最近のトラックバック

お気に入りホームページ

お気に入りブログ

お気に入りブログ 2

  • とんとん亭
    いい映画をたくさん観ているとんちゃんさんのブログ。映画の魅力を丁寧に語っています。
  • 新・豆酢館
    カテゴリーが実にユニーク。関心の広さと深さとユニークさが魅力です。
  • 虎猫の気まぐれシネマ日記
    猫が大好きなななさんのブログ。とても丁寧に、詳しく映画を紹介しています。
  • 犬儒学派的牧歌
    一見近寄りがたいタイトルですが、とても読みやすくまた内容の濃いレビューに出会えます。
  • TRUTH?ブログエリア
    GMNさんの充実したブログ。アメコミに強い方ですが、映画の記事もすごい。読ませます。
  • It's a Wonderful Life
    kazuponさんのブログ。観ている映画がかなり重なっているのでとても参考になります。
  • no movie no life
    洋画、邦画を問わず幅広くご覧になっています。しかも取り上げている映画は良質なものばかり!
  • 日っ歩~美味しいもの、映画、子育て...の日々
    おいしい物といい映画が大好きな方。味わいのある映画を選ぶ確かな目をお持ちです。
  • 再出発日記
    邦画を洋画と同じくらい観ておられます。社会的視点をしっかりとお持ちで、大いに勉強になります。
  • 藍空放浪記
    アジア映画を中心に幅広く映画をご覧になっています。レビューも長文で深い考察に満ちています。

« 2006年3月19日 - 2006年3月25日 | トップページ | 2006年4月2日 - 2006年4月8日 »

2006年3月26日 - 2006年4月1日

2006年3月31日 (金)

亀は意外と速く泳ぐ

Cupgreap 2005年 日本
脚本・監督:三木聡
製作:橋本直樹
撮影:小林元(JS.C)
出演:上野樹里、蒼井優、岩松了、ふせえり、松重豊
     村松利史、緋田康人、要潤、森下能幸
    松岡俊介、水橋研二、温水洋一、岡本信人
    嶋田久作、伊武雅刀、播田美保、柿嶋孝雄
     池田稔、田中聡元、清田正浩、真鍋誠志、松崎貴司

  ブログが不調で散々振り回された。疲れ切って前に予告した映画を観る気力もなかった。そんな時に友人からたまたま借りたのがこの映画。前から1週間レンタルになったら借りようと思っていた作品だ。軽そうだから疲れて気力がないときにはいいだろうと思って観た。

  「イン・ザ・プール」に続く三木聡監督の長編2作目。「イン・ザ・プール」も気にはなっていたがまだ観ていない。したがってこの2作目が三木聡監督初体験。「亀は意外と速く泳ぐ」は「これまでに全くなかった“脱力系”エンターテインメント」が売り。ふ~ん、本当にそうか?TVでやっていることを映画でやっただけじゃないのか?これが正直な感想だ。個性的な出演者をそろえた割には映画に出てくるラーメン同様「そこそこ」の出来。小ネタを並べただけ。同じ「豪華」キャストでも「タンポポ」にとうてい及ばない。

  この映画の「ゆるさ」がたまらなく合うという人もいるようだ。確かにただくすくす笑ってぼけ~っと時間をすごすにはいいかもしれない。それ以上のものではない。そもそも外国のスパイという設定がばかげている。最後は秘密のミッション遂行のためにスパイたちが地下に降りてゆくが、もうシュールというよりバカバカしいだけ。まあ完全に作り物のコメディだからうるさいことを言ってもしょうがないが、もっとしっかり作って欲しい。メインのストーリーは取ってつけたようなものでしかなく、ショートコントの積み重ねでつないでゆくだけ。よく、泣くのを目的に映画館に行く人たちがいるが、これはそれと同じで笑うことを目的に映画館に行く人たち向けの映画。

  確かに舞台出身の芸達者たちはみな悪くない。岩松了とふせえりのスパイ夫婦を始め、温水洋一、松重豊、村松利史、嶋田久作、伊武雅刀などそれぞれいい味を出している。特にラーメン屋のオヤジ松重豊のエピソードはよくできている。行列ができるうまいラーメンも作れる腕を持ちながら、目立ってはいけないスパイの宿命で「そこそこ」の味のラーメンしか作れない男の悲哀感がよく出ている。その曲者ぞろいの脇役以上に魅力的なのは主人公片倉スズメを演じる上野樹里と彼女の幼馴染の扇谷クジャクを演じる蒼井優である。とにかく上野樹里がかわいい。蒼井優のはちゃめちゃさも魅力的だ。

