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2006年1月8日 - 2006年1月14日

2006年1月14日 (土)

最近上田でもいい日本映画が観られるようになった

st  どうしたわけか、最近急に上田でもいい映画が観られるようになった。それもなぜか日本映画ばかりだ。昨年の12月に「メゾン・ド・ヒミコ」を観たのが最初。今年に入って先週「運命じゃない人」を観た。今日は「ALWAYS三丁目の夕日」を観てきた。明日は「THE有頂天ホテル」を観に行く予定。その後も「博士の愛した数式」(これは上田でもロケをした)と「県庁の星」が控えている。日本映画のレベルが上がってきたことの現われだろうと思う。ただこの調子で今後もいい映画が続くかはまだ分からない。いずれにしても今年はもっと映画館で映画を観ようと思っている。

  「ALWAYS三丁目の夕日」は予想以上によかった。後半はもう涙が乾く暇がなかった。このところコメディタッチの映画ばかり作っていた日本映画だが、これは伝統的な日本映画の味わい、「警察日記」や「本日休診」、あるいは小津の長屋物などに通じる庶民の哀歓を綴った人情喜劇である。アメリカ映画の様なアクション大作やミュージカルを作れない日本では、こういう映画が得意だった。戦後間もない東京の風景を再現した映像も素晴らしい。懐かしい風景だった。レビューを書くのが楽しい作業になりそうだ。

  それにしても、雨天とはいえ土曜日なのに観客は20人程度。小さな映画館なのにがらがらである。上田では普通の入りだが、いい映画なのだからもっと多くの人に観てほしい。ただ、子供が三人観ていたが、途中そわそわしたりしていなかったので夢中で観ていたようだ。年配の人だけではなく子供たちも観て楽しめる映画のようだ。なんだか自分のことのようにうれしい。

 一方洋画の方は観たい映画がさっぱりこない。「ナルニア国物語」が来る予定だが、出気が気になる。VFXが発達した今日、かつては映画化が困難だったファンタジーがスクリーン上で表現可能になった。「ロード・オブ・ザ・リング」を観れば、もう大概のものは映画化が可能だという気になる。そうなると「ナルニア国物語」にとどまらず、ファンタジー王国イギリスが生み出した膨大な数のファンタジー小説が次々に映画化される可能性がでてくる。これは児童文学大好きの僕としては楽しみである。

2006年1月13日 (金)

コーラス

2004年 フランス cut-window3
原題:choristes
監督:クリストフ・バラティエ
脚本:クリストフ・バラティエ 、フィリップ・ロペス=キュルヴァル
撮影:ドミニク・ジャンティル、カルロ・ヴァリーニ
音楽:ブリュノ・クーレ 、クリストフ・バラティエ
出演:ジェラール・ジュニョ 、フランソワ・ベルレアン
    ジャン=バティスト・モニエ ジャック・ペラン
       マリー・ビュネル、カド・メラッド、マクサンス・ペラン

  問題児を更正させる寄宿学校「池の底」に舎監兼教師として一人の中年男がやってくる。その学校の生徒は問題児ばかりで、校長は高圧的に締め付けることで問題児を押さえつけようとしていた。校長の口癖は「やられたらやり返せ」。その子供たちを新しい舎監クレマン・マチューは合唱を教えることで立ち直らせてゆく。

  絵に描いたようにストレートな映画である。しかし出来は悪くない。ラストは感動すら覚える。この種の映画はややもするととんでもなく説教臭くなりがちだが、マチューは生徒にあまり説教はたれない。彼と生徒たちとのかかわりは勉強よりも合唱の練習をしている時の方が多く、そこでは実際的な指導をしているからだ。むしろ校長の方針に逆らったり、臆せずに面と向かって意見を言っている姿の方が印象的だ。だから自然に彼に対して共感を持つようになるのである。この辺の描き方がうまい。

  「コーラス」はイギリス映画「ブラス!」のように全国大会で優勝するというクライマックスを設けるというドラマティックな展開もなく、アメリカ映画の「天使にラブソングを」の様な躍動感や痛快さがないにもかかわらず、観客をひきつけて止まない。その演出力は称賛に値する。いかにもフランス映画らしく淡々と、かつコミカルに描かれてゆく。ハリウッド映画の様な「さあ感動してください」と言わんばかりのこれ見よがしの演出になることを恐らく意識的に避けている。

  ではこの映画の魅力はどこにあるのか。誰もが指摘するこの映画の魅力はコーラスの美しさ、とりわけピエール役ジャン=バティスト・モニエの声の素晴らしさである。マコーレー・カルキンとウィレム・デフォーをあわせたような顔の少年だ。“天使の歌声”と絶賛されているが、確かに素晴らしい。しかしこの映画の魅力はそれだけではない。

  少年たちが変化してゆく様子を説得的に描くためには、少年たちの心をひきつけるほどコーラスがすばらしいことを描かなければなければならないが、その前提としてまず彼らがいかにそれまで荒れていて、彼らが収容されていた施設がいかに少年たちの教育の場としてはふさわしくないかを描いていなければならない。学校の抑圧的な雰囲気はよく描かれている。マチュ-が始めて「池の底」にやってきた時、門の鉄柵にしがみつくように立っている小さな男の子に気付く。用務員が出てきて門を開けてくれるのだが、用務員からその子がペピノという名前で、土曜日に父親が迎えに来てくれると信じていていると聞かされる(実際には両親は既に亡くなっている)。この導入部分は秀逸だ。収容されている子供たちに不幸な影が付きまとっている印象がうまく伝えられている。

