎ去ってしまった時間はもはや取り戻すことが出来ない。幾多の戦争でどれだけの人たちが同じ思いを抱いたことだろうか。紙屋悦子の秘められた胸の内にも同じ「戦争さえなかったらねえ」という思いがあったに違いない。戦争を経験したものは死ぬまで戦争の記憶から逃れられない。だから「紙屋悦子の青春」は病院の屋上で老いた悦子と夫が昔を思い出すシーンから始まる。

  冒頭の場面は途中何度か空が映される短いカットを挟んで延々15分ほども続く。キャメラはほぼ固定され、並んで椅子に座る二人の途切れがちな短い会話が続く。悦子(原田知世)の「寒うなかですか」で始まるなんということのない会話。しばらくして夫(永瀬正敏)が遠くに見える桜の木を話題にする。「まだあるやろか桜の木。」話は実家の家の前に植えられていた桜の木に移る。夫の思いは戦争のあった頃に飛ぶ。悦子の「なして、戦争のあったとやろか?」という何気ない言葉が夫の思いがけない言葉を引き出す。

永与「なして・・・おいは・・・」
悦子「・・・なんですか?」
永与「生きとるとやろか」
悦子「何ば言いよっとですか」
永与「なして死にきれんかったとやろか」
悦子「よかですたい。生きとる方が・・・死んだら何もならんですばい」
永与「うん・・・何もならん・・・ばってん・・・」

  なぜ永与はこんなことを言うのか?桜の木は戦時中の彼らとどんな関係があるのか?映画はさりげなく疑問を提示するだけだ。次に「鹿児島県米ノ津町 昭和二十年三月三十日」と字幕が出て、一気に終戦間近の紙屋家に時代がさかのぼる。悦子の兄安忠(小林薫)と妻ふさ(本上まなみ)の会話が続く。2人は悦子の帰りが遅いことを心配している。その後の卓袱台をはさんで食事をする茶の間の会話が面白い。安忠は配給の漬物「高菜」の味に不満そうである。ころあいを見計らって安忠は妹の悦子に縁談の話があると妻に話す。相手は安忠の高校の後輩である明石という男の親友で、永与という名前らしい。ふさは怪訝そうである。「明石さんの?何でまた、そげな人を紹介するとですか?」ふさはむしろ明石の方がいいと夫に言う。縁談の相手は永与だと取り合わない夫に、ふさは業を煮やしてきっぱり言う。「悦っちゃんは、明石さんに気があるとですよ。」驚く安忠。「悦子がそげん言うたとか?」ふさ「いえ、悦っちゃんはそげんこは言いません。」言わないが様子で分かると。

  次のふさのせりふで、ふさと悦子が同い年の幼馴染であること、だから悦子の気持ちは本人が何も言わなくても分かるのだということが分かる。その後のせりふが面白い。「こげな仲良しなら、いっそんこと、姉妹になった方が良かっち思うて、悦っちゃんの兄さんのあんたと結婚したんです。」面食らう安忠。そんな理由で俺と結婚したのかと聞きとがめる。ふさは「はいはい・・・悦っちゃんのことは二の次でした」と軽くいなして、突然「どげんですか?」と聞く。安忠「何が?」ふさ「高菜。」安忠「うん?ああ・・・うまか。」

  どうやらうまくないらしい高菜が伏線としてうまく使われている。ふさは絶妙のタイミングで高菜のことを持ち出して話を切り替え、機嫌の悪くなった夫の関心をそらす。何でもない会話なのだが、コミカルなタッチで観客の頬を緩ませる。会話のずれや聞き違えはこの後も何度も使われる。さらには、ふさと悦子の関係、夫と結婚した「真の」動機、夫と明石の関係などが会話の流れの中で自然に説明されている。ほとんど動きのない場面なのだが、二人の珍問答に乗せられいつの間にか映画の世界に引き込まれ、かつ周囲の事情も自然に飲み込めてしまう。見事な展開である。さらに重要なのは悦子と明石の関係。悦子も明石も実は自分の気持ちを最後まで一度も話さない。ふさの言葉によってさらっと示されるだけだ。言わなくても察しがつくというふさの言葉は暗示的で、まさに言葉ではなく視線や表情、所作などでわれわれには手に取るように察知できるのである。

 見合いは翌日だと聞いてふさはあわてる。「それを早う言わんね」と今度はふさが怒り出す。急にいわれても何も用意するものがない。おはぎを作ることにする。そこへ人が尋ねてきて、ほぼ同時に悦子も帰ってくる。客も帰りやっと茶の間に3人が揃う。台所へ行ったふさがお茶を探している。「お茶は?」と茶の間の方に声をかける。悦子が「お茶碗」と聞き違え、兄の安忠は不思議そうに茶碗を持って台所へ行く。やっとふさはお茶を見つけ、訳がわからないでいる安忠に「何をぼけっと立ちなさってるんですか」と声をかける。首をかしげながら茶の間に戻る安忠。

