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2005年11月 6日 (日)

寄せ集め映画短評集 その11

 在庫一掃セール第11弾。今回は各国映画7連発。そろそろ在庫も底をついてきました。後3回くらいで打ち止めです。

「コールド・マウンテン」(2003年、アンソニー・ミンゲラ監督、アメリカ)
   2時間半の大作。時代は南北戦争時代。コールド・マウンテンは主人公たちが住んでいる土地の名前。アンソニー・ミンゲラの演出はかなり粘着質で、脱走兵(ジュード・moon39ロウ)が帰途の旅で出会う出来事と彼を待つ女性エイダ(ニコール・キッドマン)が経験する数々の苦難をしつこく描いている。再会までの互いの苦労をきちんと描きこまないと成り立たないストーリーになっているからだ。南軍の兵士インマンをジュード・ロウが好演。必ず生きて返ると誓った女性のために、脱走して、500キロの道のりを歩きとおす。一途な思いを貫き通す寡黙な男を凛々しく演じている。
  ニコール・キッドマンもいい。最初に登場したときはまだ10代という設定だと思われるが、実際そんな風に見えた。男が全員振り返るような美人だ。しかし戦争が始まってすぐ父親が死んでしまう。収入がなくなり落ちぶれてゆく。最初の上流のお嬢様という佇まいから、髪を振り乱し、なりふり構わない状態に変わってゆく。それを見かねた近所の女性が手伝いの女性を紹介する。そのルビーを演じるのがレニー・ゼルウィガーである。アカデミー助演女優賞を獲得しただけあってなかなかの力演。ベット・ミドラーが演じると合いそうな役柄で、下品で粗野だがたくましい生活力と生きるための知識を持っている女性だ。ルビーのおかげでエイダは次第にたくましく変わってゆく。役に立つことは何もしてはいけないというお嬢さん教育を受けてきたエイダが、鍬やショットガンが似合う女性に変貌してゆく。
  インマンはついにコールド・マウンテンに着き、エイダとの再会を果たす。しかし再会したのもつかの間。以前からエイダの土地を狙っていて、また脱走兵狩りをしている男たちにエイダとルビーが襲われる。それを助けたインマンは、逃げた最後の一人を追うが、相打ちとなりあっけなく死んでしまう。しかしその前日にエイダと一夜を共にしたときエイダは娘を身ごもっていた。最後の場面は数年後に飛ぶ。エイダの娘は無事成長しており、ルビー(打ち合いのとき撃たれたが致命傷ではなかったようだ)も結婚して夫と娘と父親に囲まれている。平和で幸せな光景である。
  南北戦争というアメリカ最大の国難の時代を背景にしているが、基本は恋愛劇である。時代と恋愛が十分結び付けられていない感じがした。主演3人の好演は光るがどこか物足りない。

「ヴェロニカ・ゲリン」(2003年、ジョエル・シュマッカー監督、アメリカ)
  体から怒りが噴出す思いで観た。傑作である。
  麻薬犯罪を容赦なく追及したために麻薬組織に殺されたアイルランドの女性ジャーナリストを描いた映画。実話に基づいている。実際のヴェロニカは美人ではないし結構年も取っている。ジャーナリストとして賞を受けたときのスピーチの様子が付録映像としてDVDに入っているが、イブニング・ドレスが似合わないこと。まるでJ.K.ローリングと同じだ。しかしそのスピーチの中で法律の不備を指摘するあたりはいかにも彼女らしい。ケイト・ブランシェットがヴェロニカ役を演じているが、ずっと美人だし若い。しかし映画だからいいだろう。
  実際ケイト・ブランシェットは見事な演技だった。脅されて内心怯えるが、それを表には出さない。そのあたりをケイト・ブランシェットはうまく演じている。麻薬組織の黒幕を演じたジェラルド・マクソーレイもすごみがある。アイルランドの名優だそうだ。オーストラリア出身のケイト・ブランシェット以外はアイルランドの俳優を使い、アイルランドでロケをした。スタッフもアメリカ人である監督のジョエル・シュマッカーと製作のジェリー・ブラッカイマー以外はアイルランド人だ。このこだわりが映画にリアリティを与えている。
  ヴェロニカの死は大きな世論を巻き起こし、政府の麻薬に対する対応は大幅に進んだそうである。彼女の死が無駄にならなかったことを知ってほっとした。キネ旬のベストテンでは選外。ストレートな題材なので高く評価されないのだろうが、だとすればその考え方こそ間違っている。昨年公開映画の収穫の一つだ。