  にもかかわらず映画全体としてはそこそこの出来なのだ。全体の構成がズルズルだからである。役者は芸をしているのに監督に芸がない。蒼井優が感電してアフロのようなチリチリ頭になるのはお定まりのギャグで平凡。「あずきパンダちゃん」などのつまらない小道具をやたらと使って受けを狙うというのも情けない。テーマなどそっちのけで、小道具などどうでもいい細かいことにばかり興味を持つ趣味的映画ファン向けに作られている。そんな感じの映画だ。

  つまり、テレビと同じ感覚で作られ、同じ感覚で観るための映画なのだ。タイトルの「亀は意外と速く泳ぐ」が象徴的である。これは映画の中に出てくる「研究用の危険な細菌は、車だと万が一の事故がこわいので、普通のおばさんが電車で運んでる」、「“止まれ”の標識の中にたまに“止れま”がある」などと同じもの、すなわち、スパイ活動を通じて片倉スズメが発見した「日常の裏側に隠れていた意外な事実」である。要するに「トリビアの泉」なのだ。「亀は意外と速く泳ぐ」は三木聡がテレビで書いてきた「ダウンダウンのごっつええ感じ」、「笑う犬の生活」、「トリビアの泉」なとの延長線上にある映画なのである。言い方を替えればテレビと同じ程度の映画にすぎないのだ。最近著しくレベルが上がってきた日本映画の秀作群と比べるとどうしても見劣りしてしまう。

  ただ、少なくとも上野樹里と蒼井優は十分魅力を発揮している。この二人の魅力を楽しむつもりで観ればそれなりに満足できるかも。

2006年3月30日 (木)

ブログに異常発生 ご迷惑をおかけしました

  28日にココログのメンテナンスがあったのですが、その直後からブログに異常が発生しました。ページが正常に表示されず、左のサイドバーしか表示されなくなることが時々生じました。あるいは正常に表示されていても、トップページと他のページではサイドバーの表示内容が違っているなどの異常が起きていました。こちらのミスではなく、メンテナンスとアップグレードの結果に伴う不具合のようです。他にも様々なトラブルが発生していたようです。当ブログはやっと今日の夕方になって正常に表示されるようになりました。もう少し使ってみないと完全に回復したかどうかは分かりませんが、ココログの方も懸命に不具合の解消に努力しているようですので、じき収まるでしょう。いずれにしても大変ご不便をおかけしました。m(_ _)m

2006年3月28日 (火)

子供たちの王様

043205 1987年 中国 1989年4月公開
監督:チェン・カイコー
原作:阿城(アー・チョン)
脚本:チェン・カイコー、ワン・チー
撮影:クー・チャンウェイ
出演:シエ・ユアン、ヤン・シュエウェン、チェン・シャオホア
    チャン・ツァイメイ、シュー・クオチン、ラー・カン
    クー・チャンウェイ、ウー・シア、リウ・ハイチェン

<チェン・カイコー・フィルモグラフィー>
「PROMISE」(2005) 監督/製作/脚本
「北京ヴァイオリン」(2002) 監督/脚本/出演
「10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス」(2002) 監督
「キリング・ミー・ソフトリー」(2001) 監督
「始皇帝暗殺」(1998) 監督/製作/脚本/出演
「花の影」(1996) 監督
「さらば、わが愛/覇王別姫」(1993) 監督/製作
「人生は琴の弦のように」(1991) 監督/脚本
「子供たちの王様」(1987) 監督/脚本
「大閲兵」(1985) 監督
「黄色い大地」(1984) 監督

 僕の映画自伝である「あの頃名画座があった(改訂版)⑧」にも書いたが、僕が最初に観た中国映画はチェン・カイコー監督の「大閲兵」である。文芸座で開催された「中国映画祭‘87」で上映された作品中の一本だった。上映された8本全部を観たわけだから、これが最初というのは上映プログラム上の問題で偶然に過ぎない。順番が違えば他の作品が記念すべき第一作になったわけだ。それはともかく、最初の「大閲兵」でがっかりすれば8本全部観たかどうか分からない。「大閲兵」を観て中国映画のレベルの高さに驚いたからこそ通いつめて全部観たということである。それ以降、すっかり中国映画の魅力に取り付かれ、これまで何十本となく観てきた。

 チェン・カイコーの映画は上記のうち7本観た。マイ・ランクを示せば以下のとおり。なお、参考までに「中国映画マイ・ベスト30」を文末に付けておきます。

1 さらば、わが愛/覇王別姫
2 子供たちの王様
3 大閲兵
4 黄色い大地
5 始皇帝暗殺
6 北京ヴァイオリン
7 人生は琴の弦のように

 この内駄作だと思ったのは「人生は琴の弦のように」のみ。上位2作は名作と呼ぶにふさわしい。「子供たちの王様」は「大閲兵」から遅れること2年、89年5月21日に今はなき「シネヴィヴァン六本木」で観ている。映画ノートを見るとスタッフとキャストは漢字で書いてある。まだ当時は中国人と韓国人の名前は漢字で書いていた。カタカナ表記に切り変わったのは確か90年代の半ば頃だ。

