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2005年10月23日 - 2005年10月29日

2005年10月29日 (土)

2005年発売のDVD/ビデオ マイ総合ランク

  今年ももう残すところ後約2ヶ月。そろそろ見落としていたものを整理してみてはどうでjewelgrape1しょうか。今年発売になったDVD/ビデオの中からゴブリンおすすめの映画をまとめてみました。言うまでもないことですが、すべてゴブリン独自の基準です。すべての人の好みや基準に合うものではありませんが、レンタルの際に少しでも参考になれば幸いです。
  Aランクはすべての人に勧めたい映画。必見の傑作です。Bランクは若干の不満はあるもののいずれも優れた映画です。ここまではゴブリンおすすめです。Cランクは一応水準を越えていると思えるもの。お好みに応じてどうぞ。
  これらのランクとは別にMグループを挙げておきます。まだ未見ながらぜひ観たいと思っているもの、気にはなるが見落としているものを挙げてあります。
 なお、今年発売になったものでも、旧作ははずしてあります。
 この後に観た映画も順次付け足して行きます。

Aランク
 アマンドラ!希望の歌
 海を飛ぶ夢
 運命を分けたザイル
 隠し剣 鬼の爪
 キャロルの初恋

 子猫をお願い
 靴に恋して
 五線譜のラブレター
 サイドウェイ
 酔画仙
 大統領の理髪師
 タッチ・オブ・スパイス
 父と暮らせば
 ディープ・ブルー
 ピエロの赤い鼻
 ベルヴィル・ランデブー
 ミリオンダラー・ベイビー
 モーターサイクル・ダイアリーズ
 ロング・エンゲージメント

Bランク
 アビエイター
 犬猫
 宇宙戦争
 エイプリルの七面鳥
 エターナル・サンシャイン
 オアシス
 カーサ・エスペランサ
 家族のかたち
 きみに読む物語
 クライシス・オブ・アメリカ
 皇帝ペンギン
 コーラス
 上海家族
 少女ヘジャル
 深呼吸の必要
 真珠の耳飾の少女
 スイミング・プール
 スウィング・ガールズ
 セルラー
 ダブリン上等!
 誰も知らない
 茶の味
 ドット・ジ・アイ
 ネバーランド
 パッチギ!
 春夏秋冬そして春
  ビフォア・サンセット
 ビヨンドtheシー
 復讐者に憐れみを
 舞台よりすてきな生活
 フライ、ダディ、フライ
 ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうな私の12か月
 ぼくセザール10歳半1m39cm
 ボーン・スプレマシー
 マゴニア
 Mr.インクレディブル
 村の写真集
 約三十の嘘
 リアリズムの宿
 理由
 ロード88
 わが家の犬は世界一
 笑の大学

Cランク
 赤目四十八瀧心中未遂
 イブラヒムおじさんとコーランの花たち
 ウィスキー
 彼女を信じないでください
 キング・アーサーjewelgrape6
 雲 息子への手紙
 ゴッド・ディーバ
 CODE46
 珈琲時光
 ザ・インタープリター
 サマリア
 シルヴィア
 スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐
 血と骨
 ツイステッド
 復活
 僕の彼女を紹介します
 ボン・ヴォヤージュ
 マシニスト
 ライフ・アクアティック
 LOVERS

M(未見)グループ
 リチャード・ニクソン暗殺を企てた男
 ビハインド・ザ・サン
 四月の雪
 コーチ・カーター
 エレニの旅
 マルチュク青春通り
 トントンギコギコ図工の時間
 さよなら、さよならハリウッド
 バッド・エデュケーション
 微笑に出逢う街角
 タカハシヒロシのすべて
 故郷の香り
 ピアノを弾く大統領
 コーヒー&シガレッツ
 スーパーサイズ・ミー
 アンナとロッテ
 みんな誰かの愛しい人
 ターミナル
 ペッピーノの百歩
 父帰る
 オールド・ボーイ
 天国の青い蝶
 やさしい嘘
 レイ
 フォッグ・オブ・ウォー
 アメリカン・スプレンダー
 インファナル・アフェア 無間序曲
 巴里の恋愛コンチェルト
 ぼくの瞳の光

2005年10月28日 (金)

ズール戦争

deep-blue01-51963年 アメリカ・イギリス
原題:Zulu
原作:ジョン・プレブル
製作:スタンリー・ベイカー、サイ・エンドフィールド
脚本:ジョン・プレビル、 サイ・エンドフィールド
監督:サイ・エンドフィールド
音楽:ジョン・バリー
撮影:スティーブン・デード
出演:スタンリー・ベイカー、マイケル・ケイン
ジャック・ホーキンス、ウーラ・ヤコブソン ナイジェル・ グリーン