  悦子と卓袱台についた安忠は見合いのことがなかなか言い出せない。悦子は食事をしているが芋をかじって少し変な顔をする。実は少しすっぱいのだ。そこへ台所からふさが戻ってくる。

ふさ「そいで・・・どげんね、悦っちゃん」
悦子「え?ああ、どげんもなかよ。こん位なら食べられる。まだおいしか・・・」
ふさ「何ばいいよっと?」
悦子「芋やろ」 C_aki01b
ふさ「あなた、まだ言っちょらんとですか?」
安忠「え?うん」
ふさ「何をしょっとですか」
安忠「ああ」
悦子「なに・・・何かあっと?」
ふさ(お茶を飲みながら)「ああ、やっぱい、おいしか」
安忠(ふさに目配せされて)「うん・・・」
悦子「何ね・・・2人して・・・」

  芋と見合いのずれがおかしい。やっと、実は縁談があると安忠が言う。「う~ん」と言ってうつむく悦子。言葉に詰まった安忠が取り敢えずお茶を飲んで「うまかな、こんお茶」などとのんきに言っているのが笑える。迷った末悦子は会うことにする。ふさが明石の事を言い出しそうになったのを制して、安忠が言う。「明石は飛行気乗りじゃ・・・いつ死んかわからんが。永与っち人は整備らしかで。」

  このあたりの場面も実に滑稽だ。前半部分はこのようにコミカルなトーンで描かれてゆ く。後半の悲劇的で痛切な展開に入る前の状況設定の場面なので、喜劇的な味付けで観客に飽きが来ないようにうまく惹きつけているのである。滑稽な会話にまずい食事に顔をしかめる様が差し挟まれ、平凡な日常的な会話なのに文字通り「表情豊かに」展開されるのである。同時に戦時中の質素な食事風景が良く伝わってくる。卓袱台と上にのった粗末な食事しかない簡素な舞台。せいぜい画面が切り替わっても、玄関や台所や庭程度。動きが少ない分周りのものや小道具が目に入る。会話にもしばしばずれが生じ、顔をしかめたり、怪訝そうな表情を浮かべたり、人物の表情も無言の「言葉」として観客によって読み取られる。たった3人の登場人物と卓袱台しかない簡素な空間なのだが、発せられた言葉以上に豊かな会話がそこに交わされている。言葉だけではなく人物の表情やしぐさ、お茶、高菜、芋や食器などの小道具もすべて総動員して描いているのだ。そこにこの映画の簡素にして豊かな話術の秘密があるのではないか。

  詳しくは書かないが、その後の静岡のお茶の話も愉快だ。ふんどしの詰まったカバンを盗んだ泥棒は中を開けてさぞがっかりしたことだろう。一つだけ戦時中の窮乏状態を暗示するせりふだけをあげておこう。見合い用にふさが取り出してきた、取って置きの静岡の茶を3人でおいしそうにすすっていたとき、悦子が言う。「そんころは別にたいしておいしかとも思わんかったのに。」昔は特にうまいとも思わなかったお茶が、安いお茶を飲み、まずい高菜やすえた芋を食べている今では格別おいしく感じる。のどかで戦争の影などほとんど感じられないありふれた茶の間の光景。家族がお茶をすする様子を描きながら、それとなく発せられた言葉に戦時中の窮乏生活ぶりがたくみに織り込まれている。脚本の素晴らしさに感心する。

  その後ようやく明石(松岡俊介)と永与が登場する。1時と言ったのに安忠が3時と間違えて記憶していたために、2人が紙屋家を訪ねてきた時悦子はうっかり家を空けていた(安忠は徴用で熊本に行くことになり、ふさもついていって2、3日熊本で過ごすことになった)。主がいないので二人は勝手に上がりこむ。ここで2人きりになる設定がいい。緊張している永与に明石がどう挨拶すればいいか手ほどきする時間が取れるからだ。ここの場面が全編でもっとも滑稽である。女性と面と向かって話した経験がなさそうな永与に比べると明石はより経験がありそうだが、その明石でも女性のことは何も分かっていないことが会話から読み取れる。したがって会話は何とも頓珍漢で珍妙なものになる。実際、何度か声をあげて笑ってしまった。

