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2005年9月18日 - 2005年9月24日

2005年9月24日 (土)

アフガン零年

minzokuishou2003年 アフガニスタン、日本、アイルランド
監督:セディク・バルマク
出演:マリナ・ゴルバハーリ、モハマド・アリフ・ヘラーティ
    ゾベイダ・サハール、ハミダ・レファー
    モハマド・ナデル・ホジャ、モハマド・ナビ・ナワー

  最後まで観るのはつらかった。タリバンの無法振りには体中から怒りが噴出す思いだ。神の名を語りながら、人道にもとる非情な振る舞いを平気で行う。アメリカの侵略も非道だが、タリバンも許せない。つくづく日本は豊かで平和だと感じる。いくら不況だといっても日々命の不安に怯えることはない.。

  映画の冒頭、男手をなくした女達のデモ隊が道を行進してくる。私たちは政治団体ではない、ただひもじいだけだ、働き口がほしいと口々に叫びながら。そこにタリバン兵たちが襲い掛かる。銃で威嚇し、水を浴びせる。主人公の少女とその母親はたまたまそのデモに居合わせていた。少女の一家は父親を失い、祖母と女三人で暮らしている。せめてこの娘が男の子だったら働けるのにと母親が嘆く。祖母が眠っている娘の髪を切って男の子に似せる。少女マリナは牛乳屋で働かせてもらうが、タリバンに無理やり召集されてしまう。軍事訓練などをさせられるが、特に印象的なのは男の子が初めて射精したときにどう体を洗うか教わるところだ。右の睾丸を3度洗い、次に左の睾丸を3度洗う。最後に「真ん中」を3度洗うのだと教えて、長老が自ら実践して示す。なんとも奇妙な風習だ。これはイスラム圏に一般に行われる風習なのか、それともタリバン独特のものなのか分からない。少女も無理やり風呂に入らされる。

  そのことがあってから彼女は女っぽいと他の男の子からはやし立てられるようになる。彼女をかばってくれたのは、身寄りのない線香屋の少年だ。彼は木に上って男の子だと証明してやれとマリナに言う。彼女はうまく木に登ったが、一人では降りられない。そのうちタリバンに見つかってしまう。罰としてマリナは井戸に吊るされる。この場面には激しい怒りを覚えた。引き上げられると、彼女は初潮が始まり血が足を伝っていた。女の子であることが発覚したマリナは宗教裁判にかけられる。

  裁判が始まり次々に判決が言い渡される。ビデオを映していたのでスパイだとされた外国人は銃殺にされた。次の女性は、罪状は忘れたが、石打で死刑にされた。地面に穴を掘り埋められている。マリナは罰は受けなかったが、無理やりある老人の嫁にされてしまう。老人はマリナを家に連れてくると門の中に入れて鍵をかける。各部屋に鍵をかける念の入れようだ。他にも無理やり彼と結婚させられた女性が何人かいた。初夜の場面で終わる。中国映画「紅夢」(コン・リーがもっとも美しかった頃の作品だ)も同じように無理やり売られてゆく女性の話だが、これほど悲惨ではない。

  マリナを演じた少女は親を亡くし物乞いをしていたという。キャスト・スタッフ紹介でそれを知ったとき、思わず深いため息の様なものが口から出た。何ということか。人類に進歩はないのか。怒りと虚無感に襲われる。

  監督はアフガニスタン人でソ連の傀儡政権時代にソ連で映画を学んだという。タリバン時代はパキスタンに亡命しており、タリバン政権崩壊後アフガニスタンに戻った人だ。これが長編映画第1作目。演出にやや拙いところがあるが、ストーリー自体の強烈さがそれを超えている。マリナの不安そうな、しかし強いまなざしが目に焼きついて離れない。今年観たもっとも重い映画だ。              

少女の髪どめ

2001年 イランfullmoon1
監督、脚本:マジッド・マジディ
出演:ホセイン・アベディニ、モハマド・アミル・ナジ
    ザーラ・バーラミ、ホセイン・ラヒミ、ゴラム・アリ・バクシ

 「運動靴と赤い金魚」「太陽は、僕の瞳」に続くマジッド・マジディ監督の作品。どれも傑作なのはすごい。3作ともモントリオール映画祭でグランプリを受賞している。

 冬のテヘラン。ラティフは建設現場で働く17歳の青年。短気で喧嘩っ早い性格だ。その現場ではアフガニスタン人が違法に働いている。ときどき査察があり、アフガニスタン人はそのたびにあわてて隠れる。ある時アフガニスタン人の一人が誤って2階から落下し怪我をする。翌日代わりに息子のラーマトが働きに来る。そのラーマトにお茶汲み仕事を奪われ、代わりにきつい仕事をさせられたため、はじめラティフはラーマトに意地悪をする。しかしある時ラーマトが女の子であることを知ってしまう。その時からラティフは彼女に引かれる。何かと彼女を助ける。次の査察のとき運悪くラーマトが見つかってしまい、それ以後はその現場ではアフガニスタン人は働けなくなってしまった。ラティフはたまたま見つけたラーマトの髪どめを帰そうと彼女の家を探す。やっと家を見つけたラティフは、金に困ったラーマトの一家に稼いだ金を全部渡してしまう。やがてラーマト(本名はバランでそれが原作の題名になっている)たちはアフガニスタンに帰ってゆく。一家がトラックで去った後、ラティフはぬかるみに残ったラーマトの足跡を見て微笑む。さりげない別れが切ない。

 初めのうちは短気なラティフにいらいらするが、ラーマトに献身的に尽くすようになってからはそれも気にならなくなる。なぜ彼がそこまでするのか、何でそんなに彼がラーマトに惹かれるのかは分からない。個人の感情の問題だからだ。しかし彼や現場監督をはじめ、イラン人はアフガニスタン人に親切である。ラティフのラーマトいやバランに対する愛情にはアフガニスタン人に対する同情も混じっているだろう。彼がラーマトを探してアフガニスタン人居住区に行くあたりは、「運動靴と赤い金魚」で貧しい親子が裕福な地域を回って働き口を探す場面を思い起こさせる。ラティフは少女を探しに行き、社会を見るのである。

 イラン映画にはイラン人以外にクルド人やアフガニスタン人などがよく登場する。市井の人々を描きながら他民族や他国人も視野に入っている。イランでは黒澤や小津が尊敬されているというが、なんでもない庶民を描きながらそこに社会的な広がりがある。子どもが主人公になることが多いイラン映画だが、子どもは常に大人の社会の一員として描かれている。ラティフのバランに対する愛情は自己犠牲をいとわない純粋なものだったかもしれないが、われわれは社会を通してそれを見るのである。冬のテヘランの街の美しい風景も忘れがたい。中国とも韓国とも違う独自の映画文化をイラン映画は築いてきた。日本映画も中国映画も韓国映画でさえも描いたことのない愛の世界が、ここには描かれている。映画の持つ美しさとは何かを考えさせられる映画である。                       

2005年9月23日 (金)

八月のクリスマス

1998年 韓国2204snowmanwreath4
監督:ホ・ジノ
出演:ハン・ソッキュ、シム・ウナ、シン・グ、イ・ハンウィ
    オ・ジヘ、チョン・ミソン

 韓国お得意のラブ・ロマンス。しかもその王道を行く難病ものだ。しかし決して大仰に涙を誘おうとはせず、淡々と主人公の最後の日々を映してゆく。病名も分からない。しかもお定まりのパターンとは違って、病気で死ぬのは男のほうだ。その主人公ジョンウォンを韓国の大スター、ハン・ソッキュがさわやかに演じている。彼は常に微笑んでいる。「シュリ」の時とはまるで違う表情。こんなにニコニコしているのが似合う俳優は他にいない。一番ハン・ソッキュらしい役柄ではないか。

 彼が営む写真館をたびたび訪れる交通取締官タリムを演じるのはシム・ウナ。主人公ジョンウォンを「おじさん」と呼んでしきりに付きまとう。ジョンウォンは彼女を見ると必ず微笑む。時期は暑い八月だ。タリムが一方的に付きまとう関係は夏の間続く。しかしやがてジョンウォンは入院し、タリムがいつ行っても留守になっている。タリムはドアの間に手紙を入れて立ち去る。やがて彼女の管轄区域が変わり、話を交わすこともなくタリムは別の地域に移る。管轄が変わると聞いて、トイレで涙を流す彼女の鏡に映った顔が印象的だ。

