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2005年11月13日 - 2005年11月19日

2005年11月19日 (土)

パッチギ!

2004年art-pure2003b
監督:井筒和幸
脚本:羽原大介、井筒和幸
撮影:山本英夫
音楽:加藤和彦
原案:松山猛「少年Mのイムジン河」(木楽舎刊)
出演:塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ、楊原京子、尾上寛之
    真木よう子、小出恵介、波岡一喜 オダギリ ジョー
    加瀬亮、キムラ緑子、余貴美子、大友康平、前田吟、光石研

 「GO」、「チルソクの夏」、「血と骨」とこのところ在日コリアンを扱った映画が結構作られている。サッカーのワールドカップ日韓同時開催あたりを機に急速に韓国に対する意識が変わり、それに止めを刺すように巻き起こった「冬ソナ」ブームが背景にあるだろう。「月はどっちに出ている」、「血と骨」の原作を書いた梁石日の活躍も忘れてはならない。そして何よりも、そんなブームが起こる前からコリアンがこの日本に住んでいたのだという事実。これほど多くのコリアンが日本にいる背景には日本による植民地支配が根本的な原因であるという事実。いまさらいうまでもないことだが、ここまで遡らなければ今の在日コリアン映画ブームを理解できない。

   時代設定は1968年の京都。今の韓国ブームのはるか前である。日本人高校生と朝鮮高校生との喧嘩から始まる。朝鮮人に対する日本人のむき出しの偏見・差別意識とそれに対する朝鮮人の反発・対抗意識。その中で一人の日本人高校生松山康介(塩谷瞬)が朝鮮高校の番長アンソン(高岡蒼佑)の妹キョンジャ(沢尻エリカ)にほれてしまう。朝鮮人たちから白い目で見られながらもめげずにキョンジャに近づいてゆく康介。やがてキョンジャの方も康介に魅かれ、二人の関係は日本人とコリアンの憎しみ・対立の間に結ばれた細い一本の糸のようになり、対立意識を和らげて行く。

   「パッチギ!」はこのように偏見と対立を乗り越えて、日本人もコリアンも人間として理解しあうことが必要だと訴えている。この基本的姿勢には共感できる。偏見と対立を乗り越えるきっかけが恋愛だというのはいかにも安易であるように見えるが、それは下敷きになったシェークスピアの『ロミオとジュリエット』も同じこと。相手に興味を持つということは相手を理解しようとする気持ちにつながる。そこが大事なのだ。康介はキョンジャを単なるかわいい女の子としてではなく、日本人に根深い憎しみを持つアンソンの妹として、日本に住む一人のコリアンとして理解しようとした。二人で駆け落ちするのではなく、キョンジャの住む世界を理解しその世界に入って行こうと努力した。その姿勢に共感できる。一人康介だけではない。観ているわれわれ観客も、例えば、「日本は出て行けと言う、韓国は帰らせるなと言う」という言葉に表現されている在日コリアンたちの不安定な立場に対する理解を共有する。

  「パッチギ!」は康介とキョンジャの結びつきが周りの人々を巻き込み友好と理解が広がっていることを描いている。ラストで康介が歌う「イムジン河」をキョンジャがラジオで聞いており、そこにチェドキの弔い合戦で日本人とコリアンが殴りあう場面、桃子(アンソンの恋人:楊原京子)が生んだ子供をアンソンが抱き上げるシーンを挿入し、様々な人々と出来事を「イムジン河」の歌が包み込んでゆく様を描いている。ここはこの映画でもっとも感動的な場面である。非常に優れた演出である。「イムジン河」は南北朝鮮の分断を嘆く歌だが、ここでは日本人とコリアンの間の深い溝を乗り越える歌として使われている。

  男女の愛が対立を乗り越えるという図式のプロトタイプはシェークスピアの『ロミオとジュリエット』である。「ウエスト・サイド物語」も「パッチギ!」も基本的な枠組みは『ロミオとジュリエット』から借りている。「パッチギ!」が『ロミオとジュリエット』や「ウエスト・サイド物語」と違うのは対立が単なる2組の小さなグループの間の対立ではなく植民地問題を介在した二つの民族の間の対立だということである。この点は重要な違いであり、「チルソクの夏」と「パッチギ!」が後者の2作品を越える契機になりうる。それだけ深刻な問題を扱っているからだ。ではこの二つの日本映画は『ロミオとジュリエット』を「ウエスト・サイド物語」を越えただろうか。残念ながらそうは言えない。

  「パッチギ!」は日本人と韓国・朝鮮人の間の憎しみと対立を結構描いてはいる。喧嘩もそうだが、それよりもチェドキの葬式のとき康介に「帰れ」と怒鳴った在日1世の爺さん(笹野高史)が彼に語った話には説得力があった。この映画で最も説得力のある場面である。その場の空気、コリアンたちの中に一人だけ日本人がいる、しかもチェドキは日本人に殺されている。康介は他の日本人とは違うとみなされていても、それでも入り込めない壁。緊張感をはらんだその場の空気には乗り越えがたい壁が感じられた。この壁がいかに頑丈で簡単には乗り越え難いものであったかを描きこまなければこの主題は安っぽいものになってしまう。その意味でこのシーンは重要だった。しかしその空気はその場限りのものだった。不良どもの間には絶えず緊張感があるが、そんなものは不良グループ同士の対立と同じガキの喧嘩のレベルだ。殴りあいこそしないが互いの胸の中にどろどろと渦巻く軽蔑、偏見、歪んだ反発、鬱屈した憎しみ、そして就職、結婚などで現実にあらわれる差別の実態こそが真に乗り越えがたい壁なのである。それをガキどもの殴り合いでお茶を濁してしまった。

