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2006年4月30日 - 2006年5月6日

2006年5月 6日 (土)

ゴブリンのこれがおすすめ一覧

 「ゴブリンのこれがおすすめ」は番号ばかりで中身が分かりにくいので、一覧表を作りました。

ゴブリンのこれがおすすめ 1
  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1930年代フランス映画
ゴブリンのこれがおすすめ 2
  ニキータ・ミハルコフ監督、70年代から90年代のソ連・ロシア映画
ゴブリンのこれがおすすめ 3
  北欧映画、東欧映画
ゴブリンのこれがおすすめ 4
  シェイクスピアの映画化作品、ベトナム戦争映画、朝鮮戦争映画
ゴブリンのこれがおすすめ 5
  少数民族映画、音楽映画(90年代以降)
ゴブリンのこれがおすすめ 6
  女性映画(90年代以降)
ゴブリンのこれがおすすめ 7
  フランチェスコ・ロージ監督、パトリス・ルコント監督
ゴブリンのこれがおすすめ 8
  フェデリコ・フェリーニ監督、ルキノ・ヴィスコンティ監督
ゴブリンのこれがおすすめ 9
  反ファシズム、反ナチ、ナチス占領下の日々を描いた映画 
ゴブリンのこれがおすすめ 10
  女性ヴォーカルを楽しむ 1
ゴブリンのこれがおすすめ 11
  女性ヴォーカルを楽しむ 2
ゴブリンのこれがおすすめ 12
  ロード・ムービー
ゴブリンのこれがおすすめ 13
  フィルム・ノワール
ゴブリンのこれがおすすめ 14
  伝記映画
ゴブリンのこれがおすすめ 15
  記憶喪失もの
ゴブリンのこれがおすすめ 16
  家族を描いた映画(1)
ゴブリンのこれがおすすめ 17
  家族を描いた映画(2)
ゴブリンのこれがおすすめ 18
  チェン・カイコー、チャン・イーモウ、コン・リー、中国映画
ゴブリンのこれがおすすめ 19
  日本映画(90年代以降)
ゴブリンのこれがおすすめ 20
  ファンタジー映画
ゴブリンのこれがおすすめ 21
  95年以降のヨーロッパ映画
ゴブリンのこれがおすすめ 22
  記録映画/ドキュメンタリー
ゴブリンのこれがおすすめ 23
  知られざる傑作
ゴブリンのこれがおすすめ 24
  デヴィッド・リーン、キャロル・リード、イギリス映画(30-70年代)
ゴブリンのこれがおすすめ 25
  アメリカを様々な角度から抉る
ゴブリンのこれがおすすめ 26
  まだまだ現役ベテラン俳優
ゴブリンのこれがおすすめ 27
  アメリカ映画の巨匠たち
ゴブリンのこれがおすすめ 28
  ギャバン、K.ヘプバーン、ウエルズ、デ・シーカ、黒澤、今井
ゴブリンのこれがおすすめ 29
  ほのぼの・のんびり・ユーモアドラマ
ゴブリンのこれがおすすめ 30
  老人映画
ゴブリンのこれがおすすめ 31
  群像劇
ゴブリンのこれがおすすめ 32
  子供が主役の映画
ゴブリンのこれがおすすめ 33
  マストロヤンニ、M.ブランド、マックイーン 
ゴブリンのこれがおすすめ 34
  イギリス女優
ゴブリンのこれがおすすめ 35
  戦争を描いた映画
ゴブリンのこれがおすすめ 36
 アフリカ関連映画
ゴブリンのこれがおすすめ 37
 レディ・ソウルを楽しむ
ゴブリンのこれがおすすめ 38
 アイリッシュ/ケルト・ミュージック、ブリティッシュ・トラッド
ゴブリンのこれがおすすめ 39
 世界のユニークなアニメ映画
ゴブリンのこれがおすすめ 40 中南米映画
 中南米映画
ゴブリンのこれがおすすめ 41 中国・台湾映画
 中国・台湾映画

* * * * * * * *

 上記「これがおすすめ」シリーズとは別ですが、映画リストを集めた記事を参考として以下に挙げておきます。

岩波ホール上映作品 マイ・ベスト50
ゴブリンのおすすめイギリス映画 マイ・ベスト150+α
14歳までに観ておくべき映画トップ50
DVDを出してほしい映画
DVDを出してほしい映画 その2
ドイツ映画ベスト100

 なお本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」の「世界中の映画を観てみよう」コーナーに、国別のおすすめ映画リストを掲載しています。掲載日の日付は古いですが適宜更新しています。


2006年5月 5日 (金)

庭のテラスで読書、至福の時

Sdcutmo307   今年の連休はずっと庭の手入れをしている。連休後半に入っても庭の手入ればかり。このところ仕事が忙しく、ブログにも時間をとられて庭は荒れ放題だった。この3日間だいぶ手を入れたので庭もすっかりきれいになった。 1時ごろ食事に出かける。天気がいいので近くのラーメン屋まで歩いて食べに行った。片道15分くらいか。このぐらいの距離なら歩くのもいいものだ。帰りに鉢植え用の花を買ってきた。

