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2006年6月25日 - 2006年7月1日

2006年7月 1日 (土)

ふたりの5つの分かれ路

2004年 フランス 2005年8月公開 Sea22
原題:5×2
監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン、アマニュエル・ベルンエイム
撮影:ヨリック・ルソー
音楽:フィリップ・ロンビ
出演:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ステファン・フレイス
   ジェラルディン・ペラス、フランソワーズ・ファビアン
    アントワーヌ・シャピー、マイケル・ロンズデール
    マルク・ルシュマン

  アレキサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」とフランソワ・オゾン監督の「ふたりの5つの分かれ路」を同じ日に観た。結論から言うと、2本ともどうということのない映画だった。ソクーロフの映画を観たのは初めて。と思っていたが、なんといつものフリーソフト「映画日記」に記入していたらソクーロフの名前がすでに入っているではないか(すでに入力済の名前は数文字打ったところで候補として表示される)。何を観たかと調べてみたら「孤独の声」を観ていた。まったく記憶にない。手書きの映画ノートを観たら周辺の事情を少し思い出した。88年に「高田馬場東映パラス」でソ連映画特集が組まれ、11月4日に「翌日戦争が始まった」と「メッセンジャー・ボーイ」、11月6日に「死者からの手紙」と「孤独な声」を観ていたのである。他の3本は多少なりとも記憶が残っているが、「孤独の声」(78年)はタイトルも含めまったく忘れていた。タイトルすら忘れているところをみるとあまり印象に残る映画ではなかったようだ。

  「太陽」は終戦の直前と直後の天皇裕仁を描いた映画。第55回ベルリン国際映画祭のコンペ部門に出品され話題を呼び、ロシアの第13回サンクトペテルブルク映画祭でグランプリを受賞した。しかし主題が主題だけに日本公開が危ぶまれていたが、今年の8月に公開されるようになったようだ(この日は知り合いが持ってきたイギリス版DVDで観た)。ヒトラーを描いた「モレク神」、レーニンを描いた「牡牛座」と合わせて3部作になっている(79年に「ヒトラーのためのソナタ」という作品も撮っている)。もっとも、次や次の次も考えているようなので最終的に何部作になるかは分からない。裕仁を演じるのはイッセー尾形。あの独特の口の動きや身のこなしをよく再現している。終戦前後の数日間を淡々と描いたもので、ただそれだけ。裕仁個人に焦点を絞り、歴史的・政治的視点などは一切捨象している描き方には疑問を感じた。まあ、数人で食事をしながらああだこうだと言いながら観たので、しっかりと鑑賞したわけではない。だからレビューは書かない。

  フランソワ・オゾン監督は「まぼろし」(01)、「8人の女たち」(02)、「スイミング・プール」(03)に続いてこれが4本目。「まぼろし」と「スイミング・プール」は、満点は付けられないがなかなかよくできた映画だった。「8人の女たち」はまあまあの出来。「ふたりの5つの分かれ路」はさらにそれを下回る平凡なでき。監督自身「恋人との別れを経験した直後で、その原因を知りたかったのが、映画を作ろうと思ったきっかけ。失恋すると、みんな過去を振り返るじゃないか。あの時のあの言葉が原因だろうか、それとも……、と。その心の軌跡を、そのまま映画にしたんだ」と語っているが、文字通りそういう映画。ただそれだけ。だから何なの?

  まあ、これではあまりにそっけないのでもう少し書いておこう。映画はジルとマリオンの離婚が成立するところから始まり、別れ、特別なディナー、出産、結婚式、出会い、という5つのエピソードを通して時間を逆にさかのぼって出会いまでを描いている。形式としては韓国の名作「ペパーミント・キャンディー」とほぼ同じ。後者は自殺した男が自殺にいたる経過を過去に戻りながらたどってゆく。次々に男の過去が明らかになってゆく。浮き沈みの激しい人生。男が転落してゆくプロセスがよく描かれており、その根底にはベトナムでの悲惨な経験があったことが明かされてゆく。語られる内容と形式がうまくかみ合っていて、この時間の逆転という手法が十分に効果を発揮している。しかし「ふたりの5つの分かれ路」の場合、時間を逆転させた必然性が何も感じられない。