   水曜日は風邪でダウンしてしまった。木曜日に何とか復帰。病み上がりには重たい映画は禁物、ということで自前のライブラリーから選んで夜観たのがこの「ズール戦争」。「BFI選定イギリス映画ベスト100」で31位に選ばれた名作。主演はなつかしやスタンリー・ベイカー。この渋いイギリスの名優を見るのは「エヴァの匂い」(1962年)以来だ。

 1879年、4000人のズール王国軍を相手に、砦に立てこもったウェールズ部隊将校8人と兵97人が最後まで砦を守りぬいた史実を描いている。恐らく英国人にはよく知られた史実であろう。かつての大英帝国の栄光が消え去って久しい。英国人にとっては愛国心をくすぐる主題である。ベスト100に選ばれるのは当然かもしれない。もっとも、映画のできもすこぶるいい。

  冒頭、ズール軍の襲撃によって英国軍が壊滅したとの報が届く。1700名の英国軍のうち戦死者は1200人にものぼった。惨敗である。画面には累々と横たわる英国兵の死体が映し出される。

  続く場面でズール族の儀式が映し出される。戦いの踊りだと思っていたが、解説を読むとどうやら集団結婚の踊りらしい。数百人もいるかと思われるズール族の中になぜか白人の男と若い女性が混じっている。すぐにその男が宣教師ウィット(ジャック・ホーキンス)であり、女性はその娘マルガレタ(ウーラ・ヤコブソン)だということが分かる。儀式の途中ズール族が英国軍を襲撃した知らせが入り大混乱になる。牧師は次に彼の教会が襲われると聞き(そこにはイギリス軍が駐留していた)あわててその場を抜け出す。

  彼の教会ではブロムヘッド中尉(マイケル・ケイン)率いるウェールズの部隊が駐留していた。そこにたまたまチャード工兵中尉(スタンリー・ベイカー)率いる工兵隊が橋を築くために合流していた。やがてそこにもズール軍によって1200名もの英国軍将兵が殺されたという知らせが届く。しかし司令部からはそこを死守せよとの命令が下された。ズール軍4000名が駐屯地に向かっていることも分かり、英国軍は教会の周りにバリケードを築く。

  このあたりの描写はゆったりとしたもので、一切戦闘場面は描かれない。今のアメリカ映画になれた人には物足りないと感じるかもしれないが、むしろ戦闘が始まるまでをじっくりと描きこんだことがこの映画を成功させているといえる。ブロムヘッド中尉とチャード中尉のどちらが指揮権を取るかの駆け引き(結局チャード中尉が指揮官になる)、将校と兵士の間に立って命令を的確に伝え、兵士の動向をしっかりと掴んでいる有能な軍曹ボーン(ナイジェル・グリーン)、傷病兵もいるのだから(教会は病院も兼ねていた)戦闘はやめて撤退しろと迫るウィット牧師とその言葉に動揺する兵士たち、食事係の男や仮病使いの兵士フックなど、個々のキャラクターがじっくりと描き出されている。ゲームのようにただめまぐるしくアクションが展開するだけのアメリカ映画にはない味わいがある。

  敵の戦術を予想して的確にバリケードを築かせ教会を砦に変えてゆくチャード中尉の有能さが発揮される。くたくたになりながら砦構築に汗を流す兵士の疲労と不安も的確に描かれている。面白いのは、たまたま合流していた一人のボーア人が参謀の様な役割を果たしていることである。彼はズール人の戦術に通じていたからである。彼の的確な指摘にチャード中尉とブロムヘッド中尉はどれだけ助けられたことか。後に、1899年から1902年にかけてイギリス人とボーア人(オランダ系南アフリカ移民)との間でボーア戦争が起こることを考えるとなんとも皮肉だ。

ten3  ズール軍の登場場面も見事である。最初は不気味な足音だけが聞こえてくる。姿が見えないだけに一層不気味だ。やがて丘の上にズール軍が姿を現す。ものすごい数だ。見渡す限り丘の上にはズール軍がいる。西部劇にも似た場面がよく出てくるが、こちらのほうがはるかにすごい。

   特筆すべきは、決してズール軍は野蛮人として描かれていないということだ。その戦術は見事で、単に数を頼んでむやみに攻撃を繰り返すというのではない。基本は槍と盾だが、先の戦闘で英軍から奪った銃も持っており、丘の上から砦めがけて撃ってくる。銃撃の後は「猛牛の角」と呼ばれる戦闘陣形を取り、おとりなどを使いながら巧みに攻めてくる。1回目の戦闘がまた見事だった。戦闘の踊りの後、ズール軍の一隊が攻めてくる。槍と粗末な盾しか持っていない。英軍の一斉射撃にもよけようとはしない。しかもすぐ引き上げてしまう。例のボーア人の指摘でやっと分かるのだが、ズール軍はいわばおとりの一隊を繰り出して、英軍の銃の数を調べていたのである。

