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2005年10月30日 - 2005年11月5日

2005年11月 5日 (土)

アビエイター

airplane002_s2004年 米・日・独
原題:The Aviator
美術:ダンテ・フェレッティ
脚本:ジョン・ローガン
監督:マーティン・スコセッシ
撮影:ロバート・リチャードソン
出演:レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ブランシェット
    ケイト・ベッキンセール、 ジュード・ロウ
     アレック・ボールドウィン、グウェン・ステファニー
    イアン・ホルム アラン・アルダ、ジョン・C・ライリー

 いかにもアメリカ映画という作りだ。題材がまずアメリカ的である。大金持ちで、プレイボーイで、映画制作や航空産業にも手を出したハワード・ヒューズの20代から40代はじめまでを描いている。ハワード・ヒューズといえば古い映画ファンならなじみの名前だろう。有名な映画をいくつも製作したプロデューサーであり、あのRKOを買いとった大富豪である。僕もある程度の知識は持っていたが、伝記を読んだことがあるわけではないので、彼自身優れたパイロットの腕を持ち、航空会社TWA を買収したことなどはこの映画で知った。晩年は潔癖症と強迫神経症が高じて部屋に閉じこもったままの生活をした人だが、映画はそうなりかかるまでの、才能を十分に発揮していた時期を描いている。まあ、確かに才能にあふれた人ではあったが、庶民から見れば金持ちならではの奇人変人の類である。荒木飛呂彦の『変人偏屈列伝』に採り上げられていても何の違和感もない人ですな。ついでに言えば、生まれつきの金持ちだから、立志伝中の人物とか、アメリカン・ドリームの体現者などの言い方は当たらない。

 それはともかく、贅を凝らした建物や衣装、有名女優との浮名、潔癖症と強迫神経症からくる奇行。いかにもアメリカ的だし、アメリカ映画的だ。自分か開発した飛行機の初飛行の場面など、映画的効果が発揮できるシーンにも事欠かない。アカデミー賞5部門受賞など、話題満載の映画である。

 ハリウッドのスター、有名女優がたくさん出てくるのも話題になった。ジーン・ハーロー(グウェン・ステファニー)、キャサリン・ヘップバーン(ケイト・ブランシェット)、エヴァ・ガードナー(ケイト・ベッキンセール)の競演は、演技力でケイト・ブランシェットの勝ち。何しろアメリカでもっとも尊敬されている、アメリカ最高の女優に扮するのだ、力がはいって当然である。大分キャサリン・ヘップバーンを研究したのだろう、あのゴルフのシーンが典型的だが、ヘップバーンの話し方や身振りが実によく似ていた。歯に衣着せずにはっきりとものを言うあの話し方といい、手の振り方や背の反らせ方といい、ホントそっくりだ。顔がとがっているところが似ているので起用されたのかと思ったが、当然演技力も買われたのだろう。何せキャサリン・ヘップバーンを演じるのだからね。一方、ジュード・ロウふんするエロール・フリンはいかにも軽薄な感じで、刺身のツマ程度の扱い(確かに見るからに助平そうだったもんなあエロール・フリンって)。

 どうも不思議なのは、ハワード・ヒューズを知っている事を前提に作られているので、説明不足なところが多くてのめり込めないという感想が多いことだ。特に説明不足とも思えなかったが、恐らく彼の伝記的事実よりもパンナムとの駆け引きとか、当時の映画制作の事情とか、軍との関係とかそういうところがわかりにくいという意味だろうか。ただ、のめり込めないというのは理解できる。彼の様々な面を総花的にスクリーンに描き出そうとしたために、全体としてエピソードの積み重ねのようになって、時々山場はあるが全体に平板なつくりになっているからだろう。主人公を始め、誰にも感情移入が出来ないことにも原因があると思われる。何より、ハワード・ヒューズが変人過ぎて常人には共感できないのだ。

 ハワード・ヒューズを演じた主演のレオナルド・ディカプリオはずいぶん若く見えた。いまだsuzu4に童顔とは!最後の頃も40代には見えない。彼としては力演なのだが、どうも人物像の掘り下げが浅いので名演とまでは行かず。愛人は次々と代わるので掘り下げようもないが、飛行士あるいは航空機の設計士としての情熱と信念を描いている部分はよく出来ていた。タイトルを「アビエイター」としたのは、そこにこそ彼の情熱の原点があることを示したかったのだろう。

 それにもかかわらず、全体として見れば、「アビエイター」はハワード・ヒューズという稀代の「偉人」の複雑な人間性を丸ごと描き出すことにこだわっている。確かに観客を飽きさせることなく3時間近いドラマを描ききったのは監督としてかなりの手腕である。しかし手堅くまとめただけという不満もある。飽きはしないが、深く感動もしない。豪華な作りではあるが、いかんせん人間関係の掘り下げが浅いので映画全体の出来としては今ひとつである。飛行場面(墜落場面も含めて)や公聴会でハワードが反論する場面など見せ場もそれなりにあるが、映画全体としては平板で深みに欠ける。派手な金の使いっぷり、豪華なインテリア、有名女優との恋愛、最新鋭機の飛行実験など、庶民には縁遠い手の届かない世界を3時間近く覗かせてもらうという、いわば見世物の世界だ。

  映画としてはもっと焦点を絞った方がよかったのではないか。せっかくタイトルを「アビエイター」にしたのだから、その面にもっと思い切って重点を置くべきだった。飛行機に対する彼の情熱は並大抵ではない。パンナムの幹部の言い分はこの戦争中に金(それも軍用資金だ)を無駄に使いやがってというものだが(まるで戦争中の日本と同じだ)、ハワードにはそんなことはどうでもいい(才覚のある商売人でもあるから軍用機の開発と売込みには神経を使うが)。むしろハワードは純粋に世界一早く飛ぶ飛行機を作りたい、飛行機による世界一周の最短記録を塗り替えたい、世界一でかい飛行機を作りたいという夢そのものを追い続けていた男なのだ。そして金だけではなく、その夢を実現するだけの才能も持っていた。単なる金持ちの馬鹿息子ではない。映画を見ていて彼の一番の魅力はそこにあると思った。ある意味ではリンドバーグにも匹敵する魅力的な一面である。ならばその面を中心に描けばよかったと思うのだ。

 映画関係も女優との絡みはせいぜいキャサリン・ヘップバーン程度に絞って、映画関係も「地獄の天使」製作だけに絞る(航空機関連で)くらいでよかった。「地獄の天使」製作の場面はよく出来ている。何十台ものキャメラを飛行機にのせて撮るという手法は驚くほど斬新である。自らパイロットとしてスタント飛行もこなす技術と意欲もすごい。そして何と言っても例の雲の一件。背景が何もない空だけでは飛行機のスピード感が出ないというのは卓見である。それだけでも映画監督として非凡な才能を持っていたことがうかがえる(ただ、雲の位置が知りたいというだけで気象学者を雇ってしまうのはいかにも金持ちらしい発想だと思うが)。果てはこれからはトーキーの時代だと、せっかく撮った映画をまたトーキーで撮り直すことまでやる。ほとんど病的といってもいいほどの完璧主義。この「地獄の天使」製作の過程だけでも1本の映画を作れるくらいの内容がある。やはりもっと焦点を絞り込むべきだった。最近不振のアメリカ映画の中では優れた作品の部類に入るだけに、この点が惜しまれる。

2005年11月 3日 (木)

