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2006年3月 4日 (土)

ヴェラ・ドレイク

ranpu-1 2004年 フランス・イギリス・ニュージーランド
監督・脚本:マイク・リー
製作:サイモン・チャニング・ウィリアムズ、アラン・サルド
撮影:ディック・ポープ
編集:ジム・クラーク
美術:イブ・スチュワート
音楽:アンドリュー・デュラン
出演:イメルダ・スタウントン、フィル・デイヴィス、ピーター・ワイト
    エイドリアン・スカーボロー、ヘザー・クラニー、ダニエル・メイズ
    アレックス・ケリー 、サリー・ホーキンス、エディー・マーサン
    ルース・シーン、ヘレン・コーカー、 マーティン・サヴェッジ
    ジム・ブロードベント

  「ヴェラ・ドレイク」が提起している問題を理解するには人間と動物を比較してみると分かりやすい。動物は交接をし、メスが妊娠して子供を産む。生まれた子供を天敵から守り育てる。生き抜いた子供は大人になりまた子供を産む。これが自然のサイクルである。必死で川をさかのぼり、ぼろぼろになった体で産卵した直後に一生を終えるサケを見ていると、子供を産むために彼らは生きているとさえ思えてくる。動物は避妊をしない。人間だけが避妊をする。なぜなら人間は道徳や法という自然には存在しないものを作り出したからである。道徳は人間社会の秩序を保つために必要なのである。法律はこの道徳と無関係ではない。今では合法とされることが、かつては違法だったことはいくらでもある(もちろんその逆も)。これはまた国や宗教によっても異なる。法律は決して普遍的なものではない。

  道徳や法が崩壊すれば秩序は乱れる。逆に言えば、そうしなければ秩序が守れないほど人間は欲望に駆られた存在なのである。大きな殺傷能力のある武器を開発したり、その武器を使っていくつものグループが互いに抗争を繰り返したり、あるいは麻薬で自分の命を縮めたり、自殺したり、自分の欲望のために他の個体のものを奪ったり殺したり、他の固体を奴隷のように使ったり、このような行為をすべて行っている動物は人間以外に存在しない。強いものが他を支配したり、縄張り争いをしたりする動物はあっても、このような行為をすべて行っている動物はない。道徳や法などなくても秩序は保たれている。彼らの基本原則は種の保存である。

  道徳で縛れば秩序は保たれるが、その秩序から外れたものは哀れである。婚姻関係なしに妊娠した女は世間から非難を浴び、場合によっては堕ちるところまで堕ちていかざるを得ない。特に因習的な道徳観念と宗教の戒律に縛られ、女性が経済的に自立することが困難だった時代には陽のあたる場所に「道を外れた」彼女たちのいる場はなかった。もっとも、裕福な家庭の娘たちにはそれでも逃げ道はあった。「ヴェラ・ドレイク」では何人もの女性が人知れず子供を処理するが、金持ちの娘が合法的に処理するエピソードも出てくる。1929年の法改正で「妊娠出産が母体の命を脅かす危険があると医師が診断した場合のみ合法とする」とされた事が彼女たちに逃げ道を与えている。医師が娘にあれこれ質問していたが、一応段取りを踏んだ上で「母体の命を救う」という名目で堕胎手術をしたということだろう。もちろん手術代は庶民には手が出ないほど高額である。貧しい人々はこっそりとヴェラの様な人たちの世話になるしかなかった。法律は支配者たちの都合のいいように作られているという事実が実に明快に描かれている。金があれば無難に処理できるが、金のないものはもぐりで処理しなければならない。道徳も法も金次第なのである。

  さらに重要なのは、その金持ちの娘の場合、男が無理やりにセックスを迫ったことが描かれている。何も彼女の場合だけがそうなのではない。ヴェラに頼った貧しい娘たちの多くも似たようなケースであることは想像できる。問題は、男はまったくお咎めなしであるということである。厄介な「結果」はすべて女性が背負わなければならない。道徳と法は性のダブル・スタンダードと分かちがたく結びついている。「ヴェラ・ドレイク」が切り込んだのはまさにこの道徳と法と「秩序」をめぐる問題である。

