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2006年5月7日 - 2006年5月13日

2006年5月13日 (土)

ゴブリンのこれがおすすめ 10

女性ヴォーカルを楽しむ 1

 今日新しいパソコンが届いた。朝からずっとセットアップやら旧パソコンからのデータのコピーやら、ついでにフリーソフトをダウンロードしてヴァージョンを新しくするなどで大忙し。また昨日ブログのアクセスが20000を越えた。ということでPC新調、アクセス20000突破記念というほど大げさではないが、今回はお気に入りCDを紹介することにしました。
 5点をつけたものを中心に収録してあります。結構名盤が抜けています。それはレコードでしか持っていないケースがあるからです。CDを買い始めてしばらくたってから点数をつけ始めたので、レコード時代に買ったものやCDを買い始めて間もないころのものには点数がついてないのです。見つけ次第CDも買っているのですが、レコードだけで2000枚近くあったので全部買いなおすのはほぼ不可能でしょう。

ロック&ヴォーカル系
アニー・レノックス「ディーヴァ」  
アマンダ・マーシャル「チューズデイズ・チャイルド」  
アラナ・デイビス「フォーチュン・クッキー」  Tobira_flower2_pi_1
アリソン・デイヴィッド「ドリーミング」
ヴァネッサ・ウィリアムズ「アルフィー」
ヴァレリー・カーター「ザ・ウェイ・イット・イズ」  
ヴィクトリア・ウィリアムス「ルース」
エイミー・グラント「ハート・イン・モーション」  
    〃     「自由の歌」     〃    
    〃     「ビハインド・ザ・アイズ」  
エイミー・マン「バチェラーNo.2」  
エマ・パキ「オクシジェン・オブ・ラブ」  
キャロル・ローラ「スティル」  
サラ・ジェーン・モリス「リーヴィング・ホーム」  
サラ・マクラクラン「サーフィシング」
     〃    「アフター・グロウ」  
サンディ・リード「アイ・ビリーヴ」
ジェニファー・ウォーンズ「レナード・コーエンを歌う」
       〃      「ベスト・オブ」  
ジェニファー・ブラウン「ギビング・ユー・ザ・ベスト」  
ジェニファー・グロス「ザ・ウーマン・イン・ザ・ムーン」
シェリル・クロウ「チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ」
     〃   「ザ・ベリー・ベスト・オブ」  
     〃   「ワイルドフラワー」
     〃   「カモン・カモン」
ジョーン・オズボーン「ライチャス・ラブ」  
ショーン・コルヴィン「ア・フュー・スモール・リペアーズ」  
ジュリー・ドリスコール「ストリート・ノイズ」
ジュリア・フォーダム「風の道標」  
     〃      「揺るがぬ愛」
スーザン・オズボーン「ザ・パール」  
スパイス・ガールズ「SPICE」
セリーヌ・ディオン「レッツ・トーク・アバウト・ラブ」
     〃    「パリ・ライブ」
     〃    「フォーリング・イントゥ・ユー」
     〃    「ワン・ハート」  
ソニー・ソーントン「フォーリング・スルー・ザ・クラウド」
ダー・ウィリアムズ「ザ・オネスティ・ルーム」  
ナタリー・インブルーリア「ホワイト・リリーズ・アイランド」  
ナタリー・マーチャント「タイガー・リリー」  
パティ・スミス「ゴーン・アゲイン」
バーバラ・ディクソン「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」  
P.J.ハーヴェイ「トゥー・ブリング・ユー・マイ・ラブ」  
ピンク「ミスアンダストゥッド」
フィービ・スノウ「サムシング・リアル」  
ブリジット・セント・ジョン「サンキュー・フォー・・・プラス」  
ベス・ニールセン・チャップマン「グレイテスト・ヒッツ」
        〃         「ベス・ニールセン・チャップマン」  
        〃         「ディーパー・スティル」
ベット・ミドラー「ブロークン・ブロッサム」
    〃   「ベット・オブ・ザ・ローゼズ」  
ヘザー・ノヴァ「オイスター」
ポー「コンニチワ」
ホリー・コール「ダーク・ディア・ハート」
   〃     「calling you」  
   〃    「ある夜の出来事」
マーセラ・デトロイト「ジュエル」  
メイ・ムーア「ボヘミア」
メリー・ホプキン「ベスト・オブ」
リンダ・ロンシュタット「フォー・センチメンタル・リーズンズ」  
ルシンダ・ウィリアムズ「パッショネイト・キシズ」
      〃      「ワールド・ウィザウト・ティアーズ」
ワイノナ「ニュー・デイ・ドリーミング」

カントリー系
インディゴ・ガールズ「ライブ」
     〃      「ストレンジ・ファイア」
     〃      「インディゴ・ガールズ」
     〃      「4.5」
     〃      「パワー・オブ・トゥー」
     〃      「1200カーフューズ」 
     〃      「ノーマッズ・インディアンズ・セインツ」   
シャナイア・トゥエイン「アップ」  
ディキシー・チックス「ワイド・オープン・スペイセズ」  
トリーシャ・イヤウッド「エヴリバディ・ノウズ」  
     〃      「ソングブック」
ニーコ・ケイス「ファーニス・ルーム・ララバイ」
フェイス・ヒル「フェイス」  
リアン・ライムス「アイ・ニード・ユー」
     〃   「リアン・ライムス」
     〃   「ブルー」
     〃    「シッティング・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド」
     〃   「トゥイステッド・エンジェル」
     〃   「グレイテスト・ヒッツ」
     〃   「ディス・ウーマン」