映画レビュー一覧 た~わ行

 80年代までの映画のタイトルは「名作の森(外国映画)」と「名作の森(日本映画)」に掲載してあります。

大統領の理髪師
題名のない子守唄(短評)
タイヨウのうた
ダ・ヴィンチ・コード
ダウト(短評)
ダークナイト(短評)
ダージリン急行(短評)
たそがれ清兵衛(短評)
タッチ・オブ・スパイス
旅するジーンズと16歳の夏
ダブリン上等!
たまゆらの女
誰も知らない
小さな中国のお針子
チェイサー(短評)
チェ28歳の革命(短評)
チェンジリング(短評)
父親たちの星条旗
父と暮らせば
父よ
茶の味
チャーリーとチョコレート工場
中国の植物学者の娘たち(短評)
長江哀歌
チルソクの夏
つぐない(短評)
劔岳 点の記(短評)
Dearフランキー
THIS IS ENGLAND(短評)
ディープ・ブルー
テレビシアにかける橋(短評)
天空の草原のナンサ
天上の恋人
天然コケッコー
東京原発
トゥヤーの結婚(短評)
トーク・トゥ・ハー
トランシルヴァニア
トランスアメリカ
ドリームガールズ
ドレスデン 運命の日
トンマッコルへようこそ
ナイトウォッチ
ナイロビの蜂
長い散歩
涙女
名もなきアフリカの地で
21グラム
二重スパイ
ニワトリはハダシだ
熱帯魚
ネバーランド
ノー・カントリー(短評)
ノー・ディレクション・ホーム
パイレーツ・オブ・カリビアン
パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
パイレーツ・ロック(短評)
ハウルの動く城
博士の愛した数式
裸足の1500マイル
八月のクリスマス
パッチギ!
ハッピー・フューネラル
ハッピー・フライト(短評)
母たちの村
ハリウッド・ホンコン
遥かなるクルディスタン
春夏秋冬そして春
春にして君を想う
春の日は過ぎゆく
春の雪 
パンズ・ラビリンス
反則王
ピエロの赤い鼻
美術館の隣の動物園
ビッグ・フィッシュ
人のセックスを笑うな(短評)
ヒトラー 最期の12日間
ビフォア・サンセット
ビューティフル・ピープル
氷海の伝説
ビヨンドtheシー
ヒロシマナガサキ(短評)
ファインディング・ニモ
ファミリー
Vフォー・ヴェンデッタ
フォーガットン
復讐者に憐れみを
ブコバルに手紙は届かない
武士の一分
舞台よりすてきな生活
ふたりの5つの分かれ路
胡同愛歌(短評)
胡同のひまわり
胡同の理髪師
フライ、ダディ、フライ
プライドと偏見
フラガール
フラザーフッド
プラダを着た悪魔
ブラッド・ダイヤモンド
プラットホーム
ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうな私の12か月
プルートで朝食を
フル・モンティ(短評)
プロヴァンスの贈りもの(短評)
ブロークン・フラワーズ
フロスト×ニクソン(短評)
プロデューサーズ
ヘイフラワーとキルトシュー
ベッカムに恋して
ペパーミント・キャンディ
ベルヴィル・ランデブー
ヘンダーソン夫人の贈り物
ほえる犬は噛まない
僕が9歳だったころ
ぼくセザール10歳半1m39cm
僕と未来とブエノスアイレス
ぼくの国、パパの国①
ぼくの国、パパの国②
ポセイドン・アドベンチャー
ボーダータウン 報道されない殺人者
ホテル・ハイビスカス
ホテル・ルワンダ
ポビーとディンガン
ポーリーヌ
ホルテンさんのはじめての冒険(短評)
ボルベール<帰郷>
ホワイト・バッジ
ボーン・スプレマシー
ボン・ヴォヤ-ジュ
ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ
迷子の警察音楽隊
マグダレンの祈り
マゴニア
マシニスト
マッチスティック・メン
マッチポイント
マラソン
マルタのやさしい刺繍
みえない雲
見知らぬ女からの手紙
Mr.インクレディブル
ミス・ポター
みなさん、さようなら。
ミュンヘン
未来を写した子供たち
ミリオンズ
ミリオンダラー・ベイビー
ミリキタニの猫(短評)
みんな誰かの愛しい人
麦の穂をゆらす風
MUSA武士
息子のまなざし
村の写真集
めがね
メゾン・ド・ヒミコ
メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
モーターサイクル・ダイアリーズ
モディリアニ 真実の愛
約三十の嘘
約束の旅路
やさしくキスをして
やわらかい手(短評)
ヤング@ハート
ヤンヤン夏の思い出
勇者たちの戦場(短評)
夕凪の街 桜の国
夕映えの道
雪に願うこと
ユナイテッド93
ヨコハマメリー
寄せ集め映画短評集 その1 韓国映画10連発
寄せ集め映画短評集 その2
寄せ集め映画短評集 その3
寄せ集め映画短評集 その4
寄せ集め映画短評集 その5
寄せ集め映画短評集 その6
寄せ集め映画短評集 その7
寄せ集め映画短評集 その8
寄せ集め映画短評集 その9
寄せ集め映画短評集 その10
寄せ集め映画短評集 その11
寄せ集め映画短評集 その12
寄せ集め映画短評集 その13
寄せ集め映画短評集 その14
寄せ集め映画短評集 その15
寄せ集め映画短評集 その16
寄せ集め映画短評集 その17
寄せ集め映画短評集 その18
酔っ払った馬の時間
4か月、3週と2日(短評)
4分間のピアニスト(短評)
ライフ・アクアティック
ライフ・イズ・ミラクル
ラヴェンダーの咲く庭で
ラストキング・オブ・スコットランド
ラスト・コーション(短評)
ラスト・サムライ
ラストマップ/真実を探して
ラブストーリー
ランド・オブ・プレンティ
リアリズムの宿
リーグ・オブ・レジェンド
リストランテの夜(短評)
リストランテの夜
リトル・ミス・サンシャイン
リベラ・メ
リメンバー・ミー
理由
猟奇的な彼女
緑茶
リンダ リンダ リンダ
玲玲の電影日記
レイヤー・ケーキ
列車に乗った男
レボリューショナリー・ロード(短評)
ロスト・イン・トランスレーション
ロスト・ハイウェイ
六ヶ所村ラプソディー
路上のソリスト(短評)
ロード・オブ・ウォー
ロード88
ロング・エンゲージメント
わが家の犬は世界一
笑いの大学
ONCE ダブリンの街角で

 80年代までの映画のタイトルは「名作の森(外国映画)」と「名作の森(日本映画)」に掲載してあります。

「五十音順記事一覧」の作り方

  やったー!ついにやったぞ。むふふふふふふ。うれぴ~。

  なにがそんなにうれしいかって?念願の「五十音順記事一覧」をついに作ったのですよ。もうどうやったらこれを作れるかずっと頭を悩ましていたんですからね。それをついに考え出したんです。他人に教えてもらったのではなく、自分で考えだした。うれしくないわけがないでしょう。

  まあ、あまりうれしがってばかりいないで、少し冷静になって事情を説明しましょう。以前「庭の枯葉~生活のゆとり」という記事の中で次のように書きました。「ブログの欠点は、古い記事を探しにくいということである。最近書いた記事しかトップページには表記されない。バックナンバーも付いてはいるが、日付で区切られているので、一つひとつの記事のタイトルが分からない。他のブログには五十音順のリストが付いているものもあるが、ココログには標準装備されていない。何らかの工夫をしてつけているのだと思うが、その方法が分からない。何とかその方法を見つけるのが当面の課題だ。」

