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2005年8月21日 - 2005年8月27日

2005年8月27日 (土)

たまゆらの女

「たまゆらの女」
2003年 中国映画
原題:周漁的火車 Zhou Yu's Train
監督:スン・チョウ
出演:コン・リー、レオン・カーファイ、スン・ホンレイ

tamayura君に聞こえるように
小さな声でささやく
微風がかけらを吹き飛ばした
仙湖の美しい青磁
君の肌のように柔らかく
僕の仙湖があふれる
水を満々とたたえて

 劇中で何度も引用されるこの詩は作品の主題と深く結びついている。また詩の中に出てくる仙湖はまさにキーワードになっている。磁器の「かけら」も小道具としてうまく使われている。

 ここで「君」と歌われているのがコン・リー扮する主人公のチョウ・ユウ(周漁)。そしてこの詩を書いたのがレオン・カーファイ演ずるチェン・チン(陳清)。この二人だけだと単なる純愛ものだが、ここにもう一人の男が登場する。獣医のチャン・チアン(張強)である。「初恋のきた道」のスン・ホンレイが演じている。「たまゆらの女」はこの二人の男の間で揺れ動く一人の女性を描いた映画である。

 監督は「心の香り」と「きれいなおかあさん」のスン・チョウ。チャン・イーモウ監督の「始皇帝暗殺」では俳優として出演し、コン・リーと共演している。今のところ僕の評価では「心の香り」が最高傑作だが、「きれいなおかあさん」と「たまゆらの女」もなかなかの出来であり、今後の作品にも期待が持てる。チャン・イーモウ、チェン・カイコー、とならぶ中国第5世代の代表的監督である。

 ほとんど主要登場人物の3人だけでこの映画は構成されている。しかしその焦点はコン・リーに当てられている。この映画はコン・リーを撮るために撮ったような映画である。最近チャン・ツィイーに中国映画を代表する女優の座を奪われた感があるが(かくいう自分も浮気組みの一人だが)、「紅いコーリャン」「紅夢」「菊豆」「さらば、わが愛」「活きる」等々、出演作のほとんどが傑作というこの大女優の存在感はまだまだチャン・ツィイーの及ぶところではない。

 「たまゆらの女」はコン・リー最初の本格的ラブ・ストーリーである。「紅夢」の頃の様な目の覚めるような美しさはさすがに衰えたが、かわって大人の女の色香が匂い立っている。雲南省建水と霧の都重慶の美しい風景と相俟って二つの愛に引き裂かれる女の心のもだえが妖しく映し出される。

 最初に主題に通じる詩を引用したが、言葉のイメージを連ねる詩のように映画自体もかなりイメージ中心の演出がなされている。実はコン・リーは二役である。長髪のチョウ・ユウとショートヘアーのシュウの二役である。このあたりの事情が分かりにくい。シュウはチェン・チン(レオン・カーファイ)のファンだという設定である。髪の長さが違うだけなので、最初はショートヘアの方が現在のチョウ・ユウで、ロングの方が過去のチョウ・ユウだと思っていた。しかしこの二人は全くの別人である事が最後に分かる。さらに白い布を風にたなびかせている少女がたびたび映し出されるが、この少女がまた謎である。チョウ・ユウまたはシュウの子ども時代の姿なのか、最後までわからない。

 分からないと言えば、何故コン・リーがレオン・カーファイを捨ててスン・ホンレイに乗り換えないのかもよく理解できない。チェン・チンを演じるレオン・カーファイがどう見てもただのおっさんで、僕の目にはチャン・チアンを演じるスン・ホンレイの方がずっと魅力的に見えるのだが・・・。まあ、蓼食う虫も好き好きと言うように、好みは個人的な問題だから他人には分からないところもある。とも言っていられないのだ。ラブストーリーである以上登場人物の気持ちに共感できなければ大きなマイナスになる。美女が野獣に惹かれてもいいが、その野獣に魅力があると感じられなければ、観客の気持ちはスーっと引いてしまう。

 彼女はレオン・カーファイの書いた詩に心を強く引かれたという設定になっているが、その彼はどうやら仙湖を実際には見ていない。コン・リーはたまたま仙湖という駅で降りたので湖を探すが、見つからなかった。後でレオン・カーファイにかまをかけて仙湖を見てきたというと、彼はどんな湖だったかと聞くのである。見たこともない湖に女をたとえるようないい加減な男なのか、それとも想像上の湖だったのだがたまたま同じ名前の湖があったということなのか?ともかくコン・リーはその後も彼への思慕を捨てない。彼がチベットの学校に左遷されたときはわざわざチベットまで会いに行く。それが「悲劇」につながるのだが、そのあたりの彼女の気持ちがもう一つ理解できない。

 列車のイメージが繰り返し流される。コン・リーとレオン・カーファイの場合は長距離恋愛だった。片道10時間もかけて一方的にコン・リーがカーファイのところに通っていたのである。その電車の中で出会ったのがコン・リーと同じ街に住んでいるスン・ホンレイだった。したがって列車はカーファイとスン・ホンレイの間を行ったりきたりしていたわけだ。移動する列車のイメージが揺れるコン・リーの心と重なっている。演出として悪くはないが、気分しだいでどちらかの男になびくコン・リーの気持ちに共感は出来ない。霧が流れる重慶の街のように彼女の心にも他人の理解を阻む霧がかかっていた。

 彼女の心のもやもやを霧でシンボライズするのはそこに明確な障害がないからだ。優れた恋愛ドラマは何らかの社会的障害に突き当たった時に生まれる。身分や民族や宗教の違いなどによって男女の絆が無理やり引き裂かれたとき、そこに葛藤が生まれ優れたドラマが生まれる。「ロミオとジュリエット」はその典型である。しかしこの映画の場合それがない。コン・リーがカーファイに飽きてさっさとスン・ホンレイに乗り換えればそれで終わりである。結局個人の気持ちしだいということでは深い葛藤は生まれない。どっちも良いので困ってしまうわという程度の悩みでは、見ているほうは戸惑うばかりだ。コン・リーが列車の中でつぶやく「人を愛することは自分を鏡に映すことだ。愛とは自分をみつめること」というせりふは、この作品が個人の感情の枠内から一歩も出ていないself-reflectiveなものだということを端的にあらわしている。

 ここまで還元してしまうと身も蓋もないと思うかもしれない。普通の恋愛はこういうものである。しかしドラマとして見た場合これでは弱い。結局この映画に対する不満は、元をたどればこの点に行き着くのである。様々なイメージを入れ込んだり、コン・リーに二役を演じさせたり、霧を強調したりといろんな策を弄するのは、ドラマの芯に深い葛藤がないからである。ラブストーリーとしては悪くない出来だが、「心の香り」に匹敵する傑作にならなかったのはこのためである。

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