  どうしてそんなことになるのか。井筒和幸監督に深刻なドラマを撮るつもりはなかっただろう。それでは重くなりすぎる。彼はあくまでエンタテインメント映画を作るつもりだったに違art-pure2001awいない。それはそれで構わない。しかしこの「エンタテインメント」というのが曲者である。日本でエンタテインメント映画を作るとテレビドラマと同じレベルになってしまう。在日問題というテーマを核にして、それに「恋愛」と「青春」と「音楽」という要素を取り込むのはいい。まさにエンタテインメントだ。その青春の描き方に疑問がある。ばったり出会っただけで喧嘩を始める高校生たち。そこになにかひたむきに、がむしゃらに今を生きる若者の姿を本当に感じ取れるだろうか。そこに常識や理屈をこえた青春の輝きが感じられるだろうか。会うと喧嘩ばかりしている高校生の描き方が問題なのは、立ち回りにばかり気をひかれてなぜ彼らはそれほど憎しみあい対立しているのかが後ろに後退していってしまうからだ。冒頭の喧嘩の原因は日本人の高校生がコリアンの女子高生に絡んだことだが、それだけでなぜコリアンの高校生はあのような「過剰な」反応をするのか。実はそこのところが曖昧になっている。全体を見れば理解は出来るのだが、描き方は乱闘場面そのものを楽しむようなつくりになっている。

  もう一つの問題は「常識や理屈をこえた」という考え方だ。これはプロパガンダ的なメッセージや生のメッセージを毛嫌いする傾向と裏腹な関係にある。何かメッセージや主張をすると単純にそれを「プロパガンダ」だとみなしてしまう傾向。正面切って「理屈」と書くことを嫌い、「リクツ」と書くような感性。非常に危険だ。党派的なメッセージは確かに「プロパガンダ」だ。だが、笹野高史演じる在日一世が康介に向って言った台詞、「お前ら日本のガキは何知ってる?」で始まる激烈な言葉、これを越える「生の」言葉がこの映画の中で他にあったか?爺さんが言った「生の」言葉の力を超えるものがあるとすれば「イムジン河」の歌以外にない。だが、これさえも爺さんが悲しいコリアンの歴史を怒鳴るように投げつけるという前提があってこそ深く鋭く観るものの胸をえぐるのだ。 重いテーマを持ちながらエンターテインメントにするというのは難しい課題だ。何らかの工夫が必要なことは言うまでもない。しかし井筒監督が取った方法は安易な演出法だったと思う。彼の演出法はテレビドラマの様な安手なおふざけムードに走ってしまった。

  日本の多くの映画に表れているこのような描き方を「なんちゃって演出」と呼ぶことにしよう。「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2003」で上映され、グランプリを受賞した「地獄甲子園」という映画がある。これはまさに全編「なんちゃって演出」の塊である。言うまでもなく大した作品ではない。この映画がグランプリを受賞したのはこの映画が漫画だからである。単に原作の漫画を実写版にした映画だという意味ではない。原作は月刊少年ジャンプに連載された「地獄甲子園」という漫画なのだが、普通漫画を映画化する場合は、原作の漫画を映画向きに変える。表現媒体が違うのだから当然のことである。しかしこの映画は漫画を映画化した映画なのではなく、いわば漫画そのものが映画の画面の中で展開されているのである。死んだものが平気で生き返る、甲子園にかける情熱を熱く語ったかと思うとすぐその後で「なんちゃって」とひっくり返す。殺人集団・外道高校野球部のメークは学芸会並みのちゃちさ。まさに漫画そのもの。安っぽさ、バカバカしさを漫画そのままに映画の画面に表してみた、そこに今まで経験したことのない違和感が生じる。漫画では自然なことが、映画になると戸惑うのだ。審査員たちはそこに何かただならぬものがあると勘違いしグランプリを与えてしまったのだろう。しかし所詮はバカバカしいだけの映画に過ぎない。漫画そのものがくだらないと言っているのではない。漫画には優れたものが少なからずある。問題は、画面に描かれた漫画(原作は読んでいない)がただバカバカしさで笑わせるだけの漫画であることだ。まさに「なんちゃって演出」のきわみ、理屈ではなく「リクツ」と書く感覚がそこには蔓延している。このおチャラけた感覚が最近の日本のテレビドラマや映画には大なり小なり入り込んでいる。「JSA」、「ノー・マンズ・ランド」、「ヴェロニカ・ゲリン」、「アフガン零年」、「タッチ・オブ・スパイス」、「この素晴らしき世界」、「モーターサイクル・ダイアリーズ」等々、挙げれば切がないが、この様な作品が日本から生まれないのはこの脳天気な意識からきている。物を考えることを嫌う傾向が行き着く先はただ権威の言うことを鵜呑みにする集団催眠状態である。「パッチギ」の演出はもちろん「地獄甲子園」よりはるかにまともな映画であり、芯があり、その演出もずっとしっかりしている。しかしどこかに共通する要素はないか。「パッチギ」は本当にこの現状を「突き破り」、「乗り越え」たのか?他の演出方法は本当になかったのか?

 1968年という時代が背景ともなれば、その絡みで色々言いたいことはあるが、もうだいぶ長くなったので簡単にだけ触れる。冒頭の「オックス」の失神コンサートには笑ってしまった。女の子が「愛ちゃーん」と絶叫している場面をよくテレビで流していたものだ。「失神」という言葉もあの頃流行語になった。ビートルズに始まるマッシュルーム・カットも流行ったなあ。フォークルの「イムジン河」は懐かしかった。このような文脈の中で聞くとなおさら素晴らしい曲に思える。もう一つ、観た後で知ったのだが、原作が「少年Mのイムジン河」というタイトルで、しかも作者が「帰ってきたヨッパライ」の作詞者である松山猛という人だということである。原作も作者も知らなかった。

2005年11月17日 (木)

資料・日本と諸外国の映画環境②

【アメリカ映画の市場占有率】SD-memb-01
・アメリカ映画の世界市場で占める割合は上がる一方である。1998年の世界映画市場稼ぎ頭40本のうち39本、フランスでは稼ぎ頭10本のうち9本までがアメリカ映画である。フランスの国産映画は1982年には53%を占めていたのに、1998年には28%に落ち、英国では1997年のシェア27%が翌年には半減、ドイツでは1998年で10%である。一方、小国デンマークでは1999年、2000年と連続20%を維持している。韓国もアメリカ映画の上映時間割当制のおかげで、従来20%のシェアが40%まで拡大しているという。   
  →日本映画の国内シェアは2001年にはついに27%まで落ち込む。
  →映画入場者数も1958年をピークに下降傾向は止まっていない。