  実は、ある程度見通しはついていたのです。要は左のサイドバーに載せればいいわけです。サイドバーにはカレンダー、最近の記事、バックナンバー、最近のコメントなどの項目が載っていますが、これらは最初から標準でついているものです。これらに唯一自分で追加できる項目はマイリストですね。これを使えばいい。ここまでは見当がついていた。そこから先が思いつかなかったわけですよ。

  それが最近トラックバックをやたら使うようになって「固定リンク」の概念がやっと分かってきた。何だこれを使えばいいんだ。これに気付いた段階で問題は解決したようなものです。ためしにやってみたら見事成功。がははははは。では、何とか自分の書いた記事を整理したいとお悩みの方に、わたくしゴブリンがそのハウ・ツーを教えて進ぜよう。ただし、あくまでこれはココログを使っている場合の手順ですからね。他のブログを使っている人は応用が必要かもしれません。

 最初に、うんと簡単にやり方を説明すると、まず「五十音順記事一覧」を自分のブログに載せ、マイリストにお気に入りのブログやHPを登録するのと同じ手順で、「五十音順記事一覧」をマイリストに登録するだけです。アーカイブ専用のマイリストを新しく作ればなおいいでしょう。

手順1
  まず自分が書いた記事を分野別、かつ五十音順に並べます。既にたくさんの記事を書いた人はこの作業が大変ですが、とにかくこれをやらないことには先に行けません。頑張りましょう。

手順2
 出来上がった一覧表にリンクをつけます。その時必要なのが「固定リンク」です。それぞれの記事の一番下に「固定リンク」「コメント」「トラックバック」という文字が入っています。どれをクリックしてもいいのですが、「固定リンク」をクリックするとその記事だけが画面に出ます。コメントやトラックバックが来ていれば下に金魚のうんこのように付いています。その画面のURLがその記事固有のURLです。これをコピーして記事のタイトルにリンクさせてください。記事の作成画面のすぐ上に左からB、I、U、S、A等の文字やアイコンが並んでいますが、Aは文字の色を変えるボタンです。必要なら記事のタイトルを選択して色をつけてください。僕は青色を使いました。その右隣にLinkと書かれたアイコンがあります。タイトルを選択したままでこのボタンをクリックするとボックスが開きます。そのボックスの中に先ほどの「固定リンク」のURLをコピーすればリンクが張れます。すべての記事にこのリンクを張って下さい。実はこの作業が一番大変です。僕はクリックしすぎて指が痛くなりました。

手順3
 全部リンクを張り終わったら記事を保存してブログにアップします。これでブログの最新記事としてトップ画面に載ります。これだけでは新しい記事を載せただけです。次にこの記事をサイドバーに載せる手順を説明します。

手順4
 マイリストに新しいリストを追加します。マイリスト画面の右側にある新規作成の欄を使って出来ます。分からなければヘルプを参照してください。リストに名前をつけます。僕は「アーカイブ」にしました。このリストに先ほど作った「記事一覧」を新規項目として追加すればいいわけです。 「記事一覧」の固定リンクURLをコピーして貼り付けましょう。

手順5
   しかし、これだけではまだトップページに表示されません。次にブログのタブを開いて「設定の変更」に進み、「デザイン」のタブを選びます。画面真ん中左の囲みの中に緑色で「コンテンツ」「並べ方」「名称」という文字が並んでいますので、「コンテンツ」をクリックします。ブログに表示するコンテンツ一覧が表示されます。「マイリスト」の項目を探してください。その中に先ほど追加登録した「アーカイブ」(僕の場合)の名前が追加されているはずですので、その左にある小さなボックスにチェックを入れます。一番下にある「変更を保存」をクリックすれば、おめでとう、あなたのブログのサイドバーに見事「アーカイブ」と「五十音順記事一覧」が表示されます。ブログで確認してみてください。

 もしサイドバー上の表示位置が気に入らなければ(例えば一番下では不便ですよね)、先ほどの「コンテンツ」「並べ方」「名称」の画面に戻り、「並べ方」のタブで位置を変えられます。好きな位置にドラッグするだけです。一番上が見やすくていいでしょう。ついでに名称を変えたければ「名称」のタブで出来ます。

 さあこれで完成です。お疲れ様でした。こんなに長い記事になるとは思ってもいませんでした。細かく説明しようとするとこうなるのですね。「記事一覧」を作るのは早ければ早いほどいいですよ。記事が増えればそれだけ苦労が増えますから。

 よく分からなくても自分で考えてください。基本的な操作はヘルプで大体分かるはずです。安易に質問されても困ります。僕もココログを完璧に使いこなしているわけではありませんから。パソコンに詳しいわけでもありません。理系ではなく文系ですから、わたし。

映画レビュー一覧 あ~さ行

 80年代までの映画のタイトルは「名作の森(外国映画)」と「名作の森(日本映画)」に掲載してあります。

【映画レビュー】
アイリス
OUT
青空のゆくえ
赤い風船(短評)
アース(短評)
明日へのチケット
アズールとアスマール
あの娘と自転車に乗って
アビエイター
アフター・ウェディング(短評)
アマンドラ!希望の歌
アフガン零年
阿弥陀堂だより
アメリカ、家族のいる風景
アメリカン・ギャングスター(短評)
アメリカン・ジャスティス
アメリカン・ラプソディ
蟻の兵隊(短評)
あるいは裏切りという名の犬
硫黄島からの手紙
活きる
いつか読書する日
一票のラブレター
イブラヒムおじさんとコーランの花たち
犬猫
イングロリアス・バスターズ(短評)
インタビュー
イン・トゥ・ザ・ワイルド
ウィスキー
ヴァキューミング
ウェディング・バンケット
ヴェニスの商人
ヴェラ・ドレイク
ヴェロニカ・ゲリン
ウォーリー(短評)
ウォレスとグルミット危機一髪とファンタジーの伝統
ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!
歌え!フィッシャーマン
宇宙戦争
美しい夏キリシマ
海を飛ぶ夢
雲南の少女ルオマの初恋(短評)
運命じゃない人
運命を分けたザイル
永遠の片想い
永遠のマリア・カラス
英国王のスピーチ(短評)

エイプリルの七面鳥
SSU
エディット・ピアフ 愛の讃歌
延安の娘
オアシス
王と鳥
王の男
大いなる休暇
おくりびと
オーケストラ!
おばあちゃんの家
オフサイド・ガールズ
思い出の夏
オリバー・ツイスト
ALWAYS 三丁目の夕日
ALWAYS 続・三丁目の夕日
女はみんな生きている
隠された記憶
隠し剣 鬼の爪
過去のない男
カーサ・エスペランサ
華氏911
風の前奏曲
家族のかたち
河童のクゥと夏休み(短評)
カーテンコール
彼女を信じないでください
紙屋悦子の青春
カミュなんて知らない
亀は意外と速く泳ぐ
亀も空を飛ぶ
かもめ食堂
狩人と犬、最後の旅
カル
カレンダー・ガールズ
記憶の扉(短評)
キッチン・ストーリー
キープ・クール
きみに読む物語
キムチを売る女
キャロルの初恋
嫌われ松子の一生
キンキー・ブーツ
銀馬将軍は来なかった(シルバースタリオン)
クィーン
空中庭園
グエムル 漢江の怪物
ククーシュカ ラップランドの妖精
草の乱
孔雀 我が家の風景
クジラの島の少女
靴に恋して
グッドナイト&グッドラック
グッバイ・レーニン
雲 息子への手紙
クライシス・オブ・アメリカ
クラッシュ
グラン・トリノ(短評)
グリーンフィッシュ
ぐるりのこと。(短評)
クレイジー・ストーン(短評)
クレールの刺繍
刑務所の中
月曜日に乾杯
ケミカル51
恋人たちの食卓
光州5.18(短評)
皇帝ペンギン
告発のとき
ココシリ
心の香り
ゴースト・ワールド
五線譜のラブレター
子猫をお願い
この素晴らしき世界
この自由な世界で
この世の外へ クラブ進駐軍
珈琲時光
コープス・ブライド
今宵、フィッツジェラルド劇場で
コーラス
コンフィデンス
最高の人生の見つけ方(短評)
サイドウェイ

