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2005年10月16日 (日)

リアリズムの宿

2003年 silver_cart
原作:つげ義春「リアリズムの宿」「会津の釣り宿」
【スタッフ】
脚本:山下敦弘、向井康介
監督:山下敦弘
音楽:くるり
撮影:近藤龍人
【出演】
長塚圭史、山本浩司、尾野真千子、山本剛史、康すおん
サニー・フランシス、多賀勝一

 ちょうど先月高野慎三の『つげ義春1968』(ちくま文庫)を読んだばかりだった(「リアリズムの宿」のエンディング・クレジットを見ていたら企画:高野慎三と出ていた)。友人の勧めもあり、今一番見たいと思っている日本映画「リンダ、リンダ、リンダ」の監督でもあるので、「リアリズムの宿」をレンタルしてきた。当然つげワールドとは別の世界である。つげの原作を忠実に再現しようとしてもどだい無理な話だ。白黒の画面でなければあの雰囲気は出せないだろうし、当時の風景も消え去ってしまっている。時代は逆行するが(原作が書かれたのは70年代)、60年代に白黒で映画化していたらかなり原作に近い雰囲気が出せたかもしれない。それでもつげ独特のシュールで乾いた味わいを盛り込むのは難しいだろう。「無能の人」の映画化も失敗していたと思う。あまり原作にとらわれず、思い切って新しい世界を作るつもりでなければ成功しないのではないか。それではつげの世界ではなくなってしまうが、それで構わない。映画化というより再創造なのだから。その意味ではこの映画はある程度原作の味を残しながら独自の世界を作ることに成功したといえる。

  映画を観終わった後つげの原作を読み直してみた。「リアリズムの宿」「会津の釣り宿」は両方とも「つげ義春全集5」(筑摩書房)に入っている。ど汚い宿(病気の旦那がいて、風呂が汚くて入れなかったあの宿)に泊まる話は「リアリズムの宿」、魚を売りつけた男が実は泊まった宿の旦那だったという話や持ち込んだ酒を飲まれてしまう話は「会津の釣り宿」から取っている。そうそう、露天風呂の話も「会津の釣り宿」にあるエピソード。内風呂をただ外に置いただけの「露天風呂」は、原作では洪水で下流の床屋の風呂が逆に上流に流されてきたのを、宿の主人が貰い受けて開発したことになっている。床屋の娘が風呂に入ったまま、風呂が乗っていた大きな岩盤ごと上流に流されてきたというシュールな設定である。映画ではさすがにそこまでは描かなかったが、その理由の一つは焦点が主人公の二人に当てられているからだろう。泊まった宿や出会った人たちにはあまり深入りせず、それらは点々とつながるエピソードの一つとして流れてゆくだけである。

 唯一の例外は海岸で出会った不思議な女の子、川島敦子である。彼女は原作には出てこない。他の短編にキャラクターの原形があるかも知れないが、そこまで調べる時間はなかった。現金なもので、それまで弾まなかった会話も彼女が現れてからは急に弾むようになり、男2人も元気になってくる。しかし突然彼女はバスに乗って2人の前から消えうせてしまう。現れ方も消え方も唐突で、その謎めいた雰囲気が映画と合っている。その意味で彼女の創造は成功だった。彼女は最後にもう一度出てきて種明かしがされてしまうが(東京の原宿に住んでいると言っていたが、実は...)。演じた尾野真千子はなかなか存在感があっていい。

 リアリズムという言葉の意味についてここで少し触れておこう。「リアリズムの宿」のリアリズムという言葉は芸術の用語、あるいは文学理論におけるそれとは違う意味で使われている。原作から引用すると、「ぼくは貧しげでみすぼらしい風物にはそれなりに親しみを覚えるのだが、リアリズム(生活の臭い)にはあまり触れたくないのだ、というより胸が痛むのがいやなのだ」。これは主人公の男のせりふ、ないし独白である。においを「匂い」ではなく「臭い」と書くあたりに生の現実に対する男の感覚が出ている(ある程度までつげ本人の感覚と共通しているのかもしれない)。つまり「生の現実」ではなく「現実らしさ」に惹かれているのである。テレビのニュースやドラマで見て共感することでも、現実に自分の身に降りかかってきた場合うっとうしくて仕方がない。そういう感覚。男がひなびた温泉宿を泊まり歩くのも、都会を離れてひなびた雰囲気に浸りたいからであって、そこでの生々しい生活を見たいからfusen6ではないのだ。「柳川掘割物語」のレビューでも書いたが、現実は「わずらわしい」ものなのである。そういえば、山下監督も「何か作品を作っている人はどこか生身の人間が苦手なんじゃないかと僕は思う」とインタビューで語っていた。どんなにリアリズムといっても所詮はフィクションである。だから感動したり、共感したり、もらい泣きしたり出来るのである。貧しさやみすぼらしさは「風物」であって「現実」であってはならない。つかの間それに浸ることが出来ればそれでよい。別に男の感覚を批判しているわけではない。これは誰にでもある感覚だろう。映画に描かれた戦場での友情や勇気に感動したとしても、弾丸や砲弾が飛び交う戦場に自分もいたいとは誰も思わない。

