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2006年10月22日 - 2006年10月28日

2006年10月28日 (土)

風の前奏曲

2004年 タイ 2005年12月公開
評価:★★★★☆
監督:イッティスーントーン・ウィチャイラック
製作:イッティスーントーン・ウィチャイラック、ピサマイ・ラオダーラー
脚本:イッティスーントーン・ウィチャイラック、ドンガモン・サターティップ     
    ピーラサック・サックシリ
撮影:ナタウット・キッティクン 
出演:アヌチット・サパンポン 、 アドゥン・ドゥンヤラット 、ナロンリット・トーサガー
    アラティー・タンマハープラーン 、ポンパット・ワチラバンジョン
    プワリット・プンプアン、スメット・オンアード

   昨年公開作品で観たいと思いながら見逃していたものがまだ何本もある。中でもどうしTokei_w ても観たいと思っていたのが「亀も空を飛ぶ」と「エレニの旅」そして「風の前奏曲」の3本だった。その中の1本「風の前奏曲」をようやく手に入れた。わくわくしながら観たが、期待を上回る傑作だった。演奏場面ばかりではなくドラマとしても十分見応えがあった。

  「ムアンとリット」(94)、「アタック・ナンバー・ハーフ」(00)、「わすれな歌」(01)、「マッハ!」(03)、「トム・ヤン・クン」(05)など2000年ごろからタイ映画が日本にどっと入ってきた。しかしどうも軽いエンタメ系が多い感じで手が出なかった。今回の「風の前奏曲」が初めて観るタイ映画だ。

  日本では最近まで知られていなかったが、タイ映画の歴史は意外に古い。「タイ映画!」というサイトには次のような記述がある。

  タイで初めて映画が上映されたのはリュミエール兄弟によるシネマトグラフの発明から2年後の1897年とされている。1905年には日本人によって常設映画館が作られ、映画はナン・ジープン(日本の影絵芝居)と呼ばれて定着した。

  かつては年間200本以上も製作されていた時期もあったそうである。今ではエンターテインメントから社会派まで様々なジャンルがあるようだ。今の勢いが今後も続けば「マッハ!」や「風の前奏曲」のように評判になる作品も増えてくるだろう。中国、台湾、韓国、日本、インドと並ぶアジアの映画大国としての地位を築けるかもしれない。それにしても、かつて70年代までは日本以外のアジア映画といえばインド映画、それも巨匠サタジット・レイの個人名くらいしか思いつかなかったものだ。日本とインド以外のアジアの国で映画を作っているなんて思いもしなかった。今から振り返ると隔世の感がある。80年代の中国映画と台湾映画ブーム、90年代後半からのマサラ・ムービーと韓国映画ブーム、そして2000年以降の日本映画の復興とこのところのアジア映画の勢いはかなりのものだ。今後もブータンの「ザ・カップ/夢のアンテナ」やネパールの「キャラバン」のように、意外な国から意外な秀作が現れて驚かせてくれるだろう。

  「風の前奏曲」は音楽映画である。主人公ソーンのモデルはラナート奏者ソーン・シラパバンレーン師という実在の人物。ラナートとはタイの伝統的な楽器で、舟の形をした共鳴箱の上に21~22枚の音板を並べた木琴のような楽器である(音板は吊るしてあるので共鳴版に直接触れてはいない)。ラナートという言葉は“心を癒す”という意味らしいが、その名のとおり実に素朴で美しい調べが全編を通して奏でられる。しかし必ずしも癒し系の和やかな映画ではない。映画のハイライトはラナート奏者同士の競演で、壮絶なバトルが展開される。両手に持ったバチを目にも留まらぬ速さで音盤にたたきつけ、あるいはやさしくなでるように打つ。緩急自在な展開がすごい。まるでスポーツのような激しさで、演奏者の全身に汗が噴出す。しかし流れ出る音楽は決して騒々しくはない。一心にハンマーを打ち下ろす刀匠のような演奏者の真剣な姿と美しく軽快なメロディー。この絵と音のギャップがなんとも不思議な効果を生み出している。ジャズの巨匠ミルト・ジャクソンが奏でるビブラフォン(鉄琴)の演奏をCDで聴けば実に優しい音が聞こえてくるが、それを映像で観れば顔中に汗を滴らせ両手を飛ぶように激しく動かしている姿が見えるはずだ。そんな感じである。

  映画は一匹の蝶を追う少年の映像から始まる。幼い日のソーンである。少年は蝶を追って(この蝶はラストでもう一度現れる)家の中に入る。蝶はラナートの上にとまる。少年の父と兄が部屋に入ってきた時、少年は一心に習ったことのないラナートをたたいていた。蝶が舞うタイの美しい風景を映し出すと同時に、早くも開花し始めていたソーンの音楽的才能を示す優れた導入部である。ソーンの父は優秀な音楽の師匠であり、地元でも名の知られた楽団を率いていた。兄も優秀なラナート奏者だった。幼いソーンも音楽の才能を発揮しめきめき腕を上げていった。