サイドカーに犬(短評)
ザ・インタープリター
THE有頂天ホテル
殺人の追憶
サッド・ヴァケイション(短評)
さまよえる人々
サマリア
サラエボの花(短評)
サルバドル
懺悔(短評)
サンシャイン・ステイト
サン・ジャックへの道
幸せになるためのイタリア語講座
ジェイン・オースティンの読書会(短評)
シークレット・サンシャイン(短評)
沈まぬ太陽(短評)
シッコ(短評)
シティ・オブ・ゴッド
死ぬまでにしたい10のこと
至福のとき
下妻物語
ジャスミンの花開く
ジャーヘッド
しゃべれども しゃべれども
シャンプー台のむこうに
十二人の怒れる男
16ブロック
少女の髪どめ
少女ヘジャル
少年と砂漠のカフェ
ジョゼと虎と魚たち
ションヤンの酒家
シリアの花嫁(短評)
白い馬の季節(短評)
シン・シティ
シンデレラマン
シルミド
深呼吸の必要
真珠の耳飾の少女
人生は、時々晴れ
酔画仙
推手
スイミング・プール
SWEET SIXTEEN
スウィーニー・トッド(短評)
スウィング・ガールズ
スタンドアップ
スティーヴィー
ストレイト・ストーリー
スパニッシュ・アパートメント
スパングリッシュ
スラムドッグ$ミリオネア(短評)
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(短評)
西洋鏡
世界最速のインディアン
接続
蝉しぐれ
セルラー
007 カジノ・ロワイヤル
戦場のレクイエム
潜水服は蝶の夢を見る(短評)
それでもボクはやってない

 80年代までの映画のタイトルは「名作の森(外国映画)」と「名作の森(日本映画)」に掲載してあります。

2005年11月 2日 (水)

マシニスト

2004年 スペイン・アメリカcut_b-mgear04
原題:THE MACHINIST
監督:ブラッド・アンダーソン
脚本:スコット・コーサー
出演:クリスチャン・ベイル、ジェニファー・ジェイソン・リー
    アイタナ・サンチェス=ギヨン、ジョン・シャリアン
    マイケル・アイアンサイド

 久々にアメリカの娯楽映画を観た。本当にこの手のアメリカ映画は著しく質が落ちた。観たいのに観たくなる映画がないのだからどうしようもない。とにかく何か観ようと思って借りてきたが、まあ水準の出来でしょうか。

 とにかく落ちがあまりにも情けない。「ロスト・ハイウェイ」のレビューで書いたが、これじゃリンチが不条理を持ち出したくなる気持ちも理解できる。ただ途中の不気味な展開はそれなりにみせる。差し引きゼロで水準程度におさまるというしだい。

   機械工のトレバー(クリスチャン・ベイル)は原因不明の極度の不眠症ですでに丸1年眠っていない。という設定だがそんなはずはあるわけない。睡眠不足で機械工をやっていたら1ヶ月もたたないうちに両手の指は一本もなくなっているはずだ。彼のせいで指を失った同僚のように。要するに極度の不眠症ということが大事で、寝ていないのが1年である必要はない。2、3週間ほとんど眠っていないとすれば無理のない設定なのだが、話を大きくしたかっただけだろう。むしろ不眠症の原因がわからないというのがポイントである。

  話の展開は、彼が見る不思議な現象の原因追及と謎の人物の正体の解明である。ある日、トレバーは自宅の冷蔵庫に”Who are you?”と書いてある張り紙を見つける。自分では全く覚えがない。留守中に誰かが侵入していたことになる。一隊誰の仕業か。張り紙の意味は何か、目的は何か?映画はサスペンスの色合いが濃くなる。

  不眠症で極度に痩せているトレバーは麻薬でもやっているのではないかと上司に疑われる。尿検査の後、工場の外でタバコを吸っていると見慣れない男を見かける。アイヴァン(ジョン・シャリアン)という名前で、休んでいる同僚の代わりだと話す。ところがこの男の姿はどうやらトレバーにしか見えないらしい。アイヴァンに気をとられたトレバーのせいで同僚(マイケル・アイアンサイド)が指を切断する大怪我を負ってしまう。このあたりから映画にホラーの要素(超自然的現象)が混じってくる。

  家に帰ればまた不気味な張り紙が見つかる。アメリカの子どもなら誰でも知っているハングマン・ゲームをもじった謎の張り紙。これが効果的だ。このゲームは相手の考えた単語を1文字ずつ当てて行き最後に何と言う単語かを当てるゲームである。外れるたびに少しずつ吊るし首の絵が完成して行き、単語が分かる前に絵が完成すれば答える側の負けである。

wi00   最初は6文字のうち最後の2文字erが示される。何回か張り紙が見つかるたびに分かる文字が増え,*il*erまで来た時に、トレバーは答えがmillerだと直感する。例の彼のせいで指を切断する事故にあった男の名前だ。トレバーはミラーが脅迫の犯人だと思って怒鳴り込んでゆく。しかしどうも違うらしい。このあたりまで来ると、トレバーがほとんど錯乱状態になっていることが分かる。ハングマン・ゲームの答えはこの段階で誰の目にも明らかで、ミラーは明らかに肩透かしなのだから。

  他にもあの手この手を使って不気味で怪しげな雰囲気を作り出してゆく。ナンバープレート743CRNの赤い車に乗ってトレバーの行く先々に現れるアイヴァン、ルート666という遊園地の怪しい出し物。トレバー自身も工場で危うく手をはさまれて大怪我をしそうになる。誰が機械のスイッチを入れたのかわからない。

  誰かが陰謀を張り巡らせ自分を陥れようとしている。そう信じたトレバーは、ますます精神を蝕まれていく。ありえないことが次々に起こり、サスペンスの域を超えてサイコホラーになってゆく。トレバーの体は登場したときから既にガリガリのすさまじいほどの痩せ具合である。目は落ち窪み、異様にぎらぎらしている。体中から骨が飛び出さんばかりに浮いている。意識も朦朧とすることが多く、食欲も無くなり、記憶力も落ちてゆく。ほとんど生きる亡者だ。さらに精神まで蝕まれてゆく。クリスチャン・ベイルの鬼気迫る演技がすごい。

  彼の目に見える世界は青みが勝った色合いになっている。この色合いが不気味な雰囲気によく合って効果的だ。彼は次第に周囲から孤立し,ついには会社を首になる。もうここまで来ればほとんどやけくそである。赤い車の持ち主が知りたくて番号を暗記して警察に行くが教えてくれない。ひき逃げに合った証拠があれば教えるといわれ、自ら車に飛び込んで怪我を負うことまでやる。

  しかし神経を張り詰めっぱなしでは体が持たない。彼が気を休められる居場所が2箇所ある。馴染みの娼婦スティービー(ジェニファー・ジェイソン・リー)と、いつも通っている飛行場のカフェで働くウェイトレス・マリア(アイタナ・サンチェス=ギヨン)である。そして謎を解く鍵も実はこの二人にあった。この先は言えないが、言ってもそれほど差し支えないほどのしょぼい結末である。でもまあ、言わんでおこう。