  会話を通して、真面目一方で融通がきかない永与の個性が浮き彫りになる。「そげんことじゃ、敵の空母から飛んできたグラマンに緊急対応できんぞ」と明石がからかうと、「悦子さんはグラマンじゃなかぞ」と怒ってしまうのだから厄介だ。悦子が戻ってくる前の場面ではあと二つだけ指摘しておこう。二人が座っているテーブルの上に布巾をかぶせたおはぎが載っていた。あのすっぱい芋の後では、このおはぎがものすごく贅沢なご馳走に思えた。もうすっかり映画の世界にはまり込んでいた証拠だ。思わずつばを飲み込みそうな二人の表情もいい。もう一つはそのおはぎを見て言った明石少尉の言葉。「悦子さんの作ったとなら、おいしかたい。」ボソッと言ったこの言葉に彼の気持ちが表れていた。彼は自分の本心を何も言わなかったが、それでも時々ふっと何気ない言葉に出てしまう。そんな描き方が素晴らしい。これを聞きとがめた永与の言葉がまた面白い。「他のもんが作った場合はすかんおはぎでも、悦子さんが作成した場合、そんおはぎがおいしか~おはぎに変化する。何でや!?」これには笑ってしまった。彼が聞きとがめるのももっともだが、「作成した」とか「変化する」などという不自然なほど硬い表現に彼の生真面目さがよく出ている。それと「おいしか~おはぎ」という言い方が実にミスマッチで何とも滑稽なのだ。

  やっと悦子が家に戻り、ようやく見合いが始まる。背筋をしゃんと伸ばして座っている姿がいかにも当時の人たちらしい。昔の映画には様式美があった。この場面でも、背筋を伸Yozakura2_w ばして座っているだけなのに美しさを感じてしまう。それは日本人の生活の美しさだったのかもしれない。緊張のあまり先ほどの打ち合わせの甲斐もなく、というよりほとんど役に立たないアドバイスだったわけだが、悦子と永与の会話はほとんど漫才のようになってしまう。永与のまごつきぶりが実に滑稽だ。しかしこの場面の途中からコミカルなタッチに悲痛さがにじみ出てくる。明石はトイレに行くといってそっと家を出てしまう。去る前の彼の表情に悲哀がさっと一瞬よぎる。ここも言葉ではなく、表情とそぶりで描いている。悦子の心情の描き方も秀逸だ。いつまでも明石がトイレから出てこないので永与がトイレの前で声をかけている隙に悦子が玄関に行くと、明石の靴がないことに気づく。追いかけようとするが思いとどまる。一瞬の動きとためらいに彼女の揺れ動く心中が示されている。男女が親しく言葉を交わすことなど許されなかった時代。互いに思いを胸に秘め、胸のうちを明かすことなく分かれてゆく。小津を思わせるこの映画の演出方法は、この時代を描く最良の方法だった。なぜ映画なのに演劇を思わせる狭い空間に限定したのか、なぜ小津の方法に倣ったのか、こう考えてくれば十分納得が行く。

  全く上がりまくっていた永与だったが、彼の混乱振りにも彼の誠実で真面目な人柄が表れていた。悦子は黙って去っていった明石の「こいつを頼む」という無言の意思表示を悟ったのか、「何のとりえもない、ふつつかものの私ですけど・・・どうか、よろしくたのみます」と永与に挨拶する。永与も誠実に「戦争のどげんなるか・・・私もどげんなるわからんばって・・・私はもうあなたば・・・一人にしません」と応える。

  笑わせながら、3人の交錯する心情を余すところなく描きつくしている。この後の展開も見事だ。赤飯とラッキョウの話で笑わせ前半のトーンを残しつつも、ふさに戦争に負けてもいいと言わせる。「じゃっどん赤飯は赤飯らしく食べたかです。ラッキョウもラッキョウらしく食べたかです。爆弾に当たらんち思うて、赤飯やラッキョウを食べたかなかですが」と思いのたけを語らせる。全体に(戦時中だけに)抑制された会話の中で、なりふり構わず心情を吐露したふさの言葉に胸を突かれる思いだ。一見何ともない会話の積み重ねのように思えるが、入念に緩急を入れ替え、笑いと哀しみを織り交ぜ、時には思いのたけを語らせる。決して平板でも一様でもない。言葉の一つひとつにどれだけ神経を使っているか、脚本の見事さは驚嘆すべきである。だからわれわれは引き込まれてしまうのだ。静かで動きの少ない展開の中に、実はいくつも山場がある。何度も(感情の)嵐が吹き抜けているのだ。

  感情表現と自然描写が一つになっていることも指摘しておく必要がある。月や花をめでる、虫の音や風鈴の音、小鳥のさえずりや川のせせらぎ、しし脅しの音に安らぎを覚える。花が咲いては美しいと感じ、花が散ってはそのはかなさを思う。肌に感じる風や山の木々の色の変化に季節の移ろいを感じる。桜の花と波の音。この映画の中で象徴的に使われているこの二つの要素は、こういった日本人独特の感性によくマッチしている。ささやかな変化を敏感に感じ取る日本人の感性、俳句や短歌を挙げるまでもなく、日本人はこういったものと重ね合わせて感情を語ってきたのだ。