  ここから日本人にはおなじみのスポ根ドラマ的な展開になって行く。まず困難な状態にもめげず音楽への情熱を燃やし続け練習に励む場面。それは子供時代で描かれる。ある時兄が何者かに殺されるという事件が起こる。演奏バトルで負けた側が腹いせに襲撃したものと思われる。ショックを受けた父親はソーンがラナートを演奏することを禁ずる。しかしソーンは友達のティウと二人で夜中にラナートをこっそり持ち出し森の中や洞窟や廃墟となった寺で練習に励む。洞窟の中のシーンがなんとも神秘的で印象的だ。しかしついに父に見つかってしまう。父は言う。二度とラナートを持ち出してはいかん。ただし弟子になるのなら別だが。こうして父の弟子となる。弟子にするに当たって父は息子に言い聞かせる。「常に正しい生き方をすると約束しなさい。音楽を悪用したり、名声のために人を踏みにじらぬ事。真に音楽を敬い理解すれば、その時視野は開け、未踏の境地に達し至高の喜びを得るだろう。」まるっきりスポ根漫画そのものの展開だ。

  ソーン(青年時代を演じるのはアヌチット・サパンポン)は持ち前の才能をぐんぐん伸ばし、いつしか地元で1、2を争うラナート奏者に成長する。その後の展開もまさにパターンどNatubi おり。本人の思い上がり(ソーンはすっかり天狗になっていて練習もさぼりがち)、強力なライバルの登場、手痛い敗北と挫折、新たな奏法の発見と再起。このように話の展開はありきたりなのだが、それが大して気にならないのは演奏の場面が圧倒的にすごいからである。大きなバトルは3回出てくる。最初は地元の才能のある若者との対決。ここで初めて本格的なラナートの演奏を観客は聞くことになる。目にも留まらぬバチのすばやい動きに目が釘付けになる。ピアニストの手の動きもすばやいが、ラナートはバチを使うので柄が長い分画面に残像が残ってものすごい速さに感じる。

  この段階で観客はすでに圧倒されているが、ソーンがバンコクで出会った伝説のラナート奏者クンイン(ナロンリット・トーサガー)の登場場面はさらにすごい。得意げなソーンの演奏を聴いてクンインは「音におごりが出ている、耳障りだ」と言い放つ。彼は横からソーンの演奏に割り込む。次第にソーンは相手の速さに付いてゆけなくなる。負けまいとソーンは必死に食い下がるが、ついに手を止めてしまう。すさまじいクンインの演奏に呼応するようにやがて嵐が起こり雨が降ってくる。ソーンは完全に打ちのめされてしまう。「俺には一生かかってもあのような演奏は出来ない。」

  クンインを演じているナロンリット・トーサガーは役者ではなく本物のラナートの達人である。その超絶技巧のすごさはいうまでもないが、その風貌がまたすごい。ギロリと相手をねめつける鋭い眼力、猛禽類を思わせるその凄みのある顔は威圧感充分。こんな鋭い目をした男は他にルイ・ジューヴェくらいしか知らない。青年時代のソーンを演じたアヌチット・サパンポンは美形俳優で、8ヶ月かけてラナートの特訓をしたそうだが、相手役に俳優を使わずあえて演技経験のないナロンリット・トーサガーを起用した監督の判断にはうなずけるものがある。

  しかし、さらにその上を行く超絶バトルが最後に待っている。ソーンは完膚なきまでに打ちのめされて一旦は音楽をやめようとまで思った。しかし仰向けに寝っころがって空を見上げていた時、彼は葉にそよぐ風を意識する。ソーンは風のようにラナートを鳴らす新しい奏法を見出す。その斬新な奏法は親王殿下の目に留まりソーンは宮廷楽団の一員に取り立てられる。見違えるように腕を上げたソーンは再び演奏バトルでクンインと対決する。

  ソーンが生まれたのは19世紀の末。タイがまだシャム王国と呼ばれていた時代である。当時は職業楽団などはまだなく、街のおじさんたちが集まっては演奏を楽しむというものだった。ソーンの父親が指導していたのはそういう素人楽団の1つである。その中から優秀な演奏家を集めて王族がパトロンになりそれぞれにお抱え楽団を持っていた。そのお抱え楽団同士の競演会が当時盛んに開催されていたのである。ソーンがクンインと運命の再対決をすることになったのもそういう競演会の1つだった。