 原作の漫画は、宿を間違えたため皮肉なことにその泊まりたくない「リアリズムの宿に」泊まらざるを得なくなった男の戸惑いを描いている。ゴホゴホ咳き込んでいる宿の主人、部屋は薄汚くて畳が傾き、子供が走り回り、女将さんはそれをしょっちゅう叱り飛ばしている。やせこけ、髪もほつれている女将は「ちょっと散歩に出てきますから」という口実で逃げ出そうとする男を引きとめ、どうしても外に行くならカバンを置いてゆけとすがる。女将が靴を土間の片隅にかたすのを見て男は観念する。散歩の途中、寒風吹きすさぶ中を女将がイカ一杯(1匹)をなべに入れて買い物から戻るところを目撃する。風に背を丸めて去って行くしおれたような寂しい後姿。その夜薄くて透けそうなイカの刺身が出た。味噌汁を運んできた子供が「シャモジ」を落としたり、風呂が汚くて入れなかったことなどは映画と同じ。男はもはや「胸が痛くなる」どころか怒りさえ感じはじめる。ふて寝している男に教科書を読む子供の声が聞こえてくる。「蜘蛛の糸」だ。一本の糸にすがって地獄から抜け出そうとする亡者たち。男の気持ちも似たような気持ちだったのか。

 この映画は間の取りかたが絶妙だとよく言われる。しかし間のとり方というよりは、要するに会話が弾まないわけである。冒頭の駅での場面がそのシチュエーションを象徴的にあらわしている。映画監督の卵・木下と脚本家の卵・坪井は駅の前で並んで立っている。互いに顔ぐらいは知っているが、友人と呼べるほどの仲ではない。言葉を交わすでもなく、互いに共通の友人である船木が早く来ないかと心待ちにしている。しかし舟木は来ない。とそこへ舟木から携帯に電話がかかってくる。同じ携帯で二人がそれぞれに舟木と話す。その度に一人ずつ画面の前の方に出てくるところが可笑しい。前に来るから観客にも声が聞こえるという卓抜な設定である。船木は約束を忘れていたようだ。船木が遅れることが分かると、あいつは俺より年下なのかなどもう一人のことをしきりに聞き出し始めるのが可笑しい。「ゴドーを待ちながら」じゃないが、「船木を待ちながら」二人は仕方なく宿屋へと向かう。しかし宿屋は閉まっていた。

 冒頭部分の雰囲気が映画の雰囲気を決定付けている。互いに相手を意識しあい、弾まない会話。映画は、船木が到着するまでの時間をこの二人がどう過ごしたかを描いてゆく。やがて敦子が二人に加わってようやく話が弾みだす。ここからふたりの男と一人の女の旅に変わる。様々な出来事と出会うが、映画の視点は出会った出来事や人々にではなく、むしろ主人公の木下と坪井に向けられている。二人の意識の変化と、二人を包む空気が描かれるのである。妙な宿や妙な人々が次々に出てきて、その都度彼らを包む空気が変わってゆく。二人の微妙な距離感もしだいに縮まってきて、例の「リアリズムの宿」に泊まったときには、腹を立てていた漫画の主人公とは違って、二人は一緒に笑い転げる。

 つげの原作にはこの笑いがない。宿での大笑いだけではなく、二人の微妙な距離感や彼らを包む空気が引き起こすちょっとした笑い(「オフビートな笑い」と表現した人もいる)、これがない。この違いが原作と映画の一番の違いだろう。原作にある物寂しさ、そこはかとなく感じる滑稽さに代わって、現代的なクスクス笑いが振りまかれている。どちらがいいというわけではない。映画は原作漫画とは別の作品であり、それ独自の魅力を作り出しているのだから。

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映画」カテゴリの記事

コメント

ほんやら堂さん TB&コメントありがとうございます。
そうですね、この映画はあの不思議な、シュールと言ってもいい感覚を楽しむ映画ですね。ほとんど裸の川島敦子が突然現れるシーンもそうですが、「なんでそうなるの」という展開の不思議さとその滑稽味が実に面白い。「茶の味」も似たシュールな感覚がありますが、それともまた味わいが違いますね。
おそらくこのシュールさはつげ義春の原作から来るものでしょうが、原作の味わいともまた違うのですね。つげ義春の原作を完全に映画の中で再現するのはほとんど不可能です。思い切って映画独自の世界を作ったことがこの映画を独特の味わいを持った作品にしたのでしょう。

ゴブリンさん,TB&コメント有り難うございました.
この映画は本当に変わった味でした.
特に映像のリアルさと構成の非リアルさの組み合わせが面白かったと思います.
何故か寒そうな砂浜にいる二人,その波打ち際を疾走してくる川島敦子,裸の敦子が二人にまっすぐ駆け寄ると我先に逃げ出す二人.
このロングショットの長回しが,何とも言えず印象に残っています.

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