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2006年8月

2006年8月31日 (木)

僕と未来とブエノスアイレス

2003年 アルゼンチン・スペイン・仏・伊 2006年1月公開
原題:El Abrazo partido
Corkb01 監督:ダニエル・プルマン
製作:ディエゴ・ドゥブコフスキー、ダニエル・ブルマン
脚本:マルセロ・ビルマヘール、ダニエル・ブルマン
製作総指揮:ディエゴ・ドゥブコフスキー
撮影:ラミロ・シビータ
編集:アレハンドロ・ブロデルソン
美術:マリア・エウヘニア・スエイロ
音楽:セサル・レルネル
出演:ダニエル・エンドレール、アドリアーナ・アイゼンベルグ
   ホルヘ・デリーア セルヒオ・ボリス、ディエゴ・コロル
    アティリオ・ポソボン、シルビーナ・ボスコ 、イサーク・ファヒン
    サロ・パシク、メリナ・ペトリエラ

  久しぶりに観るアルゼンチン映画。アルゼンチン映画といえば思い浮かぶのはルイス・プエンソ監督の「オフィシャル・ストーリー」(1985)、エクトル・オリベラ監督の「ナイト・オブ・ペンシルズ」(1986)、そして何といってもフェルナンド・E・ソラナス監督。「タンゴ ガルデルの亡命」(1985)、「スール その先は・・・愛」(1988)、「ラテンアメリカ光と影の詩」(1992)などの優れた作品を放ってきた。アルゼンチンを代表する、いや中南米を代表する監督である。アルゼンチン映画に勢いがあったのは80年代。毎年のように作品が日本で公開されていた。このところひところの勢いがなくなったと思っていたら「僕と未来とブエノスアイレス」がやってきた。傑作というほどではないがさわやかな味わいの佳品である。

  メキシコからのアメリカ移民を描いた「スパングリッシュ」や南米で養子を探すアメリカ人女性たちを描いた「カーサ・エスペランサ」、これらのアメリカ映画2本をはさんで、本格的中南米映画を観るのはウルグアイの「ウィスキー」以来だ。「ウィスキー」は僕としては薄味すぎて物足りなかった。もう少し何らかの味付けが欲しかった。「僕と未来とブエノスアイレス」にはしっかり味付けがされている。その味付けは人情味。ねじめ正一の『高円寺純情商店街』をもじって言えば、「ブエノスアイレス人情商店街」といった感じの映画である。かつては政治的な作品が多かったが、最近はより身近な話題をテーマにしたこの種の映画が増えてきているようだ。出てくる人はみんないい人たちばかりで、人情に篤い。典型的な人情話。その意味では新鮮味はうすい(もっとも、中南米映画で人情ものは珍しいと言えるが)。しかしこの映画はただの人情ものではない。人情味を添えて出されるメインの料理はユダヤ人問題と父子の葛藤である。

   ガリレアと呼ばれるアーケード商店街はどうやらユダヤ人街の一角にあるらしい。登場人物の多くがユダヤ人だ。映画の冒頭、「ガリレアには物語がある」で始まるラモンのナレーションで登場人物が紹介されてゆく。ラジオ修理店のイタリア人サリガーニ(アティリオ・ポソボン)。彼の奥さんは隣で美容室を経営している。風水グッズの店を営む韓国人のキムと奥さん。生地屋のレビン兄弟(実際はいとこ同士)。インターネットカフェを経営するリタ(シルビーナ・ボスコ)。表向きは旅行代理店、陰で金融商売をしているリトアニア人のミッテルマン(ディエゴ・コロル)。文房具屋のオスワルド(イサーク・ファヒン)。ランジェリー店を営むソニア・マカロフ(アドリアーナ・アイゼンベルグ)と店を手伝っている役立たずの息子アリエル(ダニエル・エンドレール)。兄のジョセフ(セルヒオ・ボリス)はガラクタ雑貨の輸入をしている。祖母(ロシータ・ロンドネル)も近くに住んでいる。しかし父のエリアス(ホルヘ・デリーア)はイスラエルに戦争で行ったきり帰ってこない。紹介の中には入っていないが、ユダヤ教司祭(ノルマン・エルリッチ)も人物リストに加えておこう。

  面白いのは、映画の主人公が冒頭でナレーターを務めたラモンではないことである。ラモンによって「役立たず」と紹介されたアリエルが主人公なのである。母のランジェリー店を手伝っているのに、何ゆえ「役立たず」なのか?ラモンの真意は分からないが、推測はできる。アリエルはもともと建築家志望だった。しかし才能がないので諦めて、母の店を手伝いながらぶらぶらと人生を送っている。エステラ(メリナ・ペトリエラ)という恋人がいたが別れてしまい、今はネットカフェを営むリタと熱い仲(どうやらぷりぷりのお尻に惹かれたようだ)。社会の中へ一歩を踏み出せずに宙ぶらりんの状態でだらだらと日常をおくっているすねかじり息子。ラモンはそれを指して「役立たず」と言っているのだろう。

  アリエルは30歳である。その年になってもまだ自分の生き方に迷っている。その表れが祖父母の国であるポーランドに移住したいという願望。ユダヤ人である祖父母はユダヤG3 人狩りを逃れてアルゼンチンにやってきたのである。しかし、そのためには祖父の出生証明書が必要なのだが、祖母は彼女たちを追い払ったかつての祖国をひどく毛嫌いしていて容易に証明書を渡してくれそうもない。「ヨーロッパではユダヤ人は殺される」と信じ込んでいる祖母はアリエルのポーランド移住自体に反対するだろう。それでもアリエルはポーランドに移住すれば新しい生活が始まるだろうという漠然とした希望を捨てきれない。映画は、この希望が実は幻想であることにアリエル自身が気づきアルゼンチンで生きてゆこうと考え直すまでを描いている。一見商店街の人々が交錯する人情話的群像劇に見えるが、この映画の主題はアリエルがアイデンティティを確立してゆく過程にあるのだ。「僕と未来とブエノスアイレス」とはそういう作品である。

  となれば、この主題がどれだけ深く、どれだけ説得的に描かれているかがこの作品の評価を大きく左右する。その点を詳しく見てゆく前に公式サイトからこの映画の前提となるいくつかの情報を確認しておこう。まず、アリエルの人物設定にはダニエル・プルマン自身がある程度投影されているようだ。監督の祖父母も「戦前のポーランドでユダヤ人狩りにあってアルゼンチンに逃れてきた」人たちである。ブエノスアイレスのユダヤ人街オンセ地区は南米最大のユダヤ人居住地である。祖父母たちが逃れてきたポーランドに移住しようとアリエルは考えるわけだが、その背景には、数年前にアルゼンチンで経済危機が起き、その時「多くの人がヨーロッパに移民することによって新しい生活を夢見る集団幻想に駆られていた」という事情がある。監督自身もポーランド国籍のパスポートを手に入れたが、その後の葛藤を経てアルゼンチンにとどまったという経験を持つ。監督はアリエルについてこう語っている。「今おかれている状況から逃れようとするうちに、彼は自分の存在、アイデンティティの基盤のようなものとの対峙を余儀なくされるんだ。」

  アリエルの「アイデンティティの基盤のようなもの」とは何か。ポーランド移民の血を引くユダヤ人であること、1つはこのことだろう。しかしユダヤ人であることはアリエルにとってそれほど重要な問題ではなかった(少なくとも祖母ほどは)。むしろアリエルにとって重要なのは父親との関係である。彼は自分が生まれてすぐに家を出た父親を恨んでいる。イスラエルから毎月電話をかけてくる父とうれしそうに話している母親にも苛立ちを覚える。さらにアリエルはラビ(神父)から両親が離婚していることを教えられる。離婚証明書によれば、彼の両親は1973年8月に離婚している。父親が参戦した第四次中東戦争が始まった73年10月よりも前である。それだけではない。両親の離婚はアリエルが生まれるよりも前だったのである。アリエルはなぜそのことを隠していたのかと母親を責める。母は、戦争は人の意識を変えるのだと言うだけ。そしてイタリア映画の名作「ひまわり」をたとえに引く。その時アリエルはこの名作を見ていなかった。だから母親の気持ちを理解できない。

  映画の後半アリエルは運命の出会いを迎える。ラモンとペルー人が大きな荷物を載せた手押し車を押してゆくレースをしている時に、右腕のない男が現れる。アリエルは、一度も会ったことがないのに一目見てそれが父親だと悟る。この場面は商店街の人々をめぐるエピソード(レース)とアリエル個人の葛藤のテーマとが交差する場面であり、映画の大きな転換点でもある。ここからアリエルと父親の「対話」が始まる。アリエルが友人にビデオを借りて「ひまわり」を観るのはこの出会いの後だ。この映画を機にアリエルの考えは大きく変わる。彼は父親と初めて話をする。その時父親の言った言葉が印象的だ。右手がなくても不自由はないと言った後、父親はこう続ける。「でも一番したかったことができなかった。お前を抱きしめることだ。」しかしまだアリエルの気持ちは父親を受け入れるところまでは整理できていなかった。出会った時と同じように彼は走って父親から逃げる。彼が父親を受け入れられるようになったのは、父が母から去った理由を母から聞いた時だ。

   ラストがいい。父親はアリエルにバベルの靴を一緒に買いにいこうと誘う。二人は肩を組み、アルゼンチンで最高の靴屋へと歩いてゆく。この映画の素晴らしいところは決して泣かせる場面を作らなかったことだ。最後までコメディタッチを貫いている。泣かせるせりふParis13 よりも二人で靴を買いに行くという終わり方のほうがずっとしゃれている。その後にアリエルのナレーションが入る。「昨夜自分が父親になる夢を見た。子供は出てこないのに父親の気分だった。空中を浮遊するような不思議な感覚だ。誰かを思い切り抱きしめたくなった。なぜかは分からないが。」自分が父親の立場になって考えられるようになった時、彼は父親を理解できるようになった。心が浮き立つような「浮遊」感の中で、彼はそれまでの目的もなくだらだらと生きていた「浮遊」生活に終止符を打った。

   自分の人生を見出したのはアリエルばかりではない。父親も過去を吹っ切れたからブエノスアイレスに戻ってこれたのだ。元夫が戻ってきたことで母親にも明るさが戻ってきた。そして辛い過去を乗り越えた人物がもう一人いる。アリエルの祖母だ。彼女は元歌手で、ワルシャワのクラブで歌っていた。しかし辛い過去を思い出したくないために歌うことをやめてしまった。彼女は祖父の出生証明書が欲しいと頼みにきたアリエルに意外なほどあっさりと証明書を渡す。そして同時に歌の封印を解き、歌い始める。その時から彼女に歌が戻ってきた。それまで避け続けてきた祖国にあえて行こうとする孫に、彼女は何かを託そうとしたのだろう。その時彼女も過去を乗り越えたのだ。エンドロールが流れる中、歌手に戻った彼女がステージで歌っている。その最後の歌詞が心に残る。「残された手で生きていこう」。「ひまわり」のような、胸を揺さぶる感動はこの映画にない。しかし親子の絆を結びなおし、過去へのこだわりを乗り越えることでそれぞれに生きる道を見出して行くこの映画のラストは実にさわやかだ。

   作品の出来という点で言えば、アリエルの葛藤が充分深く掘り下げられていないので傑作にはいたらなかった。アリエルの葛藤が掘り下げられないのは、彼の葛藤が父親との関係に収斂しているからである。父親と和解した時にポーランドに移住するという彼の夢は自然に消えていった。その夢は恐らく社会に根を張っていないという漠然とした自覚から発したもので、その意味では一種の逃避だった。不在だった父親が戻り彼と家族の絆はしっかりとしたものになった。家族の絆を通し社会との絆もよりしっかりとしたものになる。だからアリエルはブエノスアイレスにとどまる決心ができた。そう言いたいのだろう。父親の不在、映画の描き方では問題の根本はそこにあったことになる。そういう意味でアリエルが父親になった夢を見たと語ることが必要だったのである。しかし父親の不在ですべてが説明されてしまうのではあまりに単純すぎる。そう思わざるをえない。もっと様々な要因が絡んでいるはずだし、仮に主たる原因が父親の不在にあるのだとしたらもっとその点を描きこむべきだ。どうしても物足りない思いが残る。

  父親というテーマも充分追求されているとは言えない。子供と親の年齢は同じだという考え方がある。つまり、子どもができて初めて人は親になるのである。30年間エリアスには事実上子供はいなかった。しかし、たとえ片腕しかなくても息子を抱きしめたいと思ったとき、エリアスは初めて「親」になった。30年間の彼の思いは何も説明されていないが、アリエルを見る彼の視線は確かに親の視線だった。しかしアリエルはどうか。彼の心の変化は「ひまわり」や母親の告白を通して間接的に描かれているだけだ。彼に子供はいない。親になった夢を見ただけだ。アリエルの場合、「親」になることはモラトリアムの段階を脱し一人前の「大人」になるという比喩だろう。映画で示されたのはその可能性だけだ。父親を得ることはできたが、これからどう人生を選び取ってゆくのかまだ示されていない。この点も不満はあるが、しかし底が浅いとはいえない。悩まずに成長できる者などいない。人生に目的を見出せない若者が悩みながらも何に悩んでいるのか分からないというのは、それはそれでリアルである。父親は見出せたが、まだ自分を見出せていない。これからの人生をどう生きてゆくのか、それは今後の彼の課題なのだ。

   そもそも、この作品の魅力はアリエルの葛藤を人情コメディという枠組みの中にうまくはめ込んで描いたことにある。アルゼンチン社会のエッセンスを凝縮したような、職種も出身国もごちゃまぜの商店街の人たちがみな魅力的だ。このあたりを充分書くスペースはないが、アリエルの母ソニアを演じたアドリアーナ・アイゼンベルグについてだけ言っておこう。美人ではないが、実に魅力のある女優である。表情が豊かで、人間味にあふれている。分かれた夫エリアス役のホルヘ・デリーアと並んで、一番印象に残った俳優だ。

   商店街が適度にうらぶれている様がまたいい。見ているとあまり外から客がやってくるようには思えない。商店街の人たちが互いに利用しあっている感じなのだ。悪く言えば寂れている、よく言えば隣人同士としての連帯感のようなものが感じられる。この街の佇まいと雰囲気がまたいい味を出しているのだ。庶民による庶民のための人情劇。悪くない味わいだ。

 ああ、久しぶりにピアフの「バラ色の人生」が聴きたくなった。

2006年8月29日 (火)

北海道ミニ旅行記

  25日から北海道で3泊した。最初の2晩は札幌のビジネスホテルに泊まった。ずっと天気は晴天。気温は30度くらい。北海道では異常な暑さだということだが、連日33、4度あった上田から来ると涼しく感じた。上田は湿気の低い所だが札幌はさらに低かった。とても過ごしやすかった。27日は北海道マラソンの日で街のあちこちで旗を配ったりして準備が進んでいたが、マラソン自体は見られなかった。

  一日目は食事の後おとなしくホテルでテレビを観ていた。NHK衛星第2で「シネマの扉 溝口健二特集」を_1やっていた。うまく編集されていて面白かった。その後続けてみた「伝説の碁打ち・本因坊秀策」がこれまた面白い。僕は将棋はやったことがあるが、囲碁はさっぱり理解できなかった。この番組は史上最強の名人と語り伝えられる本因坊秀策の生涯を描いた番組だが、それと共に囲碁のルールがまったくの素人にもよく分かるように解説されていた。「初心者にも分かる名勝負」というサブタイトルに偽りなし。この番組を見てやっと囲碁がどういうゲームなのか分かった。秀策の無類の強さ、その人柄なども興味深かった。彼はコレラが流行した時に懸命に弟子たちの看病に励み、ついには自分がコレラにかかって死んでしまった。彼が看病した人たちはみな助かったという。皮肉というよりも、それだけ彼の看病が行き届いていたということだろう。二日目の夜はカラオケ三昧。

  三日目は支笏湖畔にある「丸駒温泉旅館」に泊まった。札幌の街は結局ほとんど見て回れなかった。旅館の送迎車で移動したが、札幌から「丸駒温泉旅館」までは1時間くらいかかった。しかし札幌とその周辺はかなり大きな市街地だ。30分以上走っても街並みが途絶えない。40分以上走ってやっと山の中に入る。山の中に入ると長野を思い出してどことなく安心するから面白い。僕もすっかり長野の人間になってしまったようだ。

  6時ごろ旅館に着いたがもう薄暗くなっていた。それでも湖ははっきり見えた。素晴らし_5 い眺めだ。やっぱり来てよかった。札幌でビジネスホテルなんかに泊まっているよりずっといい。部屋に入ってしばらくしてから風呂へ。温泉がまた素晴らしい。まず、露天風呂に行ったが、これは長い渡り廊下を降りてゆく。外風呂は湖のすぐ近く(左の写真の石垣の奥)。後で聞いたが、沸いている温泉は支笏湖の水(と言うかお湯)で、冷たい水と混じらないよう仕切ってあるだけなので、実際には湖に浸かっている事になるらしい。深さが150センチほどもある深い風呂で、結構広さもある。立って入る温泉である。そういう温泉があるのは知っていたが、入るのは初めて。底には玉砂利が敷いてある。この玉砂利の量で温度を調節しているのだそうだ。温泉の水位は湖と同じ。どこかで繋がっているのだろう。水位が低い冬場は寝そべって入るようだ。最近水かさが増しているらしい。風呂が深いのでお湯に浸かっていると湖は見えないが、大きな湖水のすぐ横で温泉に浸かるのもいいものだ。

  渡り廊下を戻って大浴場に行く。なんとこちらにも露天風呂がある。こちらは高い位置にあるので湖を下に見下ろせる。お湯に浸かって体を温めてから、湯船の近くに並んでいるイスに座って湖を眺める。ちょっと寒いが気持ちがいい。温泉に浸かりながら湖を見下ろすなんて滅多に経験できるものではない。その後食事。料理も非常に美味しかった。

  翌朝7時前に起きて大浴場に行く。その後朝食。バイキング方式だが、これも美味しかった。バスが出るまで時間がたっぷりあったので、ちょっと散歩に出る。支笏湖はカルデラ湖なので浜辺がない。湖の周りを山が囲んでいる地形だ。したがって大規模な観光施設など作りにくい。その分ひなびた感じがあって却っていい。湖の写真を何枚か撮る。

  10時に旅館のバスで湖の反対側に出る。こちらは比較的建物が多く並んでいて、観光_7 地らしい感じだ。ここでしばらく時間をつぶして、普通のバスで空港に向かう予定だった。しかしバスの時間がうまく合わない。仕方がないので、丁度止まっていた札幌行きに乗って、札幌から空港に向かうことにした。そこでいろいろ写真を撮ろうと思っていただけに残念だった。そこからが苦難の旅。家に着いたのはそれからおよそ8時間後だった。

2006年8月28日 (月)

ブログ開設1周年を迎えました

Crossregr   今日やっと北海道から上田に戻ってきました。いやあ、北海道は遠い。飛行機に乗っている時間は1時間半程度ですが、バス、電車、飛行機、モノレール、タクシーを乗り継ぐ旅はしんどい。空港までと空港からが疲れる。帰宅した時はもうへとへとでした。

  まあ、このことはまた別に書くとして、本題に入りましょう。先にお知らせしたように、正確には昨日の27日になりますが、ブログを開設してから1年がたちました。ブログとしては破格の長ったらしい文章で、かつ映画情報としては決して新しくないにもかかわらず、これまで3万近いアクセスをいただきました。これまで当ブログを読んでいただいた方々、TBやコメントをいただいた方々に心から感謝いたします。

  当ブログは日記やエッセイなども含んではいますが、基本的には映画のレビューを中心にしたブログです。劇場で公開された新作ではなくDVDで観た作品を中心に取り上げているので、基本的にネタばれで書いてきました。僕自身がマニアやオタクではないので、当然ブログの内容もオーソドックスなものです。スタッフやキャストの個人情報などはほとんど取り上げていません。基本的に、取り上げた映画がどういう内容の作品なのか、どのような特徴があり、どこに共感したか、どこに疑問を感じたかなどに焦点を絞って書いてきました。技法面にはほとんど関心がありません。とにかく映画を全体として捉えようと努力しています。作品のある面を深くこと細かに考察・分析することが作品の理解を深めることは当然あるでしょう。しかしその場合も生きた作品全体の一部として観なければならないと思います。切り落とした腕をいくら調べても、それは死んだ腕にすぎません。生きた体の一部であってこそ腕はしなやかにまた力強く動くのです。これが映画を観るとき、本を読むときの僕の基本的な姿勢です。

  文章は硬いですが、分かりやすく書くように努力しているつもりです。本格的な映画評論ではないので、そういう関心を持っている人には物足りないでしょう。映画は基本的に大衆文化ですし、僕自身の関心も自分が観てどう思ったかということにあるので、「感動的である」「そこがいい」「がっかりした」などの表現を多用しています。そうではない書き方もあるのですが、ブログというメディアの性格も考えてあえてそういう書き方で押し通してきました。

  また、最新作はほとんど扱っていませんが、これまで30年以上映画を観続けてきた経験を活かして、僕なりにいろんな情報を盛り込んできたつもりです。多少でもお読みになった方の参考になれば幸いです。「これから観たい&おすすめ映画・DVD」や「ゴブリンのこれがおすすめ」などのシリーズも作ってみました。これからも続けてゆくつもりです(もっとも「ゴブリンのこれがおすすめ」シリーズはいつかは種が尽きるしょうが)。

  ブログを続けてきて得た一番の財産は、ブログを通じてたくさんの方と「知り合えた」ことです。直接の面識はありませんが、頻繁にTBやコメントを交わす常連の方も何人かできました。この機会に、改めて御礼を申し上げます。また、こちらから訪れたブログもたくさんあります。いろんなことを学ばせていただきました。これらのブログにも感謝。

  この先いつまで続けられるか分かりませんが、体力と気力が続く限り書き続けてゆくつもりです。記事を書くのは相当しんどい作業なのですが(テンションが上がらないと記事はかけません)、今では生きがいにまでなっています。ブログの最大の利点はTBやコメントなどで読んでいただいた方から反応が返ってくることです。それらを励みにまたがんばります。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2006年8月24日 (木)

しばらく北海道に行ってきます

Hills_1  25日から28日まで北海道出張です。その間はブログの更新が出来ません。「ナイトウォッチ」にがっかりしたので、何か口直しに映画を観てそのレビューを書こうかとも思いましたが、その時間がありません。そこで、パソコンの中をあちこちひっくり返して古い原稿を引っ張り出してきました。「イギリス小説を読む」シリーズが意外に好評なので2編付け足しました。他にも5編くらいあるのですが、かなり手を入れないといけないので今回はこの二つだけ。ところで、好評といってもどうやら夏季限定のようです。どこかの大学の夏休みレポートの影響らしい。8月前半は『ジェーン・エア』にアクセスが集中していましたが、後半は「博士の愛した数式」に群がっています。検索ワードが「博士の愛した数式 感想文」あるいはそれに「小説」が入っているので、原作の読書感想文が課題として出されているのでしょう。こういうことが分かるのでアクセス解析機能は結構面白い。それから、80年代以降のイギリス映画について以前まとめたものがあるので、それも載せてみました。長いので2回に分けてあります。

  いずれも3、4年前に書いた古い原稿ですので記述が古くなっている部分もありますが、全面的に書き直している時間はありませんのでそのまま載せておきます。全部あわせるとかなりの分量がありますので、留守中の隙間を何とか埋め合わせられると思います。

  なお、出張中にブログ開設1周年を迎えます。ブログを開設したのは去年の8月27日(ちなみにHPの開設は2005年6月5日)。今ではすっかりブログとHP中心の生活になっているので、もう2、3年はたっている気がします。1周年記念にこれまでこのブログを読んでいただいた方々に感謝しようと思っていますが、残念ながら出張の関係で1日遅れになってしまいます。

  札幌に行くのは2度目です。デジカメを持ってゆくつもりですが、あまり出歩けないのでいい写真が撮れるかどうか分かりません。戻ってきたら簡単な旅行記でも書くつもりです。

サッチャーの時代とイギリス映画②

第2章:80~90年代のイギリス映画:不況の中の人間像

(1)1980年代以降のイギリスの代表的映画監督/俳優
<監督>
・フリーシネマ系  ケン・ローチ マイク・リー ピーター・カッタネオ
・ポップ映画系  ニコラス・ローグ アラン・パーカー リドリー・スコット
 アレックス・コックス  トッド・ヘインズ イアン・ソフトリー アントニア・バード
・アート映画系  ケン・ラッセル ピーター・グリーナウェイ デレク・ジャーマン
 サリー・ポッター  ニール・ジョーダン リチャード・クウィートニオスキー
 ブラザース・クエイ
・文芸映画系  ピーター・ブルック ジェームス・アイヴォリー マイク・ニューウェル
 アンソニー・ミンゲラ ケネス・ブラナー マイケル・ウィンターボトム