  キャメラは「池の底」の中に入ってゆくが、学校の構内は全体に暗くくすんだ色調で映されている。薄ら寒い学校の雰囲気がよく出ている。用務員がマチューを案内している時に生徒のいたずらで顔に大怪我を負ってしまう。初日でいきなりこれだ。しかも紹介された校長は見るからに厳格そうな男である。マチューならずとも先を思いやられ、不安がよぎる。マチューの前の舎監が去ってゆくときに、マチューに言い残す言葉も不安を増幅する。彼は最後に、とりわけピエール・モランジュ(ジャン=バティスト・モニエ)に気をつけろと言い残してゆく。学校一の問題児で、天使の顔をした悪魔だと。

  その後の最初の授業でマチューはさっそく子供たちのいたずらの洗礼を受ける。しかし正直それほどひどい生徒たちだとは思えない。この点は正直少し物足りないと感じた。今の日本の小学校と大して変わらないという印象だ。なにより学校一の問題児と言われるピエール・モランジュがそれほど悪がきには見えない。子供たちは別に暴力的なわけではないし、人間不信一歩手前というほどすさんでいるわけではない。ただ騒いだりたわいのないいたずらをしたりして教師の制止をきかないという程度である。これはドラマとしては緊張感に欠けるように思える。ただ、忘れてならないことは、「池の底」が(ひどい名前をつけたものだが)いわゆる札付きの不良ばかりを集めた少年院の様なところではないということだ。最初に出会ったペピノの様な不幸な境遇の子供たちが集まっているのである。教師の言うことを聞かないのは、ただ強圧的に押さえつけようとする教師の側(特に校長)にも問題がある。ピエールだって根っからの不良ではなく、母親への複雑な思いが彼をかたくなにさせている面がある。

  そこにマチューがコーラスを通じて子供たちを変えてゆける根拠がある。要するに子供たちは(ありきたりで面映い言い方だが)愛や優しさに飢えていたのである。もっとも、それにしても子供たちがあっさり変わり過ぎるきらいはある。確かにそのあたりには多少不満をおぼえる。しかしそれはこのようなストレートな映画にはつき物のちょっとした欠点に過ぎない。大きな破綻ではない。

  子供たちの変化を説得力あるものにするためには、マチューを魅力的に描かねばならない。「コーラス」はその点で成功していると言える。この映画の一番の魅力は何よりマチューという人物像の魅力なのである。マチューを演じているのは「バティニョールおじさん」のジェラール・ジュニョ。ちびでデブではげ頭。三拍子そろったさえない男である。当然よくある熱血型の教師ではない。懇々と諭すようなタイプでもない。むしろ無愛想で素っ気ないところSD-metro02がある。生徒一人ひとりに歌わせてテナーやアルトなどに振り分けるところなどは、それこそ取れた野菜を大きさや形でより分けるような機械的とも思える対応だ。そんなところに気を使わない。日本だと無理に褒めたり、励ましたりするところだ。日本の学校ドラマの様なベターっとしたところがないことが却っていい。問題児のピエールに対してはあえて突き放したりもする。叱る時は叱る。しかし決して校長の様に体罰は与えないし、怒鳴りつけたりもしない。優しい性格なのだが、甘やかすことはせず、過度な優しさも示さない。だが、ちょっとしたいたずら程度は笑って済ます。この距離の取り方が絶妙なのだ。「心温まる人間ドラマ」にありがちな甘さは意外なほどない。

  やがて彼は他の教師とは違うことが生徒たちにも理解され始める。最初はいやいや、あるいは面白半分にやっていたコーラスの練習にも楽しさを感じ始める。生徒ばかりではない。熱心にコーラスの指導をし、校長の教育方針に一応はしたがいながらも、生徒にコーラスを教える権利は校長とやり合ってでも守り抜く彼の姿に、他の教員たちも変わり始める。ダサい外見にもかかわらず、彼には強い信念があり正義感がある。校長に「コーラス」を禁じられた時、マチューは子供たちとこっそり隠れて練習をした。彼はそれを「レジスタンス」だと言った。この言葉に彼の信念を感じる。しかし、一人ではやれることに限界がある。生徒たちや他の教員などが協力してくれたからこそやりぬけたのだ。例の怪我をした用務員も実は心優しい男だった。

  このマチューの人間臭いキャラクターが映画を支えていると言っていい。彼のどこかとぼけた、飄々としたキャラクターが、アメリカ映画の様なかっこいい教師像あるいは「型どおりの」型破りな教師像や、日本の説教臭くべたつくような教師像とはまた違う、いかにもフランス的な教師像を作り上げている。ピエールの母親ヴィオレット(マリー・ビュネル)がなかなかの美人で、彼女がピエールに面会に来るとあわてておしゃれをして、体にオーデコロンをつけて飛んでゆくあたりは滑稽さすら混じる。はては勝手に彼女に思われていると誤解してしまうあたりも、決してやりすぎという感じがしない。それは彼が完璧な人間ではなく、意外に単純でドジなところもある人間として描かれているからである。

