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2005年12月

2005年12月31日 (土)

あの頃名画座があった(改訂版)⑧

◆87年simp-daimaru03
  この年は年間で119本観た。うち日本映画は33本。70年代後半に年間1桁台という信じられない時期があったが、その後徐々に本数が増え、84年からまた100本台に戻った。この頃ロードショー料金1500円。国立フィルムセンターは一般300円、学生200円だった。初めて行った73年頃は70円だったから、14年で4倍以上に値上がりしている。

映画祭および特集
  この年も映画祭や各種特集が多かった。様々あったが、何といっても個人的に思い入れが強いのは文芸座で開催された「中国映画祭‘87」である。10月31日から12月1日までの期間で8本が上映された。もちろん8本全部を観た。料金は一般1500円、学生1300円、前売り1200円。初めて観た中国映画はチェン・カイコーの「大閲兵」である。僕にとって思い出深い映画だ。他に「黒砲事件」、「恋愛季節」、「最後の冬」、「死者の訪問」、「スタンド・イン」、「盗馬賊」、「古井戸」を観た。最後の「古井戸」はこの年の第2回東京国際映画祭のグランプリ作品。この年から中国映画は日本で知られるようになった。名作「黄色い大地」と「野山」が公開されたのもこの87年である。秋ごろから「黄色い大地」という中国映画がすごいらしいといううわさを聞くようになった。観たのは数年後だが、まだ観ぬ中国映画に対する関心が高まっていたので、「中国映画祭‘87」にせっせと通ったのである。とにかくその質の高さに驚いた。88年から東京を離れ長野県の上田市に来たのだが、その後数年間は無理して「中国映画祭」に通った。その後の中国映画の活躍はご存知の通りだが、そのレベルの高さを決定的に世界に印象付けたのは88年に日本で公開された「芙蓉鎮」である。これは文革の生々しい実体を描いた衝撃的な映画だった。

  2月から3月にかけて三百人劇場で「五所平之助特集」。当日券1200円。「鶏はふたたび鳴く」と「大阪の宿」を観た。銀座文化2でも2月~3月にかけて「懐かしの名画スペシャル」特集があり、「逢びき」を観た。一般1200円。岩波ホールでは3月28日から4月3日にかけて「アルゼンチン映画祭」が開催された。料金は当日・前売とも1500円。5本を上映。うち「ミス・メリー」、「オフィシャル・ストーリー」、「戦場の少年たち」の3本を観る。中でも「オフィシャル・ストーリー」は圧倒的な傑作。この年のマイ・ベストテンの1位である。アルゼンチン映画は数こそ少ないがコンスタントに日本に入ってきている。88年の10月には草月ホールで「ラテンアメリカ映画祭」が開かれ、90年10月には銀座テアトル西友で「新ラテンアメリカ映画祭‘90」が開催されている。

  87年はしきりに三百人劇場に通った年だ。まず4月から5月にかけて「ソビエト映画の全貌‘87」。当日券1200円、学生1200円、特別鑑賞券1000円。目玉は長いことソ連で上映禁止になっていた「道中の点検」。堂々たる傑作である。他に観たのは「女狙撃兵マリュートカ」、「鬼戦車T-34」、「処刑の丘」、「想い出の夏休み」、「ローラーとバイオリン」、「アンドレイ・ルブリョフ」、「十月」、「全線」、「ワッサ」、「ジプシーは空に消える」、「アエリータ」、「十月のレーニン」、「解任」。実に14本も観ている。二度目に観る映画も何本か含まれているが、いかに充実した企画だったか分かる。

  同じ三百人劇場で9月に「メキシコ時代のルイス・ブニュエル特集」が組まれた。「エル」、「乱暴もの」、「愛なき女」、「嵐が丘」の4本を観る。12月から翌1月にかけては「ヨーロッパの名匠たち フリッツ・ラングとジャン・ルノワール」と「日本未公開・幻の二大傑作特集」の二つの企画が並行して組まれた。前者は「死刑執行人もまた死す」、「捕らえられた伍長」、「恐怖省」の3本とも観たが、後者は「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」と「キス・ミー・ケイト」のうち「キス・ミー・ケイト」を観逃している。

  松竹シネサロンでは5月に3期目の「寅さんまつり」、第25作~36作まで12本を上映。うち2本を観る。大晦日にはまた新作「男はつらいよ 寅次郎物語」を観て帰省。 第2回東京国際映画祭はなぜか行っていない。理由は覚えていないが、ロードショーで観ようと想ったのかもしれない。ただ映画祭協賛企画と銘打った「フェデリコ・フェリーニ映画祭」が9月25日から10月1日にかけて渋谷のパルコ劇場とスペース・パート3で開催され、「青春群像」を観ている。前売券1200円。

欧米映画先進国以外の映画
  上記のアルゼンチン映画祭と「ソビエト映画の全貌‘87」での上映作品以外に、アルゼンチン映画では「タンゴ――ガルデルの亡命」(フェルナンド・E・ソラナス監督)をスペース・パート3で、ソ連映画では「サクリファイス」(アンドレイ・タルコフスキー監督)を有楽町スバル座で、「ロビンソナーダ」と「ソポトへの旅」をシャンテシネ2で観ている。

kabe140   他に珍しい東ドイツの「フィアンセ」(ギュンター・リュッカー監督)を高田馬場東映パレスで、 トルコ映画「敵」(ユルマズ・ギュネイ監督)を岩波ホールで、チェコの人形アニメーション「真夏の夜の夢」(イジィ・トルンカ監督)を新宿東映ホール2で、スペインの記録映画「戒厳令下チリ潜入記」(ミゲル・リティン監督)を文芸座ル・ピリエで観ている。人形アニメ大国と言われるチェコの中でもイジィ・トルンカは巨匠と言われる存在だが、この頃はまだ無名だった。はじめてあの独特の味わいを持った人形の姿と一切台詞のない不思議な世界を観た時は心底驚嘆したものだ。「戒厳令下チリ潜入記」はスペイン映画だが監督はチリの亡命監督ミゲル・リティン。映画の前に岩波新書で手記が出ていたので楽しみにしていた映画だ。潜入して撮っているので実に貴重な映像である。特にアジェンデ政権がピノチェトによるクーデターで倒されるあたりの記録映像はものすごい迫力だった。

未公開作品の発掘
  この点では三百人劇場が果たした役割は大きい。上記特集で上映されたフリッツ・ラングの「死刑執行人もまた死す」と「恐怖省」、ジャン・ルノワールの「捕らえられた伍長」、マイケル・カーティスの「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」とジョージ・シドニーの「キス・ミー・ケイト」は、いずれもそれまで幻の未公開作品だったものである。

  また同劇場の企画「メキシコ時代のルイス・ブニュエル特集」で上映された作品もおそらく日本初公開である。この後毎年のように新たな作品が発掘されヴェールを脱ぐことになる。

ACT日参、小津ブームは続く、シャンテシネ開館
  ACTにはこの年の前半よく通った(なぜか6月以降は1回も行っていない)。いつもながら貴重な作品をここで観ることが出来た。「カビリアの夜」、「民族の祭典」、「夜と霧」、「我輩はカモである」、「醜女の深情」、「キートンのカレッジライフ」、「秋刀魚の味」、「風の中の牝鶏」、「国民の創生」、「イントレランス」、「タクシー・ドライバー」、「明日に向かって撃て」、「ハスラー」、「尼僧ヨアンナ」、「パサジェルカ」、「影」など。

  この年も小津ブームが続いた。いや、ブームと言うより、名画座や自主上映館の定番という本来あるべき姿になったというべきかも知れない。「落第はしたけれど」、「淑女は何を忘れたか」、「晩春」、「秋日和」、「風の中の牝鶏」、「秋刀魚の味」、「麦秋」、「浮草物語」などを観ている。

  この年初めて行った映画館は日比谷のシャンテシネ1と2である。1では「グッドモーニング・バビロン」、2では上記の「ロビンソナーダ」と「ソポトへの旅」を観ている。恐らくこの年に開館したと想われる。当時としては豪華な感じの映画館ができたという印象だった。今年の8月に久々にシャンテシネ3で「モディリアーニ真実の愛」を観てきた。恐らく十数年ぶりである。映画館横の広場には有名人の手形が押されたタイルが敷いてあった。確か昔はなかったはずだ。すっかり「お登りさん」になった自分を感じた。

結びとして
  これで連載は終了です。8回にわたる大企画も何とか年内に終わらせることが出来てほっとしています。88年以降についてはまた切り口を変えて年毎にまとめて行くつもりです。88年以降は東京を離れてしまいますし、そもそもタイトルの名画座そのものがなくなっていきます。地方にいたのでは東京の様子も分かりません。

   僕にとって90年代はビデオで映画を観る時代でした。2000年以降はビデオからしだいにDVDへ移行し、今年から完全にDVD一本になりました。劇場で映画を観るのは年に数本に過ぎません。その範囲で分かることを書いてみようと想います。

【1987年 マイ・ベストテン】
1 オフィシャル・ストーリー        ルイス・プエンソ
2 サルバドル 遥かなる日々      オリバー・ストーン
3 戒厳令下チリ潜入記         ミゲル・リティン
4 炎628                 エレム・クリモフ
5 敵                    ユルマズ・ギュネイ
6 道中の点検               アレクセイ・ゲルマン
7 バウンティフルへの旅         ピーター・マスターソン
8 死刑執行人もまた死す        フリッツ・ラング
9 スタンド・バイ・ミー           ロブ・ライナー
10 ミッション                ローランド・ジョフィ
次 古井戸                  呉 天明(ウー・ティエンミン)

  プラトーン                オリバー・ストーン
  グッド・モーニング・バビロン      タヴィアーニ兄弟
  真夏の夜の夢             イジィ・トルンカ
  大閲兵                  チェン・カイコー
  最後の冬                呉子牛(ウー・ヅーニィウ)
  緑の光線                エリック・ロメール
  マイ・ビューティフル・ランドレット    スティーブン・フリアーズ
  ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ    マイケル・カーティス
  ジンジャーとフレッド           フェデリコ・フェリーニ
  タンゴ――ガルデルの亡命      フェルナンド・E・ソラナス
  ハンナとその姉妹           ウディ・アレン
  C階段                  ジャン・シャルル・タケラ
  サクリファイス              アンドレイ・タルコフスキー
  眺めのいい部屋            ジェイムズ・アイヴォリー
  モーニング・アフター           シドニー・ルメット   

2005年12月30日 (金)

ライフ・アクアティック

2005年 アメリカ cut
原題:THE LIFE AQUATIC WITH STEVE ZISSOU
アニメーション:ヘンリー・セリック
脚本:ウェス・アンダーソン、ノア・ボーンバック
監督:ウェス・アンダーソン
音楽:マーク・マザースボウ
撮影:ロバート・D・イェーマン
出演:ビル・マーレイ、オーウェン・ウィルソン、ケイト・ブランシェット
   アンジェリカ・ヒューストン、ウィレム・デフォー、ジェフ・ゴールドブラム
   マイケル・ガンボン、バッド・コート、ノア・テイラー、シーモア・カッセル
   セウ・ジョルジ、ロビン・コーエン

 「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」のウェス・アンダーソン監督作品。正直言って彼がこういう映画を作る人だとは知らなかった。「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」は軽いコメディだったという以上の記憶はない。どうやら「天才マックスの世界」という映画がオタク心をくすぐる映画だったようだ。

  なるほど確かに「ライフ・アクアティック」はオタクの世界だ。まず手作りクリーチャーがいかにもそれらしい作りである。“クレヨンタツノオトシゴ”やら“キャンディガニ”やら“ベトコンクラゲ”などといった珍妙なものが登場する。当然わざとらしく作ってある。そして極めつけは“ジャガーザメ”。「ナイトメアー・ビフォー・クリスマス」のヘンリー・セリックがアニメーション・ディレクターとして参加しているので作りは確かだ。といっても当方マニアックな世界からはあまりに遠い世界に生きているので、ヘンリー・セリックという名前はこのレビューを書くためにあれこれ検索していて初めて知った。こちとら映画全体に関心が向くのでアニメーターなどには全く関心がない。いずれにしても、細部へのこだわりは相当なものである(だからオタクなのだが)。水中の生物などはパペットを用い、水中で動かしつつ高速撮影した上でスロー再生したものらしい。そうそう、海賊が飼っていた3本足の犬や体にカメラをくくりつけたイルカの撮影隊なんてのも出てきたなあ。

  登場人物も凝りに凝っている。主人公のスティーヴ・ズィスー(ビル・マーレイ)、その妻(アンジェリカ・ヒューストン)、ズィスーの前に「たぶん、あなたの息子です」と言って現れたネッド(オーウェン・ウィルソン)、雑誌記者のジェーン(ケイト・ブランシェット)、出資者から送り込まれた監視員(バッド・コート)、成金で出資者の男(ジェフ・ゴールドブラム)、さらにチーム・ズィスーの一員としてウィレム・デフォーとセウ・ジョルジも出演している。いずれも周到にユニークな性格付けがなされている。チーム・ズィスーが乗り込む船はベラフォンテ号と名づけられている。チーム・ズィスーのメンバーは揃いのユニフォームと赤いニット帽を身につけている。胸にはチーム・ズィスーの頭文字をかたどったシンプルな “Z”のロゴが入っている。パジャマまで全員同じという徹底ぶり!チーム・ズィスー自体が一種の疑似家族なので必要なアイテムなわけだ。細部にわたる過度なまでの作り込み、それはもうあきれるほどだ。

  キャラクターの性格が全員ゆるゆるの設定。ビル・マーレイの飄々としたキャラクターは映画全体のゆるい性格を決定付けている。いい加減そうでいてどこか憎めないキャラクター。ジェフ・ゴールドブラムは完全に喜劇的キャラクター。全くの成金ぶりで笑わせる。びっくりしたのはウィレム・デフォーだ。「プラトーン」で演じた狂気じみた百戦錬磨の兵士ぶりがいまだに目に焼きついているので、こんなコミカルなおとぼけ役が似合うとは正直驚きだ。ケイト・ブランシェットは日焼けしたような黒い顔で、全く美人ではない役柄。でもこの曲者ぞろいの中ではちょっと浮いていたかな。セウ・ジョルジはいつも船べりでギターを持って歌っているのだが(おかげで海賊の襲撃に気付かなかった)、歌っているのがデビッド・ボウイの曲。だそうだ。

dolphin-wave1   面白いのはベラフォンテ号をそのまま縦に断面で切り取った大きなセットをつくり、船室から船室へとカメラが移動して内部の構造を見せる場面だ。外面は古びているが内部はサウナとかジャグジーまである豪勢なつくり。とにかくセットとか小物も含め、ビジュアル的にこれでもかとばかり、それこそ偏執的ともいえるくらいこだわっている。まさにオタクの誉れ。全体のストーリーなんかどうでもいい。細部にこそ神は宿るというわけだ。作る側も観る側もオタクという性格の映画だから、凝ること凝ること。おかげでオタクでもマニアックでもない僕でも結構楽しめる。

  主人公スティーヴ・ズィスーはジャック=イヴ・クストーを思わせる海洋学者兼映画監督という設定。だがこのところ興行成績は下がりっぱなしの落ち目の監督だ。撮影のための資金繰りもままならない。前作で旧友かつ片腕のエステバンを“ジャガーザメ”に喰い殺され、その敵討ちを映画にしようとチーム・ズィスーを率い新たな航海へと旅立つ。そういう話。クストーとはこれまた懐かしい。「沈黙の世界」か「太陽のとどかぬ世界」を学生の頃に観たはずだ。当時は「世界残酷物語」のグァルティエロ・ヤコペッティと何となく混同していた覚えがある。記録映画作家がまだ珍しかったからだろう。それはともかく、クストーのせいなのか、アメリカ映画なのにどこかフランス映画のテイストがある。

  ズィスー率いる個性豊かな愛すべき仲間たちが繰り広げる冒険物語なのだが、そこに「宇宙戦争」同様サブストーリーとして家族関係が織り込まれている。ズィスーのダメ親父ぶりと「父と息子」の確執を中心にして(妻との確執もある)、その周りに擬似家族としてのチーム・ズィスーを絡ませるという二重構造だ。家族のぬくもりや助け合って仲良く暮らす様子がほほえましいのだが、とにかく話がもたつきすぎる。ドタバタ劇というよりダラダラとだるい展開で、時々脱力系の笑いをかます。もちろんこのチープでレトロな感覚はわざとだしている。このすっとぼけた感じにはまる人ははまるのだろうが、僕には今ひとつだった。

  何せストーリーがゆるゆるでどうしようもない。一応骨格となる枠組みがないと長編にはならないからとりあえずストーリ-を取ってつけてみましたという感じ。全体の構成やストーリーや完成度などはもはやどうでもよく、細部にこだわり「そうそうあれいいよねー」などと仲間と言い合いながら観るような映画だ。このままでは文字通りのマニア向け映画だ。どうせ作るんなら「ナイトメアー・ビフォー・クリスマス」やニック・パークの「ウォーレスとグルミット」シリーズ並の傑作を作れといいたい。せっかくこれだけユニークで面白い登場人物やクリーチャーを作り上げながら、枠組みとなるストーリーがゆるゆるなため長編映画としてはB級どまりになってしまっている。だったらむしろ、いっそ50分くらいの中篇に再編集して、すっきりさせるのが正解かも。

2005年12月29日 (木)

宇宙戦争

原題 : War of the Worldshoseki4
監督 : スティーブン・スピルバーグ
製作 : ポーラ・ワグナー
原作 : H.G.ウェルズ
音楽 : ジョン・ウィリアムス
出演 : トム・クルーズ、ダコタ・ファニング、ティム・ロビンス
     ミランダ・オットー

  スピルバーグの「宇宙戦争」は評価が大きく割れているようだ。否定派の理由はほぼ共通している。宇宙人に襲われた地球を救うために一人のアメリカのヒーローが雄雄しく立ち上がり、敵をばたばたと倒して地球を救う、およそこういうストーリーを期待していたのに当てがはずれてがっかりしたというものだ。恐らく頭の中には「インデペンデンス・デイ」のイメージがあったに違いない。そう、確かにヒーローも出てこないし、大統領が活躍したりもしない。主演のトム・クルーズはヒーローどころか、ただひたすら逃げ惑うばかりだ。

  また総じて激しい戦闘シーンを期待している。だがまともな戦闘シーンなどほとんど描かれない。あらかじめ強力なシールドが張られているため、人間の武器など役に立たないという設定になっていることもあるが、そもそも全体像は何も分からない。一貫して逃げ惑うトム・クルーズ親子に焦点が当てられているので、彼らが遭遇しないものは画面に映らないのである。最初のトライポットの攻撃によって街が破壊されるシーンだけは迫力があるが、後は逃げ隠れしてるだけじゃないか。逃げ回るだけでは面白味に欠けると。映画に「刺激」だけを求める人たち、あるいはトム・クルーズに世界を救って欲しいと願っていた人たちには総じて評判が悪い。

  もう一つ共通しているのは、もっときちんと説明をいれるべきだという不満。一体宇宙人は何が目的で地球にやってきたのか、そもそも何が起こっているのかさっぱり分からないじゃないか。あの血のように赤い植物の根っこの様なもの、あれは一体なんだ。こういう疑問には一切答えていない。これは肯定派にもある不満である。

  そもそも「宇宙戦争」にヒーロー物語を期待するのが間違っている。H・G・ウェルズの原作がまずアンチ・ユートピア小説なのである。映画でも一部引用されているが、冒頭にこう書かれている。

  十九世紀の末において、このおそるべき事実を知っていた者が、はたして何人いたことであろうか?われわれの住む地球は、われわれの知能をはるかに凌駕する生物によって、するどく見守られ、周到綿密に観察されていたのである。その生物たるや、われわれ人類同様、生き、かつ死に、そしてその眼で、われわれ地球人がこの世の営みにあくせくしているさまを、顕微鏡下の水滴中にうごめき、繁殖をつづける微生物でも見るように、観察と研究とをつづけているのだった。
  その間われわれ人類は、物質の支配に成功した思いあがりから、無限の自己満足に陶酔し、意味もない日常瑣事《さじ》に追いまくられ、地球上を右往左往していたにすぎなかった。それは顕微鏡下に見る滴虫類のうごきと、なんら異なるところがなかったといえよう。宇宙間に存在するより古い星の世界に、われら人類の危難の涙がひそんでいようとは、夢にもおもいを馳せなかったのだ。・・・(中略)
  しかし、うぬぼれつよく、虚栄心に盲《めし》いた地球人は、十九世紀の末にいたるまで、そこに、われわれ人類をはるかに超える能力をもつ知的な生命が発達していること、いや、そういった生物の生息している事実さえ、みとめようとしなかった。
 (宇野利泰訳 http://www.gutenberg21.co.jp/U_sensou.htmより)

  人類の「思い上がり」と「自己満足」という表現に込められた皮肉な視線、そしてその思い上がった人類をまるで「微生物」のように観察している「われわれの知能をはるかに凌駕する生物」の存在。これだけでこの古典的SF小説の基本的な姿勢が読み取れる。地球の支配者として思い上がった人類に警告を発しているのである。万物の霊長を自認して「虚栄心に盲いた」人類を裸にしてしまったのだ。裸になった人間はまことに弱い存在である。何も持たずに裸でジャングルに放り出されたら一体何日生きられるか。人間の肌ほどもろい皮膚はない。ちょっと引っかいただけで血がにじむ。鋭い爪も牙もない。裸の人間は無力である。