  いまやタイ全土の頂点を争うレベルに達したソーンとクンインの競演はすさまじいものになった。ジャズのテナー・バトル、ロックのギター・バトルを連想するが、キャメラはこのバトルを格闘技でもあるかのように撮っている。ソーンもクンインも機関銃のように音を飛び散らせる。体は躍動し腕は千切れんばかりに宙を舞い、交差し、バチの動きはあまりにも早く残影が幾重にも重なるほどだ。団体戦が引き分けに終わり最後は1対1のガチンコ勝負。二人が全力を傾けた演奏は共にもはや神業。カーレース以上のスピード感、たたき出される音は音の塊となって耳に飛び込み、あたりの空気はぴんと張り詰め、ぴりぴりと異様なエネルギーが空気中に充満している。演奏者の顔中に汗が滴り、ほほは痙攣し、目は飛び出さんばかり。体こそ触れ合っていないがほとんど肉弾戦状態。観客は固唾を呑んで聞き入ってしまう。

  これだけの演奏をしても耳に入ってくるのはけたたましい轟音ではない。なんとも涼しげな音色なのだ。まるでさわやかな風が吹き抜けていったようだ。ギターやテナーサックスとはそこが根本的に違う。ギターのようにひずんだ音が空気を引き裂くこともなければ、サックスのように咆哮することもない。実に澄んだ音なのだ。勝ち負けなどもうどうでもいい。この演奏が聴けただけで充分この映画を見た価値がある。

  バトルのたびに盛り上がってゆくという演出もなかなかだが、この映画が面白いのはソーンの少年・青年時代と晩年(1930年代)を交互に描いていることである。冒頭の少年が蝶を追っている場面のすぐ後に、ベッドに横たわる年老いたソーン(アドゥン・ドゥンヤラット)の姿が映される。全体として見れば、死を目前にしたソーンが自分の人生を振り返るという趣になっているのである。晩年のソーンはもはや激しい演奏はしない。2度ほど印象的な演奏シーンが出てくるが、どちらも和やかな演奏である。

  しかし彼の晩年の最期の日々は決して穏やかではなかった。音楽を通しての戦いは終わったが、今は別の相手と戦っている。その敵は伝統音楽を禁止する条例である。そのあたりの事情を監督は次のように語っている。

  第2次世界大戦中にタイは常に欧米列強国からの侵略の危機にさらされていました。そこで当時の指導者は、タイ国もこれらの国と同等の文明があるということを誇示すべきだと考えたのです。そうすればタイは未開の野蛮人の国ではなく、侵略してもいい国ではないと暗に示すことが出来ます。だから欧米文化の真似をするように努力したのです。

  晩年のほうのエピソードは演奏バトルがない上に、話の展開が散漫で青年期の部分に比べると見劣りする。しかしテーマは明快であり、その最大の山場になる最後の場面はよく出来ている。国の政策を固く信じ、タイを近代化するためには時代遅れのものを統制する必要があると考えるウィラ大佐(ポンパット・ワチラバンジョン)とソーン老師が直接対決する場面だ。ウィラ大佐はクラシック音楽を聴きながらブランデーを飲んでいるような西洋かぶれの男として最初登場する。「指導者を信ずれば、国家の危機を乗り越えられる」というウィラ大佐にソーン師は「木はしっかりと根を張っていれば嵐にも耐えられる。根を大切にしなければどう生き残るのですか?」と反論する。

  結局議論は物別れに終わるが、ソーン師の家を去ってゆく時の大佐は訪ねてきた時の大佐と同じではなかった。ソーン師の言葉に納得はしなかったが前ほど国の政策に確信が持てなくなっていた。その後の場面がとりわけ印象的だ。まだ大佐たちが家の前にいる間にソーン師は禁じられているラナートをあえて演奏し始める。ウィラ大佐の部下たちは逮捕しないのかと大佐に詰め寄る。そうこうしている間に付近の住民たちがラナートの調べに呼び寄せられるようにして家から出てくる。しばらくその音色を聞いていた大佐は部下に帰隊を命じる。音楽の力が政治的規制を押し返した印象深いシーンだ。

  晩年のエピソードで音楽が絡むもう1つの秀逸な場面がある。ソーン師の息子と思われる青年が弾くピアノに合わせて師がラナートを弾く場面だ。監督自身は「東洋の文化と西Haneranbu 洋の文化が共存していることを象徴している」と語っているが、同時にそれは伝統の文化が新しく輸入された文化と出会い溶け合う場面であるとも言える。しかしそれ以上に感慨深いのは演奏そのものだ。青年のころの演奏は壮絶ではあったが、そこには音楽を楽しみ、音楽と語らう喜びはなかった。ただ激しい競争心だけがあった。しかしウィラ大佐たちに聞こえるのを気にせずに弾いた時とピアノと共演(競演ではない)した時は、ソーン師の顔にラナートを奏でる喜びがあふれていた。競い合いなどは超越した、純粋に音楽を楽しむ姿勢がそこにあった。超絶技巧などなくても音楽は人を楽しませ、人の心の琴線にふれることが出来るのである。