<俳優(男優)>
 ヒュー・グラント ゲイリー・オールドマン ピート・ポスルスウェイト レイフ・ファインズ
 ダニエル・デイ・ルイス ロバート・カーライル ユアン・マクレガー ライナス・ローチ
 ジュード・ロウ ティモシー・スポール ボブ・ホスキンス クリストファー・エクルストン
 ピーター・ミュラン 

<俳優(女優)>
 ヘレナ・ボナム・カーター エマ・トンプソン ケイト・ウィンスレット ジュディ・デンチ
 タラ・フィッツジェラルド ブレンダ・ブレッシン ヘレン・ミレン 

・30~60年代を代表する監督
 アルフレッド・ヒッチコック: 三十九夜 第三逃亡者 バルカン超特急
 デヴィッド・リーン: 逢びき 戦場にかける橋 アラビアのロレンス ライアンの娘
 キャロル・リード; 第三の男 最後の突撃 邪魔者は殺せ 落ちた偶像
            文なし横丁の人々
 マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー:天国への階段 黒水仙 赤い靴 ホフマン物語
 アレクサンダー・コルダ: ヘンリー八世の私生活 レンブラント描かれた人生

・60年代を代表する監督
 トニー・リチャードソン: 怒りをこめてふり返れ 蜜の味 長距離ランナーの孤独
 カレル・ライス: 土曜の夜と日曜の朝 フランス軍中尉の女
 ジョン・シュレシンジャー: 或る種の愛情 ダーリング 遥か群集を離れて
 リンゼイ・アンダーソン: 孤独の報酬 ifもしも・・・ オー!ラッキーマン
 ジョゼフ・ロージー: エヴァの匂い 召使 できごと 秘密の儀式 恋

・70年代を代表する監督
 ケン・ラッセル: 恋する女たち 恋人たちの曲/悲愴 狂えるメサイア マーラー 
 デレク・ジャーマン: テンペスト カラヴァッジョ ラスト・オブ・イングランド
 ピーター・グリーナウェイ: 英国式庭園殺人事件 コックと泥棒、その妻と愛人

・80年代以降を代表する監督
 ケン・ローチ: ケス リフ・ラフ レディバード・レディバード レイニング・ストーンズ
 ジェームズ・アイヴォリー: 眺めのいい部屋 モーリス シャンヌのパリそしてアメリカ
 ニック・パーク: ウォレスとグルミット・シリーズ
 ケネス・ブラナー: ヘンリー五世 ピーターズ・フレンド ハムレット 恋の骨折り損
 マイク・リー: ライフ・イズ・スウィート 秘密と嘘 キャリア・ガールズ
 サリー・ポッター: オルランド タンゴ・レッスン 耳に残るは君の声
 ダニー・ボイル: シャロウ・グレイブ トレイン・スポッティング ヴァキューミング
 マイケル・ウィンターボトム: 日陰のふたり ひかりのまち ウェルカム・トゥ・サラエボ
 マーク・ハーマン:ブラス! リトル・ヴォイス シーズン・チケット
 ガイ・リッチー: ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ スナッチ

(2)80年代以降のイギリス映画 ・イギリス映画の復興
 1988年は「日本における英国年」で、第11回東京国際映画祭に協賛する形で10月24日から11月8日にかけて東京で「英国映画祭」が開催された。 画期的なことである。England1024 また2000年の4月4日から9日まで東京の草月ホールで「ケルティック・フィルム・フェスト」が開催された。南北アイルランド、ス コットランド、ウェールズというケルト圏の映画を集めた催しである。これもそれまでは考えられなかった企画である。さらに、「トレイン・スポッティング」 「ブラス!」「フル・モンティ」「エリザベス」「秘密と嘘」「リトル・ダンサー」「シーズン・チケット」等々、次々と話題作が公開されている。特に「秘密 と嘘」が1997年度『キネマ旬報』年間ベストテンの第1位に選ばれたことは特筆すべきことである。それほど話題にはならないとしても、毎月のようにイギリス映画が公開される。こんなことは80年代、いや90年代の前半までも考えられなかったことだ。なぜイギリス映画はこれほど急激に活況を呈するようになったのだろうか。

 1982年にイギリス映画界にとって画期的な出来事が二つ起きている。一つはイギリス映画「炎のランナー」がアカデミー作品賞を受賞したことである。もう一つはテレビ局のチャンネル4が出来たことである。この局は映画制作に力を入れることを念頭に置いて作られた局である。これ以降メジャーな配給会社による映画とチャンネル4によるインディペンデントな小品映画が並行して作られ、少しずつ成功作が生まれてくる。86年の「マイ・ビューティフル・ランドレッ ト」は中でも印象深い作品である。その他にもジェームズ・アイヴォリーの文芸映画、デレク・ジャーマン、ピータ・グリーナウェイのアート系映画などが次々に生まれた。「インドへの道」や「ミッション」などの大作も作られた。こうしてデビッド・リーンやキャロル・リードといった巨匠が活躍した時代から、怒れる若者たちの時代60年代を経てその後下降線をたどり、低迷の70年代を送ったイギリス映画界は、80年代の回復期を経て、90年代に入りついに復活し、 イギリス映画は再び黄金時代を迎えたのである。1989年には30本しか製作されなかったのが、90年代前半には50本以上になり(92年は47本、93 年は69本、95年は78本)、96年128本、97年112本と、96年以降は年間100本以上のイギリス映画が製作されているのである。

  このような好調の背景には、映画制作にかかわる事情の変化が関係している。前述したチャンネル4と公共放送のBBCが車の両輪となり、映画制作を支えている。他にもグラナダ・テレビとITCなどのテレビが劇映画を製作している。また、宝くじの売上金を映画制作に融資する制度も映画製作本数の増加に大きく貢献している。また、ブレア首相率いる労働党内閣も映画振興政策に力を入れている。ブレア首相は初めて映画担当大臣を置き、映画制作の資金調達と若手映画人育成に力を入れだした。制作費1500万ポンド以下の作品を非課税扱いとした。

 さらに、イギリスという国家がイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4つの地域からなっていることを考えたとき重要なのは、これらの影響がイングランド以外の地域にも及んでいるということである。90年代以前はイングランド以外の地域ではほとんど映画の製作は行われていなかった。 しかし90年代に入り、スコットランドでは宝くじ収益金のほかに、短編映画の助成金、グラスゴー映画基金、スコティッシュ・スクリーンなどの映画機関の援助が得られるようになった。ウェールズでは82年にウェールズ第4言語テレビチャンネルが設立され、宝くじ基金やウェールズ・アーツ・カウンシルなどの助成金制度などとあわせて映画制作やウェールズ国際映画祭などを支えている。北アイルランドでも、90年代に北アイルランド・フィルム・カウンシルが設立され、宝くじ基金とBBC北アイルランドと共に映画制作を援助している。こういったことがすべてあいまって80~90年代のイギリス映画の好調を支えているのである。

 90年代に入ってイギリス映画が一般に受け入れられるようになったのは、80年代のイギリス映画にあまりなかった明るさや前向きのエネルギーが感じられるからだとある批評家が言っている。辛らつなアクの強さや社会的メッセージ性が抑えられて口当たりがよくなったから、国際的な評価を得られるようになったのだと。確かに独特でアクの強い映画は少なくなったと言える。その分親しみやすくなったが、その分物足りなさも感じるところだSitu3 ろう。しかし「フル・モンティ」や「ブラス!」や「リトル・ダンサー」などの明るい前向きのイメージを持った映画にも、それらの映画の明るさの裏には失業、貧困、犯罪などの現実がある。そしてこの「失業、貧困、犯罪」こそが現在のイギリス映画を読み解く重要なキーワードなのである。

 それと並行するかのように、男優も貴公子然としたダニエル・デイ・ルイスやヒュー・グラントよりも、ユアン・マクレガーやロバート・カーライルのような庶民的で人間臭い役者が人気を得ているのである。後者の2人ともスコットランド出身であることは暗示的である。「カルラの歌」の前半や「マイ・ネーム・イズ・ジョー」などの舞台はグラスゴーだった。グラスゴーは決してロンドンのような「ひかりのまち」としては描かれていない。「ボクと空と麦畑」にいたっては、グラスゴーは清掃業者のストのため、街中ゴミであふれかえった都市として描かれている。

・イギリス映画の4つのタイプ
①貧困・失業・ストを描いた映画  
 「マイ・ネーム・イズ・ジョー」「フル・モンティ」「マイ・スウィート・シェフィールド」  
 「ブラス!」「シーズン・チケット」「レイニング・ストーンズ」「ボクと空と麦畑」  
 「レディバード・レディバード」「リフ・ラフ」 「リトル・ダンサー」
②犯罪や麻薬を描いた映画  
 「スナッチ」「ザ・クリミナル」「シャロウ・グレイブ」「バタフライ・キス」「フェイス」  
 「アシッド・ハウス」「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」  
 「トレインスポッティング」
③文芸映画  
 「恋の骨折り損」「理想の結婚」「エリザベス」「鳩の翼」「ダロウェイ夫人」
 「日陰のふたり」「Queen Victoria 至上の愛」「ハムレット」「夏の夜の夢」
 「エマ」 「ある貴婦人の肖像」「世にも憂鬱なハムレットたち」「チャタレー夫人の恋人」
 「英国万歳!」 「いつか晴れた日に」「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」
 「オルランド」 「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」
④アート系映画  
 「プロスペローの本」「ピーター・グリーナウェイの枕草子」「イグジステンス」  
 「ベルベット・ゴールドマイン」

・不況の中の人間像
 日本でも評判になった「リトル・ダンサー」と「ブラス!」にはともに炭鉱のストライキが背景として登場する。前者は少年が女性ダンス・コーチにダンスの才能を見出され、ロンドンに出て行くまでを描いた作品である。後者はストの最中もブラスバンドの練習に打ち込み、ついにはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開かれた決勝コンクールで優勝するまでを描いている。彼らを支えていたのは、閉山反対闘争に敗れた仲間の炭坑労働者や家族たちへの連帯感である。イギリス労働運動の伝統とイギリス映画人の良心とが一体となった傑作である。ともに失業や貧困を乗り越えて前向きに生きる人々の姿が肯定的に描かれている。殺人罪を犯した囚人がガーデニングに目覚め、コンテストに出品するまでを描いた「グリーン・フィンガーズ」も同様の作品である。いずれの作品にも登場人物への深い愛情が表れている。わたしたちの身近にいくらでも起こりうる、それゆえに誰にでもよく分かる出来事が描かれている。人生の真実は身近にある、映画の素材は才能と人間への愛情があればいくらでも発見できるものだという意気込みが、とりわけハリウッド製の映画と比較してみると、なおさらよく伝わってくる。

  また、ロンドンを舞台にした作品も多いが、地方を舞台にした、それも労働者の街を舞台にした作品も目立つ。しかも主人公たちは地域に根付いていて、大都会の豊かな生活を夢見て脱出するというパターンをとらない。「フル・モンティ」や「マイ・スウィート・シェフィールド」のシェフィールド、「レイニング・ストーンズ」のマンチェスター、「がんばれリアム」のリバプール、「トレインスポッティング」のエディンバラ、「リトル・ダンサー」はイングラ ンド北東部の炭鉱町、「ブラス!」はヨークシャーの炭鉱町、「シーズン・チケット」はイングランド北部のゲーツヘッドが舞台である。

 ところで、ブラス・バンドとイギリスの労働者の結びつきについては高橋哲雄がおもしろい指摘をしている。「イギリス、とくに北部の工業中心地での爆発的普及の背景には、労働不安におびえる工場主や炭鉱主たちがこのあたらしい遊び道具を労働者の不満解消に積極的に利用し奨励しようとしたという事情があっ た」というのである。言うまでもなくイギリスは霧や通り雨の多い天候不順な国だが、「霧に閉ざされた原野や深い森のなかでも遠くへ届くだけの音量があって 指向性の強い金管楽器」が、その土地柄に適合したのである。フランス、ベルギー、ドイツ、オーストリアといった他のブラス・バンドの先進国が、その起源や発達に関して軍楽隊と強く結びついていたのに対し、イギリスでは「民間の職場、地域のバンドが質量ともに圧倒的だ」という指摘も興味深い。イギリスは弦楽器の名演奏者が育たない国だが(チェロのジャクリーヌ・デュ・プレは唯一の例外)、室内吹奏楽では世界の最高水準を誇っている。クラシックの大作曲家を生まなかったイギリスだが、粒ぞろいのオーケストラや室内楽団を保有する国であるなどの指摘もあり、イギリスの音楽事情がよく理解できる優れた文章である。 (高橋哲雄『二つの大聖堂がある町』、ちくま学芸文庫)

 また、炭鉱のストライキも単なる時代背景と受け止めてはいけない。最近のイギリス映画はよく80年代を描くが、それは80年代のイギリス社会には「失業、貧困、犯罪」が蔓延しJardin3sていたからである。イギリスの80年代とはそのままサッチャー時代である。ちょうど現在の日本のような閉塞感が社会に広がっていた時代である。1984年4月から85年3月まで丸1年間続いた炭鉱ストは組合側の敗北で終わるが、この大闘争はまさにサッチャー時代の象徴的出来事だったのである(「Strike 84」という豊富な写真を載せた貴重なサイトがある)。その時代を知るには藤本武の『イギリス貧困史』(新日本新書)が参考になる。関連の部分を要約してみる。

 1979年の総選挙で保守党が勝利し、サッチャーが首相として登場した。彼女は、さらに二回の総選挙でも勝利し、1990年まで首相としての地位にとどまるが、97年までメイジャーによる、保守党政権が続き、彼女の政策は継承される。サッチャー政権の政策を要約すれば次のようになる。

 1つは、自由な利潤の獲得を制限してきた労働運動をたたきつぶすことである。そのためには労働運動の活動をきびしく制限しなければならない。  
 2つは、この国で比重を高めている国営企業の民営化である。
 3つは、経済政策はすべてハイエクやフリードマンなどの主唱するマネタリズムに従って遂行する。多くの規制を撤廃し、公的支出は軍事費を除いてカットし、直接税は減免して代わりに間接税をふやし、公の借金や貨幣供給は抑えられ、労働党政府の下で課されてきた諸統制は撤廃する。社会保障への支出は削減し、賃金や労働安全、職業病への規制は撤廃ないし大幅にゆるめる。

 石炭生産の落ち込みは著しく、1979年を100とすると、急減して、1995年にはわずか37.7に落ちた。これは石油に押され、石炭の需要が減少したためであって、イギリス の有力産業の一つが失速したことを意味する。...1995年には50年前のわずか2%しか雇用していない有様で、労働運動の中核だった炭坑夫組合の弱体化を招き、イギリス労働運動へも打撃を与えていくことになる。

 1980年と82年の雇用保護法の改定には、同情ストの禁止、ピケッティングのきびしい制限、クローズド・ショップ制を禁止する規定などが含まれていた。83年の改定では、ストの前に法定のスト投票を義務付け、政治目的への組合費支出はすべて投票による承認を必要と定めた。そして、これらの弾圧立法を整えてから、1984年に最強の炭坑夫組合のいる国営炭鉱の大量解雇に打って出た。

 一方、労働運動ではサッチャーの攻撃の始まる前から、TUC(イギリス労働組合会議)の弱体化が起きていた。83年の組合選挙では左派の勢力は三分の一以下におち、指導部は右派と中間派で固められる結果となった。そしてTUCはサッチャーとの対話に応じるという決議を採択し、1984年3月からの大量の炭鉱閉鎖に反対する炭坑労組の長期ストライキに対し、傍観者的な態度をとったのである。ストライキを単独で戦った炭坑夫組合に対して、サッチャー政権は警官隊を大量派遣し、ピケに立つ労働者を襲撃した。労働者の中に死亡者さえ生じている。これは80年前から見られなくなった大弾圧であった。そして他方では妥協的な第二組合を育成して、炭坑夫組合の抵抗力を弱めたのである。結局このストライキは敗北に終わるが、それはイギリスのストライキ運動に対する大打撃となった。

 以上が『イギリス貧困史』からの要約である。かつてイギリス最強を誇った炭鉱組合はこ Welshdem_1 の敗北で今は見る影もない弱小組合に転落してしまった。一貫して労働者の立場で映画を作ってきたケン・ローチ監督が傍観を決め込んだTUCを「裏切り者」と呼ぶのは上のような事情があるからだ。彼は69年に有名な「ケス」を作った後BBCに入り、優れたテレビ・ドキュメント番組を次々に送り出した。映画界復帰後も素人俳優を使い、ドキュメンタリー・タッチの作品を作り続けている。彼の作品には貧しさから抜け出すための闘い、富者と貧者、勝者と敗者を生み出す社会へのプロテストが描かれている。しかし彼は「わたしは彼らの現状を取り立てて過酷に描いたわけではありません。彼らの生活そのものが過酷なのであり、人生というものは厳しいものなのです」とインタビューに答えているが(「シネ・フロント」1999年7月号)、時として彼の映画は(例えば「ケス」や「マイ・ネーム・イズ・ ジョー」)あまりにも悲惨で気がめいるほどリアルに現実を描いていて、耐え難いことがある。リン・ラムジー監督の「ボクと空と麦畑」やスティーヴン・フリアーズ監督の「がんばれ、リアム」などもそうだ。
 (左上の写真の出典:「STRIKE84」

 また一連の犯罪映画のように、麻薬や失業や貧困によって精神が荒廃し、犯罪に走る人々を描く方向に向かう ものもある。「シャロウ・グレイブ」「トレイン・スポッティング」などはその面がもっとも露骨に出たアナーキーな作品だ。それでも「スナッチ」「ザ・クリミナル」「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」「フェイス」などがハリウッド映画と一味違っているのは、人を食っていて、とぼけていて、 黒い笑いではぐらかすところがあるからだろう。主人公たちはどこか憎めないところがある。特に「フェイス」などは決して悪人ではない主人公が貧しさゆえに犯罪に走らざるを得ない状況がよく描けていて、単純な犯罪アクションものに終わっていないところが優れている。

 今後イギリス映画がどのような方向に進んでゆくのか、このまま好調を維持できるのかは分からないが、現実を直視しながら、等身大の主人公に励まされるような映画を期待する観客の意識が変化しない限り、イギリス映画は現実と関わることをやめないだろう。

<参照資料>
小林義正「ケルト圏の最新の映像を集めた意欲的な催し:ケルティック・フィルム・フェ
   ストの 上映作品」、『シネ・フロント』No.248
大森さわこ「最近英国映画事情」、『キネマ旬報』No.1274
品田雄吉「イギリス映画の今を探る」、同上
ケンローチ、グレアム・フラー『ケン・ローチ 映画作家が自身を語る』(フィルム・アート社)

サッチャーの時代とイギリス映画①

第1章:サッチャリズムと1980年代 City42
◇1980年代:サッチャーの時代
  19世紀、イギリスは大英帝国として世界に君臨し、繁栄を謳歌した。20世紀に入るとさすがの大英帝国もかつての勢いを失う。イギリスは世界初の福祉国家の道を選択する。第2次世界大戦後次々にかつての植民地が独立して行った。1970年代のオイルショックを契機にして、低成長、経済停滞、インフレと高失業率というスタグフレーションに悩まされ、長期低落の傾向から抜け出せなくなる。いわゆる「英国病」だ。70年代後半は巨大化した福祉国家体制を維持しつつ、長引く深刻な経済的停滞に悩まされる深刻な状況となる。

  1979年,「不満の冬」(The Winter of Discontent)と呼ばれる1978年から79年にかけての大労働争議の後に「鉄の女」サッチャー首相が登場。マーガレット・サッチャーは79年から90年まで政権を維持した。つまり80年代のイギリスはまるまるサッチャーの時代なのだ。サッチャー率いる保守党は、福祉国家の理想、大きな政府の可能性を放棄し、これまで国家がコントロールしてきた広範な経済領域を市場と個人に委ねた。この所有と選択の拡大によって競争意識は高まり、経済は活性化した。しかし誰もがその恩恵に与れたわけではない。豊かな南部と貧しい北部という南北の格差、富める者と貧しき者との格差はさらに拡大した。サッチャリズムの功罪を見てみよう。

<1980年代以降のイギリス首相>
・1979年――1990年 マーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher、1925-)
・1990年――1997年 ジョン・メイジャー(John Major、1943-)
・1997年――      トニー・ブレア(Tony Blair、1953-)

<サッチャリズム>
 サッチャーはイギリス初の女性首相だったが、右翼主義の強硬路線を取った。女性ではあったが、フェミニズムにとは相容れない価値観を持っていた。ヴィクトリア時代の家族像を理想とし、女性が主婦として母親として家庭内にとどまることを美徳とした。
 同様に、サッチャーにとっての人間の美徳は自助、独立の精神、努力、簡約、勤勉などであり、福祉政策は人々に国家に頼る体質を植えつけ、労働意欲をそいでいると批判した。怠惰や福祉依存の文化が国民の間に蔓延していると。

◇サッチャリズムの思想
・福祉国家こそが経済停滞の主要原因 →肥大化した福祉国家の解体を図る。
・経済の活力を回復するために強い個人による競争社会を復活させる。
   →市場への国家干渉を控え、市場原理を導入し民営化、規制緩和を行う。
・自由主義経済と強い国家を同時に目指す。
・反共思想

◇具体的な政策
①財政支出の削減
  →公共住宅供給を抑制、老人ホームを公立から民間セクターへ移管
  →社会保障経費(社会保険、公的扶助、児童給付など)の削減
  →所得比例の失業給付廃止(1981)
  →補足給付金制度の年齢制限引き上げ
  →多くの給付金の削減、受給資格の制限強化
  →年金の給付水準を大幅に引き下げる→私的年金を奨励
  →公営住宅を民間に払い下げる。持ち家の所有を奨励

②国営企業の民営化
  →ブリティッシュ・ガス、ブリティッシュ・エアウェイズ民営化(1986年)
  →ロールス・ロイス民営化(1987年)
  →ブリティッシュ・スティール民営化(1988年)
  →メイジャー首相時代に国鉄が民営化された。

③労働組合の抑制
  →労働争議やストが国の経済機能を脅かしている。
  →労働組合を弱体化させるために雇用法や労働組合法を改正する。
  →最大の山場は1984年4月から85年3月まで続いた炭坑スト。最後には警察力を導入して徹底的につぶした。

④金融政策(英国内の通貨量を調整する)によりインフレを抑制する。
  →福祉国家型政策であるケインズ主義に対し、マネタリズムを基本に据える。

◇サッチャリズムがもたらしたもの
・フォークランド戦争(1982年、3月-6月)の勝利Pink_moon_b2
  西大西洋上のフォークランド諸島の領有をめぐり、イギリスとアルゼンチンとの間で起こった紛争。1982年、アルゼンチンの民間業者が同島に国旗を掲げ、英国政府に退去させられたことをきっかけに、アルゼンチン軍が進攻し、紛争が勃発した。最新型ミサイルも使用されたこの戦闘では、両国とも多くの犠牲者を出し、2ヶ月余りの激戦の末にイギリスが勝利した。
・経済停滞からの脱却
  →1987年国家財政が黒字に転じる。
  →90年代後半に入ると、経済は徐々に上向きはじめ、今やアメリカ風の大量消費社会へと変化を遂げた。
・労組の弱体化
  組合組織率  1979年55%→1990年36%
  スト発生件数 1979年約2500件→1990年300件弱
・平均世帯収入 10年間で25%アップ
・持ち家率の急増 ・国民生活が豊かに
・アメリカとの関係の強化

◇サッチャリズムの負の面
・二極化・貧富の差の拡大
 →富裕層はより豊かに、貧困層はより貧しく
 →中流階級の中以上の層の税制を優遇、税率の引き下げ
 →1980年代失業者は300万人を越えた。その後低下したものの93年に再び大台に乗った。
・アンダークラス(最下層)の増加
  →失業者、ホームレス、小額給付受給者、マイノリティ、障害者、片親家族、女性貧困層、貧しい年金生活者  
 →英国では、サッチャー政権下、1979年から82年までの3年間で、製造分野の雇用者数の4分の1が喪失、失業者率は上昇した。当時、イギリスの若年者(25歳未満)の失業率は10%から20%超まで高まった。
・イギリス社会の小型アメリカ化
 →非寛容、貪欲、非人間的、利己的、物質主義的な社会になってしまった。  
 →労働争議への国家介入、警察の権限の強化、福祉・教育への公共支出の削減、地方自治の弱体化。
 →麻薬、犯罪の蔓延。
 →犯罪防止を学ぶテーマパーク 1998年11月、観光都市ボーンマスに安全教育を目的とした室内テーマパーク「ストリートワイズ」がオープンした。身の回りに潜む事故や犯罪などの危険を子供が楽しみながら学ぶテーマパークだ。高学年の子供は麻薬の売人に遭遇したりした場合の回避方法などを学んでいる。 英国では離婚や十代での妊娠の増加に伴い、子供の23%が片親で、EU15か国中最も比率が高い。
 →人種差別(ロレンス事件)の激化  1993年黒人学生スティーブン・ロレンス(当時18歳)が白人少年5人に襲われ、ナイフで刺殺される。警察は当初黒人同士のけんかと思い込み被害者の友人(黒人)を容疑者扱いした。
 →「憲章88」の結成 マグナ・カルタの精神を受け継ぎ、「国民の自由と権利を保障する憲法を作ろう」と1988年に結成された団体。当時のサッチャー政権は労働組合への攻撃、ロンドン市制の廃止、教育の中央直結化、人頭税の強行導入など強硬政策を極めていた。
 →1997年に「ニュー・レイバー」を掲げた労働党のトニー・ブレアが勝利。
   しかしサッチャリズムからの脱却を果たせていない。
  ブレア首相の下で大麻の自由化が進められている。