 「コーラス」は基本的に予定調和に向かって進んでゆくタイプの映画である。しかしそう単純でもない。途中モンダンというとんでもない悪がき(「トレインスポッティング」のユアン・マクレガーをもっとごつくしたような顔だ)が「池の底」に送られてくる。結局手におえず少年院に入れられるのだが、マチューもこの札付きの不良だけは更正させられなかった。モンダンは学校に火をつけて、ふてぶてしい笑いを浮かべてどこかに去って行くのである。アメリカ映画だとこんなどうしようなない奴も最後には改心するのだが、教師の真心や歌(コーラス)の力はどんなワルも変えられるなどという甘い幻想を振りまかない。そういう観点を貫いているところに好感が持てた。校長も途中で変わりかけるが、結局は学校が火事になったことの責任をとらせてマチューを首にしてしまう。最後まで自分の出世と保身しか考えていない男なのである。すべてが都合よくあっさり変わってしまったりはしないのである。にもかかわらず、去ってゆくマチューは生徒たちに忘れがたい思い出と歌う喜びを与えた。

  詳しくは書かないが、ラスト近くで紙飛行機が飛んでくるシーンは感動的である。しかしその後に続くラストシーンも忘れがたい。バスに乗り込もうとするマチューにペピノが一緒に乗せて行ってと頼む。一旦は断りバスは発車するが、少し走ってまた止まりペピノを乗せる。「ペピノが正しかった。マチューと旅立ったのは土曜日だった」とナレーションが入る。その日こそペピノが待ち望んでいた土曜日だったのである。

  ペピノ役のマクサンス・ペランが実にかわいい。この子はジャック・ペランの実の息子である。そして監督をしているのが甥のクリストフ・バラティエ。これが長編デビュー作である。ジャック・ペラン自身も大人になったピエール・モランジュ役として出演し、製作もしている。ジャック・ペランはヴァレリオ・ズルリーニ監督の名作「鞄を持った女」と「家族日誌」、ジャック・ドゥミ監督の「ロシュフォールの恋人たち」と「ロバと女王」で知られる俳優だが、若い頃は線が細いやさ男という記憶しかない。ただし一方で社会派のコスタ・ガブラス監督の「Z」と「戒厳令」を製作するなどの面も持っていた。その後ずっと忘れさられていたが、89年の「ニューシネマ・パラダイス」のサルヴァトーレ役で再び知られるようになった。ジャック・ペランの名前を見たときは正直まだ現役でやっていたのかと思ったものだ(失礼)。その後はむしろ製作者として「リュミエールの子供たち」、「ミクロコスモス」、「キャラバン」(ネパール映画の傑作!)、「WATARIDORI」そして「コーラス」と次々に傑作を物してきた。「鞄を持った女」(61)が白黒映画だったせいかずいぶん昔の人という印象があるのだが、41年生まれだからまだ65歳。まだまだこれから活躍しそうだ。

2006年1月12日 (木)

マイ・ベスト・レビュー

  自分なりに比較的よく書けたと思うレビューを選んでみました。レストランで言えば「当店のおすすめメニュー」といったところでしょうか。数が増えてきたら順次入れ替えて行きます。以下が現在のベストです。

アメリカ、家族のいる風景
アマンドラ! 希望の歌
いつか読書する日
ウェディング・バンケット

ヴェラ・ドレイク
浮雲
宇宙戦争
エディット・ピアフ 愛の賛歌

延安の娘
王の男
オリバー・ツイスト
風の前奏曲
紙屋悦子の青春
亀も空を飛ぶ
キムチを売る女
嫌われ松子の一生
グエムル 漢江の怪物
ククーシュカ ラップランドの妖精
孔雀 我が家の風景
グッドナイト&グッドラック
クラッシュ
ココシリ
心の香り
この素晴らしき世界
コープス・ブライド
サマリア
サン・ジャックへの道
シンデレラマン
酔画仙
スタンドアップ
スティーヴィー
ストレイト・ストーリー
スパングリッシュ
ズール戦争
世界最速のインディアン
大統領の理髪師
旅するジーンズと16歳の夏
父と暮らせば
長江哀歌
Dearフランキー

天空の草原のナンサ
ドレスデン 運命の日
トンマッコルへようこそ
遥かなるクルディスタン
春夏秋冬そして春
パンズ・ラビリンス
ヒトラー 最期の12日間
ビューティフル・ピープル
Vフォー・ヴェンデッタ
芙蓉鎮
古井戸
ベルヴィル・ランデブー
ホテル・ルワンダ
ボルベール<帰郷>
マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ
マラソン
ミニミニ大作戦
ミリオン・ダラー・ベイビー
麦の穂をゆらす風
約束の旅路
やさしくキスをして

柳川掘割物語
山猫
Uボート
酔いどれ天使
ライフ・イズ・ミラクル
ロード・オブ・ウォー

2006年1月10日 (火)

ブログを見ていただいたみなさんに感謝

ivy-5   おかげさまで1月9日にアクセス数が10000を超えました。訪問していただいた方々に感謝いたします。サイドバーの「ココログ」のロゴの下に書いてあるように、ブログを開設したのは2005年8月27日でした。あれから約4ヶ月と10日ほどで大台に乗りました。一方、本館のホームページはブログよりも2ヶ月以上早い2005年の6月5日に開設したのですが、今年の1月6日にやっと2000を超えるという超スローペースです。