フォーク系
キャロル・ロール「ウェスターン・シャドウズ」
ジュリー・マス「サークル・オブ・ワン」
    〃   「太陽に向かって」  
トレイシー・チャップマン「ニュー・ビギニング」  
ナンシー・グリフィス「針のない時計」
      〃     「フライヤー」
      〃     「夜空に輝く青いバラ」  
PPM「イン・コンサート」  
ベス・オートン「デイブレイカー」  
メアリー・チェイピン・カーペンター「ア・プレイス・イン・ザ・ワールド」
メアリー・ルー・ロード「ベイビー・ブルー」

シンガー&ソングライター系
カーリー・サイモン「人生はいたずら」  
キャロル・キング「つづれおり」  
ケイティ・カーティス「ア・クラッシュ・コース・イン・ローゼス」
ケリ・ノーブル「フィアレス」
ジェス・クライン「ドロウ・ゼム・ニアー」  
    〃    「ストロベリー・ラヴァー」
ジャニス・イアン「ハンガー」
    〃    「ザ・グレイテスト・ヒッツ」
ジュエル「スピリット」
  〃  「心のかけら」
ジョニ・ミッチェル「ブルー」  
ビヴァリー・クレイヴェン「プロミス・ミー」
ローラ・ニーロ「抱擁」

ソウル、R&B系
アイク&ティナ・ターナー「リバー・ディープ・マウンテン・ハイ」  
アニタ・ベイカー「ラプチュア」  
アレサ・フランクリン「レディ・ソウル」  
    〃       「あなただけを愛して」
    〃       「スパークル」
アン・ヴォーグ「EV3」
    〃   「ファンキー・ディーヴァズ」  
アンジェラ・ジョンソン「ゴット・トゥー・レット・イット・ゴー」
アンドレア・マーティン「ザ・ベスト・オブ・ミー」
ウェンディ・モートン「ウェンディ・モートン」  
エターナル「エターナル」
オリータ・アダムズ「リズム・オブ・ライフ」
カーリーン・アンダーソン「ブレスト・バードゥン」  06instrument_1
グラディス・ナイト&ピップス「ザ・ベスト」
       〃        「アンソロジー」  
       〃        「さよならは悲しい言葉」
       〃        「イマジネーション」
ケリー・プライス「ミラー・ミラー」
ショーラ・アーマ「マッチ・ラブ」
     〃   「スーパーソニック」
ジョーン・アーマトレイディング「ホワッツ・インサイド」
ダイアナ・キング「シンク・ライク・ア・ガール」  
ディオンヌ・ファリス「野性」
ディナ・キャロル「オンリー・ヒューマン」  
   〃     「ソー・クロース」
デニ・ハインズ「イマジネイション」  
デニス・ラサール「ベスト・オブ・デニス・ラサール・オン・マラコ」  
デブラ・モーガン「ダンス・ウィズ・ミー」
    〃     「イッツ・ノット・オーヴァー」  
デボラ・コックス「センチメンタル」  
トニ・ブラクストン「シークレッツ」  
トリーネ・レイン「そよかぜを胸に抱いて」
     〃   「ファインダーズ・キーパーズ」  
ナタリー・コール「スターダスト」
     〃   「スノウ・フォール・オン・ザ・サハラ」
     〃   「ラヴ・ソングス」
     〃   「ザ・ソウル・オブ・ナタリー・コール1975-1980」  
     〃   「テイク・ア・ルック」
パフ・ジョンソン「ミラクル」  
P.J.ハーヴェイ「トゥー・ブリング・ユー・マイ・ラヴ」
ブレンダ・カーン「デスティネーション・エニウェア」
ホイットニー・ヒューストン「ザ・グレイテスト・ヒッツ」
       〃       「天使の贈りもの」
       〃       「ホイットニーⅡ」
       〃       「そよ風の贈りもの」
メイシー・グレイ「ザ・トラブル・ウィズ・ビーイング・マイセルフ」  
ローリン・ヒル「MTVアンプラグド」

2006年5月11日 (木)

死刑執行人もまた死す

1943年 アメリカ
監督:フリッツ・ラング
脚本:ベルトルト・ブレヒト、フリッツ・ラング、ジョン・ウェクスリー
撮影:ジェームズ・ウォン・ハウ
出演:ブライアン・ドンレヴィ、ウォルター・ブレナン、アンナ・リー、デニス・オキーフ          ジーン・ロックハート、ビリー・ロイ、アレクサンダー・グラナック
    ウィリアム・ファーナム