 ストーリーはチェン・カイコー監督自身が文革時代に下放で経験したことを基にしている(チェン・カイコー著『私の紅衛兵時代』講談社現代新書が参考になる)。主人公は雲南省の山村に下放していた”やせっぽち”というあだ名の青年。彼自身が高校教育の途中で下方されたため、たいした教育も受けていないのだが、たまたま中学校の教員として雇われることになる。中学校はなだらかな山の天辺にあるかやぶきの粗末な校舎だ。文革時代の劣悪な教育現場。生徒には教科書もない。教師だけがぼろぼろの教科書を1冊支給される。それを黒板に書き、生徒たちはノートに写す。黒板消しはなく布でふき取る。教師も生徒もみすぼらしい身なりだ。”やせっぽち”は穴だらけのシャツを着ている。日本の今のホームレスでももっといい服を着ている。”やせっぽち”は人に教えた経験がないので最初は戸惑うが、やがて独自の教育方法を編み出してゆく。教科書を教えず、自由作文を書かせるのである。それが上部の者に知れ、同僚から「上が君の授業に目をつけている」と注意される。しかし彼は方針を変えず、ついに党の幹部に呼び出される。”やせっぽち”は教職を追われ山を降りてゆく。

 ロケは実際に雲南省で行われた。冒頭霧に煙る山の景色が映される。少しずつ霧が晴れて全景が見えてくる。非常に美しい映像で印象的である。その山道を主人公が登ってゆくのだが途中不思議な光景が出現する。小高い丘の上に奇妙な形の杭のようなものが無数に立っている。最初はそれが何かよく分からない。何かサボテンか何かがたっているように見える。映画の最後に学校を追われた主人公がまた同じ場所を通る場面が出てくる。ちょうど野焼きが始まった時期だ。その時点で初めて観客にも合点が行く。その丘はかつて森だったが、野焼きで木が全部焼かれてしまったのだ。焦げた木の幹だけが廃墟に残る柱の残骸のように立っていたのである。

 この映画を観て思い出した映画がある。83年製作のトルコ映画「ハッカリの季節」。86年5月11日に渋谷のユーロスペースで観ている。この映画もすさまじい映画だった。舞台はトルコ南部の山岳地帯にあるハッカリ県。3000メートルを越える山々の渓谷にクルド系遊牧民族が住む村落がある。そこに若い教師が赴任して来る。そこは冬になると雪でうもれて全く外界から隔離されてしまう。電気も水道もなく、郵便も来ない。古い家長制度が厳然として残っている。医者もいないので子供が病気になってもただ死んでゆくのを見守ることしかできない。やがて冬も終わり学校は閉鎖され、教師は子供たちに「私の教えたことは全て忘れてかまわない」という言葉を残し村を去ってゆく。こちらの風景もすごかった。この世のものとも思えない世界。雪に完全に覆われ、わずかに残った柴を刈っては束ね、雪の上に座った姿勢でそれを背中に背負い、そのまま斜面を村まで滑り降りてゆく。美しい自然と前近代的な人間関係。

 この二つの映画は実によく似ている。ほとんど季節が違うだけだ。文革がいかに近代文明を破壊したかがよく分かる。山を焼き尽くす野焼きはその象徴だったのである。「ハッカリの季節」の若い教師が「私の教えたことは全て忘れてかまわない」と言い残したように、”やせっぽち”も王福という生徒に「これからは何も書き写すな、辞書も書き写すな」との書置きを残して去ってゆく。王福は彼のクラスで一番できる子で、辞書を手書きですべて写そうとしていた。中国の教育というのはいまだにそうなのである。教科書丸暗記。論語の暗誦じゃあるまいし。自分の意見を持つ訓練などまったくなされていない。必死で漢字を覚えようとする王福もそういう道にはまり込んでいた。

 「子供たちの王様」とは教師をあざけって呼ぶ言葉だとDVDの解説にあった。”やせっぽち”も最初のうちは生徒に馬鹿にされていた。しかし作文指導を始めるあたりから教室に笑いがあふれ、生徒たちにやる気が出てくる。”やせっぽち”は党の教育方針を無視し生徒の発想を豊かにしようと自由作文に力を入れる。生徒たちは夢中になる。生徒たちがいっせいにノートに鉛筆を走らせる音が教室いっぱいに響く。後に触れるがチェン・カイBig_0278_1 コー監督はこの映画の中でかなり音にこだわっている。音関連でいえば音楽もまた効果的に使われている。彼の知り合いに来妹という女性がおり、歌がうまいので音楽の教師にしてくれとしきりに彼にせがんでいる。彼は自分が詩を書き彼女が作曲した歌を放課後生徒たちに教える。歌詞に「頭は飾り物じゃない、文章を書くのは自分の力♪」という一節がある。これも象徴的な言葉だ。教育の現場なのに教科書も支給されず、まともな教育も行われない。考えることさえ敵視される。そのことに対する痛烈な風刺である。子どもたちを遠景で捉え、夕焼けを背景に空を広く取った映像が美しい。

