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« 五線譜のラブレター | トップページ | トルコ映画の巨匠ユルマズ・ギュネイ① »

2005年9月 7日 (水)

トルコ映画の巨匠ユルマズ・ギュネイ②

ギュネイの記録映画「獄中のギュネイ」0901moon
 「路」のヒットを受けて、渋谷のユーロスペースで、ギュネイが監督と主演を兼ねた「エレジー」(1971)と「希望」(1970)の2作品が、西ドイツ製の記録映画「獄中のギュネイ」と併映という形で続けて公開された。だが「路」の大ヒットにもかかわらず、こちらの方はガラガラの状態であった。ユーロスペース自体まだほとんど知られていなかった頃だったので無理もないことだったかも知れない。だがこの2本と記録映画は全くの拾い物だった。

 まず記録映画の方を取り上げよう。パンフレットがないので細かいところは忘れてしまったが、まず印象的だったのは、ギュネイが鉄の檻の中ではなく普通の建物の前(中だったか?)で自由に相手の質問に答えていることだった。そしてその質問に対する答えが、驚くほどラディカルな言葉で語られていたことも意外な感じがした。彼はまるでアメリカを非難するベトナム兵士のように、トルコ政府とトルコ社会を厳しく批判した。だが最も鮮明な記憶として残っているのは、インタビュアーが街の人々にギュネイ監督をどう思うかと質問しているところである。聞かれる人のほとんどが、ギュネイを好きであるとか尊敬しているとか答 えている。中でも、路上で靴みがきをしていた男が、「なぜギュネイの映画が好きなのか]というインタビュアーの質問に対して、自分の靴みがき台の横に張ってある写真を指さしながら、「俺たちのことを描いているからだ」と答え、「彼は単なるスターではなく、民衆を愛する革命家なのです」と言っているところが 印象的だった。

トルコ版ウエスタン「エレジー」
 さて次に、「エレジー」の方に話を移そう。社会問題に正面から切り込んだ「路」とは別に、西部劇や悪漢小説的なアクション映画などもギュネイは手掛けて おり、「エレジー」はその代表作である。「エレジー」はトルコ版ウエスタンといった趣の作品だが、もちろんただのウエスタンではない。もろい岩ばかりの荒涼とした風景と、そこを根城に動き回る密輸グループの男たち。自然の不毛さと人間たちの冷酷非情さは、そのままトルコ社会の貧しさと人間的荒廃を映し出している。物語は単純である。仕事を頼まれた密輸グループが裏切りに合い、命からがら切り抜けるが、その帰途憲兵隊に包囲され、壮絶な撃ち合いの末、首領のチョバンオール(ギュネイ)は負傷する。彼は村の女医により手術を受け、命を取り留める。女医に心引かれながらも、チョバンオールはやはりアウトローの道 を選び、再び仲間たちと去って行くが、途中仲間割れし、残ったチョバンオールも最後には村人に殺されてしまう。

 「エレジー」の見所の一つは崖の下での憲兵隊との銃撃シーンである。巨大な岩が次々に転がってくるのを避けながら双方撃ち合う場面のダイナミズムは、まさに圧巻である。特撮など一切用いず、砂煙を上げて落ちてくる本物の岩石の腹を揺るがすような地響きと威圧感を、そのまま小細工なしで映し取ったことと、俳優たちの命懸けの演技によって、まれに見る壮絶なシーンが作り出されている。だがこの映画を真に価値あるものにしているのは、主人公の「悪党」たちに対する作者の眼である。われわれは、これらの「悪党」たちに人間性を失うギリギリのところまで追い詰められた貧しい魂を見、彼らの密輸行為の中に生活を感じてしまう。どう見ても悪党なのだが、なぜか義賊のようにも思えてくる。それでいて首にかけられた賞金のために村人たちに殺されてしまうラストシーンには、妥協のない非情さがある。貧しい者どうしが殺し合っている。生きるためには手段を選ばないのは他の人々も同じなのだ。民衆を見る複眼的な眼はここにも生きている。「エレジー」を単なるアクション映画に終わらせていないのは、人間をとらえるこの眼の豊かさである。

宝を掘り続ける貧しき者たち「希望」
 「エレジー」に登場するギュネイは精悍な顔つきであり、これがまたこの作品に魅力を加えている。しかし「希望」のギュネイは全く違った人物になりきっている。ギュネイ扮する主人公のジャバルは文盲で、しがない乗り合い馬車の御者をしている。しかし事故で馬を一頭失い、残った一頭も債権者に持ち去られる。 その後強盗を試みたりデモに行ったりするが、状況は少しも好転しない。思い余った彼は、友人ハサンが持ちかけた話を信じ、あるはずのない財宝をさがそうと、超能力を持っているという触れ込みの聖職者と三人であちこち掘り返し始める。止める妻の言葉も聞かず、残った金を全部つぎ込んでさがすが宝は見つからず、cut_gelf_non_w300ジャバルはほとんど狂人のようになって穴を掘り続ける。

 ガルシア・マルケスの『百年の孤独』の初めのあたりにも同じような話が出てくるが、「希望」の方がより社会的背景と密接に関連づけて描かれている。イタリアのネオ・リアリズモを思わせるような徹底したリアリズムで、ギュネイはこの作品を最後まで描き通している。馬が一頭死んだだけでみるみる生活が傾いてしまうほどの極貧、信じられないほどの無知。超能力を持つという僧が二人をだましているというのではなく、その僧自身宝の存在を信じ込んでいるという設定が卓抜である。独自の地方色や手法という点では「エレジー」に一歩譲るが、その詩情と、安易な妥協を排して市井の人々の貧しさと無知を描き抜いた手腕は非凡である。(「希望」は初期のサタジット・レイを思わせるところがある。)

亡命芸術家の苦悩
 ユルマズ・ギュネイという人物を考える時、トルコ社会の現実との関係を抜き去ることはできない。彼は最もトルコ社会の変革を望んだ人物であるが、同時に 最もトルコ人を愛した人間であり、トルコ社会の矛盾に満ちた現実を芸術作品として描き出すことに最も成功した芸術家でもあった。ギュネイが死の数週間前 にロンドンの“Still”誌と交わしたインタビュー中の次の一説は、芸術家(特に亡命を余儀なくさせられた芸術家)にとっての祖国の意味を考える上で、実に興味深い示唆を与えてくれるだろう。

インタビュアー:
  現在亡命しているわけですが、それが映画にどんな相違をもたらすと思いますか。
ギュネイ:
  亡命監督は母国から引き離されているという、大きな問題をかかえています。つまり私のイメージ、視覚的背景、そして私を母国、人々、私の過去と結びつけているバックグラウンドから切り離されていることを意味します。私には技術的、理論的基礎はありますが、それらを使って撮るには慣れ親しんだ土地が必要です。私は以前カメラを持たない〃刑務所の映画監督〃でした。今はカメラを持つことはできますが、一体何を撮ればいいのでしょう。私には視覚的な資産が 何もない。トルコにいた頃はシナリオなしに映画を撮っていました。必要なかった。撮影している土地のことも、そこに住む人間も、彼らの間の関係も熟知しているし、スタッフも旧知でした。ところが今の私は斧のまだ入っていないジャングルにいるようなもので、まずそれを切り開く新しい方法を見いださねばなりません。

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