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2006年10月29日 - 2006年11月4日

2006年11月 3日 (金)

フラガール

2006年 日本 2006年9月公開 Rosehome2
監督:李相日
評価:★★★★☆
製作:李鳳宇
脚本:羽原大介
企画・プロデュース:石原仁美
音楽:ジェイク・シマブクロ
出演:松雪泰子、豊川悦司、蒼井優、山崎静代、岸部一徳
    富司純子、池津祥子、徳永えり、寺島進、三宅弘城
    志賀勝、高橋克実、上野なつひ、浅川稚広、池永亜美

  「フラガール」はエネルギー転換(石炭から石油へ)のあおりで炭鉱が次々に閉山の憂き目にあっていたころの話である。福島県磐城市(現いわき市)の常磐炭鉱もその例外ではなかった。町そのものが地盤沈下する危機感の中、起死回生の企画として持ち上がったのが地元にハワイを持って来ようというとんでもない企画。それまで無駄に流していた地元の温泉を活かしてレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」を作ろうというわけだ。

  ここでちょっと脱線するが、茨城県の日立市で育ち、60年代に小学生時代を過ごした僕にとって常磐ハワイアンセンターは懐かしい場所だ。ただ、記憶とはあいまいなもので、小学校の3、4年生の頃に子ども会の旅行で行ったように思っていたのだが、調べてみると「常磐ハワイアンセンター」がオープンしたのは66年1月とある。小学校5年生の時だ。2回くらい行ったような気がするので、5年生と6年生の時に行ったのだろうか。不思議なことにフラダンスはほとんど記憶にない。見ていないはずはないから興味がなかったのだろう。覚えているのはプールと温泉と椰子の木が並んだ南国のムードくらいだ。正直言って、もうとっくになくなっていると思っていたが、1990年に「スパリゾートハワイアンズ」と名称を変えてからは一時の低迷を脱して活況を取り戻しているらしい。この映画の大ヒットでまた来場者が増えたかもしれない。

  ちなみに、日立にもかつては日立鉱山があった。日立製作所(地元では地名と区別するために日製”にっせい”と呼んでいる)の企業城下町に成り下がる前は鉱山で栄えた町だったのである。新田次郎の『ある町の高い煙突』という小説があるが、ここで描かれた煙突とは日立鉱山から排出される煙による煙害を軽減するために作られた、当時世界一の高さの大煙突のことである。

  脱線が長くなった。話を元に戻そう。ハワイアンセンターの目玉はもちろんフラダンス・ショー。「フラガール」はその初代フラガールたちを描いた映画である。将来に不安を感じた炭鉱町の女性たちが不安そうに踊り子に志願してくる。しかしビデオを見て裸で踊るなんてとんでもないとほとんどが逃げ去り、残ったのはたったの4人。谷川紀美子(蒼井優)、木村早苗(徳永えり)、「ハワイアンセンター」の庶務係初子(池津祥子)、そして少し遅れてやってきた熊野小百合(山崎静代)。とてもダンスなど出来そうもない面々。しかもダンスを指導するのはさっぱりやる気のない平山まどか(松雪泰子)というダンサー。SKD(松竹歌劇団)で踊っていた元花形ダンサーだが、都落ちした情けなさに自棄酒ばかり飲んでいる。

  話の設定はどこかで観たことがあるようなものだ。やる気のないインストラクターといえば「マラソン」がすぐ思い浮かぶ(未見だが「春が来れば」や「歓びを歌にのせて」も同様)。未経験の人たちが頑張って目標を達成するという展開は「コーラス」「深呼吸の必要」、「ウォーターボーイズ」、「スウィングガールズ」、「シムソンズ」のパターン。炭鉱の閉山との絡みという点では「リトル・ダンサー」、「フルモンティ」、「ブラス!」に通じる。ダンスのレッスンという観点から見ると「フラッシュダンス」や「コーラスガール」が思い浮かぶ。未経験の若者を鍛え上げるというテーマなら中国映画「大閲兵」や「フルメタル・ジャケット」、「あの高地を取れ」などの一連の新兵訓練ものが昔からある。