  映画は青年時代のソーンを演じたアヌチット・サパンポンと彼が憧れ後に彼の妻となるチョート役のアラティー・タンマハープラーンという二人の美男美女をフィーチャーしているが、この映画を支えている脇役たちを忘れてはいけない。クンインを演じたナロンリット・トーサガーは先に触れたが、ウィラ大佐に扮したポンパット・ワチラバンジョンやソーンの父親を演じた俳優も味わい深い演技をしていた。だが何といっても抜群の存在感を示したのは晩年のソーン師を演じたアドゥン・ドゥンヤラットである。タイでは知らぬ人はいないといわれる名優だそうだ。イギリスの名脇役ピート・ポスルスウェイトにサッカーのジダンを足したような顔だが、芸の頂点を極めてきた人の持つ落ち着き払った威厳と優しさが一つひとつの立ち居振る舞いや動作に表れている。映画と演劇のあるところ、どんな国でも名優がいる。何度も指摘してきたことだが、若い美男美女だけでは映画も演劇も成り立たない。こういった名優がいてこそ主役の若い俳優がしっかりと演じられるのである。

  監督のイッティスーントーン・ウィチャイラックは本作が2本目の監督作品となる。DVDの付録映像でみるとまだ若い監督だ。この先どんな作品を作り出してくれるのか楽しみである。

2006年10月26日 (木)

ゴブリンのこれがおすすめ 33

マルチェロ・マストロヤンニ(1924-1996) Wedd008

■おすすめの10本
「黒い瞳」(1987)
「特別な一日」(1977)
「ひまわり」(1970)
「異邦人」(1968)
「昨日・今日・明日」(1963)
「81/2」 (1963)
「家族日誌」(1962)
「イタリア式離婚狂想曲」(1961)
「夜」(1961)
「甘い生活」(1959)

■こちらも要チェック
「プレタポルテ」(1994)
「みんな元気」(1990)
「スプレンドール」(1989)
「インテルビスタ」(1987)
「ジンジャーとフレッド (1985)
「マカロニ」(1985)
「あんなに愛しあったのに」(1974)
「ああ結婚」(1964)

■気になる未見作品
「世界の始まりへの旅」(1997)
「百一夜」(1994)
「こうのとり、たちずさんで」(1991)
「明日に生きる」(1965)

マーロン・ブランド(1924-2004)

■おすすめの10本
「白く渇いた季節」(1989)
「地獄の黙示録」(1979)
「ミズーリ・ブレイク」(1976)
「ゴッドファーザー」(1972)
「逃亡地帯」(1966)
「戦艦バウンティ」(1962)
「蛇皮の服を着た男」(1960)
「波止場」(1954)
「乱暴者」(1954)
「欲望という名の電車」(1951)

■こちらも要チェック
「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)
「片目のジャック」1960)
「ジュリアス・シーザー」(1953)

■気になる未見作品
「革命児サパタ」(1952)

スティーヴ・マックイーン(1930- 1980)

■おすすめの10本
「タワーリング・インフェルノ」(1974)
「パピヨン」(1973)
「ゲッタウェイ」(1972)
「栄光のル・マン」(1971)
「華麗なる賭け」(1968)
「ブリット」(1968)
「ネバダ・スミス」(1966)
「シンシナティ・キッド」(1965)
「大脱走」(1963)
「荒野の七人」(1960)

■こちらも要チェック
「ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦」(1972)
「砲艦サンパブロ」(1966)

  マルチェロ・マストロヤンニ。ソフィア・ローレンと並ぶイタリア映画の顔。あの独特の飄々とした佇まいが懐かしい。「甘い生活」や「81/2」といったフェリーニ作品をすぐ連想するが、バレリオ・ズルリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ルキノ・ヴィスコンティなどのイタリア映画の巨匠と組んで多くの傑作を残した。80年代以降はエットーレ・スコラと組むことが多く、ジュゼッペ・トルナトーレやニキータ・ミハルコフの作品にも出演している。しかし代表作は60~70年代に集中している。
 マーロン・ブランドがマストロヤンニと同年生まれだというのはこのリストを作って知った。アメリカが空前の繁栄を享受していた50年代にデビューし、ふてぶてしい面構えでジェームズ・ディーンと並ぶ反抗的な青年の象徴となった。「ゴッドファーザー」で超大物スターになり、「地獄の黙示録」でもさすがの貫禄を示す。テネシー・ウィリアムズの戯曲『地獄のオルフェウス』を映画化した「蛇皮の服を着た男」やアパルトヘイトを告発したユーザン・パルシー監督の力作「白く渇いた季節」はもっと知られていい作品だ。
 マックイーンはとにかくかっこよかった。何をやっても様になる。西部劇も多いが、馬ばかりではなく「大脱走」でのオートバイ、「ブリット」のカーチェイス、「栄光のル・マン」での耐久レースなど、疾走している姿が絵になる男だった。ポーカー賭博を描いた「シンシナティ・キッド」は「ハスラー」「スティング」「テキサスの五人の仲間」「黄金の腕」などと並ぶギャンブル映画の代表作。

