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2006年9月

2006年9月29日 (金)

ゴブリンのこれがおすすめ 28

ジャン・ギャバン(1904-1976)
■おすすめの10本
「ヘッドライト」(1955)
「現金に手を出すな」(1954) Arttmomiji2003w
「港のマリィ」(1949)
「霧の波止場」(1938)
「獣人」(1938)
「大いなる幻影」(1937)
「望郷」(1937)
「我等の仲間」(1936)
「どん底」(1936)
「地の果てを行く」(1935)

■こちらも要チェック
「地下室のメロディー」(1963)
「冬の猿」(1962)
「フレンチ・カンカン」(1954)
「ゴルゴダの丘」(1935)
「白き処女地」(1934)

キャサリン・ヘプバーン(1907-2003)
■おすすめの10本
「黄昏」 (1981)アカデミー主演女優賞
「トロイアの女」 (1971)
「冬のライオン」 (1968) アカデミー主演女優賞
「招かれざる客」 (1967) アカデミー主演女優賞
「アフリカの女王」 (1951)
「アダム氏とマダム」 (1949)
「フィラデルフィア物語」 (1940)
「赤ちゃん教育」 (1938)
「ステージ・ドア」 (1937)
「勝利の朝」 (1933) アカデミー主演女優賞

■こちらも要チェック
「旅情」 (1955)
「大草原」 (1947)

■気になる未見作品
「愛の調べ」 (1947)
「女性No.1」 (1942)
「偽装の女」 (1937)

オーソン・ウエルズ監督(1915-1985)
■おすすめの10本
「フェイク」(1975)
「フォルスタッフ」(1966)
「わが命尽きるとも」(1966、出演)
「審判」(1963)
「黒い罠」(1958)
「オセロ」(1952)
「上海から来た女」(1947)
「ストレンジャー(ナチス追跡)」(1946)
「偉大なるアンバーソン家の人々」(1942)
「市民ケーン」(1941)

ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901-1974)
■おすすめの10本
「悲しみの青春」 (1971)
「ひまわり」 (1970)
「アルトナ」 (1963)
「昨日・今日・明日」 (1963)
「ふたりの女」 (1960)
「屋根」 (1956)
「ウンベルトD」 (1951)
「ミラノの奇蹟」 (1951)
「自転車泥棒」 (1948)
「靴みがき」 (1946)

■こちらも要チェック
「ああ結婚」 (1964)
「ロベレ将軍」 (1959、出演)
「終着駅」 (1953)

黒澤明監督(1910-1998)
■おすすめの10本
「赤ひげ」(1965)
「天国と地獄」(1963)
「椿三十郎」(1962) Arttonbo1250wc
「用心棒」(1961)
「蜘蛛巣城」(1957)
「七人の侍」(1954)
「生きる」(1952)
「羅生門」(1950)
「野良犬」(1949)
「酔いどれ天使」(1948)

■こちらも要チェック
「まあだだよ」(1993)
「デルス・ウザーラ」(1975)
「隠し砦の三悪人」(1958)
「素晴らしき日曜日」(1947)
「わが青春に悔なし」(1946)

今井正監督(1912-1991)
■おすすめの10本
「仇討」(1964)
「武士道残酷物語」(1963)
「キクとイサム」(1959)
「米」(1957)
「純愛物語」(1957)
「真昼の暗黒」(1956)
「にごりえ」(1953)
「どっこい生きてる」(1951)
「また逢う日まで」(1950)
「青い山脈」(1949)

■こちらも要チェック
「越後つついし親不知」(1964)
「ここに泉あり」(1955)
「ひめゆりの塔」(1953)

■気になる未見作品
「婉(えん)という女」(1971)
「山びこ学校」(1952)

  ジャン・ギャバン、1930年代フランス映画の名作にことごとく出ていた男。そう思えてくるくらい30年代の彼の活躍はすさまじかった。ジャン・マレーもギャバンもあまり演技がうまいとは言われないが、30年代の名作における彼の存在感は演技云々を超える、僕はそう思う。ピエール・ブラッスール、ジャン・ルイ・バロー、ルイ・ジューヴェ等の名優と並べても遜色はない。
  演技派女優といえばキャサリン・ヘプバーンが本命。美男美女ひしめく当時のハリウッドにおいて、決して美女とはいえないキャサリン・ヘプバーンとベティ・デイヴィスはその並外れた演技力でひときわ異彩を放っていた。もうこんな女優たちは現れないだろう。
  監督としてのオーソン・ウエルズに対する僕の評価はそれほど高くない。むしろ神話化されすぎていると思う。「市民ケーン」に対する異常に高い評価が後の彼の創作を相当に制限していたのではないかと思う。カフカに挑んだり、かなり無理をしている。正直言えば、俳優としての彼に親しみを感じる。彼は一級のシェイクスピア役者だ。しかし、そうは言っても独特の境地を開いた異才の監督であることは間違いない。
 ヴィットリオ・デ・シーカはロッセリーニ、フェリーニ、ヴィスコンティと並ぶイタリアの巨匠。極めて庶民的で、温かさとユーモアが持ち味。作品の評価は別にして、僕が一番好きなイタリアの監督はデ・シーカだ。ピエトロ・ジェルミ監督同様、俳優としても一流だった。しかし、それにしても40年代から60年代のイタリア映画の勢いは一体どこに行ってしまったのか。マストロヤンニが死んだ時、僕はイタリア映画も死んだと感じた。かつてフランスと並ぶヨーロッパの2大映画大国だったイタリア映画界の復活を願って止まない。
  黒澤明と今井正。いまさら何も言うことはない、日本を代表する大監督たち。ベストの10本はすべて傑作。50年代は30年代と並ぶ日本映画の最盛期だったが、この二人だけで「キクとイサム」、「米」、「真昼の暗黒」、「にごりえ」、「生きる」と5本がキネ旬の年間ベストテン1位を獲得している。他にも小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男、木下恵介、稲垣浩、山本薩夫、吉村公三郎なども覇を競っていたのだから、ものすごい時代だったわけだ。こんな時代はもう来ないだろう。

2006年9月26日 (火)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(06年10月)

【新作映画】
9月23日公開
 「フラガール」(李相日監督、日本)
 「薬指の標本」(ディアーヌ・ベルトラン監督、仏・独・英)
 「風のダドゥ」(中田新一監督、日本)
 「記憶の棘」(ジョナサン・グレイザー監督、アメリカ)
9月30日公開
 「カポーティ」(ベネット・ミラー監督、アメリカ)
 「涙そうそう」(土井裕泰監督、日本)
 「夜のピクニック」(長澤雅彦監督、日本)
 「そうかもしれない」(保坂延彦監督、日本)
10月4日公開
 「ワールド・トレード・センター」(オリバー・ストーン監督、アメリカ)
10月7日公開
 「六ヶ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督、日本)
10月14日公開
 「16ブロック」(リチャード・ドナー監督、アメリカ)
 「サンキュー・スモーキング」(ジェイソン・ライトマン監督、アメリカ)
 「ハリヨの夏」(中村真夕監督、日本)
10月中旬
 「明日へのチケット」(ケン・ローチ監督、他、英・伊・イラン)

【新作DVD】
9月22日
 「プロデューサーズ」(メル・ブルックス監督、アメリカ)
 「すべてはその朝始まった」(ミカエル・ハフストーム監督、アメリカ)
 「タブロイド」(セバスチャン・コルデロ監督、メキシコ・エクアドル)
 「ステップ!ステップ!ステップ!」(マリリン・アグレロ監督、米)
 「ベロニカは死ぬことにした」(堀江慶監督、日本)
 「好きだ、」(石川寛監督、日本)
 「風の前奏曲」(イッティスーントーン・ウィチャイラック監督、タイ)
10月4日
 「RENT レント」(クリス・コロンバス監督、アメリカ)
 「チェケラッチョ!!」(宮本理江子監督、日本)
10月6日
 「リトル・イタリーの恋」(ジャン・サルディ監督、オーストラリア・英)
 「隠された記憶」(ミヒャエル・ハネケ監督、オーストリア他)
 「ぼくを葬る」(フランソワ・オゾン監督、フランス)
 「ダンサーの純情」(パク・ヨンフン監督、韓国)
10月12日
 「インサイド・マン」(スパイク・リー監督、アメリカ)
 「アンジェラ」(リュック・ベッソン監督、フランス)
10月13日
 「明日の記憶」(堤幸彦監督、日本)
10月20日
 「寝ずの番」(マキノ雅彦監督、日本)
 「グローリー・ロード」(ジェイムズ・ガートナー監督、アメリカ)
 「間宮兄弟」(森田芳光監督、日本)
10月25日
 「ココシリ」(ルー・チューアン監督、香港・中国)

【旧作DVD】
9月22日
 「武蔵野夫人」(51、溝口健二監督、日本)
 「西鶴一代女」(52、溝口健二監督、日本)
9月29日
 「貴族の巣」(69、アンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー監督、ソ連)
 「虹の世界のサトコ」(52、アレクサンドル・プトゥシコ監督、ソ連)
 「サルタン王物語」(66、アレクサンドル・プトゥシコ監督、ソ連)
9月30日
 「アレクサンドル・ソクーロフ DVD-BOX」
 「父 パードレ・パドローネ」(77、パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督、イタリア)
10月12日
 「モ′・ベター・ブルース」(90、スパイク・リー監督、アメリカ)
10月21日
 「メトロポリス」(27、フリッツ・ラング監督、ドイツ)
10月25日
 「ゲット・オン・ザ・バス」(96、スパイク・リー監督、アメリカ)
10月27日
 「溝口健二 大映作品集①1951-1954」

  このラインナップの充実ぶりはどうだ!劇場新作に良さそうなものが結構ある。特にアメリカ映画に注目作が多い。アメリカ映画は完全に復調したようだ。日本映画にも期待できそうな作品が並ぶ。
 新作DVDではタイ映画「風の前奏曲」、中国映画「ココシリ」をはじめ、日本や韓国映画Arttukiusagi2001b を含めたアジア映画に期待作が多いのはうれしい。
  旧作DVDもすごい。溝口のDVDがついに出る。今年最大のプレゼントだ。名作「貴族の巣」をはじめとするソ連映画3作、フリッツ・ラングのサイレント名作「メトロポリス」、「ドゥ・ザ・ライト・シング」と並ぶスパイク・リーの傑作「ゲット・オン・ザ・バス」、タヴィアーニ兄弟の「父 パードレ・パドローネ」と傑作群がずらりと並ぶ。このところの旧作DVD化の勢いは加速度を増してきた。年内に後何が出てくるのか、ぞくぞくするような期待が膨らむ。ボーナスが出たら買い捲りそうだ。

中国旅行記・06②

<食事・レストラン編>

フフホト
  前回書いたように、フフホトでは酒でひどい目にあった。滞在中の半分は体調不良だったのでろくに食事が食べられなかった。それでも二つの貴重な経験をした。一つ目はフフホトに着いた日の夜、初めてモンゴル料理を食べたこと。疲れていたので案内の人にホテPhoto_13 ル近くで食事したいと言うと、本当にすぐ横の羊肉料理の店に案内してもらった。店に入るとすぐプーンと香辛料の匂いがしてきた。以前上田でタイ料理の店に入ったことがあるが、僕には香辛料がきつすぎて美味しいとは思わなかった。不安がよぎったが、案の定、モンゴル料理も香辛料の匂いがきつくて僕の舌には合わなかった。それでもどうしても食べられないというわけではない。
  羊肉料理と言っても日本で言うしゃぶしゃぶのような物だった。鍋の中を二つに仕切って、辛いスープと甘いスープに分けてあるのが面白い。二通りの味を楽しめるというわけだ。辛いほうは本当に辛い。甘いほうでも充分辛い。その鍋に肉や野菜をどんどんぶち込む。最後は乾麺。ものすごい量だが、みんな結構食べた。あの匂いさえ気にならなければ、決して悪くはない。

  フフホトでの一番の思い出は「北国の春」というレストラン。これが素晴らしい。ダウンした翌日でまだ調子が悪かったが、無理してでも行ってよかったと思った(残念ながらデジカメを持っていかなかったので写真がない。右上の写真は「大召寺」前の広場。)
  とにかくものすごく広い。中はいろいろなコーナーに分けられている。植物が仕切り代わりに植えられている。入った瞬間は植物園を連想した。食べる前にまず中を案内された。
  いやあ、すごい発想だ。動物園のように猿やウサギやワニなどの檻がある。その隣はさながら水族館。珍しい魚や大きなエビが入った水槽が並んでいる。これらを囲むように食事をする場所が配置されている。これらの間をつなぐ通路も様々に工夫がされていて、まるで探検隊のような気分だ。
  中を半分ほど見物した後テーブル席に案内された。そこは四方を常緑樹で仕切ってある。ちょうどハリー・ポッター・シリーズ5作目で三大魔法学校の対抗試合の舞台となった迷路のような感じ。天井にはびっしりと小枝がさかさまに吊り下げられている。白く塗られているので冬のようなイメージだ。
  胸のむかつきはまだ収まらず、ここでもほとんど食べられなかった。固形物は野菜しか口に入らず、後はヨーグルトとお茶ばかり飲んでいた。また馬乳酒のイッキ飲みをやってPhoto_18 いたが、半病人の僕だけ許してもらった。食事の後、まだ見ていないコーナーを見物。いかにも中国風の壁で仕切られた一角には中国風の部屋が作らてれおり、その中にもテーブル席がある。別の様式だが、やはり中国風の部屋がずらりと並んでいるコーナーもある。とにかく広い。見て回るだけで楽しい。いろいろ工夫して変化をつけているところが素晴らしい。これは日本に導入しても人気を得ると思った。もっともこれだけの敷地を確保するのは困難だろうが(その分値段も高くなるだろうし)。
  「北国の春」は中国で抜群に有名で、日本の曲というとまずこれが思い浮かぶそうである。また、内蒙古は中国内では北国になるので、その意味も込めて名付けられているらしい。

大連
  今年も「天天漁港」に行った。ただし去年行ったのとは違う店舗。大連に5、6軒あるようだ。言葉が通じないので大変だったが、漢字を紙に書いたりして何とかなるものだ。フフホトでは馬乳酒しか飲んでいなかったので、ビールがやけにうまかった。
  2日目はホテルの近くの「老菜館」で現地の人たちと食事会。大衆的だが美味しい店だとのこと。天天漁港と同じようにここも入り口で食材や魚を選ぶ方式。ここでは白酒が出る。アルコール度が36度くらいということなので、馬乳酒と同じくらい強い酒だ(瓶が素敵だったので空き瓶をもらってきた)。充分回復していたので何とか胃はもってくれた。幸いPhoto_14イッキはなし。所変われば習慣も変わる。もてなしの心は同じだが、酒をすすめる強引さが違う。料理はとても美味しかった。
  今年の新しい経験は初めて高級そうなレストランで食事をしたこと(右の写真)。これだけ高級になる と値段が高いだけでなく、料理の量が少ない。しかし日本人には丁度いい量だ。3人ともくたくたで食欲もあまりない。味は悪くなかったが、値段ほどの価値があるとは思えなかった。高級といっても日本人だから払えないわけではない。しかし、こんな高級店よりももっと庶民的な店で食べ残すほどの量を頼むほうが僕らには向いている。メニューだけ見てすいませんといって帰ればよかったかなとも思うが、こんな店には日本ではまず入れないのでいい経験ではあった。

  3日目の夕食はタクシーに乗って海岸近くの店へ行った。途中泊まっているホテルの近くを通ったが、目的地はずっと先だった。なんと山の中へ入ってゆく。かなり遠かった。着いたところは海の近くどころか、まさに海岸べりにある「石槽山庄海鮮飯店」(右下の写真)。ここならうまいに違いない。場所は正確には分からないが、中心街から南西方向に当たる老虎灘景区の海岸沿いあたりと思われる。建物は市場か海の家を大きくした感じ。庶民的で安っぽい作りだ。しかし建物を食べるわけではない。高級店は一回でたくさん。料理がうまければ問題はない。
  入り口に料理の材料や魚(エイもあった)やエビなどが並べてあり、それを見て選ぶ。Photo_15 「天天漁港」や「老菜館」のように大連にはこの手の店が多い。魚は生簀に入っているのではなく台の上に並べられている。海に面した、大きさも形も体育館のようなところが食事をする場所。テーブルがずらりと並べてある。実用性オンリーの実に殺風景な店だ。大連とハルピンのビールを頼む。ずっと青島ビールを飲んでいたので違うのを飲みたかったのだ。ご飯も頼んだが、日本のように茶碗に入れて出てきたのには驚いた。山盛りだった。中国人もこうやって米を食べるのか!同僚の一人がご飯にスープをかけて食べたら、中国人も同じことをやると案内してくれた人が言っていた。これにもびっくり。うまかったが、その日は散々歩いて疲れていたのであまり食べられなかった。