  それもそのはず、結局は個人的な恋愛のもつれの範囲から一歩も出ていないのだから、単なる個人的な問題に過ぎない。他人にはどうでもいいことである。何が原因かはっきりしないし、そもそも当事者以外には分からないことだ。いや分かったからといって何がどうということもないし、元の鞘に収まるわけではない。終わりがあるから愛は美しいなどという宣伝文句も空疎に響く(ところでこういう終わり方はハッピーエンドというのだろうか?)。

  あるいは、あれほど愛し合っていた二人がどうして分かれてしまうことになるのか、それFutari3c を真摯に追求した作品だと言うかも知れない。しかし出会いの頃の熱々状態のままで20年も30年も暮らしている夫婦が一組でもいるだろうか?二人は結婚してその後幸せに暮らしました、というのは御伽噺だけの世界だということは誰でも知っている。「愛の真実」とか「愛の本質」などという大げさなものではなく、ただ分かりきった当たり前のことを当たり前に描いただけに過ぎない。芸能人の離婚報道で結婚当時の幸せそうな映像が流されるようなものだ。

  「5つの分かれ路」というタイトルは、あの時こうしていれば、こうしなければと思い当たるポイントを5つ取り上げたという意味だろう(原題は「5×2」、当事者は二人だから)。しかし、観ていると分かれるチャンスが何度もあった、あのときに分かれておけば、いやあの時だって分かれるチャンスだったのに、という意味合いに思えてくる。なぜならジルはあまりにだらしない男だし、二人とも関係を改善する努力を何もしていないのだから、ある時点でうまく対応したとしても、いずれどこかの時点で破局に至るのは目に見えているからだ。

 オゾン監督は「愛というものをあれこれ説明することなしに、別の角度から捉えたかったのです。日常的なことが愛を失わせると語るのは、たやすいことのように思えますが、2人を別れさせる本当の理由は表面的なものよりももっとずっと深淵なものであり、そのことに注目しました」と語っているが、一体どこに深遠な理由があるのか。些細なことの一つひとつが実は大きく影響するのだと言いたいのだろうか。だとしたら「深遠な」という言葉の使い方が間違っている。過去にさかのぼる形式がどうの、キャメラワークがどうの、甘く切ないイタリアン・ポップスがどうのという前に、内容が空疎ではいくらテクニックを駆使してもやはり「焼け石に水」である。あるいは説明の付かない行動をとってしまう人間のどうしようもない愚かさを描きたかったのかもしれないが、しかし話の展開には意図的に壊れてゆくよう仕向ける作為を感じた。

  原題は「5×2」となっているが、視点は一貫してマリオン寄りであると感じる。出産したマリオンが夜中に病室を抜け出し保育器の中にいる我が子を見る場面(寄り付こうとしなかったジルと対照的だ)、ジルが乱交パーティーの話を得意げにする横でマリオンの笑顔が消えて行く場面などは印象的だ。初夜に夫のジルが酔いつぶれて寝てしまったため満たされない気持ちを抱いていたマリオンが、強引に迫ってきたアメリカ人と浮気をしてしまう気持ちも理解できなくはない。一方ジルの心中は一貫して明確にされない。なぜ子供を避けたがるのか、なぜマリオンを傷つけると分かっていて乱交パーティーの話をしたのか、最後まではっきりとはわからない。もちろん推測することは可能だ。例えば、ジルが赤ん坊に嫌悪感を示すのは父親が自分ではなく、マリオンが初夜の日に寝た外国人だと知っているから。ジルが兄やマチューの前でこれ見よがしに乱交パーティーの話をするのはそのことに対するあてつけ。そういう解釈も成り立つ。だがもしそうだとして、それがどうだというのか。二人とも関係改善に何の努力もしていない。ただ互いに傷つけあっているだけ。何ともしょうがない夫婦。そう思うだけだ。