  監督は「ワンダーランド駅で」「セッション9」のブラッド・アンダーソン。「セッション9」は観てないが、「ワンダーランド駅で」はいい題材を扱ってはいるが出来は今ひとつだった。今のところ傑作はまだ作っていないということになるだろう。

2005年11月 1日 (火)

約三十の嘘

2004年trump_jb
原作:土田英生
脚本:土田英生、大谷健太郎、渡辺あや
監督:大谷健太郎
出演:椎名桔平、中谷美紀、妻夫木聡、田辺誠一
    八嶋智人、伴杏里、徳井優

  原作は土田英生の戯曲。寝台特急という限られた空間の中で展開される虚虚実実の世界。いかにも舞台劇というつくりである。北海道で詐欺を働いて稼いだ7000万円という大金をめぐる、6人の詐欺師同士の駆け引きをコメディタッチで描いている。金を騙し取られた人たちの落胆や苦悩などどこ吹く風、社会問題などとは最初から無縁の完全な作り物の世界。最近日本映画は好調だが、その多くはこういう脳天気なコメディやなんでもない日常を独特のタッチで描くものがほとんどだ。そういうものがあっていいのだが、そういうものばかりでは物足りない。

 まあ、難しいことを言わずに楽しめばいい。もともとそういう作品である。その限りでは悪い出来ではない。主要登場人物は6人の詐欺師たち。かつてのオーラを失った元リーダー志方(椎名拮平)、性格的に一番しっかりしている美人詐欺師・宝田(中谷美紀)、なぜか事あるごとに志方に突っかかる元アル中・佐々木(妻夫木聡)、まじめだがどこか頼りない新リーダー・久津内(田辺誠一)、宝田にくっついてきたお調子者の新メンバー・横山(八嶋智人)。京都駅で今井(伴杏里)が加わる。「オーシャンズ11」の様な設定だが、似ているのはそこまで。舞台劇なので現金強奪の手順をスリル満点に描くことはできない。大体、詐欺といっても安い羽毛布団を高額で売りつけるという計画だ。銀行強盗などという大掛かりなものではなく、現実によくある詐欺商法というところがかえってどこかほほえましい。ただ、詐欺そのものに焦点が当てられているわけではない。そもそも詐欺そのものは全く描かれていない。場面が変わったら現金の詰まったスーツケースが目の前にあるという展開だ。7000万円が詰まったそのスーツケースが帰りの電車の中でなくなってしまう。犯人は誰か、スーツケースはどこへ行ったのか。犯人とトリックをめぐるミステリー仕立ての展開がメインのストーリーなのである。

 それなりに芸達者をそろえてはいるが、伴杏里が今ひとつ。かつて、このグループが解散するきっかけとなった出来事(稼いだ金をメンバーの一人に持ち逃げされた)の共犯者の一人だと疑われており、一応疑惑は払拭されるのだが、完全には信用されていないという設定だ。したがって重要な役なのだが、ほとんど芸もなくただいるだけという感じである。胸が大きいだけがとり得ではねえ。むしろ胸の小さい(失礼) 中谷美紀の方がずっとセクシーで魅力的である。

 謎解きもそれなりに楽しめるが、どちらかというとドタバタ的展開。それにメンバー同士の恋愛が絡められる。最後はメンバーの団結が大事だということで収まるが、しかし詐欺師同士の団結と言われてもねえ。まあ、誰かが「男と女のマネー&ラブゲーム」と書いていたが、そういうつくりなのであまりうるさいことを言っても仕方がないか。舞台劇が原作なので、派手なトリックやどんでん返しよりも登場人物の間の言葉のやり取りを楽しむつくりになっている。人間関係は始めから薄っぺらなので、駆け引きを楽しめばいいわけだ。

ウィスキー

2004年 ウルグアイ・アルゼンチン・独・スペインapple_w
監督:フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール
出演:アンドレス・パンス、ミレージャ・パスクアル
    ホルヘ・ボラーニ、アナ・カッツ

  日本で初めて公開されたウルグアイ映画である。ウルグアイではこれまでに60本の映画しか作られていないらしい。滅多に観ることのない珍しい国の映画だが、「ウィスキー」はカンヌ国際映画祭でオリジナル視点賞と国際批評家連盟賞をダブル受賞した。東京国際映画祭でもグランプリと主演女優賞を受賞している。なかなかの評価である。期待して観たのはいうまでもない。

  しかし正直がっかりした。どうもさっぱり面白くないのだ。退屈だったと言ってもいい。久しぶりに会う弟に見栄を張るために、靴下工場の経営者ハコボは従業員のマルタに弟がいる間だけ夫婦のふりをしてくれるように頼む。この設定に僕は何かほのぼのとした味わいの映画を期待していた。フランク・キャプラの名作「1日だけの淑女」あるいはその再映画化「ポケット一杯の幸福」を無意識のうちに連想していたのかもしれない。しかし、確かに設定はその通りなのだが、特になにが起こるわけでもない。淡々と話は進み終わってゆく。それだけだ。薄味すぎて物足りない。それが正直な感想である。

  「南米版アキ・カウリスマキ」という評もあるように、確かにアキ・カウリスマキを思わせる映画である。しかし同じカウリスマキの映画でも「マッチ工場の少女」はつまらなかったが、「過去のない男」はいい映画だと思った。後者にはドラマがあり、人のぬくもりが感じられたからだ。「ウィスキー」はカウリスマキの中でも前者のタイプに近いのかも知れない。

  「ウィスキー」はいわゆる「すべて説明することはせず、観客の想像に委ねる演出法」で作られていると言っていい。二人の監督たちは上映後の質疑に答えて「この映画というのは、答えを出すよりも問題を提起している、その数の方が多いものととらえております」と答えている。やはり意識的にそういう作り方をしている。僕は正直言ってこのタイプの映画が嫌いだ。このタイプの映画はほとんどいいと思ったことはない。僕は子どものころに夢中になって本を読んで育った。特に冒険物語に夢中だった。読む者をひきつけるストーリーがなければ満足できない。ドラマが好きなのだ。こういう塩の入っていないお粥の様な映画はどうしても物足りない。

  ただし、単に結末がいろいろに解釈できるという程度なら、それは別に構わない。そういう映画はたくさんある。問題は結末に至るまでのあまりに淡白な描き方である。そこに大したドラマがないことが不満なのである。突き詰めれば、恐らく「平凡な人生」ということの捉え方が問題なのだ。この映画では代わり映えのしない日常が淡々と描かれる。毎朝決まった時間に工場に行き、シャッターを開ける。決まった手順で明りをつけ機械のスイッチを入れる。毎日繰り返される全く同じ単純な作業。従業員同士では多少の会話があるが、ハコボとマルタは必要最低限の会話以外はほとんど言葉を交わさない。

