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2006年1月1日 - 2006年1月7日

2006年1月 7日 (土)

最近聞いたCDから

若々しいナタリー・コールに酔うpocketwatch3
 ナタリー・コールの「ザ・ソウル・オブ・ナタリー・コール」は70年代の曲をセレクトした初期のベスト版。既に持っている「ナタリ・コール・コレクション」と何曲か重なるが、両方持っていても損した感じはしない。ソウル時代のナタリーは当然のことだが実に若々しい。日本で大ヒットした「ミスター・メロディ」は今聞いてもさすがにいい曲だと思ったが、それだけが突出しているのではなく、どの曲も素晴らしい。

  「アンフォゲッタブル」(91)以降、「テイク・ア・ルック」(93)、「スターダスト」(96)、「スノーフォール・オン・ザ・サハラ」(99)、「ラブ・ソングズ」(01)、「アスク・ア・ウーマン・フー・ノウズ」(02)と、ジャズ歌手として素晴らしいアルバムを連発しているナタリー。どれをとっても傑作ばかり。まさに円熟の境地である。だが、改めて聞きなおして思うが、若い頃のソウル時代の曲もやはり素晴らしい。若々しく張りのある声、見事なリズム感、曲の素晴らしさ、どれをとっても一級品である。最近の黒人女性歌手など及びもつかない。この頃から既にものすごい実力だったことを改めて痛感した。

  アシャンティ、アニタ・ベイカー、アリシア・キーズ、インディア・アリー、エリーシャ・ラヴァーン、カーリン・アンダーソン、キャリン・ホワイト、クリスティーナ・ミリアン、ジョス・ストーン、ジョディ・ワトリー、トニ・ブラクストン、ブランディ、ジル・スコット、ディナ・キャロル、デニ・ハインズ、デボラ・コックス、デブラ・モーガン、ミッシー・エリオット、フェイス・エヴァンス、メイシー・グレイ、モニカ、ローリン・ヒル。この10年くらいでずいぶんいろんな人が出てきたが、この中でナタリー・コールに匹敵する人がどれだけいるだろうか。ソウルというよりもブラコン寄りで、僕の好みからすると少し軽い人が多い。

  もちろん優れたものも少なくはない。この半年くらいに聞いたものでは、ショーラ・アーマの「スーパーソニック」、「マッチ・ラブ」、フェイス・ヒルの「フェイス」、カーリーン・アンダーソンの「ブレスト・バードゥン」、アンドレア・マーティンの「ザ・ベスト・オブ・ミー」、ケリー・プライスの「ミラー・ミラー」などは傑出した出来だ。

カーラ・ブルーニ「ケルカン・マ・ディ」
  元スパーモデルから歌手に転向した人。ファッションに一切関心のない僕には縁のなかった人だ。と思ったら意外なところでつながりがあった。何と彼女の姉はフランソワ・オゾン監督の「ふたりの5つの分かれ路」に出演している女優であり、かつ「ラクダと針の穴」では監督もしているヴァレリー・ブルーニ=テデスキだった。とにかくものすごい富豪の娘で、イタリア生まれのイタリア人だが、6歳からはフランスで育ったようだ。

  デビュー・アルバム「ケルカン・マ・ディ」はフランスで大ヒットし、ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジークで女性グループ/アーティスト部門の大賞を受賞した。ギターの弾き語りで歌ったシンプルな曲を集めている。12曲中10曲が彼女自身の作詞・作曲である。いわゆるシンガー・ソングライターだ。珈琲を飲み、新聞を読みながら聞いていたときは、何となくスペイン語で歌っているような感じがした。よく聞くとフランス語なのだがスペインの歌の様な響き、あるいはボサノバの様な感じもある。時にはジャジーなフィーリングさえ混じる。ギター一本で歌うフランス語の歌はあまり聴いたことがないので不思議な味わいだった。フォーク寄りのスザンヌ・ヴェガともまた違う味わい。