  これを見てもブログがいかに有利か分かります。まあ、ほぼ同じ記事を載せているのですからどちらを見てもらってもいいのですが、やはり「長男」の方がかわいいという気持ちもあります。ブログを開設したばかりの頃は1日に30もアクセスがあれば喜んでいました。HPは1日に10を超えるのがやっとでしたから。最近は1日にブログへのアクセスが100を超えることも珍しくなくなりました。HPの方はリストなどの資料を置くアーカイブという位置づけにしています。ブログは記事の横幅が狭いのでリストを挙げると2行に分かれることがあって見苦しいからです。それとブログとの差異化を図るという意味もあります。

 この4ヶ月の間にコメントやトラックバックを通じて何人もの方とコミュニケートすることが出来ました。また、それらを通じてたくさんの素晴らしいブログと出会えました。サイドバーの「お気に入りブログ」は表示できるブログ数に制限があるため、全部載せられないのが残念です。それらのコメントやブログを通じていろいろなことを教えられました。ありがとうございます。

 自己紹介代わりの連載「あの頃名画座があった(改訂版)」もぎりぎり昨年中に終わりました。自分で振り返ってみて10代、20代の頃と基本的な姿勢は変わっていないと再認識しました。作品の好みもほとんど変わっていないと思います。逆に言うと、高校生の頃から中年みたいな関心を持っていたわけです。一体傍から見てどんな高校生だったのか。あの頃の自分を今の自分の目で見てみたいという欲求にかられます。

  ブログを始めた頃は夢中になって、1日に10時間以上ぶっ続けでパソコンに向かうなどという無茶なこともやっていました。そのせいですっかり目を悪くしてしまいました。右目の視力が極端に落ちています。もともと悪かったのですが、さらに悪くなり左目とのバランスが悪くなっています。目が見えなくなったのではブログどころか映画さえ見られなくなりますから、あまり無理しないようにするつもりです(でもついつい無理してしまうのですが)。

 ちょっと挨拶を書くつもりが、また長くなってしまいました。多分、硬い文体で長ったらしい文章は今後もあまり変わらないと思います。つい知識をひけらかしてしまうような悪い癖もあります。僕が映画レビューを描くときの基本姿勢は、いいところはいい、疑問に思うところはここが疑問だと書くという単純なものです。そしてどこがどのようにいいのか、どこがどう問題なのかを自分なりに考え表現したいと思っています。「素晴らしい」とか「感動した」などの言葉はあまり使わないほうが文章表現上はいいのですが、映画という大衆的なメディアにはそういう直接的な表現のほうが合うと考えています。ともかく、読みやすく分かりやすい文章を心がけていきたいと思います。また、あまり知られてはいない優れた映画をたくさん紹介して行きたいと思っています。

  今後もよろしくお付き合いください。

2006年1月 9日 (月)

運命じゃない人

0043232004年 日本
監督:内田けんじ
脚本:内田けんじ
プロデューサー:天野真弓
撮影:井上恵一郎
音楽:石橋光晴
美術:黒須康雄
出演:中村靖日、山中聡、霧島れいか、板谷由夏、山下規介

  今年最初に映画館で観た映画。映画館で観るのは「メゾン・ド・ヒミコ」以来ほぼ1ヶ月ぶりだ。「有頂天ホテル」と「ALWAYS 三丁目の夕日」の前売り券も買ってあるので来週以降に観る予定。どういうわけか年末から年始にかけて観たい映画が集中した。去年の秋ごろまではほとんど観たい映画が来なかったのに。だいたい上田に来るのが遅すぎる。「運命じゃない人」なんか今月末にDVDが出る予定だ。ぎりぎり間に合った、というか無理して映画館で観なくてもよかったんじゃないかという思いが頭をよぎる。

  まあ、ぼやきはこれくらいにしておこう。「運命じゃない人」は非常に面白かった。脚本が実によく出来ている。ほとんどアイデアと脚本の勝利だ。話の展開としては「メメント」や「ペパーミント・キャンディ」と似ており、時間を逆に遡ってゆく展開である。ただ、遡ると言っても「メメント」や「ペパーミント・キャンディ」のようにどんどん前の時間に戻るのではない。ある登場人物の視点でA時点からB時点までストーリーをたどり、次に別の登場人物の視点でまたA時点あたりからB時点あたりまでたどりなおすという展開である。これを、登場人物を変えて何回か繰り返す。そうすると同じ場面を何度も別の角度から見ることになり、最初のストーリーで見えていなかったことが見えてくる。なるほどそうか、そういうことだったのか、と観客は思わず唸り驚きまた納得するわけである。この奇抜なアイデアが見事に功を奏している。観客はやられたと降参するしかない。

  発想は携帯電話から湧いてきたということだ。携帯ならどこからかけているか分からない。別の場所で同じ時間を生きている。そこにミステリアスなものを感じたのだそうだ。オリジナルだから「メメント」や「ペパーミント・キャンディ」などの類似の映画があっても二番煎じという感じはない。先日レビューした「ダブリン上等!」は、最初はばらばらだった複数のエピソードがストーリーが進行するに連れて互いにつながってゆくというタイプの映画だが、「運命じゃない人」は丁度このタイプと時間を逆に遡るタイプの映画を合わせ、さらに複数の視点で同じ出来事を観るという「パルプ・フィクション」あるいは松本清張の『ガラスの城』(この語りのトリックには驚嘆しますよ)的展開を加えたようなストーリー構成になっている。とにかくこの構成がユニークだ。まさに語りのマジック、語りは騙りだ。時間を巻き戻し視点を変えることで、このパラレル・ワールドの全貌がしだいに明らかになってゆく。そして見えなかったものが見え、何でもないと思えた些細なことが誰も予想しないようなところに結びついていく意外性をたっぷり楽しむ。そんな映画だ。