 イギリスは表面上確かに豊かになったが、その一方でアメリカ的な消費生活が急速に拡大し、金の有無だけがその人間関係を決定する社会に変貌していった。競争意識が高まることによって経済は好転したが、極端な上昇志向や拝金主義が蔓延し、弱者は切り捨てられることになった。サッチャー時代の自助努力による立身出世というイデオロギーは、上昇志向の個人が他人を踏みにじって這いあがろうとする風潮を生み、そのあおりでかつてのコミュニティという人のつながりは解体されてゆく。這い上がる余地のない失業者や社会の最底辺にいる者たちは、出口のない閉塞した社会の中に捕らわれて抜け出せない。社会が人々を外から蝕み、酒とドラッグが中から蝕(むしば)んでゆく。

 サッチャーがイギリスをこのような社会に変える際に、乗り越えなければならなかった最大の障害は強大な労働組合である。アーサー・スカーギル率いるイギリスの炭坑労組はかつて最強を誇った組合だった。しかし1年間の闘争の末に、労働組合のナショナル・センターが政府との妥協を図って炭坑労組を見殺しにしたことと、警察力の武力行使によって、炭坑労組はついに敗北する。その後は見る影もない弱小組織になってしまった。これに勢いを得てサッチャー政権は労働争議への国家介入、警察の権限の強化、福祉・教育への公共支出の削減、地方自治の弱体化等を次々と推し進めていった。

イギリス小説を読む⑨ 『土曜の夜と日曜の朝』

【アラン・シリトー作品年表(翻訳があるもののみ)】 _
Alan Sillitoe(1928-  )
1 Saturday Night and Sunday Morning(1958)
 『土曜の夜と日曜の朝』(新潮文庫)
2 Lonliness of the Long Distance Runner(1959)
 『長距離ランナーの孤独』(集英社文庫)
3 The General(1960)            
 『将軍』(早川書房)
4 Key to the Door(1961)         
 『ドアの鍵』(集英社文庫)
5 The Ragman's Daughter(1963)      
 『屑屋の娘』(集英社文庫)
6 The Death of William Posters(1965)  
 『ウィリアム・ポスターズの死』(集英社文庫)
7 A Tree on Fire(1967)         
 『燃える木』(集英社)
8 Guzman Go Home(1968)         
 『グスマン帰れ』(集英社文庫)
9 A Start in Life(1970)
 『華麗なる門出』(集英社)
10 Travels in Nihilon(1971)
 『ニヒロンへの旅』(講談社)
11 Raw Marerial(1972)
 『素材』(集英社)
12 Men Women and Children(1973)
 『ノッティンガム物語』(集英社文庫)
13 The Flame of Life(1974)
 『見えない炎』(集英社)
14 The Second Chance and Other Stories(1981)
 『悪魔の暦』(集英社)
15 Out of the Whirlpool(1987)
 『渦をのがれて』(角川書店)

【作者略歴】
 1928年、イングランド中部の工業都市ノッティンガムに、なめし革工場の労働者の息子として生まれた。この工業都市の貧民街に育ち、14歳で学校をやめ、自動車工場、ベニヤ板工場で働きはじめ、この時期の経験が、『土曜の夜と日曜の朝』など、一連の作品の重要な下地になった。19歳で英国空軍に入隊し、1947年から48年までマラヤに無電技手として派遣されていたが、肺結核にかかって本国に送還された。1年半の療養生活の間に大量の本を読み、詩や短編小説を試作した。病の癒えた後、スペイン領のマジョルカ島に行き、『土曜の夜と日曜の朝』と『長距離ランナーの孤独』を書き上げた。「ロレンスを生んだ地方から新しい作家が現れた」と評判になった。その後ほぼ年1冊のペースで詩集、長編小説、短編集、旅行記、児童小説、戯曲などを発表している。1984年にはペンクラブ代表として来日している。

【作品の概要と特徴】
 アラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』は、労働者階級を労働者側から描いた最初の作品と言ってよい。それまでも下層出身の主人公はいなかったわけではない。ハーディの『日陰者ジュード』の主人公は職人だった。シリトーと同郷の先輩作家D.H.ロレンスの『息子と恋人』(1913年)は炭鉱夫を主人公にしていた。しかし工場労働者が工場労働者であることを謳いながら工場労働者を描いた小説はそれまでなかった。しかも、『息子と恋人』の主人公ポール・モレルは炭鉱夫でありながら、そういう境遇から抜け出ようと志向し努力するのだが、シリトーの作品の主人公たちは上の階級入りを目指そうとはしない。

 シリトーは旋盤工の息子。D.H.ロレンスも同じノッティンガムシャーの「自分の名前もろくに書けない」生粋の炭鉱夫の息子である(母親は中流出身)。シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』を初めとする多くの作品はノッティンガムを舞台にしており、ロレンスの『息子とCut_bmgear04 恋人』『虹』『チャタレー夫人の恋人』などもノッティンガムシャーを舞台にしている。ノッティンガムは、マンチェスターやバーミンガムとともに、イギリス中部の工業地帯を形づくる三角形の頂点の一つをなす都市であって、産業革命を契機に起こった労働者階級の暴動や運動には中心的な役割を果たしてきた土地である。1810年代に起こった機械の破壊を目的とするラッダイトの暴動はここを中心としていたし、1830年代末から起こったチャーティズムの運動にも関係していた。この土地から、ロレンスとシリトーという二人の下層階級出身の小説家が出たことは、単なる偶然ではあるまい。

 シリトーはロレンスよりもほぼ半世紀遅れて作家活動を始めた作家で、文学史的には〃怒れる若者たち〃と呼ばれる一派、すなわち『怒りをこめて振り返れ』(1956年)のジョン・オズボーン、『ラッキー・ジム』(1954年)のキングズレー・エイミス、『急いで駆け降りよ』(1953年)のジョン・ウェインなどとほぼ同時期に『土曜の夜と日曜の朝』(1958)が発表されたために、シリトーもその一派と見なされたりした。しかし〃怒れる若者たち〃がその後体制化し「怒り」を忘れてしまってからも、シリトーの主人公たちはなおも怒り続けた。

 『土曜の夜と日曜の朝』は「土曜の夜」と「日曜の朝」の2部構成になっている。小説の始まりから終わりまでにほぼ1年が経過している。主人公のアーサー・シートンは旋盤工だが、金髪の美男子だ。15の時から自転車工場で働いている。重労働だが高賃金である。アーサーの父が失業手当だけで、5人の子供をかかえ、無一文で、稼ぐ当てもないどん底生活を送っていた戦前に比べれば、今は家にテレビもあり、生活は格段に楽になっている。アーサー自身も数百ポンドの蓄えがある。しかし明日にでもまた戦争が起こりそうな時代だった。

 作品はアーサーが土曜日の夜酒場での乱痴気騒ぎの果てにある男とのみ比べをして、したたかに酔っ払って階段を転げ落ちるところから始まる。月曜から土曜の昼まで毎日旋盤とにらめっこして働きづめの生活。週末の夜には羽目を外したくなるのも無理はない。しかし、アーサーの場合いささか度が外れている。ジン7杯とビール11杯。階段から転げ落ちた後もさらに数杯大ジョッキを飲み干した。挙句の果てに、出口近くで知らない客にゲロをぶっかけて逃走する。その後職場の同僚のジャックの家に転がり込む。ジャックは留守だ。亭主が留守の間に、彼の妻のブレンダと一晩を過ごした。

 アーサーは決して不まじめな人間というわけではなく、仕事には手を抜かず旋盤工としての腕も立つ。しかし、平日散々働いた後は、週末に大酒を飲み、他人の妻とよろしくやっている。月曜から金曜までの労働と、土曜と日曜の姦通と喧嘩の暮らし。まじめに働きながらも、ちゃっかり「人生の甘いこころよい部分を積極的に」楽しんでいる。しかもブレンダだけではなく、彼女の妹のウィニー(彼女も人妻)とも付き合っている。さらには、若いドリーンという娘にも手を出している。「彼はブレンダ、ウィニー、ドリーンを操ることに熱中してまるで舞台芸人みたいに、自分自身も空中に飛び上がってはそのたびにうまくだれかの柔らかいベッドに舞い降りた。」とんだ綱渡りだが、ついにはウィニーの夫である軍人とその仲間に取り囲まれ散々ぶちのめされる。祭の時にブレンダとウィニーを連れているところを、うっかりドリーンに見つかるというへままでしでかす。しかし何とかごまかした。アーサーは嘘もうまいのだ。「頭がふらふらのときだって嘘や言い訳をでっちあげるくらいはわけないからな。」

 アーサーの狡さはある程度は環境が作ったものだろう。アーサー自身「おれは手におえん雄山羊だから遮二無二世界をねじ曲げようとするんだが、無理もないぜ、世界のほうもおれをねじ曲げる気なんだから」と言っている。世界にねじ曲げられないためには、こっちもこすっからくなるしかない。軍隊時代は自分に「ずるっこく立ち回ること」だと言い聞かせて、自由になるまで2年間がまんした。「おれに味わえる唯一の平和は軍隊からきれいさっぱりおさらばして、こりやなぎの並木の土手から釣り糸を垂れるときか、愛する女といっしょに寝ているときしかない。」彼がハリネズミのように自分の周りに刺を突き立てるのは、自分を守るため、自分を失わないためだ。自分の定義は自分でする。「おれはおれ以外の何者でもない。そして、他人がおれを何者と考えようと、それは決しておれではない。」この自意識があったからこそ、彼は環境に埋没せずに、自分を保てたのだ。

 アーサーは政治的な人間ではない。確かに彼は「工場の前で箱に乗っかってしゃべりまくっている」連中が好きだとは言う。しかしそれは彼らが「でっぷり太った保守党の議員ども」や「労働党の阿呆ども」と違うからだ。アーサーは、自分は共産主義者ではない、平等分配という考え方を信じないと言っている。もともとアーサーの住む界隈は「アナーキストがかった労働党一色」の地域であった。実際、彼の自暴自棄とも思える無軌道なふるまいにIsu4 はアナーキーなやけっぱちさがある。「おれはどんな障害とでも取っ組めるし、おれに襲いかかるどんな男でも、女でも叩きつぶしてやる。あんまり腹にすえかねたら全世界にでもぶつかって、粉々に吹き飛ばしてやるんだ」とか、「戦う相手はいくらもある、おふくろや女房、家主や職長、ポリ公、軍隊、政府」とか、勇ましい言葉を吐くが、結局ノッティンガムの狭い社会の中でとんがってずる賢く生きているだけだ。

  彼の反抗は反体制的な反抗というよりも、非体制的な反抗だと批評家たちからよく指摘される。だが、反抗といっても他人の女房を寝取るという不道徳行為に命を賭けるといった、ささやかなものに過ぎない。むしろ今から見れば、将来の希望の見えない労働者の、酒や暴力で憂さを晴らし、人妻との恋愛に一時的な快楽を求める、刹那的な生き方と言った方が当たっているだろう。「武器としてなんとか役立つ唯一の原則は狡くたちまわることだ。...つまり一日中工場で働いて週に14ポンドぽっきりの給料を、週末ごとにやけっぱちみたいに浪費しながら、自分の孤独とほとんど無意識の窮屈な生活に閉じ込められて脱出しようともがいている男の狡さなのだ。」窮屈な生活から何とか逃れようともがいている、やけっぱちの男、これこそ彼を一言で表した表現であろう。

 そうは言っても、彼の生き方に全く共感できないわけではない。アーサーという人物は、80年代以降のイギリス映画によく出てくる一連の「悪党」ども、「トレイン・スポッティング」等の、「失業・貧困・犯罪」を描いた映画の主人公たちに一脈通じる要素がある。アーサーは彼らの「はしり」だと言ってもよい。イギリスの犯罪映画に奇妙な魅力があるように、『土曜の夜と日曜の朝』に描かれた庶民たちの生活には、裏町の煤けた棟割り長屋に住む庶民の、したたかな生活力と、おおらかな笑いが感じられる。西アフリカから来た黒人のサムをアーサーの伯母であるエイダの一家が歓迎する場面はほほえましいものがある。中にはからかったりする者もいるが、すぐにエイダはたしなめるし、みんなそれなりにこの「客」に気を使っている。アーサーがいとこのバートと飲んだ帰りに酔っ払いの男が道端に倒れているのを見て、家まで連れて帰るエピソードなどもある。この時代の「悪党」はまだ常識的な行動ができていたのだ。もっともバートはちゃっかり男の財布をくすねていたが(ただし空っぽだった)。

 面白いのは、最後にアーサーがドリーンと結婚することが暗示されていることである。この間男労働者もいよいよ年貢の納め時を悟ったようだ。最後の場面はアーサーが釣りをしているところである。「年配の男たちが結婚と呼ぶあの地獄の、眼がくらみ身の毛がよだつ絶壁のふちに立たされる」のはごめんだとうそぶいていた男が、釣り糸を見ながら、「おれ自身はもうひっかかってしまったのだし、これから一生その釣り針と格闘をつづけるしかなさそうだ」などと、しおらしく考えている。さて、どのような結婚生活を送るものやら。

イギリス小説を読む⑧ イギリスとファンタジーの伝統

(1)イギリス児童文学におけるファンタジーの系譜
W.M.サッカレー William Makepeace Thackeray(1811-63)
  『バラと指輪』The Rose and the Ring(1855)
チャールズ・ディケンズ Charles Dickens(1812-70)
  『クリスマス・キャロル』A Christmas Carol (1843)
ジョン・ラスキン John Ruskin(1819-1900)
  『黄金の川の王様』The King of. the Golden River or the Black Brothers(1851)
チャ-ルズ・キングズリ Charles Kingsley(1819-75)
  『水の子たち』The Water-Babies(1863)
トマス・ヒューズ Thomas Hughes(1822-96)
  『トム・ブラウンの学校生活』(1857)
ジョージ・マクドナルド George MacDonald(1824-1905)
  『ファンタステス』Phantastes; A Faerie Romance for Men and  women(1858)
  『北風のうしろの国』At the Back of the North Wind (1871)
  『リリス』Lilith (1895)    
  『黄金の鍵』The Golden Key (1871)
  『ファンタステス』 Phantastes (1858)
ルイス・キャロル Lewis Carroll(1832-98)
  『不思議の国のアリス』Alice's Adventures in Wonderland (1865)    
  『鏡の国のアリス』Through the Looking-Glass (1871)
フランシス・E・H・バーネット  Frances Eliza Hodgson Burnett(1849-1924)
  『秘密の花園』The Secret Garden(1909)
ロバート・L・スティーヴンソン  Robert L. Stevenson(1850-94)    
  『宝島』Treasure Island(1883)
オスカー・ワイルド Oscar Wilde(1854-1900)
  『幸福な王子』Happy Prince and Other Stories(1888)
ケネス・グレーアム  Kenneth Grahame(1859-1932)
  『たのしい川べ』The Wind in the Willows(1908) Artosiro150bbb
ジェームズ・バリー  James M.Barrie(1860-1937)
  『ピーター・パン』 Peter Pan in Ksensington Gardens(1906)
ラドヤード・キップリング Rudyard Kipling(1865-1936)
  『ジャングル・ブック』The Jungle Book(1894)
ビアトリクス・ポター  Beatrix Potter(1866-1943)
  『ピーター・ラビットのおはなし』(1901)
エリナー・ファージョン Eleanor Farjeon(1881-1965)
  『銀のシギ』The silver curlew(1953)
  『本たちの小部屋』The Little Bookroom(1955)
  『リンゴ畑のマーティン・ピピン』 Martin Pippin in the apple orchard
  『ムギと王さま』
  『ガラスのくつ』
A・A・ミルン  A.A.Milne(1882-1924)
  『熊のプーさん』Winnie-the-Pooh(1926)
ヒュー・ロフティング(1886-1947)
  『ドリトル先生物語』シリーズ
J・R・R・トールキン  J. R. R. Tolkien(1892-1973)
  『ホビットの冒険』The Hobbit(1949)
  『指輪物語』
       『旅の仲間』The Fellowship of the Ring(1954)
       『二つの塔』The Two Towers(1855)
       『王の帰還』The Return of the King(1955)
ルーシー・ボストン Lucy Boston(1892-1990)
  『グリーン・ノウの子どもたち』The Children of Green Knowe
  『グリーン・ノウの川』The River at Green Knowe
  『グリーン・ノウのお客さま』A Stranger at Green Knowe
C・S・ルイス  C.S. Lewis(1898-1963)
  「ナルニア国ものがたり」シリーズ(7巻)
    『ライオンと魔女』The Lion, the Witch and the Wardrobe(1950)
    『カスピアン王子のつのぶえ』Prince Caspian(1951)
メアリー・ノートン  Mary Norton(1903-1992)
  『床下の小人たち』The borrowers(1952)
  『野に出た小人たち』The Borrowers Afield(1955)
パメラ・L・トラヴァース  Pamela L. Travers(1906-  )
  『風にのってきたメアリー・ポピンズ』Mary Poppins(1934)
キャサリン・ストー Catherine Storr(1913-  )
  『マリアンヌの夢』 Marianne Dreams(1958)
ロアルド・ダール  Roald Dahl(1916-90)
  『魔女がいっぱい』
  『チョコレート工場の秘密』(1964)
フィリッパ・ピアス  A. Philippa Pearce(1920-  )
  『トムは真夜中の庭で』Tom's Midnight Garden(1958)
  『真夜中のパーティ』What the Neighbours Did and Other Stories(1959-72)
  『まぼろしの小さい犬』A Dog So Small(1962)
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ Diana Wynne Jones(1934-)
  『トニーノの歌う魔法』The Magicians of Caprona(1980)
  『9年目の魔法』Fire and Hemlock(1984)
  『魔法使いハウルと火の悪魔』Howl's Moving Castle(1986)
  『クリストファーの魔法の旅』The Lives of Christopher Chant(1988)
  『アブダラと空飛ぶ絨毯』Castle in the Air(1990)
アラン・ガーナー Alan Garner(1935-  ) Mjyokabe3_1
  『ゴムラスの月』The Moon of Gomrath(1963)
アンジェラ・カーター Angela Carter(1940-92)
  『魔法の玩具店』The Magic Toyshop(1967)
  『ラヴ』Love(1971)
  『血染めの部屋』The Bloody Chamber(1979)
  『夜ごとのサーカス』Nights at the Circus(1984)
  『ワイズ・チルドレン』Wise Children(1991)
フィリップ・プルマン(1946-)
  『黄金の羅針盤』Noethern Lights/The Golden Compass(1965)
   『神秘の短剣』 The Subtle Knife(1997)    
  『琥珀の望遠鏡』The Amber Spyglass(2000)
J・K・ローリング  J.K.Rowling
  『ハリー・ポッターと賢者の石』Harry Potter and the Philosopher's Stone(1997)
  『ハリー・ポッターと秘密の部屋』Harry Potter and the Chamber of Secrets    
  『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』Harry Potter and the Prizoner of Azkaban    
  『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』Harry Potter and the Goblet of Fire(2000)

(2)リアリズム系列の児童文学作家たち
イディス・ネズビット(1858-1924)
  『砂の妖精』Five Children and It(1902)
アーサー・ランサムArthur Ramssome(1884-1967)
  『ツバメ号とアマゾン号』Swallows and Amazons(1930)
  『ツバメの谷』
  『ヤマネコ号の冒険』
  『長い冬休み』Winter Holiday(1933)
ローズマリー・サトクリフ Rosemary Sutcliff(1920-92)
  『太陽の騎士』Worrior Scarlet(1958)
  『ともしびをかかげて』The Lantern Bearers(1959)
  『第9軍団の鷲』
  『銀の枝』The Silver Branch(1957)
  『王のしるし』The Mark of the Horse Lord(1965)
  『ケルトの白馬』
  『アーサー王と円卓の騎士』The Sword and the Circle(1981)
  『アーサー王と聖杯の物語』The Light Beyond the Forest(1979)
  『アーサー王最後の戦い』The Road to Camlann(1981)
ジョン・ロウ・タウンゼンド John Rowe Townsend(1922-  )
  『ぼくらのジャングル街』The Gumble's Yard(1961)
  『アーノルドのはげしい夏』The Intruder(1969)
ウィリアム・メイン William Mayne(1928-  )
  『砂』Sand(1964)
  『地に消える少年鼓手』Earthfasts(1966)
キャスリーン・ペイトン Kathleen M. Peyton(1929-  )
  『愛の旅だち』Flambards(1967)
  『雲のはて』The Edge of the Cloud(1969)
  『めぐりくる夏』Flambards in summer(1969)

(3)イギリスとファンタジー
1 ファンタジーの源流 ・イギリス:最初に小説を生んだ国
 →『ロビンソン・クルーソー』と『ガリヴァー旅行記』は刊行後すぐに子供の本として書き直され、人気を博した。その意味では最初の子供向け創作童話を生み出した国だとも言える。
・イギリスの伝説:ロビン・フッド、アーサー王伝説
 →昔のイギリスの蒸気機関車にはアーサー王ゆかりの人物の名前がつけられてい 
   た。
  「サー・ランスロット号」「サー・パーシヴァル号」「サー・ケイ号」「アーサー王号」etc.
・ナーサリー・ライム(童謡):マザー・グース

2 昔話、フェアリー・テイル、ファンタジー
・ファンタジーはフェアリー・テイルから生まれ、フェアリー・テイルは昔話から生まれた。
・昔話、口承物語、おとぎ話、言い伝え、伝承、伝説
  →本来は子供のためのものではないが、専ら子供が読むものになった。
  →教訓が含まれているから
・昔話の収集:グリム兄弟
 昔話の創作:アンデルセン

3 子供の本の創作
・『ロビンソン・クルーソー』と『ガリヴァー旅行記』が子供の本になったとき、前者の宗教に関する部分、後者の風刺的な面が大幅に削られた。
 →リアリスティックな冒険と夢の物語、空想的な冒険物語が生まれた。
 →大人向けの要素が削られ、単なる冒険物語になったとき子供の本になった。
 →わくわくする面白い物語を読むという読書本来の楽しさ
・物語から教訓臭さを取り除く →創作童話の発展

4 子供の発見 ・子供は17世紀に「発見」された。
・フィリッペ・アリエス「<子供>の誕生」(1960)
 →17世紀以降、人々の年齢意識や発達段階への関心が高まり、その結果、子供が大人とは違う存在であることに大人たちが気づくようになった。
 →「子供はその純真さ、優しさ、ひょうきんさのゆえに、大人にとって楽しさとくつろぎの源、いわば「愛らしさ」と呼び慣わされているようなものになっているのである。」
 →学校の発達、家庭の変化、子供の死亡率の低下
・W.ワーズワース:「子供は大人の親である」→子供時代を経ずして大人になることは誰にも出来ない。  

5 妖精
・妖精:別世界の超自然的な存在
→トールキン:妖精物語=妖精についての物語ではなく、妖精の国についての物語 すぐ身近にある世界、恐れと驚きを覚えさせる国、驚異の異世界 ・妖精は美しいどころかむしろ奇怪である。むしろ水木しげるが描く妖怪に近いと考えるべき。

6 ファンタジーの出現
・『不思議の国のアリス』:純粋に楽しみを目的にした最初の物語
   →教訓の排除、想像力の解放、ナンセンスの発見
・トールキン フェアリー・ストーリーは現実生活で起こってほしいことを扱う。そのほしいという望みを満たしたときフェアリー・ストーリーは成功したことになる。
 →an unsatisfied desireという表現は、C.S.ルイスも使っている。
 →人間は魚のように自由に深海を泳ぐことができない。鳥のようにかろやかに大空を飛行できない。人間以外の生き物と自由に話すことができない。限界があるからかえってそれを越えたいという願望をつのらせる。
・妖精の国のリアリティ、現在に出発点をもつ現代のファンタジー

