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2005年11月20日 - 2005年11月26日

2005年11月26日 (土)

あの頃名画座があった(改訂版)③

◆74年rose
 年が明けて74年になると、ようやく他の映画館にも行きはじめた。1月23日に飯田橋の「佳作座」で「最後の猿の惑星」と「ソイレント・グリーン」を見ている。「佳作座」はあまりラインナップがよくなく(よく「駄作座」と呼んでいた)、それまで入ったことがなかった。今はもうなくなってしまったが、飯田橋駅の向かい側、東京理科大のそばにあった。近くのポルノ専門館だった「銀鈴ホール」が今も「ギンレイホール」として続いているのは何とも皮肉だ。2月10日には「銀座文化」で「スケアクロウ」を見ている。ここはロードショー館だが、ラインナップがよく、度々見に行った。2月13日に「有楽シネマ」でチャップリンの「独裁者」。有楽町駅からマリオンへ行く途中のビルの二階にあるロードショー館でよく通ったが、これも今はない。

  2月15日に後楽園シネマで「バイカルの夜明け」を見た。当時後楽園で大シベリア博覧会が開かれており、それにあわせて大シベリア博記念特別番組と銘打ち、「ソビエト名作映画月間」として23本のソ連映画が上映されたのである。今では珍しくはないが、その頃はソ連映画を見る機会は極めて少なく、これだけ大規模にソ連映画を上映するのはおそらく画期的なことだったと思われる。3日交替でプログラムが替わるのだが、春休みに入っていたので最初の3本(「シベリア物語」「おかあさん」「大尉の娘」)を除いて全部見た。文字通り平均3日おきに通ったのである。観た作品のタイトルを挙げると、「湖畔にて」、「戦争と平和」、「遠い日の白ロシア駅」、「戦争と貞操」、「大地」、「アジアの嵐」、「戦艦ポチョムキン」、「復活」、「外套」、「貴族の巣」、「人間の運命」、「リア王」、「ハムレット」、「ワーニャ伯父さん」、「罪と罰」、「小さな英雄の詩」、「子犬を連れた貴婦人」、「がんばれかめさん」、「ルカじいさんと苗木」。80年代に三百人劇場などで大規模なソ連映画祭が開催されるようになったが、そこでも取り上げられなかった作品が多く含まれており、DVD化も当分望めないので貴重な特集だった(「リア王」、「ハムレット」、「戦艦ポチョムキン」はDVD入手!)。今ではかすかに記憶の中に残っているだけである。特に「湖畔にて」と「遠い日の白ロシア駅」はどうしてももう一度見たいと今でも思っている。ちなみに当時のパンフレットを見ると料金は当日一般で450円、学生350円、前売300円となっている。

  1回に2~3本を上映するのだが、その合間に短編アニメを上映していた。プログラムに載っていないので、作品名も本数も今では分からないのだが、そのレベルの高さに驚いたものである。今のアニメに比べると動きはぎこちないのだが、ウィットに富んだ、独特の世界を作っていた。不確かな記憶ながら、大人が見て楽しむ作品が多かったように思う。宮崎駿が現れるはるか前で、アニメといえばディズニーという時代だっただけに、大人のユーモアがたっぷり盛り込まれたアニメにすっかり感心したのだ。今でも当時のプログラムを見ると、休憩時間に流されていたメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲のメロディーが頭に浮かんでくる。

  4月に入り2年生になると、早速文芸地下で黒澤映画を2本見ている。「酔いどれ天使」と「静かなる決闘」である。ほぼ同じころフィルム・センターでも日本映画特集を組んでいて、この時期けっこう日本映画を見ている。黒澤は、いや日本映画の古典は、田舎ではまず見られないものだ。機会があればぜひ見ておきたかった。だいぶ昔のことだが、日本映画ファンというある外国人が、日本映画にあこがれて日本に来たが、日本では古い日本映画がさっぱり見られないのでがっかりしたと、朝日新聞の投書欄に書いていた。もっともな嘆きで、日本では映画を文化遺産ととらえる意識が決定的に欠けている。ビデオやDVDが発達した現在でも、古い日本映画の名作はほんの一部しか販売されていない。ようやく去年から今年にかけて大量に日本映画の過去の遺産がDVD化されてきた。今後も一層日本映画の遺産(これは映画会社の財産ではなく、国民の財産なのだ)を国民の元に届ける作業を推し進めてほしい。そのためにはDVD化する作品を増やすだけではなく、ぜひ値段も下げてほしい。ハリウッド映画並とまでは言わないが、せめて旧作を2、3千円台まで下げてほしい。

  これまでテレビでいかに大量に優れた映画が放映されていたかを強調してきた。僕は外国映画の名作のかなりの部分をテレビで観たといっても過言ではない。にもかかわらず、日本映画の名作がテレビで放映される機会はほとんどなかった。日本にいながら日本の名作をほとんど観られなかったのである。東京に来て以来、機会があれば逃さず、飢えたように日本映画を観に行ったのは当然だった。この74年だけで32本の日本映画を観ている。いずれも名作ぞろい。この年に映画館で観た最初の映画は並木座の「羅生門」と「無法松の一生」(坂妻版)である。他に、文芸地下で「飼育」、「少年」、「雨月物語」、「野菊の如き君なりき」、「津軽じょんがら節」、「西鶴一代女」、「近松物語」など、フィルムセンターで「春琴物語」、「宮本武蔵」(稲垣浩)、「わかれ雲」、「大阪の宿」、「風の中の子供」などを観た。京橋のフィルム・センターと池袋の文芸地下そして銀座の並木座。この三つは日本映画の名作を上映している数少ない映画館であり、貴重な存在だった。この三つがなければ僕は未だに日本映画をほとんど観ないままでいただろう。ただ残念なことに、この時点では小津安二郎の作品を見る機会はまだ訪れていなかった。

  5月12日に川崎駅ビル文化という映画館で「LBジョーンズの解放」と「わが命つきるとも」を観ている。たぶん今はもうないだろうが、この映画館に行ったのはこの1回だけだ。川030712_03_q崎駅に行ったのもこの時が最初だと思う。その後5月から8月まではほとんどテレビでしか映画を見ていない。大学の授業にそれだけ熱心に通っていたということだろう。夏休みに入ってもフィルム・センターに1~2度行っただけで、思ったほど映画を観ていない。ところが、10月に入って大島渚の作品を4本まとめて観ている。「愛と希望の街」、「日本の夜と霧」、「ユンボギの日記」、「絞死刑」。法政大学の大学際の一環として企画されたものだった。会場は学生会館の中である。当日大島本人も来ていて講演をした。何を話したか覚えていないが、講演後の質疑のときのやり取りは記憶に残っている。活動家と思われる学生が、大島が講演の中で思わず言った「バカチョン・カメラ」という表現に噛み付いたのである。朝鮮人をバカにする言葉をなぜ使ったのかと食ってかかったのだ。大島は不用意な発言だったと謝ったように思うが、いかにも当時全国一の紛争校として知られていた法政大学らしい一幕だった。