「ラブストーリー」(2003年、クァク・ジェヨン監督、韓国)
  文字通り絵に書いたようなラブストーリーで、いまどきこんな映画を作るのは韓国以外にない。考えてみれば、今では死語になった「清純派女優」がいなければ成り立たないジャンルだ。チェ・ジウ、シム・ウナの様な女優は日本では死に絶えた。もっとも、「猟奇的な彼女」のような映画もあるが、あれはあくまで例外。最近韓国のテレビドラマを意識したドラマが日本でも作られるようになってきたが、「清純派女優」がいないのだから同じものが出来るはずもない。
neko   「ラブストーリー」のストーリーはどこか「リメンバー・ミー」と似ている。「リメンバー・ミー」はありえない設定の上に成り立っているが、こちらは一応ありえる設定になっている。昔父親が母親にあてて書いた手紙を(実は代筆)娘が見てしまう。そこから母親の過去の恋愛が回想されるという「マディソン郡の橋」のような設定になっている。娘と母親はソン・イェジンの二役だ。彼女の清楚な佇まいは、日本では絶滅種だけにどこか懐かしい感じがする。昔の日本映画を見ているような錯覚をおこしそうになる。彼女だけではない。障子のある建物、黒い学生服、日本の70年代を思わせる音楽。字幕でなく吹き替えだったらまったく日本映画と変わらない。親の世代なので、男女の付き合いもおずおずとしたものだ。これも昔の日本と同じ。ただ、ベトナム戦争が出てくるところが日本と違う。
  描き方はラブ・ロマンスの典型だ。雨に降られて雨宿り、恋文の代筆、列車での別れ、形見のペンダント。虹やホタル、お化け屋敷。これでもかとばかりラブ・ロマンスの常套手段が繰り出される。これだけ臆面もなくやられるとさすがに食傷気味になる。お約束の泣かせる設定も用意されているが、さすがに泣けなかった。「シュリ」や「ラストプレゼント」と同じで、あまりに泣かせてやるぞという意図が見え見えでかえって興醒めになる。だから「イルマーレ」のような寒々とした画面と不思議な状況設定、「八月のクリスマス」のようなあっさりとした別れ、あるいは「猟奇的な彼女」のような破天荒なヒロインが必要なのである。
  まあ、ヒロインは美人だし、若い頃誰でもあこがれる話なので惹かれるものはあるし後味も悪くはない。ただ、これだけ甘すぎる味付けをされたのではさすがにげんなりだ。

「犯罪河岸」(1947年、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督、フランス)
  期待したのとは大分違う映画だった。もっと暗く不気味な映画かと思っていた。しかしストーリーは日本のテレビドラマによくあるような設定だった。演出も切れがいいというより、多弁でゆったりとした展開。一番期待と違っていたのはルイ・ジューヴェだ。確かにうまい役者だが、ここではよくしゃべるおっさんという感じで、期待したような凄みを発揮してはいなかった。彼の出演する映画に駄作はないと思っていたが、ちょっと自信が揺らいだ。
  主演はベルナール・ブリエ。懐かしい。観終わった後にキャストを確認するまで彼だとは思わなかった。もう何十年も彼を見ていなかったので、大分顔の印象が薄れていたようだ。だが、わかってみれば確かに彼だ。
  タイトルから来る印象と違っていたので、正直戸惑いがあった。デュヴィヴィエの「モンパルナスの夜」のような犯罪映画かと思っていた。ベルナール・ブリエが妻の浮気相手を殺そうと思って男の家に行くと、既にその男は殺されていた。一方彼の妻は自分がその男を殴って殺したと女友達に打ち明けている。ベルナール・ブリエが容疑者として掴まると、妻は自分が殺したと告白し、またその女友達も彼女をかばおうとして自分が殴ったと警察に話す。しかし真犯人は別にいた。まさに夜9時からのテレビのサスペンスドラマそのものだ。真犯人に少しずつ近づいてゆく展開ではなく、最後にばたばたと片がつく。どうも今ひとつ面白くない。この手の映画はやはりアメリカ映画の方が作るのはうまい。フランス映画はそれに対してフランスならではの味つけをする。それがこの映画にはあまり無かった。実はそれが一番物足りないところなのかもしれない。