7 なぜファンタジーはイギリスで圧倒的に多く産まれたのか
・ベッティーナ・ヒューリマン『ヨーロッパの子どもの本』(ちくま学芸文庫、1993)Hm1
 「イギリスの『ナンセンス』は...「不思議の国のアリス」やリアの詩や多くのナーサリー・ライムを生んだもので、イギリスの子どもに贈られた宝物である。この宝物によって本を読むイギリスの子どもには、どこの国の子どもも知らないようなまったく独特の世界がひらかれている。いまではくまのプーさん、ピーターラビット、ピーター・パン、ドリトル先生、メアリー・ポピンズなど、多くの人物がこの領域に集まっている。そしてほかのいかなる国も、これに匹敵するものを持ちあわせていない。」
・妖精が身近な存在だった。ケルトの伝統が息づいている。
  →『指輪物語』:ドワーフ、エルフ、トロル、大男、ゴブリン、竜
    創作はホビットとゴラムだけ
 →グリムには妖精は登場しない。アメリカの乾いた土地にも妖精は住めない。

(注)ケルト人とイギリス ブリテン島へのケルト人の侵入の大きな波は、少なくとも二つのものに区別して考えることが出来る。第一波は、今日のアイルランドとスコットランド地方に住む人々の祖先と見なされる、ゲール人ないしはゴイデル人の侵入であった。ついで第二波は、現在のウェールズ地方の住人の祖先、カムリ人およびブリトン人の侵入であった。これらのケルト人たちが先住の民であるイベリア人と交じり合って、現在のウェールズ人ができていったと考えられている。...各部族はそれぞれ独自の方言をもっていた。そして、ゴイデル人の言語ゴイデリックから、今日のアイルランド語、スコットランドのゲール語、そしてマン島語が発展してゆく。またブリトン人の言語ブリトニックから、現在のウェールズ語、コーンウォール語、そして南仏ブリタニー地方のブリトン語が発展していったといわれている。
   中野節子「風土とフェアリー・テイルズ(2)ウェールズとフェアリー・テイルズ」
   『児童文学世界』No.3(中教出版、1980年)

 →ファンタジーの源泉はケルト民族の豊かな想像力(幻想性が強い)
 →スコットランド出身の児童文学作家が多い
 →アイルランドには有名な作家は少ないが、民話の宝庫である。
 →ウェールズには中世物語集『マビノギ』Mabinogiがある。 アーサー王に関しては5編を収録
 →ファンタジーの最大の源泉である伝承の昔話が聞かれるのはほとんどゲール語である。
    ダブリンのユニヴァーシティ・カレッジの民俗学研究所(伝承物語の記録採集)
    エジンバラ大学のスコットランド研究所(伝承物語の研究)
 →アイルランドのナショナル・シンボルのうち二つが妖精である。
   ①植物のシャムロック、②楽器の竪琴、③バンシー、④レプラコーン
    河童と天狗が富士山や桜と並んでいるようなもの。
 →スコットランドやアイルランドの風土や地理的特性 どこから妖精が出てきてもおかしくない、さながらおとぎの国に踏み込んだような光景が多くある。また、高緯度で冬は夜が非常に長い。
 →薄明のケルトの妖域。

(4)おまけ:J.R.R. トールキンの『ホビット』
 『ホビット』の初版がイギリスで出版されたのは1937年のことである。若干の改定を加えた第2版がイギリスで出たのが1951年である。その続編という位置付けの『指輪物語』がイギリスで出たのが1954年から55にかけてである。『指輪物語』は日本でも大評判になったので知っている人も多いだろう。今年映画化作品も日本で公開されることになっている。『ホビット』の翻訳は岩波書店から出ていたが、1997年に原書房から「完全版」と銘打って新訳が出た。資料満載の豪華版である。特に各国の翻訳につけられた挿絵がふんだんに取り入れられているのがうれしい。

 物語は、ホビットのビルボ・バギンズが、ドワーフたちや魔法使いのガンダルフと繰り広げるさまざまな冒険を描いている。ホビットとは「背丈は低く人間の半分ぐらい、髭をはやした矮人(ドワーフ)よりも小柄です。髭はなく、とくにかわった魔法がつかえるというわけでもHalloween2 ありません。せいぜいが、すばやく目立たずに姿を消すことができるぐらいのものですが、こんなありふれた魔法でもけっこう役には立ちます。...ホビットの腹はだいたいつき出ています。はでな原色の洋服(たいてい緑か黄)を身にまとっていますが、靴をはくことはない。なぜなら生まれつき足の裏がなめし皮のように固くなっており、(巻き毛の)髪の毛とおなじような、こわくて暖かそうな栗色の毛が生えているからです」とあるように、トールキンが創造した空想上の存在である。その他、エルフ(妖精)、竜、トロル、ゴブリン、岩石巨人(「スター・ウォーズ」に出てきたような奴)、ゴクリ(ゴラム)、などの空想上の生き物が多数登場する。ただし人間や狼や鷲なども登場する。ホビットとドワーフと人間は共存しており、言葉が通じ合う。完全にトールキンが創造した架空の世界の中で物語が進行する。作者が作った地図も添えられていて、宮崎駿のマンガ版『風の谷のナウシカ』を連想させる。挿絵もトールキン本人が書いており、絵の才能をうかがわせる(新訳にはそのカラー写真が収録されている)。

<物語>
  ビルボの家にガンダルフと13人のドワーフたちが訪ねてきて、ビルボを冒険の旅に誘う。ドワーフの族長ソーリンの祖父の時代に、ドワーフたちは山で鉱山を掘り、黄金や宝石を見つけ富と名声を得た。しかし竜のスモーグが彼らを襲い、宝を独り占めにしてしまった。ソーリンはその先祖の財産を取り戻しに行くというのだ。初めは断ったビルボだが、彼の血にも伝説の英雄の血を引くトック家の血が流れていたため、ついに冒険の旅に出ることを承知する。

 彼らの旅は冒険の連続である。トロルに食われそうになったり、ゴブリンに追われたり、(そのゴブリンの穴で、ビルボは指にはめると姿が見えなくなる不思議な指輪を拾う)、ゴクリと謎なぞ合戦をしたり、狼に追われたり。闇の森に入ると、飢えに悩まされたあげくに巨大クモに襲われ、やっと逃げると今度はエルフに捕らえられる。

 エルフからも何とか脱出して森を突破し、ようやく竜のいる山に着く。火を吹く竜に手を焼くが竜は人間の町を襲ったときにバードという英雄に退治されてしまう。しかし街を竜に破壊された人間たちとエルフたちが共同で宝の分け前を手に入れるために山に向かうと、ドワーフの長ソーリンはそれを拒否する。危うく戦争になりかけたとき、ゴブリンと狼の大群が襲撃してくる。人間とエルフとドワーフたちは急遽手を組み、連合軍を組んでゴブリンに立ち向かう。激しい戦闘(後に「5軍の戦い」と呼ばれる)の末、ドワーフたちは何とか勝利をおさめる。ソーリンは戦闘で深手を負い、最後に改心して、宝をみんなに分けるよう言い残して死んだ。すべてかたがつき、ビルボはガンダルフと帰途に就く。

2006年8月23日 (水)

ナイト・ウォッチ

2004年 ロシア 2006年4月公開
原題:NOCHNOI DOZOR
監督:ティムール・ベクマンベトフ
製作:コンスタンティン・エルンスト、アナトリー・マキシモフ
原作:セルゲイ・ルキヤネンコ
撮影:セルゲイ・トロフィモフ
編集:ドミトリー・キセレフ
美術:ワレーリー・ヴィクトロフ、ムクタール・ミルザケイェフ
音楽:ユーリ・ポテイェンコ
出演:コンスタンチン・ハベンスキー、ウラジーミル・メニショフ
    マリア・ポロシナ、 ガリーナ・チューニナ、ヴィクトル・ヴェルズビツキー
    マリア・ミロノーワ イリア・ラグテンコ、ジャンナ・フリスケ
    ディマ・マルティノフ、 ワレーリー・ゾルツキン、ユーリ・クッシェンコ

  最近旧ソ連やロシアの映画をトンと観ていない。僕が何十本ものソ連映画をまとめて観たのは70年代から80年代にかけて。それでも彼の国の膨大な数の傑作群のごく一部を観たに過ぎない。東京から上田に来てからはもっぱらDVDに頼る以外にないのだが、旧ソ連やロシア映画のDVD化が遅々として進まない。それでも少しずつ出てはいるのでコレクションは結構たまってきたが、なかなか観る機会がない。いずれまとめてレビューを書いてみたいと思っている。

  さて、先日今借りたいのがないので手持ちの映画を観ようと書いたばかりだが、さすがに古いものばかりではと思って借りてきたのがこの「ナイトウォッチ」。ロシア国内で歴代興行記録を塗り替える大ヒットとなった話題作という触れ込みで、それなりに期待していた。Oldcastentrb1 しかし観てがっかり。この映画を一言で言えば、アメリカ映画をロシア語吹き替えで観た感じ、もうそれで十分だ。ほとんどロシア映画らしさが何も感じられない。監督自身がアメリカ映画に張り合えるロシア映画を作りたかったという意味のことを発言しているらしいが、まったくそういう作り。アメリカ映画自体がオリジナルなものを作れなくなってきて、ヒット作の続編ものや外国のヒット作のリメイクばかり作っているご時勢に(最近やっといいのも出てきたが)、アメリカ映画もどきを作ろうというのではそもそも志が低すぎる。ソ連やヨーロッパ映画は、娯楽映画はアメリカに任せて、自分たちは自分たちの文化に根付いた映画を作るという姿勢を保ってきたのではなかったのか。こんなものを作っているようじゃ、韓国映画界の後追いをすることになってしまうぞ。(ここから先は罵倒しまくりなので、この映画が好きな人はここでやめておくほうがいいでしょう。)

  まあ、フランスも「ジェヴォーダンの獣」や「ヴィドック」を作っているし、中国さえも「HERO」や「LOVERS」あるいはまだ未見だが「PROMISE」などを作っているので、何もロシアに限ったことでも今に始まったわけでもないが。それでもそれなりにフランスや中国らしい味付けはあった。しかし「ナイトウォッチ」はまったくのアメリカ映画だ。配給も20世紀フォックスだし、冒頭の字幕も英語である。最初からそういう作り、狙いなのである。

  映画の作りも何ら工夫が感じられない。ダーク・ファンタジーと言われているが、実際の作りはホラー映画。血を飲むシーンや豚肉を切り刻む映像が何度も挿入される。むかつく映像のオンパレード。画面が切り替わるごとに突然大きな音を出してドキッとさせる。ホラー映画のありきたりの手口。まるで映画学校の卒業制作で教科書どおりに作ってみましたという感じだ。でかい音と血まみれ、ぬるぬるべとべと映像で驚かせたり気味悪がらせている限りではもう先はない。「フォーガットン」とさして変わらないレベル。

  ストーリーも古色蒼然としている。光と闇の対決。もうたくさんですよ、このパターンは。闇は吸血鬼で光は智恵のフクロウというのもお決まりのパターン。SF的な味付けも試みているが、夜のモスクワのシーンなどは「ブレードランナー」そのもの。「強力ワカモト」の電光掲示板がないか探してしまいましたよ。どこをどう切っても、どこかで観た、聞いた、読んだという印象が付きまとう。斬新さなど毛ほどもない。監督はCMやミュージック・ビデオの監督として有名な人らしいが、その手の人は映像にばかりこだわって肝心な内容が伴わないことが多い。この点もパターンどおり。やっぱりそういう人かと納得したしだい。

  まあ、けなしてばかりでは何なので、一応ストーリーを説明しておきましょう。人類の中に特殊な能力を持った「異種」と呼ばれる者たちがいた。彼らは “光”と“闇”の勢力に別れ太古の時代より激しい対立を繰り返していた。ある時橋の上で両軍が激突し激しい戦闘になる。力は互角で、このままでは両方とも全滅してしまう。そこでボス同士がさしで話し合い、「かくて光と闇は休戦協定を結んだ。光の代表ゲンサー、闇の代表ザヴロン。協定内容はこうだ。善につくか悪につくかは本人が決める。光の戦士は″夜の番人(ナイトウォッチ)″として闇の異種の行動を監視、闇の戦士は″昼の番人(デイ・ウォッチ)″として光の異種を監視。こうして善悪の均衡は何世紀も保たれた。だがある日一人の異種が驚異の力を備えて現れる。彼も光か闇かを選ばねばならない。その選択で均衡は崩れる。」

  どことなく冷戦時代の暗喩とも取れるのだが、仮にそうだとしても今さらそれがどうしたという感じは免れない。光が「善」で闇が「悪」という設定もありきたりだ。描き方としてはどちらも悪みたいで、単純な二分法でもない感じではあるが、それが却って話の展開をごたごたしたものに感じさせる。どうも話に深みがない。

  そういう設定なので、伝説の“偉大なる異種”とは誰なのか、彼もしくは彼女はどちらの側につくのかがストーリー展開の焦点となる。古代から続く戦いとなれば、何か古文書(あるいは預言書)のようなものが出てくるのがお決まりのパターンだが、ご心配なく、ちゃんとお約束のものが出てきます。『ビザンチウム伝説』という本。ここに(ちっとも古くなく、真新しい本なのはご愛嬌だが)″災いを招く乙女″に関する記述がある。″災いを招く乙女″とは、呪いをかけられた女で、いつも頭上に不幸が渦巻いている。彼女が出現すると呪いは広まり、光と闇の戦いが始まる。「すべては一人の人間の呪いゆえである。伝説によれば乙女は再び世に現れて再び呪われ、それが戦いの前兆となる。善と悪の最終戦争が始まり均衡が崩れ去る時、偉大なる異種が現れる。彼が光の側につけば光が勝利する。だが予言によれば彼は闇を選ぶ。闇を追い払うより光を消すほうが簡単だからだ。」世界の運命を決する選択をそんな単純な理由で決めていいのか、と突っ込みを入れたくなるが、ここは我慢しよう。それにしても何の工夫もない話だ。定石どおりにしか駒を動かせないようプログラミングされたロボット同士の将棋を見ているようだ。こう定番そのものではさっぱり面白みがない。

  この″災いを招く乙女″はメガネをかけたインテリ風女性なのだが、彼女の上には巨大な竜巻ができている。何百羽というカラスがその竜巻の中を飛び回っている。まるで「ヴァン・ヘルシング」だ。浦沢直樹の『プルートウ』に出てくる竜巻のほうがずっと怖いぞ。しかし″災いを招く乙女″のエピソードは文字通りの羊頭狗肉、その結末は拍子抜けするほどしょぼい。呪いの正体というのが聞いてあきれる。母さえいなければ自分は結婚できると思ったというそれだけ。腎不全の母親に臓器の提供を申し出たが、母親は拒否。そうなることが分かっていて自分はそうしたのだ、私など呪われろ。っておいおい、それだけかよ!自分で自分を呪っていましたという落ち(それが分かったとたんに呪いが解けましたとさ)、そりゃああまりといえばあまりだろう。そんなんで竜巻が出来るのなら、ブッシュ一人で日本も含めて全部沈没だぞ!

  いやあ、散々な目にあった。こんなにひどいとは思わなかった。せいぜい褒めて「B級カルト映画」ってとこか。二作目の「デイ・ウォッチ」もすでに作られ、ロシアでこれまた大ヒットしているそうだが、もう結構。お代わりはいりません。ああ、下痢しそうだ。

2006年8月21日 (月)

TOMORROW 明日

Artspring250w 1988年 日本 1988年8月公開
監督:黒木和雄
製作:鍋島壽夫
原作:井上光晴 『明日・1945年8月8日・長崎』
脚本:黒木和雄 井上正子 竹内銃一郎
撮影:鈴木達夫
美術:内藤昭
編集:飯塚勝
音楽:松村禎三
出演:桃井かおり、南果歩、佐野史郎、黒田アーサー、仙道敦子
    水島かおり、馬渕晴子 、田中邦衛、賀原夏子、なべおさみ
    殿山泰司、絵沢萌子、岡野進一郎、長門裕之、 森永ひとみ
    原田芳雄、伊佐山ひろ子、荒木道子、入江若葉、横山道代
    楠木トシエ、 二木てるみ

  「TOMORROW 明日」は88年『キネマ旬報』ベストテンで「となりのトトロ」に次いで2位に入った作品。その時から気になっていたが、当時の日本映画に対する僕の評価は低く、また黒木和雄という監督をよく知らなかったこともあって観ようという気にまではならなかった。最初に観た黒木和雄作品は「美しい夏キリシマ」である。『キネマ旬報』と『シネフロント』のベストテンで共に1位になった作品なので、これはさすがに見逃せなかった。期待したほどではなかったが、なかなかいい作品だった。次に見たのが「父と暮らせば」。これはここ10年の日本映画の中でも群を抜く傑作だった。そして彼の遺作となった「紙屋悦子の青春」が現在公開中である(黒木和雄監督は惜しくも今年の4月12日に75歳で亡くなった)。こうなるとどうしても「TOMORROW 明日」が気になってくる。今頃やっと「TOMORROW 明日」を観ることになったのはこういう事情である。「とべない沈黙」(66年)、「竜馬暗殺」(74年)、「祭りの準備」(75年)、「泪橋」(83年)、「浪人街」(90年)など他にも注目作は多いが、僕は晩年の戦争にこだわった作品ばかりを観ていることになる。

  「TOMORROW 明日」は「父と暮らせば」(04年)、「美しい夏キリシマ」(03年)、そして現在公開中の「紙屋悦子の青春」へと続く“戦争レクイエム”4部作の第1作である。描かれたのは二日間。長崎に原爆が落とされる前日の1945年8月8日から翌日の原爆投下の瞬間まで。特定の主人公はなく、長崎に住む人々のなんでもない日常を描く群像劇である。

  「TOMORROW 明日」、「父と暮らせば」、「美しい夏キリシマ」の3作に共通しているのはどれも戦闘場面や原爆投下後の地獄絵図などを直接描いていないことだ。戦争の悲惨さを直接描くのではなく、戦時下の日常を淡々と描く、あるいは戦争が残した深い心の傷を描く。普通の戦争を描いた映画とは違った切り口から戦争を描いている。つまり3作とも生きることを通じて死を描いているのである。これは大事な視点だと思う。「父と暮らせば」や「美しい夏キリシマ」では生者が死者の影を引きずっていた。「TOMORROW 明日」では明日命を奪われることを知らずに人々は日常を生きていた。「TOMORROW 明日」はほとんど死の影のない日常を描いているが、彼らがいやおうなく突然の死へと向かっていることをわれわれは知っている。戦争のむごさを描く際の一般的な方法、悲痛な死の場面をリアルに描く方法は確かにインパクトがあるが、どうしても死に意識が向いてしまう。しかしその時まで彼らは生きていたのだ。死は彼らから未来を奪うばかりではない、彼らの生きてきた過去を無に帰してしまうのだ。「TOMORROW 明日」は直接彼らの死を描かない。8月8日から翌日の原爆投下の瞬間までの彼らの生を描く。そして最後にそれらが一瞬の光とともに奪われてしまう。死んだことではなく、生きてきたことに焦点を当てるというこの新鮮な視点がこの作品をユニークなものにしている。

  戦時下で物不足、食糧不足ではあっても人々は結婚式を挙げ、子供を産み、縫い物をしたり炊事をしている。若者は恋をし、子供たちは木登りをしたり魚を取ったりして遊んでいる。その日常が突然断ち切られてしまう。『風と共に去りぬ』の最後の1行は”After all, tomorrow is another day”というスカーレットのせりふだった。そこには明日への新しい可能性に希望を寄せる気持ちが込められている。しかし「TOMORROW 明日」の登場人物たちに明日はなかった。

  この主題は冒頭の引用にはっきりと示されている。

人間は 父や母のように
霧のごとくに
消されてしまって
よいのだろうか
(若松小夜子)

  映画は最初互いに関係ないと思われる何人もの人物たちを次々と点描的に描いてゆく。身重のからだで坂を苦しげに上る娘(桃井かおり)と彼女を叱咤激励する母親(馬渕晴子)、食糧配給所で食料を配る男(殿山泰司)、その裏口で食べ物を乞う朝鮮人、その朝鮮人への冷たい対応に抗議する男(黒田アーサー)、床屋で頭を刈ってもらっている男(長門裕之)。これらの一見何のつながりもないと思われた人物たちの共通点がやがて明らかになる。結婚式の準備に追われるある家にこれらの人々が集まってくるのだ。坂を上っていた母娘の家だ。身重の娘の妹(南果歩)が結婚するのである。しかしその花嫁の姿はまだない。花婿(佐野史郎)だけがぽつんと座敷に座っている。準備に忙しい母親を一番下の娘(仙道敦子)が手伝っている。

  戦時中ということもありささやかな式である。参加者は少ない。仲人(横山道代)、花嫁の叔父と叔母(なべおさみ、入江若葉)、花婿側の縁者(田中邦衛、絵沢萌子)、花嫁の同僚(水島かおり、森永ひとみ)。やがて花嫁も帰ってきて式が始まる。家の外には婚礼のご馳走を物欲しげに覗き込む子供たちの姿も見える。いつ空襲があるか分からないのでそそくさと式を終わらせ、一同そろって記念写真を撮る。この写真が、映画が終わった後、まるで遺影のように観客の脳裏に焼きつく。映画全体を通じて用いられる黄色みがかった色調が消え去らずに残った記憶のような印象を映像に与え、効果的である。

  式が終わり参列者はそれぞれの日常生活に戻る。映画はその日常を淡々と描き出すばかり。劇的な展開はない。せいぜい身重の娘の出産の場面程度だ。もちろん、日常とはそういうものである。そうではあるが、正直言ってあまりに淡々とした描き方には疑問も残る。平板だという印象は免れない。優れた着想に基づく映画だとは思うが、途中で何度も中だるみしていると言わざるをえない。その点が残念である。

  もちろん、ただだらだらと続いているわけではない。一つひとつのせりふにはっとさせられる場面がいくつもある。なんでもない日常が描かれていても、観ているわれわれはそんArtsyokujo300w な彼らに明日がないことを知っているだけに、「明日仕事が引けた後、待ち合わせて一緒に寺町を歩いてみよう」という言葉や「明日でも明後日でもまだ時間はいっぱいあるとでしょう」という言葉に胸がちくちく痛む。「さびしか花嫁衣裳じゃねえ。」「仕方なか、ご時勢やもん。でも戦争が終わったら金襴緞子の帯を締めて、もう一回結婚式やり直す積もりじゃけん。」戦争は終わったが、彼女は終戦を迎えられなかった。田中邦衛と原田芳雄が雨が止んだ後に出た虹を並んで見上げる場面も印象的だ。「悪かことばっかり続くわけはなかですよ。あん虹ごとよかことのかかる日も来ますけん、辛抱なさらにゃあ。」彼らにその日は来なかった。

  淡々とした中でも最も素晴らしい場面だと思ったのは俘虜収容所に勤務する黒田アーサーが娼婦と月を見上げる場面だ。外国人俘虜に満足な手当てが出来ず死なせてしまった彼は、軍の冷たい仕打ちに対する怒りとやりきれなさのあまり娼婦(伊佐山ひろ子)を抱こうとする。電灯から床に落ちた虫を外に逃がそうとした娼婦は、空にかかった真っ赤な月に気づく。その時娼婦がいった言葉が耳に残る。「お月さんも月に一度血ば流すことあるとやろか。」血の色のような真っ赤な月、不吉な前兆である。

  あるいは新婚の二人が蚊帳を吊った寝床で交わす会話。夫はそれまで黙っていた母親のことを打ち明けようとする。そこへ電報が届いて中断され、結局彼は話す機会を失ってしまう。上に引用した「明日でも明後日でもまだ時間はいっぱいあるとでしょう」というせりふはこの場面で新妻が言うせりふだ。この場面は小津を意識していると思われる。キャメラの角度、二人の座る位置(彼らは布団の上に正座している)。実は、登場人物の一人が小津の「父ありき」を映画館で観る場面も出てくる。DVDの特典映像に収められたインタビューで、黒木監督自身がこの映画は小津監督へのオマージュでもあると語っている。日常を描かせて小津に勝る人は他にいない。残念ながら「TOMORROW 明日」の日常描写は小津の域に達しなかった(無理もないが)。

  しかし日常描写に一部退屈な部分があるにしても、全体としてみれば決して悪い出来ではない。映画を観終わった後、その日常の描写と最後の原爆のきのこ雲の映像が交じり合い、時間がたつにつれていろいろな思いがじわじわと湧いてきて、胸がざわついてくる。この映画にはそういう効果がある。その点を付け加えておかねばならない。桃井かおりが子供を産む場面はラストの直前である。かなりの難産で、子供が産まれたのは明け方の5時17分だった。母親が雨戸を開けると空はうっすらと明るくなっていた。子供の出産は悲惨な現実の中でのかすかな希望の象徴として描かれることが多い。しかしこの映画ではそのわずかな希望さえも一瞬にして奪われる運命にある。この世に生を受けてほんの数時間しか生きられなかった赤子。生まれたわが子をいとおしげに見つめる母親の顔を見ていると、何ともやりきれない気持ちになる。だとすればそれは映画の力なのである。この映画にはそういう力がある。