  ジルの兄クリストフ(アントワーヌ・シャピー)と兄のゲイの恋人マチュー(マルク・ルシュマン)を登場させて自由恋愛の話題を持ち込んでいるが、いまさら結婚制度が自由を縛るなどと言ってみたところで何の新鮮味もない。テーマとして深められるわけでもなく、ただ話題として流れてゆくだけ。

  唯一興味を引かれたのはカーラ・ブルーニの姉ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ。カーラ・ブルーニの傑作CD「ケルカン・マ・ディ」の解説で姉が女優だと知った。ひょっとして観たことがあるかもしれないと思ってインターネットで調べた記憶がある。ヴァレリアは「ミュンヘン」に出ていたようだがほとんど印象がない。だが主演したこの映画ではなかなか印象的だった。「ラクダと針の穴」では出演だけではなく監督と脚本も兼ねているようだ。才能のある人なのだろう。俳優としてはどちらかというと脇役向きと思われるが、今後の出会いが楽しみだ。

2006年6月28日 (水)

ゴブリンのこれがおすすめ 19

日本映画(90年代以降)
■おすすめの50本 Artkazamidori01250wc
桜の園(1990)  中原俊監督
少年時代(1990) 篠田正浩監督
12人の優しい日本人(1991) 中原俊監督
大誘拐(1991) 岡本喜八監督
ふたり(1991) 大林宣彦監督
息子(1991)  山田洋次監督
紅の豚(1992)  宮崎駿監督
しこふんじゃった(1992) 周防正行監督
ミンボーの女(1992)  伊丹十三監督
月はどっちに出ている(1993) 崔洋一監督
午後の遺言状(1995) 新藤兼人監督
Shall We ダンス?(1995)  周防正行監督
Love Letter (1995) 岩井俊二監督
もののけ姫(1997)  宮崎駿監督
ラヂオの時間(1997) 三谷幸喜監督
がんばっていきまっしょい(1998) 磯村一路監督
愛を乞うひと(1998) 平山秀幸監督
ナビィの恋(1999) 中江裕司監督
金融腐食列島 呪縛(1999) 原田真人監督
GO(2001) 行定勲監督
千と千尋の神隠し(2001)  宮崎駿監督
阿弥陀堂だより(2002) 小泉堯史監督
ピンポン(2002) 曽利文彦監督
たそがれ清兵衛(2002)  山田洋次監督
ホテル・ハイビスカス(2002) 中江裕司監督
ジョゼと虎と魚たち(2003) 犬童一心監督
茶の味(2003) 石井克人監督
この世の外へ クラブ進駐軍(2003) 阪本順治監督
いつか読書する日(2004) 緒方明監督
犬猫(2004) 井口奈己監督
運命じゃない人(2004) 内田けんじ監督
隠し剣 鬼の爪(2004) 山田洋次監督
カーテンコール(2004) 佐々部清監督
下妻物語(2004) 中島哲也監督
深呼吸の必要(2004) 篠原哲雄監督
誰も知らない(2004) 是枝裕和監督 Momijii1
父と暮らせば(2004) 黒木和雄監督
ハウルの動く城(2004) 宮崎駿監督
パッチギ!(2004) 井筒和幸監督
村の写真集(2004) 三原光尋監督
リアリズムの宿(2004) 山下敦弘監督
笑の大学(2004) 星護監督
青空のゆくえ(2005) 長澤雅彦監督
ALWAYS 三丁目の夕日(2005) 山崎貴監督
THE有頂天ホテル(2005) 三谷幸喜監督
フライ、ダディ、フライ(2005) 成島出監督
メゾン・ド・ヒミコ(2005) 犬童一心監督
リンダ リンダ リンダ(2005) 山下敦弘監督
博士の愛した数式(2005) 小泉堯史監督
嫌われ松子の一生(2006) 中島哲也監督