  この年もテレビが放送していたラインナップは驚くほど充実していた。「シャイアン」、「俺たちに明日はない」、「無法松の一生」(三船版)、「オズの魔法使い」、「荒野の決闘」、「シェーン」、「シシリアン」、「エデンの東」、「哀しみのトリスターナ」、「静かなる男」、「禁じられた遊び」、「ハスラー」、「邪魔者は殺せ」、「オルフェ」、「春の悶え」、「河」、「ビリディアナ」、「下り階段をのぼれ」、「裸足のイサドラ」、「理由なき反抗」、「ワイルドバンチ」、「フレンチ・コネクション」、「男の敵」、「ステージ・ドア」、「血と砂」(ヴァレンティノ版)、「召使」、「十二人の怒れる男」、「宿命」、「蛇皮の服を着た男」、「成功の甘き香り」、「ブルックリン横町」、「オーシャンと11人の仲間」等々。地上波でこれだけやっていたのだ!現在のテレビの地上放送が貧弱になってしまったのは、娯楽大作以外の作品が衛星放送に回されているからだと言えるが(いいものを観たければ別料金を払え!的姿勢見え見え)、当時の観客にはいわゆる娯楽作品以外のものまで観る余裕と鑑賞眼があったということも指摘しておくべきだろう。今のような時代には、家に帰るとぐったりと疲れて、何も考えなくても勝手に観客を運んで行ってくれる娯楽映画しか観る気がしなくなる。シリアスな社会派映画などビデオで借りるのも億劫になる。

  精神的なゆとりがなくなってきていることも問題だが、もっと重大なことは映画を観る目が衰えていることだと思う。山田洋次は「よい映画はよい観客が作る。よい観客はよい映画が作る」と言ったが、今は逆の弁証法(つまり悪循環)が働いていると言ってよい。つまらない映画ばかり観ているから、観客の目が肥えていない。目の肥えていない観客ばかり相手にしているから、つまらない映画しか作られない。つい3、4年前までの日本映画がその典型だった。総じて志が低い。人気俳優を集めただけの、テレビドラマに毛が生えた程度のものか、独りよがりのひねこびた作品ばかりが目立った。宮崎駿のアニメがこれ程もてはやされるのはそれ自体が優れているからでもあるが、劇映画にかつての力がなかったからでもある。それに比べたら安定して一定数の優れた作品を生み出し続けているハリウッド映画はむしろ立派だと言える。ただこの1、2年は逆転現象がおきている。日本映画はこのところ好調だ。一方アメリカ映画にははっきり陰りが見えてきている。

◆75年
  年が明けて75年1月28日に初めて大塚名画座に行っている。「地上より永遠に」を観た。ここは大塚駅から細い路地に入った分かりにくいところにあった。あまり観たい映画をやっていなかったので、恐らく行ったのは2、3回だろう。2月になると、頻繁にフィルムセンターに行っている。「嘆きの天使」、「裁かるるジャンヌ」、「パリの屋根の下」、「塔」、「パサジェルカ」、「赤い風船」などを観ている。テレビでも相変わらず「激突!」、「旅路」、「毒薬と老嬢」、「真夜中のカウボーイ」、「花嫁の父」、「吸血鬼」(ポランスキー)、「水の中のナイフ」、「地下水道」、「終身犯」、「素晴らしきヒコーキ野郎」、「ニノチカ」、「暗くなるまで待って」、「失われた週末」、「わが谷は緑なりき」等々、相変わらずすごい作品が放送されている。まだ小津映画には出会っていなかったが、黒澤は着実に観ていた。新宿座で「我が青春に悔いなし」と「生きる」を、有楽座で「デルス・ウザーラ」をそれぞれ見ている。この年は後楽園シネマによく行っている。「砂の器」、「ゼロの焦点」、「チャップリンの殺人狂時代」、「アメリカの夜」など7本観ている。

  この年に英米文学の研究会に入ったため、急に忙しくなり鑑賞数が減った。74年は190本観ていたが、75年は63本。3分の1に激減している。しかし翌年はさらに減る。76年から3年間続けて年間で1桁しか映画を観ていないのである。

2005年11月24日 (木)

あの頃名画座があった(改訂版)②

◆73年art-temariuta20001d
 前回触れた映画記録ノートを今読み返して見ると実に面白い。4月に大学に入学するまでの3ヶ月間に42本映画を観ている。さすがにこの時期は受験勉強を多少はしていたはずだが、2日に1本観ていたとは自分でもびっくり。ほとんどテレビだが、「墓石と決闘」、「市民ケーン」、「国境は燃えている」、「真昼の決闘」、「攻撃」、「シェーン」、「ゴッドファーザー」、「飛べフェニックス」、「探偵物語」などを観ている。

  東京に来て最初に映画館で観た映画は「ポセイドン・アドベンチャー」と「戦場にかける橋」の二本立てだった。銀座と京橋の境目辺りにあったテアトル東京で見たのである。確か高速道路のすぐ下だった。観客席の床がそのままスクリーンにつながっている、つまりコンクリートか何かでできたスクリーンだったことで有名な映画館だった。観たのは4月9日だから入学してすぐのことである。その後しばらくはテレビで観た映画が続く。まだ東京に慣れていなかった上に、大学にも慣れていなかったせいだろう。千葉県の流山市から片道1時間半から2時間かけて大学まで通っていたという事情もあるだろう。

 次に映画を観に行ったのは、早くも京橋の国立フィルム・センターだった。4月28日にミケランジェロ・アントニオーニの「女ともだち」を観ている。当時イタリア映画特集をやっており、他にジロ・ポンテコルヴォー(「アルジェの戦い」の監督)の「ゼロ地帯」、フェリーニの「カビリヤの夜」、「81/2」、アントニオーニの「情事」、「夜」、「赤い砂漠」、フランチェスコ・ロージの「真実の瞬間」を観た。気付くのが遅く、特集の前半を見逃したのは未だに残念でならない。それでも、名前だけしか知らなかった作品が何と70円(当時70円だったのだ!)で見られるのだから、うれしくて仕方なかった。そういえば、当時京都にも府立(?)のフィルム・ライブラリーがあったはずだが、その後どうなってしまったのか。まだあるのだろうか。