  特典映像の監督のインタビューでもう一つ強く印象に残った言葉がある。撮影の際、当時の長崎の街並みは当然残っていないので、当時の長崎を偲ばせる雰囲気を残した佐世保や鎌倉でも撮影されたという。ラストの原爆が炸裂する映像はビキニ環礁の映像を使ったそうだが、その原爆が落ちる長崎の街はなんと88年当時の長崎の映像を用いたそうである。ビキニ環礁での水爆実験の映像と88年当時の長崎の映像をモンタージュし、それを45年8月9日の映像として映し出す。そこに込められた意図は明らかだ。原爆問題は終わっていない、今も起こりうる現在の問題として映画はそれを提起しているのである。この映画は「アトミック・カフェ」と併せて観るべき映画なのである。原爆を落とした側のあまりにも浅薄な認識と落とされた側の悲惨な現実。

  この映画を撮り終わった後でも、黒木監督の中では戦争は終わっていなかった。死の直前まで彼は戦争を主題とした映画を撮り続けた。当然様々な工夫をしている。恐らく「TOMORROW 明日」では日常を淡々と描きすぎて平板だったと反省したのではないか。それで「美しい夏キリシマ」では友人を見捨てたという少年の心の傷を描きこんでみた。しかしやはり淡々と日常を描く基本の姿勢は同じで、心の中の葛藤も内面化されたままで十分掘り下げられていなかった。「父と暮らせば」はその心の傷を本格的に掘り下げドラマ化した作品である。自分だけが生き残ったことを却って申し訳ないと思い込んでいる娘と娘に生きる力を与えようとする父親の幽霊の対話劇。前2作は群像劇でありその分散漫になっていた感は否めないが、「父と暮らせば」ではあえて登場人物を二人に絞り込み、畳み掛けるような言葉のやり取りを通じて、心の中にしまいこまれた辛い記憶を無慈悲なまでに一つ一つめくり取ってゆく。これでもかと妥協なくテーマに深く食い入り、強烈なドラマ的展開を持った作品をついに作り上げた。これらの3本の中ではこれが最も優れた作品だと思う。その後に作られた遺作「紙屋悦子の青春」はどんな作品になっているのか。実に楽しみである。

  DVDの特典映像には2種類のインタビューが収められていて、僕はその片方しか観ていない。それでも上で指摘したことのほかに、初夜の場面で新郎の佐野史郎が言いそびれたことが、実は彼の母親が被差別部落の出身だったということ、朝鮮人や外国人の捕虜の話は原作にないことなどを知ることが出来た。もう1つのインタビューと共に映画とあわせて観てみることをお勧めしたい。

  最後に仙道敦子について一言。彼女を見るのは実に久々だった。かつて結構好きだった女優である(歌手でもあって、彼女のCDを1枚持っていた)。今見てみると宮沢りえに顔も話し方も雰囲気も似ていると思った。なるほどそれで惹かれていたのか。

2006年8月20日 (日)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(06年9月)

A12 【新作映画】
8月19日公開
 「マッチポイント」(ウディ・アレン監督、イギリス)
8月26日公開
 「キンキー・ブーツ」(ジュリアン・ジャロルド監督、英米)
 「楽日」(ツァイ・ミンリャン監督、台湾)
 「UDON」(本広克行監督、日本)
 「ラフ」(大谷健太郎監督、日本)
 「ディア・ピョンヤン」(ヤン・ヨンヒ監督、日本)
9月2日 公開
 「グエムル 漢江の怪物」(ポン・ジュノ監督、韓国)
 「トリノ、24時からの恋人たち」(ダビデ・フェラーリオ監督、
 イタリア)
 「夢遊ハワイ」(シュー・フーチュン監督、台湾)
9月9日公開
 「バックダンサーズ!」(永山耕三監督、日本)
9月23日公開
 「フラガール」(李相日監督、日本)

【新作DVD】
8月25日
 「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」(ジョン・マッデン監督、米)
 「コルシカン・ファイル」(アラン・ベルベリアン監督、フランス)
 「NOEL 星降る夜の奇跡」(チャズ・バルミンテリ監督、米)
 「うつせみ」(キム・ギドク監督、韓国)
 「僕が9歳だったころ」(ユン・イノ監督、韓国)
9月6日
 「春が来れば」(リュ・ジャンハ監督、韓国)
9月8日
 「ヒストリー・オブ・バイオレンス」(デビッド・クローネンバーグ監督、米独)
 「美しき運命の傷痕」(ダニス・タノビッチ監督、仏伊他)
 「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」(トミー・リー・ジョーンズ監督、米仏)
 「ポビーとディンガン」(ピーター・カッタネオ監督、英豪)
 「単騎、千里を走る」(チャン・イーモウ監督、中国)
9月21日
 「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ」(カーク・ジョーンズ監督、米英仏)
9月22日
 「ブロークバック・マウンテン」(アン・リー監督、米)
 「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々」(マルク・ローテムント監督、独)
 「カミュなんて知らない」(柳町光男監督、日本)9月27日
 「かもめ食堂」(荻上直子監督、日本)

【旧作DVD】
8月25日
 「女狙撃兵マリュートカ」(56年、グリゴリー・チュフライ監督、ソ連)
 「ムッソリーニとお茶を」(99年、フランコ・ゼフィレッリ監督、伊英)
 「若者たち三部作 DVD-BOX」(67~70年、森川時久監督、日本)
8月26日
 「家族の肖像」(74年、ルキノ・ビスコンティ監督、伊仏)
 「芙蓉鎮」(87年、シェ・チン監督、中国)
9月8日
 「ユージュアル・サスペクツ」(95年、ブライアン・シンガー監督、米独)
 「黒木和雄 戦争鎮魂歌三部作 DVD-BOX」
   (「TOMORROW明日」「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」)
9月22日
 「推手」(91アン・リー監督、台湾・米)
 「恋人たちの食卓」(94アン・リー監督、台湾)
 「ウェディング・バンケット」(93、アン・リー監督、台湾・米)

  劇場新作にはめぼしいものがない。一方、旧作DVDはすごい。なんと中国映画の名作「芙蓉鎮」がやっとDVDになる(「DVDを出してほしい映画」参照)。何年待ったことか。中古専門のゴブリンもこれだけは新作で買ってしまうかも。ビスコンティの「家族の肖像」とゼフィレッリの「ムッソリーニとお茶を」も必見。
  新作DVDではいよいよ「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」、「ブロークバック・マウンテン」、「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々」が登場。それはいいが「ククーシュカ ラップランドの妖精」はまだか?ええい、はよせんかい!

2006年8月17日 (木)

過去4ヶ月間のアクセス数ベスト20

06年8月17日現在

1 「ALWAYS三丁目の夕日」                                     186
2 「嫌われ松子の一生」                                           171
3 「カーテンコール」                                                 116
4 「旅するジーンズと16歳の夏」                               98
5 「プライドと偏見」                                                  97
6 「父と暮らせば」                                                   78
 「イギリス小説を読む①キー・ワーズ」                      74
8 「イギリス小説を読む③『ジェイン・エア』」                 74
9 「ランド・オブ・プレンティ」                                       70
10 「天空の草原のナンサ」                                       63
11 「リンダ リンダ リンダ」                                       61
12 「スタンドアップ」                                            60
13 「ヒトラー 最期の12日間」                                   58
14 「これから観たい&おすすめ映画・DVD(06年6月)」 57
15 「ミリオンダラー・ベイビー」                                    55
16 「ゴブリンのこれがおすすめ 14」                          54
17 「空中庭園」                                                       53
18 「これから観たい&おすすめ映画・DVD(06年7月)」 50
19 「イギリス小説を読む② 『高慢と偏見』」                 50
20 「青空のゆくえ」                                                  49
次 「下妻物語」                                                      49

  8月2日、ココログに「アクセス解析」機能が追加された。時々眺めては驚いたり、笑ったりしている。驚くのは意外な記事が上位に入っていたり読まれていたりするからだ。ベスト10に「イギリス小説を読む」シリーズが二つも入っている。今年の1月に書いたものがど_016 うしてこんな上位に入るのか分からない。英文科の学生さんがレポートを書く参考にでもしているのだろうか。「小説」のカテゴリーも「映画」に続いてアクセス数が多いので、文学関係の人も結構見にきていただいているようだ。

  「嫌われ松子の一生」と「ALWAYS三丁目の夕日」がダントツなのは理解できる(この二つは見るたびに順位が入れ替わっている、デッドヒート状態)。人気のある作品だからだ。しかしどうして「カーテンコール」がベスト3に入るのか理解できない。もちろんいい映画なのだが、それほど評判になっただろうか。僕としては「THE有頂天ホテル」「博士の愛した数式」、あるいは「運命じゃない人」がもっと上位に入って欲しいと思うのだが。一方、「旅するジーンズと16歳の夏」、「天空の草原のナンサ」、「青空のゆくえ」などの地味な作品が上位に入っているのはうれしい。「キャロルの初恋」26、「風の遺産」25、「歌え!フィッシャーマン」19、「アマンドラ!希望の歌」15、「子供たちの王様」14など、ほとんど知られていないが強くおすすめしたい作品が多少なりとも読まれているのもうれしい。でも、出来ればもっと読んで欲しい、そして映画も観て欲しい。

  笑ってしまうのは「検索ワード/フレーズ」一覧を眺めている時だ。「輸入雑貨 あずきパンダちゃん」、「駆け落ちすると長生きしない」、「吉田日出子 巨乳」、「のんびりチャーリー 三輪自転車」、「太った森久美のコンサート」、「かざぐるまアート 文化祭」、「前世 突然変異 姫 アトランティス」等々、これで検索してどうして僕のブログに?さっぱり見当がつかない。吉田日出子って巨乳?最後のフレーズを打ち込んだ人は何を調べたかったの?いやはや、興味は尽きない。

 という訳で、またまた映画を観なかった日の埋め草記事でした。このところレンタル店に行ってもなかなか借りたいと思う映画がありません。しばらく手持ちの古い映画を観て「名作の森」(80年代までの作品は「掲載記事一覧」ではなくこちらのアーカイブに入れてあります)の収録作品数を増やしておこうと思います。

2006年8月16日 (水)

拝啓天皇陛下様

1963年 松竹
監督:野村芳太郎
製作:白井昌夫
原作:棟田博
撮影:川又昂
音楽:芥川也寸志
出演:渥美清、長門裕之、左幸子、高千穂ひづる、中村メイコ、桂小金治、葵京子
     加藤嘉、西村晃、藤山寛美、多々良純、小田切みき、北竹章浩、穂積隆信
     井上正彦、森川信、清川虹子、山下清

  野村芳太郎監督作品は松本清張原作の「張込み」(58)、「ゼロの焦点」(61)、「砂の器」(74)、「疑惑」(82)、大岡昌平原作の「事件」(78)、横溝正史原作の「八つ墓村」、そして棟田Kaeru1_1 博原作の「拝啓天皇陛下様」(63)の計7本を観た。野村芳太郎監督と聞いてほとんどの人が最初に思い浮かべる映画は「砂の器」だろう。松本清張原作の映画化作品としても群を抜いた傑作であり、ミステリー・サスペンスものを得意としてきた野村監督の代表作とすることに異論はない。しかし、「拝啓天皇陛下様」もまた「砂の器」に匹敵する傑作であり、彼の喜劇作家としての優れた腕前が存分に発揮されている。最初に観たのは87年。文芸地下で観た。かなりびっくりした映画だった。勝新太郎と田村高廣主演の異色兵隊映画「兵隊やくざ」シリーズとはまた違った軍隊コメディ。よくこんなものが作れたと感心したものだ。

  「兵隊やくざ」シリーズが勝新の個性と切り離せないように、「拝啓」もまた主演の渥美清の個性と切り離せない。渥美清といえば「男はつらいよ」シリーズだが、その監督の山田洋次は野村監督の門下生である。寅さんを思わせるせりふや所作が何箇所も出てくるのもうなずける。というより、渥美清はどこを切っても渥美清。彼の持ち味は一貫して変わっていないと言うべきなのかもしれない。渥美清は寅さんの前から寅さんだったのだ。

  冒頭、就寝ラッパが鳴る。そのメロディに合わせて「新兵さんは可哀想だねェー また寝て泣くのかよォー」と字幕が入る。面白い工夫だ。導入部としてよく出来ている。訓練中の新兵の中に一人だけリズムが合わない男がいる。山田正助(約してヤマショー)。もちろんこれが渥美清の役。この山正、字が書けず読めない。かろうじて使えるのはカタカナだけ。すぐ同じ初年兵の棟本博(長門裕之)と親しくなる。原作者の名前がそのまま使われている。映画の視点は当然棟本の視点であり、彼の目から見た山正の愚直だが共感を禁じえない人生が描かれる。

  山正の人物設定がいい。彼は風呂に浸かりながら自分の生い立ちを棟本に語る。3歳で母親を亡くし、以後一人暮らし。父はいない。親戚は鬼みたいでいやな奴ばかり。馬みたいにこき使われ、13歳の時に村を飛び出した。「沖仲仕、炭鉱夫、土方もやったわ。人夫やってる時にけんかしてのう、臭い飯食わされたんじゃ。そのこと思えば軍隊は天国じゃけえ。」棟本「こんなに絞られてもか?」山正「雨降っても三度三度飯食えるしのう。あと2年は天国暮らしじゃ。」あまりに待遇がいいので、日本軍が南京に入城してこれで戦争が終わるらしいと聞いた山正は、天皇陛下に手紙を書いて自分だけでも軍隊に残して欲しいと訴えようとしたほどだ。「ハイケイ 天ノウヘイカサマ」天以外は全部カタカナなのが可笑しい。しかし天皇に直訴するのは不敬罪だと棟本に止められる。

  日本の軍隊映画といえば市川崑監督の「野火」(59)、山本薩夫監督の「真空地帯」(52)などに代表される異常ないじめと狂気が渦巻く暗くじめじめした世界というイメージが浮かぶが、山正はいじめなど物ともせず、むしろ飯に困らないから「天国」だと言う。この逆転の発想が新鮮だった。逆に言えば、軍隊にでも入らなければまともに食っていけないという事情が前提にあるわけだ。もちろん軍隊を美化しているわけではない。高田渡の「自衛隊に入ろう」に通じるパロディ映画である。実際「自衛隊に入ろう」にも″自衛隊に入ればこの世は天国″という歌詞が出てくる。そして「自衛隊に入ろう」の最後に出てくる″祖国のためならどこまでも 素直な人を求めます″という言葉、これがまた「拝啓天皇陛下様」の理解を助ける。山正はまさに愚直なほど「素直」な男なのだ。素直すぎて「現実」が見えないからこそパロディが成り立つのである。ある時山正たちの演習を天皇陛下が視察する場面がある。山正は天皇を間近に見て、感動する。「なんと優しい顔してなさるんかいのう。あれじゃあちっとも怖いことありゃせんわい。」この日から山正は天皇に対して親しみを抱くようになった。その感情は最後まで変わらなかった。だからこそ映画の最後に浮かび出る字幕「拝啓天皇陛下様 陛下よ あなたの最後のひとりの赤子(せきし)がこの夜戦死をいたしました」という言葉がなんとも言えない皮肉になるのである。

  軍隊のパロディだから暗く陰湿な場面は出てこない。もちろんいじめや「狂気」は出てくSagi_2 る。例えば書類整理をしている浦上准尉(多々良純)のエピソード。いつも上官(穂積隆信)にしかられてばかり。ついに彼は精神の平衡を失い、刀を振り回して上官に襲いかかる。だが、全体にこのエピソードはコミカルなドタバタ調で描かれている。初年兵の時山正たちも二年兵からいじめを受ける。彼らをいじめる二年兵が西村晃扮する原一等兵。しかしそれも決して陰湿なものではなく、むしろ彼の除隊の前日に山正が彼と相撲をとって「あだ討ち」する場面が滑稽に描かれる。そしてそのすぐ後の場面では一気に1年後に飛び、山正たちは二年兵になっている。今度は彼らが初年兵に威張り散らしているのだ。こういう展開はコメディの常道で、いじめも笑いになっている。

  したがって軍隊はむしろ人間的に描かれている。その典型が加藤嘉扮する堀江中隊長である。二年兵になった山正はある時酔っ払って門限に遅れ、逆切れして門に小便をかけたため重営倉処分になる。独房で正座して「反省」の日々を送るのだが、なんと独房の中に中隊長も一緒に正座している。寒くて鼻風邪をひきながらも中隊長は正座を5日間続けた。足がしびれた中隊長が立ち上がろうとして転がってしまうあたりは滑稽だが、そこには何とかして山正を真人間にしようという中隊長の真心が描かれている。あるいは中隊長が柿内二等兵(藤山寛美)から字を習えと山正に命令する場面も印象的だ。「お前は文字を知らん。それは人生において甚だ損。学を修めるということは人間が正しく生きる道を学ぶことである。」一等兵の自分が初年兵である柿内二等兵から字を習えるかと最初はまじめに習おうとしないが、柿内の言葉は中隊長である自分の言葉であり、ひいては「畏れ多くも」天皇陛下のお言葉でもあると中隊長に言い含められているので、柿内が「畏れ多くも」と言う度に山正はしぶしぶ従う。

  柿内の努力の甲斐あって、やがて山正は「のらくろ」が読めるようになる。「のらくろは可哀想じゃのう。わしによう似てるけんのう。」入隊から2年がたち山正が満期除隊を迎えた日、柿内が言った別れの挨拶がまた感動的だ。「落ち着いたら柿内に手紙をください。二年兵どのはもう手紙を書けるようになっておられます。」軍隊には山正のような食い詰め者や家督を継げない農家の次男、三男が多く入隊していた。中には山正のように無学なものも少なくなかっただろう。パロディの中に野村監督は人情話を巧みに織り込み、また教育の大切さを逆説的に描きこんでいる。この点は見逃すべきではない。

  堀江中隊長の描き方はコメディタッチなのでそこはかとない笑いを誘う。人情味のある中隊長なのだが、山正は迷惑顔だ。しかし中隊長は後に中国で戦死してしまう。昭和19年、湖南省長沙で山正は元中隊長、堀江正義少佐の墓参りをする。丘いっぱいに立つ無数の粗末な墓標。その1つが堀江元中隊長のものだった。ここで回想が挿入される。山正と向き合って正座している姿、字を学べと命じている姿、山正にだけ特別に餞別を送る姿、へっぴり腰で訓練の指揮をとっている中隊長の姿。この回想場面が実に感動的なのだ。前に出てきた時と同じコミカルな映像なのだが、荒涼とした丘に立つ粗末な墓標とモンタージュされると正反対の効果を発揮する。山正は墓の前でさめざめと泣く。

  天皇陛下に手紙を書いてまで軍隊に残ろうとした山正だが、やがて終戦を迎え彼も除隊する。映画はなおも続く。山正の戦友棟本は一時除隊していた時に「分隊長日記」を書き、一躍流行作家となった。大東亜戦争勃発後は従軍作家として中国を駆け回った。戦 後は茨城県の土浦で妻の秋子(左幸子)と売れない作家として細々と暮らしていた。そこに熊みたいなひげ面で山正が現れる。この後山正と棟本は丁度「浮雲」の森雅之と高峰秀子のように何度も出会いと別れを繰り返す(このあたりの渥美清が一番寅さんに似ている)。その度に山正は職を変えている。夫が戦死した手島の未亡人(高千穂ひづる)に恋をして振られたりするエピソードなどが挟まれる。棟本が最後に山正と出会ったのは東京の立川だった。山正は千住の水道工事の飯場に勤めていた。なんと彼の横には若い女性がいた。おばの飲み屋で手伝いをしていて客の山正と知り合ったという井上せいこ(中村メイコ、若い!)だ。二人は結婚する予定だった。ニコニコとうれしそうな山正。しかし皮肉にも棟本が山正を見たのはこれが最後だった。突然山正の運命は暗転する。戦争が始まるたびにうれしそうに戦場に赴く山正だったが、彼が始めて戦争以外でうれしそうに笑った時、突然悲劇的結末が訪れる。パロディとして始まり、最後は苦いアイロニーで終わる。

  人が最も嫌う軍隊こそが唯一幸せが得られる場所という皮肉。彼にとって軍隊は家庭だった。食うに困らない安定した生活、信頼できる友人、家族的なつながり、山正が軍隊に引かれたのはそれまでの彼になかったものがすべてそろっていたからである。軍隊はTen3教育まで与えてくれた。そしてその軍隊の総元締めが天皇だった。彼にとっての天皇とは、そのために一身を投げ打って戦う存在ではない。彼に居心地の良い擬似「家庭」を保証してくれる存在だった。だから彼が戦っている場面は描かれない(あくまで戦争映画ではなく兵隊映画なのだ)。戦闘ではなく、軍隊という居心地のいい組織が彼には必要だったのである。戦争が続くことを彼が願うのは、戦いを望むからではなく、軍隊にいつまでもいたいからである。喜劇化することで軍隊を武装解除し、軍隊を殺人集団、侵略組織ではなく、一種の村社会に変えてしまった。だから山正は戦後も「私は貝になりたい」の主人公のような深い傷を心に負ってはいない。

  終戦後、彼はその居心地のいい組織から投げ出されてしまった。軍隊そのものが解体されてしまった。だが、山正は生涯の友と教育を既に手に入れていた。どんなことをしてでも生活してゆける自信もあった。彼は手島少尉の未亡人と結婚したい一心で、華厳の滝から飛び降りた人の死体を引き上げる仕事までやったのだ。それでも、「いるべき場所」を失った天涯孤独の山正は職も住む場所も定まらず、「浮雲」の二人のように漂流し続ける。

  彼の漂流が終わるのは本物の家庭を築く時だ。しかしその直前に無残にも彼の命は奪われてしまう。なぜ映画は幸せをつかみかけた彼を死なせたのだろうか。上に引用したように、映画の最後の字幕で彼は天皇の「最後のひとりの赤子」と位置づけられている。つまり、彼の「戦死」とともに確実にあるひとつの時代が終わったのだ。「拝啓天皇陛下様」は終戦からほぼ20年たって作られた。天皇はすでに神ではなくなり、かつての絶対的な権威もなくなった。それでも山正はずっと彼を慕っていた。そうである限り彼は天皇の「赤子」であった。その最後の赤子の死。戦争の時代の息子は最後まで幸福をつかめないまま戦死してゆく運命なのである。

  ここに描かれたのは、とにかく生きることに貪欲だった一人の男の一生である。その男の死はひとつの時代の終わりを意味していたが、それでいて新しい時代は見えてこない。われわれは幸福をつかみかけた男の死によって何を失ったのだろうか。それはつらく長い戦争の記憶ではなく、家庭のような人間関係だったのかもしれない。彼にとっての軍隊とはそういうものだったのだから。軍隊という帰るべき場所を奪われ、次に見出した家庭という安定の場も奪われてしまう。最後に映る山正の姿は酔っ払ってふらふら道を歩いている姿である。近くを通る車の音が聞こえるたびに観客はドキッとする。われわれは不安な状況に置き去りにされるのだ。コミカルな映画の苦いラストである。

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2006年8月15日 (火)

帰省中に読んだ本

 12日から郷里の日立に帰省していた。帰省の前日に63年の日本映画「拝啓天皇陛下様」を観ていたが、レビューを書く時間がなかった。この記事はとりあえずのつなぎです。「拝啓天皇陛下様」のレビューは明日かあさってには書き上げる予定。

 行き帰りの電車と実家で2冊本を読んだ(12日に高校の同窓会に出席したほかは、家でゴロゴロして高校野球を見ている毎日だった)。1冊目はピーター・マースの『海底からのTecho_w2 生還』(光文社文庫)。なぜこれを選んだかは説明不要だろう。ドイツ映画「Uボート」を直前に観ていたからだ。あわてて出発したのでじっくり本を選んでいる時間がなく、文庫本の山の中からたまたま目に付いたのを選んだのがこの本だったというしだい。こちらは「Uボート」より数年前(第二次世界大戦勃発直前)のアメリカ海軍の話。アメリカ東海岸の海軍基地ポーツマスから出航したアメリカの新造潜水艦が潜航試験をした際に浸水して海底に沈んでしまった。深度243フィート(74メートル)の海底から生存者33名を全員救出した実話に基づくノンフィクションである。

 映画「Uボート」の場合は自力で何とか浮上できたが、こちらは潜航中になんとエンジンのメイン吸気バルブが開いていたという信じられない原因で沈んだので、船の後ろ半分が水浸しだから浮上は不可能。海上からの救出作戦が展開されることになる。これが想像以上の難作業だった。何しろ沈没した潜水艦から生存者を救助したというのは後にも先にもこのとき以外ない。ほとんど奇跡の救出劇だったのである。