  やがて本格的な戦闘が始まる。ここからは息もつがせぬ展開である。最近のアメリカのアクション映画を見慣れた目から観ても圧倒的な迫力である。このあたりからは数的に圧倒的に不利な状況にある英国軍の臨機応変の戦いぶりに焦点が当てられる。外囲いが破られれば内囲いに撤退し、中に引き入れた敵にえりすぐった精鋭が応戦する。「七人の侍」で使われた戦法だ。日本の戦国時代の戦闘場面でよく見かけるような、2列になった鉄砲隊が交互に発砲する戦術。最後の戦闘では3列になり絶え間なく銃火を浴びせる。

  いちいち優れた場面を挙げてゆけば切がない。二つだけ挙げておこう。ズール軍はバリケードを突き破り砦の中にまで攻め込み、教会に火をつける。中には傷病兵がいたが、壁に穴を開け必死で脱出する。それまでいい加減な態度をとっていた仮病兵士フックがここで大活躍する。後に勲章をもらったほどだ。もっとも、付録映像によると、映画を見て彼の子孫から抗議されたらしいが(うちのご先祖様はあんないい加減な男ではなかったと)。もう一つはとりでを取り囲み脅すような戦闘の歌を歌うズール軍に対抗して英軍も歌を歌って士気を奮い起こす場面だ。それまで青ざめていた兵士たちも声を合わせて歌いだす。恐らく英国人ならここで涙を流したことだろう。

  数度にわたる攻撃に英軍は耐え抜いた。巧みな戦術と近代兵器があったからこそできたことだ。憔悴しきったブロムヘッド中尉にチャード中尉が初めての実践だったのかと声をかける。しかし実はチャード中尉も初めてだったのである。それを悟って「じゃあ君も」と驚くブロムヘッドに、チャードがあっさりと「俺は橋をかけに来たんだ」答えるところがいい。敵が引き上げた後、英軍は点呼を取る。何人かが返事をしない。その途中でズール軍の大群がまた丘の上に姿を現す。英軍は気が抜けて戦う気力も残っていない。しかしズール軍は戦闘を仕掛けてこなかった。彼らは敗北を認め、勇敢に戦った英軍を称えに来たのだ。このラストは何となく予想できてしまったが、いい場面だ。

  この映画の中でズール軍に対する差別的な発言は一切なかった。帝国主義と人種差別意識が表裏一体だった時代のこと、実際には散々毒づいていたに違いない。ズール人に対する敬意を持った描き方は明らかに映画が製作された時点での製作者たちの意識が反映されている。実際、付録映像に納められたインタビューには、アメリカの西部劇がインディアンを描くような描き方はしないとはっきり意識して描いていたという発言があった。監督のサイ・エンドフィールドは南アフリカ生まれ。アメリカに渡り「群狼の街」で高い評価を得た。しかしハリウッドの赤狩りにあい、イギリスに渡った人である。「SF巨大生物の島」で知られる人だが、このような経歴の持ち主とは知らなかった。「ズール戦争」の監督としては最適だったかもしれない。

  しかし、以上のことを認めた上でなおかつ指摘しておかなければならないことがある。「ズール戦争」はとにかくズール軍が攻めてくるところから始まる。なぜ彼らが英国軍を襲撃するのかについては全く説明がない。言うまでもなく、ズール人の戦いは反植民地闘争である。その大状況を一切画面の外に追いやり、単にズール軍と英国軍の局地戦のみを描くことは、結果的に英国軍の勇敢な戦いぶりのみを賞賛することになる。確かに、ロケを行った当時の南アフリカは悪名高いアパルトヘイト政策を進めており、様々な制限が加えられていただろう。そのことはインタビューの中でも触れられている。あるいは英国人の反応も考慮に入れたのかもしれない。いずれにしても、帝国主義への言及を極力避けたことは、この闘いが持つ歴史的意味を狭めてしまっている。ズール軍がなぜ、何のために戦っているのかをきちんと描かなければ、どんなに彼らを公平に描いたとしても、彼らはただ突然襲撃してきた暴徒に過ぎないことになる。理由もなくいきなり殴りつけてきた暴漢と同じだ。優れた演出とズール人に対する公平な扱いについては称賛を惜しまないが、この点に関してはやはり疑問が残る。

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2005年10月25日 (火)

タッチ・オブ・スパイス

2003年 ギリシャ・トルコSD-ca-carousel01
脚本:タソス・ブルメティス
監督:タソス・ブルメティス
撮影:タキス・ゼルビラコス
出演:ジョージ・コラフェイス、タソス・バンディス
    マルコス・オッセ、バサク・コクルカヤ
   イエロクリス・ミハイリディス、レニア・ルイジドゥ

  禁を破って1週間レンタルになってからではなく新作で借りた今年3本目の映画。他の2本は「大統領の理髪師」と「海を飛ぶ夢」。今のところこの3本は今年公開作品のベスト3である。期待を裏切らない、いや期待以上の傑作だった。