  すぐ買ってきた花を植えた。その後庭の手入れをする。まだ手入れの行き届かないところがあるが、あの荒れ放題だったときに比べるとだいぶすっきりした。ふと見ると、シロヤマブキ(山吹とは別種)の花が二つ三つ咲いていることに気づいた。白い花はたくさんあるが、僕はこの花の白さが一番好きだ。大きすぎず小さすぎず、形もきれいだ。そしてその白さ。こんなきれいな白い花は他にないと思う。近くにある山吹も花芽が大きくなってきたので、連休明け頃に黄色い花が咲き出すだろう。

  連休前はどこかいい喫茶店があれば行ってみようかと考えていた。しかし雑誌で探しても、行ってみたいと思うような新しい店は見つからなかった。そこで考えを変えた。どうせ喫茶店に行ってもそう長くはいられない。金も時間もかかる。それなら、自分の家の庭をもっと快適にして、そこでゆったりと本でも読めばいいではないか。庭もだいぶきれいになってきたので、早速その考えを実行に移した。

  庭の手入れでだいぶ汗をかいたので、まずシャワーを浴びて汗を流した。すっきりしてからテラスに出る。ガーデンテーブルにパラソルをたて、冷たい飲み物を用意して本を読み始めた。今の季節だと湿気が低いので、気温は高くても日陰だとちょうどいい暖かさになる。それに何と言っても外は気持ちがいい。

  考えてみれば、自分の家の庭なら時間も金も節約できる。出かける手間は省ける。なにせ家から0分。場所代もいらない。飲み物代も只。何時間粘っても誰からも文句を言われMy_garden ない。快適な気温で、庭の眺めも悪くない(回りは住宅ばかりだがそっちは見ないようにすればいい)。少し読書に疲れたたら、ちょっとその辺を散歩する。20メートルも行けば田んぼに出る。そこから独鈷山が眺められる。遠くには美ヶ原や浅間山も見える。しばし辺りを眺めて気分を入れ替えた。こうして2時間ほど読書にふけった。暗くなる前に藤沢周平の『蝉しぐれ』を読み終えた。映画版と違って深い感動を覚えた。文四郎とお福の今生の別れの場面は涙が出た。「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか。 」映画でも使われたせりふだが、さすがに原作の方は胸に深く沁みた。

  自宅のテラスで過ごす至福の時。家のすぐ前だが、これだって立派なアウトドア・ライフだ。自宅の庭がこんなに快適だなんて。どうしてもっと前に思いつかなかったのだろう。これは残り二日もこれで行くしかないな。天気が続くことを祈ろう。

  さて、夜は映画三昧だ。

ゴブリンのこれがおすすめ 8

Lady5 フェデリコ・フェリーニ監督(1920-93) 
■おすすめの10本
「ジンジャーとフレッド」(1985)
「そして船は行く」(1983)
「フェリーニのローマ」(1972)
「フェリーニの道化師」(1970)
「魂のジュリエッタ」(1964)
「81/2」(1963)
「甘い生活」(1959)
「カビリアの夜」(1957)
「道」(1954)
「青春群像」(1953)

■こちらも要チェック
「フェリーニのアマルコルド」(1974)
「サテリコン」(1969)
「世にも怪奇な物語」(1967) オムニバス

■気になる未見作品
「白い酋長」(1951)


ルキノ・ヴィスコンティ監督(1906—1976)

■おすすめの10本
「家族の肖像」(1974)
「ルードウィッヒ/神々の黄昏」(1972)
「ベニスに死す」(1971)
「地獄に堕ちた勇者ども」(1969)
「異邦人」(1968)
「山猫」(1963)
「若者のすべて」(1960)
「ベリッシマ」(1951)
「揺れる大地」(1948)
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942)

■こちらも要チェック
「熊座の淡き星影」(1965)
「夏の嵐」(1954)

  イタリア映画界を代表する2大巨匠。イタリア映画と聞いて誰でも最初に思い浮かべるのはこの二人かもしれない。僕のマイ・ベスト3は以下の通り。 
  フェリーニ:「道」、「カビリアの夜」、「甘い生活」
  ヴィスコンティ:「山猫」、「地獄に堕ちた勇者ども」、「ベニスに死す」

  イタリア映画の偉大な時代は第二次世界大戦後に始まる。いわゆる「ネオ・リアリズモ」の傑作を次々に放った巨匠ロベルト・ロッセリーニに代表される時代だ。その後も勢いは増すばかり。上記の二人を含む、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルイジ・ザンパ、ジュゼッペ・デ・サンティス、ピエトロ・ジェルミ、レナート・カスティラーニ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ヴァレリオ・ズルリーニ、ピエル・パオロ・パゾリーニ、フランチェスコ・ロージと名匠、巨匠がひしめく50年代から70年代に傑作が集中する。
  80年代以降はヴィットリオ&パオロ・タヴィアーニ、ベルナルド・ベルトルッチ、ジュゼッペ・トルナトーレが活躍するが、かつての栄光は薄れた。2000年代に入っても下降線が続く。時々個々に優れたものは現れるが、イタリア映画再生の道は遠い。何がこの不振の原因なのか。時間があれば探求してみたい課題だ。

2006年5月 4日 (木)