  これだけ言えばほとんど事足りる。後は観ていただけばいい。と言って終わるのもなんだからもう少し付け足しておきましょう。面白いといってもそこはエンターテインメント映画。別に深みがあるわけではない。形式はだいぶ違うが、味わいや雰囲気的には「約三十の嘘」に近い。そんな感じの軽い映画。騙し騙され、出し抜き出し抜かれ、でもって恋愛もあるよという作り。まあ、難しいことは言わず楽しめばいい。

  主要登場人物は5人。まじめで気弱そうなサラリーマン宮田武(中村靖日)、婚約を破棄されてしょんぼりしている桑田真紀(霧島れいか)、宮田の元恋人倉田あゆみ(板谷由夏)、宮田の親友で私立探偵の神田(山中聡)、やくざの浅井志信(山下規介)。ストーリーは宮田が過ごした一晩を5人の角度から描いている。その晩宮田は桑田真紀と出会い、彼女が帰る際に電話番号を聞きだした。つまり最後まで宮田は楽しい一晩を過ごしたのである。でも彼は全く何も知らなかった、同じ時間に彼の気付かないところで2000万円の金が絡むとpp-xんでもないドタバタ劇が進行していたことを。彼にとっては思わず踊りだしたくなるようなうれしい一夜だったが、他の4人(というか正確には3人)にとっては悪夢のような一夜だったことを。宮田のことを友人の神田が「別の星に生きてる」と言うが、これだけ大騒ぎがあったことに何も気付いていない宮田は神田には確かにそう見えるだろう。

  登場人物は皆どこか間が抜けていて憎めない。特にやくざのエピソードが面白い。やくざ稼業も楽じゃないとしきりに嘆く。「事務所の家賃に光熱費。子分の食事代に小遣い。冠婚葬祭に上納金。ヤクザも大変よ。」金がないので、便利屋のやまちゃんに協力してもらって、見せ金として一番上と下だけが本物の偽の札束を作るあたりは妙に情けなくて笑える。便利屋のやまちゃんはいろんなところで活躍していい味付けになっている。 典型的な低予算映画だが、脚本がよければこれだけのものが作れる。内田けんじ監督がインタビューで次のように語っている。

  僕は脚本の段階で確実に「面白い」と思えるものを作ってからじゃないと、撮る度胸が
  ないんです。あと、大学時代に観た仲間うちの学生映画がたるいものばっかりだった
  んです。映画を撮りたい学生って、脚本よりも映像ありきの人が多くて、一本も面白い
  と思えるものがなかった。そういう自主製作映画ノリへの対抗意識は、すごくありまし
  た。

  手塚治虫も同じようなことを言っていた。若い人にはものすごく絵のうまい人がいるが、結局いいストーリーを考え出せなければ優れた漫画は作れないと。手塚はいくらでもアイデアがわいてきたと言っている。もっとも誰もが彼の様な才能を持っているわけではないが、肝心なのはストーリーこそ命だという点である。内田けんじ監督は「プロットをパズルみたいに組み立てていく」のに1年かかったと語っている。基本の「設計図が完成してからは、実際に執筆したのは十日間だけ」だったという。「まさに “構成命”の映画でした。」

  配役については板谷由香だけ最初から彼女と決めていたようだ。これは理解できる。僕もすっかり彼女の魅力にはまってしまった。彼女を観たのは初めてだが、色気があってなんとも魅力的だ。ちょっと今井美樹に似ている。笑うと頬のあたりに線が入るのも同じだ。他の俳優も皆個性的で映画のユニークさによくマッチしている。特に神田役の山中聡がいい。ざっくばらんな感じに親しみがもてる。今の若い俳優には珍しい野性味を感じさせる。

  タイトルは神田が宮田に言う「30過ぎたら運命の出会いなんて無いんだよ」という台詞からつけられたのだろう。しかし、必死で桑田真紀の乗るタクシーを追いかけた宮田の純情さが実を結びそうな気配で終わる。どうやらこれは「運命の人」との出会いだったようだ。才気ばしった監督によくある斜に構えた姿勢ではなく、平凡な人たちに寄せる視線があたたかい。この姿勢をなくしてほしくない。本人は「僕自身、サービス精神たっぷりのエンタテインメント映画が大好きなので、そういう楽しいものを撮っていきたい」と語っているのでたぶん心配ないだろう。

  なお彼は「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」でスカラーシップを受け、その援助で「運命じゃない人」を作っている。このスカラーシップで作られた作品には結構優れたものが多いようだし、受賞者もそろって将来を感じさせる人たちのようだ。若手の登竜門としてこれからも優秀な映画人を育てることに貢献してほしい。

これから観たい映画

  2005年に公開された映画で、これから観たいと思っている映画のリストを挙げておきます。マイ・ベストテンを作る上で是非観ておきたい映画というのが選んだ基準です。まだこれだけあるのかと思うと少々気が重い。この大部分を観終えるには少なくともあと半年はかかるでしょう。
 他におすすめの映画がありましたらぜひコメントください。
 その後観た映画には青色をつけて行きます。