 一時店に戻ったジョンウォンは彼女の手紙を見つけ、返事の手紙を書くが、渡すことなく箱に入れて棚にしまう。お涙頂戴の常道をとことん排してゆく。この映画のさわやかさはこの演出法から来ている。彼の死の場面もあっさりと描かれる。最後に葬儀用の写真を自分で撮り、その写真が実際の葬儀の写真に変わる。冬が来てタリムが店を訪れる。店の前に飾られた自分の写真を見て彼女は微笑み、去ってゆく。おそらく彼女はジョンウォンの死を知らないのだろう。彼女に知られることもなくジョンウォンは静かに去って行ったのだ。楽しかった思い出だけを彼女の胸に残して。

 「シュリ」のように泣かせよう泣かせようとする安易な方向に行ってしまいがちな韓国映画だが、湿っぽくなりがちな題材をさらっと描いたことがこの作品の成功の一番の理由である。「冬のソナタ」が日本でも大ブームだが、映画では「イルマーレ」やこの「八月のクリスマス」のようなさわやかな映画を作ってしまう。韓国映画の成熟を見事に体現している映画だ。

丹下左膳餘話 百万両の壷

asagao-31935年 日活京都  原作:林不忘
【スタッフ】
製作: 脚本:三村伸太郎
監督:山中貞雄
音楽:西悟郎
撮影:安本淳
【出演】
大河内伝次郎、喜代三、沢村国太郎、深水藤子
宗春太郎、花井蘭子、高勢実乗

 山中貞雄(1909-38)の現存する三本のフィルムの一つ。他の2本は「人情紙風船」(1937年)と「河内山宗俊」(1936年)。

   「丹下左膳餘話 百万両の壷」は決して派手なチャンバラ映画ではない。むしろアンチヒーロー時代劇コメディとでも呼ぶのがふさわしい。大河内伝次郎扮する丹下左膳は、美人で歌のうまいお藤(喜代三、NHKの黒田あゆみアナウンサーにそっくり)が営む矢場に居候する用心棒。普段は奥の部屋にぐうたらと寝そべっているしまりのない男。少しも凄腕の剣士という雰囲気を放っていないところがいい。大河内伝次郎は頭が大きすぎて、全身が映るとなんとも不恰好である。皺の寄ったよれよれの着物を着ている。およそ英雄豪傑、剣豪のイメージからは程遠い。しっかりものでやり手のおかみとぐうたら用心棒の組み合わせが抜群だ。しょっちゅうつまらないことで言い合っているが、この掛け合いがコミカルで面白い。

    とはいえ、前半はさほど優れた映画だという気はしなかった。どうも説明的だからだ。冒頭で柳生家に代々伝わる「こけ猿の壷」にまつわる秘密が語られる。その壷には百万両の隠し財宝のありかが隠されていたのである。柳生家の当主はそれとは知らず、弟の源三郎の結婚祝いにその壷を贈ってしまう。源三郎は安っぽい壷ひとつしかくれなかった兄に腹を立て、腹いせにその壷をクズ屋に捨て値で売り払ってしまう。

    源三郎を演じるのは沢村国太郎。沢村貞子の実の兄だ。しかしどうもこの沢村国太郎の演技がしっくり来ない。下手ではないのだろうが、下手に見えてしまう。台詞回しもどこか浮いている感じがする。どうもまだこの役柄に慣れていないという感じがして仕方がない。

   こけ猿の壷はクズ屋の隣りに住む安吉という子どもの手に渡り、金魚鉢として使われている。安吉の父親がやくざに殺され、独りぼっちになった安吉はお藤のところに引き取られる。そのお藤が営む矢場に源三郎がよく遊びにくる。こうして、矢場を中心に主要登場人物と壷が結びつく。このあたりから映画は俄然面白くなってくる。丹下左膳とお藤が登場すると映画がぐっと締まってくるのである。

   安吉をめぐって丹下左膳とお藤が掛け合い漫才のようにやり合うあたりはホーム・コメkingyo-t2ディのノリだ。互いに「あたしゃ子供なんか大嫌いだよ」とか「俺はやだよ」とか言いながら、画面が切り替わると言葉とは反対に竹馬を買ってやったり、いじめっ子を懲らしめたりと子煩悩振りを発揮しているのである。このあたりがなんとも可笑しい。ただ、この手法が何度も繰り返されているのがちょっと気になった。

   一方、源三郎は「壷を探すのは10年かかるか20年かかるか、敵討ちの様なものだ」などとのんきなことを言いながら毎日壷探しに出かけるが、実はお藤の矢場で毎日遊びほうけている。そこで働く若い娘にほれ込んでいるからだ。このあたりまで来ると沢村国太郎のほんわかした馬鹿殿ぶりが実にいい味を発揮するようになってくる。場面になじんでくると言うか、大河内伝次郎と喜代三という芸達者二人と響きあうように生き生きとしてくる。 しかしこちらも「壷を探すのは10年かかるか・・・」というせりふがあまりに多用されている。1、2度ならともかく、やりすぎると逆効果だ。おそらく撮影終了後の編集に十分時間がかけられなかったのではないか。前半がもたついているのもそのせいだろう。

  源三郎が奥方に浮気を見抜かれ禁足を食ったり、金に困った丹下左膳が万事休した末に道場破りに行くとそこが源三郎の道場で、道場主である彼が実はさっぱり剣術が出来ないことがばれそうになったりと、どたばた調の展開をへて、万事平和に収まるという結末に至る。チャンバラ映画らしいところは道場破りの場面で少し出てくるが、これが売り物ではない。徹底してチャンバラ映画の常道を意図的に踏み外して行く。そこがなんとも爽快だ。

  ラストがまたいい。源三郎は壷のありかを知っていながら、あえてそれを持ち帰らず、壷探しと称して矢場での気ままな自由時間を楽しんでいる。彼が本当に求めていたのは財宝ではなく、自由な生活だったという落ちが効いている。

  「こけ猿の壷」探しというストーリーを縦糸に、横糸として丹下左膳、お藤、安吉を中心としたヒューマン・ホーム・コメディと、肩身の狭い婿養子の境遇からの脱出をはかる源三郎の浮気話が絡められている。それにチャンバラ・シーンが味付けとして添えられている。そういう映画だ。アンチヒーローが主人公という点は「人情紙風船」も同じ。すさまじい殺陣を売り物にしたチャンバラ映画とは一味もふた味も違う。数ある時代劇映画の中でも実にユニークな位置を占めている。もっと多くの山中貞雄作品が現存していれば、もっと彼が長生きしていればと思わざるを得ない。

付記
 KSさんからとても参考になるコメントを頂きました。そちらもどうぞあわせて読んでみてください。

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2005年9月22日 (木)

殺人狂時代

  1947年 アメリカclip-lo5
監督、脚本、製作、音楽:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリン、マーサ・レイ、マリリン・ナッシュ

 ずいぶん久しぶりに観たが、これはやはり傑作だ。「ライムライト」がチャップリン唯一の悲劇だとすれば、これは彼の唯一のシリアス・ドラマだ。1889年生まれで1947年の作品だから、チャップリン58歳の時の作品である。彼の役者としての類まれなる才能にとにかく驚かされる。前半はシリアス・タッチでベルドゥ氏(チャールズ・チャップリン)の日常を描く。何重もの結婚をしていて、金が必要になると女を殺して奪う。それが彼の日常だ。したがって移動が多い。汽車の車輪が何度も映される。彼は元銀行員。ものすごい速さで金を数える。このシーンというか指さばきははっきり覚えていた。思わずスロー再生して確かめてみたくなるほどの早さだ。何人もの妻がいるが、本当の妻と息子もいる。どうやらこの妻と息子は本当に愛しているようだ。この描き方がいい。ヒトラーも決して根っからの冷血人間ではない。にもかかわらず冷酷な犯罪を平気で出来るのだ。