  道徳は秩序を維持するが、一方で人間の自由を制限する。ガルシア・ロルカ原作のスペイン映画「ベルナルダ・アルバの家」(1987年、マリオ・カムス監督)のテーマはまさにその問題だった。夫を亡くしたベルナルダは8年間の喪に服し、その間娘たちを一歩も外に出さなかった。長女の結婚相手はベルナルダが勝手に決めた。末娘がこの厳しい「戒律」を破り、長女の結婚相手と愛し合い悲劇的な結末を迎えた時、ベルナルダの家の秩序は崩れ始める。道徳と法には当然宗教の戒律が絡んでいる。がんじがらめの牢獄のような世界を見事にこの映画は描いていた。

  「ヴェラ・ドレイク」は同じテーマに別の角度から切り込んだ。彼女の行為は裁かれるべきものだったのか、彼女を裁いた法は正しかったのか、行き場のない娘たちはどうすればよかったのか、ヴェラのような女を取り締まりさえすればこのような問題はなくなるのか。「ヴェラ・ドレイク」の投げかけた問題はこのようなものだった。ヴェラ(イメルダ・スタウントン)を取り調べた警部補(ピーター・ワイト)は決して高圧的ではなかった。法に従い淡々と事実を確認してゆくだけである。法廷で彼女に有利な証言をしたことからも、彼が彼女にむしろ同情的であったことが分かる。彼女に付き添う婦人警官も終始同情的な表情でヴェラを見ている。ここに製作者たちの立場が暗示されている。

  この映画は堕胎そのものの是非を問う告発ドラマではない。ましてやヴェラと家族の絆を描いただけのホームドラマでもない。堕胎という問題は一つの契機にすぎない。道徳、法、社会の秩序、性のダブル・スタンダード、階級といった大きな問題がこの一人の女性が行った行為と分かちがたく結びついていること、これらの大きな問題を抜きにしてはヴェラの行為そのものも、彼女をその行為に駆り立てた女性たちの不幸な現実も、それを裁いた法も、その法によって支えられている社会も、本当には理解することはできないことを提起したリアリズム・ドラマなのである。リアリズムを単に事実を事実として客観的に描く手法だと矮小化して捉えてはならない。リアリズムは、どんな個人もその個人が行う行為もすべて社会と時代との関連の中で捉え、表層の下に隠れている隠された真実を抉り出す創作法である。

  マイク・リー監督はオフィシャル・サイトのインタビュー記事で、「『ヴェラ・ドレイク』は1950年の物語ですが、現在にも通じる問題ですね?」と問われて次のように答えている。

  どんな時代よりも今最も関連の深い問題と思っています。私たちはいつも普遍的な問題を扱っているのです。必要に迫られた人間は中絶を行うことが出来るというのは事実ですが、痛み全体を軽減するものではありません。道徳的なジレンマという問題があります。私が映画でやろうとしている事は、この道徳のジレンマという問題とソフトなやり方で、観客と向き合う事です。人の頭を棍棒で殴ったりするよりもね。私の映画は「善玉と悪玉」の話ではありません。それは善悪について、誰もがもろい存在であるということについての物語です。私は「ヴェラ・ドレイク」を意図的に特別な感情を排して作り、安直な答のない道徳的ジレンマについて、問題提起を行ったのです。

  「安直な答のない道徳的ジレンマ」という表現は実に多くのことを示唆している。彼はこの問題を、単純に白黒をつけられない問題だと捉えている。なぜならば、上に指摘した様々な要素が分かちがたく絡みついているからだ。ヴェラたちを一掃しても問題は解決しない。望まない子供を妊娠する女性たちがいなくならない限り、第2、第3のヴェラたちがまた生まれてくる。その中にはヴェラよりももっといい加減で危険な「処置」を施す女も多数混じっていrashinban2 るはずだ。その根本的な問題が解決されない限り、ヴェラたちはむしろ社会に不可欠な存在なのである。法がどんなに否定しようとも、彼女たちは社会の安全弁の役割を果たしているのである。それが分かっているからこそ、警部補たちは彼女を手荒に扱わなかったのである。そうでなければ、世の中に父親のいない子供を抱えて社会の最底辺で暮らしていかざるを得ない女性が絶えないことになる。何しろその原因を作った無責任な男どもはなんら咎めを受けずに野放しにされているのだから。