  「フラガール」を「クール・ランニング」と比較してみるとその基本的特徴が浮き上がってくる。「クール・ランニング」はジャマイカ史上初のボブスレー・チームの奮戦ぶりを描いたコメディだが、その笑いは意地悪なあるいは皮肉な笑いではない。「スイング・ガールズ」の小ネタを集めたようなただ滑稽な笑いでもない。様々な滑稽な失敗が描かれるが、それらは何かに最初に挑んだ開拓者たちが必ず経験する失敗である。困難を乗り越え苦悩を突き抜けて初めて人は向上する。「クール・ランニング」で描かれた笑いは、そういう「初めて」に挑んだ人たちが出会う困難や周囲の無理解のなかで起こる戸惑いや失敗にまつわる笑いであり、映画はそれらのエピソードを温かい目で描いている。数あるスポーツ映画の中でも「クール・ランニング」が際立っているのはその点だ。「フラガール」の姿勢はこの「クール・ランニング」と基本的に同じだと言っていい。もっとも、ボブスレーが簡単に手に入らないのでバスタブに入って練習するというようなユニークでユーモラスな工夫などは見られないが。また、困難を笑いで乗り越えるラテン気質の「クール・ランニング」に対し、泣かせの要素がふんだんに入ってくるところはいかにも日本的だ。

Isu4_1   「フラガール」はすすけてほとんど色のない鉱山のシーンから始まる。ボタ山を背景に木村早苗がフラガール募集の広告を見つめている。決心したように早苗はポスターをはがす。次はボタ山のシーン。ボタ山の上で早苗が紀美子に一緒にフラガールの募集に応じないかと誘っている。ここでこの映画のテーマが語られる。炭鉱以外何もない町。男であれ女であれ、何らかの形で炭鉱とかかわって生きていかざるを得ない。先が見えないのではなく、あまりに先が見えすぎている「未来」。二人は閉塞感を感じていたに違いない。降って湧いたような「ハワイアン・ダンサー」の求人は二人にとって炭坑から抜け出せるまたとないチャンスだった。ハワイアン・ダンスそれ自体が魅力だったのではなく、それが象徴しているもの、すなわち「先が決まっている未来」からの脱出というイメージが彼女たちをひきつけたのである。

  しかし「フラガール」は単に古い体制から抜け出そうとする若い世代の熱意と願望だけを描いたのではない。閉山の不安を抱えつつも炭鉱で生きてゆくしかない人々、何代にもわたって続けてきた仕事への誇りを抱く人々も決してただ保守的で変化に対応できない愚直な人々として描かれてはいない。「フラガール」は新しい未来にかけた女性たちと閉山に抵抗し自分たちの生活を守ろうとする人々の価値観のぶつかり合いを描いている。そのテーマが集中的に描かれているのが紀美子の家族である。紀美子の母千代(富司純子)はフラガールになりたいという紀美子に強硬に反対する。映画は決して彼女を頑迷固陋な人物として描いてはいない。夫をなくし、男たちに混じって炭鉱で必死に働いて子供たちを養ってきた彼女の「強さ」と「信念」がむしろ強調されている。富司純子が演じた千代は独立プロの名作「女ひとり大地を行く」(53年、亀井文夫監督)で山田五十鈴が演じたヒロイン・サヨを彷彿とさせるキャラクターである。その息子の洋二朗(豊川悦司)も炭鉱を捨てられない。映画のラストでヘルメットをつかみトロッコに乗り込んで行く彼の姿はすがすがしく(つまり肯定的に)描かれている。彼は最後までヤマを捨てなかった。

  映画は決して新しい道を選択した人々を「善」、「いい人たち」、古い生き方を守ろうとしている人々を「悪」、「ダメな人たち」として描いてはいない。洋二朗は炭鉱と共に生きる道を選ぶが、母ほど強硬に妹の生き方に反対しなかった。むしろ母親と妹の橋渡しをする重要な役割を担っている。ダンスの教師平山まどかに妹を頼むと伝えた彼の無骨な言葉は、「スタンドアップ」で演壇に立ち娘を擁護するためにヤマの男たちにヤマの男の言葉で語りかけた無骨な父親ハンク(リチャード・ジェンキンズ)に共通するものを感じた。安易な作品ならば洋二朗とまどかを恋愛関係に持ってゆくだろうが、そうさせずに二人の関係をさらりと描いたところは賞賛していい。