 後半あたりから徐々に喜劇的な色調も入ってくる。重々しかった彼の身のこなしも軽くなってくる。ちょび髭にどた靴とステッキといういつもの扮装をした時とはまた動きが違うが、それでも喜劇の常道である逃げたり隠れたりといった行動が混じってくる。チャップリンが船長に扮して会いに行く女性が出てくるあたりからだ。その女性はものすごくこわい顔つきで、性格もきつい。コメディにもってこいのキャラクター。ボートに乗ったとき水面を見て「怪物がいる」と叫ぶが、すぐ後に「あら、自分だったわ」というところが可笑しい。このシーンも覚えていた。チャップリンはシリアスな演技もコミカルな演技も見事にこなす。並みの俳優ではない。俳優であり、芸人であり、芸術家である。ほかに思い当たる人がいない、まさにワン・アンド・オンリー。神業だ。

 そのベルドゥ氏も株の大暴落(世界大恐慌の頃が背景だ)で全財産を失う。すっかり落ちぶれ、警察に通報されても逃げもしない。おとなしく掴まる。そして死刑の前の獄中のシーン。有名な場面だ。「一人殺せば犯罪だが、百万人殺せば英雄だ」という有名なせりふ。それ以上に印象的だったのは、牧師が神と和解しなさいというと「神とは平和な関係にある。人間と対立しているのだ」というせりふだ。

 何が彼を殺人者にしたのか。株の暴落もヒットラーの登場もその原因とはいえない。なぜならその前から彼は既に殺人者になっていたからだ。平凡な銀行員として30年間勤め上げた後、あっさり首にされた彼の心境に何があったのか。もう一度じっくりと見直してよく考えなければ簡単に言えない。チャップリンは「独裁者」でヒットラーを笑い飛ばしたが、この(浦沢直樹の「モンスター」を連想させる)怪物を笑い飛ばすことは出来なかった。彼は死刑になったが、薄笑いを浮かべながら泰然自若として死んで行ったのだ。

  コメディや社会風刺を通過して彼が最後に到達した高み。冷徹な人間観察。冷徹な風刺。磨き上げられた芸。これが彼の最高傑作かもしれない。

DVDを出してほしい映画

_ こうしてリストを作ってみて、ほとんどが社会派の作品だということに気付いた。当然僕の好みも反映しているが、これには映画会社やDVD製作会社の姿勢もあわられていると言っていいだろう。またその一部は観る側の姿勢の表れでもある。どうせ売れないと判断するから出さないわけだ。「ジョニーは戦場へ行った」が今年の8月に発売されたが、あの名作の発売がこんなに遅れたのも同じ共通の理由があると思わざるを得ない。
 (注) 作品名の後に紹介とあるのは、当ブログに作品紹介がのっていることを表して
     います。

「青い凧」
  50~60年代の中国。時代によって翻弄されてゆく人々を描く忘れがたい傑作。
「歌っているのはだれ?」
  木炭バスに乗り合わせた人々の旅を独特のユーモアで綴るユーゴスラビアの名編。
    84年に岩波ホールで観たきりだが、口琴のビヨーンビヨーンという音が耳について
  離れない。
「ウディ・ガスリーわが心のふるさと」 祝!発売
  フォークの父、ウディ・ガスリーの伝記映画。歌が民衆とともにあった時代!
「エボリ」
  イタリアの巨匠フランチェスコ・ロージ監督が描くいぶし銀の様な傑作。
「エル・ノルテ 約束の地」 紹介
  弾圧を逃れ、南米からアメリカへ密入国した兄妹を待っていたのは過酷な現実
  だった。
「オフィシャル・ストーリー」
  アルゼンチンの軍事政権下で闇に葬られてきた事実を鋭くえぐる。南米映画の金
  字塔。
「戒厳令下チリ潜入記」
  軍事政権下のチリを亡命監督ミゲル・リティンが潜入して撮ったドキュメンタリー。
「下り階段をのぼれ」
  30年以上も前に淀長さんの解説つきでテレビで見たきり。ロバート・マリガン監督
  の反骨精神が発揮された傑作。ばかげた規則なんか糞食らえ。
「紅夢」
  チャン・イーモウ監督の傑作悲劇。この頃のコン・リーは本当に美人だった。
「五月の七日間」
  米ソ間の核禁止条約案をめぐる米軍内部の陰謀を描いた骨太な政治サスペンス。
「ザ・フロント」 祝!発売
  未公開作品だが、ハリウッドの赤狩りを題材にした映画の中でも群を抜いた傑作。
「森浦への道」 紹介
  韓国のロード・ムービーの傑作。ビデオは出ているがDVDも是非ほしい。
「シェーン」 祝!発売
  アメリカ開拓時代の農民の生活をリアルに描いた名作。DVDがないのが不思議だ。 「潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ」
  未公開作品だが必見の傑作。R.デュバルとR.ハリスの老優二人の名演に酔う。
「シベールの日曜日」  祝!発売
  アンリ・ドカエが撮った白黒画面の透き通るような、寒々とした美しさは例えようもな
  い。
「ジャズメン」
  ジャズが禁止されていた時代のソ連。それでも若者たちはジャズの演奏をやめな
  い。好きでたまらないことをやっているときの人間の顔はこれほどまで輝くものか。
「ジュリア」  祝!発売
  イギリスの大女優ヴァネッサ・レッドグレーヴの代表作。反ナチ活動に身を捧げる
  彼女のきりっとした姿は感動的だ。リリアン・ヘルマン原作。
「シルバー・スタリオン 銀馬将軍は来なかった」  紹介
  米兵にレイプされ村八分にされた母親。韓国の封建的体質を鋭くえぐった名作。
「終身犯」  祝!発売
  獄中で鳥の研究を始めた男がやがて鳥獣学の権威になる。バート・ランカスター
  が渋い。彼には重厚な作品が似合う。
「真実の瞬間」  
  91年のアメリカ映画ではなくイタリアの巨匠フランチェスコ・ロージ監督が闘牛士を
  描いた65年の映画。闘牛を主題とした映画としてはダルトン・トランボが変名で原
  作を書きアカデミー原作賞を受賞した「黒い牡牛」と並ぶ傑作。「黒い牡牛」もDVD
  化を望む(ラストが感動的)。
「1900年」  祝!発売
  5時間を越える超大作。ベルトルッチが最もラディカルだった時代に作られた最高
  傑作。
「Z」(東北新社から出ているそうです。せっかくですからこのまま載せておきます。)
  社会派コスタ・ガブラス監督の代表作。政治サスペンスといえばまずこの作品が思
  い浮かぶ。
「大閲兵」
  文芸座の中国映画祭で観た。個人的には初めて観た中国映画。閲兵式の訓練の
  ためにひたすら行進させられる兵士達を人間的な悩みも交えながら描く。チェン・カ
  イコー監督が「黄色い台地」に続いて撮った第2作。
「遠い日の白ロシア駅」
  ソ連版「再会の時」。戦後25年ぶりにかつての四人の戦友が隊長の葬儀のために
  再会する。白ロシア駅はドイツとの戦いに勝利してベルリンから帰還した兵士達の
  終着駅であった。ソ連映画はまだDVD化がさほど進んでいない未開拓の分野。こ
  こにはごく一部の作品を上げるにとどめる。まだほんの一部しか開拓されていない
  広大な沃野に今後どれだけ鍬が入るのか。
「にがい米」 祝!発売
  女性季節労働者たちを描いたネオ・リアリズモの傑作。S.マンガーノの太ももがま
  ぶしい。
「日曜日には鼠を殺せ」 祝!発売 紹介
  スペイン戦争の後日談。罠と分かっていてスペインに戻るG.ペックの決意が感動
  的だ。戦争映画のBOXには入っているが、単独でも出してほしい。
「日曜日は別れの時」
  後に労働党の議員になったグレンダ・ジャクソンの代表作。美人ではないが素晴ら
  しい女優だった。
「二ペンスの希望」
  貧しいがゆえに働き続けなければならない若者と恋。イタリアのほのぼの喜劇。
「にんじん」
  ルナールの名作の映画化。アリ・ボールの演技が素晴らしい。赤毛だから「にんじ
  ん」。
「灰とダイヤモンド」 祝!発売
  アンジェイ・ワイダの代表作の一つ。3度目に観たときにはこんなもんだったかと
  がっかりした記憶もあるが、やはりポーランド映画の代名詞的作品だけに名前を挙
  げておく。この作品に限らず、ワイダの作品は、いや、ポーランド映画はほとんど
  DVD化されていないのではないか。
「バウンティフルへの旅」
  いつも壁に向かって話しかけている老婆。ある日故郷のバウンティフルへと一人旅
  立つ。しかし故郷に向かう鉄道は廃線になり、バスの路線はまだあるが故郷の駅が
  なくなっている。いろいろな人に助けられてやっと故郷にたどり着く。主演のジェラル
  ディン・ペイジが素晴らしい。これが遺作となった。
「ハンガリアン」  祝!発売
  第二次大戦中ドイツに出稼ぎに行ったハンガリーの農民たち。戦争の波に彼らも
  否応なく巻き込まれ翻弄されてゆく。何人もの人がばたばたと殺される映画が横行
  する中、一人の農民が死んだときに仲間たちが仕事を放り出し囲むようにして祈り
  を上げる場面は感動的だ。初めて海を見た彼らが言葉もなくただ呆然とたたずむ
  シーンも忘れがたい。
「ハンガリアン狂詩曲」
  民族的なダンスが時折差し挟まれながらドラマが展開する。今まで見たことのない
  独特の様式を持った作品だ。この映画と「ハンガリアン」「メフィスト」を見れば、80
  年代のハンガリー映画の水準がいかに高かったか分かる。
「100人の子供たちが列車を待っている」 紹介
  貧しくて映画も見たことのない子供たちに映画の原理を説き明かし、手作りで映画
  というものを教える女性教師。原初的な形の動画が次々に出てくる。目を輝かせて
  見つめる子供たち。映画の原点を見つめなおさせてくれるチリ映画の名作。「列車」
  とはリュミエールの「列車の到着」に出てくる列車のことである。ビデオは手に入れ
  たが、DVDも是非ほしい。
「標識のない川の流れ」
  10数年前にNHKで放映された。いかだ流しの老人と中年男と青年。舞台を川と
  筏に限定しながらこの三人の生き方を描く。ゆったりとした河の流れが映画のリズ
  ムを作る。中国映画の傑作。
「フィクサー」
  ユダヤ人作家バーナード・マラマッド原作。30年以上前にテレビで観たきり未だ見
  る機会を得ない幻の名作。ユダヤ人差別を正面から描いた気骨ある作品。
「芙蓉鎮」 祝!発売 紹介
  世界に衝撃を与えた歴史的名作。文革の実体をこの作品を通して初めて知った人
  は多い。
「マルチニックの少年」
  マルチニック島に住む少年が成長してゆく過程を温かい目で描いている。子供らし
  いいたずらも出てくるが、人種問題にも鋭く切り込んでいる。監督のユーザン・パル
  シーは「白く渇いた季節」という傑作を出した後さっぱり名前を聞かないが、今どうし
  ているのか。
「路」 紹介
  トルコのユルマズ・ギュネイ監督の代表作。この映画を見たときの衝撃は今も忘れ
  ない。
「メイトワン1920」
  あまり知られていないのが残念だが、労働組合の闘いを描いた数少ない傑作の一
  つである。
「夜行列車」 祝!発売
  同じ夜行列車に乗った様々な人々。それぞれの人生模様を描く群像劇。ポーランド
  映画を代表する傑作のひとつだ。
「やぶにらみの暴君」 祝!改作「王の鳥」発売
  学生の頃フィルム・センターで観た。伝説の名作は評判を裏切らなかった。50年以
  上も前のアニメだが、その想像力の豊かさは今でも十分驚嘆に値するだろう。技術
  的には超えられても、創造性は簡単には超えられない。
「ラグタイム」
  E.L.ドクトロウの同名小説の映画化。20世紀初頭のアメリカをパノラマ的に描い
  ているが、黒人差別に憤りテロに走る黒人ピアニストのエピソードが強烈。
「ル・バル」  
  全編せりふなし、ダンスだけで戦前から現代までの歴史を表現してゆく。エットーレ
  ・スコラ監督の才能が光る異色の傑作。
「レッズ」  祝!発売
  『世界を震撼させた十日間』の著者ジョン・リードの伝記映画。W.ベイティ監督、
  主演。