 4月29日には銀座松坂屋でエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」、翌30日には「十月」を観ている。それまで自主上映で何度か上映されていただけで、幻の名作といわれて久しかった映画である。このあまりにも有名な作品がたまたまこの年一般の人の前でヴェールを脱いだのである。何という幸運。期待したほどの感動はなかったが、幻の名作を観ることができただけでも田舎出の学生にとっては感涙ものだった。

 5月1日には「イージー・ライダー」と「真夜中のパーティー」(初めて観たホモセクシャル映画、「ズボンをはいて座るときは股を開いて座りなさいよ」などという会話がうぶな学生にはシュールに響いた)の二本立てを観ているが、どこで観たのかは書いてない。今となっては知りようもない。次に場所が特定できるのはシドニー・ルメットの「質屋」とアーサー・ヒラーの「ホスピタル」を観たパール座だ。高田馬場の早稲田予備校の向かいにあった有名な名画座で、その後何度もお世話になったところである。 5月17日には新宿の紀伊国屋ホールで「イワン雷帝」の特別上映を観ている。これも幻だった映画である。赤を中心にしたカラーの鮮烈な画面が記憶に残っている。5月19日には初めて池袋の「文芸座」に行っている。パゾリーニの「テオレマ」と「アポロンの地獄」を観に行ったのだ。文芸座といえば東京の名画座の代表格で、当時の映画青年は皆ひんぱんにここに通ったものだ。僕にとっても銀座の「並木座」とならんで一番多く通った名画座だろう。ただしここはあまり雰囲気はよくなかった。新左翼系の学生が多いと言われ、確かに怪しい風体の男たちが目立った。警察官の見回りもあったくらいだから風紀もよくなかった。そのうち81年頃だろうか、「ル・ピリエ」ができ、喫茶店と書店も併設されて便利ではあった。「シネ・フロント」のバックナンバーや映画の前売り券などなどをよくそこの書店で買った。5月20日に「恋のエチュード」と「暗くなるまで待って」を観ているが、場所を書き忘れている。

 5月23日になんと「ズール戦争」をテレビで観ている。先月観たばかりだが、初めて観たつもりでいた。12月29日にテレビで観た「家族」(山田洋次)も観たことを忘れていた。薄れてゆく記憶力に涙(・_・、)。5月27日に黒澤の「素晴らしき日曜日」と「どですかでん」の二本立てを観ているが、場所が書いてない。恐らく「文芸地下」か「並木座」で観たものと思われる。6月9日に厚生年金会館で「キッド」を観ている。こんなところにも行ってたのか!ひどいフィルムでものすごい雨が降っていたのを覚えている。それでも感動したのだからチャップリンはすごい。ところで画面に「雨が降る」という表現は若い人にわかるだろうか。使いまわされたフィルムはいたみが激しく、映すと傷が一面についていて雨が降っているように見えることからそう言っていた。時には映写機が止まってしまって、投光機の熱でフィルムが見る見るうちに溶けてゆくのがスクリーンに映し出されることもあった。6月10日にはテアトル新宿でジョゼフ・ロージーの「夕なぎ」、「秘密の儀式」、ビスコンティの「地獄におちた勇者ども」を見ている。三本立ての初体験だった。テアトル新宿と三鷹オスカーは三本立てで有名な所で、ほかの名画座は二本立てが一般的だったと思う。

 その後、夏休みを挟んだ7月~8月はなぜかテレビで観たものが多く、ほとんど映画館に足を運んでいない。7月3日に「ジョニーは戦場へ行った」、8月3日に「欲望という名の電車」をパール座で観ているだけだ。テレビは相変わらずすごい。「レベッカ」、「デカメロン」、「フェリーニのローマ」、「赤い風車」、「明日に向かって撃て」、「自転車泥棒」、「わが家の楽園」、「落win2ちた偶像」、「西部戦線異状なし」、「サイコ」、「魂のジュリエッタ」、「若者のすべて」、「駅馬車」、「将軍たちの夜」、「仁義」、「ローラ殺人事件」、「十戒」、「誓いの休暇」、「渚にて」等々。
  8月下旬から徐々に映画館に行き始めた。8月30日にパール座で「哀しみの青春」と「愛のふれあい」の二本立て。9月1日に文芸座で「理由なき反抗」と「ジャイアンツ」の二本立て。9月8日にパール座で大島渚の「儀式」と篠田正浩の「沈黙」二本立て。9月10日には初めて水道橋の後楽園シネマ(球場の横の建物にあった、もちろんドーム球場にはまだなっていなかった)に行っている。吉田喜重の「戒厳令」と市川崑の「股旅」の二本立てを観た。このころから徐々に日本映画を観始めていることが分かる。11月25日には文芸地下で「用心棒」と「野良犬」の二本立てを、12月16日には銀座の並木座で「虎の尾を踏む男たち」と「赤ひげ」の二本立てを観ている。

  ようやく10月に入ってフィルム・センター通いがまた始まる。10月3日から「1930年代ヨーロッパ映画特集」という、願ってもない企画が始まったからである。2部に分けて12月15日まで続いたこの特集はそれまでほとんど観られなかった名作を40本もそろえた夢のような企画であった。全部で17本を観た。「自由を我らに」、「制服の処女」、「会議は踊る」、「春の驟雨」、「にんじん」、「地の果てを行く」、「こわれ甕」、「野いちご」、「大いなる幻影」等々。その時見落としたもののうち後日観ることができたものもあるが、いまだに未見のものが数本あり、残念である。ビデオになっていないものが多く、まさに貴重な特集だったといえる。このとき観た映画は一生の宝だ。

 この頃はまだ映画をテレビで観ることが多く、劇場はフィルム・センターを別にすれば以外なほど観に行っていない。ほとんど劇場で観るようになったのは79年頃からである。前述した映画館のほかに73年に行っているのは、渋谷の東急文化会館6Fにあった東急名画座、渋谷文化、新宿の名画座ミラノ、新宿グランド・オデヲン程度である。

 一方、テレビで観た映画を並べてみると圧倒される。「飾窓の女」、「異邦人」、「トプカピ」、「冬のライオン」、「スミス都へ行く」、「鳥」、「椿三十郎」、「七人の侍」、「獣人」、「できごと」、「警視の告白」、「ナチス追跡」、「大列車作戦」、「日曜はダメよ」、「黒水仙」、「ベケット」、「戦争は終わった」、「アルトナ」、「チャンピオン」、「アスファルト・ジャングル」、「僕の村は戦場だった」、「アパートの鍵貸します」、「偽りの花園」、「猿の惑星」、「ハムレット」、「大脱走」等々。相当絞ってもこんなにある。1年でこれだけの名作をテレビで観ていたのである。今の衛星放送よりよほどすごい。