 ギリシャ映画というと今の30代以下の人たちにとってはテオ・アンゲロプロスの映画くらいしか思い浮かばないかもしれない。しかし70年代までは、ギリシャ映画といえばまず「日曜はダメよ」(1960年、ジュールス・ダッシン監督)と「その男ゾルバ」((1964年、マイケル・カコヤニス監督)が真っ先に思い浮かんだものだ。主演のメリナ・メルクーリとイレーネ・パパスの2大女優は日本でもよく知られていた。カコヤニスはイレーネ・パパス主演で「エレクトラ」(1961年)と「イフゲニア」(1978年)も撮っている。アメリカで撮った「トロイアの女」(1971年)にもイレーネ・パパスが出ている。これは初めて岩波ホールで観た映画で、個人的にも思い出深い(観たのは77年2月9日)。67年の「魚が出てきた日」も昔よくテレビでやっていた。

   一方ダッシンは48年の「裸の町」、62年の「死んでもいい」、64年の「トプカピ」などが有名だ。この3本も昔よくテレビで放映されていた。55年の「男の争い」はフィルムノワールの傑作として知られる。彼は別にギリシャ系ではなく、ロシア系アメリカ人だが、66年にメリナ・メルクーリと結婚した関係でギリシャゆかりの映画を何本か撮っているのである。メリナ・メルクーリと組んだ79年の「女の叫び」も岩波ホールで公開された。二人の作品のうち、ギリシャ悲劇を題材にしたものは岩波ホール向きだと言える。政治サスペンスの名作「Z」(69年)で知られるコスタ・ガブラスも忘れてはならない。72年の「戒厳令」と82年の「ミッシング」も優れた作品で、社会派の巨匠として知られた。しかし90年の「ミュージック・ボックス」は今ひとつで、97年の「マッド・シティ」はもう観る気もしなかった。

 アンゲロプロスは「旅芸人の記録」(1975年)で衝撃的な日本デビューを果たした。日本公開は79年で、これも岩波ホールで上映された。79年の岩波ホールは「家族の肖像」「木靴の樹」「旅芸人の記録」と立て続けに名作を日本に紹介した。当時の岩波ホールが果たした役割はどんなに称賛してもしすぎることはない。ただ、客筋はいかにも「わたし芸術が好きザマス」という感じの金持ちおばさんが圧倒的に多くて、あまり雰囲気は好きではなかったが。もう十数年行っていないが、今でも開演前に階段にずらっと並んで待っていたのを思い出す。

  またまた前置きが長くなってしまった。「タッチ・オブ・スパイス」は久々に観るアンゲロプロス以外のギリシャ映画である。アンゲロプロスのような高踏的な衒いはなく、その分観やすく分かりやすい。ギリシャで記録的な大ヒットを飛ばしたのもうなずける。前半はどこか「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」を思わせる雰囲気で展開する。雑貨屋ではなくスパイス屋で、トルコ人ではなくトルコに住むギリシャ人の話ではあるが。しかし商品が所狭しと並ぶ店内、あるいは老人と少年の交流を描いた点では共通するものがある。ひとつ大きな違いは、「タッチ・オブ・スパイス」には淡い恋が描かれていることである。ファニス少年と幼馴染のサイメ。料理が得意なファニスは肉団子に入れる効果的なスパイスを教える代わりに、ダンスが得意なサイメに踊りを踊らせる。キスをねだるのかと思ったが、このあたりはいかにも子供らしくてかわいい。幸せな時代だったが、やがてトルコとギリシャの間でキプロス島の領有をめぐる紛争が勃発して、ファニスは両親と共にギリシャに強制退去させられる。キプロス島はギリシャとトルコの間に刺さったとげの様なものだ。何度も紛争の火種になっている。

angels4   中盤はギリシャでの生活が中心に描かれる。ファニスが料理の腕を発揮する様子が中心に描かれる。終盤はまたイスタンブールが舞台だ。ファニスはトルコに残ったおじいさんを見舞いに35年ぶりにイスタンブールへ行く。しかしおじいさんはすぐ亡くなってしまう。だがそこでファニスはサイメに再会する。この部分はスペインの名作「黄昏の恋」を思わせる切なくも美しい展開になる。共に戦争によって引き裂かれた男女が描かれる。「黄昏の恋」ではスペイン戦争によって、「タッチ・オブ・スパイス」ではキプロス島の領有をめぐるギリシャとトルコの紛争によって。ここにも戦争によって「引き裂かれた世代」があったのだ。

  この映画には素晴らしい場面がたくさんある。まず、ファニスたちがギリシャに強制退去させられる時の別れの場面がいい。駅でおじいさんはファニスに言う。「2ヵ月後には私も行く。サイメを連れてな。一緒に暮らそう。星を見て待て。もし私が遅くなっても、同じ星を見るのを思い出せ。空には見える星もあれば、見えない星もある。いつも人は目に見えないことにこそ興味を持つ。塩やコショウが見えないとまずいか?違うだろ、それでも決めては塩加減だ。」タイトルの「タッチ・オブ・スパイス」の意味はここにある。人生には目に見えない隠し味が必要なのだと。また星は色々とシンボリックに使われている。タイトルバックには宇宙が映される。また、長じてファニスは宇宙物理学者になっている。おじいさんに会えない間ずっと星を眺めていたのだろう。

