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2006年12月17日 - 2006年12月23日

2006年12月23日 (土)

浅間サンライン

 休みになるとふと車で走ってみたくなる道がある。浅間サンライン。国道18号線の北側Photo_19 をほぼ18号と並行して走っている道である。この道がドライブしていて気持ちいいのは一つには眺めがいいからである。上田から佐久方面に行く千曲ビューラインも一部眺めのいいところがあるが、サンラインの方がずっと視界は開けている。走っていると日ごろのストレスが消えて行くようだ。もう一つの魅力は途中でいくつも山側に入る道があり、初めての道にわざと入ってみると意外な風景と出会えることである。前に「川沿いを自転車で」というエッセイを書いたことがある(本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」の〔エッセイ〕コーナーに収録)。そこで「とにかく一度も行ったことがないところに行ってみたくて、できるだけ色々なコースを取ってみた。狭い路地などがあると無性に入ってみたくなるのである」と書いたように、自転車が車に変わってもやはり意外な出会いが僕は好きなのである。
 これまで何度も日記に浅間サンライン周辺のドライブのことを書いてきた。今日もまたふらっとドライブに出て、稲倉棚田に行ってきた。いい機会なので浅間サンライン周辺ドライブ日記から3篇を選んで掲載してみます。

<「アトリエ・ド・フロマージュ」に行く> 2006年5月22日
 いい天気だったのでドライブに行くことにした。浅間サンラインに出て、別府の信号を山側に入ったところ(上田から行けば左折)にある「アトリエ・ド・フロマージュ」に行く。チーズPhoto_20 工房があってチーズフォンデュで有名なレストランだ。ここで食事したのは1度だけだが、隣の建物にティールームがあるので、時々ふらっと訪れて珈琲を飲みながら本を読んでゆく。今日もティールームに入りアイスコーヒーを飲んだ。『ダ・ヴィンチ・コード』の続きが読みたかったからだ。ゆったりと時間をすごした後店を出る。まだ明るかったので店の裏のほうを歩いてみた。

 なんとものどかな田園風景。草のにおいが鼻にむっと来る。斜面になっているので眺めがいい。家は点々とあるだけ。のんびり田舎道を歩くのは気持ちがいい。花があちこちに咲いている。庭だけではなく田んぼの隅や道端に何気なく咲いている。街中だとこうはいかない。

 いったん引き返して、最初通過した気になる小道を上がってみた。細い上りの道。左側にきれいな家が建っている。玄関の周りに貼ったレンガが素敵だ。デジカメを持って来ればよかったと思うようないい景色だ。しばらく上ると左手に木立が見えてきた。なぜか見覚えがあるとぼんやり感じた。初めて来るはずなのに変だと思っていたら、なんと見覚えのある「もの」が見えてきた。縄文式住居のように萱のようなものを円錐状に立て掛けて作った小屋。これは以前ある知人に連れてこられたところじゃないか!そうかここだったのか。何という偶然。散歩に来てよかった。誰もいなかったが、なんとなく遠慮して林の中には入らなかった。林の横でタバコをすって引き返した。

 横を水路が流れている。最初の道に戻ったが、そのまま道を横切ってさらに水路に沿って小道を下っていった。どこかで「フロマージュ」の駐車場の下を走っている道に出るはずPhoto_24 だから、そこを右に曲がれば「フロマージュ」に戻れると踏んだからだ。そこから先はビニールハウスの中で仕事をしている人を見かけただけで、車も人も通らない。最初は田んぼの中を進むのだが、そのうち両側が木で覆われ視界がふさがれる。だいぶ下ったがまだ道にぶつからない。ずっと右側の「フロマージュ」のある方角を気にしていたのだが、だんだん離れてゆく気がして心細くなってくる。まあ、最悪の場合道を引き返せばいいのだから迷うことはないと自分を慰める。しかしいくら下っても道はさらに先まで続き、「フロマージュ」は遠ざかってゆく。もう日もだいぶ傾いてきてあたりが黄色がかってきた。左側がちょっと開けたところまできたときに、引き返すことにした。

 今度はずっと上りだ。だいぶ歩いたので足も疲れている。早く車のところに戻りたい。自然足取りも速くなる。やっと車に戻りほっとする。駐車場下の道を確かめてみたら、さっき歩いていた小道に出る手前でカーブして下に降りていた。これでは交差しないはずだ。車の運転は別に疲れないが、塩田までの遠いこと。こんなに遠くまで来ていたのかと改めて驚いた。

<金原ダムに行く> 2006年6月17日
  ドライブに行く。どこに行くと決めてはいなかったが、やはり浅間サンラインへ。野竹トンネルを抜けてすぐ左折。ローマン橋が正面に。橋を超えてすぐ左折。道の横に車を停められる広いスペースがあったのでそこに車を停めてタバコを一服。しげしげと橋を眺める。なかなかきれいな形の橋だ。真下まで行って下から橋を見上げる。道路の真ん中に切れ目が入っている。下から見るとただのコンクリートの塊だが不思議な空間になんとなく圧倒される。