 今振り返ってみて驚くのは、その年の新作をほとんど観ていないことだ。7、8本程度しか観ていない。テレビで観たものが古いのは当然だが、映画館で観たのもほとんどが昔の名作である。この時期で既に徹底した名作主義になっている。評判の新作にはほとんど目もくれず、名作を観られるところならどこにでも行っている。73年に公開された映画の半分程度は翌年に名画座に回ってきたときに観る。名画座をレンタルDVDに変えれば今と同じ姿勢だ。今評判の映画でも10年後には忘れ去られているかもしれない。それより作られて30年たった今でも名作として語り継がれている映画を観る方が確実だ。確かにあの頃既にそう考えていた。ただ80年代には新作をかなり観るようになってくる。欧米映画先進国以外の映画がどっと日本に入ってくるようになったからだ。岩波ホールにもしきりに通っている。東欧、南欧、南米、アフリカ、中国、北欧などの映画が入って来るようになって、僕の意識が大きく転換する。旧作主義から世界中の映画を観てやろうという姿勢に変わる。この転換が今の僕の原点である。

2005年11月23日 (水)

あの頃名画座があった(改訂版)①

kael2w  これは言ってみれば僕の映画自伝です。当然個人的な記録と思い出なのですが、70年代から80年代にかけての映画環境が書き込まれているので他の人にとっても何らかの参考になると思います。
  最初に書いたのは2002年10月19日。記憶が失せないうちに書き残しておきたいという思いで書いたものです。記録マニアという性格が幸いして、映画記録ノート、劇場用パンフレット、チラシの類が大量に手元にあるので可能だったことです。映画ノートを持って喫茶店に入り、数時間かけて一気に書き上げました。
  当時の貴重なパンフレットなどもいずれ暇ができたらデジカメで撮ってアップしたいと思っています。すぐにはできません、気長にお待ちください。
  既に本館ホームページに全文掲載してありますが、さらに手を入れて改訂版を作ることにしました。85年で終わっているのですが、できればもう少し先まで追加しようと考えています。おそらく10回くらいの不定期連載になるでしょう。どうかご期待ください。

◆高校時代まで
  僕が映画を最初に観たのは恐らく小学生の頃だろう。最初に観た映画が何だったかは覚えていないが、記憶に残っている最初の映画は父親に連れられて観に行った「キングコング対ゴジラ」である。他にも何回かやはり親に連れられて怪獣映画や戦争映画を観に行ったと思う。後者はもっぱら父親の好みで、彼は戦争ものが好きだった。子供には退屈だったようで、何か「コンバット」のような感じの映画と、人間魚雷回天が活躍する映画を観た記憶がかすかに残っているだけだ。そういった戦争ものよりは「ゴジラ」や「ガメラ」の方がよほど怖かったのか、はるかに鮮明に記憶している。小学生時代に友だちと観に行った映画で、怪獣映画以外に唯一覚えているのは市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」である。

  中学生になると友達と行くようになったが、回数も少なく何を観たかもほとんど覚えていない。その頃から飢えたように本ばかり読んでいたので(中学時代はSFに夢中で、創元文庫をむさぼるように読みあさっていた)、映画の方はほとんど関心がなかったのだろう。ただ、よく覚えていて懐かしいのは、あの頃の映画館が映画を上映する前にニュース・フィルムを流していたことだ。まだテレビが一般には普及していなかったからだろう。

  もう一つよく覚えているのは、ニュースの代わりに短編のサイレント映画を流していたことがあったことだ。まだ子供だったので何で音が出ないのか不思議に思ったものだ。部分的に覚えているものが一つだけある。観光地で記念写真を撮っている男がいる。当時のカメラだからカメラに黒い幕をかぶせてのぞき、片手にフラッシュを持ってボンとたくやつだ。男が後ろを向いてフィルムを入れ替えている時に、たまたま通りかかった黒いスカ-トをはいたおばさんがカメラをどかして、屈んで靴ひもを直し始めた。また前を向いたカメラマンは、カメラの黒い幕と間違えておばさんの黒いスカートをめくってしまう・・・。しばらくして顔を出したカメラマンは目をぱちくりする。なかなか顔を出さないのが無性に可笑しかった。あれはチャップリンだったのだろうか。

 高校に入ると推理小説に夢中になり、これまた創元推理文庫を次々に買っては読んでいた。ところがある偶然のきっかけで映画を観るようになったのである。高校の2年生の時、当時好きだった森山加代子が夜遅くテレビに出演することを知り、観ようと決心した。夜遅くといっても11時くらいではなかったかと思う。家族が9時か10時には寝ていたので、その番組を観るには一人ひそかに観なければならなかったのである。

  家中が電気を消した後、一人部屋に残って森山加代子の出演する番組を観た。その番組が終わった後、まだ眠くないのでついでに次の番組も観ることにした。たまたま映画をやっていた。ヒッチコックの「白い恐怖」だった。偶然観たわけだが、これが滅法面白かった。この日初めて映画の魅力に目覚めたのである。これで味をしめた後は、片っ端から映画を観まくった。当時は9時台と深夜にほぼ毎日テレビで映画を流しており、それらを可能な限り全部観たのである。名作もB級映画も見境なしである。そのうち高校の近くの映画館へも行くようになり、観た映画も全部ノートに記録するようになった。製作年、監督・撮影監督・脚本家・配役、観た日付、映画館名などを書き、初めのうちはコメントも付けていた。

  最初に記録した映画は「サンセット大通り」だった。日付は1971年8月1日。ビリー・ワイルダーの名作を見て高校生ながらも感動したのだろう。それがどうして記録ノートを作ることと結びついたのかは今となっては推測するしかないが、恐らく監督や俳優の名前を忘れないようにするためだったと思われる。「サンセット大通り」は記憶に値する最初の映画だったのである。こうして、少なくとも記録に残っているだけでも高校2年のときに156本、3年のときに345本の映画を観た。最初の年は途中から記録を付けはじめたわけだから、実際に見た数はもう少し多いことになる。ちなみに、高3のときの345本が年間鑑賞数としては最高記録である。