  このあとの二つの場面。明石が(特攻隊として)出撃前に最後の挨拶に現れる場面、彼の死後今度は永与が明石から手渡された手紙を悦子に届けに来る場面は、この作品のもっとも感動的な部分である。笑いで始まり、いくつもの波が過ぎた後に一番大きな波がやってくる。そういう構成になっている。明石が訪れる場面はこの映画の表現方法がもっとも見事な冴えを見せる場面である。表面的な言葉の裏にどれほど多くの感情が隠れていることか。表面的にはごく当たり前の挨拶を交わしているだけである。そうするしかない。明日死地に赴く兵士を前に、引き止めることも泣き崩れることも出来ないのだ。しかし悦子が言った最後の言葉は型どおりの挨拶から逸脱していた。逸脱していたから感動的なのである。明日死ぬ運命にある思い人にどんな言葉をかければいいのか。悦子の苦悩はいかばかりだったか。搾り出すように彼女は「敵の空母をば・・・沈めなさることを、祈っております」と言葉をかける。しかしその後に彼女が言った言葉こそ彼女の本当の気持ちだった。「どうかお身体・・・ご自愛ください」。死ぬことが決まっている人間に「ご自愛ください」という言葉をかけずにはいられない気持ちが痛いほど分かる。出来うることなら「行かないで下さい」、「生きて帰って来て下さい」と言いたかっただろうに。その苦渋と哀しみがいやというほど観る者に伝わってくる。いや、突き刺さってくる。明石が去った後、悦子はそれまで抑えていたものが一気に噴出したように台所で号泣する。明石は自分の死が近いことを察し、大事な人を自分の一番の親友に託そうとしていたことは、もうこの時点で観客にも分かっている。そうするしかなかった、そうせざるを得なかった明石の気持ちが分かるからこそ、われわれもやりきれないのだ。桜が咲く季節に永与と見合いをし、桜が散る季節に明石は去っていった。

  次の永与の場面も見事だ。明石の手紙を渡した時の永与の言葉にも深い感銘を覚えずにはいられない。「死んだとです・・・もうおらんとです!そいけん、あいつの分も私はあなたの事ば大事にせんばいかんとです。」「あいつの分も」という表現から明石の気持ちを永与も察していたことが分かる。悦子も迷いはなかった。彼女は叫ぶように言った「待っちょいますから。日本がどげんなことになっても、ここで待っちょいますから。きっと迎えに来て下さい。」3人のそれぞれを思いやる気持ちが美しい。

  最後はまた病院の屋上の場面。二人は波の音に耳を澄ます。波の音は悦子が見合いをした日の夜、兄にあてて手紙を書いているときにも聞こえていた。海から遠いところで、本来波の音など聞こえるはずはない。しかし確かに悦子は波の音を聞いたのだ。この波の音は何を表しているのだろうか。はっきりとは分からないが、あの波の音は少なくとも明石と結びついていると言えるだろう。波の音が聞こえ始めたのは見合いをした日。明石が死を覚悟した頃だ。そしてその音が聞こえるのは悦子だけらしい。「そん波の音・・・ザザーッザザーッちゅう音ば聞いとったら、何かこう1人でおっても淋しゅうのうなったとです。」悦子は波の音に明石を感じていたのではないか。桜の花が散る頃、明石は「海の藻屑」となって散っていったのである。波の音として彼はいつも悦子と共にいたのだろう。悦子は夫と共に明石の分もしっかりと生き抜いたのだ。

  この映画の場合「戦争の影」は「死の影」と同義だった。「青春」というにはあまりに辛く暗Syouzi_ocya_a_01い時期だった。しかしむなしい青春ではなかったはずだ。彼女は仕方なく永与と結婚したのではない。僕はそれがうれしい。悦子は不器用な永与の中に明石に対する心からの友情を見、自分に対する真摯な愛情を見て取った。だから自分から進んで「ふつつかものの私ですけど・・・どうか、よろしくたのみます」と言ったのだ。決して受身的な選択ではなかった。戦争という非合理で非情で血生臭い時代に生きた彼らのなんと人間味のあることか。相手を思いやる心、美しい姿勢と立ち居振る舞い、不自由ながら節度ある生活。お茶をおいしいといって飲めることがどれほど素晴らしいことか。それが奪われてみなければ分からない。本土決戦になれば、彼らのつましい耐乏生活すらも戦火の中に飲み込まれてゆく運命にあった。あとわずか数ヶ月、あと数ヶ月たてば戦争は終わったのに。そうとも知らずに散って行った明石の死が哀れでならない。

  最後にキャストについて。出演した5人が皆素晴らしかった。役者としての力量が試される映画であり、彼らの演技を楽しむ映画である。なかでも原田知世の美しさは特筆に価す る。単に美人だと言っているのではない。話し方、立ち居振る舞い、感情表現、すべてが美しい。昭和20年当時20歳だったという設定だが、彼女は67年生まれだから撮影時は40歳近かった。しかし、実際に20歳の女優ではここまで演じ切れなかっただろうとある方が指摘していた。本当にその通りだと思う。ただ、惜しむらくは年を取った時のメークにリアリティがなかったこと。もっと老けさせるべきだった。冒頭の屋上でのシーンも長すぎた。それさえなければ満点をつけていただろう。