【外国映画】risuc1-2
「ヴェニスの商人」
「ヴェラ・ドレイク」
「エリザベスタウン」
「エレニの旅」
「エターナル・サンシャイン」
「風の前奏曲」
「亀も空を飛ぶ」
「銀河ヒッチハイク・ガイド」
「キング・コング」
「故郷の香り」
「コーヒー&シガレッツ」
「皇帝ペンギン」
「さよなら、さよならハリウッド」
「SAYURI」
「シンデレラマン」
「シン・シティ」
「世界」
「チャーリーとチョコレート工場」
「Dear フランキー」
「天空の草原のナンサ」
「ティム・バートンのコープス ブライド」
「南極日誌」
「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」
「PTU」
「ヒトラー ~最期の12日間~」
「ピアノを弾く大統領」
「ブレイキング・ニュース」
「マラソン」
「マルチュク青春通り」
「Mr.&Mrsスミス」
「ミリオンズ」
「ライフ・イズ・ミラクル」
「ラヴェンダーの咲く庭で」

「ランド・オブ・プレンティ」
「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」
「私の頭の中の消しゴム」
「ワンナイト・イン・モンコック」

【日本映画】
「青空のゆくえ」
「あらしのよるに」
「いつか読書する日」
「イン・ザ・プール」
「ALWAYS 三丁目の夕日」
「カーテンコール」
「亀は意外と速く泳ぐ」
「空中庭園」
「蝉しぐれ」
「大停電の夜に」
「NANA」
「ハサミ男」
「フライ・ダディ・フライ」
「村の写真集」
「リンダ リンダ リンダ」

海の牙

1946年(日本公開1948年) フランス deep-blue01-5
監督:ルネ・クレマン
脚本:ジャック・コンパネーズ、ヴィクトル・アレクザンドロフ
脚色:ルネ・クレマン、ジャック・レミー
撮影:アンリ・アルカン
音楽:イヴ・ボードリエ
出演:ポール・ベルナール、アンリ・ヴィダル 、ヨー・デスト
    フロランス・マリー、クローネ・フォルト、マルセル・ダリオ
    フォスコ・ジャケッティ、ミシェル・オークレール
    アンヌ・カンピオン、ジャン・ディディエ

 「海の牙」は「鉄路の闘い」(45)、「禁じられた遊び」(52)、「居酒屋」(56)、「太陽がいっぱい」(60)、「パリは燃えているか」(66)などと並ぶルネ・クレマンの代表作である。ドイツの潜水艦Uボートを舞台とした映画だが、「眼下の敵」や「Uボート」、比較的最近のものでは「レッド・オクトーバーを追え!」、「クリムゾン・タイド」、「U-571」、「ユリョン」などとは全く違うタイプの映画である。駆逐艦から爆雷攻撃を受ける場面も最初の方に一度だけ出てくるが、戦闘場面はそれだけである。よくある潜水艦同士の戦いや駆逐艦との死闘を描く映画ではない。潜水艦の内部という外部のない限定された空間内で展開される人間ドラマである。

  時は第二次大戦終了間際。ノルウェーのオスロからドイツの高官たちを乗せた潜水艦が出航する。乗船しているのはハウザー将軍(クローネ・フォルト)、ゲシュタポの幹部フォスター(ヨー・デスト)、イタリアの実業家ガロージ(フォスコ・ジャケッティ)、ガロージの妻で実はハウザー将軍の愛人であるヒルダ(フロランス・マリー)、対独協力者であるフランス人新聞記者クーチュリエ(ポール・ベルナール)、ハウザー将軍の男色相手であるチンピラのウィリー(ミシェル・オークレール)。他にスカンジナビア人父娘(父親が科学者)も乗っている。この父娘を見て記者のクーチュリエは「他にフランス人、イタリア人、ドイツ人、まるでノアの箱舟だ」とつぶやく。しかしこの箱舟は洪水から逃れるのではなく、逆に「洪水」の中に飲み込まれてゆく。その「洪水」とはナチスドイツの崩壊という渦巻きである。第三帝国の崩壊と運命を共にするかのように潜水艦の中の人間関係も崩壊してゆく。Uボート自体もその乗組員を救ったドイツ軍の補給船も渦巻きの中に飲み込まれ沈んでゆく。「海の牙」は冷徹な視線でその狂気に満ちた断末魔の地獄絵図を映し出してゆく。フランス語の原題は「呪われた人々」、あるいは「地獄に堕ちた人々」という意味である。

 映画の視点はフランス人の医師ギベール(アンリ・ヴィダル)の視点である。彼はUボートが駆逐艦に爆雷攻撃を受けた時にヒルダが怪我をしたため、フランスの沿岸の町ロワイアンから拉致されてきた。軍医が乗っていなかったのである。

 ドイツは既に敗戦寸前であり、ハウザー将軍たちに与えられた使命は南米に脱出しそこで再起を図ることである。登場人物の中ではハウザー将軍を演じるクローネ・フォルトとゲシュタポのフォスターを演じるヨー・デストの存在感が抜群である。特にヨー・デストのぞっとするような凄みは特筆ものだ。30年ほど前にテレビで観たときも、淀長さんが彼の不気味さをとりわけ強調していたのを覚えている。