Cliplo5   「死刑執行人もまた死す」を最初に見たのは1987年12月30日。当時三百人劇場で企画されていた「ヨーロッパの名匠たち フリッツ・ラングとジャン・ルノワール」特集の一環だった(「あの頃名画座があった⑧」参照)。この時が日本初公開で、幻の名画がはじめてベールを脱いだのである。

  なお、この作品は1999年に「フリッツ・ラング1999」としてリバイバル上映されている。その時上映されたのは「完全版」で、87年公開時にカットされていた14分が付け加えられていた。その頃は既に東京を離れていたのでこの興味深い特集は観ていないが、今回観たDVDはこの完全版である。

  改めて観て思ったのは、これがきわめてヨーロッパ的な映画だということだ。単にチェコが舞台というだけではない。ドイツ軍占領下の暗く不安な日々の描写、ゲシュタポの不気味な存在と、何百人もの人質を取られる抑圧的な雰囲気。これはナチスに実際に占領された経験を持つヨーロッパ人でなければ描けないものだ。アメリカ映画に出てくるドイツ軍は戦場で出会う敵に過ぎない。ドイツ軍兵士に顔はない。ただアメリカ軍に撃たれてばたばたと倒れてゆくだけの存在である。この違いは大きい。原案を作ったフリッツ・ラングもベルトルト・ブレヒトも亡命ドイツ人である。「生きるべきか死ぬべきか」のエルンスト・ルビッチもドイツ人である(彼の場合はハリウッドにヘッド・ハンティングされてアメリカに渡った)。だから作れたのだ。日常生活の隅々にまでドイツ軍の存在が意識される、息が詰まるような抑圧状態。外国軍に占領支配されたことがないアメリカン人にはなかなか描けない。

  タイトルの死刑執行人とはドイツ軍のハインドリッヒ総督を指していると一般に解釈されているが、英語のタイトルが”Hangmen Also Die”と複数形になっているのが気になる。レジスタンスに紛れ込んだスパイのチャカも含めているのか、あるいはヒトラーをはじめとするナチス全体を暗示しているのかもしれない。

  舞台となるのはナチス軍占領下のプラハ。女性が買い物をしている日常の描写から始まる。その女性が不審な動きをする男を見かけたところからストーリーが動き始める。その男は実はハインドリッヒ総督を撃って逃走中の暗殺犯だった。彼を追うゲシュタポが現れた時点で目撃者の女性は事態を察知し、嘘をついてまったく違う方向を教える。ところが、皮肉なことに、進退窮まった暗殺犯は窮余の策でその女性の家にかくまってもらうことになる。こうして何とかゲシュタポの手を逃れるが、かくまったノヴォトニー教授一家は事件に巻き込まれることになる。ゲシュタポは犯人が捕まるまで、市民を人質に取り次々に処刑してゆくという手段に打って出る。いくつもの映画で描かれた、お決まりの卑劣な手段である。連行された人質の中には暗殺犯をかくまった女性マーシャ(アンナ・リー)の父ノヴォトニー教授(ウォルター・ブレナン)も含まれていた。

  後半は暗殺犯であるスヴォボダ医師(ブライアン・ドンレビー)にしだいにゲシュタポの手が迫ってゆく過程とレジスタンスによる反撃(ナチスのスパイだったチャカを暗殺犯に仕立てあげる)が描かれ、緊迫した展開が続く。

  この映画を語る上でどうしても触れておかねばならないのは脚本と演出の見事さである。脚本を担当したのはフリッツ・ラングの他にベルトルト・ブレヒトとジョン・ウェクスリー。「死刑執行人」とあだ名されたドイツ人総督暗殺という事実を元に、一種の倒叙形式で暗殺犯の逃走とゲシュタポの追跡から、ナチスによる人質作戦、そしてレジスタンス側の反撃という緊迫したストーリーを作り上げた。人質をとられても決して犯人を密告しないというチェコ人たちの描き方(「チェコに裏切り者はいない」というせりふが出てくる)、拷問を受けても白を切りとおした老婦人、あるいは処刑場に向かう人質たちの歌う“No surrender!”という歌などはいかにもブレヒトらしい描き方である。このあたりは確かに日本のかつての独立プロ映画、例えば山本薩夫や亀井文夫の作品にもあった生硬さを感じる。しかし紋切り型というほど単純な描き方ではない。実際、「チェコに裏切り者はいない」と言いつつも、チャカという裏切り者も出てくるし、ヒロインのマーシャも父を救いたい一心で一旦は暗殺犯を密告しようと警察に行ったのである。

  「死刑執行人もまた死す」が一流のサスペンス映画でもあることは確かである。しかし、この映画を麻薬組織やテロ組織VS警察のような、一般のサスペンス映画と同じレベルで観るべきではない。ファシズムはフィクションではなく現実的な脅威だった。ユダヤ人抹殺計画も含む世界的規模の暴虐行為だった。かつて有名な映画批評家岩崎昶(いわさきあきら)が、さまざまな悪役キャラクターが映画で描かれたがそのほとんどはナチスのイメージに基づいているという意味のことを書いていた。その後「エイリアン」等の地球外生物が現れてやっとナチスのイメージから脱却できるようになった。しかし地球上ではまだナチスのイメージを超える悪役は生まれていない。原爆で脅しをかけるテロ組織など武器の強力さで上回るものはあるが、世界支配をたくらむ組織的な暴虐行為となるとナチスを超えるものはない。岩崎昶はまた制服に対するナチスの異常なほどのこだわりについても語っている。あの独特の制服と鉄兜。人心を束ねる威圧的効果としてはこれ以上のものはいまだに考えられない。片手を挙げかかとを重ねる敬礼の仕方、足を曲げずにまっすぐ上げて行進するスタイルなどは今でもいろいろなところで使われている。これだけのイメージが定着しているのはそれだけの実態があったからである。