  滞在最後の日。旅順に行った後、食事は大連に戻ってすることにした。案内されたのは「麦子大王」という店。正確な場所は分からないが、中心街から南西方向の西*区長春路にある(*は日本語にない字)。案内してくれた人はせんべいを食べましょうと言っていたが、むしろパンやケーキに近いものだった。麺作りを実演していた。麺といっても日本のような細長いものではなく、太くて短い麺である。大きなパンの塊のような麺の塊を左手に持ち、右手に持ったナイフで麺1本分だけをさっと削り取って鍋に投げ込む。台に置いて同じPhoto_16太さに切るのとは違った野性味がある。しかも削った麺が正確に鍋の中に飛んでゆくのもすごい。見事な技だった。その横では捏ねた小麦粉のようなものを手で引き伸ばす実演もやっていた。これがまた独特のやり方。こちらも台を使わず、両手をぐっと広げて塊を細く引き伸ばし、次に手を狭めて二つに折る。さらには器用にその2本を振ってよじらせる。そのよじったものの両端を持ってまた横にぐっと引っ張って伸ばす。その繰り返し。これもまた練達の技。後で気づいたが、麺をよじるのは、ただ二つに折っただけでは伸ばした時に1本にならないからだろう。ねじってあれば互いにくっついて伸ばせば1本になる。伝統の技ともなればさすがに考え抜かれている。
  前菜や他の料理を入り口近くの見本を見て注文。大連で入った店の多くがこの方式だった。これらの店はサンプルとして置いてあるのは材料で、出来上がった料理そのもの ではない。したがってテーブルに出てきた時には新鮮な驚きがある。あの材料がこんな風に料理されて出てくるのか!この意外性が楽しい。こんなの注文していないぞと一瞬思ったことさえある。完成品のサンプルでは最初から手の内を見せているようなもので、この驚きがない。面白い工夫だと思った。魚などは選ぶ時に、これは煮て、これは刺身になどと料理方法を注文できるのも面白い。もっとも刺身の場合は、日本ほど生で食べる習慣がないからだろう、日本では刺身で食べられるものでもそれはできませんと言われることもある。(左上の写真は労働公園からの眺め。)
  「麦子大王」で出てきた料理はどれも美味しかった。特に例の麺がうまかった。みんな汗びっしょりになって味わった。秋用の服で夏のように暑い大連に来たので、毎日ホテルに戻ってきた時には汗で体中ぐしょぐしょになっていた。秋の長野からそのままの服装で沖縄に行ったようなものだ。
  その日の夕食は一昨日行った老菜館へまた行ってみた。滞在7日目ともなるとみんな疲れているので、遠くまで食べに行く気力がないからだ。入るとすぐ何人かの視線を感じる。一目で日本人と分かるようだ。あちこちで「日本人だ」と中国語で言っているのが聞こえる。ここは子供連れで家族そろって食べに来るような店なので、昨日のように特別席ではなく一般席で日本人が食べて行くのは珍しいのだろう。食欲もあまりないので、3人でビールを5本と料理を4皿食べただけ。しかも主食抜き。頼んだ料理が少ないから、常時1Photo_17 皿か多くても3皿しかテーブルに並んでいない。ほとんど料理を頼まず、ビールばかり飲んでいる印象の日本人。中国ではテーブルに置ききれないほどの料理を頼み、大量に残飯を残して帰る。食べきれる量だけ頼んで残さず食べる日本人とは根本的に考え方が違う。一人で食べに行ける店は思いつかないと中国の人が言っていた。3人いても4皿しか頼まないのでは中国人の目には奇異に映っただろう。食欲のない外国人はコンビニでカップラーメンを大量に買い込んでホテルで食べるしかないのか?(左の写真は中山広場からの眺め。手前の緑色の箱は郵便ポスト。)
  最後に余談を1つ。4皿頼んだが、最後に出てきたのは最初に食べたアサリみたいな味の白い貝だった。実はチャーハンを頼んだのだが、なぜかこれが出てきた。とても美味しかったので2度目の貝料理も全部食べたが、日本人の発音とはいえどうしてチャーハンが貝料理になるのか?まあ、これも面白い経験だった。言葉や習慣は分からなくても、色々経験してみるのは面白い。

2006年9月25日 (月)

中国旅行記・06①

観光編

はじめに
  24日の夕方無事中国から上田に帰ってきました。いやもう疲れました。今年は出来るだけタクシーを使わずに歩いて移動したので、帰ってきたら同僚から顔が細くなったと言わPhoto_4 れました。美味しいものをたくさん食べてきましたので胴回りのほうは保障できませんが。しかしそのおかげで、大連についてはだいぶ地理がわかってきました。また、旅順に行けたのは今年の収穫でした。なぜか土曜日には大連から東京への直行便がないので、その日を旅順観光の日にして日曜日に帰ることにしたからです。
  去年の旅行記は中国事情という内容になりましたので、今年は「観光編」と「食事・レストラン編」の2回に分けて書くことにします。
  この旅行記を書くに際しては、日ごろから「そら日記」というフリーソフトを使って日記を書く習慣をつけておいたのが幸いしました。日記を書く習慣、これはおすすめです。
  なお、今回の中国行はあくまで仕事です。その合間に観光をして食事をしたということですので、くれぐれも誤解なきよう。

フフホト
  フフホトで初日に大失敗。昼食の時に馬乳酒(アルコール度30数度)でイッキ飲みを何Photo_5 度も迫られ、夜またがんがん飲まされてついにダウン。翌日まで尾を引いてしまった。その初日の夕方に現地の方の案内で博物館とお寺を回ったが、朦朧としていたのでほとんど覚えていない(汗)。というわけですので詳しい説明が書けません。写真で我慢してください。
  「内モンゴル博物館」は世界最大の恐竜の骨が展示されていた。ものすごく大きい。恐竜の名前?もちろん覚えていません。それからマンモスの骨もあった。
  お寺は去年も行った「大召寺」だと思うが記憶がはっきりしない。有名な観光地だが二日酔いでふらふらしていたのであまり印象は残っていない。いや、正確には行ったことPhoto_6 すら写真を見るまで忘れていた。 (右の写真はフフホトの街。こんな風に道端でよく人が腰掛けている。)

大連
  フフホトから北京経由で大連へ。大連で泊まった「大連フラマ南山花園ホテル」は素晴らしいホテルだった。超高層の近代的ビルが立ち並ぶ大連では5階建てのホテルは小さく見えるが、瀟洒で派手過ぎないところが良い。見かけの豪華さで客を釣ろうというはったりがない。旧日本人街の近くで、ホテルの周りの雰囲気もいい。
  しかし大連は暑かった。フフホトは17、8度だったが、なんとこちらは30度。フフホトでは半そでシャツに長袖のワイシャツでも午前中は上着が欲しいくらいだったが、こちらは何もしていなくても汗が噴出す。夏服を持ってこなかったので連日汗だくだった。
 ホテルの近くの旧日本人街を毎日歩いて通った。ほとんど新しいきれいな建物に建てPhoto_7 替えられている。しかし人気はない。高すぎて売れないらしい。所々古い昔の建物が残っていてこちらには人が住んでいる。すすけていてボロボロだが、形が凝っていてどことなく風情がある。大連版「同潤会アパート」といったところだが、建物はこちらの方がずっとしゃれている。中でも楓林街がいい。両側の新しい家が美しく、途中に小さな公園があったり屋台が出ていたりしてこのあたりの道の中では一番気に入った。
  またホテルの近くには大きな池を囲むように作られた「児童公園」がある。ここでうれしい発見をした。以前パソコンの壁紙に大連の写真を使っていた。非常に美しい写真で、大連のどこで撮ったのかずっと気になっていた。児童公園を通った時それがこPhoto_8こだと気づいた。今回の旅で出来たらどこなのか見つけたいと思っていただけに、発見できてうれしかった。
  大連はまたチャン・イーモウ監督の「至福のとき」の舞台である。これも行く前に映画を見直しておきたかったが、残念ながらその時間が取れなかった。
  大連に来て3日目の午前中で仕事が終わり、その日の午後はタクシーでテレビ塔へ行った。ここからは市内が見渡せる。坂の途中で前のタクシーが停まっているのでそこで下りるのかと思ったが、そこで切符を買う仕組みになっていた。塔の展望台まではエレベーターで上がる。展望台からの眺めは素晴らしかった。大連の街が一望できる。街中を 歩いている時には見えなかった海も見える。360度眺めてみたが、どこを見ても美しい。日本の街のように雑然としていない。建物に調和が取れている。それでいて変化にもとんでいる。それぞれの一角ごとに違った形と色の建物が並んでいるのだ。ロシアとの関係の深い街なので建物や街並みは西洋的だ。洒落た建物が多い。特に色使いがうまいと思う。旧日本人街すら日本的な雰囲気は皆無。中心部にある旧満鉄病院(左の写真)にも行ったが、ここも赤レンガでできた西洋風の実に立派な作りの建物だ。土台からしてPhoto_9 どっしりとしている。今も現役の病院(現在は「大連鉄路医院」となっている)。こういう古い建物がいたるところに残っていて、超近代的なビルと隣り合っている。様式はすべてヨーロッパ風。そういう街なのだ。山の上を除いて、山の谷あいまで建物が立ち並んでいる。大都会である。
  塔を下りてスキーのリフトと同じもの(二人乗り)で下まで降りる。一人20元。これが楽しかった。一緒に乗った同僚が高所恐怖症で、怖さを振り切るためかずっとしゃべり通しだった。観覧車が右下に見えている。下りると労働公園。射的などのゲーム、観覧車、ジェットコースター、池など色々あって、楽しめそうな公園だった。池のあたりはここだけ異次元のように中国的で、赤く塗った門や東屋のような木造の建造物が目に付いた。公園を歩いていると汗だくになった。通りを渡って大連駅のほうに向かう。去年の旅行記にも書いたが、中国は道が広い上に、車が信号などどこ吹く風で走ってくるので、道を渡るのはほとんど命がけだ。交通量の激しいところでは中国人の若い5人連れが手をつないで横に並んで渡っていた。列から一歩はみ出ても遅れても危険が伴う。すれすPhoto_10 れに車が走ってくるからだ。渡りきれないと車が飛び交う道の真ん中で止まり、隙を見て渡りきる。車が来ていても強引に渡ることもある。何せ片道3車線もある広い道だ。怖くて日本人にはとてもまねできない。中国人は信号が赤でも渡るが、日本人は青でも怖い。合理的なイギリス人は信号が赤でも車がこなければ渡るが、信号を無視してとんでもない方向からびゅんびゅん車が走ってくる中国ではまったく事情が違う。しかも右側通行なので車が反対方向から来るから、慣れないとこれも怖い。
  道を渡るとすぐマイカルがある。その横を通って去年歩いた道に出る。懐かしい。位置関係がだいぶ分かるようになって来た。ものすごい人ごみだった。駅前の地下街に入る。ここも懐かしい。相変わらず人が多く、中は迷路のようだ。大連の人でも迷うそうである。日本語コーナーに行く。日本語を話したい人たちが群がっている。同僚が調子に乗ってしばらく話し込んでいた。
  足が棒のようになっていたので地下街の喫茶店に入る。アイスコーヒーを飲んだ。地上に出て大連駅を確認。勝利公園横の有料トイレにはじめて入る。トイレ横の小屋にいるおばさんにお金を渡すとトイレのドアを開けてくれるしくみ。なんと自動ドアだ。おばさんのいる小屋にスイッチがあるようだ。案内の人が料金を払ってくれたが、金額を確認し忘れた。用を足している時に出る時どうするのか心配になったが(こんなところに閉じ込められたくない)、出口の横にある目立つ赤いボタンを押したらドアが開いた。ちょっと冒険した気分。面白かった。

旅順
  中国滞在最後の日に車で旅順に行った。大連から1時間弱くらい。途中星海公園を通Photo_11 る。ここも去年行ったところで懐かしい。車から降りなかったが、公園をぐるっと一周した。そこから西に向かう。旅順は遼東半島の先端部分にある街である。大連の街並みはなり先まで続いていたが、さすがに山に入ると街並みは途切れる。代わりに農家の家が並んでいる。もちろんビルではなく、長屋のように同じ建物が何棟か並んでいる。もちろん農家といっても木造ではない。フフホトでも大連でも寺を除いて木造の建物は見かけなかった。薄茶色の壁で屋根は赤いものが多い。映画「古井戸」に出てくるような石を重ねて建てたものもあったが、これは住居ではないかもしれない。
  案内をしてくれた人が旅順の街中に不案内なので、路上に車を止め、タクシーに乗った。大連に比べると旅順の街はだいぶ古い建物が多い。むしろ、超高層ビルが立ち並ぶ大連の方が特殊なのだろう。上海などの経済発展著しい大都市と地方の格差はますます大きくなるばかりだ。旅順は軍港があるので有名な203高地を除いて外国人は入れない。博物館は行けるかと思ったがタクシーの運転手に聞くとこれもだめだった。残念ながら博物館はスキップして203高地へ向かう。途中旅順駅で写真を撮った。緑色の小さな駅だった。反対側は港。灰色の軍艦が1隻停泊していた。普通の船もたくさんあった。
  203高地はそれほど高いところではなかった。途中の店が並んでいるところで車を降り、頂上まで歩いて上る。有料で一人30元。担架を改良したような駕篭に客を載せて頂上まで運んでゆく商売があった(肩に担ぐのではなく、担架のように腰の両脇で持つ)。値段は10元。誘われたがもちろん乗らなかった。
  有名な激戦地も今は観光地。土曜日ということもあって人は多かった。ほとんどは日本人。日本語があちこちから聞こえる。大きな鉄の塊のような大砲が残されている。港に停泊中のロシア艦隊に大損害を与えたと説明書きにあるが、霧がかかっていて港は見えない。かなり遠くにあるのだろう。そんな遠くまで弾が届くとは思えないのだが。
  頂上まで往復1時間と聞いたが、上ってみると大して時間はかからない。頂上に銃弾をかたどった忠魂碑が立っている。横には砲身が二つある野戦砲も置かれている。後は普通の観光地と変わらない。土産物屋が並び、観光客が写真を撮っている。頂上からの眺めは悪くはないが、あいにく今日は霞がかかってよく見えない。
  山を下り、タクシーで街中に戻る。また案内してくれた人の車に乗り換える。来る時は南側の道を通ってきたが帰りは北側の道を行くことにした。大連と旅順の間には3本道があって、もう一本真ん中の道がある。案内してくれた人は北側の道に出るまでの道順を知らなかったので、タクシーの運転手が途中まで先導してくれた。とても親切な運転手さんPhoto_12 だった。後で聞いたのだが、旅順でタクシーを利用する人は少ないらしく、行きと帰り(上っている間の待ち時間も含めて)とも利用してくれた僕らは上客だったらしい。午前中だけで今日一日分を稼いだと上機嫌だったそうだ。
  余談だが、北の道を行ったのは理由があった。実は刑務所を脱獄した男が二人逃走中らしく、あちこちで軍隊が検問をしていたのである。来る時も反対側の車線で検問をしていた。北の道は一番古い道なので検問はあまり厳しくないだろうとのタクシーの運転手のアドバイスだったのである。それでも途中一度検問にあった。しかし運転手が女性なのでフリーパス。脱獄犯は丸刈りだから、どう見ても僕らは怪しくは見えないしね。

2006年9月16日 (土)

おしらせ

  今年も中国に出張で行ってきます。明日から1週間の予定です。コースは去年と同じ内蒙古のフフホトと大連です。その間はブログの更新が出来ません。この間せっせと書き溜めておきましたので、どうかそれでお許しを。また帰ってきましたら旅行記でも載せます。

ゴブリンのこれがおすすめ 27

アメリカ映画の巨匠たち

ジョン・フォード(1894-1973)
■おすすめの10本 Lady5_1
「シャイアン」(1964)
「リバティ・バランスを撃った男」(1962)
「長い灰色の線」(1954)
「静かなる男」(1952)
「三人の名付け親」(1948)
「荒野の決闘」(1946)
「わが谷は緑なりき」(1941)
「怒りの葡萄」(1940)
「駅馬車」(1939)
「男の敵」(1935)

■気になる未見作品
「タバコ・ロード」(1941)
「若き日のリンカン」(1939)

ウィリアム・ワイラー(1902-1981)
■おすすめの10本
「おしゃれ泥棒」(1966)
「コレクター」(1965)
「噂の二人」(1961)
「ベン・ハー」(1959)
「大いなる西部」(1958)
「友情ある説得」(1956)
「必死の逃亡者」(1955)
「ローマの休日」(1953)
「我等の生涯の最良の年」(1946)
「嵐が丘」(1939)

■こちらも要チェック
「L・B・ジョーンズの解放」(1970)
「黄昏」(1951)
「探偵物語」(1951)
「女相続人」(1949)
「ミニヴァー夫人」(1942)
「黒蘭の女」(1938) Car151bg
「孔雀夫人」(1936)

ビリー・ワイルダー(1906-2002)
■おすすめの10本
「お熱い夜をあなたに」(1972)
「あなただけ今晩は」(1963)
「アパートの鍵貸します」(1960)
「お熱いのがお好き」(1959)
「情婦」(1957)
「翼よ!あれが巴里の灯だ」(1957)
「昼下りの情事」(1957)
「七年目の浮気」(1955)
「サンセット大通り」(1950)
「深夜の告白」(1944)

■こちらも要チェック
「恋人よ帰れ!わが胸に」(1966)
「麗しのサブリナ」 (1954)
「第十七捕虜収容所」(1953)
「失われた週末」(1945)

フランク・キャプラ(1897-1991)
■おすすめの10本
「ポケット一杯の幸福」 (1961)
「素晴らしき哉、人生!」 (1946)
「毒薬と老嬢」 (1944)
「群衆」 (1941)
「スミス都へ行く」 (1939)
「我が家の楽園」 (1938)
「失はれた地平線」 (1937)
「オペラハット」 (1936)
「或る夜の出来事」 (1934)
「一日だけの淑女」 (1933)

  昔、まだ衛星放送もDVDもレンタルビデオ店すらなかった頃、どこの家庭でもテレビGskeiで映画を楽しんでいた。もちろん今より映画館に客が足を運んだ時代だが、テレビでも9時からと深夜を合わせると毎日映画を流していた。僕も高校2年から映画を本格的に観始めたが、高校の2、3年の時はほぼ毎日テレビで映画を観ていた。大学に入ってからも最初の2年間ぐらいはかなりテレビで映画を観ていた。観たいと思うだけの映画をテレビで放送していたのである。
  その頃よく放送されていたのは40年代から60年代にかけての映画だった。僕はこの時代の名作をほとんど映画で観たといっていい。上に挙げたアメリカ映画の4人の巨匠の作品もほとんどテレビで見た。どのタイトルも本当に懐かしい。ほとんど白黒映画だが、この時代のアメリカ映画は本当に充実していた。巨匠がひしめき、名前を聞けばすぐその代表作のタイトルやスタイルが思い浮かんだものだ。
  1000円以下の廉価版DVDが急速に普及し、この時代の映画が簡単に観られるようになってきた。まだヨーロッパ映画は遅れているが、アメリカ映画のラインナップはどんどん充実してきている。最新作もいいが、たまには白黒映画の名作も楽しんでみてはいかがでしょうか。

ゴブリンのこれがおすすめ 26

まだまだ現役ベテラン俳優

ジーン・ハックマン(1930-)
■おすすめの10本 066675
「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」(2001)
「クリムゾン・タイド」(1995)
「許されざる者」(1992)
「ミシシッピー・バーニング」(1988)
「カンバセーション…盗聴…」(1973)
「スケアクロウ」(1973)
「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)
「さらば荒野」(1971)
「フレンチ・コネクション」(1971)
「ボニーとクライド/俺たちに明日はない」(1967)