  ヴェラは確かに同情に値する。ひたすら家族の幸せを心から願い、寝たきりの母や身内ではない近所の人の世話までしている実に親切な女性である。地味で平凡な一人の主婦に過ぎない。堕胎の処置にしてもおそらく彼女は重大な罪を犯しているとは思っていない。あくまで彼女の親切心から出た自然な行為だった。だから堕胎行為を認めさせようとする警部補にヴェラは、「そうじゃないんです。あなたはそう言うけど、人を助けただけ。私が助けなければ他に誰もいないんです」と答えるのである。堕胎は彼女にとって近所の困っている人に親切にしてやるのとほとんど代わらない行為なのである。金を受け取っていないのも、単に人助けをしているだけと思っているからだろうし、払おうにも貧しくて払えない人が多いからだろう。もちろん違法であることは知っているから誰にも秘密にしているが、彼女には罪を犯しているという意識はほとんどなかっただろう。むしろ困っている人を救っていると思っていたはずだ。

  刑務所の中で同じ罪で投獄された女性たちと話をしていることを見ても、こういった行為を行っていた女性は他にもかなりいたことが分かる。しかも金具で引っ掻き回すなどの危険な処置を施していたに違いない。そういうことを合わせて考えてみても、ヴェラはどう見ても悪質な犯罪者ではない。だからといって、この映画が訴えているのは、ヴェラのような親切な人を逮捕するのは間違っているという単純なことではない。それでは、もっとひどいやり方で堕胎を行い、金まで取っている女なら逮捕してもいいということになる。堕胎を行った人物の人柄やそのやり方は問題の本質ではない。なぜなら、上に書いたように、ヴェラのような女たちを一掃しても問題は解決しないからだ。これ以上子供を産んでも育てられない主婦やレイプされた娘たちが後を絶たないという問題、子供を産むくらいなら自殺をしたほうが良いと娘たちが言わざるを得ないほど彼女たちを追い詰めている冷たい「世間の目」(社会の因習的規範)がなくならない限り、堕胎を行う女を逮捕するという対処療法をいくら行っても問題は解決しないのである。腹を刺されてのた打ち回って苦しんでいる人に、何の治療も施さずにただ痛み止めの麻酔をうっても何ら解決にならないのと同じだ。解決するには腹の傷そのものを治療する以外にない。その肝心な処置を怠って痛みだけ止めても、そのうち痛みどころか命までなくしてしまう。逃げ出したいほどの不安に駆られながらも、ヴェラのところにやってくる女たちが後を絶たないのは、それ以外に解決の道がないからである。それが分かっているからヴェラは、困っている彼女たちを無償で「助けて」いるのである。彼女の元を訪れる女たちは崖っぷちに立たされ、崖から飛び降りる思いでやってくるのだ。彼女たちにとって死活の問題なのである。

  この映画に悪人は一人も登場しない。前述したように、彼女を逮捕した警部補も彼女に付き添う婦人警官も彼女に同情的だ。問題は個人ではないのである。社会の制度がゆがみをもたらしており、警部補も婦人警官も裁判長もそのシステムの中で自らの役目を果たしているだけに過ぎない。法が彼らを動かしている。間違っているのは社会ではないのか。この映画が根本的に問いかけているのはこのことである。社会的に弱い立場にある貧しい人々はそのゆがみの間に挟まれて身動きが取れない。ましてや、貧しい人々の中でさらに弱い立場である女性は二重の差別をされているがゆえにより多くの犠牲者を生み出す。金持ちが国を支配し、彼らの都合の良いように法と道徳を作っている限りは後から後からまた犠牲者が生まれてくる。