2005年9月21日 (水)

寄せ集め映画短評集 その3

在庫一掃セール第3弾。今度はアメリカ映画5連発

「マッチスティック・メン」(2003年、リドリー・スコット監督)quebec5-s
  いい映画だと思った。あえてジャンルに分ければ、ヒューマン犯罪コメディって感じか。極端な潔癖症で神経科医にもかかっている詐欺師が、14年ぶりに会った娘に振り回されてあたふたする。ついには相棒に詐欺にかけられる。犯罪コメディたるゆえんだ。そして最後がいい。だまされたのをきっかけに彼は立ち直り、結婚してまじめに働いている。ある日1年ぶりに娘とばったり出会う。彼は娘を許す。そして親子として別れる。ヒューマン・コメディたるゆえんである。
  ほとんどありえないような設定だが、それを可能にしているのがさえない主人公を演じたニコラス・ケイジだ。何で俺がこんな目にあうんだとあたふた走り回る役柄は彼の18番だ。医者の薬が切れるととたんに呂律が回らなくなり、医者を必死で探すあたりのぼろぼろになった演技がいい。一番彼らしさが出ている映画だ。イラク侵略で国内がとげとげしくなっている時にこのような映画を作ったスタッフに拍手を送ろう。

「コンフィデンス」(2002年、ジェームズ・フォーリー監督、アメリカ)
  詐欺師の話だ。めまぐるしい展開。スピーディでシャープな演出が売り。だましだまされる展開に引き込まれるが、あまりに展開が速すぎて、味わいが少ない。昔の「スティング」や「ハスラー」や「シンシナティ・キッド」のように、登場人物の性格や人間関係をじっくりと描き、緊張感を持ちながらじわじわと展開して行く作りが懐かしい。
  最近のハリウッド映画はCGを駆使して、これまで描けなかった迫力ある映像を創造できるようになったが、あまりに見所を盛り込みすぎ、テンポがめまぐるしくなりすぎて、まるでゲームのようになってしまった。「キッチン・ストーリー」の様なほかの国のゆったりとしたリズムの映画や、同じアメリカ映画でも「ストレイト・ストーリー」の様なゆったりとしたテンポの映画が却って新鮮に思えるのはそのためだ。もうそろそろ、ハリウッドは映画作りを見直す時期に来ているだろう。
 主演のエドワーズ・バーンズが渋くていい味を出している。

サルバドル~遥かなる日々(1985年、オリバー・ストーン監督、アメリカ)
  「プラトーン」ほどの評判にはならなかったが、アメリカの他国介入政策に対する批判はより厳しく、その姿勢は一貫しており、作品の出来ははるかに上である。オリバー・ストーン監督の最高傑作。イラク情勢が完全に泥沼化している今こそ、この映画を見直すいい機会ではないだろうか。
  最前線という限界状況におかれた一兵士の目を通して描かれた「プラトーン」に対し、「サルバドル」は金のためにエル・サルバドルにやってきた新聞記者を主人公に設定した。記者の行動範囲の広さを最大限にいかして、虐殺現場、左翼ゲリラとの戦闘場面、ゲリラとの会見、アメリカ大使館の内部、ただおざなりにインタビューする他のアメリカのマスコミ等、エル・サルバドルの実情を多角的に捉え、現地の軍事政権をアメリカ政府がどのように利用し、間接的に支配しているかをダイナミックに暴きだして見せる。
sg  自ら死の危険を冒して取材するうちに記者のリチャードはアメリカの姿勢に疑問を抱き始め、絶えず死の恐怖におかれている民衆に共感を覚える。ゲリラになると言う少年にリチャードが「神のご加護があるように」と言うと、少年が「この国にはもう神はいない」と答えるシーンが印象的だ。そしてラストがいい。リチャードは現地 で愛した女性を何とかアメリカまで連れ出すことに成功するが、今度はアメリカの移民局員によって強制的に連れ戻されてしまう。リチャードはただ呆然と立ちすくむ。悲痛なシーンである。
  リチャードを演じるジェームズ・ウッズも見事だが、同僚の記者キャサディを演じるジョン・サベージが出色である。いつかキャパの様な写真を撮りたいという彼の姿勢から、リチャードは真の記者魂を学ぶ。キャサディは戦闘場面を取材中、戦闘機に撃たれて死ぬが、その戦闘機がアメリカから提供されたものだったというのも皮肉である。