  また車に乗って少し戻り左折。坂をどんどん上がってゆく。どこに出るかと思っていたら以前行った児童書専門店「なるに屋」に行く道に出た。まっすぐ行くと菅平に行く道とぶつPhoto_23 かる。交差点のすぐ横が西友。右折してしばらく菅平方面に向かい、「真田の湯」下の交差点で右折。小諸へ行く山道。何度も通った道だがここは走りやすくて好きだ。金原(かなばら)ダムに行こうかと思いついたのはその道を走っているときだった。あまりに暑いので車のクーラーを入れた。しかし案内板が見つからないので浅間サンラインとの交差点まで行ってしまった。途中「すみれ屋」を見つけた。なくなったのかと思っていたがまだあったんだ!しかしこんな坂を下ったところにあったんだっけ?場所を移転したのかもしれない。気づいたのが遅かったので通り過ぎてしまった。また今度行ってみよう。

 浅間サンラインを上田方面へ向かう。途中で金原ダムの看板を見つける。急遽右折して行ってみることにする。どうも前に通ったことがあるような気がする道だ。人家が途絶えてからすぐダムは目に入ってきた。ダムの下でいったん車を停める。珍しいことにコンクリートの塊ではなく、お城の石垣のように大きな石を組んでできている。下から見上げているとダムの上を歩いている人が見えた。どうやらさらに道を登るとダムの横まで行けるようだ。また車に乗ってさらに坂を上る。意外なほどすぐにダムの横に出た。車を止めてダムを眺める。ダムはさほど大きくはなく、ダム湖というより池に近い。水量もわずかで底のほうに少したまっているだけ。水は緑色ににごっていて汚い。3、4人湖面まで降りて釣りをしていた。

 ダムの周りを歩いてみる。正面の急角度で削った山の斜面に黄色い花が一面に咲いていてきれいだ。どういうわけかその斜面を見ていると目の焦点が合わないような不思議な070226_1 感覚に襲われる。平衡感覚がやや失われてまっすぐ歩けない感じ。ふらつくほどではないが、不思議な感覚だった。しかし素晴らしいところだと思った。天空の桃源郷とでも言うのか、人里はなれた理想郷のような空間だ。「天空の草原のナンサ」という映画のタイトルが頭に浮かんだ。ダムの上から見下ろす景色もきれいだ。カメラを持ってくればよかった。きっとダムの壁がコンクリートの塊でないからそう感じるのだろう。放水路のあたりだけコンクリートでできている。しばらく眺める。かなりの高さだ。落ちたらまず助からないな。ほぼ垂直に屹立するコンクリートの壁。ぞっとする。先ほどの黄色い花が咲いている斜面の下まで行くと、黄色い花がレンギョウだと分かった。とんでもない急斜面に斜めに咲いている。黄色い花は目立つのできれいだ。ダムの周りの道はぐるっと1周するように続いているのだが、放水路の横に柵があって先に行けない。また引き返す。ふと反対側を見ると少しダムから上がったところにあずまやが見えた。あそこまで行ってみよう。車に戻ってさらに道を上がる。道が行き止まりになっているところで車を停めた。左側にあずまやがあった。そこまで下りてまたタバコを吸う。他に誰もいない。悪くない空間だが、ハチや虫がたくさん飛んでいてあまり長居はしたくなかった。タバコをすい終わる頃に軽トラックが1台やってきた。入れ替わるように車に乗って坂を下る。

 途中右側に見覚えのあるワイナリーの看板を見かける。そうかここはやはり以前通った070226_7 道だった。浅間サンラインを上田に向って走っていた時右上の崖の上にまるで空中城郭のように高級そうな住宅が建ち並んでいるのが目に入って、急遽右折してそこまで上がっていったことがある。その住宅街を抜けてさらに坂を上がったとき通ったのがこの道だった。ワイナリーの看板はその時見かけた。後日そのワイナリーに行こうと思ってもう一度探したことがあったが見つからなかった因縁の道である。こんなことでまた通るとは。交差点の名前をよく覚えておこう。浅間サンラインに出るが、どうも上ってきたところと違う交差点に出たようだ。交差点の名前は下大川。おそらく先ほどはひとつ隣の海善寺北から登ったのだろう。(金原ダムの写真は07年2月25日に撮ったもの。)

<稲倉棚田に行く> 2006年12月23日
  気持ちのいい天気だったのでドライブに行く。浅間サンラインに出て、芳田のショッピングモールに入った。レストランで食事をした後、「珈琲哲学」に入る。いつも思うがこの店の2 作りはいい。両側に塔が付いている。右側の塔にはベランダのようなものも見える。この塔にはあこがれる。塔に上がれるのかどうかは分からないが、できれば自分の家にも欲しいと思う。僕は狭い自分だけの空間が好きだ。塔があればそんな空間を作りたい。なんだか幽閉されているようにも思えるが。「珈琲哲学」の内装ももちろんいい。しばらく塔のことを考えた後、珈琲を飲みながら『風の影』(下巻)を読む。今佳境に入っている。