  しかし人間はそのもろさを智恵で補ってきた。鋭い爪や牙がなければ武器を持てばよい。早く走れないなら自動車に乗ればいい。空を飛べないなら飛行機やヘリコプターを使えばいい。やわな体も服を着れば寒くないし、必要なら防弾チョッキや丈夫な防護服を着ることも出来る。それでも弱ければ戦車でも装甲車でも用意すればいい。象の様な力がなければ重機を使えばいい。こうして人間は地球上のどんな動物よりも早く走れ、高く遠くまで飛べ、どんな猛獣よりも強くなることが出来た。それもすべて人間の智恵のおかげである。しかしその驕り高ぶった人類よりもっと優秀な生物がいたとしたら?それこそ「宇宙戦争」の主題であった。

  人類を上回る智恵と武器を持った宇宙人の前では人間は文字通り裸同然である。逃げ惑うしかない。パニックになり、人を押しのけてでも自分だけ助かろうとあがきまくる。実際そうなることは1938年の10月30日に証明された。H.G.ウエルズの「宇宙戦争」をオーソン・ウエルズが脚色して、ラジオで「火星人来襲」のドラマを本当のニュース放送のように流したところ、事実だと思い込んだ人々が大騒動を起こしましたという有名な話である。

  この『宇宙戦争』をうまくアメリカのイデオロギーに合わせて改変したのが他ならぬ「インデペンデンス・デイ」である。アメリカ人は大統領を先頭に勇敢に宇宙人と戦い、ついにこれを撃退するという、なんとも都合のいい話。アメリカが世界を救う。アメリカ・アズ・NO1というお話である。ほぼ同時に作られ、この「インデペンデンス・デイ」をおちょくったかと思えるのがティム・バートンの「マーズ・アタック」である。オールスター・キャストなのだが、有名俳優は早々に殺されてしまう。大統領ならぬ無名の人たちが活躍する映画である。もっとも火星人も悪ガキ程度でスピルバーグ版のような無慈悲さはない。明らかに「インデペンデンス・デイ」タイプの映画に対する意識的なアンチテーゼとして作られている。

to   こうしてみるとスピルバーグ版の性格(特質)が見えてくる。ここでは人類の「思い上がり」や「うぬぼれ」に対する風刺よりは、むしろ「強いアメリカ」に対する風刺がこめられている。その上に9.11のテロで逃げ惑うアメリカ人の姿がかぶさっている(壁にたくさんの行方不明者の名前が貼られているシーンがあった)。さらには、もう一ひねりして見れば、アメリカの道理のない侵略によって女子供まで無差別に殺されたイラク国民の姿もオーバーラップされているともいえる。ちょうど53年版の映画が核戦争の恐怖を重ね合わせていたように。スピルバーグ版はまさにそういう映画である。その出発点を正確に抑えないと見当違いな感想に終わってしまう。原作ではイギリスの各地に隕石と思われるものが落下したことになっていたのを、アメリカを舞台に変えてはいるが、それは別に問題ではない。原作がイギリス小説で映画はアメリカ映画だというだけのことだ。重要なのはアメリカ万歳、アメリカが世界を救うという観点がほとんどないことである。ただ、トム・クルーズが手榴弾で宇宙船を破壊するあたりは「インデペンデンス・デイ」を想起させる。まあ、ちょっとは反撃もしないと観客の気持ちが収まらないと考えたのだろう。

  映画を支配しているのはヒーローの勇気ではなく恐怖である。訳のわからない恐怖。侵略者は最後まで得体が知れない。侵略者が火星人だとすら説明されていない。そもそもなぜ地球が攻撃されるのかも分からない。これは意図的にしたことだろう。原作にはきちんと説明があるからだ。火星人は死滅の危機に瀕しており、「さしせまった必要性」によって「みどりの色濃い植物、灰色の水、豊饒を告げる雲をうかべた大気」を持った別の星への侵略に駆り立てられていたのである。

  あえて何も説明しなかったのは明らかに「得体の知れない恐怖」を描きたかったからだろう。それこそスピルバーグの原点である。最初に撮ったTV映画「激突」は正体の分からないトラックに追い回される恐怖映画である。トラックの運転手は足元しか映されない。最後まで顔が見えない恐怖。「ジョーズ」もいつ巨大サメが現われるか分からない恐怖が充満していた。スピルバーグは得体の知れないものの怖さを知り尽くしているのだ。「得体の知れない恐怖」という意味ではSF映画の金字塔「エイリアン」の第1作もまさに敵の姿が見えない恐怖をこれ以上ないほど徹底して描きこんでいた(ちなみに宇宙人の形もグニョグニョした生き物ではなくエイリアンに近い)。しかしエイリアンはまだ銃や砲弾で倒せた。ところがシールドを張ったトライポッドには全く通用しない。しかもトライポッドの破壊力は絶大である。突然理由も分からず強力な兵器を持った敵に襲われたら誰でも逃げ惑うしかない。何で襲われるのか分からないし、敵の正体も分からないからなおのこと怖い。スピルバーグはそういう逃げ惑う人間の恐怖体験を描きたかったのだ。だからこそヒーローでもスーパーマンでもない普通の男が主人公として必要なのである。彼の視点からは全体像が何もわからない。映画を観ているわれわれにわかる(例えば字幕などで)ことでも、彼にはわからない。反撃すら出来ず、緊張と恐怖と無力感にさいなまれるばかり。その無力感と恐怖が(偽ラジオ番組が証明したように)現実的だからこそ怖い。

  トライポッドを下から人間が見上げるショットが実に効果的だ。その巨大さが視覚的に伝わるし、まさに「細菌」並みの人間のちっぽけさと無力さが実感される。しかもトライポッドは正確に人間1人ひとりをレーザー光線で焼き払ってゆくので、次は自分も殺されるという恐怖感が直に伝わってくる。このあたりの描き方は憎いほどうまい。生き血を吸うシーンなんかよりずっと怖い。そんなものはホラー映画で慣れっこだ。

  ウエルズの原作では一人の男が主人公であり語り手である(一部彼の弟が語り手になる部分があるが)。主人公は途中で家族と別れてしまい、逃げる途中で他の避難民と一緒になることはあるが基本は一人で行動する。スピルバーグ版の映画では親子をメインのキャラクターにした。その結果、家族愛というサブ・テーマが織り込まれる。アメリカ映画得意のテーマである。どんな緊迫したアクションものでも、アメリカ人はこれを描かないと気がすまない。「アルマゲドン」しかり、「ディープ・インパクト」しかり。なぜなら、そこが泣かせのツボだからだ。だが、ここでもスピルバーグは型どおりには描かない。トム・クルーズがかっこいい父親役でないのは言うまでもない。息子には馬鹿にされている。泣きわめく娘には散々てこずらされる。全くいいところのない父親である。彼を単なる港湾労働者に設定したように、あくまで普通の父親に過ぎない。子供たちの前で勇敢なところを見せる場面は全くない。最後に家族が再会した後も、基本的な関係は変わらないだろう。別れた妻とはよりが戻る可能性はないし、子供たちは母親の方を慕っている。その描き方がいい。スピルバーグは最後まで原作通りアンチ・ユートピアの姿勢を保っている。

  主人公を兄弟ではなく親子にしたのは、単なる戦争アクションものではなく人間のドラマを描きたかったからだろう。ただ人間ドラマとしては今ひとつだ。ティム・ロビンスの起用も十分生かされているとはいえない。息子にいたっては本当に必要だったのかという疑問すら浮かぶ。家族愛のテーマは意図したほど映画にふくらみを与えているとはいえない。むしろ、パニックになって車を奪い合ったり、われ先にとフェリーに乗り込もうとするあさましい群衆のほうがリアルだった。

 なお、タイトルがいろいろ物議をかもしているが、原題を見るとWorldsは複数形になっている。つまり火星と地球という二つの世界の間の戦争という意味である。

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2005年12月27日 (火)

あの頃名画座があった(改訂版)⑦

◆86年fudesaku1
   この年は全部で136本鑑賞。その内53本はなんと日本映画である。自分でも驚くほど日本映画を観ていた。しかもかなり貴重な作品も観ている。「原爆の子」、「裸の島」、「愛染かつら」、「君の名は」、「荷車の歌」、「にっぽん泥棒日記」、「貸間あり」、「幕末太陽伝」、「馬」、「豚と軍艦」、「めし」、「人情紙風船」、「宗方姉妹」、「父ありき」、「戸田家の兄弟」、「墨東綺譚」、「青べか物語」、「帰郷」(50年、大庭秀雄監督)など。「天空の城ラピュタ」もこの年の新作として観ている。

  86年の正月に(1日から4日にかけて)なんと連続7本もテレビで観ている。「喜びも悲しみも幾歳月」、「アパートの鍵貸します」、「ヘアー」、「ジョーズ」、「ミスター・アーサー」、「チャップリンのサーカス」、「誰が為に鐘は鳴る」。正月ってこんなに映画やってたんだっけ?まあ、他に観るものがないからせっせと観ていたのだろう。

  この年も各種の意欲的な特集が組まれた。銀座文化2は企画が面白い。1月から2月にかけて世界の美女を特集。バーグマン、ディートリッヒ、グリア・ガースン、エリザベス・テイラーの競演。「熱いトタン屋根の猫」(テイラー)を観る。竹橋の近代美術館(一時フィルムセンターが身を寄せていたところ)で2月から3月にかけて「特集・逝ける映画人を偲んで(1984-85)」。「地獄門」(衣笠貞之助監督)、「非行少女」(浦山桐郎監督)、「馬」(山本嘉次郎監督)の3本を観る。一般300円、学生200円。3月から4月にかけて大井武蔵野館と大井ロマンで川島雄三特集。「あした来る人」、「風船」、「しとやかな獣」、「天使も夢を見る」、「貸間あり」、「接吻泥棒」を鑑賞。別に並木座で「幕末太陽伝」を観る。

  東銀座の松竹シネサロンで「寅さんまつり」。当日一般1300円、学生1100円、前売1000円。全作品を放映するという大企画。第1期は4月26日から6月6日までの12本。チラシにチェック印をつけながらせっせと通った。第1期は8本を鑑賞。第2期は10月4日から24日までの12本。こちらは4本鑑賞。第3期は翌年の5月。この時見逃した2本を11月に文芸地下で鑑賞。大晦日の12月31日に新作「男はつらいよ 幸福の青い鳥」を見て帰省。

  7月7日から8月1日まで三百人劇場で「成瀬巳喜男特集Vol.1」。当日1200円、前売1000円。「めし」、「乱れる」、「稲妻」、「あにいもうと」の4本を観ている。10月から11月にかけて「Vol.2」があったが、こちらはなぜか1本も観ていない。10月にテアトル新宿でチャップリンの特集。長短編あわせて5本観る。新宿の東映ホールで10月から11月にかけて「マルクスの二挺拳銃」、「マルクス一番乗り」、「オペラは踊る」、「マルクス兄弟珍サーカス」、「マルクス兄弟デパート騒動」。このころマルクス兄弟ブームだった。

  11月1日から12月1日まで日比谷のみゆき座で「みゆき座開場30周年記念 東宝シネ・ルネッサンス‘86」を開催。「グランド・ホテル」、「女だけの都」、「巴里の屋根の下」、「リラの門」の4本を鑑賞。11月に池袋のスタジオ200で「トルコ新作映画特集」。4本上映されたが観たのは「エニー・アザー・ウーマン」(シェリフ・ギョレン監督)のみ。当日1200円、前売1000円。なお、東京国際映画祭はこの頃は1年おきにやっていたので86年はお休み。

  この頃はかなりいろいろな国の映画が観られるようになってきた。中でも岩波ホールの果たした役割が大きいのは言うまでもない。2月に「アルシノとコンドル」。ニカラグア映画だが監督はチリのミゲル・リティン。3月にユーゴスラビア映画「パパは出張中!」(エミール・クストリッツァ監督)。11月にインド映画「家と世界」(サタジット・レイ監督)。12月にトルコ映画「群れ」(ユルマズ・ギュネイ監督)。

   池袋のスタジオ200では珍しいフィリッピン映画「悪夢の香り」(キッドラット・タヒミック監督)を観た。ほとんど素人の自主上映作品並の出来だった。キネカ大森でスイス映画「光年のかなた」(アラン・タネール監督)、シネ・ヴィヴァン六本木でギリシャ映画「シテール島への船出」を観た。ユーロスペースでトルコ映画「ハッカリの季節」を観る。翌日ユルマズ・ギュネイ監督の「エレジー」と「獄中のギュネイ」を二度目の鑑賞。新宿の東映ホール1でエジプト映画「アレキサンドリアWHY?」と「放蕩息子の帰還」(共にユーセフ・シャヒーン監督)を観る。エジプト映画は初めて観た。歌舞伎町シネマ2でハンガリー映画「ザ・バルチャー 哀しみの叛逆」。東欧には珍しいアクション映画だった。

  2月1日に面白い経験をしている。この日は先ず高田馬場東映パラスで「血の婚礼」(カルロス・サウラ監督)と「ル・バル」(エットーレ・スコラ監督)観た後、同じ馬場のACTで新藤兼人監督の「裸の島」を観た。「ル・バル」と「裸の島」はどちらも一切台詞のない映画だった。こんな偶然があるものだ。

fudesaku4   この年はなぜか音楽映画を結構観ている。ユーロスペースで「ミニー・ザ・ムーチャー」、渋谷ジョイシネマで「ゴスペル」、池袋ジョイ・シネマ2で「ブルー・タートルの夢」、日比谷映画で「真夏の夜のジャズ」。スティングの「ブルー・タートルの夢」なんて観た事自体完全に忘れていた。

  この年発掘された未公開作品はエドワード・ドミトリク監督の「十字砲火」(47年)。新宿ビレッジ2で観た。もう1本。吉祥寺のバウスシアターで観たピーター・ブルック監督の「注目すべき人々との出会い」も恐らくそれまで未公開だ。神秘思想家グルジェフの伝記映画である。神秘的かつ瞑想的で、実に変わった映画だった。

  この頃には新作はほとんど封切館か二番館で観ている。この年初めて行った映画館は結構多い。「おもいでの夏」と「草原の輝き」を観た五反田TOEIシネマ、「アルジェの戦い」と「無防備都市」を観た池袋のパモス青芸館(ACTの池袋新劇場)など。珍しいところでは「自由を我等に」を観たシアター三省堂。神田の三省堂書店の中にあったのだろうか。全く覚えていない。封切館や二番館はどこでもほとんど同じなので特に名前は挙げない。1年を通してよく通ったのは松竹シネサロン(最多の6回)、並木座、ACT、岩波ホール、ユーロスペース、そして新宿の東映ホール1と2(何と、合わせて8回も行っている)。文芸地下は2回行っているが、文芸座やル・ピリエには1度も行っていないのは意外だ。いわゆる名画座は他に佳作座、早稲田松竹、荻窪オデヲンにそれぞれ1、2度行った程度。パール座や三鷹オスカーは1度も行っていない。前年何度か通った八重洲スター座や下高井戸京王も皆無。新作はロードショーで観て、名画座では古い名画を観るというように使い分けていたようだ。

  名画座よりもむしろACT、三百人劇場、国立近代美術館(フィルムセンター)、スタジオ200、シアターアプル、パモス青芸館などの自主上映館を頻繁に利用している。当時は気がつかなかったが、こうして振り返って整理してみるといろんなことが分かって面白い。

【1986年 マイ・ベストテン】
1 パパは、出張中!         エミール・クストリッツァ
2 黄色い大地             陳 凱歌(チェン・カイコー)
3 未来世紀ブラジル         テリー・ギリアム
4 群れ                 ユルマズ・ギュネイ
5 シテール島への船出        テオ・アンゲロプロス
6 野山                      顔学恕(ヤン・シュエシュー)
7 家と世界                サタジット・レイ
8 ダウン・バイ・ロー          ジム・ジャームッシュ
9 蜘蛛女のキス               ヘクトール・バベンコ
10 ザ・リバー               マーク・ライデル
次 十字砲火               エドワード・ドミトリク
  カラー・パープル            スティーブン・スピルバーグ
  ラウンド・ミッドナイト        ベルトラン・タヴェルニエ
  カイロの紫のバラ          ウディ・アレン
  注目すべき人々との出会い    ピーター・ブルック
  アルシノとコンドル         ミゲル・リティン

  「野山」を観たのは89年3月である。「黄色い大地」は89年4月。「未来世紀ブラジル」は88年11月。いずれもビデオで観ている。僕がはじめて中国映画を見たのは87年である。一般に知られるようになったのも「古井戸」が東京国際映画祭でグランプリを取った87年頃からだ。なお、次点の下は並べただけで、順位ではない。

酔画仙

2002年 韓国 Kingyo01
監督:イム・グォンテク
主演:チェ・ミンシク、ユ・ホジョン、アン・ソンギ、ソン・イェジン
    キム・ヨジン ハン・ミョング、チョン・テウ、チェ・ジョンソン

  「酔画仙」は実在した天才画家チャン・スンオプ(1843~1897)の生涯を描いた伝記映画である。監督は名作「風の丘を越えて~西便制」のイム・グォンテク。2002年の第55回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。彼の作品を観るのは「シバジ」、「風の丘を越えて」に続いて3作目である。

  「酔画仙」はさすがの出来だ。岩波ホールで公開されたが、いかにも岩波ホール向きの作品である。「風の丘を越えて」では韓国伝統のパンソリを題材にしたが、こちらは水墨画の世界。墨といっても黒以外の色も用いるが、やはり黒墨を中心としてシンプルな線と構図と墨の濃淡で表現する画である。

  チャン・スンオプは「朝鮮時代三大画家」の一人とされる巨匠である。「酔画仙」はチャン・スンオプの幼少の頃から死ぬまでを描いている。彼は19世紀・朝鮮時代末期に貧しい家に生まれた。子どもの頃から既に天才的な絵の才能を発揮し、やがては宮廷画家にまでなる。しかし破天荒で束縛を嫌うスンオプは宮廷を抜け出し自由に生きる。絵の道も生き方に似て、型どおりの画法を嫌い独自の絵を追求する。彼の自由奔放な生き方と独自の絵の追求がこの映画の主題である。

 しかし、残された絵も彼に関する記録も極めて少なく、その生涯には謎が多い。「最後は仙人になった」と言われることから「酔画仙」と呼ばれるようになったようだ。したがって、映画「酔画仙」の大部分は残されたわずかな絵や資料を基に創作され脚色されたものである(ショッキングなラストも当然創作である)。恐らくそのためだろう、「アビエイター」や「ビヨンドtheシー」のように、無理やり一人の人物の一生を2時間の映画の中に詰め込もうとして消化不良になってしまったという印象はあまりない。無理なく彼の創作や創作上の苦悩と破天荒な生き方に焦点を当てられたのである。

  また、恐らく彼の自由奔放な生き方ゆえであろう、イム・グォンテクの作品としては重苦しさがあまりない。基本的には娯楽映画ではなく芸術的な映画だが、適度に娯楽性も盛り込んでいる。スンオプに与えられる絵の助言も分かりやすく難解ではない。

  見所は何といってもその創作過程。何もない紙にいきなり筆を入れると、たちまちそこに見事な絵が出来上がってゆく。驚異の世界だ。映画では一気に描き上げてゆく様子が描かれているが、実際は筆を入れるまでにかなりの時間をかけるのだろう。下書きもなく何もない白紙に一気に描き入れるのだから、当然それまでに頭の中で絵の姿が出来ていなければならない。「気」が高まるのを待って、エイとばかりに筆を走らせる。絵の具で描く絵のように全体を塗りつぶすわけではない。基本的に線画である。したがってビアズリーの挿絵のように白と黒のコントラストによる構成の妙が命である。もっともビアズリーの場合「ライン・ブロック」と呼ばれる印刷法の制限で白と黒の対比だけで、微妙な中間色や濃淡を表すことは出来ないのだが、水墨画は筆だから線の太さや濃淡がまた味わいを生む。しかし、白地の部分を活かして余計な部分をいっさい切り捨てて、わずかな的確な線だけを生かすという表現法には共通するものがあるだろう。クリムトの絵のような極彩色で装飾過多の世界とは対極にある(クリムトの絵が悪いと言っているわけではない、あれはあれで好きだ)。

  彼の絵がどれほど、またどのように革新的であるかは、それ以前の画法とじっくり比べてみないとよく分からない。映画だけでは無理だ。ただ彼が画家として成長してゆく過程はそれなりによく描かれていたと思う。その折々に語られる助言、例えば、ただ対象をそのまま描くだけではなくそこに描く者の心を付け加えなければならない等の助言も難解ではなく、何とか素人にもついてゆける。伝統にこだわらない彼の自由な画風が、彼の自由奔放な生き方と裏表の関係にある事が強調されている。偏屈なほど束縛を嫌い、逃亡と放浪を繰り返す。何しろ「宮廷画家に任命されてから宮廷を3回も逃げだした」、「酒と女なしでは絵が描けなかった放蕩者」などの記録が残っているそうである。どう考えても窮屈な世界におとなしくこもっている類の男ではない。