「アメリカン・ジャスティス」(2000年、トニー・ビル監督、アメリカ)
  炭坑労働者が1年以上にわたってストを打ち抜き、最後に勝利する映画だ。「エアフォース・ワン」とは対極にある映画である。主演はホリー・ハンター。炭坑労働者の妻役。
  冒頭に落盤事故がおきる。利益のみを追求する経営者が安全性を無視した結果だ。そこへ組合のオルグがやってくる。きちんと背広を着た男で、見かけは労働者から浮いている。不安を感じさせるが、映画が進むうちに誠実な組合員であることが分かってくる。彼の前の幹部は組合の金をくすねていて今は監獄に入っている。労働組合の負の面も描かれているのである。最初は彼も同じいい加減なやつだと思っていた組合員やホリー・ハンターもやがて彼に説得されてストに入る。最初はホリー・ハンターの夫のほうが組合活動に熱心だったが、ストが長引くにつれて男たちは情熱をなくしかけてゆく。反対に労働者の妻たちが立ち上がる。まるで「北の零年」だ。長期戦になった時こそ女性の真価が発揮される。
  スト破りの乗ったトラックを追い返すために、男たちはピケを張っていたが裁判で3人までしかピケ・ラインに立てないことになる。そこで組合員でない女たちなら文句はないだろうと妻たちがピケを張る。トラックが強引にピケ・ラインを越えようとすると彼女たちは道に寝転び抵抗する。ベルトルッチの「1900年」に出てくる有名なシーンを意識したと思われる。
  しかしさすがにストも長引くと寝返る者も出てくる。ついに経営側についた労働者がストをしている労働者を銃で射殺するという事件がおきる。これがきっかけになって裁判で労働者側が勝利する。
  型どおりといえば型どおりの映画だが、その基本的な姿勢には共感できる。かつて「ノーマ・レイ」(マーティン・リット監督、1979年)、「メイトワン1920」(ジョン・セイルズ監督、1987年)という労働組合の戦いを正面から描いた力作があったが、これはそれに続くものである。地味だが、貴重な作品だといえる。

「ロスト・イン・トランスレーション」(2003年、ソフィア・コッポラ監督、日米)51person
  日本でオールロケをしたことが評判になったが、日本ロケはそれほど意味がないと思える。ストーリーの骨格は共にアメリカから日本にやってきた男女が、異国の文化の違いに戸惑い、うまくいっていない夫婦関係に不満を感じ、たまたま同じホテルに泊まったことがきっかけになって近づいてゆくというものだ。この部分はそれなりに観る者を惹きつけるものがある。しかしそこが日本である必要は特に感じなかった。異国であればどこでも良かったのではないか。しかも日本人はおよそ愚かしく描かれている。ネオン輝く大都会だが、そこに住む人間達は愚かでどこか荒廃している。京都も一部描かれているが、ここは素晴らしい場所として描かれている。しかし人はほとんど描かれず、風景のみがクローズアップされている。大都会があり、便利で近代的な生活を送っており、素晴らしい風景にも恵まれているが、そこに住む人々は中身のない愚か者ばかり、それが日本の印象だ。もちろん日本人以外にも愚かな人物は登場する。イヴリン・ウォーの名前で泊まっているというアメリカ人女優がそうだ。仕事ばかりで妻を顧みないシャーロットの夫もしかり。しかし人間観察がそれで深まっているとは到底思えない。日本も大都会ばかりではない。同じ東京でも下町はまた違う面があるはずだ。薄っぺらな人間観察が映画の邪魔になっている。ストーリーと舞台のこの乖離が完成度を低めている。
  主演の2人はいい味を出している。ビル・マーレイ(ボブ)の渋さ。スカーレット・ヨハンソン(シャーロット)の可憐さ。スカーレット・ヨハンソンは「アメリカン・ラプソディー」の時よりもぐっと大人の女になっている。この2人が最後まで肉体関係に進まないところがいい。互いに惹かれあいながら分かれる。さわやかなラストだ。それだけに薄っぺらな人間描写が惜しまれる。俗世間を離れて2人の中心人物の濃厚な魂の交わりを描こうという狙いだったのかもしれないが、その意図は裏目に出たようだ。

中国旅行記余話

大連・フフホト点描_12
  大召寺の欄干のところで若い生臭坊主たちが4、5人群れて、携帯を持ちながらぺちゃぺちゃしゃべっていた。隠れて携帯をやるという気持ちもさらさらない。修行はどうした、おい、修行は!ブータン映画「ザ・_12カップ/夢のアンテナ」を思い出したが、あの程度ならかわいいもんだ。大召寺はフフホトで一番大きな寺だが、こいつらの代でこの寺も滅亡だな。(右は大召寺の鐘楼)

 ホテルの近くに映画館があったので少し中をのぞいてみた。「宇宙戦争」と「ステルス」、ほかに中国映画を2本やっていた。中国でも上映作品の半分はアメリカ映画なのか。

  レストラン「天天漁港」で食事をした。いけすを泳いでいる魚や魚介類を見ながら、これを生で、これを炒めてと調理法を決めて注文してゆく。今このタイプの店が大連で流行っているそうだ。地図で見た限りでは大連に「天天漁港」は2店あり、どちらも入ってみた。結構うまいと思った。 もう1軒、名前は忘れたが同じようにいけすが付いていて、そこで選ぶ形式の店にも入った。中国に来て一番おいしい店だった。ヒルトンホテルの角で左折したところにある。ここは美人の女の子をたくさん使って客を接待している。こりゃ流行るはずだ。「天天漁港」よりいけすも魚介類も多かった。「天天漁港」はこの店にいい魚を取られて最近味が落ちているらしい。

  ホテル横にあるCD屋に入る。日本のものや欧米のものがあって探してみるとなかなか面白い。しかも1枚15元、2枚組みでも30元である。信じられない安さ。海賊版なのか。何軒か歩いてCDを2セット買った。ノラ・ジョーンズの「フィールズ・ライク・ホーム」とコンピ「キューバン・リボリューション・ジャズ」2枚組み。あわせて58元。620円くらいか。聞いてがっかりしてもこの値段ならそれほど損した気分にはならないだろう。

  2軒ほど日本料理店に入った。どちらも結構本格的な日本料理でおいしかった。中国人の舌に合わせるのではなく日本人向けの味付けにしている。日本人が経営している喫茶店にも入った。結構おいしいコーヒーだった。日本人も多い街なので、こういう店が成り立つのだろう。

_16 16日に解放路の大きなデパートに入った。信じられないくらいの人出だった。金曜日で、しかも中秋の名月の二日前ということで大混雑である。クーラーもきかない。真下ならまだ涼しいが、ちょっと離れると熱気でムワっとする。ものすごい人いきれだ。中国の庶民の活力にただただ圧倒された。デパートを出るときには汗でびっしょりになっていた。(左は解放路)

 帰国する日は朝6時起き。大連空港から関西空港へ。そこで乗り継ぎに4時間かかり、羽田に着いたのが6時過ぎ。新幹線が上田に着いたのが8時過ぎ。タクシーで家に着いたのは8時半頃。くたくただったが、正直ほっとした。しかし家に戻るまで14時間もかかるとは。

面白悲しい失敗談
  中国に着いた日の翌朝、7時起きのはずが6時に起きてしまった。腕時計は時差の調整で1時間遅らせたが、目覚まし時計の時間を遅らせるのを忘れていた。貴重な1時間を失った。今思い出しても悔しい。