  母と娘と息子。それぞれに違った考えを持ち、違った行動を取ったが、彼らの間には寂れつつある炭鉱町という共通の基盤があった。一度だけ彼らの住む炭鉱長屋の全景が映される。同じ造りの粗末な平屋が画面いっぱいに並んで建っている。息を呑むシーンだ。「女ひとり大地を行く」の炭鉱長屋がこの時代にもそっくりそのまま残っている、そんな感じだ。まるで時代に取り残されたような町。北海道の夕張炭鉱で撮影された「女ひとり大地を行く」では斜面にびっしりと長屋が立ち並び、下から見るとまるで戦艦の様に見えた。一方、「フラガール」では平らな土地に整然と家が並んでいる。カラーなのに一面灰色でまるで白黒映画のように見える。

  この色のない町から娘は這い出そうと決意し、母親は最後までプライドをもって炭鉱でArthituji3502 生きようとし、息子は炭鉱に踏みとどまりながらも妹をひそかに応援する(母も最後には応援する側に回るが)。現状から抜け出そうとする若い娘たちのパワーだけを単純に押し出すのではなく、それぞれの信念に従い自分の生き方を選んで行く人々を複線的に描いたことがこの映画に奥行きを持たせている。炭鉱町は彼らの生活の場であった。時代の波に押し流されそうな貧弱な長屋でもそこに彼らの生活があった。彼らはそこで生まれ、そこで育ち、そこで死んでゆくのである。それがどんなに平板で単調な生活であったにしても、それが彼らの生活である以上簡単に放棄することは出来ない。さっぱり頼りにならない組合を罵倒しながらも何とか自分たちの生活を死守しようとする人々を笑うことは出来ない。紀美子の母千代が体現しているのはそういう人たちであり、その点で「女ひとり大地を行く」のサヨと重なるのだ。

  そうは言っても時代の波は炭鉱町の人々を容赦なく押し流してゆく。炭鉱を首になり止む無く町を出てゆく人々もいる。冒頭でフラガール募集の広告を剥ぎ取った早苗の一家は北海道の夕張に引っ越していった(早苗の父親を高橋克実が”真面目に”演じている)。夕張が陥っている悲惨な現状を思えば、早苗の一家がその後おくった生活が容易なものでなかったことは想像に難くない。

  地元に残った人は炭鉱に踏みとどまるか人員整理のために考案された「ハワイアンセンター」に移るか選択を迫られた。炭鉱夫たちから罵倒されたのはフラガールたちばかりではなかった。早々に炭鉱に見切りをつけ「ハワイアンセンター」に職場を移した男(三宅弘城)も紀美子や早苗同様町の人々の冷たい目にさらされていた。忘れてならないのは、フラダンスにかける紀美子の情熱と同じように、「ハワイアンセンター」に運び込まれた熱帯植物を守るこの男の愛情も共感を込めて描かれていることである。フラダンスへの無理解は「ハワイアンセンター」そのものに対する無理解と結びついていた。紀美子やインストラクターのまどか同様、彼もまた反対派の圧力に耐えて自分の生活を守りぬいたのである。センター内に移植された椰子の木にいとおしそうに自分の上着をかけるときの彼の思いは、苦しいダンスのレッスンに耐える娘たちの情熱に劣らない。まるで自分の子供をいつくしむような彼の表情をキャメラが温かくとらえている。