■こちらも要チェック
「カナディアン・エクスプレス」(1990)
「レッズ」(1981)
「ナイトムーブス」(1975)
「フレンチ・コネクション2」(1975)
「ヤング・フランケンシュタイン」(1974)

ショーン・コネリー(1930-)
■おすすめの10本
「小説家を見つけたら」(2000)
「エントラップメント」(1999)
「ザ・ロック」(1996)
「レッド・オクトーバーを追え!」(1990)
「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(1989)
「アンタッチャブル」(1987)
「薔薇の名前」(1986)
「男の闘い」(1969)
「007/ゴールドフィンガー」(1964)
「007/ロシアより愛をこめて」(1963)

クリント・イーストウッド)1930-)
■おすすめの10本
「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)
「スペース・カウボーイ」(2000)
「マディソン郡の橋」(1995)
「シークレット・サービス」(1993)
「許されざる者」(1992)
「アルカトラズからの脱出」(1979)
「ガントレット」(1977)
「ダーティ・ハリー」(1971)
「夕陽のガンマン」(1965)
「荒野の用心棒」(1964)

■追加
「人生の特等席」(2012、ロバート・ロレンツ監督、アメリカ)
「グラン・トリノ」(2008、クリント・イーストウッド監督、アメリカ)

マイケル・ケイン(1933-)
■おすすめの10本 Engle2_1
「ウォルター少年と、夏の休日」(2003)
「サイダーハウス・ルール」(1999)
「リトル・ヴォイス」(1998)
「ハンナとその姉妹」(1986)
「モナリザ」(1986)
「デストラップ・死の罠」(1982)
「殺しのドレス」(1980)
「探偵<スルース>」(1972)
「ミニミニ大作戦」(1969)
「ズール戦争」(1963)

■こちらも要チェック
「ラスト・マップ/真実を探して」(2004)
「夕陽よ急げ」(1967)
「駆逐艦ベッドフォード作戦」(1965)

■気になる未見作品
「クイルズ」(2000)
「狙撃者」(1971)
「国際諜報局」(1964)

ダスティン・ホフマン(1937-)
■おすすめの10本
「レインマン」(1988)
「トッツィー」(1982)
「クレイマー、クレイマー」(1979)
「大統領の陰謀」(1976)
「マラソンマン」(1976)
「レニー・ブルース」(1974)
「パピヨン」(1973)
「小さな巨人」(1970)
「真夜中のカーボーイ」(1969)
「卒業」(1967)

■こちらも要チェック
「アウトブレイク」(1995)
「ファミリービジネス」(1989)
「アルフレード アルフレード」(1972)
「わらの犬」(1971)
「ジョンとメリー」(1969)

ジャック・ニコルソン(1937-)
■おすすめの10本
「最高の人生の見つけ方」(2008)
「アバウト・シュミット」(2002)
「恋愛小説家」(1997)
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1981)
「シャイニング」(1980)
「カッコーの巣の上で」(1975)
「チャイナタウン」(1974)
「さらば冬のかもめ」(1973)
「ファイブ・イージー・ピーセス」(1970)
「イージー・ライダー」(1969)

■こちらも要チェック
「クロッシング・ガード」(1995)
「バットマン」(1989)
「愛と追憶の日々」(1983)
「レッズ」(1981)
「ミズーリ・ブレイク」(1976)
「さすらいの二人」(1974)

アル・パチーノ(1940-)
■おすすめの10本
「ヴェニスの商人」(2004) Barakamo
「インサイダー」(1999)
「リチャードを探して」(1996)
「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」(1992)
「スカーフェイス」(1983)
「ジャスティス」(1979
「ゴッドファーザーPARTII」(1974)
「狼たちの午後」(1975)
「スケアクロウ」(1973)
「ゴッドファーザー」(1972)

■気になる未見作品
「哀しみの街かど」 (1971)

ロバート・デ・ニーロ(1943-)
■おすすめの10本
「フランケンシュタイン」(1994)
「真実の瞬間」(1991)
「レナードの朝」(1990)
「ミッション」(1986)
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)
「レイジング・ブル」(1980)
「1900年」(1976)
「タクシードライバー」(1976)
「ゴッドファーザーPART2」(1974)
「ミーン・ストリート」(1973)

■こちらも要チェック
「噂の真相/ワグ・ザ・ドッグ」(1997)
「ミッドナイト・ラン」(1988)
「アンタッチャブル」(1987)
「未来世紀ブラジル」(1985)

■気になる未見作品
「ディア・ハンター」(1978)

 これだけ大物を並べてみると壮観だ。全員現役!しかしこのクラスでも10本がすべて傑作という人はそういない。ジーン・ハックマン、ジャック・ニコルソン、ロバート・デ・ニーロあたりが一番充実したリストになった。それに続くのがダスティン・ホフマンとマイケル・ケインか。逆にショーン・コネリー、クリント・イーストウッド、アル・パチーノはいい作品にめぐり合っていないと感じた。いずれも役者として素晴らしい才能を持っているのだから惜しいことだ。
 いずれも長いキャリアを持つ人たちだが、それを支えたのは演技力と人生経験だろうか。若いうちは演技が下手でも何とかなるが、中年以降はそうは行かない。ここに挙げた人たちは、いずれも中年になると渋みを増し、初老に入ると枯れた味わいが出てきた。俳優として理想的な年齢の重ね方をしてきた人たちばかりだ。
  ジーン・ハックマン、ショーン・コネリー、クリント・イーストウッドの3人が同い年だというのはこのリストを作って初めて気づいた。リスト作りはいろいろ意外なことに気づかされるので面白い。

2006年9月15日 (金)

クラッシュ

__1 2004年 アメリカ 2006年2月公開
監督:ポール・ハギス
原案:ポール・ハギス
脚本:ポール・ハギス、ボビー・モレスコ
撮影:J・マイケル・ミューロー
プロダクションデザイン:ローレンス・ベネット
衣装デザイン:リンダ・M・バス
編集:ヒューズ・ウィンボーン
音楽:マーク・アイシャム
主題歌:キャスリーン・ヨーク
出演:ドン・チードル、マット・ディロン、サンドラ・ブロック、ウィリアム・フィクトナー
    ジェニファー・エスポジート、ブレンダン・フレイザー、テレンス・ハワード
    クリス・“リュダクリス”・ブリッジス、サンディ・ニュートン、ノーナ・ゲイ
    ライアン・フィリップ、ラレンツ・テイト、キース・デヴィッド、マイケル・ペーニャ
    ロレッタ・ディヴァイン、ショーン・トーブ、ビヴァリー・トッド、トニー・ダンザ
    バハー・スーメク、アシュリン・サンチェス

  タイトルの「クラッシュ」は実に多義的だ。基本の意味は「衝突」。車の追突事故で始まり、追突事故で終わる。「衝突」はまた人種間や夫婦間などの様々なレベルの衝突・対立も意味している。レストランで同じ黒人の女性ウェイトレスに1時間以上も注文の品を待たされた黒人の若者たち。白人の客に対する対応と違うじゃないかと散々毒づく。因縁をつけて女の体中を触りまくる人種差別主義者の白人警官ライアン巡査(マット・ディロン)。「クラッシュ」にはまた「破滅、倒産」の意味もある。被害者意識に凝り固まったペルシャ人の商店主ファハド(ショーン・トーブ)。しょっちゅうアラブ人に間違えられてはからかわれ、いつもいらだっている。店の鍵だけ直してドアそれ自体の修理を怠ったばかりに何者かに店をめちゃくちゃに荒らされてしまう。弱り目に祟り目で、ドアの修理をしていなかったために保険も下りなかった。商店主ファハドは鍵屋のダニエル(マイケル・ペーニャ)を逆恨みして、彼を銃で撃つ。しかしその直前ダニエルの娘のララ(アシュリン・サンチェス)が父親に抱きついてきた。ファハドは自分のしでかしたことの重みに呆然とたたずむ。そこには、もう1つの「クラッシュ」の意味「麻薬が切れた時の虚脱感」が込められているのかもしれない。

  移民が多くまた犯罪の絶えない街、ロサンゼルス。「クラッシュ」は同時並行的に何組かの登場人物が互いに絡み合う群像劇である。映画の中ではあちこちで人や車が衝突している。人々の間には絶えず不信感と警戒心が渦巻いている。登場人物たちはいつも何かArtsnowballangel200gb にイラつき、他人とぶつかり合い、互いを傷つけまた傷つけられ、何かを奪いまた何かを失い、自暴自棄になり、または怒りに身を震わせ、あるいは呆然とたたずんでいる。いらだち、怒り、不安、焦燥感、不信感、虚脱感。裕福な暮らしをしているにもかかわらず絶えず神経がささくれ立ち、付け替えたばかりの玄関の鍵を明日の朝また新しいものに付け替えて欲しいと地方検事の夫リック(ブレンダン・フレイザー)にしつこく要求する神経質な妻ジーン(サンドラ・ブロック)。たまたま車に乗せた黒人の若者がポケットから何かを取り出そうとしたとき、不安に駆られとっさに銃で撃ってしまったハンセン巡査(ライアン・フィリップ)。この映画には警官あるいは警察関係者が多く登場する。ほとんど登場人物の3分の1近くを占めているのではないか。だが、ばたばたと悪人を撃ち倒してゆく颯爽とした英雄のごとき「正義の」警官は一人も登場しない。皆苦悩に顔をゆがめ暗い顔でうつむきがちになっている。ハリウッド大作映画のように激しい銃撃戦もなければ、派手な爆発や破壊もない。終始重たく沈鬱な空気が映画を覆っている。

  にもかかわらず、この映画を観終わった時に感じるのは絶望感ではない。むしろ深く重い感動が身をつつむ。様々な対立や犯罪や自暴自棄な行動が描かれるが、死者は一人しか出ない。憎しみや感情の行き違い、差別意識や汚い裏取引が描かれるが、映画はそれらの人々を冷たく突き放して描くのではなく、人間の弱さや、皮肉な運命に翻弄されながらも何とか這い上がろうともがく姿を共感を込めて描いているからだ。そこに「クラッシュ」のもう1つの、そしてもっとも重要な意味がある。それは映画の冒頭で語られる。語るのはこれまた警察関係者、グレアム刑事(ドン・チードル)である。

  「街を歩けばよく人と体がぶつかったりするだろ?でもロスじゃ触れ合いは皆無。人々はたいてい車の中にいる。でも触れ合いたいのさ。ぶつかり合って何かを実感したいんだ。」

  似たようなタイプの映画に「21g」がある。絡まりあう人間関係がどろどろの出口のない方向へどんどん落ちてゆく「21g」に対し、「クラッシュ」は運命に冷酷に翻弄される人々を描きながらも、結末をどうにもならない絶望的な方向へと持っていかなかった。黒人女性にセクハラした人種差別主義者の警官は、同じ女性が車の事故で危うく死にかけたところを必死で救った。ファハドに銃で撃たれた鍵屋の娘ララは、銃でも撃ちぬけない「透明のマント」によって救われた(比喩的な意味でだが)。前夜、銃声におびえてベッドの下に隠れていたララに、父のダニエルが昔天使にもらったものだと言って、「”何も通さない”透明のマント」を娘に渡していたのである。この二つエピソードは映画全体の中でもとりわけ印象的、かつ象徴的な場面である。「クラッシュ」というタイトルに込められたもっとも重要な意味、それは衝突や対立ではなく「触れ合い」だった。この映画は「ランド・オブ・プレンティ」同様、9.11後の、方向性と自信を見失い、憎しみや怒りばかりが掻き立てられ、絶えず不安に悩まされてさいなまれているアメリカ人の、いらだちささくれ立った心に捧げられたレクイエムなのである。

  群像劇である「クラッシュ」が優れているのは一つひとつのエピソードに力がある点だ。単純に不幸だったり幸せだったりするものは一人もいない。善人が罪を犯し、いやな奴に見えた人物にも意外な別の面がある。そういう描き方をしている。典型は人種差別主義者のライアン巡査。裕福な黒人夫婦、TVディレクターのキャメロン(テレンス・ハワード)とその妻クリスティン(サンディ・ニュートン)に難癖をつけて車を止めさせ、妻の体を触りまくった男だ。しかしそんな彼も家に帰れば、病弱の父親をかいがいしく看病している優しい息子である。それだけではない。映画のクライマックスの1つは、このライアン巡査とキャメロンの二度目の出会いである。キャメロンが事故を起こし、さかさまになった車に取り残されているところにたまたまライアン巡査が通りかかったのだ。

  彼の行動はすばやかった。運転席にもぐりこみ運転者を助けようとする。その時キャメロンは相手が前日に自分の体を触りまくった巡査だと気づきパニックになる。しかしこの時のライアンは最後まで職務に忠実な勇気ある警官として行動した。おびえるキャメロンをなだめ、もれたガソリンに火が付きそうになる緊迫した状況の下で、必死に彼女を固定しているシートベルトを切ろうとする。ガソリンに引火して車が爆発する直前に彼女を助け出す。この作品の中で最も緊迫した壮絶なシーンだ。身の危険を顧みず必死で彼女を救ったライアンの行為に、キャメロンのかたくなな嫌悪感は消えていた。二人は思わず抱き合う(DVDのジャケット写真になっているのがこの場面)。ここにも「触れ合い」があった。

  一方、ライアン巡査の相棒だったハンセン巡査(ライアン・フィリップ)には皮肉な運命が待っていた。正義感の強い彼はあまりのライアンの差別的行動に嫌気がさし、パートナーSky_window をはずしてもらった。だがこの正義漢はライアン巡査とは逆に転落して行った。上で触れた、誤って黒人の若者ピーター(ラレンツ・テイト)を射殺してしまったのは彼だったのである。撃たれたピーターもまじめな若者ではなかった。彼は仲間のアンソニー(クリス・“リュダクリス”・ブリッジス)と白人の車を奪って売り払おうとしたのだ。アンソニーは非常に被差別意識が強い男で、白人に深い恨みを抱いていた。1台目が売れなかったために彼等はもう1台小型トラックを盗んできたが、なんと荷台には不法入国と思われる東洋人が何人も乗っていた。ディーラーは、車はいいからこいつらを売り飛ばそうと二人に持ちかける。今度は人身売買にかかわりそうになる。しかし彼等は結局東洋人たちを売らなかった。街中で彼らを解放する。彼等は非道な人間になる一歩手前で踏みとどまった。

  もちろんこれだけではまだ人間描写として単純だ。登場人物たちの人間関係やエピソードが複雑に絡み合わされた時、映画の全体像は非常に複雑な様相を帯びる。これが成功した。近頃この手の群像劇が急増しているが、「クラッシュ」はそれらの中でも最も成功したものの1つである。複雑な群像劇の狙いは大きく二種類あるだろう。話を複雑にしてその意外な接点や入り組んだストーリーの展開自体を楽しむタイプ。クエンティン・タランティーノ監督「パルプ・フィクション」、ロドリゴ・ガルシア監督「彼女を見ればわかること」、ガイ・リッチー監督の「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」と「スナッチ」、ジョン・クローリー監督の「ダブリン上等!」等々。群像劇を得意とするロバート・アルトマンの「ナッシュビル」、「ショート・カッツ」、「プレタポルテ」、「ゴスフォード・パーク」、あるいは日本の三谷幸喜監督「THE有頂天ホテル」やちょっと変り種だが内田けんじ「運命じゃない人」などもこのタイプに入るのではないか。これに更に行き詰まり感を加えたのがアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「アモーレス・ペロス」と「21グラム」。この2作はもう1つのタイプに近く、人間描写がぐっと色濃くなる。もうひとつのタイプは社会の縮図として人間関係を重層的にあるいはパノラマ的に描き、そこに様々な社会問題を入れ込むもの。ポール・トーマス・アンダーソン監督の「マグノリア」、ラモン・サラサール監督の「靴に恋して」、ジョン・セイルズ監督の「カーサ・エスペランサ」、ダニエル・プルマン監督の「僕と未来とブエノスアイレス」、山崎貴監督の「ALWAYS三丁目の夕日」等々。思いついたものを挙げただけでもかなりの数だ。うまくいけば非常に見ごたえのあるものになるし、脚本家の腕の振るいがいもあるので好まれるのだろう。

  監督、脚本のポール・ハギスは「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本家。監督としての腕もなかなかだが、やはりこの複雑にして濃厚な脚本がしっかりしている。脚本家としての腕は一流である。「クラッシュ」は上の分類で言えば、当然後者である。人種差別、性的虐待、貧富の格差、人身売買などの社会問題を描きこみ、さらに車社会、銃社会になっている現状も象徴的に取り込んでいる。車という閉ざされた空間に閉じこもって社会との接触を避け、信用できない他人から身を守るために銃を持たざるをえない社会。その不安に満ちた社会の中で不安に身を縮め、それでも人間的ぬくもりを得ようともがく個人。もがいても這い上がれない人々、裕福でも心の満足を得られず絶えず不安に悩まされる人々。孤城と化した車はたびたび他の車と衝突する。皮肉なことにぶつかり合いが心のすれ違いを生む。

  搭乗者と外界を隔てる車だけではない。人々の中にも壁がある。例えば人種差別という壁。グレアム刑事(ドン・チードル)に裏取引を持ちかけたフラナガン検事の言葉が印象的だ。検事である彼は黒人が社会的に不利な立場にあることを一応認める。しかし、それで048966_1 も「黒人は根本的に犯罪に手を染めやすい、事実無根かも知れないが、ついそう思ってしまう」と語る。警察関係者が多く登場するのは偶然ではないだろう。警察の中にも差別意識を持っている者がいる。何という世界にわれわれは住んでいるのか。そういう問題提起があるだろう。しかしそれもライアン巡査とハンセン巡査の描き方を見ればそう単純ではない。ライアンがハンセンに「お前も何年か警官をやっていればわかる」と言った言葉が重くのしかかる。経験の少ないハンセン巡査が不用意に黒人青年を乗せてしまったことが彼をとんでもない窮地に陥れた。だが、ライアン巡査が理想の警官像というわけでもない。ライアンは確かにロスで警官として命を落とすことなく任務を全うする智恵と経験を持っている。その智恵と経験は多くの人と接し、何度も危険をかいくぐってきたことで得たものである。いわゆるたたき上げの持つ強みだ。だが、差別意識を払拭できなければ、彼もフラナガン検事のようになってゆく可能性がある。

  ドン・チードル演じるグレアム刑事、この映画で最も苦渋に満ちた表情を浮かべていたのは彼である。憂いに沈み複雑な顔でじっと前を見つめる彼の表情は、アメリカの苦悩の象徴のように思える。彼の悩みの1つは弟に関するものである。恐らく彼の弟は死刑囚なのである。母親からは何とかして弟を救い出して欲しいと会うたびに言われている。フラナガン検事が持ちかけてきた裏取引は、ある警官の不祥事を見逃してくれれば弟を何とかしてやろうというものだった。正義を取るか、弟を取るか。彼は決断した。しかし彼の出した結論はまた別の悩みを引き出した。彼の苦悩は続く。最初と最後に出てくる彼の姿、ロスでは珍しい雪の降る中でじっと前を見てたたずむ姿。彼の前にはハンセン巡査に撃たれたピーターの死体が横たわっている。

  死体を前に立っている、己の悩みに苦しむ刑事。なんとも象徴的だ。立ちすくんでいる彼はどの方向に歩みだすのか。コリン・デクスターの『ウッドストック行最終バス』(早川文庫)に「自殺は非常に多くの他の人々の生活にかかわることだ。重荷は捨てられたのではなく、一人の肩から他の人の肩に移されただけだ」という言葉がある。完璧な人間などいない。誰もが欠点や弱さを持っている。したがって悩みもある。だからこそ「触れ合う」ことが必用なのだ。重荷を分かち合うことが必用なのだ。車の中に閉じこもっていては何も変わらない。本気でぶつかり合うことが必用なのだ。ライアン巡査が車から救い出したキャメロンと抱き合うシーンは象徴的である。ダニエルが娘のララを抱きしめるシーンと共に心に残る。暗い表情で前を見つめたたずむ男と二組の抱き合う人々のイメージ、苦悩と希望、この二つのイメージを共に同じ重みで提起したところにこの映画の際立った特徴と成功の理由がある。

2006年9月13日 (水)

ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!