 珈琲哲学を出て、芳田の交差点を右折して山側に入った。浅間サンラインは両側に家が立ち並んでいないので解放感があって好きだ。ドライブとなると、ついここにきてしまう。Photo_22 今走っている道は何度も通ったことのある道で、そのまままっすぐ行けば144号線に出る。その時道の右側にある「稲倉棚田」の看板が眼に入った。迷わず右折する。前から上田に棚田があることは聞いていたが、実際に行ったことはなかった。細い山道をしばらく上がると山の斜面に狭い駐車スペースがあった。すぐ足元が棚田だった。棚田を上から見下ろしている。左側に山があるので右手に向って斜面が下っており、その斜面にそって棚田が作られていた。冬なので茶色かがった風景だが、夏は緑と水が目にまばゆいだろう。周りに家が一軒もなく、人っ子一人いない。シーンと静まり返った不思議な空間。カメラを持ってこなかったことが悔やまれた。明日も天気がよければデジカメを持ってまた来てみよう。

 そこにいたのは5分程度。さらに上にまで道が続いていたのでどうなっているのか見たくなった。車でさらに道を上がる。ぽつんと一軒だけ家があるのは前から見えていたが、何回か道を曲がると家がたくさん見えた。ついさっきまで何もない空間にいたので、こんな山の上にも「集落」があるのかと驚いた。さらに上ってゆくと比較的大きな道に出た。とりあえず左折する。しばらく走ってそれが真田から小諸に行く真田東部線だと気づいた。ここも何度も通った道だ。そのまま行くと真田に出てしまうので引き返そうか迷ったが、踏ん切りがつかないまま菅平に上る144号線に出た。横沢の信号を左折して上田に戻った。144号線も普段は走っていて気持ちがいいのだが、あの棚田の気分が残っているせいか、両側を家に囲まれた道がいとわしかった。

<ブログ内関連記事>
浅間サンライン脇道探索「せせらぎ公園」を発見
蒼い時と黒い雲
喫茶「すみれ屋」へ行く
不思議な空間のゴブリン

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2006年12月22日 (金)

ナイロビの蜂

2005年 イギリス 2006年5月 128分 Bluebara1
原題:The Constant Gardener
評価:★★★★
監督:フェルナンド・メイレレス
原作:ジョン・ル・カレ 『ナイロビの蜂』(集英社文庫刊)
脚本:ジェフリー・ケイン
撮影:セザール・シャローン
音楽:アルベルト・イグレシアス  
出演:レイフ・ファインズ、レイチェル・ワイズ、ユベール・クンデ、ダニー・ヒューストン
   ビル・ナイ、ピート・ポスルスウェイト、ジェラルド・マクソーリー
    ジュリエット・オーブリー、リチャード・マッケーブ、アーチー・パンジャビ

  映画のタイプとしてはサスペンスだが、主題からすれば「ロード・オブ・ウォー」に近い。いわゆる内幕暴露物。「ロード・オブ・ウォー」は武器商人が主人公。「ナイロビの蜂」はイギリスの外交官が主人公で、殺された妻が調べていた製薬会社の疑惑を夫が引き継いで追求してゆく。「ロード・オブ・ウォー」が倒叙物だとすれば、「ナイロビの蜂」は真相究明型の本格的ミステリー・サスペンス物。アフリカが舞台という意味では「ホテル・ルワンダ」にも通じる面がある。

  展開としては製薬会社の疑惑追及という主筋に主人公ジャスティン(レイフ・ファインズ)と妻テッサ(レイチェル・ワイズ)の夫婦愛が絡む。この夫婦が対照的である。英語の原題が示すように、ジャスティンはガーデニングが好きな男で、外交官でありながら面倒なことからは目を背ける事なかれ主義者。一方のテッサはかなりラディカルで、思ったことを率直に言葉にし、行動するアクティブなタイプ。

  二人が出会う冒頭のシーンが二人の性格の違いを明確に描き出している。イギリス外務省一等書記官のジャスティンが外務省アフリカ局長の代理で講演をしている。ほとんど無内容な彼の話を聞いていたテッサが彼に噛み付く。彼女は英米によるイラク侵略を取り上げ、イギリスのアメリカ追従政策を批判する。自分は代理だからと逃げようとするジャスティンに彼女はなおも食い下がる。二人の性格の違いがよく出ているが、このシーンでもう一つ重要なことがある。会場にいた者が誰一人彼女に賛同を示さず、あきれて会場を去ってゆくことだ。あれを観ていて異様だと思った。まともな人間が一人もいない。声高に何かを主張することを嫌う日本ならありうることだがイギリスでも同じなのか。彼女の発言をめぐって会場が賛否両論に分かれて騒然とするという展開にすらならない。終始しらけている。そんな聴衆に向って内容のない話をするジャスティン。その形骸化した催しのむなしさ。冒頭の場面が描いているのは主人公二人の性格の違いだけではなく、テッサ以外誰一人として現実を見ようとせず、表面的な理解で分かったようなつもりになっている現状である。