  2枚ほど写真を取ったところでデジカメの電池が切れた。出発前に点検しておかなかったのは失敗だった。せめて予備の電池を持ってきておけばと思ったが、後の祭り。電気店で単2電池を4本買った。24元。少々高いがこれがないとデジカメが使えないので仕方がな_13い。中国語は話せないので、電池を指差し指で4本ほしいと伝えた。なぜかガラスケースの中に入っており、店員が鍵でケースを開けて取り出していた。たかが電池でこの物々しさ。どういうことか未だに理由が分からない。世界に数十本しかない何か特別の電池だったのか?それにしちゃ安いが。(左は大召寺に展示されていたお面)

 夜、鍵束がないことに気付いてバックパックとスーツケースの中を何度も探した。床にはいつくばって椅子の下やベッドの下もくまなく探した。しかし見つからない。鍵がないと日本に戻ったとき家に入れない。鍵屋さんに頼もうにも上田に着くのは夜だからもう閉まっているだろう。盗られたのか、失くしたのか。いろんな思いが頭をよぎる。最後にもう一度スーツケースの中を全部調べたがやはりない。あきらめてスーツケースを閉じてベッドの上から床に移した。何とスーツケースの下に鍵束があった。いくら探しても見つからないはずだ。ベッドの上に置いたスーツケースの下、そこは完全な盲点だった。

  失敗のとどめは最後の最後、帰宅時に発覚した。家に着いてみると、なんと1_11階のリビングの電気が煌々と点いているではないか。1週間ずっと点いてたのか!出発の日、起きた時にはまだ暗くて電気をつけたが、家を出るころには明るくなっていたので電気をつけていたことを忘れていたのだろう。中国でずいぶん安い買い物をしたと思っていたのに、その一方でこんな無駄遣いをしていたとは!電気代の明細書を見るのが怖い。(右は星海広場近くに立つ巨大マンション群)

2005年9月20日 (火)

女はみんな生きている

2001年 フランスmas1
監督、脚本:コリーヌ・セロー
出演:カトリーヌ・フロ、ラシダ・ブラニク、ヴァンサン・ランドン
     リーヌ・ルノー、オレリアン・ヴァイク、イヴァン・フラネク
 このところのフランス映画の好調さを示す痛快な映画だ。だらしない夫と息子と暮らしている平凡な主婦エレーヌが、たまたま若い女性が暴行されるところに出くわしたことから物語が展開し始める。事なかれ主義の夫は女を救うどころか車のドアをロックし、係わり合いになることを避け走り去る。翌日女のことが気になったエレーヌは彼女が入院している病院を突き止め、献身的に付き添う。しかし彼女には怪しい男が付きまとう。この映画の前半はサスペンス調である。

 この若い女性は娼婦で名前はノエミということが分かってくる。ある時2人組みの男達にノエミが連れ去られそうになるところをエレーヌが救う。そのままエレーヌはノエミを夫の母親のところへ連れ行き、かくまう。義理の母とはうまくいってなかったが、ノエミの存在がエレーヌと義母の関係も修復させる。エレーヌはノエミからそれまでの身の上を聞き出す。女であるゆえにまるで奴隷のように扱われ、危うく父親によって老人と結婚させられるところを逃げ出した。親切な男に拾われたが、その男は売春組織の一員だった。麻薬を打たれ陵辱されてノエミは無理やり娼婦にさせられた。ノエミは男をだまして搾り取った金をこっそりスイス銀行に預金していた。それが発覚し組織に追われていたというわけである。

 この辺りからこの作品はサスペンス調女性映画になる。後半は組織と警察の手から逃れながら、組織を警察に捕まえさせ、エレーヌの夫と息子を痛い目にあわせ、さらにノエミと同じようにだまされて結婚させられそうになっていたノエミの妹を救い出すという展開になる。複雑な筋だがテンポよく進む。見事な脚本だ。当然ハッピーエンドである。特にフェミニズム臭くはないが、だらしなくまた邪悪な男たちを徹底してやりこめるところが痛快だ。「アメリ」以来のフランス映画の傑作である。

涙女

2002年 中国・韓国・カナダ・フランスm000413fd
監督:リュウ・ビンジェン
出演:リャオ・チン、ウェイ・シンクン、リ・ロンジュン
    ウェン・ジン、チョウ・イフイ

  いい映画だと知り合いから聞かされていたので期待して観た。確かに傑作だった。「ションヤンの酒家」のヒロインとはまた違った意味でたくましいヒロインだ。ヒロインのグイはマージャンに明け暮れているぐうたらな夫と北京で暮らしている。あるときその夫がマージャンをやっている時に、金を払えず、相手がその時はお前の女房と寝させてもらうと言ったので、かっとして相手を殴ってしまう。夫は傷害罪で監獄に入れられグイは故郷に強制送還され、殴られた男から治療費9000元を請求される。金のないグイは思わず嘘泣きをするが、それを見ていた元恋人がそんなに泣くのがうまいなら泣き女になれば金が稼げるとアドバイスする。元劇団員でもあったグイはたちまち人気泣き女になる。

 やくざの親分の葬儀の直前に、グイは夫が脱走して抵抗の挙句死んだと警察に告げられる。あんな夫はいなくなった方がいいと言って家を飛び出したグイだが、葬儀の場で夫を思い出して真の涙を流す。葬儀に参加していた客たちが次々にグイにご祝儀を手渡してゆく。

 中国の泣き女がイタリアのように喪服を着て大声で泣くのではなく、くるくると歌い踊る習慣なのには驚いた。歌によって料金を変え、入り口に料金表が貼ってあるのが可笑しい。中にはフォーク調の歌もある。色々な風習があるものだ。それにしてもグイのたくましさはどうだ。話し方、歩き方、身のこなし。どれをとっても蓮っ葉な女だが、夫が刑務所に入ると妻のある元恋人と堂々と浮気し、その妻に淫売だと怒鳴られても負けずに怒鳴り返す。客に涙を流していなかったと料金を値切られたときには、相手の女房をひっぱたいたりする。周りから白い目で見られているが一向に気にしない。そこにいやらしさではなくたくましさを感じる。

 泣き女になる前はDVDを非合法に売っていた。ポルノ作品は服の中に隠している。しかし警察に見つかって品物を取り上げられてしまう。同情を引くためか商売の時には他人の子供を借りてつれてゆくのだが、警察に捕まった後子供を返しに行くと親が夜逃げしていた。女の子だからいらなかったのだろう、子供は置きっぱなしだ。しかたなくグイはその女の子を自分で世話をする。後で人に預けるが、放っておかない所は人間味がある。ところがその子は何を差し出しても飲まないし食べようとしない。これがまたおかしい。グイは散々怒鳴り散らすがたたいたりはしない。夫のために最後に流した涙も本物だ。破格だがなんとも魅力的なヒロインである(余談だが、ヒロインは松田聖子そっくりだ)。また一つ優れた女性映画が生まれた。

2005年9月19日 (月)

大統領の理髪師

9kikyou12004年 韓国
【スタッフ】
脚本:イム・チャンサン
監督:イム・チャンサン
撮影:チョ・ヨンギュ
【出演】
ソン・ガンホ、ムン・ソリ、イ・ジェウン、チョ・ヨンジン
ソン・ビョンホ、パク・ヨンス リュ・スンス、ユン・ジュサ
チョン・ギュス、オ・ダルス

 傑作である。ホーム・コメディに政治風刺を盛り込むという困難な試みを見事成功させている。韓国映画と言えば「冬ソナ」の影響もあって恋愛映画をまず思い浮かべる人も多いだろうが、韓国映画はベトナム戦争(「ホワイト・バッジ」等)や南北問題(「JSA」等)といった政治的テーマにも果敢に挑んできた。しかし軍事政権が国民を抑圧していた軍事政権時代を直接テーマとして描いた作品は少ない。少なくとも日本ではほとんど紹介されていない。映画の中でも、DVDに収録されたインタビューの中でも「つらい時代」という表現が何度も出てくる。60、70年代は韓国国民にとってあまり思い出したくない時代なのだろう。しかしいつかは取り組まなければならないテーマだった。