 子供たちに学習意欲がないわけではない。彼らは知識に飢えている。その典型が優等生の王福である。彼が写していた辞書は来妹のものである。ある時”やせっぽち”は王福と賭けをする。次の日生徒総出で竹を切りに行くのだが、王福は明日のことを今日作文に書けると言う。生徒と賭けをしたことがのちのち「上」からにらまれることになる。ともかく、もし王福が勝ったらなんでも欲しいものをやると”やせっぽち”は約束する。翌朝生徒たちが竹林に行くと竹はすでに王福とその父親によって昨夜のうちにすべて切られていた。王福は作文も昨日のうちに書き上げたと誇らしげに言う。これに対して”やせっぽち”は次のように言う。「王福、辞書はあげるが君の負けだ。今日のことを昨日のうちに書く約束だった。作文は確かに昨日書いたが、中身も昨日のことだ。記録は出来事の後に書くものだ。これが道理だ。君は真面目でクラスのために働いたから、辞書をあげよう。」

 結局、王福は辞書を受け取らず、自分で書き写し始める。このエピソードが印象的なのはそこに知識に対する純粋な渇望があるからだ。少しでも多く字を覚えたい、知識を得たいという願望。まさに教育の原点である。しかし同時にそれは知識の質に対する問いかけでもあった。ただ漢字をたくさん覚えること、言葉を書き写して鵜呑みにすること、果たしてそれが本当の教育なのだろうかという問いかけ。暗記はできても、まともな文章が書けない日本の子どもにも通じる問いかけだ。それはまた、党の方針を鵜呑みにさせるだけの文革の方針に対して疑問を投げかけることでもあった。この二つの主題をうまく結び付けて描いたこと、この映画が傑出しているのはその点である。文革の実態を生々しく描き出し世界中に衝撃をあたえた名作「芙蓉鎮」を始め、「青い凧」、「活きる」、「シュウシュウの季節」、「小さな中国のお針子」等々、文革、下放を描いた中国映画は多い。「子供たちの王様」には「芙蓉鎮」のような衝撃はないけれども、小さな山の学校を舞台にして教育と文化の荒廃という面から、文革という未曾有の野蛮な試みが孕む矛盾を描いて見せた。

 主題ばかりではない。チェン・カイコーは映像と音に関しても大胆な試みを行っていた。それを一言で言えば、映像と音のズレである。冒頭の一場面がその典型だ。ある家の中で一人の老人が太い竹筒のようなものでタバコを吸っている。ごぼごぼという音がするので、水タバコのようなものだろう。その老人はもう一人の男と話をしているのだが相手の男は画面には見えない。相手の男は画面の右側にある戸口の外にいるのだ(老人は画面の左側に座っている)。相手の男(これが主人公の”やせっぽち”なのだが)の声だけが聞こえる。”やせっぽち”もタバコを吸っているのだろう、時々戸口から煙が部屋に入ってくる。なんとも不思議な映像だった。かなり実験的な手法だが、実に効果的である。このように音はするが姿は見えないという「効果」をチェン・カイコーはこの映画のあちこちで用いている。”やせっぽち”が最初に山道を登って学校に行く途中で木が切り倒されている音が聞こえてくる。しかしキャメラは終始”やせっぽち”だけを映している。やがて大きな音を立てて木が倒れるがそれも映されない。あるいはどこかで誰かが歌っている不思議な響きの歌が聞こえてくる。

 ”やせっぽち”がもう一人の教師と校庭で話をしている場面もそうだ。左側に”やせっぽち”がいて、右側にもう一人がいるが、右側の男は時々画面の外に出てゆく。顔でも洗っているのか水音だけが聞こえる。また、上に書いた王福と賭けの約束をする場面だが、画面では古い竹をキャンプファイアーのように燃やしている映像を遠景で撮っており、どこか教室あたりで”やせっぽち”と生徒たちが話している声がこれにかぶせられている。この「映像と音のズレ」のクライマックスがラストの牛が走る音である。最初に触れた焼け残った木の幹が不思議なサボテンのように林立している丘の上に”やせっぽち”が差し掛かったとき、木の陰で牛追いの少年が小便をしていた。そこに突然牛の走る音と牛に付けた鈴の音が迫ってくる。”やせっぽち”も観ている観客も不安になるが、結局牛の群れは現れない。実にシュールな場面だった。