  テッサは常識をわきまえない過激な人間だとあの場面を観て理解したのでは、映画が伝えようとしたことを充分読み取っていないことになる。「ホテル・ルワンダ」のあの印象的なせりふ、虐殺現場のビデオをテレビで流しても「世界の人々はあの映像を見て”怖いね”と言うだけで、ディナーを続ける」というせりふはこの場面にこそあてはまる。遠い国で起こっている現実に世界がいかに無関心であるか。「ナイロビの蜂」はアフリカの現実に無関心だったジャスティンが妻の死をきっかけに彼女の遣り残した疑惑の追及を引き継ぐという展開になる。テッサがジャスティンに言う「わたしを探求して」という言葉が暗示的だ。テッサの死をきっかけに彼女の足跡をたどることは、そのまま製薬会社がイギリス人外交官ぐるみで行ってきたアフリカ人を使った新薬人体実験の追及につながるのだから。

  アフリカの現状がよく映し出されている。見渡す限り黄色いトタン屋根がぎっしりと立ち並ぶ粗末な家々。「フラガール」に出てきた炭鉱長屋よりさらに粗末で雑然としている。テッサの遺体が発見されたトゥルカナ湖の赤茶けた岸辺の寒々とした光景。そして貧困、政治の不安定、エイズや疫病の蔓延。「ホテル・ルワンダ」は部族間対立による大量虐殺を描いたが、アフリカでは虐殺がなくても日常的に人が死んでいる。国際的な援助やNGO団体のボランティア活動も隅々には行き渡らない。長い間「暗黒大陸」と呼ばれてきたアフリカ。アフリカ人は遺伝子的に劣等だと決め付けられ、西欧の進んだ文明を「施されて」来た人々。奴隷として売られていった人々も数知れない。西欧諸国の植民地にされて食い荒らされてきた長く苦い歴史を持つ国々。

  テッサはこういうアフリカの現状の中に飛び込んでいって、医療ボランティアに従事してTr_06 いた。しかし治療を要する人はあまりにも多く、医療関係の援助物資はあまりにも不足している。送られてきた薬品も使用期限切れで役に立たない。ボランティアに従事している人たちの多くはテッサの様な善意と熱意を持った人たちだろうが、しかしその中にボランティアを装って新薬の人体実験をしている薬品会社があることにテッサは気づく。イギリスの外交筋と癒着した「スリー・ビーズ」(三匹の蜂)である。何人かの患者がその副作用で死んだのが疑いを持ったきっかけである。いつの間にかその死んだ人たちの記録も消されていた。

  映画の冒頭でテッサは彼女の同僚である医師のアーノルドと共に飛行機でロキへと旅立っていった。恐らくその証拠を集めるためだったのだろう。何も知らないジャスティンは2日後にまた会えると思っていた。次にジャスティンが彼女に会ったのは死体安置所だった。そこにあったのは黒く焼け爛れた妻の遺骸だった。あの死体安置所の寒々とした雰囲気、整然と並んでいるいくつもの遺体(中には激しい損傷を受けているものもある)、アフリカの現状のエッセンスを見る思いだった。

  テッサの死は事故扱いされ、彼女とアーノルドの不義も噂される。しかしジャスティンは納得せず、真相は別にあると考え彼女の足跡をたどってゆく。いつの間にか彼女の果たせなかった不正追求を彼が引き継いでいた。その中で「スリー・ビーズ」による新薬の人体実験が明らかになるのだが、おぞましいのはそれ自体よりもその背後にある認識である。例えば、イギリスの製薬会社がイギリス人を使って新薬の実験をするだろうか?アフリカ人なら平気で実験に使える、どうせ普段でも多数の人が死んでいるのだ、少しぐらい増えても疑われはしない。この感覚、しかもそれが医療ボランティアという美名の下で行われていたのである。アフリカ人を奴隷扱いしていた時代とどれほどの違いがあるのか。副作用があると分かっていても、新薬を改良するのにかかる経費と時間を考えればそのまま製品化したほうが安上がりだ。こういう考え方がこの映画を通して抉り出されてゆく。帝国主義時代以来変わっていないのかと疑いたくなるほど露骨な人種的偏見と資本主義の利潤追求が裏腹に結びついている。企業活動の裏には必ず利潤追求があるのはいまさら言われるまでもないが、それが人種的偏見と結びついた時何ともおぞましい事態になる。「カーサ・エスペランサ」「ココシリ」のレビューでも書いたが、途上国の人々を犠牲にして、つまり彼らから搾り取ることで先進国の発展が支えられているという関係はここでも成り立っている。

  テッサが殺されるまでは傍観者だったジャスティンがこの追求を通じて行動的人間に変わって行く。それを象徴するのが「目の前の一人を助けたところでどうなる。ああいう人は、他に何千、何万といるんだ」という言葉。ほぼ同じ言葉が二度繰り返される。最初は患者を見舞いに来た家族が長い道を歩いて家に帰るのを見たテッサが夫に車に乗せてあげようと提案した時ジャスティンが口にする。全員横並びで一人だけ特別扱いは出来ない。まさにお役所的発想である。二度目は一連の真相を知る医師ローピア(ピート・ポスルスウェイト)にジャスティンが会いに行った時。キャンプが別の部族に襲撃され白人たちは飛行機で脱出しようとする。その時一緒にいたアフリカ人の男の子も乗せてくれとジャスティンはパイロットに言うが、パイロットが言ったのは以前ジャスティン本人が言ったのとほぼ同じ言葉だった。二人が言い争っている間に男の子は自分で飛行から下りてしまう。男の子の気持ちは、丁度「ホテル・ルワンダ」で白人だけが乗った脱出用バスをホテルに残されたアフリカ人たちが見送る時の気持ちと一緒だっただろう。何とも痛切な場面である。