  本人は女性ヴォーカルが好きらしく、小さい頃はミーナやオルネラ・ヴァノーニ(なつかしい!)などを聞いて育ち、大人になってからはベッシー・スミス、リッキー・リー・ジョーンズ、バルバラ、エミルー・ハリス、ドリー・パートン、バーブラ・ストライサンド、ビョークなどが好きらしい。あまりに範囲が広いので彼女の音楽性を説明するには役立たない。むしろ、このアルバムのコンセプトは何かと聞かれてカナダの御大レナード・コーエンの名を出していることの方が暗示的である。弾き語りで淡々と歌うスタイルは確かに似ている。解説ではノラ・ジョーンズ、ジョルジュ・ブラッサンス、セルジュ・ゲンズブールなどの名も挙げられている。なるほど確かにどこか通じるものがある。アメリカの音楽の様な盛り上がりには欠けるが、内省的で柔らかいサウンドと歌は実に聴きやすい。かといって癒し系というほどやわでもない。おすすめです。

最近のお気に入りCD
  ついでに最近(ここ数ヶ月)聞いたものでよかったものを挙げておく。同じシンガー・ソンガライター系ではジェス・クラインの「ドロウ・ゼム・ニアー」やデヴィッド・グレイの「ア・ニュー・デイ・アット・ミッドナイト」がいい。ケルト系ではスコットランドの女性歌手シイラ・ウォルシュの「ホープ」、チーフタンズの「ダウン・ジ・オールド・プランク・ロード」、ソーラスの「ソーラス」がおすすめ。

  イギリスのトラッド/フォークではコンピレイション「ザ・ハーヴェスト・オブ・ゴールド~イングリッシュ・フォーク・アルマナック」とフェアポート・コンヴェンションの「ハウス・フル」。フェアポート・コンヴェンションの傑作群が紙ジャケで手に入るようになった(代表作はほとんどゲット)のはうれしい。イギリスの女性ヴォーカルではサラ・ジェーン・モリスの「リーヴィング・ホーム」が出色。ロック系ではコンピ「コンサート・フォー・ジョージ」とニール・ヤングの「アー・ユー・パッショネイト?」。最近のニールはどれも傑作だ。

  このところジャズ・ヴォーカルで新しい才能がどんどん伸びてきている。最近聞いたものではステイシー・ケントの「ドリームズヴィル」、ニーナ・フリーロンの「リッスン」がよかった。ジェーン・モンハイトの「イン・ザ・サン」、シェリル・ベンティーンの「ザ・ライツ・スティル・バーン」、中国に行ったとき約300円で買ってきたノラ・ジョーンズの「フィールズ・ライク・ホーム」も悪くない(1作目より格段に良い)。ヴォーカル以外ではキース・ジャレット「インサイド・アウト」、ハリー・アレン「ドリーマー」、アーチー・シェップ「トゥルー・バラード」。キース・ジャレットも出すCDはすべて傑作だ。

  とまあこんなところだが、なにせCDは中古でしか買わないので最新のものはない。もっとも、最新ベストテンなど一切関心がないので、それで一向に差し支えない。これまでも、これからもこの調子で行く。ただ、この1、2年パソコンからダウンロードして音楽を聴く傾向が広まっているせいか、中古に出るCDが極端に少なくなった。ほしいものと出会うことが滅多になくなったのは残念である。もうCD時代は終わりが近いのかもしれない。店頭で見つけることは困難なので、アマゾンで根気よく探すしかない。そういう時代になってしまった。なお本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」の「miscellany」コーナーに「お気に入りCD一覧」を挙げてあります。「エッセイ」コーナーには「音楽との長い付き合い」というエッセイもあります。

2006年1月 5日 (木)

便利フリーソフト「映画日記」紹介

mado01bw  映画ファンにとって便利な「映画日記」というフリーソフトを紹介します。自分が観た映画を整理し、個人用のデータベースを作るのに最適な無料ソフトです。「窓の杜」、「vector」、「gooダウンロード」などで簡単にダウンロードできます。映画の基本的情報(製作年、製作スタッフ、キャスト、ジャンル、観た日付、俳優等の個人情報)やコメントなどが書き込めます。画像も付けられます。人物別に観た映画の一覧を出せる機能、それを多い順に並べる機能(どの監督・俳優の映画を一番多く観ているかすぐ分かります)など、検索・統計機能もついています。年毎に見た本数と登録されている映画の総数も一目で分かるようになっています。