 これには伏線があって、”やせっぽち”は教室である字の説明を最後にする。日本語にはない字だが、牛という字の下に水と書く字だ。どういう意味の字かはっきりしないが、牛にとっては塩が貴重で、人間が小便をするとそれを飲みに来るという話をする。実はその字はもっと前からでてくる。”やせっぽち”が教科書の文を黒板に書いたところ、その中に王福に読めない字が二つあり、その一つがこの字だったのである。その時なぜか”やせっぽち”はこの字だけを消してしまう。想像するに、それは何か「なくてはならない大事なもの」を意味する字なのではないか。”やせっぽち”は最後にそれを生徒たちに伝えたかったのだろう。

<中国映画マイ・ベスト30>
「標識のない川の流れ」(1983)  ウー・ティエンミン監督
「黄色い大地」(1984) チェン・カイコー監督
「黒砲事件」(1985) ホアン・チェンシン監督
「大閲兵」(1986) チェン・カイコー監督
「紅いコーリャン」(1987)  チャン・イーモウ監督
「子供たちの王様」(1987)  チェン・カイコー監督
「芙蓉鎮」(1987) シェ・チン監督
「古井戸」(1987) ウー・ティエンミン監督
「菊豆」(1990)  チャン・イーモウ監督
「紅夢」(1991)  チャン・イーモウ監督
「心の香り」(1992) スン・チョウ監督
「さらば、わが愛 覇王別姫」(1993)  チェン・カイコー監督
「青い凧」(1993) ティエン・チュアンチュアン監督
「活きる」(1994)  チャン・イーモウ監督
「女人、四十」(1995) アン・ホイ監督
「宋家の三姉妹」(1997) メイベル・チャン監督
「始皇帝暗殺」(1998)  チェン・カイコー監督
「スパイシー・ラブスープ」(1998) チャン・ヤン監督
「きれいなおかあさん」(1999) スン・ジョウ監督
「山の郵便配達」(1999)  フォ・ジェンチイ監督
「あの子を探して」(2000)  チャン・イーモウ監督
「初恋のきた道」(2000)  チャン・イーモウ監督
「鬼が来た!」(2000) チアン・ウェン監督
「思い出の夏」(2001) リー・チーシアン監督
「涙女」(2002) リュウ・ビンジェン監督
「小さな中国のお針子」(2002) ダイ・シージエ監督(フランス)
「ションヤンの酒家」(2002) フォ・ジェンチイ監督
「至福のとき」(2002) チャン・イーモウ監督
「HERO」(2002) チャン・イーモウ監督
「わが家の犬は世界一」(2002) ルー・シュエチャン監督

2006年3月27日 (月)

最高の映画資料「ぴあシネマクラブ」

033801   今日「ぴあシネマクラブ」の外国映画編と日本映画編を買ってきた。合わせて7400円。決して安い買い物ではない。いや、高い買い物だと言うべきだろう。映画の情報がぎっしりと詰まった分厚い冊子で、金もかかるが場所もとる(何年か前までは邦画と洋画が1冊に入っていた)。それでももう10年近く毎年買い替えている。インターネットでかなりの情報は手に入るが、やはりこのような紙媒体も手元に置いておくと便利だ。何が便利かというと、本体が充実していることもさることながら、巻末についている監督、男女優、脚本家、カメラマン等のフィルモグラフィーが実に便利なのである。監督や男優、女優等のリストとしても使える。特に洋画の場合は原題が国別に載っているので、原題を調べるだけではなく、国別にどんな映画があるかを調べるのに便利なのである。「世界中の映画を観てみよう」をモットーに掲げている僕にとってはこれが実に有用だ。かなり高価なものなのであまり人には薦められないが、毎年買わないまでも一度買っておくと便利ですよ。

  僕は毎年買い換えたときに古いものを人にあげています。行きつけのレストランのマスターで、毎月そこで映画の会(メンバー6人)を開いている。その時にこれがあると実に便利なのだ。何せみんな年だから人名やタイトルがなかなか出てこないことがしょっちゅうある。「え~と、彼女なんてったっけ。ほらあの金髪の女優だよ」って、それで分かるわけないだろ。悲しいことにこの連発である。「何に出てた人だよ」と聞けば、今度はタイトルが出てこない。まるでなぞなぞのような事態と相成る。その時これがあればすっきりするというわけ。