  この場面はジャスティンが事なかれ主義からテッサの遺志を受け継いだ行動する人になっていたことを表している。と同時に、一人二人を救っても根本的な解決にはならないことをも示している。それは確かに事実なのだ。アフリカのありよう、アフリカの国々自体の貧しさ、膨大な数の難民、政治体制や社会保障体制の未発達、人権の未確立、植民地支配の残滓、さらには諸外国や諸団体の「援助」のありかた、見直すべき事柄が多すぎ、まTatatemy104た大きすぎて先が見えない。これらの問題を解決しなければアフリカの現状を根本から変えることは出来ない。しかし全く変わっていないわけではない。かつて悪名高きアパルトヘイトで知られた南アフリカは大きく変化した。「アマンドラ!希望の歌」に描かれた体全体を使って歌い踊る人々。彼らの歌は「抑圧の隙間から染み出てきた」。抑えられても抑えられても噴き出してくる民衆の情熱と熱気、生きようとする意欲。ついにはアパルトヘイトを突き崩してしまった。「ナイロビの蜂」でも、様々な問題を抱えながら街角にあふれかえる人々の間には活気があった。彼らは悲惨な状況を生き延びてきた。そこに可能性がある。この映画に物足りないものがあるとすれば、やはりアフリカ人自身が充分描かれていないことだろう。それは恐らく原作自体が抱える問題でもある。この映画は徹頭徹尾西欧人の視点で描かれている。アフリカやアフリカ人の内奥にはどうしても入り込めない。

  ジャスティンがほとんど自殺とも取れる行動をとるエンディングも疑問だ。結局ラブ・ストーリーで終わっているとも言えなくはない。映画のラストはジャスティンのテッサへの愛で終わっている。テッサも夫を愛していたが、彼女の愛はもっと広かった。テッサは彼が彼女の後を追うようにして死ぬことを望んでいただろうか。

  そもそも水と油のテッサとジャスティンが惹かれ合うというのも説得力に欠ける気がするが、まあその点は映画の基本設定として受け入れてもいい。テッサがジャスティンに何も知らせずに行動したのはジャスティンを巻き込みたくなかったからというのも理解できないことはない。ジャスティンがアフリカを覆う黒い霧を調べ始めるきっかけが愛する妻の突然の死という個人的な出来事だったというのも不自然ではない。きっかけは何でもいい。問題はその後の追及の深さなのだから。夫婦の愛を描く場面も悪くはない。中でもジャスティンが妊娠していたテッサと子供の名前について話し合う場面が印象的だ。ジャスティンが「チェ」はどうかと言うとテッサが「そんなの嫌よ!」と答える場面。「チェ」とは恐らくエルネスト・チェ・ゲバラのことを意味しているのだろう。「チェ」はゲバラのあだ名である。君は「革命家」だからという夫の軽い皮肉が込められている。

  ジャスティンは真相にたどり着いたが、自ら告発はしなかった。事件の真相はテッサの従兄弟によって告発された。すべてを彼に預け、自分はむしろ死を選んだ。この結末は何を意味しているのか。結局、西洋人の視点で描かれているこの映画はアフリカに対する西洋人の懺悔のような作品だったのかもしれない。ある意味で彼らの無力感の裏返しだったのだろうか。一つの問題を解決しても、また別の問題が浮かび上がる。根本的な解決などどこにも見出せない。問題をある程度抉り出しながらも、最後は夫婦の愛という口当たりの良いベールで覆って終わらせてしまう。必然性のないジャスティンの死にそんなことを感じた。

   この映画の原題 “The Constant Gardener” はジャスティンのことを直接的には指しているのだろうが、もっと別の意味で受け取ることも可能である。アフリカの現状を変えるには一時しのぎではダメだ。関わり続けなければ、種を蒔き続けなければならないという意味で。甘い蜜に群がる連中は尽きることはない。ブラジル生まれのフェルナンド・メイレレス監督は決してアフリカの人々を意気消沈して生気のない人たちとしては描かなかった。しかし最後は結局西洋人の問題として終わらせてしまう。彼は「シティ・オブ・ゴッド」で社会の底辺に生きる子供たちの現実を冷徹な目で見つめつつも、語り手を抗争に巻き込まれそうになりながらも最後まで決して暴力に走らないカメラマン志望の少年にしていた。そこに救いがあった。「ナイロビの蜂」の劇場用パンフレットには「彼らの未来はどうなるのか?未来への希望を持つのは難しい。だが我々は希望を持たねばならないんだ」という監督の言葉が載っているそうである。しかしこの映画のエンディングはそうなっているだろうか。原作は西洋人が書いたものだが、映画化するときにもっとブラジル人監督らしい別の終わり方に出来なかったのか。その点が疑問として残った。

〔追記〕
 「再出発日記」のkuma0504さんからエンディングの解釈について非常に説得力のあるコメントをいただきました。どうぞそちらもお読みください。

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2006年12月20日 (水)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(07年1月)