  僕は71年から現在まで手書きの映画ノートをつけていて、3000本以上の映画が記録されています。これはこれで貴重な資料なのですが、検索が面倒です。いちいち古いノートを引っ張り出してこなければなりません。このソフトを使えば検索は一発ですのでその点は非常に便利です。ただ、面倒なのは過去に見た映画の情報を手入力しなければならないことです。2000年代から初めてやっと87年まで来ましたが、入力できたのはおよそ1500本。まだ半分残っています。いつ終わるのかも分からない気の遠くなるような作業。入力し始めてから既に2年はたっています。最初のうちは毎日入力していたのですが・・・。まあ気長にやります。

  こういうソフトですのでまめな性格の人でないと続かないかもしれません。ただ、手書きでメモを取るよりもずっと楽ですし、ブログを書いている人ならブログの記事をそのままコメント欄にコピーするだけですので手間はかかりません(あるいは逆にこちらを先に書いて、それをブログにコピーしてもいいでしょう)。バックアップにもなります。既にたくさん観ている人は新しく観た映画だけを記録するといいかも知れません。

追記
  なお、パソコンの場合まめにバックアップをしておくことが必要です。これを怠ると思わぬ故障の時に大事なデータを失ってしまいます。参考までに、僕のやっている方法をご紹介します。

  まずバックアップ先は外付けのハードディスクにしています。これだとパソコンそのものが壊れてもハードディスクのデータは残るので安全です。普段ははずしていて、バックアップのときだけつないでいます。バックアップは「かばくんバックアップ」というフリーソフトを使っています。これは最初に設定をしておけば、あとはボタンを1回押すだけでバックアップができるという超簡単ソフトです。時間も1、2分しかかかりません。しかも同期ができるのがうれしい。同期とはコピー元とコピー先が完全に同じものになることです。普通のバックアップは新しく付け加えられたファイルをコピー先に追加する仕組みです。したがって元のファイルでいらなくなって消したものも、コピー先にはゴミのように残ってたまっているわけです。同期するとコピー先の不要ファイルも消してくれます。もちろん安全のために元では消したファイルをコピー先には残しておきたければ、バックアップを選択するといいでしょう。同期かバックアップかはボタン一つで切り替えられるので簡単です。

  僕の場合マイ・ドキュメントごとバックアップしています。「映画日記」はプログラム・ファイル(普通ソフトをダウンロードするとここに収納されます)ではなくマイ・ドキュメントに移してあるので、ソフトごとコピーしていることになります。こうしておけばパソコン内の「映画日記」ソフトが破損しても、外付けハードディスクに同じものがソフトごと残っていますので、それを逆にパソコンにコピーしてやれば復活できます。恐らくこれが一番安全なのではないでしょうか。他にも「そら日記」など毎日更新しているソフトはマイ・ドキュメントに入れてあります。ハードディスクならマイ・ドキュメントどころかCドライブ全体をバックアップすることも出来ますから、そうしてもいいと思います。マイ・ドキュメントだけだとハードディスクの一部しか使いませんから、ガラガラでもったいないですからね。そうしておけば、パソコンがだめになった時でもダウンロードしてきたフリーソフトなどをいちいちダウンロードしなおす必要がないので便利でしょう。

2006年1月 4日 (水)

正月に読んだ本

tenkiyuki  あけましておめでとうございます。ブログを作って初めての正月を迎えました。開設して4ヶ月たちます。今年もよろしくお願いいたします。
  正月中は一本も映画を観なかったので、今回はとりあえず正月に読んだ本のことを書きます。

      *       *       *       *
  帰省中は連日飲み過ぎてどうにも映画を観に行く気分にならないし、テレビは箱根駅伝くらいしか見なかった。実家に帰る途中で東京を通るのだが、行きも帰りも東京で映画を観て行く気力がなかった。われながら情けない。