・アメリカは一貫して経済的観点から映画を論じる。ヨーロッパは文化主義的観点から映画を論じる。アメリカが文化的ヘゲモニーを拡大して行く中で、娯楽大作ものはアメリカに任せて、自分の国では独自の文化的薫りを持った作品を作ろうとする方向に進む国が増えている。
・ハリウッドの大手各社がアメリカ産の映画では十分世界市場を維持出来なくなったので、アメリカは世界中から目ぼしい作品の配給権を買い、世界で稼ぐマーケット戦略を強めている。特に製作費がアメリカと比べて格段に安い中国映画がねらわれている。チャン・イーモウの「あの子を探して」と「初恋の来た道」はソニー・エンタテインメント・ピクチャーズの配給である。日本も例外ではなく、スタジオ・ジブリはディズニーと組んでおり、熊井啓の「海は見ていた」はソニー・エンタテインメント・ピクチャーズ、平山秀幸の「OUT」はフォックスの配給である。
・1993年のGATTでフランスとアメリカの間で激しい駆け引きがあった。
  →上映割当システムの維持をめぐっての争い。フランスが押し切る。
・フランスなどがこれ程自国映画の保護に熱心なのは、アメリカ映画が市場を独占出来るだけの力をもっていることの裏返しである。くだらない作品も山のように作っているが、優れた作品もたくさん生み出している。アメリカ社会の腐敗や矛盾、社会悪を告発する作品もまたアメリカ人自身の手で作られている。

【韓国映画の勢いと国の保護政策】
・韓国では40万坪を有する撮影所が国の支援で97年に作られ、「JSA」「シュリ」などの話題作が次々に作られている。韓国の映画振興委員会(99年設立)は製作支援から撮影所の提供、教育・研究まで総合的な支援策を検討し、実行している。

・韓国映画の目覚しい躍進を支える有力な制度的仕組みとして、1996年の「映画振興法」によって実施された「韓国映画の上映義務」制、いわゆる「スクリーン・クォータ制」(上映時間割当制)がある。すべての映画館は年間146日以上、韓国映画を上映する義務を負い、この制度に国の様々な助成策が加わって韓国映画の「躍進」を促してきた。
  しかし1999年、それまで韓国映画市場の6~7割を占有してきたハリウッドは、このスクリーン・クォータ制に激しい攻撃を加え、韓国政府に圧力をかけたが、韓国映画人は団結して民族映画擁護のため、この制度を死守する大運動を展開。「クスリーン・クォータ文化連帯」という非政府組織をつくり、その力で政府はハリウッドの要求をはねつけてきた。  「シュリ」(1999年)「JSA」(2000年)「シルミド」(2003年)「ブラザーフッド」(2003年)など、国民的な大ヒット作が続出、韓国映画は市場の過半数を制するまでになり、ハリウッドは再びスクリーン・クォータ制への攻撃を強めた。04年7月14日、3000人の韓国映画人があつまり、この制度を死守する大デモを決行、日本でも知られる大スターたちも参加している。

・韓国映画の市場占有率は、2002年に45.0%だったのが、03年には49.4%、そして04年の上半期はついに60.0%に達した。03年12月公開の「シルミド」は1108万人、04年2月公開の「ブラザーフッド」は1174万人の記録的な大動員を果たした。これにたいしアメリカ映画は2002年48.7%、03年43.5%、そして04年36.1%と押され続け。アメリカ映画7対邦画3の壁をなお破れない日本の場合と、対照的だ。

・「KOFIC」発行の『韓国映画の展望台』(2005年夏の号)より
 韓国映画は2000年以来年平均19%の観客増という急成長を続けてきた。2005年は若干足踏みしている。05年上半期の観客動員数は計2076万9086人で、昨年同期の2317万2446人に比べてearth127.8%減。その大きな理由は昨年上半期には「シルミド」「ブラザーフッド」という1000万人動員のメガヒットがあったが、今年はまだそのクラスの大作に恵まれていない。その結果昨年同期、国産映画の市場比率が62.4%まで飛躍していたのが、今年は50.4%に後退。しかし韓国の全映画館は年間146日、国産映画を上映する義務を持つスクリーン・クォータ制があり、なおシェアの過半を占めている。
  なお日本の「ハウルの動く城」は昨年末公開、外国映画の興行収入第4位(301万5615人)を記録した。

【映画は文化である フランス映画に学ぶ文化の支援と保護】
  以下は中川洋吉『生き残るフランス映画』(希林館、2003年5月)の「序文」の要約紹介である。

  CNC[注:国立映画センター、文化省の直属機関]の財政基盤を支えるのは、映画・映像(テレビ)産業界からの拠出金システムである。映画入場料金の11%、テレビ局(国営も含む)の総売り上げの5.5%を徴収し、年間予算は26億2200万フラン(2001年、約440億円)に上っている。民間の資金を官が運営し、徴収金を再び映画産業へと還元する。一種の文化リサイクル装置をつくり上げている。日本の文化庁予算の45%の規模であり、すべてが映画・映像に費やされている。
  CNCと並ぶ、フランス映画を支える両輪の一方がテレビ局である。フランスでは、映画がテレビの重要なソフトであり、年間約1500本が放映される。テレビ局は映画製作に対し、地上波局は総売り上げの3%、ケーブルテレビのカナル・プリュスは20%の支出が法的に義務づけられている。

 フランスのテレビが映画・映像作品を放送する場合、60%をヨーロッパ作品としたうえで、40%をフランス作品とするという枠をはめ、自国作品の保護を図っている。

  93年度の統計によると、上映館数は4300館で、この10年間ほとんど変わらない。日本の1700館とは大きな開きがある。

  この違いはシネマコンプレックス(複合映画館)の発展の違いによる。フランスにはシネマコンプレックスが800館以上あり、大部分はひとつのビルに2~5館を含んでいる。  助成は映画館の改装費、設備費に対して最高90%まで援助される。また、CNCはプリントの貸与も行っている。この制度によって、少都市でも、大都市と同様な上映作品が楽しめ、映画館の経営維持にも役立つ。
  CNCが行っている映画製作に対する助成のひとつ「選択助成」の最大のものとして、制作資金の前貸し制度がある。この制度のおかげで、フランスでは毎年、多くの新人監督が世に出ている。
  フランスではテレビは映画の敵ではない。テレビが映画を斜陽化させた事実は否定できないが、映画はテレビにとって視聴率を上げる最大のソフトでもある。つまり、テレビには映画なくしては生きていけない状況があり、そこで両者の制度的な共存関係が生まれた。
 映画館の客足を確保するため、金曜日の夜は芸術性の高い作品を除いて、テレビは映画を放映できないという制限もある。