●追加
延安の娘(2002) 池谷薫監督
かもめ食堂(2005) 群ようこ監督
雪に願うこと(2005) 根岸吉太郎監督
武士の一分(2006) 山田洋次監督
フラガール(2006) 李相日監督
紙屋悦子の青春(2006) 黒木和雄監督
六ヶ所村ラプソディー(2006) 鎌仲ひとみ監督
歩いても歩いても(2007) 是枝裕和監督
ALWAYS 続・三丁目の夕日(2007) 山崎貴監督
河童のクゥと夏休み(2007) 原恵一監督
それでもボクはやってない(2007) 周防正行監督
夕凪の街 桜の国(2007) 佐々部清監督
めがね(2007) 荻上直子監督
アフタースクール(2008) 内田けんじ監督
おくりびと(2008) 滝田洋二郎監督
クライマーズ・ハイ(2008) 原田眞人監督
つみきのいえ(2008) 加藤久仁生監督
ぐるりのこと。(2008) 橋口亮輔監督
劔岳 点の記(2008) 木村大作監督
おとうと(2009) 山田洋次監督
風が強く吹いている(2009) 大森寿美男監督
沈まぬ太陽(2009) 若松節朗監督
ディア・ドクター(2009) 西川美和監督
あぜ道のダンディ(2010) 石井裕也監督
一枚のハガキ(2010) 新藤兼人監督
トイレット(2010)荻上直子監督
海炭市叙景(2010)熊切和嘉監督
悪人(2010) 李相日監督
マザーウォーター(2010) 松本花奈監督
必死剣 鳥刺し(2010) 平山秀幸監督
告白(2010) 中島哲也監督
八日目の蝉(2011) 成島出監督
かぞくのくに(2011) ヤン・ヨンヒ監督
まほろ駅前多田便利軒(2011) 大森立嗣監督
大鹿村騒動記(2011) 坂本順治監督
阪急電車 片道15分の奇跡(2011) 三宅喜重監督
苦役列車(2012) 山下敦弘監督
鍵泥棒のメソッド(2012) 内田けんじ監督
桐島、部活やめるってよ(2012) 吉田大八監督
希望の国(2012) 園子温監督
おおかみこどもの雨と雪(2012) 細田守監督

 こうやって並べてみると04年から集中して日本映画を観始めていることが分かる。90年代は年間に数本ずつしか観ていない。その頃は日本映画にほとんど関心がなかったし、観るべき作品もほとんどないと思っていた。今振り返ると重要な作品を結構見落としていたのではないかと不安になる。
 80年代は自分でも驚くほど日本映画を観ていたが、それは30年代から60年代にかけての巨匠の作品を手当たり次第に観ていたからで、封切り作品はほとんど見ていない。日本映画の歴史的名作とされるものの内かなりの部分をこの時期に観ている。その頃の僕にとって60年代以降の日本映画はほとんど見る価値のないものだった。その認識が変わりだしたのは90年代後半ごろからで、どん底まで落ち込んでいた日本映画が着実に力を着けつつあると確信し始めたのは04年ごろからである。

2006年6月27日 (火)

嫌われ松子の一生

Tukimi1 2006年 東宝 06年5月27日公開
監督、脚本:中島哲也
原作:山田宗樹『嫌われ松子の一生』(幻冬舎)
撮影:阿藤正一
出演:中谷美紀、瑛太、伊勢谷友介、香川照之
    市川美日子、黒沢あすか、柄本明 、宮藤官九郎
    木村カエラ、柴崎コウ、片平なぎさ、ゴリ
    竹山隆範、谷原章介、劇団ひとり、谷中敦
    BONNIE PINK、武田真治、荒川良々、土屋アンナ
    AI、甲本雅裕、角野卓造、阿井莉沙、山田花子

  久々に映画館で観てきた。「嫌われ松子の一生」は現代版『女の一生』である。いや、モーパッサンを持ち出すまでもなく、女の不幸な一生を綴った小説や映画は他にも結構ある。映画を観た後、松本清張の「絵はがきの少女」を思い出した。『憎悪の依頼』(新潮文庫)に収録されている短編で、文学の香りがする忘れがたい傑作である。語り手が子供のころ集めていた古い絵葉書を整理していると、ふと1枚の絵葉書が目に留まる。ある観光地の写真が写っているなんでもない絵葉書だが、たまたまそこに写っていた一人の少女が気になる。この子は今どうしているのだろうか。気になって仕方がない語り手はその写真がとられた場所へ行ってみる。こうしてその女の子の消息を訪ね歩いてゆくという話だ。調べてみると彼女は実に悲惨な人生を歩んだことが分かる。各地を転々とし、その度により悲惨な生活になってゆく。最後は山口県で亡くなっていた。そこまで訪ねて行った語り手は、しかし、そこで絵葉書の少女に出会う。死んだ女性の一人娘だった。なんとも悲惨な話だが、一枚の絵葉書から、そこに写った少女のその後の運命をたどるという発想が見事だった。