【新作映画】
12月23日公開  
 「ヘンダーソン夫人の贈り物」(スティーブン・フリアーズ監督、英)
 「リトル・ミス・サンシャイン」(ジョナサン・デイトン他監督、米)
 「ダーウィンの悪夢」(フーベルト・ザウパー監督、 オーストリア・ベルギー・フランス)
 「名犬ラッシー」(チャールズ・スターリッジ監督、英・仏・アイルランド)
 「シャーロットのおくりもの」(ゲイリー・ウィニック監督、アメリカ)
12月26日公開
 「早咲きの花」(菅原浩志監督、日本)
12月30日公開
 「みえない雲」(グレゴール・シュニッツラー監督、独)
1月2日公開
 「恋人たちの失われた革命」(フィリップ・ガレル監督、フランス)
1月13日公開
 「ラッキーナンバー7」(ポール・マクギガン監督、米独)
1月20日公開
 「マリー・アントワネット」(ソフィア・コッポラ監督、米仏日)
 「不都合な真実」(デイビス・グッゲンハイム監督、米)
 「筆子・その愛 天使のピアノ」(山田火砂子監督、日本)
 「それでもボクはやってない」(周防正行監督、日本)
1月27日公開
 「グアンタナモ、僕たちが見た真実」(マイケル・ウインターボトム他監督、英)

【新作DVD】
12月21日
 「恋は足手まとい」(ミシェル・ドビル監督、フランス)
12月22日
 「ふたつの恋と砂時計」(コン・ジョンシク監督、韓国)
12月23日
 「パトリス・ルコントのドゴラ」(パトリス・ルコント監督、フランス)
1月11日
 「ダック・シーズン」(フェルナンド・エインビッケ監督、メキシコ)
1月12日
 「夜よ、こんにちは」(マルコ・ベロッキオ監督、イタリア)
 「ハチミツとクローバー」(高田雅博監督、日本)
1月14日
 「花田少年史」(水田伸生監督、日本)
1月24日
 「セレブの種」(スパイク・リー監督、アメリカ)
1月25日
 「ゲルマニウムの夜」(大森立嗣監督、日本)
1月26日
 「グエムル 漢江の怪物」(ポン・ジュノ監督、韓国)
 「ローズ・イン・タイドランド」(テリー・ギリアム監督、カナダ・イギリス)
 「カサノバ」(ラッセ・ハルストレム監督、アメリカ)
 「やわらかい生活」(廣木隆一監督、日本)
1月27日
 「フープ・ドリームス」(スティーブ・ジェイムズ監督、アメリカ)
 「トランスアメリカ」(ダンカン・タッカー監督、アメリカ) Snowman02b_1

【旧作DVD】
12月20日
 「長い灰色の線」(55、ジョン・フォード監督、米)
12月22日
 「ヘッドライト」(55、アンリ・ベルヌイユ監督、仏)
 「童年往事」(85、ホウ・シャオシェン監督、台湾)
 「ニーベルンゲン」(24、フリッツ・ラング監督、独)
 「ニューヨーカーの青い鳥」(87、ロバート・アルトマン監督、米)
 「侯孝賢傑作選 DVD-BOX 80年代編②」
 「溝口健二 大映作品集② 1954-1956」
1月17日
 「國語元年 DVD-BOX」(TVドラマ) 1月21日
 「にっぽん泥棒物語」(65、山本薩夫監督、日本)
1月25日
 「川本喜八郎作品集」
1月26日
 「グレース・ケリーDVDコレクション」(「喝采」と「泥棒成金」のパック)

 劇場新作は今のところ様子窺いといったところ。ただ、このところ優れた作品が目立つドキュメンタリーでまた注目すべき作品が公開される。「ダーウィンの悪夢」。舞台はアフリカのヴィクトリア湖。外来種の巨大魚とそれにまつわる環境悪化を描く。貧困や武器の輸出にまで視線が及んでいるということなので期待できそうだ。新作DVDではついに「グエムル 漢江の怪物」が出る。早く観たい。「スティーヴィー」のスティーブ・ジェイムズ監督作品「フープ・ドリームス」にも注目!ドキュメンタリーのDVDは少ないので見つけたら必見。
 旧作DVDでは何といっても「侯孝賢傑作選 DVD-BOX 80年代編②」が目玉。傑作「川の流れに草は青々」が収録されている。「長い灰色の線」「ニーベルンゲン」「にっぽん泥棒物語」も是非。井上ひさし原作のTVドラマ「國語元年」が出るのもうれしい。舞台で一度見たがNHK版の方が出来はずっといいようだ。人形アニメ作家川本喜八郎の作品集が廉価で出るのも朗報である。

2006年12月17日 (日)