  映画を歴史的文化遺産として保存に力を注ぐことにおいて、フランスにまさる国は他にないであろう。古い作品を恒常的に上映するシネマテークの存在は我が国でも広く知られている。フランスでは1992年の政令により、出版、ビデオ、映画、テレビに関し、納付制度が義務づけられた。この制度により、映画に関しては、国内で上映された全作品をCNCが保管することとなった。他に、このアーカイヴのもう一つの大きな役割は、古いフィルムの修復であり、むしろ、この分野にこそ、CNCは力瘤を入れている。

  CNCとシネマテークの業務は重なる分野もあるが、実際は上下関係にあり、規模はCNCが圧倒的に大きい。両者の特徴は、CNCが保存・修復を第一の目的とし、作品の一般公開は原則的に行わない。これに反し、シネマテークは、作品の公開をメインの目的としている。
  このようにCNCを頂点にした映画分野における「歴史的文化財産」の保存・修復活動は、国家の文化に対する意識の高さを表している。

2005年11月16日 (水)

資料・日本と諸外国の映画環境①

<カナダ>fan-2
  モントリオール市郊外にあるカナダ国立映画制作庁(NFB)は、年間の経費約44億円をすべて国費でまかなう映画制作機関だ。
  カナダは映像産業への手厚い保護がある。まず制作費の3割以上を国が投資する制度。昨年のカナダ映画約60本のうち22本が適用を受けた。その資金運用を国から委託されているテレフィルムカナダによると、今年の総予算は約178億円。フランソワ・マセロラ代表は「あくまでも出資だが、返ってくるのは1割程度」という。映像を国が支援する目的のひとつは「カナダ文化の保護」。国内で上映されているのはハリウッド映画が9割以上。人口は3000万人余、映画館入場料700~800円では、カナダ映画を作っても国内だけでは資金の回収は難しい。「カナダの映像文化は歴史が浅い。守らないと消えてしまうおそれがある」とマセロラは話す。
  このほか、州や連邦政府の資金援助や税金の返還制度もあり、すべてを使えば、制作費の約1割の手持ち資金で、かなり大規模な映画が作れてしまう。
  プロデューサーや監督たちは、こうした制度なしではカナダで映画は作れないと口をそろえる。しかし、援助が得られないと・・・。ベテランプロデューサーのロジェ・フラビエは昨年、2本の長編を企画したが、国と州政府から援助を断られ1本も作れなかった。
          「北のハリウッド カナダ映画事情」下  「朝日新聞」 01年4月24日

<デンマーク>
  デンマークは人口わずか530万人(日本の約20分の1)、長編映画の制作費を国内で回収することは至難の業。それに他の欧州諸国同様ハリウッド映画の重圧がある。
  にもかかわらずこの数年間製作は長編20本台に伸び、1999年と2000年には人口の5分の1に当たる100万人動員の作品が1本ずつ出、海外映画祭の受賞も相次ぎ、海外市場からの収益も伸びた。一番有名なのは2000年のカンヌ映画祭グランプリをとり、日本でも大ヒットの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(監督ラース・フォン・トリアー)。
  その要因には国立映画学校の人材育成、政府とテレビ局の積極的助成、トリアーらの映画運動「ドグマ95」があげられていて、政府は2000年に前年の倍額1900万ドル(25億円)の政策補助を出し、国営テレビも「ドグマ95」のような運動を支援、「ドグマ95」は「技術的なことより人間ドラマを」のきびしい原則、国情に合ったコストで良質な映画を目指すなど学ぶべきことが多く、考えさせられる。

<ニュージーランド>
  ニュージーランドには1970年代末まで映画産業は存在しなかった。映画はあったが、自国の映画は50年代に1本、60年代に2本と事実上ゼロに等しかった。それが70年代末、政府がニュージーランド・フィルム・コミッション(NZFC)を創設、国産映画の製作に投資しはじめてから、ニュージーランド映画の新しい人材が出現、国際的にも注目されはじめる。このNZFC発足25年間に150本の作品が登場、ピータ・ジャクソンも国の出資で第1作を撮り、超大作「ロード・オブ・ザ・リング」にいたった。また「ワンス・ウォリアーズ」(1994)でデビューしたリー・タマホリがハリウッドに招かれ、「007」最新作を監督したのも、その延長線上にある。 また、ニュージーランドの先住民マオリの映画も注目を集めている。
  ・1994年「ワンス・ウォリアーズ」(リー・タマホリ監督
  ・2003年「クジラの島の少女」(ニキ・カーロ監督)
  →隣のオーストラリアでもアボリジニを描いた「裸足の1500マイル」(2002年)が
       作られている(監督は白人のフィリップ・ノイス)。

<日本>
  日本の劇映画の製作は、1887年に年間300本を切って以来、300本を回復出来ていない。映画の撮影所も大船撮影所の閉鎖に続き、縮小・移転などが推し進められようとしている。国家の支援もイギリスのフィルムカウンシルの支出は約86億円、フランス国立映画センターの映画関係支出は280億円となっている。
  →山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」は京都の太秦撮影所で撮影
   →日本は30億円に満たない。   
  →また支援の内容も制作資金への助成にとどまっている。
     撮影所の老朽化・縮小・閉鎖、映画人の著作権、人材養成機関の設立など

  日本の映画環境は大都市と地方都市では大きな較差がある。ある調査によると、東京では封切り映画の98%が公開され、大阪は76%、名古屋は65%など、他方下関はわずか5%、鳥取は9%、いわきは12%である。