  この映画にテーマがないわけではない。監督たちは「孤独感についての映画を作ったつもりでおります」と言っている。その「孤独感」をどう描くのか。問題はそこだ。人生の大部分は単調な出来事の繰り返しである。映画やドラマの様な大事件はそうそう起こるものではない。「犬猫」を取り上げた時に、「その日常の部分に光を当てる映画があってもいいはずだ。小津の映画だってその範疇に入る。日本の私小説もそうだ。ドラマとしては成立しにくいが、登場人物のささやかな夢やあわい恋心、些細な悩み、微妙な感情のゆれ、意識のひだ030712_02_qなどをクローズアップすることによって見るものの共感を誘う映画だって成立する」と書いた。さらに言えば、「共感」も絶対条件ではない。われわれはチャップリンの「殺人狂時代」のムッシュ・ベルドゥーに共感するわけではない。彼の「言い分」に重大な問題提起が含まれていることを認めはするが。もし何か絶対条件があるとすれば、「観客を退屈させないこと」ではないか。夢もなく日々孤独で退屈な人生を送っている人物を描いてもいいが、それを退屈しないように描かなければならない。そう思うのだ。「犬猫」「珈琲時光」「子猫をお願い」「リアリズムの宿」も日常を描いているが退屈ではなかった。

 では、どこが違うのか。これを説明するのは難しい。「平凡であること」、「日常的であること」と「生きるということ」は確かに結びついている。ハコボとマルタが毎日繰り返す単純な作業は彼らの生活である。そこには潤いはない。それは伝わってくる。そこに陽気でおしゃべりなエルマンがやってきて彼らの日常を破る。3人で過ごした数日間を通して確かにマルタは変わった。夫婦を装うことによって、そして陽気なエルマンと接することによって、マルタに女性としての自覚が発現してくる。だが変わったのはマルタだけだ。ハコボは相変わらず無口で無愛想である。エルマンはいつも変わらず調子がいい。二人は変わらないからあっさりと日常に戻れる。ハコボはまた同じ時間に工場のシャッターを開け、電灯と機械のスイッチを入れる。エルマンはひとしきりマルタと楽しむがまたブラジルの家族の元に帰ってしまう。しかしマルタは工場に現れない。変わってしまった以上同じ日常には戻れないのだ。

 理屈では分かる。だがなにせ面白くない。なぜ面白くないのか。

  監督たちは「ウィスキー」というタイトルをつけた理由を「いつわりの感情、真実を前にした嘘、“つくり笑い”。小さな嘘を重ねるうちに、登場人物たちは互いの絆を強めていく、そんな物語にしたかったので、『ウィスキー』というタイトルを付けた」と説明している。「ウィスキー」は写真を撮る時にかける言葉で、「チーズ」と言うのと同じである。「作り笑い」というのはそこから来ている。確かにハコボとマルタが偽の結婚指輪をはめ、偽装夫婦に成りすまして写真館で証拠の写真を撮った時に浮かべたぎこちない笑いは「作り笑い」だった。

 ぎこちなさは動きのない固定キャメラによる撮影によっても強調されている。監督たちの頭にあったのは絵本のイメージだという。つまり、絵がクローズアップされ、説明の文章はわずか。したがって映画もせりふが少なくキャメラは固定。徹頭徹尾「説明過多」を排除した映画なのである。その意味で理論的映画である。監督たちの思うとおりに人生を加工している。手法が主でテーマは漠然とあるだけ。批評家が喜びそうな映画だ。しかしどう観ても一般受けする映画ではない。もちろんハリウッド映画の様なつくりがいいと言いたいわけではない。だが、ここまで無機質な映画ではドラマは生まれてこない。一方、監督たちの説明にはいちいち納得してしまう。彼らの理論どおりの映画だからだ。その分豊かさがない。理論からはみ出る人生の豊かさがない。どうも物足りないと感じる理由はその辺にありそうだ。

 

2005年10月31日 (月)

キャロルの初恋

monsyo_vi2002年 スペイン
原題:EL VIAJE DE CAROL
原作:アンヘル・ガルシア・ロルダン「夜の初めに」
脚本:イマノル・ウリベ、アンヘル・ガルシア・ロルダン
監督:イマノル・ウリベ
音楽:ビンゲン・メンディサバル
撮影:ゴンサロ・F・ベリディ
出演:クララ・ラゴ、ファン・ホセ・バジェスタ、アルバロ・デ・ルナ
    マリア・バランコ、ロサ・マリア・サルダ、カルメロ・ゴメス
    ルシナ・ヒル、ダニエル・レトゥエルト

 スペイン映画の勢いは止まらない。それほど期待して観たわけではない「キャロルの初恋」も素晴らしい傑作だった。優れたスペイン映画の多くがそうだが、この映画もスペイン戦争(内戦)によって「引き裂かれた世代」をテーマにしている。しかもこの作品はスペイン戦争時代そのものを舞台にしている。「黄昏の恋」「エル・スール」に代表されるように、独裁者フランコ死後に作られたスペイン映画の多くはその同時代を描き、そこに内戦時代の影が常に付きまとっていることを描いてきた。内戦時代の傷は何十年たっても決して癒されていなかった。内戦時代そのものを背景にした「キャロルの初恋」では、絶えず付きまとっているのは「内戦の傷(影)」ではなく、迫りつつあるファシズムに対する現実的な不安と恐怖である。古い因習に支配されてはいるが美しい風景に囲まれたスペイン北部の小さな村にも、ひたひたとファシズムの足音は迫っていた。その不安の時代がアメリカからスペインにやってきた一人の少女の目を通して鮮烈に描かれている。

  「禁じられた遊び」を例に挙げるまでもなく、大人ではなく子どもを主人公に据えることは格段に作品の求心力を高めるが、一方で作品を甘くしてしまうという捉え方がある。確かに子どもの方が同情を引くという面はあるだろう。しかし作品に描かれたテーマとそれを描く一貫した姿勢に揺るぎがなければ、主人公が子供か大人かは大した問題ではない。内戦時代のスペイン人は、大人であれ子供であれ、共和派(人民戦線派)であれフランコ派であれ、否応なく時代の混乱と危機に翻弄されていた。そう考えるべきである。問題は主人公の子どもたちが単に観客の同情と涙を誘うためだけに起用されているかどうかである。

  「キャロルの初恋」の主人公キャロル(クララ・ラゴ)はアメリカ育ちで、母親(マリア・バランコ)に連れられて初めてスペインにやってきた。母親はスペイン人で、父親はアメリカ人である。父親は人民戦線の義勇兵として国際旅団に参加しているパイロットである。キャロルはボーイッシュな髪型で、はっきりと自分の考えを主張する気の強い女の子だ。キャロルを演じたクララ・ラゴの太い眉と黒い大きな瞳が意志の強さをよくあらわしている。彼女をからかった腕白少年トミーチェ(フアン・ホセ・バジェスタ)と本気で取っ組み合いをし、結局組み伏せられてしまうが、意気揚々と去って行く彼を呼び止めざまいきなり股間を蹴り上げる。そんな勝気な女の子だ。

 スペインに来て間もなく母親が死んでしまう。死期が近いことを悟った母は死に場所として故郷を選んだのである(彼女は親の決めた婚約相手ではなくアメリカ人と駆け落ちして、以来故郷の地を踏んでいなかったのだ)。預けられた叔母の家はフランコ支持派だった。納得のいかない価値観を押し付けてくる叔母たちにキャロルははっきりとした言葉で反抗する。あるいは、父親が共和派側の義勇兵である事を揶揄した落書きが祖父(アルバロ・デ・ルナ)の家に書かれるが(叔母の家を飛び出し祖父と一緒に暮らしていた)、「こんな情勢だ、何もしないほうがいいんだ。見て見ぬふりさ」という祖父に対しても、「毎日見ないふりをするの?そんなの卑怯よ」とはっきり意見を言う。後に祖父は考えを改め落書きをペンキで消す。臆せずはっきりとものを言う彼女には共感を覚えざるを得ない。アメリカ育ちということもあろうが、彼女の性格は母親譲りでもある。母親のアウローラは大胆にもアメリカ人と駆け落ちし、故郷に戻ってくる汽車の中でも人々の視線を気にせずタバコを平然とふかしている。