父と暮らせば

Yukatabijin1 2004年 日本
監督:黒木和雄
原作:井上ひさし「父と暮せば」(新潮社刊)
脚本:黒木和雄、池田眞也
企画:深田誠剛
撮影監督:鈴木達夫
美術監督:木村威夫
音楽:松村禎三
出演:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信

  ずっと気になっていた作品だが、近所のレンタル店に置いてなくてこれまで観られなかった。やっとアマゾンで2000円の中古品を手に入れたので早速観てみた。果たして、期待を上回る傑作だった。

  実は、「父と暮らして」は映画より先に芝居の方を観ている。2004年の7月に「市民劇場」の例会で観たのである。こまつ座の公演で西尾まりと辻萬長が主役の二人を演じていた。井上ひさし原作、こまつ座の公演とあって期待していたのだが、今ひとつという印象だった。もうだいぶ忘れているので、当日の日記から感想を引用しておこう。「1幕もので時間的にはあっけなく終わってしまった。会話を通して、娘がかたくなに結婚を拒否する気持ちの奥に親友の死と父親の死が絡んでいることが分かる。ぐっとくる場面だ。しかし劇後の感想は今ひとつというものだった。全体に喜劇仕立てになっていて、悲惨な話を生のまま出さない工夫をしているが、それが感動を弱めてしまっていると感じた。」

  同じ原作に基づいているのに、劇場版と映画版とでこのような差が表れたのは何が原因だろうか。一つは役者の違いだろう。映画版の宮沢りえと原田芳雄は見事に呼吸が合っていて、実に素晴らしい演技だった。それともう一つ思いつく理由はコメディ的要素とシリアスな要素のバランスだろう。演劇版はバランスがコメディに寄りすぎたために感動を弱めてしまったが、その点映画版はバランスの取り方が絶妙だった。コミカルな要素を活かして軽妙に話を進めながらも、美津江がなぜあれほどかたくなに幸せになることを拒むのかが明らかになってゆく山場は妥協なく、心の中をえぐるようにしてぐいぐいと推し進めてゆく演出だった。そして最後にまたコミカルなトーンが戻ってくる。このような演出だったために、コミカルになりすぎることもなく、シリアスになりすぎることもなく、感動がダイレクトに伝わってきたのである。

  また舞台では出来ない映画の技法としてクローズアップやフラッシュバック、あるいはモンタージュがある。人物の顔のクローズアップはもちろん、舞台でははっきり見せなかった原爆瓦や熱で溶けてねじれたガラス瓶が大きく映し出される。この効果は大きい。また丸木位里、俊夫妻の原爆の図、お地蔵さんの首、焼けただれた日本人形、そして原爆ドームなどの映像が効果的に挿入されている。まあ、演劇版との比較はこれくらいにしておこう。演劇版も何種類かあるし、その日によって出来も違うわけだから、当然優れたものもあったはずだ。

  この作品、何と言っても井上ひさしの原作が秀逸だ。いきなり押入れの中から登場する父親(福吉竹造)。この登場の仕方がとっぴで、最初からひきつけられる。しばらく何気ない会話が続くうちにようやくこの父親が実は幽霊であることが分かってくる。父と娘は同じ場所で原爆にあったのだが、偶然のいたずらで父親は死に娘は生き残ったのである。なぜ父親の幽霊が出てくるのか。それは美津江が恋をしたからである。なぜ娘が恋をすると父親の幽霊が出てくるのか。それは自分だけが生き残ったことへの負い目にさいなまれる娘が自分の恋心を押し殺し、「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と思いつめているからである。見かねた父親が「美津江の恋の応援団長」としてしゃしゃり出てきたのである。ストーリーは、娘がそこまで思いつめるようになった理由を父親が聞き出してゆくという展開になる。このストーリー展開がうまい。いったいあの時何があったのか。観客はぐんぐん二人の会話に引き込まれてゆく。

  ほとんど二人の会話に終始するので原爆投下直後の悲惨な状況は直接描かれない。視覚的、肉体的悲惨さではなく心に深く負った傷に焦点を当てている。美津江はまた軽い原爆症を患っているようだ。生き残ったものも筆舌に尽くしがたい悲痛な記憶と心の傷を背負い、放射能による癒えることのない病に苦しむ。見た目にはすがすがしい美津江の姿と目に見えない傷や苦悩とのギャップ、これがなんとも皮肉だ。

  悲惨な現実を直接描く代わりに象徴的な描き方を多用している。原爆瓦や熱で溶けねじれたガラス瓶、一面の焼け野原や焼けただれた日本人形もそうだが、一番強烈なインパクトを与えるのはお地蔵さんの首である。ある日美津江が庭に出ると、庭に置かれている石地蔵の首がふと目にとまった。どうしても気になってその首の向きを替えると、顔の右側がケロイドのように削れていた。これは原爆の資料を集めている木下青年から預かったものだろう(彼が美津江の思い人である)。かなりショッキングな映像だ。しかしこれはわれわれ以上に美津江に衝撃を与えた。この地蔵を見て彼女は同じような状態になっていた父親を思い出したからだ。そこから瀕死の父親を助けずに自分だけ逃げたというつらい思い出がよみがえってくる。このあたりの話の持って行き方も見事だった。