2005年 アメリカ・イギリス 2006年3月公開 85分
原題: WALLACE & GROMIT IN THE CURSE OF THE WERE-RABBIT
監督: ニック・パーク、スティーヴ・ボックス
製作: ニック・パーク、クレア・ジェニングス、ピーター・ロード、カーラ・シェリー
     デヴィッド・スプロクストン
製作総指揮: ジェフリー・カッツェンバーグ、セシル・クレイマー、マイケル・ローズ
脚本: ニック・パーク、スティーヴ・ボックス、ボブ・ベイカー、マーク・バートン
撮影: トリスタン・オリヴァー、デイヴ・アレックス・リデット
プロダクションデザイン: フィル・ルイス
編集: デヴィッド・マコーミック、グレゴリー・パーラー
音楽: ジュリアン・ノット
音楽プロデューサー: ハンス・ジマー Big_0179
声の出演:
 ピーター・サリス (ウォレス)
 レイフ・ファインズ(ヴィクター・クォーターメイン)
 ヘレナ・ボナム=カーター (レディ・トッティントン)
 ピーター・ケイ (PCマッキントッシュ)
 ニコラス・スミス (クレメント・ヘッジ)
 リズ・スミス (マルチ夫人)
 ジョン・トムソン

  「ウォレスとグルミット ウサギ男の呪い」、より英語の原題に近いタイトルにするとこんな感じか。WERE-RABBITは造語で、狼男のWEREWOLFをもじったもの。WEREはbe動詞の過去形ではなくて「男」という意味の古語。

  「ウォレスとグルミット」シリーズ。97年に「チーズ・ホリデー」(89)を観てすっかり気に入ってしまった。以来「ペンギンに気をつけろ!」(93)、「危機一髪!」(95) と観てきたがどれも傑作。このシリーズとは違うが、同じニック・パーク作品で、英国アードマン社と米国のドリームワークス社が共同製作した長編「チキンラン」(00)もまた、「ウォレスとグルミット」シリーズとは違った味わいだが、よく出来た作品だった。そして今回の「野菜畑で大ピンチ!」はアードマン社とドリームワークス社の共同製作2作目。「ウォレスとグルミット」シリーズとしては初の長編となるが、これまた傑作。これまでのところニック・パーク作品にハズレなし!いやはや立派なものである。

 プリミティブで素朴な 「キリクと魔女」や切り絵アニメ「プリンス・アンド・プリンセス」で知られるミッシェル・オスロ〔6月にDVDが出た世界初の長編アニメ「アクメッド王子の冒険」(1926)は切り絵アニメの元祖でもある〕、絵に素朴な味わいがある「ベルヴィル・ランデブー」のシルヴァン・ショメ、「真夏の夜の夢」などの人形アニメ作家イジー・トルンカ、「霧につつまれたハリネズミ」や「話の話」のユーリ・ノルシュテイン、「道成寺」、「死者の書」などで知られる人形アニメの川本喜八郎等々、世界にはユニークな作風のアニメ作家がたくさんいる。しかし、作品の質に人気度を加えてみると、日本の宮崎駿、アメリカのティム・バートン、イギリスのニック・パークが現在の3大アニメーション映画作家といえるだろう。

  アニメのヒット作品というと「モンスターズ・インク」、「バグズ・ライフ」、「トイ・ストーリー」、「Mr.インクレディブル」などのピクサー/ディズニー系、「アンツ」、「チキンラン」、「シュレック」、「シュレック2」、「森のリトル・ギャング」などのドリームワークス系といったアメリカ勢が圧倒しているが、これらは特定の作家の個性は比較的希薄で、むしろ制作会社の姿勢のほうが目立つ。ピクサー系はディズニー色が強いのでどちらかというと子供向けの作風で、ドリームワークス系は皮肉や風刺の利いた大人も楽しめるアニメという印象だ。

 「ウォレスとグルミット」シリーズはそれまで長くても30分程度の長さだったが、初の長編「野菜畑で大ピンチ!」では85分という長大な長さになった(数秒分撮影するのに数日間かかるというクレイ・アニメーションにとっては文字通り「長大」である)。当然一部にCG処理も施している。恐らくCGによって製作時間もだいぶ短縮されただろう。詳しい技術的なことは分からないが、ややぎこちなかった動きが非常に滑らかになったのもCGのおかげかも知れない。粘土で出来た人形を少しずつ動かしては撮影するという制作方法だから、それまでなら宙に浮いているものを撮るには苦労しただろうが、CGを使えば作業がだいぶ楽になったはずだ。例えば、車が砂利道で急停車した時砂利が弾き飛ばされるシーンがあったが、CGを使わずにあの砂利を撮影するのはほとんど不可能だったろう。DVD付属の音声解説で確認してみたが、巨大な掃除機のような「ウサギ吸引捕獲器」に吸い込まれたウサギたちがふわふわと浮いているシーンもCG処理を施している。

Ringo   しかしなんといっても一番の変化は映画のテンポ。「ウォレスとグルミット」はゆったりとしたテンポが持ち味だった。ユニークなキャラクターと機械仕掛けや背景の細部などへのこだわり、シュールな展開のストーリーが魅力だった。この独特の世界を楽しむものであって、動きなどは少々ぎこちなくてもいい。そういうコンセプトだったと思う。いや、そのぎこちなさすら魅力の一部だったと言ってもいい。クレイ・アニメーションの性質としてスピード感は出しにくい。しかしドリームワークスと組んだとたん、画面が疾走しはじめた。「危機一髪!」でそれまでよりスピード感が増したと思っていたが、今度はそんなもんじゃない。ほとんどアメリカ・アニメ並みのスピード感が出ている。それに付随して空を飛ぶシーンが増え、その動きも自然になった。明らかにドリームワークス/CG効果である。

  ではそれによってそれまでの持ち味が崩れ、魅力が薄れたか。必ずしもそうではない。正直言って、100%満喫したかというと何か物足りないものはあった。クレイ・アニメらしい素朴な味わいがやや薄れ、どこかアメリカのアニメみたいになってしまったなという感じもした。しかし、そこはニック・パーク。基本はしっかり抑えている。「危機一髪!」のレビューで書いた「どこかとぼけたユーモアと『サンダーバード』並みのメカキチぶり」はしっかり温存している。自分のこだわりは決して捨てていない。

  さらには、恐らくアメリカと組んだからだろう、意識的にイギリスらしさをこれまで以上に押し出している。マナーハウスに住む大金持ちのレディ・トッティントンと彼女の財産を狙っ ている傲慢な紳士ヴィクターという組み合わせ、ペスト(害虫、害獣)といいながらも殺さずに捕まえては自分の家で飼う動物愛護ぶり、年に一度の町を挙げてのお祭“巨大野菜コンテスト”(TVドラマ「バーナビー警部」シリーズにも似たような催しがよく出てくる)等々。この判断は良かったのか微妙なところだ。アメリカに同化されるよりはましだが、どこか浮世離れした不思議ワールドが地上に降りてきた感じもある。ただ「危機一髪!」あたりから既にそういう傾向に移りつつあった。1作目の純粋なファンタジー・ワールド(「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」を連想させられた)から2作目、3作目となるにつれてどんどん世俗的になってきていた。他の作品へのアリュージョンも多用して、ファンタジーの世界から趣味の世界に変化していった印象がある。まあ、印象だからもう一度全作通して観てみないと確かなことはいえないが。いずれにしても、CGを駆使してスピーディになったこととクレイ・アニメらしさが後退しているという印象はどうやら無関係ではないようだ(他にも同じことを指摘している人がいる)。まあ「チキンラン」も似たような作りだったし、それほど嘆くことでもない。

  ストーリーの中心になるのは“巨大野菜コンテスト”。町中の人たちがコンテストに向けそれぞれいろいろな野菜を手塩にかけて育てている。グルミットも巨大な瓜を育てており、毎日いとおしそうに撫でさすってはうっとりとして眺めている。主催者は町の有力者レディ・トッティントン。コンテストを目前にして彼女や町中の人たちが頭を悩ませているのが野菜の「天敵」であるウサギたち。そして町中の巨大野菜を守っている集中警備システムを開発したのが町の発明家ウォレス。ほとんどの家庭の庭にはセンサー付きの置物があり、怪しい物影がその前を横切るとセンサーが作動しウォレスの家の警報がなる仕掛け。ウォレスの家の壁には彼の警備システムに加入している人たちの顔をかたどった仮面がびっしりかけてあり、センサーが反応すると庭の置物と壁の仮面の目が光る。仮面を見ればどこの家に侵入者があったかわかる。まるで「何とか警備保障」みたいだ。そうそう警備会社の名前は「アンチペスト」。害獣駆除なんでもお引き受けいたします。

  警報が鳴ると例のおなじみ「起床マシーン」で飛び起き、007並の装備を積んだ特殊改造車を駆って現場に急行。ウサギをとっ捕まえると近所の人たちが家から出てきて拍手を送る。ここまでが導入部分。ウォレスたちは捕まえたウサギを殺さず、全部家に連れ帰って飼っている。家中ウサギだらけ。あまりに数が多いのでウォレスはウサギが野菜嫌いになれば問題は解決すると考える。そこでまた例によって怪しげな機械が登場する。こういう機械を考え出すのは天才的にうまい。しかし途中操作を間違えたりして結局実験は中断してしまう。

  そうこうしているうちに町に巨大な怪物ウサギが現れた。中盤から後半にかけてこの巨大ウサギとウォレスたちの熾烈な戦いが展開される。これにレディ・トッティントンと結婚しNight2 て財産を手に入れようと狙うヴィクターが絡み、話はドタバタ調の破天荒な展開になってゆく。ヴィクターとウォレスは巨大ウサギ退治のライバルになる。ウォレスは捕まえようとするが、ヴィクターはライフルで撃ち殺そうとする。ヴィクターには見るからに意地の悪そうな顔をした愛犬がおり、途中グルミットとその犬が飛行機でカーチェイスならぬプレーン・チェイスをするという場面もある。遊園地の乗り物の飛行機なので(なぜか空を飛んでしまう)一定の時間が立つと止まってしまい、コインを追加で入れないと動き出さないというギャグが傑作だった。

  とにかくとんでもない発想がこの映画の魅力の1つ。レディ・トッティントンのお屋敷の広大な庭には見渡す限りウサギが巣穴を作っている。これらのウサギをいっぺんに捕獲するためのマシーンが先ほどの「ウサギ吸引捕獲器」。巣穴にホースをつなぎ一気に吸い込んでしまうという強引なマシーン。穴の外にいるウサギまで吸い込んでしまうという優れもの。ヴィクターのカツラまで吸い込んでしまうのが可笑しい。

  後は怒涛のハチャメチャ展開に。ただ見逃せないのはパロディ味。いろいろと遊んでいます。巨大ウサギがビルを上ってゆくシーンはまるでキングコング。神出鬼没でなかなか正体が分からない段階の不気味な雰囲気と巨大な影だけが建物に映るあたりは狼男のパロディ。監督自身が「世界初のベジタリアン・ホラー」と言っているように、そもそも肉食ではない巨大ウサギの驚異というのが人を食っている。何しろ被害は人間ではなく巨大野菜。そんな不自然なものを作ってコンテストをすること自体が自然に反していると言っているようだ。

  キャラクターの面白さもまた魅力の1つ。巨大ウサギをおびき寄せる囮の張りぼてメスウサギ(グルミットが動かしているが、そのなまめかしいからだの動きはとても粘土の人形とは思えない)、どこにも敬虔なところが感じられない牧師、大まかな顔の作りと実に単純で分かりやすい性格のヴィクター、豚鼻でちっともかわいくないがどこか愛嬌のあるウサギ、相変わらず想像力豊かな発明の才能を発揮しているがとんでもない失敗もしでかすウォレス、そしてなんと言っても顔や目の動きが言葉以上にものを言うグルミットがたまらなく魅力的だ。

  ウォレスは言ってみればドラえもんのように次々と物を作り出す才能とのび太のおっちょこちょいな性格を併せ持った性格で、グルミットはそれを支えるしっかりもんの女房役。今回もこのコンビの巻き起こすとんでもない大騒動に観客は引きずり回される。スピード感あふれるアメリカ製アニメの要素が増えたが、いつもの手間隙かけた手作り感や粘土の質感は相変わらず。小道具への執拗なこだわりも相変わらず相当なもの。ホラー風味の味付けがなされているが、エロもグロもない、人間味ととぼけたユーモアにあふれた作風は今回も健在だ。

2006年9月12日 (火)

ゴブリンのこれがおすすめ 25

アメリカを様々な角度から抉る

差別を抉る Cutwindow3

<人種問題>
「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」(2011) テイト・テイラー監督
「アバター」(2009) ジェームズ・キャメロン監督
「プレシャス」(2009) リー・ダニエルズ監督
「セントアンナの奇跡」(2008) スパイク・リー監督
「クラッシュ」(2004) ポール・ハギス監督
「ゲット・オン・ザ・バス」(1996) スパイク・リー監督
「黒豹のバラード」(1994) マリオ・バン・ピープルズ監督
「ラスト・オブ・モヒカン」(1992)  マイケル・マン監督
「マルコムX」(1992)  スパイク・リー監督
「ダンス・ウイズ・ウルブズ」(1991) ケビン・コスナー監督
「ボーイズ・ン・ザ・フッド」(1991) ジョン・シングルトン監督
「モ・ベター・ブルース」(1990) スパイク・リー監督
「ロング・ウォーク・ホーム」(1990) リチャード・ピアース監督
「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989) スパイク・リー監督
「グローリー」(1989) エドワード・ズウィック監督
「ミシシッピー・バーニング」(1988) アラン・パーカー監督
「カラー・パープル」(1985)  スティーブン・スピルバーグ監督
「ラグタイム」(1981) ミロシュ・フォアマン監督
「ドライビング・ミス・デイジー」(1989) ブルース・ペレスフォード監督
「小さな巨人」(1971) アーサー・ペン監督
「屋根の上のバイオリン弾き」(1970) ノーマン・ジュイソン監督
「ソルジャー・ブルー」(1970) ラルフ・ネルソン監督
「フィクサー」(1968) ジョン・フランケンハイマー監督
「招かれざる客」(1967) スタンリー・クレイマー監督
「質屋」(1967) シドニー・ルメット監督
「シャイアン」(1964)  ジョン・フォード監督
「アラバマ物語」(1962) ロバート・マリガン監督
「手錠のままの脱獄」(1958) スタンリー・クレイマー監督
「十字砲火」(1947) エドワード・ドミトリク監督

<性差別>
「ダウト」(2008) ジョン・パトリック・シャンリー監督
「トランスアメリカ」(2005) ダンカン・タッカー監督
「スタンドアップ」(2005) ニキ・カーロ監督
「モナリザ・スマイル」(2003) マイク・ニューウェル監督
「トーチソング・トリロジー」(1988) ポール・ボガート監督
「ハーヴェイ・ミルク」(1984) ロバート・エプスタイン、リチャード・シュミーセン監督
「噂の二人」(1961) ウィリアム・ワイラー監督
「非情の町」(1961) ゴットフリード・ラインハルト監督

<思想差別、赤狩り>
「グッドナイト&グッドラック」(2006) ジョージ・クルーニー監督
「真実の瞬間」(1991) アーウィン・ウィンクラー監督 Car1_1
「レッズ」(1981) ウォーレン・ビーティ監督
「ザ・フロント」(1976) マーチン・リット監督
「ジョニーは戦場へ行った」(1971) ダルトン・トランボ監督
「猿の惑星」(1968) フランクリン・J・シャフナー監督
「風の遺産」(1960) スタンリー・クレイマー監督
「黒い牡牛」(1956) アービング・ラパー監督
「真昼の決闘」(1952) フレッド・ジンネマン監督

<少数派・被差別者の視線>
「トランスアメリカ」(2005) ダンカン・タッカー監督
「アイ・アム・サム」(2001) ジェシー・ネルソン監督
「サイモン・バーチ」(1998) マーク・スティーブン・ジョンソン監督
「フィラデルフィア」(1993) ジョナサン・デミ監督
「フランケンシュタイン」(1994) ケネス・ブラナー監督
「レインマン」(1988) バリー・レヴィンソン監督
「刑事ジョン・ブック 目撃者」(1985) ピーター・ウィアー監督
「エレファント・マン」(1980) デビッド・リンチ監督