2006年10月24日 (火)

最近観た映画50本の評価点

5点満点 ★は1点、☆は0.5点

「白バラの祈り ゾフィ・ショル、最期の日々」★★★☆
「スティーヴィー」★★★★★
「僕が9歳だったころ」★★★★
「Vフォー・ヴェンデッタ」★★★★
「かもめ食堂」★★★★★
「アメリカ、家族のいる風景」★★★★
「ノー・ディレクション・ホーム」★★★★★
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」★★★★☆
「クラッシュ」★★★★☆
「ウォレスとグルミット野菜畑で大ピンチ!」★★★★☆
「ナイトムーブス」★★★
「ホテル・ルワンダ」★★★★★
「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」★★★★
「僕と未来とブエノスアイレス」★★★★
「ナイトウォッチ」★★★
「拝啓天皇陛下様」★★★★★
「TOMORROW 明日」★★★★
「浮雲」★★★★★
「スパングリッシュ」★★★★☆
「スタンド・アップ」★★★★★ Ladya
「OUT」★★★★
「シン・シティ」★★★★☆
「シリアナ」★★★
「ロード・オブ・ウォー」★★★★★
「ミリオンズ」★★★★☆
「プライドと偏見」★★★★
「天空の草原のナンサ」★★★★☆
「太陽」★★★☆
「ふたりの5つの分かれ路」★★★
「嫌われ松子の一生」★★★★★
「カーテンコール」★★★★
「古井戸」★★★★★
「みんな誰かの愛しい人」★★★★
「サンシャイン・ステイト」★★★★
「空中庭園」★★★★
「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」★★★★★
「ランド・オブ・プレンティ」★★★★☆
「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」★★★
「NANA」★★★★
「旅するジーンズと16歳の夏」★★★★☆
「ニワトリはハダシだ」★★★★
「死刑執行人もまた死す」★★★★★
「銀河ヒッチハイク・ガイド」★★★★
「青空のゆくえ」★★★★
「父と暮らせば」★★★★★
「クレールの刺繍」★★★★
「ヴェニスの商人」★★★★☆
「ライフ・イズ・ミラクル」★★★★★
「蝉しぐれ」★★★
「やさしくキスをして」★★★★☆

 これまで映画に評価点をつけてきませんでしたが、今後は目安になるように点を付けることにします。僕のレビューは完全ネタバレなので映画を観てからでないと読めないという人も多いと思うからです。 これまでの分は多すぎてとてもさかのぼって全部付けることは出来ませんので、最近の50本に限って点をつけてみました。

2006年10月23日 (月)

僕が9歳だったころ

2004年 韓国 2006年2月公開 Fullmoon1
評価:★★★★
監督:ユン・イノ
原作:ウイ・ギチョル「9歳の人生」(河出書房新社刊)
脚本:イ・マニ
音楽:ノ・ヨンシム
出演:キム・ソク、イ・セヨン、チョン・ソンギョン、ナ・アヒョン
    チュ・ドンムン、チ・デハン、キム・ミョンジェ、アン・ネサン
    チョン・エヨン、ソ・ジノン

  久々の韓国映画。調べてみたら3月に「復讐者に憐れみを」「マラソン」を続けて観て以来。7ヶ月ぶりだ。最近の韓国映画は数が多すぎて何を観ていいのか分からない。どれも同じように思えてしまうので始末が悪い。これは山ほどある恋愛ものとは違っているので借りてみた。ある程度期待していたがなかなかの出来。よくあるガキ大将と転校生の話でパターン通りだが、それに親子の愛情、70年代初頭というノスタルジー味を加えているだけによく出来た映画に仕上がっている。なんといっても子供たちが素晴らしい。実に自然で全く違和感がなかった。

  前に韓国映画を観ていると日本と同じだと思うことがたくさん出てくると書いたことがある。この映画でもそうだった。70年代初頭の韓国の小学校は60年代に小学校時代を過ごした僕の経験とかなり重なる。やたらと生徒を叱り飛ばす怖い担任の先生。罰の与え方も似ている。いたずらした生徒を教壇の前に並ばせて物差しでピシピシと頭をたたく。これが結構痛い。笑ったのは廊下に正座させる罰。僕もよく先生に叱られて廊下に座らされた。僕の場合は机の上蓋(上蓋がはずせた)を両手で持って頭の上に高々と掲げた姿勢で(上蓋を持って万歳しているような格好)正座させられるというものだった。韓国の方はもっとみっともない。自分の靴の片方を頭の上に載せ、もう片方を口にくわえて、両手を挙げて廊下に正座させられている。こりゃあ、完全なさらし者だ。僕の受けた罰は苦痛を感じさせるものだが、韓国の方は屈辱を感じさせるものだ。