  廃墟となった広島の映像は出てくるが、そこに死体などは写っていない。あくまでも直接的な描写は避けている。黒木和雄監督があえて舞台劇のような限られた空間で描こうとしたのも、舞台劇の空間、すなわち擬似リアリティの空間を必要としたからだろう。映画にすSagi_1 るのだから原爆投下直後のリアルな再現映像を入れたくなるところだ。しかし原作は二人の対話で成り立っている。それを再現映像にしてしまっては原作の味が出ないと判断したのだろう。心の傷ではなく、見た目の悲惨さに注意が向かってしまうからだ。したがって元旅館だった美津江の家の中で父と娘が交わす会話がほとんどを占める。もちろん当時の悲惨な様子がまったく触れられないわけではない。美津江が見聞きしたむごたらしい光景が彼女の言葉を通して父親に(と同時に観客に)伝えられる。「もんぺの後ろがすっぽり焼け抜けていた」美津江の親友福村明子、防火用水槽の中で立ったまま死んでいた別の友人・・・。

  このように美津江が心の奥底に閉じ込めていたものを少しずつ父親に話してゆくにつれて、彼女が自分を殺して生きている理由が明らかになってゆく。それが何であったかは詳しく書かない。最後は美津江の血を吐くようなせりふになる。「あの時の広島は死ぬるんが自然で、生き残るんが不自然なことじゃったんじゃ。」「うちは生きとるんが申し訳のうてならん。だけど死ぬ勇気もないです。」

  父の竹造はこれを聞いて娘の気持ちを理解したが、それでも引き下がらなかった。彼はなおも説得する。「わしの一等最後に言った言葉がお前に聞こえとったんかいのう。『わしの分まで生きてちょんだいよー。』それじゃけ、お前はわしに生かされとんじゃ。まっことあのようなむごい別れが何万もあったということを覚えてもらうために生かされとんじゃ。お前が勤めている図書館もそげなことを伝えるためにあるんとちゃうか。人間の悲しかったこと楽しいかったこと、それを伝えるんがおまえの仕事じゃろが。それも分からんようになったなら、もうお前のようなあほたれなバカたれには頼らん。誰か他に代わりを出してくれや。わしの孫じゃ。ひ孫じゃ。」

  この言葉にようやく美津江は納得する。最後に映される美津江の表情は明るい。「わしの分まで生きてちょんだいよー」という父親の明るい声と美津江の「おとったん、ありがとありました」という最後のせりふがいつまでも心に残る。

  全編当時の広島弁を使ったことが素晴らしい効果を挙げている。他県のものが聞いてもどこか懐かしさを感じるその柔らかい響きが重くなりがちな主題を和らげている。『吉里吉里人』や『國語元年』を書いた井上ひさしらしいこだわりだ。原田芳雄の飄々とした父親像と宮沢りえのさわやかさも心を和ませる。と同時に、コメディ仕立てに逃げず、美津江の心の中をさらけ出させ、彼女の背後には生き抜けなかった何万もの人たちがいることを常に観客に意識させている。このさじ加減が絶妙なのだ。

  原作や黒木和雄監督の演出も見事だったが、何と言っても素晴らしいのは主演の二人だ。原田芳雄が素晴らしいのは言うまでもないが、僕は特に宮沢りえをほめたい。今の日本でこれほど卓越した演技力と品格を持った女優が他にいるだろうか。一時不遇な時代もあったが、今や間違いなく彼女は日本を代表する演技派女優となった。最初の出会いがまず衝撃的だった。あのポカリスエットのCMだ(これが最初に出演したCMではないようだが)。転がる缶を手を伸ばしながら追いかける彼女のかわいらしさは信じられないほどだった。テレビの番組ではなくCMを録画したいと思ったのはあれが初めてだ。その当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、あのヌード写真集を出したあたりから一時泣かず飛ばずになった。

  彼女が女優として非凡な才能を持っていると最初に感じたのは「北の国から」で“しゅう”を演じたときからだ。彼女の“しゅう”は素晴らしかった。内田有紀より遥かに良かった。そしてそれが確信に変わったのは「たそがれ清兵衛」である。あの映画を観たとき僕は彼女を絶賛した。しかし彼女はそこにとどまらなかった。「父と暮らせば」では、演技者の力量が映画の成否を決める二人芝居に挑んだのである。芸達者の原田芳雄とがっぷり四つに組んだ迫真の演技は「たそがれ清兵衛」の朋江役を凌ぐとさえ思った。何しろ、せりふは原田芳雄よりも彼女の方が圧倒的に多いのだ。それだけではない、原田がせりふを言っているときの彼女の反応や表情がまた見事である。肩肘張りすぎて「一人芝居」にならなかった。あくまで二人のコラボレーションを大事にした。そこに役者としての確かな成長を見た。絶妙の間合い(短かったり長かったり、時には相手のせりふにかぶせるように反論したり)、せりふのメリハリ、相手のせりふから受ける反応、表情と身振り、ほとんど完璧だった。ほとんど全編せりふで構成されている対話劇を、無難にではなく本当に美津江になりきって演じた。まだ30歳そこそこだろうが、もはや大女優である。