  スンオプが師と慕い、またスンオプを一番理解し的確な助言を与えたのはキム・ビョンムン(アン・ソンギ)である。スンオプ役のチェ・ミンシク同様、名優アン・ソンギはまさに適役である。岩の様な落ち着きと深い知識を持ち、温かくスンオプを見守る慈父の様な存在。やがて政変によって官憲に追われ隠れ住むことにもなるが、そんな境遇でも落ち着きと気品を失simp-daimaru01わない。難しい役だがアン・ソンギは見事にそれに応えた。彼は貴族ながら改革派の進歩的知識人で、水墨画にも深い知識を有している。貧民街で育った下賎な身分のスンオプを見出したのも、彼を絵の師匠に弟子入りさせたのもキム・ビョンムンである。そして何よりもスンオプの絵の最も優れた理解者であり助言者であった。彼の類まれな絵の才能を見抜き(スンオプの観察力と記憶力は驚くべきもので、若い頃古い画帳を夜中に一度こっそり盗み見ただけで本物そっくりに再現してしまった)、さらに中国画の真似ではなく朝鮮画の真髄を見つけるよう助言する。彼にはその期待に応えられるだけの才能があると見抜いていたからだ。そしてスンオプもそれに応えようと苦悩する。彼が一番酒におぼれたのはその時だ。彼ほどの才能をもってしても新しい画法を生み出すのは容易ではない。悩むほどに酒を飲み、飲むほどに苦悩は増す。もっとも、酒を飲まなければ絵が描けないというのは、伝説の類だろう。かつて麻薬をやるといい演奏が出来るとされたジャズ・ミュージシャンと同じで、何の根拠もない。酒も麻薬も逃避に過ぎない。有名人ほど逸話も多く、話には尾ひれがつくものである。実際に酒はかなり飲んだのだろうが、それと創作とは何の関係もない。一度見ただけで絵を再現したという話もその類で、どこまで信じられるか分かったものではない。ただこれは基本的にフィクションなので、それはそれとしてとりあえず受け入れておけばいい。

  改革派のキム・ビョンムンは日本と組んで体制の転覆を図ったが、三日天下で終わり、やがて追われる身となる。スンオプも巻き込まれそうになる。清国と日本の間で翻弄されてきた朝鮮の歴史が絡められているが、これはそれほど深く描かれてはいない。背景程度だ。スンオプは一人放浪し自己を見つめ直し、自分の絵を追求する。

  彼が放浪する土地の風景が素晴らしい。色彩に乏しく、まさに水墨画のような寒々とした景色も出てくる。霧にかすむ山、荒涼とした草原、これらの映像が彼の描く水墨画の世界に見事にマッチしている。一方、彼の家の庭など、人家があるところでは花の色など色彩があふれている。それが赤や黄色などの色をワンポイントのように使う彼の絵の世界にまた合う。彼が絵の発想をどこから生み出すのかほとんど描かれていない(また描きようがない)が、水墨画の様な自然の中を歩く彼を描くことによって、彼は自然から絵の発想を得ていると暗示しているようだ。これはなかなか見事な演出である。彼はあくまで自然を描く画家であり、彼は創作上の壁にぶつかると自然の中に入り、自然を見つめ彼自身の心を見つめる。彼の絵の源泉は酒や女ではなく自然なのである。

  キム・ビョンムンの助言とスンオプの出自が最後に結びつく場面がある。スンオプは貧しい生まれであるため画の才能を認められつつも、周りの画家仲間たちから馬鹿にされていた。身なりにしても彼だけがみすぼらしいなりをしていた。彼が庶民の集まる安酒場に行き昔のなじみと話をする場面が何度か出てくる。そこは彼にとって落ち着ける場所なのであろう。そんな彼にキム・ビョンムンがもっと庶民的な絵を描くべきだとある時助言する。スンオプはそれに応えて一枚の絵を彼に献上する。ラスト近く、スンオプは官憲に追われるキム・ビョンムンが隠れ住んでいる庵に行くが、キム・ビョンムンはいない。だが彼に渡した絵が置かれていた。スンオプは、以前キム・ビョンムンに頼まれたとおりに、絵の中の家に黄色の彩色を施す。ただ一人信頼していた師に対する彼の限りない思慕の情が表れていて素晴らしい場面である。

  しかし、優れた映画なのだがなぜか感動は薄い。「風の丘を越えて」とは違って、魂の奥底をゆさぶられるような感動はない。彼や彼の絵があまりに常人の理解を超越しているからか。いや、そうではないだろう。才能は別にして、彼も酒と女におぼれ、悩み苦しむ普通の人間である。優れた画家として認められた後も、どこか庶民的なところが残っている。恐らくイム・グォンテク監督の演出が感情移入をあえて阻んでいるのである。劇的な演出や安易な涙を誘う演出は避けている。そして何よりも、彼の演出がスンオプの内面に過度に入り込まず、終始客観的冷静に描いているからだろう。このことが作品の出来を高めたのか低めたのか、にわかには判断しがたい。

  最後に女優について一言。スンオプが最初に憧れるソウン役でソン・イェジンが出ている。しかしこれが彼女の最初の映画出演作で、その美しさは印象的だが出番は多くない。むしろ彼を慕い続けた妓生メヒャンを演じたユ・ホジョンとスンオプの妻(愛人?)役のキム・ヨジンの方がずっと重要な役である。特にユ・ホジョンの美しさと存在感は特筆に価する。

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2005年12月24日 (土)

ビヨンドtheシー

2004年 アメリカ・ドイツ・イギリス bara
製作、監督:ケヴィン・スペイシー
脚本:ケヴィン・スペイシー、ルイス・コリック
撮影:エドゥアルド・セラ
音楽プロデュース:フィル・ラモーン
美術:アンドリュー・ローズ
衣装:ルース・マイヤーズ
出演:ケヴィン・スペイシー、ケイト・ボスワース、ジョン・グッドマン
    ボブ・ホスキンス 、ブレンダ・ブレッシン、グレタ・スカッキ
       キャロライン・アーロン、 ウィリアム・ウルリッチ、マイケル・バーン

 この映画を観て、ボビー・ダーリンについて全く何も知らなかったことに気付いた。もちろん名前は知っていた。しかしボビー・ダーリンと聞いてすぐ思い浮かんだのが「ほほにかかる涙」だった。情けない、それはボビー・ソロだろ。大体カンツォーネじゃないか(汗)。映画を通して、聞き覚えのある曲はタイトルになっている有名な「ビヨンド・ザ・シー」だけだった。いや、それどころかもっとショックだったことがある。「ビヨンド・ザ・シー」が流れたすぐ後にシャルル・トレネの「ラ・メール」が流れていた。DVDを観終わった後タバコを吸いながら「ラ・メール」を口ずさんでいた時、メロディが「ビヨンド・ザ・シー」と似ていることにはっと気付いた。タイトルも「ラ・メール」と「ビヨンド・ザ・シー」、ひょっとして・・・。そう、そんなことも知らなかった。まあ、僕が洋楽を聴き始めたのは1970年以降だから、その時既に過去の人で全く関心がなかったわけだ。何しろ当時はビートルズですら過去のものだと思っていたくらいだからね。というわけで、「ビヨンドtheシー」はボビー・ダーリンについて全く予備知識なしで観た。当然思い入れもない。

 それにしても最近のアメリカ映画は有名人(特にミュージシャン)の伝記映画がやけに多い。「五線譜のラブレター」「アビエイター」、「RAY」、共同製作だが「モディリアーニ真実の愛」「モーターサイクル・ダイアリーズ」など。ヒット作の続編、外国映画の焼き直しばかり作っていると思っていたら、今度は有名人の伝記映画か。これもオリジナル脚本を作れなくなってきた兆候の一つなのか?少なくとも誰でも知っている人物の映画なら客も入るだろうという打算はあっただろう。志は低いが映画の完成度はおおむね高い。得意の分野だからだ。有名な映画だけを拾っても、「ゾラの生涯」、「ジョルスン物語」、「炎の人ゴッホ」、「打撃王」、「翼よ!あれが巴里の灯だ」、「赤い風車」、「グレン・ミラー物語」、「ベニイ・グッドマン物語」、「愛情物語」、「五つの銅貨」、「奇跡の人」、「ウディ・ガスリーわが心のふるさと」、「ビリー・ホリデイ物語」、「アマデウス」、「ハメット」、「マルコムX」、「バード」、「ドアーズ」等々、山のようにある。やはり音楽家が多い。映画として華があるからだろう。

  また、今年の10月24日92歳で亡くなったローザ・パークス女史(有名なモンゴメリーのバス・ボイコット運動のきっかけとなった人)本人の伝記映画ではないが、バス・ボイコット運動を描いた「ロング・ウォーク・ホーム」という佳作もある。アンジェラ・バセット主演の「ローザ・パークス物語」というテレビ・ドラマも作られた。ついでにもう一つ挙げておくと、逆に黒人がバスに乗る映画「ゲット・オン・ザ・バス」というのもある。これは95年にワシントンで行われた「百万人の行進」に参加するためにバスに乗った人々を描いた映画である。キング牧師の演説で有名な63年の「ワシントン大行進」を意識した映画で、スパイク・リーの隠れた傑作である。

  いつもながら前置きが長くなってしまった。「ビヨンドtheシー」はそこそこ楽しめた。「五線譜のラブレター」と似た構成。最初に本人が自分の伝記映画を作っているところから始まる。ただ、「五線譜のラブレター」の場合こうすることによって主人公を相対化し、美化することを避け、ある程度対象を客観視できる効果があったが、「ビヨンドtheシー」の場合どこに狙いがあったのか今ひとつはっきりせず、そのため効果も弱い。ましてや苦節10年、ついにやったぞ的思い入れたっぷりで、ケヴィン・スペイシー自身がボビー・ダーリンになりきり、歌まで歌ってしまうというのでは相対化のしようがない。描かれているのはボビー・ダーリンではなくケビン・スペイシーであるとか、「ケビン・スペイシーのワンマンショー」といった評が出てくるのも無理からぬことだ。

  50年代の終わりに「スプリッシュ・スプラッシュ」というロックン・ロールをヒットさせ、一躍ティーンのアイドルとなったが、彼はどうしてもフランク・シナトラのような歌手になりたかった。プロデューサーと廊下でそのことでやりあうシーンは印象的だ。そんなものを歌わなくても君は既にスターだというプロデューサーに対して、ボビーはたまたま通りかかった配達員に自分を知っているかと聞く。配達員は知らないといって立ち去る。勝ち誇ったようにボビーは言う。「配達員に知られたら真のスターさ。」こうして彼はスタンダード・シンガーへの道を歩みだす。この後は順風満帆、文字通り真のスターになるが (もっとも夫婦の間の葛藤はあった)、やがて彼の歌は時代遅れになり、売れなくなる。このあたりの苦悩が今ひとつ伝わってこない。どうもドラマとしてみた場合やや平板でメリハリに欠ける。もっとミュージシャンとしての葛藤が描かれていてもよかったと思う。一時音楽から離れ、ロバート・ケネディを応援するが、彼が暗殺されてからまた音楽の世界に戻り、反戦歌を歌ったりすることは描かれている。だがこれらは単なるエピソードの寄せ集めになっていて十分掘り下げられているとはいえない。ナイトクラブでの前座に黒人コメディアンを起用しようと頑張るシーンもあるが、思想的側面には深入りしていない。トレーラーハウスで作曲に力を入れているシーンも短く描かれるが、彼が時代や音楽シーンの変化に直面してどのように葛藤したのかほとんど描かれない。"Simple Song of Freedom"を歌うシーンをラストのクライマックスに持ってくるのだったら、このあたりをもっと描くべきだった。

  「アビエイター」でも指摘したことだが、もっと焦点を絞った方がよかったのではないか。たとえ37歳で夭折した人であっても、一人の人間の人生を2時間ですべて描くことはそもそも無理なのだ。しかもレイ・チャールズのような波乱の人生を送ったわけではないのだから、切るべきところは切り、焦点を当てるところはじっくり描かないと平板になってしまう。一番問題なのはステージの上以外の彼の人生を描く時に、サンドラ・ディーとの恋愛と結婚を中心piano1にしてしまったことだ。正直ほとんど記憶に残っていない女優だ。しかもサンドラ・ディー役のケイト・ボスワースも本人によく似ているのだが、あまり魅力を感じなかった。まあそれは個人の好みだが。ただこの部分を救っているのは彼女の母親を演じているグレタ・スカッキである。どうせ結婚するなら「ロック・ハドソンと結婚してほしかったわ!」と平然と言い放つ女性だ。そりゃ美男子だがね。やや日本のテレビドラマみたいなステレオタイプ化された人物像だが、彼女が演じると妙にはまる。しかし結婚後はグレタ・スカッキもあまり登場しない。結婚後の描写はかなりありふれたものになっている。かつらの話は面白いが、それだけでは彼の人間的苦悩を十分描いたとはいえない。ゴールド・レコードを前にかつらを脱ぐシーンは印象的ではあるが。

  ところでこの映画は何を描きたかったのか。昔は伝記映画といえばそれこそ偉人伝だった。そこには伝えるべき教訓があった。今はそれでは成り立たない。だから音楽家にしてもクラシックではなくポピュラーのミュージシャンが対象になり、教訓ではなくエンターテインメントとして、まるで昔のミュージカル映画を楽しむような作りになる。昔のミュージカルを再現しても時代に合わない、それならミュージシャン本人を取り上げ、歌やダンスも楽しめながら人間ドラマとしても楽しめる作りにしよう。そういうことだろう。

 ショーの部分は確かによく出来ている。これはアメリカ映画お得意の分野だし、才人ケヴィン・スペイシーが本領発揮できる部分だから、悪かろうはずはない。なにしろ子供の頃からタップを習っており、ミュージカル経験もあるそうだ。物まねは名人級。ただそんなに苦労して似せる必要もなかったように思うが。ほとんど忘れ去られた人なのだから似ていようが似ていまいがどうでもいいことだ。そっくりショーを見に行ったわけではない。それらしさが出ていればそれでいいではないか。それにそんなに似せたところで、ボビー・ダーリンの歌自体が古臭いのだからこちらは心底楽しめるわけではない。そもそもフランク・シナトラからして少しもいいとは思わない。確かに歌は抜群にうまいのだが、聞いていて面白くない。むしろ思い切って現代風にアレンジしてしまって、ケビン・スペイシー以外の人にも歌わせた方がよかったのではないかと思う。飲みに行った店で誰かが彼の歌を歌っているとか、BGMで流すとか。『五線譜のラブレター』の方が現役のエンターテイナーが多数出演しており、ショーを楽しむという点ではこちらの方がずっと上である。まあ、さすがに歌がうまいから飽きることはなかったしそれなりに楽しめたから、その点はむしろ評価してもいいと思う。

  歌われた曲の中では、最後に歌った"Simple Song of Freedom"が一番いい歌だと思った。文字通りシンプルだがぐっと胸に迫る素晴らしい曲で、ここが一番感動的なシーンだ。僕は60、70年代のフォークで育った世代だから素直に入ってくる(逆にスタンダードが好きな人は違和感があるかもしれないが)。最初のうちは観客からブーイングを受けるが、同じ歌をいつもの盛装で歌うと、観客から熱烈な反響が返ってくるという展開も悪くない。「人は見た目で聞く。」格好だけ若者に合わせても馬鹿にされるだけ。ちゃんと盛装すれば客は聞いてくれる。変革の時代だったが、まだそういうところも残っていたのである。"

  それに比べると泣かせどころとして用意された彼の出生の秘密が明かされる場面、そしてそれを公衆の前で公表する場面はいかにもお涙頂戴調である。かつらの話といい、どうしても伝記映画というと知られざる事柄を描いて観客をあっといわせるという展開になりがちだ。それよりも子どもの頃をもっと描いた方がよかったと思う。ボビー・ダーリンは、リューマチ熱のために心臓を悪くして、よくて15歳までしか生きられないと宣告された。そんな彼が「15歳以上生きてやる!」と思うようになったのは音楽と出会ったからであり、そう仕向けたのは母親である。母親と共に音楽の才能を伸ばしてゆくシーンを前半のメインにしたらいいシーンがたくさん作れたのではないか。そうしなかったのは、子ども時代はケヴィン・スペイシーに演じられないからである。

  子役の位置づけにも疑問がある。子役のウィリアム・ウルリッチには子ども時代のボビーそのものを演じさせるべきだった。ボビーが製作している「自伝映画」の中でボビーの子ども時代を演じる子役ではなく。「ビヨンドtheシー」の冒頭で子役がボビーに意見するあたりはいかにも不自然だ。「自伝映画」の子役が必要だったのは後の方で子役とボビーが一緒に踊るシーンを撮りたかったからだと思われる。大人のボビーと子供時代のボビーが一緒に踊ることは現実には不可能だからだ。だが、現実には無理でも夢想や幻想の中でなら可能だ。死の床でボビーが自分の人生を振り返り、子ども時代の自分と一緒に踊る幻想的なシーンが流れる、という方がずっとよかったと思う。

  脇役にジョン・グッドマン、ボブ・ ホプキンス、ブレンダ・ブレッシンなどのイギリス人俳優を配したことが劇に厚みを加えている。撮影監督は「鳩の翼」と「真珠の耳飾の少女」でアカデミー賞を取った名手エドゥアルド・セラ。

 1967年にボビーと離婚したサンドラ・ディーは、2005年2月20日に62歳で亡くなった。

2005年12月22日 (木)

ロード88

2004年 日本 SD-glass05-09
監督:中村幻児
脚本:梅村真也・中村幻児
撮影:高間賢治
音楽:遠藤浩二
原作:山名兌二
製作総指揮:大里洋吉
出演:村川絵梨、小倉久寛、須藤理彩、津田寛治
    小園崇、黒田福美、川上麻衣子、ニコラス・ペタス
    高松英郎、長谷川初範、神山繁、富田靖子
    三宅裕司、岸谷五朗、寺脇康文、新藤晴一

  いまどき珍しいほどストレートな映画である。しかも、いわゆる難病もの。いかにもという作りなのだが結構素直に感動できる。この映画の魅力の大半は主演の村川絵梨の魅力だといっていいだろう。帽子とバンダナがやけに似合うし、スケボーに乗っている姿がまたなかなか様になっている。そして何といってもけなげでかわいい。奥山佳恵を若くした感じの顔で、好きなタイプだ。彼女はNHK朝の連ドラ「風のハルカ」のヒロインなので、ご存知の方は多いだろう。演技力はまだまだ未熟だが、とにかくひたむきに頑張る彼女のけなげさに惹きつけられた。

  タイトル「ロード88」の「88」とは四国88カ所霊場巡りのことを指している。主人公の槙村明日香(村川絵梨)がスケボーでお遍路さんをするというストーリーなのである。その意味でこれは一種のロードムービーである。明日香は骨髄性白血病に冒されている。ドナーも見つからないため、いつまで生きられるかも分からない不安な状態に置かれている。彼女は思うところがあってスケボーと携帯だけを持って四国88ヶ所・お遍路巡りに旅立つ。映画は彼女が最後の寺まで行き着く過程をずっと追ってゆく。

  もちろんそれだけでは話が単調になるので、旅の途中で出会った人たちを絡ませてゆく。同じお遍路巡りをしている人たちなので、つかず離れずほぼ同じペースで巡ってゆく。「旅の仲間」の一人は売れないお笑い芸人佐藤勇太(小倉久寛)。彼の旅はかなり悲惨である。テレビ番組の収録のために自転車でお遍路巡りをしているのだが、スタート時に財布を取り上げられ、所持金はゼロ。旅の費用は道々お笑い芸で稼ぐしかない。だがコンビの相方に見捨てられた売れない芸人の芸では稼ぎはさっぱり。飯代もろくに稼げず、旅館にも泊まれない。佐藤勇太は準主役と言ってもいいくらいの重要な役割を振り当てられている。一緒に回っているディレクターの小園崇(津田寛治)とADの真中涼子(須藤理彩)との関係も描きこまれてゆく。

  もう一人の「旅の仲間」は、ある理由で警察と怪しげな組織に追われている伴野一郎(長谷川初範)。死んだ娘にそっくりな明日香に引かれ、途中から彼女と一緒に旅をする。娘に何もしてやれなかったことが心の傷になっている。勇太も伴野も明日香のひたむきさによって生きる勇気を与えられる。

  映画の出来は決してよくはない。全く型どおりの映画である。あまりにストレートすぎるので、途中で先の展開がある程度読めてしまう。お遍路の意味や各寺の来歴も語られず、寺は単なる通過点に過ぎない。四国の風景も美しく撮られているが、これも単なる背景に過ぎない。この映画は骨髄バンクのドナー登録者を増やすためのキャンペーン映画として作られた。そのことが映画の完成度を低めていると思われる。どうしても一種の「プロパガンダ映画」になってしまうからだ。ドナー提供者が現れずに明日香が死んでゆくか、提供者が現れて助かるか、結論はどちらかにほぼ決まってしまう。そこからストーリーを作ってゆけば、当然途中で先が読めてしまう。まあ、そういうことだったのではないか。ユニークな「旅の仲間」をひねり出したりしていろいろと工夫はしているが、もう一つ、二つ工夫が足りないということだ。ラストだって明日香がその後どうなったのか結論を出さずに終わらせる事だって出来ただろう。彼女は助かったのか?結論を与えるのではなく、観客に考えさせることで関心を持たせる。そうすれば途中のエピソードだって必ずしもラストに向かって直線的に収斂していかなくてもいい。まあ、実際は口で言うほど簡単ではないのだろうが。