 この本は大きく3つの部分から構成されている。潜水艦内の描写と海上からの救出作業、そして潜水艦の引き上げと原因の究明。この本がユニークなのは、これらメインのストーリーを構成する救出作業に絡めてスウェード・モンセンという非凡な才能を持った男の生涯を描いていることである。海軍中将まで上り詰めた男だが、軍人と言うよりは科学者あるいは発明家といったほうがいい人物だ。ジュール・ヴェルヌの『海底2万哩』にあこがれて海軍に入ったという変わった男。潜水艦乗組員の救助方法に人生のかなりの部分をかけた男。「モンセンの肺」という潜水の時に用いる酸素とヘリウムの混合気体を考え出した男で、これがなければ今日のスキューバ・ダイビングは実用化されなかっただろうといわれる画期的な発明だった。また、「レスキュー・チェンバー」とよばれる釣鐘型の救出装置を考え出した男でもある(ある理由で別の人物の名前が冠せられているが)。このモンセンの肺とレスキュー・チェンバーが実際の救出劇で大活躍する。このレスキュー・チェンバーを海上の船から吊り下ろし潜水艦のハッチに取り付け、潜水艦の乗組員を乗り移らせて海上に運び上げるという方法である。

 後はとにかく実際に読んでいただきたい。救出部分は息をもつがせぬ緊張感でぐいぐい引き付けられる。但し全体としてみれば、ノンフィクションものとしての出来は平均程度である。ジョン・クラカワーの『空へ』、ジョー・シンプソン著『死のクレバス』、アルフレッド・ランシング著『エンデュアランス号漂流』などの傑作と比べるとやはり見劣りすると言わざるをえない。全体に報告書的な記述がめだち、幾分退屈する部分があるからだ。それでも一気に読めるので一読に値すると思う。

 著者のピーター・マースは映画化された「バラキ」や「セルピコ」の原作者であるノンフィクション作家。これを読むまで知らなかった。翻訳者はなんと江畑謙介。あの独特の髪型でおなじみの軍事評論家。翻訳もやってたんですね。

 もう1冊は和田はつ子著『口中医桂助事件帖 花びら葵』(小学館文庫)。これは読もうと思って持っていったものではなく、実家で母親から読んでみてくれと渡されたもの。実は作者が僕の従兄弟の嫁さんなのである。実家に送られてきたそうだ。彼女のことは前にも聞いた事があったが、知らない名前だったのであまり気に留めていなかった。その時にはホラー小説のようなものを書いていると聞いたのだが、どうもこれは時代小説である。どうやら少し手を広げているらしい。読んでみたらこれも一気に読めた。それなりに面白い。

 タイプとしては山本一力の『損料屋喜八郎始末控え』に近い。最近このタイプの時代小説が増えている気がする。共通する特徴は特殊な職業の素人探偵を主役にしていることとミステリー仕立てだということ。山本一力の「損料屋」とは長屋住まいの庶民相手に鍋釜や小銭を貸す職業である。和田はつ子の主人公は江戸時代の歯医者「口中医」。テレビドラマでも家政婦やタクシー・ドライバーなどが探偵役で活躍している。今の流行なのだろう。もう1つ共通する特徴がある。どちらの主人公も表向きとは違う別の姿を持っているということ。しかしそれが何であるかは伏せておこう。『口中医桂助事件帖』はシリーズもので、これが3作目。他にも『藩医 宮坂涼庵』という時代小説がある。

 時代小説は今はやりで、書店にはたくさん並んでいる。かつては戦国武将もの、幕末ものが時代小説の主流だったが、最近は江戸の庶民を主人公にしたものが増えている。藤沢周平などは武家ものと庶民ものを描き分けている。僕の弟なども時代小説にはまっている。これからも当分流行は続くだろうから、その中で注目されるには他にない特徴を持つことが必要だろう。かといって、それまでなかった突飛な職業に就いている主人公を考え出せばいいという単純なものではない。飛びぬけた筆力も必要だし、江戸時代に関する深い知識も必要だ。『口中医桂助事件帖 花びら葵』では紋切り型のせりふがところどころ目だった。もっと書き込むことが必用なのかもしれない。

 帰りの電車では徳田秋声の『あらくれ』(講談社文芸文庫)を少し読んだ。イギリス文学のヒロインの系譜を自分なりに追っているので視野に入ってきた小説である。まだごく最初の部分しか読んでいないので感想は書かない。ただ、先日「浮雲」のレビューを書いたが、その成瀬巳喜男がなんと『あらくれ』を映画化していた。彼のフィルモグラフィーを見ていてわかったのだが、実に興味深い。原作を読み終えたら映画のほうも観てみよう。

2006年8月11日 (金)

Uボート

Deepblue015 1981年 西ドイツ 1982年1月公開
監督:ヴォルフガング・ペーターゼン
製作:ギュンター・ロールバッハ
製作総指揮:ルッツ・ヘンクスト
原作:ロータル=ギュンター・ブーフハイム
脚本:ウォルフガング・ペーターゼン
撮影:ヨスト・ヴァカーノ
音楽:クラウス・ドルディンガー
出演:ユルゲン・プロフノウ、ヘルベルト・グリューネマイヤー
    クラウス・ヴェンネマン ベルント・タウバー
   マルティン・ゼメルロッゲ、マルティン・マイ、 エルウィン・レーダー
    クロード・オリヴァー・ルドルフ、ヤン・フェダー

  先日「ドイツ映画ベスト100」を載せたとき、1位の「Uボート」をまだ観ていないのが気になった。以前「海の牙」のレビューを書いた時もこの映画は気になっていた。「Uボート」が公開された82年ごろは、一時年間に観た映画の本数が一桁台まで落ちていた頃から立ち直って間もない頃で、年間66本しか観なかった年だ。名作主義に徹し、内外の古典的名作ばかりをむさぼるように観ていた頃なので、エンターテインメントの潜水艦映画など目に入らなかったのだろう。ともかく、観たい時が観る時とばかり「Uボート」をアマゾンで注文して手に入れた。

  裁判物と並んで潜水艦物は傑作が多い。駆逐艦との死闘、潜水艦同士の戦い、とにかく限定された空間に閉じ込められているので、一種のパニックものの味わいもあり、緊張感あふれる映画になる。ぱっと頭に浮かぶだけでも、「海の牙」、「眼下の敵」、「深く静かに潜行せよ」、「原子力潜水艦浮上せず」、「マーフィの戦い」、「U-571」、「クリムゾン・タイド」、「レッド・オクトーバーを追え」、「ユリョン」など結構観ている。「ユリョン」はがっかりしたが、それを除けばいずれも水準以上の出来だ。もっとも日本の「ローレライ」は観る気も起きなかったが。

  「Uボート」はさすがにベスト100の1位に選ばれただけあって、3時間を越える長丁場をまったく飽きさせない傑作だった(観たのは上映時間209分のディレクターズ・カット版)。第1級のエンターテインメント映画、戦争映画であり、「眼下の敵」と並ぶ潜水艦映画の最高峰、かつ第1級のパニック映画でもある。監督はヴォルフガング・ペーターゼン。これまで「ネバーエンティング・ストーリー」(1984)、「第5惑星」(1985)、「ザ・シークレット・サービス」(1993)、「エアフォース・ワン」(1997)、「アウトブレイク」(1995)、「パーフェクト・ストーム」(2000)と観てきたが、傑作だと思ったのは1本もない。SFの「第5惑星」は悪くはないが、期待したほどではなかった。後は凡作ぞろい。今年「ポセイドン」が6月に公開されたが、最近流行のお手軽焼き直しものではこれも期待薄だ(元の「ポセイドン・アドベンチャー」は傑作)。どうも「Uボート」が生涯最高傑作になる気配濃厚。

  「ウィキペディア」によるとUボートは「ドイツ語のUnterseeboot(英語: Undersea boat )の略称である」。ドイツ軍の潜水艦一般をさす呼称である。映画の冒頭字幕が入る。日本語のスーパーはだいぶ省略してあるので多少補っておく。

  1941年、ドイツ占領下のフランス、ラ・ロシェル軍港。イギリスへの輸送を絶ちイギリスを兵糧攻めにしようとヒトラーが期待をかけた潜水艦隊は、初めて大規模な反撃を受けた。イギリスの貨物船は今やより強力でより性能のいい駆逐艦に守られて大西洋を渡っている。その結果Uボートの損害は甚大なものになった。にもかかわらずドイツの司令部は更なるUボートの攻撃を命じた。未熟な乗組員を乗せたUボートがフランスの港から次々に出撃して行った。大西洋の支配権をめぐる戦いはドイツ軍の不利な状況にあった。 ドイツ海軍Uボート要員4万人のうち3万人が帰還しなかった。

  冒頭、潜水艦の艦長(ユルゲン・プロフノウ)を乗せた1台の車が海岸沿いを走っている。酔っ払いが道端にたむろし、車に小便の洗礼をあびせる。その日は出撃の前日だった。乗組員たちは出航前最後のパーティで酔っ払って大騒ぎしている。ちなみに、パーティで騎士十字章の受賞者トムセン大尉が受賞の挨拶をする場面が思わせぶりに出てくるが、意外なことにこの後はほとんど画面に出てこない。元々はテレビシリーズだったのでTV版では出てくるのかもしれないが、ともかく映画ではこの日めちゃくちゃに酔っ払っている彼の姿しか描かれない(一度大西洋上でトムセンが指揮するUボートと出会うが、信号を送って互いの健闘を祈っただけですぐ分かれる)。翌日、すっかり軍人の顔に戻った乗組員たちがUボートの甲板上に勢ぞろいしている。艦長が現れ、従軍記者のヴェルナー少尉(ヘルベルト・グリューネマイヤー)が同乗することを部下に告げる。そしていよいよ出航。

  記者のヴェルナーが乗り込むのは語り手が必用だったからだろう。基本的に彼の視点で描かれる。丁度「海の牙」で医師ギベールが乗り込み、最後に彼だけが生き残って一切の顛末を手記として記録したのと同じ役割である。乗組員が素人のヴェルナーを連れて艦内を案内する場面があるが、あれは彼と同時に観客にも説明しているのである。実際彼がいなければトイレが1つだけで、50人で共用していることなどわれわれには分からなかった。「海の牙」のギベール医師も「Uボート」のヴェルナーも観察者なのである。乗組員には当たり前で説明の必要もないことが、彼らにとってはすべて新鮮なのだ。ヴェルナーがブリッジで若い乗組員の写真を撮っていると、艦長が写真は帰還する時に撮れと言う。みなまだ子供だが、帰る頃にはひげ面になっているからと。「イギリス軍は新聞を見たら恥じ入るぞ。ガキを敵にしているとな。私は老人になった気分だ。子供十字軍だからな。」冒頭の字幕にもあったが、次々にUボートが撃沈され、経験をつんだ優秀な乗組員が払底しているのだ。終戦直前の日本軍と同じである。

  最初の1時間ほどは長々と戦闘のない艦内描写が続く。それでも退屈しないのは普段観ることのない潜水艦の内部のリアルな描写が続くからだ。出航したばかりは船内のあちこちに荷物や食料があふれ、乗組員たちは片付けに大童だ。この部分のハイライトは水圧テストの場面。艦長は船を深く潜行させる。150メートルあたりまで来ると、水圧で船が不気味にきしみだす。不安そうに周りを見回す乗組員たち。ヴェルナーは緊張のあまり汗をかいている。160メートル。「今日はここまで」という艦長の声で一同ほっとする。実はこれが後の伏線になっている。どれくらいまで潜行すると危険なのか前もって観客に教えているのだ。とにかく逃げ場のない閉じられた空間。駆逐艦による爆雷攻撃の恐怖と水圧の恐怖。一旦戦闘が始まったときの恐怖感は「パニック・ルーム」などの比ではない。

  乗組員も観客も早く戦闘が始まらないかとじりじりし始めた頃、ようやく敵の船(なんと無謀にも駆逐艦を攻撃しようというのだ)を見つけ攻撃態勢に入る。魚雷攻撃の準備。発射口が開く。緊張がみなぎる。しかし攻撃直前潜望鏡から敵艦が消えてしまう。潜望鏡をすSaba3 ばやくめぐらすと何とすぐ目の前に敵の駆逐艦がいた。先に攻撃を仕掛けるならともかく、駆逐艦に気づかれたら潜水艦は逃げるしかない。駆逐艦は英語でdestroyer、まさに潜水艦の天敵である。攻撃するどころか、逆に爆雷攻撃を受ける。180メートルまで急速潜行。爆雷攻撃で艦内はまるで震度7クラスの地震のような揺れ。しばらくはパニック映画状態。こうなったらただじっと息を潜めて耐えるだけ。とにかく敵の姿が映らないのが却って不気味だ。船の底が映るだけだ。これも観客にしか見えない。潜水艦の中ではスクリュー音だけが敵の存在を示している。まるでスピルバーグの「激突!」のような見えない敵の恐怖。潜水艦映画でおなじみのコーン、コーンというソナーの音はこの映画ではほとんど出てこない。最後のクライマックスあたりで一度出てくるだけだ。

  ようやく敵艦のスクリュー音が消える。しかし安心は出来ない。「これからが心理戦だ」と艦長。この艦長を演じたユルゲン・プロフノウが素晴らしい。これほど精悍でそれでいて人間味のある顔を持っている俳優はそういない。実に渋くていい役者だ。この人なら命を預けてもいいと観ているこっちまで思えてくるほどだ。他の出演作は「砂の惑星」(1984)、「イングリッシュ・ペイシェント」(1996)、「ザ・フォール」(1998、日本未公開)しか観ていないが、まったく印象が残っていない。いい俳優なのだが作品に恵まれていない感じだ。

  それはともかく、この場は何とか難を逃れた。いやはや、映画が始まって1時間たっているのにまだ一度も攻撃していないのである。これで退屈させないのだから、やはり演出と脚本が秀逸なのだ。海上に浮上した時に、ブリッジにたたきつけてくる波のしぶきがすさまじい。一度見張りの一人が波にさらわれかけたほどだ。肋骨を3本折る重傷。日常描写も巧みだ。閉じられた空間なので匂いがこもる。画面から悪臭が匂ってきそうだ。航海が長引いたため、パンにカビが生えてくる描写もあった。艦長や将校たちがテーブルを囲んで食事をしている場面が何度も出てくる。時々そこを通り抜ける者がおり、通路側に座っている者はいちいち立ち上がらなければならない。潜水艦の狭さが伝わってくる。とにかくつぶさに艦内を描写して飽きさせない演出はうまい。

  しかし後半は戦闘場面も含め、緊迫した場面満載。怒涛の1時間半が待っている。ある波が静かな夜、ついに敵艦5隻を発見。今度こそと勇み立つ乗組員たち。魚雷3発発射。しかし駆逐艦に見つかり砲撃を受ける。潜行。爆雷攻撃。もぐった後は音がたより。魚雷が敵艦に命中した音が伝わってくる。攻撃は成功。3発とも命中。しかし今は駆逐艦が味方の仇とばかり猛攻撃を仕掛けてきている。後はもう深くもぐるしか手はない。190メートル。210。220、230。前半に水圧テストを見せていたことがここで生きてくる。息詰る緊張感。テストの時は160でやめた。今はとっくに200を越えている。突然すさまじい音と共に水圧でボルトが飛ぶ。あちこちでボルトが飛び、つなぎ目が外れ浸水する。弾丸のように飛んできたボルトが当たって負傷するものも現れる。ここからはまたパニック映画になる。船内は大混乱。耐え切れなくなりパニック状態になった機関士(「幽霊」と言うあだなのヨハン)が船外に出ようとしてブリッジのはしごを上りかける。こうなったら艦長が制しても抑えられない。艦長が銃を取りに行っている間に他の乗組員が取り押さえて持ち場に連れ戻す。危うく銃殺されるところだった。この危機も何とか乗り切る。戦闘日誌には「潜行6時間後に敵駆逐艦は追撃を断念した」と記入された。

  この後の場面も印象的だ。Uボートは海面に浮上する。外を見ると夕焼けのように空が赤い。不思議な雰囲気だ。実はまだ敵艦が燃えていたのだ。炎が映って空が赤く見えていたのである。6時間たってもまだ沈んでいない!この演出は見事だった。とどめの魚雷を放つ。手前に潜水艦があり向こう側に燃えている敵艦。魚雷を放ってしばらくして敵艦に火柱が上がる。この構図も秀逸だった。ところがまだ敵艦上に生存者がおり、体に火が付いたまま海に飛び込んでいるのが見える。十分時間があったのに味方を見捨てていったのかと艦長は怒るが、しばし沈黙の後船を後退させるよう命ずる。後ろで顔を見合わせる乗組員たち。生存者がこちらに向かって泳いできたからだ。同じ海の男たちを見殺しにするのはさすがにつらかったのだろう。しかも輸送船だから戦闘員ではなく民間人だ。戦争のむごさを感じさせる場面だった。

  この後がいよいよクライマックス。艦長宛の暗号電報が届く。イタリアのラ・スペチアに入港せよ、その前にスペインのビゴで燃料補給との命令だった。これが如何にとんでもない命令であるかはすぐに分かる。スペインからイタリアに向かうにはジブラルタル海峡を通らねばならない。狭いし敵がうようよいる。まるで敵の駐屯地の真ん中をジープで通り抜けようとするようなもの。自殺行為に等しい。しかし軍人は命令に逆らえない。ヴェルナーともう限界に来ていた機関長をスペインで降ろすつもりだったが、これも司令部に却下された。全員死地に赴くしかない。艦長は悩んだ挙句、ジブラルタル海峡の手前まで浮上したまま行き、そこから潜行してスクリューを止め、海流に乗ってブラルタル海峡を通過する作戦を立てた。音さえ立てなければ通過できるかもしれない。わずかな希望が見える。

  しかしジブラルタル海峡に入る直前に発見され、敵の飛行機から爆撃を受ける。どこか損害を受けたのだろう、潜行したとたんコントロールがきかなくなりそのまま船は沈み続けた。前回の230メートルどころではない。深度計の目盛を超えてしまう。280メートル。幸いそこが海底だった。被害甚大。海底に横たわったまま動けない。撃沈したと思って敵は去ったが、問題は水圧と時間。酸素もいつかは尽きる。ここからの30分くらいはすごい。この絶望的状況をどう乗り越えるのか。ここから先も書きたいが我慢しよう。ただ、15時間を越える奮闘の末彼らは浮上に成功して無事母港に帰還するのだが、その先にはまたとんでもない結末が待っていたとだけ書いておこう。どうです、まだ観ていない人は観たくなるでしょう。そうです、是非観ていただきたい。この傑作を見逃す手はない(おとといまで見逃していた自分が言うのもなんだが)。

  ストーリーに直接関係のないところだけちょっと書きましょう。憔悴しきった雰囲気の中でヴェルナーが艦長に語った言葉。「私は望んだ。″一度極限状態に身を置こう。母親が我らを探し回らず、女が我らの前に現れず、現実のみが残酷に支配する所″。これが今Deepblue023_1 だ。これこそ現実だ。」もう1つ。乗組員たちが「ティペラリの歌」を歌う場面が2度出てくる。以前オーストラリアで取材したドキュメンタリー番組にこの歌が出てきて耳に残っていた。”It’s a long way to Tipperary, it’s a long way to go.” この曲を聴くと年配の人はみんな涙を流すという。思いを込めてゆっくりしたリズムで歌うので、日本で言えば「ふるさと」のような歌なのかと思っていた。しかしここでは早いリズムで勇ましく歌われていた。ネットで調べてみると「世界のマーチ」というCDのシリーズに収められているので行進曲のようだ。イギリスの古謡で、ティペラリはアイルランドの地名(州名でもある)である。ドイツ人にとっての「リリー・マルレーン」に当たるような曲なのだろう。ドイツ人にすれば敵の歌を歌っていることになる。それだけに印象的だった(「シルミド」でも最後に「北」の革命歌を歌う場面が出てくる)。

  「Uボート」で出色なのは艦内の日常を描くリアルさだ。「Uボート」は確かに戦争を描いてはいるが、勇ましい戦闘映画ではない。最初の3分の1まで一度も魚雷を発射していないというのは象徴的である。普通の潜水艦映画は行き詰る戦闘シーン、駆逐艦や敵の潜水艦との駆け引きに焦点が当てられるが、この映画では戦闘をしていない兵士たちの日常、あるいは戦闘場面でも勇ましく戦う姿ではなく、爆雷の衝撃に吹き飛ばされ水圧の恐怖に顔をゆがめておびえる姿が強調されている。この映画が普通の潜水艦映画のレベルを遥かに超えているのはそのユニークな視点のためである。不衛生状態が続くために毛じらみが発生して、下半身丸出してチンチンを手で隠しながら医者の前に列を作っている姿には情けなさはあっても勇ましさのかけらもない。トレヴェニアンの『ワイオミングの惨劇』(新潮文庫)というサスペンス小説に次のような会話がある。

  「戦争ってどんなでした?すごい冒険だったでしょう?」
  「戦争が?戦争なんてだいたいが退屈だ。兵隊はいつも濡れて凍えてる。それにくたびれてる。虫に刺されてかゆい。そのうち突然みんなが銃を撃ちだし、怒鳴ったり、走りまわったりする。ものすごく恐ろしくて唾も飲めないくらいだ。闘いはやがて終わり、仲間が何人か死んで、けが人もでる。無傷な者はまたかゆいところを掻いたり、あくびをしたりする毎日に戻る。それが戦争だ。」

  Uボートが給油のためにスペインのビゴに立ち寄った時、船長や士官たちを食事に招いた現地のドイツ人は、上の引用のように勇ましい戦争の土産話をしきりに艦長から聞きだそうとしていた。しかし実際そこに立っていたのは薄汚れた服を着たよれよれの男たちだった(あまりに艦長がみすぼらしい身なりをしているので、隣にいる士官を艦長と間違えて握手したほどだ)。戦争の実態はハリウッド映画のようではない。それは誰もが知っていることだが、そのように戦争を描いた映画は少ない。なぜならそれでは「映画的面白さ」が出せないからである。第1次大戦で大量の戦死者を出したことで有名なソンムの塹壕戦を描いた「ザ・トレンチ」(「トレンチ」は塹壕という意味)という映画がある。ほとんど戦闘場面もなく、ただ延々と塹壕の中の兵士たちの日常を描いた映画だ。まさに上の引用の通り。だから実に退屈でつまらない映画だった。唯一の救いは部下の信頼篤い軍曹(だったと思う)役に扮したダニエル・クレイグの見事な存在感だ。なんてうまい俳優だと感心した(「シルヴィア」で詩人テッド・ヒューズに扮し、「ミュンヘン」で車輌のスペシャリスト、スティーヴを演じた人)。しかし、その彼も最後の最後に出てくる突撃場面で、塹壕を飛び出たとたんにあっけなく撃たれて死んでしまう。散々な出来の映画だったが、しかし戦争とはこんなもんだというのはよく分かる。戦場の兵士はアンチ・ヒーロー以外の何者でもない。「Uボート」は同じように戦争をリアルに描きながら、なお緊張感を保ち続けた稀有な映画である。

  反戦映画という作りではない。顔の見えない敵ならいくらでも撃てる。西部劇のインディアンやアメリカの戦争映画におけるドイツ兵のように。彼らは撃たれてばたばたと倒れてゆくだけだ。しかし敵の中に一旦自分と同じ人間を見たとき、人は簡単に銃の引き金を引けなくなる。そこまで描いた時反戦映画になる。「Uボート」でも敵の輸送船の生存者が助けを求めた時それに近づいた。しかし「顔」が見える前に潜水艦は後退してしまった。あくまで敵は顔が見えないままにとどめた(それが悪いと言っているわけではない)。代わりに、戦争のむなしさ、戦争の見苦しさや汚らしさやつらさ、戦争の恐怖がこれでもかと描きこまれている。乗組員たちは勇敢に戦う英雄ではない。恐怖に顔を引きつらせて見えない敵におびえる卑小な人間たちである。しかし彼らは違った意味で勇敢であった。水が勢いよく吹き込んでくる穴に必死で詰め物をしてふさぎ、もう修理できないだろうというほどめちゃめちゃに破損した部分を何とか工夫して直してしまう。不眠不休で奮闘するその姿は感動的ですらあった。あの一度パニックになった機関士のヨハンも海底まで沈んだときはふらふらになるまで逃げずに踏ん張った。彼らは単なる乗組員ではなく、船のどこがどうなっているかを知り尽くした優秀なメカニックでもある。その描き方がいい。