 永瀬正敏も素晴らしい。80年代にデビューした頃は5、60年代の日活スターのような雰囲気を濃厚に漂わせていて、変わった奴が出てきたという印象だった。彼に俳優として非凡な才能があると最初に感じたのは山田洋次監督の「息子」(91)で主演したとき。映画自体が90年代日本映画のベスト5に入る傑作だったが、主演の永瀬正敏と和久井映見がまた素晴らしかった。若手から中堅に差し掛かってきたところだが、既にして名優の風格を帯びつつある。いい役者になった。

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2007年3月 3日 (土)

タイヨウのうた

2006年 日本 2006年6月公開
評価:★★★★
監督:小泉徳宏
原作・脚本:坂東賢治、「タイヨウのうた」(ソニー・マガジンズ)
撮影:中山 光一
主題歌:「Good-bye days」(作詞・作曲:YUI)
出演:YUI、塚本高史、岸谷五朗、麻木久仁子、通山愛里、山崎一、ふせえり

  『キネマ旬報』のベストテンでは1点も入らず選外だったが、決して悪くない映画だ。主人Seascene_2 公は2人の高校生。しかし若者を主人公にした日本映画にありがちなちゃらちゃらした軽薄さはない。前向きに生きてゆこうとするヒロインをしっかりと描いており、その点に好感が持てる。映画のタイプとしては韓国のラブ・ロマンスに近い味わい。この映画の魅力のかなりの部分はヒロインを演じたYUIの魅力である。その点では村川絵梨主演の「ロード88」と同じ。難病ものという点も共通している。韓国映画タッチで、難病もの、けなげで可愛いヒロインとくれば、当然泣かせようという演出も目立つ。しかし心配したほど過剰ではない。ただし、話の展開はこれまた当然ながら先が読めてしまうストレートなタイプ。不治の病にかかった可愛い女の子がいて、つかの間の美しい恋愛をする。太陽の光にあたれないXP(色素性乾皮症)という難病である。だから夜しか外出できない。公園で1人ギターを片手に歌を歌う。

  紫外線をカットするスクリーンをたらした窓から彼女はいつも男の子を見ていた。その男の子とついに出会い、踏み切りでいきなり後ろから突き飛ばし自己紹介をする。二度目の出会いはバス停。そこから二人は急速に接近して行くが、病気のことを知られてしまい彼女は一旦男の子を思い切ろうとする。しかし両親の計らいで再び出会う。そして1枚のCDを残して彼女は死んでゆく。

  まさに絵に描いたようなストーリー展開である。海が出てくるのもお決まりのパターンだ。途中手が麻痺してギターが弾けなくなってしまう。しかしギターが弾けなくても歌は歌える。彼女は歌を録音することを決意する。この展開も読めてしまうが、悪くはない。歌は主演のYUI自身が歌っているようだが、高音が苦しそう。しかし高音はどこか元ちとせを思わせる声になり悪くはない。歌も特別うまくはない。主人公が作詞作曲した設定の歌"Good-bye Days”(実際にYUIの作詞作曲)も耳に残るほどではないが、切ない雰囲気はよく出ており悪くはない。

  色々物足りないところがある映画だ。それでも主演したYUIのもっている魅力には抗いがたいものがある。福岡出身のシンガーソングライターで、TVドラマ「不機嫌なジーン」の主題歌を歌っていたそうだ。TVドラマを全く観ないので知らなかった。このところ日本映画には将来有望な若手女優が多数出てきたが、彼女もその1人に入れていいだろう。女優も続けるのなら、今度は歌を歌わない映画で演技をしっかり磨いてほしい。磨けば光る才能を持っていると思う。

  脇役では岸谷五朗がさすがの存在感。最初に知ったのはかつての人気TV番組「イカ天」に三宅裕司の補助司会のような役割で出てきたとき。89年ごろか。彼が役者として一流であると思ったのは「北の国から2002 遺言」で内田有紀の父親役を演じた時。あのド迫力の演技はすさまじかった。映画は今のところいい作品に出ていないが、いずれ彼の才能を最大限に引き出せる監督とめぐり合えるだろう。

  このところレベルが急速に上がってきた日本映画だが、ラブ・ロマンスでは韓国映画に大きく水をあけられている。しかしいつか「八月のクリスマス」、「イルマーレ」、「猟奇的な彼女」、「永遠の片想い」クラスの作品が生まれるだろう。期待したい。

*  *  *  *  *  
  「紙屋悦子の青春」のレビューに時間がかかっているので、先に「タイヨウのうた」の短評を載せた。日曜か月曜には何とか書き上げたい。昨日観た「トンマッコルへようこそ」は期待以上の傑作だった。後半は予想もしない展開。最後の戦闘場面は長く記憶に残るだろう。やや軽めだった前半がもっと引き締まっていれば満点をつけていたと思う。やはり韓国映画のレベルは高い。「うつせみ」、「弓」、「王の男」なども気になる。