 原作小説の邦題が『9歳の人生』となっているのが示唆的である。韓国語の原題が同じなのか分からないが、この映画には確かに「人生」を感じさせるものがある。9歳といえばまだまだ子供だから、「人生」という言葉には当然ギャップがある。子供たちは実に自然なのだが、実年齢より若干年上に設定されているようだ。あるいは大人の願望が込められているといってもいいだろう。そのあたりは監督自身がはっきり語っている。

  実は、この本が出版されてから9年ぐらいは埋もれた存在で、知っている人だけが知っている本だったんですけど、最近になってTVで紹介されて、多くの人が読むようになりました。私自身は今から3年ぐらい前に、作家本人とお会いして、本をいただきました。しかし最初は全然読まなくて本棚にずっと置いてありました(笑)。何カ月か過ぎて、ふと手にとって読んでみると、「こんないい本があるんだ」と。幼い頃に戻りたいという気持ちは、私以外の人もみんな持っているのではないかと思います。現実ではあの頃に戻ることはできませんが、映画の中でなら戻ることができる。そういう思いから映画を作ることになりました。 
eiga.comのインタビューより)

  つまり、ここに描かれているのは「あの時こうだったら」という思いが込められた理想の子供像なのである。喧嘩が強く、頭もいいが、決してそれを自慢することもなく常にクール。かつ絵が上手で、親思い。主人公のヨミンはそんな男の子として描かれている。その彼の学校に転校してきた都会育ちの高慢な美少女。ギクシャクしながらも、付かず離れずの関係が続き、最期は美少女がまた転校して行く。切ない別れと、別れの後に届いた手紙。まさに絵に描いたような展開だ。「ALWAY三丁目の夕日」が昔を懐かしむ時に思い出される典型的なものを総動員した「作られた懐かしさ」の映画だとすれば、「僕が9歳だったころ」はそれを学校生活や淡い初恋などに絞った「作られた懐かしい少年時代」の映画である。いかにもこういう子供時代をすごせたらよかったなあという作りの映画なのだ。

  人間は社会的存在だから、社会状況に応じて人間の意識も変わる。日本でも終戦直後の混乱の時期は子供も大人びていた。親がいなかったり、いても頼れなかったり、事情は様々だろうが子供も生き延びるためには大人にならざるを得ない。当時の写真を見ると、小学生くらいの子供がタバコを吸っている姿は珍しくない。石川サブロウの傑作漫画『天(そら)より高く』(原作半村良)はまさにその時代をたくましく生きた戦災孤児たちを描いたものである。そこには文字通り「人生」があった。

  「僕が9歳だったころ」が描いているのは1970年代初頭だから時代はもっと下るが、日本の50年代後半から60年代の感覚に近いだろう。しかも舞台はソウルのような都会ではなく釜山近郊の小さな村である。今よりずっと貧しい時代であり、家族の絆は今よりずっと強く、当然子供たちは今よりずっと大人びていた。子供の世界にも社会や大人の世界が否応なく反映している。その1つが貧しさだ。主人公ヨミン(キム・ソク)が母親に連れられて新しい靴を買いにゆく場面がある。最初は愛想のよかった靴屋の主人が、ヨミンの母(チョン・ソンギョン)の右目が白くにごっているのを見て急に態度を変え、「朝から縁起が悪い」と靴を売るのを断り二人を追い払ってしまう。障害者に対する差別と偏見が露骨に出ている。後で明らかになるが、ヨミンの母親は昔インク工場で働いていた時、誤って薬品が目に入ってしまった。たが貧しくて病院に行けなかったのである。

  たびたび母親が世間から冷たくされているのを見てきたのだろう、ヨミンは「俺が金を稼いで目を治してあげるんだ」という思いでひそかにバイトをして金をためている。この気持ちが泣かせるが、昔はこういう感情は珍しくなかった。みんなが貧しかったから自然に助け合う気持ちがあったのである。少ないものを奪い合うのではなく、むしろ分け合っていた。子供も子供ながらに色々な「大人の」事情を察知していた。だから昔の子供は今の子供より遥かにませていた。小学生から塾通いなどというばかげた風習もなく、学校が終われば遊ぶことしか頭になかった。自然に子供たちの「社会」が生まれ、仲間の間のルールを学び、先輩からいろんなことを教えられた。けんかをしたり仲直りをしたりして成長していったものだ。

  ヨミンは母親にサングラスを買ってやろうという思いでアルバイトをしている。何と彼がやっているのはアイスクリームの街頭売りとトイレの汲み取りのバケツの数を数える「仕事」である。前者は懐かしいという気持ちで観られるが、後者には仰天した。トイレからバケツ何杯分汲み取ったかを数える(数によって料金が変わるのだろう)仕事があったとは!タップンタップンと肥え桶を天秤棒で担いで行く業者、それを傍で見ながら数を数えている子供。これほど時代を伝える「絵」はない。そういう時代だったのだ。