  潜水艦という牢獄のような閉鎖空間の中で展開する人間ドラマ。人間臭さ、汗臭さ、物が腐る悪臭、英雄たちではなく等身大の人間たちをリアルに描いた。そのリアルな映像を映し出した、艦内を縦横無尽に駆け巡るキャメラワークが見事だった。一旦緊急事態になると乗組員たちは一斉に走り出すのだが、キャメラは被写体と一緒に走り出す。いったいどうやって撮ったのかと不思議に思うほど自由自在にキャメラが動いていた。スピルバーグの「宇宙戦争」に出てきた、ぶっといホースのようなものの先にレンズが付いている監視装置を火星人から借りてきたのだろうか?冗談はともかく、「Uボート」は優れた脚本と演出と技術によって作り出された傑作である。

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2006年8月 9日 (水)

浮雲

Arthibiscus1200wb 1955年 日本 1955年1月公開
監督: 成瀬巳喜男
製作: 藤本真澄
原作: 林芙美子 『浮雲』
脚本: 水木洋子
撮影: 玉井正夫
美術: 中古智
編集: 大井英史
音楽: 斎藤一郎
監督助手: 岡本喜八
特殊技術: 東宝技術部
出演:高峰秀子、森雅之、中北千枝子、岡田茉莉子、山形勲、加東大介
    木匠マユリ、千石規子、村上冬樹、大川平八郎、金子信雄
    ロイ・H・ジェームス、森啓子

  成瀬巳喜男(1905-1969)の作品はこれまで「妻よ薔薇のように」(35)「めし」(51)「稲妻」(52) 「あにいもうと」(53)「晩菊」(54) 「山の音」(54)「浮雲」(55)「流れる」(56)「女が階段を上る時」(60)「乱れる」(64)「乱れ雲」(67)と11本観てきた。少なくない数だが、それでも生涯に89本もの作品を残した彼の膨大な作品群の一部を垣間見ただけに過ぎない。最初に観たのが「山の音」でその翌日に「浮雲」を観ている。「あの頃名画座があった(改訂版)④」にも書いたが、82年の11月24日から12月2日にかけて日比谷の千代田劇場で「東宝半世紀傑作フェア」と銘打った企画が催され、「雪国」、「忍ぶ川」、「夫婦善哉」、「また逢う日まで」などと共に観たのである。上の10本の中では「流れる」と「浮雲」が好きだ。千代田劇場で観た6本の中でも「夫婦善哉」、「また逢う日まで」と「浮雲」の3本は図抜けた傑作だと思った。いや、「浮雲」は日本映画を代表する1本にすら数えられる名作である。

  成瀬巳喜男は神格化されてきた黒澤明、小津安二郎、溝口健二などに比べると海外での評価が遅れたが、日本を代表する大監督の一人である。昨年が生誕100周年に当たり、DVD-BOXも発売された。やっと彼の評価がなされてきたことは喜ばしいことだ。この4人に今井正を加えたのが日本の映画監督「マイ・ベスト5」である。

  「浮雲」は幸田ゆき子(高峰秀子)とその愛人である富岡(森雅之)の2人が主人公だが、視点はゆき子の視点である。「浮雲」には異様な緊張感と迫力があり、観客をぐいぐいと引き込んでゆく。冒頭のゆき子が仏印(インドシナのこと、ハノイという地名が出てくるのでおそらくベトナムと思われる)から日本に引き上げてくる場面と富岡との再会、そしてそれに続く仏印での回想場面(富岡との出会い、作中最も明るい部分)から屋久島でのゆき子の病死まで一気に映画は突き進む。そのため観終わった後にずっしりと映画の重み(無常観と悲哀感が混じったようなもの)が観客にのしかかり、何か途方もない作品を観てしまったという思いに包まれる。「重い」のは悲劇的結末だからであり、「無常」なのはその悲劇にカタルシスがないからである。何か劇的な盛り上がりがあるわけではないが、かなり波乱に富んだストーリー展開である。

  波乱に富んでいるという印象が残るのは、この映画の中であるパターンが繰り返し現れるからである。そのパターンとはゆき子と富岡が何度も別れと再会を繰り返すというものだ。面白いことに、映画の中で誰かが誰かを訪ねてくるという場面が何度も出てくる。異常に多い。その度ごとに訪ねてくる人物も訪ねられる人物も境遇が変わっている。さらに、その訪問を機にまた人間関係が変わってゆく。付かず離れずの腐れ縁関係。そうなるのは主に富岡に甲斐性がなくふらふらしているからだ。まさに空に浮かぶ「浮雲」のごとく、あるいは碇を失った船のごとく、決まった目的地もなくただただ流れに任せてどこへともなく漂ってゆく二人。

  この富岡という男が実に情けない男である。日本に引き上げてきたゆき子はすぐ渋谷区代々木上原にある富岡の家を訪ねる。最初に富岡の母親、次に妻(中北千枝子)が出てきて怪しそうにゆき子を見る。ゆき子は富岡を外に連れ出して二人で歩きながら話す(背景は焼け野原なのか建物の少ない街並みだ)。二人は闇市の中を通りホテルに入る。彼は妻ときっぱり別れてゆき子を迎えると言っていたのにまだ妻と別れずにいた。戦時中農林省に勤めていたが「官吏なんかいやだから」と日本に帰ってからやめてしまい、今は木材関係の仕事をしていると話す。愛してもいない妻と別れられずにずるずると一緒に暮らしている。ゆき子には別れ話を持ち出す。富岡は手切れ金として彼女に金を渡すのだ。「正直に言えば、僕たちはあの頃夢を見ていたのさ。こんなことを言うと君は怒るだろうが、日本に戻ってまるっきり違う世界を見ると、家の者たちをこれ以上苦しめるのは酷だと思ったんだ。別れるより仕方がないよ。」この段階ではありふれた別れ話に思える。しかし富岡の言葉に彼の優柔不断さがすでに表れている。

  「僕たちはあの頃夢を見ていたのさ」という彼のせりふに注目すべきである。二人が歩いている家の少ない東京の景色から突然一転して豪華なお屋敷が映し出される。ここは回想場面で、貴族の館かと思える豪華な建物は日本軍が現地で接収した建物である。タイピストとして雇われたゆき子が富岡を含めた職員たちに紹介されている。輝くばかりの豪華な建物の中にいるゆき子も(豪華なドレスではないが)眩いばかりの白い衣装を身にまとい実に美しい。内地の混乱をよそに、彼女たちはここで優雅に暮らしていたのだ。敗戦ですっかり変わってしまった日本に比べると確かに「夢」のようだった。しかし富岡はすでに夢から覚めていた。「いつまでも昔のことを考えたって仕方がないだろう。」一方ゆき子はあくまで当時の思い出にこだわる。「昔のことがあなたとあたしには重大なんだわ。それを無くしたらあなたもあたしもどこにもないんじゃないですか。」結局二人は分かれる。家に帰った富岡は「あなたこのごろ私と別れたいと思っているのでしょう」と妻にも泣かれる。

  どうやらゆき子と富岡との違いのひとつは昔にこだわるかどうかの違いである。回想部Sizuka2 分の最後は二人で森の中を散歩している時突然富岡が振り返り、二人で見つめあう場面である。寄り添いキスをするのかと思いきや、突然ホテルにいる現在の二人の場面に切り替わる。キスをしている二人。ゆき子にとって過去と現在は繋がっているのだ。だから2人でいると必ずゆき子は仏印で過ごした頃の思い出話をするのである。「思い出すわ色んなこと。」この時もゆき子の方から彼の部屋に行った思い出を語っていた(常に彼女のほうが積極的である)。

  その次に二人が会った時、ゆき子は進駐軍兵士のオンリーになっていた(もっとも当時はパンパンと呼んでいた)。今度は富岡のほうから訪ねてきた。ゆき子はその外人から教えられたという「忘れな草」の歌詞を口ずさむ。

  懐かしき君よ 今はしぼみ果てたれど
  かつては瑠璃の色 いと鮮やかなりしこの花
  ありし日の君と過ごせし 楽しき思い出にも似て  
  あたしの心に消えぬよう

  やはり彼女は過去を引きずっている。バーの女のような格好をしているゆき子に(話し方も前よりぞんざいになっている)富岡は「君はたくましいさ。感服するよ」と言う。ゆき子はこう返す。「あなたの力じゃどうにもならないんでしょ。あたしと一緒に暮らすことが出来なければ、あたしの生活はあたしでやってくんですから、そのつもりでいてくださいね。」富岡「邪魔はしないさ。邪魔はしないが、時々は遊びに来てもいいだろ。」富岡は未練たらたらだ。互いに辛らつな言葉を交わしながらも付かず離れず、だらだらと2人の関係は続く。

  直後、またゆき子は駅前で富岡と会っている(「インターナショナル」を歌いながら近くをデモ隊が通ってゆく)。「あたしたちって行くところがないみたいね。」「そうだな。どこか遠くへ行こうか。」この言葉は2人の境遇を見事に表していて象徴的だ。戦時中、この世のものではないような外地で「夢のような」時間をすごした二人にとって、すっかり変わってしまった戦後の日本には帰る場所がなかったのである。この場面の直後今度は二人は伊香保の温泉宿に泊まっている。どんな風に自殺するか二人で話し合っている。「あなたそのためにきたのね」とゆき子。二人で温泉に浸かるあの有名なシーンはこの後に出てくる。「ねえ。」「何だ。」「あたしあなたをもっと生きさせてあげたいのよ。いっそお正月をここで暮らしてゆかない?お金が足りなかったらあたしのコートを置いてもいいし。」「明日帰るよ。」かみ合わない二人の会話。実に秀逸だ。

  この時もまたゆき子がインドシナにいた頃の思い出を話す。その後の富岡のせりふが彼の性格をよく現していて重要だ。「昔話も時がたつと色があせてくるよ。二人で会って昔を懐かしがってみたところで、君と僕の間が昔どおりの激しさに戻るわけでもないし。そのくせ僕は女房にだって昔のような愛情を持っちゃいないんだよ。まったくどうにもならない魂のない人間が出来ちゃったもんさ。」自嘲気味に話す「どうにもならない魂のない人間」という言葉。この言葉自体とそれを口にする行為自体が彼の優柔不断で無責任で無定見な性格と生き方がよく表れている。そんな男にゆき子は「あたしあなたをもっと生きさせてあげたい」といって寄り添っている。「僕は神経衰弱なんだ。」と弱音を吐く男に、「しょうがない人ね。それで他人にはよく見えるんだからいいわ。移り気で、気が小さくて、酒の力で大胆になって、気取り屋で」と馬鹿にし、あるいは「ハノイのキャンプで『ベラミ』って小説読んだけど、あなたあの中の主人公ね。でもあの主人公は宿無しの風来坊だから、女をはしごして出世するんだけど、あんた女だけをはしごしてる」と皮肉を言ったりもするが、なぜか彼からきっぱりと袂を分かったりはしない。懲りない富岡は伊香保温泉では宿の主人の妻おせい(岡田茉莉子)と出来てしまい、後に同棲までしているというのに。

  富岡は一貫して「僕たちのロマンスは終戦と同時に消えたんだ。いい年をして昔の夢を見るのはやめたほうがいい」という姿勢をとり続けるが、憎まれ口をたたきながらもゆき子は結局どこまでも彼について行く。ついには流れ流れて屋久島まで二人で行くのである。列車を乗り継いで鹿児島まで来たとき、ゆき子はこう言っている。「あたし屋久島に住めなかったら、ここへ来て料理屋の女中したっていいわ。女ってそれだけのものよ。捨てられたらまたそれはそれにして、生きてくんだわ。」

  どうしてゆき子はこんなだらしない男と一緒にとことん転落してゆく破滅的な生き方をしたのか。口では相手を馬鹿にしたり皮肉を言ったりし、あるいは「絶望はしてません。生きて見せますとも。せいぜいあんた勝手に女作ればいいのよ」などと一人でも生き抜くたくましさを持っているかのような口ぶりであるにもかかわらず、なぜこんな男と別れられないのか。果ては屋久島までついて行き、病気で倒れても「あんたのそばで死ねば本望だわ」と口にしている。屋久島で病気の彼女を世話してくれる女(千石規子)にさえ、彼女が富岡と話していると嫉妬に駆られた目でじっと見つめてしまう。なぜ彼女はそうなってしまったのか。何が彼女を突き動かしていたのか。誰もが引っかかる疑問である。

  仏印での彼女は白い服を着て、まるで無垢な女に見える。しかし経験の少ない無垢な女が男にだまされてのめりこんだというわけではない。彼女の最初の男は富岡ではない。Sizuka2_1 義兄の伊庭杉夫(山形勲)が最初の男だ。本人も「俺はお前の最初の男だからな」と言っている。次はゆき子と伊庭の会話。「親戚にお手伝いに行った娘が一生を台無しにするなんて話よく出てるわね。お義兄さんの荷物売ってあたしが叱られるんだったら、あたしも元通りの娘に返してもらいたいわ、どお?」金のないゆき子は無断で義兄の荷物の一部を売って金にしていた。「お前もあっちへ行ってから人柄が変わったな。」

  ゆき子はすでに世の荒波にもまれた女だった。墜ちた女だった。だから進駐軍兵士のオンリーにすんなりなれたのである。そういう女だったから「毒舌家」の富岡に惹かれたのかも知れない。まあ個人の感情は推し量る以上にできない。毒舌家だが仕事はしっかりやる男と最初に紹介されたわけだが、内地に帰ってみると女房とも別れられずあれこれ言い訳するだらしない男になっていた。だが、彼女が強い言葉で非難しても「みんな僕が悪いんだ。僕だけが悪いんだよ。僕って人間はもぬけの殻なんだから。君のようにそう押し付けてきたってしようがないじゃないか。伊香保でお互いさっぱりしたはずじゃないか」と自嘲気味に言い募る「暖簾に腕押し」男からどうして離れられなかったのか。よく言われるように理屈では割り切れない何か人間の「業」のようなものを描いているのだろうか。普通の恋愛を超えたどろどろした人間の情念のほとばしりを描いたのだろうか。確かに伊香保で泊まった宿の主人向井清吉(加藤大介)の「ねえ旦那、めぐり合いってやつは大切にしなくちゃならねえ」という思わせぶりなせりふもある。向井と富岡には同じ南方にいた因縁があった。向井は「運命には逆らわないことにしています」とも言っている。後に向井の妻のおせいが富岡と同棲するようになり、嫉妬に狂った向井がおせいを殺すという展開にもなっている。これがラストでのゆき子の死を暗示する不吉な伏線になっていると言えないこともないが、ゆき子と富岡の関係はもっと起伏に富んでおりこんな単純ではない。

  確かに成瀬は二人の不可解な関係に「運命の皮肉」のようなものを込めて描いているのだろう。二人は最後に「底知れない深淵」に飲み込まれていった。この映画のただならぬ力は二人の情念の強さから来ているように見える。しかし「情念」ですべてを説明出来ない。どす黒い情念が二人の関係の底にあるならあんな付かず離れずの先の見えない関係にはならない。ひたすら堕ちてゆくだろう。彼らが地に足が着かず「浮雲」のように漂っているのはこの世に足場を持たないからである。「あたしたちって行くところがないみたいね」というゆき子の言葉。あるいは、富岡が屋久島に行くと聞いた時に彼女が言った言葉。「あたしはどこへ帰るのよ。どこにも行くところがないでしょう。」富岡が農林省の官吏を辞めていろいろな仕事を転々としているのも象徴的だ。世の中に足場がないから過去の思い出にすがる。富岡は仏印時代をいつまでも振り返っていても無意味だといっているが、由紀子という昔の女からは離れられない。ゆき子も内地に帰ってきてからはパンパンになるか大日方教の教主になって羽振りのいい伊庭に養われるかで、まともな仕事には就いていない。口では自分で生きてゆくといいながら結局は男に頼っていた。彼女に唯一残された「足場」は富岡だった。だから彼にすがりついたのではないか。富岡の頼りなさを不甲斐ないと思いつつも彼と一緒に流されていった。仏印時代の彼女が輝いていたのはタイピストとして働いていたからだ。そう言えないだろうか。しかし戦後タイピストとして働こうとしても英文タイプが出来ない彼女には就職口がなかった。彼女は時代に取り残されてしまった。だから過去にすがる。すっかり変わってしまった戦後の日本に二人とも居場所が見出せなかった。

  しかし富岡が屋久島の就職口を見つけた時は二人の転機だった。地の果てのような国境近くの島。それでも人生をやり直そうとした富岡と彼についてゆこうとしたゆき子は初めて未来に顔を向けた。職を得て二人でやり直そうとした。しかしその時すでにゆき子の体を病魔が蝕んでいた。ここに彼女たちの人生最大の皮肉があった。彼女は鹿児島で寒気を訴えるが、堕胎手術を受けた(彼女は富岡の子供を堕ろしていた)直後も同じように寒気を感じていた。その時の病気の種が彼女の体の中に潜んでいたのか。ようやく過去を振り切ったかと思われた時、過去が彼女を引き摺り下ろした。幸福にやっと手が届く矢先だった。

  晩年の成瀬は「人生というやつはわれわれを裏切るものであると自分はいつも考えていた」と語っていたそうだ。「人生というやつは」、この言葉が成瀬以上に似合う監督はいない。波乱に富んだストーリー展開はメロドラマ調だが、成瀬は終始冷静に、いや冷徹に二人を見つめ続けた。いつものユーモアを排し、劇的な演出も避けて、ひたすら漂う二人を冷徹に描いた。流れ流れてやっと最後にたどり着いた島で惨めに死んでいった女の一生。病床に横たわるゆき子の顔はインドシナにいた時の彼女より美しかった。恐らくこれは成瀬が唯一作った悲劇なのだ。

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2006年8月 7日 (月)

ドイツ映画ベスト100

1  「Uボート」(1981、ウォルフガング・ペーターゼン監督)
2  「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1921、F.W.ムルナウ監督)
3  「ヒトラー最期の12日間」(2004、オリバー・ヒルシュピーゲル監督)
4  Die Feuerzangenbowle(1943)
5 「女子学生(秘)レポートNo.1 」(1970、エルンスト・ホフバウエル監督)
6 「不安は魂を食いつくす」、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督)
7  「グッバイ・レーニン!」(2003、ヴォルフガング・ベッカー監督) 
8 「橋」(1959、ベルンハルト・ヴィッキ監督) 
9 「マニトの靴」(2000、ミヒャエル・ブリー・ヘルビヒ監督)
10 「ブリキの太鼓」(1979、フォルカー・シュレンドルフ監督)
11 「ラン・ローラ・ラン」((1998、トム・ティクヴァ監督)
12  Wenn der Vater mit dem Sohne (1955)
13 「クリスチーネ・F」(1981、ウーリッヒ・エーデル監督)
14  Die Legende von Paul und Paula (1973) 東独
15 「愛より強く」 (2004、ファティ・アキン監督)
16 「ベルンの奇跡」 (2003、ゼーンケ・ヴォルトマン監督)
17 「M」(1931、フリッツ・ラング監督)
18 「白バラの祈り ゾフィ・ショル、最期の日々」(2005、マルク・ローテムント監督)
19 「es エス」(2001、オリバー・ヒルシュピーゲル監督)
20 「快楽晩餐会 または誰と寝るかという重要な問題」
   (1996、ヘルムート・ディートル監督)
21  Die Mädels vom Immenhof (1955)
22  「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」(1997、トーマス・ヤーン監督)
23  「フィッツカラルド」(1982、ヴェルナー・ヘルツォーク監督)
24  「ギガンティック」(1999、セバスチャン・シッパー監督)
25  Traumschiff Surprise - Periode 1 (2004)
26 「メトロポリス」(1926、フリッツ・ラング監督)
27   Der bewegte Mann (1994)
28   Ödipussi (1988)
29  「23 トゥエンティースリー」(1998、ハンス・クリスチャン・シュミット監督)
30  「マリア・ブラウンの結婚」(1979、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督)
31 「サン・アレイ」(1999、レアンダー・ハウスマン監督) 未公開
32  Comedian Harmonists (1997)
33  Schtonk (1992)
34  Spur der Steine (1966) 東独
35  Otto - Der Film (1985)
36 「ビヨンド・サイレンス」(1996、カロリーヌ・リンク監督) 
37  Herr Lehmann(2003)
38 「リリー・マルレーン」(1980、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督) 
39  Muxmäuschenstill (2004)
40 「嘆きの天使」(1930、ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督) 
41 「カリガリ博士」(1920、ロベルト・ビーネ監督)
42 Kleine Haie (1992)
43 「ベルリン・天使の詩」(1987、ヴィム・ヴェンダース監督) 
44  Werner - Beinhart! (1990)
45  Das Leben ist eine Baustelle (1997、ヴォルフガング・ベッカー監督)
46  Große Freiheit Nr. 7 (1944、ヘルムート・コイトナー監督)
47  Theo gegen den Rest der Welt (1980)
48  Der Untertan (1951) 東独
49  Wir können auch anders (1993)
50  Winnetou I (1963)
51 「青い棘」(2003、アヒム・フォン・ボリエス監督)
52  Aimée und Jaguar (1998)
53  Der Totmacher (1995)
54 「名もなきアフリカの地で」(2001、カロリーヌ・リンク監督)
55  Der Hexer (1964)
56 「モモ」(1986、ヨハネス・シャーフ監督)
57 「少年探偵団」(1931、ゲルハルト・ランプレヒト監督)
58 「ベルリン、僕らの革命」(2004、ハンス・ワインガルトナー監督)  
59  「ガソリンボーイ三人組」(1930、ヴィルヘルム・ティーレ監督)
60  Der brave Soldat Schwejk (1960)
61  Rosen für den Staatsanwalt (1959)
62 「リトル・ウィッチ ビビと魔法のクリスタル」
   (2002、ヘルミーネ・フントゲブルース監督)
63  Heimat (1984)
64 「ソロシンガー」(1980、コンラート・ヴォルフ他監督) 東独
65 「バニシングストリート」(1991、ヴォルフガング・ビュルト監督)
66  Wir Wunderkinder (1958)
67 「テルレスの青春」(1966、フォルカー・シュレンドルフ監督) 
68  Das Wirtshaus im Spessart (1957)
69  Das kalte Herz (1950)
70 「ウィンタースリーパー」( 1997、トム・ティクヴァ監督)
71  Jakob der Lügner (1974) 東独
72  Man spricht deutsh (1988)
73  Männer (1985)
74  Die innere Sicherheit (2000)
75  Die Supernasen (1983)
76  Erkan und Stefan (2000)  
77  Abgeschminkt (1992)
78 「裸で狼の群れのなかに」(1962、フランク・バイヤー監督) 東独
79  Die Mörder sind unter uns (1946)
80 「カタリーナ・ブルームの失われた名誉」(1975、フォルカー・シュレンドルフ他監督)
81 「ほら男爵の冒険」(1943、ヨゼフ・フォン・バキ監督)
82  Das Superweib (1996)
83  「ファウスト」 (1926、F.W.ムルナウ監督)
84 「別れの朝」(1983、ロベルト・フォン・アケレン監督)
85  Die Unberührbare (2000)
86  Die Halbstarken (1956)
87  Die Söhne der großen Bärin (1965) 東独
88  Quax, der Bruchpilot (1941)
89  Deutschland im Herbst (1978)
90  Männerpension (1995)
91 「ローザ・ルクセンブルグ」(1985、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)
92 「ニーベルンゲン」(1924、フリッツ・ラング監督) 
93  Die bleierne Zeit (1981)
94  Der geteilte Himmel (1964) 東独
95 「最後の人」(1924、F・W・ムルナウ監督)
96  Unter den Brücken (1945、ヘルムート・コイトナー監督)
97 「罪ある女」(1950、ヴィリ・フォルスト監督)
98  Nachtgestalten (1999)
99  Menschen am Sonntag (1930)
100「会議は踊る」(1931、エリック・シャレル監督)

  2005年8月4日に公営テレビの北ドイツ放送「NDR」が発表した「ドイツ映画ベスト100」リストです。視聴者からの投票を集計したもののようです。だいぶ前にリストを入手していたのですが、邦題を確認するのが面倒でそのうちやろうと思いながら忘れていたものです。この1週間ほどまったく映画を観ていないので何かブログに使えるネタはないかとパソコンの中を探していて見つけました。

  こうやって見ると意外にドイツ映画は日本で公開されているなと改めて思います。もちろYimg ん劇場未公開でビデオやDVDでのみ観られるものも含まれています。日本で有名な「死滅の谷」(21、フリッツ・ラング監督)、「ドクトル・マブゼ」(22、フリッツ・ラング監督)、「プラーグの大学生」(26、ヘンリク・ガレーン監督)、「ヴァリエテ」(25、E.A.デュポン監督)、「パンドラの箱」(29、ゲオルグ・ヴィルヘルム・パプスト監督)、「三文オペラ」(31、ゲオルグ・ヴィルヘルム・パプスト監督)、「アギーレ・神の怒り」(72、ヴェルナー・ヘルツォーク監督)、「カスパー・ハウザーの謎」(75、ヴェルナー・ヘルツォーク監督)などは軒並み選外に。「会議は踊る」もぎりぎりの100位!比較的新しいものが多いのは仕方がない。それにしても同じ事を日本でやったら、かなり違うリストが出来上がるでしょう。

