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2006年2月12日 (日)

ラスト・マップ/真実を探して

kikyou004 2004年 アメリカ
原題:Around the Bend
監督、脚本:ジョーダン・ロバーツ
製作総指揮:マーク・ギル
撮影:マイケル・グラッディ
出演:ジョシュ・ルーカス、クルストファー・ウォーケン
    マイケル・ケイン、ジョナ・ボボ、グレン・ヘドリー
    デヴィッド・エイゲンバーグ、ロバート・ダグラス

  フランス映画にジャン=シャルル・タケラ監督の「C階段」(1985)という作品がある。パリのアパルトマンの一角にあるC階段と呼ばれる棟。そこに住む美術評論家フォステールはルノアールの絵をくそみそにこき下ろすようなひねくれた男だ。彼は同じアパートに住むユダヤ系の老婦人がある日突然自殺しているのを発見する。行きがかり上、老婦人を彼女の生前の望み通りイスラエルに埋葬してやろうとして、彼はいろいろと奔走する。イスラエルのある丘の上で彼が彼女の遺灰を撒いているラスト・シーンは感銘深い。なかなかの佳作であり、いかにもフランス映画らしい薫りをもった作品である。

  トルコ映画の傑作「遥かなるクルディスタン」(1999)では、映画の後半、トルコ人の青年がクルド人の友人の亡骸を故郷に埋葬してやろうと棺に入れて運んでゆく。しかしやっとの思いで着いた友人の故郷は、何とダム湖に沈んでいた。家や電柱などの上部だけがかろうじて水面に顔を出している。主人公の青年はしばし呆然としていたが、やがて決意したように棺を湖に流す。

  死者を故郷に葬ろうと他人が努力する。同時に、二つの映画ともそこに至る過程を通して主人公たちの心の変化を描いている。祖父の遺灰をまくために主人公が父と息子と共に旅に出る「ラスト・マップ/真実を探して」もよく似た主題を描いている。親子4代の物語だが、映画が始まった時この家族には亀裂が入っていた。

  レア家の男性4世代。遺跡発掘に情熱を燃やした変わり者の家長ヘンリー(マイケル・ケイン)、30年ぶりに突然帰ってきたその息子ターナー(クリストファー・ウォーケン)、銀行員でスクエアな性格である孫のジェイソン(ジョシュ・ルーカス)、そしてひ孫のザック(ジョナ・ボボ)。

  冒頭の場面はヘンリー、ジェイソン、ザックの日常生活を描いている。マイケル・ケインが独特の飄々とした味を出している。若い頃はさっそうとして、いかにも上流育ちという役が似合っていたが、すっかり爺さんになった最近は「サイダーハウス・ルール」や「ウォルター少年と、夏の休日」などで温かみのあるキャラクターを演じてきた。もっとも、「リトル・ヴォイス」ではどこか胡散臭いプロモーターを演じていたが。とにかく何をやらせてもうまい。ここではどこか憎めない偏屈爺さんぶりを発揮している。デンマークから来た家政婦のカトリーナ(グレン・ヘドリー)に身の回りを看て貰っているが、どうやらちょくちょく手を出しているようだ。生意気盛りのひ孫のザックに変な言葉を教えたりして、まじめなジェイソンにしょっちゅうたしなめられている。カトリーナもホラー映画を観ながら涙を流す変わった人物。このあたりはコミカルな演出が効果を発揮している。

  ところが突然ジェイソンの父ターナーが30年ぶりに家に帰ってきて、家族の空気が一変してしまう。どうやら過去に何かいきさつがあるようだ。ヘンリーは彼を歓迎するものの、ジェイソンは彼に何かわだかまりを持っている。彼らを包む空気は重い。

  ジェイソンが友人と酒場で酒を飲むシーンで事情が少し明らかになる。ジェイソンは友人にターナーを親じゃないと言い放つ。「2歳の時の事故で僕は足を怪我し、母は死んだ。その後ターナーはヤク中になって消えた。」友達は「ダース・ベイダーはルークを育てなかったけれど、それでも心で繋がっていた」といってとりなそうとするが、ジェイソンの暗い表情は変わらない。

