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2006年7月 2日 (日)

天空の草原のナンサ

2005年 ドイツ 2005年12月公開
監督・脚本:ビャンバスレン・ダバー
プロデューサー:シュテファン・シュシュ
エグゼグティブ・プロデューサー:マーレン・リューチェ、フローリアン・シュナイダー
モンゴル製作主任:バットバヤル・ダバグドルジ
撮影:ダニエル・シェーンアウアー
録音:アンスガー・フレーリヒ、フランク・レゲンテ
編集:ザラ・クララ・ヴェーバー
音楽:ベーテ・グループ
作曲:グンプレブ・ダグバン、ムンフエルデネ・チュルーンバット
出演:ナンサル・バットチュルーン 、ウルジンドルジ・バットチュルーン
    ツォーホル バヤンドラム・ダラムダッディ・バットチュルーン
    ツェレンプンツァグ・イシ ナンサルマー・バットチュルーン
    バトバヤー・バットチュルーン

  劇場公開された時からずっと観たいと思っていた映画である。モンゴルの草原を舞台にした映画といえば真っ先に思い浮かぶのはニキータ・ミハルコフ監督の傑作「ウルガ」(91Arttuioku200aw 年)。それともう1本ある。椎名誠監督の「白い馬」(95年)。当時椎名誠と野田知佑が大好きで、片っ端から彼らの本を読みふけっていたので目に入ってきた映画だ。椎名誠の監督作品は他に「ガクの冒険」(90年)と「うみ・そら・さんごのいいつたえ」(91年)を観ている。彼の原作を映画化した「白い手」(90年)と「中国の鳥人」(98年)も観た。「天空の草原のナンサ」を観たいと思ったときに思い浮かべていたイメージは「ウルガ」と「白い馬」のイメージである。そしてまさにそのイメージ通りの映画であった。もっとも、一面草原しかない世界なので、他のイメージが入り込む余地はないのだが。

  去年出張で中国内モンゴルのフフホト(人口200万の大都市だ)に行ったとき、現地の人から草原を見に行かないかと誘われた。日程が詰まっていてお断りしたが、今も残念でならない。調べてみると内モンゴルで撮影された中国映画「天上草原」(03年)やモンゴル人とベルギー人が監督した「ステイト・オブ・ドッグス」(98年)というモンゴル・ベルギー映画もあることが分かった。まったく知らなかった。

  さて、肝心の「天空の草原のナンサ」。これはモンゴルの草原に暮らす一家の日常生活を淡々と綴った映画である。最初から期待度は高かったが、期待以上に感動した。冒頭の場面から引き込まれる。丘の斜面の上に低く垂れ込めた雲。夕暮れ時。二つの影が現れ何か(どうやら犬だったようだ)を埋葬する。遊牧民たちは死んだ動物が次は人間に生まれ変わるように、尻尾を切り落として葬るようだ。この場面が象徴的である。人間も動物も特に区別はない。たまたま現世でそうなっているだけであって、生まれ変わったときはまた違う姿になる。だから人間は動物と一緒に自然の中で暮らす。輪廻転生。モンゴルではまだこの思想が生活の中で生きている。町の学校からバスに乗って草原の家に帰ってきたばかりのナンサ。このかわいい主人公のマイ・ブームは前世を考えること。母親や近く(実際にはかなり離れているのだろうが、草原ではお隣の感覚だろう)に住むおばあさんに生まれ変わりのことをしきりに質問する。

  ナンサの家族は両親と妹とまだ幼い弟の5人家族。彼らの生活拠点であるテントのような移動住居ゲル(パオは中国語、モンゴル語ではゲルと言う)があるのは見渡す限りの大草原の中。標高2000メートルを越える高原にあるこの大草原は文字通り「天空の草原」。大地は緑に輝き、清らかな水が流れ、天はすぐ手が届きそうなところにある。「天空の城ラピュタ」は地上にあった! まさにそんな感じだ。だが、もちろんそこは空に浮かぶ廃墟ではない。そこは生活の場。家族は子供も協力して家畜の面倒を見たり、牛の乳を搾って牛乳やチーズや作り、燃料には牛の糞を集めてくる。食料も燃料も自前だ。風力による自家発電をしているので電気もあるが、もっぱら夜間に電灯をつけるための電力で、テレビもラジオも電話もない。文明らしさを感じさせるのは1台のオートバイのみ。