  ホテルの温室設備が間に合わないために熱帯植物が枯れそうになり、センターの男たちが炭鉱町の人々にストーブを貸してほしいと土下座するシーンはこの映画のもう一つのクライマックスである。冷たい対応をする男たちを尻目に、あれほど紀美子たちに反対していた紀美子の母親が長屋の人々に頭を下げストーブを借りてくる。ストーブをリヤカーに乗せて運ぶ彼女の姿は感動的だ。彼女を変えたのは偶然見かけた娘の姿だった。一心にダンスを練習するその姿とそのダンスの見事さに彼女の頑なな心も融け始めていたのだ。「リトル・ダンサー」を連想させる見事なシーン。その時紀美子が踊っていたのはインストラクターのまどか踊っていたのと同じ踊り、まだフラダンスなど見たこともなかった紀美子たちが窓の外から覗いて驚嘆していたあの踊りと同じものだった(松雪泰子の動きや身のこなしは本当のプロかと思わせるほど見事だった)。練習に練習を重ねた紀美子のフラはまどかに近いレベルにまで達していたのである。男たちの土下座からリヤカーに至るシーンは、紀美子、まどか、紀美子の母千代、センターの男などの、それまで別々だったそれぞれのベクトルが一点で交わる重要なシーンなのである。母親のヤマの女としてのプライドが、「娘っこだち」の夢や椰子の木を抱きしめたままうれしそうに眠っている男の夢と一本につながったのだ。

  東京から逃げるようにしてまどかがやってきた時、彼女はこのすすけて色彩のない炭鉱町に色を持ち込んだ。彼女が現れる前は石炭のススが町全体を覆っていた。エミール・ゾラの『ジェルミナール』という小説がある。ジェラール・ドパルデュー主演で映画化されたのでご存知の方も多いだろう。その小説の冒頭に極めて印象的な一節がある。昔炭鉱夫だった老人が痰を吐く場面だ。その痰は真っ黒だった。炭鉱の仕事を離れて5年もたっているというのに、彼の体の中には炭鉱の石炭がこびりつくようにまだ残っているのだ。「骨の中にしこたま詰めこんどるんで、死ぬまで暖まれるってわけだ。坑内にゃもう5年も足をいれてねえ。こりゃ知らねえうちに貯めこんどったもんらしい。」(中公文庫)鉱夫の仕事がいかに人体を蝕む過酷なものであるかを簡潔にして完璧に描き出している。まどかが町にやってきた時、町そのものがこの老鉱夫の肺のようになっていたのだ。だから彼女の派手でカラフルな服は完全に町から浮き上がっていた。当然町の人たちの嫌がらせに合う。

  元より好んでこの寂れた田舎町にやってきたわけではない。借金さえなかったら喜んで逃げ出しただろう。彼女が押し込められた家がまたひどい。ふすまは穴だらけ。畳はボロボロでささくれ立っている。しかもそのダンスが人前でへそを見せて踊る扇情的なものときては、応募してきた娘たちすら「ストリップ」まがいと感じて逃げ去ってゆく。

  まどかを演じた松雪泰子が出色の出来。これまでほとんど意識したことがなかった女優だが(常盤貴子と長いことイメージが重なっていた)、「フラガール」での彼女は見違えるように素晴らしかった。掃き溜めの鶴のような存在で、プライドが邪魔して町に溶け込めない。住人たちを「田舎者」と馬鹿にして、こんなド素人にダンスを教えるより「本場のダンサーを呼ぶべき」だとハワイアンセンターの吉本部長(岸部一徳がここでもいい味を出している)に食って掛かる。岸部一徳がこれに福島弁で長々と言い返す場面がすごい。後半は隣の茨城出身の僕でもほとんど聞き取れなかったが、彼なりに「ハワイアンセンター」にかけた情熱が伝わってきた。

  冷淡で見下すような元一流ダンサーの顔、磐城に連れてこられた日のべろべろに酔っ払った「やってらんねえよ」的態度と表情、それがひたむきな娘たちに出会って徐々に変わって行き、ついには「センター」での初舞台の日に「あんた達と一緒に踊りたい!」と言うようになるまでをぐいぐい観客をひきつけて演じきっている。炭鉱を首になっていらだっていた父親(高橋克実)に早苗が殴られた時には、怒り狂って銭湯の男湯に殴り込みをかける。湯船に飛び込んで素っ裸の男の首を締め上げている彼女はもはや登場した時の「ふて腐れインストラクター」ではなかった。ブチギレ松雪泰子がなかなかはまっている。