  とにかく何でも観た。大半はアメリカ映画である。「怪傑キャピタン」、「南太平洋ボロ船作戦」、「熱砂の大脱走」、「蛮族の大反乱」、「過去のうめき声」、「殺しはドルで払え」などの記憶のかけらも残っていない?映画から、「ニュールンベルグ裁判」、「刑事」(ピエトロ・ジェルミ監督)、「ハリケーン」、「マイ・フェア・レディ」、「山猫」、「大脱走」、「静かなる男」、「ブーベの恋人」、「カビリアの夜」、「道」、「嘆きの天使」、「ジャイアンツ」、「その男ゾルバ」、「翼よ!あれが巴里の灯だ」、「シェナンドー河」、「五月の七日間」、「情婦」などの懐かしい名画まで。衛星放送などなかった頃なので、これだけの映画を地上波でやっていたのである。 そしてまた、出てくる名前の懐かしいこと!エリザベス・テイラー、エバ・マリー・セイント、ジャン・マレー、ジャック・レモン、タイロン・パワー、チャールズ・ブロンソン、ジェーン・ラッセル、アンナ・マニヤーニ、アンソニー・クイン、ピーター・カッシング、クリストファー・リー、ジャック・パランス、ウィリアム・ホールデン、マリー・ラフォレ、アニー・ジラルド、バーバラ・スタンウィック、もう切がない。

  しだいに映画史に興味を持ち始め、何でも観る姿勢が名作主義に変わっていった。近代映画社刊の『写真で見る外国映画の100年(全5巻)』というのを買ってきて、端から端まで何度も読み返した。ただし1巻目のサイレント映画編だけは買わなかった。おそらくサイレント映画などとうに過去のもので関心もないし、観る機会もないと思ったのだろう。このシリーズは後に一度再刊され、80年代以降の巻も付け加えられている。過去の名作、監督、俳優などの名前はほとんどこれを通して覚えたと言ってもよい。

  しかし、悲しいかな、テレビで放送されるのは40年代、50年代のものがほとんどで、映画館に来るのは田舎(茨城県日立市)のことで娯楽大作ばかり。観たくても観るすべのない映画が山ほどあり、悔しい思いをしていた。その状況が東京の大学に入学してから一変した。どこにどんな映画館があり、何が上映されているかを知るために『キネマ旬報』を買うようになった。当時はまだレンタル・ビデオという便利なものはなかったが、その代わり名画座がたくさんあった。300円程度で少し古い映画を2~3本立てで観られたのである。様々な特集なども組まれたりして、田舎から出てきた金の無い学生にはまさに天国のように思えた。

2005年11月22日 (火)

ミリオンダラー・ベイビー

2004年 アメリカ decodiv-d3
原題:Million Dollar Baby
原作:F・X・トゥール「テン・カウント」
監督:クリント・イーストウッド
音楽:クリント・イーストウッド
撮影:トム・スターン
出演:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク
    モーガン・フリーマン、アンソニー・マッキー
    ジェイ・バルチェル、マイク・コルター
    ブライアン・F・オバーン、マーゴ・マーティンデイル

 クリント・イーストウッド。数々のスターを輩出したハリウッドでもこれほど長い間第一線で活躍し続けている人物は珍しいだろう。なにしろ彼は僕が子供のころ既にスターだったのだ。テレビの「ローハイド」。当時の大人気番組だった。「ローン・レンジャー」、「コンバット」、「パパ大好き」、「名犬ラッシー」、「名犬リンチンチン」、「奥様は魔女」、「突撃マッキーバー」、「トムとジェリー」等々、おっと「ララミー牧場」と「ライフルマン」も忘れちゃいけない。今の世界中の子供たちが日本製アニメで育ったように、あの頃の日本の子供はみんなアメリカのテレビ番組を見て育ったのである。そしてマカロニ・ウエスタン時代。ジョン・ウェイン、ゲーリー・クーパー、バート・ランカスター、グレゴリー・ペック、ジェームズ・スチュワートなどが活躍する正統派西部劇も好きだったが、どちらかというとマカロニ・ウエスタンの乾いた感じの方が好きだった。ジュリアーノ・ジェンマ、リー・ヴァン・クリーフ、ジャン・マリア・ヴォロンテ、フランコ・ネロ、そしてクリント・イーストウッド。ひげ面に葉巻をくわえた苦みばしった顔が実に格好よかった。

 そして何といっても「ダーティー・ハリー」(71年)。これで一気にスターから大スターになった。その後しばらく80年代ぐらいまでは「ダーティー・ハリー」シリーズの印象が強く、ややマンネリの印象を持っていた。88年の「バード」でジャズの世界を描き、方向転換をした感じを受けた。監督業にも手を出していると意識し始めたのもこの頃か。実は既に71年の「恐怖のメロディ」から監督をやっていたのだが、まだこの頃までは俳優のイメージが強かった。本格的に監督になったと感じたのは92年の「許されざる者」あたりからだが、「マディソン郡の橋」(95年)、「スペース・カウボーイ」(2000年)、「ミスティック・リバー」(03年)とどれも作品としては今一だった。この頃はだいぶ枯れてきて、俳優としては昔とはまた別の味が出てきてよかったのだが、監督としてはまだたいしたことはないという認識だった。

  それがやっと「ミリオンダラー・ベイビー」で花開いた。久々に見るハリウッドらしい味のある映画だ。今年見たアメリカ映画の中でも「サイドウェイ」を抜いて一番の出来だと思う。監督としても俳優としても素晴らしい。細い体形は昔のままだが、髪はすっかり白くなって後退し、顔には深い皺が何本も刻まれている。すっかりじい様だ。昔の苦みばしった顔もいいがこの枯れた味わいもいい。演出も今様のめまぐるしいアクション映画とは一線を画し、悠揚迫らぬ落ち着いた展開。モ-ガン・フリーマンとの老優二人のコンビがまた抜群。室内描写が多いので全体に薄暗い雰囲気だが、光と影を活かしたキャメラ・ワークが実に効果的である。

  老優二人を向こうに回してさらに一歩抜け出た強烈な印象を与えたヒラリー・スワンクもすごい。恥ずかしながら、99年の「ボーイズ・ドント・クライ」に続く二度目のアカデミー主演賞受賞だったことを知らなかった。この若さで二度目とは!この映画ではじめてみたのだが、確かにすごい女優だ。幼い頃からスポーツ万能だったようだ。実際ボクシングの場面はすごい迫力である。一発で相手をぶっ飛ばすシーンは腰が入っているから本当の試合を見ている感じすら受ける。チャンピオンのブルー・ベアとの壮絶な打ち合いも迫力満点。筋肉質で手足が太い、そしてあの強い眼差し。リングに立つとものすごい威圧感である。演技力もなかなかのもので、素人の打ち方から一流のプロの打ち方まで、きちんと演じ分けている。最初のうちはサンドバッグをたたくしぐさも様にならず、フットワークもなくへっぴり腰で腕だけで打っている感じだった。それがやがてスクラップ(モーガン・フリーマン)とフランキー(クリント・イーストウッド)に鍛えられ少しずつうまくなってゆく。このあたりのボクサーとしての成長過程が実に自然である。