 僕の場合、映画や音楽の情報は基本的にインターネットではなく雑誌から得ている。僕が毎月欠かさず買っている雑誌は「DVDでーた」、「レコード・コレクターズ」、「ミュージック・マガジン」、「CDジャーナル」の4誌。記事は基本的に読まない。俳優やアーティストの個人情報には一切関心がない。新作情報とレビューだけが目当て。「スイング・ジャーナル」は毎年年末に出る1月号だけ買う。「完全データブック」という年間のレコード評を1冊にまとめた別冊子が付録で付くからである。これさえあれば十分。「キネマ旬報」も2月5日発売のベストテン号だけ買う。本の場合は「これから出る本」という無料の冊子と新聞が情報源。それと「ブックスケジュール」という無料ソフトも時々使っている。関心のある作家名や漫画のシリーズ名などを登録しておくと、1月先くらいまでの発売日がチェックできる。これ便利です。

  ネットに切り替えればだいぶお金の節約にもなるのだが、何せ長年の習慣だから半分惰性で買い続けている。音楽雑誌などは、以前は「FM fan」を買っていたが、何誌もあったFM雑誌は90年代末ごろに全滅。そのたびに別の雑誌に乗り換えてきた。変わらず買い続けているのは「レコード・コレクターズ」だけだ。音楽雑誌はジャリたれ相手のものが多いので取り上げている新譜をよく吟味して選らばなければならない。

 今買い続けている漫画のシリーズは「20世紀少年」、「プルートゥ」、「バガボンド」、「蟲師」、「平成釣りキチ三平」、「カバチタレ」、「イリヤッド」、「アタゴオルは猫の森」、「愛・・・しりそめし頃に」、「美味しんぼ」、「決定版カムイ伝全集」。作家としては、ますむらひろし、星野之宣、谷口ジロー、花輪和一、石川サブロウ、水木しげる、大友克洋、白土三平、つげ義春、諸星大二郎、浦沢直樹。手塚はほぼ欲しいのはそろえた。最近の発見はこうの史代。女性向だがなかなかいい。朝日新聞の日曜日に読書欄が載るが、漫画紹介の記事が常設されているので役に立つ。ちくま文庫も要チェック。「寺島町奇譚」を始め滝田ゆうの作品が何冊か入っている。

 何のかんのといってもただチェックするだけでは漏れもある。一番いいのはとにかく足しげく書店、レンタル店、中古店等に通うこと。こんなものが出てたのかという発見が結構あるものだ。東京中の古本屋と中古レコード店を歩き回っていた頃からもう30数年。いまだにラウンド(中古店めぐり)を続けている。僕のコレクター人生は一生続くんだろうなあ。

2006年3月26日 (日)

タンポポ

kamuro1 1985年 日本
脚本:伊丹十三
監督:伊丹十三
撮影:田村正毅
音楽:村井邦彦
美術:木村威夫
出演:山崎努、宮本信子、役所広司、渡辺謙、桜金造
    安岡力也、加藤嘉、大滝秀治、 黒田福美、村井邦彦
    松本明子、大友柳太朗、池内万平、野口元夫
    嵯峨善兵、 成田次穂、田中明夫、高橋長英
    橋爪功、岡田茉莉子、久保晶、 里木佐甫良、MARIO ABE
    加藤賢崇、高木均、二見忠男、洞口依子、藤田敏八、篠井世津子
    横山あきお、原泉、津川雅彦、中村伸郎、井川比佐志

  「お葬式」に続く伊丹十三の監督2作目。タンクローリーの運転手が、さびれたラーメン屋を立て直し、町一番の店にしてまた去ってゆくまでを描いている。タンポポとは店の女主人の名前であり、またそこから取った店の名前でもある(元は「来々軒」というありがちな名前だった)。ふらりと現れた風来坊が店の再生に一肌脱ぎ、また去ってゆく。併せて淡い女主人との恋がつづられる。まるで「シェーン」のような展開だ。伊丹十三の言葉を借りれば「ラーメン・ウェスタン」。公開当時結構評判になったのでこの程度は知っていた。しかしタイトルがあまり魅力的ではなかったのか、「タンポポ」は今まで観ていなかった。

  「お葬式」(1984年)、「タンポポ」(1985年)、「マルサの女」(1987年)、「マルサの女2」(1988年)、「あげまん」(1990年)、「ミンボーの女」(1992年)、「大病人」(1993年)、「静かな生活」(1995年)、「スーパーの女」(1996年)、「マルタイの女」(1997年)。「静かな生活」以外はすべて観た。どれもエンターテインメントとしてよくできている。こう並べてみると挑発的なタイトルが多く、「タンポポ」だけが確かに地味である。今頃「タンポポ」を観たくなったのは、友人が伊丹十三作品では「タンポポ」が一番いいと言ったからだが、それ以上に『ヨーロッパ退屈日記』(「パニのベランダで伊丹十三を読みながら」参照)、『女たちよ!』 、『再び女たちよ!』の3冊のエッセイ集を読んだからである。とにかく彼のエッセイは面白い。彼がとんでもないこだわり人間、薀蓄人間であることを知ったのはこれらのエッセイを読んでからである。日本人には使いにくいダンディという形容詞が似合う人で、料理もうまい。その彼が作った「ラーメン映画」なら面白いはずだ。そう思ってしばらく前から借りてくる機会をうかがっていたのである。どちらかというと「マルサの女」や「ミンボーの女」のドスの利いた宮本信子が好きなのだが、この映画もよかった。