  「トンマッコル」を返しに行ったら蔦屋書店にツァイ・ミンリャンの作品がまとめて置いてあった。レンタルは無理だろうと諦めていたのでうれしかった。さっそく借りようと思ったらみんなレンタル中なので、同時に出ていたチェン・ウェンタン監督の「深海」を借りてきた。それはいいのだが、うう~む、手元のDVDがなかなか観られない。

 「トンマッコルへようこそ」★★★★☆

2007年3月 2日 (金)

隠された記憶

2005年 フランス・オーストリア・ドイツ・イタリア 2006年4月公開
評価:★★★★☆
原題:Caché
監督:ミヒャエル・ハネケ
脚本:ミヒャエル・ハネケ
出演:ダニエル・オートゥイユ、ジュリエット・ビノシュ、アニー・ジラルド
   モーリス・ベニシュー、レスター・マクドンスキ、ベルナール・ル・コク
   ワリッド・アフキ、ダビエル・デュヴァル、ナタリー・リシャール

  ミヒャエル・ハネケの映画は初めて観る。何の予備知識もなく観た。『キネマ旬報』で比較Rimg00271 的上位に入っていたので一応観ておこうと思っただけだ。彼がどんな作風の監督なのかも全く知らなかった。「衝撃のラストシーン」などと宣伝されていたことも全く知らなかった。それが却って良かったのかもしれない。「ロスト・ハイウェイ」のようなサスペンス映画のぞくぞくする面白さとフランスにおけるアルジェリア問題という社会的テーマの両方を楽しむことが出来た。

  ブログを書く段になってこの映画やミヒャエル・ハネケのことをあちこちのブログなどで調べてみた。「芸術映画」を気取るタイプの監督だろうという予想はしていたが、どうやら予想通りの作風のようだ。これこそ人間の本質だとばかりに、人間の奥底に潜むおぞましい「残忍さ」、「悪」をこれでもかと抉り出して見せるタイプの映画。正直言って、僕はこういう一部のインテリだけが評価するタイプの映画は好きではない。しかし「隠された記憶」は結構面白かった。この映画だけには他の作品のような不快感はないと言っている人もいるので、たまたま彼の作品の中でも観やすいものに当たったようだ。

  「隠された記憶」はデヴィッド・リンチの「ロスト・ハイウェイ」そっくりの状況から始まる。主人公はテレビ局の人気キャスターであるジョルジュ・ローラン(ダニエル・オートゥイユ)。ある時彼の家に何者かがローラン家を正面から撮影したビデオを送りつけてくる。画面を固定してただ同じ場所を延々と写しているだけのビデオ。誰が何のためにこんなものを送りつけてきたのか?まさしくデヴィッド・リンチの「ロスト・ハイウェイ」である。「ロスト・ハイウェイ」の場合は次に寝室で眠る主人公と妻の姿が映ったビデオが送られてくる。得体の知れない何者かが自分の家の中にまで忍び込んできている恐怖。サスペンス映画としてはこれ以上ないくらいぞくぞくする導入部分だった。

  冒頭部分だけではなく全体的にもよく似ている面がある。全編に謎めいて不気味な雰囲気が漂っており、随所に意味ありげな場面がちりばめられているところ。どこまでが妄想世界でどこまでが現実世界なのか判然とせず、謎が謎のまま最後まで残るところ。「ロスト・ハイウェイ」は不気味な白塗りのミステリー・マンが登場するあたりから現実にはありえない不条理で非現実的な世界に突入してゆく。「ストレイト・ストーリー」は別にして、彼のサスペンス物としてはこれが最高作だろう。

  ミステリー・マンこそ登場しないが、上記の説明は「隠された記憶」にもほぼ当てはまる。どちらも同じように謎は解明されないが、そのことが意図するところはだいぶ違う。どちらも謎解きそのものに重きは置かれていないが、リンチの場合、おそらく、謎めいた雰囲気そのものを作り上げることに狙いがあると思われる。説明のつく謎は謎ではない、リンチにはそういう思いがあるのだろう。だから超常現象のようなものを持ち込んで訳の分からないまま終わらせてしまう。

  「隠された記憶」の場合は違う狙いがある。犯人探しに意味がないのは単なる個人の犯Stmichel7 罪にとどめていないからである。登場人物の誰かが犯人である可能性は少ない。誰を想定しても矛盾に突き当たるように巧妙に仕組まれている。ビデオは現実の物理的存在というよりもジョルジュの意識が覆い隠していた過去の記憶を抉り出し、彼の罪悪感を生み出させるための装置である。「去年の夏、お前が何をしたか知っているぞ」と書かれた「ラスト・サマー」の脅迫文のようなものだが、その脅迫文はある意味で主人公だけではなく観客全員に突きつけられている。したがって特定の犯人は必要ない。個人の恨みではなく、フランスの植民地政策そのもの、アルジェリア人に対する差別意識そのもの、いやそれだけではない、ひいては誰の中にも隠されている罪意識そのものを明るみに引きずり出すための手段なのだから。隠された過去、それにまつわる罪悪感を引きずり出す魔の手。だからジョルジュがすぐ前を通ってもビデオカメラに気づかないわけだし、開けた時にはなかったドアの下に突然ビデオが現われたりするのである。