・日本の文化政策の貧困 →フィルムセンターの火災(1984年9月3日)
  フィルムセンターは昔一度火事で焼けている。この火事はまさに日本における映画文化の貧困さを象徴していた。84年の9月3日、多分いつもより比較的涼しい日だったのだろう、フィルム保管庫のクーラーを止めていたところ可燃性フィルムが自然発火してしまった。予算をケチってクーラーを止めたために貴重なフィルムを一部消失してしまったのである。fan-3当時新聞でそれを知ったときにはしばし呆然としたものだ。
 そもそも古いフィルムは発火しやすく、フィルム保管庫はいわば弾薬をかかえているのと同じである。オランダ視聴覚アーカイヴの可燃性フィルム保存庫は海辺の砂丘地帯の窪地にある。第二次大戦中にナチス・ドイツ軍のトーチカとして建設されたものをフィルム保存庫に改造したのである。保存庫は、職員が働いている隣室とは反対側の壁を比較的弱くしてあり、「最悪の事態」が生じた時にはそちらへ爆風が逃げてゆく構造になっている。トーチカを選んだのはそれが頑丈だからだが、周りに人家が少ないことも考慮に入れていたのだろう。
  昔のトーチカを改造して使う。これくらい保存に気を使わねばならないほど可燃性フィルムはデリケートなものなのである。そのクーラーを切るとは!フィルムセンターの所員の責任ではない。国立のフィルム・ライブラリーに貧困な予算しかつけない文化政策に問題がある。日本の文化予算は能や歌舞伎などの伝統文化の維持にほとんどをつぎ込み、映画などという「大衆文化」にはおこぼれ程度しか回ってこない。果ては、予算を増やすどころか、これでもまだ多いとばかりに2001年には独立法人にしてしまった。自国の映画産業をアメリカ映画の侵食から守るためにクォータ制をとっている国もあるというのに、国自らが映画文化の首を絞めてどうする。ここ数年予算は増えてきており、多少の理解も進んだようだが、松竹の大船撮影所閉鎖などの逆行現象は止まらない。映画は製作会社だけのものではない。国民の財産なのだ。製作だけではなく、上映、保存、修復など一連の事業を含めて対策を考えるべきものである。映画は後世に伝えるべき優れた文化遺産なのだという認識を、政府も国民の間でも確立することが今一番必要なことだ。

・キネマ旬報映画総合研究所所長 掛尾良夫氏談
  「日本では年300本弱の邦画が公開される。しかし一握りの作品以外は全くビジネ
  スになっていない。韓国は70本程度だが、産業としてはずっと健全。」
                    「プロデューサー元年」中 05年1月5日(朝日新聞)

・経済産業省 特定サービス産業動態統計速報
 2004年の映画館売上高
   1557億円(前年比マイナス2.5%)2年ぶりに前年を下回る。
 映画館の入場者数
   アニメ 前年比42.8%増  →「ハウルの動く城」の大ヒット
   邦画  前年比11.3%増  →「世界の中心で、愛をさけぶ」のヒット
   洋画  前年比10.3%減  →それでも洋画は入場者全体の55%を占める。

<イギリス>
  1988年は「日本における英国年」で、第11回東京国際映画祭に協賛する形で10月24日から11月8日にかけて東京で「英国映画祭」が開催された。画期的なことである。また2000年の4月4日から9日まで東京の草月ホールで「ケルティック・フィルム・フェスト」が開催された。南北アイルランド、スコットランド、ウェールズというケルト圏の映画を集めた催しである。これもそれまでは考えられなかった企画である。さらに、「トレイン・スポッティング」「ブラス!」「フル・モンティ」「エリザベス」「秘密と嘘」「リトル・ダンサー」「シーズン・チケット」等々、次々と話題作が公開されている。特に「秘密と嘘」が1997年度『キネマ旬報』年間ベストテンの第1位に選ばれたことは特筆すべきことである。それほど話題にはならないとしても、毎月のようにイギリス映画が公開される。こんなことは80年代、いや90年代の前半までも考えられなかったことだ。なぜイギリス映画はこれほど急激に活況を呈するようになったのだろうか。
  1982年にイギリス映画界にとって画期的な出来事が二つ起きている。一つはイギリス映画「炎のランナー」がアカデミー作品賞を受賞したことである。もう一つはテレビ局のチャンネル4が出来たことである。この局は映画制作に力を入れることを念頭に置いて作られた局である。これ以降メジャーな配給会社による映画とチャンネル4によるインディペンデントな小品映画が並行して作られ、少しずつ成功作が生まれてくる。86年の「マイ・ビューティフル・ランドレット」は中でも印象深い作品である。その他にもジェームズ・アイヴォリーの文芸映画、デレク・ジャーマン、ピータ・グリーナウェイのアート系映画などが次々に生まれた。「インドへの道」や「ミッション」などの大作も作られた。こうしてデビッド・リーンやキャロル・リードといった巨匠が活躍した時代から、怒れる若者たちの時代60年代を経てその下降線をたどり、低迷の70年代を送ったイギリス映画界は、80年代の回復期を経て、90年代に入りついに復活し、イギリス映画は再び黄金時代を迎えたのである。1989年には30本しか製作されなかったのが、90年代前半には50本以上になり(92年は47本、93年は69本、95年は78本)、96年128本、97年112本と、96年以降は年間100本以上のイギリス映画が製作されているのである。このような好調の背景には、映画制作にかかわる事情の変化が関係している。前述したチャンネル4と公共放送のBBCが車の両輪となり、映画制作を支えている。他にもグラナダ・テレビとITCなどのテレビが劇映画を製作している。また、宝くじの売上金を映画制作に融資する制度も映画製作本数の増加に大きく貢献している。また、ブレア首相率いる労働党内閣も映画振興政策に力を入れている。ブレア首相は初めて映画担当大臣を置き、映画制作の資金調達と若手映画人育成に力を入れだした。制作費1500万ポンド以下の作品を非課税扱いとした。
  さらに、イギリスという国家がイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4つの地域からなっていることを考えたとき重要なのは、これらの影響がイングランド以外の地域にも及んでいるということである。90年代以前はイングランド以外の地域ではほとんど映画の製作は行われていなかった。しかし90年代に入り、スコットランドでは宝くじ収益金のほかに、短編映画の助成金、グラスゴー映画基金、スコティッシュ・スクリーンなどの映画機関の援助が得られるようになった。ウェールズでは82年にウェールズ第4言語テレビチャンネルが設立され、宝くじ基金やウェールズ・アーツ・カウンシルなどの助成金制度などとあわせて映画制作やウェールズ国際映画祭などを支えている。北アイルランドでも、90年代に北アイルランド・フィルム・カウンシルが設立され、宝くじ基金とBBC北アイルランドと共に映画制作を援助している。こういったことがすべてあいまって80~90年代のイギリス映画の好調を支えているのである。
              ゴブリン「80~90年代のイギリス映画:不況の中の人間像」
<参照資料>
小林義正「ケルト圏の最新の映像を集めた意欲的な催しーーケルティック・フィルム・フェ
  ストの上映作品」、『シネ・フロント』No.248
大森さわこ「最近英国映画事情」、『キネマ旬報』No.1274
品田雄吉「イギリス映画の今を探る」、同上