  黒木和雄監督のインタビューによると、原爆資料館を訪れた彼女について、「これまで多くの芸能人が来たけれど、学ぶ格好を見せるだけ。宮沢さんは本気で一日中資料を読み、涙していた。こんな俳優は初めて」と資料館スタッフが感激しながら語ったそうである。また相手役の原田芳雄も「撮影が始まって2~3時間で目の色が変わった」そうだ。撮影現場には「鬼気迫る」ものがあったとも語っている。もともと「地味な原爆の映画に少しでも客が入るようにと、旬な女優を使いたいと思った」というのが起用の狙いで、最初は不安に思っていたとのこと。しかし彼は結果的に「あたり」を引き当てたのである。

  「父と暮らせば」は「TOMORROW/明日」(88年)、「美しい夏キリシマ」(03年)に続く“戦争レクイエム”三部作の最後を飾る作品。岩波ホールで公開され、25週という歴代2位のロングランとなった。黒木和雄監督はその後第4部となるべき作品「紙屋悦子の青春」(8月に岩波ホールで公開予定)を完成させて、今年の4月12日に急逝された。死因は脳梗塞、享年75歳。  「残された者が背負う罪悪感」というテーマに挑んだのは「父と暮らせば」の舞台を観て感激したからだが、黒木監督自身同じような体験があるからでもあろう。「美しい夏キリシマ」ではその「うしろめたさ」を描いた。そして「父と暮らせば」では、そのうしろろめたさを克服する娘を描いたのである。

  新藤兼人監督の「原爆の子」や今村昌平監督の「黒い雨」など原爆関連の映画は何本も観てきたが、「父と暮らす」が最も優れていると感じた。中沢啓治の『はだしのゲン』やこうの史代の『夕凪の街 桜の国』と共に今後も読み継がれ、鑑賞され続けていって欲しい作品だ。

  既に遠い過去となった、われわれの知らない戦争とどう向き合うのか。あるいはそれをどう語り継ぐのか。この映画はわれわれにそういう問題を突きつけている。ソ連映画「炎628」の原題「来たれ、そして見よ」をもじって言えば、この映画のメッセージは「生きよ、そして語れ」となろう。

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2006年5月 1日 (月)

クレールの刺繍

Engle1 2004年 フランス
監督:エレオノール・フォーシェ
脚本:エレオノール・フォーシェ、ガエル・マーセ
撮影:ピエール・コットロー
音楽:マイケル・ガラッソ
出演:ローラ・ネマルク、アリアンヌ・アスカリッド
    マリー・フェリックス、ジャッキー・ベロワイエ
    トマ・ラロプ、アルチュール・ケアン、アン・キャノヴァス

 数日前に「ゴブリンのこれがおすすめ 6」で女性映画リストを挙げたばかりだが、また新しい女性映画に出会った(急遽リストに追加した)。いかにもフランス映画らしい、そしていかにも女性監督の映画らしい繊細な作品。思わぬ妊娠をして「匿名出産」をしようとしている17歳のクレール(ローラ・ネマルク)と最愛の息子を事故で奪われたメリキアン夫人(アリアンヌ・アスカリッド)、この二人の心理が共に同じ刺繍を作り上げる作業を通して微妙に変化してゆく過程を描いてゆく。二人の出会いのきっかけはクレールの友人の兄ギョーム(トマ・ラロップ)が起こしたバイクの事故である。ギョームは顔に大怪我をし、その上一緒に乗っていた友人イシュハンを死なせてしまう。そのイシュハンの母親がメリキアン夫人だったのである。どことなく「12g」を思わせる人間関係だが、話の展開は「12g」のようなどろどろした息苦しい方向には向かわない。刺繍という共同作業を通して二人は心を通い合わせ、クレールは自分で子どもを育てる決心をし(ギョームとの新しい愛も芽生え始めている)、息子を失い自殺まで企てたメリキアン夫人は生きる気力を取り戻してゆく。

 ストーリーはこれだけである。クレールはそれまではいたって平凡な、特に潤いのない生活を送っていたのだろう。前半にスーパーでアルバイトをしている場面が出てくる。同僚に最近太ったなどといわれて抗がん剤の副作用だと答えてごまかしていた。スーパーのバイトは平凡さの象徴である。「いつか読書する日」の田中裕子もスーパーでバイトをしていた。田中裕子の場合はその平凡な生活の中に情熱を秘めていたのだが、クレールは早い段階で親から独立しているので独立心はあるのだが、何か生きがいを見出すところまでいっていない。わずかに趣味の刺繍に自分の世界を見出しているだけだ。その閉じられた自分だけの世界をさらに広い世界へと押し開いたきっかけがメリキアン夫人との出会いだったのである。

 この映画はきわめて感覚的な映像とせりふを抑えた静謐な空間で構成されている。特に前半はコラージュ的に短いショットをつなぎ合わせており、ストーリーは流れない。正直前半は退屈だった。後半になってメリキアン夫人との出会いを経て二人で刺繍をつづっていくあたりからテーマが明らかになり、物語が動き出す。後半はどんどんひきつけられていった。しかしストーリー自体は特に起伏があるわけではない。せりふも少ない。したがって感覚的に捉えることが必要になるが、その前提となる状況を観客がきちんとつなぎ合わせてゆくこともまた必要である。クレール、メリキアン夫人、ギョーム、それぞれのおかれた状況を理解した上でなければ、感覚的な映像の持つ意味合いを深く理解できない。