  自然の中で動物たちと一緒に暮らしているから成り立つ自給自足の生活である。当然生活は厳しい。母親は新しいひしゃくが欲しいが、近くのスーパーでちょいと買ってくるというわけには行かない。父親が何かの機会に町に出たときに必要な道具などを買ってくる生活である。ちなみに、父親が黄緑色のきれいなプラスチック製ヒシャクを町で買ってくるが、ちょっと目を離した隙になべの熱で溶けてしまう。近代文明は壊れたら捨てて買いなおす使い捨て文明であることが暗示されている。後で父親が古いひしゃくを修理していた。生活が不便で苦しい分みんな一生懸命に働く。お母さんは特に大車輪の活躍である。まだ6歳のナンサでさえ馬に乗って羊たちの世話ができる。おもちゃがなくても牛糞で遊ぶ。画面に映っているすべてが生活なのである。ナンサが母親に言われて牛糞を集めに行く場面が面白い。ナンサは背中に籠を背負って出かける。先端に平べったいヘラのようなものをつけた棒で牛糞をすくってはヒョイと後ろに投げるのだが、これがうまく籠に入らない。それでもそんなことに無頓着なそぶりでどんどん先に行く姿がなんとも可笑しい。

  とにかくあわてない。日本とは違う時間が流れているのだ。父親は町へ羊の毛皮を売りにオートバイで出かけるが、それでも帰るまで何日もかかる。オートバイのスピードもゆっくりだ。父の留守中、代わりに馬に乗って羊を追うナンサも実にゆっくりと進む。馬は走っていない、歩いている。だが、そんな草原の暮らしにもある脅威が密かに進入してきている。最初のあたりで飼っていた羊が2頭狼に襲われて殺される場面が出てくる。狼自体は昔か043205_2 らいたのだが、近頃数が増えてきていることが父親と猟師の話からわかる。狼が増えているだけではなく、人がどんどん都会に出てゆくので、捨て犬が増え、狼の群れに加わっているというのだ。モンゴルにも文明化の波が押し寄せ、人々は草原を出て行き始めた。狼化する捨て犬。

  ここにこの映画の主題が示されている。ただ草原で営まれている伝統的な生活を写し取るだけが狙いではない。この一家の子や孫の時代にはもうこの生活が消滅しているかもしれないという危機感。ビャンバスレン・ダバー監督が克明に遊牧民一家の生活を記録する背後にはこの危機感がある。だからこの映画にはなんとしても今記録しておかねばという使命感に近い情熱が感じられる。だいぶ古い本なのだが、アメリカ研究の古典でレオ・マークス著『楽園と機械文明』(研究社)という本がある。「田園観念」がアメリカ的経験を解釈する上でどう用いられてきたか、その観念が産業社会の影響を受けながらどのように変容して行ったかをたどった歴史的名著である。その冒頭にナサニエル・ホーソーンの『ノートブック』からの一説が引用されている。ホーソーンがスリーピー・ホローを訪ねたときの経験を書いたものだ。彼は森閑とした森の中で瞑想にふけっている。と突然あたりの空気を引き裂くような音が響き渡る。ホーソーンが「不快な悲鳴」と記したその音は汽車の汽笛だった。神聖な処女地に踏み込んでくる近代機械文明。汽車はその機械文明の象徴である。アメリカの歴史は ある意味で西部開拓の歴史だった。自然あふれるアメリカの処女地に文明が入り込み開発されてゆく。自然は切り取られ踏み荒されてゆき(「ダンス・ウィズ・ウルブズ」に出てくる皮をはがれたバッファローの死体が画面の果てまで累々と横たわるシーンは象徴的な場面である)、早くも1920年代には摩天楼が出現する。南北戦争のわずか100年後にはアメリカは世界一の超大国となり、世界一の文明国になっていた。