2006年に公開された主な外国映画

「愛より強い旅」(トニー・ガトリフ監督、フランス)
「愛より強く」(ファティ・アキン監督、独・トルコ)
「明日へのチケット」(E.オルミ、K.ローチ、A.キアロスタミ監督、伊・英)
「アメリカ、家族のいる風景」(ヴィム・ヴェンダース監督)  
「あるいは裏切りという名の犬」(オリビエ・マルシャル監督、仏)
「ある子供」(ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督、フランス・ベルギー)
「家の鍵」(ジャンニ・アメリオ監督、伊仏独)  
「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督、アメリカ)
「イカとクジラ」(ノア・バームバック監督、アメリカ)
「イノセント・ボイス」(ルイス・マンドーキ監督、メキシコ)
「イベリア 魂のフラメンコ」(カルロス・サウラ監督、スペイン・フランス)
「インサイド・マン」(スパイク・リー監督、米)
「ウォ・アイ・ニー」(チャン・ユアン監督)
「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」(ジェームズ・マンゴールド監督)
「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」(ニック・パーク監督)  
「美しい人」(ロドリゴ・ガルシア監督、アメリカ)
「美しき運命の傷痕」(ダニス・タノビッチ監督、伊仏ベルギー)  
「うつせみ」(キム・ギドク)
「王と鳥(やぶにらみの暴君)」(80、ポール・グリモー監督、フランス)
「王の男」(イ・ジュンイク監督、韓国)
「おさるのジョージ」(06、マシュー・オキャラハン監督、米)
「オリバー・ツイスト」(ロマン・ポランスキー監督、英・チェコ・仏・伊)
「オーロラ」(ニルス・タベルニエ監督、フランス)
「隠された記憶」(ミヒャエル・ハネケ監督、オーストリア他)
「カクタス・ジャック」(アレファンドロ・ロサーノ監督、メキシコ)
「カポーティ」(ベネット・ミラー監督、アメリカ)
「狩人と犬、最後の旅」(04、ニコラス・バニエ監督、仏・他)
「記憶の棘」(ジョナサン・グレイザー監督、アメリカ)
「奇跡の夏」(イム・テヒョン監督、韓国)
「キンキー・ブーツ」(ジュリアン・ジャロルド監督、英米)
「キングス&クイーン」(アルノー・デブレシャン監督、仏)
「グエムル 漢江の怪物」(ポン・ジュノ監督、韓国)
「ククーシュカ ラップランドの妖精」(アレクサンドル・ロゴシュキン監督)
「薬指の標本」(ディアーヌ・ベルトラン監督、仏・独・英)
「グッドナイト&グッドラック」(ジョージ・クルーニー監督、英米仏日)
「クラッシュ」(ポール・ハギス監督、アメリカ)  
「クリムト」(ラウル・ルイス監督、オーストリア、他)
「敬愛なるベートーヴェン」(アニエスカ・ホランド監督、英・ハンガリー)
「ココシリ」(ルー・チューアン監督、香港・中国)
「ザ・コーポレーション」(マーク・アクバー、ジェニファー・アボット監督)
「サラバンド」(イングマル・ベルイマン監督、スウェーデン、他)
「サンキュー・スモーキング」(ジェイソン・ライトマン監督、アメリカ)
「ジャケット」(ジョン・メイブリー監督、米独)
「ジャスミンの花開く」(ホウ・ヨン監督、中国)
「ジャーヘッド」(サム・メンデス監督、アメリカ)  
「13歳の夏に僕は生まれた」(マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督、伊・仏・英)
「16ブロック」(リチャード・ドナー監督、アメリカ)
「シリアナ」(スティーブン・ギャガン監督)
「白バラの祈り――ゾフィ・ショル、最期の日々」(マルク・ローテムント監督、独)  
「敬愛なるベートーヴェン」(アニエスカ・ホランド監督、ハンガリー、英)
「深海」(05、チェン・ウェンタン監督、台湾)
「人生は、奇跡の詩」(ロベルト・ベニーニ監督、イタリア)
「親密すぎるうちあけ話」(パトリス・ルコント監督、仏)
「西瓜」(ツァイ・ミンリャン監督、台湾)
「スタンドアップ」(ニキ・カーロ監督、アメリカ)  
「スティーヴィー」(スティーヴ・ジェイムス監督、アメリカ)
「戦場のアリア」(クリスチャン・カリオン監督、仏独他)
「タイフーン」(クァク・キョンテク監督、韓国)
「太陽」(05、アレクサンドル・ソクーロフ監督、ロシア・他)
「太陽に恋して」(ファティ・アキン監督、独)
「ダ・ヴィンチ・コード」(ロン・ハワード監督、米)
「ダック・シーズン」(フェルナンド・エインビッケ監督、メキシコ)
「単騎、千里を走る。」(チャン・イーモウ監督、中国・日本)  
「ダンサーの純情」パク・ヨンフン監督、韓国)
「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督、アメリカ)
「トランスアメリカ」(05、ダンカン・タッカー監督、アメリカ)
「トリノ、24時からの恋人たち」(ダビデ・フェラーリオ監督、イタリア)
「トンマッコルへようこそ」(パク・クァンヒョン監督、韓国)
「ナイロビの蜂」(フェルナンド・メイレレス監督、英独)
「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ」(カーク・ジョーンズ監督、英米仏)  
「ニキフォル」(クシシュトフ・クラウゼ監督、ポーランド)
「ニュー・ワールド」(テレンス・マリック監督、アメリカ)
「ハイジ」(ポール・マーカス監督、イギリス)
「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」
「母たちの村」(ウスマン・センベーヌ監督、フランス・セネガル)
「春が来れば」(リュ・ジャンハ監督、韓国) 
「春の日のクマは好きですか?」(ヨン・イ監督、韓国)
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」(デヴィッド・クローネンバーグ監督)
「ファーザー、サン」(アレクサンドル・ソクーロフ監督、ロシア他)
「ファミリー」(イ・ジョンチョル監督)
「Vフォー・ヴェンデッタ」(ジェイムズ・マクティーグ監督、米独)
「胡同(フートン)のひまわり」(チャン・ヤン監督、中国)
「プラダを着た悪魔」(デビッド・フランケル監督、アメリカ)」
「プラハ!」(フィリプ・レンチ監督、チェコ)
「プルートで朝食を」(ニール・ジョーダン監督、アイルランド・英)
「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」(ジョン・マッデン監督、アメリカ)  
「ブロークバック・マウンテン」(アン・リー監督)
「ブロークン・フラワーズ」(ジム・ジャームッシュ監督、米仏)
「プロデューサーズ」(スーザン・ストローマン監督、アメリカ)
「僕が9歳だったころ」(ユン・イノ監督、韓国)
「僕と未来とブエノスアイレス」(ダニエル・プルマン監督、アルゼンチン)
「僕の大事なコレクション」(リーヴ・シュライバー監督、アメリカ)
「ぼくを葬る」(フランソワ・オゾン監督、フランス)
「ホテル・ルワンダ」(テリー・ジョージ監督、南ア・米・英・伊)
「マッチポイント」(ウディ・アレン監督、イギリス)
「ママが泣いた日」(マイク・バインダー監督、米・独・英)
「ミュンヘン」(スティーブン・スピルバーグ監督、アメリカ)
「麦の穂をゆらす風」(ケン・ローチ監督、アイルランド・英、他)
「夢遊ハワイ」(シュー・フーチュン監督、台湾)
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」(トミー・リー・ジョーンズ監督)
「森のリトル・ギャング」(06、ティム・ジョンソン他監督、アメリカ)
「ユナイテッド93」(06、ポール・グリーングラス監督、アメリカ)
「夜よ、こんにちは」(マルコ・ベロッキオ監督、イタリア)
「歓びを歌にのせて」(ケイ・ポラック監督、スウェーデン)
「楽日」(ツァイ・ミンリャン監督、台湾)
「力道山」(ソン・ヘソン監督)
「リトル・イタリーの恋」(ジャン・サルディ監督)
「リトル・ミス・サンシャイン」(ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファレス監督)
「緑茶」(チャン・ユアン監督、中国)
「玲玲(リンリン)の電影日記」(シャオ・チアン監督、中国)
「レイヤー・ケーキ」(マシュー・ボーン監督、イギリス)
「ローズ・イン・タイドランド」(テリー・ギリアム監督、カナダ・イギリス)
「ワールド・トレード・センター」(オリバー・ストーン監督、アメリカ)