  そのターナーを演じるクルストファー・ウォーケンがこれまた独特の渋さを発揮して抜群の存在感である。どこか謎を秘めた暗く深みのある表情。ずいぶん皺が増えたが、女優と違って男優の場合年齢を重ねると人生の重みの様なものが加わり、若い頃よりも役者としての深みが加わる。マイケル・ケインの飄々とした持ち味とはまた違うが、クルストファー・ウォーケンのどこか不気味で、食いつくような凄みのある顔と底知れない謎を秘めたような佇まいは映画の中盤から後半を引き締めている。ジェイソンを演じたジョシュ・ルーカスは「ビューティフル・マインド」、「メラニーは行く!」、「ウォルター少年と、夏の休日」、そして「ステルス」などに出演している上昇株。しかし名優二人に囲まれてはさすがに分が悪い。何とか無難にこなしたという印象だ。

  ターナーは一晩だけ泊まってまた去ってゆくつもりだったが、とんでもない出来事のためにジェイソンとザックを連れて旅に出るはめになる。ヘンリーが突然死んでしまうのだ。ターナーに露骨な嫌悪感を示すジェイソンに「支え合うのが家族だ」と言い聞かせたヘンリーは、レストラン(KFC)で遺書を書き残して死ぬ。ヘンリーの遺書には、彼と彼の愛犬スカイの遺灰を持って幾つかの場所へ行き、そこである儀式をして彼とスカイの遺灰を撒けとあった。それと前後して一つの伏線が張られている。どうやらヘンリーとターナーの間には「階段」をめぐる何かがあるらしい。アルバカーキの階段。それが何を意味するのか最後に明らかになる(途中である程度予測できてしまうが)。観客は最後までその謎に引きずられることになる。

  ターナーとジェイソンとその息子のザックは日本ではまず見かけないものすごいオンボロ車で旅に出る。錆だらけの車だ。ここから作品の基調がロード・ムービーに変わる。運転しながらターナーは球形のラジカセで昔の曲をがんがん大音量でかける。食事はいつもケンpocketwatch3 タッキーFCだ。これもヘンリーの遺言で指示されている。ヘンリーの遺書に振り回される奇妙な弔い旅行。最初に指定された場所はヘンリーの妻の墓、次はヘンリーと妻が出会った農場・・・。行動を共にしつつもジェイソンとターナーの仲は冷え切っている。ジェイソンはモーテルに泊まった時ターナーを別の部屋の泊まらせる。その翌日、ジェイソンはターナーの財布から幼い頃のジェイソンの写真を見つける。裏には「マイ・ボーイ」と書いてあった。その時からターナーに対するジェイソンの態度は変わる(ありがちなエピソードでうまい展開とはいえないが)。

  この映画はしばしばロード・ムービーと評されるが、ロード・ムービーとしてはさほどいい出来ではない。次々に訪れる場所にジェイソンたちも観客も何の感慨も持てない。ヘンリー個人の思い出の場所だからだ。途中のエピソードも、あるホテルで別の遺灰をまいてくれと頼まれたり、その次のところで犬をひろったり(灰と引き換え)するだけで、これといって意味があるシーンはない。シナリオを練るのに10年かけたというわりには、あちこち穴が目立つ。却ってあちこち書き直しすぎてストーリーの流れがずたずたになっていたのかもしれない。あるホテルでターナーがピアノを弾く場面は印象的だが、映画のテーマやストーリーの流れと十分深いかかわりを持っていないので(要するに説明不足)孤立したエピソードで終わっている。