  「死刑執行人もまた死す」でも実行犯にひたひたと迫るナチスの脅威は見事に描かれている。あの制服が現れるだけで画面に緊張が走る。うまいのはゲシュタポの描き方である。ゲシュタポの警部グリューバー(アレクサンダー・グラナッハ)の人物像は中でも出色だ。決して悪鬼のごとき極悪非道な人物としては描かれていない。むしろ慇懃無礼にねちねちと迫ってくるいやらしさがよく描けている。拷問場面も直接は描いていない。むしろ言葉で追い詰めてゆく。「偉大な民族だなチェコ人は。最後の一人まで頑固だ。損をするぞミス・ノヴォトニー」。一方であの制服で街を威圧し、人質をとって何人かずつ殺してゆくという強硬手段をとりつつ、他方でねちねちと締め上げる。壁に不気味な彼の影が映るあたりはドイツ時代の表現主義的技法がうかがえる。ニヤニヤ笑いを浮かべる本人以上に壁に映った実態のない影の方に底知れない不気味さを感じる。見事な描き方だ。

  しかしそれでいて全編を恐怖が支配しているという描き方にはなっていない。後半ははらはらどきどきの連続だが、それはむしろヒッチコック的スリラーに近いもので、恐怖が下敷きにはなっていない。むしろ反撃計画がうまくいくかどうか、うまくゲシュタポをだませるかという緊張感が支配している。それはナチスに対する抵抗を全面に押し出しているからである。人質を取られても誰一人密告するものが現れない、昂然と顔を上げて歌を歌いながら処刑場に向かう人質たち、拷問を受けても口を割らなかった人々。映画はむしろチェコの人々が敢然とナチスに立ち向かう姿勢を英雄的に描いている。暗殺の実行犯だけが英雄なのではない。彼をナチスに引き渡せば人質は帰ってくる(はずだ)が、それはナチスにチェコSedang3人の魂を売り渡すに等しい。“No surrender!”。実際にはチャカのような裏切り者は結構いたはずでその意味では理想的な描き方だが、やはりこの映画の最も感動的な部分は決して屈服しない道を選んだチョコの人々の描き方である。

  その典型がマーシャの父親ノヴォトニー教授である。1回目に見たとき一番記憶に残っていたのは彼だった。西部劇の脇役、それも悪役で知られるウォルター・ブレナンだが、ここでは同じ人かと思うくらい知的で強い意志を持った人物を見事に演じている。彼の一世一代の名演技といって良いのではないか。マーシャは家にかくまったヴァネック(暗殺犯スヴォボダがとっさに使った変名)に父親のことを「昔は革命家で共和国創始者の一人よ」と紹介している。どんな事態に立ち至っても落ち着きを失わず、冷静に対処する姿はただならぬ存在感で、断然他の登場人物を圧倒している。教授が面会に来たマーシャに息子への伝言を託す場面は、実に感動的だった。ブレヒトが一番思いを込めたシーンではないか。

   息子よ、これから言う事を大人になったら思い出せ。その頃祖国は既に侵略者
 を追い出し、自由の国となり、民衆が主人公となる国になっている。それは至福の
 日々。老若男女誰もが飢えを知らぬ世の中。好きな物を読み、そして考え語りあえ
 る世の中だ。そんな世の中になったら忘れるな。自由は帽子や菓子のように粗末
 にできんのだ。自由は戦い取るものだ。私を思い出すなら父親としてではなく、自
 由のために戦った者として思い出せ。

  「民衆が主人公となる国」、「老若男女誰もが飢えを知らぬ世の中」などの表現はいかにもコミュニストらしい言葉である。しかし祖国が外国の軍隊の支配下にある現実を思えば、「自由は戦い取るものだ。私を思い出すなら父親としてではなく、自由のために戦った者として思い出せ」という言葉には感動せざるを得ない。

  もちろん、ナチス側を演じる俳優たちも強烈な存在感を持っている。冒頭に出てくるハインドリヒ総督を演じたH.H v.トゥオドースキーの、冷酷さが体からにじみ出るほどの威圧感、ゲシュタポの警部グリューバーを演じたアレクサンダー・グラナッハの慇懃ながら虫唾が走るほどしつこいアクの強さ、ジーン・ロックハート扮するスパイの卑劣さ、いずれも有名俳優を使わずこれだけの演技をさせている。この点も特筆ものだ。