 もうひとり印象深いのはハウザー将軍の愛人ヒルダに扮したフロランス・マリーである。ミシェル・モルガンと見間違うほど似ている。夫の実業家ガロージが彼女と将軍の関係に悩んで自殺した後、あからさまに将軍にまとわりつく。相手にされないとなるとチンピラのウィリーに色目を使い出す。妖艶というほどではないが、男ばかりの潜水艦の中で一際人目を惹く存在となっている。その人間関係を見事に表しているシーンがある。ハウザー将軍とフォスターが四角いテーブルを挟んでチェスをしている。空いている2面にヒルダとウィリー058785が向かい合わせで座っている。チェス盤に夢中になっている将軍とフォスターの横でヒルダは向かいのウィリーに色目を使う。4人がチェス盤を囲み、視線が交錯する。ねじれた人間関係の危うさを示す見事なシーンである。

  航行中にベルリンが陥落しヒトラーが死んだとの連絡が入る。目的を失い困惑するハウザー将軍とあくまで当初の使命を遂行すべしと迫るフォスター。最初はハウザー将軍が指揮を取っていたのだが、進退窮まって彼が迷った時フォスターが代わりに指揮を取る。ドイツの敗戦が決定的になり、乗り込んでいる人々にあせりと不安が広がる。フォスターはあくまで南米行きを強行するが、次々に脱落者が出てゆく。先に自殺した実業家ガロージに続いて、フランス人新聞記者クーチュリエはボートに乗って脱出しようと試みるが、フォスターに見つかり銃で撃たれる。甲板に残された彼の服をフォスターが靴でける。服の下からクーチュリエが自殺用に持っていた薬物を入れた丸いブリキ缶が転がり出る。缶のふたがはずれて薬が飛び出る。この薬をいつ飲むかが問題だと彼は生前言っていたが、皮肉にも薬を使わずに地獄に堕ちていった。このような細かい描写が実に効果的である。拉致された医師ギベールもゴムボートを使って脱出しようとするが、何とスカンジナビア人の科学者に先を越されてしまう。彼は脱出に成功したが、娘は置いてきぼりだ。船が沈没する前にネズミが逃げ出すというたとえの通り、このようにして崩壊状態が進んでゆく。

 南米近くまで来たとき、現地の様子を伺うためにスパイである商人(マルセル・ダリオ)に連絡を取るが返事がない。フォスターが上陸して乗り込むとスパイは逃げてしまう。結局チンピラのウィリーに殺されてしまうが、コーヒー豆倉庫での追跡シーンとスパイが殺される場面(特に、追い詰められたスパイが机の横を走り抜けた時そこに置いてあったナイフの先端に触れ、ナイフがくるくると回転する場面は映像効果として秀逸である)は有名である。もはやスパイさえも寝返っている。

  燃料が残り少なくなった潜水艦は見方の補給船を呼ぶ。燃料を補給している間に、既に士気の統制がきかなくなった乗組員たちはなだれを打って補給船に乗り移る。その時フォスターはほとんど狂気とも思える挙に出る。ここに至って一気にカタストロフィが訪れる。詳しくは実際に観てもらうとして、結局Uボートに医師ギベールがたった一人取り残される。何日間も漂流する間に彼は一切の顛末を手記として記録する(要するにこのために彼が必要だったのである)。彼は最後にアメリカの魚雷艇に救出される。誰もいなくなったUボートは魚雷艇の魚雷によって沈められる。

 「海の牙」は極限状況における人間模様を描いたドラマであると同時に、崩壊してゆく第三帝国の象徴劇でもある。戦闘場面のほとんどない潜水艦映画。第二次世界大戦終結の1年後に作られたこの映画はいまだに唯一無二の作品である。前作「鉄路の闘い」(第二次世界大戦中におけるフランスの鉄道労働者によるレジスタンス活動を描いた映画)に続いて作られたこの映画によって、ルネ・クレマンは巨匠としての名声を確立した。

2006年1月 8日 (日)

ダブリン上等!

2003年 イギリス・アイルランド time_1
原題:Intermission
監督:ジョン・クローリー
脚本:マーク・オロー
撮影監督:リシャルト・レンチェウスキ
音楽:ジョン・マーフィー
出演:コリン・ファレル、キリアン・マーフィー
    ブライアン・F・オバーン、 デヴィッド・ウィルモット
    ケリー・マクドナルド、コルム・ミーニー
    デイドラ・オケイン、マイケル・マケルハットン
    トマス・オサリバン、オーウェン・ロウ

  最近よく見かける、最初はばらばらな独立したエピソードに思えたものが、話が展開してゆくに連れてしだいに互いに絡み合ってゆくというスタイルの群像劇である。どのあたりが最初なのか。ロバート・アルトマンが得意とする手法で75年の「ナッシュビル」や93年の「ショート・カッツ」などがその典型。94年の「プレタポルテ」や01年の「ゴスフォード・パーク」なども群像劇だ。94年のクエンティン・タランティーノ監督「パルプ・フィクション」、99年のロドリゴ・ガルシア監督「彼女を見ればわかること」、ガイ・リッチー監督の「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(98年)と「スナッチ」(00年)、ポール・トーマス・アンダーソン監督の「マグノリア」(99年)、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「アモーレス・ペロス」(99年)と「21グラム」(03年)、ラモン・サラサール監督の「靴に恋して」(02年)、思いつくままに挙げただけでも結構ある。99年ごろから急増していることが分かる。この発想の大本には19世紀フランスの文豪バルザックの「人間喜劇」があると考えられるかもしれない。ある小説の登場人物が別の小説にも登場する、しかも重要な人物の場合は繰り返しいくつもの別々の小説に登場するのである。人間関係の網の目が張られ、同じ人物が様々な角度から検討され、全体として「人間喜劇」という壮大な小宇宙が形作られる。100人を超える登場人物が絡まりあうトルストイの大長編『戦争と平和』を持ち出すことも出来るだろう。