  監督何作目になるのか、もうベテランの風格を持ったイーストウッドの演出も見事である。特に伏線の使い方がうまい。「大切なのは、自分を守ること」、「モ・クシュラ」というゲール語の言葉、マギー(ヒラリー・スワンク)の父親と犬の思い出、これらはラストで大いに効果を発揮する。マギーが最後につぶやく「父親が犬にやったこと」というせりふは憎いほどぴったりのせりふだ。

  フランキーの性格描写も陰影があっていい。全体に渋くて静かな演技。ここでは小技の使い方が絶妙だ。ドアを開けると何通も床に落ちている手紙。それを拾い上げて、箱に入れる。その箱には同じように娘宛に出してそのまま送り返されてきた手紙がぎっしり詰められている。片目を失った元ボクサー・スクラップの贖罪のために熱心に教会に通っている。それでいて熱心に信仰している感じでもない。神父さんとの掛け合いが滑稽で面白い。ボクmoontalisman2サーを大切にし、決してあわてて大試合には出さない。「大切なのは、自分を守ること」が口癖になっている。ボクシングジムで暇をみては、ゲール語(昔アイルランドで使われていたケルト語系の言語)の勉強をしている。イェーツの「イニスフリーの湖島」を苦心して英語に翻訳するシーンは印象的である。イェーツはアイルランドの大詩人である。ダンという苗字からしても、どうやら彼はアイルランド系らしい。昔気質の頑固さはいかにもアイリッシュだ。マギーも苗字がフィッツジェラルドだからアイルランド系だろう。ゲール語は現在アイルランドの公用語で、小中学校では必修になっているが(日常語はもちろん英語だが)、アメリカ育ちのマギーにはさっぱり分からない。

  モーガン・フリーマンの渋い演技もいい。片目を失って現役を引退してもフランキーのもとを去らず、雑役をこなしながらフランキーに罪の意識を感じさせないよう生きている。ぐっと抑えた演技で、ここぞというときに含蓄のある言葉を吐く。絵に書いたような役柄だ。だが、モーガン・フリーマンには昔ほどすごさを感じなくなった。もともと派手な演技をする人ではないが、「ドライビング・ミス・デイジー」(89年)で出てきた頃は役者としての凄みを感じさせた。名優とはこういう人を言うのだという見本の様な人だった。このところかつての重厚さはなくなった。しかしさすがの存在感。まだ枯れてない。二人の老優のコンビは濃厚なとろみとあっさり味がうまく交じり合ってこの上ない味付けになっている。

  ヒラリー・スワンクは30歳を越えたボクサーという設定がいい。もう若くない、活躍できる期間は短いという切迫感もあるが、それ以上に苦労を重ねてきたという設定が効いている。13歳からダイナーのウェートレスとして働いているのである。生まれも貧しくトレーラー・ハウスで育った。客の食べ残しを包んで持って帰るシーンがさりげなく差し挟まれている。こういう小技がうまい。家庭環境は複雑で、母親や兄弟姉妹はよくもまあこれほどとあきれるほどの恩知らずである。だが、「あきれる」ということはそれだけリアルだということでもある。すっかり手当に頼りきりで、何も努力しない無気力な生活に慣れきった人々。こんな状態から逃れたいという強い意志が、マギーのハングリー精神のバックボーンとなっているに違いない。そんなだらしない母親でも、彼女のために家を買ってやろうとするあたりはケン・ローチの「スウィート・シックスティーン」を連想させる。どちらも子供が思うほどには母親は子供を思っていない。それが切ない。しかし、それでいて悲愴感が全く漂っていないのがいい。

  いつになく俳優について多くのスペースを割いたが、それはこの映画の基本的な魅力が主人公3人の人物描写とからみにあるからだ。優れたトレーナーと素質のあるボクサーが組めばチャンピオンも夢ではない。しかし映画はそういう展開にはならない。もはや、特に9・11以降は、アメリカン・ドリームなどは描けないのだ。だから大不況時代を描いた「シービスケット」や「シンデレラマン」のような復活劇が作られるのである。夢が羽ばたいた「アビエイター」だってこの時代だ。今のアメリカはとうに夢から覚め、現実という悪夢にさいなまれている国である。もう一度心地よい夢を見るためには過去に遡るしかないのだ。キング牧師は「いつの日かきっと」と未来に夢を託したが、過去に戻ってしか夢を語れないアメリカの現状。過去の名作や外国映画の焼き直し、ヒット作の続編ばかり作っているアメリカ映画の低迷状態は、この現状を受身的に反映していると考えていいだろう。

  映画はスポ根ドラマのように始まる。最初は女性ボクサーの指導など嫌がっていたフmoonharp_w3ランキーだが、やがて熱心に指導を始め、ついにはチャンピオンとの決戦に挑む。使い古された展開だ。ボクサーとして育てるときにいろいろアドバイスをするが、これはマカロニ・ウエスタンによく出てきたガンマンの心得に通じる。イーストウッドにとっては昔取った杵柄である。また日本のスポコン漫画の常道でもある(その典型は「あしたのジョー」)。

  最後の悲痛な結末はたまたま知っていたのでショックではない。マギーはゴングのなった後に放たれたチャンピオンの反則パンチで倒れ、倒れたところがコーナーの椅子の上だったために全身麻痺状態になってしまう。そして尊厳死へ。お定まりのパターンで始まりながら、「ロッキー」のような結末には至らない。ふいに中断されたサクセス・ストーリー。クライマックスからカタストロフィへの暗転。これが21世紀のリアリズムである。ただ、この最後の展開はいかにもハリウッド的だという気もする。さあ、ここが泣き所ですよ。そう思うせいか全く泣けなかった。しかし、興醒めというわけではない。そこはさすがにイーストウッド。いかにもという泣かせの演出にはしなかったことはむしろ褒めてもいい。淡々と経過を描いてゆく。開ききる前に散っていった大輪の花。劇的に盛り上げるのではなく、余韻を残して終わる。せめてジョーのように燃えつきて最期を迎えさせたかった。