  西洋人がどかどかと入り込んでくる前にその大陸に住んでいたネイティブ・アメリカンたちは、モンゴルの草原の民と同じように、自然を食いつぶすのではなく自然からの恵みを感謝しながら分け与えてもらって生活していた。いやかつては日本だってそうだっただろう。矢口高雄の名作「マタギ」に描かれた人間と動物と自然の関係は驚くほどモンゴルの草原の生活に似ている。自然に感謝しつつ自然の恵みをいただく。必要以上には狩をしない。獲物をしとめたときには感謝の祈りを捧げる。映画でもゲルを作っていた跡が残る地面(そこだけ草が生えていない)でお礼の祈りを挙げる場面が出てくる。

  「天空の草原のナンサ」に印象的な場面がある。父親は狼に殺された羊の皮を剥ぐ。殺された2頭のうち1頭を草原に置き、鳥たちに捧げる。ハゲワシたちがたちまち群がってきて肉をつつく。おそらく家族だけでは2頭分の肉は多すぎるのだ。あまった食料は動物たちに分け与える。これも自然と動物たちとともに生きてきた彼らの知恵であり儀式なのだろう。チベットに鳥葬という習慣がある。遺体を郊外の荒地に運び、細かく裁断して鳥に食べさせる。「魂の抜け出た遺体を“天へと送り届ける”ため」の儀式である。題名は忘れたが以前中国映画に鳥葬の場面が出てきたのを見たことがある。日本人の感覚からすると遺体を鳥に食べさせるのは残酷な気がするが、生き物はみなどこかで繋がっているという輪廻転生の思想と関係していると思われる。「天空の草原のナンサ」で父親が羊の肉を鳥に与えたのは宗教的な儀式というよりも普段の生活の延長線上にある行為だったのだろう。鳥葬には「多くの生命を奪うことによって生きてきた人間が、せめて死後の魂が抜け出た肉体を、他の生命のために布施しようという思想もあるといわれている」(Wikipediaより)。

  この映画はフィクションであるがノンフィクションを観ている趣がある。監督も演出するとGreen_hillいうよりも自然に撮りたい場面が現れるのを待つという方法で撮影に臨んだようだ。「私の撮り方は「今日はこうしよう」といって撮るのではなく、今の動きを見て、撮りたいと思った時に撮る。それをつなげて、完成させました。やらせではなく粘って粘って撮ったのです。ドキュメンタリーの手法の、良い瞬間を待つ、というやり方で撮りました。子供の動きも私が思いもしなかった、計画していなかったものがどんどん出てきたので満足しています。」

  この映画の魅力は生活そのものが持つ魅力だ。馬車の車輪の下において馬車の重みで押し固めて作ったチーズ。そのチーズを糸で器用に切り取ってゆく場面は思わず引き寄せられるように見入ってしまった。そういう具体的な生活行為ばかりではない。輪廻転生のような考え方が生活の中にしみこんでいる様もしっかりと捉えられている。ナンサがたまたま見つけてきた捨て犬を飼いたいというと父親が狼をひきつけるから捨てろという場面がある。羊が2頭も犠牲になった直後だから無理もない。しかも捨て犬だとすると狼の仲間で ある可能性もある。ナンサは納得できない。「どうしてか分からない」とナンサが母親に言うと、母親は「手のひらを噛んでみなさい」と言う。ナンサは何とか噛もうとするが、どうやっても噛めない。すかさず母親が言う。「全部思い通りにはならないのよ。」あるいは「黄色い犬の伝説」を話してくれたおばあさんにナンサが「私も人間に生まれ変われるかな」と聞くと、おばあさんは針に米粒をかけ始める。針に米粒を乗せてごらんとナンサに言うが、いくらやってもうまくいかない。おばあさんは人になるのはそれくらい難しいことだという。このように言葉を使って理屈で説明するのではなく、実際の行動を通じて理解させる方法には感銘を受けた。おそらく昔から伝えられてきた智恵なのだろう。脚本家が考え出したものではなく、昔の人の智恵が生活に根付いていることに感動する。

  こういう世界で育った子供はなんとも溌剌としている。冒頭休みで町の学校からバスで帰ってきたナンサが母親に学校で字を習ったのを誇らしげに語る場面がある。勉強を嫌がる日本人の子供にはまず見られない姿だ。おそらく強制されていないのだ。知識を得るのが楽しくて仕方がない。子供の本来の姿を見た気がする(昔の子供はこれはどういう意味かと親を質問攻めにしたものだ)。あるいは子供たちが雲を眺めてその形からいろいろなものを連想する場面。ゾウ、キリン、ラクダに乗った子供、馬。どこまでも想像が広がる。僕が一番感動したのはこの場面だ。自然が教室なのである。草原の暮らしの「豊かさ」はここにあるのだと思った。