 クレールが早い段階で家を出たのは彼女の独立心もあろうが、母親とうまく折り合わないことが理由としては大きいだろう。印象的な場面がある。クレールがスーパーを止めたと聞いた母親が心配してクレールの下宿までやってくる場面である。久々の再会だが、そこに母娘の暖かい絆はない。クレールが妊娠したことをそれとなく知らせようと母親にふくらんだお腹を見せても、母親はまったく気づかなかった。クレールはそんな母親に我慢が出来なくて家を出たのだろう。クレールは自分の明確な目標を持ったしっかりとした性格の女性というわけではない。お腹の子の父親はスーパーの同僚だが、妊娠を知っても責任のある態度を示さない。クレールもそんなことは期待していない。もともとその程度の付き合いだったのだ。ごく平凡に流されて生きてきた。当然母親としての自覚もない。腹の中の赤ん坊を映し出したモニターを見ようともせず、子供の性別にも関心を示さない。だから医者に言われるままに最初は匿名出産を選んだのである。

 妊娠を知ってからクレールの心は不安定になる。それは当然だ。わずか17歳の女性がはじめての妊娠で不安を感じないはずはない。大きなお腹を抱えて働き続けられるのか、母親に打ち明けるべきか、本当に匿名出産でいいのか。先を考えれば不安ばかりだ。そんなクレールの唯一の慰めが刺繍だったのである。母胎とは本来生命を生み育てる豊穣な大地である。しかしクレールの大地は乾いていた。そしておそらくクレールの母親の大地も乾いていたのだ。フォーシェ監督の言葉が示唆的である。「植物も生えないような大地の匂い、そしてクレールを花開かせようとメリキアン夫人がその大地を豊かにしていく、そんな物語を描きたいと思いました。」

 クレールがメリキアン夫人と、そして彼女を通じて刺繍と出会って初めて乾いた大地に潤いがもたらされた。母になる決意が持てず思い悩む少女、息子をなくし失意に沈む母親、友人を死なせてしまって生きる気力を失った青年。「21g」と似た設定ながら「クレールの刺繍」は生の再生へと向かう。何か大切なものを失ったままで人間は生きられないからだ。空白・空虚さを埋めるために互いに求め合う。新しい愛、芯から打ち込める仕事の発見、心から尊敬できる人との出会い。そして何より象徴的なのはクレールの体の中で成長してゆく赤ん坊の存在である。新しい生命が生の息吹を吹き込んでゆく。実の親子の間で作れなかった深く理解し合える関係が他人同士の間に作られてゆく。心の通い合いがあって刺繍という技術もまた次の世代へと伝えられてゆく。

 友を失ったギョームと息子を失ったメリキアン夫人の苦悩も描かれているが、クレールの苦悩ほどは詳しく描かれていない。メリキアン夫人が自殺を図り、見舞いに来るクレールTeablue を煙たがる様子も描かれているが、ギョームはむしろ「回復」の象徴としての役割の方が大きい。彼が最初に登場したときには顔にひどい傷を負っていた。だが、登場するたびに傷が小さくなってゆく。メリキアン夫人は終始そっけない態度で無口である。クレールもまた無口だ。二人の間には終始沈黙がある。その沈黙を破るのはタタタタタというミシンの音とプチッ、プチッという刺繍に針を刺す音だけ。時計の音さえ聞こえる(静寂を最も効果的に表すのは完全なる無音ではなく静かに時を刻む時計の音である)。

 閉ざされた空間と静寂が支配する中で二人は黙々と刺繍をする。わずかなせりふで淡々と行為だけが進行する映像を通して二人の心の動きが実に「雄弁に」語られる。この映画の最も優れている点は「無言の会話」を映し出すこの表現力である。このほとんど無言の行為を通して妊娠や出産に対するとまどいや不安をクレールが少しずつ乗り越えてゆく過程、そして生きる気力を一旦失ったメリキアン夫人が生命力に満ち溢れたクレールと接することによって生への意欲を取り戻してゆく過程が同時に描き出されてゆく。フォーシェ監督は刺繍という行為そのものだけではなく、その場に流れる空気を映像化することに成功した。ほとんど説明的な映像を交えず、行為と短い会話で描いてゆく。退院したメリキアン夫人にクレールがプレゼントした手製のショール、それをラクロワに見せた夫人がクレールに語った「デビュー作から評価されるのは稀なことよ」という優しい言葉。二人の心の動きと変化はこういった描写で簡潔に表現される。

  そしてなんといっても二人で刺繍の共同作業をしている場面。フォーシェ監督はその無言の場面を通して2人に沈黙の会話をさせた。生を授かった女性と息子の生命を失った女性の思いが複雑に交錯する。刺繍が出来上がってゆくにつれてクレールも刺繍職人として、また子を宿した女性として成長してゆく。彼女の成長は膨らんで行く彼女のお腹とシンクロしている。刺繍が完成したとき一人の「母親」が誕生する。少女から母へ、人間的成長と産む性としての自覚、一針一針地道に仕上げられていく刺繍と女性としての成長が同時に描かれるのだ。