  ついでに予告をしておくと、ちょうど今観たい新作DVDがなくなったので(「NANA」はいつもレンタル中)、4月までは自前のライブラリーから懐かしい作品を中心に選んで観ようと考えている。「黒いオルフェ」、「本当のジャクリーヌ・デュ・プレ」、「子供たちの王様」(チェン・カイコー監督)、「ザ・フロント」、「パッション・フィッシュ」、「ミツバチのささやき」、「山の郵便配達」、「わが心のボルチモア」辺りが現在の候補。「日曜日には鼠を殺せ」はその第1弾だった。もっとも、どれを観るかはそのときの気分しだいなので、どうなるか分からない。

  先のことはともかく、「タンポポ」はまず納得の行く出来。楽しめた。意外だったのは主筋に関係のない様々な食べ物に関するエピソードが挿入されていたこと。最後に全員ラーメンを食べに来るのかと思っていたが、まったく最後まで関係のないまま。昨今は複数の筋が互いに絡まりあう展開の映画が多いので、逆に新鮮だった。伊丹十三らしい遊び心。ラーメンの具のようにそれぞれのエピソードが自分の味を主張しあっている。それを麺とツユに当たるメイン・ストーリーと一緒にご賞味下さい、ちゃんと一つに解け合って絶妙な味になっています、ということか。

  何と言っても伊丹十三の持ち味はその軽妙さにある。意外にも薀蓄はそれほど傾けていない。メイン・ストーリーに絡む登場人物は、ラーメン屋の女主人タンポポ(宮本信子)、タンクローリーの運転手ゴロー(山崎努)とガン(渡辺謙)、お助け隊のショーヘイ(桜金造)、ピスケン(安岡力也)、センセイ(加藤嘉)。「シェーン」で言えば、山崎努がアラン・ラッドの役で宮本信子がジーン・アーサーに当たる。ブランドン・デ・ウィルデに当たるターボー(池内万平)という子役もいる。ただジーン・アーサーの夫ヴァン・ヘフリンに相当する役はない(すでに亡くなっているという設定)。ライカー一味が雇った殺し屋ジャック・パランスに当たるのが安岡力也なのだろうが、こちらは大喧嘩をして逆に仲良くなってしまうという「静かなる男」(ジョン・フォード監督)のパターン。ヴィクター・マクラグレンと同じ大男なので、案外意識した配役かも。最後に去ってゆくゴローとガンを見送るのはタンポポではなくこのピスケン。ただし野太い声で「ゴロー、カムバ~ック」と叫んだりはしない。タンポポを助ける助っ人がだんだん集まってくるあたりは「七人の侍」のパロディか。他にも色々パロディを忍ばせているのだろうが、そんな詮索はマニアに任せておけばいい。そんなことを知らなくたって十分楽しめる。

  「ラーメン・ウェスタン」を標榜しているが、基本的にはコメディ映画である。メインのストーリーはあるが、全体にエピソードの寄せ集め、積み重ねで構成されている。タンポポの味修行は意外にあっさりとしか描かれない。体力づくりと称して水を入れた大なべを何度も運ばせたり、マラソンしたり、なんだか「ロッキー」みたいだ(笑)。味そのものは他の店から盗んでくる。特に愉快なのはスープのだしを盗むシーン。金で買い取ろうとするがとんでもない額039195 を吹っかけられる。同じ店の男が安い値段でいいからと声をかけたので承知すると、なんと連れて行かれたのが隣の店。どんどん店の奥に入って行き、暗がりに入って行くのでタンポポが不安になって逃げ出そうとすると、男は小さな隙間を指差し、ここから覗けと言う。見るとラーメン屋の主人が出汁を作っているところだ。まあ、こんな感じで、味修行といってもほとんど他の有名店を食べ歩くのが主。時々策略を弄してコツを聞き出す程度。味にうるさいオヤジを助っ人として集めたといっても特に調理の指導をするわけではない。実際にやったのは店の改装とタンポポの衣装や髪型を変えた程度。結局はタンポポ自身がいい味を引き出せるようになるしかないというわけだ。