  やってきたばかりのまどかは灰色の画用紙に一滴だけたらした赤い絵の具に過ぎなかった。彼女が紀美子たちと出会い、彼女たちの情熱に心を動かされまどか自身が自分を取り戻した時、画用紙に色があふれ始めた。最後にはまどかの色が他の色と混じりあい溶け合う。ここからが見せ場だ。そう、この映画の最大の魅力はフラガールたちであり、彼女たちが踊るハワイアンやタヒチアン・ダンスである。練習を積み重ねた成果を披露するラストのダンスは素人芸をはるかに超えた素晴らしいものだった。「スウィングガールズ」や「リンダ リンダ リンダ」のラストの演奏をしのぐ見事なダンスだった。なかでもリーダー格の紀美子の踊りは圧巻だった。彼女のダンスは最後には師匠のまどかに匹敵するレベルに達していた。細面で美人顔の蒼井優だが、単なる可愛い子ちゃんという描かれ方ではない。ソロを踊れるまでにフラをものにした彼女のプロ根性はたいしたものだ。バレエを習っていたということだが、それだけでこれだけのダンスは踊れまい。「亀は意外と速く泳ぐ」では磨けば光ると感じたが、「フラガール」で女優としての才能は満開。末恐ろしいほどの可能性を感じる。

  紀美子のソロも素晴らしいが、彼女一人だけが目立っていないところがいい。「ハワイアンセンター」の事務員で最初に躍って見せた時は見事に盆踊りだった初子(池津祥子)、Cinderella05g のっそりとでっかくて動きの鈍かった小百合(山崎静代)、二人とも頑張ってるじゃないか、成長してるじゃないか。後から加わった子たちもしっかり動きがそろってる。一人ひとりの性格は「みんな違ってみんないい」が、踊る時は一糸乱れぬシンクロぶり。誰もがそこにいた。舞台の袖で固唾を呑んで「生徒」たちの踊りを見つめていたまどか先生だけではない。ひそかに娘の自立を支えていた千代も隠れるようにして見守っていた。夢半ばにして去って行った親友早苗も、紀美子の髪に挿された赤い花の形でそこにいた。会場にいない人たちも心はそこにあった。

  まどかにとって炭鉱町の娘たちにフラを教えることは自己再生への道であった。紀美子たちにとってダンスを踊ることは新しい人生への道だった。先行き不安な炭鉱町に出現したたった一つの新しい可能性。最初は半分「定められた人生」から逃げるような気持ちで飛びついたに違いない。しかし踊り続けるうちに踊ることそのものに喜びを見出してゆく。その象徴的な出来事が最初の公演直前に小百合の父親が亡くなるというハプニングだ。常々「プロのダンサー」としての心得を説いていたまどかもさすがにこのときは公演をやめようと思うが、小百合自身がやりたいと言い出す。父もそれを望むはずだと。その時彼女たちはプロになった。と同時に、彼女たちは努力して掴み取る価値のある目標を見出したのである。ハワイアン・ダンスは決して見世物ではないという思い。だからその公演が散々な結果に終わっても、親の死に目に会わなかったと親戚の人たちに怒鳴られても、彼女たちは自分たちの生き方を変えなかったのである。しかし踊りへの情熱だけが彼女たちを支えていたのではない。炭鉱が寂れて家族の暮らしが苦しくなる、自分はダンスでその家族を支えるのだという気持ちが根底にあったはずだ。独りよがりではないからこそわれわれの胸を打つのだ。

  ダンスは人と人との絆になる。ハワイアン・ダンスはそれにふさわしいダンスだった。まどかはハワイアン・ダンスの手の動きにはそれぞれ意味があるのだと生徒たちに教えた。フラダンスは手話と同じなのだと。まどかが町の人々に追い出されるようにして去ろうとした時、彼女を引き止めたのは「手の動き」が伝えた「言葉」だった。そんな描き方がいい。