  ただ、完成度が高くないといっても、観終わった後はさわやかで、それなりに感動も出来る。逆に言えば、それほど村川絵梨が魅力的だということである。煎じ詰めると村川絵梨の魅力がすべてなのである。「ヒーリング・ロード・ムービー」というのがキャッチコピーのようだが、映画のテーマよりも彼女の姿そのものがヒーリングなのである。骨髄バンクのドナー登録者を増やすためのキャンペーン映画、あるいは四国4県オールロケによる四国宣伝映画を作ったつもりが、皮肉なことに村川絵梨のプロモーション映画になってしまった。おかげで彼女は朝ドラのヒロインにもなれたし、ひょっとするとものすごい大器なのかも知れない。「臭く」なりがちなテーマだが、彼女の魅力がその臭さをかなり消してしまった。出来は「深呼吸の必要」ほどではないが、同じように若者のひたむきさをストレートに描いた数少ない日本映画である。斜に構えた映画が横行する中で、ほどよいさわやかさを感じたことを率直に認めておくべきだろう。

  古瀬陽子の挿入歌「夢は夢のままで」は非常にいい曲だった。BOYSTYLE(村川絵梨もメンバーの一人)の歌う主題歌「Tomorrow~風の道標~」も悪くない。

2005年12月21日 (水)

年末から06年新春にかけて出る注目すべきDVD

xclip-r1  2005年は過去の映画をDVD化する作業が飛躍的に進んだ年です。それまで観たくても観られなかった映画が家庭で気楽に観られるようになったのは喜ばしいことです。特に映画館が近くにあまりない地方都市の住民にとってはずいぶん便利になりました。レンタル店の棚も2、3年前と比べるとDVDの比率が格段に多くなっています。ずいぶん長かったビデオ時代ももう終わりですね。次世代DVDが今後どのように展開されるのか気になりますが、この傾向はまだしばらくは続くでしょう。もっとも、わざわざDVDを借りたり買ったりしなくても、衛星放送やインターネットを通じて観るのが普通になる日も遠くないと思われます。

  11月20日に「05年にDVD化されたおすすめ旧作」というリストを掲げましたが、年末に来てかなり貴重な映画が一気にDVD化されます。サイレント時代に作られたソ連映画の歴史的名作5本です。「戦艦ポチョムキン」などいくつかは前にもDVDになっていたと思いますが、これだけまとまって出るのは初めてではないでしょうか。もっとも、すべての人におすすめできるわけではありません。何しろ古い映画だし、僕はこれらを70年代の前半に見たのですが(SF映画「アエリータ」は80年代)、その当時既に古いと感じたわけですから。専門家でもなければ観る必要のない映画ですが、歴史的に貴重な作品だけにDVD化されたこと自体は大いに意義のある事です。他に比較的新しいソ連映画も2本出ます(いずれも12月22日発売)。先にDVD化されていたソ連映画最初のカラー映画「石の花」とあわせると、今年かなりソ連映画のライブラリーは充実したことになります。しかしまだまだソ連映画は未発掘の分野。個人的に出してほしいものだけでも2、30本は下りません。来年はさらに多くの作品が身近になることを期待します。

「アエリータ」(1924年、ヤーコフ・プロタザーノフ監督)
「アジアの嵐」(1928年、フセボロド・プドフキン監督)
「アンドレイ・ルブリョフ」(1966年、アンドレイ・タルコフスキー監督)
「人生案内」(1931年、ニコライ・エック監督)
「大地」(1930年、アレクサンドル・ドブジェンコ監督)
「母」(1926年、フセボロド・プドフキン監督)
「炎628」(1985年、エレム・クリモフ監督)

 また、来年1月に「ポランスキー・スペシャルDVDコレクション」が発売されます。初期の傑作「水の中のナイフ」、「反撥」、「袋小路」の3作を収録。滅多に観られない名作ですので是非この機会に手に入れておくといいでしょう。2月にはG.W.パプスト監督のサイレント映画の名作「パンドラの箱」も出る予定。これも滅多に観られない歴史的名作ですので関心のある方は是非。

1月27日  「ポランスキースペシャルDVDコレクション」
2月25日  「パンドラの箱」

 旧作ばかりでは何ですので、来年出る新作DVDからぜひ観たいと思っているものも挙げておきます。1月、2月は話題作がひしめき、かなり充実しています。先日レビューした「メゾン・ド・ヒミコ」も3月3日発売予定。

1月12日  「ヒトラー最期の12日間」(04年、オリバー・ヒルシュピーゲル監督)
1月13日  「理想の恋人」(05年、ゲイリー・デビッド・ゴールデンバーグ監督、米)
1月25日  「シンデレラマン」(05年、ロン・ハワード監督、米)
1月25日  「亀は意外と速く泳ぐ」(05年、三木聡監督、日本)
1月27日  「マラソン」(05年、チョン・ユンチョル監督、韓国)
1月27日  「星になった少年」(05年、河毛俊作監督、日本)
1月27日  「樹の海」(04年、瀧本智行監督、日本)
1月27日  「運命じゃない人」(04年、内田けんじ監督、日本)
1月27日  「Dearフランキー」(04年、ショーナ・オーバック監督、英)
1月27日  「ラヴェンダーの咲く庭で」(04年、チャールズ・ダンス監督、英)
2月 3日  「チャーリーとチョコレート工場」(05年、ティム・バートン監督、米英)
2月22日  「リンダ リンダ リンダ」(05年、山下敦弘監督、日本)
2月24日  「NANA」(05年、大谷健太郎監督、日本)
2月24日  「いつか読書する日」(05年、緒方明監督、日本)
2月24日  「ヴェラ・ドレイク」(04年、マイク・リー監督、英仏)
2月24日  「南極日誌」(05年、イム・ピルソン監督、韓国)
2月24日  「ふたりの5つの分かれ路」(04年、フランソワ・オゾン監督、フランス)
2月24日  「ハッカビーズ」(04年、デビッド・O・ラッセル監督、米・独)

  最期に、「2005年発売のDVD/ビデオ マイ総合ランク」というリストも掲げておりますので、よければごらんになってください。今年の総点検をする際に多少のお役に立てるかもしれません。

2005年12月20日 (火)

風の遺産

1960年 アメリカ(劇場未公開・TV放映) SD-fai2-09
原題:INHERIT THE WIND
監督:スタンリー・クレイマー
製作 : スタンリー・クレイマー
脚本 : ネイサン・E・ダグラス、ハロルド・ジョイコブ・スミス
撮影 : アーネスト・ラズロ
音楽 : アーネスト・ゴールド
出演:スペンサー・トレイシー、フレデリック・マーチ
 ジーン・ケリー、 フローレンス・エルドリッジ、ディック・ヨーク
 ヘンリー・モーガン、 ドナ・アンダーソン、エリオット・リード
 クロード・エイキンズ

  アメリカ1920年代。ジャズ・エイジとも言われ、アメリカ人がやがて来る大恐慌の前の空前の繁栄を享受していた時代。自動車、飛行機、ラジオが市民生活をより快適なものに変えていった。そして摩天楼が出現した時代。誰もが科学の進歩の恩恵を享受していた時代。その時代にとんでもない裁判が起こった。スコープス裁判。一般には「サル裁判」として知られる、アメリカの歴史上有名な裁判である。

  1925年の蒸し暑い夏。アメリカ・テネシー州デイトンで世紀の事件は起こった。当時高校の数学教師であった(スポーツ・コーチで理科の代用教員でもあった)ジョン・スコープスが授業中にダーウィンの「進化論」を生徒に教えたことを理由に逮捕されたのである。日本では信じられないことだが、今でもアメリカではキリスト教原理主義者による進化論攻撃は続いている。80年代に保守派のレーガン大統領が誕生した時、保守派の巻き返しが激しくなった。その巻き返しの中心にいたのは「モラル・マジョリティ」などのキリスト教右派団体である。堕胎反対運動など当時話題になったのでニュース等で見た人も多いだろう。この時も反進化論キャンペーンがあり、各地で裁判になった。

  スコープス裁判についてJ.W.T.ヤングス著『アメリカン・リアリティーズ』(1985年、多賀出版)の第7章「現代と伝統――スコープス裁判と社会正義」を借りて説明しておこう。ファンダメンタリスト(原理主義者)の運動はK・K・Kほど人種差別主義的ではなかったが、その目標には共通のものも少なくなかった。両者共に聖書、農村的生活などを強調し、変化を恐れた。彼らは聖書の真実――天地創造、処女降臨、復活――を本質的真実だと考える。したがって人間は猿から進化したとする進化論の考え方は神への冒涜であり、彼らにとって主要な敵とみなされた。ファンダメンタリストは1920年代にキリスト教の少なからぬ宗派で多数派になり、中南部の各州で進化論を公立学校で教えることを禁じる法律を成立させた。テネシー州では1925年にジョン・バトラーという農民議員がこの法案を提出し、通過した。アメリカ市民自由連盟(ACLU)はこの法律に対して法廷で争う方針を立て、スコープスを拝み倒し協力を約束させた。数日後、スコープスはバトラー法違反で逮捕された。

  裁判では弁護側はクラレンス・ダーロウを弁護士にたて、検察側はウィリアム・ジェニングス・ブライアンを検事に選んだ。二人とも当時有名な人物だった。検事側の主張は単純、テネシー州で禁じられている進化論を教えたかどうかを論点にした。弁護側はその法律そのものが憲法修正第1条と第14条を犯している、広く受け入れられている科学理論を教えることを禁じるのは不当であると主張した。だが本質は、進化論とファンダメンタリズム、思想の自由と「根を下ろした価値観」の対立だった。結局、スコープスは、ダーロウの見事な弁護にもかかわらず、1927年7月21日に有罪判決を言い渡され100ドルの罰金を課された。裁判が終わった数日後、検事のブライアンは突然死去した。弁護側はその後も運動を続け、1967年バトラー法は廃止された。

  「風の遺産」はこの有名なスコープス裁判を描いた骨太な法廷劇である。このような映画がある事自体つい一月ほど前まで知らなかった。それが突然DVDで発売されたのである。最近のDVD化の動きは相当なものである。まだDVD化されていない作品も結構あるが、この動きが今後も続くなら、かなり貴重なものも入手できるようになるだろう。歓迎すべきことである。

  「風の遺産」は日本では劇場未公開。ただし「聖書への反逆」というタイトルでテレビ放映されたことがあるようだ。タイトルは旧約聖書の「箴言」にある「自分の家族を煩わせる者は風を相続し、愚かな者は心に知恵のある者の僕となる」から取られている。監督は「招かれざる客」、「手錠のままの脱獄」、「ニュールンベルグ裁判」などで知られるスタンリー・クレイマー。弁護士にスペンサー・トレイシー、検事にフレデリック・マーチという共にオスカーを2度ずつ受賞した名優を配し、さらに弁護側支持の新聞記者にジーン・ケリーを起用している。

  日本語のサイトには全く情報がないので、英語のサイトから基本的な情報を引き出してみた。Tim Dirks氏の「風の遺産」レビューが非常に参考になる。 映画ではテネシー州デイトンはテネシー州ヒルズボロに変えられ、ダーロウ弁護士はヘンリー・ドラモンドに、ブライアン検事はマシュー・ブレイディに、被告スコープスはケイツ(ディック・ヨーク)に変えられている。ジーン・ケリーが扮した「ボルティモア・ヘラルド」紙のE.K.ホーンベックのモデルは「ボルティモア・イブニング・サンズ」紙の記者H.L.メンケンである。他に判事役をヘンリー・モーガン、ジェレマイア・ブラウン牧師をクロード・エイキンズ、その娘レイチェル・ブラウンをドナ・アンダーソンが演じている。

  元はブロードウェイのジェローム・ローレンスとロバート・E・リー作の舞台劇である。初演は1955年の4月で、ドラモンド弁護士をポール・ムニ、ブレイディ検事をエド・ベグリー、ホーンベック記者をトニー・ランドールが演じている。映画の脚本はネイサン・E・ダグラス、ハロルド・ジョイコブ・スミスとなっているが、ネイサン・E・ダグラスの本名はネドリック・ヤングである。赤狩りでブラックリストに挙げられたが、屈しなかった人物である。ここでは変名で脚本を書いたのである。このネドリック・ヤングの存在は重要である。リベラル派スタンリー・クレイマーは1925年の裁判を題材に取りつつ、人間の良心と信念をめぐる激しい裁判での論争を通して、赤狩り旋風が吹き荒れた50年代の抑圧的雰囲気をも描いていたのである。

  アカデミー賞に4部門でノミネートされたが、いずれも受賞は逸した。この映画は3度テレビドラマ化されている。このテーマがいかに重要、かつ現代的なテーマであるかがこのことxmastreeからもうかがえる。65年版はメルヴィン・ダグラスとエド・ベグリー主演、88年版はジェイソン・ロバーズとカーク・ダグラスとダレン・マクガヴィン主演、99年版はジャック・レモンとジョージ・C・スコットとボウ・ブリッジス主演。そうそうたる名優ぞろいである。

  さて、基本情報はこれくらいにしてそろそろ映画そのものを紹介しよう。「風の遺産」はいわゆる法廷劇のジャンルに入る作品である。息詰まる論戦、予想外の展開と意外な真相など、劇的な展開が作れるので古来名作が多いジャンルである。スタンリー・クレイマー自身の「ニュールンベルグ裁判」、ビリー・ワイルダーの「情婦」、シドニー・ルメットの「十二人の怒れる男」、カール・ドライエルの「裁かるゝジャンヌ」、エドワード・ドミトリクの「ケイン号の叛乱」、オットー・プレミンジャーの「軍法会議」と「或る殺人」、ゴットフリード・ラインハルトの「非情の町」、ロバート・マリガンの「アラバマ物語」、ノーマン・ジュイソンの「ジャスティス」(79年、アル・パチーノ主演)、まだまだある。ただ、残念なことに、最近のものでこのクラスに並ぶものはほとんどない。民主主義が強く、広く信じられていた時代の産物なのである。

  映画は町の有力者4人がいきなり教室に現れ、ケイツが進化論の説明を始めたとたん逮捕される場面から始まる。元が舞台劇だったこともあるだろうが、ほとんどが法廷場面である。ときどき街の人々が人形に火をつけ、「ケイツを木に吊るそう」と歌いながら(「リパブリック賛歌」の歌詞をもじったもの)行進する姿などが映し出されるだけである。このあたりの抑圧的雰囲気はK・K・Kを連想させる。あのぞっとするとんがり帽と白い衣装を着ていないだけだ。

  ドラモンド弁護士が町にやってくる。彼を迎えるのはホーンベック記者ただ一人。ホーンベックはこう呼びかける。「悪魔さん、ようこそ地獄へ」("Hello, Devil. Welcome to Hell.")うまい台詞だ。続けて、「ここがヒルズボロ、原理主義者の牙城だよ。」

  いよいよ裁判。ここからは激しい言葉の応酬。頑固そうなフレデリック・マーチと飄々としたスペンサー・トレイシー、それぞれの持ち味を出し切って丁々発止とやりあう。陪審員の選任から始まり、証人の証言へ。基本的な争点は上に挙げた実際の裁判と同じである。観察側が「いやしい動物が祖先だと学校で教えられたのです。進化論者は子供の心を毒している」と攻め立てる。弁護側は進化論を説明するために科学者たちを証人に呼ぼうとするが、検察側に拒否される。それは論点ではないと。さらにはドラモンド弁護士が法廷侮辱罪で拘束されそうになる。傍聴人の中から保釈金を払おうというものが現れ、何とか拘束は逃れる。

  追い詰められた弁護側はとんでもない証人を呼び出す。聖書の専門家としてブレイディ検事本人を証人に指名する。ブレイディは受けて立つ。聖書に書いてあることはすべて真実だと断言するブレイディに、弁護士はヨナがクジラに飲み込まれたという話はありうると思うか、ヨシュアが一日を長くするために太陽を止まらせた話を信じるのかと問い詰める。さらにカインの妻はどこから来たのか(セックスをしなければ人は増えない)、天地創造の6日間は24時間刻みの時間だったのか、太陽もないのにどうやって時間を計ったのかなどとたたみかける(これらの質問は実際の裁判でも使われた)。ブレイディは「聖書の述べることだけを信じる」としか答えられない。

  いよいよ判決の日、ドラモンドはさらに熱弁を振るう。「知識の進歩は海の水を二つに割る以上に奇跡だ。ダーウィンは私たちに生物の歴史を見せてくれた。その代償として聖書という御伽噺を捨てねばならない。・・・神はなぜ人間に考える力を与えられた?どんな動物よりも優れた能力だ。人間の唯一の武器といってもよい。」

  陪審員の判決が出た。有罪。裁判長は有罪を言い渡し、さらに100ドルの罰金を課す。裁判は終わったが、ブレイディ検事は用意してきた原稿を読みたいという。しかし裁判長は閉廷を命ずる。収まらないブレイディはざわついた中一人で大演説をぶつ。誰も聞いてはいない。実は証人として弁護士の質問を受けた時に、興奮して自分をまるで預言者のように言い出し始め、熱心な支持者からも顔をしかめられる失態を演じていたのである。彼の名声は地に落ちていた。演説のさなか彼は倒れ、事切れる。

  ラストシーンも印象的だ。ドラモンドは荷物を片付けている。ふと2冊の本を手にする。片手にダーウィンの『種の起源』、もう一方の手に聖書。重さを比べるような身振りをし、それから肩をすぼめて2冊を重ねて鞄に放り込む。ジ・エンドの文字は入らない。問題はまだ解決していないのである。

  この映画から8年後の1968年、「猿の惑星」が作られた。猿が人間を支配しているという全く逆転した発想の映画である。「風の遺産」と並べてみると、この映画に込められた風刺がなお一層よく読み取れる。脚本を書いた一人はやはり赤狩りでハリウッドを追われたマイケル・ウィルソンである。「陽のあたる場所」、「地の塩」、「友情ある説得」、「戦場にかける橋」、「アラビアのロレンス」、「いそしぎ」、「ゲバラ!」の脚本家だ。「友情ある説得」とデヴィッド・リーンの2作では、名誉回復後に彼の名前がクレジット(表示)された。

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2005年12月18日 (日)

「男の争い」とフィルム・ノワール

1955年 フランス映画 053864
監督、脚本:ジュールス・ダッシン
脚本:オーギュスト・ル・ブルトン、ルネ・ウェレル
撮影:フィリップ・アゴスティーニ
音楽:ジョルジュ・オーリック
出演:ジャン・セルヴェ、ロベール・マニュエル
    カール・メーナー、マガリ・ノエル
   ジュールス・ダッシン、マリー・サブレ
       ジャニース・ダルセ、クロード・シルヴァン
   マルセル・リュポヴィシ、ロベール・オッセン

  「フィルム・ノワール」の定義は難しい。ウィキペディアによると次のように説明されている。

 1946年、フランスの映画評論家ニノ・フランクが、アメリカで第二次世界大戦中に製作された「マルタの鷹」、「飾窓の女」などの犯罪映画の一群を指して、この呼称を与えたのが起源と言われる。以後フランスの映画評論界において用語として定着し、後にはアメリカにも逆移入された。フランス語であるため、ジャン・ピエール・メルヴィルやジョゼ・ジョヴァンニらの作ったフランス製ギャング映画がフィルム・ノワールとされがちだが、もともとは、ハリウッドで製作された犯罪映画を指し、「マルタの鷹」(監督:ジョン・ヒューストン、主演:ハンフリー・ボガート)をそのはしりとする。・・・ノワールの特徴は主として、男を堕落させる「運命の女(=ファム・ファタール)」が登場し、ロー・キー(暗いトーン)で撮影され、行き場のない閉塞感が作品全体を覆っている。・・・主演女優の多くははっきりとした悪女役であり、そうでない場合でも、結果的に主人公の男を破滅させる原因を作ることの多い役柄である。

  ファム・ファタルはキーワードの一つだが、ハード・ボイルドとの関係はどうなっているのか。ダシール・ハメットの小説やヘミングウェイの「殺人者」はハード・ボイルドの代表作だが、これらは「フィルム・ノワール」の代表作とも重なる。要するに、「フィルム・ノワール」の文体はハード・ボイルドで、登場人物は男の場合ギャングか犯罪者が多く、女はファム・ファタル、かつ黒いあるいは暗い色調を基調にし、さらに何らかの犯罪が絡んだ映画だということになるのだろうか。定義というのは、定義したとたんにもれてくる映画がいくつも出てくるものである。まあ、とりあえずそんな定義をした上で、それに類した映画を加えればいいのだろう。隣接のジャンルにはサスペンス映画、ギャング映画、ケイパー・ムービー(要するに金庫破り映画)やその他犯罪映画全般があるのでどこまで含めるかは選ぶ人による。(ちなみに、本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」のmiscellanyコーナーに「フィルム・ノワール」の作品リストを挙げてあるので、興味がある方はそちらも覗いてみてください。)