  ヴェラが法廷で戦っていたのは警部補でも裁判官でもない。社会であった。社会の仕組みのエッセンスである法と戦っていた。彼女を裁いたのは法と社会だ。だからヴェラは何もいえなかったのである。夫との夫婦喧嘩ならいくらでも言い返せようが、教養もない彼女には、社会の歪んだありようを告発して自分の言い分を理路整然と述べ立てるなんてとてもできない。自分は困っている人を助けただけだと言うのが精一杯なのだ。何より、愛する家族にとんでもない迷惑をかけたという思いが彼女の胸をふさぎ、声に詰まってしまうのだ。だから、夫に自分の犯した罪を打ち明けるところではほとんど声にならず、夫は顔を近づけて聞き取らねばならないほどだったのである。彼女にはただ泣くことしかできない。だが大事なのは彼女の言ったことは真実だということである。困っている人を助けて罪に問われるのならば、法のほうが間違っている。泣くばかりで何もいえない彼女にそれでもわれわれが共感するのは、彼女が親切でやさしい人だからではなく、彼女は間違っていないと思うからである。もちろんここで言っているのは堕胎が正当かどうかということではない。前述したように、堕胎の是非自体が問題になっているわけではない。学校で進化論を教えることが違法かどうかをめぐって争われた裁判を描いた名作「風の遺産」同様、問われているのはヴェラではなく法である。

  映画の後半は警察の取調べと家族の反応をじっくりと時間をかけて描く。このあたりのイメルダ・ スタウントンの演技は圧倒的である。「いつか晴れた日に」や「恋におちたシェイクスピア」などに出ていたようだが、まったく記憶がない。初めて観たような気がした。舞台やテレビを中心に活躍してきた人で、舞台で多くの賞を受賞している。イギリスでは大変有名な女優だそうである。ジュディ・デンチに似たタイプだが、おそらく女優としてもあの大女優に引けを取らないと感じた。

  彼女の家族たちもみな素晴らしい。特に夫のスタン(フィル・デイヴィス)、その弟のフランク(エイドリアン・スカーボロ)、娘の婚約者である一人暮らしの青年レジー(エディ・マーサン)の3人が素晴らしい。ヴェラが逮捕された後の彼らの態度は実に立派だった。裏切られたとばかりに「汚いよ」と母親を罵倒する息子のシド(ダニエル・メイズ)を父親が説得する場面、レジーが「僕の人生で最高のクリスマスです。ありがとうヴェラ」と言う場面などは感動的ですらある。家族愛の強さに胸を打たれる。しかし忘れてはいけないことがある。こう考えてみてほしい。もしヴェラが犯した犯罪が、たとえば3人の人を殺してその金品を奪い死体を地中に埋めたというようなものだったら、果たして夫はここまで彼女を弁護しただろうか。彼は母親を非難する息子に「ママの心が優しいからだ」と諭す。「家族の恥だ」と息子が怒鳴ると、「違う」ときっぱり否定した。彼は妻が罪を犯したことを認めながらも、その罪は許しうると思ったのだ。彼にその思いがあったからこそ動揺する他の家族を説得することができたのである。彼は、尋問をしながらもヴェラに同情せざるを得なかった警部補と同じ心境だったのだ(もちろん夫だからそれ以上の気持ちも当然あるが)。悪いのは彼女ではない。家族愛の深さに流されて、この点を見逃してはいけないと思う。

  法は彼らの家族からかけがえのない一人を奪い去った。ラストシーンは家で家族がテーブルを囲んで無言のまま座っているシーンである。何人もの人が映っているにもかかわらず物寂しさを感じざるを得ない。彼らにとって大事な存在が欠けているのだ。埋めがたいほどの喪失感。しかしそこにはレジーがいた。事態がこのようになった以上、彼がこの家を去って行っても責められなかっただろう。しかし彼は踏みとどまっている。そこにわずかな希望が見出せる。彼はきっとヴェラの娘と結婚するだろう。家族の顔に笑顔が戻ってくるに違いない。

<付記>

 もし興味があれば本館HP「緑の杜のゴブリン」の「電影時光(映画エッセイ)」コーナー所収の「ヴェラ・ドレイクに声ありせば」もお読みください。もしヴェラが肝っ玉おっ母タイプだったら裁判でこうまくし立てただろうと想像して書いた戯れ文です。

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