 I will arise and go now, for always night and day       
 I hear lake water lapping with low sounds by the shore;       
 While I stand on the roadway, or on the pavements grey,       
 I hear it in the deep core of the heart.
 (from "The Lake Isle of Innisfree")

 マギーはイニスフリーへと旅立ったのだろうか。湖の岸部に寄せるさざなみの音を聞いている彼女の表情に無念さは浮かんでいないだろう。ロッキーにはなれなかった。しかしフランキーという「父」を得ることは出来た。フランキーが書いた手紙(マギーのリングローブに「モ・クシュラ/わが心の脈拍」と一言だけ書いた手紙)はたった一通だけ「娘」に届いたのだ。
 (11月23日 加筆訂正)

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2005年11月21日 (月)

オアシス

2002年 韓国hanehosi1
脚本:イ・チャンドン
監督:イ・チャンドン
撮影:チェ・ヨンテク
出演:ソル・ギョング、ムン・ソリ、アン・ネサン、チュ・グィジョン
    リュ・スンワン、キム・ジング、ソン・ビョンホ、ユン・ガヒョン

  「グリーンフィッシュ」はがっかりしたが、「シュリ」と同じ年に日本公開された「ペパーミント・キャンディー」は「シュリ」を凌ぐ傑作だった。そのイ・チャンドン監督作品ということで期待してみたが、ややがっかりした。決して悪くはないのだが、いろいろ疑問も感じる。 主な登場人物はジョンドゥ(ソル・ギョング)とコンジュ(ムン・ソリ)の二人。コンジュは重度の脳性麻痺。ジョンドゥは軽い知能障害がありそうだ。映画は終始二人を突き放して描いている。どちらの意識にも入り込もうとしない。全体に暗い色調が漂い、コンジュの部屋にジョンドゥが忍び込むあたりは、のぞき穴からのぞき見るような淫靡な感覚さえ帯びる。他の登場人物は誰一人としてこの二人を理解していないし、しようともしない。

  一番疑問に思うのはジョンドゥの描き方だ。婦女暴行の前科があり、落ち着きのない、どこか頭のネジが2、3本抜けているような風変わりな男。映画はまず最初にこの男がいかに世の中から浮いた存在であるかを強調する。バス停で並んでいた男にもらいタバコをし、さらにバス代をせびる。どうやら金がないようだ。落ち着きがなく、どこか尋常でない気配が漂っている。金をせびられた男は迷惑そうにジョンドゥから離れる。よく見るとジョンドゥは半袖なのだが、周りの人たちはみな冬の格好をしている。そういえばジョンドゥはいかにも寒そうに身を縮めている。 この導入部分はうまく出来ていて、よく事情が分からないからかえってひきつけられてゆく。しだいに事情が分かってくる仕掛けだが、ジョンドゥはひき逃げ事件による2年6ヵ月の刑を終え、娑婆に出てきたところだったのである。夏に入獄したので出てきたときも夏服なのだ。しかし兄の家を訪ねてみるとそこには別の家族が住んでいた。金のないジョンドゥは只でもらった豆腐の塊を何もつけずにむさぼり食う。なんとも異様な男だ。

  なぜこんな男を主人公にしたのか。恐らくイ・チャンドン監督は、障害にも負けず必死に頑張る映画や、障害者と健常者の温かい心の交流などを描く映画のような「ありきたりの」映画にしたくなかったのだろう。それはそれで理解できる。様々なジャンルの映画が作られてはいるが、韓国映画というとやはり主流は恋愛ものという印象が強い。その中でどう「異質な」映画を作るのか。その異質さの一つの表れがこの主人公の組み合わせなのである。脳性麻痺の女性と思慮が足りず、子どものように気持ちが赴くままに行動してしまう男。この組み合わせは確かにこれまでにないパターンである。

  イ・チャンドン監督は、世間からのけ者にされ無能者扱いされているジョンドゥの方がよほど「純粋」だと言いたげである。世間から誤解されやすい人間こそ実は心優しい人物だというのはよくあるパターンである。恐らくイ・チャンドン監督の狙いはここにあったのだろう。しかしこれまたありきたりのパターンなのでさらに手を加えて、観客が「過度に」ジョンドゥに感情移入しないようにした、そういうことだろう。あの落ち着きのない立ち居振る舞い。映画の撮影場面に出くわすとしつこく付きまとう。コンジュの部屋に忍び込むと彼女を押し倒して胸に手を入れる。どこか常人とは違う行動パターンと思考回路を持ち、自由奔放に欲望と興味のままに行動する男だということをこれでもかと描き出す。その一方で自分が起こした(ということになっている)交通事故の被害者の家庭に見舞いの品を持ってお詫びに行ったり、コンジュが壁掛け(その壁掛けの絵柄が「オアシス」である)に映る枝の影が怖いというので、木に登って枝を切ったりするような行動を描いてゆく。

tr_06  それだけではあまりに微妙なので、一見まともそうな彼の周りの人物たちがいかにいい加減な人間であるかを描いてゆく。自分の社会的信頼を失いたくないばかりにひき逃げの罪を弟のジョンドゥに肩代わりさせた兄、コンジュを厄介者扱いして安アパートに放り出し、福祉局か何かの立ち入り検査のときだけ自宅に連れ帰り、あたかもずっとそこに住んでいるかのように見せかけているコンジュの兄夫婦。いかにもひどい奴らだ。それでいて世間に対してはまともな社会人の様な顔をしている。このように描きこむことによって、実はジョンドゥとコンジュの方がまともなのだということを際立たせようというわけである。

  しかし世間から疎まれているものどうしの付き合いにはどうしても限界がある。暗い部屋にずっと閉じ込められているコンジュは幻想の中でしか自由になれない。鏡に反射する光が白い鳩や蝶となって飛び回る場面は映像的にも見事である。その自由をさらに押し広げたのがジョンドゥだった。二人は互いに「姫」や「将軍」と呼び合い無邪気にたわむれる。象やインド人が出てきてコンジュの部屋が壁掛けの「オアシス」の絵の世界に変わる。世間から隔絶していたコンジュの部屋は一転して「オアシス」になる。コンジュ本人も幻想の中で健常者になり自由に歩き回る。確かに美しく、また現実ではないと分かっているだけに切ない場面だ。しかし一番印象的なのは、屋上に出たコンジュが空を見上げるシーンである。そこには本物の空があった。幻想の鳩や蝶は部屋から出られなかった。屋上で見上げた空には本物の開放感があったのである。