  映画のスタッフたちはこの時代を再現することに多大な努力を注いだそうである。トタン屋根の粗末な家など当時の風景が見事にスクリーンによみがえっている。ただ、その中を走り回っている子供たちは、上記の監督インタビューにあるように、理想化された子供たちである。ある意味で作り物の世界だともいえる。にもかかわらず、この映画には「ALWAY三丁目の夕日」同様、それと分かっていてもその甘美な世界に身を任せたいと043205_3 思わせる魅力がある。そう思わせるのは、上にも書いたように子供たちが実に自然に振舞っているからである。この自然さがこの映画の命である。これ見よがしのあざとさがない。ヨミンのけなげさには共感せざるを得ないし、「アメリカ帰り」の触れ込みで転校してきたウリムが田舎の子供には輝かんばかりに見え、一気にクラスの人気を独り占めにしてしまうあたりも実にリアルだ。そのウリムに大好きなヨミンを奪われ、ウリムに嫉妬するおかっぱ頭のクムボク(ナ・アヒョン)の気持ちも痛いほど伝わってくる。中でも、このナ・アヒョンという子役の演技の自然さは「演技」していることすら感じさせないもので驚嘆に値する。周りが寄ってたかって弄繰り回さなければ、将来とてつもない名女優になるかもしれない(女優を志すかどうか分からないが)。役柄としても美少女ウリム以上に魅力的なキャラクターだ。

  ヨミンとクムボクにはもう一人ギジョン(キム・ミョンジェ)という仲間がいる。この仲良し三人組の中ではギジョンの印象が一番薄い。しかしこれは子役の問題ではなく役柄の問題である。原作では嘘をつきまくる屈折したキャラクターになっているようだが、映画では普通の少年にしてしまったために個性が消え、ヨミンの陰に隠れてしまっている。この三人組の間に溝を作ってしまう典型的な美少女ウリム(イ・セヨン)は見るからに鼻に付く役柄だが、すねた表情やあきれたように横目でヨミンをにらむ表情などが実に様になっていて、「下妻物語」の深田恭子をほうふつとさせる。ただ、一見傲慢でわがままだが父親に対する深い心の傷を隠し持っているという設定はありきたりだ。最後の手紙もいかにも作ったような「泣かせる」せりふである。しかし日本のお気軽ドラマ「白鳥麗子でございます」のようなわざとらしさはない。演じたイ・セヨンものびのび育てば人気女優になるだろう。

  メインのストーリーはヨミンとウリムの「恋の駆け引き」だが、その対になるサブストーリーとして「小部屋の哲学者」パルボンが美人ピアノ教師に寄せる片思いのエピソードが差し挟まれている。このエピソードは原作ではもっと描きこまれているのかもしれないが、映画ではややもてあまし気味だ。いっそなくてもよかったという指摘すらある。それでもカットしなかったのはヨミンの成長に重要なかかわりを持っているからだろう。親のしつけも子供の成長に大きな影響を与えるが、煙たい親よりも往々にして他人から大きな影響を得ることはよくあることだ。パルボンを通じてヨミンは大人の世界の一端を垣間見るのである。パルボンとヨミンの接点は手紙だ。ピアノの美人教師に片思いをしているパルボンはヨミンに恋文を運ぶ「恋のキューピッド」の役を頼む。しかし返事は連れないものだったのだろう。憤激のあまり「あの女は俗物だ」、「俗物を憎めない俺は本当の俗物だ」と叫ぶ彼をヨミンは不思議そうに見ている。いかにも70年代らしいクサイせりふに思わず失笑してしまう(いたよなあ、そんな奴)。パルボンからなぜ直接会って言うのではなく手紙を書くのか話して聞かされたヨミンは、自分もウリムに手紙を書いてみようと思いつく。しかしウリムがその匿名の手紙を教師に渡したために、ヨミンは教室の前でその手紙を読まされる羽目に。ありがちな展開だが悪くはない。

  しかしこんなことではめげないところがすごい。クールなガキ大将ヨミン、見上げた奴だ。まあこんな感じで、二人の間はうまくいきそうになるかと思えば思わぬ展開でだめになるということの繰り返しだ。好きな気持ちを素直に表せない意地っ張りなところは男なら誰しも経験済みのことで、それはそれで結構リアルだ。川でおぼれかけたウリムをヨミンが助けるというありがちな展開の後で、「礼なんかいい。″男は女を守れ″と父さんに教わったからだ。お前を好きだからじゃない」と精一杯強がるあたりは苦笑してしまう。型どおりの展開だが、考えてみれば小学生の「恋」なんてそんなものだ。惹かれる思いと強がりの綱引き状態。男の子も女の子も経験不足で、戸惑うばかり。