2005年11月15日 (火)

傑作TVドラマ「第一容疑者」

moon14  TVドラマシリーズ「第一容疑者」(1992-96)の第1巻と第2巻を観た。優れた警察ドラマである。日本の9時台に放送されるサスペンス・ドラマとは雲泥の差だ。2000年にBFIが選定した「英国テレビ番組ベスト100」(本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」の「イギリス映画の世界」コーナーに入れてあります)の68位にランクされた傑作である。脚本・原案はリンダ・ラプランテ。主演は「キャル」「エクスカリバー」「英国万歳!」「グリーン・フィンガーズ」「ゴスフォード・パーク」「カレンダー・ガールズ」など、映画でも活躍中のヘレン・ミレン。美人ではないしもう中年だが、女優として実に魅力的である。かつてのグレンダ・ジャクソンを思わせる。「第一容疑者」は何年か前にNHKで放送されたそうだが、「ER」シリーズ以外はあまりテレビでドラマを見ないので知らなかった。今回中古店でBOXを手に入れ、はじめて観たのである。

  新しく捜査主任になったジェーン・テニスン主任警部(ヘレン・ミレン)が警察内の女性差別にもめげず、なかなか尻尾を出さない連続娼婦殺人犯を追い詰めてゆくのが第1巻。タイトル通り、ある男が容疑者として早くから上がっているのだが、なかなか立証する証拠が挙がらない。あらゆる方面から糸口を手繰って行き容疑者を追い詰めてゆく展開が見事である。容疑者は早い段階で絞られているので、犯人探しではなくむしろアリバイ崩しや証拠がために主眼がある。その意味では倒叙ものの系統に入る。

  第2巻ではすっかり部下の信頼を得たジェーンが白骨死体をめぐる難解な事件に挑む。今回は倒叙形式ではなく真犯人がなかなか分からない。本格的な犯人捜査もの。ジェーンの黒人の恋人が同じ捜査班に加わり、ジェーンをあわてさせたり、勝手な行動を取ってジェーンを追い詰めたりする。毎回新たな展開がありそうで第3巻以降が楽しみだ。BOX1には3巻、BOX2には4巻収録。 ヘレン・ミレンが実にりりしい。とても「カレンダー・ガールズ」でヌードになったおばちゃんと同じ人とは思えない。優れた女優である証だ。

  英国の警察ドラマには「インスペクター・モース(主任警部モース)」(同42位)、「刑事ロニー・クレイブン」(同15位)などがあって、警察物は人気のようだ。この2つは見ていないが、「バーナビー警部」シリーズはDVDで全部見た。これも良かった。ベスト100には入っていないが優れたシリーズだと思う。フロスト警部のTVドラマシリーズもあるようだがまだ見ていない。『クリスマスのフロスト』など原作はどれも面白いので期待できそうだ。

  外国のTVシリーズといえば、最近は韓国ものが大量に入ってきている。偏見なのかこれらは一つも見ていない。どうも映画ほどは食指が動かない。アメリカのTVシリーズは何と言っても「ER」と「バンド・オブ・ブラザーズ」が最高。後者は絶対おすすめである。映画「プライベート・ライアン」の続編の様な性格のシリーズである。これほどリアルな戦争ドラマは他にない。特に第9話は衝撃的だ。ぜひ観てほしい。「24」は第1シーズンこそ息もつがせぬ展開でぐいぐいひきつけられたが、第2シーズン以降は話が荒唐無稽になって興味を失った。「ツイン・ピークス」は最初こそ謎が謎を呼ぶ展開で素晴らしかったが、最後は超常現象で終わってしまうのでがっかりした。「ダーク・エンジェル」も第1シーズンはすっかりジェシカ・アルバにはまってしまった。ドラマの出来もいい。しかし第2シーズンは今ひとつで、結局途中で観るのをやめてしまった。「Xファイル」はあまり興味がなくほとんど観ていない。

  イギリスのTV番組はBBCのドキュメンタリーが何といっても有名だ。世界の最高水準だろう。その陰に隠れてドラマはあまり知られていないと思う。しかし水準はかなり高そうだ。中古屋で見つけたら即買いである。「第一容疑者」にはしばらく病み付きになりそうだ。その間映画があまり観られないのではないかと今から心配だ。

2005年11月14日 (月)

うえだ城下町映画祭②「女が階段を上る時」

mas2_1  成瀬巳喜男の「女が階段を上がる時」は銀座のバーの雇われマダムの話である。こちらは華やかな世界の裏面を哀愁をこめて描いている。成瀬監督得意の女性映画で、興行的にも大ヒットした。主演は高峰秀子。高峰秀子は淡島千景とならぶこの時代のお気に入り女優である。「馬」「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」「浮雲」「喜びも悲しみも幾年月」「名もなく貧しく美しく」等々、数々の出演作は名作ぞろい。

 男たちに翻弄され、家族に悩まされながらも、一人の女として自立して生き抜いてゆこうとする女性を描いている。その意味では溝口の描いた「祇園囃子」に通じるものがある。タイトルは、主人公圭子(高峰秀子)のバーが二階にあり、いつもその階段を上がるときに一瞬のためらいを彼女が感じるところからつけられている。階段を上がりきったら自分を捨て客のサービスに徹する世界に入り込むからである。