  たたみ掛けるような後半の演出も見事だが、細かい場面の描き方がまたよくできている。スヴォボダ医師がゲシュタポに追われて映画館に逃げ込むが、そこに総督が撃たれたとの情報が口伝に伝わり、思わず全員が立ち上がって拍手をする場面、スヴォボダ医師とマーシャが盗聴を意識して偽の会話をする場面、あるいはスパイのチャカのイニシャルK.C.が刻まれているライターなどの小道具の使い方もうまい。

  最後の終わり方も秀逸だ。87年公開時のエンド・タイトルは「FIN」となっていたが、「完全版」では「NOT THE END」となっている。最初に「NOT」と出て、次に「THE END」が現れる。問題はまだ解決していない、ファシズムとの戦いはまだ続くという決意のようなものが伝わってくる。実際、戦争のさなかに作られたのだからこのメッセージはリアルである。

  完全版で復活した場面は、何とか父を救おうとゲシュタポ本部に向かおうとするマーシャを市民が取り囲み祖国を裏切るのかと詰め寄るシーンや人質の青年が“No surrender!”と歌う場面などである。このカットされたシーンがジョン・ウェクスリーによって差し変えられた部分と重なるのかどうかは分からない。しかし、いずれにしても、ナチスに屈しないプラハ市民の誇り高い姿が描かれている部分で、必要なものだったと思う。

  「死刑執行人もまた死す」は戦時中に作られたために反ナチ色が強く出ているとよく言われる。しかしそれはおかしい。「ゴブリンのこれがおすすめ 9」で取り上げた40本の大部分は戦後に作られたものである。90年代以降、ナチスやヒットラーを描いた映画はむしろ増えているのである。製作時期は関係ない。いつどんな時代でもファシズムは否定されなければならない。国策映画だから戦意高揚映画を作ったというようなことではない。ナチスに追われてアメリカに亡命してきたラングとブレヒトは、ヨーロッパで勢いを増しているファシズムに心底危機感を覚えたからこそこの映画を作ったのである。

追記
  岩崎昶の正確な文章を調べようと書棚から久しぶりに『ヒトラーと映画』(1975年、朝日選書)を引っ張り出してきた。問題の箇所はこうなっている。

   ヒトラーとその党がドイツを制覇するにいたった一つの有力な手段として制服があ
 る。ナチのユニフォーム、ドイツ軍のそれはついこの間日本において三島由紀夫と
 その「楯の会」の若いメンバーたちに魅力的に見えたくらいであるのだから、性来ユ
 ニフォーム好きで、心理的にユニフォーミティー、コンフォーミズムに弱いドイツ国民
 に強烈にアピールしたことは想像に余りがある。
   制服、祭典、儀式、この三つのものはヒトラーのもっとも得意とするものであり、そ
 れはまた映画にもっともたくみに演出され反映した。その代表的な例は、後に詳説
 するが、レーニー・リーフェンシュタールの天才によって作られた「意志の勝利」「オリ
 ンピア」などである。

  ぱらぱらとめくってみただけなので、「ナチスを超える悪役のイメージはない」云々の部分は見つからなかった。しかし、ぱらぱらと見ただけでも、面白い記述が随所に見られる。たとえば、「ナチ党はどこの分野でもまず『組織』の整備確立からはじめたが、それが・・・実際的な効果を・・・あげたのは、ドイツ人の持っている無比の組織的天才のなすところといわなければならない。組織的天才、ということばのなかに、私は組織する天分だけではなく、組織される天分をもふくめて考える。元来この二つのものはたがいに補完するものとしてしか存在しえない。規格と命令によっていっせいに同一の行動をとることをドイツ人と日本人ほど好きな国民はいない。」

  フリッツ・ラング関連で面白かったのは第2章の第3節「フリッツ・ラング亡命する」だ。ここは面白いので全部読んだ(読んだのはもう20年以上前なのですっかり忘れていた)。かいつまんで紹介しておこう。彼の「ニ―ベルンゲン」はヒトラーやゲッベルスに絶賛された。しかし「マブーゼ博士の遺書」はゲッベルスの命令で上映禁止にされた。あるとき友人にゲッベルスがラングを高く評価しているようなので、直に会って禁止を解くよう頼んでみてはどうかと助言される。半信半疑で会いに行ったラングを果たしてゲッベルスは大歓迎した。これに気を良くしたラングは例の件を持ち出すが、ゲッベルスはそれには答えず、まったく別の仰天すべき提案を持ち出した。

  「ヒトラー総統もあなたの熱烈なファンです。・・・あなたに私の直属で協力していただきたい。ドイツ映画のすべてをあげて、あなたの采配にまかせます。」あわ立つ心を顔に出さず、ラングはこれは一刻の猶予もできないと腹を決める。10分以内にここを出れば銀行の窓口締め切りに間に合う。預金を全部引き出してすぐ駅に向かおう。しかしこんな好条件をラングが断るなどと思ってもいない上機嫌のゲッベルスは、ユダヤ人ボイコット運動などのことをとうとうとまくし立てている。このあたりはヒッチコック映画さながらだ。じりじりしながら待たされたラングがやっと開放されたときには、銀行はとっくに閉まっていた。もう手遅れだ。しかし危機感に追われるようにラングは家にとってかえすと、有り金だけを持ってパリ行きの寝台車に飛び乗った。