 そんなキャロルが恋をした。相手は例の股間をけられた男の子トミーチェ。男勝りのボーnatubiイッシュで活発な女の子は、トミーチェとの淡い恋を通して大人の世界の入り口にさしかかる。トミーチェからきれいだねと言われたときのキャロルのうれしそうな顔、はにかむでもなくむっとするでもなく、素直に喜ぶ笑顔が輝くほどかわいい。

  母アウローラのかつての恩師で、今は親友であるマルッハ(ロサ・マリア・サルダ)がキャロルに温室を見せてくれたことがある。そこには蚕が飼われていた。マルッハはキャロルに「あなたもマユみたいなものかもしれない。もうすぐ羽根が開くわ」と言った。この言葉は暗示的だ。キャロルがスペインにいたのは1年だが、その間に年月では計りきれないほどの経験をした。タイトルは「キャロルの初恋」だが、キャロルの目に映ったのはトミーチェの姿ばかりではない。もともと保守派が支配していた村だが、人民戦線政府側の戦況が劣勢になってゆくに連れて、ファシストたちがさらに力を振るい始め、人民戦線支持者に対して弾圧が強められてゆく様も彼女は観てきた。自由主義者の祖父も肩身の狭い思いをしている。まだ子どもであるキャロルはともかく、大人にとって信念を貫き通すのは勇気がいるだけではなく命がけの行為なのだ。

  キャロルは祖父からいろいろなことを学ぶが、彼女は祖父以上にトミーチェから多くのことを学んだ。夜黒塗りの車が走ってゆくのをキャロルたちは目撃する。そして明け方銃声を聞く。その意味を教えてくれたのはトミーチェである。また誰かが拉致され、殺されて闇に葬られたのである。トミーチェの父親もどこかに連れ去られ、帰ってこなかったのだ。トミーチェ自身も、恐らく父親が人民戦線支持者だったからだろう、警官をしている伯父からことあるごとにいじめられている。

 キャロルはこの1年で大きく成長した。口も聞けず読み書きもできないお手伝いの女性に字を教え、母親からの手紙が心の支えになっている父親に母の死を知らせまいと、マルッハに手紙の代筆を頼む。ただ気が強いばかりの子ではない。そんなキャロルに、父親が誕生日プレゼントを贈る。村の上を飛行機で飛んでパラシュートでプレゼントを落としてゆく。赤いパラシュートが空を舞うシーンは例えようもないほど美しい。ただ、その父親がマドリード陥落後脱出し、キャロルと祖父の元に逃げてくるあたりの展開はやや無理があると感じた。ラストの悲劇的場面に持ってゆくために無理やりはめこんだ布石だったと思える。

 詳しくはいえないが、ラスト近くである悲劇的な出来事が起こる。美しい自然に囲まれた静かな村で過ごした1年間を、大人になったキャロルはどのように振り返るのだろう。想い出には郷愁が交じり合い、痛みや苦しみは和らぎ、後から思うと笑い話になる。キャロルの想い出はどのようなものになるのだろうか。「キャロルの初恋」は多くのスペイン映画が内戦時代の傷として懐古的に描いたものを、息苦しいほどの不安と恐怖を絶えず孕んでいる「現在」として描いた。古傷ではなく、まだ生々しい傷なのだ。

 しかし、この映画は決して重苦しい映画ではない。戦闘が続くマドリードではなく田舎の小さな村を、大人ではなく子どもたちを主人公にしたからである。そして何といってもキャロルの明るい性格が大きな救いとなっている。キャロルはラストでアメリカに帰ることになるが、車の後部座席から自転車で追いかけてくる男の子たちを振り返る顔には微笑みが浮かんでいた。彼女の目には必死で自転車をこいでいる3人の男の子たちが見えている。先頭を走っているのはトミーチェだ。ほっとすると同時に、胸を締めつけられる場面である。

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2005年10月30日 (日)

理由

監督:大林宣彦 anmo
原作:宮部みゆき 『理由』(新潮文庫刊)
脚本:大林宣彦、石森史郎
撮影:加藤雄大
美術:竹内公一 
出演:村田雄浩、寺島咲、岸部一徳、大和田伸也、久本雅美
    宝生舞、松田美由紀、赤座美代子、風吹ジュン
    山田辰夫、渡辺裕之、柄本明、渡辺えり子、菅井きん
    小林聡美、古手川祐子、加瀬亮、厚木拓郎、左時枝
    細山田隆人、ベンガル、伊藤歩、立川談志、南田洋子
    石橋蓮司、小林稔侍、永六輔、勝野洋、片岡鶴太郎
    根岸季衣、峰岸徹、裕木奈江、中江有里、その他多数

 原作を先に読んでいたが、映画もなかなかよく出来ていると思った。多くの出演者がインタビューを受けるということは知っていたが、映画を観るまではそれがどういうことか分からなかった。東京のあるマンションで発生した殺人事件の関係者がテレビか何かの取材に答えて、自分の見たこと経験したことを次々に語って行くという珍しい作りになっている。もちろん原作とはまったく違う形式だ。しかし監督自身が出来るだけ原作に忠実に描きたかったと語っているように、語りの形式は違うが事実関係はあまり変えていない。

  多くの関係者が自分の見たことを語るという方法を取ったのは、黒澤明の「羅生門」のように証言が食い違い結局真相は「藪の中」という結論にもってゆきたかったからではない。問題の事件というのは、マンションの1室で3人が殺されており、1人が窓から転落するというセンセーショナルな事件だが、後に被害者たちはすべてその部屋の住人ではなかったというさらにセンセーショナルな事実が浮かび上がってくる。では殺された人たちは一体誰だったのか、誰が犯人で、動機は何だったのか。原作の展開は見事で、ぐいぐいと読者を引き込んでゆく。この複雑に入り組んだストーリーが展開する長大な原作をどう料理するのか。そのまま描いたのでは何時間あっても足りない。そこで考え出されたのがこの方法、関係者が次々にインタビューに答えることによって徐々に事件の真相が解明されてゆくという展開であろう。真相は藪の中という展開にならなかったのは、原作がそういう展開ではなかったからだ。原作の狙いは人間存在の不可解さを描くことではなく、このような事件を生んだ現代日本社会の闇の部分を浮かび上がらせることにある。唯一謎のまま残されるのは、犯行現場となった部屋の隣に住んでいた主婦(久本雅美)が確かに見たという人影が一体誰だったのかという点である。しかし証言というのは食い違うことはよくある事で、これはこれでリアルであるとも言える。

yk01   関係者や目撃者のインタビューでつなぐという大胆な構成は特に破綻もなく、謎の解明という結末へと向かって観客をどんどんひきつけて行く。しかし一つ物足りないものがある。それはなぜこのような悲惨な犯罪が起こったかという問題に対する追求だ。犯人の人物像が十分描きこまれていないため、なぜあのような残虐な犯行を行ったのかわからない。また、マンションの住人がそっくり入れ替わっていたことの背後には様々な日本の社会事情が介在しているわけだが、そのあたりも十分描かれているとはいえない。原作は単なる謎解きに終わらず、日本の社会のゆがみをもっと描きこんでいたと思う。長大な原作なので映画化する際にはどうしても切り落とさなければならない部分が出てくるが、人物像とその社会背景という肝心な部分をかなりそぎ落としてしまった。話が交錯する中で次第に真相が見えてくるという部分だけが残った。その限りでは面白く見られるのだが、深みに欠ける。犯人が最後に夜の街の中に飛び降りてゆくシーンをシンボリックに描き、その後で関係者の一人である少年の言葉、「自分も同じことをしたかもしれない」という問いを投げかける。少年の思いとしてはそれでもよいが、映画全体としては疑問を投げかける前に問題の核心をもっと掘り下げておくべきだった。飛び降りるシーンのCGも安っぽい。