  もちろん伊丹十三のことだ、いくらでも蘊蓄をテンコ盛りにできただろう。そうしたい誘惑もあったに違いない。それをあえて抑え、蘊蓄の代わりに一口コントのようなエピソードを寄せ集めたのが成功したといえる。見事な味付けのさじ加減だった。『ヨーロッパ退屈日記』に現地で拾ってきたたくさんの小話が出てくる。まさにそういう感じ。奇想天外な展開である。一番すごいのは大滝秀治がぜんざいのもちをのどに詰まらせるところ。すかさずタンポポが電気掃除機を持ち出し、ホースを口に突っ込んでもちを吸い出す!「そこまでやるか?!」というくらいとんでもない映像だった。

  だから、面白いのはむしろ脇筋の方だ。中でも中心になり何度も出てくるのは白服の男とその愛人のエピソード(役所広司、黒田福美)。二人で卵の黄身を何度も口移しにするシーン、あるいは洞口依子(まだ子どもだ!)が取ってきた牡蠣を役所広司が食べるシーン(貝で唇を切って血が出る)などは実にエロティックである。開いた牡蠣の上に赤い血が一滴したたるところは強烈な映像だった。最後に銃で撃たれ血まみれになって死んでゆくが、死ぬ前に食べ物のことを口にするところが可笑しい。

  他にも、映画館でガサガサ音を立ててポテトチップスを食べるアベック(死語、懐かしい響きだ)のエピソード(村井邦彦、松本明子)、ラーメンの食べ方の本を朗読させ、そのイメージを思い描いている場面(大友柳太朗)、フランス料理のレストランでの接待(橋爪功、加藤賢崇)、焼肉屋の詐欺師(中村伸郎)、レストランでの食事マナー講習会でズルズルと音を立てて麺を食べる話(岡田茉莉子)、歯痛に悩む男(藤田敏八)、スーパーでやたらと商品を突つく老婆(原泉、津川雅彦)、グルメの乞食集団(加藤嘉)、臨終の妻が炒飯を作って死ぬ話(井川比佐志)、そして先ほど触れたもちをのどに詰まらせる老人の話(大滝秀治 桜金造)。エピソードも配役も実に多彩である。特にグルメの浮浪者が調理場に忍び込み、そこですごくうまそうなオムライスを子供に作ってやる場面は傑作だ。鮮やかな手つきでオムライスを作り、不審に思った警備員が覗きに来たときには間一髪逃げ出す。手際のよさと抜群のタイミングは「独裁者」で床屋のチャップリンが「ハンガリー狂詩曲」に合わせて独裁者の髪を刈るシーンを思い出した。曲に合わせて手を動かし、曲が終わると同時に髪を切り終わる。神業だった。「タンポポ」も伊丹監督自らフライパンを握ったところに芸人魂を見た。確かあのオムライスの作り方はエッセイのどれかに書いてあったと思う。

  井川比佐志と妻の話も傑作だ。なぜか井川比佐志が必死に走っている。家に飛び込むと妻が臨終を迎えていた。井川比佐志が妻に「しっかりしろ!そうだ、何か食事を作れ」と呼びかけたら、奥さんがいきなりむっくりと起き上がり、チャーハンを作り始める。作り終えるとばたんと倒れて死んでしまう。ワーワーと泣く子どもを叱りながら親子でチャーハンを鍋からよそって食べる。シュールな話なので泣けはしないが、非常に印象的だった。

  しかしまあ、みんな若いこと。特に役所広司と橋爪功の若いのには驚く。黒田福美も「ロード88」ではすっかりおばさんになっていたが、こちらは若すぎて分からなかった。逆に大滝秀治が変わらないのも仰天もの。また小津映画の常連中村伸郎がすっかり皺だらけの爺さんになって出てきたのにも驚いた。声と話し方は変わらないのですぐ分かった。

  変形オムニバスのような映画だが、まとまりは不思議とよい。食という生活の基本をテーマにすえた映画は意外と少ない。いわゆるラーメンブームはこの後のはずだ。とにかく楽しませることに徹した映画。伊丹十三が映画を作りながら自分でも楽しんでいたであろう事がよく伝わってくる。俳優から監督に転向して成功した人は少なくないが、日本ではまだそれほどいない。父親が伊丹万作という日本映画黎明期の大監督だったという血も感じさせる(作風はだいぶ違うが)。若い母親が赤ん坊に授乳しているシーンをエンディングに持ってきたことにも伊丹十三のセンスを感じさせる。母乳は誰もが最初に味わう「お袋の味」である。食に対する伊丹十三のこだわりが明示されたエンディング。これがまた一つのエピソードになっていると感じられるのがすごい。

« 2006年3月19日 - 2006年3月25日 | トップページ | 2006年4月2日 - 2006年4月8日 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

ゴブリンのHPと別館ブログ

フォト
無料ブログはココログ