  サイメは別れに「私を忘れないように」とスパイスをつめた大きな箱(ままごと用か?)を渡す。「また会えたら料理して、私は踊るから。」しかし二人はその後35年間会えなかったのである。

  中盤のギリシャ編はユーモラスな味付けになっている。ファニスは料理が得意で、学校でも男の子とは遊ばずに、女の子とばかり遊んでいる。親が心配して台所から締め出したり、ボーイスカウトに入れたりするが、隙を見てはあちこちで料理の腕を振るっていた。ふんだんにギリシャ料理が出てくる。おいしい料理は人間関係を滑らかにし、また明るくする。

    学校の教師がファニスがトルコなまりのギリシャ語を話して困ると父親に告げる場面も傑作だ。ギリシャの英雄の名にトルコ風の語尾変化をつけて話しているというのだ。しかし、ただユーモラスなだけではない。トルコからギリシャに逃れてきた一家は「トルコではギリシャ人、ギリシャではトルコ人扱い」される。色々といじめに合ったようだ。

   一方トルコへの郷愁も語られる。ファニスの父親が、おじいさんがギリシャに来ると何度も言いながら結局来ないのはもっともだと語る場面である。「あの街は世界一美しい。」だから離れられないのだと言うのである。退去勧告をしたトルコ人の係官がイスラムに改宗すれば残れると彼に耳打ちしたそうだ。「即答できなかった。5秒間心が揺れた。あれは人生最悪の5秒だった。」涙ながらに父親が語るこの場面も名場面のひとつだ。

  終盤の再会の場面。ここは二つのシーンだけ取り上げよう。サイメはファニスになぜ戻ってこなかったのと問いかける。ファニスの答えはこうだ。「怖かったんだ、再び離れる瞬間が。」恐らくこれは本心だろう。35年。長い月日だ。それでも再会した二人はお互いの愛がうせていないことを確認する。遠く離れながら同じ星を眺めていたのはおじいさんとファニスだけではなく、サイメも同じだったのだろう。

  サイメと別れたファニスは、昔住んでいた懐かしい店の二階に上がる。すっかり古びていたるところに蜘蛛の巣が張っている。ふとファニスは床に落ちているスパイスを見つける。昔おじいさんがしたように、机の上に何種類ものスパイスを並べる。そして一気に息を吹きかけると、スパイスの粉が埃のように舞い上がる。冒頭の宇宙空間の映像がそれにかぶさる。宇宙空間に浮かんでいた雲の様な星雲はこの埃だったのである。そしてもう一つ、宇宙空間にあるはずのないものが冒頭の映像には映っている。しだいに手前に近づいてきてやっとそれが何か分かる。それが何かは言わない。ただ、映画の途中で空中に飛ばされたものだとだけ言っておこう。

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2005年10月24日 (月)

ロスト・ハイウェイ

clip-lo51997年 アメリカ
原題:LOST HIGHWAY
【スタッフ】
製作: 脚本:デヴィッド・リンチ、バリー・ギフォード
監督:デヴィッド・リンチ
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
撮影:ピーター・デミング
【出演】
ビル・プルマン、パトリシア・アークエット、バルサザール・ゲティ
ロバート・ブレイク、ロバート・ロジア、ゲイリー・ビューシイ
リチャード・プライアー、ジャック・ナンス

  サックス奏者のフレッド(ビル・プルマン)は、ある朝「ディック・ロラントは死んだ」と誰かがインターフォンで謎のメッセージを告げるのを聞いた。ディック・ロラントという名前には全く心当たりがない。やがて、彼の元に差出人の名のない封筒が届く。中にはビデオ・テープが入っており、彼らの家の外観が録画されていた。数日後またビデオ・テープが届く。何と今度は寝室で眠る彼と妻のレネエ(パトリシア・アークエット)の姿がビデオに映っていた。明らかに誰かが彼らの寝室に忍び込んでいたのだ。わけの分からない恐怖が二人を襲う。

   この謎めいた出だしが素晴らしい。ここまでは素晴らしくよく出来たサスペンス・ミステリーの様な出だしである。実際全編に謎めいた雰囲気が漂っており、そこが魅力である。しかし、レネエの友人アンディのパーティで、フレッドが不気味な白塗りのミステリー・マン (ロバート・ブレイク)と出会うあたりから、サスペンス・ミステリーにサイコ・ホラーの様な要素が入りこんでくる。ミステリー・マンの登場と共に映画は不条理の世界に突入してゆくのだ。フレッドが全く別の男ピート(バルサザール・ゲティ)に代わってしまうというありえない展開になってゆく。どこまでが妄想世界でどこまでが現実世界なのか。