  英文科を出た人ならジョージ・ムアの『エスター・ウォーターズ』を思い浮かべるかもしれない。19世紀末の長編小説だが、子供を抱えた女性が一人で生きてゆこうとする先には過酷な運命が待ち受けていた。当時の女性がいかに無権利状態に置かれていたかがいやというほど伝わってくる。映画では今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」(63年)が女の一生を映画いた映画としては一番強烈ではないか。皮肉な運命に踏まれても、踏まれてもしぶとくたくましく生き延びてゆく虫けらのような女の人生。主人公松本とめを演じた左幸子の存在感が圧倒的だった。彼女はまた内田吐夢監督の「飢餓海峡」(水上勉原作、64年)でも薄幸の女杉戸八重を演じている。日本映画史上屈指の名作、今井正監督「にごりえ」(53年)は樋口一葉原作の「十三夜」、「大つごもり」、「にごりえ」を収めたオムニバスだが、第3話「にごりえ」のお力も哀れだった。貧しい家に生まれ小料理屋の酌婦となったお力は、幸福をつかみかけた矢先に男に無理心中させられてしまう。

  これらの作品はいずれも暗い印象が付きまとうが(それは白黒映画であるせいではない)、「嫌われ松子の一生」は一転してミュージカル的要素も取り込んだ極彩色の映画である。「下妻物語」の中島哲也監督作品だから当然一筋縄ではいかない。しかしそれでも共通する要素はある。女の不幸の原因は常に男であるという点である。松子の人生とは男に頼り、男に裏切られた人生だった。作品によっては戦争などが不幸の直接的な原因だったりする場合もあるが、その場合でも例えば夫の戦死という形で女に影響を及ぼす。魯迅は「ノラは家出してからどうなったか」と題した講演で、ノラには実際二つの道しかなかったと論じた。堕落するか、そうでなければ家に帰るかである。「人生にいちばん苦痛なことは、夢から醒めて、行くべき道がないこと」であると。たとえ「人形の家」を出ても当時の女性には経済力がない。女性がつける職業は限られていた。つまり女性が自立するにはそれを支える経済力が必要なのである。だから男に頼らざるを得ない。ジェーン・オースティンの女性登場人物たちが結婚相手探しに血眼になるのはそうしなければ生きられないからである。

  その点では松子も同じだった。松子が最も輝いているのは何らかの仕事をしているときだ。たとえそれがトルコ嬢としてであっても。19世紀までや20世紀でも戦前とは違い、20世紀の後半を生きた松子はさすがにそう簡単には社会の最底辺までは落ちない。女性も何とか一人で生きてゆくことができる。それでも彼女が男に頼ったのは愛情に飢えていたからである。彼女の人生はまた愛という幻想に惑わされた人生だったともいえる。だから彼女が不幸になるときは必ず男が絡むのである。最後の男に裏切られたとき彼女は生きる気力を失ってしまう。 無気力に取り付かれた彼女はかつての美貌も容姿も失いぶくぶくに太った中年女に成り下がってしまう。しかし松子は最後の最後にもう一度立ち直ろうとする。それまで散々辛酸をなめてきた彼女は今度は男を求めようとはしなかった。もう一度美容師として働こうと決めたのである。自分のもっとも得意な技術を生かしてまた立ち直ろうと。だが皮肉にもそう思ったとたん殺されてしまう。