  代わりにずっと本を読んでいた。行きの電車の中で『宇宙戦争』を読んだ。驚いたことにほとんど忘れていた。パニックの描写など確かな描写力に改めて驚く。さすがに一流の作家だ。トライポッドの上に乗っている部分がアルミニウム製だろうと書いてあるのには笑ってしまった。7、8台イギリスに飛来した中で一台だけ砲弾が当たって破壊されるが、バリアーも張ってなくアルミニウム製じゃまともに当たればそりゃひとたまりもないだろう。せめて超合金ぐらいにしてほしいところだが、何せ100年以上も前の小説だから仕方がないか。それからトライポッドという訳語は出てこない。原作ではそうなっているのだろうか。昔創元文庫で読んだジョン・ウィンダムの『トリフィッド時代』というSF小説を思い出した。トライポッドもトリフィッドも三本足という意味である。それはともかく、宇宙人の巨大戦闘マシーンが今の感覚からするとさすがにしょぼいのだが、小説としては今読んでも十分通用する。小説としてしっかりしている証だ。

  帰りの電車ではネビル・シュートの『パイド・パイパー』を読んだ。まだ3分の1ほど読んだだけだが期待以上に面白い。なかなか感動作である。ネビル・シュートはこれまたSFの名作で映画も有名な『渚にて』の作者である。解説によると20を超える作品を残しているが、翻訳はわずか5作しかないそうだ。文庫が出てすぐ買ったのだが、ずっと読まずにいた。今回読んでみたのは「ストレイト・ストーリー」の影響である。どちらも老人が主人公なのである。どうも読む本まで映画の影響を受けている。ホームページだけの時はまだしも、ブログを作ってから生活がすっかり映画中心になってしまった。それはともかく『パイド・パイパー』は第二次大戦がはじまって間もない頃にフランスのジュラに来ていたイギリス人の老人ハワードが、いよいよフランスも危ないとなってイギリスに脱出するまでを描いている。戦況が日に日に悪くなり彼がいる田舎町にまで軍隊が押し寄せてくるが、皆ぐったりと疲れていて士気が低い。パリすら守りきれるか危ぶまれる状況だ。このあたりの状況はフランス映画「ボン・ヴォヤージュ」にも出てくる。

  そんな混乱のさなかハワードは何とか港まで出てイギリスに戻ろうとする。しかし同じイギリス人の夫婦から子供を二人預かっている。親はスイスに残り国際連盟の仕事を続けなければならないので、せめて子供たちだけでもイギリスに避難させたいと頼み込まれたからである。さらに途中泊まったホテルでもメイドの姪を同じように預けられてしまう。さらにまたバスがドイツ軍の戦闘機に襲撃された時、両親を殺され呆然としている男の子をやはり放っておけずに連れてゆくことになる。今のところこれだけだが、もっと増えるかもしれない。先が思いやられる道中である。混乱期のリアルな描写が見事であるばかりではなく、親との別れや迷いつつも一旦思い切ったら毅然として行動に出るハワードの行動がまた感動的である。先を読むのが楽しみだ。

xmastree  もう一冊帰省中に読んでいた本がある。以前ブログにも紹介したハリー・ポッターシリーズの最新号『ハリー・ポッターとハーフ・ブラッド・プリンス』である。紹介文を書いた直後からブログが忙しくなり、4分の1ほど読んだところで放って置かれていた。帰省中は暇なので読もうと思ってかさばるにもかかわらずもって帰った。ほとんど外にも出ずに読んでいたのだが結局半分ぐらいまでしか行かなかった。何せ652ページもある英語の本である。

  今回読んだところはロード・ヴォルデモートに関してかなり詳しく明らかにされるところなので引き込まれた。彼の出生と生い立ち(トム・リドルは父親の名前を取って付けられた)からホグワーツに入学するあたりまで読んだ。ダンブルドア校長はハリーにすべて話すと言っているので、ハリーの両親が殺されたあたりまで詳しく語られるのだろう。前作よりも出来がいいという印象は変わらない。ヴォルデモートに関する謎が明かされるという意味でも、シリーズ全体の中で重要な位置を占める一冊である。なおタイトルの「ハーフ・ブラッド・プリンス」だが、それが誰であるかがもう一つの謎である。ハリーがたまたま教師から手渡された古い魔法薬学の教科書の裏表紙に「ハーフ・ブラッド・プリンス」と書かれている。つまり前の持ち主が「ハーフ・ブラッド・プリンス」だったわけだが、その教科書にはおびただしい書き込みがある。その書き込みには教科書に載ってないコツが書かれており、そのおかげで何とハリーは教科書に書かれていることにこだわるハーマイオニー以上の成績を収めることになる。ロード・ヴォルデモートをめぐる謎と「ハーフ・ブラッド・プリンス」とは誰かという謎が後半で交差してゆく展開になると思われる。読むのが楽しみだ。今度は中断することなく、映画を観る時間を削ってでも最後まで読んでしまおう。