    デヴィッド・リンチの魅力は、彼の作品世界に漂う不気味で、ミステリアスで、狂気に満ちた雰囲気である。その雰囲気に飲み込まれてぐいぐいと作品世界に引き込まれてゆく。しかしこの謎めいた雰囲気を最後まで維持できない。どれもが竜頭蛇尾に終わってしまう。その典型が「ツイン・ピークス」だ。あれだけ期待させておきながらこの結末はないだろう。ほとんどの人がそう感じたはずだ。ミステリアスだと思っていたら単なる荒唐無稽だった。謎の多くは解決しない。超常現象でお茶を濁してしまう。「シックス・センス」「4人の食卓」などよりははるかにましだが、本当に傑作だと思ったリンチ作品は一本もない。「ブルー・ベルベット」も「マルホランド・ドライブ」も最初は良いが、最後にがっかりさせられた。唯一傑作だと思ったのは、不思議なくらいまともな「ストレイト・ストーリー」である。あの変態男でもこんな愚直なほどまともな映画が撮れるのかと、誰もが唖然としたものだ。

   それはともかく、リンチのアプローチの仕方には理解できるところもないではない。通常night2のサスペンス・ミステリーは、謎めいた雰囲気で始まりながら、結局最後にはすべて説明され、解決されてしまう。説明のつく謎は謎ではない、リンチにはそういう思いがあるのだろう。謎が謎のまま最後まで残るのは彼なりの主張なのだ。しかし、だからといって、非現実的な要素を持ち込んで解けない謎を作るのという手法にはこれまた疑問を感じる。

  一連のリンチ作品の中で「ロスト・ハイウェイ」はましな方だと思う。ミステリー・マンが登場するあたりで早くも「リアリティ」を曖昧にさせてしまうので、ここで展開されているのは現実と妄想と幻想が入り混じった独特の不条理世界であることを観客に早い段階から意識させているからであろう。そのため大きな破綻もなく最後まで描ききることが出来た。途中で人物が入れ替ってしまうのだから謎もなにもない。そういうものだと受け入れて、ただ謎めいた雰囲気を楽しめばいいのである。その限りではよく出来ている。最初と最後に出てくる夜のハイウェイを突っ走る車のイメージのように、随所に意味ありげな場面がちりばめられているのも効果的だ。「意味ありげ」で良いのだ、説明不能なのだから。シュールな映像と展開、エロスと暴力、恐怖と不安、時間と人物の交錯、謎に満ちた不思議な人物、これらが不条理に混じりあい、絡み合い、その結果摩訶不思議な血のように赤いカクテルが出来上がる。思いっきりかき混ぜればかき混ぜるほど味が出る。ピリッと辛くて味は悪くないが、お代わりはほしくない。

アメリカン・ラプソディ

barakamo2001年 アメリカ・ハンガリー
監督、脚本:エヴァ・ガルドス
出演:ナスターシャ・キンスキー、スカーレット・ヨハンソン
    ラファエラ・バンサギ、トニー・ゴールドウィン
    エミー・ロッサム

  日本未公開だが素晴らしい傑作である。監督のエヴァ・ガルドス自身の経験を映画化したものだ。彼女の一家は冷戦時代に共産化したハンガリーを脱出してアメリカに移民してきた。映画はその脱出行から始まる。白黒画面である。若い夫婦は上の娘を連れてハンガリーを逃れようとしている。まだ赤ん坊の下の娘は泣き出す心配があるので後から別の人によって逃れてくることになっている。しかし、後に残った祖母は、赤ん坊に麻酔を飲ませて眠らせた上で芋袋に入れて運ぶという運び屋の女の言葉を聞いて、直前に思いとどまる。直後に祖母は逮捕される。赤ん坊は危うく知り合いの農夫に預けられることになる。

  6年後赤十字を通じて夫婦は娘をハンガリーから引き取ることに成功した。娘はハンガリーの農家で優しい養父母に育てられ、幸せに育っていた。ある日おばあちゃんが現れ(ようやく収容所から解放された)、ブタペストを見に行こうと誘われる。何も知らずに孫娘のジョジーは車に乗せられるが、着いたのは空港だった。そこからたった一人で飛行機に乗せられる。アメリカに着くと実の父母と姉が待っていた。戸惑いながらも泣かずにジョジーはついてゆく。ついた日の夜、娘を寝かしつけた母(ナスターシャ・キンスキー)が「お休み」というと、娘は「お休みおばさん」と答える。悲しげな母の顔。切ない場面だ。ジョジーはその後しばらく戸惑いながら暮らしていた。ある日ホームシックになり家を飛び出したジョジーが公園でブランコに乗っていると探していた父親が近づいてきた。ハンガリーに帰りたいという彼女の気持ちを聞き、父は大人になったらハンガリーに行ってもよい、しかし今はここが家だと諭す。ジョジーは納得して、父親と握手をして約束する。