  この映画はノンフィクションに近いがフィクションでもあるから主題や一応のストーリーもある。記録性と主題がクロスした素晴らしい場面はゲルを解体するシーンだ。真上から見下ろしたショットが見事だった。こんな風になっていたのか。誰もがこのシーンには賞賛の声を惜しまない。ビャンバスレン・ダバー監督はこのシーンにある思いをこめていた。「人と人との絆は細く、切れてしまいやすいものだけれど遊牧民はより深い結びつきをもっていると思います。それがなくなるのは残念なことです。ゲルの解体シーンは、絆が強く結ばれているものが解体されて、遊牧民と共に移動し、移動先でまた強く結び直される----そこに家族の絆を描きたかった。輪廻転生の意味も含めて撮りました。」その意図がうまく伝わったかどうかはともかく、長々と一部始終を写し取った一連の映像は記憶に焼きついている。

  ゲル解体の場面を観ていてロバート・フラハティが撮った記録映画の名作「極北の怪異」(22年)で氷の家を作るシーンを思い出した。解体と逆の作業だが、鋭いナイフでその辺の固めた雪をスッスッとまるで豆腐でも切るように切り分けて、それを重ねて家を作ってゆく。その手つきの鮮やかさ、家の構造の見事さに驚嘆した。ドーム型の家ができると、今度は雪ではなく氷を四角く切り取ってくる。ドームの適当な高さに切込みを入れて、先ほどの氷と同じ大きさに四角く切り抜く。そこに氷をはめ込むと窓ガラスになる。切り抜いた部分も無駄にはしなTm1_1 い。窓の横に縦に突き出すように貼り付ける。初めは日よけかと思ったが、なんとそれは反射板だった。そこで光が反射し窓から家の中に光が入る仕組み。これには本当に感心した。このキャメラの視線には「天空の草原のナンサ」と同じ視線を感じる。まったく自分たちとはかけ離れた世界の生活を驚嘆の気持ちと畏敬の念をこめて記録しようとする視線である。

   「天空の草原のナンサ」にはっきりしたストーリーはこれといってないのだが、ナンサと彼女が拾ってきた子犬ツォーホルが中心に話は進んでゆく。父親は犬を捨てろという。ナンサは捨てる気はない。果たしてどうなるのか。それがストーリーを進めてゆく主たる関心となる。もちろん劇的な展開などないのだが、それでも感心したのは観客をハラハラドキドキさせる場面が二つあることだ。一つはツォーホルがいなくなる場面、もう一つは弟がいなくなる場面。どちらもナンサが犬のツォーホルに気を取られて面倒を見なければならない羊や弟から目を離してしまうことになる。何か重大な事故が起こるのではないか。そんな気がして観客はハラハラするのだ。前者は何事もなく済んだが(むしろ例のおばあさんと出会うきっかけとなる)、後者は馬車に乗っているはずの弟がいなくなるという大変な事態となる。結末は言わないでおこう。どちらも淡々とした中にメリハリをつける効果を持っている。ただ後者はいかにも演出という感じであり、またうまく話をまとめるための手段という感じで、いまひとつ感心しないが。

  監督のビャンバスレン・ダバーはモンゴル出身。もっともウランバートル生まれだから遊牧民の暮らしは直接知らない。ただ彼女の祖母は遊牧民の生活をしていたようである。ウランバートルの映画芸術大学で学んだ後、奨学金制度が充実しているドイツに渡り、ミュンヘン映像映画大学ドキュメンタリー科でさらに映画を学んだ。卒業制作として撮った「らくだの涙」が注目を集めたが、残念ながらまだ観ていない。何度も手には取ったのだが借りる決心が付かなかった。

  考えてみれば、「天空の草原のナンサ」のような映画を歓迎するのは先進国や都市部に住む人たちではないか。実際に草原で暮らしている人たちは却ってハリウッド映画のようなものを面白がって観ているかもしれない。ちょうど日本で高く評価されているイラン映画が一般のイラン人には退屈な映画だと思われているのと同じように。