  ファム・ファタルについては高橋裕子が『世紀末の赤毛連盟』(岩波書店)で面白い指摘をしている。彼女の指摘をまとめると次のようになる。

  赤い髪は望ましからぬ属性ばかり引き寄せてしまう。情熱的で癇癪持ちなどというのはまだいいほうで、滑稽とも考えられたし、はては信用をおけぬ、悪魔的、などとして忌み嫌われた。旧約聖書のカイン、福音書のユダ、北欧神話の神ロキ、これら裏切り者の悪役たちは皆赤毛とされている。赤毛はあらゆる「のけ者」の印となった。
  赤い髪はラファエル前派の作品の女たちの顕著な特色として登場する。ラファエル前派が赤毛を好んだのは、グループのメンバーを魅了したモデル(エリザベス・シダルやアレクサ・ワイルディング)がたまたま赤毛の美女だったからだとも言えるだろうが、むしろ「ファム・ファタル」のイメージと関係があるのではないか。
  「ファム・ファタル」とは「宿命の女」と一般に訳されるが、文字通りの意味は「致命的な女」である。美しく、謎めいていて男をとりこにするが、その心は邪悪で男を破滅させる女、それがファム・ファタルである。デリラ、サロメ、カルメン、クレオパトラなどがその代表格である。ラファエル前派は赤毛のファム・ファタルを多く描いてきた。それは伝統的に赤色と結び付けられてきたマイナスのイメージが、男をさいなみつつ魅了する、男に滅びをもたらすが、むしろそれゆえに却って相手を魅了するという倒錯した理想像を表現するのにうってつけだったからではないか。さらには「のけ者」、「アウトサイダー」の象徴としての赤毛の伝統も世紀末に新たな活力を得ている。「滅ぼしつつ魅了するもの」、「アウトサイダー」、この二つの意味は、相互に重なり合って「世紀末の赤毛連盟」を成り立たせている。その最も濃厚に重なった部分を代表するのが「女吸血鬼」のイメージである。

  確かに最強の、あるいは究極のファム・ファタルは「女吸血鬼」だろう。どんなに美人で妖艶であってもお近づきにはなりたくない。「フィルム・ノワール」では、例えば「深夜の告白」のように、男を誘惑して殺人を犯させ、男が罠だと気付いたときには既に破滅の渕にあるという現れ方をするのが典型である。

  さて、「男の争い」だが、この映画にはいわゆるファム・ファタルは出てこない。女性の登場人物はいるが、基本的に男中心の男くさい映画である。ハリウッドで赤狩りにあい、アメリカを逃れてヨーロッパに渡ったジュールズ・ダッシン監督が55年にフランスで発表した作品。同年公開のジャック・ベッケル作品「現金に手を出すな」と並ぶフレンチ・フィルム・ノワールの初期作品である。55年には他にジャン・ピエール・メルヴィルの「賭博師ボブ」とアンリ・ドコワンの「筋金(ヤキ)を入れろ」も作られている。アメリカでは「狩人の夜」(チャールズ・ロートン)や「キッスで殺せ」(ロバート・アルドリッチ)などが同年に作られている。

  「男の争い」は典型的なケイパー・ムービー(金庫破り映画)である。ジュールス・ダッシン042680は後にアメリカで「トプカピ」(64)も作っているから、このジャンルはお気に入りなのかもしれない。ついでながら、意外なところではパトリス・ルコントもケイパー・ムービーを作っている。84年の「スペシャリスト」(未公開だが90年代にビデオが出た)である。アメリカ映画ばりにスピーディな演出をしていて驚かされる。

  「男の争い」はギャングのトニー(ジャン・セルヴェ)が5年の刑期を終えて娑婆に戻ったところから始まる。長い刑務所生活で病気にかかったのか時々咳き込む。彼に昔の仲間ジョーが仕事を持ちこむ。宝石商ウェブ商会のショーウインドーの中身だけを盗む計画だった。トニーは一旦断る。しかし後で今度はトニーの方から同じ宝石店の金庫を狙う計画を持ちかける。ジョーは久々の大仕事に大乗り気で、さっそく仲間を集める。イタリア系のマリオ(ロベール・マニュエル)と彼がミラノから呼び寄せた金庫破りの名人セザール(ジュールス・ダッシン自らが扮している)が加わり総勢4人。

  それから準備が始まる。まずは下見。宝石店がある一角の見取り図を徹底して頭に叩き込む。宝石店や並びの店の閉店と開店の時間を調べ、警察の見回り時間をチェックする。それから一番のハードルである警報機対策。ハイテクを駆使した防犯システムを完備した現代から見るとなんともお粗末だが、その警報機はなかなか優秀だ。電源をはずしても、電源コードを切断しても音がなる仕組み。あるいは近くでちょっと大きな音を出しても反応する。いろいろ試してみた末ある方法を思いつく。これで問題解決。さらに泥棒の七つ道具を準備していざ出陣。

  男たちは宝石店に向かう。まず宝石店の真上の部屋に侵入する。ここからの30分がすごい。今見ても見ごたえたっぷり。息を呑む30分だ。自然音だけで一切の効果音を使わない。ちょっとでも立てる音が大きすぎれば警報機が鳴る。緊迫の時間帯。七つ道具を使ってまず床の板をはずし、コンクリートを少しずつ削って穴を開けてゆく。小さな穴が開くとそこから傘をさかさまに差し込み開く。コンクリートの破片が床に落ちないようにするためだ。後は穴を少しずつ大きくしてゆくだけ。この作業だけで数時間経過する。やっと人が入れるほどの穴が開き、まずひとりがロープを伝って下に降りる。警報機のところに行きあらかじめ試しておいた「措置」を施す。これで警報機は問題ない。次に金庫を前に倒し裏側に穴を開ける作業に取り掛かる。詳しくは見てのお楽しみ。とにかく見事2億フラン相当の宝石を手に入れる。

  翌日新聞に宝石店に泥棒が入ったことが大々的に報道され、男たちは祝杯を挙げる。ところがほんのちょっとしたことから足がつく。金庫室から引き上げるときセザールが宝石を1個引き出しから取っていった。セザールはそれを贈り物としてナイトクラブの歌手ヴィヴィアナ(マガリ・ノエル)にあげたのだが、それが対立するギャング、ピエールの手に渡ってしまう。ピエールはトニーが刑務所に入っている間に彼の情婦マドー(マリー・サブレ)を自分の女にしていた。警察ではなく因縁の相手ピエールとの抗争がここから始まる。ピエールはまずマリオとその愛人を殺す。次にセザールを襲い情報を聞きだす。そしてジョーの息子を誘拐して、子供と宝石の交換を要求してくる。トニーは単身ピエールのアジトに乗り込み・・・。

  この先はあまり詳しくいえない。ラストが秀逸である。トニーはジョーの息子トニオを車に乗せジョーの家に向かう。トニーは重傷をおっており、息も絶え絶えだった。ペダルを踏む足には血が滴り落ちている。後ろの座席のトニオは何も知らずはしゃぎまわっている。キャメラは進行方向ではなく、空や木や周りの建物、あるいは運転しているトニーを映す。前が見えないので観ている観客は非常な不安を感じる。もう長くは持たない、一刻も早く着かなければとあせるのだが、赤信号が邪魔する。止まっている間に気を失いそうになる。見事な効果である。若い頃ヒッチコック監督のもとで働いた経験が十分生かされている。やっとジョーのアパートの前にたどり着き、土手の様なところに乗り上げて車は止まる。トニーは息絶えていた。

  トニーを演じるジャン・セルヴェのハード・ボイルドな佇まいが秀逸だ。終始ニコリともせず、苦みばしった表情を変えない。ジュールス・ダッシンのシャープな演出も特筆ものだ。結局ギャングたちは双方とも全滅。見終わった後、ジョーの妻(ジャニーヌ・ダルセー)が夫に言った台詞がラストシーンに漂うむなしさに重なってくる。「一つだけ言いたいことがあるの。他にもいたわ、あなたのように貧しかった子供は。でもどうして、どこが違うの?その子達と。なぜあなたはギャングになって、他の子はならなかったの?私はこう思うの、ジョー。他の子は強かったのよ。」

 マガリ・ノエルが歌うシャンソン「ル・リフィフィ」が印象的だ。「ル・リフィフィ」の意味は「争い」。作詞はジャック・ラリュ、作曲はフィリップ・ジェラールである。

2005年12月17日 (土)

きみに読む物語

2004年 アメリカ akinokehai1
原題:The Notebook
原作:ニコラス・スパークス“The Notebook”
製作:マーク・ジョンソン
脚本:ジャン・サーディ、ジェレミー・レヴェン
監督:ニック・カサヴェテス
出演:ジーナ・ローランズ、ジェイムズ・ガーナー
    ライアン・ゴズリング レイチェル・マクアダムス
    ジョアン・アレン、ジェームズ・マーズデン
    サム・シェパード、ケヴィン・コノリー、デヴィッド・ソーントン

  正直前半は退屈だった。ヒロインのレイチェル・マクアダムスは今ひとつ魅力に欠け、ライアン・ゴズリングとのロマンスもありきたりだった。いかにも安っぽいアメリカ映画という感じで、はずれくじを引いたかなと思った。しかし後半が素晴らしい。DVDで二日に分けて観たのだが、同じ映画とは思えないほど後半は泣けた。

  療養所に入居している銀髪の老女カルフーン夫人(ジーナ・ローランズ)にデューク(ジェイムズ・ガーナー)という老人が毎日のように物語を読んで聞かせている。それは1940年代のアメリカ南部、ノース・カロライナ州シーブルックを舞台にした若い男女の恋物語であった。材木工場で働く青年ノアは一目ぼれしたアリーを強引に口説く。最初迷惑顔だったアリーもノアの情熱に押され、二人の仲は急速に近づいてゆく。しかしアリーは裕福な家庭の娘で、ノアとは全くの身分違いであった。アリーの両親はノアが貧しい家柄の出である事を知り二人の交際を認めようとしない。夏が終わればアリーはニューヨークの大学に進学する。地元を離れられないノアは彼女と別れることを決意した。やがて第二次大戦が始まりノアは出征する。アリーは富豪の御曹司ロン(ジェームズ・マーズデン)と知り合い、結婚することになっていた。このあたりははっきり言って二流のラブ・ロマンスという感じだ。

  しかしカルフーン夫人が実はアリーでデュークがノアである事(最初からほとんど察しがついてしまうが)が明かされるあたりからぐんぐん話しに引き付けられる。カルフーン夫人は認知症であり、夫のデュークが彼女の記憶を回復させようと2人の若い頃の話を毎日語って聞かせていたのである。カルフーン夫人は見たところ普通の老女で、ほとんどぼけているようには見えない。記憶が欠けているだけで日常生活は特に困難ではないように思える。彼女はデュークが語る物語に魅きつけられ、「それから二人はどうなったの」とたびたび先を促す。ただそれが自分の話である事には気付かない。

  ノアは除隊して父(サム・シェパード)の元に戻る。父はノアに農場を買ったと伝える。その大きな農場はアリーと別れる前、ノアがいつか買い取って自分で建て替えたいと彼女に話していた農場だった。父とそこに移り住んだが、やがて父がなくなりノアは一人で農場を改築する。白い立派な建物が出来上がった。ノアはアリーが去った後も1年間毎日欠かさずアリーに手紙を書いていた。しかしアリーの母親(ジョアン・アレン)がそれらを全部抜き取ってしまうためアリーには1通も届かなかった。

  アリーはロンと結婚する直前、偶然新聞に出たノアの写真を見てひとり彼に会いに行く。再会した二人は恋の炎を再燃させる。ノアはひげを生やし、アリーは以前よりも少し大人びている。再会後の二人は最初の頃よりずっと魅力的だ。前半が面白くなかったのはかなり無理して青臭い恋を演出しようとしていたからだと分かる。アリーはノアを選ぶのかロバートを選ぶのか選択を迫られる。まあ年老いた二人を知っているから彼女がどちらを選択したかは自明だが。

  後半には素晴らしい場面がたくさんある。例えば、アリーと再会したノアが彼女をボートに066675乗せて連れて行った湖のシーンは信じられないほど美しい(タイトルバックで夕日に赤く染まる湖をボートが進んでゆくシーンの美しさも特筆ものだ)。ボートを囲むようにしてあたり一面に白鳥が泳いでいる。ほとんどありえないような幻想的なシーンである。もう一つはアリーの母親がアリーを連れ戻しに来るところ。アリーは激しく抵抗する。娘の決意が固いことを知った母親はアリーを連れて材木工場にゆく。そこで車を停めて工場で働いている一人の男を指差す。実は、彼女は若い頃その男と駆け落ちしたことがあるのだ。結局うまく行かず分かれた。お父さんと結婚したから今は幸せなのよ、本当にお父さんを愛してるのと話し、激しく泣き出す。そういいながらも彼女は娘を許したのだ。きつい顔で見るからに意地悪そうな母親であったが、娘をノアの家に戻したとき彼女に手紙の束を渡す。ノアがアリーに送った手紙だ。母親は1通も捨てずに取っておいたのである。そして「後悔しない道を選びなさい」と言いおいて去ってゆく。ありえない話で、取ってつけたようなエピソードだと言えなくもないが、感動的なシーンだった。このあたりからリアリティを無視してファンタジー色が濃くなってゆく。

  だが何と言ってもすばらしいのは老いたノアとアリーだ。物語を語り続けているうち奇跡が起こる。アリーが一時的に記憶を取り戻すのだ。医者は記憶が戻るなどありえないと言っていたのに。「あれは私たちの話だったのね。」涙を流して抱き合う二人。二人で踊るダンス・シーンが実にすてきだ。しかし無情にも彼女はまたすぐノアを忘れ「他人」に戻ってしまう。「この前は5分間だった」という台詞が出てくるから、以前にも短い時間だけ記憶を取り戻したことがあったようだ。たった数分しか戻らない記憶。なんとも哀れで切ない。記憶を失うことがいかに残酷なことであるかこの映画を観て初めて認識した。老いた二人にとって思い出こそもっとも大切な財産である。過去の記憶を失うこと、人生の最も美しかった頃の記憶を失うこと、それは二人の生きた証を失うことだ。長年連れ添った相手が他人に見えるということは、二人が過ごした時間をゼロにリセットしてしまうことだ。ノアにはそれが耐えられなかったのだろう。ノアが「命がけで」物語を読み続けた気持ちも理解できる。この後に続くラストシーンも感動的だが、これは言わないでおこう。ノアが読んでいたのが何であったかも観てのお楽しみ。

  この映画はジーナ・ローランズとジェイムズ・ガーナーの映画だ。老優二人が実に素晴らしい。サスペンス映画の傑作「グロリア」で知られるジーナ・ローランズも今やすっかり太った婆さんだ。ジェイムズ・ガーナーも太った爺さんで、かつての渋い精悍さはもはや面影すらない。しかしこの二人が出てくる場面は若い二人のどの場面よりも素晴らしい。一時的に記憶が戻った場面などは「レナードの朝」以上に感動的だ。

  ライアン・ゴズリングとレイチェル・マクアダムスも後半はなかなかよかった。老優二人ばかり褒めたが、この若い二人のストーリーがあったからこそ、晩年の二人のストーリーが生きてくるのである。たとえ数分間でもその記憶が戻ったときの感動、その記憶された瞬間を若い二人は実際に生きたのだ。恐らく晩年の二人を描かなければ、この映画は単なる平凡なラブ・ロマンス映画で終わっていただろう。だが、晩年の二人を描いただけでも物足りないものになっただろう。若かった時代と晩年の二人が記憶でつながっている、この秀逸なシチュエーションがなかったらこの映画の成功もなかった。もちろん、熟年離婚などという言葉がありふれたフレーズになっている今日、これは現実にはほとんどありえない話だ。そういう意味ではこの映画は「純愛映画」というよりはファンタジーである。そして毎日のようにいやなニュースが流れている今日ほどファンタジーを必要としている時代もないのである。

2005年12月14日 (水)

わが家の犬は世界一

2002年 中国 31su
製作総指揮:フォン・シャオガン
監督、脚本:ルー・シュエチャン
製作:ワン・チョンジン
撮影:チャン・シーグイ
編集:コン・ジンレイ
美術:リュイ・ドン
音楽:シャン・ミン
出演:グォ・ヨウ、ディン・ジャーリー、リー・ビン
    リー・キンキン、シア・ユイ

  「1994年北京市は犬の飼育の厳重制限を決定。翌95年5月1日より一斉取締りが始まった。」映画冒頭の字幕がこの映画の基本的なシチュエーションを簡潔に説明している。「わが家の犬は世界一」はこの取締りによって愛犬を奪われた一家が、何とかその犬を取り戻そうと奮闘する話である。犬が取り上げられたのは登録をしていなかったからだが、登録料の5000元は庶民にとって簡単には払えない額である。その5000元がどれほど大変な額であるかは、主人公ラオ(グォ・ヨウ)の妻ユイラン(ディン・ジャーリー)の「5000元ためるのに何年かかると思うの。たかが犬のために3年はかかるのよ」という台詞から想像がつこう。

  この映画を通して中国のいろいろな事情が見えてくる。まず、中国では何事にも裏のルートがあるということ。登録料が払えないために、ラオは様々なコネやつてを頼って裏から手を回して愛犬カーラ(英語のタイトルは”Cala, My Dog”)を取り戻そうとする。犬を売る闇の業者も登場する。取締りが強化されれば闇屋が跋扈するのは道理。麻薬と同じだ。

  中国の平均的な家庭の事情もほの見える。一人っ子政策だから当然子供は一人。息子のリアンは親に反抗的なところがある。それでも、友人がカツアゲにあっているところを助ける義侠心もある。そのことが後にとんでもない結果をもたらすのだが。妻のユイランはリストラされている。中国では女性の社会進出は日本よりはるかに進んでいる。共働きでなければ暮らしていけないという事情もあるだろうが、経済的に自立している中国女性は強い。ルー・シュエチャン監督はインタビューで、「ラオのように一家で立場の弱い父親って、中国には結構多いんですか」という質問に対して次のように答えている。「僕が物心ついたころ、1970年代にはそういう父親は普通にいたね。中国では女性が自立してるんだ。ほとんどの女性が仕事を持っていて、経済的にも自立してるし、家に帰っても夫と対等な立場だ。男性の方が必ずしも発言力があるわけじゃない。女性が強い、というより、よく言えば、男性が心が広い、寛容ってことかもしれないけど。」ラオは妻にも息子にも疎んじられているうだつの上がらない男で、愛犬のカーラだけが唯一の彼の慰めだった。彼が必死で犬を取り戻そうと努力するのはそのためである。

  95年というと今から10年前だが、今ほどではないにしろ急激な経済発展で中国の社会や文化が急速に変わっていった時期である。富裕層が生まれ、ペットを飼う余裕が生まれてきた。次々に高層ビルが建てられ始め、古い建物はどんどん壊されていった。廃墟のようになった建物に隠れて犬を密売している業者が一斉に検挙されるシーンも出てくる。あるいは、ラオが金を借りようと母親の家に行くところでは、手前の貧しい家並みの向こうに高層ビルが覆いかぶさるように屹立しているシーンが映し出されている(彼女には日照権の訴訟により大金が転がり込んでいた)。9月に中国旅行記を書いたときに近代化と貧困が隣り合っていると指摘したが、そういう状況はこの頃既に現出していたのである。

  そんな中で庶民はたくましく生きている。違法な商売をしたり、法律違反ぎりぎりの危ない仕事をしたりして何とかしのいでいる人たちも少なくない。ラオがカーラを一旦あきらめて闇で犬を買うシーンは秀逸だ。廃墟の様な建物の前に貧しそうな露天商が並んで物を売っている。その中のひとりの女に犬はいらないかと声をかけられ、ラオは迷った末女についてゆく。女はすぐそこだというが結構遠くまで歩かされる。怪しげな路地を入ったところに犬がいた。ラオはカーラと似た犬を買う。しかしその犬はただの白い犬を斑に染めた偽ものだった。そんな犬に300元も払ってしまった。あわてて元の場所に戻るがもぬけの殻。最初に彼を誘った女もいつの間にかいなくなっていた。アメリカのサスペンス映画を観ている感じだ。

  そう、サスペンス映画。この映画は単に現代中国生活事情を垣間見るだけの映画ではない。この映画を、あえて名づければ、中国風ノンアクション・サスペンス・ムービーといった角度から見てみると面白い。カーラを取り戻す期限は翌日の午後4時。それまでに金を払って登録するか何らかの方法で助け出さなければカーラは処分されてしまう。不吉にも、映画の途中で、まるで肉屋の店先にぶら下げられている豚肉のように、皮をむかれて上から逆さまに吊り下げられている3頭の犬を乗せたトラックが走り去ってゆくシーンが出てくる。何とかしなければカーラもああなってしまう!さながら「24」のように、字幕で「あと8時間」、「あと4時間」、「あと1時間」とどんどん期限が迫っていることが示される。しかも相手は庶民から犬を取り上げるにっくき権力。相手にとって不足はない。愛犬奪還のためヒーローの孤軍奮闘、派手なアクションが展開されるはずだ。