  まあ映画だからそこまで壮大なものは作れないし望むべくもないが、何がしかのアイデアは借りているのかもしれない。しかし、前世紀末あたりから流行り始めたのは何か理由があるのだろうか。男女の恋愛の様な単純になりがちなストーリーを避け、複雑な人間関係を描いてドラマに厚みを加え、かつストーリーの展開に意外性を加えるには確かに適した手法だ。上に挙げた作品の中には人間関係や利害関係が絡まりもつれ合って、どこか息苦しい行き詰まり感に行き着くものもある。社会の様々な面で崩壊現象が現れている今の時代を反映しているのかもしれない。もちろん映画によってその手法を用いる狙いは違う。人間関係を複雑かつ重層的にして重厚なドラマにしようというものと、意外なストーリー展開自体に重きを置いているものと分けられそうだ。「ダブリン上等!」の場合は後者だろう。恐らくガイ・リッチー監督の2作の手法をモデルにしたと思われる。チンピラや犯罪が絡む展開はやはり一番彼の二つの作品に近い。あるいはダニー・ボイル監督の「トレインスポッティング」(96年)にも通じる世界。

  イギリス映画にこの種の映画が登場したのは、80年代のサッチャー政権が弱者を切り捨てる政策に転換したことと関係している。その結果貧富の差が拡大し、若者の間に麻薬が蔓延し犯罪が増えた。90年代に相次いで作られた麻薬とアル中と犯罪が絡んだ一連の映画は、福祉国家である事をやめたイギリスの荒廃した現状を描いていたのである。「ダブリン上等!」は恐らくそれらのイギリス映画の枠組みを借りつつも、完全には犯罪者になりきれない現代アイルランドの若者を描くという点で違いを出そうと試みたのだろう。どこか純情で悪になりきれない若者。ジョン(キリアン・マーフィ)とオスカー(デヴィッド・ウィルモット)の親友二人にとって最後はハッピーエンドで終わる。そういう要素が混じるためイギリス映画ほどの疾走感はない。自動車のフロントガラスに石を投げつける子供が出てきたりと、人心の荒廃した現状は描かれるが、結局はラブストーリーだ。この映画がどうも今ひとつ突き抜けていないのはその中途半端さに原因がありそうだ。

trump_jb   冒頭、コリン・ファレル演じるレイフがレジの女の子を甘い言葉で口説いている。と思わせておいて、レイフはポーっとしている女の子の顔をいきなりぶん殴って金を取って逃げる。この冒頭の場面は上記のイギリス映画の様な展開になることを予感させる。しかし最後はラブラブでハッピーエンド。おいおい。デイドラ(ケリー・マクドナルド)もあんな優柔不断でいい加減なジョンとよりを戻すなんて何考えてるんだ。

  まあ、ユニークな登場人物を配し、社会風刺やブラックユーモアをまじえて描く。誰もが行き詰まりの状態になっているが、それを脱却する方法はどこかおバカな行動である。その典型がレイフとミックがジョンを巻き込んで企てる銀行強盗。しかし予期せぬ展開となってあっさり頓挫してしまう。この銀行強盗が各エピソードをつなぐ結節点となっている。ドタバタ調の展開になり、最後は収まるところに収まるというほのぼの路線。もっとも突如妻のノーリーン(ディードル・オケイン)を捨ててデイドラと同棲を始めた銀行支店長サム(マイケル・マケルハットン)は、元の鞘に納まったもののノーリーンにこっぴどい目に合わされるだろうが。

  個々の部分はどれも悪くはない。登場人物のユニークさはかなりのものだ。マッチョな暴力警官なのにクラナドが好きだと公言するジェリー(コルム・ミーニイ)、車椅子に乗りパブに入り浸っている爺さん、デパートの無愛想な店員。主要な登場人物もキャラクターはよく出来ている。総じて男はろくな奴がいなくて、女は計算高くて堅実。複雑な人間関係が絡まるが特に大きな破綻はない。ジョンとオスカーがバイトをしているスーパーでの経営者とのやり取り、テレビ・ディレクターのベン(トマス・オサリバン)と上司とのやり取り、あるいは不可抗力の事故だったにもかかわらず首にされた不運なバス運転手ミック(ブライアン・F・オバーン)のエピソードには社会風刺も盛り込まれている。

  しかし全体としてみた場合、やはり出来はそれほどよくない。中途半端だし何よりもだらしなくまともな生き方が出来ないジョンやレイフたちの人物像に共感出来ないからだ。イギリス映画のように最後まで突き放していれば、共感はいらない。しかしこの映画の場合、でも結局はみんないい奴だよと最後は収めてしまう。そのためにはもっと共感できるような人物設定が必要になってくる。つまり途中までいいかげんでどうしようもない奴らだと描いておきながら、最後はハッピーエンドで丸く収めてしまう展開に無理がある。まともなのはオスカーとサリー(シャーリー・ヘンダーソン)くらいのものだ。こちらを主人公にしておけばまだケン・ローチの「スウィート・シックスティーン」の様な味わいの作品になったかもしれない。

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