政治・社会問題を抉る
<政治問題、軍事大国主義>
「キャピタリズム マネーは踊る」(2009) マイケル・ムーア監督
「ハート・ロッカー」(2008) キャスリン・ビグロー監督
「フロスト×ニクソン」(2008) ロン・ハワード監督
「告発のとき」(2007) ポール・ハギス監督
「リダクテッド」(2007) ブライアン・デ・パルマ監督、米・カナダ
「父親たちの星条旗」(2006) クリント・イーストウッド監督
「ボビー」(2006) エミリオ・エステベス監督、アメリカ
「ボーダータウン 報道されない殺人者たち」(2006) グレゴリー・ナヴァ監督
「ロード・オブ・ウォー」(2005) アンドリュー・ニコル監督
「華氏911」(2004) マイケル・ムーア監督
「JFK」(1991)  オリヴァー・ストーン監督
「サルバドル 遥かなる日々」(1986)  オリヴァー・ストーン監督
「アトミック・カフェ」(1982) ケビン・ラファティ他監督
「ミッシング」(1982) コスタ・ガブラス監督
「地獄の黙示録」(1979) フランシス・F・コッポラ監督
「大統領の陰謀」(1976) アラン・J・パクラ監督
「カンバセーション盗聴」(1974)  フランシス・F・コッポラ監督
「5月の7日間」(1964)  ジョン・フランケンハイマー監督
「オール・ザ・キングス・メン」(1949) ロバート・ロッセン監督

<犯罪社会、暴力、貧困問題、不況>
「ウィンターズ・ボーン」(2010) デブラ・グラニック監督
「カンパニー・メン」(2010) ジョン・ウェルズ監督
「マイレージ、マイライフ」(2009) ジェイソン・ライトマン監督
「フローズン・リバー」(2008) コートニー・ハント監督
「チェンジリング」(2008) クリント・イーストウッド監督
「ダークナイト」(2008) クリストファー・ノーラン監督
「チェンジリング」(2008) クリント・イーストウッド監督
「シンデレラマン」(2005) ロン・ハワード監督
「ランド・オブ・プレンティ」(2005) ヴィム・ヴェンダース監督
「ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002) マイケル・ムーア監督
「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(1994) オリヴァー・ストーン監督
「ロジャー&・ミー」(1989) マイケル・ムーア監督
「タクシー・ドライバー」(1976) マーチン・スコセージ監督
「チャップリンの殺人狂時代」(1947)  チャールズ・チャップリン監督
「怒りの葡萄」(1940)  ジョン・フォード監督
「黄金狂時代」(1925)  チャールズ・チャップリン監督

<その他の社会問題、社会の裏側>
「シッコ」(2007) マイケル・ムーア監督
「リトル・ミス・サンシャイン」(2006) ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス監督
「カーサ・エスペランサ」(2003) ジョン・セイルズ監督
「インサイダー」(1999) マイケル・マン監督
「トゥルーマン・ショー」(1998) ピーター・ウィアー監督
「告発」(1995) マーク・ロッコ監督
「クイズ・ショウ」(1994) ロバート・レッドフォード監督 Robo1_c
「ザ・ペーパー」(1994)  ロン・ハワード監督
「ザ・プレイヤー」(1992)  ロバート・アルトマン監督
「ザ・リバー」(1984) マーク・ライデル監督
「ジャスティス」(1980) ノーマン・ジュイソン監督
「博士の異常な愛情」(1964) スタンリー・キューブリック
「悪人と美女」(1952) ヴィンセント・ミネリ監督

<家庭の崩壊、孤独感、不毛感>
「アメリカ、家族のいる風景」(2005) ヴィム・ヴェンダース監督
「クラッシュ」(2004) ポール・ハギス監督
「アバウト・シュミット」(2002) アレクサンダー・ペイン監督
「スティーヴィー」(2002) スティーヴ・ジェイムズ監督
「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」(2001) ウエス・アンダーソン監督
「アメリカン・ビューティー」(1999) サム・メンデス監督
「マグノリア」(1999) ポール・トーマス・アンダーソン監督
「ショート・カッツ」(1993) ロバート・アルトマン監督
「泳ぐ人」(1968) フランク・ペリー監督

アメリカの多面性、様々な角度からの視線
<移民の視点>
「正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官」(2009) ウェイン・クラマー監督
「扉をたたく人」(2007) トム・マッカーシー監督、アメリカ
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」(2006) トミー・リー・ジョーンズ監督
「スパングリッシュ」(2004) ジェームズ・L・ブルックス監督
「イン・アメリカ三つの小さな願いごと」(2002)ジム・シェリダン監督
「アメリカン・ラプソディ」(2001) エヴァ・ガルドス監督
「ジョイ・ラック・クラブ」(1993)  ウェイン・ワン監督
「グリーン・カード」(1990) ピーター・ウィアー監督
「わが心のボルチモア」(1990)  バリー・レビンソン監督
「ディープ・ブルー・ナイト」(1984) ペ・チャンホ監督
「エル・ノルテ 約束の地」(1983) グレゴリー・ナヴァ監督

<労働組合の視点>
「アメリカン・ジャスティス」(2000) トニー・ビル監督
「メイトワン1920」(1987)  ジョン・セイルズ監督
「ノーマ・レイ」(1979)  マーチン・リット監督
「地の塩」(1954) ハーバート・ビーバーマン監督

<反戦、反体制、カウンター・カルチャー>
「帰郷」(1978)  ハル・アシュビー監督
「ジュリア」(1978) フレッド・ジンネマン監督
「ウディ・ガスリーわが心のふるさと」(1976) ハル・アシュビー監督
「カッコーの巣の上で」(1975) ミロス・フォアマン監督
「ジョニーは戦場へ行った」(1971) ダルトン・トランボ監督
「イージー・ライダー」(1970) デニス・ホッパー監督
「キャッチ22」(1970) マイク・ニコルズ監督
「真夜中のカウボーイ」(1969) ジョン・シュレシンジャー監督
「俺たちに明日はない」(1967)  アーサー・ペン監督
「下り階段を上れ」(1967) ロバート・マリガン監督
「突撃」(1957) スタンリー・キューブリック監督
「攻撃」(1956) ロバート・アルドリッチ監督
「西部戦線異状なし」(1930) ルイス・マイルストン監督

  今年のアメリカ映画はこれまでの年と一味もふた味も違う。昨年の暮れからアメリカの現在や9.11後の世界を批判的に問い直す作品が次々に日本で公開されている。「ロード・オブ・ザ・ウォー」、「ランド・オブ・プレンティ」、「クラッシュ」、「ジャーヘッド」、「ミュンヘン」、「スタンドアップ」、「アメリカ、家族のいる風景」、「シリアナ」、「ブロークバック・マウンテン」、「スティーヴィー」、「グッドナイト&グッドラック」、「ユナイテッド93」、「ワールド・トレード・センター」。9.11後のアメリカの苦悩する姿が映画に映し出されてきている。これほど硬派で深刻なアメリカ映画がまとまって公開されたことはかつてなかったのではないか。この機会にアメリカの姿を批判的、かつ多面的に映し出した映画を通して、アメリカを捉えなおしてみよう。
  なお、ベトナム戦争関連の作品は既にこのシリーズで取り上げているのでここでははずしてあります。

2006年9月11日 (月)

寄せ集め映画短評集 その14

  パソコン内をあちこちひっくり返していたら「寄せ集め映画短評集」の原稿がまだ残っているのに気づきました。とっくに使い切ったと思っていたのですが。もう3、4年前の古い原稿なのですが、一般に知られていない韓国映画の古典が何本か含まれているので、一部手を加えてあえて載せることにしました(ほとんどは本館HP「緑の杜のゴブリン」に既に入っています)。これで本当に打ち止め。もう逆さに振っても何も出ません。

「朴さん」(1960年、カン・デジン監督、韓国)
  予想をはるかに上回る傑作だった。「誤発弾」と同じでまるで日本映画を観ているようだ。音楽といい話し方といい家族を中心にした人情話的ストーリーといい、どこを取ってもかつての日本映画そっくりだ。昔の韓国映画は日本映画から多くを学んだという印象は確信に近いものになった。
  何といっても朴さんの頑固親父振りがいい。こういう頑固親父も昔の日本映画にはよくAki_minori 出てきた。親孝行の息子と娘2人の三人の子供がいる。それぞれがほぼ同時に恋愛をしている。しかし息子が嫁を取るのは歓迎するが、娘たちが男と付き合うのは断固許さない。娘をあばずれとののしり、挨拶に来た男たちを追い返えそうとする。長女は元やくざと付き合っている。彼はやくざから足を洗い、車の免許を取って運転手になってまじめに働こうとしている。それでも、あれはやくざものだからと朴さんは娘の交際を認めない。次女は会社の上司と恋愛中だが、相手は良家の息子で、その叔母から身分違いだと言われ、朴さんは腹を立てる。ティーバッグの飲み方を知らなかったためにその叔母に笑われる。朴さんは子どもたちを大学にやれなかった自分を悔やむ。
  息子は親孝行で順調にやっていたが、社長に見込まれてタイ支店の初代店長に抜擢された。息子は行きたいと思うが父親を残してゆくのが心配だ。果たして父親は反対する。そうこうするうち長女は業を煮やして駆け落ちしてしまう。次女は恋人が徴集されて軍隊に入り、その叔母のちょっかいで結婚が難しくなっている。家族がばらばらになりそうな状態だったが、例の次女の恋人の叔母からバカにされた反動で、朴さんは息子に出世をしろとタイ行きを許す。
  息子の結婚式の場面は感動的だ。父親に世話ができなくてすまないと泣きながらわびる息子を朴さんが慰める。今日は父さんと寝たいというファザコン的せりふも出てくるが、ここは親を大事にする韓国の伝統の延長線上にあると解釈すべきだろう。最後は飛行場で息子を見送った後、一足早く飛行場を出た朴さんが道を歩いて帰る場面で終わる。
  息子が去ってゆく悲しみを抑えながら、何とか頑張って生きてゆこうと決心する。帰ってくる時には孫の2,3人も連れてこいよとつぶやきながら。この頑固親父を時には叱り、時にはあきれながらいつもそばにいて支えている妻もなかなかいい。どこにでもいる妻/母親だが、この頑固親父とうまく付き合っているところがほほえましい。
  日本映画もこの種のホームドラマがなくなって久しい。韓国映画でも事情は同じだろう。この映画を観て良質の現代的ホームドラマを観たくなった。家族がどんどん小さくなったために絶えてしまったジャンルだが、この映画は今でも色あせていない。

「リメンバー・ミー」(2000年、キム・ジョングォン監督、韓国)
  韓国映画得意の恋愛映画だが、傑作とはいえない。まあ、あまり期待もしていなかったが。「イルマーレ」と同じような時空を超えた超自然的な恋愛ドラマだが、「イルマーレ」は手紙が媒介で、どこから配達されるのか最後まで分からない。謎のままで終わっているために、逆に破綻がない。「リメンバー・ミー」は無線が媒介だ。1978年ごろの世界に住む女性と1999年の世界に住む男性が無線でつながってしまう。互いに住む時代が違うのだから、交信できるのは何らかの超自然的な現象だということになる。まあ、一種のファンタジーだからそんなことはどうでもいい。
  「イルマーレ」と違うのは、「リメンバー・ミー」では、1970年代にいた女性が2000年にも生存していて、ヒーローと中年になったヒロインが最後に出会う点である。これが興醒めだ。「イルマーレ」のように最後まで謎を残しておくべきだった。2000年には40代になっているはずの女性がメガネをかけただけで少しも老けて見えないのも不自然だ。「黒水仙」でも同じことがあった。顔や若さにこだわっているようじゃ本物の役者とはいえない。「イルマーレ」の様な青色を基調にした色彩感覚や寒々とした映像の魅力もない。ヒロインがどこか軽薄で共感できない。最後の3分の1はそれでもぐいぐい引き込む力があったが、最後に2人が出会う設定に問題がある。
  無線を通して主人公2人は次第に惹かれあうのだが、それぞれが自分の世界に恋人がいるという設定が「イルマーレ」と違っていて、かつ工夫を感じるところだ。ヒロインが思いを寄せている相手が実はヒーローの父親であり、母親はヒロインの友達だったという設定も悪くはないが、そのことが双方に引き起こす苦悩が十分掘り下げられていない。「イルマーレ」は最後まで主人公2人の接点はないわけだが、「リメンバー・ミー」は接点を持たせることでファンタジー性を弱めている。「イルマーレ」と比べると「リメンバー・ミー」はテレビ・ドラマに近い感じがする。

「MUSA武士」(2001年、キム・ソンス監督、韓国・中国)

  てっきり韓国映画だと思っていたら、韓国と中国の合作だった。高麗の使臣団として明に派遣された一団がスパイ扱いされ流刑にされる。そこに蒙古軍が襲撃してきて明の軍隊を全滅させる。しかし朝鮮民族に恨みはないと彼らの命は見逃す。一団は朝鮮に帰ることにし、砂漠を横切る。しかし蒙古軍が明の姫を捕虜にしていることを知り、彼らは彼女を助けて恩を売り、明の王に拝謁を願おうと考えた。蒙古軍を襲撃しまんまと姫を救う。しかし蒙古軍は姫を取り返そうと追撃してくる。途中漢民族の難民に出会い、姫の意見でやむなく彼らも一緒に連れてゆくことになる。海辺の砦に明の軍隊がいるという姫の意見で一団はそこに向かうが、着いてみると砦には誰もいなかった。そこに蒙古軍が迫り、最後の一戦を迎えることになる。あまりの犠牲者の多さに姫のせいだと責める漢の難民たち。しかし朝鮮の軍隊は最後まで決戦に挑む。激しい戦闘の結果どちらもほぼ全滅。生き残ったのは姫と一人の州鎮軍戦士チン・リプ(アン・ソンギ)、そして数人の難民たちだけだ。チン・リプは船に乗って朝鮮を目指して去ってゆく。
  予想以上に迫力のある戦闘場面だった。ストーリーもそれほどご都合主義的ではない。期待以上のいい映画だった。武器が中国のものと似ているせいか、全体に中国の活劇のようだ。日本のように剣を二本の腕で正面に構える方が特殊なのかもしれない。ただし、中国映画のようにワイヤーアクションで空を飛んだりはしない。その分はるかにリアルだ。何となくB級映画だと思っていたが、意外な収穫だった。戦士たちが精悍で、姫役のチャン・ツィイーも相変わらずかわいい。何と言っても姫さまだもの。
  明、高麗、元という三つの国が交錯する歴史ドラマだが、使臣団と高麗軍の内部にも対立がある。槍の達人ヨソル(チョン・ウソン)は使臣団副使の奴隷だった。副使が死に際に彼を奴隷から解放したが、その後も他の兵隊からさげすまれている。使臣団の責任者は龍虎軍の将軍チェ・ジョン(チュ・ジンモ)だが、しばしばミスを犯し、指揮をチン・リプに譲る。エリート軍団である龍虎軍にお対し、州鎮軍は下級武士部隊である。立派な鎧を着けた龍虎軍に比べると州鎮軍はみすぼらしい黒っぽい服を着ているだけだ。しかし州鎮軍は一人ひとりが優れた特技を持ち、特にその隊長であるチン・リプは優れた戦略家でもある。彼らは下級武士とさげすまれているが、龍虎軍は林の中での元軍との戦いで将軍のチェ・ジョンを除いて全滅してしまい、最後に残った兵士は州鎮軍だけである。国同士の争いの中に高麗国内の身分問題を描きこみ、ストーリーに奥行きを与えている。解説を読まないとこのあたりの事情はよく分からないのだが、決しておざなりの付け足しではない。

「ハンネの昇天」(1977年、ハ・ギルジョン監督、韓国)
  もっとシュールな映画かと思っていたが、民族色豊かな、というより土俗的な作品だった。マニョンは仙女滝の下で一人の女性を助ける。天女のように美しい女でハンネと名乗った。マニョンには彼を好いている村の女がいるが、彼女はハンネに激しく嫉妬する。丁度村祭りの直前でよそ者のハンネは村にたたりをもたらすと村人たちは彼女を快く思わMado_akari1 ない。やがてハンネはマニョンの死んだ母親とそっくりだということが分かる。また村の外にマニョンが出かけたとき出会った女もハンネそっくりだった。誤ってその女をマニョンは殺してしまう。しかし村に戻るとハンネはいつも通りそこにいた。
  祭りが始まり、祭主が一人こっそり抜け出してハンネの所に押し入り彼女を犯してしまう。実は20年前にも彼はマニョンの母親を犯していた。マニョンの母親は仙女滝から飛び降りて自殺してしまった。マニョンは祭主に飛び掛かるが、祭主はマニョンにお前の父親は自分だと告げる。マニョンはハンネを追うが、ハンネは仙女滝から飛び降り、彼も後を追ったと思われる。
  なんとも不思議な輪廻転生の話だが、手塚治虫の『火の鳥』に出てくる八百比丘尼の話を連想させる。解説には「土俗的な輪廻転生譚を通じて”袋小路”にある時代状況を観念的に表現している」とある。村の祭りは摩訶不思議な祭りだ。モンゴルか中国の少数民族の祭りのように銅鑼や太鼓をジャンジャン鳴らして練り歩く。お面の形も独特だ。韓国にこんな祭りがあったとは。やはり日本と違って大陸につながっているだけあって、大陸的な祭りだ。村の女がオカメ面ばかりなのがおかしい。だからハンネは飛び切りの美人に見える。マニョンが天女かと思うのも無理はない。
  「長雨」(79年)同様民族色が濃い映画だが、こちらも77年の映画で、「長雨」と製作時期が近い。偶然か。それともこの時期なにかこのような映画を作らせる何かがあったのか。先ほどの解説では「袋小路」に入っている時代状況が背後にあるという説明になっている。確かにどこか観念的なところがあるが、伝説や昔話にはこのような話は珍しくない。もっと違う事情が背後にありそうだ。
  主人公が昔の宍戸錠のようにほっぺたが異常に膨らんでいるのがおかしかった。祭主役はこれまでも何度も見かけたファン・ヘ。大分老けていたのですぐには気づかなかった。