  何もない草原での生活は映画で観ている分にはあこがれるほど素晴らしく見えるが、実際に1ヶ月も暮らしてみれば辛くて退屈で死にそうになるだろう。ごみごみした街に暮らし、せわしない生活に追われる日本人にはこの種の映画は一種の癒しのような効果を持つ。そういうつもりではなくても、実際には無意識のうちにそういう文脈の中で観ている。現地の人にとってはなんでもない当たり前のことがわれわれにはどれをとっても魅力的なものに見えてしまう。ただ日常のことを描き綴っているだけの「天空の草原のナンサ」を素晴らしいとほめるのは、都会人の現状脱出願望の裏返しに過ぎない、そう言えないこともない。いや実際その通りで、これは否定できない。しかしこの映画を観ながらわれわれはやはり自分たちの日々の生活や自国の文化を見つめなおしている。それは意味のあることだ。現実には実現できない夢を与えるのは映画が果たす重要な機能の一つでもある。夢を見るのは悪くないことだ。

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コメント

latifaさん コメントありがとうございます。TBはうまく入らなかったようです。ごめんなさい、どうも相性があるみたいですね。時々こういうことがあります。

フフホトには今年も行ったのですが、やはり草原には行けませんでした。仕事を離れて観光で行ってみたいものです。草原を舞台にした映画は開放感を感じるのかどれもすばらしいですね。日本は全体に山が多く、平地にはビルが立ち並んでいるので、一面何もないという景色自体憧れます。そして素朴な暮らし。映画を見ている間心地よい時間をすごせました。

こんにちは、ご出張で中国内モンゴルのフフホトに行かれた事があるなんて、とても羨ましいです!
白い馬は未見なのですが、ウルガと、このナンサ、楽しく見ました。TBさせて下さいね^^

ほんやら堂さん TB&コメントありがとうございます。

日本人は基本的に農耕民族ですが、遊牧民族のモンゴル人の伝統的な生活や草原の魅力には強く惹かれるものがありますね。

しかしそういった伝統や生活もいまや失われつつあります。伝統と発展、豊かさとは何か、という問題を考えさせられる映画だと思います。

ゴブリンさん.TBありがとうございました.
当方からは何回もTBをお送りしたのですが,反映されず,今回ようやく反映されたようです.
モンゴルの草原というのは,日本人にとって不思議な親近感のある場面ですね.義経=ジンギス・カン説の影響かも知れない.
この映画は,そういう点でも印象深いものでした.

 mimiaさん コメントありがとうございます。
 壁紙がナンサとツォーホル!きっとPCを立ち上げるたびに癒されるでしょう。僕も探してみます。
 「ククーシュカ」が劇場で観られるのですか。うらやましい。ひたすらレンタルを待つ身は悲しい。

こんにちは~ご覧になったんですね。『ナンサ…』は今年の一押しかもしれません。ちなみにうちのPCのディスクトップはナンサとツォーホルです。

ゲルの解体シーンは見事でした。ビャンバスレン・ダバー監督のそんな思いがあったのですね。再度感激です。
ニキータ・ミハルコフの『ウルガ』も椎名誠の『白い馬』も大好きです。特に『ウルガ』は初めてのモンゴル映画、おおらかなSEXに地球の広さを感じました。(笑)
モンゴル、いいですよね!

横スレでごめんなさい。来月こちらでも『ククーシュカ』来るんですよ。楽しみ~!

 弓木さん コメントありがとうございます。
 たまにはこういう映画を観て心を洗い流す必要がありますね。ナンサたち3人の姉弟は本当にかわいい。贅沢を知らないとあんな素直な子が育つのでしょう。
 「ククーシュカ」は僕も楽しみにしている映画です。DVDになる日が待ち遠しい。

こんばんは。これはホントに胸を打つ良作ですよね。
僕はさいきんシベリア少数民族の民話や文化にハマっているけど、この映画のモンゴル人や、『ククーシュカ』のサーメ人とも共通する部分が多いです。
生きた人間の世界と、死者-動物霊の他界が、等価で釣り合っているという世界観。天への通路である柱=世界樹。そこを自由に行き来する鳥=シャーマン。東京暮らしの反動でしょうか、憧れてしまいます。
ナンサとその妹・弟はもーれつに可愛かったです。撫で回したくなりました。

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