  全体としてみれば、泣かせようとする演出がところどころで目立つのが気になる。ストーリーの展開も「スウィングガールズ」や「リンダ リンダ リンダ」のようにラストのクライマックスへと一直線に進んでゆくパターン通りの展開である。その意味で完璧な作品ではない。しかしそれでも、最近の日本映画の好調さを裏付ける優れた作品の一つだと言っていいだろう。作品として「スウィングガールズ」や「リンダ リンダ リンダ」より優れている。今年の日本映画は昨年よりもさらに前進している。

  最後に「フラガール」を製作、配給したシネカノンについて一言触れておきたい。シネカノンは1989年に李鳳宇(リ・ボンウ)により設立された。当初は配給会社だったが93年に最初に製作した「月はどっちに出ている」がヒット。その後「風の丘を越えて~西便制」や「シュリ」などの韓国映画を積極的に配給する。「シュリ」の大ヒットは韓国映画に対する日本人の意識を大きく変えた画期的出来事だった。2005年にはシネカノンコリアを設立、ソウル市内に日本映画上映館をオープンした。このようにシネカノンは日本映画と韓国映画の橋渡しのような役割を担ってきた。今後もその動きに注目したい。(Wikipedia参照)

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2006年11月 1日 (水)

今日「フラガール」を観てきました

 今日映画館で「フラガール」を観てきた。今日が初日で、しかも幸いなことに「映画の日」Natunohi に当たるので数日前から楽しみにしていた。映画館で映画を観るのは久しぶり。6月に「嫌われ松子の一生」を観て以来だ。本数は「フラガール」で7本目。それでも上田では多いほうだ。今年中にもう2、3本は映画館で観たい。二けた台に乗ったら画期的なことだ。

  「フラガール」はかなり期待して観に行ったが、その高い期待をさらに上回った。いや実にいい映画だ。笑いあり、泣かせる場面あり、そして見事なダンスありで充分満喫できた。昨年から今年にかけての日本映画の充実ぶりは相当なものである。特に今年の勢いは目を見張るほどだ。「THE有頂天ホテル」、「博士の愛した数式」、「嫌われ松子の一生」、「かもめ食堂」そして「フラガール」。僕がこれまで観た限りでも傑作がこれだけある。「博士の愛した数式」、「嫌われ松子の一生」、「かもめ食堂」は5つ星、「THE有頂天ホテル」と「フラガール」は4つ星半。去年も秀作ぞろいだったが(去年初めて日本映画の年間ベストテンをつけた)、満点をつけたものは1つもなかった。この2、3年は間違いなく上り調子で、ひところの韓国映画に匹敵する勢い。70年代から90年代の半ばごろまであれほど低調だった日本映画がこれだけの作品を作れるまで復調したのか。何とも感慨深いものがある。ひょっとして日本映画は50年代以来の黄金期を再び迎えつつあるのかもしれない。

 実はこのところ疲れがたまっていたのか、レビューを書く気力が減退していた。映画を観ていなかったわけではない。期待していた「白バラの祈り ゾフィ・ショル、最期の日々」にがっかりし、「ブロークバック・マウンテン」は悪くはないが(評価★★★★)どうもレビューを書く気になれない。似た題材でも「トーチソング・トリロジー」、「オール・アバウト・マイ・マザー」、「メゾン・ド・ヒミコ」ほどの感動を得られなかったからか。「スティーヴィー」や「風の前奏曲」はさすがに感動したので一気に書いたが、どうも気力を奮い立たせる映画に出会わないと最近書けなくなってきたようだ。もう1年以上レビューを書き続けてきたので、ゴムが伸び切ってしまっているのかも知れない。前に一度肩の力を抜こうと自分に言い聞かせたことがあるが、いつの間にかまたがむしゃらに突き進んでいた。もう一度肩の力を抜こう。書きたい時に書けばいい。書きにくければ以前やっていたように短評でもいいじゃないか。これからも書き続けるのだから、無理せず細く長くやってゆこう。でも、「フラガール」は面白かったのですぐにレビューを書きます(おいおい!)。

「フラガール」レビュー

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