  彼女の人生の最後は惨めだった。にもかかわらず、悲惨さ一色の印象が残らないのは、言うまでもなくうまくいっていた時期があるからであり、その時期が派手で明るくカラフルに彩られているからである。彼女の人生で一番明るく描かれているのは刑務所に入っているときと美容師やトルコ嬢として働いていたときである。BONNIE PINKやAIの歌にのって楽しそうに歌い踊る。そこにこの映画の新味があるわけだ。才能がある松子は美容師としてもトルコ嬢としてもNO.1に上り詰めてしまう。そのあたりはファンタジックなつくりなのでたとえ殺人を犯してもあまり現実味はない。彼女の運命が変わるための単なる変数に過ぎない。

  映画のストーリーは「絵はがきの少女」と同じような枠組みの中で展開するにもかかわらず、映画の中には活力と夢があふれている。不幸と幸福、惨めさと楽しさがないまぜになっている。明るい笑いと涙がともに味わえる、さらにCGを駆使した映像と音楽まで楽しArtbasya04200wa める。グリコ顔負けの一粒で四度おいしい作り(たとえが古いなあ)になっている。この演出法はそれなりに成功している。「メゾン・ド・ヒミコ」で踊る柴崎コウにかなり引き付けられたが(「嫌われ松子の一生」を中谷美紀以外に演じられるのは恐らく彼女だけだろう)、まるで何かのCMかと思うような生きのいいダンスを披露する中谷美紀の魅力はそれ以上だった。

  この楽しい映像はただ単に悲惨な話を和らげるためだけに使われているわけではないだろう。もちろんそれもあるが、あのCGを使った現実離れした映像はある意味で松子の夢でもある。実際は刑務所の中なのにそこには悲惨さはまったく描かれていない。むしろ明るく、悲惨さなど笑い飛ばして、いや、「踊り飛ばし」、「歌い飛ばして」いる。あれは松子の夢であり、願望だ。明らかにそうだと分かる演出にしなかったところが成功している。そしてそんな明るい夢を見られるのは松子に生きようとする強い力、したたかなまでの気力があるからだ。同棲していた作家志望の八女川徹也(宮藤官九郎)が太宰治ばりに「生まれてきてすみません」と書き残して自殺したとき、松子は「そのとき私の人生は終わった」と思った。しかし彼女は生きた。映画の最初のあたりで「火曜サスペンス劇場」をもじった片平なぎさ主演のテレビ・ドラマが何度か映される。毎回犯人はがけっぷちに追い込まれ、観念して崖から飛び降りる。松子も何度もそうなりかかりながら驚くほどの粘り腰で「運命」を土俵際で打っちゃってしまう。彼女はがけっぷちに強い女だった。

  八女川徹也に始まり、彼のライバル作家だった岡野健夫(劇団ひとり)、雄琴で松子がトルコ嬢として働いていたときのヒモ小野寺(武田真治)、床屋の主人(荒川良々)、松子が教員を辞職する原因を作ったかつての教え子龍洋一(伊勢谷友介)。彼女が選んだ男はことごとくはずれだった。それでも彼女は夢を持ち続けた。最後の男に裏切られるまで。そこにこの映画の明るさを支える要素がある。彼女が見上げる空にはいつも星が輝いていた。そしてあの印象的な「曲げて、伸ばして、お星様をつかもう」という歌が何度も流れる。星空を眺めるシーンはスウェーデンの名作「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」を連想させられる。イングマル少年は悲しいことがあると星を見上げ、自分よりもっと惨めな存在を思い浮かべた。あのライカ犬に比べたら自分はまだましだ。そう思って自分を慰めた。松子は星を見て何を思ったのだろうか。どんなに手を伸ばしてもあの星には届かない。決して自分には手が届かない幸福。それでも彼女は手を伸ばすことをやめなかった。「子供たちが空に向かい両手をひろげ、鳥や雲や夢までもつかもうとしている。」久保田早紀の名曲「異邦人」のように、幼い松子も星に向かって手を伸ばしていたのだろうか。