  特定の犯人などいないし、犯人探しが主眼ではない。だから確たる手がかりとなるものなどなく、すべてはほのめかしばかりである。難解なのではなく、意図的にほのめかしに留めているのである。ジョルジュの意識を追い詰めること、そうすることによって彼が隠蔽していた過去の記憶を抉り出し、そのことについて彼に語らせることが狙いである。フランスからの独立戦争を描いた名作「アルジェの戦い」を見せても彼に罪悪感を与えはしないだろう。インテリの彼はいい映画だと言うかもしれないが、アルジェリア問題を自分にひきつけて考えはしないだろう。あれを観てあなたに罪悪感はないかと問われれば、昔の話だ、俺には関係ない、そもそも俺はアルジェリア人に偏見など持っていないなどと答えたかもしれない。そんなことで彼の心の内奥にある疚しさの扉を開けられはしない。しかし、彼自身が過去に行った事実をぐりぐりとつつきまわされたのでは彼としてもたまらない。逃げようがない。映画はそれをやっているのである。過去の記憶がビデオ映像という形を取ってジョルジュを追いつめると言ってもいい。どんなに記憶の片隅に追いやっても、誰かに見られている、誰かが知っているという恐怖。これは単なる犯罪サスペンス映画ではなく、「ロスト・ハイウェイ」にヒッチコックの「白い恐怖」のような心理サスペンスと松本清張のような社会派ミステリーを重ね合わせた作品なのである。

  追い詰められ、問い詰められているのはジョルジュだけではない。追い込まれて開き直る彼の姿を冷酷に映し出し、彼の偏見をさらけ出させる。またその姿を見せることで、同じようにあなたたちも何か思い当たることがあるのではないか、とわれわれ全員に問いかけているのだ。ジョルジュだけではない、すべての人にこの種のビデオがある。明日それが送られてくるかもしれない。誰にでも降りかかる可能性があるから、このビデオが恐怖なのだ。ジョルジュは自分には偏見などないと思っていたかもしれないが、忘れていたということ自体、自分のやったことに何の疚しさも罪悪感も感じていなかったことを意味する。こういう形で脅迫されて初めて思い当たる。加害者側はすぐに忘れてしまうのだ(一方、マジッドはテレビでジョルジュの姿を見て吐き気を覚えたと言っている)。だから田舎の母親(アニー・ジラルド)に会いに行って昔のことを聞く必用があったのである(3番目のビデオに田舎の実家が映っていたので、母親の無事を確かめる意味もあった)。

  かといってマジッド(モーリス・ベニシュー)が犯人というわけではない。それでは彼の個人的恨みで終わってしまう。彼はジョルジュの悪夢のきっかけに過ぎない。同じようにラストの映像も特に意味はない。冒頭の映像に意味がないのと同じだ。冒頭の映像が恐怖を与えるのは、そこに見られては困る秘密が映っているからではない。自分では気づかないうちに誰かに「見られている」事自体が恐怖なのだ。ラストの映像も同じ。次にはあの学校の映像を観て恐怖に震える別の人物が現れることになるのだろう。

  ビデオは映像だけに単なる脅迫文以上に恐怖を与える。「白い恐怖」の中でグレゴリー・ペックが見る夢が出てくる。有名な夢判断の場面。その夢の中に、大きな幕に無数に描かれた巨大な目をハサミで切り抜いているシーンがある。まさにそういう心理状態。見えない「目」の存在が恐怖を増幅する。さらには子供が書いたような不気味な絵が2枚ビデオと一緒に送られてくる。これがジョルジュの記憶を呼び覚ます鍵となった。数回に分けて絵やビデオが届けられることによって、まるで何層もの分厚い皮を剥くように何重もの記憶の襞を手繰ってジョルジュの記憶の奥底に行きつく。  映画の現在の映像にビデオ映像とジョルジュの過去の回想あるいは夢が入り混じる。ビデオはジョルジュの妻アンヌ(ジュリエット・ビノシュ)の疑念まで生み、今度は彼女がジョルジュを問い詰める。恐怖が疑念を生み、ジョルジュはじわりじわりと追い詰められてゆく。ジョルジュはついに秘められた過去を語りだす。マジッドは昔ジョルジュの両親の家で働いていた。「61年10月17日、民族解放戦線がアルジェリア人にパリでのデモを呼びかけた。当日警視総監のパポンは約200人のアラブ人を溺死させた。マジッドの両親も二度と戻ってこなかった。」父親が探しに行くと「黒いのがいなくなって喜べ」と言われたという。アンヌは「それから」を連発し、さらに問い詰める。両親は責任を感じたのかマジッドを養子にした。しかしジョルジュは彼と同じ部屋に住むことを嫌い、マジッドが「血を吐いた」と嘘の告げ口をした。その後マジッドは病気になってどこかへ行ってしまった。