「ハリウッド・ホンコン」(2001年、フルーツ・チャン監督、香港・仏・日)
  主演の女優が「小さな中国のお針子」と同じ女優だとは観終わるまで気がつかなかった。かなりの美人に写っていた。映画はあまり出来がいいとはいえない。香港の貧民街。背景にはハリウッドという名の同じ形をした5つの高層ビルが立ち並んでいる。その貧民街に似つかわしくない美女が出没する。何が目的かなかなか分からない。彼女は何人かの男たちを誘惑してはセックスをする。一人は風俗店を営業する若いやさ男。豚肉を売る一家は男ばかり三人家族で、いずれも豚のように太っている。その三人とも謎の女と親しくなる。親父と長男は娘とセックスする。下の息子はまだ小学生くらいで、もちろん肉体関係はない。彼女もこの子とは素直に友達になれる。
  実は、彼女が男たちを誘惑してセックスをした後、怖い組織から金を払えという脅迫状が届くという仕組みになっているのだ。風俗店を営む若い男は金を払うことを拒否したため、男たちに襲われ右手を切断される。幸い切られた右手が発見されたのでつないでもらったが、それは別の人物の手でしかも左手だった。彼は復讐のため豚肉屋の長男とともに女の住む高層ビル「ハリウッド」に乗り込むが、豚肉屋の下の息子が知らせたために彼女は難を逃れた。最後に本物のハリウッドにいる彼女が映し出される。
  香港の貧民街の様子がよく描かれて入るが、全体がエンターテインメント仕立てになっている。なぜ彼女がこのような仕事にかかわっているのか最後までわからない。ただ、アメリカ行きにあこがれていることが分かるだけだ。男の子とは親しくしながらも、平気でその父親や兄とセックスをして罠にはめる彼女の心理もほとんど描かれない。まあ、難しいことを言わずに楽しめばいいって事か。香港映画なのだから。

「ヴァキューミング」(2001年、ダニー・ボイル監督、イギリスTVドラマ)
  ダニー・ボイル監督はイギリスで「シャロウ・グレイブ」と「トレイン・スポッティング」 を撮った後アメリカに渡った。アメリカで「普通じゃない」「ザ・ビーチ」「28日後...」を撮ったが、惨めな結果に終わる。完全に失速していた。しかし 「ザ・ビーチ」と「28日後...」の間に、イギリスに戻ってBBCで撮ったこの作品ではあの毒気と疾走感がだいぶ戻ってきた。
  主演はティモシー・スポール。「ラスト・サムライ」でカメラマン役を演じたあの太ったおっちゃんだが、イギリス映画の常連で「秘密と嘘」にも出ている。 しかし何といっても印象的なのはマイク・リー監督の「人生は、時々晴れ」で演じたタクシー運転手役。だらしないイギリスの中年男を演じさせたらこれ以上ないほどうってつけの役者だ。
  その彼が「ヴァキューミング」では一転して、日本人真っ青の猛烈サラリーマンに扮している。主人公トミーは電気掃除機の販売員で、完全な仕事人間。どうやら独身だ。移動時間も惜しいとばかり車を爆走させ、客に口を挟む余裕を与えず歯をむき出して一方的にしゃべり倒す。売っているのはどでかい掃除機だが、とても持てそうもない老人夫婦にも平気で売りつける。
  折りしも年間売り上げコンテストの締め切りが迫っている。優勝すると掃除機をかたどった金のトロフィーがもらえる。彼の売込みにもいっそう力が入る。そんな時売れないDJの卵ピートが転職してきて、ベテランの彼と一緒に顧客回りをさせられる。この若者は意外にまともで、借金だらけの主婦に無理やり売りつけた掃除機を、後で考え直して引き取ってくる。その帰りに数人の暴漢に襲われ掃除機を奪われてしまう。この1台 が結局あだとなってトミーは年間売り上げコンテストで2位になってしまう。1位との差は1台だったのだ。優勝は間違いないと思い込んでいたトミーはパーティーで踊り騒ぐ同僚たちから離れ、一人寂しnekoくふらふらと海岸まで歩いてゆく。絶望の果てに砂浜に仰向けに倒れ伏す彼に波が静かに打ち寄せる。
  ラストは何のひねりもなく物足りないが、作品の出来は「シャロウ・グレイブ」や「トレイン・スポッティング」のレベルに迫っている。アメリカでは力を発揮できなかったボイルだが、イギリスに帰って作った本作では彼本来の持ち味がよみがえっている。今後も甘いハリウッドの誘いには目を向けず、本国で創作を続けてほしいと思った。