 映画化不可能と言われた原作をよく換骨奪胎してまとめ上げた点は評価できるが、インタビューで構成したために人物像の掘り下げが浅くなってしまった。もっとも、宮部みゆきの原作自体もその点では物足りないものがある。読んでいる間はぐんぐん読者をひきつけ、途中で止められなくなるほどだが、読み終わった後しばらくたつとどんな話だったかほとんど忘れてしまう。松本清張の『ゼロの焦点』や水上勉の『飢餓海峡』は時間がたっても鮮明に記憶が残っている。まあ、これは比べる相手が大きすぎるが、それにしてもほとんど後に残らないということはまだまだ通俗ミステリーの域から抜け出ていないことを意味しているのではないか。着想のユニークさ、ストーリー運びのうまさは当代指折りだが、作家として大成してゆくのはまだまだこれからだと思う。

珈琲時光

2003年1144
監督、脚本:ホウ・シャオシェン
出演:一青窈、浅野忠信、余貴美子、小林稔侍、萩原聖人

 小津安二郎生誕100周年を記念して作られた映画である。しかし小津との関連はあまり意識しない方がいいかもしれない。あまり作風に共通性はない。そもそも小津のまねをしてみても仕方がないのだから。

 実に不思議な映画だ。これといってストーリーや筋らしきものはない。テーマすらない。かといってイメージ的映像を重ね合わせた作品(タルコフスキーの「ノスタルジア」のような)でもない。とにかく日常といえば日常のひとこまひとこまを特に筋立てもなく次々とつないでいるだけだ。ヒロインの陽子は妊娠しているが、それはテーマとして取り上げられることもなく、さらっと流れてゆく。陽子はフリーライターで江文也のことを調べているが、それも特にストーリーの軸になるわけではない。(江文也は上田市、特に上田高校にゆかりの人物で、実際上田でもロケが行われたが、完成した作品からは、夕張同様、ばっさり切り落とされている。残念。)何の主題も筋もない。ただ淡々と日常の生活が映し出されてゆくだけ。登場人物もヒロインの一青窈と彼女に恋心を抱いているらしい浅野忠信、陽子の父母である小林念侍と余貴美子の4人程度しかいない。萩原聖人はチラッと出てくるだけだ。

 陽子が実家に帰って父母とくつろぐ場面では小津を思わせるカットも出てくるが、もちろん多用はされない。ほんの味付け程度だ。要するに素人が撮った日常のスナップ写真をつないだだけの様な映画だ。不思議なのはそれでいて別に退屈ではないということだ。小津の映画には親子の絆などのテーマがはっきりある。数種類のテーマを手を変え品を変え撮っていたようなものだ。「珈琲時光」はただ単に陽子の行動を追うだけである。決して彼女の内面に入り込もうとはしない。両親が娘の妊娠を心配して東京の彼女のアパートに出てきたりはするが、結局親父は何も言わない。陽子も詳しいことは何も語らない。浅野忠信との関係も江文也の調査を手伝ってもらう以上には踏み出さない。

 そういう意味では実験的な作品である。小津の映画からテーマやストーリーを抜き取ったらどんな映画が出来るか。小津からテーマを抜けば当然家族という問題も背景に後退する。したがって焦点は一人の人物に当てられることになる。ストーリーもなくなるから、淡々と一人の女性の行動を飛びとびにつなぎ合わせるだけになる。まるで陽子という女性を点描画で描いた絵画のようだ。点描画の一つ一つの点はリアルに描かれている。会話などはいまどきの女の子の会話や話し方をリアルに再現している。カットバックやフラッシュバック、クローズアップなどはほとんど使わない。素人の撮ったビデオをつないだだけといった感じの作りだ。この日常的行動の点描画、あるいはコラージュがなぜ退屈にならないのか。これは追求してみる価値がある。

 小津の映画には主題があった。多くは家族関係、特に親子関係をめぐるものだ。ストーリーの展開は淡々としたもので劇的な展開はほとんどない。それでも見るものの感情を揺さぶるのは、家族や親子関係という、人種や国境を越えて人間に共通する普遍的テーマを扱っているからだろう。そこにはドラマがあった。しかし「珈琲時光」にはその主題がない。したがってドラマもない。ヒロインの一青窈に特別人をひきつけるような魅力があるわけでもない(歌手としての彼女は好きだが、この映画の彼女は特に魅力的なわけではない)。彼女が何を考えているのかよく分からないから、共感するわけでもない。カメラも観客もただ離shnotれて眺めるだけである。ないないづくしの映画である。しかし何も説明されないからこそ、描かれていない部分を観客の側が想像で補おうとする。生まれてくる子供をかかえて彼女はどう暮らしてゆくのか、浅野忠信との関係はどうなってゆくのか。江文也の本はいつか出版されるのか。何も分からない、何も描かれていないだけに観客は無意識のうちにこれらのことを自分の中で考えようする。この類の映画はよくあるが、その多くはもっと複雑で難解な作りになっていることが多い。しかしこの映画に複雑で難解なところはまったくない。終わり方も唐突というよりは、ごく自然に都会の日常の中に溶け込むようにして終わってゆく。何も分からず、先の暗示もなく終わるが、マノエル・ド・オリヴェイラの「家路」を見終わったときの様ないらいら感はない。

 空白だらけのつぎはぎ映像を飽きずに最後まで観続けるのは、そこに映し出されているものに何らかの意味を見出したいという無意識の欲求が観客の側にあるからだ。一体どうなるのか、どうなっているのか、それを知りたいから先を見る。しかし最後まで何も明らかにならなければ観客はがっかりする。はずだ。しかし観終わったときに裏切られたような不満がそれほどないのはどういうわけか。確かに観客自身がある程度想像で空白を埋めるだろう。だがそれだけではやはり不満が残るはずだ。自分の想像した通りなのか確かめたいという欲求が残るからだ。

 では、そもそもこの映画に意味を求めることにはそれほど意味がないということなのか。ただ単にある一人の女性の日常の一部を切り取って見せただけという映画が成り立ちうるのか。この映画の場合ある程度成り立っていると言わざるを得ない。では、素人が撮った日常のスナップ映像とこの映画はどこが違うのか。これを説明するのは難しい。オリヴェイラの「家路」にいらつくのは、思わせぶりに作っておきながら何だか分からないままで途中で投げ出したように終わってしまうからだが、この映画は初めから何も思わせぶりなところもないし、何か言いたげでもないから、消えるように終わっても腹は立たない。スーッと始まりスーと終わる、それを見ている観客は「ふうん、あの二人結局どうなるんだろうね」と言って帰ってゆく、そういう映画だ。妊娠、子供の父親は台湾人、結婚はしない、子供は自分で育てる、最低限の情報だけで観客を最後まで引っ張ってゆく手腕はやはりプロの技である。単に場面をつないだだけのように見えるが、全体の構想と編集がしっかりしているのだろう(完成したシナリオはなく、その場その場で臨機応変に撮っていったようだが)。これ以上のことは分からない。今の時点で言えるのはそれくらいだ。

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