  最終目的地であるニューメキシコ州のアルバカーキで「階段」の意味が明かされる。ターナーの言った「父は過去を掘り返したがる」という言葉、ヘンリーが残したメモに書かれた言葉、わざわざアルバカーキまで旅をしてきたこと、警察がターナーを探して留守宅を訪ねてきたこと、これらが最後に一点で交わる。思えばずっとヘンリーに操られた旅だった。彼ら3人の背後には終始ヘンリーの影があった。そして「支え合うのが家族だ」という彼の遺志が。ヘンリーがレストランで書き残した言葉:ターナー、ジェイソンそれぞれにあてた手紙とメモ、場所を示す赤いメモ、そこで行う儀式を示した青いメモ、最終目的地が示された地図。すべてはこれに沿って進んでいった。彼らの旅は封印された過去へ向かう旅であり、同時に家族の絆の再生という未来に向かう旅でもあった。家族の間にあったわだかまりがこの旅によって徐々に剥がれ落ちてゆく。

  過去を知り、それを乗りこえたジェイソンはターナーを乗せてメキシコ方面に向かう。ある岩を目指していた。突然家に帰ってきたターナーの最終的な目的地はそこだった。それはターナーの思い出の岩だった。「かつてあの場所(岩盤)で最愛の女と最高の夜を過ごした。」しかしその岩に行き着く前にターナーは死ぬ。彼の腎臓はもう機能を果たしていなかったのである。透析治療を受けていたのだが、抜け出してきたのだ。後日ジェイソンは息子のザックを連れて再びこの岩のところにやってくる。二人はターナーの遺灰をその岩盤の上から撒く。夕暮れの空に浮かび上がる巨大な岩盤。「C階段」を思わせる、深く心に残るシーンである。

  ラストシーンに至る最後の部分は美しい夕焼けの映像の効果もあってなかなか感動的である。見終わった直後は拾い物の傑作だと思った。しかしレビューを書いているうちにいろいろ欠点が見えてきた。マイケル・ケインとクリストファー・ウォーケンという名優を二人もそろえ、しかもそれぞれに素晴らしい働きをしたにもかかわらず傑作に至らなかったとしたら、やはり脚本が弱いのである。ファミリー・ドラマはアメリカ映画の定番である。たくさんの傑作が作られてきた。新たな傑作を生むためには新しい工夫を盛り込んだ脚本が必要である。ヘンリーの残した謎めいた遺書とメモは道具立てとしては悪くないが、肝心の謎の核心があまりに単純で底が浅い。散々その謎で引っ張ってきておいてありきたりの結末。クライマックスの持っていきかたを誤ったと言っていい。脚本の一番の問題はそこにある。むしろもっとロード・ムービーとしての性格を強くして、旅の終点ではなく、旅のプロセスでそれぞれが何かを発見するという展開にしたほうが良かったのではないか。例の謎は旅の途中で早々に明らかにしてしまった方がいい。家族の再生はそこから始まるのだから。互いに傷を背負いながらそれを乗り越え、何かを求めてさすらう旅。それぞれの思いは離れたり、また交錯したり。そして旅の終わりに何らかの結論が待っていなくてもいい。旅は終わっても人生は続くのだから。

  家族の絆というテーマでは、例えばジェイソン以外の3人がそれぞれ踊るシーンが出てくる。ここに家族の絆が暗示されている。世代が違うから踊りも違う。最後に踊るのはひ孫のザックだ。岩の上で彼が踊るラストシーンは家族の血のつながりを示している。映画の中でtribeという言葉が何度も使われていた。familyという同時共存的響きのある言葉に対して、tribeは先祖から代々受け継がれてきた血のつながりを強調した言葉だ。「家族」よりも「一族」に近い響きを持った言葉である。代々伝えられてきた踊りという絆。この描き方は悪くない。だが、もう一つ効果的ではない。映画全体のテーマの流れに今ひとつうまくはめ込まれていないからだ。先ほどのピアノのシーンと同様、そこだけが浮き立ってしまっている。

  監督のジョーダン・ロバーツはこれが初監督作品。脚本も担当している。いろいろ不満を書いたが、第1作としては決して悪くない。もっと直線的でないひねりの効いた脚本が書ければいずれ傑作を生み出すかもしれない。

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