  松子は単に男運が悪かったのだろうか。彼女は男に愛されていないと自分の存在を感じられない、あるいは、自分が生きていると実感できない女だったのだろう。僕は上で「彼女の人生はまた愛という幻想に惑わされた人生だったともいえる」と書いた。「例え、行き先が地獄であったとしても龍について行けるなら幸せ」、どんなにひどい仕打ちを受けても「それでも一人でいるよりまし」という彼女の思い込みは幻想だったと思うからだ。「人の価値とは、人に何をどれだけしてもらったかではなく、人のために何をどれだけしたか」だというせりふが出てくるが、松子の愛は龍が最後に到達した「神の愛」とも違う。彼女は確かに人に尽くし人に愛を与えたが、それ以上に彼女は愛を欲していた。

  彼女が最後にたどり着いたのは何だったのか。彼女が最後に帰りつく場所、長い天に向かって続く階段の先にあった場所、それは家庭だった。天国への階段はいつの間にか家の階段に変わる。彼女があれほど飢えたように求め続けたものは家族の愛だった。彼女をはじめて「お帰りなさい」と迎えてくれたのは、松子があれほど嫉妬し邪険に扱ってきた妹だった。男の愛ではなく家族の愛だった。だからどの男も彼女の愛に応えられなかったのである。どの男にも満足できなかったのである。「放蕩息子の帰還」の女性版。放蕩娘はやっと帰ってきたのだ。天国にある家庭に。階段の先は光にあふれている。松子が何度も仰いだ星空は実家の階段の上にあった。

  この映画のテーマは「家庭」、あるいは「家族」だった。松子の甥笙が電話で父に、松子がいつも荒川を眺めていたのはふるさとの川に似ているからだと伝えたとき、あれほど松子を嫌っていた父(松子の弟)が初めて涙ぐむ。このエピソードもこの映画の主題がどこにあったかを暗示している。松子が妹の久美(市川実日子)にいつも辛くあたるのは父親の愛が病弱な妹にばかり注がれているからである。そう思うとあの変な顔をすると父親が笑うので何度もそれを繰り返し、それがいつの間にか癖になってしまったというのも悲しいエピソードなのである。

  松子は最初から「嫌われ松子」だったわけではない。最後に裏切られるまではむしろ輝いているときのほうが多かった。すべてをあきらめ、投げ出してしまって初めて「嫌われ松子」になった。だらしなく太り、悪臭を放つホームレスのような女の死体から始まり、その女にいったいどんな人生があったのかを逆にたどってゆく展開。何がこの女の人生の躓きになったのか。そういう関心からこの映画を観ることも可能だ。「絵はがきの少女」とちょうど逆の展開。それだけに、松子の最初の躓き、学校を追われるエピソードがあまりにもいい加減なのが惜しまれる。ありえない話だ。

  この映画はまた、「カーテンコール」「ALWAYS三丁目の夕日」などに通じる懐かしさも併せ持っている。松子の人生の展開に合わせて、当時の時代風潮が描き出されてゆく。オイルショックでトイレットペーパーを買占めたり、ソープではなくトルコ風呂と呼ばれていたり、光ゲンジが出てきたり。中山千夏の「あなたの心に」、天地真理の「水色の恋」そして和田アキ子の「古い日記」など、劇中に流れる曲も懐かしい。中でも「あなたの心に」は本当に懐かしかった、涙もの。一方いまどきの木村カエラ、BONNIE PINK、AIの曲もよかった。特に何度か流れる「LOVE IS BUBBLE」がいい。豪華配役以上に堪能できた。

  もちろんキャストもなかなかのもの。特に香川照之、柄本明、市川美日子、黒沢あすか、そして劇団ひとりは出色。だが何といってもすごいのは主演の中谷美紀。演技力の点では宮沢りえがダントツだが、歌って踊れて演技もできるという点では柴崎コウと双璧。だいぶ監督に泣かされたそうだが、その甲斐あってこれは彼女の代表作になるだろう。「博士の好きな数式」の深津絵里と並ぶ今年の収穫。年末にはいろいろな賞を争うことになるだろう。そうそう、忘れてはいけない。彼女自身が歌っている主題曲「まげてのばして」も実にいい曲だ。映画を観終わった後しばらくは頭からこのメロディが離れなかった。サントラ盤の曲目リストを見ていたら欲しくなった。サントラ盤は滅多に買わないが、これは欲しい。

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