  しかしそこは中国映画。あまり緊迫感はない。車をぶっ飛ばして疾走したり、銃を片手に公安(日本の警察にあたる)と派手な立ち回りがあったり、刑務所の壁ををよじ登ったりなどは一切ない。しかしそこがいいのである。ラオの武器は裏ルートのつてと警官への賄賂である。仲介者に頼んで犬を探し出してきてもらうが、なんとそれは血統書つきのマルチーズだった。世話をしてくれたヤン(彼女の飼い犬がカーラの親犬)は、この犬は「カーラとは月とすっぽん」だから、高い金を払って「登録する価値もあるわね」というが、ラオはそんな犬には見向きもしない。たとえ雑犬であってもカーラでなければダメだとなおも探し回るラオがいじらしい。あるいはヤンの犬の登録証を借りてカーラを引き取りにいく「替え玉作戦」も試みnekozyarashiる。親子だから写真が似ているのでうまく行くと思ったのだが、耳の形が違うことに気付かれて逆にヤンの登録証を没収されてしまう。それでは踏んだりけったりだ。そこで登場するのが賄賂。タバコ代と称して小金を渡すが、警官(「太陽の少年」、「西洋鏡」のシア・ユイ)は賄賂など受け取らないと突き返す。しかし後で登録証をヤンに返す場面が出てくるので、結局鼻薬が効いたことが分かる。あれは建前だったのである。

  いろいろやってみるがどれもうまく行かない。へそくりを取り出してみても1500元しかない。奥さんに相談するが、彼女は「たかが犬のために」そこまでする必要があるのかと渋る。説得されて彼女もへそくりを出してくるが(彼女だって出来ることならカーラを取り戻したいのだ)まだ足りない。定期預金が3万元あるが、息子のリアンの進学費用もあるから手はつけたくないといわれる。どうもこの「サスペンス映画」のヒーローはさっぱり活躍しない。「武器」の使い方もろくに知らず途方にくれるばかり。愛犬奪還のために必死の形相で車を爆走させるどころか、夜勤の疲れで眠ってしまったりする。果ては奥さんにヤン(リー・キンキン、美人である)との間をかんぐられてあわてて弁解する始末。その間にも刻々と時間は過ぎてゆく。

  ところがとんでもないことが起こり事態はにわかに緊迫する。息子のリアンがカツアゲされていた友達を助けたとき、相手の男に骨折する怪我を負わせて逮捕されてしまったのである。なんとリアンが収監されたのはカーラが収容されているのと同じ警察署。しかも時間はもうほとんど残っていない。警察署に飛んでいったラオとユイラン。カーラをこっそり逃がそうとしたり、息子に説教したり、怪我を負わせた相手の親と示談の交渉に応じたりとあわただしいこと。このあたりははらはらさせられる。

  ところが我らがヒーロー・ラオは中国人には珍しく押しが弱い。ひたすら頭を下げて頼み込むばかりだ。全くのアンチヒーローである。同じ必死で走り回るのでも「ボーン」シリーズのマット・デイモンとはなんという違い!しかしそのしょぼくれ具合がいい。ラオを演じているのは「活きる」(94年)、「さらば、わが愛/覇王別姫」(93年)、「キープ・クール」(97年)そして「ハッピー・ フューネラル」(01年)などで日本でも知られる名優グォ・ヨウ。いかにも情けない顔で奔走する頼りないお父さんを見事に演じている。戸惑い、困惑し、へりくだりながらも必死でカーラをすくおうと走り回る姿が哀愁を帯びてきて、いつしか彼に共感してしまう。

  しかし無情にも時間は過ぎてゆく。ついに期限の4時になってしまった。息子は閉じ込められたまま、カーラはトラックで運び去られる。そこで映画は突然終わってしまう。あまりの唐突さに正直唖然とした。カーラがどうなったかは字幕で知らされる。しかしリアンがどうなったかは何も分からない。後で冷静になって考えてみると、この様な唐突な終わり方にした理由が理解できる気がした。あの終わり方は、この映画が描いたのは人生の一断面である事を示すために意図的に取られた手段なのだろう。監督もインタビューで「ラオのような労働者の家庭で、父親と息子が理解し合えないケースは実際凄く多いんだ。90分という1つの作品の中で解決できる関係ではないんだよ」と語っている。映画のように2時間で区切りがつくわけではない。人生は続く。今度はリアンを救い出すためにお父さんはまた走り回らなければならないのである。

 ルー・シュエチャン監督は第五世代(50年代生まれ)に続く第六世代(60年代から70年代生まれ)を代表するひとりである。文革の影を引きずっていた第五世代に対して第六世代の監督たちは現代の生活を中心に描いてきた。ルー・シュエチャン監督も「庶民の生活をじっくり描いてみたいとかなり前から思っていた。中国映画全体には、こうしたごく普通の庶民を描いた作品は意外に少ない。だから、僕のように比較的若い世代の監督でリアルに現実を反映した映画を撮りたいと思っている人たちは多いんだ。今までは、現実をあまりにも反映させた作品だと検閲に通らなかったんだけど、ここ最近は検閲がやや緩やかになってきた。こういう作品を撮れる条件が整ってきたということもあるね」と語っている。権力に対する批判よりやはり庶民生活を描きたかったのではないか。上でこの映画を「中国風ノンアクション・サスペンス・ムービー」と呼んだが、ノンアクションだからジェットコースター・ムービーではなく「観覧車ムービー」である。だからこそ中国の事情がよく見えるのだ。車で走っていると気づかなかったことでも、自転車や歩きでは目に留まるように。ストーリ-を楽しむと同時に現代中国事情も垣間見られる一粒で二度おいしい映画である。小品だが愛すべき作品だ。

2005年12月13日 (火)

メゾン・ド・ヒミコ

2005年 日本 TEL_w2
監督:犬童一心
脚本:渡辺あや
音楽:細野晴臣
プロデューサー:久保田修、小川真司
撮影:蔦井孝洋
美術:磯田典宏
出演:オダギリジョー、柴咲コウ、田中泯、西島秀俊、
    村上大樹、新宿洋ちゃん、森山潤久、 井上博一
    柳澤愼一、青山吉良、歌澤寅右衛門、大河内浩
    草村礼子、藤井かほり、 岡庭淳志、沖中玲斗
    峯村淳二、枝光利雄、高橋昌也、筒井康隆(声の出演)

  日本ではまだ珍しいゲイの映画である。ゲイ、あるいはホモ・セクシャル映画というと「真夜中のパーティー」(70)、「ハーヴェイ・ミルク」(記録映画、84)、「アナザー・カントリー」(84)、「蜘蛛女のキス」(85)、「トーチソング・トリロジー」(88)、「オール・アバウト・マイ・マザー」(99)、「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」(01)などが思い浮かぶ。80年代に集中しているのはフェミニズムの流行と関係があるのかもしれない。 ヒミコのファッション(特に頭に巻いた布)は明らかに「蜘蛛女のキス」を意識している。ゲイの人々に対する温かい視線は「トーチソング・トリロジー」に通じる。この「トーチソング・トリロジー」は傑作であった。露骨な偏見にさらされた人々の苦渋に満ちた恋愛模様と人間的苦悩が描かれている。

  〃メゾン・ド・ヒミコ〃とは老いたゲイたちの老人ホームである。特定の「業界」の人々が集まる老人ホームというテーマはジュリアン・デュヴィヴィエ監督の名作「旅路の果て」(39) に通じる。こちらは俳優ばかりの老人ホームが舞台だ。「メゾン・ド・ヒミコ」に出てくる「みんなと一緒なら寂しくないと思ってここに来たのに、実は一人一人減っていくのをただ見守るだけだったのよ」(正確な引用ではない)、という台詞には「旅路の果て」と共通する悲哀感が表れている。 今このようなテーマが取り上げられるのは偶然ではないだろう。「チルソクの夏」、「血と骨」、「パッチギ!」などの在日コリアンを描いた映画が注目を浴びている。在日コリアンにしろ、ゲイにしろ、被差別者だ。そこには取り上げるべき深刻なテーマがあり、したがってまた強烈なドラマがある。しかしそこは日本映画。「メゾン・ド・ヒミコ」は差別問題を必ずしも前面には出さない。老人ホームを舞台にすることで差別よりも悲哀感を前面に出し、コメディタッチを加えることで口当たりをよくしている。日本で流行るのはコメディやシュールな味付けをした映画ばかり。そうでなければ「誰も知らない」のような出口のない重苦しい暗澹たる映画になる。あるいは故なき暴力に走る。一貫した姿勢を保ってテーマを掘り下げ、かつ重苦しくなり過ぎない映画がなかなか現れない。日本の観客が一様にコメディ調の映画ばかり観たがるということではない。日本では様々なタイプとジャンルの外国映画が公開されている。したがって幅広い様々なニーズはあるわけだ。日本映画にないものを求める観客は洋画に向かう。どん底だった70、80年代に比べれば秀作が多く生まれ活況を呈してはいるが、同じようなタイプの映画ばかり作っていたのでは決して未来が明るいとはいえない。厳しい検閲があるわけではないのだから、自己規制しているということになる。テレビのお笑いブームをあてこんで、それに合う無難な作品ばかり作っているとしか思えない。この姿勢を変えない限り日本映画の本当のルネッサンスはまだ遠い先のことだ。

  最近のアメリカ映画はオリジナル脚本を作る力が減退しているため作品の質が著しく落ちたが、その点「メゾン・ド・ヒミコ」が完全オリジナルストーリーに基づいていることは評価できる。主人公は塗装会社の事務員として働く吉田沙織(柴咲コウ)。沙織は幼い自分と母を捨ててゲイの道に走った父ヒミコ(田中泯)が許せなかった。ある日、沙織はヒミコが造ったゲイのための老人ホームで日曜だけ働かないかと誘われる。父が末期がんで死にかかっているからだ。沙織は最初冷たく断るが、破格の日給と遺産をちらつかされて、手伝いに行くことを決意する。沙織は3年前に癌で死んだ母の入院費と手術費で借金を背負っていたからだ。

  「メゾン・ド・ヒミコ」は沙織の視点で語られているわけではないが、焦点は彼女に当てられており、沙織がゲイたちと接することでしだいに彼らを理解してゆく過程がメインのストーリーになっている。そこに父ヒミコと沙織の確執やヒミコの若い恋人岸本春彦(オダギリジョー)と沙織の微妙な関係が織り込まれてゆく。犬童一心監督自身インタビューに答えて、「僕はゲイの人たちの資料をずっと読んできて、彼らの抑圧の歴史のようなものを入れたかった。でもあやちゃん(脚本の渡辺あや)は、むしろ父と娘の関係のほうに重きを置いていたと思います」と発言している。父娘の確執を縦軸に、〃メゾン・ド・ヒミコ〃に住むゲイたちの人間模様を横軸にした展開はここから生まれている。監督自身この二つのストーリーがうまく絡み合っているか心配している。大きな破綻はないが、やや中心テーマを薄めてしまっていることは否定できない。なぜなら沙織とヒミコの関係は、別にヒミコがゲイでなくてもありうることだからだ。妻と子を捨てた父親の話はありふれている。沙織がゲイの子と周りから馬鹿にされて育ったために、父親を激しく恨んでいるというのなら話はつながると思うが。

  〃メゾン・ド・ヒミコ〃に着いた沙織が最初に出合ったのは「汚いもの」でも見るような目で覗いてすぐドアを閉めてしまった近所のおばちゃんである。この描写はリアルだ。「世間の目」からは〃メゾン・ド・ヒミコ〃に住んでいる者ばかりか、たまたまそこを訪ねてきた人も同じに見られてしまうのである。引き返したい気持ちを抑えて恐るおそる〃メゾン・ド・ヒミコ〃に入っていった沙織は、TVドラマに夢中になっているキクエを見て逃げ出しそうになる。そこに出てきた美形の岸本春彦に説得されて沙織は何とか踏みとどまる。その後ヒミコと他の住民たちに紹介される。生まれ変わったらバレリーナと相撲部屋の女将になりたいと望んでいるルビイ、将棋が趣味の政木、ギターがうまいダンディーな高尾、洋裁が得意な山崎、家庭菜園に精をだす木嶋、これらの老人たちの面倒をみているチャービー、そしてヒミコ。

  正直もっとびっくりするような奇抜なキャラクターがごろごろ出てくるものと期待していたがいたって「普通の」ゲイたちである。なんだか物足りない気がしたが、後で皆実際にゲイの人たちだということを知った。見世物小屋じゃあるまいし、やっぱり好奇の目で見ていたのかと後で自分を恥じた。彼らは決してイロモノのようには描かれていない。女装したりオネエ言葉を喋るのは観客のステレオタイプ化したイメージ(僕のように)に合わせている面もあるかもしれないが、それだけではない。ここはゲイの人たち専用の老人ホームである。ここに来tree_ww1る前は普通の生活の中にまぎれて隠れてひっそりとゲイの趣味を楽しんでいた者も、ここでなら自分の好きなように振舞える。〃メゾン・ド・ヒミコ〃とはそういう場所なのである。残された短い余生を過ごすホスピスの様なところではない。住人たちが明るいのはそのためなのだ。彼らには開放感がある。世間とは隔絶されているこの建物の中なら誰はばかることなく好きな格好や振る舞いが出来る。ヒミコはそういう場所をゲイの老人たちに提供したかったのである。石もて追われるごとく逃げ込んできた駆け込み寺の様な場所、だからそこには賑やかさや温かさがあり、また、それでもなお消えやらぬ悲しさも漂っているのである。そこにあるのは、かつては叶わなかった「なりたかった自分」である。しかしそれの望みが叶った時にはもうわずかな時間しか残されていない。だからルビイは「生まれ変わったら」という話をするのだ。そう考えるとこれは悲しい言葉なのだ。癒されない心の傷。仲間と一緒にいても消え去らない孤独感。だから彼らはそれらを振り払うようにハイテンションではしゃぐのである。

  ここに住んでいる人たちはみな悲しみと苦悩を通り抜けてきた人たちである。美輪明宏の話をテレビで聞いた友人は非常に感動したと言っていた。それはそうだろう。そこでは被差別者が散々なめてきた屈辱と苦しみと怒りとそれを乗り越えてきた信念の強さが語られていたに違いない。差別に耐えてきた彼らは並の人よりよほど強い精神と広い心を持っている。散々周りから変態扱いされ、まるで”汚いもの”のように扱われてきたのだろう。彼らは地獄を見てきたのである。もちろん一生隠し通してきた人もいただろう。誰もが堂々とカミングアウトできるほど強いわけではない。しかし、決まりきった考え方と行動しか出来ない「普通の」人たちより、彼らはある意味で自由である。阪神淡路大震災で一番活躍したのは「茶髪の兄ちゃん、姉ちゃんたち」だったと長田区の区長さんが語っているのを聞いたことがある。彼らは「規則」などといったものから元々自由だったから、非常時に適切な行動が取れたのである。まだ人が中に残っている建物が燃えているのを笑いながら「見物」に行った若者たちこそ「変態」だ。犬童監督がインタビューで「ゲイの人たちや芸人って、僕には“解放された人たち”に見える。それまで自分が暮らしてきた一般社会、生活といったものに踏ん切りをつけて、違うところに踏み込まないといけない。そこはしんどいけど自由な場所で、ゲイの人たちもそういう場所にいると思えてしまう」と言っているのも同じことを指していると考えていいだろう。

  沙織とヒミコは最後まで和解することはなかった。安易な結末に持っていかなかったところがいい。ヒミコを演じた田中泯は、ほとんど台詞はないにもかかわらず圧倒的な存在感である。どんなに沙織に責められ詰問されても、ヒミコは何一つ言い返しもせず、言い訳もせず、それらを全て黙って受け止めている。散々無責任だと責められた後に言う「あんたの事が好きよ」という一言がなんとも切ない。沙織はヒミコの葬儀にも出なかった。〃メゾン・ド・ヒミコ〃とも縁を切った。しかし父を憎みきっていた気持ちは少し溶けはじめていた。ラスト近くで会社の専務に抱かれながら沙織が言う言葉にそのことがさりげなく暗示されている。「私が泣いてる理由は専務が思っているどれとも違います。」飛び出してきた〃メゾン・ド・ヒミコ〃に彼女が戻ったのも石のように硬かった彼女の心が少し和らいだからだ。沙織を歓迎する壁の落書きもさわやかである。

  観た後にさわやかな気持ちが残るが疑問がないではない。一つは沙織のゲイたちに対する気持ちがあっさり変わりすぎることである。山崎が沙織のために用意した様々なコスチュームにすぐに夢中になり、互いにあれこれ着替えてはしゃぐ様子はちょっと不自然だ。あまりに簡単に変わりすぎる。その後勢いでダンスホールに行こうと誘うのもあまりに性急過ぎる。もっとも、ダンスホールに行って踊りまくる場面は確かに楽しめる。柴咲コウの魅力満開でなかなかいい。偶然居合わせた元部下に山崎がしつこく絡まれ、沙織が「謝れ!」と本気で怒るシーンでは思わず彼女を応援していた (この時点では露骨な差別に腹を立てても不思議ではないところまで来ている)。しかしあまりに性急過ぎた感は否めない。あるいはゲイバー「卑弥呼」にいる母の写真を沙織が見つけるエピソードも、いかにも取ってつけたようで感心しない。不自然で、あまりに都合のいい設定だ。

  もう一つの疑問はゲイたちの描き方である。もっと彼らの背負ってきた苦痛を描きこむべきだったと思う。どこか平板ですっと通り過ぎてしまった感じだ。コミカルな要素を取り入れるのは必ずしも悪いことではない。「この素晴らしき世界」の重苦しい雰囲気をコミカルなタッチがどれだけ救っていることか。問題はそのさじ加減だ。どうもコミカルな演出に逃げてしまった気がする。彼らが背負ってきた苦悩や心の傷や悲しみに共感しなければ沙織は変わらなかったはずだ。そこをもっと描いてほしかった。

  ただ以上の様な不満はあったとしても、全体としてみれば今年の日本映画の中でも出色の出来だと言っていいだろう。まだまだ不満はあるが、着実に日本映画は力をつけてきている。僕自身もそうだが、洋画ばかり見ていた観客が一部日本映画に戻ってきている。映画製作にかかわる諸条件にはまだまだ解決すべき課題が多く残っているが、そんな中で注目すべき作品がたくさん出てきたことは希望の光である。これらの芽をさらに伸ばしてゆく方向に日本の文化状況が進んでいくことを期待したい。

2005年12月11日 (日)

マゴニア

2001年 オランダ G20_1
監督:イネケ・スミツ
プロデューサー:ヴァレリー・スハイト
原作・脚本:アルチュール・ジャピン「Magonian Stories」
撮影:ピヨッター・クックラ
美術:ビリー・レリフェルト、グーガ・コテタシビリ
音楽:ジオ・ツィンツァーゼ
出演:ウィレム・フォーフト、ディルク・ローフトホーフト
    ノダル・ムガロブリシビリ、 ラムゼイ・ナスル
    ナト・ムルバニゼ、リンダ・ファン・ダイク

  オランダ映画はまだまだ珍しい存在だ。人口が少ないので自国の市場だけでは制作費が回収できないため、共同出資というかたちをとることが多い。「さまよえる人々」「遥かなるクルディスタン」「家族のかたち」「ポーリーヌ」などがそうだ。それでも去年オランダだけで製作した「クリビアにおまかせ!」と「オランダの光」が日本で公開されている(気になりつつもまだ観ていない)。オランダ映画は徐々に力をつけてきているようだ。「ロゼッタ」、「ポーリーヌ」「雲 息子への手紙」などのベルギー映画、「バベットの晩餐会」、「奇跡の海」、「ペレ」、「マイ・リトル・ガーデン」、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、「幸せになるためのイタリア語講座」などのデンマーク映画と共に今後さらに伸びてくるものと期待している。

  「マゴニア」は2005年3月にユーロスペースで上映された作品。いかにもユーロスペースにふさわしい、独特の味わいを持った映画である。「師の歌を奪った青年」、「砂漠の孤島に訪れた夫婦」、「恋人の迎えを待つ女」という3つの挿話からなる一種のオムニバス映画で、全体をつなぐのは空に浮かぶ架空の国「マゴニア」である。解説によれば、「マゴニア」とは古くからヨーロッパに伝わる想像上の世界で、不運が空から降ってくる前に一時的に留まる場所。天空に浮かぶ船の形をした救いの地である。本作でも大きな帆船の形をした凧を揚げる象徴的な場面が出てくる。

  ジャンルとしてはファンタジーに入る映画である。しかしファンタジーといっても、宮崎駿の様なヒロインが大活躍する活劇ではなく、アメリカ製アニメの様なはちゃめちゃな楽しさとも違う。かといってファンタジー王国イギリスの様に皮肉や風刺が込められているわけでもないし、妖精が出てくるわけでもない。そこはやはり北欧に近い国の映画。むしろ「さまよえる人々」のような隠喩や寓意に富み、きわめて瞑想的である。