「H」(2002年、イ・ジョンヒョク監督、韓国)
  韓国版「羊たちの沈黙」という宣伝文句通り似た設定になってはいる。しかし獄中の殺人犯(「ラブストーリー」で好青年を演じたチョ・スンウが扮している)の位置づけが違う。彼は警察にヒントを与えるのではなく、彼が逮捕された後も続く連続殺人事件を陰で操っているのだ。
  作品の雰囲気は予想通り「カル」と同じで血なまぐさく、不気味さを漂わせている。謎解きは二重三重に入り組んでいてそれなりに最後まであきさせない。獄中の殺人鬼を演じたチョ・スンウは不気味さには欠けるが、謎めいたせりふと謎めいたそぶりで刑事たちと観客を煙にまいている。女性刑事を演じたヨム・ジョンアは終始きつい顔を崩さない。事件に絡んで恋人だった刑事が自殺しているからだが、それにしても終始しかめ面では今一魅力に欠ける。もっとも、DVD付録のメイキングではきつい訓練に音を上げて泣き出す場面が映されていて(あまりに情けなくて途中で止めてしまったが)、それと比べれば精悍な(女性に使うのも変だが)刑事像をうまく演じてはいる。「カル」にも出ていたらしいが、まったく印象はない。もう一人の直情型の刑事役を演じるチ・ジニは型どおりの演技。
  真相は見てのお楽しみとするが、相当無理な設定であるとだけ言っておこう。先行するアメリカ映画から色々学んでそれを乗り越えようと努力しているのは分かるが、その結果無理な設定を持ち込んでしまっている。この点に難があるが、全体としては平均以上の出来である。
  ところで、韓国の俳優は、男優にせよ女優にせよ、日本人の俳優に似ているのはどうしてか。ヨム・ジョンアは秋野暢子似だ。ハン・ソッキュは歌手の小田和正そっくり。「殺人の追憶」のキム・サンギョンは渡部篤郎に似ていた。イ・ヨンエは奥菜恵に瓜二つだし、「ほえる犬は噛まない」のペ・ドゥナは坂井真紀似だ。他にも何人もいる。日本でも韓国でも同じような顔が好まれるということか。

「SSU」(2002年、イ・ジョングク監督、韓国)
  韓国海軍所属の海難救助隊の話だが、作りは「シュリ」によく似ていた。男女の恋愛を主軸に、ラストは悲劇的な結末を迎える。いかにもさあ泣いてくださいという作りだ。前半はとても軍隊の話とは思えないほど恋愛中心の話になっている。幼馴染のジュンとテヒョンは同期のスジンを共に愛してしまう。その三角関係が中心に描かれる。やがてテヒョンが先にスジンを好きになったことを知ったジュンは、自ら身を引く。しかしスジンの思いはジュンに向けられていた。
  スジンはイギリスに行くが、数年して少佐になって戻ってくる。彼らの直属の上官になった。出世欲にかられ無理やり潜水記録に挑ませようとする上官や、落ちこぼれだがジュンとテヒョンに反抗的な部下の存在が複線として描かれる。いかにも常道的な作りだ。
  事故で潜水艦が沈没。救助隊はその救助に向かう。潜水艦の乗組員を潜水艇に乗り移らせるが、潜水艇の定員オーバーのためスジンは例の反抗的な部下と二人で潜水艦に残る。しかしその直後潜水艦がさらに深いところまで滑り落ちてしまう。ジュン(名誉欲にかられた上官の無理な命令に背いたため営倉に入れられていたが、救助のために刈り出される)とテヒョンたちが救助に向かう。しかしジュンはスジンを忘れるために無理な潜水訓練を続けていたため潜水病になっていた。スジンは助かったが、引き上げる際にジュンとテヒョンのパイプが絡まってしまう。ジュンは潜水病のため瀕死の状態だった。上官はパイプを切断せよと迫る。迷った末にテヒョンはパイプを切断する。このあたりはまさに「シュリ」を思わせる。潜水してはならない体になっていたジュン。スジンを助けるためにジュンはもぐり英雄的な死を迎える。いかにもという作りになっている。しかし確かに後半部分は緊張が高まりぐっと観客を引き寄せる力を持っている。キネ旬のベストテンでは選外だったが、決して悪い作品ではない。しかしあざとい展開だと言わざるを得ない。

「荷馬車」(1961年、カン・デジン監督、韓国)
  前半はやや退屈だが後半はよかった。馬車引きの父親が雇い主の車にはねられ足を怪我してしまう。雇い主は車の心配はしても馬車引きの心配をするどころかぼんやり歩いているからだと怒鳴りつける。息子が抗議に行っても礼儀知らずだといって追い返す。社会的地位の問題があらわに描かれている。災難は続く。口の利けない長女は夫に暴力をArtbasya04200wa_1 振るわれ家に逃げ帰っていたが、父親からは情けないと言われ、ついに自殺する。次女は男にだまされ捨てられる。次男は盗みをして警察に捕まる。頼りは長男だけだが、司法試験の結果が出るまで何ヶ月もかかる(勉強部屋の壁に「考査突破」の張り紙が貼ってあるのが日本と同じで笑ってしまう)。
  長男は父親に代わって荷馬車を引く。司法試験の発表の日、長男は合格していた。発表会場の前に家族全員が集まる。父親に親切にしていた雇い主の家の家政婦も来ている。息子にお母さんになってほしいといわれ、彼女は父親に寄り添う。
  長男の司法試験合格ですべてが解決してしまう結末にはあっけない感じがするが、見終わったときにはいい気分になれる。ホーム・コメディのジャンルに入る作品だが、社会の底辺に生きる人たちを温かい目で描いている点に共感できる。

「夜歩く男」(1948年、アルフレッド・ワーカー監督、アメリカ)

  「ハリウッド・クラブ 幻の洋画劇場」シリーズの1本。48年の映画だが、画質は心配したほど悪くはない。内容もなかなかだ。ジャケットの「アメリカン・リアリズムの傑作」という言葉に惹かれて買ったのだが、確かによく出来た犯罪捜査ものだ。リアリズムというのは大げさな感じもするが、ロサンゼルスで実際に起こった事件を元に忠実に再現しているからだろう。犯人は最初から出てくる。いわゆる倒叙ものだ。犯人役のリチャード・ベースハートがなんとも不気味な雰囲気を出している。
  警察官が不審な人物を尋問中に銃で撃たれた。現場には何の手がかりも残されていなかった。犯人の男は電気技術に詳しいことぐらいしか分からない。その男は盗品を自分の手作り品だとして売っていた。ところがある時その商品を見た客が、これは自分が作ったもので盗まれたものだと言ってきた。そこから警官殺しと盗品転売事件が結びつき始める。警察は盗品を売りにきた男を呼び出し、二人の警官を張り込ませていたが、犯人は警官を撃ち殺して逃走する。彼は地下の排水路を利用して逃げていた。犯人の男はその後も強盗事件を繰り返す。警察は目撃者を集めてモンタージュを作る。今ではおなじみのモンタージュ写真だが、どうやら当時としては初めての試みだったようだ。
  ようやく犯人の身元が割れ、犯人の家を警官が取り巻く。犯人は事前に察知し地下排水路に逃走する。真っ暗なトンネルの中で懐中電灯だけがきらめくシーンはなかなかよく出来ている。結局犯人は追い詰められ射殺される。79分の短い映画で地味な配役であるためほとんど知られていなかったが、ちょっとした「幻の傑作」である。監督はアルフレッド・ワーカー。まったく知らない。冒頭の犯人が電気店に押しこもとする辺りの描写は壁に映る影の効果をうまく使っており、ドイツ表現主義映画の影響も感じられる。

「ファインディング・ニモ」(2003年、アンドリュー・スタントン監督、アメリカ)
  なかなかよく出来たアニメだ。「モンスターズ・インク」「シュレック」とアメリカ製アニメのレベルはこの2、3年で頂点に達している。CDによる映像はもう実写と比べてもさほど見劣りしない。色鮮やかで美しい珊瑚礁の海底を見事に再現している。しかもアニメだけに実写では映せない描写も可能だ。その力がもっとも発揮されるのはキャラクターの創造だ。実物に似せながらも独特のキャラクターをもった登場人物(登場魚?)の創造。記憶喪失の魚、魚は友達だと言うサメ、まるで漫画のようなタコ。アニメの力がもっとも発揮されるのはこのキャラクターの創造だろう。
  ただ主題とストーリーはあくまで子ども向きだ。父と子の愛情が主題であり、さらわれた子どもを必死で探す父親の冒険がストーリーの中心だ。ただ、ニモは人間にさらわれ、地上に連れ去られている。海に住むクマノミが地上の息子を取り戻すにはかなり無理をしなければならない。アニメだからこそその障害を軽々と越えられる。勢い物語はファンタジーの世界に入る。そういう意味でやはり子ども向きのアニメなのだ。
  もちろんファンタジーやアニメがすべて子ども向きとは限らない。トールキンの『指輪物語』やルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は大人の目線で見ても見劣りしないファンタジーだ。前者は大人の知識があってこそ十分その物語を楽しめるようになっている。映Meruhen1s 画版「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズはそうでもないが。しかし後者は大人の知識を必要としないように思える。にもかかわらず大人の想像力を刺激して止まない。『不思議の国のアリス』と「ファインディング・ニモ」の違いはどこにあるのか。おそらく前者のナンセンスを支えている皮肉や風刺の質に秘密があるのだろう。『不思議の国のアリス』の風刺は『ガリヴァー旅行記』の風刺とどこか通じるものがあるに違いない。それがおそらく「ファインディング・ニモ」には欠けているのだ(同じアメリカのアニメでも「シュレック」にはディズニー・アニメに対する皮肉が込められている)。だが、だからといって「ファインディング・ニモ」がつまらないわけではない。大人も十分楽しめる。ただ楽しめばいいのだ。毒がないのだからそうするしかない。

2006年9月10日 (日)

ホテル・ルワンダ

Kairou1 2004年 南アフリカ・イギリス・イタリア 2006年1月公開
原題:HOTEL RWANDA
監督:テリー・ジョージ
製作:A・キットマン・ホー、テリー・ジョージ
脚本:ケア・ピアソン、テリー・ジョージ
撮影:ロベール・フレース
音楽:アンドレア・グエラ、ルパート・グレグソン=ウィリアムズ
    アフロ・ケルト・サウンド・システム
共同制作総指揮:ケア・ピアソン、ニコラ・メイエール、イジドール・コドロン
特別顧問:ポール・ルセサバギナ
出演:ドン・チードル、ソフィー・オコネドー、ニック・ノルティ、ホアキン・フェニックス
    デズモンド・デュベ、デイヴィット・オハラ、カーラ・シーモア、ファナ・モコエナ
    トニー・キゴロギ、ハキーム・ケイ=カジーム

  散発的に銃声が響く中、1台の戦車が南ベトナム大統領官邸の鉄柵を押し倒し広い中庭に侵入する。兵士や他の戦車が次々にそれに続く。もはや抵抗するものも少なく激しい銃撃戦はない。やがて旗ざおから南ベトナムの旗が降ろされ、するすると南ベトナム解放戦線の旗が掲げられる。2階のベランダに一人の兵士がラウドスピーカー(拡声器)を持って現れる。その兵士はベランダから身を乗り出すようにして叫んだ。「ピース・フォーレヴァー、フォーレヴァー、ピース・フォーレヴァー、フォーレヴァー」。

  南ベトナム政府が降伏し実質的にベトナム戦争が終わった日。このニュース・フィルムはこれまで何百何千と見てきたあらゆるニュース・フィルムの中でもっとも強烈に記憶に残っているものである。中でも兵士が叫んだ言葉が印象的だった。「われわれは勝利した」でもなければ、「ベトナム万歳」でもなく、「祖国は統一された」でもない。「平和よ永遠に」。長かった。ベトナム人にとってそれは本当に長い戦争だった。65年の北爆開始から数えても75年4月30日のサイゴン陥落まで10年。アメリカの前にはフランスからの独立戦争もあった。もうこれで戦争は終わったのだ。これからは永遠に平和なのだ。兵士が叫んだ言葉は偽らざる心境だったろう。

  ベトナム戦争が終結した日、僕は生まれて初めて歴史を実感した。僕にとってそれまで歴史とはフランス革命や日清戦争のような過去の出来事だった。あの日初めて、未来の歴史書や年表に間違いなく大きく書かれるはずのベトナム戦争の終結という歴史的出来事を同時代人として共有していることを実感したのだ。

  記憶が失せないうちにと思って僕が上の短い文章を書きとめておいたのはもう何年も前だ。さすがに記憶はだいぶ薄れてきたが、兵士が叫んだあの言葉は今でもはっきりと耳に残っている。「平和ボケ」という言葉が何の警戒心も無く無神経に語られている今日、あの兵士が叫んだ言葉の意味をもう一度考え直してみることは無駄ではないだろう。

  フツ族とツチ族の対立で94年の4月から6月にかけての100日間に少なくとも80万人が虐殺されたと言われるルワンダの大量虐殺事件。それを題材にした「ホテル・ルワンダ」を観て、直接関連の無いベトナム戦争のことを僕が思い出したのはこのような文脈においてである。

  7月に「ロード・オブ・ウォー」を取り上げた。「ロード・オブ・ウォー」が民族紛争などの混乱に乗じて武器を売り飛ばす側を描いたものだとすれば、「ホテル・ルワンダ」は売られた武器がどう使われたかを描いた映画である。まずこの関係を念頭においておくべきだろう(フツ族の民兵が中国から安い値段で買ったナタを運んでいる場面も出てくる)。紛争の陰には常に大国と武器商人の影が付きまとっている。

  フツ族とツチ族。その間に本質的な違いなどあろうはずもない。もともとツチ族とフツ族は対立関係にあったわけではない。同じ言語を話し、同じ地域で暮らしてきた。にもかかわらず100万人近い人間が虐殺される。政治的な利害関係が絡んでいたからだ。植民地支配する国(ドイツ、後にベルギー)が一方を重んじ、一方を軽んじたからである。民族対立をあおりつつ支配するのは植民地支配の常套手段だ。フツ族とツチ族の間に支配、被支配関係が生まれ、独立後も対立が続く。フツ族とツチ族の対立は植民地支配の負の遺産なのである。ここにもまた憎しみの連鎖が作動している。  

  映画はどちらの立場にも立たない。むしろ西洋人の目からはほとんど区別がつかないことを強調している。白人の報道カメラマン、ダグリッシュ(ホアキン・フェニックス)が酒場で隣に座っている女性たちに君はどっちだと聞く場面が印象的だ。答えを聞いても彼はフツもツチも見分けがつかないとぼやく。この視点が大事である。

  シドニー・ポラック監督の「インディアン狩り」(67)という映画がある。バート・ランカスターと黒人俳優オシー・デイヴィス主演の映画で(タイトル通りインディアンも絡んでいる)、映画の出来としては傑作というほどではないが、ラスト近くに極めて印象的な場面が出てくる。黒人のオシー・デイヴィスと白人の無法者が格闘している。近くに立っているバート・ランカスターが悪党のほうを撃とうとするがなかなか撃てない。なぜなら二人の見分けがつかないからだ。二人は泥水に浸かり泥まみれになって転げまわっている。泥で顔も肌の色も見分けがつかないのだ。結局バート・ランカスターは何とか悪党をしとめるのだが、この場面が象徴していることは明確だろう。泥で覆われてしまえば黒人も白人も見分けがつかない。肌の色などはなんら人間の本質的な違いではない、そう言っているのだ。(注)

  しかし現実には、白人と黒人ほどの違いもないフツ族とツチ族の間に互いに殺しあうほどの憎しみが渦巻いていた。なんともやりきれないが、それがまた現実である。「ホテル・ルワンダ」という映画を観ることは、そういう現実と正面から向き合うことである。ある印象的な場面がある。赤十字で働く女性パット・アーチャー(カーラ・シーモア)は目の前で子供たちが殺されるのを目撃した。「一人の女の子が背中に妹をおぶってた。殺される直前私に叫んだの。”お願い助けて、ツチ族をやめるから。”」ツチ族をやめてフツ族になるなどどうしてできよう。不可能だと分かっているからこそ、そうまで言わざるを得なかった少女の言葉が胸に突き刺さる。

  「ホテル・ルワンダ」はこの大虐殺事件に巻き込まれそうになった主人公たちがホテルに閉じ込められ、苦心の末国外に脱出するまでを描いている。主人公のポール・ルセサバギナ(ドン・チードル)はルワンダの首都キガリにある4ツ星ホテル「ミル・コリン・ホテル」のOct5 支配人である。優秀なホテルマンで、エリートであった。しかしどんなにエリートであれ、所詮はアフリカ人にすぎないことを戦争によって思い知らされる。平和維持軍のオリヴァー大佐(ニック・ノルティ)がポールにこう語りかけるのだ。「分かるだろうポール。君は頭がいい、スタッフの信望も厚い。だがオーナーにはなれん。黒人だからだ。”ニガー”ですらない。アフリカ人だ。」ニグロという言葉には特に差別的な意味は込められていないが、ニガーは明確な差別語である。だが、アフリカ人はそのニガー以下なのである。面と向かってそう言われ、一流ホテルの支配人としてのポールの誇りとエリート意識がもろくも崩れ去る。大佐がその後に言った言葉はさらに打撃的だった。「軍は撤退する。」ホテルにやってきたベルギー軍はポールたちではなく白人のみを救助するためにやってきたのだ。アフリカ人同士の紛争から国連は手を引いてしまった。西欧の大国にとってルワンダの原住民などおよそ救う値打ちがないのだ。こうしてポールは「非白人」避難民と一緒にホテルに取り残される。