  ただ、英語は易しいのだが思うようにはかどらない。昼間テレビに飽きた時と夜中しか時間が取れない。しかも僕の寝る部屋は小さな電気ストーブしかない。寒くて長く読んでいられない。 とにかく家中が寒いのだ。上田より寒い。もちろん気温自体は上田のほうが日立より低い。最高気温がマイナスという真冬日もある地域である。問題は家の中の温度である。なんと両親はこの寒いのに暖房もつけずに分厚い服を着こんでコタツだけで過ごしている。よく北海道の人が東京は家の中が寒くて困ると言うが、それと同じである。そこまで節約しなくてもと思うのだが、長年の習慣で抜けないのだろう。暖房もあるのに使わない。家族がそろっている間はさすがにつけるのだが、今日なんか兄弟がみんな先に帰ってしまって僕しかいないので、また消している。家の中にいるのに白い息を吐いて震えているとは情けない。早めに家を出て帰ってきた。家に戻ってストーブをつけて風呂に入ってやっと人心地がついた。ここなら本が読める。

  しかし考えてみると親のことばかり言えない。自分もいまだに携帯を持たず、映画は東京にいる時でも出来るだけ名画座を利用し、もっぱらレンタルDVDで映画をみるようになった今でも新作ではなく旧作料金になってから借りてくる。けち臭いのは親譲りか。つくづく血は争えないものである。

2006年1月 1日 (日)

ストレイト・ストーリー

1999年 アメリカ clip-prim4
監督:デイヴィッド・リンチ
脚本:ジョン・ローチ/メアリー・スウィーニー
撮影:フレディ・フランシス
美術:ジャック・フィスク
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:リチャード・ファーンズワース、シシー・スペイセク
    ハリー・ディーン・スタントン 、ジェームズ・カダー
    ウィリー・ハーカー、エヴェレット・マッギル、ジェーン・ハイツ

 DVDの特典映像に入っているインタビューで、「ストレイト・ストーリー」はこれまでの作品とだいぶ異質だが、観客を怖がらせるより人間愛を描く方向に転換したのかと問われて、デヴィッド・リンチは即座に「ノー」と答えている。いいストーリーだと思ったから取り上げただけで、次はどんな作品になるか自分でも分からないと。いい話が来れば受ける、それだけのこと、「いつもドアは開けておく」と強調していた。「ストレイト・ストーリー」のような作品を作るのは意外だと言われるのには不満そうだ。

  確かに「ストレイト・ストーリー」を観れば、彼がサスペンス・ミステリーものしか作れない監督でないことは明瞭である。メアリー・スウィーニーがNYタイムズに掲載された記事を持ち込んだ時に関心を示したということは、そういう話に共鳴する資質を持っていることを意味する。そうでなければもっと付け焼刃の様な演出になっていただろう。「ストレイト・ストーリー」はデイヴィッド・リンチのもう一つ別の面を知る上で重要な作品である。

  「ストレイト・ストーリー」のストーリーはいたって単純である。主人公のアルヴィン・ストレイト(リチャード・ファーンズワース)は娘のローズ(シシー・スペイセク)と二人で暮らしている。アルヴィンは映画の冒頭でいきなり発作を起こして倒れる。大事には至らなかったが杖を二本使わなければ歩けない。そんなある日10年前に仲違いしたまま音信不通の兄ライルが倒れたとの知らせを聞き、兄に会いに行くことを決意する。だがアルヴィンは目が悪くて車の運転が出来ない。年齢も73歳である。だがなんとしてでも自力で兄のライルのところへ行きたい。そこで考えたのがトラクターでの旅。アイオワ州のローレンスからウィスコンシン州のマウント・ザイオンまで、時速8キロのトラクターでのんびり進む560キロの旅。