  個人的に大好きな「こわれ瓶」(37、グスタフ・ウチツキ監督)や「マーサの幸せレシピ」(01、サンドラ・ネットルベック監督)が入っていないのは残念です。しかし、ナチスを逃れて多くの才能ある映画人が国外に亡命したために、50年代から70年代のドイツ映画はすっかり停滞していたと思われていたのですが、その時期の作品が結構挙げられているのは驚きです。旧ソ連ばかりか、ドイツも知られざる傑作が大量に眠っているという感を強くしました。

<追記>
 本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」に「BFI選定イギリス映画ベスト100」および、「BFI選定英国テレビ番組ベスト100」を載せています。関心がある方はそちらも覗いてみてください。右のサイドバーに「緑の杜のゴブリン」へのリンクがあります。「イギリス映画の世界」というコーナーがありますので、そちらに入ってください。
 また、当ブログには、同じくBFI(British Film Institute)が選定した「14歳までに見ておくべき映画トップ50」も載せてあります。タイトルをクリックすれば記事に飛びます。

2006年8月 5日 (土)

ゴブリンのこれがおすすめ 22

記録映画/ドキュメンタリー

■おすすめの20本
「ディープ・ブルー」(03、アラステア・フォザーギル、アンディ・バイヤット監督、英)
「華氏911」(04、マイケル・ムーア監督、アメリカ)
「アマンドラ!希望の歌」(02、リー・ハーシュ監督、南ア・米)
「ボウリング・フォー・コロンバイン」(02、マイケル・ムーア監督、アメリカ)
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(99、ヴィム・ヴェンダース監督、独・キューバ、他)
「アトランティス」(91、リュック・ベッソン監督、フランス)
「ロジャー&ミー」(89、マイケル・ムーア監督、アメリカ)
「100人の子供たちが列車を待っている」(88、イグナシオ・アグレロ監督、チリ)
「柳川堀割物語」(87、高畑勲監督、日本)
「戒厳令下チリ潜入記」(86、ミゲル・リティン監督、スペイン)
「ハーヴェイ・ミルク」(84、ロバート・エプスタイン監督、アメリカ)
「アトミック・カフェ」(82、ケビン・ラファティ他監督、アメリカ)
「獄中のギュネイ」(79、H.シュテンペル、M.リプケンス監督、西ドイツ)
「ラストワルツ」(78、マーティン・スコセッシ監督、アメリカ)
「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」(70、マイケル・ウォドレー他監督、米)
「沈黙の世界」(56、ジャック・イヴ・クストー、ルイ・マル監督、フランス)
「真夏の夜のジャズ」(59、バート・スターン監督、アメリカ)
「夜と霧」(55、アラン・レネ監督、フランス)
「アラン」(34、ロバート・J・フラハティ監督、イギリス)
「極北の怪異」(22、ロバート・J・フラハティ監督、アメリカ)

●追加
「バックコーラスの歌姫たち」(2013、モーガン・ネヴィル監督、アメリカ)
「シュガーマン 奇跡に愛された男」(2012、マリク・ベンジェルール監督、スウェーデン・英)
「世界の果ての通学路」(2012、パスカル・プリッソン監督、フランス)
「ミツバチの羽音と地球の回転」(2010、鎌仲ひとみ監督、日本)
「キャピタリズム マネーは踊る」(2009、マイケル・ムーア監督、米)
「牛の鈴音」(2008、イ・チュンニョル監督、韓国)
「ヤング@ハート」(2007、スティーヴン・ウォーカー監督、イギリス)
「ヒロシマナガサキ」(2007、スティーブン・オカザキ監督、米)
「シッコ」(2007、マイケル・ムーア監督、米)
「ミリキタニの猫」
(2006、リンダ・ハッテンドーフ監督、アメリカ)
「ジプシー・キャラバン」(2006、ジャスミン・デラル監督、米)
「不都合な真実」(2006、デイビス・グッゲンハイム監督、アメリカ)
「六ヶ所村ラプソディー」(2006、鎌仲ひとみ監督、日本)
「ヨコハマメリー」(2005、中村高寛監督、日本)
「蟻の兵隊」(2005、池谷薫監督、日本)
「ノー・ディレクション・ホーム」(2005、マーティン・スコセッシ監督、アメリカ)
「未来を写した子どもたち」(2004、ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ監督、米)
「炭鉱(ヤマ)に生きる」(2004、萩原吉弘監督、日本)
「スティーヴィー」(2002、スティーヴ・ジェイムス監督、アメリカ)
「延安の娘」(2001、池谷薫監督、日本) 
「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」(1975、新藤兼人監督、日本)

■こちらも要チェック
「皇帝ペンギン」(05、リュック・ジャケ監督、フランス)
「WATARIDORI」(01、ジャック・クルーゾ、ミシェル・デバ監督、フランス)
「雲 息子への手紙」(01、マリオン・ヘンセル監督、ベルギー・ドイツ)
「東京オリンピック」(65、市川崑監督、日本)
「ユンボギの日記」(65、大島渚監督、日本)
「オリンピア」(38、レニ・リーフェンシュタール監督、ドイツ)

■気になる未見作品
「ガーダ・パレスチナの詩」(05、古居みずえ監督)
「三池 終わらない炭鉱の物語」(05、熊谷博子監督)
「トントンギコギコ図工の時間」(04、野中真理子監督、日本)
「スーパーサイズ・ミー」(04、モーガン・スパーロック監督、アメリカ)
「鉄西区」(03、ワン・ビン監督、中国)
「フォッグ・オブ・ウォー」(03、エロール・モリス監督、アメリカ)
「らくだの涙」(03、ビャンバスレン・ダバー 、 ルイジ・ファロルニ監督、ドイツ)
「アレクセイと泉~百年の泉の物語~」(02、本橋成一監督、日本)
「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」(01、羽田澄子監督、日本)
「ナージャの村」(97、本橋成一監督、日本)
「ナヌムの家」(95、ビョン・ヨンジュ監督、韓国)
「阿賀に生きる」(92、佐藤真監督、日本)
「歌舞伎役者・片岡仁左衛門」(92、羽田澄子監督、日本)
「痴呆性老人の世界」(86、羽田澄子監督、日本)
「ショアー」(85、クロード・ランズマン監督、フランス)
「早池峰の賦」(82、羽田澄子監督、日本) 
「続未帰還兵を追って」(75、今村昌平監督、日本)
「リトアニアへの旅の追憶」(72、ジョナス・メカス監督、アメリカ)
「未帰還兵を追って:タイ編」(71、今村昌平監督、日本)
「未帰還兵を追って:マレー編」(71、今村昌平監督、日本)
「日本の悲劇」(46、亀井文夫監督、日本)
「戦ふ兵隊」(38、亀井文夫監督、日本)

  優れた作品が多くあるにもかかわらず、一般に知られていないジャンルです。岩058384波ホールが羽田澄子監督の作品などを積極的に上映してきましたが、まだまだ一般になじみがない。僕自身も羽田澄子監督の作品は一本も観たことがありません。いわゆる文化映画もこのジャンルと重なりますが、これはさらに一般には縁遠い存在です。しかしNHKのアーカイブを見ればわかりますが、ドキュメンタリーは撮られた時も貴重なものだったでしょうが、時間がたてばたつほど歴史的記録としてより価値を帯びてきます。そういう意味では特殊なジャンルでもあります。
  まだまだ他にありそうな気がしますが、とりあえず思いついたのは今のところこれだけ。おいおい追加してゆきます。音楽ものは無数にありますが、ここでは歴史的に重要なものだけを挙げておきます。「おすすめ」と「未見」がほぼ同じ数あるということ自体が普段目に触れないものが多いことを示しています。山形ドキュメンタリー映画祭は有名ですが、もっとこのジャンルが広く知られ、また観られるようになることを望みます。

2006年8月 1日 (火)

スパングリッシュ

2004年 アメリカ 2006年1月公開
脚本・監督:ジェームズ・L・ブルックス
製作:ジェームズ・L・ブルックス、リチャード・サカイ、ジュリ一・アンセル
製作総指揮:ジョアン・ブラッドショウ、クリスティ・ハウベッガー
撮影監督:ジョン・シール ACS,ASC
音楽:ハンス・ジマー
衣装デザイナー:シェイ・カンリフ、ルイーズ・ミンゲンバック
アソシエイト・プロデューサー:マリア・カヴァーノ
編集:リチャード・マ一クス
美術監督:アイダ・ランダム
出演:パズ・ヴェガ、アダム・サンドラー、ティア・レオーニ、クロリス・リーチマン
    シェルビー・ブルース、サラ・スティール、イアン・ハイランド
    アンジェラ・ゴーサルズ、トーマス・ヘイデン・チャーチ

Photo_3   今回もまたまたアメリカ映画。HPとブログを始めて以来これだけ続けてアメリカ映画を観るのは初めてだろう。つい5、6年前までは珍しくなかったことだが、この2、3年は努力しなければアメリカ映画を観なくなっていた。昨年の9月11日に書いた「サイドウェイ」のレビューの最初の1行は「久々に見たアメリカ映画。とにかく久しぶりに何かアメリカ映画を観てみようと意識して探していたから目に付いたのである」。同11月2日の「マシニスト」の冒頭は「久々にアメリカの娯楽映画を観た。本当にこの手のアメリカ映画は著しく質が落ちた。観たいのに観たくなる映画がないのだからどうしようもない」となっている。それが努力しないでも自然に良さそうなものを選べばアメリカ映画に当たるという状況になったのだから、本格的に好調さが戻ってきたということだろう。

  「スパングリッシュ」は公開時ほとんど注目もされずに終わったようだ。大スターも出演していないし派手な演出があるわけでもない地味な映画だからもともと大ヒットは望むべくもない。しかし観客動員数は映画の良し悪しの指標ではない。「スパングリッシュ」は埋もれさせておくにはもったいない優れた映画である。

  監督はジェームズ・L・ブルックス。「愛と追憶の日々」(1983)、「ブロードキャスト・ニュース」(1987)、「恋愛小説家」(1997)に続いて彼の映画を観るはこれが4本目。寡作だが、平均して水準の高い作品を作り続けている。「恋愛小説家」と並んで「スパングリッシュ」は彼の代表作になるだろう。

  夫と別れて娘のクリスティーナ(シェルビー・ブルース)と二人で暮らすフロール(パズ・ヴェガ)。彼女は生活のため祖国メキシコを捨てアメリカに渡る。入国は「エコノミークラス」だったとクリスティーナが語っているからおそらく密入国だ。二人はテキサス以上にヒスパニックが多いロサジェゼルス(住民の48%がヒスパニック系)に住み着く。クリスティーナの言葉を借りると「角を曲がるとそこは故郷でした」。母のいとこのモニカのところで世話になる。やがて「一つの仕事で週450ドル稼ぐためにアメリカに渡ってから初めて母は”外国”に足を踏み入れる。」フロールはレストランを営むクラスキー家のハウスキーパーとして働くことになる。

  ここから本格的にストーリーが展開していくのだが、最初にこの映画の主題をはっきりさせておくのがいいだろう。「スパングリッシュ」というタイトルではあるが「言葉の壁」がテーマではない。主人公のフロールは最初英語を話せなかった。あるきっかけから積極的に英語を学び始める。その結果ある程度話せるようになったが、そうすることでアメリカを積極的に受け入れはしなかった。言葉がある程度できるようになっても、彼女とアメリカ文化との間には最後まで埋まらない溝があった。フロールはコミュニケーションを取るために仕方なく英語を学んだのであって、最後まで自分の信念は捨てなかった。この映画のテーマは信念であり、その信念あるいは価値観の背後にある文化の重みである。

  監督自身はこの映画の主題を次のように語っている。「異文化が理解し合える点とそうでない点を描いた。この二人(ジョンとフロール)が分かり合える点の一つが子供の問題だ。」「この映画は道徳的な品位の美しさをうたっている。ジョンとフロールの関係にそれを見ることができる」(DVDの付属映像より)。確かにこの映画は異文化の出会いと衝突を描いている。クリスティーナがナレーションで次のように言っている。「一つ屋根の下には社会が存在しました。無意識のうちに主人と使用人が互いを傷つけ合い、ふとしたきっかけで傷が露呈したのです。」

  ひとつの家に二つの社会(文化)が同居し、それがちょっとしたことでぶつかり合う。互いに無意識のうちに自分の育った文化に基づいて行動するからだ。クラスキー家に入り込んだのが日本人だったらこうはならなかっただろう。長いものに巻かれる日本人、自己主張をしないことで人間関係を保つ日本人なら衝突は避ける。むしろ外国の文化を自国のものよりいいと考えてしまう日本人はアメリカに少しでも早く同化し、英語を話せるようになりたいと考えるだろう。しかしフロールは違った。彼女はいちいち自分の方針に合わないことには抗議する。アメリカはあくまで「外国」であり、アメリカに住みながらも自分たちのラテンの血と文化と価値観を守ろうとする。これは彼女のはっきりとした信念だった。クリスティーナも冒頭のナレーションで、母は「私のラテン的要素が根付くまでメキシコにとどまった」と語っている。国を離れたが、「以来母が”私のメキシコ”」になったのである。フロールは一人のメキシコ人女性として描かれているが、「社会」という表現に表れている様に、彼女には個人を超えた象徴的な意味合いも込められている。

  この主題がよりはっきりと語られる場面がある。クラスキー家の主婦デボラ(ティア・レオーニ)が勝手にクリスティーナを学校に入れる話を進めてしまう。フロールは悩む。彼女はデボラの夫ジョン(アダム・サンドラー)に相談する。「学校に行かせれば2つに1つ。教室であの子だけ変か、他の子に自分を似せてゆくかだわ。」これにジョンは次のように応える。「バーニーの時もそう思った。”変か、同じか”なら変な方がいい。」フロール「まったく同感だわ。」

Kabin1   自らのアイデンティティを捨ててアメリカに同化するのか、たとえ「変」だと見られても自分の育ってきた文化や価値観の根幹の部分を失うまいとするのか。この映画の中で問われているのはまさにこの選択である。ブルックス監督が言うようにジョンとフロールはこの点では同意できる。ジョンは、親が子供のことを心配するのは当然だ、それは親の仕事だとフロールの悩みに共感を示す。フロールは不思議そうにジョンに問う。「人の悩みを理解できる男性は初めて。なぜそう育ったの?」いきなりそう聞かれても簡単に答えられるものではない。ジョンはあっさりと「さあね」と答える。

  しかし物分りのいいジョンとは理解し合えるが、自分勝手なデボラとはしょっちゅう衝突することになる。デボラが築いた夢の城、それがデボラの家だ。採用の面接のためクラスキー家を訪れた時、案内してきたモニカ(フロールの従姉妹)が透明なガラスに気がつかず、思い切り鼻をぶつけて鼻血を出す。曇りひとつなくピカピカに磨き上げたデボラの城。あるいはフロールが初日に出会ったクラスキー家の最新式コーヒーメーカー。まるでロボットのように見えた。

  デボラは郊外に住むアメリカの中流家庭の典型的主婦として描かれている。もちろんかなり誇張されているが、きちんとポイントを抑えた上で誇張されている。バーニー(サラ・スティール)とジョージーという娘と息子の母親。しかし彼女の子育ては物を与え、自分の価 値観を押し付けてただ厳しくするだけ。冒頭の辺りで出てくる場面が面白い。朝ジョンが子供の部屋を覗いてそろそろ起きる準備をしろと言う。起きろとは言わない。そういう気持ちになるだけでいいと。しばらくしてようやく「起きろ」と言う。これにデボラがむくれる。それでは厳しくしている自分がまるで悪役ではないかと。クラスキー家では一事が万事この通りである。なんでも自分の思い通りにしなければ気がすまないデボラ。気が優しくてたいていのことは受け入れてしまうジョン。デボラは自分の価値観を周りの人に押し付ける。ひたすらジョギングをして自分の体型を維持することに夢中だ。その走り方も「邪魔よ、邪魔」とばかりに他人を蹴散らして走っている。経済観念もかなり放漫だ。フロールは週450ドルもらえればいいと思っていたのだが、デボラは650ドルで手を打ってしまう(最初の出会いの場面は傑作、フロールの発音で一騒動を巻き起こす)。

  他人の感情を無視して自分勝手に行動してしまうデボラの典型的エピソードが別に用意されている。ある時デボラが娘のバーニーに服を買ってくる。大喜びする娘。しかしすべてMサイズだった。小太りのバーニーはむくれてしまう。デボラはなぜ娘がむくれるのか理解できない。ジョンとけんかになる。デボラに悪気はない。彼女は娘も痩せたほうが幸せになれると信じ込んでいるのだ。「今がんばれば、Lサイズにならずにすむのよ!」

  デボラは最初からどこか神経症的な性格を感じさせていた。彼女には自分の周りが見えていない。だから自分の価値観を無神経に周りの人間に押し付けてしまう。夫との関係でもそうで、例えば、レストランが「タイムズ」紙で4つ星をゲットした「祝い」に興奮して夫とベッドに入る場面。デボラは一人で盛り上がり一人で「いってしまう」。「おいおい」とあきれた表情のジョンの顔が印象的だ。ある意味で今のアメリカの象徴だ。自分が間違っていないと信じきっているだけに始末が悪い。彼女の性格付けは実に見事だ。おそらく彼女の母親、昔ある程度知られたジャズ・シンガーで相当浮名を流したエヴェリン(クロリス・リーチマン)と過去にいろんな確執があったのだろう。

  デボラが無意識のうちに取る無神経な行動がいちいちフロールの神経に障る。自分に対することなら我慢もできるが、こと娘に関することではフロールは決して妥協しない。それでなくても娘のクリスティーナは英語も達者だし、どんどんアメリカナイズされている。夏の3ヶ月の間住み込むことになったクラスキー家の海辺の別荘にクリスティーナは大喜びだ。勝手なデボラはいきなりフロールの了解も取らずクリスティーナを連れ出し、髪にメッシュを入れさせて帰ってくる。果ては勝手に奨学金を取る手はずを整えてクリスティーナを学校に入学させてしまう。入学祝にデボラがクリスティーナにペンダントを贈るシーンが象徴的。子供にそんな高価なものを贈ることが子供の成長にとっていいことなのかという疑問など彼女の頭に浮かびはしない(フロールたちとの別れの時も「何かプレゼントするわ、コンピュータは?」とクリスティーナに言っている)。子供が喜ぶに違いないと確信している。いや、実際その通りではある。勝手なまねにフロールは怒るが、当のクリスティーナはバスに乗り込む時デボラに何度もうれしそうに挨拶している。一方、母にはついでにといった感じでそっけなく一言言葉を交わすだけ。

  貧しい祖国よりも豊かなアメリカになじんでゆく娘にフロールの不安は募る。自分をしっかり確立しないうちにアメリカの価値観に同化してゆく娘に対する不安。フロールは必死でそれを食い止める防波堤に自らなろうと努める。その矛先はジョンにすら向けられる。海岸で料理の飾り付けに使うガラス片を拾ってきたらお金をやると子供たちにジョンが言うと、まじめなクリスティーナが640ドル分のガラスを集めてきたからだ。子供にこんな大金を持たせるのはよくないと、フロールはジョンに抗議してお金を返させる(もちろんクリスティーナは不満顔)。しかしデボラと違ってジョンの場合は決裂には至らない。むしろジョンは君だって娘の服のサイズを直しただろうと反論すると、フロールは干渉したことを素直に認める。これを聞いて「言い争いの最中に素直に非を認められるなんて、感動した」とジョンは感心してしまう。このあたりから二人の間に微妙な感情が芽生え始める。

  ここから価値観の衝突という主題とは次元の違うもうひとつの要素が加わる。アメリカ映画の常套手段ではあるが、もともと微妙なバランスを保っていた一つ屋根の下にもうひとつ恋愛関係という不安定要素を付け加えるという意味でよく練れたストーリー展開になっていると思う。結論を先に言えばこの問題は節度を持って解決される。ラスト近くで、ハウスIhana キーパーを辞める決心をしたフロールをジョンが自分のレストランに連れてゆき、フロールに料理を振舞う場面が出てくる。その時点では二人とも互いの気持ちを理解し合っている。料理の後二人はソファに並んで座っている。帰ろうとするフロールをジョンが引き止める。床すれすれにソファからたらした二人の足が映される。「床に触ったら現実世界だ、そう急がないで。」しかしクラスキー家を去るというフロールの固い決意は変わらない。彼女は「愛してる」と言って床に足を着け、去ってゆく。

  一方、同じ頃、ジョンの家ではもうひとつの嵐が吹いていた。デボラも不動産屋と浮気をしていたのだ。それに気づいた彼女の母が「あんな良い亭主はどこを探してもいない、こんなことを続けていたらジョンに逃げられてしまう」と忠告する。デボラはあんただって昔は散々遊び歩いていたじゃないの、「みんなママのせいよ!」と激しく非難する。娘のひどい言葉を飲み込んでエヴェリンは娘を抱きしめる。このシーンは感動的だった。その後ジョンにすべてを打ち明けたデボラ。当然ジョンと激しい言い合いになる。フロールが辞めさせてもらおうと腹を立ててやってきたのはまさにそういう修羅場の最中だった。ジョンとフロールがレストランで食事をしている間、デボラは鼻の頭を真っ赤に泣き腫らしていたのである。

  しっかりと自分の考えを持っているジョンとフロールは自覚的に関係を絶つことができたが、デボラの場合はそうは行かない。6時間泣き続けたというデボラをエヴェリンがずっと慰め続けていたのだ。デボラは帰ってきたジョンを、エヴェリンに言われたとおりに「帰ってくれてよかった」と言って迎えた。それぞれ別の部屋に向かう二人。落ち込むジョンに娘のバーニーが「大事なことで心配するのはうれしいわ」と声をかける場面が素晴らしい。母にふりまわされ続けた娘だが優しい娘だった。

  フロールは娘を守るためハウスキーパーを辞める。彼女の判断は正しかったのか?観客の頭にはエヴェリンがフロールに言った「私は私のために生きた。あなたは娘のために。どっちもダメね」という言葉が引っかかっている。エヴェリンがそう言ったのは、学校を辞めさせるというフロールにクリスティーナが泣いて抗議したからだ。デボラとフロール。二人の母親が対比的に描かれている。デボラは無神経に自分の考えを回りに押し付けていたが、それはフロールも同じだった。フロールも娘をアメリカ人家庭から引き離し、無理やり学校も辞めさせてしまった。どちらの母親も娘に自分の価値観を押し付けた。しかし映画ははっきりと二人に違った判断を下している。デボラが否定されていることは明らかだ。もちろん全面否定ではない。子育てや自分の生きがいで悩まない親はいない。完璧な人間などいない。良かれと思って結局は空回りしているデボラの不完全さを映画は決して突き放して描いてはいない。クールで皮肉な視線だが、決して冷たい視線ではない。ではフロールは?

  クラスキー家を出てバス停まで来たときフロールが娘に聞く。「それがあなたの望み?違う人になりたい、私と?」その答えは最初から示されている。映画のストーリーはクリスティーナが大学の入学願書に書いた文章の再現なのである。その論文には自分が尊敬するのは母であると最初に書かれているのだ。そしてこう結ばれている。「私の人格は以下の事実のみに帰結するのです。”私は母の娘”。」

  ヒスパニック系移民はだいぶ前に黒人を抜いてアメリカ最大の少数派になっている。にもかかわらず黒人に比べるとほとんど映画に登場せず、ましてや主人公として扱われることはほとんどなかった。しかしスペイン語はいまや事実上アメリカの第2言語となっており、ヒスパニック系移民たちはアメリカのありようを変えてしまいかねないほどの影響力を持ち始めている。この映画はそういった事情を反映している。

  「スパングリッシュ」は、これまで自分たちより遥かに劣った人種としてしか描かれなかったメキシコ人がほとんど初めて正当に扱われた映画である。西部劇ではひどい場合にはほとんど野蛮人扱いだった。当時インディアンと呼ばれていたネイティヴ・アメリカンたちとさして変わらない扱いだったのである。だからこそメキシコ人とその文化や価値観を肯定的に描いたこの作品は重要な歴史的意義を持っているのである。これから彼らはもっと映画で描かれるようになるだろう。そのほぼ最初の映画が彼らに正当な敬意を払った、しかも映画として優れた作品であったことは長く記憶にとどめるべきである。中南米からのアメリカ移民を描いた先駆的傑作「エル・ノルテ 約束の地」(グレゴリー・ナヴァ監督、93年)はいまだに一般には知られていない。「スパングリッシュ」には同じ運命をたどらせたくない。

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