 まだ30代の若いイム・チャンサン監督は、コメディ・タッチの風刺劇という手法を用いることでこの悪夢の時代を映画の中に取り込むことに成功した。チェコのヤン・フジェベイク監督がナチス占領時代をコメディ・タッチで描いた「この素晴らしき世界」と同じ手法である。直接経験した世代ではなく、後の世代だからこそ出来る描き方である。韓国映画は20年以上の時を経て映画の中でようやくこの時代と向き合うことが出来たのだ。そういう作品なので、ここではストーリーの細かい紹介は最低限にとどめ、この映画の歴史的意味を中心に考えてみたい。

 まず、政治風刺を上で強調したが、そうは言っても、この映画は基本的にホーム・コメディである。主人公は床屋のソン・ハンモ(ソン・ガンホ)。ハンモの発音が「豆腐一丁」とどうやら同じらしく、それがあだ名になっている(日本人には渥美清が自分の顔を下駄にたとえるように、顔が四角いから「豆腐」だと考えた方が分かりやすいが)。その彼がひょんなことから大統領の理髪師に抜擢されてしまう。時代は過酷な圧政を敷いた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領時代。その時代の庶民生活がよく再現されている。大統領と床屋と言うとチャップリンの「独裁者」が連想されるが、むしろこの庶民的雰囲気は日本のテレビドラマの名作「私は貝になりたい」(1958年)に近い。主人公も同じ床屋だし、演じているのも日本のソン・ガンホ、フランキー堺である(と言うか、ソン・ガンホを韓国のフランキー堺と呼ぶべきかも知れない)。

 大統領官邸がある街の住民であることをソン・ハンモは素朴に誇りに思っている。街の有力者の言うがままに投票し(勝利のVサインを2番目の候補に丸をつけるという意味と勘違いし、あわてて消して1番目の候補に丸をつける場面は傑作だ)、不正選挙に加担したりもする。

 全くこの時代には今では信じられない様なことが起こっていたに違いない。共産主義アレルギーが過熱し、ただの下痢を「マルクス病」と騒ぎたてて大量弾圧するあたりはkikyou005滑稽に描かれているが、恐らく同様のことが実際にあったのだろう。ソン・ハンモの息子さえ下痢を起こしたために引き立てられてゆく。このあたりから家族や親子の関係がクローズアップされる。しかし最後まで政治問題と家族問題を切り離さなかった。この映画が優れているのはその一貫性にある。ハンモの息子の拷問シーン(と言っても本人はくすぐったがっているだけだが)はやりすぎだという感じがしたが(拷問の担当者が踊り狂う場面は笑えない)、このあたりのさじ加減は確かに微妙で、リアルすぎてもいけないし、茶化しすぎても逆効果である。微妙なさじ加減は韓国人と日本人とでは感じ方が違ってくるかもしれない。

 この映画の成功は主演のソン・ガンホ抜きには考えられない。日本で言えば、フランキー堺や渥美清に近いタイプだが、芸域は広く、何をやらせてもうまい。しかし一番似合うのはやはりコメディだろう。どこか鈍臭く、ドジで無教養だが、愛情と人間味あふれる父親。まさに彼のはまり役である。美男美女ひしめく韓国映画界にあって、アン・ソンギやハン・ソッキュと並ぶ主演級演技派俳優として独自の境地を切り開いている。世界的レベルで見ても得がたい役者だ。ソン・ガンホの出演作に駄作はないという法則に未だ例外はない。

 監督のイム・チャンサンはこれが初監督作品。前にもどこかで書いたが、韓国映画では初監督作品によく出会う。映画人養成機関がうまく機能している表れだろう。しかも一発屋で終わる事は少なく、ほとんどの監督が高い水準を保ったままその後も製作を続けていることは特筆に価する。スターや花形監督が特別扱いされるようなスターシステムが出来て映画界が歪められるようなことがなければ、韓国映画の勢いは当分続くだろう。

 それにしても、長い戦争時代を耐え抜いてきた日本の国民が戦後も長い間しなやかさとしたたかさを身につけていたように、韓国の庶民も圧政の下で苦労に耐える力を蓄えしぶとく生き抜いてきた。韓国国民の苦労は日本人の比ではない。第二次世界大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争を経験し、今なお南北問題をかかえている。それに加えて93年まで軍人を大統領に戴き、内政面でも苦労の連続だった。軍人から文民に大統領が代わった後も様々な政治の不正・腐敗が発覚した。90年代の終わりから世界的レベルの映画を次々に生み出し、「冬ソナ」を始めとするテレビドラマもアジアを席巻するようになり、韓国は今やわが世の春を謳歌しているように見える。しかしついこの間まで韓国国民は苛烈で腐敗がはびこる政治の下で長い間呻吟していたことを忘れてはならない。「大統領の理髪師」のしなやかさの背後に強靭な批判精神がある事を見て取らねばならない。

 ソン・ハンモは新しい大統領全斗換(チョン・ドゥファン)に呼び出され、髪を切ろうとするが、はげ頭を見て「髪が伸びたらまた来ます」と言って拒否する。そのため彼は文字通り袋叩きにされる。痛い目にはあったが気持ちは晴れた、と息子のナレーションが伝えている(韓国の観客はここで大いに溜飲を下げたことだろう)。こうして彼も「つらい時代」を乗りこえたのだ。そこで腐れ縁を断ち切ったからこそ、息子と二人で並んで自転車をこぐラスト・シーンがひときわ感動的なのである。

 映画は全斗換(チョン・ドゥファン)が権力を掌握するところで終わるが、圧制はなおも続く。有名な光州事件が起きたのもチョン・ドゥファン大統領時代だ。チョン・ドゥファン政権は88年まで続いた。その後に大統領に就任したノ・テウもまた軍人であった(前よりましにはなったが)。韓国国民は93年に金泳三(キム・ヨンサム)による文民政権が生まれるまで、なお13年間も軍人による政治に耐え忍ばなければならなかったのである。

反則王

art-pure1504cw2000年 韓国
監督:キム・ジウン
出演:ソン・ガンホ、チャン・ジニョン、パク・サンミョン
    チャン・ハンソン、イ・ウォンジョン、チョン・ウンイン
    キム・スロ、コ・ホギョン、シン・ハギョン、キム・ガヨン

  もっとはちゃめちゃなコメディかと思ったが、意外にまともなコメディである。決してバカバカしさはない。むしろサラリーマンの悲哀感がよく出ていて出色の出来である。凡百のコメディと違うのはその点だ。その意味では名作「アパートの鍵貸します」に通じるものがある。ちょっとほめすぎか。ソン・ガンホ主演なので案外いい映画ではないかと思ってDVDを買ったのだが、予想以上によかった。

  イム・デホ(ソン・ガンホ)はさっぱり業績の上がらない銀行員。契約確保数はいまだゼロ。遅刻の常習犯でもある。韓国も出勤時間帯はラッシュ地獄があるようで、電車の窓ガラスに顔を押し付けられている冒頭のシーンが可笑しい。職場の朝礼もあるようで、彼が遅刻して行くと、お説教の真っ最中。さっそく怒鳴られる。(職場の様子が普通の企業の様な感じで、とても銀行に見えない。窓口ではなく、その奥にある部屋なのだろうか。)意地悪な上司で、トイレでデホはヘッドロックをかけられる。それをはずせなかったのが悔しくて、友人にテコンドーを教えてもらおうとするが、テコンドーにヘッドロックはないと言われる。もっともこうやればはずせると、色々技は教えてくれるがとてもやれそうにない。

   そんなある時たまたまプロレス・ジムのメンバー募集の張り紙を見かける。しかし恥ずかしがってすぐには入門しない。やがて決心して門をたたく。デホは館長に昔見た反則王ウルトラタイガーマスクの話をぺらぺらとまくし立てるが、館長に追い出される(実はその館長自身がその反則王だった)。その時他のレスラーをチラッと見かけるが、でれでれと練習していて少しも強そうでないのがこれまた可笑しい(それも二人しかいない)。そのジムの館長は、日本帰りの有名レスラーの試合に反則専門の相手役がほしいと頼まれていた。そこへまたデホが頼みに来たので館長は彼を弟子入りさせる。デホは反則王になるべく毎晩特訓を受ける。メリケン粉の様な目潰し、木に銀メッキを塗ったフォークなど、小道具がこっけいだ。ある時、間違えて本物のフォークを持ち込み、同僚のレスラーに突き刺してしまったり・・・。随所にコミカルなシーンを織り込んでいて飽きさせない。