  なぜジョルジュはそれほどマジッドを嫌ったのか。ビデオが送られてきて以来ジョルジュはある悪夢に悩まされていた。鶏の首を切り落とす少年、首のない鶏が飛び跳ねる断末魔の姿。首を切った男の子はもう一人の男の子に向って斧を手に向ってくる。顔には鶏の返り血が付いている。恐らく毎回この場面で目が覚めるのだろう。鶏の首を切り落とした少年は明らかにマジッドである。

  ジョルジュは過去のトラウマを打ち明けるが、かたくなに自分の責任を認めようとしなKey_mb3 い。子供のしたことだ、悪意はなかったと。最後は開き直り、いきり立つ。映画はそれ以上切り込まない。確かに些細なことのようにも思える。しかし、マジッドへの恐怖の裏側には偏見がなかったか。雇い人の息子だという見下げた気持ちはなかったか。このエピソードだけでは釈然としないが、映画の前半にそれを裏付ける場面がある。自転車に乗った黒人とぶつかりそうになったときに、ジョルジュがその男に投げつけた言葉だ。そしてこの偏見はジョルジュだけのものではない。警察は彼の訴えを鵜呑みにしてマジッドと彼の息子を犯人扱いして拘束してしまう。証拠が不十分なので後に釈放されるが、ここに個人を超えた偏見の輪が描かれている。

  マジッドは釈放後ジョルジュを呼び出し、彼の目の前でのどを掻っ切って自殺する。さらにその後マジッドの息子(ワリッド・アフキ)がジョルジュに会いに来る。エレベーターの中のシーンが印象的だ。マジッドの息子はじっとジョルジュを「見つめる」。身を切られるような視線の痛さ。彼は「やましさが何かこれで分かった」と言い残して去ってゆく。

  マジッドの死によって憎しみの連鎖が生まれ、それがまた長回しのビデオに始まり長回しの映像(次の脅迫ビデオ)で終わる循環構造の中に組み込まれてゆく。DVDの付録映像所収の監督インタビューでハネケは次のように語っている。

  これは、個人が「罪」とどう向き合っているかについての映画です。人間は世に生まれたことですでに「罪」を持っています。意図的であろうとなかろうと先進国で生きるわれわれは絶対に後進国や貧しい人々を犠牲にして高い生活水準を保っています。ですから、先進国にいるわれわれは誰でもある種の罪意識を心の中に抱えているわけです。そういったやましさを個人がどのように消化するかは人それぞれです。例えば飲んだくれて忘れようとする人もいれば、自殺してしまう人もいます。私は人間の誰もが持つ「罪」をどのように表現するかを仕事にしているのです。他の監督や演劇作家も同じですが、「人間の罪をどのように描くか」がわれわれの大きなテーマの一つだと考えています。

  ハネケはショック療法のような手法でこの「罪」を描き出そうとした。単に抽象的な「罪」と言うだけなら僕は賛同できない。それではまるで「春夏秋冬そして春」でギドクが描いた人間の「業」と同じように観念的である。しかしここでは、少なくとも植民地支配や南北問題に言及している。さらには別のインタビューではこう語っている。「ただ海外でこの映画がフランスに特殊な題材を扱ったものと思われることには警戒がある。個人の罪と集団(国家)の罪が重なり合う事態は、どこででも起こりうることで、これはそんな普遍的な問題を扱う映画だ」(eiga.com)

  「普遍的」という言葉も抽象性に導きやすいので警戒すべき言葉だが、ここでは少なくとも人種的偏見や植民地主義などの具体的テーマが示されており、かつ個人のレベルにとどまらず一人ひとりに問いかけている。さらには、ビデオを使うことでメディアの報道に対する不信というテーマも盛り込んでいる。「わたしにとって政治的なメッセージを込めた映画はつまらない。個々の人間の心の奥底に突き刺さるものを作らないと面白くない」という考えを持つハネケだが、少なくとも「隠された記憶」ではこの二つをぎりぎりのところで重ね合わせている。この映画がもっとも観るに耐える作品になったのはそのためである。

  最後に蛇足を一つ。僕がこの映画で一番驚いたのは「衝撃のラストシーン」でもマジッドの突然の自殺でも、「斬新な映像トリック」でもない。ジョルジュの母である。なんとアニー・ジラルドが演じていた。あまりの老け具合にキャストを見るまで気がつかなかった。アニー・ジラルドは僕が高校生から大学生の頃好きだったフランス女優の1人である。ジーン・セバーグを思わせる短髪が似合う女優で、当時カトリーヌ・ドヌーヴよりはるかに好きだった。高校生の時に観た「愛のために死す」(1970)の時で既に40歳近かったわけだが、大人の女の魅力にあふれていた。6、70年代が女優としてのピークだろう。1931年生まれだから、「隠された記憶」の時は74歳。う~ん、気づかない方がよかった。

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