  それから10年後、16歳になったスーザン(ジョジーのアメリカ名)は女友達や恋人と遊び歩く年頃になっている。しかし厳格な母親はそれを許さない。ついには窓に格子を取り付けドアに鍵をつけて閉じ込めてしまう。自由を束縛されたスーザン(スカーレット・ヨハkey_mw4ンソン)は銃でドアを撃ち、ドアを叩き壊す。母親と丁度出張から帰ってきた父は呆然とする。何度も母親と対立を繰り返すスーザンはついにハンガリーに帰ると言い出す。母親は問題外だとはねつける。家を飛び出したスーザンがあのブランコに座っているところにまた父親が現れる。子どものころハンガリーに行っても言いと約束したはずだと主張するスーザンに、父親は言ってもよいと許可する。母親を何とか説き伏せてスーザンはハンガリーに向かう。

  このハンガリー旅行がこの作品のハイライトであり、最も感動的な部分である。今はブダペストに住んでいる養父母との再会。そして養母が止める(「またお前をさらわれる!」)のをさえぎって祖母に会いに行く。スーザンが祖母に言った「来なければよかった。私はみんなを不幸にしている」という言葉が悲しい。この言葉にこの映画の主題が潜んでいる。二つの祖国と二組の父母の間にはさまれた一人の娘の苦悩。他の移民ものと違うこの映画の特性はこの点にある。赤ん坊の時に実の両親と姉を奪われ、6歳のときには養父母と祖国を奪われる。他の映画にない深みはここから来ている。

  スーザンは祖母から母親の悲しい過去を聞かされる。彼女が娘だったときに経験した悲しい出来事を。その出来事を目撃した時母はアメリカに行くことを決心したという。娘たちを安全に育てられるように。母親がなぜあれほど頑強にハンガリー行きに反対したのかスーザンは始めて理解した。ハンガリー行きはスーザンのアイデンティティを求めての旅だったが、それはまた母親の悲しい過去を知る旅でもあった。養父母と祖母との再会を通してスーザンは変わる。悲しそうな養父母に「わたしの家はここではない」と言ってスーザンはアメリカに帰る。空港では母親が待っていた。娘と母親は和解する。娘は母親への無理解を反省し、母親は過去を振り返ることを恐れていたことを反省して。

  この映画は「エル・ノルテ 約束の地」、「ジョイ・ラック・クラブ」、「わが心のボルチモア」、「イン・アメリカ 三つの小さな願い事」などと並ぶ、アメリカの移民を描いた傑作の一つだと言える。どうしてこの作品が未公開なのか心から疑問に思う。

2005年10月23日 (日)

舞台よりすてきな生活

2000年 アメリカ・ドイツglass-small03
原題:How to kill your neighbor's dog
製作総指揮:ロバート・レッドフォード
脚本:マイケル・カレスニコ
監督:マイケル・カレスニコ
出演:ケネス・ブラナー、ロビン・ライト・ペン
    スージー・ホフリヒター、ジャレッド・ハリス
    リン・レッドグレーヴ、ピーター・リーガート

  レビューを書いていて採り上げてよかったと思う映画というものがある。すなわち、あまり世間では評判にならなかったが、作品として優れている映画である。まあ、僕が採り上げている映画の大半はそういう映画ではあるが、中には自分でも意外な拾い物だと感じるものが何本かある。この映画もそういう映画だった。

  レビュー数は少ないが、取り上げている人の評価はおおむね高い。ジャンルでいえばハート・ウォーミング・コメディに入るだろう。この種の映画は幸せな気分になれて、後味もいいからまずひどい評価にはならない。無難なジャンルなのである。したがって常に一定数作られている。

  その手の映画はおおむねファミリー物が多い。家族でそろって楽しめる映画、したがって幾分子供向きの傾向がある。「舞台よりすてきな生活」にも女の子が登場し、作中で重要な役割を果たしている。しかし焦点は大人たちに当てられている。一般のファミリー映画と違うのはその点である。少し角度を変えてみてみると、この映画は「ネバーランド」と逆のケースを描いている。「ネバーランド」は劇作家バリがピーター少年の閉ざされた心を開こうと苦心する映画だが、「舞台よりすてきな生活」は子供嫌いで子供をうまく描けない劇作家(彼の名もピーターだ)が女の子との出会いを通じて子供と心を通わせて行く映画である。

  この映画を魅力的にしている最大の要素は、言うまでもなく、主人公の劇作家ピーター・マクガウェンを演じたケネス・ブラナーである。監督として、俳優として数々の名作にかかわってきた。今や英国映画界の重鎮である。本作はアメリカ映画だが、イギリス人気質丸出しの毒舌家を演じて、本領発揮である。