  しかも「マゴニア」という架空の国を題材にしながら国際色が豊かである。「師の歌を奪った青年」はイスラム色が濃い。女性が顔を覆っていないのでトルコ辺りをイメージしているのではないか。残念ながら何語を使っているのか分からないので判然とはしない。いずれにせよトルコ映画かイラン映画を観ている感覚である(しかも、なんとロケ地はグルジアである!)。「砂漠の孤島に訪れた夫婦」のエピソードは砂漠の中の一軒家が舞台。家に住んでいるのは黒人で、そこに車がエンストして助けを求めに来るのはギリシャ人夫婦という設定。どことなくジャームッシュの映画やヴェンダースの「パリ・テキサス」を連想させる。「恋人の迎えを待つ女」はある港町の酒場が舞台。一人の女が昔愛してくれた男が戻ってくるのを待っている。青い目で、両腕に東と西の刺青をした船乗り。やがて実際にその男が戻ってくる。男は「マゴニア」からやってきたと話す。こちらはまるでアメリカ映画の様な展開だ。いずれも何語を話しているのか気になるのだが、悲しいかな、さっぱり分からない。英独仏西語なら意味は分からなくても何語か区別が付くが、ここで使われている言語はまるで見当がつかない。せいぜいギリシャ人夫婦が話しているのはギリシャ語だろうと推測できる程度。ただ架空の国という設定なのでいろんな言語を合成している感じもある。ものすごくなまった英語を話しているように聞こえる部分もある。幾つかのサイトをあたってみたが、言語について言及しているものはない。

 それはともかく、この映画はある意味で「さまよえる人々」と姉妹関係の様な位置づけにある映画だと思う。「さまよえる人々」はいうまでもなく「さまよえるオランダ人」(Flying Dutchman)からの連想に基づいている。主人公のダッチマンは父親を探す旅に出る。父親は船長で、空を飛ぶことができ、七つの海を支配していると彼は信じている。文字通りの空飛ぶオランダ人。空を飛ぶ船。そこに「マゴニア」との接点がある。息子に物語を聞かせる「マゴニア」の父親は、初老に達した晩年のダッチマン (ラストで彼も空を飛んだことが暗示される)であると捉えることも出来る。とそこまで言うのはいいすぎだが、テーマ以外にも隠喩や寓意に富んだ作風は共通するものがある。

 それにしても不思議な感覚の映画だ。何度も出てくる凧のイメージ。その凧を結ぶロープの様々な結び方と"オランダ結び"や"恋結び"といったそのユニークな名前。空を舞う白い紙飛行機。帆船の形をした巨大な凧。印象的な物や場面があちこちにちりばめられている。

  一人の少年が毎週日曜に船で美しい島を訪れ、父に会いに来る。父は息子と凧を揚ship002_sげ、その合間に「マゴニア」の物語を語って聞かせる。父親が息子に語る物語は「毎回違う物語だが、メッセージは同じ。一本のロープでも結び目は無限だ。」息子が父親に問う。「父さん、希望が消えるとどうなる?」そこから一つめの挿話「師の歌を奪った青年」の物語が始まる。

 「リヨンの近くで農民たちが空の間に浮かぶ巨大な帆船を見た。その船は旗をなびかせ、古い橋の欄干に碇を引っ掛けた。やがて男3人と女1人が鎖をつたい果物と水の調達に来た。だが人間の重苦しさで彼らはあえぎ始めた。船に戻してやらないと溺れてしまう。自由にしてやらねばならない。そして9ノットの早さで3人の男と1人の女は去った。驚くべき体験をした場所から。」  

  「人間の重苦しさ」という言葉に注目しなければならない。自由のない人間の世界ではマゴリア人は「溺れてしまう」。自由と希望、これがキーワードである。「師の歌を奪った青年」の物語では声が出なくなった師の代わりに弟子の青年が歌う。見事な声と歌に市民は聞きほれるが、師の「歌を奪った」青年は師と師に仕える女性(青年は彼女に思いを寄せている)の信頼を失い、寂しく街を去ってゆく。2つめの話に出てくる老人は「希望は最後に消える物」とつぶやく。3つめの話の「待つ女」は決して男が帰ってくるという希望を捨てない。彼女は窓から空を眺める。「何を見てる?」「雲よ。雲が好きなの。流れていくわ、空高く、輝きながら。」雲が何を象徴しているかは明らかだ。

 人々は自由のない「重苦しい」世界に生きている。しかし希望がなければ人は「溺れてしまう。」この映画は希望なき世界を描いた絶望的映画ではない。人々は挫折を繰り返しながらなお希望を捨てない生き方を見出そうとしている。

 しかしそう単純でもない。一見美しいファンタジーのようであるが、「さまよえる人々」同様、シュールでグロテスクで非常に難解でもある。容易に解釈を許さない。美しいが残酷でもあり、リアルだがシュールでもあり、切ないが冷めてもいる。「大人のファンタジー」とよく評されるが、「大人」とはそういう意味だ。ただただ美しく感動する映画ではない。少年は最後に父親がいつも戻ってゆく建物の「正体」を見てしまう。想像力とは狂気なのか?この映画では語る行為自体もテーマになっているが、語るとは「騙る」なのか?はっきりとは分からない。様々な象徴的な物や出来事はただ意味ありげに示されるだけだ。ロープの結び方(の組み合わせ)が無限にあるように、解釈も無限にありうるということなのか?結び目が交錯するように意味も交錯して多重になってゆく。3つの物語にどんな共通性があるのか。どんなズレがあるのか。あの紙飛行機は何を象徴しているのか。すべては曖昧である。この曖昧さを深遠さだと安易に考えてはいけない。こういう意図的な韜晦に対しては常に留保が必要である。曖昧さは底の浅さを隠すイチジクの葉であるかもしれない。ドストエフスキーの小説は文字通り深遠であるが実に明快でリアルである。意図的な曖昧さなどない。しばしば難解になることはあっても曖昧ではない。

 終わり近くで少年は父親にいつもそばにいてほしいと頼む。父はこの島から出られないと答える。「おまえが行き着くところへ行くまでは。」「どこへ?」と聞くと「遠くへ」と答える。「行き着くって?」と聞くと「理解すること」と答える。「僕に行ける?」「遠ければ遠いほどいい。」  問題は「理解すること」が果たして可能な目標とされているのかということである。もちろん世界をすべて理解することなど出来ない。それでも一歩一歩理解できる範囲を広げることは出来ると考えるのか。それとも「理解すること」は到達不可能な永遠の課題だという捉え方なのか。だとすれば不可知論の一歩手前である。ここの見極めがこの作品の評価の分かれ目だと思う。

 ラストで息子は父が飛ばしていた帆船の凧が木に引っかかっているのを見つける。息子はいろいろな結び目の名前を口にしながら凧のロープを手繰り寄せる。凧は枝からはずれ飛んでゆく。一瞬父親が息子にキスをするシーンが挿入される。「ごらん船が見えるだろ。天空の船乗りたちは時々碇を下ろして、地上の様子を見にくるんだ。」希望を感じさせるラストシーン。だがやはり抽象的だ。空飛ぶ船の象徴は感動的であるが、逃避的でもある。人間は時間と空間を越えて生きることは出来ない。奴隷がプランテーションから出られなかったように、江戸時代の農民が下人、非人という考えから逃れられなかったように。もっとも、だからこそ夢と希望が重要だともいえる。キング牧師の「夢」が感動的なのはその言葉が人々に希望を与える力を持っているからだ。希望がなければ人間は生きられない。「マゴニア」は希望を捨てていないがゆえに観るものに感動を与える。しかし一方で理想論的であり抽象的ですらある。そこに曖昧さが入り込む余地がある。

2005年12月10日 (土)

ビフォア・サンセット

2004年 アメリカ  031107
原題:Before Sunset
脚本:リチャード・リンクレイター、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー
監督:リチャード・リンクレイター
撮影:リー・ダニエル
出演:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー

 「恋人までの 距離(ディスタンス)」の続編である。僕はこの前編を観ていない。しかし最初の10分ほどで前編とのつながりは理解できるので、特に前編を観ていなくても支障はない。もちろん「恋人までの 距離」を先に観ておけばより感慨深いものがあるのだろうが。前編の最後でアメリカ人青年ジェシー(イーサン・ホーク)とフランス人学生のセリーヌ(ジュリー・デルピー)は半年後にウィーンで会う約束をして分かれる。しかし結局半年後にはセリーヌは都合で行けず、再会を果たせぬまま9年の年月が流れた。

 その後ジェシーは小説家になっていた。セリーヌとの出会いを小説にして出版し成功した。彼がパリの書店で朗読会を開いているところに突然セリーヌが現れる。思わぬ再会に心を弾ませる二人。しかしその日帰国する予定のジェシーにはわずかな時間しか残されていなかった。映画は二人が再会し、別れるまでの85分間をリアル・タイムで描いてゆく。  

 二人は9年間の互いの生活を語りまた互いに聞き出そうとする。この9年間の空隙は互いに大きな心の隙間を生み、また二人を大きく変えた。ジェシーは結婚し子供もいる。しかし夫婦仲は冷め、子供だけが生きがいである。セリーヌは国際環境団体「グリーンクロス」で働いている。セリーヌはその後何人もの男と付き合ったが、未だに独身である。彼女の心の一角にはジェシーへの思いが消えずに残っており、他のどんな男にもそれを埋める事は出来なかったのだ。決して心を満たされることのなかった9年間。二人は9歳年を取り、人生経験を積んだが、心のどこかに互いの存在が引っかかっていた。その間生活は続いていたが、二人の思い出は冷凍保存されたように常に新鮮だった。だからセリーヌはジェシーの朗読会がある事を知って会いに行ったのだし、ジェシーはわずかな時間をすべて彼女との再会に費やしたのだ。

  この映画は全編会話で埋め尽くされている。二人は延々と会話を交わすことによって互いの気持ちを確認しあう。嘘をついたり、相手をからかったりし合いながらも、この9年間互いを求め合っていたことを確認しあう。最初は互いに軽くジャブを繰り出し探りを入れる。しかしセリーヌのアパートに向かうタクシーの中でとうとう二人は本心を明かす。軽妙な会話もここにsunset5いたって感情を交えた悲痛な告白に変わる。互いに連絡も取れず、満たされぬまま過ごした9年間。あの時「なぜ電話番号を交換しなかったのだろう」。取り返しの付かない時間が流れ去ってしまったのだ。しかも再会した二人に残された時間はどんどん少なくなってゆく。だがなかなか別れることが出来ない。ジェシーはついにセリーヌのアパートにまで行ってしまう。いつまでもぐずぐずして去ろうとしないジェシーと、もう時間がないわよと言いつつも強いて彼を追い出そうとはしないセリーヌを映したまま幕。

  これほど言葉が詰め込まれた映画も珍しい。その会話が実に自然だ。脚本にはイーサン・ホークとジュリー・デルピーも加わり、リンクレイター監督と3人が共同で練り上げていったものだ。最初の戸惑いながらの会話から、取り留めのない思い出話、一種の駆け引きの様な遠まわしな表現や皮肉、からかい、夢の話などを交え、しだいに本心が見えてくる展開は実に自然でよく出来ている。二人が書店から出て、カフェに向かって歩いてゆく途中の会話を手持ちカメラで長々と映して行くところからぐんぐん引き込まれてゆく。すれ違う人は誰も振り返りもしない。なんでもないごく普通の会話。それでいてよく練られていることが分かる。この自然さがいい。 

  会話が中心なので舞台劇のようだが、手持ちカメラで自由にパリの街中を移動してゆくところは映画ならではの演出だ。それでいて焦点は二人の男女にずっと絞られている。パリのカフェも遊覧船もあくまで背景に退く。唯一存在感のあったのはセリーヌのアパート。あのしみだらけの階段と彼女の部屋。そして何といってもニーナ・シモンのCD。セリーヌがニーナ・シモンの物まねをしながらコンサートの様子を再現する場面はとりわけ素晴らしい。「ベイビー、飛行機に遅れるわよ」なんて台詞も様になっている。ジェシーに請われて歌も1曲披露している。ジュリー・デルピー、なかなかの芸人だ。

  アメリカ映画だがフランス映画の様なタッチ。どこかエリック・ロメールを思わせる。単にパリが舞台というだけではない。しゃれた会話とその間隙からにじみ出てくるやるせない思い。どうしてもストレートな表現になりがちのアメリカ映画とは一味もふた味も違う。この微妙なヨーロッパ的タッチがこの映画を際立たせている。ひょっとして前作よりも出来はいいのではないか。時間の空隙と心の隙間、それを埋めようとするかのような言葉の洪水。取り返せない時間と満たされぬ思い。絵にかいたようなラブ・ロマンスの設定は前作があったからこそ成り立った。むしろこちらを先に観て、その後第1作を観たほうがより自然に入り込めるかもしれない。

 最後のクールな終わり方にも好感が持てる。別れの場面を哀愁切々と描くような終わり方をあえて避けている。ジェシーはまだセリーヌの部屋にいて帰りたくなさそうだ。そんな状態のまま終わってしまう。ひょっとしたら飛行機をキャンセルしたのではないか。そんな想像も可能だ。

 ジュリー・デルピーといえば「汚れた血」と「ティコ・ムーン」が印象的だ。「ティコ・ムーン」の独特の髪型と真っ赤な髪の毛が不思議に似合っていた。不思議な顔で、特にあの目というかまぶたに特徴がある。今ひとつブレイクしないが、どこか地味な印象があるからだろう。この映画を観て「トリコロール/白の愛」を観たくなった。どういうわけかシリーズ中「青」だけしかまだ観ていない。

2005年12月 4日 (日)

あの頃名画座があった(改訂版)⑥

◆85年
  85年2月21日、有楽町スバル座で衝撃的な映画を観た。トルコ映画「路」である。社会048966派映画が制したと言われた82年のカンヌ映画祭でグランプリを取った作品である。ユルマズ・ギュネイ監督の映画はこの年の4月に渋谷のユーロスペースで特集が組まれ(「エレジー」、「獄中のギュネイ」、「希望」)、その後も岩波ホールなどで何本か公開された。いずれも優れた作品だったが、やはり「路」が最高傑作だろう。この映画とギュネイ監督については「トルコ映画の巨匠ユルマズ・ギュネイ」で詳しく紹介してある。

  キネマ旬報の85年外国映画ベストテンでギュネイの「路」は2位に、スペイン映画「ミツバチのささやき」は4位に入選した。このことが持つ意味は非常に大きい。どちらの映画も企業の大宣伝によってではなく、観てきた観客たちによって感動が人から人へと伝えられ、アメリカ製の大作の不振を尻目にロングランを続けたのである。この二つの映画の活躍は、80年代に入り次々に公開され、注目を浴びるようになってきた東欧や第三世界を中心とする、映画先進国以外の国の映画の進出を象徴するものである。80年代に入って、ポーランド、西ドイツ、ハンガリーなどの名作が次々と公開され、ソ連、インド、スウェーデンなどの映画も以前に増して身近になった。特に84年から85年にかけて各国映画祭ラッシュで、フランス、イタリアなどのおなじみの国のほかに、ブルガリア、ソ連、ポーランド、スペイン、アフリカ、中国、さらにはスペイン出身のルイス・ブニュエルとスイスのアラン・タネールの個人特集なども催された。そのほか、個々の作品としてはギリシャ、ベトナム、ユーゴ等の映画も公開されている。85年もブラジルの映画や「マルチニックの少年」(フランス映画だが、実質的には第三世界の映画)が公開された。この傾向は年を追うごとに強まっていった。恐らく日本は世界で最も幅広く映画が観られる国である(同時に世界中の小説などが翻訳で読める国でもある)。それは自国の文化を卑下し外国の文化を崇める傾向と裏腹ではあるが、同時に外国の文化を積極的に取り入れようとする旺盛な意欲の表れでもある。

  80年代から、長い間未公開だった作品が日本で初公開される動きが出てきた。85年にはフリッツ・ラングの「メトロポリス」(27年)が公開された。2月に新宿文化シネマ1で観ている。巨大な建物が建ち並ぶ「未来都市」の間を複葉機が飛んでいるのが奇妙だった。見たことがない色を想像することが出来ないように、想像力は決して万能ではなく、現実から完全には自由ではないことがよく分かる。ブラジルのグラウベル・ローシャの作品もこの年ユーロスペースで公開された。11月に「アントニオ・ダス・モルテス」(69年)、12月に「黒い神と白い悪魔」(64年)を観ている。前者はキネ旬の70年ベストテンで11位に入っているから厳密にはリバイバルだが、後者は恐らく初公開と思われる。

  この年も結構特集が多く組まれていた。2月から3月にはアテネフランセでスイスのアラン・タネール監督の特集。「サラマンドル」(70年)を観た。どこかヌーヴェル・バーグを思わせる作品だった。当日1300円。前売1000円。3月に松竹シネサロンで「小津フェア」。「お茶漬けの味」、「一人息子」、「彼岸花」、「長屋紳士録」を観た。小津ブームは衰えを知らない。11月から12月にかけて高田馬場東映パレスで「ブニュエル」特集。「欲望のあいまいな対象」、「ブルジョアジーの密かな愉しみ」、「アンダルシアの犬」、「自由の幻想」、「銀河」、「小間使いの日記」、「哀しみのトリスターナ」を観た。これは願ってもない貴重な特集だった。ACTでも12月29日に「忘れられた人々」を観ている。初期の傑作で、これが観られたのは収穫だ。

  80年代はドイツ映画が復活した時期だ。サイレント映画時代に名作を多数生み出したが、ナチズムの台頭と共に映画人が次々に外国に亡命し、以来全く衰退してしまった。59年の「橋」(ベルンハルト・ヴィッキ監督)という傑出した作品もあるが(ドイツ側から戦争の悲惨さを描いた必見の名作)、ほとんど国際的には観るべき作品はなかった。しかし80年代に入ってライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(「マリア・ブラウンの結婚」、「ベロニカ・フォスの憧れ」)、ヴェルナー・ヘルツォーク(「ノスフェラトゥ」、「アギーレ・神の怒り」)、ヴィム・ヴェンダース(「パリ・テキサス」)、フォルカー・シュレンドルフ(「ブリキの太鼓」)、ヘルマ・サンダース=ブラームス(「ドイツ 青ざめた母」、「エミリーの未来」)などが活躍し始める。ニュー・ジャーマン・シネマという呼称も生まれた。90年代には勢いが衰えたが、このところまた注目作が増えてきた。90年代は世代交代の時期だったのだろう。85年も結構ドイツ映画を観た。3月にユーロスペースで「死滅の谷」、「ジークフリード」、「最後の人」などのサイレント時代の傑作、2月に下高井戸京王で「マリア・ブラウンの結婚」、3月に吉祥寺のバウスシアターで「ベロニカ・フォスの憧れ」、12月に歌舞伎町シネマ2で「白バラは死なず」とスペース・パート3で「ノスフェラトゥ」。

  「ベロニカ・フォスの憧れ」を観た吉祥寺のバウスシアターと隣のジャブ50は新しく出来た映画館で、比較的ラインアップもよく何回か利用している。バウスシアターでは他に「哀愁のトロイメライ」と「ふたりの駅」を観に行っている。この頃は封切館での鑑賞も多くなっている。渋谷ジョイシネマ(「五つの夜に」、「プレイス・イン・ザ・ハート」)、新宿ピカデリー(「アマデウス」)、渋谷パンテオン(「コットンクラブ」)、コマ東宝(「乱」)、テアトル吉祥寺(「インディ・ジョーンズ」、「レイダース」)、シネ・ヴィヴァン六本木(「カオス・シチリア物語」、「エル・スール」)、みゆき座(「バレンチナ物語」)、新宿ビレッジ(「田舎の日曜日」)、シネセゾン渋谷058785(「そして船は行く」)等々。シネセゾン渋谷はシネマスクエア東急と並ぶ単館ロードショー館だった。単館ロードショーと言えば岩波ホールの代名詞だったが、この頃から単館ロードショーの映画館が増えてきた。

  岩波ホール、ACT、下高井戸京王、並木座、八重洲スター座、文芸座、三鷹オスカー、三百人劇場、などのおなじみの映画館にもせっせと足を運んでいる。岩波ホールでサタジット・レイ監督の「遠い道」「ピクー」を観た。80年代の岩波ホールはしきりにサタジット・レイ作品を取り上げていた。

  85年は「第1回東京国際映画祭」(6月)が開催された記念すべき年だ。「チケットぴあ」で前売り券を買って観に行った。この時初めてチケットぴあを利用した。そうしないと当日券は売り切れると思ったからである。第2回映画祭からはいくつもの映画館で同時平行的に上映されるようになったが、1回目は渋谷の「NHKホール」のみで行われた(入ったのは初めて)。確か杮落としはデヴィッド・リーン久々の大作「インドへの道」だった。他に「カルメン」(フランチェスコ・ロージ監督)、「アデュー・ボナパルト」、「ラブ・ストリームス」、「日記」、「パリ・テキサス」、「マスク」の7本を観ている。「マスク」(「エレファント・マン」と同じ主題の映画)を観たとき、ゲストに主演のシェールが来ていて、廊下でタバコを吸っていたら目の前を通って行った。サインはもらわなかったが(僕は俳優や監督個人には一切関心がないのでそういう趣味はない、あくまで作品がすべてである)、有名外国女優(昔は「ソニーとシェール」のコンビで知られた歌手だったが)を直に観たのはこの時が最初で今のところ最後である。