「美しい夏キリシマ」(2002年、黒木和雄監督)
  キネマ旬報とシネ・フロントの両ベストテンで1位になった作品。期待したほどではなかったが、なかなかの佳作である。戦争末期から終戦までの田舎の日常を描いている。黒木和雄監督の実体験にフィクションを織り交ぜたもの。黒木監督は地元で13番目といわれる地主の息子で、そのため戦争中であるにもかかわらず意外に優雅な生活をしていたようだ。確かに空襲や勤労動員、軍事訓練などはあっただろうが、案外戦争中でも日常はのんびりした生活があったのかもしれない。ましてや地主一家の生活ともなればなおさらだ。もちろん本土決戦に備えて17万人もの兵隊が九州の田舎の町に駐留していたわけだから、夫をなくした妻が軍人に体を任せ食料などをもらっていたり、兵隊が夜食糧を盗みに入ったり、姉が片足を失った元兵士と結婚したりといった戦時中ならではのエピソードも出てくる。しかしグラマンの機影が映されても爆撃や機銃掃射の場面などは出てこない。全体にのんびりした雰囲気が漂っている映画だ。もう一つ手ごたえを感じなかったのはそのあたりに原因があるのだろう。
   そののんびりした中で、一つテーマとなって貫かれているのは、主人公の少年(柄本明の息子柄本佑が演じている)の胸に傷として残っている思いだ。敵に襲われたとき友人を置き去りにして自分だけ逃げてしまったという思いである。しかしそれも必ずしも少年の内面にまで深く入り込んで追求されているわけではない。
  戦時中の日常をリアルに描くことは重要なテーマである。その描き方は当時子どもであった場合と大人であった場合、男であった場合と女であった場合とでは違っているはずだ。当然地主の息子から見た世界と小作人の息子から見た世界も違っているはずである。どの視点からでなければいけないというわけではないが、この視点の問題は重要である。戦時中の意外にのんびりした生活を描くというのは、ある意味でステレオタイプを破ることで、意味のあることだ。ただそれももう一つ突込みが足りない物足りなさが残る。
  それはどこから来るのか。どうやら全体がパノラマ的でもう一つ作品に芯がないことに理由がありそうだ。少年の眼から見た視点がもっと一貫してあってよかったのではないか。もちろんその場合一定の限界がある。視野の狭さと少年であるがゆえの理解力不足である。当時の生活を広く捉えるためには視点を広げる必要があるが、その基本にはやはり一貫した視点が必要だ。この二つが融合して芯がありつつ広い視点も含みうる作品が出来る。まあこれは理屈だが、それにしてももう一つ手ごたえがなかったのは確かだ。戦後60年近くたってから撮った映画であるため、散漫になってしまったのかもしれない。霧島の美しい風景が見事にとらえられているだけに、その点が惜しい。
  実は、作品そのものよりも感動したのは監督自身と映画評論家の佐藤忠男が音声解説をつけた特典映像である。これは実によく出来ている。2人はほぼ同じ世代で、したがってかなり共通する体験をしているために、実に豊富なエピソードや舞台裏の話が聞ける。これほど充実した音声解説は珍しい。全部通しで観たわけではないが、いろんなことを教えられた。撮影は地元の市民のボランティアによる支えがあったようだ。実際に黒木監督が住んでいた家を当時のままによみがえらせて撮影したという。実に立派な屋敷である。牧瀬里穂が演じた主人公のハイカラな叔母は、実際当時でももんぺをはかずドレスにハイヒールという服装を通した人だったという。地主の娘だから出来たこととはいえ、相当に意志の強い人だったのだろう。当時の黒木少年の目には叔母の姿が実にまぶしく映ったそうだ。

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