  とまあ、こんなしだい。そのうちゆっくりと読み直してみたい。機会があればブログでも紹介します。

2006年5月 9日 (火)

ゴブリンのこれがおすすめ 9

反ファシズム、反ナチ、ナチス占領下の日々を描いた映画
■おすすめの40本
「ピエロの赤い鼻」(ジャン・ベッケル監督、2003年、フランス)
「戦場のピアニスト」(ロマン・ポランスキー監督、(2002年、ポーランド・仏)
「キャロルの初恋」(イマノル・ウリベ監督、2002年、スペイン)
「この素晴らしき世界」(ヤン・フジェベイク監督、2000年、チェコ)
「ふたりのトスカーナ」(アンドレア&アントニオ・フラッツィ監督、2000年、伊)
「太陽の雫」(イシュトヴァン・サボー監督、1999年、カナダ・ハンガリー)
「蝶の舌」(ホセ・ルイス・クエルダ監督、(1999年、スペイン)
「マイ・リトル・ガーデン」(ソーレン・クラウ・ヤコブセン監督、1997年、デンマーク他)
「レ・ミゼラブル」(クロード・ルルーシュ監督、1995年、フランス)
「シンドラーのリスト」(スティーヴン・スピルバーグ監督、1993年、米)
「コルチャック先生」(アンジェイ・ワイダ監督、1990年、ポーランド他)
「さよなら子供たち」(ルイ・マル監督、1987年、仏・西独)
「炎628」(エレム・クリモフ監督、1985年、ソ連)
「白バラ」(ミヒャエル・フェアホーヘン監督、1982年、西独)
「メフィスト」(イシュトヴァン・サボー監督、1981年、ハンガリー・西独)
「ジュリア」(フレッド・ジンネマン監督、1977年、アメリカ)
「追想」(ロベール・アンリコ監督、1975年、フランス)
「抵抗のプラハ」(ウラジーミル・ツェヒ監督、1971年、チョコスロバキア)
「道中の点検」(アレクセイ・ゲルマン監督、1971年、ソ連)
「影の軍隊」(ジャン・ピエール・メルヴィル監督、1969年、フランス)
「地獄に堕ちた勇者ども」(ルキノ・ヴィスコンティ監督、1969年、伊・スイス)
「抵抗の詩」(トーリ・ヤンコヴィッチ監督、1969年、ユーゴスラビア)
「脱走山脈」(マイケル・ウィナー監督、1968年、アメリカ)
「パリは燃えているか」(ルネ・クレマン監督、1966年、仏・米)
「国境は燃えている」(ヴァレリオ・ズルリーニ監督、1965年、イタリア)
「鬼戦車T-34」(ニキータ・クリヒン他、監督、1965年、ソ連)
「大列車作戦」(ジョン・フランケンハイマー監督、1964年、米・仏・伊)
「僕の村は戦場だった」(アンドレイ・タルコフスキー監督、1962年、ソ連)
「ゼロ地帯」(ジッロ・ポンテコルヴォ監督、1960年、イタリア)
「アンネの日記」(ジョージ・スティーヴンス監督、1959年、アメリカ)
「夜と霧」(アラン・レネ監督、1955年、フランス)
「平和に生きる」(ルイジ・ザンパ監督、1947年、イタリア)
「海の牙」(ルネ・クレマン監督、1946年、フランス)
「戦火のかなた」(ロベルト・ロッセリーニ監督、1946年、イタリア)
「鉄路の闘い」(ルネ・クレマン監督、1945年、フランス)
「無防備都市」(ロベルト・ロッセリーニ監督、1945年、イタリア)
「自由への闘い」(ジャン・ルノワール監督、1943年、アメリカ)
「死刑執行人もまた死す」(フリッツ・ラング監督、1943年、アメリカ)
「生きるべきか死ぬべきか」(エルンスト・ルビッチ監督、1942年、アメリカ)
「チャップリンの独裁者」(チャールズ・チャップリン監督、1940年、アメリカ)

■追加
「ソハの地下水道」(2011、アグニェシュカ・ホランド監督、独・ポーランド)
「サラの鍵」(2010、ジル・パケ=ブランネール監督、フランス)
「ペーパーバード 幸せは翼にのって」(2010、エミリオ・アラゴン監督、スペイン)
「黄色い星の子供たち」(2010、ローズ・ボッシュ監督、フランス・ドイツ・ハンガリー)
「イングロリアス・バスターズ」(2009、クエンティン・タランティーノ監督、米)
「ワルキューレ」(2008、ブライアン・シンガー監督、アメリカ・ドイツ)
「カティンの森」(2007、アンジェイ・ワイダ監督、ポーランド)
「パンズ・ラビリンス」(2007、ギレルモ・デル・トロ監督、メキシコ・スペイン・他)