 このような演出をどのように思いついたのか。「きっかけは、糸(fil)と親子の愛情(filiation)です」とフォーシェ監督は語っている。その発想は「祖母が何年間も裁縫箱にためていた衣類を繕う姿」がら湧いてきたものだという。彼女のインタビューは示唆に満ちている。

   裁縫は映画作りの隠喩そのものです。映画を見ていると、技術スタッフたちの
 苦労など想像しないものですよね。それと同じで、ステージ上のファッション・モデ
 ルを見て、その背後に多くの職人が費やした膨大な時間など考えないもので
 しょう。この 映画の刺繍を制作してくれたルサージュ氏やナジャ・ベリュイェのアト
 リエを訪れたとき、私が探し求めていた雰囲気を感じ取ることができました。つま
 り、女性たちが醸し出す、あの暗黙の雰囲気、連帯感です。映画では、刺繍は
 ちょうど日記のような役割を果たしていて、人物の気持ちを表しています。ク
 レールは、 テクニックは二の次で、回収したウサギの毛皮や配管用の座金(薄
 い金属板の輪)などの素材で制作を始めます。この映画では、触感という感覚を
 大切にしたかったのです。そして、メリキアン夫人の作品を見た瞬間、官能的と
 も言える感覚がクレールの体を駆けめぐるのです。クレールのお腹が大きくなる
 につれて、 メリキアン夫人宅で作業をする刺繍の腕が上がっていく必要がありま
 した。クレールにとってあのアトリエは、まるで胎内のような、もしくは洞くつのよう
 な隠れ場所なのだと思います。

 前半の技に懲りすぎた複雑なショットのつなぎ方には疑問を感じるが、全体を通してみるとやはり優れた作品だと言える。主要な二人の役柄を演じた女優のキャスティングもぴったりとはまっていた。メリキアン夫人を演じたアリアンヌ・アスカリッドについてフォーシェ監督が「彼女は、険しい表情の老け役を演じることを承諾してくれ、まるで手袋をはめるようにすっと役柄に入っていきました」と語っているのが印象的だ。なお、彼女を起用する際に、メリキアン夫人の国籍を当初のチェコ人からアルメニア人に変更したそうだ。クレールを演じるローラ・ネマルクはそばかすだらけの顔だがなかなか魅力的な顔立ち。赤毛の髪をこれでもかとばかり大きく波打たせている。刺繍をするときに青いスカーフで髪をくるむが、そのときのイメージがフェルメールの「青いターバンの少女」にはっとするほど似ている。「真珠の耳飾の少女」のスカーレット・ヨハンソンより似ていると思った。

 最後に、僕は刺繍のことは何も知らないが、二人が縫っている刺繍は実は裏表逆になっているそうである。裏面を表にして縫っている。だから出来映えを確かめるためには下から見なければならない。ギョームが刺繍の下にもぐりこむ場面があるが、それはこういう理由からだった。あるブログを読んで納得したしだい。

連休前半終了 水槽替えと庭の手入れ

Images_57_4   連休の前半はこれまでやれなかったことをやることにした。一つは金魚の水槽を大きいものに替えること。60センチの水槽は既に買ってあったが、水槽の交換には時間がかかりそうなので連休まで手をつけなかった。もう一つは庭の手入れ。このところ忙しくてろくに水もやっていない。芝生が伸び放題で、境目を乗り越えて庭全体に広がっている。何とかしなくてはと前から思っていたが、忙しさにかまけて何もしてなかった。

  連休初日の土曜日は水槽の交換に当てた。カインズホームで水槽の砂利とオーナメント(岩と水草)を買ってきた。早速60センチ水槽への入れ替えを始める。大変な作業だった。まず買ってきた砂利を水洗いする。結構泥が出る。次に今の水槽の水と金魚をバケツに移す。古い水槽を取り外し、新しい60センチの水槽を置く。かなり大きい。底に砂利を入れる。次にバケツで水を入れる。これが大変。6、7杯入れただろうか。およそ60リットル入るようだ。

  それが終わるとカルキ抜きを入れて水を中和する。しばらく置いてから金魚を移した。うまく馴染んでくれるか心配だったが、良かった元気に泳いでいる。今度は濾過器を組み立てて水槽に設置した。ライトも取り付ける。これで完了。いよいよ電源を入れる。おおっ。素晴らしい。ちょっと水草が足りなかったのかスカスカの気がするが、少しは開放感があったほうがいいのかも知れない。そのうちまた本物の水草を買ってきて増やそう。今いる金魚たちはもう何年生きているのだろうか。多分もう買ってから4、5年はたっているだろう。だいぶ体も大きくなってきて、前の水槽では狭く感じ始めたのが大きい水槽に替えるきっかけだった。

  ライトをつけるとまるで熱帯魚の水槽のようだ(実際金魚と熱帯魚の両方に使えるものだが)。網ですくって移すときにうろこが何枚か剥げ落ちている金魚がいる。多分大丈夫だろう。いずれ再生するのではないか(根拠のない期待)。もう1匹買って来ようか。にぎやかな方がいい。記念に金魚に名前をつけようかな。