  オリヴァー大佐は決してポールを軽蔑して上の言葉を言ったのではない。白人たちの安全だけを考えて、危険な紛争地からの白人の脱出にばかり気を配る西欧人の対応を自嘲気味に語ったのである。大佐は「俺につばを吐け」といってこの話を切り出したのだ。報道キャメラマンのダグリッシュも退去の際ホテルマンが差し出す傘を断り、「恥ずかしい」といって雨に濡れたままでバスに乗り込んでいった。この映画はアフリカ人の苦悩ばかりではなく、西欧人の良心と苦悩もあわせて描いている。平和維持軍は現地に残り活動を続けたが、生命の危険があるとき以外は武器を使えない。悔しさに歯軋りしながらも、オリヴァー大佐は体を張って任務を全うしようと努力したのだ(平和維持軍は全土で300人しかおらず、ホテルの警備には4人しか回せない状況だった)。赤十字のパット・アーチャーも現地に踏みとどまり、何人ものツチ族の孤児たちを救った。しかし彼らの意思も勇気も現実の前ではほとんど無力だった。国連軍の撤退によってポールたちは絶体絶命の状況に投げ出される。彼らには身を守る何の手段もない。

  そこからポールの苦難と活躍が始まるのだが、「ホテル・ルワンダ」は決して彼を人並みはずれたヒーローとしては描かなかった。この映画の製作は南アフリカ・イギリス・イタリアだが、アメリカではなくイギリスが一枚噛んでいることに注目すべきだ(監督のテリー・ジョージは北アイルランドのベルファスト生まれ)。ハリウッド製作ならもっと違った映画になっていただろう。イギリスは南アフリカのアパルトヘイトを描いた力作「遠い夜明け」(リチャード・アッテンボロー監督、87年)や「ワールド・アパート」(クリス・メンゲス監督、87年)を作ってきた。「ズール戦争」(サイ・エンドフィールド監督、63年)では、イギリスの植民地支配にこそ直接触れなかったが、ズール族を公平な視点で描いていた。決して野蛮人のようには描かなかった。サッチャー政権以後イギリスはどんどんリトル・アメリカ化してきているが、イギリス映画人の批判精神はまだまだ健在である。

  和平協定成立直後にハビャリマナ大統領が暗殺され、ルワンダ国内は一気に民族間紛争が激化する。ポールはフツ族だが、妻のタチアナ(ソフィー・オコネドー)はツチ族である。いつ家族の身に危険が迫るか分からない。映画はサスペンス映画の様相を呈しはじめる。避難民が次々に逃げ込んできて、ホテルは難民キャンプの様になってしまう。ポールのとっさの機転でホテル本社の社長(ジャン・レノ)に裏からフランス政府に手を回してもらい、何とかホテルの安全は当面保たれた。政府軍(フツ族)を援助しているのはフランスだったのである。ここにも「ロード・オブ・ウォー」の世界がある。しかしこのままではまるで猛獣がうろつくジャングルの中で逆に檻に入ってかろうじて身を守っているような状態である。フランスから援助を受けているルワンダの政府軍はまだ統制がきくが、彼らが去ってしまえば民兵が何をするか分からない。この危機的状況からいかに脱出するか。映画は何度も危機的な状況を設定しサスペンスを盛り上げる。

  ポールは抜け目の無い男であった。映画の最初のあたりで政府軍の将軍をもてなしている場面が出てくる。将軍がクロークにカバンを預けてあるとそれとなく支配人のポールに伝える。するとポールはさっとその場を辞し、クローク係に高級酒2本を渡し、将軍のカバンに入れろと指示する。賄賂である。鼻薬として1本1万フランもするハバナ産の葉巻を贈ったりもしている。内戦が続く不穏な情勢の中で権力者に取り入って抜け目無くやってきた。妻のタチアナが、向かいの家の男が連れ去られるのを見てポールに何とかして欲しいと頼んだ時、ポールはこう答えた。「タチアナ、俺は毎日将校や外交官や観光客をもてなしている。恩を売っておいて、いざという時に助けてもらうためだ。」彼の心は家族の安全を心配するだけでいっぱいで、たとえ親しい隣人であっても危ない橋を渡る気はなかった。

  「わが家の犬は世界一」の主人公も同じだったが、特別な権力を持たない人間の武器は賄賂とコネである。家に踏み込んできた民兵たちに妻や匿っていたツチ族を殺すと脅された時は、民兵の隊長に賄賂を渡して何とかその場を逃れた。あるいは、最後に立てこもったホテルの中でポールは従業員や「滞在客」たちにこう呼びかけた。「援助は来ない。介入軍もだ。自衛するしかない。外国の有力者に連絡してくれ。私たちの危機を知らせてお別れを言うんだ。だがその時、電話を通して相手の手を握りなさい。手を離されたら死ぬと伝えるんだ。彼らが恥じて救援を送るように。忘れるな。ここは難民キャンプじゃない。兵士はここが4ツ星ホテルだと知ってる。それが私たちの命綱だ。」

  何という心細い命綱か。いつの間にか従業員100人のほかに避難民が800人も集まってきていた(最終的には1268人の避難民をホテルに匿った)。彼ら全員の命はポールにかかっていた。最初は家族のことだけを考えていたが、いつしか彼の意識はホテルにいる全員に向いていた。決して颯爽とはしていない。しかし彼は常にネクタイを締め、きちOpen1_1 んとした服装を崩さずホテルマンとして振舞った。この描き方がいい。妻のタチアナが「隣人たちが感謝してた」と話したとき、ポールはこう言った。「今は後悔してる。支配人になったとき言われた。”ホテルの品位を落とすな”、”いつでも尊厳を保て”と。」しかし単にホテルマンとしての使命感だけでここまではできない。危機に直面して人間の真価が問われる。もともと持っていた素質が危難に際して鍛え上げられたのだ。彼はフツ族もツチ族も分け隔てなくホテルに受け入れた。映画のラストでポールの言った言葉「いつでも部屋は空いていた」に示されるように、彼のそういう姿勢がホテル内を1つにまとめ上げたのだろう。

  もちろん彼も生身の人間。くじけそうになった時もある。食料調達の後川沿いの道を走っていたポールたちは深い霧につつまれ前が見えなくなってしまう。車が妙に揺れる。車を止め、車外に出たポールは何かに躓きひっくり返る。霧が少しはれた時、そこに見えたのは累々と横たわる死体の山だった。その後何とかホテルまで戻り血の着いたシャツを着替えるが、どうしてもネクタイがうまく結べない。やがてポールは床に崩れ落ち泣き崩れる。心の動揺を言葉や表情で直接表現するのではなく、ネクタイで象徴的に表す描き方が実に秀逸だった。

  ポールたちは最後に二度目の脱出を図る(1度目は途中で民兵に襲われホテルに逃げ帰る)。もう賄賂に使う金も酒も宝石も残されていない。刀折れ矢尽き。平和維持軍のトラックに分乗して民兵たちの中を突っ切る。彼らが助かったのは丁度その時ツチ族がフツ族を襲撃したからだ。前線を突破した彼等はツチ族支配地区の難民キャンプに到着する。自分たちの力ではどうすることもできず、平和維持軍という外国人に頼らなければならないという現実。大国に翻弄されてきた小国の悲劇。その点はよく描かれていた。

  武器も使えない状況で現場に残った平和維持軍に対しては好意的に描いているが、西側諸国に対するこの映画の視線は冷ややかである。この映画を観てきた人が必ず指摘する重要な場面がある。報道キャメラマンのダグリッシュがホテルの1キロ先でナタで住民を殺している虐殺現場をビデオに撮ってくる。たまたまその映像を観たポールがダグリッシュに言う。「あの残虐行為を見れば必ず助けに来る。」これに答えるダグリッシュの表情は苦渋に満ちている。「世界の人々はあの映像を見て”怖いね”と言うだけで、ディナーを続ける。」遠いアフリカで起きている残虐行為に世界がいかに無関心であるか。映画は観ているわれわれにその事実を突きつけている。カメラに写された現実とそれをお茶の間で遠い国のニュースとして観る人々、その隔たりは悲しいほど大きい。

  しかし、ただ無力感に襲われているだけではこの映画を観た意味はない。自分自身無力感に襲われながらもダグリッシュは紛争地に赴いた。身の危険を知りながらもカメラを回した。ほとんど何もできない悔しさに歯軋りしながらもオリヴァー大佐は最後までポールたちを守り抜いた。そういう人たちがいる。自分の家族だけではなくホテルに逃げ込んできた人全員を救ったポールだけが活躍したわけではない。互いに殺しあう人間たちのおろかな現実に圧倒的されながらも、やはりポールや大佐や赤十字のアーチャーたちに僕は共感を禁じえない。負の面だけに目を向けるのではなく、反対の面にも目を向けよう。虐殺ばかりではなくその後の経過にも目を向けよう。ツチ族によるルワンダ愛国戦線(RPF)は全土を完全制圧した後、新政権を樹立。ビジムングを大統領に選んだ。その後を引き継いだポール・カガメ大統領は出身部族を示す身分証明証を廃止した。民族融和の政策を図り、民主化を進めているようだ。もちろん、まだまだこの先どうなるか分からない。一所が落ち着いてもまた別のところで紛争が噴き出す。しかしとにかく前を見るしかない。

  映画のラストは明るい調子で終わる。しかし、エンドロールのバックに流れるMillion Voicesの曲はわれわれに疑問を投げかける。なぜアフリカはアメリカのように「アフリカ合衆国」になれないのか?なぜイギリスのように「アフリカ連合王国」になれないのか?絶望はいらない。疑問を持ち、絶えず問い続けることが必要なのだ。疑問を持たなくなった時、現状肯定と無関心が始まる。

  ポールを演じたドン・チードルが何と言っても素晴らしかった。「青いドレスの女」、「ボルケーノ」、「アウト・オブ・サイト」、「トラフィック」、「ミッション・トゥ・マーズ」、「オーシャンズ11」、「ソードフィッシュ」。彼の出演作をこれまで7本も観ていたのだが、どういうわけかほとんど彼の印象がない。こんなに観ていたのかと調べてみて自分で驚いたほどだ。僕が彼を初めて意識したのは映画ではなくテレビドラマだった。「ER」第10シーズンにパーキンソン病にかかっているインターン役で出てきた時だ。結局ドラマのレギュラーにはならず途中で病院をやめてしまうのだが、短い間にもかかわらず鮮烈な印象を残した。ヒューマンな役どころが実によく似合う。「クラッシュ」にも出ているようだ。今後の活躍が楽しみである。

  もう一人、オリヴァー大佐を演じたニック・ノルティにも触れておきたい。彼は本当に素晴らしかった。あの精悍な顔が実に頼もしく思えた。しかし彼の顔は常に苦渋にゆがんでいる。血のりが付いた彼の部下の青いヘルメットを民兵が彼の前に放り投げても、手出しができない。首相を護衛していた部下たちが首相と共に殺されたのだ。身をよじるほどの悔しさに彼は耐えた。武器を持ちながら武器を使えない悔しさ。平和維持軍とはいったい何なのか。考えさせられた。しかし銃を使うことなくホテルの人々を守った彼は、アメリカ映画のヒーロー像とは違う別のヒーローだった。「ダブル・ボーダー」での迫力もすごかったが、恐らく彼はこの映画で「ダブル・ボーダー」も「48時間」も超えた。素晴らしい性格俳優になったものだ。

<参考> アフリカ関連の映画
「アマンドラ!希望の歌」(02年、リー・ハーシュ監督、南アフリカ・アメリカ)
「名もなきアフリカの地で」(01年、カロリーヌ・リンク監督、ドイツ) 
「白く渇いた季節」(89年、ユーザン・パルシー監督、アメリカ)
「遠い夜明け」(87年、リチャード・アッテンボロー監督、イギリス)
「ワールド・アパート」(87年、クリス・メンゲス監督、イギリス)
「アモク!」(81年、スウヘイル・ベン=バルカ監督、モロッコ・ギニア・セネガル)
「アレキサンドリアWHY?」(79年、ユーセフ・シャヒーン監督、エジプト)
「チェド」(76年、ウスマン・センベーヌ監督、セネガル)
「放蕩息子の帰還」(76年、ユーセフ・シャヒーン監督、エジプト)
「エミタイ」(71年、ウスマン・センベーヌ監督、セネガル)
「アルジェの戦い」(66年、ジッロ・ポンテコルヴォ監督、イタリア・アルジェリア)

 →「ゴブリンのこれがおすすめ 36 アフリカ関連映画」という記事により詳しいリストが載っているので、関心があればそちらも参照していただきたい。

<注>
 ロバート・ワイズ監督の「拳銃の報酬」にも「インディアン狩り」とほぼ同じ象徴的意味を込めた場面が出て来る。ロバート・ライアンとハリー・ベラフォンテは互いに人種的憎悪を持ちながら、金のために手を組んで銀行強盗を働く。しかしもう一歩というところで失敗。首謀者のエド・ベグリーは警官に撃たれて死ぬが、2人は逃げ切れる可能性はあった。しかしロバート・ライアンの人種的偏見に基づくある行動がその可能性をつぶしてしまった。二人は仲間割れして互いに銃で撃ち合い、ついにはそれた弾がオイルタンクを撃ち抜き、2人は黒焦げになる。死体を収容に来た男が「どっちがどっちだ」と警官に聞くが、結局見分けがつかないまま二つの死体は運ばれてゆく。これがラストシーンである。

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2006年9月 7日 (木)

ゴブリンのこれがおすすめ 24

Artbasya05200wa_1 デヴィッド・リーン
■マイ・ベスト10
1 「アラビアのロレンス」(1962)
2 「ドクトル・ジバゴ」(1965)
3 「逢びき」(1945)
4 「大いなる遺産」(1946)
5 「ホブスンの婿選び」(1954)
6 「ライアンの娘」(1970)
7 「戦場にかける橋」(1957)
8 「オリヴァ・ツイスト」(1947)
9 「インドへの道」(1984)
10 「旅情」(1955)

■気になる未見作品
 「超音ジェット機」(1952)
 「陽気な幽霊」(1945)

キャロル・リード
■マイ・ベスト5
1 「第三の男」(1949)
2 「邪魔者は殺せ」(1947)
3 「落ちた偶像」(1948)
4 「鍵」(1958)
5 「オリバー!」(1968)

■気になる未見作品
 「文無し横丁の人々」(1955)
 「二つの世界の男」(1953)
 「文化果つるところ」(1951)

イギリス映画(30-70年代)
■おすすめの35本
 「ヘンリー八世の私生活」(1933) アレクサンダー・コルダ監督
 「アラン」(1934)  ロバート・フラハティ監督
 「三十九夜」1935 アルフレッド・ヒッチコック監督
 「レンブラント 描かれた人生」(1936) アレクサンダー・コルダ監督
 「巌窟の野獣」(1939) アルフレッド・ヒッチコック監督
 「黒水仙」(1946) マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
 「天国への階段」(1946) マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
 「赤い靴」(1948) エメリック・プレスバーガー監督
 「マダムと泥棒」(1955) アレクサンダー・マッケンドリック監督
 「狩人の夜」1955) チャールズ・ロートン監督
 「将軍月光に消ゆ」(1957) マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
 「年上の女」(1958) ジャック・クレイトン監督
 「土曜の夜と日曜の朝」(1960) カレル・ライス監督
 「蜜の味」(1961) トニー・リチャードソン監督
 「エヴァの匂い」(1962) ジョゼフ・ロージー監督
 「長距離ランナーの孤独」(1962) トニー・リチャードソン監督
 「ズール戦争」(1963) サイ・エンドフィールド監督
 「トム・ジョーンズの華麗なる冒険」(1963) トニー・リチャードソン監督
 「博士の異常な愛情」(1963) スタンリー・キューブリック監督
 「召使」(1963) ジョゼフ・ロージー監督
 「ベケット」(1964) ピータ・グレンヴィル監督
 「袋小路」1965) ロマン・ポランスキー監督
 「わが命つきるとも」1966 フレッド・ジンネマン監督
 「できごと」(1967)  ジョゼフ・ロージー監督
 「遥か群集を離れて」(1967) ジョン・シュレシンジャー監督
 「ミニミニ大作戦」1968 ピーター・コリンソン監督
 「冬のライオン」(1968) アンソニー・ハーヴィー監督 Ukflag2_hh_w
 「If もしも・・・」(1969) リンゼイ・アンダーソン監督
 「ケス」(1969) ケン・ローチ監督
 「恋する女たち」(1969) ケン・ラッセル監督
 「裸足のイサドラ(1969) カレル・ライス監督
 「若草の祈り」(1970) ライオネル・ジェフリーズ監督
 「時計じかけのオレンジ」(1971) スタンリー・キューブリック監督
 「日曜日は別れの時」(1971)  ジョン・シュレシンジャー監督
 「マーラー」(1974) ケン・ラッセル監督

■気になる未見作品
 「赤い影」1973 ニコラス・ローグ監督
 「ウィッカーマン」1973 ロビン・ハーディ監督
 「狙撃者」1971 マイク・ホッジス監督
 「パフォーマンス/青春の罠」1970 ドナルド・キャメル、ニコラス・ローグ監督
 「国際諜報局」1965 シドニー・J・フューリー監督
 「怒りの海」 1952 チャールズ・フレンド監督
 「ブライトン・ロック」1947 ジョン・ボールティング監督
 「老兵は死なず」1943 マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
 「我ら奉仕するもの」1942 ノエル・カワード、デヴィッド・リーン監督

2006年9月 4日 (月)