■こちらも要チェック
「ヒトラー最期の12日間」(オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督、2004年、ドイツ)
「名もなきアフリカの地で」(カロリーヌ・リンク監督、2001年、ドイツ)
「ムッソリーニとお茶を」(フランコ・ゼフィレッリ監督、1998年、アメリカ)
「大脱走」(ジョン・スタージェス監督、1963年、アメリカ)
「ニュールンベルグ裁判」(スタンリー・クレイマー監督、1961年、米)
「誓いの休暇」(グリゴリー・チュフライ監督、1959年、ソ連)
「ドイツ零年」(ロベルト・ロッセリーニ監督、1948年、イタリア)

■気になる未見作品
「白バラの祈り - ゾフィー・ショル、最期の日々」(マルク・ローテムント監督、05年)
「パティニョールおじさん」(ジェラール・ジュニョー監督、2002年、フランス)
「モレク神」(アレクサンドル・ソクーロフ監督、99年、ロシア他)
「戦争のない20日間」(アレクセイ・ゲルマン監督、1976年、ソ連)

Trump_jw   次回フリッツ・ラング監督の反ナチ映画の名作「死刑執行人もまた死す」を取り上げる予定なので、ついでに関連作品のリストを作ってみた。こうやって見ると以外に少ない。もっとあるはずだという気がするのだが、そう感じるのはアメリカの戦争映画がかなりあるからだろう。それらを入れれば確かに相当な数になる。なお、「要チェック」欄に入れたものはやや枠から外れているもので、決して残り物ではありません。むしろいずれも傑作です。

  年代順に見ると50年代、70年代そして80年代のものが少ない。ところが90年代から逆に増え出している。終戦直後はまだ記憶が生々しくて却って作れなかったのだろう。60年代に一つのピークを迎えている。また、70年代ごろまでは反ナチ、反ファシズムの抵抗映画が多く、80年代以降はむしろナチス占領下の不安と恐怖に満ちた状況が多く描かれている。戦争の記憶が風化しつつある時代に逆に戦争の時代を描く映画が増えている。特に2000年代に入ってからはかなりのハイペースだ。作品的にも「この素晴らしき世界」や「戦場のピアニスト」などの傑作が生まれている。日本でも先日取り上げた「父と暮せば」が作られている。これは戦争やファシズムの記憶が風化しつつあることに対する危機感の表われだと見ていいだろう。ちなみに、今年に入っても第1次世界大戦を描いた「戦場のアリア」が公開されている。04年の「ロング・エンゲージメント」など、こちらも連綿と描き継がれている。

  皮肉なことに、第二次世界大戦の記憶が薄れて行く一方で、ベルリンの壁が崩れて以降、地域紛争やテロの記憶は日々新たにされている。悲しいことだが、戦争とテロは今なお今日的な差し迫った問題なのである。

2006年5月 7日 (日)

青空のゆくえ

V127a 2005年 日本
監督:長澤雅彦
プロデュース:牛山拓二
企画:牛山拓二
脚本:山村裕二、日向朝子
撮影:服部徹夫
美術:富田麻友美
音楽:サン・パオ
挿入歌:山崎まさよし
出演:中山卓也(高橋正樹)、森田彩華(速見有美)、黒川芽以(高橋亜里沙)
    佐々木和徳(杉原雄大)、多部未華子(河原春奈)、三船力也(山下勝也)
    悠城早矢(鈴木貴子)、橋爪遼(矢島信二)、西原亜希(市田尚子)
    市野世龍(野辺稔)、山本茉央(河原百合子)、竹井みどり(河原富子)
    目黒真希(山下昭子)、岡村洋一(河原平蔵)

  あるブログで高く評価されていたのでDVDを借りて観た。なるほどすがすがしい映画だ。キャストを見るとテレビドラマのような作りかと思えるが、どうしてしっかりと作ってある。人気の若手女優を多数起用しながらも、安易で安手のアイドル映画にしなかった。「深呼吸の必要」にどこか通じるものを感じた(別にみんな一緒に一つの目標に向かって打ち込むわけではないが)。その点をまず評価したい。

  小学生、中学生、高校生、年齢にすればわずかな違いだが、この年代は1、2年で大きく変わる。「青空のゆくえ」は小学生でもなく、高校生でもない、中学生という微妙な年齢をターゲットにした。人を好きになるという感情が芽生え始めた年齢、好きなのかそうでないのか自分でもはっきりしない。だからねっとりした嫉妬もなく、どろどろした恋のつばぜり合いもなく、またいじいじ、じめじめしたところもない。実にさっぱりしている。だから観終わった後がすがすがしいのだ。しかし既に個性は十分現れている。この映画は一人ひとりの個性を実に丁寧に描き分けている。少年、少女たちに対して真摯に向き合い、微妙な心の揺れや、感情の波紋が広がってゆくさまを丁寧に描いている。「青空のゆくえ」が際立っているのはその点である。

  言い換えれば、ジャリタレ相手に作っていない。大人の観る映画だ。その意味では今の中学生の実情を正確に反映しているとは言いがたいかも知れない。これは大人たちが自分たちの中学生時代を振り返って懐かしむ映画であるといくつかのブログが指摘している。確かにその通りだろう。主人公の中学生たちが実年齢よりもやや大人びて、落ち着きがあるのもそのせいである。時代は現代なのに懐かしさを感じるのは、もっと上の世代が中学時代を振り返ったという趣のつくりになっているからである。舞台を東京の三軒茶屋にしたのもその辺を計算してのことだろう。それが悪いと言っているのではない。むしろ、そういう設定にしたからこそ、この映画は大人の鑑賞に耐える映画になったのである。