  ピーターは今スランプに陥っている。台本には直接子供が出てこないが、間接的に言及されている。しかしその言葉使いが不自然だと俳優たちに指摘されされる。果ては、劇場の床を掃除している掃除係の男にまで「子供は舞台に登場しないが、重要な第3の登場人物だ。存在感を与えなきゃ」と指摘される始末。ピーターは「台本を書くのは俺だ」と怒って席を立つが、掃除係に「おれの意見なんか無用ってわけか。清掃係だもんな。そっちは掃除の出来を批判するくせに」と言われてしまう。

  たまたま掃除をしていた素人にまで台本の欠点を指摘される。ピーターは実は極端な子供嫌いだった。妻のメラニー(ロビン・ライト・ペン、好演)からは子供がほしいと求められるが、なんだかんだと言って逃げてしまう。公私共に子供に悩まされている。その上、夜は隣の犬の鳴き声がうるさくて不眠症気味。原題の「隣の犬の殺し方」はここから来ている。その上、近所に彼の名を騙る別人が出没しているらしく、一度など眠れなくて夜の散歩に出たとき偽者のピーターと間違えられて警察に捕らえられてしまう。妻の証言であっさり解放されるが、そんなこんなでさっぱり筆が進まない。絶不調のどん底。名優ケネス・ブラナーがこの不幸なピーターを何ともユーモラスに演じている。頑固でしょっちゅう怒鳴り散らす男だが、どこかかわいげがあって憎めない。ちょっと「サイドウェイ」のポール・ジアマッティの役柄を思い出させる。

  たまに気分が乗った夜は奥さんとことに及ぼうとするも、なぜかうまくいかない。思い余っtree_ww1て医者に行くと、前立腺がはれ上がり精子が塞がれてたまっていると言われる。その上あろうことかイボ痔にもなっている。四つんばいになって尻に指を突っ込まれて「ウギャー」と叫んでいる姿はおよそ情けない図だ。思わず叫んだ「まるで指人形にされた気分だ」と言うせりふには大笑いしてしまった。

  そんなスランプ時に、たまたま隣に娘を連れた女性が引っ越してくる。娘のエイミー(スージー・ホフリヒター)は時々ピーターの家にある小屋で一人で遊んでいるが、ピーターは隠れて彼女を観察しようとする。しかしエイミーに見つかり、仕方がないので一緒に遊ぶことになる。二人でままごとをするシーンは傑作である。子役のスージー・ホフリヒターがなかなかかわいい上に達者な演技でうならされる。ままごとの場面はアドリブでやったとインタビューで答えていた。うまくままごとについてゆけないピーターをエイミーがたしなめるところが愉快だ。難しい言葉をエイミーが理解できなかったりする一方で、子供たちの間で使われる言葉をピーターが理解できなかったりする。かと思うとエイミーが意外な言葉を知っていたりもする。子供の話し方に対するピーターの理解はエイミーとの出会いを通じて格段に豊かになってゆく。台本もどんどんよくなってゆく。

  このあたりからエイミーの存在が大きくなって主題の一部になってくる。エイミーは片足が不自由である。彼女の母親はいじめを警戒して彼女をあまり外に出さない。ピーターの妻エミリーはダンスの教師で、エイミーにも踊りを教え始める。エイミーはインディアンの踊りを母親とピーター夫婦の前で披露するが、母親は娘を見世物にする気かと腹を立て途中で止めさせてしまう。怒ったピーターと激しい口論になる。

  エイミーとの出会いをきっかけにピーターはスランプを脱し、台本もうまく仕上がった。最後の稽古の後、例の掃除係も交えてみんなで一斉にペトゥラ・クラークの「ダウンタウン」を歌う場面がすばらしい。だが、恐らく先の口論がきっかけになったのだろう、エイミーたちは町を出て行くことになる(母親はまたもとの夫とよりをもどした)。詳しくは書かないが、別れの場面は感動的だ。エイミーはどうなってしまうのか。

  すべてをうまく収めてしまわなかった演出が出色である。単なるファミリー映画では終わっていない。ある夜、眠れなくて夜の街を散歩していた時にピーターは偽のピーターと出会う。何度か出会ううちにいつしかさまざまなことを話し合う仲になっている。この夜のシーンがなかなかいい。さほど深い内容の会話ではないが、ピーターにエイミーからとは別の影響を与えている。今ひとつ主題にうまく絡められていない気もするが、作品に奥行きを与えているのは確かである。妻メラニーとのやり取りも秀逸だ。子供のように感情をむき出しにするピーターと優しい笑顔と眼差しでうまく彼の手綱を取るメラニー(ロビン・ライト・ペンは実に魅力的だ)。喧嘩しているときでもほのぼの感が漂っている。ファミリー・ドラマを撮らせたらアメリカ映画はうまい。名作の宝庫である。この映画はその長い系譜に連なる新たなる1本である。

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