  しかしそのうちデホはプロレスの素晴らしさに目覚め、反則技のみならず、本物の技も磨き始める。コーチは館長の娘。やがてデホはかなりの実力を身につける。しかも血を見るとかっとなって、とんでもないパワーを発揮することも練習試合で分かる。

ityou1  ついに本番の試合の日。本当は別のレスラーが日本帰りの有名レスラーと対戦するはずだったが時間になっても現れない。そこでデホが覆面レスラー「阿修羅X」となり登場(偶然見つけた師匠のウルトラタイガーマスクをかぶって出てくる)。最初は反則業を繰り出すが、そのうち血を見て興奮して本気で技をかけだす。場外乱闘になり、ともに血まみれで暴れまわる。いつしか壮絶な死闘になっていた。二人ともリングでダウンしてしまう。このレスリング場面はかなり引き締まった演出でぐいぐい観るものを引きつける。

  うだつの上がらない駄目人間が思わぬきっかけで俄然活躍してしまうというのはよくあるストーリーである。仕事人間としても駄目、同僚の美女にも無視されっぱなし、友達は同じ職場の同じように成績最低の男。家に帰れば父親にも馬鹿にされる。まったくうだつの上がらない面白くもない人生に、かろうじて光が差し込んだのがプロレスの世界。しがない銀行員の悲哀感と何とかそこから抜け出しというという願望、このメインの主題にコミカルな味付けと迫力ある試合の場面が適度にミックスされている。この絶妙なバランスがこの作品を成功させている。

  そして何と言ってもソン・ガンホの存在が大きい。アン・ソンギ、ハン・ソッキュ、チェ・ミンシクと並ぶ韓国男優の「四天王」。女性週刊誌でもてはやされている若手「四天王」など足元にも及ばない。ソン・ガンホはシリアスな役も見事にこなすが、あの顔つきからしてもやはりしがない庶民の役、それもコミカルな作品が一番似合う。「殺人の追憶」の田舎のどんくさい刑事役もこの範疇に入る。「大統領の理髪師」もこのタイプである。しかし到底はまり役には思えないシリアスな役も見事に演じてしまうところが彼の俳優としての本当のすごさだ。日本で言えばフランキー堺に近いタイプか。

2005年9月18日 (日)

中国旅行記――中国の旅は驚きの連続だ

_3  1週間ほど出張で中国に行ってきました。滞在したのは内蒙古のフフホトと大連です。では、お約束の旅行記をお届けします。

  中国に行ってまず驚くのは交通状態。はっきり言って全くの無政府状態だ。ほんの10年ほど前までは自転車の大部隊が道路を占領している映像をよく見かけたが、今は車が急増して道路状態は混乱の極に達している。急に車が増えたので対応が追いつかないのだろう。車はともかく自転車も歩行者も信号を守ろうなどという気は全くない。車、自転車、バイク、人が入り乱れて道を行き来する。しかもそのそれぞれの数が半端ではない。
  主要な道路はどこも道幅が広い。片側4車線から5車線もある。横断歩道がなくても中国人は平気でこの広い道を渡る。だが日本人にとってそこを歩いてわたるのには勇気がいる。何せ広すぎて一気には渡れない。車がびゅんびゅん通る道の真ん中に立っている人を何度も見た。しかも中国は右側通行だから、日本とは逆から車が来る。この感覚に慣れるのにも時間がかかる。中国経験の豊富な日本人同僚に、道を渡るときは中国人の後についてゆけと教えられた。17
    移動は基本的にタクシーだったが(初乗り料金が8元だから120円程度で安い)、乗っていて何度も肝を冷やすような場面を経験した。しかし運転手には日常茶飯事なのだろう。平気で車や人すれすれに走ってゆく。仕事の関係で狭い道の両側に露店がぎっしり並んでいるところを何度も通ったが、人であふれているその道にタクシーは強引に入ってゆく。信じられない。怖くてとても自分では運転できないと思った。
(左上の写真はフフホトの通り。混んでいる時はこんなものじゃない。右は大連の市街電車。)


 今回は内蒙古のフフホトと遼東半島の大連市を回った。フフホトは人口200万。日本の1_1 感覚では大都会だ。大連にいたっては人口600万。とてつもない大都会である。大連に行ってまず驚くのは高層ビルがいたるところににょきにょきと建っていることだ。中国は地震がないので高層ビルが建てられる。経済発展の波に乗って巨大ビルが次から次へと出現する。同僚から毎年来るたびに古い家が並ぶ地域がなくなり、そこに新しいビルが出来ていると聞いた。アメリカの1920年代さながらだ(摩天楼が出現したのはこの時代)。後から後から作られるので、既に倒産した高層ビルも幾つかある。

   中国の経済発展の勢いを一番感じたのは星海広場へ行ったときだ。市_9電を降りて広場に向かうと、見渡す限り続く広大な地域に出る。左側には超高層の近代的ビルが4棟並んで立っている(右の写真)のが目に入る。かなり距離はあるが相当な高さである事は分かる。その左隣にはクリスタル・パレスの様な総ガラス張りの巨大な建物がある。こちらは同僚によれば、去年はなかったそうだ。右側を見れば巨大なマンション群が建ち並んでいる。後で中国の人に聞いたが、ここには中国中の金持ちが集まってくるそうだ。4棟の超高層ビルには温泉が付いているという。唖然とする。

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   売店でジュースを買って飲んでみた。昔懐かしいオレンジジュースの味だ。公園自体はフランス庭園風に左右対称の幾何学的配置になっている(左上の写真)。バスで団体客も来ている。海には遊覧船も浮かんでいる。公園広場自体も広大だが、丘の上の巨大マンション群まで含めるととんでもない広さだ。丘の上の巨大マンションの_13隣には西洋のお城の様な建物もある(左下の写真)。確か貝の博物館だそうである。中国の経済発展の目覚しさ、力強さをまざまざと見せ付けられた感じだ。経済の新陳代謝が盛んな証拠だ。

 

 

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   その巨大建造物の下には貧しい人たちもいる。中山広場に面した旧中山ホテルの横に少数民族と思われる女性が子供をかかえて階段の下にうずくまるように座っていた。仕事を終えて戻ってきたときもまた同じところに同じ姿勢で座っていた。
   フフホトにいたとき金剛座舎利宝塔と大召寺を見て回った。後者は大きくて立派なお寺だった。よく映画で見る手でくるくる回すドラムの様なものに初めて触った。意外にも真鍮で出来ていた。ところどころへこんでいる。寺から出ると両足のない人、両手の先がない人などが金をせびっていた。昔上野駅にも傷病兵がよくいたことを思い出した。(右は金剛座舎利宝塔)

_10 しかし一番印象的だったのは金剛座舎利宝塔から大召寺に行く途中に通った貧民街のような所だ(左の写真)。映画で見るようなみすぼらしい建物が並んでいる。一部はこわされて新しいビルが建っている。いずれは全部消えてゆくのだろう。家にトイレがなく、共同便所が何箇所かある。このようなスラム街を実際に見るのは初めてだ。
   大連駅近くから市街電車に乗って星海広場へ行ったときも途中相当に古い町並みを通った。フフホトで見た貧民街ほどではないが、今の日本ではまず見かけないみすぼらしい家々だ。薄汚れた壁の家々、看板が外れて鉄の枠だけが残っている商店。ほんの少し前までの中国ではこんな建物が大半だったのだろう。ところどころ廃墟の様な建物があったり、壊されてレンガの山になっている所もあった。スクラップ・アンド・ビルド。貧しさと近代化が隣り合っている。なんとも奇妙な光景だ。

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   大連のロシア人街に行った(右の写真)。途中線路をまたぐ橋を渡るが、この橋の上でも見るからに貧しそうな人たちがとても売れそうにない品物を並べて売っていた。橋の下を覗くと線路脇にいろいろなものが捨てられていた。橋を渡りきると、その先がロシア人街だった。昔のものを再現したもので、ほとんどは人が住んでいないそうだ。道の両側にみやげ物を売る露店が並んでいる。さながら浅草の仲見世通りといった感じだ。

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