  6週間の旅の間に様々な人たちと出会う。最初に出会ったのはヒッチハイクをしていた妊娠5ヶ月の娘。その後も自転車に乗った若者の集団、7週間に13頭もの鹿とぶつかったと半狂乱になって叫ぶ中年の女性ドライバー、途中トラクターが壊れてしまった時に泊めてもらった家の主、一緒に酒を飲みに行ったアルヴィンとほぼ同年配の白髪の老人、トラクターの修理をしてくれた若い双子の兄弟、一緒に焚き火をはさんで語り合った牧師、そして最後に兄のライル。一つひとつの出会いが皆温かい。旅の途中で出会った人たちと語り合うかたちで少しずつアルヴィンの歩んできた人生が明らかになってゆく。この展開の仕方が実に自然で見事だ。

  中でも印象的なのは戦争体験を語り合った白髪の老人との会話である。アルヴィンは酒を断っているのでソフト・ドリンクを飲みながら語り合う。そしてなぜ彼が酒を断っているのか彼は涙ぐみながら語り始める。戦争が終わって国に帰った彼は浴びるように酒を飲んだ。彼がそれほど酒におぼれたのは戦場での悲惨な思い出が原因だった。相手の老人もうなずきながら言う。「大勢酒浸りになった。」その後のアルヴィンの言葉が胸を打つ。「皆忘れようとする。・・・みんなの顔が忘れられない。仲間の顔は皆若い。わしが年を重ねるほど仲間が失ったものも大きくなる。」そしてずっと彼の胸にとげのように刺さっていた大戦中のある出来事を語り始める。恐らくアルヴィンがこれを語ったのはこれが初めてだったのだろう。忘れようにも忘れられない過去のつらい記憶、それは心の重荷となってずっと彼の胸の奥にわだかまっていたに違いない。もうひとりの老人も自分のつらい記憶を語りだす。

  しかしアルヴィンに悲壮感はない。日本映画「ロード88」に比べるとぐっと肩の力が抜けている。「ロード88」のヒロインは難病にかかっていていつ死ぬか分からない不安な状態に置かれている。死期が近いという点ではアルヴィンも同じだ。しかも兄もまた同じ状態なのである。同じ死が目の前にある状態でも、「ロード88」の10代のヒロインは生き急いでいる。そのひたむきさに心を打たれる。まだ十分人生を生きていないからである。だが、73歳のアルヴィンは「間に合うだろうか」と心配しつつも、のろのろとしたトラクターの旅にこだわる。トラクターの修理が終わるまで庭先に泊めてもらった家の主人が車で送ろうかと親切に申し出るが、自分でやり遂げたいと断る。「最初の志を貫きたいんだ。」

  アルヴィンの旅の目的は何だったのだろう。もちろん死ぬ前に兄と仲直りしたいという気持ちがきっかけだったのには違いない。しかし、いくら自分で車を運転できないからといっても、ただ兄に会いに行くだけなら他にいくらでも手段はあったはずだ。560キロという距離は車なら1日でも行ける距離だ。だが、アルヴィンは敢えて自分の力で行く道を選んだ。そwmoonsれはなぜだったのだろう。牧師との会話の中で彼はこう語っている。兄のライルと自分はミネソタの農場で育った。「口争いの原因が何であれ、もうどうでもいい。仲直りしたい。一緒に座って星を眺めたい。遠い昔のように。」