  2006年のアメリカ映画は大きく様変わりした。ターニングポイントの年だったといっても良い。興行的に大きく後退し、アメリカを批判する映画や9・11後のアメリカ社会の揺らぎFuyukodati を描く映画が激増した。年末のイーストウッドの2作は話題性だけでなく、作品的にも期待できる。兵士の英雄化をはっきり否定している点で「ポスト911」映画の範疇に入る。ハリウッドはヒット作のシリーズ物や外国映画の焼き直しばかり作っている安易な製作姿勢を根本から変えなければならない時期に来ている。

  一方韓国映画の好調は続いている。レンタル店には韓国ドラマや恋愛映画があふれかえっている。「うつせみ」「グエムル 漢江の怪物」「トンマッコルへようこそ」「ファミリー」などの強力な作品も生まれ、話題に事欠かない。

  ここしばらく公開本数が減っていた中国や台湾映画がやや上向きになってきたことはうれしい。中でも「ココシリ」は強烈な作品。フランスとイギリスも好調を維持している。特にケン・ローチの「麦の穂をゆらす風」には注目。「ククーシュカ ラップランドの妖精」と「太陽」が話題になったロシア映画も忘れてはいけない。旧作のDVD化がかなり進んだが、まだまだ氷山の一角に過ぎない。

  アフリカを舞台にした「ホテル・ルワンダ」は力作。「母たちの村」(ウスマン・センベーヌ監督)もかなり期待できそうだ。第19回東京国際女性映画際では同監督の「モーラーデ」も公開された。ウスマン・センベーヌ監督の「チェド」を岩波ホールで観たのはもう17年も前。アフリカ映画の巨匠が帰ってきたのはうれしい。

  このところ勢いがあったスペイン映画が今年はやや失速気味。一時的なことであればいいが。中南米映画は「僕と未来とブエノスアイレス」など数本が公開されているが、「シティ・オブ・ゴッド」や「セントラル・ステーション」クラスの傑作はなさそうだ。ただ、アメリカ映画だがアメリカからメキシコへの旅を描いた「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」はなかなかの秀作。

  北欧映画やヨーロッパ映画についても書きたいがこの辺にしておこう。詳しくは年末か来年初めに書く予定の「2006年公開映画を振り返って」で書きます。

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