  この型通りの展開を救っているのが、ウリムにヨミンを取られて憤懣やるかたないクムボクの存在。何かとウリムに突っかかる。やがてウリムがアメリカに住んでいたというのは真っ赤な嘘だと知ってしまうが、ウリムを気遣うヨミンに口止めされてしまう。憎くて憎くて仕方がないのに大好きなヨミンとの約束を破ることは出来ない。彼女の内心の葛藤はいかばかりだったか。しかしついに我慢の限界を超えてしまい、ウリムとつかみ合いになる。このお茶目で気が強そうな田舎娘がどれだけこの映画を引き締めているか。繰り返すが、本当にすごい子だ。

  もう1つ、ところどころに挿入されるユーモアの味付けも忘れてはいけない。絵心のあるヨミンが絵のコンクールか何かで入賞したときのエピソードが傑作である。担任の教師(アン・ネサン)とヨミンが校長先生(チェ・ソン)にお褒めの言葉をもらっている。絵もさることながら校長は「夢をつかむ子」というタイトルにいたくご満悦の様子。担任教師も調子に乗って、常日頃から子供たちには夢を持つよう指導していますからと抜け目なく自己アピール(実際はそんなことしていない)。校長がどこからこのタイトルを思いついたのかねと聞くと、ヨミンは「のろまな子(クムルデヌン)」と書くつもりが間違って「夢をつかむ子(クムルタヌン)」と書いてしまったとあっさり答える。妹を描いた絵だったのである。恥ずかしさに縮こまる思いで座っている担任教師の神妙な顔が実に滑稽だ。『ちびまる子ちゃん』なら顔中に縦線が入っているところだろう。何とも痛快な場面である。

  もちろん韓国映画だから「泣かせ」のポイントもふんだんに盛り込まれている。例えばウリムの転校の挨拶で明かされる彼女の「秘密」、転校したウリムから届いた手紙(「名前を明かせる女」という署名がいい)。だが何といっても圧巻なのは、親に黙ってお金を稼いでいたヨミンを母親が折檻する場面だ。ズボンの裾を捲り上げさせて木の枝でふくらはぎを容赦なくたたく。身をよじって痛がるヨミンの姿が真に迫っている。やがてヨミンが金を稼いでいた理由が母親にも分かり二人は抱き合って泣く。非常に感動的な場面だが、不思議なほど感情を排して冷静に描かれているように感じる。典型的な「泣かせ」の場面だが、「さあ泣いてください」という演出ではない。母親は本気で折檻しており、ヨミンは本当に痛がっている。ヨミンはあまりの痛さに思わずお金の目的を「白状」してしまうが、お金を稼いでいる理由を知っても、母親は「私のことがそんなに恥ずかしいのか」とすぐには折檻の手を休めない。母を思う心と、子を思う心、世間からいじめられている母親を見たくないという気持ちと、安易に同情されたくない、子供を働かせるほど困っていると世間に思われたくないという気持ちが本気でぶつかり合っている。涙をしぼる場面というよりもむしろ鬼気迫る場面だった。そういう描き方になっている。単なるお涙頂戴的演出では到達できない境地、素晴らしい演出だった。

  貧しかったあのころ。しかし幸福感に満ちていた。いや、実際は苦労の連続だったに違いない。しかしだからこそささやかな幸せが本当に心に沁みるのである。思い出の中の過去とは自分が子供だった頃である。大人の苦労を知らず、親に守られていたことにも気づかずに僕らは一心に遊んでいた。思い出がセピア色に美しく定着してしまうのはノスタルジア効果である。「僕が9歳だったころ」はたぶんにそのノスタルジア効果に乗った作品ではあるが、しかしただ甘く切なく過去を描いただけではない。背伸びした子供たちが垣間見た大人の世界(引きこもり哲学者パルボンは結局自殺してしまう)、子供同士あるいは子供と親が本気でぶつかり合う姿も描いている。今は希薄になってしまった家族愛や他人を思いやる心を「泣かせ」路線に走ることなく描き出したこと、美少女を登場させながらもただ「視覚的に」楽しませる演出にはしなかったこと、田舎の純朴な子供たちに存分に活躍の場を与えたこと、これらはすべて、美男美女が美しく映し出される「韓流」映画に対するアンチテーゼなのである。

  ユン・イノ監督はこの作品の前に「バリケード」と「マヨネーズ」を撮っている。どちらも高く評価されているようだが、日本で公開されたのは3作目の「僕が9歳だったころ」が最初でTyo4300_1 ある。前の2作がどんな作品なのか気になるところだ。「僕が9歳だったころ」は子供たちが主役なのでだいぶ気を遣ったようだ。合宿をして子供たち同士、そして子供たちとスタッフが仲良くなるよう努めたという。また、韓国語が分からないので観ている間は気づかなかったが、子供たちはみな方言を話していて、ソウルから来たウリムだけが都会の言葉で話していたそうである。当時の風俗や建物、子供たちの遊びなどかなり時代考証にもこだわった。映画の冒頭、ヨミンと母親が仕事に出かける父親を家の前で見送る場面などは、日本ではもう観られなくなってしまった光景だ。自分では経験したことはないが(実家は自営業)、なぜか懐かしかった。

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