  素晴らしいシーンだとは思うが、それでもずっと覚めた目で見ている自分がいた。ありきたりな映画にはしたくないというイ・チャンドン監督の考えも分からないではないが、やはりひねりすぎだ。観ているこちらは終始冷めていた。もちろん、それはある意味で意図されたことかもしれない。ジョンドゥとコンジュのベッドシーンもグロテスクな描かれ方をしている。これもただただ美しく描き上げたくはないという意図が反映しているのだろう。感情移入を極力避けている。

 しかし、作品に入り込めないのにはもっと他にも理由がある。さんざんひねり回した結果ジョンドゥとコンジュは冷静に観察される「対象」になってしまった。それは単に二人を突き放して描いたからというだけではないだろう。人間と社会に対する描き方がどこか平板なのだ。本当にこの二人だけが純粋で、世間の人は皆表面だけつくろって生きている人たちばかりなのか。それこそ型にはまった描き方になっていないか。人間や人間関係、そして社会の捉え方が一面的で近視眼的になっていないか。終始この疑問が頭から離れなかった。ソル・ギョングもムン・ソリも熱演しているだけに(ムン・ソリは迫真の演技、「ギルバート・グレイプ」のレオナルド・ディカプリオに勝るとも劣らない)その点が惜しいと思う。

2005年11月20日 (日)

05年にDVD化されたおすすめ旧作

cut-window5  「今年DVD化された」というのは、必ずしも今年初めてDVD化されたという意味ではありません。今年発売されたDVDの中からおすすめの映画をみつくろって見ました。もれているものもあるはずですので、順次追加してゆきます。

【外国映画】
アエリータ(1924年、ヤーコフ・プロタザーノフ監督)
赤い影(1973年、ニコラス・ローグ監督)
アジアの嵐(1928年、フセボロド・プドフキン監督)
嵐が丘(1939年、ウィリアム・ワイラー監督)  
アンドレイ・ルブリョフ(1966年、アンドレイ・タルコフスキー監督)
怒りの葡萄(1940年、ジョン・フォード監督)  
生きるべきか死ぬべきか(1942年、エルンスト・ルビッチ監督)
石の花(1946年、アレクサンドル・プトゥシコ監督)  
ウディ・アレンのザ・フロント(1976年、マーティン・リット監督)  
男の争い(1955年、ジュールス・ダッシン監督) 
俺たちは天使じゃない(1955年、マイケル・ケーティス監督)
外人部隊(1933年、ジャック・フェデー監督)  
風の遺産(1960年、スタンリー・クレイマー監督) 
仮面の米国(1932年、マービン・ルロイ監督)
刑事マディガン(1968年、ドン・シーゲル監督)
裁かるるジャンヌ(1928年、カール・ドライヤー監督)
サリヴァンの旅(1941年、プレストン・スタージェス監督)  
ジェニーの肖像(1947年、ウィリアム・ディターレ監督)  
終身犯(1962年、ジョン・フランケンハイマー監督)   
情婦マノン(1949年、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督)
ジョニーは戦場へ行った(1971年、ダルトン・トランボ監督)
白く渇いた季節(1989年、ユーザン・パルシー監督)   
人生案内(1931年、ニコライ・エック監督)  
成功の甘き香り(1957年、アレクサンダー・マッケンドリック監督)
戦場(1949年、ウィリアム・ウェルマン監督)
その男ゾルバ(1964年、マイケル・カコヤニス監督)
大地(1930年、アレクサンドル・ドブジェンコ監督)
黄昏(1981年、マーク・ライデル監督)
魂のジュリエッタ(1964年、フェデリコ・フェリーニ監督) 
探偵物語(1951年、ウィリアム・ワイラー監督)
沈黙は金(1947年、ルネ・クレール監督)
トリコロール青の愛(1993年、クシシュトフ・キェシロフスキ監督)
トリコロール赤の愛(1994年、クシシュトフ・キェシロフスキ監督)
トリコロール白の愛(1994年、クシシュトフ・キェシロフスキ監督)
尼僧物語(1959年、フレッド・ジンネマン監督)
ニノチカ(1939年、エルンスト・ルビッチ監督)
裸足の伯爵夫人(1954年、ジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督)
80日間世界一周(1956年、マイケル・アンダーソン監督)  
母(1926年、フセボロド・プドフキン監督)
ピンクの豹(1963年、ブレイク・エドワーズ監督)
フィラデルイア物語(1940年、ジョージ・キューカー監督)
ブリット(1968年、ピーター・イエーツ監督)   
蛇皮の服を着た男(1959年、シドニー・ルメット監督)
ポケット一杯の幸福(1961年、フランク・キャプラ監督)
炎628(1985年、エレム・クリモフ監督)
街の野獣(1950年、ジュールス・ダッシン監督)
ミラグロ 奇跡の地(1988年、ロバート・レッドフォード監督)
モナリザ(1986年、ニール・ジョーダン監督)  
山猫(1963年、ルキノ・ヴィスコンティ監督)
レディ・イヴ(1941年、プレストン・スタージェス監督)
ローカル・ヒーロー(1986年、ビル・フォーサイス監督)

名作映画をよく観ようキャンペーン(どれもおすすめ)
「デカローグ」BOX(クシシュトフ・キェシロフスキ監督)
侯孝賢傑作選BOX80年代篇  
ルイ・マルBOX②

【日本映画】
浮雲(1955年、成瀬巳喜男監督) cut-window6
お葬式(1984年、伊丹十三監督)
貸間あり(1959年、川島雄三監督)
家族(1970年、山田洋次監督)
がんばっていきまっしょい(1998年、磯村一路監督)   
喜劇駅前旅館(1958年、豊田四郎監督)  
警察日記(1955年、久松静児監督) 
故郷(1972年、山田洋次監督)
シコふんじゃった。(1992年、周防正行監督)  
Shall we ダンス?(1996年、周防正行監督)   
少年時代(1990年、篠田正浩監督)
砂の器(1974年、野村芳太郎監督)
ゼロの焦点(1961年、野村芳太郎監督)
戦争と人間 第1部~第3部(70~73年、山本薩夫監督)
どっこい生きてる(1951年、今井正監督)   
幕末太陽傳(1957年、川島雄三監督)  
ファンシイダンス(1989年、周防正行監督)   
墨東綺譚(1960年、豊田四郎監督)   
僕らはみんな生きている(1992年、滝田洋二郎監督)
息子(1991年、山田洋次監督)
夫婦善哉(1955年、豊田四郎監督)
めし(1951年、成瀬巳喜男監督)

伊丹十三DVDコレクションたたかうオンナBOX
木下恵介BOX1~6
「戦争と人間」BOX
独立プロ名画特選BOX1~4
成瀬巳喜男BOX1、2

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