ゴブリンのこれがおすすめ 23

知られざる傑作

■おすすめの100本
「アマンドラ!希望の歌」(2002) リー・ハーシュ監督
「キャロルの初恋」(2002) イマノル・ウリベ監督
「涙女」(2002) リュウ・ビンジェン監督
「アメリカン・ラプソディー」(2001) エヴァ・ガルドス監督
「1票のラブレター」(2001) ババク・パヤミ監督
「歌え!フィッシャーマン」(2001) クヌート・エーリク・イエンセン監督
「SUPER8」(2001) エミール・クストリッツァ監督
「マーサの幸せレシピ」(2001) サンドラ・ネットルベック監督
「キャラバン」(1999) エリック・ヴァリ監督
「ムッソリーニとお茶を」(1999) フランコ・ゼフィレッリ監督
「この森で、天使はバスを降りた」(1998) リー・デビッド・ズロートフ監督
「スパイシー・ラブスープ」(1998) チャン・ヤン監督
「クアトロ・ディアス」(1997) ブルーノ・バレット監督
「マイ・リトル・ガーデン」(1997) ソーレン・クラウ・ヤコブセン監督
「ゲット・オン・ザ・バス」(1996) スパイク・リー監督
「さまよえる人々」(1995) ヨス・ステリング監督
「明日を夢見て」(1995)  ジュゼッペ・トルナトーレ監督
「女人、四十」(1995) アン・ホイ監督
「黒豹のバラード」(1994) マリオ・バン・ピープルズ監督
「潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ」(1993)  ランダ・ヘインズ監督
「パッション・フィッシュ」(1992) ジョン・セイルズ監督
「ラテンアメリカ光と影の詩」(1992) フェルナンド・E・ソラナス監督
「銀馬将軍は来なかった」(1991) チャン・ギルス監督
「乳泉村の子」(1991) シェ・チン監督
「100人の子供たちが列車を待っている」(1988) イグナシオ・アグエロ監督
「ミラグロ」(1988)  ロバート・レッドフォード監督
「略奪の大地」(1988) リュドミル・スタイコフ監督
「メイトワン1920」(1987)  ジョン・セイルズ監督
「翌日戦争が始まった」(1987) ユーリー・カラ監督
「フランスの思い出」(1987) ジョン・ルー・ユベール監督
「ベルナルダ・アルバの家」(1987) マリオ・カムス監督
「最後の冬」(1986) ウー・ツーニュウ監督
「大閲兵」(1986) チェン・カイコー監督
「死者からの手紙」(1986) コンスタンチン・ロプシャンスキー監督
「黒砲事件」(1985) ホアン・チェンシン監督
「スイート・スイート・ビレッジ」(1985) イジー・メンツェル監督
「野山」(1985) ヤン・シュエシュー監督
「田舎の日曜日」(1984) ベルトラン・タヴェルニエ監督
「追憶のオリアナ」(1984) フィナ・トレス監督 Lkasa1s
「ル・バル」(1984) エットーレ・スコラ監督
「エル・ノルテ 約束の地」(1983)グレゴリー・ナヴァ監督
「ハッカリの季節」(1983) エルデン・キラル監督
「ジャズメン」(1983) カレン・シャフナザーロフ監督
「標識のない川の流れ」(1983)  ウー・ティエンミン監督
「マルチニックの少年」 (1983) ユーザン・パルシー監督
「黄昏の恋」(1982) ホセ・ルイス・ガルシ監督
「川の流れに草は青々」(1982)  ホウ・シャオシェン監督
「ラグタイム」(1981) ミロス・フォアマン監督
「メフィスト」(1981) イシュトヴァン・サボー監督
「歌っているのはだれ?」(1980) スロボダン・シャン監督
「光年のかなた」(1980) アラン・タネール監督
「長雨」(1979) ユ・ヒョンモク監督
「ハンガリアン狂詩曲」(1978) ヤンチョー・ミクローシュ監督
「ハンガリアン」(1977) ゾルタン・ファーブリ監督
「ザ・フロント」(1976) マーチン・リット監督
「森浦への道」(1975)  イ・マニ監督
「エレジー」(1971)  ユルマズ・ギュネイ監督
「悲しみの青春」(1971) ヴィットリオ・デ・シーカ監督
「道中の点検」(1971) アレクセイ・ゲルマン監督
「遠い日の白ロシア駅」(1971) アンドレイ・スミルノフ監督
「希望」(1970) ユルマズ・ギュネイ監督
「湖畔にて」(1970) セルゲイ・ゲラーシモフ監督
「サラマンドル」(1970) アラン・タネール監督
「罪と罰」(1970) レフ・クリジャーノフ監督
「若草の祈り」(1970) ライオネル・ジェフリーズ監督
「貴族の巣」(1969)  アンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー監督
「裏切り鬼軍曹」(1968) バズ・キューリック監督
「裏切りの荒野」(1968) ルイジ・バッツオーニ監督
「フィクサー」(1968) ジョン・フランケンハイマー監督
「質屋」(1967) シドニー・ルメット監督
「国境は燃えている」(1965) バレリオ・ズルリーニ監督
「真実の瞬間」(1965)  フランチェスコ・ロージ監督
「シャイアン」(1964) ジョン・フォード監督
「帰らざる海兵」(1963) イ・マニ監督
「誘拐」((1963) アンドレ・カイヤット監督
「誤発弾」(1961) ユ・ヒョンモク監督
「荷馬車」(1961) カン・デジン監督
「外套」(1960) アレクセイ・バターロフ監督
「鏡の中の犯罪」(1960) リチャード・フライシャー監督
「孤独な関係」(1960) マーク・ロブスン監督
「風の遺産」(1960) スタンリー・クレイマー監督
「復活」(1960) ミハイル・シュバイツェル監督
「蛇皮の服を着た男」(1960) シドニー・ルメット監督
「朴さん」(1960) カン・デジン監督
「白い道」(1959) カルロ・リッツァーニ監督
「戦塵未だ消えず 天使の祈り」(1958) ラルフ・トーマス監督
「黒い牡牛」(1956) アービング・ラパー監督
「都会の牙」(1950) ルドルフ・マテ監督
「恐怖省」(1944) フリッツ・ラング監督
「こわれ瓶」(1937) グスタフ・ウチツキ監督

 どの程度をもって「知られざる」と定義できるのかというのは微妙な問題です。知っている人は知っているわけですから。ここは僕なりの基準で選ばせてもらいました。ここに挙げたすべてを「傑作」と呼ぶのも問題はありますが、「傑作・佳作・注目作」などと書くのもしまりがないので、あえて「傑作」で統一しました。要するに、埋もれさせておくには惜しい作品という意味です。DVDやビデオが出ていないのも結構含まれています。

2006年9月 2日 (土)

ある映画監督の生涯 溝口健二の記録

1975年 1975年9月公開 150分
監督、製作、構成:新藤兼人
編集:近藤光雄、藤田敬子
出演:川口松太郎、大洞元吾、牛原虚彦、田中栄三、伊藤大輔
    中野英治、入江たか子、三木茂、山田五十鈴、進藤英太郎
    山路ふみ子、田中絹代、中村鴈次郎、乙羽信子、京マチ子
    小沢栄太郎、若尾文子、香川京子、増村保造、浦辺粂子
    小暮美千代、森赫子、荒川大、柳永二郎、内川清一郎
    安東元久、酒井辰雄、依田義賢、宮川一夫

  「愛妻物語」(51)、「原爆の子」(52)、「裸の島」(60)、「地平線」(84)、「午後の遺言状」(95)に続いて、新藤兼人監督作品を観るのはこれが6本目。意外に観ていないと自分でも驚いた。もっとも、「安城家の舞踏会」(47)、「お嬢さん乾杯」」(49)、「女ひとり大地を行く」063802(53)、「しとやかな獣」(62)、「けんかえれじい」(66)、「軍旗はためく下に」(72)等々、彼の脚本作品は結構観ている。一方、溝口健二作品は「折鶴お千」(34)、「浪華悲歌」(36)、「祇園の姉妹」(36)、「夜の女たち」(48)、「武蔵野夫人」(51)、「西鶴一代女」(52)、「雨月物語」(53)、「祇園囃子」(53)、「近松物語」(54)、「赤線地帯」(56)と全部で10本観ている。こちらは逆にこんなに観ていたのかと驚いた。人の記憶とは当てにならないものだ。初めて出会った溝口作品は73年6月13日にフィルムセンターで観た「折鶴お千」。今回映画ノートを調べてみるまで観たことすら忘れていた。

  個人的なことはこれくらいにして本題に入ろう。「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」は、新藤監督が師と仰ぐ溝口健二監督の生涯を新藤監督の視点からまとめ上げた記録映画である。俳優、監督、脚本家、キャメラマンなど、溝口作品にかかわった39人の人たちに新藤監督自らがインタビューしたものである。先月の25日にNHK衛星第2で放送された「シネマの扉 溝口健二特集」で観た映像の一部は、この映画から取られている事が今回観て分かった。いかに貴重なインタビューが詰まっているかそのことでも分かる。

  ところで、「新藤監督の視点からまとめ上げた」と書いたのは、頻繁に新藤監督のナレーションが入り、また質問も監督自身の関心のある話題を中心に取り上げているからである。たとえば、新藤監督が田中絹代に溝口監督との仲をしつこく聞きだしている場面があり、きっとなった田中絹代がいい機会だとばかりにとうとうと反論するあたりは画面に緊張感がみなぎっているが、個人のプライバシーにはまったく関心を持たない僕としては全部カットしてもいいと感じた。しかしだからといって、そのことがこの映画を歪んで偏ったものにしているとは思わない。インタビューに答えた人たちがそれぞれに自分の考えを語ったように、新藤監督も自分の考えを語っただけだ、そう考えればいい。もちろん彼が聞かなかったことや編集の際にカットされた意見もあるわけだが(『ある映画監督の生涯』という本にもなっており、そちらにはインタビューのすべてが載っているようだが)、そもそも周りの人たちからのインタビューで溝口監督のすべてが分かるわけではないので、語られたものは語られたものとして受け止めればいいだろう。

  インタビューの場所は家の前の庭や街頭、果ては駅のホームのベンチなど様々な場所を選んで変化をつけている。インタビューをつなぎ合わせた作りになっているが、溝口監督の生い立ちから「大阪物語」の準備中に亡くなるまで、溝口監督の生涯をたどりながらその時々の出来事や作品に関するインタビューを織り込んでゆくという時系列的構成になっている。ところどころ溝口作品の写真や映画の一場面がインタビューに差し挟まれている。テレビのインタビューなのか、溝口監督自身がインタビューに答えている古い映像も収録されている。

  上に名前を列挙したように、インタビューを受けているのは錚々たる面々である。中でも驚いたのは伊藤大輔監督。生まれは溝口と同じ1898年だからインタビュー当時77歳。まさか動く彼の姿を観られるとは思ってもいなかった。相当に渋い顔になっていて、インタビューの途中でタバコに火をつけてスパスパ吸っている姿が印象的だった。伊藤監督は長生きで、亡くなったのは1981年。溝口監督は56年没だから、何と彼より25年も長く生きている。ちなみに、新藤監督は1912年生まれなので、二人は彼より14歳年上になる。

  インタビュー主体のドキュメンタリー映画で、しかも上映時間は150分もある。一部中だるみするところもあるが、いずれも貴重な証言ばかりなので最後まで引き付けられた。39人の話から浮かび上がってくるのは、撮影所では鬼のように厳しいが、撮影所の外では人Kagaribihotaru1 懐こい性格、演技指導は何も具体的な指示はなく俳優に考えさせる方式、酒と女が大好きで飲むと酒乱の癖があり、女に背中を切りつけられる情痴事件も起こしていた(これはこの映画を観るまで知らなかった)、撮影当日に脚本を検討しなおしてどんどん書き換えてゆく(まったく俳優泣かせだ)、こういった人物像である。もちろんこれは他人が見た溝口健二であって、当然これがすべてではない。あくまで溝口を理解するうえでの参考資料に過ぎない。しかしそれでも、彼の映画に対する人並みはずれた打ち込み具合(何しろテンションが下がるのを嫌って休憩時間でも撮影所から出ず、トイレは尿瓶で済ませていたというからすごい)、彼を鬼のようだと言いながら踏ん張って彼の厳しい要求にこたえた俳優やスタッフたちの情熱と誇りが画面から伝わってくる。

  さらには当時の映画製作をめぐる事情や具体的な撮影方法などがいろんな側面から語られているので、そういう意味でも貴重である。この映画は劇映画ではなくテレビの特別番組のようなものなので、作品の出来をあれこれ批評しても仕方がない。今回のレビューはむしろ様々なインタビューから印象に残った言葉を並べるというかたちをとりたい。

  まずは溝口監督に関する基本データから(引用文は必ずしも語られた言葉そのものではないことをお断りしておきます)。

<溝口健二略歴>
 1898年5月16日、溝口善太郎の長男として生まれる。1956年8月24日永眠。享年58歳。東京の池上本願寺に葬られたが、映画では分骨された京都の満願寺の石碑が映されている。

  映画の世界に入ったのはふとしたはずみ。家が浅草裏にあり、白髭橋の対岸にあった日活向島撮影所に近かったため、監督や俳優と知り合いになり、割合簡単に撮影所に入る。俳優志望だったが、助監督にさせられる。助監督暦2年で監督になる。当時女性は映画に出られず、代わりに女形が演じていた。しかしやがてレンズが女形を受け付けなくなり、それに抗議して18名の監督が辞めてしまう。それで溝口の監督昇任が早まったという事情だったようだ。

  大正12年の関東大震災で向島の撮影所が壊滅。京都の日活大將軍撮影所に引っ越す。「溝口健二が京都に生活を移したことは、その生涯に決定的なものを植えつけることになります。江戸の下町育ちという体質におよそ対照的な関西の風土が溝口健二に新しい血をまじえることになるんですね。この江戸と上方の血のまじわりは後年の溝口健二の基盤となるわけです」(新藤)。

  「赤い夕陽に照らされて」(25)を撮っている時に木屋町の売春婦に背中をかみそりで切りつけられる事件が起こる。入院して半年くらい謹慎していた。その2年後ダンサーの嵯峨千恵子と結婚。

  「都会交響曲」(29)や「しかも彼等は行く」(31)などの傾向映画を何本か作る。溝口の下に一時身を寄せていた、当時プロレタリア文学の先鋭であった林房雄の強い影響があったようだ。日活多摩川で「愛憎峠」(34)を撮った後、第一映画に移り、「浪華悲歌」と「祇園の姉妹」の名作2本を残す。新興キネマで「愛怨峡」を撮り、松竹京都撮影所で「残菊物語」(39)、「浪花女」(40)、「芸道一代男」(41)の、いわゆる「芸道三部作」を撮る。

  戦争時代末期は「戦時色に及び腰で対応した平凡な作品」(新藤)を何本か撮っている。50年代に入り「雨月物語」、「祇園囃子」、「近松物語」、「山椒大夫」(54)、「赤線地帯」等の傑作群を次々に発表。「大阪物語」の準備中に倒れ、永眠。

<昔の映画撮影の様子>
 昔はグラス・ステージ(総ガラス張りの撮影所)などなくテントだった。時々風でテントがめくれて光が差し込む。それでも無理に撮っていた。その後グラス・ステージができた。当時は今のように照明を当てて撮るのではなく、天然の光で撮影していた。だからガラス張りの撮影所が必要だった。キャメラマンは照明から現像にいたるまで全部自分でやった。1週間から10日で1本撮り上げていた。(大洞元吾、キャメラマン)

  上野なら上野でロケをするとシナリオを2本持ってゆく。同じ役者が衣装を変えて2本分別々に撮る。当時は2本立てでロケーションをやるのは別に不思議なことではなかった。(牛原虚彦、監督)

  当時はキャメラの横で監督がせりふを読み上げる。女形がそれに応じてせりふを言い、演じる。そういうやり方だったのです。(伊藤大輔、監督)

<溝口健二:人と映画の撮り方>
   同じ映画会社の村田実監督が男性をよく描いた。だから会社からお前は女を描けと言われた。最初は会社の方針だったわけです。いろいろ撮っているうちに自然と女性に興味がわいてきた。(溝口健二)〔女性映画を得意とされていますね、という質問に答えて〕

  「滝の白糸」は脚本がなかった。その日その日に脚本を書いてくる。溝口さんの演出方法というのはね1カットの中に何カット分も入っているわけですよ。だから1カットを撮り終えた時にね、ふっとこうなっちゃうんだなあ。それはくたびれる。カットがいくら多くてもね、いTudumi_fue1 い加減にやっている監督の場合は体が疲れない。溝口さんの1カットてのは疲れる。(三木茂、キャメラマン)

  泉鏡花もの、明治ものにとらわれて呪縛されていた。これから解き放たれなければならないと自覚していたんだと思います。〔一時のスランプを脱して「浪華悲歌」や「祇園の姉妹」を作った頃を振り返って〕(依田義賢、脚本家)

  一生女優として生き抜いてゆこうと思いましたのはね「浪華悲歌」がきっかけでした。 「あっ、スキヤキや、うちもよばれよう」というせりふがうまく言えなくて2、3日かかったことがありました。リハーサル中もずっと寒くてぶるぶる震えながら橋の上に立っていた。ある時先生が後ろから近づいてきて自分のオーバーをかけてくださった。普段厳しいだけに涙がじっとたまってきましてね。(山田五十鈴)

  自分が朝一番先に撮影所に行ったと思ったら、真っ暗な中に監督が一人で座っていました。(山路ふみ子)

  とにかく戦後の民主主義というものはね、あの人まあつかめなかったね。階級意識が強かったよ。どこか官尊民卑の考え方があった。(川口松太郎)〔ベニス映画祭の時に溝口が日蓮上人の画像を持ち歩いていて、審査発表当日は必死で祈っていたことなどは依田義賢や田中絹代も触れている。〕

  「雨月物語」のある有名なシーンを撮り終えた時、緊張が解けてどっと疲れが出ました。普段は撮影中にタバコなど呑む余裕はないのですが、ほっとした森雅之さんがタバコを周りの人から1本もらった。しかしマッチがない。それを探すそぶりをした。そこへ溝口監督がたったと走って近づいてライターで火をつけてあげた。その顔はこの上もなく満足げでした。初めて俳優に平伏したという感じでした。(京マチ子)

  「楊貴妃」は溝口さんのまったく知らない世界なので戸惑っていた。正直に狼狽して、正直にめちゃくちゃなことをやっていた。そこがまた溝口さんらしい。  自分の分からない不得手なものにあったら最後、逆上して分からなくなってしまう。大騒動になっちゃう。(増村保造、監督)

  女性関係では人生の下積みで苦労したような人に特に興味を持たれ、関係されたりしていたわけですけど。(新藤兼人)

<その他>
  どうにもならない役者の持ってるものってありますよ。「そこんとこテンポもう少し上げてリズミカルに」なんて言ったってね、その役者にはそれはできない。別の良さはあるけれども、それはできないというものはありますね。それを持っている役者ははじめから持っていて、つーと言えばつーと。それが良い悪いじゃなくてね。AならAの持ち味と、Bの持ち味を組み合わせてゆく、そこにまあ演出があるわけですわね。(小沢栄太郎)

  「近松物語」の時、歴史劇は初めてで京都弁も裾の長い着物の引きずり方も分からない。浪花千恵子さんに頼み込んでいろいろ教えてもらいました。浪花千恵子さんは付きっ切りで教えてくれました。(香川京子)

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