  主要登場人物は7人。この人数は一人の中学生が普段付き合っている人間の範囲としては妥当なところだろう(ほとんど女の子ばかりというのはあまり一般的とは言えないが)。クラスの仲間、クラブの部員、近所の人、まだ中学生だからそれほど交際範囲は広くない。その中にも当然付き合い方の濃淡に差がある。一本の草や木を抜けば、その下から意外に複雑に広がった根が出てくる。同じように人間も社会に根を張って生きている。大地に収まっているときには見えないが、意外に深く広く根を張っていることが分かる。この映画は、一人の男子生徒がアメリカに引っ越す前に、自分の根の張り方を確認し、思い残したことを整理してゆく過程を描いている。と同時に彼の周りの生徒たちもやはり根を張っており、それが地面の下で一部絡まりあっていることが明らかにされてゆく。そういう映画だ。

  中学生という若木だからまだそれほど深く広く根を張ってはいない。したがってそれほど複雑に根が絡まりあってはいない。一番絡まりあっているのは家族だろうが、学校の友達関係を中心に描いているので、家族はほとんど出てこない。「死」とは関係ないごく日常の「別れ」がテーマである。恋愛が絡んでもキス・シーンなど出てこない。さらに特筆すべきは、塾通いや受験勉強が出てこないこと。お決まりのパターンを使わない。あくまで一人の生徒の転校が巻き起こした心の中の波紋を中心に描いている。そこがいい。

G3_1   登場人物の中心にいるのはバスケットボール部のキャプテン高橋正樹(中山卓也)。彼はクラスメイトたちに両親の都合でアメリカに行くことを発表する。彼の話を複雑な思いで受け止めたのはバスケットボール部女子キャプテンの速見有美(森田彩華)、学級委員長で正樹と同じ苗字の高橋亜里沙(黒川芽以)、酒屋の娘で正樹とは幼なじみの河原春奈(多部未華子)、男っぽい性格で正樹しか友達がいない鈴木貴子(悠城早矢)、帰国子女で正樹のメル友である市田尚子(西原亜希)。他にバスケット部の副キャプテン杉原雄大(佐々木和徳)や幼馴染だが不登校になってしまった矢島信二(橋爪遼)など男子生徒も出てくるが、比重は圧倒的に女子生徒に傾いている。

  正樹がクラスで宣言した「やり残したこと」とは一体なんなのか、彼は誰が好きだったのかを縦糸に、正樹と彼を取り巻く女子生徒たちの関係や女子生徒同士の関係を横糸にして話は展開してゆく。最後に学校の校庭で行われるお別れパーティ(花火大会、タイムカプセルの埋設)でクライマックスを迎える。

  正樹がアメリカに飛び去った後に映される青空が印象的だ。青空は映画の途中で何度も挿入されるが、これはまだ若い彼らの前に広がる可能性を暗示しているのだろう。そういえば登場人物の一人が「この空はアメリカにもつながっている」というようなせりふを言っていた。無限に広がる空だが、どこかでつながってもいる。

  5人の女の子がそれぞれ魅力的である。中でも魅力的だったのは森田彩華(有美)と悠城早矢(貴子)。前者はバスケットをしているときの姿が様になっている(その上に美人だ)。後者ははっきりとものを言うすっぱりとした性格が魅力的。ただ、有美、春奈、貴子の3人は途中まで区別がつかなかった。同じ人物が違う服を着ているのかと思っていた。みんな同じ顔に見えるというのは年を取った証拠か、情けない。はっきりキャラの違う亜里沙と尚子だけは最初から区別がついた(尚子役の西原亜希は「リンダリンダリンダ」の香椎由宇と顔つきも体型も似ていると思った)。中山卓也は役者として特に魅力は感じなかったが、役柄としては「やり残したこと」を渡米までに解決しようと真剣に努力しているところに共感できる。最後はすべてうまくまとまってしまう。その分話がストレートになり深みに欠けるので、幾分物足りない気がする。しかし、こういうあまりひねっていない(ひねくれていない)作品もさわやかでまたいい。

  監督の長澤雅彦は既に「ココニイルコト」、「ソウル」、「卒業」、「13階段」などを撮っている中堅どころ。彼の作品を見るのはこの映画が初めて。今後の作品が楽しみだ。音楽もCl25s なかなか印象的だと思ったら「あの子を探して」や「初恋のきた道」で知られるサン・パオが担当していた。山崎まさよしの挿入歌「僕らは静かに消えてゆく」もうまく使われている。

  この映画は10年後にまた「その後」を撮る計画らしい。タイムカプセルもその時のために実際に各俳優が自分で考えて書いたものを保管してあるそうである。果たして「ビフォア・サンセット」のようにうまくいくか。まあ、あまり心待ちにするよりは忘れてしまった方がいい。そのほうが10年後の再会が新鮮になる。

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