 彼女の夫は何年か前に事故で亡くなっている。以来彼女は決して特定の客と深い仲にならないようにしている。圭子はいつも着物を着て店に出ているが、その着物は銀座のマダムとしては地味である。店に出ていないときでも着られるようにわざと地味な柄を選んでいるのである。このあたりに彼女の堅実な性格が現れている。主ななじみ客は銀行の支店長・藤崎(森雅之)、町工場の社長・関根(加藤大介)、実業家の郷田(中村鴈治郎)、利権屋・美濃部(小沢栄太郎)。かわるがわる口説かれるが彼女はうまくいなしている。

 溝口監督は主人公の圭子の心の揺れに焦点を当てて描いている。銀座の雇われマダムも悩みが多い。疲れてアパートに帰った後も売り上げや経費の計算をしなければならない。時にはつけの清算に客の勤め先に出向かねばならない。彼女の元で働いた後自分の店を持ったユリ(淡路恵子)の店は大いに繁盛しているように見えたが、店を立ち上げたときの借金で車も宝石も手放した。ついには借金取りの同情を引こうと自殺未遂をするが、薬を飲みすぎて死んでしまう。冒頭にはガス自殺したマダムの話も出てくる。決して楽な商売ではないのだ。郷田に店を持たせてやってもいいと言われだいぶ気持ちが傾くが、特定の男に頼りたくないので、圭子は1人10万ずつたくさんの人から出資してもらうことを考える。

 男に囲まれながら、男に身を売らず自立してゆくのは大変である。所詮雇われマダム。自分の店を持ちたいという願望は強くなる。しかし頑張りすぎ無理がたたって胃潰瘍になり、1月ほど実家で静養せざるを得なくなった。実家は佃島である。生まれは貧しい庶民の家という設定は彼女の性格をうまく表している。しかし実家も居心地はよくない。実家では兄(織田政雄)が借金を抱えて困っている。母親も兄も彼女が頼り。店の女将(細川ちか子)が見舞いに来るが、何のことはない早く店に戻れ、客のつけを早く清算しろと暗に催促しているのだ。実家すら安息の場ではない。自分のアパートが唯一くつろげる場所である。しかし、そこにも兄が借金を頼みに来たり、男が押しかけてきたりして決して完全な避難場所とはいえない。結局客も店の女の子もバーの経営者も、一皮向けば金のつながりしかない。華やかな銀座の享楽の影で、女たちは日々うめいている。彼女を取り巻く環境は不安定なもので、常に崩れ去る危険性を伴っている。いつ転落するか分からない綱渡りの人生である。圭子は堅実な性格だからここまで何とかやってこられたのだ。そんな圭子を愛しながらじっとそれを隠し、彼女を支えてきたのはマネージャーの小松(仲代達矢)である。

clip-eng3  体も壊し自分の店を持つ夢もなかなかかなわない圭子はとうとう男に頼ってしまう。町工場の社長・関根に結婚を申し込まれ、圭子は申し出を受け入れる。美男子ではないが、酒も飲めないのに店に通い誠実な態度で接する彼を信頼したのだ。しかし彼の妻から(妻がいたのだ!)電話が入り、彼の話はすべて嘘だと分かる。落胆して酒におぼれる圭子を家まで送った支店長の藤崎は、彼女と一晩を共にしてしまう。実はこの藤崎に圭子は一番心を引かれていたのである。しかし翌朝彼は関西に転勤だと圭子に告げる。彼の帰った後に、今度はマネージャーの小松がやってきてこれまで隠していた思いを打ち明け、結婚してくれと迫る。圭子は断った。すべての男に裏切られ、圭子は自分ひとりで生きていこうと強く決心する。最後にまた階段を上がるシーンが出てくるが、その時の足取りは軽く自信に満ちている。

 成瀬監督を代表する傑作は「めし」と「浮雲」だと思うが、「女が階段を上がる時」も素晴らしい出来だった。45年前の作品だが、今観ても圭子の描き方には共感できる。家庭以外に女性の生活の場がほとんどなかった時代に、「結婚して幸せになりました」という結論を持ってこなかっただけでも立派である。「女ひとり大地を行く」のようなたくましい女性として描かれてはいないが、彼女は悩み苦しみ、失敗を繰り返しながら自分の生き方を模索していった。結局元の状態に戻っただけだが、圭子の意識は大きく変わっている。「浮雲」と同じ高峰秀子と森雅之の競演作。男性客を演じた多彩な名優たちがそれぞれにいい味を出している。山茶花究、多々良純、藤木悠、沢村貞子、中北千枝子、賀原夏子、菅井きん、千石規子など、おなじみの役者が次々に登場するのも楽しい。昔の映画界には天上に輝くスターたちばかりではなく、実にたくさんの個性的な「地上の星」がいたのである。

 成瀬巳喜男は、黒澤明、小津安二郎、溝口健二、今井正とならぶ日本映画の5大巨匠と呼んでいい存在であるにもかかわらず、これまであまり知られているとは言えなかった。やっと生誕百周年の今年になってDVD-BOXが発売され、様々な特集や上映会が催されるようになった。衛星放送やDVDが普及した意義は大きい。大都会に住んでいなくても過去の優れた遺産に容易に接することが可能になったのである。東京にいた頃、「文芸座」や「並木座」以外では滅多に日本映画の古典は観られなかった。「浮雲」は82年の11月から12月にかけて日比谷の「千代田劇場」で催された「東宝半世紀傑作フェア」で観た。他に「山の音」、「雪国」、「忍ぶ川」、「夫婦善哉」、「また逢う日まで」を観ている。この時を逃したら生涯観ることもないだろうと当時は思っていた。今はDVDで観ることが出来る。いい時代になったものだ。今後も日本映画の優れた遺産をDVD化する作業が進むことを強く期待する。

うえだ城下町映画祭①「春の雪」

  第9回「うえだ城下町映画祭」に行ってきた。映画祭を観に行くのはこれが2回目。最初snowrabbitのうちは企画が貧弱なので、馬鹿にして行かなかった。2002年の第6回は「たそがれ清兵衛」という目玉があり、「シュレック」「GO」「銀河鉄道の夜」など結構いい映画をやっていたのだが、なぜか行かなかった。わざわざ映画祭が終った数日後に「たそがれ清兵衛」を観に行っている。多分混みあうのを避けたのだろう。初めて行ったのは去年の第8回である。映画祭2日目に「草の乱」と「東京原発」の2本を観た。その2日前に「隠し剣 鬼の爪」を、映画祭の数日後に「ハウルの動く城」を映画館で観ている。この2本は映画祭と関係ない。