  そう、恐らく彼は星を眺めたかったのだ。最初は単に老人の意固地な意地だったのかもしれない。別に車でもよかったのだ。しかしひとりで旅を続け、いろんな人と出会い、自分の過去を振り返るうちに旅それ自体が一つの目的になっていたのではないか。見渡す限りトウモロコシ畑が広がるのどかな景色を眺め、夜にはじっくりと星空を眺める旅。いつしかその旅は人生の旅と重なり合う。来し方を顧み、兄との来るべき再会を夢に見る。ミシシッピー川を越え、兄の住むマウント・ザイオンの近くまで来たアルヴィンは涙ぐんでいる。出発した頃はそうではなかったはずだ。つまらない仲たがいを悔い、いま残り少ない人生を思った時、兄とすごした子どもの頃、互いに星空を眺めていた仲のよかった頃を思い、あの頃の二人に戻りたいという真剣な思いがしだいに募っていったのに違いない。ただ一緒に星空を見上げたいがために、純粋にそれだけのために兄に会いたい。そういう気持ちになったのだろう。自分の気持ちを整理するために時間が必要だったのである。

  星空を眺めるということはもっと比喩的意味も含んでいる。星を眺めるとは自分の人生を見つめなおすことにも通じる。生き急いでいる人間にゆっくりと星空を眺める余裕はない。「ロード88」のヒロインのように難病で明日をも知れぬ場合でなくても若い頃は皆そうなのだ。わき目も振らず走り続けてきた人間はその過程で通り過ぎてきた多くのものを見落としてきた。走っている自分さえもたびたび見失っていただろう。いま、ゆっくりと人生最後の旅をしながら、アルヴィンは初めて会った人たちと話を交わし、自分を語りながら自分を見つめなおす。そしてその旅の終点に兄がいるのである。車で1日で行ってしまったのではそれが出来ない。星空を眺めている時間がない。そう、これはジェットコースター・ムービーの対極にある、究極の観覧車ムービーなのである。何もない地平を眺め、人の優しさとぬくもりを感じる旅、今まで気付かずに見落としていたものを再発見する旅。それがストレイトの旅だった。

  余談になるが、この映画を観て、老人(というより老女)の一人旅を描いたもう一つの傑作「バウンティフルへの旅」(主演のジェラルディン・ペイジはアカデミー主演女優賞を受賞)を久しぶりに思い出した。いつも壁に向かって一人で話しをしているキャリーは、ある日息子夫婦に黙って自分の生まれ故郷のバウンティフルへと旅立つ。しかし既に故郷へ行く路線は廃線になっていた。仕方なくバスに乗って行くが、バウンティフルという駅は既になくなっている。それでも、途中様々な人と出会い、その親切に助けられ生家まで何とかたどりつく。キャリーの行動は人生からの逃避ではなかった。そこにはむしろ生への前向きでひたむきな姿勢があった。この映画が観るものを感動させるのはそのためである。荒れ果てた生家を見て、後から追いかけてきた息子夫婦と帰る彼女の後ろ姿には、死の影はなかった。

  「ストレイト・ストーリー」に戻ろう。途中で出会った自転車に乗った若者の一人に「年を取って一番いやなことは何?」と聞かれる。アルヴィンは「最悪なのは若い頃を覚えていることだ」と答える。彼の言う「若い頃」には、第二次大戦の苦い、苦しい思い出が交じり合っている。と同時に両親や兄と農場で過ごした楽しかった時期も含まれている。忘れられない過去。彼はその過去を忘れようとして忘れられなかったのである。今ようやく彼はその過去と真剣に向き合い、兄と仲直りすることで重い過去を背負って苦しんできた自分を乗りこえようとしている。

  アルヴィンはついに兄の家に着く。このラストが素晴らしい。兄のライル(ハリー・ディーン・スタントン)が戸口に現れる。二人はしばらく口を利かない。やっとライルが口を開く。「あれに乗っておれに会いに来たのか。」アルヴィンは「そうだ」と答える。二人は腰を下ろし無言で空を見上げる。言葉などいらない。いや、到底言葉では互いの思いを語りきれないのだ。遠い昔のように一緒に座って星を眺めれば互いの思いは伝わる。それでいい。満天の星で始まり満天の星で終わる。見事なラストである。

  次はどんな作品になるか分からないと先のインタビューでデイヴィッド・リンチは語っていたが、結局「ストレイト・ストーリー」の次には従来の路線通りの「マルホランド・ドライブ」を作った。しかし懐の深い彼のこと、いつの日かまた「えっ」と驚くような意外な作品を作ってくるだろう。ドアはいつでも開いているのである。

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