  あの頃はとにかく観たい映画があればどこにでも行っていた。5月18日は変わったところに行っている。小津の「出来ごころ」を観たのだが、場所は水道端図書館とある。確か飯田橋駅か水道橋駅の近くだったと思う。図書館等の公共の施設で映画を上映するのは珍しくはないが、ここはたまたま「ぴあ」に載っていたのだろう。86年3月29日にも「高円寺会館」で「荷車の歌」と「ドレイ工場」を観たとあるが、これもその類いか。映画は覚えているが「高円寺会館」は全然覚えていない。

 12月31日、新宿松竹で「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」と「祝辞」を観た。この頃から盆と正月は寅さんを見て帰省する習慣になった。新宿か上野で観ることが多かったと思う。

【1985年 マイ・ベストテン】次点の下は並べただけで、順位ではない。
1 路                                   ユルマズ・ギュネイ
2 カオス・シチリア物語          タヴィアーニ兄弟
3 ミツバチのささやき       ビクトル・エリセ
4 パリ・テキサス         ヴィム・ヴェンダース
5 田舎の日曜日          ベルトラン・タヴェルニエ
6 マルチニックの少年       ユーザン・パルシー
7 ふたりの駅            エリダル・リャザーノフ
8 バレンチナ物語          アントニオ・ホセ・ベタンコール
9 インドへの道           デヴィッド・リーン
10 ファニーとアレキサンドル     イングマル・ベルイマン
次 ル・バル              エットーレ・スコラ
  遠い道              サタジット・レイ
  希望                ユルマズ・ギュネイ
  エレジー             ユルマズ・ギュネイ   
  刑事ジョン・ブック 目撃者  ピーター・ウェアー
   アマデウス            ミロス・フォアマン   
  コクーン             ロン・ハワード   
  そして船は行く          フェデリコ・フェリーニ   
  ノスフェラトゥ          ヴェルナー・ヘルツォーク

2005年12月 3日 (土)

アマンドラ!希望の歌

2002年 南アフリカ・アメリカ 053303
原題:Amandla! A Revolution in Four Part Harmony
監督:リー・ハーシュ
出演:ネルソン・マンデラ、ヒュー・マセケラ、バシレ・ミニ
    アブドゥラ・イブラヒム、ミリアム・マケバ、クリス・ハニ
    フランシス・バード、ゴールデン・ネスィスゥイ
    ジェレミー・クローニン、アルバート・ルトュリ

  アフリカ映画と聞いて思いつく映画はどれほどあるだろうか。世界中の映画が入ってきている今日でもアフリカ映画は未だに知られざる世界である。僕がまず思いつくのは「エミタイ」(71年、ウスマン・センベーヌ監督、セネガル)、「チェド」(76年、ウスマン・センベーヌ監督、セネガル)、「アモク!」(81年、スウヘイル・ベン=バルカ監督、モロッコ・ギニア・セネガル)の3本だ。他にはせいぜい「アルジェの戦い」(66年、ジッロ・ポンテコルヴォ監督、イタリア・アルジェリア)、エジプトのユーセフ・シャヒーン監督による「放蕩息子の帰還」(76年)と「アレキサンドリアWHY?」(79年)程度。ただ、製作はアフリカ以外の国だが、南アフリカのアパルトヘイトを告発した重要な作品が3本ある。リチャード・アッテンボロー監督のイギリス映画「遠い夜明け」(87年)、クリス・メンゲス監督の同じくイギリス映画「ワールド・アパート」(87年)、そして「マルチニックの少年」のユーザン・パルシーが監督したアメリカ映画「白く渇いた季節」(89年)。いずれも傑作である。この3本に新たな傑作が加わった。「アマンドラ!希望の歌」。アメリカ人監督による記録映画である。

  「アマンドラ」という言葉はマイルス・デイヴィスのアルバム・タイトルとして記憶している人も多いだろう。「力を」という意味で、誰かが「アマンドラ」と言うと、みんなが「アウェイトゥ」(人々の手に)と答える。「力を人々の手に」(power to the people)そういう意味になる。マイケル・ムーアを始め、最近ドキュメンタリーの手法を生かした力作が目立つ。しかしノンフィクションの力が注目されるのは今に始まったことではない。世の中には信じられないような出来事が現実に起こっている。ドキュメンタリーやルポルタージュの力に圧倒された経験は誰しもあるだろう。下手なフィクションよりもドキュメンタリーの方がはるかに優れていると思うことは珍しいことではない。僕は80年代頃にフィクションはノンフィクションを超えられるのか、リアリズムとノンフィクションはどういう関係にあるのかという問題を真剣に考えていた時期がある。結局深く追求できずに終わってしまったが、その問いは今でも有効である。例えば、アルフレッド・ランシング著「エンデュアランス号漂流」(新潮社)を超える冒険物語が存在するだろうか?小説だけではなく、いろんな分野でこの問いかけは出来るだろう。

  南アフリカのアパルトヘイトを告発した上記の3本を「アマンドラ!希望の歌」が超えているかどうかはまた別問題である。ドキュメンタリーにも出来、不出来はあるからだ。しかし「アマンドラ!希望の歌」に劇映画にはない迫力がある事は確かである。というより、南アフリカで現実に起こったこと自体が信じられない事なのである。あれほど押さえつけられ、権利を剥奪されていたアフリカ人たちが、白人の政府を現実にひっくり返してしまったのだから。94年の選挙でアフリカ人たちが勝利し、ネルソン・マンデラが大統領になったのは現実なのである。

   アメリカで奴隷制が廃止されたのはもう150年も前のことである。アパルトヘイトはあからさまな人種差別制度だったにもかかわらず20世紀末まで残っていたのである。その隔離政策には何の合理的根拠もない。例えば、原住民問題担当大臣がアパルトヘイトを「良き隣人関係政策」と言い換えているニュース映像が最初の頃に出てくる。これには何の説得力もないし、滑稽ですらある。しかし滑稽だと笑ってはいられない。彼らの政策によって多くの血が流されたのだ。冒頭に、南ア史上屈指の作曲家で絞死刑にされたウィシレ・ミニの死体が掘り起こされる場面が出てくる。無造作に穴に埋められている。ほとんど犬並みの扱いだ。

  しかし、「アマンドラ!希望の歌」はアパルトヘイトの非道さを告発するだけの映画ではない。この映画のユニークさは、いかに歌が抵抗する民衆に力を与えていたかを描き出したことにある。映画はシャープヴィル事件や有名なソウェト蜂起などの映像をたくみに織り込みながら、歌によって革命を起こした民衆の姿を映し出してゆく。アフリカを代表するミュージシャンや活動家が何人もインタビューを受けている。ミリアム・マケバ(アフリカのディーヴァ、「アモク!」にも出演している)やアブドゥラ・イブラヒム(「アフリカン・ピアノ」で知られるstainedglass4nジャズ・ピアニスト)などもインタビューに答えている。アブドゥラ・イブラヒムが語った言葉は印象的だ。「追放されてつらいのは夢を見ること、故郷にいる夢をね。夢では故郷にいるのに目が覚めると帰れない」。「南アフリカの革命は唯一音楽で実現した革命だ。他に類を見ない」。

  とにかく全編歌があふれている。コンサートの場面やインタビューを受けた人たちが歌いだす場面もあるが、ほとんどは名もないアフリカ人たちが踊りながら歌っている実際の映像である。「戦いのどの局面にも必ず歌があった」。これが圧倒的だ。歌は民衆のものだった!彼らの持つリズム感は天性のものだ。列車の中でもリズムをとっている。歌うとき必ず体全体で歌う。大人も子供も。彼らは体で歌を覚えたのである。それらの歌、フリーダム・ソングには抵抗の精神と「俺たちこそ本当のアフリカ人だ」という誇りがこめられている。
 「歌は一つが消えるとまた次が生まれる。そうやって多くの歌が生まれた。表現したいことを数人の友と歌い、その輪が次々と広がり新しい歌になる」。それらの歌を「ラジオ・フリーダム」が流し、歌はさらに民衆の中に入ってゆく。かつてルイ・アラゴンが『フランスの起床ラッパ』で、民衆の口から口へと伝わるうちに詩はさらに付け加えられ豊かになってゆくと歌ったが、それが現実に起こっていたのだ!

  民衆の中から様々な歌が生まれた。「神よ アフリカに祝福を」。国歌代わりとして集会の冒頭などで歌われた。「あの歌は抑圧の隙間から染み出てきた」。ある人がインタビューに答えていった言葉だが、この歌の本質を見事に表現している。70年代誰もが歌った歌、「われわれが何をした、唯一の罪は黒人であること・・・」と何度も繰り返す歌。そして、ラストあたりで女性アーティストが歌う祖先を称えた歌、これはまさに至上のゴスペル、例えようもなく美しい(その歌の間に殺された著名活動家の写真が多数映し出される、その中には「遠い夜明け」で描かれたスティーブン・ビーコの写真もあった)。

  アフリカ人がネルソン・マンデラに捧げる敬意が並大抵のものではないこともよく分かる。「獄中のマンデラは神話の中の人だった」。中でもヒュー・マセケラの思い出は感動的だ。「83年の誕生日、ボツワナにいた私はマンデラからバースデーカードをもらった。20年も投獄されている彼が私を励ましてくれた。『君を誇りに思う アフリカの神の祝福を』と。そして私の姪や妻や友人を気遣う言葉もね。まるで私が監獄にいるみたいだったよ。カードを読み終え横になったら涙がこぼれた。その時曲が浮かんだんだ」。ただ、マンデラに対する尊敬が個人崇拝に結びつかないか少々気にならないでもない。個人崇拝は腐敗につながるからだ。

  1990年2月11日。ネルソン・マンデラ釈放。「皆テレビの前に釘付けよ。私はひざまづいてテレビの前で泣いたわ」(ミリアム・マケバ)。94年、南アフリカの歴史上初の投票に無数のアフリカ人が出かけた。一人の男性が語った言葉が胸を打つ。最後にその言葉を引用して終わろう。「僕が票を入れたとき、母のためにと思った。祖父と曽祖父のための投票だとね。彼らに機会はなかったのだから」。

 

「中川敬のシネマは自由をめざす!」というサイトにこの映画の素晴らしい解説/レビューが載っています。こちらもぜひご覧ください。

2005年12月 1日 (木)

マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ

1985年 スウェーデン 041863
原作:レイダル・イェンソン
製作:ヴァルデマール・ベリエンダール
監督:ラッセ・ハルストレム
音楽:ビョラン・イスフェルト
撮影:イェリン・ペルション
出演:アントン・グランセリウス、マンフレド・セルネル
    アンキ・リデン、レイフ・エリクソン、メリンダ・キンナマン

 ラッセ・ハルストレム。輝かしい業績の持ち主である。フィンランドのアキ・カウリスマキ(「浮雲」、「過去のない男」)やデンマークのビレ・アウグスト(「ペレ」、「愛と精霊の家」)と並ぶ、現代北欧(出身)の代表的映画監督である。スウェ-デン時代に「アバ・ザ・ムービー」(77)、「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」(85)、「やかまし村の子どもたち」(86)、「やかまし村の春・夏・秋・冬」(86)、「ワンス・アラウンド」(90)を作り、91年にアメリカに渡った後も「ギルバート・グレイプ」(93)、「サイダーハウス・ルール」(99)、「ショコラ」(00)、「シッピング・ニュース」(01)と秀作を作り続けている。自国で成功した後アメリカに渡った人は多いが、ほとんどの場合は自国で作った作品の水準を維持できていない。金があればいい作品が作れるわけではないのだ。そういう意味で、渡米後もこれだけの水準を維持していることは称賛に値する。いや、総合的にはアメリカで作った作品の方が上だと言ってもいい。

  「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」はハルストレム監督を世界に知らしめた出世作である。スウェーデン時代の最高作であり、渡米後の作品群にすら引けをとらない傑作である。チャップリンの「犬の生活」を連想させるタイトルの意味は冒頭の独白で暗示される。

 よく考えてみればぼくは運がよかった。たとえばボストンで腎臓移植手術を受けたあの男。新聞に名は出たが死んでしまった。あるいは宇宙を飛んだあのライカ犬。スプートニクに積まれて宇宙へ。心臓と脳には反応を調べるためのワイヤー。さぞいやだったろう。食べ物がなくなるまで地球を5ヶ月回って餓死した。僕はそれよりマシだ。

  主人公のイングマルは不幸な少年だ。兄にはいつもいじめられている。ママは好きなのだが、兄のいたずらのせいでおしっこを漏らしてしまったり、ミルクの入ったコップを持つと手が震えてこぼしてしまったりで、いつも叱られてばかり。パパは赤道の近くでバナナの出荷の仕事をしていて不在である。焚き火をすれば枯れ草に火がついて火事になってしまう。やることなすことうまく行かない。学校でも家でも叱られてばかり。決して悪い子でもいたずらっ子でもないのだが、結果的には叱られてしまう。辛くやるせない人生。そんな時イングマルは星空を見上げる。自分よりもっと不幸なものを思い浮かべることで自分を慰め、かろうじて精神のバランスをとっている。そうすれば、どんなに辛いときでも自分は「運がよかった」と考えられる。「僕はそれよりマシだ。」この考え方がなんともいじらしい。たびたび語られる「こういう時はライカ犬のことを考えよう」という言葉には胸がつまる。

  しかしハルストレム監督の演出はぐっと抑えられている。泣かせよう泣かせようとするのではなく、むしろ淡々とイングマルの生活を描いてゆく。ストーリーの展開はエピソードの積み重ねのようになっている。対象から一定の距離を置いてパノラマ的に描いてゆくのだが、離れすぎもせず随所にイングマルの独白を挿入している。この距離のとり方が絶妙だ。観客が過度にイングマルの内面に入り込むことをさけつつ、彼への共感を失わせない。見事である。

  イングマルの生活に転機が訪れるのはおじさんのいる田舎にしばらく預けられた時である。母親の具合が悪く、子供がいては気が休まらないので、子供たちは親戚に預けられることになる。兄のエリクはおばあさんの家に、イングマルはグンネル叔父さんのところに。この山間の小さな村での生活がイングマルを変えてゆく。叔父さん夫婦は共に優しい人たちだった。イングマルを出迎えたおばさんが彼に話しかけた言葉には心がこもっていた。「少し温かくなったわ、あなたが太陽を持ってきたのよ。」この言葉どおりイングマルは温かく迎えられる。

  村の人々が実にユニークだ。緑色の髪の少年。女性の下着雑誌をいつもイングマルに読ませる寝たきりの爺さん。男の子として振舞っている女の子サガ。年中屋根を修理しているフランソン。ちょっとエッチな作品を作る彫刻家。実に陽気な人たちだ。時代を50年代に設定したことが成功している。宇宙船と称してゴンドラの様なものを「飛ばす」遊びに大人も一緒になって興じている。飛ばすといってもロープウェーのようにワイヤー伝いに滑らせるだけだが(ところが、途中でひっかかって宙吊りになったまま止まってしまう)。村の男が自転車に乗って綱渡りの曲芸を始めると、いい大人が仕事を放り出して見物に集まってくる。実に伸びやかで素朴な田舎の人たち。このような人々に囲まれてイングマルはのびのびと成長してゆく。

  イングマルは男の子の様なサガと親しくなる。サッカーでは同じチームで、一緒にボクシングもしている。サッカーには面白いエピソードがある。相手チームがフリーキックを得た。イングマルたちはゴール前で壁を作ったが、男の子たちが全員股間を押さえているのにサ059259ガだけが思わず胸を押さえてしまうのだ(イングマルに注意されてあわてて股間を押さえる)。こういうさりげないシーンが可笑しい。サガは胸が膨らみ始め、イングマルがそれを隠すために胸に布を巻いてやる。子供だからエロチックではないが、目をそらしているイングマルがなんともかわいい。ほのかな性の目覚めが二人を通して描かれる。ここも抑えた演出が効いていて、決していやらしくはならない。むしろどことなくほほえましい。

  グンネル叔父さんはガラス工場で働いている。そこの女子工員が彫刻家ベリットに請われてヌードモデルをすることになった。女子工員は監視役としてイングマルを同行させる。その様子を聞いたグンネル叔父さんが興味津津で、「上から下まで裸か」と聞くところが妙に可笑しい。イングマルはその言葉に刺激されて、次に行った時は屋根に上って天窓から裸のモデルを覗こうとするが、足を滑らせて天窓を突き破り床に落下してしまう。このエピソードも愉快だ(怪我は大したことなかった)。そんな行動をとっても誰も彼を叱ったりはしない。そういうおおらかな「空気」の描き方が素晴らしい。

 しかしその愉快な生活にまた暗い影が差す。長く患っていた母親が亡くなったのだ。愛犬のシッカンもイングマルが田舎に預けられるときに一緒に連れてゆけないので他所に預けるということになっていたが、実は「処分」されていたことが分かる。イングマルはまた星空を見上げる。「こういう時はライカ犬のことを考えよう」。このイングマルの姿勢がわれわれの胸を打つのは、それが決して逃避ではないからである。逆境に打ちひしがれ僕は誰よりも不幸だと考えるのではなく、自分よりもっとつらい人もいるのだと考える。そこには、次々に降りかかる不幸を乗りこえようとする前向きの姿勢がある。丁度スポーツ選手のメンタル・トレーニングのように、自分で自分を励ましているのである。つらい時、人は往々にして自分のつらさしか見えなくなってしまう。イングマルはもっと不幸な存在を考えることで自分を相対化することが出来た。「比較すればぼくは運がいい。比較すると距離を置いてものを見られる。ライカ犬は物事がよく見えたはずだ。距離を置く事が大切だ」。彼の強さは自分を客観視できる精神的強さなのだ。

  「ぼくが好きなのはママとシッカン」という言葉に示されるように、母親はイングマルにとって特別な存在だった。だが実際には、母親はいつもイングマルを叱ってばかりいる。しかしイングマルがいつも思い浮かべる母親のイメージは全く違うものである。しばしば挿入される海辺の光景。イングマルのおどけたしぐさに笑い転げる母。ソフトフォーカスで映し出されるこのノスタルジックで美しい光景はイングマルの夢想なのか、母がまだ若い頃の実際の記憶なのか?いずれにせよ、この映像にはやや後ろ向きのセンチメンタルな気持ちが交じり合っている。「元気な時にママにいろいろ話せばよかった」、こういう後悔の気持ちが重ねられているからである。そこに甘さを感じ取ることも可能だろう。しかし母親との幸せな「記憶」を持ち続けたいというイングマルの気持ちも痛いほどよく分かる。

 村での生活を通してイングマルは成長してゆく。しかしその成長には痛みが伴っていた。悲しみを通して彼は成長していったのである。人の成長は決して直線的ではない。ひとりあずま屋のなかで号泣することもあった。やけっぱちになり、四つんばいになって犬の真似をして周りの人たちを困らせたこともあった。その時「犬のようなぼくの人生」というタイトルはより複雑な意味を帯びだす。イングマルの人生は、実は「ライカ犬」と同じように不幸な人生だったのではないか。そういうニュアンスを帯びだす。しかしイングマルは最後にそういう考え方を乗り越えていった、むしろそう解釈すべきだろう。

 ほのかな性の目覚めと共にイングマルは大人への入り口に差しかかる。宙吊りのまま放置されていたゴンドラ宇宙船がもう一度「打ち上げ」られることになった。イングマルと一緒にゴンドラに乗り込んだサガは初めて女の子の服を着てきた。しかし牛の群れに突っ込みそうになり、あわててブレーキをかけたためゴンドラは泥水の中に突っ込んでしまう。せっかくのサガの服も泥まみれになってしまった。こういう描き方をする冷めた目に僕はむしろ監督の才能を感じる。

 エンディングがまた素晴らしい。イングマルはサガと寄り添いながらソファの上で幸せそうに眠っている。外では村人たちがイングマルの名を連呼している。ボクシングのタイトルマッチがあり、スウェーデンの英雄イングマル・ヨハンソンがフロイド・パターソンに勝ったのだ。その非日常的な大騒ぎの中、ただ一人日常を続けている男がいる。年中屋根の修理をしているフランソンだ。村人の騒ぎをよそに彼は屋根の修理に余念がない。トントントントントン・・・。

 自分も同じような悲しみを経験しながら、宇宙を飛んだライカ犬に「さぞいやだったろう」という同情を寄せるイングマル。やがて優しい人たちと出会い、成長し、逆境を乗り越えてゆくすべを身につける。悲しみを経験したが、ずっと背負いはしなかった。緑豊かな小村で悲しみと折り合いをつけながら大人になってゆく一人の少年の成長がみずみずしいタッチで描かれている。15年ぶりに見直したが、今観ても少しも色あせていない。「フランスの思い出」や「マルセルの夏」と並ぶ忘れがたい作品である。

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