  どうもこの時期は1年のうち一番映画館で映画を観る時期になっている。映画祭の上映作品をあまり観ないのは既にDVDが出ている旧作が多いからである。DVDで観られるのに、わざわざ高い金を出して映画館まで観に行く気がしないのだ。去年は映画祭で上映された「ジョゼと虎と魚たち」を映画祭終了後にレンタルDVDで観ている。料金が高いので映画祭ではこれを観て、こちらはレンタルして観ようと計画を立ててしまうのである。そもそもレンタル店で借りられる古い作品を上映する企画に問題がある。それも、例えばある監督の特集上映の様な企画があるならいいが、ただ何の関連もない映画を何本かまとめて上映しているだけでは、観に行く気がしないではないか。そもそも映画祭期間以外の時期でも、僕が映画館に行ってまで観たいと思う作品はDVDが出る頃に上田の映画館に回ってくるのである。例えば、来週から「故郷の香り」が上映されるが、これはもうDVDが出ている。当然映画館ではなく安いDVDで観ることになる (ただ「故郷の香り」は近所のレンタル店には置いてないので、観に行くかどうかまだ迷っている)。比較的早く映画館に回ってくるのは話題のハリウッド映画ばかりだ。その手の映画はレンタル店で1週間レンタルになってから見れば十分なので、わざわざ映画館で観る気にはなれない。だから、結局映画祭のときしか映画館に行く機会はないことになる。なぜか映画祭の前後にいい映画が来るのでその時期に集中して観に行くことになるのである。ちなみに、今月から来春にかけて「故郷の香り」の他に「運命じゃない人」「メゾン・ド・ヒミコ」などが上映予定である。いずれもDVDとどっちが早いか競争だ!

  映画祭の企画ももう少し何とかならないのか。今年のラインアップは過去最低だ。ぜんぜんやる気を感じさせない。せめて期間を1週間に延ばして、中心に何か特集企画を立ててほしい。今のままではジリ貧だ。映画祭そのものの性格ももっとはっきりと打ち出してほしい。個人的には、思い切って名称を「上田東アジア映画祭」に変え、日本・韓国・中国の映画を中心に企画を立てるぐらいの改革が必要だと思っている。「福岡アジア映画祭」とも提携し、福岡と並ぶ東の「アジア映画祭」という意味もこめて発展させるべきだと思う。

  映画館の入場料が高すぎるのも何とかしてほしい。先日長野市に映画を見に行った。「ALWAYS三丁目の夕日」を観ようと映画館の入り口まで行ったが、1800円という料金をどうしても払う気になれなくて結局入らずに帰ってきた。時間と電車賃の無駄遣いだった。上映作品にも問題がある。何年か前までは上田の映画館は2本立てだったから1本あたりsuzu4900円で、そう考えると安いと感じた。それでもあまり行かなかったのは見たい映画をやっていないからだ。88年に上田に来て最初に観たのは「フルメタル・ジャケット」だったが、何と併映は「エルム街の悪夢」(どうゆう組み合わせなんだ?)。忘れもしない衝撃の初体験。しかも観客は「フルメタル・ジャケット」の時でもわずか数人、その後の「エルム街の悪夢」が始まったときには最終回だったこともあって僕以外にたった1人。その1人も5分くらいで帰ってしまった。そもそも観たい映画ではなかったし、料金がもったいないから観ようと思っただけなので、結局僕も10分くらいで出てしまった。あんなもの一人暗闇の中で観る映画ではないからね。まあ、こんな具合で、2本立てでも観たいのは1本だけということが多かったのである。

  そろそろ映画祭で観た映画のほうに話題を移そう。今年は成瀬巳喜男監督の「女が階段を上る時」と行定勲監督の「春の雪」を観た。前者はさすがの傑作だったが、後者は今ひとつ。最近だいぶ日本映画の水準が上がってきたとはいえ、まだまだ黄金期の高い峰には届かない。改めてそう実感した。

  「春の雪」は妻夫木聡と竹内結子主演の悲恋物語。映像がすこぶる美しい。なにせ大正時代の侯爵家の子息と伯爵家の令嬢の悲恋を映画いているのだから、建物や風景などこれでもかとばかり贅を凝らしている。馬車なども出てきて大正時代の雅さには事欠かない。所詮は貴族たち(伯爵家は没落貴族だが)の浮世離れした恋愛物語なのだが、悲劇的な別れまでの持って行き方は悪くない。2時間半の長さを2時間に縮めていればそれなりの佳作になっただろう。というのも最後の30分は不要だからだ。聡子(竹内結子)と清顕(妻夫木聡)の駅での別れの場面で終わらせておけば余韻もあっていい終わり方だったと思う。冒頭に出てくる百人一首の言葉(流れが大きな岩で止められ、二つに分かれてもまた一つにつながる)と2枚の札(読み札と取り札)がうまく使われている。分かれてもまた会えるという意味を込めてそれぞれ1枚ずつ持っていたのだが、別れの際に聡子は自分の札を清顕に渡してしまう。つまり二度と会わないという決意だったのである。ここで終わらせるべきだった。

  にもかかわらず、清顕はいつまでも未練たらたらでみっともないことこの上ない。聡子は宮様との婚約が決まり清顕への思いを断ち切ったのに、この自己チュー男は聡子に会わせろとしつこく迫る。今更そんなこと言うのだったら、聡子の婚約が決まる前になぜ彼女をしっかり自分の妻にしておかなかったのだと怒鳴りつけてやりたくなる。聡子の婚約が決まる前は、斜に構えて素直に聡子への愛を表さなかったではないか。それが手遅れとなったころになって俺は自分の真の愛に気付いたとばかり聡子に付きまといだす。どこまでも自分勝手な男である。「卒業」のように聡子をかっさらって二人で駆け落ちするぐらいの行動力を示すならまだしも、ぼろぼろになって寺の前で会わせてくれとただ頼むだけではねえ。バカバカしくて最後の30分はすっかり冷めてしまった。

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