  翌日の日曜日に金魚をもう2匹買ってきた。頭の天辺だけが赤く、全体が白い金魚だ。水槽に入れるとなんとまあ小さいこと。それまでいた4匹はかなり大きくなっており、新たに買ってきた2匹はまるで子どものようだ。しばらくじっと眺めていたが、小さな新人たちはおとなしく2匹並んで隅のほうを泳いでいる。一番大きい2匹は水槽を大きくしてから悠々とかなりのスピードで泳ぎ回るようになった。時々さっと反転するので、小さい2匹はそのあおりを食って時々弾き飛ばされそうになる。一番大きいまだら模様を二番目に大きいのがしきりに追い掛け回している。一番大きいのがメスで、二番目がオスなのだろうか。とにかくそのしつこいこと。ずっと追いかけていた。まだら嬢は嫌がっているように見える。それはともかく、水槽を眺めるのは実に楽しい。まさに癒しの時間。しばらくはこれが癖になりそうだ。

Big_0135   今日は庭の手入れ。プランターから雑草を抜き、伸びきった芝生を刈る。久々に芝生用バリカンを使った。バリカンがつかえない境目のところは芝刈りハサミを使う。ハサミを使いすぎて手の握力がなくなってきた。庭の手入れをしてすっかり汗をかいた。まだまだ半分も手入れは終わっていないが、残りは水曜日以降にやろう。その後テラスのガーデンテーブルでタバコを吸う。気持ちがいい。近所の人が前を通るとき「夕涼みですか」と声をかけてくれた。

  ゆっくりと庭を眺める。ユキヤナギは満開を過ぎて花がだいぶ散ってきた。ミツバツツジの薄紫の花が綺麗だ。ツツジは白、赤と何種類か植えてあるが、ミツバツツジの色が一番好きだ。他のつつじはまだ花が咲いていない。去年あまり咲かなかったドウダンツツジはうまく咲くだろうか。シバザクラの白と赤の花も綺麗に咲いている。芝生がだいぶ入り込んでいるがちゃんと咲いてくれたので一安心。プランターの宿根草も一部咲き始めている。名前は忘れてしまった。ヤマボウシとシャラとエゴの木が小さな葉を付け始めている。これから新緑が楽しみだ。新緑の緑の鮮やかなことといったら、花以上に綺麗だとすら思う。ただコニファーが何本か枯れてしまった。切らないとだめかなあ。そろそろ庭師さんでも頼んで本格的に手入れしてもらおうか。

  明日は一日だけ仕事。気が重いが、あさってからまた連休だ。連休後半は近所にちょっと出かける程度にして、映画と読書にたっぷり時間をかけよう。

2006年4月30日 (日)

ゴブリンのこれがおすすめ 7

フランチェスコ・ロージ監督(1922- )
■おすすめの10本 M000413fd
「遥かなる帰郷」(1996) 監督/脚本
「予告された殺人の記録」(1987) 監督/脚本
「エボリ」(1979) 監督/脚本
「ローマに散る」(1976) 監督/脚本
「コーザ・ノストラ」(1973) 監督/脚本
「黒い砂漠」(1972) 監督/脚本
「イタリア式奇跡」(1967) 監督/脚本
「真実の瞬間」(1965) 監督/脚本
「都会を動かす手」(1963) 監督/脚本
「シシリーの黒い霧」(1962) 監督/脚本

■こちらも要チェック
「カルメン」(1983)

■気になる未見作品
「パレルモ」(1990)

  イタリアを代表する社会派の巨匠。マフィア問題を追い続けてきた初期の作品も傑作ぞろいだが、後期の作品も「エボリ」や「予告された殺人の記録」など様々なテーマに挑み、優れた作品を作り続けてきた。闘牛士を描いた「真実の瞬間」は彼の作品系列の中では異色だが、「黒い牡牛」と並ぶ闘牛映画の傑作。これだけの傑作を作っているのに、DVDは「コーザ・ノストラ」しか出ていない。この不当な扱いには腹が立ってしょうがない。早く出して欲しい。

パトリス・ルコント監督(1947 - )
■おすすめの10本
「列車に乗った男」(2002)
「パトリス・ルコントの大喝采」(1996)
「リディキュール」(1995)
「イヴォンヌの香り」(1994)
「タンゴ」(1992)
「髪結いの亭主」(1990)
「仕立て屋の恋」(1989)
「タンデム」(1987)
「スペシャリスト」<未>(1984)
「愛しのエレーヌ」<未>(1983)

■気になる未見作品
「親密すぎるうちあけ話」(2004)
「歓楽通り」(2002)
「フェリックスとローラ」(2000)
「サン・ピエールの生命」(1999)
「橋の上の娘」(1999)

  こちらは一転して軽妙な作風。日本でもファンが多い。フランスらしいしゃれた作品が多いが、どこかとぼけた持ち味も魅力。「列車に乗った男」で見せた渋い味もいい。「スペシャリスト」、「愛しのエレーヌ」、あるいは「恋の邪魔者」、「レ・ブロンゼ/スキーに行く」、「レ・ブロンゼ/日焼けした連中」等の初期作品は日本未公開だが、フランスでは大ヒット。どれもよく出来てる。これらはビデオで出ていたがDVDはまだ。こちらも早く出して欲しい。

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